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平成17年(行ケ)第10007号 審決取消請求事件(平成17年8月10日口頭
弁論終結)
判決
   
原      告A
      被      告特許庁長官  中 嶋  誠
指定代理人濱野友茂
同佐藤秀一
同野元久道
同小曳満昭
同宮下正之
主文
 原告の請求を棄却する。
 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
 特許庁が不服2002-19069号事件について平成16年4月5日にし
た審決を取り消す。
第2 当事者間に争いのない事実及び証拠上明白な事実
1 特許庁における手続の経緯
 原告は,平成4年7月11日,発明の名称を「論理回路による記憶回路」と
して特許出願(特願平4-255297号)をし,その一部につき,平成10年1
月16日,発明の名称を「記憶回路」として新たな特許出願(特願平10-409
19号,以下「本件出願」という。)をしたが,平成14年7月23日(発送
日),拒絶査定を受けたので,同年8月26日,これに対する不服の審判の請求を
した。特許庁は,これを不服2002-19069号事件として審理した結果,平
成16年4月5日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,同月2
4日,その謄本を原告に送達した(審決謄本の送達日につき甲13)。
2 特許請求の範囲の記載
 本件出願の願書に添付した明細書(以下「本件明細書」という。)の特許請
求の範囲の記載は,次のとおりである。
【請求項1】記憶しようとする情報を送る導線がその入力端子に接続されたO
Rの出力端子を,記憶しようとする情報を送る導線が接続されてない,このORの
入力端子に接続し,Hによりセットし,Hを循環させることによりセットした状態
(記憶した状態)を維持することを特徴とする記憶回路。その例を「図9」に示し
た。
【請求項2】H,Lを循環させることによって,それぞれ,セットした状態,
セットする前の状態を維持している記憶回路において,セットした状態で,H,セ
ットする前の状態でLが循環している導線を切断し,その切断された導線の切断す
る前において信号を出力していた方にNOTの入力端子を接続し,そのNOTの出
力端子をNORの一つの入力端子に繋げ,そのNORの出力端子を切断されたまだ
接続されていない,もう片方の導線に接続し,循環しているHを一時的にLにする
ことによりそのNOTに接続されたNORによってリセットすることを可能にした
ことを特徴としたリセット機能を果たす回路(「図11」にその例を示した),こ
の回路を「請求項1」の回路に接続したものを「図10」に示した。
(以下,【請求項1】の発明を「本願発明1」,【請求項2】の発明を「本願
発明2」という。なお,別紙(1)図9~11参照)
3 審決の理由
 審決は,別添審決謄本写し記載のとおり,①分割出願である本件出願につい
ては,適法な分割出願とは認められないから,出願日は遡及せず,本件出願日は平
成10年1月16日であるとした上,②本願発明1については,「初歩のディジタ
ル回路2 ディジタル情報回路の基礎」(宮本義博著,昭和60年7月株式会社技
術評論社発行,以下「引用例1」という。)に記載された発明(以下「引用発明
1」という。)に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものと認めら
れ,③本願発明2については,特開昭63-197113号公報(以下「引用例
2」という。)に記載された発明(以下「引用発明3」という。)及び引用例1に
記載された他の発明(以下「引用発明2」という。)に基づいて,当業者が容易に
発明をすることができたものと認められるから,いずれも特許法29条2項の規定
により特許を受けることができないとした。
第3 原告主張の審決取消事由
 審決は,(1)審決手続に違法があり(取消事由1),(2)分割出願の適法性に
ついての判断を誤り(取消事由2),(3)本願発明2の要旨認定を誤り(取消事由
3),(4)引用例1及び2の頒布時期の認定を誤り(取消事由4),(5)引用発明3
の認定を誤り(取消事由5),(6)本願発明2と引用発明3の相違点についての判断
を誤り(取消事由6),その結果,分割出願の遡及効を認めず,かつ,引用発明2
及び3に基づいて当業者が容易に本願発明2に想到し得たとの誤った結論を導いた
ものであって,違法であるから,取り消されるべきである。
 なお,本願発明1の容易想到性についての審決の認定判断は争う。
1 取消事由1(審決手続の違法)
(1) 原告が本件拒絶査定不服審判に関し特許庁から送達を受けた審決書には,
審決をした審判官の押印がないから,「審決書には,審決をした審判官が記名押印
しなければならない。」と定める特許法施行規則50条の10の規定に違反してい
る。
(2) また,上記審決書には,審決の日の記載がないから,特許法157条2項
に違反している。特許庁の書類は,例えば,拒絶理由通知には「発送日」,「起案
日」と複数の意味の異なる日付が記載されているのに,審決には,単に「平成16
年4月5日」と記載されているのみであって,これが審決日であるとはいえない。
(3) 被告は,本件明細書の特許請求の範囲の請求項2の記載が誤っていると考
えるのであれば,原告に対し,これを正しい表現に書き替えるように求めるのが被
告の義務である。被告が上記義務を果たさずに,特許を与えない審決をするのは違
法である。
(4) 以上のとおり,審決手続に違法があるから,審決は,取り消されるべきで
ある。
2 取消事由2(分割出願の適法性についての判断の誤り)
(1) 審決は,分割出願に係る本件出願について,「本願(注,本件出願)は,
平成4年7月11日に出願した特願平4-255297号・・・の一部を平成10
年1月16日に新たな特許出願としたものであるが,本願請求項1に係る発明及び
図9の回路に関し,OR回路の出力をOR回路の一方の入力に直接帰還させる構成
は原出願の出願当初の明細書又は図面・・・に記載されておらず,また,原出願当
初明細書等の記載から自明の構成であるとも認められない。・・・よって,本願は
適法な分割出願とは認められないから,出願日は遡及されず,本願出願日は平成1
0年1月16日である。」(審決謄本1頁下から第2段落~最終段落)と判断し
た。
(2) しかし,本件出願が適法な分割出願であり,それを審査官が認めていたこ
とは,審査の拒絶理由通知にも拒絶査定にもこの点についての記載がないことから
明らかである。特許法158条は,「審査においてした手続は,拒絶査定不服審判
においても,その効力を有する。」と規定しているから,審判官が,審査段階にお
ける上記判断を覆すことはできない。
(3) また,審判長は,拒絶理由通知(甲9)において,「NOR回路(注,
「OR回路」の誤記と認める。)の出力をNOR回路(注,「OR回路」の誤記と
認める。)の一方の入力に直接帰還させる回路(請求項1に係る発明及び図9の回
路)は原出願の出願当初の明細書に記載されていたとも,前記明細書の記載から自
明の構成であるとも認められない。」(2頁第1段落)と記載していたのに,審決
では,上記(1)のとおり,「本願請求項1に係る発明及び図9の回路に関し,OR回
路の出力をOR回路の一方の入力に直接帰還させる構成は原出願の出願当初の明細
書又は図面・・・に記載されておらず,」として,拒絶理由通知と相反する説示を
している。審判長は,拒絶査定不服審判において審査段階における判断を変えるの
であれば,特許法159条2項によって新たな拒絶理由通知をしなければならなか
ったのに,それをしないままに審決をし,その結果,原告から意見書を提出する機
会を奪ったのである。
(4) 以上のとおり,分割出願の適法性についての上記判断は誤っているから,
審決は取り消されるべきである。
3 取消事由3(本願発明2の要旨認定の誤り)
(1) 審決は,「本願発明2の『この回路を「請求項1」の回路に接続したもの
を「図10」に示した。』という構成はセット機能を果たす回路と組み合わせると
いう意味と解されるから,本願発明2と引用発明3は,セット機能とリセット機能
を有する回路である点でも一致している。」(審決謄本6頁第2段落),「本願発
明2は『Hをセットした状態,Lをセットする前の状態とし,ORによりセット
し,NOTに接続されたNORによりリセットする』ものである」(同頁第4段
落)などと説示して,本願発明2がセット機能とリセット機能を有する回路である
旨認定しているが,誤りである。
(2) 本願発明2は,その構成に必然的に記憶回路を含むものではないのであっ
て,セット機能を有しておらず,リセット機能のみを有する回路に係る発明であ
る。確かに,本件明細書の特許請求の範囲の請求項2には,「H,Lを循環させる
ことによって,それぞれ,セットした状態,セットする前の状態を維持している記
憶回路において,」との前置きがあるが,ORの出力をORの片方の入力に接続
し,HやLを循環させている本願発明1の記憶回路のみを前提にしているわけでは
なく,したがって,本願発明1のセットした状態を維持する記憶回路と本願発明2
のリセット機能を果たす回路とが必然的に組み合わされるというものではない。
 以上のとおり,本願発明2は,セット機能を有しておらず,リセット機能のみを
有する回路であるから,審決は,本願発明2につき発明の要旨認定を誤っている。
4 取消事由4(引用例1及び2の頒布時期の認定の誤り)
(1) 引用例1(甲14)には,確かに,フリップフロップの記憶の原理が記載
されている。被告の主張によると,引用例1が出版されたのは昭和60年というこ
とであるが,それから約20年を経過した現在,この分野に関する初心者向けの出
版物の大半に,フリップフロップの記憶の原理のことが記載されておらず,フリッ
プフロップの性質についての記載しかないことからすると,引用例1は,本願発明
1が公開された後に出版されたと考えるほかないのである。
(2) 引用例2(甲15)は,本件出願の原出願がされた平成4年以降に特許庁
で不正に作成されたものである。本件の審査段階では,審査官は,拒絶理由の根拠
として引用例1のみを挙げていたのに,審判段階では,拒絶査定を支持する根拠とし
て引用例2を付け加えているのは,審査官がこれを引用例として用いるのを拒んだ
ものと推定することができるのであり,ひいては,審判官が拒絶理由通知に虚偽の
記載をしたともいえるのである。
5 取消事由5(引用発明3の認定の誤り)
 審決は,引用例2(甲15)について,「L,Hを循環させることによっ
て,それぞれ,セットした状態,セットする前の状態を維持している記憶回路にお
いて,OR回路の出力をNOT回路を介してNOR回路の一方の入力に接続し,N
OR回路の出力を前記OR回路の一方の入力に接続し,OR回路の他方の入力をリ
セット信号端子とし,NOT回路に接続されたNOR回路の他方の入力をセット信
号端子とする記憶回路。」(審決謄本4頁下から第2段落)との発明が記載されて
おり,これが引用発明3であると認定するが,引用例2には,「L,Hを循環させ
ることによって,それぞれ,セットした状態,セットする前の状態を維持している
記憶回路」の記載はないから,上記認定は誤りである。
 そもそも,「L,Hを循環させることによって,それぞれ,セットした状態,セ
ットする前の状態を維持している記憶回路」とは,NAND回路の出力を同回路の
入力に戻す回路をいうのであって,引用例2の回路は,「H,Lを循環させること
によって,それぞれ,セットした状態,セットする前の状態を維持している記憶回
路」である。
 被告は,引用例2の第8図の回路について,補助フィードバックループのO
R回路82に着目すれば,これはセット状態において,Lが循環させられ,リセッ
ト状態においてHが循環させられる記憶回路であると理解できる旨主張する。確か
に,引用例2の第8図の補助フィードバックループのOR回路82は,セットした
状態においてLを出力している。しかし,被告の着目するこのOR回路82には,
セット端子が接続されておらず,リセットの反転信号の入力するバーR端子が接続
しているのみであるから,OR回路82はリセットするためのOR回路というべき
であり,リセット回路のOR回路82がLを出力している以上,Lをセットした状
態とすることはできない。要するに,リセット端子の接続するOR回路82におい
て,セット状態はあり得ない。
 本願発明1及び2における「セット」という語句は,原告が定義するもので
あるから,被告は,この定義に従って主張を展開すべきである。そして,原告の定
義によれば,「セットする」とは,記憶回路の「セット端子」にセット信号を入力
することを必須の条件とするものである。「セット端子」の接続していないOR回
路でLが循環しても,それによって記憶が維持されるものではない。
6 取消事由6(本願発明2と引用発明3の相違点についての判断)
(1) 審決は,本願発明2の要旨認定を誤り,引用発明3の認定を誤っているか
ら,本願発明2と引用発明3との対比が誤りであることは明らかであり,この誤っ
た対比に基づく相違点についての判断が誤っていることもまた明らかである。
(2) 原告は,従来,解明されていなかったフリップフロップの記憶の原理,記
憶を消す原理を解明し,従来の禁止状態を設ける必要がないものとし,それを本願
発明1及び2として出願しているのである。
(3) 審決は,「上記相違点について検討するに,記憶回路においてHとLのい
ずれをセット状態またはリセット状態とするかは,使用する論理により,いかよう
にも指定できる単なる設計的事項であり,当該指定に基づいてセット端子とリセッ
ト端子が決まるのであるから,引用発明3においてセット状態をH側と定義すれ
ば,引用発明3は本願発明と同じ『Hをセットした状態,Lをセットする前の状態
とし,ORによりセットし,NOTに接続されたNORによりリセットする』回路
となることは当業者であれば自明のことである。」(審決謄本6頁下から第3段
落)と判断しているが,誤りである。
 Hでセット状態を実現するには,OR回路の出力をそのORの入力に戻さなけれ
ばならないし,Lでセット状態を実現するには,AND回路の出力をそのAND回
路の入力に戻さなければならないのであって,OR回路を用いた場合,原理的に,
Lを循環させてセット状態を維持することはできない。
 したがって,「使用する論理により,いかようにも指定できる単なる設計的事
項」とはいえない。また,「当該指定に基づいてセット端子とリセット端子が決ま
る」との意味は不明であり,審決に理由の記載を義務付けている特許法157条2
項に違反する。
第4 被告の反論
 審決の認定判断は正当であって,原告主張の取消事由はいずれも理由がな
い。
1 取消事由1(審決手続の違法)について
(1) 原告は,審決書に審決をした審判官の押印がないと主張するが,原告に送
達されたものは,特許法157条3項に送達すべきことが規定されている審決の
「謄本」であり,特許法施行規則50条の10で「審決をした審判官が記名押印し
なければならない」とされている「審決書」ではないから,審判官の押印がないの
は当然である。
(2) 原告は,審決書に審決の日の記載がないと主張するが,審決の結論及び理
由(本文)末尾と審決をした合議体の審判官名の間に記載されている「平成16年
4月5日」の日付が本件の「審決の日」である。日付を本文末尾と署名の間に挿入
し,当該文書の日付とすることは一般的に行われていることであり,本件の審決書
においてもこのような書式により「審決の日」が記載されている。
(3) また,原告は,被告が,本件明細書の特許請求の範囲の請求項2の記載が
誤っていると考えるのであれば,これを正しい表現に書き換えるように,原告に求
めるのが被告の義務であるから,被告が上記義務を果たさずに,特許を与えない審
決をするのは違法である旨主張する。
 しかし,審判合議体には,原告の主張するような義務はない。本件において,審
判合議体は,原告に対し,拒絶理由通知(甲9)により,拒絶の理由を明確に通知
しているところ,明細書等の書換え(補正)は特許法17条の2の規定に従って出
願人の責任において行うべきことであるから,原告は,自らの責任により,本件明
細書の補正を行うべきである。
 以上のとおり,原告の審決手続の違法の主張は,いずれも失当である。
2 取消事由2(分割出願の適法性についての判断の誤り)について
(1) 特許法158条は,単に,審査においてした手続が拒絶査定不服審判にお
いても有効であることを規定しているだけであり,審判官の判断をなんら拘束する
ものではない。
(2) 原告の主張は,拒絶理由通知(甲9)の「NOR回路(注,「OR回路」
の誤記と認める。)の出力をNOR回路(注,「OR回路」の誤記と認める。)の
一方の入力に直接帰還させる回路(請求項1に係る発明及び図9の回路)は原出願
の出願当初の明細書に記載されていたとも,前記明細書の記載から自明の構成であ
るとも認められない。」(2頁第1段落)との説示中の「記載されていたとも」
を,「記載されていたとしても」の意に誤解したことによるものである。上記の
「記載されていたとも」は,その前後の文脈から明らかなように「自明の構成であ
るとも」と併せて「認められない」につながるのであり,ここでの説示は「記載さ
れていたとも認められないし,自明の構成であるとも認められない。」の意味であ
る。したがって,本件において,審判長が新たな拒絶理由通知をすべき理由はな
い。
3 取消事由3(本願発明2の要旨認定の誤り)について
 本願発明2が「H,Lを循環させることによって,それぞれ,セットした状
態,セットする前の状態を維持している記憶回路」を前提としていることは,特許
請求の範囲請求項2の記載自体から明らかである。このことは,原告自身も,本件
明細書の特許請求の範囲の請求項2に「H,Lを循環させることによって,それぞ
れ,セットした状態,セットする前の状態を維持している記憶回路において,」と
の前置きがあるとして,本願発明2の前提であることを認めている。したがって,
本願発明2が記憶回路であることを否定する原告の主張は,本件特許請求の範囲に
記載された事項に基づかない主張であり,失当である。
4 取消事由4(引用例1及び2の頒布時期の認定の誤り)について
 引用例1と引用例2が本件出願時以前に公になっていたという拒絶理由通知
の認定に誤りがないことは,審決で説示したとおりである。引用例1が本件出願時
以前に公になっていたことは,特許庁資料館受入印の付された引用例1(乙1)か
らも明らかである。
5 取消事由5(引用発明3の認定の誤り)について
 原告は,引用例2には,「L,Hを循環させることによって,それぞれ,セ
ットした状態,セットする前の状態を維持している記憶回路」の記載はない旨主張
する。
 しかし,引用例2(甲15)の第8図の回路において,補助フィードバックルー
プのOR回路82に着目すれば,これはセット状態において,Lが循環させられ,
リセット状態において,Hが循環させられる記憶回路であると理解できるものであ
る。
 審決において,「上記引用例2の記載及び第8図ならびにこの分野における技術
常識を考慮すると,上記『補助フィードバックループ81』は『ゲート84のNO
R出力からORゲート82,インバータ83を経てゲート84へフィードバックさ
れる』ものであり,上記『インバータ』は論理回路としては『NOT回路』であ
り,上記『フリップフロップ』は『記憶回路』であるから,上記引用例2に
は・・・『引用発明3』・・・が記載されている。」(審決謄本4頁下から第3段
落)と説示しているとおり,上記補助フィードバックループ81が「フリップフロ
ップ」であり,記憶回路ということができるのである。
 したがって,引用例2(甲15)に引用発明3が記載されているとした審決の認
定に誤りはない。
6 取消事由6(本願発明2と引用発明3の相違点についての判断)について
 記憶回路においてHとLのいずれをセット状態又はリセット状態とするか
は,使用する論理により,いかようにも指定できる単なる設計的事項である。
 「Hをセット状態,Lをリセット状態」とするか「Lをセット状態,Hをリセッ
ト状態」とするかは,OR回路とNOR回路のいずれをセット信号の入力部とする
かの二者択一である上,そのいずれをも採用できない理由はない。したがって,審
決の容易想到性の判断に誤りはない。
第5 当裁判所の判断
1 取消事由1(審決手続の違法)について
(1) 原告は,本件拒絶査定不服審判に関し特許庁から送達を受けた審決書に,
審決をした審判官の印がないから,特許法施行規則50条の10の規定に違反する
旨主張する。
 特許法157条3項は,「特許庁長官は,審決があつたときは,審決の謄本を当
事者,参加人及び審判に参加を申請してその申請を拒否された者に送達しなければ
ならない。」と規定し,また,特許法施行規則50条の10は,「審決書には,審
決をした審判官が記名押印しなければならない。」と,同規則18条は,「特許庁
において作成すべき書類の謄本又は抄本には,原本と相違がないことを認証する旨
を記載し,特許庁長官が指定する職員又は審判書記官が記名押印しなければならな
い。」と規定する。さらに,平成14年法律第152号による改正後,工業所有権
に関する手続等の特例に関する法律4条の施行(平成15年10月1日)後におい
ては,審決をした審判官の記名押印に代えて,同法施行規則23条の3所定の措置
(審判官等を明らかにする措置)を講じなければならないとされている。
 上記各規定によれば,原告が送達を受けたのは審決謄本であるところ,審
決謄本に審決をした審判官の印がないのは当然であり,上記審決謄本の末尾に「上
記はファイルに記録されている事項と相違ないことを認証する。」と記載され,審
判書記官が記名押印していることは,審決謄本(甲11)の記載上明らかであっ
て,原告の主張は失当というほかない。
(2) 原告は,審決書に審決の日の記載がないから,特許法157条2項違反で
ある旨主張する。
 特許法157条2項5号は,審決書に「審決の年月日」を記載することを
義務づけているところ,本件において,審決書には,審決の理由の記載の後,審判
官の記名の前に,審決の年月日として「平成16年4月5日」との記載があるか
ら,同規定に違反すると解することはできない。この種文書の書式の通例に従え
ば,この日付が,審決の日を示すことは明らかであり,審決の日とはいえないとの
疑いをさしはさむ余地はない。
 上記年月日が審決の日とはいえない旨の原告の主張は,独自の見解にすぎ
ず,採用の限りでない。
(3) 原告は,被告が,本件明細書の特許請求の範囲の請求項2の記載が誤って
いると考えるのであれば,これを正しい表現に書き換えるように,原告に求めるの
が被告の義務であるから,被告が上記義務を果たさずに,特許を与えない審決をす
るのは違法である旨主張する。
 しかし,特許法を含む我が国の法令が,被告に対して,原告の主張するような義
務を課しているものでないことは,当裁判所に顕著であり,上記主張は失当という
ほかない。
(4) 以上のとおり,本件出願に係る審決手続に原告主張の違法があるとは認め
られないから,取消事由1は理由がない。
2 取消事由2(分割出願の適法性についての判断の誤り)について
(1) 原告は,拒絶理由通知(甲9)において,「NOR回路(注,「OR回
路」の誤記と認める。)の出力をNOR回路(注,「OR回路」の誤記と認め
る。)の一方の入力に直接帰還させる回路(請求項1に係る発明及び図9の回路)
は原出願の出願当初の明細書に記載されていたとも,前記明細書の記載から自明の
構成であるとも認められない。」(2頁第1段落)と記載していたところ,審決で
は,「本願請求項1に係る発明及び図9の回路に関し,OR回路の出力をOR回路
の一方の入力に直接帰還させる構成は原出願の出願当初の明細書又は図画・・・に
記載されておらず」(審決謄本1頁下から第2段落)と説示しているが,これは,
拒絶理由通知と相反する拒絶内容となっているから,新たな拒絶理由として原告に
通知し,原告に意見書を提出する機会を与えなければならなかったのに,これをせ
ずに審判請求不成立の審決をしたことは,特許法159条2項違反である旨主張す
る。
 原告の主張は,拒絶理由通知の「記載されていたとも」の語句を,「記載されて
いたとしても」の意に解釈することを前提とするものである。しかし,拒絶理由通
知には,「原出願の出願当初の明細書に記載されていたとも,」と「前記明細書の
記載から自明の構成であるとも」とを併記し,これが「認められない。」に係って
いることは,これに続く「よって,本願は適法な分割出願とは認められないから,
出願日は遡及されず,平成10年1月16日が本願の出願日となる。」(2頁第1
段落)との記載に照らして明らかであって,原告主張の「記載されていたとして
も」の意に解釈する余地はない。
(2) 原告は,本件出願が適法な分割出願であり,それを審査官が認めていたこ
とは,審査の拒絶理由通知にも拒絶査定にもこの点についての記載がないことから
明らかであり,特許法158条は,「審査においてした手続は,拒絶査定不服審判
においても,その効力を有する。」と規定しているから,審判官が,審査段階にお
ける上記判断を覆すことはできない旨主張する。
 しかし,特許法49条は,「審査官は,特許出願が次の各号のいずれかに該当す
るときは,その特許出願について拒絶をすべき旨の査定をしなければならな
い。・・・二 その特許出願に係る発明が・・・第29条・・・の規定により特許
をすることができないものであるとき。・・・」と,同法121条1項は,「拒絶
をすべき旨の査定を受けた者は,その査定に不服があるときは,その査定の謄本の
送達があつた日から30日以内に拒絶査定不服審判を請求することができる。」
と,同法159条2項本文は,「第50条の規定は,拒絶査定不服審判において査
定の理由と異なる拒絶の理由を発見した場合に準用する。」と,同法181条は,
「裁判所は,第178条第1項の訴えの提起があつた場合において,当該請求を理
由があると認めるときは,当該審決又は決定を取り消さなければならない。」と規
定しており,拒絶査定は,それが取り消される可能性がなくなったときに初めて確
定するのである。特許出願についての審査手続と審判手続とは,出願から特許査定
又は拒絶査定の確定に至るまでの手続として継続性を有するものであり,拒絶査定
不服審判の審決に関する審決取消訴訟がいまだ係属中で,審決の当否が確定してい
ない段階において,拒絶査定において分割出願に関する説示がなかった点のみをと
らえて,この部分が確定したということができないことは明白である。
 特許法158条は,審査と拒絶査定不服審判とが上記のとおり継続性を有
し,いわゆる続審の関係にあることを明らかにしたものであって,審査段階におい
てされた判断を審判段階で覆すことができないことを定めた規定ではない。したが
って,原告の主張は採用することができない。
(3) その他,「本願は適法な分割出願とは認められないから,出願日は遡及さ
れず,本願出願日は平成10年1月16日である。」(審決謄本1頁最終段落)と
した審決の判断を誤りと認めるに足りる証拠を見いだすことはできないから,原告
主張の取消事由2は理由がない。
3 取消事由3(本願発明2の要旨認定の誤り)について
(1) 特許出願に係る発明の進歩性等について審理するに当たっては,特許出願
に係る発明の要旨の認定は,特許請求の範囲の記載の技術的意義を一義的に明確に
理解することができないなどといった特段の事情のない限り,願書に添付した明細
書の特許請求の範囲の記載に従ってされるべきである(最高裁平成3年3月8日第
二小法廷判決・民集45巻3号123頁)。
 本願発明2が「H,Lを循環させることによって,それぞれ,セットした状態,
セットする前の状態を維持している記憶回路において,セットした状態で,H,セ
ットする前の状態でLが循環している導線を切断し,その切断された導線の切断す
る前において信号を出力していた方にNOTの入力端子を接続し,そのNOTの出
力端子をNORの一つの入力端子に繋げ,そのNORの出力端子を切断されたまだ
接続されていない,もう片方の導線に接続し,循環しているHを一時的にLにする
ことによりそのNOTに接続されたNORによってリセットすることを可能にした
ことを特徴としたリセット機能を果たす回路(『図11』にその例を示した),こ
の回路を「請求項1」の回路に接続したものを『図10』に示した。」との構成を
有する,いわゆる物の発明であることは,上記第2の2(特許請求の範囲の記載)
のとおりである。
 上記特許請求の範囲のうち,回路の構成を表現している部分は,「H,Lを循環
させることによって,それぞれ,セットした状態,セットする前の状態を維持して
いる記憶回路において,セットした状態で,H,セットする前の状態でLが循環し
ている導線を切断し,その切断された導線の切断する前において信号を出力してい
た方にNOTの入力端子を接続し,そのNOTの出力端子をNORの一つの入力端
子に繋げ,そのNORの出力端子を切断されたまだ接続されていない,もう片方の
導線に接続し,」,「リセット機能を果たす回路(『図11』にその例を示し
た)」及び「この回路を『請求項1』の回路に接続したものを『図10』に示し
た。」である。
 ところで,「H,Lを循環させることによって,それぞれ,セットした状態,セ
ットする前の状態を維持している記憶回路において,セットした状態で,H,セッ
トする前の状態でLが循環している導線を切断し,その切断された導線の切断する
前において信号を出力していた方にNOTの入力端子を接続し,そのNOTの出力
端子をNORの一つの入力端子に繋げ,そのNORの出力端子を切断されたまだ接
続されていない,もう片方の導線に接続し,」というとき,「H,Lを循環させる
ことによって,それぞれ,セットした状態,セットする前の状態を維持している記
憶回路」の具体的な回路の構成が明らかにならないと,導線を切断したり接続した
りすることはできない。しかし,一方,「この回路を『請求項1』の回路に接続し
たものを『図10』に示した。」との記載があり,この記載と上記記載とを比べて
みると,「この回路」は,「セットした状態で,H,セットする前の状態でLが循
環している導線を切断し,その切断された導線の切断する前において信号を出力し
ていた方にNOTの入力端子を接続し,そのNOTの出力端子をNORの一つの入
力端子に繋げ,そのNORの出力端子を切断されたまだ接続されていない,もう片
方の導線に接続」することによって形成される回路に対応し,「『請求項1』の回
路」は,「H,Lを循環させることによって,それぞれ,セットした状態,セット
する前の状態を維持している記憶回路」に対応することが明らかであり,このよう
に接続して構成される回路が「図10」に示される回路と認められる。
 そうすると,本願発明2の特許請求の範囲にいう「H,Lを循環させることによ
って,それぞれ,セットした状態,セットする前の状態を維持している記憶回路」
とは,本件明細書の特許請求の範囲の請求項1に示される「記憶回路」をいうもの
である。
 なお,「循環しているHを一時的にLにすることによりそのNOTに接続された
NORによってリセットすることを可能にした」との記載部分は,本願発明2の上
記構成から導き出される作用効果を特許請求の範囲中に記載したものと理解するほ
かない。
 付言すると,本願発明2におけるOR回路にNOT回路を接続したものは,これ
を論理的に一つにまとめるとNOR回路となり,本願発明2は,二つのNOR回路
をたすきがけに配線した,NOR形のRSフリップフロップ回路そのものとなる。
(2) 原告は,確かに,本件明細書の特許請求の範囲の請求項2には,「H,L
を循環させることによって,それぞれ,セットした状態,セットする前の状態を維
持している記憶回路において,」との前置きがあるが,ORの出力をORの片方の
入力に接続し,HやLを循環させている本願発明1の記憶回路のみを前提にしてい
るわけではなく,本願発明2が,その構成に必然的に記憶回路を含むものではない
のであって,セット機能を有しておらず,リセット機能のみを有する回路に係る発
明である旨主張する。
 しかし,平成10年法律第51号による改正前の特許法36条5項は,
「第3項第4号の特許請求の範囲には,請求項に区分して,各請求項ごとに特許出
願人が特許を受けようとする発明を特定するために必要と認める事項のすべてを記
載しなければならない。」と規定しているから,特許請求の範囲に記載されている
事項は,すべて当該発明を特定するために必要なものであって,あってもなくても
よい構成が存在してもよいというものではない。
 本願発明2の特許請求の範囲にいう「H,Lを循環させることによって,それぞ
れ,セットした状態,セットする前の状態を維持している記憶回路において,」
は,正に,その後の構成の前提となるものであるから,本願発明2の必須の構成要
素であることは明らかであって,これを必須ではないとする原告の上記主張は失当
というほかない。
(3) 以上のとおり,審決のした本願発明2の要旨認定に誤りがあるとはいえな
いから,取消事由3は理由がない。
4 取消事由4(引用例1及び2の頒布時期の認定の誤り)について
(1) 原告は,引用例1(甲14)が出版されていることは認めつつ,その出版
日が昭和60年であることを争い,本願発明1が公開された後に出版された旨主張
する。
 証拠(甲14及び乙1〔特許庁資料館作成部分はその方式及び趣旨により公務員
が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定される。〕)によれ
ば,引用例1は,宮本義博著「初歩のディジタル回路2 ディジタル情報回路の基
礎」初版であり,その奥付には,第1刷が昭和60年7月20日に,第4刷が昭和
61年11月20日にそれぞれ発行されたとの記載があることが認められる。一般
に,発行日付けのある書籍は,発行日とは異なった年月日に頒布されたものと認め
るに足りる特別の事情がない限り,その発行日又はこれに近接した日に頒布された
ものと推認することができるところ,本件全証拠を検討しても,上記書籍の初版第
1刷が昭60年7月20日又はこれに近接した日とは異なった年月日に頒布された
ものと認めるに足りる特別の事情を見いだすことができない。
(2) 原告は,引用例2(甲15)が,本件出願の原出願がされた平成4年以降
に特許庁で不正に作成されたものである旨主張する。引用例2は公開特許公報で,
その作成権限は特許庁長官にあるから,原告の主張は,その記載内容が事実と異な
るというものと解される。
 ところで,公開特許公報は,特許法64条に基づき,特許庁長官が特許出
願の内容について出願公開をするために発行するものであって,特許庁が適宜作成
したり公開したりできるものではないのであるから,何らかの特殊な事情でもない
限り,その出願公開の年月日(同条2項7号)に公開されたものと認めるのが相当
である。そして,本件全証拠を検討しても,そのような特殊な事情があったことを
うかがわせる証拠を見いだすことができない。
 したがって,原告の上記主張も,採用することができない。
 なお,原告は,上記主張に関連して,審判官が拒絶理由通知に虚偽の記載
をした旨主張するが,上記判示に照らし,失当であることが明らかである。
(3) 以上のとおり,原告の上記主張は,いずれも失当であるから,取消事由4
は理由がない。
5 取消事由5(引用発明3の認定の誤り)について
(1) 引用例2(甲15)には,「従来,α線などによるソフトエラーを防止す
るためのフリップフロップ回路として,本発明者らの出願による特開昭61-16
9015がある。これに記載されている技術は,たとえば第8図に示すように,補
助フィードバックループ81によって,もとのフリップフロップのフィードバック
ループを二重化したものである。本来のフィードバックループが,OR/NORゲ
ート84のOR出力からANDゲート85を経てゲート84へフィードバックされ
る一方,二重化の考え方により構成された補助フィードバックループ81は,ゲー
ト84のNOR出力からORゲート82,インバータ83を経てゲート84へフィ
ードバックされる。」(1頁右下欄5行目~17行目)との記載があり,第8図に
は,上記の「補助フィードバックループ81によって,もとのフリップフロップの
フィードバックループを二重化したもの」が図示されている(別紙(2)第8図参
照)。
 上記回路は,フリップフロップのフィードバックループを二重化したもの
であるが,そのうちのOR/NORゲート84のOR出力からANDゲート85を
経てゲート84へフィードバックされる本来のフィードバックループを除いて,補
助フィードバックループ81に係るフィードバックループに着目すると,「S」の
端子は,ゲート84の入力部に接続し,ゲート84の出力部は,ORゲート82の
入力部に接続している。また,「バーR」の端子は,インバータ86を経てORゲ
ート82の入力部に接続しているので,ORゲート82に入力する信号は「R」で
あり(インバータ86によって反転する),ORゲート82の出力部は,インバー
タ83を経てOR/NORゲート84の入力部と接続し,他方,OR/NORゲー
ト84の出力部は,ORゲート82の入力部と接続している。
 そして,ORゲート82とインバータ83とがNORゲートに置き換えることが
できることは,上記3(1)のとおりであるから,結局,補助フィードバックループ8
1に係るフィードバックループは,OR/NORゲート84とあいまって,NOR
形のRSフリップフロップ回路を構成することとなる。
 したがって,上記「補助フィードバックループ81」は,「ゲート84の
NOR出力からORゲート82,インバータ83を経てゲート84へフィードバッ
クされる」との構成であり,上記「インバータ」は論理回路としては「NOT回
路」であり,上記「フリップフロップ」は「記憶回路」であるとした上で,引用例
2には,「L,Hを循環させることによって,それぞれ,セットした状態,セット
する前の状態を維持している記憶回路において,OR回路の出力をNOT回路を介
してNOR回路の一方の入力に接続し,NOR回路の出力を前記OR回路の一方の
入力に接続し,OR回路の他方の入力をリセット信号端子とし,NOT回路に接続
されたNOR回路の他方の入力をセット信号端子とする記憶回路。」(審決謄本4
頁下から第2段落)の発明(引用発明3)が記載されているとした審決の認定に誤
りはない。
(2) 原告は,「L,Hを循環させることによって,それぞれ,セットした状
態,セットする前の状態を維持している記憶回路」とは,NAND回路の出力を同
回路の入力に戻す回路をいうのであって,引用例2の回路は,「H,Lを循環させ
ることによって,それぞれ,セットした状態,セットする前の状態を維持している
記憶回路」であると主張する。
 しかし,引用例2の第8図の回路において,補助フィードバックループのOR回
路82に着目すると,これはセット状態において,OR回路82からの出力がLと
なっていることが認められ,このことは原告も認めるとおりである。
 そして,審決は,OR回路82に着目し,セット状態においてOR回路82から
の出力がLとなることから,引用発明3の「フリップフロップ」が,技術的思想と
して本願発明2の「L,Hを循環させることによって,それぞれ,セットした状
態,セットする前の状態を維持している記憶回路」に相当するものととらえて,上
記(1)のとおり引用発明3の認定をした上で,本願発明2と引用発明3との対比にお
いて,「本願発明2は『Hをセットした状態,Lをセットする前の状態とし,OR
によりセットし,NOTに接続されたNORによりリセットする』ものであるのに
対し,引用発明3は『Lをセットした状態,Hをセットする前の状態とし,NOT
に接続されたNOR回路によりセットし,OR回路によりリセットする』ものであ
る点。」(審決謄本6頁第4段落)で相違すると説示しているのである。
 したがって,引用例2には,「L,Hを循環させることによって,それぞ
れ,セットした状態,セットする前の状態を維持している記憶回路」の記載がない
とする原告の上記主張は,独自の見解に基づくものというほかなく,採用の限りで
ない。
(3) また,原告は,本願発明1及び2における「セット」という語句は,原告
が定義するものであるから,被告は,この定義に従って主張を展開すべきであり,
そして,原告の定義によれば,「セットする」とは,記憶回路の「セット端子」に
セット信号を入力することを必須の条件とするものであるから,「セット端子」の
接続していないOR回路でLが循環しても,それによって記憶が維持されるもので
はないとし,これを理由として,リセット端子の接続する引用例2の第8図のOR
回路82において,セット状態はあり得ず,したがって,引用例2に,「L,Hを
循環させることによって,それぞれ,セットした状態,セットする前の状態を維持
している記憶回路」の記載はない旨主張する。
 しかしながら,ここで問題となるのは,特許法29条1項3号の「刊行物に記載
された発明」,すなわち,引用例2に記載された公知の技術(引用発明3)に基づ
いて,当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)が容
易に本願発明2を発明することができたかどうかであるから(同条2項),当業者
の観点から引用例2を考察すべきであって,その際,原告が本願発明2において当
該語句にどのような意味づけを与えていたかは,当該発明の要旨認定それ自体にお
いては格別,対比の対象である引用発明3の認定においては関係がない。したがっ
て,上記のとおり,「セットする」の語句について,記憶回路の「セット端子」に
セット信号を入力することを必須の条件とするものであるとの意味づけを与え,こ
れを前提としてする原告の主張は,その前提において誤っており,その余の点につ
いて判断するまでもなく採用することができない。
(4) 以上のとおり,審決のした引用発明3の認定に誤りがあるとはいえないか
ら,取消事由5は理由がない。
6 取消事由6(本願発明2と引用発明3の相違点についての判断)について
(1) 本願発明2と引用発明3との対比
 本願発明2と引用発明3とは,最終的な構成からみると,いずれもNOR
形のRSフリップフロップ回路であるが,特許請求の範囲に記載された構成を基準
にして本願発明2と引用発明3とを対比すると,両者は,「H,Lを循環させるこ
とによって,セットした状態またはセットする前の状態を維持している記憶回路に
おいて,導線を切断し,その切断された導線の切断する前において信号を出力して
いた方にNOTの入力端子を接続し,そのNOTの出力端子をNORの一つの入力
端子に繋げ,そのNORの出力端子を切断されたまだ接続されていない,もう片方
の導線に接続し,セット機能とリセット機能を有する回路」である点で一致し,他
方,NOR回路及びOR回路にそれぞれ接続している端子が,本願発明2において
は,R端子,S端子であるのに対して,引用発明3においては,S端子,バーR端
子である点で相違することが認められる。
 審決は,この相違を「本願発明2は『Hをセットした状態,Lをセットする前の
状態とし,ORによりセットし,NOTに接続されたNORによりリセットする』
ものであるのに対し,引用発明3は『Lをセットした状態,Hをセットする前の状
態とし,NOTに接続されたNOR回路によりセットし,OR回路によりリセット
する』ものである点」(審決謄本6頁第4段落)で相違すると表現しており,本件
明細書の特許請求の範囲の記載に沿った表現にしているために,やや分かりにくく
なっているけれども,この認定に誤りはない。
(2) 相違点についての判断
 上記のとおり,本願発明2と引用発明3とは,最終的な構成からみると,
いずれもNOR形のRSフリップフロップ回路であるから,NOR回路及びOR回
路にそれぞれ入力する端子を,引用発明3におけるS端子,R端子から,順序を入
れ替えて,R端子,S端子とし,本願発明2の構成とすることについては,何の困
難もなく,単なる設計事項にすぎないというべきである。
 原告は,従来,解明されていなかったフリップフロップ回路の記憶の原理,記憶
を消す原理を解明し,従来,最小単位の回路であったフリップフロップ回路から,
より基本的な回路として記憶回路,記憶を消す回路を取り出し,それを本願発明1
及び2として出願している旨主張する。
 しかしながら,既に述べてきたとおり,本願発明2は,周知のフリップフロップ
回路そのものであるから,前提において誤っている上,周知のフリップフロップ回
路の一部に注目して,記憶の原理,記憶を消す原理に係る発明であるといっても,
周知のフリップフロップ回路に何らかの新規な構成を付加しているわけではないか
ら,進歩性を認める余地がないことが明らかである。
(3) したがって,「引用発明3において,Hをセットした状態と定義すること
により,本願発明2と同様な,ORによりセットし,NOTに接続されたNORに
よりリセットを行う構成とする程度のことは当業者であれば容易なことである。」
(審決謄本6頁最終段落)とした審決の判断に誤りはなく,取消事由6は理由がな
い。
7 以上のとおり,原告主張の取消事由はいずれも理由がなく,他に審決を取り
消すべき瑕疵は見当たらない。
 なお,審決は,前記第2の3のとおり,本願発明1についても,引用発明1に基
づいて,当業者が容易に発明をすることができたとの判断をし,これに対して,原
告は,本願発明1の容易想到性についての審決の認定判断は争うというにとどまっ
ているものである。ところで,特許法49条は,「審査官は,特許出願が次の各号
のいずれかに該当するときは,その特許出願について拒絶をすべき旨の査定をしな
ければならない。」と規定しており,複数の請求項があっても,その一つに拒絶す
べき理由があれば拒絶査定を受けるべきことになるところ,既に1ないし7に判示
したとおり,本願発明2に拒絶すべき理由があるから,本願発明1についての審決
の認定判断の当否を検討するまでもなく,本件出願は拒絶査定を免れず,したがっ
て,本件拒絶査定不服審判請求が成り立たないとした審決の結論に誤りはないこと
となる。
 よって,原告の請求は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決
する。
     知的財産高等裁判所第1部
         裁判長裁判官 篠原勝美
    裁判官青柳馨
    裁判官 宍戸充
(別紙)
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