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平成31年1月29日福岡地方裁判所第3刑事部判決
平成30595号暴行・暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件
主文
被告人は無罪。
理由
1本件公訴事実とこれに対する被告人・弁護人の認否
本件公訴事実は,「被告人は,第1平成30年5月11日午前11時50分頃,
福岡市a区bc丁目d番e号fg号のA方において,内妻である同人(当時23歳)に対
し,その頸部を足で蹴る暴行を加え,第2前記日時頃,前記場所において,Aに対し,
手に持っていた文化包丁(刃体の長さ約15.4センチメートル)を突きつけ,『別れる
くらいなら,お前一人が死ね。』などと怒号し,同人の生命,身体に危害を加えかねない
気勢を示し,もって凶器を示して脅迫したものである。」という暴行・暴力行為等処罰に
関する法律違反である。
これに対し,被告人は,各公訴事実記載の日時場所にいたことは間違いないものの,A
に対してその頸部を足で蹴ったことはないし,Aに対し,文化包丁を突きつけたり,「別
れるくらいなら,お前一人が死ね。」などと言ったりしたこともないと述べ,弁護人は,
被告人の述べる事実関係を前提として,暴行及び暴力行為等処罰に関する法律違反の罪の
いずれも成立せず,無罪である旨主張している。
そこで,本件においては,各公訴事実記載の日時場所において,被告人が,Aに対して,
その頸部を足で蹴ったかどうか(公訴事実の第1),また,Aに対して,手に持っていた
文化包丁を突きつけ,「別れるくらいなら,お前一人が死ね。」などと怒号したかどうか
(公訴事実の第2)という事実関係の有無が争点である。
そして,公訴事実第1及び第2は一連の出来事であるところ,これに関する証拠は,A
の供述が直接証拠であり,この信用性評価が主として問題となる。
2前提事実
証拠上,以下の事実が容易に認められ,当事者も争っていない(なお,年齢を表記する
ときは平成30年5月11日当時のものをいう。)。
⑴Aは,本件当時23歳の女性であり,自身の子である4歳の長男,3歳の二男,1
歳の長女を養っていた(以下,単に「長男」「二男」「長女」と呼称する。)。
被告人は,本件当時29歳の男性であり,平成29年3月か4月頃から,Aと交際し,
遅くとも平成30年5月頃からは,A及びAの子らと共に各公訴事実記載の場所(当時の
A方。以下「本件現場」という。)で暮らしていた。本件現場は,マンション2階の一室
であり,専有面積19.27平方メートルで,洋室と台所からなる部屋である。
なお,被告人は,平成29年8月頃,銃砲刀剣類所持等取締法違反及びAに対する傷害
の罪で逮捕され,平成29年12月頃,Aの現金を盗んだという窃盗の罪で逮捕されたが,
いずれも処分保留で釈放され,いずれも釈放後は,被告人とAとの交際は再開した。
⑵平成30年5月11日,被告人とAは,Aの子らと共に本件現場にいたが(その間
の事実関係について争いがある。),Aは,長女と共に本件現場を出て,本件現場マンシ
ョンの1階にある保育園に行き,同日午後零時2分頃,同園園長により,110番通報が
され,同日午後零時27分頃,本件現場に駆けつけた警察官により被告人は現行犯逮捕さ
れた。
なお,後に,本件現場の台所から刃体の長さ約15.4センチメートルの文化包丁1本
が発見されている。
3A供述について
⑴A供述の概要
Aは,公判廷において,概ね以下のとおり供述している。
「私は,以前から,同棲していた被告人から首を絞められることなどがあったが,平成
29年8月8日には,被告人から蹴られたり,首を絞められたりといった暴行を受け,さ
らに,子らを保育園に送る際に,被告人が包丁を持ち出して自動車に乗ったことから,警
察に通報し,被告人が逮捕され,また,平成29年11月には,財布内の現金4万300
0円を被告人に盗られたことから,警察に通報し,被告人が逮捕されるといったことがあ
った。
その後も,被告人と交際を続け,福岡で同棲するようになっていた。
本件当日,本件現場の洋室で,自分の子らが食事をしようとしていた際に,長男と長女
がのりを取り合ったところ,それを見た被告人が長男に対し『お前が上なんやけ,のりを
渡しちゃらんか。』と言ったが,私の子に対する叱り方ではないと思い,私は,被告人に
対して注意をした。すると,被告人は,私の育て方が悪いと言ってきて,私の首下あたり
の部分を右足の甲で蹴ってきた。私は,尻餅をつく感じとなったが,被告人から暴行を受
けるのは初めてではないので,被告人に対し,『どうなるか分かっとるよね。』と言い,
警察に通報しようと思った。すると,被告人は,バッグから果物ナイフを出して床を滑ら
せるようにして,『俺を殺してほしい。』などと言ってきた。そこで,私は,警察に通報
しようと思い,玄関に向かったところ,被告人が玄関を塞ぐようにして立ち塞がり,その
後,被告人から,腕をつかまれ,壁に押しつけられるなどした。そして,被告人は,台所
のシンク下にある包丁を持ち出し,左手にその包丁を持って,刃先が私のおなかの部分か
ら15センチメートルくらいの位置になるまで突き出し,『別れるぐらいやったら,お前
一人で死んでほしい。』と言ってきた。私は,自分の右手で被告人の左手首を持ち,包丁
を放してほしいと伝え,つかみ合いになってしばらくして,被告人は,私に対して『落ち
着け。』『冷静になれ。』などと言って,包丁をクローゼットのところに置いて洋室に戻
った。そこで,私は,包丁をタオルで包み玄関を出て部屋の外に置き,いったん台所に戻
り,洋室で落ち着いていた被告人に対し,長女を連れて散歩に行ってくると伝え,本件現
場を出てマンション1階の保育園に駆け込んだ。」
⑵A供述の信用性
Aの公判供述は具体的で,それなりに迫真的なものともいえるし,その後の110番通
報時の様子とも整合する面はある。
一方,次のように,Aが受けたとする被害状況に関する供述について,その信用性に疑
問を抱かせる事情も存在する。
まず,Aは,公判廷では,公訴事実第1の暴行の後,同第2の包丁を突きつけられる前
までの間に,本件現場の洋室において,被告人が,果物ナイフをバッグの中から出して床
を滑らすようにした上,「俺を殺してほしい。」などと言ってきた旨供述しているが,平
成30年5月11日付け警察官調書(弁2。以下「本件警察官調書」という。)及び同月
18日付け検察官調書(弁3。以下「本件検察官調書」という。)においては,被告人が
本件現場洋室内において果物ナイフを取り出したとする話は一切ない。未就学児3人がい
る広くはない洋室の中で,被告人が果物ナイフを床を滑らせるように置いて「俺を殺して
ほしい。」などと発言があったという状況は,子らにとっても十分危険なものといえ,A
にとっても相当印象深い出来事といえるにもかかわらず,そのことにつき捜査段階で一切
言及がないというのは不自然というほかない。
そして,本件警察官調書においては,被告人から「死ね。」と言われ,いよいよ殺され
るかと思った旨述べられているが,Aは,公判廷においては,被告人から「死んでほし
い。」と冷静に言われた,ちょっと怖かった,殺されるとは思わなかったなどと述べてお
り,本件警察官調書と公判供述では,被害場面の緊迫感に格段の差がある。また,本件警
察官調書においては,被告人から包丁を突きつけられたことから,そのまま本件現場から
逃げたかのように述べられているが,本件検察官調書においては,被告人から包丁を突き
つけられると,Aは包丁を持っている被告人の手をつかみ,被告人もAの手をつかんでき
てひねってきたが,被告人も冷静になったのか持っていた包丁を流しのところにあったバ
スタオルの上に置いたため,Aは包丁をタオルに包んで玄関の外に置いて本件現場から逃
げたなどと述べられており,公判廷においては,被告人から包丁を突きつけられると,A
は包丁を持っている被告人の手首をつかみ,包丁を放してほしいと伝え,つかみ合いにな
ってしばらくして,被告人が包丁をクローゼットのところに置いて洋室に戻ったため,A
は包丁をタオルで包み玄関の外に置き,いったん台所に戻り,落ち着いている被告人に対
して「ちょっと長女と散歩に行ってくる。」と告げて本件現場から立ち去ったなど述べて
おり,包丁を突きつけられてから本件現場を出るに至った状況において供述の変遷がみら
れる。そもそも,包丁を持った被告人の手を取ってもみあいになったというのは包丁の刃
先がA自身に接触しかねない非常に危険な状況ともいえるが,Aの公判供述によればそれ
が何十秒間も続いていたというのであるから,本件警察官調書でそのことについて一切触
れられていないのはやはり不自然というほかないし,逃げるように本件現場を飛び出した
という捜査段階の供述に対して,いったん台所に戻って洋室で落ち着いている被告人を警
戒するように,散歩に行く旨偽って告げて外に出たという公判段階の供述は,相当状況を
異にするものであり,その際の緊迫感についても,本件警察官調書,本件検察官調書,公
判供述との間にそれぞれ一定の差があるといわざるを得ない。このような被害時及び被害
後の状況に関する捜査段階と公判段階の供述における差異は,臨場感の大きな相違として
浮かび上がってくるものであり,単に詳しく状況を述べられるようになってきたなどとし
て説明がつくものではない。
さらに,被害時及び被害後の状況に関する供述の変遷と併せて,犯行時刻についてもA
の供述は変遷している。すなわち,本件警察官調書及び本件検察官調書においては,被害
時刻は110番通報より約10分前であった旨述べられているのに対し,公判供述では,
これまで述べたように被害を受けてから110番通報されるまでの間の状況がより詳しく
述べられた上で,被害時刻は110番通報より40分ぐらい前であるなどと述べるに至っ
ているのであり,これまで述べたような被害時及び被害後の状況に関する供述の変遷と併
せて考えれば,このような30分にも及ぶ時間的感覚の違いについて,勘違いであるとか
微少な差異であるといった説明がつくものとはいい難い。
次に,Aの公判供述によれば,Aは,被告人から,首下を蹴られ,包丁を突きつけられ
たというのであり,被告人がかなり激高していた状態であったとも考えられるところ,一
方で,Aが包丁を持っていた被告人の手を押さえた後,被告人から「落ち着け。」「冷静
になれ。」などと言われたというのであり,被告人よりもむしろAの方が感情的になり興
奮状態となっていたとも窺われる。そもそも,自ら包丁を持ち出した被告人が「落ち着
け。」「冷静になれ。」とAに対して声をかけて包丁を置くに至ったという経緯自体不自
然な印象を受けるし,本件の発端は,Aが長男に対する被告人の注意の仕方を不満に思っ
てとがめたことにあるが,Aが,日頃から子らのしつけも行っているという被告人のその
ような言葉を聞いて不満に思ってとがめる心境もやや理解し難い。A自身も述べるように,
当時,睡眠不足などからA自身がいらいらするといった状態であったというのであるから,
Aは,長男に対する被告人の注意の仕方を不満に思ってとがめる頃から既に感情的になっ
ていた面も窺われるのであり,そのような双方の感情の動きとAの述べる事実経過を全体
としてみると,被告人がAの注意に対して突如感情的となって蹴ったり,包丁を突き付け
たりといった行動をとったとするAの供述内容はやや不自然な印象を受ける。
そして,これまで,被告人とAは,Aによる被害申告を発端として被告人が逮捕され,
その後,被告人が釈放されると関係を再開させるといったことを2度繰り返して関係を継
続させてきたものであり,そのような本件以前の経緯に加え,Aは,本件の被害申告後に
も,保護命令を申し立てる一方,身柄拘束を受けている被告人と手紙のやりとりをしてい
る上,被告人と面会し,被告人の身体等を心配し,気遣っているのであって,このような
本件後のAの態度も併せ考えると,Aと被告人相互の愛情のつながりがいまだ途絶してい
るものではなく,今後も,Aと被告人との間で男女関係又はそれに近い交際関係が継続す
ることも十分想定できる(なお,公判廷における被告人の供述態度からしても,被告人も
またAとの関係を拒絶しているものではなく,むしろ互いの関係は今後のAの態度次第と
考えているとも見受けられる。)。このようなこれまでのAと被告人との関係,Aと被告
人のお互いに対する感情等に鑑みれば,Aは,被告人とのいさかいを機に,被告人を動揺
させるなどして,被告人との今後の関係を優位に保とうなどと考えて(いわゆる恋の駆け
引きとして)被害事実の誇大申告や虚偽申告をした可能性も十分推察でき,公判廷におけ
る虚偽供述の可能性も否定できない。
このように,A供述については,供述の変遷,供述内容の不自然性,虚偽供述の可能性
の程度,裏付け証拠の乏しさを考慮すると,その信用性には疑問を抱かざるを得ない。
なお,警察官であるBは,本件直後にAからの被害申告を受けており,その内容を公判
廷において詳細に供述しているが,A供述から独立した証拠価値を有するものではなく,
A供述の信用性を裏付けるものとしての価値は乏しいといわざるを得ないし,また,11
0番通報の状況に関する証拠(甲14,16)も同様である。
4被告人供述について
⑴被告人供述の概要
被告人は,公判廷において,概ね以下のとおり供述している。
「本件当日,本件現場の洋室において,私と二男,長男,長女が順にテーブルを囲んでい
たところ,長女が長男の食器を奪い取ったため,長男が長女から食器を奪い返し,長女を
突き飛ばして長女が倒れた。そこで,私は,『今の突き飛ばし方はないんじゃないか。』
と長男に注意したところ,Aが台所からやってきて,私に対し,叱り方がおかしいんじゃ
ないのかと言ってきたため,私は,Aの過去の育て方が悪いんじゃないのかと言い返した。
Aは逆上した感じとなったため,台所の方へ行って話をすることにし,私とAは台所の方
へ行った。そこで,Aは,『そんなこと言うんだったら一緒におれんやない,もう出てい
く。』と言ったため,私は,Aに対し,『一人で出て行け。』と言った。Aは,玄関に移
動し,玄関ドアを開けていたところ,長女が玄関ドアから外に出たため,Aは長女の方に
向かい,外に出て行った。その後,自分は,洋室に戻り,長男,二男と共におもちゃで遊
ぶなどしていた。すると,数分後に警察官がやってきた。バッグの中から果物ナイフを取
り出したこと,Aの首を蹴ったこと,Aに包丁を突きつけたこと,玄関から出て行こうと
するAの前に立ち塞がったこと,『別れるぐらいだったらお前一人で死んでほしい。』な
どと告げたこと,Aの腕を掴んでひねったことなどはいずれもない。かつて2回にわたり,
Aの被害申告で警察に逮捕されたことがあるが,いずれも身に覚えのないことで捕まった
ものであり,そのことで処分は受けていない。」
⑵被告人供述の信用性
被告人の公判供述は,具体的で,特段不自然不合理な点までは見受けられない。
また,被告人は,本件現場に警察官が臨場した当初から,子らのいざこざが原因となり
台所でAともめごとになったこと,包丁を持ち出していないことなどを一貫して述べてお
り,警察官から尋ねられた際に,包丁の場所についても素直に申告しているのであり,こ
のことはBの供述からも明らかである。
この点,検察官は,被告人供述の不自然不合理な点として,3点指摘している。すなわ
ち,①被告人の供述するAが本件現場から出ていった状況と110番通報や警察官が見た
状況とは矛盾している,②1歳である長女がAに止められることなく自ら屋外に出ていく
ことは通常考えられない,③Aが本件を含め3度にわたり虚偽通報をして被告人と同居を
続ける合理的理由がないなどと主張している。
しかしながら,①については,Aは,被告人と言い争いになり,感情的になっていたも
のと窺われ,Aがそのような状態で本件現場を出て行ったとすれば,本件現場を出た後に
110番通報の際や警察官の面前で涙を流すなどして感情的な姿を見せていたとしても何
ら不自然とはいえないし,仮にAが虚偽の申告をしようとしたのであれば他者の前でその
ような態度を示したとしても何ら不自然ではない。②については,2歳に満たない子はい
まだ合目的的な行動や合理的な行動をとれる年齢ではないのであるから,目の前のドアの
開いた玄関に気付き,興味を抱き,母親を気にすることなく外に歩み出ようとしたとして
も何ら不自然な点はないし,被告人と言い争うなどしているAに止められることなく外に
歩み出たとしても不自然とはいえない。③については,既に述べたように,Aが被害事実
の誇大申告や虚偽申告を図ることにより被告人との関係を有利に操ろうと考えている可能
性も否定できず,この点をもって被告人の供述する内容が不自然不合理とはいえない。た
しかに,被告人は,これまでのAに対する思いやその関係性についてやや曖昧に述べてい
るが,被告人の理解力や言葉による表現力の問題とも考えられるし,これまでの被告人と
Aとの関係,被告人のAに対する発言からすれば,被告人には,Aに対する愛情が残って
いるとみる余地も多分にあり,そうであれば,自身の刑事裁判において,被害申告してい
るAに対する思いやその関係性について曖昧にしか述べられない,または,述べるしかな
いという心境があったとしてもあながちおかしなものではない。
また,検察官は,被告人の供述内容が抽象的で漠然としているとして被告人の答え方な
どの不自然性を指摘しているが,被告人の理解力や言葉による表現力が高くないことは供
述全体からして窺われるところ,本件に関する事実経過自体ははっきり述べているのであ
り,検察官指摘の点は,被告人の理解力や表現力の問題にすぎないともいえ,虚偽の事実
を述べていることの証左とは到底いえない。
以上からすれば,被告人供述に特段不自然不合理な点があるとまではいえず,他に被告
人供述の信用性を否定すべき事情は窺われず,被告人供述の信用性は否定できない。
5結論
以上のように,各公訴事実記載の日時場所において,被告人が,Aに対して,その頸部
を足で蹴った,また,Aに対して,手に持っていた文化包丁を突きつけ,「別れるくらい
なら,お前一人で死んでほしい。」などと言った旨を述べるA供述の信用性には疑問があ
る一方,そのような事実はなかったことを前提としてその経緯を述べる被告人供述の信用
性が否定できないことからすれば,結局,真相は不明というほかなく,A供述のような事
実を認定するには合理的な疑いが残るといわざるを得ない。
したがって,本件公訴事実については,第1及び第2のいずれについても犯罪の証明が
ないから,刑訴法336条により,被告人に対し無罪の言渡しをする。
(求刑懲役1年)
平成31年1月29日
福岡地方裁判所第3刑事部
裁判官松村一成

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