弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原審判を取り消す。
     本件は、抗告人Aが昭和五六年六月二九日した申立て取下げにより終了
した。
         理    由
 第一 抗告の趣旨及び理由
 抗告人Aの抗告の趣旨は、主文同旨の裁判を求めるというにあり、抗告人Bの抗
告の趣旨は、「原審判を取り消す。本件を静岡家庭裁判所に差し戻す旨の裁判を求
める。」というにある。
 而して抗告の理由は、抗告人Aにおいては、「抗告人Aは、一旦事件本人に対す
る禁治産宣告の申立てをしたが昭和五六年六月二九日右申立てを取り下げた。然る
に原審裁判所は右取下げを認めず事件本人に対する禁治産宣告をなした。然しなが
ら、禁治産宣告が公益に関するものであつて申立人の利益のみを考慮するものでな
いとしても、申立ての取下げを認めるべきでないとする必然性はなく、申立ての取
下げを認めても、検察官に申立権がある以上公益性は担保されているから、申立人
による任意の取下げを認めるべきであるのに、原審裁判所が取下げを認めず事件本
人に対し禁治産宣告をなしたのは違法である。」というのであり、抗告人Bにおい
ては、「事件本人は現在抗告人Bの許に引き取られて静養しつつ静岡中央病院に通
院治療を続けているが、心身共に極めて良好な状況にあつて、心神喪失の常況には
ない。事件本人の長男Cの将来において受ける衝撃、苦痛を考えると、事件本人に
対する禁治産宣告は百害あつて一利のないものである。原審判を速かに取り消され
たい。」というのである。
 第二 当裁判所の判断
 一 そこで一件記録を調べてみると、本件は、事件本人の夫たる抗告人Aの申立
てにより立件されたものであるが、右抗告人は昭和五六年六月二九日本件申立ての
取下書を原審裁判所へ提出したこと、抗告人Aは事件本人が心神喪失の常況にあつ
て、同人との婚姻関係が全く形骸化するに至つたので、離婚をする前手続として、
事件本人に対する禁治産宣告を得るため本件申立てをしたものであるが、現に事件
本人を日常監護している同人の実父である抗告人Bが、万一事件本人に対する禁治
産宣告が維持されると、抗告人Aと事件本人との子Cの将来における就職や結婚の
障害になるので、本件申立てを取り下げてほしいと要望しているので、その心情を
諒として本件申立ての取下げをする旨取下げの理由を開陳していること、抗告人B
の右要望が、今後とも同抗告人がCともども事件本人に対する保護を続けていくこ
とを前提とするものであることは自明であり、抗告人Aが本件申立てを取り下げた
のも、この際は事件本人との離婚を控え、事実上の別居に止め、事件本人について
は、挙げて抗告人Bの保護に委ねようとする所存であること、しかし原審裁判所
は、本件では取下げは認められないとして審判手続をすすめ、同年九月一四日事件
本人に対する禁治産宣告をなしたことが認められるので、まず、申立て取下げの可
否について判断する。
 二 およそ家事審判事件に関する申立ての取下げについては、家事審判法(家事
審判規則も含む)並びに同法七条により審判に関し準用するものと定められた非訟
事件手続法第一編に何らの明文の規定も存しないので、専ら解釈にまつほかない
が、家事審判事件はその内容の幅は広く、且つ、当事者、手続形態、事件の性質等
にも差異があるので、一概に対立当事者の存在を前提としその間の権利関係の紛争
解決を目的とする手続法である民訴法を準用して申立ての取下げは当然なし得るも
のとすることはできず、要は各審判事件の性質、内容、申立権が認められた理由等
を勘案して判断しなければならないところのものである。
 三 かかる見地に立つて本件を検討するに、
 (1) 禁治産宣告審判事件において家庭裁判所がする禁治産宣告の制度は、い
わゆる無能力者制度の一環として、社会生活において自らの行為の結果につき合理
的な判断をすることができない本人、すなわち民法七条にいう「心神喪失ノ常況ニ
在ル者」が単独で行為することによつてみだりに財産を喪失しないようにし、他
方、禁治産宣告を公示することによつて本人と取引をする相手方に警戒をさせよう
とするものであり、約言すれば、本人の保護と取引の安全を企図するものである
が、取引の相手方にとつて、本人が禁治産者であるかどうかを調査することは必ら
ずしも容易なことてはなく、また、調査自体取引の迅速を妨げるため、この制度
は、窮極的には、社会一般人の利益を犠牲にして本人を保護することに帰すること
は一般に指摘されているとおりである。このような制度の趣旨に照らすと、配偶
者、親族等のうちに適当な監護者がいて本人を日常監護することができ、しかも本
人の所有財産について適切な管理、処分を行うことができ、これにより本人の利益
か保護されるとともに、社会一般人にも迷惑をおよぼすおそれのない場合にまで、
敢えて本人を禁治産者とする必要はないものである。
 <要旨>(2) そして、民法七条が禁治産宣告の申立てをすることを本人、配偶
者、四親等内の親族、後見人、保佐人の権利として規定し、義務とはしてい
ないこと、家庭裁判所が心神喪失の常況にある者に対して禁治産宣告をするのは必
ず右法定の申立権利者の申立てに基づくことを要し職権ではなし得ないとしている
ことは、本人について禁治産宣告を得るかどうかを右法定の申立権利者の前示のよ
うな事情を踏まえた判断に委ね、これらの者が本人の保護のため法制度を利用する
ことなく、自主的な監護と財産の管理、処分(いわば「自主的保護」)でことを処
理しようとする等禁治産宣告を欲しない場合には、国家が積極的に介入することは
せず、禁治産宣告の申立てをもつぱら右法定の申立権利者の自由としたものにほか
ならない。このような民法七条の規定の趣旨に鑑みると、右法定の申立権利者が一
旦は本人をして禁治産宣告を受けしめ、その制度によつて本人を保護するのが相当
であるとして右宣告の申立てをした後に、右申立てを取り下げることは右申立権利
者の自由に属することであり、したがつて、家庭裁判所としては、右取下げによつ
て事件は終了したものと取り扱うのが相当であり、もとより手続上、右申立ての取
下げに理由を付することは必要でないというべきである。
 (3) 民法七条が検察官に禁治産宣告の申立権を与えていることは、右のよう
な解釈を採る妨げにはならない。蓋し、同条が、検察官に禁治産宣告の申立権を与
えているのは、勿論無能力者制度そのものが前示のとおり公益に関連しているもの
であるからではある(すなわち、検察官によつて代表される国家が事件本人に対し
て利害関係を有するとか、検察官が実体上の権利義務を有するというような事由に
基づくものではない。)が、禁治産制度が格別に公益性の強いものであるからとい
うのではなく、むしろ、配偶者、四親等内の親族、後見人、保佐人が存在せず、ま
たは存在しても本人を禁治産者とすべき客観的な必要性があるのに拘らず、これら
の者あるいは本人が申立てをなさない場合に備えて補充的に認めたものであると解
されるのであり、このことは、検察官を申立権利者の最後に掲げている民法七条の
規定の体裁からも窺い知ることができるからである。換言すれば、配偶者、四親等
内の親族、後見人、保佐人がいる場合における当該法定の申立権利者(更に本人を
含む。)と検察官の関係は、右申立権利者が申立てをすることも、右申立てを取り
下げることも自由であり、ただ、本人を禁治産者とすべき客観的必要性があるのに
拘わらず右申立権利者の申立てをせず、あるいは一旦なした申立てを取り下げてし
まつた場合に、検察官において申立てをすることができるにすぎないものと解すべ
きである。
 (4) 以上の次第であるから、本件は抗告人Aがした取下げにより終了したも
のというべく、右取下げが無効であるとして事件本人に対する禁治産宣告をなした
原審判は、失当として取消しを免れない。抗告人Aの抗告は理由があり、抗告人B
の抗告も結局理由がある。
 四 よつて原審判を取消し、本件は抗告人Aの申立て取下げによつて終了した旨
宣告することとして、主文のとおり決定する。
 (裁判長裁判官 蕪山厳 裁判官 浅香恒久 裁判官 安國種彦)

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