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平成28年12月21日判決言渡同日原本受領裁判所書記官
平成27年(行ケ)第10261号審決取消請求事件
口頭弁論終結日平成28年11月16日
判決
原告JX金属株式会社
(旧商号:JX日鉱日石金属
株式会社)
同訴訟代理人弁護士高橋雄一郎
同弁理士望月尚子
被告田中貴金属工業株式会社
同訴訟代理人弁護士飯村敏明
鈴木修
大平茂
大西千尋
磯田直也
森下梓
同弁理士松山美奈子
主文
1特許庁が無効2014-800158号事件について平成2
7年11月24日にした審決のうち,特許第4673448号の
請求項4に係る部分を取り消す。
2原告のその余の請求を棄却する。
3訴訟費用は,これを8分し,その7を原告の負担とし,その
余は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
特許庁が無効2014-800158号事件について平成27年11月24日に
した審決を取り消す。
第2事案の概要
1特許庁における手続の経緯等
原告は,平成22年3月8日(優先権主張:平成21年3月27日,日本
国),発明の名称を「非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲット」と
する発明について特許出願をし,平成23年1月28日,設定の登録(特許第46
73448号)を受けた(請求項の数8。以下,この特許を「本件特許」という。
甲15)。
被告は,平成26年9月18日,本件特許の請求項1ないし8に係る発明に
ついて特許無効審判を請求し,無効2014-800158号事件として係属した
(甲16)。
原告は,平成27年8月3日,本件特許に係る特許請求の範囲を訂正する旨
の訂正請求をした(以下,この訂正を「本件訂正」という。甲25)。
特許庁は,平成27年11月24日,本件訂正の請求を認めず,「特許第4
673448号の請求項1ないし8に係る発明についての特許を無効とする。」と
の別紙審決書(写し)記載の審決(以下「本件審決」という。)をし,その謄本は,
同年12月2日,原告に送達された(甲28)。
原告は,平成27年12月28日,本件審決の取消しを求める本件訴訟を提
起した。
2本件訂正における訂正事項
訂正事項1
特許請求の範囲請求項1に「球形の合金相(B)とを有している」とあるのを,
「球形の合金相(B)とを有し,前記球形の合金相(B)はCo濃度の高い領域と
低い領域及びCr濃度の高い領域と低い領域をそれぞれ有している」に訂正する。
訂正事項2
特許請求の範囲請求項2に「球形の合金相(B)とを有している」とあるのを,
「球形の合金相(B)とを有し,前記球形の合金相(B)はCo濃度の高い領域と
低い領域及びCr濃度の高い領域と低い領域をそれぞれ有している」に訂正する。
訂正事項3
特許請求の範囲請求項3に「球形の合金相(B)とを有している」とあるのを,
「球形の合金相(B)とを有し,前記球形の合金相(B)はCo濃度の高い領域と
低い領域及びCr濃度の高い領域と低い領域をそれぞれ有している」に訂正する。
3特許請求の範囲の記載
本件訂正前の特許請求の範囲の記載
本件訂正前の特許請求の範囲請求項1ないし8の記載は,次のとおりである(甲
15)。以下,各請求項に係る発明を「本件発明1」などといい,これらを併せて
「本件各発明」という。また,その明細書(甲15)を,図面を含めて「本件明細
書」という。
【請求項1】Crが5mol%以上20mol%以下,残余がCoである合金と
非磁性材粒子との混合体からなる焼結体スパッタリングターゲットであって,この
ターゲットの組織が,合金の中に前記非磁性材粒子が均一に微細分散した相(A)
と,前記相(A)の中に,ターゲット中に占める体積の比率が4%以上40%以下
であり,長軸と短軸の差が0~50%である球形の合金相(B)とを有しているこ
とを特徴とする非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲット。
【請求項2】Crが5mol%以上20mol%以下,Ptが5mol%以上3
0mol%以下,残余がCoである合金と非磁性材粒子との混合体からなる焼結体
スパッタリングターゲットであって,このターゲットの組織が,合金の中に前記非
磁性材粒子が均一に微細分散した相(A)と,前記相(A)の中に,ターゲット中
に占める体積の比率が4%以上40%以下であり,長軸と短軸の差が0~50%で
ある球形の合金相(B)とを有していることを特徴とする非磁性材粒子分散型強磁
性材スパッタリングターゲット。
【請求項3】Crが5mol%以上20mol%以下,Ptが5mol%以上3
0mol%以下,Bが0.5mol%以上8mol%以下,残余がCoである合金
と非磁性材粒子との混合体からなる焼結体スパッタリングターゲットであって,こ
のターゲットの組織が,合金の中に前記非磁性材粒子が均一に微細分散した相(A)
と,前記相(A)の中に,ターゲット中に占める体積の比率が4%以上40%以下
であり,長軸と短軸の差が0~50%である球形の合金相(B)とを有しているこ
とを特徴とする非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲット。
【請求項4】球形の合金相(B)は,中心部がCr25mol%以上であって,
中心部から外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成の合金相を形成
していることを特徴とする請求項1~3のいずれか一項に記載の非磁性材粒子分散
型強磁性材スパッタリングターゲット。
【請求項5】球形の合金相(B)の直径が,50~200μmの範囲にあること
を特徴とする請求項1~4のいずれか一項に記載の非磁性材粒子分散型強磁性材ス
パッタリングターゲット。
【請求項6】非磁性材料が,Cr,Ta,Si,Ti,Zr,Al,Nb,Bか
らなる酸化物,窒化物若しくは炭化物又は炭素から選択した1成分以上含むことを
特徴とする請求項1~5のいずれか一項に記載の非磁性材粒子分散型強磁性材スパ
ッタリングターゲット。
【請求項7】ターゲット中で,非磁性材料の体積比率が30%以下であることを
特徴とする請求項6に記載の非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲッ
ト。
【請求項8】相対密度が98%以上であることを特徴とする請求項1~7のいず
れか一項に記載の非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲット。
本件訂正後の特許請求の範囲の記載
本件訂正後の特許請求の範囲請求項1ないし8の記載は,次のとおりである(甲
25。なお,「/」は,原文の改行部分を示す。訂正箇所に下線を付した。)。以下,
本件訂正後の請求項1ないし8に記載された発明を,併せて「本件各訂正発明」と
いう。
【請求項1】Crが5mol%以上20mol%以下,残余がCoである合金と
非磁性材粒子との混合体からなる焼結体スパッタリングターゲットであって,この
ターゲットの組織が,合金の中に前記非磁性材粒子が均一に微細分散した相(A)
と,前記相(A)の中に,ターゲット中に占める体積の比率が4%以上40%以下
であり,長軸と短軸の差が0~50%である球形の合金相(B)とを有し,/前記
球形の合金相(B)はCo濃度の高い領域と低い領域及びCr濃度の高い領域と低
い領域をそれぞれ有している/ことを特徴とする非磁性材粒子分散型強磁性材スパ
ッタリングターゲット。
【請求項2】Crが5mol%以上20mol%以下,Ptが5mol%以上3
0mol%以下,残余がCoである合金と非磁性材粒子との混合体からなる焼結体
スパッタリングターゲットであって,このターゲットの組織が,合金の中に前記非
磁性材粒子が均一に微細分散した相(A)と,前記相(A)の中に,ターゲット中
に占める体積の比率が4%以上40%以下であり,長軸と短軸の差が0~50%で
ある球形の合金相(B)とを有し,/前記球形の合金相(B)はCo濃度の高い領
域と低い領域及びCr濃度の高い領域と低い領域をそれぞれ有している/ことを特
徴とする非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲット。
【請求項3】Crが5mol%以上20mol%以下,Ptが5mol%以上3
0mol%以下,Bが0.5mol%以上8mol%以下,残余がCoである合金
と非磁性材粒子との混合体からなる焼結体スパッタリングターゲットであって,こ
のターゲットの組織が,合金の中に前記非磁性材粒子が均一に微細分散した相(A)
と,前記相(A)の中に,ターゲット中に占める体積の比率が4%以上40%以下
であり,長軸と短軸の差が0~50%である球形の合金相(B)とを有し,/前記
球形の合金相(B)はCo濃度の高い領域と低い領域及びCr濃度の高い領域と低
い領域をそれぞれ有している/ことを特徴とする非磁性材粒子分散型強磁性材スパ
ッタリングターゲット。
【請求項4】球形の合金相(B)は,中心部がCr25mol%以上であって,
中心部から外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成の合金相を形成
していることを特徴とする請求項1~3のいずれか一項に記載の非磁性材粒子分散
型強磁性材スパッタリングターゲット。
【請求項5】球形の合金相(B)の直径が,50~200μmの範囲にあること
を特徴とする請求項1~4のいずれか一項に記載の非磁性材粒子分散型強磁性材ス
パッタリングターゲット。
【請求項6】非磁性材料が,Cr,Ta,Si,Ti,Zr,Al,Nb,Bか
らなる酸化物,窒化物若しくは炭化物又は炭素から選択した1成分以上含むことを
特徴とする請求項1~5のいずれか一項に記載の非磁性材粒子分散型強磁性材スパ
ッタリングターゲット。
【請求項7】ターゲット中で,非磁性材料の体積比率が30%以下であることを
特徴とする請求項6に記載の非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲッ
ト。
【請求項8】相対密度が98%以上であることを特徴とする請求項1~7のいず
れか一項に記載の非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲット。
4本件審決の理由の要旨
本件審決の理由は,別紙審決書(写し)のとおりである。要するに,①ⅰ)本件
訂正は,願書に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内
においてしたものとはいえず,新たな技術的事項を導入するものであるから,特許
法134条の2第9項で準用する同法126条5項の規定に適合せず,本件訂正を
認めることはできない,ⅱ)本件各発明は,発明の詳細な説明に記載したものであ
るとはいえないから,その特許請求の範囲の記載は,同法36条6項1号に規定す
る要件(以下「サポート要件」という。)を満たしておらず,その特許は,同法1
23条1項4号に該当し,無効にすべきものである,②仮に,本件訂正が認められ
たとしても,本件各訂正発明は,発明の詳細な説明に記載したものであるとはいえ
ないから,その特許請求の範囲の記載は,サポート要件を満たしておらず,その特
許は,同法123条1項4号に該当し,無効にすべきものである,などというもの
である。
5取消事由
本件訂正が新規事項の追加に当たるとした判断の誤り(取消事由1)
本件各発明のサポート要件に係る判断の誤り(取消事由2)
本件各訂正発明のサポート要件に係る判断の誤り(取消事由3)
第3当事者の主張
1取消事由1(本件訂正が新規事項の追加に当たるとした判断の誤り)につい

〔原告の主張〕
本件審決の判断
本件審決は,球形の合金相(B)のCr濃度の態様について,「中心付近にCr
が濃縮し外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる」態様以外の態様は,
願書に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面の全ての記載を総合することによ
り導かれる技術事項とすることはできないから,「前記球形の合金相(B)はCo
濃度の高い領域と低い領域及びCr濃度の高い領域と低い領域をそれぞれ有してい
る」という訂正事項1ないし3を加える本件訂正は,新規事項の追加に該当する,
などと判断した。
本件明細書等に記載されている技術的事項
ア「前記球形の合金相(B)はCo濃度の高い領域と低い領域及びCr濃度の
高い領域と低い領域をそれぞれ有している」という事項は,次のとおり,本件明細
書等に記載されている事項である。
本件明細書の【0016】には,「球形の合金相(B)には,少なからずC
rの濃度が低い領域と高い領域が存在し,このような濃度変動の大きな場所では格
子歪みが存在すると考えられる」との記載がある。
そして,Co濃度も球形の合金相(B)と相(A)とは異なり,相互拡散が生じ
るから,球形の合金相(B)には,少なからずCoの濃度が低い領域と高い領域も
存在することも事実上記載されているといえる。
また,本件明細書の【0018】には,「球形は,その重心から外周までの
長さの最小値に対する最大値の比が2以下であると言い換えることもできる。この
範囲であれば,外周部に多少の凹凸があっても,組成不均一な相(B)を形成する
ことができる。」との記載がある。
そして,組成不均一な相(B)とは,球形の合金相(B)を構成する元素に濃淡
があることを意味している。
さらに,本件明細書の【0019】には,「上記数値範囲より小さい場合に
は,十分な焼結温度で高密度のターゲットを得ようとすると,金属元素同士の拡散
が進み,Crの濃度分布をもつ球形の合金相(B)が形成され難くなる。」,【00
35】には,「図2に示すように,EPMAの元素分布画像で白く見えている箇所
が,当該元素の濃度の高い領域である。すなわち,球形の合金相の部分においてC
oとCrの濃度が高くなっており,特にCrは周辺部から中心部に向かって,より
濃度が高く(白っぽく)なっている。」との記載もある。
イまた,後記2〔原告の主張〕のとおり,本件各発明は,球形の合金相(B)
を相(A)の中に分散させる組織構造に関する発明であり,この組織構造によって,
第1のメカニズム及び第2のメカニズムを発揮させ,漏洩磁束を向上させるという
ものである。実施例には,Crの濃度が中心から外周に向かって減少する態様以外
の記載はないものの,実施例は,あくまでも例示にすぎない。
そして,本件訂正は,第1のメカニズム及び第2のメカニズムを利用するもので
あることをより明確にする訂正であるから,何ら新たな技術的事項を導入するもの
ではない。
小括
以上のとおり,本件訂正に係る事項は,本件明細書等に記載されている事項であ
り,新たな技術的事項を導入するものではない。よって,本件訂正は,新規事項を
追加するものではない。
〔被告の主張〕
本件明細書等に記載されている技術的事項
本件明細書の【0015】には「球形の合金相(B)が,中心付近にCrが25
mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成の合
金相を形成していることが有効である」と記載され,【0018】には「合金相
(B)が球形であると,焼結時に相(A)と相(B)の境界面に空孔が生じにくく,
密度が上がり易い。また,同一体積では,球形の方が表面積が小さくなるので,周
囲の金属粉(Co粉,Pt粉など)との拡散が進みにくく,組成不均一な相(B),
すなわち中心付近にCrが25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量
が中心部より低くなる組成の合金相が容易に形成されるようになる」と記載されて
いる。
また,実施例1~9は,いずれもCr濃度が球形の合金相(B)の周辺部から中
心部に向かって濃度が高くなる態様である。
したがって,球形の合金相(B)について「中心付近にCrが濃縮し外周部にか
けてCrの含有量が中心部より低くなる」という組成以外の組成は,本件明細書等
の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項ではない。
原告の主張について
本件明細書の【0018】の「組成不均一な相(B)」との記載,【0019】の
「Crの濃度分布をもつ球形の合金相(B)」との記載及び【0035】の「球形
の合金相の部分においてCoとCrの濃度が高くなっており」との記載は,いずれ
も球形の合金相(B)の「中心付近にCrが濃縮し外周部にかけてCrの含有量が
中心部より低くなる」という組成を説明したものにすぎない。原告の主張は,本件
明細書のうち自己に有利な部分のみを取り上げるものである。
すなわち,【0018】には,上記記載に続けて「組成不均一な相(B),すなわ
ち中心付近にCrが25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心
部より低くなる組成の合金相が容易に形成されるようになる」との記載が存在する。
また,【0019】の記載も,【0018】の記載に続いて球形の合金相(B)の望
ましい直径について説明するものであり,中心付近にCrが25mol%以上濃縮
し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成の球形の合金相(B)
を前提としたものであることが明らかである。さらに,実施例1について説明する
【0035】には,「すなわち,球形の合金相の部分においてCoとCrの濃度が
高くなっており,特にCrは周辺部から中心部に向かって,より濃度が高く(白っ
ぽく)なっている。EPMAの測定結果から球形の合金相では,Crが25mo
l%以上濃縮されたCrリッチ相が中心付近に存在し,外周に近づくにつれてCr
の濃度が低くなっていることが確認された」と記載されており,Crの濃度が中心
から外周に向かって減少する態様以外については一切記載されていない。
小括
以上によれば,本件訂正に係る事項は,本件明細書等の全ての記載を総合するこ
とにより導かれる技術的事項ではなく,新たな技術的事項を導入するものである。
よって,本件訂正は,新規事項を追加するものである。
2取消事由2(本件各発明のサポート要件に係る判断の誤り)について
〔原告の主張〕
本件審決の判断
本件審決は,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件各発明の課題を解決する
手段として「球形の合金相(B)は,Co-Cr合金であって,中心付近にCrが
25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成
であるスパッタリングターゲット」であることが記載されているから,これを特定
していない本件各発明に係る特許請求の範囲の記載は,サポート要件を満たさない
と判断した。
発明の詳細な説明に記載された本件各発明の課題解決手段
本件各発明が解決すべき課題は,ターゲット全体の組成を変えることなく,ター
ゲットの厚さも変えることなく,漏洩磁束を大きくすることである。
そして,以下のとおり,本件明細書の発明の詳細な説明の記載によれば,Co及
びCr等の各磁性の特質を知る当業者は,球形の合金相(B)の組成について限定
がなくとも,本件各発明の前記課題を解決できると認識できるというべきである。
ア第1のメカニズム
球形の合金相(B)の存在によって漏洩磁束を高める第1のメカニズムは,
本件明細書の【0016】に記載されたとおり,球形の合金相(B)内の濃度変動
が,格子歪みを生み出し,Co原子が持つ磁気モーメントについて互いに非平衡状
態を取らせるというものである。
そして,球形の合金相(B)を構成する金属と相(A)を構成する金属に組成差
がある場合,焼結によって,両者の構成元素が相互拡散して,その領域に濃度変動
が生まれるから,球形の合金相(B)内における濃度変動は,相(A)と組成のう
えで区別可能な,球形の合金相(B)を含有させるという構成によって実現される
ものである。
また,本件明細書の【0015】には,球形の合金相(B)におけるCr濃度の
分布状態は,焼結温度や原料粉の性状によって変化することを前提に,「球形の合
金相(B)の存在」それ自体が「本願発明ターゲットの独特の組織構造を示す」と
記載されている。
したがって,当業者は,相(A)に球形の合金相(B)を含有させるという構成
により,球形の合金相(B)内の濃度変動を生じさせ,格子歪みを引き起こし,漏
洩磁束を高める要因となることを理解できる。当業者は,【0015】に記載され
た球形の合金相(B)の具体的な組成のみを前提に,漏洩磁束が向上すると限定し
て理解することはない。
そして,球形の合金相(B)内の濃度変動が格子歪みを引き起こすという観
点で捉えた場合,当業者は,その濃度変動が,球形の合金相(B)においてCrの
濃度が周辺部から中心部に向かって高くなる場合の濃度変動と,その逆であるCr
の濃度が周辺部から中心部に向かって低くなる場合の濃度変動とで,技術的に異な
るものと認識することはない。なぜなら,濃度変動,つまり組成の変動があれば,
格子定数の急激な変動により格子が整合しなくなり,格子の歪みが生じるのであっ
て,その濃度変動の向き(組成変動の向き)で格子定数の不整合の状態が変わるわ
けではないからである。
イ第2のメカニズム
球形の合金相(B)の存在によって漏洩磁束を高める第2のメカニズムは,本件
明細書の【0017】に記載されたとおり,Crの濃淡を球形の合金相(B)内だ
けでなく,ターゲット全体でもCr濃度の高い領域を点在させるというものである。
そして,ターゲットの原料であるCo,Cr等のうち,Coは強磁性を示す金属
であるから,Coの濃度が高い領域は,磁束は通過しやすいが,Cr濃度の高い領
域は,Coの濃度が高い領域に比べて磁束は通過し難く,ターゲット内において,
Coの濃度が高い領域は磁束が密となり,Crの濃度が高い領域は磁束が粗となる。
そうすると,磁束が均一な場合と比較して,その様な磁束の粗密がある場合は,全
体のエネルギーが高くなるため,エネルギーを低くしようとして,磁束が内部を通
過するより,外部に漏れ出た方がエネルギー的に安定になる。
したがって,当業者は,相(A)に球形の合金相(B)を含有させるという構成
により,ターゲット内で磁束の粗密を作り出し,漏洩磁束を高める要因となること
を理解できる。
なお,実施例2においても,焼成したターゲットにおいて,相(A)と球形の合
金相(B)との間にCoの濃度分布は存在しており(【図5】),第2のメカニズム
は実施例2と矛盾するものではない。
ウ本件各発明の課題との関係
本件各発明は,漏洩磁束を大きくすることを解決すべき技術的課題として,
①非磁性材粒子の体積比率を増やす,②Coの含有割合を減らす,③ターゲットの
厚みを薄くする,④焼結の温度を下げるという従来技術ではなく,ターゲットの組
織構造を調整するという新しい観点に基づき,ターゲット中に球形の合金相(B)
を存在させるという新規な組織構造を採用することによって漏洩磁束を向上させる
というものである。そして,本件優先権主張日前にこの様な技術的思想を開示した
先行発明はない。
そうすると,当業者は,球形の合金相(B)の具体的組成について限定がなくて
も,球形の合金相(B)を相(A)に分散させるという組織構造により,課題を解
決できると認識できるというべきである。CoとCrの濃度範囲について,必ずし
も実施例で具体的な測定結果をもって裏付けられる必要はない。
また,本件各発明は,球形の合金相(B)に対応する磁性相の組成を特定の
ものに限定することで,より効率的に漏洩磁束を向上させることを目的したもので
はない。しかも,本件明細書の実施例と比較例は,球形の合金相(B)を含有して
いるか否かのみで比較し,球形の合金相(B)の具体的組成に応じて漏洩磁束がど
の程度大きくなるかについて比較するものはない。
したがって,本件明細書の実施例には,球形の合金相(B)は,基本的にCr濃
度が球形の合金相(B)の中心付近で高く,外周に近づくにつれてCrの濃度が低
くなっている態様のものしかなく(【0035】),また,漏洩磁束の向上の観点
から,Co-Cr球形粉末の組成はCrの含有量が25mol%以上70mol%
以下とすることが望ましいことが記載されているとしても(【0027】),これら
は,出願時において出願人が,より効率的に漏洩磁束を高める観点で望ましいもの
として記載したものにすぎないというべきである。
小括
以上のとおり,当業者は,球形の合金相(B)の具体的組成について限定がなく
とも,球形の合金相(B)をターゲットの中に占める体積の比率で4%以上40%
以下含有することが規定されている本件各発明で,課題を解決できると認識できる。
よって,本件各発明に係る特許請求の範囲の記載にサポート要件違反はない。
〔被告の主張〕
発明の詳細な説明に記載された本件各発明の課題解決手段
本件明細書の【0015】に「ターゲット組織に含まれる球形の合金相(B)が,
中心付近にCrが25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部
より低くなる組成の合金相を形成していることが有効である。本願発明は,このよ
うなターゲットを提供する。」と記載されていることから分かるように,本件明細
書は,「中心付近にCrが25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量
が中心部より低くなる組成の合金相」を必須の構成要件として開示していることが
明らかである。
また,本件明細書に具体的に開示されている球形の合金相(B)は,実施例に記
載されている,原料としてCoが60mol%,Crが40mol%の組成を有す
る球形粉末又はCoが40mol%,Crが60mol%の組成を有する球形粉末
を添加して形成させた結果得られた,「Crが25mol%以上濃縮されたCrリ
ッチ相が中心付近に存在し,外周に近づくにつれてCrの濃度が低くなっている球
形の合金相(B)」のみであり,これ以外の球形の合金相(B)の具体的組成によ
り発明の課題が解決可能であるかについては,本件明細書を参酌しても不明である。
原告の主張について
原告の主張は,同一の自然法則の関与する全ての範囲にクレームの技術的範囲を
拡張しようとするものであって,失当である。
ア第1のメカニズム
本件明細書の【0016】におけるメカニズムの記載は,本件明細書の【001
5】で開示された「中心付近にCrが25mol%以上濃縮し,外周部にかけてC
rの含有量が中心部より低くなる組成の合金相」という必須の構成要件を含むこと
により,なぜ漏洩磁束が向上するのかについて,メカニズムの説明を試みようとし
たものであって,かかるメカニズムを含むもの全てを課題解決手段として挙げる趣
旨でないことは一見して明らかである。
また,本件明細書の【0016】には「球形の合金相(B)の存在による漏洩磁
束を高めるメカニズムは,必ずしも明確ではないが」などとして,メカニズムの妥
当性に留保が付けられており,かかるメカニズムの採用が課題解決手段として記載
されているものでないことが容易に読み取れる。
さらに,メカニズムそのものは発明足り得ず,メカニズムを利用した何らかの技
術的思想の創作が発明となることからすれば,当該メカニズムを具体的に実現した
態様こそが課題解決手段として明記されるべきところ,本件明細書に具体的に開示
されているのは,実施例に記載されている「Crが25mol%以上濃縮されたC
rリッチ相が中心付近に存在し,外周に近づくにつれてCrの濃度が低くなってい
る球形の合金相(B)」のみである。
したがって,本件明細書の【0016】に,Crの濃度が低い領域と高い領域が
存在し,Crの濃度変動に存在すると考えられる格子歪みが漏洩磁束の増加に寄与
するというメカニズムが記載されていることをもって,かかる濃度変動が存在すれ
ばどのような態様であってもサポート要件を満足するということはできない。
イ第2のメカニズム
第2のメカニズムも,第1のメカニズムと同様に「中心付近にCrが25mo
l%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成の合金相」
という構成要件を含有することによって漏洩磁束が増加する理由の説明を試みたも
のであって,単に相(A)に球形の合金相(B)を含有させればよいことの根拠と
なるものではない。
また,ターゲット内にCr濃度の高い領域と低い領域とが存在すれば足りるとい
う第2のメカニズムは,要するに,球形の合金相(B)内にCr濃度勾配が存在し
なくとも,相(A)と球形の合金相(B)にそれぞれ含有されるCrの濃度が異な
れば,相(A)と球形の合金相(B)の間でCrの濃度勾配が存在することになり,
結果として漏洩磁束が増加するというものと解される。しかし,本件明細書の段落
【0016】,【0017】には「相(B)中の」Cr濃度勾配が本件各発明の効果
に重要であることが明示されている。さらに,第2のメカニズムでは,ターゲット
全体でCo濃度の高い領域と低い領域が存在することが,漏洩磁束の向上に不可欠
であるということになるが,実施例2においては,粉末の状態で既に相(A)と球
形の合金相(B)との間にCoの濃度分布は存在しないから,焼成したターゲット
において,相(A)と球形の合金相(B)との間にCoの濃度分布は存在せず,球
形の合金相(B)内でのみCoとCrの濃度分布が生じている。したがって,第2
のメカニズムは,明細書に基づかない主張であって,本件明細書の実施例2とも矛
盾する。
小括
以上によれば,本件明細書の発明の詳細な説明には,発明の課題を解決する手段
として「球形の合金相(B)は,Co-Cr合金であって,中心付近にCrが25
mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成であ
るスパッタリングターゲット」であることが記載されており,このことを特定して
いない本件各発明に係る特許請求の範囲の記載はサポート要件を満たさない。
3取消事由3(本件各訂正発明のサポート要件に係る判断の誤り)について
〔原告の主張〕
本件審決は,本件各訂正発明についても,サポート要件違反があると判断した。
しかし,前記2〔原告の主張〕のとおり,本件各発明ですらサポート要件を満た
すことに加え,本件訂正は,球形の合金相(B)について,「前記球形の合金相
(B)はCo濃度の高い領域と低い領域及びCr濃度の高い領域と低い領域をそれ
ぞれ有している」旨さらに限定するものであるから,本件各訂正発明は,球形の合
金相(B)内において濃度変動が存在すること,球形の合金相(B)と相(A)と
は組成が異なることが明確に示されている。
そうすると,当業者であれば,本件各訂正発明で,課題を解決することができる
と明確に理解できる。よって,本件各訂正発明に係る特許請求の範囲の記載にサポ
ート要件違反はない。
〔被告の主張〕
本件訂正は,特許請求の範囲に,球形の合金相(B)中にCo及びCrの濃度勾
配が存在することのみを追加するにすぎない。
したがって,前記2〔被告の主張〕と同様に,本件各訂正発明も,課題を解決す
る手段である「球形の合金相(B)は,Co-Cr合金であって,中心付近にCr
が25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組
成であるスパッタリングターゲット」であることが特定されていないから,本件各
訂正発明に係る特許請求の範囲の記載はサポート要件を満たさない。
第4当裁判所の判断
1本件各発明及び本件各訂正発明について
本件各発明及び本件各訂正発明に係る特許請求の範囲(請求項1ないし8)
は,前記第2の3
明の詳細な説明には,おおむね,次の記載がある。なお,本件明細書の記載は,本
件訂正前後を通じ,同じである。
ア技術分野
【0001】本発明は…特に垂直磁気記録方式を採用したハードディスクのグラ
ニュラー磁気記録膜の成膜に使用される非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリン
グターゲットに関し,漏洩磁束が大きくマグネトロンスパッタ装置でスパッタする
際に安定した放電が得られ,かつ高密度で,スパッタ時に発生するパーティクルの
少ないスパッタリングターゲットに関する。
イ背景技術
【0002】…垂直磁気記録方式を採用するハードディスクの記録媒体では,磁
気記録膜中の磁性粒子間の磁気的相互作用を非磁性材料により遮断,または弱めた
グラニュラー膜を採用し,磁気記録媒体としての各種特性を向上させている。この
グラニュラー膜に最適な材料の一つとしてCo-Cr-Pt-SiO2が知られて
おり…一般に,Coを主成分とした強磁性のCo-Cr-Pt合金の素地中に非磁
性材料であるSiO2が均一に微細分散した非磁性材粒子分散型強磁性材ターゲッ
トをスパッタリングして作製される。
【0005】…上記の磁気記録膜の成膜では,生産性の高さからマグネトロンス
パッタリング装置が広く用いられている。…
【0006】マグネトロンスパッタ装置の特徴は,ターゲットの裏面側に磁石を
備えており,この磁石からターゲット表面に漏れ出てくる磁束(漏洩磁束)が,タ
ーゲット表面近傍において電子をサイクロイド運動させて,効率良くプラズマを発
生させることを可能としていることである。
ウ発明が解決しようとする課題
【0008】一般に,上記のようなマグネトロンスパッタ装置で非磁性材粒子分
散型強磁性材スパッタリングターゲットをスパッタしようとすると,磁石からの磁
束の多くは強磁性材であるターゲット内部を通過してしまうため,漏洩磁束が少な
くなり,スパッタ時に放電が立たない,あるいは放電しても放電が安定しないとい
う大きな問題が生じる。
この問題を解決するには,ターゲット中の非磁性材粒子の体積比率を増やすこと
や,Coの含有割合を減らすことが考えられる。しかし,この場合,所望のグラニ
ュラー膜を得ることができないため本質的な解決策ではない。また,ターゲットの
厚みを薄くすることで漏洩磁束を向上させることは可能だが,この場合ターゲット
のライフが短くなり,頻繁にターゲットを交換する必要が生じるのでコストアップ
の要因になる。
【0009】…焼結の温度を下げると,同一の混合粉末を用いて,同一組成・同
一形状のターゲットを作製する場合,漏洩磁束が大きくなるという知見を得た。し
かし…ターゲットの相対密度が98%を下回ってしまうため,パーティクルの発生
という新たな問題に直面した。
本発明は上記問題を鑑みて,漏洩磁束を向上させて,マグネトロンスパッタ装置
で安定した放電が得られ,かつ,高密度でスパッタ時に発生するパーティクルの少
ない非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲットを提供することを課題
とする。
エ課題を解決するための手段
【0010】上記の課題を解決するために,…ターゲットの組織構造を調整する
ことにより,漏洩磁束の大きいターゲットが得られることを見出した。また,この
ターゲットは,密度を十分高くすることができ,スパッタ時に発生するパーティク
ルを減少させることができるとの知見を得た。
【0014】本発明の非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲットで
は,マトリックスとなる非磁性材粒子が均一に微細分散した相(A)を含むターゲ
ット全体の体積において,球形の合金相(B)の占める体積比率を4%以上40%
以下としているが,これは球形の合金相(B)の占める体積比率が,上記数値範囲
より小さいときには,漏洩磁束の向上が少ないからである。また,上記数値範囲よ
り大きいときには,ターゲットの組成にもよるが,該相(A)中で,相対的に非磁
性材粒子の体積比率が増えるので,非磁性材粒子を均一に微細分散させることが難
しくなり,スパッタ時にパーティクルが増加するといった,別の問題が発生するか
らである。
以上から,本願発明の非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲットは,
体積比率で4%以上40%以下の球形の合金相(B)を有するものである。…
【0015】上記非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲットにおい
て,ターゲット組織に含まれる球形の合金相(B)が,中心付近にCrが25mo
l%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成の合金相
を形成していることが有効である。本願発明は,このようなターゲットを提供する。
すなわち,このようなターゲットでは,球形の合金相(B)は,中心部と外周部
にかけて顕著な不均一性を有している。これは電子線プローブマイクロアナライザ
ー(EPMA)を用いてターゲットの研磨面の元素分布を測定すると明確に確認で
きる。
球形の合金相(B)におけるCr濃度の分布状態は,焼結温度や原料粉の性状に
よって変化するが,上記の通り,球形の合金相(B)の存在は,本願発明ターゲッ
トの独特の組織構造を示すものであり,本願ターゲットの漏洩磁束を高める大きな
要因となっている。
【0016】球形の合金相(B)の存在による漏洩磁束を高めるメカニズムは,
必ずしも明確ではないが,以下のような理由が推測される。
第一に,球形の合金相(B)には,少なからずCrの濃度が低い領域と高い領域
が存在し,このような濃度変動の大きな場所では格子歪みが存在すると考えられる。
格子歪みがあると,Co原子が持つ磁気モーメントは互いに非平衡状態をとるため,
これらの磁気モーメントの向きを揃えるためには,より強力な磁場が必要となる。
従って,金属元素が均一に拡散し,格子歪みのない状態と比較すると,透磁率が
低くなるため,マグネトロンスパッタ装置の磁石からの磁束は,ターゲット内部を
通過する量が減って,ターゲット表面に漏れ出てくる量が増す。
【0017】第二に,球形の合金相(B)中のCr濃度の高い領域は,析出物と
して磁壁の移動を妨げていると考えられる。その結果,ターゲットの透磁率が低く
なり漏洩磁束が増す。…
さらに該相(B)中のCr濃度の高い領域は,母相である強磁性相内の磁気的相
互作用を遮断するので,Cr濃度の高い領域の存在が漏洩磁束に影響を与えている
可能性が考えられる。
【0018】ここで,本願発明において使用する球形とは…いずれも,長軸と短
軸の差が0~50%であるものを言う。…この範囲であれば,外周部に多少の凹凸
があっても,組成不均一な相(B)を形成することができる。…同一体積では,球
形の方が表面積が小さくなるので,周囲の金属粉(Co粉,Pt粉など)との拡散
が進みにくく,組成不均一な相(B),すなわち中心付近にCrが25mol%以
上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成の合金相が容易
に形成されるようになる。
【0019】また,球形の合金相(B)の直径は50~200μmの範囲にある
のが好ましい。…上記数値範囲より小さい場合には,十分な焼結温度で高密度のタ
ーゲットを得ようとすると,金属元素同士の拡散が進み,Crの濃度分布をもつ球
形の合金相(B)が形成され難くなる。従って,本発明においては,上記数値範囲
内の直径を有する球形の合金相(B)が生ずるようにするのが望ましいと言える。
オ発明の効果
【0023】このように調整したターゲットは,漏洩磁束の大きいターゲットと
なり,マグネトロンスパッタ装置で使用したとき,不活性ガスの電離促進が効率的
に進み,安定した放電が得られる。またターゲットの厚みを厚くすることができる
ため,ターゲットの交換頻度が小さくなり,低コストで磁性体薄膜を製造できると
いうメリットがある。さらに,高密度化により,パーティクルの発生量を低減させ
ることができるというメリットもある。
本件各発明及び本件各訂正発明の特徴
本件各発明及び本件各訂正発明の特徴について,以下の
点が開示されている。
ア本件各発明及び本件各訂正発明は,垂直磁気記録方式を採用したハードディ
スクのグラニュラー磁気記録膜の成膜に使用される非磁性材粒子分散型強磁性材ス
パッタリングターゲットに関するものである(【0001】)。
一般に,グラニュラー膜は,Coを主成分とした強磁性のCo-Cr-Pt合金
の素地中に非磁性材料であるSiO2が均一に微細分散した非磁性材粒子分散型強
磁性材ターゲットを,マグネトロンスパッタリング装置でスパッタリングして作製
される。マグネトロンスパッタ装置の特徴は,ターゲットの裏面側に磁石を備えて
おり,この磁石からターゲット表面に漏れ出てくる磁束(漏洩磁束)により,効率
良くプラズマを発生させることを可能とするところにある。(【0002】,【000
5】,【0006】)
イマグネトロンスパッタ装置で非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングタ
ーゲットをスパッタしようとすると,磁石からの磁束の多くは強磁性材であるター
ゲット内部を通過してしまうため,漏洩磁束が少なくなるという問題がある(【0
008】)。
この問題を解決するには,ターゲット中の非磁性材粒子の体積比率を増やすこと
や,Coの含有割合を減らすことが考えられるが,この場合,所望のグラニュラー
膜を得ることができない。また,ターゲットの厚みを薄くすることで漏洩磁束を向
上させることは可能だが,この場合ターゲットのライフが短くなる。焼結の温度を
下げると漏洩磁束が大きくなるが,ターゲットの相対密度が下がり,パーティクル
の発生という問題がある(【0008】,【0009】)。
ウ本件各発明及び本件各訂正発明は,漏洩磁束を向上させるとともに,パーテ
ィクルの発生の少ない非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲットを提
供することを課題とし,かかる課題の解決手段として,ターゲットの組織構造を調
整したものである(【0009】,【0010】)。
具体的には,少なくとも,非磁性材粒子が均一に微細分散した相(A)の中に,
全体との体積比率で4%以上40%以下の球形の合金相(B)を有するようにした
というものである(【0014】)。
エ本件各発明及び本件各訂正発明のように調整したターゲットは,漏洩磁束の
大きいターゲットとなるほか,ターゲットの厚みを厚くすることができ,パーティ
クルの発生量を低減させることができる(【0023】)。
2取消事由1(本件訂正が新規事項の追加に当たるとした判断の誤り)につい

本件訂正の内容
ア訂正事項1ないし3は,いずれも,非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリ
ングターゲット中の球形の合金相(B)について,「球形の合金相(B)」と規定さ
れていたものを,「球形の合金相(B)はCo濃度の高い領域と低い領域及びCr
濃度の高い領域と低い領域をそれぞれ有している」と規定するものである。
イ訂正事項1
本件訂正前の特許請求の範囲請求項1は,ターゲット全体が合金と非磁性材粒子
の混合体からなり,当該合金の組成はCrが5mol%以上20mol%以下,残
余がCoであること,ターゲットの組織が,相(A)と球形の合金相(B)を有し
ていることを規定し,相(A)には,合金の中に「前記」非磁性材粒子が均一に微
細分散していることを規定する。そうすると,特許請求の範囲の記載は,球形の合
金相(B)の組成について,合金であって,当該合金の成分はCrとCoであり,
かつ,相(A)の組成を加えても,ターゲット全体の合金の組成においてCrが5
mol%以上20mol%以下,残余がCoになるようなものと規定するにとどま
り,球形の合金相(B)の組成の濃度分布について何ら限定はない。
そして,上記のとおり,球形の合金相(B)は組成としてCrとCoを含むもの
である。
そうすると,訂正事項1は,「球形の合金相(B)」の組成のうちCrとCoの濃
度分布に限定を付加するものということができる。
ウ訂正事項2
本件訂正前の特許請求の範囲請求項2は,ターゲット全体が合金と非磁性材粒子
の混合体からなり,当該合金の組成はCrが5mol%以上20mol%以下,P
tが5mol%以上30%mol以下,残余がCoであること,ターゲットの組織
が,相(A)と球形の合金相(B)を有していることを規定し,相(A)には,合
金の中に「前記」非磁性材粒子が均一に微細分散していることを規定する。そうす
ると,特許請求の範囲の記載は,球形の合金相(B)の組成について,合金であっ
て,当該合金の成分はCr,Pt,Coのいずれか2つ以上からなり,かつ,相
(A)の組成を加えても,ターゲット全体の合金の組成においてCrが5mol%
以上20mol%以下,Ptが5mol%以上30%mol%以下,残余がCoに
なるようなものと規定するにとどまり,球形の合金相(B)の組成の濃度分布につ
いて何ら限定はない。
そして,前記のとおり,ターゲット全体の合金の組成はCr,Pt,Coからな
り,球形の合金相(B)の組成は,合金であって,当該合金の成分は,Cr,Pt,
Coのいずれか2つ以上からなり,さらに,これらを「焼結」させることにより,
金属元素同士の拡散が進むのであるから,焼結後にできる球形の合金相(B)は組
成としてCrとCoを含むものである。
そうすると,訂正事項2は,「球形の合金相(B)」の組成のうちCrとCoの濃
度分布に限定を付加するものということができる。
エ訂正事項3
本件訂正前の特許請求の範囲請求項3は,ターゲット全体が合金と非磁性材粒子
の混合体からなり,当該合金の組成はCrが5mol%以上20mol%以下,P
tが5mol%以上30%mol以下,Bが0.5mol%以上8mol%以下,
残余がCoであること,ターゲットの組織が,相(A)と球形の合金相(B)を有
していることを規定し,相(A)には,合金の中に「前記」非磁性材粒子が均一に
微細分散していることを規定する。そうすると,特許請求の範囲の記載は,球形の
合金相(B)の組成について,合金であって,当該合金の成分はCr,Pt,B,
Coのいずれか2つ以上からなり,かつ,相(A)の組成を加えても,ターゲット
全体の合金の組成においてCrが5mol%以上20mol%以下,Ptが5mo
l%以上30%mol%以下,Bが0.5mol%以上8mol%以下,残余がC
oになるようなものと規定するにとどまり,球形の合金相(B)の組成の濃度分布
について何ら限定はない。
そして,上記のとおり,ターゲット全体の合金の組成はCr,Pt,B,Coか
らなり,球形の合金相(B)の組成は,合金であって,当該合金の成分は,Cr,
Pt,B,Coのいずれか2つ以上からなり,さらに,これらを「焼結」させるこ
とにより,金属元素同士の拡散が進むのであるから,焼結後にできる球形の合金相
(B)は組成としてCrとCoを含むものである。
そうすると,訂正事項3は,「球形の合金相(B)」の組成のうちCrとCoの濃
度分布に限定を付加するものということができる。
オしたがって,訂正事項1ないし3は,いずれも,球形の合金相(B)の組成
のうちCrとCoの濃度分布について,「Co濃度の高い領域と低い領域及びCr
濃度の高い領域と低い領域をそれぞれ有している」という限定を付加するものとい
うことができる。
本件明細書の記載
上記のとおり,本件訂正は,いずれも球形の合金相(B)の組成のうちCrとC
oの濃度分布について限定を付加するものである。
そして,本件明細書の【0016】には,「球形の合金相(B)には,少なから
ずCrの濃度が低い領域と高い領域が存在し」と,球形の合金相(B)の組成のう
ち,Crの濃度分布について「Cr濃度の高い領域と低い領域」があることが,明
示的に記載されている。また,前記のとおり,請求項1ないし3における球形の合
金相(B)は,いずれも組成としてCrとCoを含むものであるから,球形の合金
相(B)の組成のうち,Coの濃度分布について,「Co濃度の高い領域と低い領
域」があることも,本件明細書の上記記載から自明である。
新たな技術的事項の導入の有無
前記のとおり,本件訂正は,特許請求の範囲に限定を付加するものであって,訂
正事項1ないし3は,いずれも本件明細書に明示的に記載された事項ないし本件明
細書の記載から自明な事項である。このような場合,本件訂正は,特段の事情のな
い限り,新たな技術的事項を導入しないものというべきであるところ,本件訂正前
の特許請求の範囲や本件明細書に,球形の合金相(B)に含まれるCrとCoの濃
度分布について,訂正事項1ないし3に矛盾する記載も見当たらない。
したがって,本件訂正は,本件明細書等に記載された範囲内においてするもので
あるということができる。
被告の主張について
ア被告は,本件明細書の【0015】,【0018】及び実施例1~9などの記
載から,球形の合金相(B)について「中心付近にCrが濃縮し外周部にかけてC
rの含有量が中心部より低くなる」という組成以外の組成は,本件明細書等の全て
の記載を総合することにより導かれる技術的事項ではないと主張する。
イ本件明細書の【0015】には,「球形の合金相(B)が,中心付近にCr
が25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組
成の合金相を形成していることが有効である。本願発明は,このようなターゲット
を提供する。」と記載されている。しかし,【0015】の記載は,特許請求の範囲
請求項4に記載された発明の内容を開示したもの,すなわち「本願発明は,このよ
うなターゲットを提供する。」との文言にいう「本願発明」は,請求項4に記載さ
れた発明を指すものとも解される。
また,本件明細書の【0018】には,「組成不均一な相(B),すなわち中心付
近にCrが25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低
くなる組成の合金相が容易に形成されるようになる。」と記載され,かかる球形の
合金相(B)の具体的組成を前提として【0019】も記載されている。しかし,
【0018】は,「合金相(B)が球形であると」,特定の濃度分布を有する合金相
が「容易に形成される」と説明するにとどまり,それ以外の濃度分布を有する合金
相が形成されることを排除するものではない。
さらに,本件明細書の発明を実施するための形態は,発明を実施するための最良
の形態が記載されたものであって,本件明細書の実施例の記載は,発明の内容を制
限するものではない。
ウしたがって,本件明細書の【0015】,【0018】及び実施例1~9など
の記載をもって,球形の合金相(B)のCr濃度の傾斜の方向についてまで特定,
限定されているものということはできず,訂正事項1ないし3が,Cr濃度が中心
部から外周部にかけて高くなるような濃度分布等を含むものであったとしても,こ
れをもって新たな技術的事項を導入するものであるということはできない。よって,
被告の主張は採用できない。
小括
以上のとおり,本件訂正における各訂正事項は,いずれも,新たな技術的事項を
導入しないものであると認められ,願書に添付した明細書,特許請求の範囲及び図
面に記載した事項の範囲内においてするものであるというべきである。
よって,本件訂正を認めなかった本件審決の判断は,誤りである。
3取消事由3(本件各訂正発明のサポート要件に係る判断の誤り)について
特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲
の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,
発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当
該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,発明の詳
細な説明に記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課
題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと
解される。
そして,本件審決は,本件各訂正発明の特許請求の範囲請求項1ないし8の記
載は,「球形の合金相(B)は,Co-Cr合金であって,中心付近にCrが25
mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成で
あることが特定されていない」点で,特許を受けようとする発明が発明の詳細な
説明に記載されたものであるとはいえない旨判断した。
そこで,本件各訂正発明であっても,発明の詳細な説明に記載された発明で,
発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる
範囲のものであるか否か,また,発明の詳細な説明に記載や示唆がなくとも当業者
が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のもの
であるか否かについて検討する。
発明の詳細な説明に記載された発明の課題解決手段
ア本件明細書の【0018】の記載
本件明細書の【0018】には,「組成不均一な相(B),すなわち中心付近にC
rが25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる
組成の合金相」との記載がある。
そして,前記1訂正発明は,少なくとも,非磁性材粒子が均
一に微細分散した相(A)の中に,全体との体積比率で4%以上40%以下の球形
の合金相(B)を有するようにターゲットの組織構造を調整したものであるところ,
【0018】には,かかる合金相(B)の「球形」という文言の定義付けと,本件
各訂正発明の技術的事項である合金相(B)が球形でなければならないことの理由
付けがされている。その上で,「合金相(B)が球形であると…組成不均一な相
(B),すなわち中心付近にCrが25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCr
の含有量が中心部より低くなる組成の合金相が容易に形成されるようになる」と記
載されている。
したがって,本件各訂正発明の構成要件である合金相(B)が球形であることは,
「中心付近にCrが25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心
部より低くなる組成の合金相」を形成するために求められているものと理解できる。
イ本件明細書の発明を実施するための形態に関する記載
本件明細書の発明を実施するための形態のうち【0027】には,球形の合金相
(B)の原料粉末となるCo-Cr球形粉末のCr含有量について,「Co-Cr
球形粉末は,ターゲットの組織において観察される球形の合金相(B)に対応する
ものである。Co-Cr球形粉末の組成はCrの含有量が25mol%以上70m
ol%以下とすることが望ましい。Co-Cr球形粉末の組成を上記範囲に限定す
る理由は,Crの含有量が上記範囲より少ないと,球形の合金相(B)中にCrが
濃縮された領域が形成されにくくなり,漏洩磁束の向上が期待できない」と記載さ
れている。
そして,原料粉末を焼結すると金属元素同士の拡散が進むところ,上記記載は,
焼結によって,球形の合金相(B)中にCrが濃縮された領域を形成させるために,
原料粉末となるCo-Cr球形粉末のCrの含有量が25mol%以上であること
が望ましいとするものである。そして,球形の合金相(B)中にCrが濃縮された
領域を形成させることを前提に,ターゲット全体としてCrの含有量が5mol%
以上20mol%以下の合金の中で,Crの含有量を25mol%以上とする球形
の合金相(B)を焼結させるのであるから,結果として,中心付近にCrが約25
mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成の合
金相が形成されることが想定されるものである。
このように,結果として,中心付近にCrが約25mol%以上濃縮し,外周部
にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成の合金相が形成されることを想定
して,本件明細書の発明を実施するための形態には,原料粉末となるCo-Cr球
形粉末のCrの含有量が25mol%以上であることが望ましいと記載されている
ということができる。
ウ本件明細書の実施例の記載
焼結後の球形の合金相(B)中のCrの濃度分布について,本件明細書の実施例
1ないし9に,どのような記載があるかについて検討する。
実施例1ないし3
本件明細書の実施例1ないし3には,球形の合金相(B)中のCrの濃度分布に
ついて,「球形の合金相では,Crが25mol%以上濃縮されたCrリッチ相が
中心付近に存在し,外周に近づくにつれてCrの濃度が低くなっていることが確認
された。」と記載されている(【0035】,【0043】,【0051】)。
実施例4ないし6,8及び9
本件明細書の実施例4ないし6,8及び9には,球形の合金相(B)中のCrの
濃度分布について,「球形の合金相の部分においてCoとCrの濃度が高くなって
おり,特にCrは周辺部から中心部に向かって,より濃度が高くなっていることが
確認された。」と記載されている(【0059】,【0067】,【0075】,【009
1】,【0099】)。
そして,これらの実施例4ないし6,8及び9においては,球形の合金相の中心
付近のCr濃度は明記されていないものの,実施例2と比較すれば,これらの実施
例における球形の合金相中のCrの濃度分布は,「Crが25mol%以上濃縮さ
れたCrリッチ相が中心付近に存在し,外周に近づくにつれてCrの濃度が低くな
っている」ものと合理的に推定される。
すなわち,実施例2では,球形の合金相(B)の原料粉末として,「直径が50
~150μmの範囲にありCrを40mol%含有するCo-Cr球形粉末」(【0
037】)を用い,「真空雰囲気中,温度1150℃,保持時間2時間,加圧力30
MPaの条件」(【0040】)の焼結条件でターゲットを作製している。これに対
し,実施例4ないし6,8及び9における球形の合金相の原料粉末は,いずれも
「直径が75~150μmの範囲にありCrを40mol%含有するCo-Cr球
形粉末」(【0053】,【0061】,【0069】,【0085】,【0093】)であ
って,Crの濃度(40mol%)は同一で,直径の下限値(75μm)は実施例
2の直径の下限値(50μm)を上回っており,焼結温度(【0054】,【006
2】,【0070】,【0086】,【0094】)は,いずれの実施例においても,実
施例2の焼結温度(1150℃)を下回り,その他の焼結条件(焼結時間,加圧力)
は同一である。そして,Co-Cr球形粉末の直径が大きい程,体積に対する表面
積の割合が小さくなることから,焼結時におけるCrの拡散は起こりにくく,また,
焼結時の温度が低い程,焼結時におけるCrの拡散は起こりにくいものである。そ
うすると,実施例4ないし6,8及び9における球形の合金相(B)は,実施例2
の球形の合金相(B)よりもCrの拡散が起こりにくいといえる。そして,実施例
2では,「Crが25mol%以上濃縮されたCrリッチ相が中心付近に存在し,
外周に近づくにつれてCrの濃度が低くなっている」という球形の合金相(B)を
作製するに至っていることからすれば,実施例4ないし6,8及び9の球形の合金
相(B)中のCrの濃度分布もまた,「Crが25mol%以上濃縮されたCrリ
ッチ相が中心付近に存在し,外周に近づくにつれてCrの濃度が低くなっている」
ものと推定できる。
実施例7
本件明細書の実施例7には,球形の合金相(B)中のCrの濃度分布について,
「球形の合金相の部分においてCoとCrの濃度が高くなっており,特にCrは周
辺部から中心部に向かって,より濃度が高くなっていることが確認された。」と記
載されている(【0083】)。
実施例7においては,球形の合金相の中心付近のCr濃度は明記されていない。
もっとも,実施例2と比較した場合,実施例7における球形の合金相の原料粉末は,
「直径が75~150μmの範囲にありCrを40mol%含有するCo-Cr球
形粉末」(【0077】)であって,実施例2のCrの濃度(40mol%)と同一
で,直径の下限値(75μm)は実施例2の直径の下限値(50μm)を上回って
おり,焼結条件のうち焼結時間,加圧力は同一である。一方,焼結温度(130
0℃,【0078】)は,実施例2の焼結温度(1150℃)を上回る。そうすると,
実施例7は,原料粉末の直径の下限値が大きい点では,実施例2よりもCrの拡散
が起こりにくいといえる一方,焼結温度の点では,実施例2よりもCrの拡散が起
こりやすいといえる。したがって,実施例7の球形の合金相(B)の濃度分布は,
実施例2と同様に「Crが25mol%以上濃縮されたCrリッチ相が中心付近に
存在し,外周に近づくにつれてCrの濃度が低くなっている」とまではいえないも
のの,中心部のCrの濃度が25mol%を下回るか否かは明らかではなく,少な
くとも,それに近い程度に濃縮されたものというべきである。
以上のとおり,本件明細書には実施例1ないし9の記載があるところ,その
球形の合金相(B)中のCrの濃度分布について,実施例1ないし6,8,9には,
いずれも「Crが25mol%以上濃縮されたCrリッチ相が中心付近に存在し,
外周に近づくにつれてCrの濃度が低くなっている」ものが記載されており,実施
例7についても,下限値は不明であるもののCrが「濃縮されたCrリッチ相が中
心付近に存在し,外周に近づくにつれてCrの濃度が低くなっている」ものが記載
されている。
エ球形の合金相(B)について濃度変動の程度が小さい場合
他方,Crの濃度変動の程度が小さい球形の合金相(B)であっても,漏洩磁束
の向上という本件各訂正発明の課題を解決できるか否かは明らかではない。
例えば,Cr濃度について周囲から中心部に向かって低くなる濃度分布となるよ
うな球形の合金相(B)の場合を検討するに,かかる濃度分布とするためには,球
形の合金相(B)について周囲から内部に向かってCrを拡散させる必要があるか
ら,その製法は,球形の合金相(B)の原料粉末となる球形粉にはCrを含有させ
ず,相(A)となる原料粉末中にCr粉末を含有させて混合粉を準備し,これを焼
結することで,相(A)から,球形の合金相(B)にCrを拡散させることになる。
しかし,相(A)のターゲット中に占める体積の比率は60~96%と,球形の合
金相(B)に比べて大きいから,焼結前の相(A)中のCr濃度は比較的低いもの
とならざるを得ず,結果として,焼結によって金属元素同士の拡散が生じたとして
も,球形の合金相(B)に生じるCrの濃度変動の程度は大きなものにはならず,
そのような濃度分布によって漏洩磁束の向上を見込めるか否かについては不明であ
る。このように,球形の合金相(B)の具体的組成の典型例として想定されるCr
濃度が周囲から中心部に向かって低くなる濃度分布の場合に,本件各発明の課題を
解決できるか否かは明らかではない。
また,その他,球形の合金相(B)において,単にCrの濃度変動があることの
みで,漏洩磁束の向上に至ったことを示す具体例もない。
このように,本件明細書の全ての記載を考慮しても,球形の合金相(B)につい
て,Crの濃度変動の程度が小さい場合に,漏洩磁束の向上という本件各訂正発明
の課題を解決できるか否かは明らかではない。
オまとめ
以上のとおり,①本件各訂正発明の構成要件である合金相(B)が球形であるこ
とは,「中心付近にCrが25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量
が中心部より低くなる組成の合金相」を形成するために求められているものと理解
できること,②本件明細書の発明を実施するための形態に関する記載は,中心付近
にCrが約25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低
くなる組成の合金相が形成されることを想定していること,③本件明細書に記載さ
れた実施例1ないし6,8及び9は,全て球形の合金相(B)について,「Crが
25mol%以上濃縮されたCrリッチ相が中心付近に存在し,外周に近づくにつ
れてCrの濃度が低くなっている」ものであり,かつ,実施例7に記載された球形
の合金相(B)も,下限値は不明であるもののCrが「濃縮されたCrリッチ相が
中心付近に存在し,外周に近づくにつれてCrの濃度が低くなっている」ものであ
ること,④球形の合金相(B)について,Crの濃度変動の程度が小さい場合に,
漏洩磁束の向上という本件各訂正発明の課題を解決できるか否かは明らかではない
ことからすれば,Crの濃度変動があるだけで,その濃度変動の程度が何ら特定さ
れていない球形の合金相(B)を含むターゲットは,当業者が本件各訂正発明の課
題を解決できると認識できる範囲のものということはできない。
なお,本件明細書に記載された発明を実施するための形態も実施例も,いずれ
もCo-Cr合金である原料粉末を焼結するものであるが,本件明細書の【00
18】の記載は,球形の合金相(B)の組成をCo-Cr合金に限定しておらず,
また,「周囲の金属粉(Co粉,Pt粉など)との拡散が進みにくく」と記載され
ていることからすれば,球形の合金相(B)について,Ptなどが含まれる合金
も想定されているものである。そうすると,当業者は,発明の課題を解決するに
当たり,球形の合金相(B)が,「Co-Cr合金」であることまで必要であると
認識するということはできない。
原告の主張について
ア第1のメカニズム(【0016】)及び第2のメカニズム(【0017】)
原告は,球形の合金相(B)内において濃度変動が存在し,球形の合金相(B)
と相(A)との組成が異なることが明らかになった本件各訂正発明は,第1のメカ
ニズムに関する記載(【0016】)及び第2のメカニズムに関する記載(【001
7】)により,当業者が発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであると
主張する。
確かに,本件明細書の【0016】及び【0017】に記載された第1及び第2
のメカニズムによれば,定性的には,球形の合金相(B)中にCrの濃度が低い領
域と高い領域の存在により生じた濃度変動があれば(第1のメカニズム),あるい
は,球形の合金相(B)中に析出物としてCrが存在すれば(第2のメカニズム),
ターゲットの透磁率は低くなると解することは可能である。
しかし,第1のメカニズムについては,ターゲットの透磁率を低くするために必
要な格子歪みを発生させるためには,Crの濃度について「濃度変動の大きな場所」
の存在が必要とされており,単にCrの濃度変動があれば足りると解することまで
はできない。そして,【0016】の記載からでは,定量的に,第1のメカニズム
に関し,どの程度のCrの濃度変動を有する場所が,ターゲットの透磁率を低くす
るために必要な程度の「格子歪み」を発生させる「濃度変動の大きな場所」に該当
するのかについて明らかではない。
また,第2のメカニズムについても「Cr濃度の高い領域」が必要とされており,
Cr濃度が一定程度以上であることが求められており,単に析出物としてCrがあ
れば足りると解することまではできない。そして,【0017】の記載からでは,
定量的に,どの程度のCr濃度であれば「Cr濃度の高い領域」に該当するのかに
ついて明らかではない。
そうすると,球形の合金相(B)の存在により,第1のメカニズム及び第2のメ
カニズムによってターゲットの透磁率が低くなるとしても,当業者は,球形の合金
相(B)のCrの濃度変動の程度を一切考慮せずに,球形の合金相(B)が存在す
るだけで,漏洩磁束が高められると認識するまでは至らないから,Crの濃度変動
があるだけで,その濃度変動の程度が何ら特定されていない球形の合金相(B)を
含むターゲットは,当業者が本件各訂正発明の課題を解決できると認識できる範囲
のものということはできない。
イ本件明細書の【0015】の記載
本件明細書の【0015】には,「ターゲット組織に含まれる球形の合金相(B)
が,中心付近にCrが25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中
心部より低くなる組成の合金相を形成していることが有効である。本願発明は,こ
のようなターゲットを提供する。すなわち,このようなターゲットでは,球形の合
金相(B)は,中心部と外周部にかけて顕著な不均一性を有している。…球形の合
金相(B)におけるCr濃度の分布状態は,焼結温度や原料粉の性状によって変化
するが,上記の通り,球形の合金相(B)の存在は,本願発明ターゲットの独特の
組織構造を示すものであり,本願ターゲットの漏洩磁束を高める大きな要因となっ
ている。」と記載されているところ,原告は,「球形の合金相(B)の存在」それ自
体が「本願ターゲットの独特の組織構造を示す」とあるから,当業者は,上記記載
の球形の合金相(B)の具体的な組成のみを前提に,漏洩磁束が向上すると限定し
て理解することはないと主張する。
しかし,【0015】には,「球形の合金相(B)におけるCr濃度の分布状態は,
焼結温度や原料粉の性状によって変化するが,上記の通り,球形の合金相(B)の
存在は,本願発明ターゲットの独特の組織構造を示すもの」とされ,「上記の通り,
球形の合金相(B)の存在は」との文言は,「中心付近にCrが25mol%以上
濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成の合金相を形成し
ていることが有効である」とされる球形の合金相(B)の存在を受けたものである。
そして,「球形の合金相(B)におけるCr濃度の分布状態は,焼結温度や原料粉
の性状によって変化するが」との文言は,あくまでも「中心付近にCrが25mo
l%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成」の範囲
内で,Cr濃度の分布状態が変化するという趣旨のものと解するのが自然である。
したがって,【0015】の記載をもって,「球形の合金相(B)の存在」それ自
体が「本願ターゲットの独特の組織構造を示す」と解釈するのは相当ではなく,原
告の主張は採用できない。
ウ本件各訂正発明の課題との関係
原告は,本件各訂正発明は,漏洩磁束を大きくすることを解決すべき技術的課
題として,従来技術とは異なる新たな観点に基づき,ターゲット中に球形の合金
相(B)を存在させるという新規な組織構造を採用することによって漏洩磁束を
向上させるというものであるから,CoとCrの濃度範囲について,必ずしも実
施例で具体的な測定結果をもって裏付けられる必要はなく,また,本件明細書の実
施例に記載された具体的な測定結果は,より効率的に漏洩磁束を高める観点から
望ましいものとして記載されたものにすぎないなどと主張する。
確かに,本件各訂正発明は,非磁性材粒子が均一に微細分散した相(A)の中に,
球形の合金相(B)を有するようにしたという技術的事項を含むものであって,マ
グネトロンスパッタ装置でスパッタを行う非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリ
ングターゲットの分野において,このような組織構造を有する従来技術が存在した
と認めるに足りる証拠はない。
しかし,前記アのとおり,定性的には,球形の合金相(B)中にCrの濃度が低
い領域と高い領域の存在により生じた濃度変動があれば,あるいは,球形の合金相
(B)中に析出物としてCrが存在すれば,ターゲットの透磁率は低くなると解す
ることは可能であるものの,球形の合金相(B)が存在するだけで,漏洩磁束をど
の程度高められるかについては明らかではなく,必要とする程度に漏洩磁束を高め
るには,球形の合金相(B)のCrの濃度変動の程度をも考慮せざるを得ないとい
うべきである。
よって,このような濃度変動の程度を斟酌しない原告の主張は,採用できない。
エ本件明細書の【0018】の記載
本件明細書の【0018】には,「ここで,本願発明において使用する球形とは
…いずれも,長軸と短軸の差が0~50%であるものを言う。…この範囲であれば,
外周部に多少の凹凸があっても,組成不均一な相(B)を形成することができる。
…同一体積では,球形の方が表面積が小さくなるので,周囲の金属粉(Co粉,P
t粉など)との拡散が進みにくく,組成不均一な相(B),すなわち中心付近にC
rが25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる
組成の合金相が容易に形成されるようになる」と記載されており,「組成不均一な
相(B)」として,「すなわち中心付近にCrが25mol%以上濃縮し,外周部に
かけてCrの含有量が中心部より低くなる組成の合金相」と説明されている。
したがって,当業者は,本件各訂正発明の課題を解決するに当たり,「組成不均
一な相(B)」との記載をもって,球形の合金相(B)中においてCrの濃度変動
等があれば十分であると認識するとはいえない。
オ本件明細書の【0035】の記載
本件明細書の【0035】には,「図2に示すように…球形の合金相の部分にお
いてCoとCrの濃度が高くなっており,特にCrは周辺部から中心部に向かって,
より濃度が高く(白っぽく)なっている。…球形の合金相では,Crが25mo
l%以上濃縮されたCrリッチ相が中心付近に存在し,外周に近づくにつれてCr
の濃度が低くなっていることが確認された。」と記載されており,球形の合金相
(B)の部分において「CoとCrの濃度が高くなっている」とされた後に「球形
の合金相では,Crが25mol%以上濃縮されたCrリッチ相が中心付近に存在
し,外周に近づくにつれてCrの濃度が低くなっていることが確認された」と説明
されている。
したがって,当業者は,本件各訂正発明の課題を解決するに当たり,「球形の合
金相の部分においてCoとCrの濃度が高くなっており」との記載をもって,球形
の合金相(B)中においてCrの濃度変動等があれば十分であると認識するとはい
えない。
カ本件明細書の【0019】の記載
本件明細書の【0019】には,「球形の合金相(B)の直径は50~200μ
mの範囲にあるのが好ましい。…上記数値範囲より小さい場合には,十分な焼結温
度で高密度のターゲットを得ようとすると,金属元素同士の拡散が進み,Crの濃
度分布をもつ球形の合金相(B)が形成され難くなる。」と記載されているところ,
原告は,「Crの濃度分布をもつ球形の合金相(B)」との記載があることから,球
形の合金相(B)中の濃度分布が任意である旨記載されていると主張する。
しかし,本件明細書の【0018】には「ここで,本願発明において使用する球
形とは,真球,擬似真球,扁球(回転楕円体),擬似扁球を含む立体形状を表す。」
と記載された上で,【0019】には「また,球形の合金相(B)の直径は50~
200μmの範囲にあるのが好ましい。」と記載されているのであるから,【001
9】は,【0018】で指摘された球形の合金相(B)の大きさに関する記載であ
ることは明らかである。そして,【0018】では球形の合金相(B)について
「中心付近にCrが25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心
部より低くなる組成の合金相」と記載されているのであるから,【0019】の
「Crの濃度分布をもつ球形の合金相(B)」とは,【0018】に記載された球形
の合金相(B)の具体的組成を前提とするものといえる。
したがって,当業者は,本件各訂正発明の課題を解決するに当たり,「Crの濃
度分布をもつ球形の合金相(B)」との記載があることをもって,球形の合金相
(B)中においてCrの濃度変動等があれば十分であると認識するとはいえない。
小括
以上のとおり,Crの濃度変動があるだけで,その濃度変動の程度が何ら特定さ
れていない球形の合金相(B)を含むターゲットは,当業者が本件各訂正発明の課
題を解決できると認識できる範囲のものということはできないから,Crの濃度変
動の程度を何ら特定しない球形の合金相(B)を含む特許請求の範囲請求項1な
いし3に記載された本件訂正発明1ないし3は,発明の詳細な説明に記載された
発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認
識できる範囲のものであるとはいえない。また,このような球形の合金相(B)を
含むターゲットが,当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決でき
ると認識できる範囲のものであるということもできない。
したがって,本件訂正発明1ないし3に係る請求項1ないし3の記載は,サポー
ト要件を満たしているとはいえないから,請求項1ないし3に係る発明についての
本件審決の判断に誤りはない。
一方,特許請求の範囲請求項4に記載された本件訂正発明4は,「中心付近にC
rが25mol%以上濃縮し,外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くな
る組成」を有する球形の合金相(B)である点を特定しているから,本件訂正発
明4は,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により
当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるといえる。し
たがって,本件訂正発明4に係る請求項4の記載は,サポート要件を満たしている
から,請求項4に係る発明についての本件審決の判断は誤りである。
さらに,請求項5ないし8に記載された本件訂正発明5ないし8も,サポート要
件を満たしているとはいえない請求項1ないし3を引用する発明を含むものである。
したがって,本件訂正発明5ないし8に係る請求項5ないし8に係る発明について
の本件審決の判断に誤りはない。
4結論
よって,本件訂正を認めなかった本件審決の判断は誤りであり,原告の請求は,
本件審決のうち,請求項4に係る部分の取消しを求める部分は,理由があるからこ
れを認容することとし,本件審決のうち,請求項1ないし3,5ないし8に係る部
分の取消しを求める部分は,理由がないからこれを棄却することとし,主文のとお
り判決する。
知的財産高等裁判所第4部
裁判長裁判官髙部眞規子
裁判官柵木澄子
裁判官片瀬亮

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