弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決を破棄する。
     被告人は無罪。
         理    由
 本件控訴の趣意は、弁護人中井一夫作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、
これを引用する。
 控訴趣意中事実誤認ないし法令適用の誤の主張について。
 論旨は要するに、原判決は、被告人の行為は過剰防衛にあたるとし、また適法行
為の期待可能性がないとはいえないとして傷害致死の事実を認定しているが、被告
人は自宅庭に侵入してきたBからスコツプを振り上げて攻撃されたうえ、組み敷か
れたり首を絞めたりされ、さらに同人が被告人に暴行を加えるべく木棒を拾おうと
し、生命の危険が迫つていたので、とつさに背後から蹴つたところ意外にも同人が
崖から落ちて死亡したもので、被告人の行為は防衛行為として相当性の範囲を越え
るものではなく、刑法三六条一項または盗犯等の防止及び処分に関する法律(以下
盗犯防止法という)一条一項の正当防衛が成立する。また、当時被告人は同人の侵
入や襲撃により、恐怖、驚愕、興奮または狼狽して右行為にでたのであるから、か
りにその行為が相当性の範囲をこえていたとしても、盗犯防止法一条二項により罪
とならない。さらに、このように殺傷されるか免かれるかという瞬間にとつさに背
後から蹴つた行為は、他に適当な方法がなく、期待可能性のない行為である。原判
決はこれらの点につき事実を誤認し、法令の適用を誤つたものであるというのであ
る。
 所論にかんがみ記録を精査して案ずるに、原判決の事実認定の要旨はつぎのとお
りであり、当裁判所も原審において取調済の証拠を検討した結果これを是認するこ
とができる。
 すなわち、被告人は、昭和四八年五月二〇日午後六時四五分頃、神戸市a区b町
田中c番地のA川岸の一軒屋である自宅において、家族の不在中、一人で居室にい
たところ、かねて酒乱で兇暴な男と噂を聞いていたB(当時年令五二年)が、飲酒
のうえ被告人方の庭にはいりこみ、被告人の飼犬二匹に向つてスコツプ(当裁判所
昭和四九年押四六五号の二)を振り上げ「たたき殺すぞ」とわめいているのを目撃
し、庭へ出て、同人に早く帰るように要求したところ、同人は「お前もたたき殺し
てやる」といつてスコツプを振り上げて向つてきたことから格闘となり、被告人は
同人の手からスコツプをたたき落したが、同人はさらに組みついて被告人を建物の
出入口の石段付近に押し倒し、首を絞めてきたので、被告人は肘に軽傷を負いつつ
も、同人の下腹部を蹴つてそのひるむすきに立ち上つた。このとき被告人は、B
が、川に面する庭の崖ふちから一・五メートル手前の地上にあつた細い角棒(前同
号の一。二ないし三センチメートル角の木材で長さ約七一センチメートル)を拾い
上げようとして被告人に背を向け、崖の方を向いて中腰になつたのをみて、この棒
でさらに攻撃してくると思い、機先を制してその攻撃から身を守る意思でとつさに
同人に近寄り、同人が崖下に転落することもありうることを予見しながら、中腰に
なつたその臀部を背後から一回押し出すように蹴り、このため同人を高さ約一一・
一五メートルの崖から岩石の多い谷川状のA川に転落させ、因つて同人に左前頭部
陥凹骨折、胸骨骨折等の傷害を負わせたうえ、その頃同所崖下の滝壷内で溺死する
に至らせたが、被告人には殺意がなかつたものである。
 ところで原判決は、被告人の右行為は刑法三六条一項もしくは盗犯防止法一条一
項の正当防衛に該当するとの弁護人の主張に対し、「1被害者Bは、被告人の承諾
なくして被告人方中庭に入り込み、しかも被告人の退去要求にも応じなかつたので
あるから、盗犯防止法一条一項三号の場合に該当する。2現在の危険の有無につい
てみると、最初Bは剣先スコツプを振上げて被告人に立向つてきたのであるが、右
スコツプは大きさ、形状からして充分に人を殺傷するに足る兇器になるというべき
であり、また次にはBは被告人を押倒して首を締めてきたのであるから、右各時点
においては、被告人の生命、身体に対する現在の危険もしくは急迫不正の侵害があ
つたものと認められる。次にBが一たんは被告人に下腹部を蹴り上げられてよろめ
き、みかんの木の支柱用角材を拾い上げようとしたときも、同人が一度それを拾い
上げれば、それでもつて新たな攻撃を加えてくることは十分察せられるから、右時
点においても、被告人の身体に対する現在の危険もしくは急迫不正の侵害は、当初
よりもかなり弱まつたとはいえ、いまだに消滅するにはいたつていないものといわ
なければならない。ただし、その危険の程度についていえば、右角材は細く、ごく
軽いもの(重さ一三七グラム)で長さも七〇センチメートル程度しかなくBの酩酊
の状態を考慮すれば、その威力はさして強いものとは考えられず、被告人はそれ以
前にBの二度にわたるずつと強度の攻撃を撃退していることも考えあわせると、生
命に対する危険とまでは到底認められず、せいぜい身体に対するものにとどまる。
3被告人の判示所為は、自己の生命又は身体を防衛する意思をもつてなされたもの
と認められる。もつとも、被告人がBを蹴落した行為は、被害者からの新たな攻撃
に対する先制攻撃の性格をもち、被告人にその旨の認識があつたことも被告人の供
述調書から認められるけれども、右行為にいたるまでの一連の経過に鑑みれば、専
ら攻撃の意思をもつてなしたものとまではいえず、防衛の意思ありと認定するを妨
げない。4盗犯防止法においても、正当防衛が成立するには、その行為が防衛行為
としての相当性を逸脱しないことを要する。本件において、当初は被害者が一方的
に攻撃してきたにせよ、被告人が蹴落した時点においてはそれまでの二度にわたる
強い攻撃を撃退するなど総じて被告人が優勢であり、新たに加えようとする攻撃も
前示のとおりの角材による軽微なものにすぎない。そうすれば、被告人が近隣や警
察官の救援を直ちに求めうる余裕がなかつたことを考慮するとしても、被告人がB
を蹴落した行為は、それから予想しうる結果の重大さに鑑み、やはり相当と認めら
れる範囲を逸脱しているといわざるをえない。5よつて被告人の一連の行為は、正
当防衛を構成せず、全体として過剰防衛に該当する。」と判断したのである。
 そして当裁判所もまた右1ないし3の原判決の判断は正当としてこれを肯認する
ことができるが、その余についてはたやすく賛同できないものがある。
 刑法三六条一項の正当防衛と盗犯防止法一条一項の正当防衛の関係につき考えて
みるのに、盗犯防止法は昭和五年法律第九号として制定され、その立法の趣旨は、
司法大臣の法案提出理由の説明によると「近時強窃盗又は家宅侵入者等にして生命
身体又は貞操等に対し危害を加えんとする者が続出し、被害者において臨機の処置
により自ら防衛しなければ、重大なる実害を免かるること能わざる事例が甚だ少く
ない、然るに刑法の正当防衛の規定はその措辞が抽象的であるため、その適用の範
囲に付て解釈上の疑義があり、被害者に於て機宜の処置に依り自衛を全うするに躊
躇せざるを得ざる場合のある憾がある。此を以て法律上具体的の条件を明示して是
等の場合における防衛権の発動を安固にする必要がある。」(昭和五年四月二七日
官報号外参照)というのである。これによると、同法一条一項は刑法三六条一項の
具体的適用の範囲を規定したにすぎないことにな<要旨>る。しかし両法条を比較検
討すると、(一)刑法においては侵害の対象である法益が無制限であるが、盗犯防
止法においてはこれが生命、身体、貞操に限定されている、(二)刑法にお
いては侵害が急迫である一切の場合を包含しているが、盗犯防止法においてはこれ
が同法一条一項各号の規定する場合に限定されている、(三)刑法においては防衛
の程度が「巳ムコトヲ得サルニ出テタル」ことに限定されているが、盗犯防止法に
おいてはかかる限定なくして殺傷の程度に至ることを許容していることが、文理上
明白であり、その限りにおいて両者はその適用の範囲を異にしているものといわざ
るをえない。すなわち盗犯防止法においては一定の条件の下に「巳ムコトヲ得サル
ニ出テタル」ことの要件を除き刑法における正当防衛の範囲を拡大したものと解す
るのが相当である。しかるに合理的理由なくしてこれを刑法の規定する正当防衛の
具体的適用の例示であると解釈し、盗犯防止法一条一項の防衛行為か「已ムコトヲ
得サルニ出テタル」ことないしは相当性の範囲を逸脱しないことを要するとするこ
とはひつきよう法律の明示しない要件を付加して刑罰の範囲を拡大するに帰し、罪
刑法定主義にも反することになる。もつとも盗犯防止法一条一項による不処罰は、
性質上違法性阻却の一場合であり、行為に実質的な違法性がないことを不処罰の根
拠とするものと考えられるから、行為が右規定に形式的に該当しても、違法性の本
質から考えて実質的に違法性を欠くとはいえないような行為、すなわち具体的事情
の下でこれを処罰しないことがかえつて著しく国民の法的感情ないし社会通念に反
し是認できないような行為に対してまでその適用を認めるのは相当ではない。原判
決は盗犯防止法においても正当防衛が成立するにはその行為が防衛行為としての相
当性を逸脱しないことを要するとの見解に立ち、本件において被告人がうけまたは
うけようとした侵害は身体に対する軽微なものにすぎないが、これに対しBを蹴落
した行為はそれから予想しうる結果の重大さに鑑み、相当性を逸脱したものである
とし、これに対し盗犯防止法一条一項の正当防衛の成立を否定し、刑法三六条二項
の過剰防衛の成立を認めるに止めたのである。なるほど被告人は必ずしも結果の重
大さを予想していたとはいわれないとしても(原判決は死の結果につき未必の故意
も認められないとしている)、被告人の排除しようとした侵害は最終段階において
は原判決のいうごとくせいぜい身体に対するものとみるのが相当であり、これに対
し被告人の防衛行為の結果は人の死であるから、被告人の主観を考慮にいれても、
原判決が被告人の行為を刑法に照らしてみた場合にはこれを過剰防衛行為にあたる
と判断したことは一応是認できる。
 しかし、盗犯防止法との関係において考察すると、被告人の行為が同法一条一項
の規定に形式的に該当することは原判決もこれを認め当裁判所も疑をいれないとこ
ろであり、さらにその実質的違法性についてみても、被告人が侵入者ないし不退去
者を自力で排斥しようとした際に生命、身体の危険が現在するに至り、これを排除
するためにした行為であること、ことにBは被告人に無断で庭にはいりこむ理由は
全くないこと、その執拗にして危険な攻撃の態様、被告人に軽傷を負わせた事実、
被告人方は一軒屋で、家族も不在であつたため他に援助を求めることもできず、被
告人はBの攻撃に対し終始素手で対抗していたこと、被告人においてはBの死の結
果を認識しなかつたこと等が認められることを考慮すると、これを盗犯防止法一条
一項により処罰しないものとすることが著しく国民の法的感情ないし社会通念に反
し、是認できない場合であるとは考えられない。
 従つて、被告人の行為は、盗犯防止法一条一項により罪とならない。
 しかるに、原判決が、同条項の適用を否定し、本件については傷害致死罪が成立
し、ただ刑法上の過剰防衛行為にあたるとしたのは、法令の適用を誤つたもので、
その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
 論旨はこの点において理由がある。
 よつて、控訴趣意中盗犯防止法一条二項に該当する旨の主張、期待可能性がない
旨の主張および原審において盗犯防止法一条二項に該当する旨の主張をしたが原判
決はこれに対する判断を遺脱しているとの主張に対する判断をするまでもなく、刑
事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により
さらに判決する。
 本件公訴事実の要旨は、「被告人は、昭和四八年五月二〇日午後六時四五分こ
ろ、神戸市a区b町c番地の自宅庭先において、酒に酔つたB(当時五二年)がス
コツプを持つて、自己の飼犬を叩き殺すと怒鳴り込んできたので、これを追い返え
そうとした際、同人が「われも叩き殺したる」と怒鳴りながら、所携のスコツプを
振り上げて殴りかかろうとしたため、同人に組みついてそのスコツプを払い落した
ところ、さらに同人から押し倒されて首を手で締めつけられたので、同人の腹部を
足で蹴つて同人を振り離したのに、なおも同人が、同所西側の崖ふちから約一・五
メートルの地点にあつた長さ約七一・五センチメートルの角棒を拾い上げようとし
た所為を目撃するや、同人が反撃してくるものと思料して激昂し、かくなるうえは
同人を同所から右崖下に蹴り落して殺害しようと決意し、同所に前かがみになつて
角棒を拾い上げようとしていた同人の背後から、その尻部を強く足蹴にして、同人
を同所崖ふちより約一二・七四メートル下のA川に頭から転落させ、よつて同時刻
ころ、同所において同人を溺死するに至らしめて殺害したものである。」というの
であるが、被告人の本件行為は、殺意を欠くものであるうえ、前段に説示したとお
り盗犯防止法一条一項により罪とならないから、刑事訴訟法三三六条前段により無
罪の言渡をする。
 よつて、主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 藤原啓一郎 裁判官 野間禮二 裁判官 加藤光康)

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