弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

平成27年5月15日判決言渡
平成24年(行ウ)第851号一時金申請却下処分取消請求事件
主文
1厚生労働大臣が原告に対して平成24年7月19日付けでした
別紙関係法令の定め第1記載の支援法13条3項に基づく一時金
の申請を却下する旨の処分を取り消す。
2訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文同旨
第2事案の概要
1本件は,原告が,別紙関係法令の定め第1記載の支援法13条3項に基づく
一時金の申請をしたのに対し,厚生労働大臣が平成24年7月19日付けで,
原告が支援法2条に定める「中国残留邦人等」とは認められないとして,上記
申請を却下する旨の処分(以下「本件処分」という。)をしたことから,原告
が,被告に対し,本件処分の取消しを求める事案である。
2関係法令等の定め
本件の関係法令等は,別紙関係法令の定め記載のとおりであり,その概要は
以下のとおりである。
(1)支援法の定め
ア支援法13条1項及び2項は,同条3項所定の一時金の支給を受けるこ
とができる「特定中国残留邦人等」の要件として,①永住帰国した「中国
残留邦人等」に該当し,明治44年4月2日以後に生まれた者であって,
永住帰国した日から引き続き1年以上本邦に住所を有するもの,②昭和2
1年12月31日以前に生まれたもの(同日後に生まれた者であって同日
以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情があるものとし
て厚生労働省令で定める者を含む。),③60歳以上の者,④昭和36年
4月1日以後に初めて永住帰国したものと規定する。
イ支援法における「中国残留邦人等」につき,同法2条1項1号は次のと
おり規定する。
A中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本
邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居
住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有して
いたもの(同号前段。以下「A類型」という。)
B上記Aの者を両親として昭和20年9月3日以後中国の地域で出生し,
引き続き中国の地域に居住している者(同号中段。以下「B類型」とい
う。)
C上記A又はBに準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者
(同号後段。以下「C類型」という。)
(2)支援法施行規則及び厚生省社会・援護局長通知の定め
ア支援法施行規則1条は,支援法2条1項1号に規定する「厚生労働省令
で定める者」(C類型)について,以下のとおり規定する。
a中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本
邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居
住している者であって出生の届出をすることができなかったために同日
において日本国民として本邦に本籍を有していなかったもの(その出生
の日において日本国民として本邦に本籍を有していた者を両親とするも
のに限る。)(同条1号。以下「a類型」という。)
b中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本
邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居
住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有して
いたものを母親とし,かつ,同日において日本国民として本邦に本籍を
有していた者(同日以前から引き続き中国の地域に居住しているものを
除く。)を父親として同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国
の地域に居住している者(同条2号。以下「b類型」という。)
c中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本
邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居
住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有して
いたもの及びこれらの者を両親として同月3日以後中国の地域で出生し,
引き続き中国の地域に居住している者に準ずる事情にあるものとして厚
生労働大臣が認める者(同条3号。以下「c類型」という。)
イ厚生省社会・援護局長通知(第2の1)は,支援法施行規則1条3号に
規定する「厚生労働大臣が認める者」(c類型)について,以下のとおり
規定する。
(1)中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本
邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居
住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有して
いたものを父親とし,かつ,同日以前から中国の地域に居住していた者
であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたものを母
親として,同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居
住している者(その出生の日以後引き続き中国の地域に居住している者
を母親とするものを除く。)(第2の1(1))
(2)中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本
邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から中国の地域に居住してい
た者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの
を母親とし,かつ,同日において日本国民として本邦に本籍を有してい
た者を父親(同日以前から引き続き中国の地域に居住しているものを除
く。)として,同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域
に居住している者(その出生の日以後引き続き中国の地域に居住してい
る者を母親とするものを除く。)(第2の1(2))
(3)省令第1条第1号に規定する者を両親として,昭和20年9月3日以
後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者(第2の
1(3))
3前提事実(当事者間に争いがないか,文中記載の証拠及び弁論の全趣旨によ
り容易に認定することができる事実)
(1)原告らの身上等
アP1は,P2を母として,大正6年▲月▲日に生まれた。P1は,昭和
14年,中華民国(以下,昭和24年10月1日の中華人民共和国の成立
の前後を通じて「中国」という。)の東北部(以下「旧満州」という。)
へ渡り,昭和19年▲月▲日,中国吉林省吉林市(以下「吉林市」とい
う。)において,原告の姉であるP3を出産した。(甲2の3,甲19・
3頁)
イソビエト社会主義共和国連邦(以下「ソ連」という。)は,昭和20年
8月9日,対日参戦し,中国東北地域への侵攻を開始した。
日本は,昭和20年8月15日,ポツダム宣言の受諾により無条件降伏
をし,同年9月2日,降伏文書に調印した。
ウP1は,昭和21年▲月▲日,吉林市において,原告を出産した。
(甲2の1)
(2)原告らの永住帰国
アP1は,昭和54年7月19日,本邦に永住帰国した。(甲20)
イ原告は,平成3年12月13日,本邦に永住帰国した。(甲21)
ウP3は,平成6年11月,本邦に永住帰国した。(甲20)
(3)原告及びP3の一時金の申請等
アP1は,平成8年▲月▲日に死亡したが,支援法2条1項1号の規定に
よれば,昭和20年8月9日以後の混乱等の状況下で日本に引き揚げるこ
となく,同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住し,同日におい
て日本国民として本邦に本籍を有していたもの(A類型)に当たる。(甲
2の3,甲19・3頁)
イP3は,昭和20年9月2日以前に出生していることから,同年8月9
日以後の混乱等の状況下で日本に引き揚げることなく,同年9月2日以前
から引き続き中国の地域に居住し,同日において日本国民として日本に本
籍を有していた者(支援法2条1項)に該当するとの理由で,永住帰国し
た中国残留邦人等であることの証明書の交付を受け,平成22年4月28
日,厚生労働大臣から支援法13条3項に基づく中国残留邦人等に対する
一時金の支給決定通知を受けた。(甲16,乙4)
ウ原告は,平成24年5月28日,厚生労働大臣に対し,支援法13条3
項に基づく中国残留邦人等に対する一時金の支給を申請したが,厚生労働
大臣は,平成24年7月19日,原告が支援法2条に定める「中国残留邦
人等」とは認められないとして,上記申請を却下する旨の処分(本件処分)
をした。(甲1の1及び2,乙5)
(4)本件訴訟の提起
原告は,平成24年12月19日,本件訴訟を提起した。(顕著な事実)
4争点及び争点についての当事者の主張
本件では,上記2(1)アの支援法13条3項の「特定中国残留邦人等」の要
件のうち,原告が同法2条1項の「中国残留邦人等」に当たるかが問題となる
が,原告は,昭和20年9月3日以後中国の地域で出生した者であり,かつ,
同月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって,同日におい
て日本国民として本邦に本籍を有していた者であるP1を母とするから(上記
3(1),(3)ア),本件の争点は,原告がB又はb類型に当たるかに関し,①原
告の父が支援法2条1項1号の「日本国民として本邦に本籍を有していた者」
といえるか(争点1),原告がc類型に当たるかに関し,②原告が支援法施行
規則1条3号の「準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認める者」に当
たるか(争点2)である。
(1)争点1(原告の父が支援法2条1項1号の「日本国民として本邦に本籍を
有していた者」といえるか)について
(原告の主張の要旨)
ア原告の父はP4であること
P1とP4の同居及び原告とP3の出生の経緯
P1は,昭和8年,P5と婚姻し,昭和9年▲月,長女P6をもう
けたが,昭和10年▲月,P5は死亡した。P1は,昭和14年2月,
P6を実母に預けて単身で中国東北部(旧満州)に行き,奉天市のP7
医院に見習看護婦として勤務していたが,その際,P4と知り合い,一
時期交際していた。P4は,当時,旧満州の鉄道工事を満州全土にわた
り施工できる資格を有していたP8という会社に勤務し,P8出張所で
南満州鉄道の鉄道工事の仕事をしていた。
P1は,昭和16年,吉林市のP9病院に移り,看護婦として住み込
みで勤務していたところ,昭和18年春,P4がP1を訪ねきた。P4
は,P1に対し,日本にいる子を引き取って3人で一緒に暮らそうと言
い,吉林市に住宅を借り,日本までの往復の旅費を渡した。P1は,日
本にいる子と一緒に暮らすことができると喜び,P4と同居を開始し,
日本に帰る準備のために看護婦の仕事を辞めた。P4は,当時,旧満州
国興安北省αへ転勤になり,モンゴルの鉄道建設の仕事に従事しており,
会社が必要とする物資,道具等の調達を担当していたもので,一度帰宅
すると20日から30日程度滞在しては仕事に戻るという生活を続けて
いた。
P1は,昭和19年▲月▲日,P4との間の子である長女P3を出産
(ア)
した。P1が,P4に入籍やP3の出生届のことを相談すると,P4は,
九州の出身であるが病気の妻がいて,妻をその実家に預けてあるので,
そのうちに妻との問題を解決してからP3の出生届を出すと言い,P1
はP3の出生届を出すには至らず,P4は,昭和20年5月に召集され
たまま戻らなかった。
P1は,幼いP3を抱え,原告を妊娠している状態で同年8月15日
の終戦を迎えた。P1は,終戦後,奉天市にいる親戚を訪ねたが援助を
拒否され,幼子を抱え,かつ妊娠をしているという悪条件のもとで生き
てゆくために,やむなくP9病院で事務をしていたP10を頼って吉林
市に戻り,昭和21年▲月▲日,原告を出産した。その後,P1は,
P10と婚姻し,P10との間に3人の子(原告の妹ら)をもうけた。
P1の手紙の記載内容には信用性があること
P1は,P3と原告の父はP4である旨法務大臣等に対する手紙(甲
5ないし7)に記載しており,その手紙の記載内容は,究明カード(甲
19,乙12)の親族に宛てた手紙の内容とも矛盾せず,P1が,昭和
25年7月6日付けのP6に宛てた手紙(甲4)の中で,中国人のP1
0とは別に,昭和20年5月に召集されたP3と原告の父がいたことを
明らかにしており,P4の存在を既に示していたこととも整合し,信用
性が高い。
P1が第三者に対してP4の名前を明らかにしたのは,平成7年7月
19日付けの手紙(甲7)が初めてであるが,それは,大正6年生まれ
で,看護婦という職業に就き,社会でも活動していたP1が,妻との離
婚手続をしていないP4と内縁関係になり,子をもうけたことを心に恥
じていたからであり,P1が恥を忍んで第三者に対して原告とP3の父
がP4であると訴えた上記手紙の内容が,虚偽であるとは到底考えられ
ない。
(イ)
P3の証言及び原告の供述には信用性があること
P1がP3に対してP4が父であることを初めて打ち明けたのは,平
成6年12月1日である。P1は,熊谷駅のホームで,P3及び妹と共
に電車を待っていた際,トイレに行った妹の後ろ姿を見て,P3に対し,
「貴方達の背中はそれぞれ父親にそっくりですね。」と言い,P3の父
はP10ではなくP4であることを打ち明けたが,妹がトイレから戻っ
てくると,口を閉ざした。その後,P3は,P1の自宅を訪ね,2人き
りの時に,P4が九州出身であること等を聞き,P1が「あなた方の父
親」がP4であると言っていたため,P3は,自分と原告の父がP4で
あると理解した。P1は,当時,77歳と高齢であり,P3に対して実
の父親を伝える機会がそう多くはないと考えたことも容易に想像がつき,
また,妹には聞かさずにP3に対してだけ実の父親がP4であることを
打ち明けた経緯は自然かつ合理的であり,上記P3の証言内容には信用
性がある。
また,P1が原告に対してP4が父であることを初めて打ち明けたの
は,平成7年7月頃である。P1は,越谷の法務局からの帰り道,原告
に対し,原告の父はP10でなくP4であることを打ち明けた。原告は,
以降,法務局の行き帰り等に,P1から,P4はP8という会社に勤め,
モンゴルの近くで鉄道建設の仕事をしていたこと,九州出身で,家には
正式に離婚していない妻がいたこと等を少しずつ聞いた。平成7年7月
頃は,丁度,P1がP11に対する平成7年7月19日付けの手紙(甲
7)を書き,第三者に対してP3と原告の父がP4であることを打ち明
けた時期と一致しており,また,P1が,原告の妻や子の在留資格のこ
とで奔走していた時期でもあり,かかる時期にP1が原告に対して実の
父親がP4であることを開示した経緯は合理的であり,原告の上記供述
内容には信用性がある。
(ウ)
小括
以上によれば,原告の父は,姉のP3の父と同じP4である。
イP4が「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」(支援法2条1
項1号)に当たること
「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」(支援法2条1項1
号)の解釈
支援法は,今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き揚
げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくさ
れたという事情に鑑み,当該事情の下に置かれた者のうち永住帰国した
者の自立の支援を行うことを目的として制定された。すなわち,支援法
は,平成20年8月9日のソ連軍の対日参戦による中国東北部への侵攻
とこれに伴う混乱,同月15日のポツダム宣言受諾による日本の無条件
降伏,同年9月2日の降伏文書への調印による日本の海外における実効
支配の終焉という歴史的諸事実を踏まえ,このような混乱の中で中国に
残らざるを得なかった日本人を支援の対象としている。
このような趣旨からすれば,支援法の「中国残留邦人等」とは,終戦
の前後に何らかの事情で中国の地に居住し,敗戦時の混乱で帰国をする
ことができなかった日本人と言える者を,当時の極めて混乱した状況を
前提に柔軟に考えるべきであって,支援法2条1項1号の「日本国民と
して本邦に本籍を有していたもの」とは,戸籍の記載に拘泥することを
前提としていないというべきである。
P4が「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」(支援法2条
1項1号)に当たること
P1は,終戦後,旧満州に置き去りにされたいわゆる残留婦人の1人
であり,終戦当時,幼子を抱え,かつ妊娠をしているという悪条件のも
とで生きてゆくためには,中国の男性と婚姻せざるを得なかった。しか
(エ)
(ア)
(イ)
し,終戦前の旧満州では,日本人は日本人以外の者を非常に差別してい
たから,看護婦の資格を有しており収入も高かったP1が,終戦前の旧
満州において,日本人以外の者と親しくなり子をもうけたとは考え難い。
また,①P4は,昭和20年5月に召集されており,激戦があった満
州里付近で根こそぎ動員の対象となった可能性が高いが,当時,戸籍上
日本人である者以外は召集の対象とならなかったはずであること,②P
4の名前は「P4」を「○」と訓読みするから,日本人の父ないしそれ
に準じる者が命名したと考えられること,③P4が勤務していたP8は
旧満州の鉄道工事を請け負う会社として大手9社に入っており,そのよ
うな大手の土木建設会社において資材等の調達という重要なポストを日
本人以外の者が担当していたとは考え難いこと,④中国人や朝鮮人の父
の子であれば父の氏を引継いで名付けることが一般的であるが,原告は
P1の前夫の名前の一字をとって「P12」と名付けられており,氏も
中国人や朝鮮人のものではないこと,⑤P1は昭和40年3月付けのP
13への手紙(甲19)の中で,「介戦直后,私は,奉天にP14の姉
をたづねてゆき一緒に内地に帰るのが目的だったのです。…私は当時一
人の子供を連れて二人目の子はもう五ヶ月位…」と記載しており,P3
が日本人のP4の子であったからこそ,生きるために身内を頼って内地
に帰ろうと躊躇なく考えたものと思われること等の事情からすれば,P
4は日本人であるといえる。
したがって,P4は,「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」
(支援法2条1項1号)に当たる。
ウP3や孤児との比較
P3との比較
原告の姉であるP3は,平成22年4月28日,被告から支援法13
条3項に基づく中国残留邦人等に対する一時金の支給決定通知を受けた。
(ア)
しかし,P1は,昭和20年9月2日時点において,P3の出生届を提
出しておらず,P3は,「昭和20年9月2日以前に出生し,日本国民
として本邦の本籍を有していた者」(A類型)に当たるとは考え難いか
ら,「同日以前に出生していたが,出生の届出をすることができなかっ
た者(出生の日において,両親が日本国民として本邦に本籍を有してい
た者に限る。)」(a類型)に当たると考えられる。したがって,P3
が,一時金の支給決定に際し,a類型に当たると認定されたのであれば,
父のP4が日本国民として本邦に本籍を有していたものと認められたこ
とになる。
そして,一時金支給決定の判断に際し,P3と原告の判断資料は同一
であったことからすれば,P3の弟である原告についても,同様に,父
のP4は日本国民として本邦に本籍を有していたものと認められなけれ
ば不合理である。
孤児との比較
旧満州在住の残留邦人の子で中国の養父母に預けられた中国残留日本
人孤児(以下「孤児」という。)は,ほとんどの事例で父親が本邦に本
籍を有する日本人であるかどうかなど分かるはずもなかったにもかかわ
らず,家庭裁判所により,両親が不明であっても,例えば養親や関係者
に預けたのが日本人であった,あるいは預けられた時の所持品が日本の
ものであったというような緩やかな基準で就籍が認められ,国は,この
ような緩やかな基準で就籍が認められた孤児に対し,一時金を支給し,
支援策の適用を認めてきた。このような孤児と比較すると,原告は,母
が日本人であることが確定しており,その母が原告の父のP4は九州出
身の日本人であると説明していたという事実があり,資料が調っている
のであるから,原告について一時金の給付を拒むのは不当である。
(被告の主張の要旨)
(イ)
ア原告の父がP4であるとは認められないこと
原告の父を明らかにする資料が存在しないこと
原告の戸籍の父蘭には,当初,「P10」と記載されていたが,平成
21年9月24日戸籍訂正許可の裁判の確定により上記記載は消除され
ており,原告の父がP10でないことは一応認められるものの,原告の
父を明らかにする資料は存在しない。
P2の回答に基づいて記載された埼玉県の究明カードには,P1が
「満人と結婚同年五月夫は召集」との記載があり(甲19・12頁),
中国人が召集されることは考えられない一方,当時,満州には日本人よ
りも多くの朝鮮籍の者が居住していたことからすれば,上記の「夫」と
は,満州に居住して召集された朝鮮籍の者であったと考えられる。
P1の手紙の記載内容には信用性がないこと
原告は,原告の父がP4であると記載されているP1の手紙(甲5な
いし7)の記載内容は信用性が高い旨主張するが,P1がP6に宛てた
手紙(甲4)や義姉P13に宛てた手紙(乙8)には原告の父親の名前
がP4であるとの記載はなく,昭和25年頃から昭和45年頃に作成さ
れた究明カード(乙12)にもP4の記載はなく,P1が原告の父の名
前がP4であると手紙に記載し始めたのは,平成以降のことであること
や,土建業(各組)の職域名簿の中のP8の資料(乙14)や,昭和2
0年5月に召集されたとされる陸海軍の人事関係資料を含めた厚生労働
省の保有資料にもP4の名前は確認できなかったことからすれば,上記
のP1の手紙の記載内容には信用性がない。
P3の証言及び原告の供述には信用性がないこと
P3は,平成6年12月1日にP1から初めてP4の名前を聞いた旨
証言するが,P1が同日までP3の父親について語らなかった理由は明
らかではなく,支援法が平成6年10月1日に施行された後になって,
(ア)
(イ)
(ウ)
初めてP3に対してP4の名前を打ち明けたというのは余りに唐突であ
って不自然である。また,P3は,原告の父親がP4であることをP1
に確かめたことはない旨証言しており,P1が「あなた方の父親」がP
4であると述べたのかどうかも疑わしいから,原告の父親がP4なる日
本人であるということはP3の想像に過ぎない。
原告は,平成7年7月にP1から自分の父親がP4なる日本人である
ことを聞いた旨主張するが,P1がその頃まで原告の父親について語ら
なかった理由は明らかではなく,父親についてP3に伝えた時期と原告
に伝えた時期に半年以上の隔たりがある理由も不明であり,平成7年7
月頃になって唐突にP1が原告に対して父親について伝えたというのも
不自然であって信用し難い。また,原告の供述は,P1が原告の戸籍の
記載に関して助力したことに関し,聴取書(甲21)の記載内容と合理
的理由なく大きく変遷しているし,P1は,平成7年5月ないし6月頃
から衰え出し,そのまま入院したというのであるから,同年7月頃に原
告とともに法務局に行って帰ってきたということ自体信用性がない。原
告は,平成7年7月にP1から父親がP10ではないと聞いたにもかか
わらず,平成20年まで父をP10とする戸籍の訂正をすることなく放
置していたというのも不自然である。原告は,父親が中国人では国の支
援が受けられないと聞いたため,父親が日本人であると突然主張し始め
たと考えるのが合理的であって,原告の供述は信用し難い。
小括
原告の父親は,朝鮮籍を有する者であった可能性が高く,P1の手紙
の記載内容,P3の証言,原告の供述は信用し難いから,原告の父親が
P4なる日本人であると認めることはできない。
イ原告の父が「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」(支援法2
条1項1号)に当たらないこと
(エ)
「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」(支援法2条1項1
号)の解釈
支援法2条1項1号は,日本国籍を有していたものと規定せず,「日
本国民として本邦に本籍を有していたもの」と規定していること,支援
法による各種施策は,先の大戦の終結に伴う在外邦人の引揚援護そのも
のとして,「今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き揚
げることができず,引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なく
された」邦人を対象に行うことが予定されていることからすれば,支援
法2条1項1号の「同日において日本国民として本邦に本籍を有してい
たもの」とは,昭和20年9月2日において,単に国籍法に基づき日本
国籍を有していただけでなく,戸籍法に基づき本邦に本籍を有していた
ことをいうと解すべきである。
P4が「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」(支援法2条
1項1号)に当たるとは認められないこと
中国東北部に展開していた関東軍の中には,日本人のみならず,多数
の朝鮮籍の者が所属していたし,原告はP4が昭和20年5月に召集さ
れたと主張しているが,いわゆる旧満州の根こそぎ動員により約25万
人が召集されて関東軍の部隊に編入されたのは同年7月であることから
すれば,P4は根こそぎ動員以前に召集されたことになる。したがって,
P4が召集されたことは,P4が日本人であったことを基礎付ける事情
とはいえない。
また,当時,いわゆる創氏改名により,朝鮮籍の者であっても本邦に
本籍を有する者と同様の名前である者が多数存在しており,姓のみなら
ず,名についても日本式に変更し,訓読みの名を使用していた者も少な
くはなかったし,P1が日本人以外の者と結婚する理由がないというの
は原告の単なる憶測にすぎない。さらに,土建業(各組)の職域名簿の
(ア)
(イ)
中のP8の資料(乙14)や,昭和20年5月に召集されたとされる陸
海軍の人事関係資料を含めた厚生労働省の保有資料にもP4の名前は確
認できなかった。
したがって,P4が「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」
(支援法2条1項1号)に当たるとは認められない。
ウP3や孤児との比較には意味がないこと
他の事案との比較には意味がないこと
原告の父が本邦に本籍を有する者であるか否かの認定は,原告の個別
的な事情を踏まえた事実認定の問題であるから,個々の申請者の個別的
事情を考慮せずに,他の事案と比較をすることには意味がない。
また,支援法の規定によれば,同法13条3項に基づく一時金の支給
に関する処分は,裁量処分ではなく,羈束処分であることが明らかであ
るから,原告の事情に照らして一時金の支給要件を具備しているかどう
かを判断すれば足り,他の事案と比較する必要はない。
P3との比較には意味がないこと
原告は,P3に対して一時金が支給されていることと比較するが,原
告が昭和20年9月3日以後に出生したものであるのに対し,P3は,
同月2日以前に出生した者であるから,原告とは中国残留邦人等の認定
の判断構造が異なること,戸籍上,P3と原告の父親欄はともに消除さ
れており,両名の父親が同一人であることが証明されているとまではい
えないことから,両事案の比較は無意味である。もっとも,P3に対す
る処分の資料と原告の処分に対する資料は,いずれもP1の究明カード
(乙12)であり,当事者が提出した書面の差異がある他は,P3に対
する処分においてのみ考慮された資料はない。
原告は,P3はa類型として判断されたものと考えざるを得ないと主
張するが,原告についての判断には影響しないと思料するため,特段こ
(ア)
(イ)
れについては反論しない。
孤児との比較には意味がないこと
らず日本人(本邦に本籍を有
において,昭和20年8月9日(ソ連参戦の日)以降の混乱により,保
から引き続き中国に残留し成長した者であることという5つの要件を備
えた者を,孤児として肉親捜しの対象とし,日本と中華人民共和国政府
の共同調査を行った結果,①孤児である確証が得られた者,②孤児であ
るか否かの確証が得られない者,③孤児でない確証が得られた者に分類
し,両政府が①に当たると判断した場合のみ孤児であると確認する。も
っとも,孤児であると確認された場合であっても,その両親が具体的に
誰であるかが分からない場合も多いが,孤児であると認められた者は,
具体的な身元が判明していない者を含め,本人の申告,証言者の証言の
たることが確認されている。
したがって,孤児であると認められた者は,身元が判明していない者
であっても,A又はB類型,aないしc類型のいずれかに当たることか
ら,支援法施行規則1条3号にいう「準ずる事情にあるものとして厚生
労働大臣が認める者」として一時金の支給を受けているものである。
(2)争点2(原告が支援法施行規則1条3号の「準ずる事情にあるものとして
厚生労働大臣が認める者」(c類型)に当たるか)について
(原告の主張の要旨)
ア前記(1)
支援法2条1項1号後段が「これらの者に準ずる事情にあるものとして厚
(ウ)
孤児については,(a)戸籍の有無にかかわ
する日本人)を両親として出生した者であること,(b)中国東北地区など
護者と生別又は死別した者であること,(c)当時の年齢がおおむね13歳
未満であること,(d)本人が自己の身元を知らない者であること,(e)当時
内容,日中両政府の有する客観的資料の照合により,上記(a)及び(b)に当
(原告の主張の要旨)のイ(ア)のとおりの支援法の趣旨を踏まえ,
生労働省令で定める者」と規定している理由は,厳密には同号前段及び中
段に当たらない場合であっても,厚生労働大臣が支援法の趣旨に則った認
定とそれに基づく支援法の適用ができるようにするためである。
そして,支援法がそもそも戸籍の記載に拘泥することを前提としていな
いというべきであることからすれば,これを受けた支援法施行規則1条3
号による「中国残留邦人等」の該当性の判断においても,戸籍の記載の有
無に拘泥すべきではなく,両親が日本国民であることの厳格な立証ができ
ない場合であっても,少なくとも両親が日本国民であることを否定するだ
けの積極的根拠がないような場合,すなわち両親が日本国民に準ずる事情
があれば,「中国残留邦人等」に当たることを認めるべきである。
イ本件において,少なくとも,P4は日本国民であったことを否定するだ
けの積極的根拠がないのであるから,支援法施行規則1条3号所定の「準
ずる事情」にあるものとして,原告を支援法2条1項1号の「中国残留邦
人等」と認めるべきである。
(被告の主張の要旨)
ア支援法施行規則1条3号は,A及びB類型に「準ずる事情があるものと
して厚生労働大臣が認める者」(C類型)を対象としているから,結局,
C類型でいうところのA及びB類型に準ずる事情にあるものの判断を厚生
労働大臣に委ねている。そして,支援法がA及びB類型に準ずる事情にあ
るものの判断を厚生労働大臣に委ねた趣旨は,A及びB類型のように,今
次の大戦に起因して生じた混乱がなければ,本邦への引揚援護の対象にな
っていたはずの者や,その者と共に引き揚げていた可能性の高いその子ら
で中国の地域への居住を余儀なくされたものを引き揚げ援護の一環として
各種施策の対象とする趣旨である。
また,両親が昭和20年9月2日において日本国民として本邦に本籍を
有していた者(B類型)は,両親が共に本邦に引き揚げていれば,その子
も両親と共に引き揚げていた可能性が高かったと考えられるのに対し,一
方の親のみが同日において日本国民として本邦に本籍を有していたという
者は,他方の親の居住地において生活することも十分に想定され,両親と
共に本邦に引き揚げる可能性は,B類型の者ほど大きくないと考えられる。
このような法の趣旨,目的からすれば,支援法施行規則1条3号にいう
A類型及びBに「準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認める者」
(c類型)は,日本国民として本邦に本籍を有していたものを両親として
いることを要件としているというべきであり,一方の親のみが昭和20年
9月2日において日本国民として本邦に本籍を有していたという者は含ま
れないというべきである。
イ本件では,前記(1)
父がP4であったとしても,P4が昭和20年9月2日において日本国民
として本邦に本籍を有していたとは認められないから,原告は,支援法施
行規則1条3号の「準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認める者」
(c類型)に当たらない。
第3当裁判所の判断
1争点1(原告の父が支援法2条1項1号の「日本国民として本邦に本籍を有
していた者」といえるか)について
(1)認定事実
前提事実,争いのない事実,文中記載の証拠及び弁論の全趣旨によれば,
以下の事実が認められる。
ア原告の出生に至る経緯等
P1(大正6年▲月▲日生まれ)は,昭和9年▲月▲日,P5と婚
姻し,同年▲月▲日,長女P6をもうけたが,P5は,昭和10年▲
月▲日,死亡した。(甲2の2,甲19・8,9頁)
P1は,その後,長女P6を連れて実家に戻って生活していたが,昭
(被告の主張の要旨)のイ(イ)のとおり,仮に原告の
(ア)
(イ)
和12年▲月に長兄が死亡した後,実家で同居していた兄嫁から実家
から出て行くよう命じられたため,P1は,やむなく長女P6を日本に
残し,昭和14年2月,旧満州の奉天市にいた次兄を頼って旧満州に渡
った。P1は,奉天市のP7医院で見習い看護婦として住み込みで働き,
昭和16年,看護婦国家試験に合格した後,吉林市のP9病院で看護婦
として住み込みで働いた。(甲6・1及び2頁,甲7・2ないし4頁)
P1は,昭和18年頃,看護婦の仕事を辞め,吉林市において男性と
同居を開始し,昭和19年▲月▲日,同男性との間の子であるP3を出
産したが,同男性は,昭和20年5月に召集されたまま帰ってこなかっ
た。(甲19・27頁)
P1は,昭和20年8月15日の終戦当時,1歳のP3を連れ,原告
を妊娠しており,妊娠5か月の状態であった。P1は,住む場所もなく,
食料にも事欠く状態で難民となって生活を続け,一緒に内地に帰国する
つもりで奉天市にいた親戚を頼って行ったが,援助を断られたため,や
むなく吉林市に戻り,P9病院で勤務していた際に知り合ったP10を
頼り,同人がそのきょうだいと共に住んでいた吉林市の家で世話になり,
昭和21年▲月▲日,原告を出産した。(甲2の1及び3,甲6・4
及び5頁,甲19・83ないし86頁)
イ原告の中国での生活等
P1は,日本への引き揚げをP10に反対され,困った時に世話にな
りながら帰ることはできないと考えたことや,原告を出産した後,看護
婦の仕事を再開し,留用者(技術員)として中国政府から帰国の許可を
受けられなかったことなどから,日本へは引き揚げず,P10と共に生
活を続けた。P1は,昭和24年▲月▲日,中華人民共和国の成立と
同時に,P10との婚姻の届出をし,P3と原告をP10の長女及び長
男として届け出た。P1は,その後,P10との間に,3人の子(二女,
(ウ)
(エ)
(ア)
三女,四女)をもうけた。(甲6・5ないし7頁,甲7・11頁,甲1
9・29ないし30,84頁)
P10は,原告とP3には怒鳴ったり暴力をふるったりしたが,3人
の妹らにはそのようなことをすることはなかった。原告とP3は,背も
高くなく,腕の前腕部分が短いのに対し,3人の妹らは,背が高くやせ
形であり,腕も長いという身体的特徴の違いがあり,他人からは,原告
とP3は,3人の妹らとは本当のきょうだいではないのではないかと言
われたこともあったが,原告とP3は,P10を実父であると信じて育
った。
原告とP3は,母のP1が日本人であることから,小学校や近所では
「小日本鬼子」などと言われていじめられたこともあった。(甲20,
21,証人P3・3ないし5頁,原告本人2及び3頁)
P1は,昭和36年から昭和43年にかけて,肝臓,腎臓,心臓等の
疾患により,何度か入院して治療を受けた。
P10は,昭和41年から文化大革命が始まると,日本人を妻にして
いるという理由で,反革命分子とされ,約8か月間拘束された。P10
は,その間,ひどい暴行を受け,反革命分子の看板を首に掛けて見せ物
として街頭を行進させられるなどの扱いを受けたため,帰宅後,P1の
ためにこのようなひどい目にあわされたと言って,P1に対して暴力を
ふるうなどした。(甲20,21)
原告は,昭和42年,中国で婚姻してP1らとは別居し,その後2人
の子をもうけた(甲21)。
P3は,昭和43年,中国で婚姻してP1らとは別居し,その後3人
の子をもうけた(甲20)。
ウP1が親族に対して送付した手紙
P1は,昭和25年7月6日,P6に対して手紙を送り,P6は同月
(イ)
(ウ)
(エ)
(オ)
(ア)
30日,これを受領した。同手紙には,「今貴女は17どんなにか美し
い…女になって」,「母ちゃんは…いつまで定まった家というもののな
い看護婦生活をやめて結婚し,その時は丁度渡満後6年目でした。どん
な小さな家庭でも自分の家早く貴女をよんでとあせる中に,丁度,貴女
には妹にあたるP3…が生まれて1年位の時に日本降復という悲しい運
命…何も持つひまもなく家を追ひ出され其の時母ちゃんはもう一人の赤
ちゃんがお腹の中にあったのです。…P3の父はあの年の5月,應召し
たきり帰らず,仕方なく母ちゃんはP15病院で働いて居た中国人を1
人連れて奉天のP16ちゃん達をたよって行きました。」との記載があ
る。(甲3の1・3頁,甲4,甲19・18,20,26ないし33頁)
P1は,昭和26年9月24日,昭和27年2月5日,同年8月31
日,同年9月2日,昭和31年8月25日,昭和39年1月1日,いず
れもP6に対して手紙を送った。(甲19・21ないし25,34ない
し41,44ないし48,72,73頁)
P1は,昭和40年3月31日,義姉P13に対して手紙を送った。
同手紙には「介戦直后,私は,奉天にP14の姉をたづねてゆき一緒に
内地に帰るのが目的だったのです。P14さんは冷たく私をつきはなし
ました。」「私は当時1人の子供を連れて,2人目の子はもう5か月位
でした。身重の体で私は失業無一文で社会の真ん中にほうり出されて着
るものもなく…その時前P9病院に働いて居る時事務室にいた人でP1
0と言う人。私が奉天にP14さんをたづねる時も其の人が送って居っ
たのです。仕方なく,私は4才も年下のP10と共に小さな子供をつれ
て,其の人の保護の下にあの悲しい…混乱の生活をこう…て来ました。
1946年8月,日本人が引きあげる時私はP10の反対にあい,困る
時世話になりながら,無情にかへることも出来ず,それに小さな子供を
連れて家にかへれば又も姉上に迷惑をかけなければならないそんな気持
(イ)
(ウ)
が先に立って…そんな思いでP10と一緒にあらゆる苦難の生活をのり
切って来ました。」との記載がある。(甲19・70,83ないし86
頁)
エP1に関する究明カードの作成等
戦後,旧軍人軍属の未復員者の調査は主として厚生省が行い,未引揚
一般邦人の調査に関する事務は外務省が行っていたところ,昭和27年
に地方自治法が改正され,後者についても,都道府県がその調査を行う
義務があることが明確化された。その後,昭和28年に未帰還者留守家
族等援護法(昭和28年法律第161号)が制定され,厚生省は,昭和
29年4月,同法に基づく事務を実施するため,その付属機関として未
帰還調査部を設置し,未引揚邦人の留守家族に対する調査は,同部の依
頼により,主として未引揚邦人の本籍地の都道府県が行うこととなった。
そして,昭和29年4月からの調査の開始に当たり,未引揚邦人ごとの
資料の整理,究明カードの作成,厚生省と都道府県との間の資料の照合
が行われ,その後調査により新たに把握した情報は,究明カードに記録,
管理されるとともに,必要に応じて相互に情報共有がされた。(弁論の
全趣旨・平成26年9月12日付け被告準備書面(4)3頁)
P2は,埼玉県に対し,P1に関する未引揚邦人届を提出し,昭和2
6年4月には外務省がこれを受理した。埼玉県(福祉部社会福祉課)は,
昭和27年1月10日,P2に対し,通信調査を行い,P2は,同月1
5日,上記調査に対する回答をした。P2の回答書には「昭和14年1
月14日奉天β町に住んでいた兄を頼って渡満,そこで看護学校に学び,
看護婦になって働くうち昭和廿年一生満州の土地で暮すと覚悟をきめ満
人と結婚,同年5月夫は召集,行方不明となり再び看護婦になって今日
に至った」との記載がある。(甲19・5,12,13,16,18頁)
厚生省(援護局)は,埼玉県との情報共有に基づき,P1の究明カー
(ア)
(イ)
(ウ)
ドを作成しており,上記情報共有に基づいて記載された厚生省の究明カ
ードには,「昭和14年1月14日奉天β町に住んでいた兄を頼って渡
満,そこの看護婦学校に学び,看護婦として働いていた昭和20年,中
国人と結婚,20.5.夫召集,行方不明となり再び看護婦となる。」
との記載がある。(乙12・1頁)
P1は,昭和49年4月24日,日本に一時帰国し,埼玉県の担当者
に身上を申告し,これに基づいて記載された埼玉県の究明カードの「身
上申告書」には,「18年▲月結婚,20年▲月夫死亡,…21年▲月
結婚」と記載されている。(甲19・114,127,128頁)
オP1,原告,P3の永住帰国等
P1は,昭和49年4月24日に一時帰国した後,同年10月23日,
中国に再出国したが,昭和54年7月19日,四女(P17)と共に日
本に永住帰国した。(甲5,甲7,甲19・114,144頁)
原告は,平成3年12月13日,原告とその妻,長男夫婦,次男の5
人で日本に永住帰国した。(甲21)
P3は,平成6年11月,夫と3人の子らと共に日本に永住帰国した。
(甲20)
原告は,日本に永住帰国した後,平成5年▲月▲日,中国で婚姻
した妻と離婚し,妻は中国に帰国した。原告は,平成6年▲月▲日,
ボリビア国籍の日系三世のP18と婚姻し,長男P19をもうけたが,
P18は,在留資格に問題が生じ,平成12年になっても在留資格を得
られなかったため,P19を連れてボリビアに帰国し,原告は,平成2
2年,P18との離婚の手続をした。(甲21)
カP1が永住帰国後に作成した手紙
P1は,平成7年7月19日,法務局の係官のP11に宛てた手紙を
書いた。同手紙は,P1と共に入国した四女が中国に残した2人の子の
(エ)
(ア)
(イ)
(ウ)
(エ)
(ア)
在留資格認定証明書申請の手続と,原告の妻の在留に係る手続のため,
P1の戸籍にP10との婚姻の記載が必要であるとして,その助力を求
める内容のものであり,その中に「14年前恥多い私の2番目の人P4
と言ふ人との同棲をかくしたために思いもかけない苦しい立場となった
私は今度こそ恥も外聞もかまわず本当の事をお話し致したいと思いま
す。」,「当時27才の私は…子供と一緒に暮らすことが出来ると言ふ
よろこびに母としての分別も忘れ,P4さんと吉林市に所帯を持ち日本
にかへる準備のために病院の仕事もやめて家に入りました。」,「昭和
19年▲月▲日私は女の子が生れその子の戸籍のことでそれまでにも私
の入籍のことでP4に相談したのですが言を左右してなかなか入籍して
くれず子供が生れてから彼に妻の居ることを知り毎日后悔の日々を送っ
て居る中に昭和20年8月15日長い戦争は終り」,「人民政府成立と
同時に2人の子供はP10の長女,長男としてとどけました。私は妻の
ある人との2年間の同棲はかくしとうしました。」,「私の公証書を昭
和18年P4さんと同棲した年月日をP10と書いてもらったために…」
との記載がある。(甲7)
P1は,平成7年9月22日,法務大臣に宛てた手紙を書いた。同手
紙は,原告の妻子の日本入国の許可を求める内容のものであり,その中
に「昭和19年▲月▲日に生まれた女の子と昭和21年▲月▲日に生
まれた男の子と2人の子供をP10の子供として届けました。2人の本
当の父は日本人でP4と言ふ人ですが,昭和19年女の子が生まれた時,
P4には妻が居て私の戸籍は元より子供の戸籍を入籍することも出来ず
に居る中に…」との記載がある。(甲5)
P1は,平成8年6月1日,法務大臣に宛てた手紙を書いた。同手紙
は,二女P20の子供達の在留期間変更の申請の許可を求める内容のも
のであり,その中に「昭和18年の春そのP4と言ふ人が突然たづねて
(イ)
(ウ)
来て私に日本にかへって子供を連れて来て3人で世帯を持てばお互いに
助かるとのことでその日の中に吉林市に住宅を借り…」,「私は昭和1
9年▲月に女の子を産み,子供の戸籍の事をP4に相談すると彼は初め
て病気の妻が妻の実家にあづけてあり妻には子供はなく折をみて子供の
戸籍を入れる様にするから少しの間待ってくれと言はれ」,「二年間妻
の居る人との同棲の日々は恥づかしくくやしく自分が知らなかったとは
言いながら重罪を犯した様に心苦しく后悔の日々を送る中に」との記載
がある。(甲6)
キP1,原告,P3の戸籍の記載等
P1は,昭和24年10月1日,中国政府に対し,原告とP3をP1
0の長男と長女として届け出たことから,中国政府発行の公証書には,
P10が原告とP3の父である旨の記載がされていた。P1は,平成7
年頃から,法務局において,中国政府発行の公証書を提出して戸籍にP
10との婚姻の記載をするよう求めた。(甲6・6,7,9頁,甲7・
11,15頁)
P1は,腎臓,肝臓,心臓等の疾患が悪化し,平成8年5月,入院し,
同年▲月▲日,死亡した。(甲20,21)
平成10年5月18日,P1の戸籍に,昭和24年▲月▲日にP1
がP10と婚姻した旨が記載された。(甲2の3)
原告は,平成11年2月26日,戸籍への記載が許可され,同年3月
2日,筆頭者をP21(P1の父)とする戸籍に父欄をP10,母欄を
P1として記載がされた上,同日,原告を筆頭者とする新戸籍が編製さ
れた。(甲2の3)
P3は,平成11年4月22日,戸籍への記載が許可され,同月23
日,筆頭者をP21(P1の父)とする戸籍に父欄をP10,母欄をP
1として記載がされた上,同日,P3を筆頭者とする新戸籍が編製され
(ア)
(イ)
(ウ)
(エ)
(オ)
た。(甲2の3)
原告は,平成20年,さいたま家庭裁判所熊谷支部に対し,原告の戸
籍の父欄の「P10」の記載を削除するよう求め,戸籍訂正許可の申立
てをしたが,却下されたため,抗告したところ,東京高等裁判所は,平
成21年9月16日,原審判を取り消し,戸籍の訂正を許可する旨の決
定をし,同月24日,上記裁判が確定した。これにより,同年10月1
3日,原告の戸籍の父欄の「P10」の記載は削除された。(甲2の1,
甲3の1,甲21)
P3は,平成21年,さいたま家庭裁判所熊谷支部に対し,P3の戸
籍の父欄の「P10」の記載を削除するよう求め,戸籍訂正許可の申立
てをしたところ,平成22年1月20日,これを許可する旨の審判がさ
れた。(甲3の2)
ク原告,P3の一時金の申請等
P3は,厚生労働大臣に対し,支援法13条3項に基づく一時金の申
請をし,平成22年4月28日,一時金の支給決定を受けた。(甲16)
原告は,平成22年12月20日,厚生労働省社会・援護局長に対し,
永住帰国した中国残留邦人等であることの証明書の交付申請をしたが,
平成23年5月11日,上記証明書を交付することはできない旨の回答
を受けるとともに,上記交付申請書の返戻を受けた。(乙1,2)
原告とP3の支援法13条3項に基づく一時金の申請に対する判断に
際しては,同じくP1の究明カード(乙12)が用いられており,当事
者が提出した申請書を除けば,P3に対する処分においてのみ考慮され
た資料はなかった。(弁論の全趣旨・平成26年9月12日付け被告準
備書面(4)9頁)
原告代理人は,平成23年5月31日,厚生労働省社会援護局援護企
画課中国孤児等対策室自立援護係に対し,P3が残留邦人と認定されて
(カ)
(キ)
(ア)
(イ)
(ウ)
(エ)
いることを指摘し,原告が中国残留邦人等に該当しない理由について回
答を求めたところ,同年6月22日付けの回答文書で,「なお,P3様
につきましては,昭和20年9月2日以前に出生されていることから,
昭和20年8月9日以後の混乱等の状況下で日本に引き揚げることなく,
同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住し,同日において日本
国民として日本に本籍を有していた者(支援法第2条第1項)に該当す
るため,証明書を交付した」との説明を受けた。(乙3,4)
(2)検討
ア原告の父はP4であるか
原告の父がP10ではないこと
上記(1)P3は,いずれも
平成11年に父欄をP10,母欄をP1として戸籍の記載がされたが,
原告については,戸籍訂正許可の裁判の確定により,平成21年10月
13日,その戸籍の父欄の「P10」の記載が削除されたこと,P3に
ついても,平成22年1月20日,戸籍訂正許可の申立てに対し,その
戸籍の父欄の「P10」の記載の削除を許可する旨の審判がされたこと
からすれば,原告とP3の父は,いずれもP10ではないことが認めら
れる。
原告の父とP3の父が同一人物であること
上記(1)P1は,昭和20年
8月15日の終戦当時妊娠5か月で,昭和21年▲月▲日に原告を出
産したことから,昭和20年3月頃妊娠したものと推認されるところ,
当時,P1は同年5月に召集されたP3の父と同居していたこと,②昭
和49年作成の埼玉県の究明カードの「身上申告書」に,「18年▲月
結婚,20年▲月夫死亡,21年▲月結婚」と記載されているとおり,
P1は,埼玉県の調査に対し,中国で2人の男性と順次結婚した旨の申
(ア)
キ(エ)ないし(キ)の認定事実によれば,原告と
(イ)
ア(ウ),(エ),エ(エ)の認定事実によれば,①
告をしており,P3の父とP10という2人の男性と順次交際したこと
が認められるものの,それ以外の男性との交際をうかがわせる事情はな
いことからすれば,P3の父は原告の父と同一人物であると認められる。
P1が作成した手紙の内容の信用性について
上記(1)P1は,昭和25年作
成のP6に宛てた手紙,昭和40年の義姉P13に宛てた手紙において,
既に,P10とは別にP3の父がいる旨の記載をしていたこと,②P1
は,平成7年作成の法務局の担当者P11に宛てた手紙,同年及び平成
8年作成の法務大臣に宛てた手紙において,原告とP3の父が,P10
ではなくP4であることを明らかにしているが,その手紙の記載内容は
具体的かつ詳細であり,上記の昭和25年作成のP6に宛てた手紙,昭
和40年の義姉P13に宛てた手紙の記載内容とも整合すること,③平
成7年作成の法務局の担当者P11に宛てた手紙,同年及び平成8年作
成の法務大臣に宛てた手紙の趣旨は,中国に居住するP1の四女の2人
の子の入国手続,あるいは原告の当時の妻の在留手続のために,P1の
戸籍にP10との婚姻の事実を記載するよう求めるものであるところ,
原告とP3の父がP10ではなくP4であることを明らかにすることは,
P1の上記要求の実現のために必ずしも有利になるという関係にはない
にもかかわらず,P1が,「今度こそ恥も外聞もかまわず本当の事をお
話し致したいと思います」として,過去の事実関係の全てを第三者に明
らかにした経過があることからすれば,原告とP3の父がP4である旨
の上記各手紙の記載内容は,信用性があるものと認められる。
これに対し,被告は,P1が原告の父の名前がP4であると手紙に記
載し始めた時期が平成以降であることや,土建業(各組)の職域名簿の
中のP8の資料(乙14)や,昭和20年5月に召集されたとされる陸
海軍の人事関係資料を含めた厚生労働省の保有資料にもP4の名前は確
(ウ)
ウ(ア),(ウ),カの認定事実によれば,①
認できなかったことからすれば,上記のP1の手紙の記載内容には信用
性がない旨主張する。
しかしながら,上記(1)P1は,「二年間
妻の居る人との同棲の日々は恥づかしくくやしく自分が知らなかったと
は言いながら重罪を犯した様に心苦しく后悔の日々を送る中に」と記載
しているとおり,妻帯者であったP4と内縁関係にあった事実を恥じ,
P3や原告に対しても平成6,7年までP4が父親であることを明らか
にしなかったのであるから,P6や義姉P13などの親族や第三者に対
し,P4との内縁関係を秘匿していたことには相応の理由があるという
べきである。また,昭和20年5月に召集されたとされる陸海軍の人事
関係資料を含めた厚生労働省の保有資料が,当時召集された日本人の全
てを網羅したものであるかは明らかではないことからすれば,これらに
P4の名前がないことをもって,上記のP1の手紙の記載の信用性を減
殺することはできないというべきである。したがって,上記被告の主張
は採用できない。
P3及び原告の供述内容について
P3は,平成6年12月1日,P1及び妹と共に熊谷駅で電車を待っ
ていた際,トイレに行った妹の後ろ姿を見て,P1が,P3に対し,妹
とP3の後ろ姿はそれぞれの父親にそっくりだと言い,P3がその意味
を問うと,P1から,初めて,P3の父はP10ではなくP4であると
告げられ,その後,何度かP1の自宅を訪ね,P1から,P4が九州の
出身であること等を聞いた旨供述する。(甲20,証人P3・1ないし
3頁)また,原告は,平成7年7月,法務局への行き帰りの途中,P1
から,初めて,原告の父はP4であると告げられ,P4は九州の出身で,
鉄道を建設する仕事をしていたこと等を聞いた旨供述する。(甲21,
原告本人1ないし3頁)
カ(ウ)の認定事実によれば,
(エ)
上記(1)P3は,
中国において,母親が日本人であるために学校でいじめられるなどした
経過があったことや,P1自身が,妻帯者のP4と内縁関係にあった事
実を恥じていたことから,P1が,少なくとも原告やP3が中国に居住
する間は,父親がP4であることを話さなかったとしても不自然である
ということはできず,P3が,永住帰国した平成6年11月の翌月であ
る同年12月になって初めてP1から父親がP4であることを聞いたこ
とや,P1が平成7年7月に第三者(法務局の係官のP11)に対して
初めて原告とP3の父がP4であることを明らかにし,原告が,同月に
なって初めてP1から父親がP4であることを聞いたとの供述内容には
信用性があるというべきである。
また,P4が九州の出身であることは,P1の手紙には記載されてい
ないものの,P3は,平成6年まで中国に居住しており,日本語での意
思疎通が困難であって,今でも九州が日本のどこにあるのかよく分から
ないというのであり(証人P3・7頁),P4の出身地につき作為的な
供述をすることは困難であると考えられる上,P3と原告はともにP1
からP4が九州の出身であることを聞いた旨供述することからすれば,
P1からP4が九州の出身であることを聞いた旨の原告及びP3の供述
内容には信用性があるというべきである。
これに対し,被告は,原告の供述は,①P1が原告の戸籍の記載に関
して助力したことに関し,聴取書(甲21)の記載内容と合理的理由な
く大きく変遷しているし,②P1は,平成7年5月ないし6月頃から衰
え出し,そのまま入院したというのであるから,同年7月頃に原告とと
もに法務局に行って帰ってきたということ自体信用性がない。③原告は,
平成7年7月にP1から父親がP10ではないと聞いたにもかかわらず,
平成20年まで父をP10とする戸籍の訂正をすることなく放置してい
イ(イ),オ(ウ),カ(ア),(ウ)の認定事実によれば,原告や
たというのも不自然である旨主張する。
しかしながら,上記①については,P1がP10との婚姻の事実を戸
籍に記載してもらうために提出した中国政府発行の公証書を入手した経
緯や,原告の戸籍が平成11年2月26日に許可されたことについても
P1が助力した旨の聴取書の記載内容(甲21)は誤っている旨,原告
が本人尋問において訂正した経過が認められるものの(原告本人4ない
し7頁),これらはいずれも,平成7年7月頃に原告の妻の在留資格の
取得のためにP1の戸籍の記載に関してP1が法務局と折衝していた旨
の原告の供述内容(甲21,原告本人4ないし5頁)とは直接関係しな
い事情であるから,これをもって上記原告の供述内容の信用性が減殺さ
れるということはできない。また,上記②については,P1が衰え出し
たのが平成7年5月か6月頃であったとしても(証人P3・7頁),上
記(1)P1が入院したのは翌年の平成8年5
月であるから,P1が平成7年7月頃に法務局に行くなどしていたこと
は不自然ではないというべきである。さらに,上記③については,原告
は,平成11年に戸籍の父欄にP10と記載された際,間違いだと言っ
たが,法務局の職員からは,父をP10とする資料しかないし,原告は
既に日本国籍を取得したから構わないのではないかと説明された旨供述
しており(原告本人8ないし9頁),原告が日本語での意思疎通が困難
であることをも考慮すると,上記のような説明を受けた原告がその後戸
籍の父欄の訂正のために適切な法的手続をとることなく平成20年まで
放置したことが不合理であるとまでいうことはできない。
したがって,上記被告の主張を採用することはできない。
イ原告の父が支援法2条1項1号の「同日において日本国民として本邦に
本籍を有していたもの」に当たるか
同号の解釈について
キ(イ)の認定事実によれば,
(ア)
支援法の目的は,今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に
引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀
なくされた中国残留邦人等の置かれている事情にかんがみ,これらの者
の円滑な帰国を促進するとともに,永住帰国した者の自立の支援を行う
ことであり(同法1条),同法2条1項1号は,日本国籍を有していた
ものと規定せず,「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」と規
定している。
このような支援法の目的や,規定の文言からすれば,同法2条1項1
号の「同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの」とは,
単に国籍法に基づき日本国籍を有していただけでなく,昭和20年9月
2日において戸籍法に基づき本邦に本籍を有していたことをいうものと
解するのが相当である。
P4は同号の「同日において日本国民として本邦に本籍を有していた
もの」に当たるか
P1の平成7年作成の法務局の担当者P11に宛
てた手紙,同年及び平成8年作成の法務大臣に宛てた手紙の記載内容は,
いずれも信用性があると認められるところ,P1の上記手紙にはP4が
日本人である旨の記載があり,また,P3が生まれた後に,P4に対し,
P1とP3の入籍のことを相談すると,「病気の妻が妻の実家にあづけ
てあり妻には子供はなく折をみて子供の戸籍を入れる様にする」と言わ
れ,戸籍に入籍することができなかったとの記載があり,上記のP1の
手紙の記載内容は,P4には戸籍があり,その戸籍には妻の記載がされ
P1
から父がP4であると告げられた旨の原告及びP3の供述内容には信用
性があると認められるところ,原告とP3は,いずれもP1からP4が
九州の出身であると聞いた旨供述している。
(イ)
上記ア(ウ)のとおり,
ていたことを前提とするものである。そして,上記ア(エ)のとおり,
また,上記(1)実によれば,P3は,平成11年4月2
2日にようやく本邦の戸籍への記載が許可された者であって,昭和20
年9月2日において戸籍法に基づき本邦に本籍を有していたとはいえな
いことが明らかであることからすれば,P3が支援法2条1項の「中国
残留邦人等」と認められたのは,A類型ではなく,a類型に当たると判
断されたものと解するのが合理的である。そうすると,a類型では,そ
の出生の日において,両親が日本国民として本邦に本籍を有していたこ
とが要件とされているから,P3の支援法13条3項に基づく一時金の
申請に対する判断に際しては,P3の父は,日本国民として本邦に本籍
を有してたものと認められたことになる。そして,上記(1)
P3と原告の父は同じくP4であって,P
3の支援法13条3項に基づく一時金の申請に対する判断に際しては,
原告と同じくP1の究明カード(乙12)が用いられており,当事者が
提出した申請書を除けば,P3に対する処分においてのみ考慮された資
料はなかったというのであるから,P4が日本人として本邦に本籍を有
していた者であるとの認定は,P3が支援法2条1項の「中国残留邦人
等」と認められたこととも整合する。
さらに,支援法2条1項1号が両親が「日本国民として本邦の本籍を
有していた者」を対象としている趣旨は,一方の親のみが日本人である
場合には,他方の親の居住地において生活することも十分に想定される
のに対し,両親が日本人である場合には,その子も両親と共に本邦へ引
き揚げる可能性が高かったといえることから,両親が日本人である場合
のみを対象とする趣旨であると解されるところ,上記(1)
実によれば,P1が終戦後に原告と共に本邦へ引き揚げなかった理由は,
終戦直後に本邦に引き揚げるつもりで奉天の親戚を頼ったにもかかわら
ず援助を断られたため,当時1歳のP3を抱え,原告を妊娠している状
キ(オ)の認定事
ク(ウ)の認定
事実及び上記ア(イ)によれば,
イ(ア)の認定事
態で生きていくために,中国でP10を頼るほかなかったことや,原告
を出産後,看護婦として中国政府に留用されたことなどを理由とするも
のであって,父が日本国籍を有していない故に中国にとどまったもので
あるものとは認められない。
以上によれば,P4は,昭和20年9月2日において戸籍法に基づき
本邦に本籍を有していたものとして,支援法2条1項1号の「同日にお
いて日本国民として本邦に本籍を有していたもの」と認められる。
究明カード(乙12)の記載について
①埼玉県(福祉部社会福祉課)作成の究明カード中には,「看護婦に
なって働くうち昭和廿年一生満州の土地で暮すと覚悟をきめ満人と結婚
同年5月夫は召集行方不明となり再び看護婦になって今日に至った」と
の記載がある書面が綴られており(甲19・12頁),また,②厚生省
(援護局)作成の究明カードには,「昭和20年中国人と結婚,20.
5.夫召集,行方不明となり再び看護婦となる」との記載がある(乙1
2・1頁)。
上記(1)
玉県との情報共有に基づいて作成されたものであり,上記①の書面を前
提にしており,上記①の「満人と結婚」との記載を,上記②では「中国
人と結婚」と記載したものと認められる。そして,上記①の書面は,未
引揚邦人届を提出したP2が,調査に対する回答として送付した回答書
この回答におけるP2の認識が正しいものであることを裏付ける資料は
見当たらず,むしろ誤りであることは上記アで判示したところから明ら
かである。したがって,上記究明カードの記載等をもって,P4が支援
法2条1項1号の「同日において日本国民として本邦に本籍を有してい
たもの」に当たるとの上記認定判断は左右されない。
(ウ)
エ(イ),(ウ)の認定事実によれば,上記②の記載は,厚生省が埼
であると認められるところ(上記(1)エ(イ),甲19・5,12,13頁),
被告は,「満人と結婚同年五月夫は召集」との記載(甲19・12
頁)は,中国人が召集されることは考えられない一方,当時,満州には
日本人よりも多くの朝鮮籍の者が居住していたことからすれば,上記の
「夫」とは,満州に居住して召集された朝鮮籍の者であったと考えられ
る旨主張するが,当時,満州には多くの朝鮮籍の者が居住していたとい
う一般的な事情の他に,具体的に原告の父が朝鮮籍を有するものであっ
たことをうかがわせる証拠はないから,上記被告の主張を採用すること
はできない。
ウ小括
以上のとおりア及びイにおいて判示したところによれば,原告の父はP
4であり,P4は支援法2条1項1号の「同日において日本国民として本
邦に本籍を有していたもの」と認められる。そうすると,原告は,「昭和
20年9月3日以後中国の地域で出生」し,平成20年9月2日において
日本国民として本邦に本籍を有していた者を両親とするものに当たるから,
父親が「昭和20年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している」
場合はB類型に,それ以外の場合は死亡の場合を含めてb類型に当たると
ころ,上記(1)P4は,昭和20
年5月に召集されたまま帰らなかったことが認められ,同年9月2日時点
において引き続き中国の地域に居住していたものとは認められないから,
原告は,b類型(支援法施行規則1条2号)に当たるものと認められる。
したがって,原告は,支援法2条1項の「中国残留邦人等」に当たるも
のと認められるから,厚生労働大臣が平成24年7月19日付けで,原告
が支援法2条に定める「中国残留邦人等」とは認められないとしてした本
件処分には,取り消すべき違法があるというべきである。
2結論
よって,原告の請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がある
ア(ウ)の認定事実及び上記ア(イ)によれば,
から認容することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟
法61条を適用して,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第38部
裁判長裁判官谷口豊
裁判官横田典子及び裁判官下和弘は,転補のため署名押印することができ
ない。
           裁判長裁判官     谷口 豊
(別紙)
関係法令の定め
第1中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び
特定配偶者の自立の支援に関する法律(平成25年法律第106号による改正
前の題名は「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援
に関する法律」。以下「支援法」という。)
11条(目的)
この法律は,今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き揚げる
ことができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた中国残
留邦人等の置かれている事情にかんがみ,これらの者の円滑な帰国を促進する
とともに,永住帰国した者の自立の支援を行うことを目的とする(ただし,平
成25年法律第106号による改正前のもの。)。
22条1項(定義)
この法律において「中国残留邦人等」とは,次に掲げる者をいう。
1号中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦
に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住し
ている者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたも
の及びこれらの者を両親として同月3日以後中国の地域で出生し,引き続
き中国の地域に居住している者並びにこれらの者に準ずる事情にあるもの
として厚生労働省令で定める者
2号中国の地域以外の地域において前号に規定する者と同様の事情にあるも
のとして厚生労働省令で定める者
313条(国民年金の特例等)
1項永住帰国した中国残留邦人等(明治44年4月2日以後に生まれた者で
あって,永住帰国した日から引き続き1年以上本邦に住所を有するものに
限る。以下この項及び第5項において同じ。)であって,昭和21年12
月31日以前に生まれたもの(同日後に生まれた者であって同日以前に生
まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労
働省令で定める者を含む。)に係る昭和36年4月1日から初めて永住帰
国した日の前日までの期間であって政令で定めるものについては,政令で
定めるところにより,国民年金法等の一部を改正する法律(昭和60年法
律第34号。第3項において「昭和60年法律第34号」という。)第1
条の規定による改正前の国民年金法(昭和34年法律第141号)(以下
「旧国民年金法」という。)による被保険者期間(以下「旧被保険者期間」
という。)又は国民年金法第7条第1項第1号に規定する第1号被保険者
としての国民年金の被保険者期間(以下「新被保険者期間」という。)と
みなす。
2項前項に規定する永住帰国した中国残留邦人等(60歳以上の者に限る。)
であって昭和36年4月1日以後に初めて永住帰国したもの(以下「特定
中国残留邦人等」という。)は,旧被保険者期間又は新被保険者期間(同
項の規定により旧被保険者期間又は新被保険者期間とみなされた期間を含
み,旧国民年金法第5条第3項に規定する保険料納付済期間,国民年金法
第5条第2項に規定する保険料納付済期間その他の政令で定める期間を除
く。第4項において同じ。)に係る保険料を納付することができる。
3項国は,特定中国残留邦人等に対し,厚生労働省令で定めるところにより,
当該特定中国残留邦人等の旧被保険者期間(第1項の規定により旧被保険
者期間とみなされた期間を含む。)及び昭和60年法律第34号附則第8
条第2項各号に掲げる期間(政令で定める期間に限る。)並びに国民年金
法による被保険者期間(第1項の規定により新被保険者期間とみなされた
期間を含み,政令で定める期間を除く。)に応じ,政令で定める額の一時
金を支給する。
4項国は,前項の一時金の支給に当たっては,特定中国残留邦人等が満額の
老齢基礎年金等の支給を受けるために納付する旧被保険者期間又は新被保
険者期間に係る保険料に相当する額として政令で定める額を当該一時金か
ら控除し,当該特定中国残留邦人等に代わって当該保険料を納付するもの
とする。
第2中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び
特定配偶者の自立の支援に関する法律施行規則(平成26年厚生労働省令第1
22号による改正前の題名は「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰
国後の自立の支援に関する法律施行規則」。以下「支援法施行規則」という。)
11条(支援法第2条第1項第1号に規定する厚生労働省令で定める者)
支援法第2条第1項第1号に規定する厚生労働省令で定める者は,次のとお
りとする(ただし,平成26年厚生労働省令第104号による改正前のも
の。)。
1号中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦
に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住し
ている者であって出生の届出をすることができなかったために同日におい
て日本国民として本邦に本籍を有していなかったもの(その出生の日にお
いて日本国民として本邦に本籍を有していた者を両親とするものに限る。)
2号中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦
に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住し
ている者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたも
のを母親とし,かつ,同日において日本国民として本邦に本籍を有してい
た者(同日以前から引き続き中国の地域に居住しているものを除く。)を
父親として同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住
している者
3号中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦
に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住し
ている者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたも
の及びこれらの者を両親として同月3日以後中国の地域で出生し,引き続
き中国の地域に居住している者に準ずる事情にあるものとして厚生労働大
臣が認める者
22条(支援法第2条第1項第2号に規定する厚生労働省令で定める者)
支援法第2条第1項第2号に規定する厚生労働省令で定める者は,次のとお
りとする。
1号樺太の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦
に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き樺太の地域に居住し
ている者であって同日において日本国民として本邦又は樺太に本籍を有し
ていたもの
2号前号に掲げる者を両親として昭和20年9月3日以後樺太の地域で出生
し,引き続き樺太の地域に居住している者
3号中国の地域以外の地域において前2号に掲げる者と同様の事情にあるも
のとして厚生労働大臣が認める者
313条の2(支援法第13条第1項に規定する厚生労働省令で定める者)
支援法第13条第1項に規定する厚生労働省令で定める者は,昭和22年1
月1日以後に生まれた永住帰国した中国残留邦人等(永住帰国した日から引き
続き1年以上本邦に住所を有するものに限る。以下この条において同じ。)で
あって,その生まれた日以後中国の地域又は樺太の地域その他の中国の地域以
外の地域においてその者の置かれていた事情にかんがみ,明治44年4月2日
から昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等
に準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるものとする。
第3「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法
律施行事務の取扱いについて」(平成6年9月30日社援発第665号厚生省
社会・援護局長通知。以下「厚生省社会・援護局長通知」という。)
第2中国残留邦人等のうち,省令第1条第3号及び第2条第3号に規定する
厚生大臣が認める者
1中国残留邦人等のうち,省令第1条第3号に規定する厚生大臣が認める
者としては,次に掲げる者等が考えられる。
(1)中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本
邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居
住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有して
いたものを父親とし,かつ,同日以前から中国の地域に居住していた者
であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたものを母
親として,同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居
住している者(その出生の日以後引き続き中国の地域に居住している者
を母親とするものを除く。)
(2)中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本
邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から中国の地域に居住してい
た者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの
を母親とし,かつ,同日において日本国民として本邦に本籍を有してい
た者を父親(同日以前から引き続き中国の地域に居住しているものを除
く。)として,同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域
に居住している者(その出生の日以後引き続き中国の地域に居住してい
る者を母親とするものを除く。)
(3)省令第1条第1号に規定する者を両親として,昭和20年9月3日以
後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者
以上

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛