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平成17年(行ケ)第10222号 特許取消決定取消請求事件
口頭弁論終結日 平成17年9月12日
判決
原告   三菱樹脂株式会社
同訴訟代理人弁理士大谷保
同東平正道
被告   特許庁長官 中嶋誠
同指定代理人   松縄正登
同中村則夫
同一色由美子
同宮下正之
同柳和子
主文
     1 特許庁が異議2003-71369号事件について平成16年8月
10日にした決定中,「特許第3350329号の請求項1ないし2に係る特許を
取り消す。」との部分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
 主文と同旨
第2 争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
 原告は,発明の名称を「食品包装用ストレッチフィルム」とする特許第33
50329号の特許(平成7年12月27日出願(以下「本件出願」という。),
平成14年9月13日設定登録。以下「本件特許」という。)の特許権者である。
 本件特許について特許異議の申立てがされた(異議2003-71369
号)ところ,原告は,平成16年4月12日,本件特許の願書に添付した明細書の
訂正を請求したが,特許庁は,同年8月10日,同訂正請求を認容した上,「特許
第3350329号の請求項1ないし2に係る特許を取り消す。」との決定(以下
「本件決定」という。)を行い,その謄本は,同月30日,原告に送達された。
2 特許請求の範囲
 上記訂正後の本件特許に係る明細書(甲10中の全文訂正明細書。以下「本
件明細書」という。)の請求項1及び2の記載は,次のとおりに分説される(以
下,A~Fを「要件A」等という。また,これらの発明をそれぞれ「本件発明1」
等といい,まとめて「本件発明」という。)。
【請求項1】
A.実質的に塩素を含有しない樹脂からなる層に,該樹脂層と異なる非塩化ビ
ニル材料からなる層を共押出により積層してなる積層フィルムであって,
B.動的粘弾性測定により周波数10Hz,温度20℃で測定した貯蔵弾性率
(E´)が5.0×108
~5.0×109
dyn/cm2
,損失正接(tanδ)
が0.2~0.8の範囲にあり,
C.幅方向の破断伸びが長さ方向の破断伸びよりも大きく,幅方向および長さ
方向の100%伸長時の引張応力の合計が1000kg/cm2
以下である
D.ことを特徴とする食品包装用ストレッチフィルム。
【請求項2】
E.動的粘弾性測定により周波数10Hz,温度0℃で測定したフィルムの貯
蔵弾性率(E´)が1.5×1010
dyn/cm2
以下の範囲にある
F.ことを特徴とする請求項1記載の食品包装用ストレッチフィルム。
3 本件決定の理由
(1) 別紙決定書写しのとおりである。要するに,本件発明は,次の各刊行物に
記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるか
ら,特許法29条2項の規定に違反して特許されたものであるとするものである。
刊行物1:特開平7-314623号公報(甲1)
刊行物2:国際公開第94/17113号パンフレット(甲2の1。甲2の
2がその訳文に相当する。)
刊行物3:特開昭60-79932号公報(甲3)
刊行物4:特開平5-278179号公報(甲4)
刊行物5:特開昭49-127791号公報(甲5)
刊行物6:特開昭52-71557号公報(甲6)
刊行物7:特開昭53-134591号公報(甲7)
刊行物8:特開平4-246536号公報(甲8)
(2) なお,本件決定は,その記載上は必ずしも明確ではないものの,本件発明
と刊行物1記載の発明(以下,決定と同様に「引用発明1」という。)との相違点
を本件発明の要件B及びCに係る部分である(本件発明2については他にも相違点
がある。)と認定した上,要件Bに係る相違点(以下「相違点1」という。)につ
いては刊行物2に基づき,また,要件Cに係る相違点(以下「相違点2」とい
う。)については刊行物3~8に基づき,それぞれ容易に想到することができたと
する趣旨のものであることは,当事者間に争いがない。
第3 原告主張に係る本件決定の取消事由
 本件決定は,引用発明1の認定を誤ったことにより,本件発明と引用発明1
との一致点を誤認して相違点を看過し(取消事由1),また,本件発明と引用発明
1との相違点1,2についての各判断を誤った(取消事由2,3)結果,本件発明
の進歩性の判断を誤ったものであり,これらの誤りが決定の結論に影響を及ぼすこ
とは明らかであるから,取り消されるべきである。
1 取消事由1(一致点の誤認,相違点の看過)
 本件決定は,刊行物1に,「実質的に塩素を含有しない樹脂…からなる層
に,該樹脂と異なる非塩化ビニル材料…からなる層を共押出により積層してなる積
層フィルムからなる特徴とする食品包装用ストレッチフィルム」の発明(引用発明
1)が記載されている(決定書7頁)と認定し,「引用発明1が第1発明(判決
注・本件発明1)の要件A及びDからなるものであることは明かである」(決定書
11頁)と認定したが,刊行物1には要件D(食品包装用ストレッチフィルム)に
関する記載はないから,決定の上記認定は誤りである。
(1) すなわち,刊行物1の特許請求の範囲に記載された発明はシュリンクフィ
ルムに限定されており,明細書全体の記載もシュリンクフィルムに関するもののみ
である。
 本件決定が引用する刊行物1の段落【0001】の記載は,従来の軟質塩
化ビニルフィルムを使用したストレッチ包装,ストレッチシュリンク包装,シュリ
ンク包装すべての場合又はその多くの場合を,特許請求の範囲に記載された発明の
フィルムを用いたシュリンク包装により代替しうることを意味していると解すべき
である。なぜなら,刊行物1の段落【0003】~【0006】の記載は,従来塩
ビ代替フィルムを塩ビと同様にストレッチ包装,シュリンク包装いずれにも適用し
ようとする試みがなされたにもかかわらず,結果的にそれが困難であることから,
十分熱収縮性を有するシュリンクフィルムを開発し,これを用いたシュリンク包装
で,従来の塩ビ代替フィルムの有する課題を解決したことを示しているからであ
る。したがって,刊行物1には,ここに記載のフィルムを包装最終工程にて加熱に
よって収縮させる必要のないストレッチ包装に適用することは記載されていない。
(2) シュリンクフィルムは,熱収縮性を付与するための積極的な延伸(融点T
m以下での延伸)を施すことが必須であることから,製造段階で既に延伸がなされ
ているのに対し,ストレッチフィルムは,使用の際にフィルムを引き伸ばして包装
することから,使用前のフィルムは実質未延伸であるという点で,両者は異なる
(甲13)。刊行物1記載のフィルムは,延伸されたものであることが必須である
ことから,明らかにシュリンク包装用フィルムであり,ストレッチ包装用フィルム
ではない。
(3) 刊行物1の実施例1を追試した結果(甲16)からも,刊行物1に記載さ
れたフィルムはストレッチ包装には適用し難いものであることが示される。
(4) なお,本件決定の「同じ素材からなるフィルムをストレッチフィルムとす
るか,シュリンクフィルムとするかは,当業者が必要に応じて適宜選択し得る」
(決定書12頁)との判断も,誤りである。すなわち,ストレッチフィルムとシュ
リンクフィルムとは,熱収縮性の要求の有無の点で異なるから,フィルムの組成,
構成にも,当然それぞれの要求特性に応じた相違があり,決して同一のフィルムを
そのまま両方に転用できるものではない。このことは,刊行物3,甲14,甲15
の記載からも明らかである。
2 取消事由2(相違点1についての判断の誤り)
 本件決定は,刊行物2に,「非塩素系樹脂あるいは非塩化ビニル材料からな
り,動的粘弾性測定により周波数10Hz,温度20℃で測定した貯蔵弾性率
(E´)が5.0×108
~5.0×109
dyn/cm2
,損失正接(tanδ)
が0.2~0.8の範囲にある食品包装用ストレッチフィルム」が記載されている
と認定し(決定書9頁),「刊行物2には…要件Bが記載されており」(決定書1
2頁)と認定した上で,本件発明は,「引用発明1に刊行物2…に記載された事項
を付加した程度にすぎないものである」(決定書12頁)と判断したが,誤りであ
る。
(1) 刊行物2記載の発明
 刊行物2には,食品包装用フィルムについては記載があるものの,これが
ストレッチフィルムであることについては何ら記載されていない。
 また,刊行物2の図1には,特定の温度における貯蔵弾性率あるいは損失
弾性率を特定の範囲の値とすること,及びそれにより格別の技術的効果が得られる
との技術思想については何ら開示されていない。刊行物2の実施例15も,本件発
明の要件Bを偶然満たすコポリマーを記載するのみである。したがって,刊行物2
に要件Bの記載はない。
 さらに,刊行物2には,ポリマーとしての粘弾性が記載されているだけ
で,積層フィルムに適用した際の粘弾性は記載されていない。刊行物1に記載の積
層フィルムの一層として刊行物2の実施例15に記載のコポリマーからなる層を用
い,これに他の樹脂層を積層しても,この積層フィルムは必ずしも要件Bを満たす
ものにはならない。
 なお,被告の指摘する乙4及び乙7の実施例に記載されたフィルムが,要
件Bを偶然満たすものであったとしても,乙4及び乙7には,フィルムの動的粘弾
性に関する開示や示唆がない。
(2) 組み合わせの動機付け
 本件決定の相違点1についての判断は,刊行物2に要件Bが記載されてい
るから,これを刊行物1に付加することは容易であるというにすぎず,刊行物1に
刊行物2を組み合わせる理由について一切言及されていない。刊行物1はシュリン
クフィルムに関するもので,ストレッチフィルムについてもこれに関する課題につ
いても記載されていない。刊行物2にはストレッチフィルムについても,要件Bに
ついても,本件発明の課題についても記載されていない。さらに,刊行物1と刊行
物2では,その対象とする樹脂も全く異なる。これらのことから,刊行物1と刊行
物2とを組み合わせる動機付けを見いだすことはできない。
 要件Bを具備することにより,包装作業性,包装仕上がり,弾性回復力,
底シール性などの特性をすべて満たすストレッチフィルムが得られることは,刊行
物1,2のいずれにも記載されていない。弾性回復力はゴム弾性に由来するのに対
し,底シール性は粘性あるいは応力緩和に由来するもので,これらは互いに背反す
るものであり,同時に達成することは困難である。本件発明は,特定の粘弾性特性
を付与することにより,ストレッチフィルムを引き延ばして応力を解除した時のフ
ィルムの戻り挙動がストレッチ包装に最適な挙動となることを見出し(本件明細書
の段落【0006】),上記の二律背反性を解決したものである。このような本件
発明の格別の効果を考慮しないでされた本件決定の判断は,誤りである。
3 取消事由3(相違点2についての判断の誤り)
 本件決定は,「刊行物3~8の…記載によれば,…食品包装用ストレッチフ
ィルムには,『幅方向の破断伸びが長さ方向の破断伸びよりも大きく,幅方向およ
び長さ方向の100%伸長時の引張応力の合計が1000kg/cm2
以下である
こと』(すなわち,…要件C)が必要な特性として本件出願前から要求されていた
ものと認められる」,「食品包装用ストレッチフィルムにおいては,『幅方向の破
断伸びが長さ方向の破断伸びよりも大きく,幅方向および長さ方向の100%伸長
時の引張応力の合計が1000kg/cm2
以下とすること』が,本件出願前の周
知慣用技術であったということもできる」(決定書12頁)と認定した上で,本件
発明は,引用発明1に刊行物3~8に記載された事項を付加した程度にすぎないも
のである旨判断した(決定書12頁)が,誤りである。
 すなわち,刊行物1のものはシュリンク包装用フィルムで,刊行物3~8の
ものはストレッチフィルムであるから,両者を組み合わせることは当業者が容易に
想到することではない。刊行物3~8にストレッチフィルムに要求される要件Cが
示されているとしても,引用発明1においてそれを具体的に実現する方法は,当業
者が容易に想到しうるものではない。要件Cを満たすことにより,本件明細書の段
落【0011】【0012】に記載したようなストレッチフィルム特性改善効果を
示すという点については,周知慣用事項であるとは認められない。
第4 被告の反論
 本件決定の判断に誤りはなく,原告の主張する本件決定の取消事由には理由が
ない。
1 取消事由1(一致点の誤認,相違点の看過)について
(1) 刊行物1は,段落【0001】の記載のみならず,2欄2~9行,6欄4
2行~7欄下から2行の記載からみて,ストレッチ包装とシュリンク(熱収縮)包
装のいずれにも適用可能なフィルムを開示しており,ストレッチ包装用フィルムの
製造を予定していることが明らかである。現に,刊行物3にも,食品包装用フィル
ムが同一素材からなるものであっても,ストレッチ包装,シュリンク包装等多用途
に用いられることが示唆されている。
(2) 本件発明のストレッチフィルムも,本件明細書の段落【0041】の記載
から明らかなように,製造の際に延伸を行うことを排除するものではなく,フィル
ムの成形法の見地からも,本件発明のすべての実施例で用いられている「インフレ
ーション成形」では,2軸に延伸されたフィルムができる(乙2)。また,未延伸
フィルムを用いてストレッチ包装をした場合,ネッキング現象(乙1)により,被
包装物を強固に固定することは難しいし,食品包装用フィルムが延伸フィルムを基
本としていることは,刊行物3にも記載されている。したがって,ストレッチフィ
ルムが未延伸フィルムであるということはできない。
(3) 甲16は,(A)層,(B)層のLLDPEが刊行物1の実施例1記載の
LLDPEと同一樹脂ではなく,具体的な共押出装置の形状,急冷時の温度及び速
度等の製造条件が明らかではないから,刊行物1の実施例1の正確な追試とはいえ
ない。
(4) 食品包装用のストレッチフィルムとシュリンクフィルムは,いずれも同じ
材料から製造されたフィルムであって,延伸率,熱処理(熱固定)等の後加工の条
件等,及びその用途により,一方はストレッチフィルムとなり,他方はシュリンク
フィルムとなるものであるといえる。したがって,刊行物1の実施例として具体的
に記載されているものがシュリンクフィルムであるとしても,同一素材を用いてス
トレッチフィルム及びシュリンクフィルムを形成することは適宜選択できる事項で
ある。
2 取消事由2(相違点1についての判断の誤り)について
(1) 刊行物2の記載によれば,そこに記載されたフィルムは,弾性回復力等に
優れた食品包装用フィルムのオーバーラップ材であるから,食品包装用ストレッチ
フィルムに属するものである。
 本件発明の要件Bの数値範囲は,刊行物2に記載されているのみならず,
本件出願前に周知である特公昭60―25454号公報(乙4)の実施例1の追試
(乙5,6)及び同じく特開平5―245986号公報(乙7)の実施例1の追試
(乙8)からみても,本件出願前の周知事項であるといえ,ストレッチフィルムが
通常有している特性を表したにすぎないものといえる。
(2) 上記のとおり,要件Bは非塩素系ストレッチフィルムにおいて周知の値で
あり,ストレッチフィルムに当然要求される特性である。刊行物2の実施例15及
び図1に記載されているのが,コポリマーとしての粘弾性であっても,それは,成
形品として要求される特性を示すものとしても記載されているのであり,この値
を,刊行物1の積層ストレッチフィルムにおける特性の目安とすることは適宜なし
得ることであり,刊行物1の素材で刊行物2の特性(要件B)を有するストレッチフ
ィルムを得ることに,何ら技術的困難はない。
3 取消事由3(相違点2についての判断の誤り)について
 刊行物3~8の記載によれば,従来から食品包装用ストレッチフィルムとし
て使用されているポリ塩化ビニルフィルムはもとより,この常用のポリ塩化ビニル
フィルムに代えて食品包装用ストレッチフィルムに好適なものとして開発された非
塩素系樹脂からなるフィルムのいずれの実例も,要件Cを満たすものであることが
理解できる。本件出願前に周知である特公昭60―25454号公報(乙4)の実
施例1の追試(乙5,6)及び特開平5―245986号公報(乙7)の記載から
も,本件発明の構成要件Cは,本件出願前の周知慣用技術であったといえる。した
がって,本件発明は,引用発明1に,刊行物3~8に記載された事項を付加した程
度にすぎないとした本件決定の判断に誤りはない。
第5 当裁判所の判断
1 取消事由2,3(相違点1,2についての判断の誤り)について
 原告は,本件決定が,刊行物2には本件発明の要件Bが記載されており,ま
た,刊行物3~8の記載によれば,食品包装用ストレッチフィルムにおいては,本
件発明の要件Cが必要な特性として本件出願前から要求されており,周知慣用技術
であったと認定した上で,本件発明は,「引用発明1に刊行物2~8に記載された
事項を付加した程度にすぎないものである」(決定書12頁)と判断したのは,誤
りである旨主張するので,検討する。
(1) 本件明細書(甲10中の全文訂正明細書)には,本件発明の要件B及び要
件Cに関して,以下の事項が記載されている。
ア 「本発明者等の検討によれば,特定の粘弾性特性を付与することによ
り,ストレッチフィルムを引き伸ばして応力を解除した時のフィルムの戻り挙動が
ストレッチ包装に最適な挙動となることを見出だした。」(【0006】)
イ 「E´が5.0×108
dyn/cm2
未満であると,柔らかくて変形に
対し応力が小さすぎるため,作業性が悪く,パツク品のフィルムの張りもなく,ス
トレッチフィルムとして適さない。また,E´が5.0×109
dyn/cm2
を越
えると,硬くて伸びにくいフィルムになり,トレーの変形やつぶれが生じやす
い。」(【0007】)
ウ 「tanδが0.2未満であると,フィルムの伸びに対する復元挙動が
瞬間的であるため,フィルムをトレーの底に折り込むまでのわずかな間にフィルム
が復元してしまい,フィルムがうまく張れずにしわが発生しやすい。また底部のヒ
ートシール状態も,ストレッチ包装の場合は熱による十分な融着がなされにくいの
で,包装後,輸送中ないし陳列中に次第に底シールの剥がれを生じやすくなる。ま
た,tanδが0.8を越えると,包装仕上がりは良好であるものの,塑性的な変
形を示し,パック品の外力に対する張りが弱すぎて,輸送中ないし陳列中の積み重
ねなどにより,トレー上面のフィルムがたるみ易く,商品価値が低下しやすい。ま
た自動包装の場合には縦に伸びやすいためチャック不良などの問題が生じやす
い。」(【0008】)
エ 「長さ方向の破断伸びが幅方向の破断伸びよりも大きいと,このカット
工程においてフィルムが幅方向にうまく裂けずに伸びてしまったり,あるいは斜め
方向に引き裂けたりして搬送の安定性が不十分となる。」(【0011】)
オ 「幅方向および長さ方向の100%伸長時の引張応力の合計が1000
kg/cm2
を越えると,ストレッチフィルムとしての適度の伸展性が損なわれる
ため,手包装においては引き伸し時に大きな力を必要とする上,うまく張れずにし
わが入りやすく,包装作業性が低下する。また自動包装機による包装の場合も,し
わが入りやすくしわを消すために張りを上げるとトレーが変形したり,つぶれたり
してストレッチ包装用としては適さないフィルムになる。」(【0012】)
カ 「上記粘弾性特性を満たすような材料の具体例としては各種のものを例
示できるが,・・・」として,以下多数の材料が列記されている(【0014】~
【0038】)
キ 「上記以外にも,材料の粘弾性特性を評価することにより適切な材料を
選定することができる。」(【0039】)
ク 「本発明フィルムを成形するには,一般的な公知の溶融押出法により,
Tダイキャスト法,テンタ延伸法,インフレーシヨン法,チューブラー二軸延伸法
などを採用することができるが,幅方向の破断伸びと長さ方向の破断伸びは,使用
する材料の特質に応じて,溶融押出後の引取り条件,冷却条件,インフレーシヨン
成形の場合はブローアップ比(バブルの最大径/ダイのスリット径),延伸が伴う
場合にはその温度や延伸倍率を調整することにより適正範囲に制御することができ
る。」(【0041】)
ケ 「幅方向と長さ方向の100%伸長時の引張応力の合計を1000kg
/cm2
以下の範囲に設定するには,使用材料の種類も大きく影響するが,それとと
もに上記のような溶融押出後の成形条件を調整する。」(【0042】)
コ 実施例1の表裏層および中間層の厚みを各々2μm,11μmと変更し
た比較例1では,tanδが0.85になり,実施例1の中間層を直鎖状エチレン
-ブテン-1共重合体に変更した比較例4では,tanδが0.15になり,実施
例1の中間層をスチレン13重量%,ポリブタジエン87重量%からなるスチレン
-ブタジエン-スチレンのトリブロック共重合体の水素添加誘導体(Tg:-42
℃,シエル化学社製KRATONG1657)に変更した比較例5では,tanδ
が0.10となること(【0064】【0066】【0067】【0069】)
サ 実施例3のインフレーション成形におけるダイリップギャップ,引取速
度,ブローアップ比を変更した比較例2では,破断伸びMD/TDが390/31
0となり,実施例3の成形方法を,下向き水冷により原チユーブを引取り,続いて
赤外線ヒータで再加熱し,60℃で長さ方向×幅(周)方向に4倍×3.5倍の2
軸延伸を行うという方法に変更した比較例3では,引張応力の合計が1100とな
ること(【0065】【0066】【0069】)
シ 比較例1では「張り」が×,比較例2では自動機における「カット搬
送」が×,比較例3では手包装における「シワ」が×,比較例4,5では「底シー
ル性」がそれぞれ△,×の結果であったこと(【表2】)
ス 「実施例の各フィルムは,粘弾性特性および引張特性が本発明で規定す
る範囲内にあり,諸特性に優れていた。これに対し,粘弾性特性が本発明で規定す
る範囲外の比較例1,4~5のフィルムは包装適性に不満足な点が認められ,特に
フィルムの張りと底シール性や包装仕上がりとを両立させることができなかった。
また粘弾性特性は本発明で規定する範囲内であるが引張特性が範囲外である比較例
2~3のフィルムは,比較例2ではフィルム繰出し時にフィルムが長さ方向に伸び
て,チャック外れやカット不良が多発し,比較例3ではフィルムが伸びにくく,手
包装,自動包装においてもしわを消すことが困難であった。」(【0070】【0
071】)
(2) 以上の記載から,要件Bは,ストレッチフィルムを引き伸ばして応力を解
除したときのフィルムの戻り挙動がストレッチ包装に最適となるような粘弾性特性
を規定するものであって(上記ア),特にE’は,フィルムの柔らかさに関係する
パラメータであり,作業性やパック品のフィルムの張りの観点からその下限値が規
定され,トレーの変形やつぶれの観点からその上限値が規定されたものであること
(上記イ),tanδは,フィルムの伸びに対する復元挙動に関連するパラメータ
であって,包装時のしわの発生や底シール性の観点からその下限値が規定され,パ
ック品の張りやたるみ,チャック不良の観点からその上限値が規定されたものであ
ること(上記ウ)が認められる。そして,実際に,tanδが上限値を超えると張
りが不良となり(比較例1),下限値を下回ると底シール性に劣るものとなる(比
較例4,5)ことも認められる(上記コ,シ,ス)。
 また,要件Cの「幅方向の破断伸びが長さ方向の破断伸びよりも大きく」
という点は,カット性の観点から規定されたものであり(上記エ),「幅方向およ
び長さ方向の100%伸長時の引張応力の合計が1000kg/cm2
以下であ
る」という点は,包装作業時のしわの発生の観点等から規定されたものである(上
記オ)ことが認められる。そして,実際に,幅方向の破断伸びが長さ方向の破断伸
びよりも小さいと,カット不良がおこり(比較例2),幅方向及び長さ方向の10
0%伸長時の引張応力の合計が1000kg/cm2
を超えると,しわが発生する
(比較例3)ことも認められる(上記サ,シ,ス)。
 さらに,要件Bは,層を構成する材料を選択することによって達成される
ものであり(上記カ,キ,コ),要件Cは,使用する材料に応じて成形条件を選択
することによって達成されるものである(上記ク,ケ,サ)ことも認められる。
(3) 上記(2)のとおり,本件明細書の記載によれば,本件発明は,ストレッチ
フィルムがストレッチ包装に適した各種特性を発揮するための要件として,要件B
及び要件Cを規定し,塩素を含有しない樹脂からなる積層フィルムにおいて具体的
な材料及びそれに応じた成形条件を最適化することによって,要件B及び要件Cを
実際に達成したものであることが認められるのであるから,引用発明1に要件B及
び要件Cの構成を加えて本件発明に到達することが容易であるというためには,少
なくとも,積層フィルムからなるストレッチフィルムにおいて要件B及び要件Cの
パラメータに着目すべき動機付けが存在し,かつ,要件B及び要件Cを達成するた
めの具体的な手段が当業者に知られている必要がある。
(4) 本件決定は,要件Bに規定された数値自体が刊行物2に記載され,刊行物
3~8の記載によれば要件Cがストレッチフィルムに必要な特性として本件出願前
から要求されていたことを理由として,本件発明は,「引用発明1に刊行物2~8
に記載された事項を付加した程度にすぎない」と判断したものである。
 しかしながら,刊行物2(甲2の1)には,あるコポリマーの-150~
150℃までの温度におけるE’及びtanδの変化を示すグラフが記載されてお
り(図1),このグラフ中,20℃におけるE’及びtanδの値は,本件発明の
要件Bで規定された範囲に含まれるものであるとは認められる(乙3)ものの,刊
行物2には,要件Bのパラメータとストレッチ包装における特性との関連性を示唆
する記載は見当たらないばかりか,要件Bで規定された粘弾性特性を満足するコポ
リマーを,他の樹脂層と共押出して得られる積層フィルムが,当該コポリマーと同
様の粘弾性特性を達成できるか否かについても,何の開示もされていない。そうす
ると,刊行物2は,積層フィルムからなるストレッチフィルムにおいて要件Bのパ
ラメータに着目すべき動機付けを示すものでないし,積層フィルムにおいて要件B
を達成する手段を開示したものでもないことが明らかであるから,刊行物2の記載
をもって,引用発明1に要件Bの構成を加えることが容易であるということはでき
ない。
 また,刊行物3(甲3)の18頁表2,刊行物4(甲4)の6頁表1,刊
行物5(甲5)の5頁第1表,刊行物6(甲6)の4頁右下欄の表,刊行物7(甲
7)の4頁表2,刊行物8(甲8)の5頁表1の記載によれば,ストレッチフィル
ムにおいて,長さ方向及び幅方向の破断伸び,幅方向及び長さ方向の100%伸長
時の引張応力に着目することは,本件出願前によく行われていたということはでき
る。しかしながら,前記(2)のとおり,本件発明の要件Cは,使用する材料に応じて
成形条件を選択することによって達成されるものであるところ,要件Bを達成する
ための手段,すなわち材料の選択自体が刊行物2に示されていないために容易であ
るといえないのであれば,材料に応じた成形条件を選択して要件Cを達成すること
は不可能といわざるを得ない。したがって,刊行物3~8の記載をもって,引用発
明1に要件Cの構成を加えることが容易であるということもできない。
(5) これに対し,被告は,要件Bの数値範囲が,刊行物2に記載されているの
みならず,特公昭60―25454号公報(乙4)の実施例1の追試(乙5,6)
及び特開平5―245986号公報(乙7)の実施例1の追試(乙8)からみても
本件出願前の周知事項であり,要件Bはストレッチフィルムが通常有している特性
を表したものにすぎない旨主張する。
 しかしながら,前記(3)のとおり,本件発明は,ストレッチフィルムがスト
レッチ包装に適した特性を発揮するための要件として要件Bを規定し,これを塩素
を含有しない樹脂からなる積層フィルムにおいて実際に達成したものであるから,
少なくとも,積層フィルムからなるストレッチフィルムにおいて要件Bのパラメー
タに着目すべき動機付けが存在し,かつ,要件Bを達成するための具体的な手段が
当業者に知られていなければ,要件Bの構成に至ることが容易であるとはいえない
のである。仮に,乙5,6及び乙8が,それぞれ,乙4の実施例1及び乙7の実施
例1の正確な追試であったとしても,乙4~8からは,せいぜい乙4や乙7の実施
例に記載されたストレッチフィルムがたまたま要件Bを満たすものであるといえる
だけであって,要件Bのパラメータとストレッチ包装における特性との関連性及び
要件Bを達成するための具体的な手段が,本件出願前に知られていたことにはなら
ない。したがって,被告の上記主張は理由がない。
(6) また,被告は,要件Bに関し,刊行物2の実施例15及び図1に記載され
ているのが,コポリマーとしての粘弾性であっても,それは,成形品として要求さ
れる特性を示すものとしても記載されているのであり,この値を,刊行物1の積層
ストレッチフィルムにおける特性の目安とすることは適宜なし得ることであり,刊
行物1の素材で刊行物2の特性(要件B)を有するストレッチフィルムを得ることに
何ら技術的困難はない旨主張する。
 しかしながら,刊行物2には,その実施例15及び図1が成形品として要
求される特性をも示すものであるとの記載はない。また,前記(2)のとおり,本件発
明においては、要件Bは、積層フィルムの材料を選択することにより達成されるの
であるところ,刊行物2には,そこに記載されたコポリマー材料を積層フィルムに
適用することについての記載もない。さらに,刊行物1の素材のままで要件Bを達
成するための具体的な手段は,刊行物1,2には何ら記載されていない。したがっ
て,刊行物1の素材で刊行物2の特性(要件B)を有するストレッチフィルムを得る
ことが容易であるとはいえず,被告の上記主張は理由がない。
(7) さらに,被告は,要件Cに関し,刊行物3~8にはいずれも要件Cを満た
すストレッチフィルムが記載され,乙4の実施例1の追試(乙5,6)及び乙7の
記載からも,要件Cは周知慣用技術であったといえるから,本件発明は,引用発明
1に,刊行物3~8に記載された事項を付加した程度にすぎないとした本件決定の
判断に誤りはないと主張する。
 しかしながら,前記(4)のとおり,本件発明の要件Cは,使用する材料に応
じて成形条件を選択することによって達成されたものであるところ,要件Bを達成
するための手段,すなわち材料の選択自体が容易であるとはいえない以上,材料に
応じた成形条件を選択して要件Cを達成することは不可能といわざるを得ない。要
件C自体が周知慣用技術であるか否かは,上記判断を左右するものではない。した
がって,被告の上記主張は理由がない。
(8) 以上のとおり,本件決定は,相違点1,2に関して,本件発明の要件B及
び要件Cの有する技術的意義やこれを達成するための手段について具体的な検討を
行うことなく,単に要件Bに規定された数値自体が刊行物2に記載され,刊行物3
~8の記載のように,要件Cがストレッチフィルムに必要な特性として知られてい
たことをもって,本件発明1は,「引用発明1に刊行物2~8に記載された事項を
付加した程度にすぎない」と判断したものであり,かかる判断は誤りであるといわ
ざるを得ない。そして,本件発明1についての上記判断を前提とした本件発明2に
ついての判断も,同様に誤りである。
2 結論
 以上のとおり,原告の取消事由2,3の主張は理由があり,これらの誤りが
本件決定の結論に影響を及ぼすことは明らかである。したがって,取消事由1につ
いて検討するまでもなく,本件決定のうち「特許第3350329号の請求項1な
いし2に係る特許を取り消す。」との部分は取消しを免れない。
 したがって,原告の本件請求は理由があるから,これを認容することとし,
主文のとおり判決する(なお,今後の審理においては,本件明細書が特許法36条
所定の要件を満たすものであるか否かの点も含め,さらに検討がなされるべきであ
る。)。
 知的財産高等裁判所第3部
  裁判長裁判官    佐  藤  久  夫
裁判官      若  林  辰  繁
       裁判官   沖  中  康  人

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