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平成22年1月29日判決言渡同日原本領収裁判所書記官
平成20年(ワ)第1586号著作権侵害差止等請求反訴事件
口頭弁論終結日平成21年10月27日
判決
川崎市<以下略>
反訴原告A
訴訟代理人弁護士西岡弘之
同北村聡子
横浜市<以下略>
反訴被告B
東京都文京区<以下略>
反訴被告株式会社講談社
反訴被告ら訴訟代理人弁護士美勢克彦
同訴訟復代理人弁護士平井佑希
主文
1反訴被告らは,別紙書籍目録1記載の書籍のうち,別紙対比表1
の№71の「破天荒力」欄の前段の下線部分に対応する文章(21
8頁11行∼12行)を削除しない限り,同書籍を印刷,発行又は
頒布してはならない。
2反訴被告らは,反訴原告に対し,連帯して12万円及びこれに対
する平成19年6月5日から支払済みまで年5分の割合による金員
を支払え。
3反訴原告のその余の請求を棄却する。
4訴訟費用は,これを50分し,その1を反訴被告らの負担とし,
その余を反訴原告の負担とする。
5この判決の第2項は,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
1反訴被告らは,別紙書籍目録1記載の書籍を印刷,発行又は頒布してはな
らない。
2反訴被告らは,反訴原告に対し,連帯して695万8075円及びこれに
対する平成19年6月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払
え。
第2事案の概要
本件は,別紙書籍目録2記載の書籍(以下「原告書籍」という。ただ
し,「物語」という場合もある。)の著作者である反訴原告(以下「原告」
という。)が,反訴被告B(以下「被告B」という。)が同目録1記載の書
籍(以下「被告書籍」という。ただし,「破天荒力」という場合もある。)
を執筆し,反訴被告株式会社講談社(以下「被告講談社」という。)がこれ
を発行,販売した行為が,原告書籍について原告が有する著作権(複製権又
は翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)を侵害する旨
主張して,被告らに対し,著作権法112条1項に基づく被告書籍の印刷,
発行又は頒布の差止めと不法行為による損害賠償を求めた事案である。
1前提事実(証拠の摘示のない事実は,争いのない事実又は弁論の全趣旨に
より認められる事実である。)
(1)当事者
ア原告は,ノンフィクション,紀行,エッセイ,小説等の執筆を業とす
る者である。
イ被告Bは,平成15年4月に初当選し,平成19年4月に再選した神
奈川県知事であり,執筆活動も行っている者である。
ウ被告講談社は,書籍,雑誌等の出版,販売等を業とする株式会社であ
る。
(2)原告書籍
ア原告書籍は,原告を著作者とする著作物である。
原告書籍は,明治11年創業の「富士屋ホテル」の歴史について,創
業者である山口仙之助(以下「仙之助」という。),その娘婿で実質的
な2代目の経営者である山口正造(以下「正造」という。)及び同じく
仙之助の娘婿で実質的な3代目の経営者である山口堅吉(以下「堅吉」
という。)の3名の事績に焦点を当てながら叙述されたノンフィクショ
ン作品である(甲2)。なお,原告は,堅吉の孫である。
原告書籍の本文は,「プロローグ」,「Ⅰ箱根山に王国を築く−仙
之助」,「Ⅱ繁栄と大脱線−正造」,「Ⅲ嵐の中の守り手−堅吉」
及び「エピローグ」の各章で構成されている。
仙之助の事績に焦点を当てた「Ⅰ箱根山に王国を築く−仙之助」(
甲2の13頁∼101頁)は,「岩倉使節団」,「牛」,「新天
地」,「不夜城」,「富士山」,「日本人を泊めないホテル」,「王堂
文庫」及び「箱根山の王」の各項目で構成されている。また,正造の事
績に焦点を当てた「Ⅱ繁栄と大脱線−正造」(甲2の103頁∼18
1頁)は,「狐の婿入り」,「放浪」,「花と自動車」,「建築道
楽」,「孤独」,「万国髭倶楽部」,「花御殿」及び「南洋への憧れ」
の各項目で構成されている。
イ原告書籍には,別紙対比表1ないし3の各「物語」欄(別紙対比表1
及び2においては右欄,別紙対比表3においては左欄)に記載された各
記述がある(ただし,別紙対比表1の下線,別紙対比表3の「(1)」等の
番号,下線は,被告書籍の記述との対比のために付されたものであり,
原告書籍に記載はない。)。
(3)被告書籍
ア被告書籍は,被告Bを著作者とする著作物である。
被告書籍は,箱根の開発と近代化に尽力したとされる5名の人物(仙
之助,福沢諭吉,福住正兄,二宮尊徳及び正造)について,その人物像
や箱根のために果たした業績を紹介,評価しながら現代において学ぶべ
き「志」等を論じた作品である(甲1)。
被告書籍の本文は,「序章明治男とサムライ・スピリッツ」,「第
一章チャンスは非常識にあり−山口仙之助」,「第二章実学のスス
メ−福沢諭吉」,「第三章徳あるリーダーが不可能を可能にする−福
住正兄」,「第四章現代に生きる尊徳の経済道徳−二宮尊徳」,「第
五章歴史に奇跡はない−志を発信せよ」,「第六章「奇妙人」のお
もしろがる精神−山口正造」及び「終章現代の「サムライ」が目覚め
るとき」の各章で構成されている。
「第一章チャンスは非常識にあり−山口仙之助」(甲1の27頁∼
62頁)は,「明治初期に外国人向けリゾートホテルをつくった
男」,「「遊郭の養子」からの出発」,「大胆不敵な単身渡米」,「突
然の転身−慶應義塾入塾」,「富士屋ホテル創業,悲運の大火」,「ゼ
ロからの再出発」,「暴挙?義挙?民の力で道路開削」,「“私”より
“公”のサムライ・スピリッツ」,「富士屋vs.奈良屋の外国人客争奪
戦」,「国益,外貨獲得のためのホテル業!?」,「「日本人の客は来
てもらはずともよい」」,「箱根開発の“黒幕”福沢諭吉」,「閉鎖的
な日本の限界」,「託された「開かれた日本」への想い」及び「生粋の
国際人だから見えた未来」の各項目で構成されている。
また,「第六章「奇妙人」のおもしろがる精神−山口正造」(甲1
の195頁∼236頁)は,「無鉄砲な一七歳,海を渡る」,「幸運の
女神に導かれてイギリスへ」,「ロンドンで「柔道家」として成
功」,「帰国,“山口正造”時代の幕開き」,「モータリゼーションの
時代へ」,「正造,バス事業に乗り出す」,「昭和天皇が愛した「仙石
原ゴルフ場」」,「子どもキャディーの活躍」,「関東大震災で倒壊,
二代目の負けじ魂」,「富士屋ホテルと結婚した男」,「人材育成でも
ホテル業界をリード」,「「萬国髭倶楽部」の創設」,「日本文化を紹
介する『WeJapanese』刊行」,「商売を超えた日本のPR」,「時代の
要求を見極める先見性」,「正造の最後の作品「花御殿」」及び「激動
の昭和を生き抜いた名門ホテル」の各項目で構成されている。
イ被告書籍には,別紙対比表1ないし3の各「破天荒力」欄(別紙対比
表1及び2においては左欄,別紙対比表3においては右欄)に記載され
た各記述がある(ただし,別紙対比表1の下線,別紙対比表3の「(A)」
等のアルファベット,下線は,原告書籍の記述との対比のために付され
たものであり,被告書籍に記載はない。)。
(4)先行文献等
原告書籍の巻末(甲2の227頁∼229頁)には,原告書籍の出版前
に発行された文献が「参考文献」の見出しの下に掲載されている。その末
尾には,「このほか・・・C氏(富士屋ホテル株式会社専務取締役)より
富士屋ホテル関係資料を提供頂いた。」との記載がある。
被告書籍の巻末(甲1の270頁)には,被告書籍の出版前に発行され
た文献が「主な参考文献(五十音順)」の見出しの下に掲載されており,
その中には,原告書籍,「富士屋ホテル小史」(富士屋ホテル株式会社。
以下「小史」という場合がある。)が含まれている。
また,原告書籍及び被告書籍のいずれの巻末にも,堅吉編「富士屋ホテ
ル八十年史」(富士屋ホテル株式会社,昭和33年。以下「八十年史」と
いう場合がある。),堅吉編「山口正造懐想録」(富士屋ホテル株式会
社,昭和26年。以下「懐想録」という場合がある。),「WeJapanes
e」(富士屋ホテル株式会社,昭和25年),「慶應義塾出身名流列傳」(
実業之世界社,明治42年),箱根温泉旅館協同組合編「箱根温泉史」(
昭和61年),「箱根と外国人」(児島豊著,神奈川新聞社,平成3
年),「箱根町文化財研究紀要第19号富士屋ホテルの建築」(箱根町
教育委員会,平成元年。以下「富士屋ホテルの建築」という場合があ
る。)が参考文献として挙げられている(甲1,2)。
(5)被告らの行為
ア被告Bは,原告書籍に依拠(アクセス)して,被告書籍を執筆した。
イ被告Bと被告講談社は,平成19年5月24日,被告Bが被告講談社
に対し被告書籍の出版権を設定する旨の出版等に関する契約を締結し
た(甲23)。
被告講談社は,上記契約に基づいて,被告書籍を出版物として発行
し,販売している。
2争点
本件の争点は,被告らの行為が原告書籍についての原告の複製権又は翻案
権の侵害に当たるか(争点1),被告らの行為が原告書籍についての原告の
氏名表示権及び同一性保持権の侵害に当たるか(争点2),被告らが賠償す
べき原告の損害額(争点3)である。
第3争点に関する当事者の主張
1争点1(被告らによる複製権又は翻案権の侵害の成否)について
(1)原告の主張
アノンフィクション作品の特殊性等
原告書籍のようなノンフィクション作品は,歴史上の事実を前提に叙
述されたものであるが,このような歴史的事実に関する記述であって
も,数多く存在する基礎資料からどのような事実を取捨選択するか,ま
た,どのような視点で,どのような表現をするかという点については,
様々な方法があり得るのであるから,思想又は感情を創作的に表現した
ものとして著作権の保護の対象となり得ることは明らかである。
そして,ノンフィクション作品の場合,登場人物の人物像を明らかに
する上で,当該登場人物にまつわる多数存在するエピソードのうち,ど
のエピソードを挙げるか,その中でも,どのエピソードに特に強い照明
を当て,どのように表現するかという点などにも,著者の創作性が発揮
されることが多い。また,ノンフィクション作品においては,エピソー
ドを紹介する際に,そのエピソードの信憑性を読者に伝えるために,あ
るいは,読者の興味を惹くためにどのような資料を挙げるか(そもそも
資料を挙げるか否かという選択も含めて)という点にも創作性が発揮さ
れ得る。特に,原告書籍のような謎解き型のスタイルを使用した作品に
おいては,「必ずしも発見が容易ではない文献に辿り着き,意外な事実
が明らかになった」といった叙述の流れが,読者を作品に惹きつけるも
のであり,提示する資料の取捨選択にも創作性が発揮されるのである。
以下に述べるとおり,被告書籍には,原告書籍において創作性を有す
る記述部分と同一又は類似の表現をした記述部分があり,また,原告書
籍と被告書籍とは歴史的事実が共通するのみならず,表現方法,事実の
取捨選択,配列等の創作的部分において同一性又は類似性があり,しか
も,前記第2の1(5)アのとおり被告書籍は原告書籍に依拠して執筆され
たものであるから,被告書籍は,原告書籍を複製又は翻案したものであ
る。
したがって,被告Bが被告書籍を執筆し,これを被告講談社が出版物
として発行,販売した行為は,原告書籍記述部分についての原告の複製
権又は翻案権の侵害に当たる。
イ狭義の表現に関する複製又は翻案
原告書籍のうち,別紙対比表1の№10,19,23,35,36,
38,43,47,58,62,68,69,71,89,91の「物
語」欄の下線部分の各記述は,それぞれが表現上の創作性を有する著作
物であり,これに対応する「破天荒力」欄の下線部分の各記述は,上記
各原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性を有するから,上記各
原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たる。
(ア)№10について
原告書籍記述部分(下線部分。以下,別紙対比表1において同
じ。)は,仙之助が帰国したとき7頭だったはずの牛が「農務顛
末」(農業総合研究刊行会,昭和31年)では5頭となっていること
から,「2頭の牛」は「死んでしまったのだろうか」と推測したこと
は,原告独自の推測・意見であり,これを個性的に表現したものであ
る。
他方,被告書籍記述部分(下線部分。以下,別紙対比表1において
同じ。)においても「売却する前に二頭が死んでしまったからだろ
う。」と表現しており,原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似
性がある。
(イ)№19について
原告書籍記述部分において,「アイリー」,「ハーミテイジ」とい
う建物の愛称及びその響きに着目し,好意的に捉えたことは,原告独
自の感想であり,これを「「アイリー」に呼応するようチャーミング
な名前がついた。「ハーミテイジ」(隠者の庵)である。私はこの「
ハーミテイジ」という響きが大好きだった。」と個性的に表現したも
のである。
他方,被告書籍記述部分においても「アイリーにしろ,ハーミテイ
ジにしろ,なんとも素敵な響きではないか。」,「建物の愛称ひとつ
とっても洒落ている。」と表現しており,原告書籍記述部分と表現上
の同一性又は類似性がある。
(ウ)№23について
原告書籍記述部分において,電気や道路の整備といったインフラ整
備は,「もちろん」ホテルのためにも必要だったとしつつ,「だが」
と逆説でつないだ上で,箱根の近代化にも大きく寄与したと捉えたこ
とは,原告独自の感想であり,これを個性的に表現したものである。
他方,被告書籍記述部分においても,これらの事業が「もちろ
ん」「第一義的には富士屋ホテルの客や必要物資を運ぶためのもので
あったろう。」としつつ,「だが」と逆説でつなぎ,「この開削によ
ってどれだけ当時の住民の暮らしが便利になったことか。また,箱根
の開発がどれだけ進んだことか。」として,仙之助の事業が箱根全体
の近代化に寄与したことを強調しているのであり,その構成も含め
て,原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(エ)№35について
原告書籍記述部分において,「八十年史」の中にあった「富士屋ホ
テルは外国人の客を取るをもって目的とす。」,「自分は純粋なる外
国の金貨を輸入するにあり。」との仙之助の言葉を捉えて,「仙之助
はホテルという事業を,日本の外貨獲得のためと考えていたのであ
る。」と評価したことは,原告独自の意見であり,かつ,「外国の金
貨を輸入」との表現を,現代人に分かりやすく,かつ,インパクトの
ある言葉で伝えるため,「外貨獲得」という言葉を選択し,個性的に
表現したものである。
他方,被告書籍記述部分においても,「仙之助は,そもそも「外
貨」を獲得するためにホテル経営を志していたからである。」と表現
しており,原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(オ)№36について
原告書籍記述部分においては,「慶應義塾出身名流列傳」の中か
ら,仙之助が岩崎彌之助や古川市兵衛といった名士の宿泊まで謝絶し
たというエピソードを抜き出し,これに対して「ちょっと驚かされ
る。」とその一徹さを強調し,仙之助の,日本人は泊めないという経
営方針が驚くほどに強固であったことを独自の表現で伝えている。さ
らに,その理由として,「八十年史」から,仙之助が,外国人の金を
取ることを富士屋ホテルの目的としていた旨述べたという箇所を引用
し,その言葉から,仙之助は単なるホテル事業を超えて,外貨獲得と
いう日本の国益を視野に入れていたのだろうと解釈したことは,原告
独自の意見であり,これを「日本の外貨獲得」という個性的な表現で
表したものである。
他方,被告書籍記述部分では,上記と同様の視点から,「八十年
史」及び「慶應義塾出身名流列傳」という同じ文献を挙げ,しかも全
く同じ箇所を引用し,仙之助の決意の強固さ,「日本人を泊めない」
方針が「一徹」であったことを強調し,ホテルの利益を超えて,国益
のために外貨を稼ぐという経営哲学があった旨を述べており,文献の
紹介の順を逆にしてはいるものの,原告書籍記述部分と表現上の同一
性又は類似性は極めて高い。
(カ)№38について
原告書籍記述部分において,ホテル事業を「単なる商売」ではな
く,「“日本のために”やっている」,「“日本のために”自分は外
貨を稼ぐのだと。」と,国益のための外貨獲得と捉えたことは,原告
独自の意見であり,これを個性的に表現したものである。
他方,被告書籍記述部分においても,「単なる外国人向けの温泉
宿」に止まらず,「このホテルの創業には「国益」という壮大な目標
が隠されていた。」としており,「日本のために」を「国益」と言い
換えてはいるものの,構成も含めて,原告書籍記述部分と表現上の同
一性又は類似性がある。
(キ)№43について
原告書籍記述部分において,仙之助の慶應義塾入塾の時期を特定す
ることで,福澤諭吉が箱根道普請の提言を行った時期との関連性を導
き出した上で,仙之助による箱根開発が,福澤諭吉から影響を受けた
ものであると捉えたことは,原告独自の視点,推測であり,これを個
性的に表現したものである。
他方,被告書籍記述部分においても,仙之助の道路開削事業が,福
澤諭吉の提言に影響されたものである旨全く同様の推測を述べてお
り,原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(ク)№47について
a前段の下線部分について
原告書籍記述部分において,正造のそれまでの破天荒なエピソー
ドを受け,逆説を用いて当時の年齢を引き合いに出し,実際には寂
しかったであろうとその内面に目を向けたことは,原告独自の推測
であり,これを個性的に表現したものである。
他方,被告書籍記述部分においても,全く同様の流れで,同様の
推測を述べており,原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性
がある。
b後段の下線部分について
原告書籍記述部分において,上記aの推測を前提として,サンフ
ランシスコは日本からの船が出入りするという事実を指摘した上
で,そこから,正造がサンフランシスコは故郷への未練が募って良
くないと考えてロンドン行きを思い立ったと捉えたことは,原告独
自の推測であり,これを個性的に表現したものである。
他方,被告書籍記述部分においても,全く同様の事実を指摘した
上で,全く同様の推測を述べており,原告書籍記述部分と表現上の
同一性又は類似性がある。
(ケ)№58について
原告書籍記述部分において,仙之助の死後,代表取締役には兄の山
口修一郎(以下「修一郎」という。)が就任したにもかかわらず,以
後のホテル経営に正造の個性が色濃く反映されているという歴史的事
実から,以後をあえて「正造の時代」と称したことは,原告書籍の出
版前に発行された先行文献には記述のない原告独自の歴史認識であ
り,これを個性的に表現したものである。
他方,被告書籍記述部分においても,仙之助の引退,逝去により,
富士屋ホテルが「正造時代」を迎えたと捉えており,原告書籍記述部
分と表現上の同一性又は類似性がある。
(コ)№62について
原告書籍記述部分において,富士屋自動車株式会社設立のエピソー
ドを交えながら,自動車時代への移行をもって「箱根にも,モータリ
ゼーションの波が押し寄せ始めていた。」,「時代は確実に,モータ
リゼーションに対して追い風だった。」と捉えたことは,原告独自の
意見であり,これを個性的に表現したものである。
他方,被告書籍記述部分においても,全く同じ時期のエピソードを
引用しながら,「箱根はいよいよモータリゼーションの時代を迎える
ことになった」と表現しており,原告書籍記述部分と表現上の同一性
又は類似性がある。
(サ)№68について
原告は,先行文献に記載のない正造と孝子の離婚時期について,親
族であるが故に入手可能であった戸籍によってこれを特定した。その
結果,原告書籍記述部分において,震災後,金谷真一(以下「真一」
又は「眞一」という。)が正造に対し日光に帰ることを勧めた理由に
つき,正造と孝子の夫婦仲が悪くなっていたことを真一が察していた
からではないかとの考えに至ったのは,原告独自の推測であり,これ
を個性的に表現したものである。
他方,被告書籍記述部分においても,全く同様の推測を述べてお
り,原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(シ)№69について
原告書籍記述部分において,正造と孝子の離婚について,「男と女
として愛し合うことが出来なかった」以上,「どちらかが富士屋を去
らなければならなかった。」と表現したことは,原告独自の表現であ
る。
他方,被告書籍記述部分においても,「夫婦の絆が失われた」以
上,「どちらかが舞台を降りるしかない」と述べており,かつその「
舞台」とは,2行前の「「富士屋ホテル」という華やかな舞台」を指
していることから,「どちらかが富士屋を去らなければならない」と
実質的に同義であり,原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性
がある。
(ス)№71について
原告書籍記述部分において,単に正造が独身を貫いたという事実か
ら,広く正造の人となりや人生観を改めて捉え直す過程において,正
造が「ホテルと結婚した」と捉えたことは,原告独自の意見であり,
これを個性的に表現したものである。
他方,被告書籍記述部分においても,全く同じ事実をもって,正造
は「富士屋ホテルと結婚した」と表現しており,原告書籍記述部分と
表現上の同一性又は類似性がある。
(セ)№89について
原告書籍記述部分において,花御殿の設計について,その細部にま
で正造の意図が反映されたとの事実をもって,正造がホテル建築に夢
と理想を注ぎ込んだと捉えたことは,原告独自の意見であり,これを
個性的に表現したものである。
他方,被告書籍記述部分においても,「正造のアイデアを細部にま
で反映させた設計」,「正造がこの新館の建設に並々ならぬ情熱を注
ぎ込んでいた」と表現しており,原告書籍記述部分と表現上の同一性
又は類似性がある。
(ソ)№91について
「八十年史」を編纂した堅吉は,戦後,自身のプロジェクトとし
て,フォレストロッジ建て替えなどを行っており,花御殿の完成をも
って富士屋ホテルの完成とは全く捉えていない。他の先行文献にもそ
のような評価を下す記載は一切ないところ,原告書籍記述部分におい
て,「花御殿の完成=富士屋ホテルの完成」と捉えたことは,原告が
独自に思い至った評価であり,これを個性的に表現したものである。
他方,被告書籍記述部分も,同様に花御殿の完成をもって「このホ
テルは」「完成を見た」と述べており,原告書籍記述部分と表現上の
同一性又は類似性がある。
ウ事実の取捨選択等に関する複製又は翻案
前記アのとおり,ノンフィクション作品においては,エピソード,事
実,提示する資料・文献等の取捨選択,あるいは,これら資料などの引
用,要約の仕方においても創作性が発揮され得るのであり,このような
視点からみて,被告書籍は,原告書籍の複製又は翻案に当たる。
(ア)別紙対比表2について
別紙対比表2は,原告書籍及び被告書籍における一つのまとまりの
記述部分をX1ないしX21の標題を付して特定し,それぞれの記述
部分のうち特に共通する記述部分を「X1(同一箇所)」等の標題の
下に「№1」等の番号を付して対比したものである。なお,別紙対比
表1の各番号の記述部分は,別紙対比表2の当該番号の記述部分と同
一である。
そして,原告書籍のうち,別紙対比表2のX1ないしX21の「物
語」欄の各記述部分は,それぞれが表現上の創作性を有する著作物で
あり,これに対応する被告書籍の「破天荒力」欄の各記述部分は,上
記各原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たる。
aX1について
原告書籍記述部分は,仙之助の出生,幼少期等について記述する
ものであるが,その記述の流れをみると,まず,出生等について語
る上で重要な資料である戸籍を挙げ本籍地を示し,本籍地が実在せ
ず,出生について複数の説があるというミステリアスな事実を告げ
て冒頭から読者の興味を惹きつけ,実父の氏名・職業,仙之助が五
男であることを述べ,山口粂蔵の養子になったこと,養父の出身,
職業(横浜の繁栄に目をつけ横浜に出て,しかも遊郭を営んでいた
こと),養父が,「神風楼」を開業し,「伊勢楼」は姪に任せて自
分は「神風楼」の経営にあたったこと,当時,外国人の登楼が許さ
れていたのは「岩亀楼」のみであったが,養父の働きかけでどの店
でも外国人客が取れるようになったことなどが述べられており,ミ
ステリアスな出生についての謎,それまでタブーとされていた「仙
之助と遊廓とのつながり」にあえてスポットライトを当て,読者の
興味を惹きつけ,上記の流れで仙之助の幼少期について述べた点に
原告の創意工夫があり,創作性を有する。
他方,被告書籍記述部分においても,同様の事実が,同様な流れ
で述べられており,原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
もっとも,被告書籍記述部分には,原告書籍記述部分とは異なる記
述もあるが,冒頭の導入部分,当時のいわゆる「赤線」,横浜につ
いての一般的な事実等についての記述部分であり,本質的な部分に
おいては原告書籍記述部分と同一である。
bX2について
原告書籍記述部分においては,①「八十年史」にも一言しか記載
がない「牛」のエピソードについて,「富士屋ホテル創業の謎」と
いうテーマにおける謎解きの「鍵」と捉え,多くの紙面を割いたこ
と,②「農業顛末」という一般的ではない資料を提示し,読者の好
奇心を駆り立てつつ史実を明らかにしたこと,③売却代金,牛の頭
数等について詳細に述べたこと,④2頭の牛について死んだのかと
の推論を立て読者の興味を惹きつけようとしたこと,⑤当時の巡査
の初任給と比較して売却代金は現在では5千万円もの額になるとし
て,売却代金についての具体的なイメージを読者に伝えようとした
ことなどに原告の創意工夫があり,創作性を有する。
他方,被告書籍記述部分においても,上記のすべての点におい
て,原告書籍記述部分と共通しており,原告書籍記述部分と同一性
又は類似性がある。
cX3について
原告書籍記述部分は,ホテル創業に至るまでのエピソードについ
ての記述であるが,数ある事実の中から,①仙之助が買収した旅館
が「富士屋」ではなく「藤屋」であったこと,②「藤屋」が500
年の伝統を持つ温泉旅館であり,秀吉も泊まったと伝えられている
こと,③外国人を意識して「富士屋」に屋号を変えたことなど,読
者が興味を惹くエピソードを取り上げ,これらを表現した点に原告
の創意工夫があり,創作性を有する。
他方,被告書籍記述部分においても,途中異なるエピソードを挟
んではいるものの,上記の事実が同様の流れで述べられており,原
告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
dX4について
原告書籍記述部分においては,①明治16年(1883年)の富
士屋ホテルの大火,②仙之助が養父からの支援を受けるため,横浜
で忍従の日々を送ったこと,③養父からの融資を受けて翌年に復興
という流れで,大火にまつわるエピソードが述べられており,仙之
助に関する数あるエピソードの中からこれらのエピソードを選び,
上記の流れで記述した点に原告の創意工夫があり,創作性を有す
る。
他方,被告書籍記述部分におていも,同様のエピソードが,同様
の流れで述べられており,原告書籍記述部分と同一性又は類似性が
ある。
eX5について
原告書籍記述部分においては,富士屋ホテルの大火の後,明治1
7年から20年までの富士屋ホテルの増築及び建築された各建物の
呼び名やその特徴が述べられているが,仙之助の偉業を語るに当た
って,これらの事実に着目したことは原告独自の視点であり,創作
性を有する。すなわち,原告書籍記述部分においては,大火の後,
明治17年にアイリーの建設が行われたこと,アイリーの形状,装
飾,呼び名の由来,現在は従業員寮として利用されていることな
ど,続いて,明治18年に14室,食堂,バー,調理場などを備え
た数寄屋造りの日本建築の建物が建築されたこと,次に,明治19
年にハーミテイジが建築されたこと,さらに,明治20年に「別
荘」が建てられたこと(すなわち,年を追うごとに,次々と建築が
進んでいく様子)などが,アイリーやハーミテイジといった名前が
チャーミングであるとの独自の感想を交えながら述べられ,読者の
興味を惹きつけようとした点に原告の創意工夫があり,創作性を有
する。
他方,被告書籍記述部分においても,上記と同じ事実が,同じ順
序で述べられ,しかも,アイリー,ハーミテイジといった呼び名に
ついて,「何ともすてきな響きではないか」などと原告書籍記述部
分と同様の感想が述べられるなど,原告書籍記述部分との同一性又
は類似性は極めて高い。
fX6について
原告書籍記述部分においては,仙之助が,自分のホテルのことだ
けではなく,箱根の近代化まで視野に入れて事業を展開していたと
いう独自の評価を設定し,その例として,道路開削と発電という2
つのインフラ整備の問題を選択し,それらに関する事実が述べられ
ている点に原告の創意工夫があり,創作性を有する。
他方,被告書籍記述部分においても,上記と共通した「評価」
と「選択」をしており,その記載内容も原告書籍記述部分の記載と
ほぼ同一であって,原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
gX7について
原告書籍記述部分においては,仙之助が,自分のホテルのことだ
けではなく,箱根の近代化まで視野に入れて事業を展開していたと
いう独自の評価を設定し,その例として,仙之助の数ある偉業の中
から,道路開削と発電という2つのインフラ整備の問題を選択し,
そのような偉業を伝える上で効果的と考えられる史実(コストを考
え,火力発電ではなく水力発電に着手したこと,明治37年に水利
権を確保し,水力発電の合資会社を設立したこと,それにより宮城
野,仙石の各村にも電灯がともったことなど)が述べられている点
及び仙之助が「大きな視点」でホテル事業を捉えていたとの評価の
下,その例として,大日本ホテル同盟会の設立というエピソードを
選択し,これを記述した点に原告独自の創意工夫があり,創作性を
有する。
他方,被告書籍記述部分においても,仙之助が大きな視野でホテ
ル事業を捉えていたとの原告書籍記述部分と同様の視点の下,一部
順序の入れ替えはあるものの,原告書籍記述部分に挙げられた事
実,エピソード等が同様に述べられており,原告書籍記述部分と同
一性又は類似性がある。
hX8について
原告書籍記述部分においては,「国益のために外貨を稼ぐ」とい
う仙之助の隠れた創業の目的にスポットを当て,奈良屋との競争と
ユニークな契約というテーマを取り上げ,これに関する各史実が述
べられている点に原告の独自性があり,創作性を有する。
他方,被告書籍記述部分においても,原告書籍記述部分に挙げら
れた史実とほぼ同じ内容のものが,ほぼ同じ流れで述べられてお
り,原告書籍記述部分との同一性又は類似性は極めて顕著である。
iX9について
原告書籍記述部分においては,仙之助が,自分のホテルの利益を
超えて,「外貨獲得」という「国益」を視野に入れていたという独
自の視点から,「八十年史」及び「慶應義塾出身名流列傳」の記述
を引用し,仙之助の経営哲学や日本人を泊めなかったといったユニ
ークなエピソードが述べられている点に原告の独自性があり,創作
性を有する。
他方,被告書籍記述部分においても,上記と同様の視点から,「
八十年史」及び「慶應義塾出身名流列傳」という同じ文献を挙げ,
しかも全く同じ箇所を引用し,仙之助の経営哲学や日本人を泊めな
かったといったエピソードが述べられており,文献の紹介の順を逆
にしてはいるものの,原告書籍記述部分との同一性又は類似性は極
めて高い。
jX10について
原告書籍記述部分においては,「慶應義塾出身名流列傳」の一節
を引用した上で,福澤諭吉と仙之助,仙之助の箱根におけるホテル
創業のエピソードへと結びつける展開により,読者の関心を惹きつ
けようとした点に原告の創意工夫があり,創作性を有する。
他方,被告書籍記述部分においても,同一の文献の全く同じ箇所
を引用するという方法で,同様のエピソードが展開されており,原
告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
kX11について
福澤諭吉と箱根のつながりについては,諭吉や箱根の研究者の間
では既に語られていたが,「足柄新聞」のエピソード(明治6年)
は,富士屋ホテル創業前であるため,諭吉と富士屋ホテルが関連づ
けて語られることはなかった。この点,原告は,仙之助が「明治7
年」に慶応義塾に入学したことを独自の調査により突き止めたこと
で,「足柄新聞」に関連する一連の時期と,仙之助が慶応義塾で諭
吉に学んだ時期が重なっていることを発見し,その発見から,ホテ
ル創業の地として仙之助が箱根を選んだ理由に対する答えとして,
背景に諭吉の存在があったという独自の推論を打ち立てたものであ
る。
原告書籍記述部分においては,上記のような原告独自の推論とそ
れに行き着くためのエピソードが述べられている点に原告の独自性
があり,創作性を有する。
他方,被告書籍記述部分は,この独自の推論,当該推論に行き着
くために選択されたエピソードがことごとく原告書籍記述部分と一
致しており,原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
lX12について
「X12(同一箇所)」の№44の原告書籍記述部分において
は,正造が留学を思い立った動機について,病気,休学のエピソー
ドが挙げられているが,これは,このエピソードにこそ,正造の性
格がよく表れており興味深いと考えられたことから,取り上げられ
たものであり,この点に,№44の原告書籍記述部分における原告
の独自性があり,創作性を有する。
また,№45,№46の原告書籍記述部分についても,「懐想
録」(乙3)の2ないし6頁に記載された数あるエピソードのう
ち,正造を描く上で興味深く,的確と思われるものとして,以下の
ようなエピソードを取捨選択し,以下のような流れで記述した点に
原告の創意工夫があり,創作性を有する。
①父の猛反対
②決意の固さに父が折れる。
③600円の渡航費用を与える。
④昭和32年に出発
⑤昭和33年サンフランシスコに到着
⑥船賃を払えば残金80円
⑦サンフランシスコのホテルは一泊4ドルで泊まれない。
⑧下男募集の広告を見てドイツ人の家で給仕
⑨女主人に皿を投げつけるという失敗をやらかしてクビになる。
他方,№44ないし№46の被告書籍記述部分においても,以上
の各エピソードの選択及び記述の流れが,原告書籍記述部分とほぼ
共通しており,原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
mX13について
原告書籍記述部分においては,正造を描くに当たって,「懐想
録」(乙3)の7ないし17頁に記載された数あるエピソードの中
から,以下のようなエピソードを取捨選択し,以下のような流れで
記述した点に原告の独自性があり,創作性を有する。
①正造はまだ若いので故郷が恋しい。
②日本からの船が出入りするサンフランシスコは未練が残って良
くない。
③ロンドン行きを決意
④しかし金がない。
⑤金谷の客目当てにバンクーバーへ
⑥バンクーバーで英語教師
⑦英語力は生徒と変わらないのに何とか務めた。
⑧カークウッドとの再会
⑨病人の付添人として乗船。但し「英国上陸後は責任なし」との
条件付き。
他方,被告書籍記述部分においても,以上の各エピソードの選択
及び記述の流れが,原告書籍記述部分とほぼ共通しており,原告書
籍記述部分と同一性又は類似性がある。
nX14について
原告書籍記述部分においては,正造を描くに当たって,「懐想
録」(乙3)の18ないし49頁に記載された数あるエピソードの
中から,以下のようなエピソードを取捨選択し,以下のような流れ
で記述した点に原告の独自性があり,創作性を有する。
①ロンドンで日本大使館へ駆け込む。
②最初は断られるがあきらめずに大使と直談判
③ボーイとして採用
④2年後に大使帰国で失職
⑤二人の柔道家との出会い
⑥ロバート・ライトの柔道場で柔道を教えると同時に興行
⑦ライトのあくどさに気づき,独立
⑧マネージャーと実演
⑨当時の異国ではまだ柔道は珍しかったので技術がなくとも何と
かなった。
⑩3人は有名になる。
⑪ロンドン警察,オックスフォード大,ケンブリッジ大で教える
ようになる。
⑫自前の柔道学校開校
⑬渡米から5年,22歳の時には,11室の豪邸,6人の使用人
を雇うまでに成功する。
他方,被告書籍記述部分においても,以上の各エピソードの選択
及び記述の流れが,原告書籍記述部分とほぼ共通しており,原告書
籍記述部分と同一性又は類似性がある。
なお,「懐想録」(乙3)の30頁1行目には,「漂流轉々六年
・・・」とあり,原告書籍記述部分において「渡米から五年」と記
載したことは誤りであるが,被告書籍記述部分においても,「日本
を離れて五年」と全く同じ誤りが認められる。また,正造と二人の
柔道家との出会いについて,被告書籍記述部分では,「職を求めて
さまよっていた街中で,谷と三宅という二人の柔道家と知り合い」
とあるが,「懐想録」には「谷及び三宅の兩柔術手を訪問した」と
あり,街中で出会ったことにはなっていない。これは,原告書籍記
述部分にある「二人の柔道家との出会いが彼の運命を大きく変え
た」の「出会い」という記述に,被告が引きずられたものと思われ
る。これらのことからも,被告書籍記述部分が原告書籍記述部分を
模倣して作成されたことが強く推認される。
oX15について
原告書籍記述部分においては,正造がロシア人拳闘家アポロと闘
ったエピソードが挙げられているが,これは,原告が様々な資料に
当たるなどして調査した結果行き当たったこのエピソードに,正造
の破天荒ぶりがよく表れていて興味深いと考えたことから,取り上
げたものであり,この点に原告の独自性があり,創作性を有する。
他方,被告書籍記述部分においても,上記と同様のエピソードが
述べられており,原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
pX16について
原告書籍記述部分においては,正造の成し遂げた数ある偉業の中
で,ホイットニーの書簡をきっかけに富士屋自動車株式会社を設立
したことや同社にまつわる各エピソードを取捨選択した点及び正造
による同社設立のエピソードに関連して「箱根にモータリゼーショ
ンの時代が来た」との表現をした点に原告の独自性があり,創作性
を有する。
他方,被告書籍記述部分においても,上記のエピソードの選択及
び表現が共通しており,原告書籍記述部分と同一性又は類似性があ
る。
qX17について
原告書籍記述部分においては,関東大震災に関する数あるエピソ
ードの中から,以下の一連のエピソードを取捨選択し,以下のよう
な流れで記述した点に原告の独自性があり,創作性を有する。
①「はふや」買収
②木造四階建ての建物竣工
③夏のシーズン,経営順調
④しかし,震災発生
⑤箱根ホテルは全壊し,富士屋ホテルも平屋の日本館が倒壊
⑥富士屋自動車のハイヤーは灰と化した。
⑦宿泊客の安全確保
他方,被告書籍記述部分においても,以上の各エピソードの選択
及び記述の流れが,原告書籍記述部分とほぼ共通しており,原告書
籍記述部分と同一性又は類似性がある。
rX18について
原告書籍記述部分においては,震災,離婚,人材育成,トレーニ
ングスクール設立というストーリー展開及び以下のようなエピソー
ドの選択と記述の流れにおいて,読者を惹きつけるための原告の独
自性があり,創作性を有する。
①震災を受けて故郷に戻ってはどうかとの兄の助言に首を縦に振
らなかった正造
②実は,兄は正造夫婦の不仲を察して助言したのかも知れない。
③正造の妻孝子のエピソード(語学堪能,社交的。でも優し
い。)
④二人は似合いの夫婦に見えたが内情は違った。
⑤どちらかが富士屋を去らなければならなかった。
⑥離婚し,孝子が去った。
⑦孝子は再婚したが,正造は独身を貫いた。
⑧正造は,「富士屋ホテルと結婚した」と言える。
⑨正造には,子どももなかった。
⑩かわりにホテルのための人材育成に力を注いだ。
⑪トレーニングスクール開設
⑫昭和5年当時,旅館業界に経営法を教える教育機関がほしいと
の声が高まっていたが,そのような機関は皆無であった。
⑬そのような要望により発足したトレーニングスクール
⑭講師には各部署の主任があたった。
⑮各修行科目
⑯これら13科目のうち,6科目以上を修め,修業年限3年を終
えた者に卒業証書
⑰第1回卒業生を送り出したのは昭和8年
⑱約10年でいったん役目を終えたが,その後再開
⑲正造の一周忌を記念して集めた寄付金を基に,立教大学に観光
学科設立
他方,被告書籍記述部分においても,以上の各エピソードの選択
及び記述の流れが,原告書籍記述部分とほぼ共通しており,原告書
籍記述部分と同一性又は類似性がある。
sX19について
原告は,幼少の頃より,一族の人間や古い時代を知る関係者か
ら,正造が「髭」,「お髭さん」,「髭旦那」と呼ばれていたこと
を何度も耳にする中で,「髭」が正造の代名詞でありアイデンティ
ティーであると感じ取っていた。そこで,原告は,正造の「髭」に
まつわるエピソードを熱く語りたいとの独自の視点から,「懐想
録」以外の資料にも当たって,これらのエピソードを抜き出し,原
告書籍記述部分において記述したものである。また,原告書籍記述
部分においては,正造にまつわる数あるエピソードの中から,万国
髭倶楽部の創立という史実を選択し,これに関連する各史実を取り
上げ,これらエピソードの締めくくりに,現在富士屋ホテル本館の
廊下に掲げられた写真を紹介するというストーリー展開をしてお
り,これらの点に原告の独自性があり,創作性を有する。
他方,被告書籍記述部分においても,正造の「髭」にまつわるエ
ピソードの選択及び記述の流れが,原告書籍記述部分とほぼ共通し
ており,原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
tX20について
原告書籍記述部分においては,正造に関する数多くのエピソード
の中から,「WeJapanese」と題する冊子についてのエピソード
を,「海外への日本のPR」という広い視野を正造が持っていたこ
とを示す興味深いエピソードであるとの考えから選択した点及び正
造が外国人客との交流の中で「WeJapanese」の原点となる献立表裏
の解説文を思い立ったという経緯から始まって,最終的には,これ
が本として発刊されたものの,第三巻は空襲で原稿が失われたこと
を述べ,更に「WeJapanese」で紹介された項目を例示列挙するとい
う流れで記述した点において,原告の独自性があり,創作性を有す
る。
他方,被告書籍記述部分においても,「WeJapanese」に関するエ
ピソードの選択及び記述の流れが原告書籍記述部分とほぼ共通して
おり,原告書籍記述部分との同一性又は類似性がある。
uX21について
原告書籍記述部分においては,「花御殿」と呼ばれる富士屋ホテ
ルの新館が建設されたエピソードを紹介するに際して,①「花御
殿」について,正造の意図がその設計の細部にまで反映されている
ことから,正造のホテル建築に対する夢と理想が注ぎ込まれた作品
であると評価している点,②「花御殿」建設(昭和11年)後も,
富士屋ホテルでは様々な立て替えや改装があったにもかかわらず,
花御殿の完成をもって,「富士屋ホテルが完成した」との独自の評
価をしている点,③花御殿の特徴として,すべての客室には客室番
号の代わりに花の名前が付けられていたこと,客室のドアにはその
花の絵が飾られていたこと,同じ花の絵が描かれた巨大な木製のキ
ーホルダーが使われていたこと,客室の絨毯にもその花が織り込ま
れていたことの4点を紹介している点において,原告の独自性があ
り,創作性を有する。
他方,被告書籍記述部分においても,一部順序が変えられている
ものの,上記で述べたすべての点が原告書籍記述部分と共通してお
り,原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
(イ)別紙対比表3について
別紙対比表3は,原告書籍及び被告書籍における一つのまとまりの
記述部分をY1ないしY5の標題を付して特定し,対比したものであ
る。なお,Y1ないしY5の各記述部分は,別紙対比表2のX1ない
しX21の各記述部分よりも広範囲なまとまりとなっており,Y1な
いしY5の各記述部分がX1ないしX21の各記述部分のうちの複数
をそれぞれ包含する関係にある。
そして,原告書籍のうち,別紙対比表3のY1ないしY5の「物
語」欄の各記述部分は,それぞれが表現上の創作性を有する著作物で
あり,これに対応する被告書籍の「破天荒力」欄の各記述部分は,上
記各原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たる。
aY1について
原告書籍記述部分は,「Ⅰ箱根山に王国を築く−仙之助」の章
にある「日本人を泊めないホテル」との見出しに係る記述の主要部
分(甲2の72頁冒頭∼83頁3行)であり,被告書籍記述部分
は,「第一章チャンスは非常識にあり−山口仙之助」の章にあ
る「富士屋vs.奈良屋の外国人客争奪戦」,「国益,外貨獲得のため
のホテル業!?」,「「日本人の客は来てもらはずともよい」」と
の見出しに係る記述の全部(甲1の48頁2行∼55頁4行)であ
る。
そして,原告書籍記述部分は,別紙対比表2のX8及びX9,別
紙対比表1の№35の各原告書籍記述部分を含むものであるが,前
記(ア)h,i,イ(エ)のとおり上記各原告書籍記述部分が創作性を
有し,それぞれに対応する各被告書籍記述部分は各原告書籍記述部
分と同一性又は類似性がある。
したがって,Y1というより広い範囲の記述部分のまとまりにお
いても,原告書籍記述部分が創作性を有し,被告書籍記述部分が原
告書籍記述部分と同一性又は類似性があることは明らかである。
bY2について
原告書籍記述部分は,「Ⅰ箱根山に王国を築く−仙之助」の章
にある「新天地」との見出しに係る記述の一部(甲2の46頁5行
∼50頁1行)であり,Y2の被告書籍記述部分は,「第二章実
学のススメ−福沢諭吉」の章にある「学問は実学であるべし−」及
び「箱根の道路開削をしかけろ!」との見出しに係る記述の全部(
甲1の77頁2行∼81頁末行)である。
そして,原告書籍記述部分は,別紙対比表2のX10及びX11
の各原告書籍記述部分を含むものであるが,前記(ア)j,kのとお
り上記各原告書籍記述部分が創作性を有し,それぞれに対応する各
被告書籍記述部分は各原告書籍記述部分と同一性又は類似性があ
る。
したがって,Y2というより広い範囲の記述部分のまとまりにお
いても,原告書籍記述部分が創作性を有し,被告書籍記述部分が原
告書籍記述部分と同一性又は類似性があることは明らかである。
cY3について
原告書籍記述部分は,「Ⅱ繁栄と大脱線−正造」の章にある「
放浪」との見出しに係る記述の全部と「花と自動車」との見出しに
係る記述の一部(甲2の114頁冒頭∼126頁2行)であり,Y
3の被告書籍記述部分は,「第六章「奇妙人」のおもしろがる精
神−山口正造」の章にある「無鉄砲な一七歳,海を渡る」,「幸運
の女神に導かれてイギリスへ」,「ロンドンで『柔道家』として成
功」及び「帰国,“山口正造”時代の幕開き」との見出しに係る記
述の全部(甲1の196頁冒頭∼204頁末行)である。
まず,原告書籍記述部分は,別紙対比表2のX12ないしX1
5,別紙対比表1の№58の各原告書籍記述部分を含むものである
が,前記(ア)lないしo,イ(ケ)のとおり上記各原告書籍記述部分
が創作性を有し,それぞれに対応する各被告書籍記述部分は各原告
書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
次に,別紙対比表3のY3の№54ないし№57の番号を付した
記述部分(ただし,下線部分)のうち,№54の原告書籍記述部分
においては,仙之助の長男修一郎について,「趣味人でホテル経営
に関心がない」旨の原告独自の人物評価に基づき,長男であった修
一郎ではなく,正造が経営の実権を握ることになったというエピソ
ードを伝えている点に原告の独自性があり,創作性を有する。ま
た,№55ないし№57の原告書籍記述部分においても,膨大な正
造についてのエピソードの中で,特に目立たないエピソードではあ
るが,正造を描く上で効果的と思われるものを取捨選択し,正造が
労働者階級と上流階級のイギリス英語を操り,英語と米語の違いも
心得ていたこと(№55),明治40年,結婚と同時に富士屋ホテ
ルの取締役に就任したこと(№56),いつも「H.S.K.YAMA
GUCHI」とサインしていたこと,Sは正造,Kは旧姓の金谷,
そしてHは,彼の愛称だったヘンリーのイニシャルであったこと(
№57)を述べている点に原告の独自性があり,創作性を有する。
他方,№54ないし№57の被告書籍記述部分においても,全く
同じエピソードが述べられており,原告書籍記述部分と同一性又は
類似性がある。
したがって,Y3というより広い範囲の記述部分のまとまりにお
いても,原告書籍記述部分が創作性を有し,被告書籍記述部分が原
告書籍記述部分と同一性又は類似性があることは明らかである。
dY4について
原告書籍記述部分は,「Ⅱ繁栄と大脱線−正造」の章にある「
孤独」との見出しに係る記述の一部(甲2の147頁冒頭∼153
頁14行)であり,被告書籍記述部分は,「第六章「奇妙人」の
おもしろがる精神−山口正造」の章にある「関東大震災で倒壊,二
代目の負けじ魂」,「富士屋ホテルと結婚した男」及び「人材育成
でもホテル業界をリード」との見出しに係る記述の全部(甲1の2
15頁2行目∼221頁2行)である。
そして,原告書籍記述部分は,別紙対比表2のX17及びX18
の各原告書籍記述部分を含むものであるが,前記(ア)q,rのとお
り上記各原告書籍記述部分が創作性を有し,それぞれに対応する各
被告書籍記述部分は各原告書籍記述部分と同一性又は類似性があ
る。
したがって,Y4というより広い範囲の記述部分のまとまりにお
いても,原告書籍記述部分が創作性を有し,被告書籍記述部分が原
告書籍記述部分と同一性又は類似性があることは明らかである。
eY5について
原告書籍記述部分は,「Ⅱ繁栄と大脱線−正造」の章にある「
万国髭倶楽部」との見出しに係る記述の一部(甲2の157頁冒頭
∼163頁7行)であり,被告書籍記述部分は,「第六章「奇妙
人」のおもしろがる精神−山口正造」の章にある「「萬国髭倶楽
部」の創設」との見出しに係る記述の全部及び「日本文化を紹介す
る『WeJapanese』刊行」との見出しに係る記述の一部(甲1の22
1頁3行∼226頁9行)である。
そして,原告書籍記述部分は,別紙対比表2のX19及びX20
の各原告書籍記述部分を含むものであるが,前記(ア)s,tのとお
り上記各原告書籍記述部分が創作性を有し,それぞれに対応する各
被告書籍記述部分は各原告書籍記述部分と同一性又は類似性があ
る。
したがって,Y5というより広い範囲の記述部分のまとまりにお
いても,原告書籍記述部分が創作性を有し,被告書籍記述部分が原
告書籍記述部分と同一性又は類似性があることは明らかである。
(エ)仙之助及び正造を主人公とした章全体について
a仙之助を主人公とした章全体について
原告書籍の「Ⅰ箱根山に王国を築く−仙之助」の章全体(甲2
の13頁∼101頁)の記述部分と被告書籍の「第一章チャンス
は非常識にあり−山口仙之助」の章全体(甲1の27頁∼62頁)
の記述部分は,いずれも仙之助を主人公とした記述部分であるとこ
ろ,被告書籍記述部分をみると,「「遊郭の養子」からの出発」と
の見出しから「「日本人の客は来てもらわずともよい」」との見出
しにかけて(甲1の29頁∼55頁)の広範囲にわたる記述におい
て,原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある箇所が多数存在す
る(別紙対比表1の№10,19,23,35,36,38,別紙
対比表2のX1ないしX9,別紙対比表3のY1)。
このほか,被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とには,別紙対
比表4のW1ないしW3のとおり,記載が同一又は類似する箇所が
ある(別紙対比表5は,上段に原告書籍の記述部分,下段に被告書
籍の記述部分を示したものであり,枠で囲んだ上で「№5」などの
同一の番号を付した部分が,両者の記述が同一又は類似する箇所で
ある。)。
加えて,原告書籍記述部分は,多数ある仙之助に関するエピソー
ドの中からわずかのもの(「八十年史」に記載されているエピソー
ドのうち19%)を取捨選択したものであるにもかかわらず,その
うちの大半のエピソードが被告書籍記述部分においても取り上げら
れていること,被告書籍記述部分においてのみ取り上げられている
エピソードはほとんどないこと(「八十年史」に記載されているエ
ピソードのうち1%)からすれば,被告書籍記述部分が,原告書籍
記述部分に大きく依拠し,原告書籍記述部分における事実等の取捨
選択の独自性・創意工夫を盗用していることは明らかである。
以上の諸点にかんがみれば,被告書籍記述部分は,原告書籍記述
部分を要約・修正・増減したり,順序を変えるなどして,変形して
制作された作品であり,原告書籍記述部分を翻案したものである。
b正造を主人公とした章全体について
原告書籍の「Ⅱ繁栄と大脱線−正造」の章全体(甲2の103
頁∼181頁)の記述部分と被告書籍の「第六章「奇妙人」のお
もしろがる精神−山口正造」の章全体(甲1の195頁∼236
頁)の記述部分は,いずれも正造を主人公とした記述部分であると
ころ,被告書籍記述部分をみると,「無鉄砲な一七歳,海を渡る」
との見出しから「モータリゼーションの時代へ」との見出しにかけ
て(甲1の196頁∼206頁),「関東大震災で倒壊,二代目の
負けじ魂」との見出しから「日本文化を紹介する『WeJapanese』刊
行」との見出しにかけて(甲1の215頁∼228頁)及び「正造
の最後の作品「花御殿」」との見出しの広範囲にわたる記述におい
て,原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある箇所が多数存在す
る(別紙対比表1の№47,58,62,68,69,71,89
及び91,別紙対比表2のX12ないしX21,別紙対比表3のY
3ないしY5)。
このほか,被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とには,別紙対
比表4のW4,W5のとおり,記載が同一又は類似する箇所があ
る。
加えて,原告書籍記述部分は,多数ある正造に関するエピソード
の中からわずかのもの(「八十年史」に記載されているエピソード
のうち8%)を取捨選択したものであるにもかかわらず,そのうち
の大半のエピソードが被告書籍記述部分においても取り上げられて
いること,被告書籍記述部分においてのみ取り上げられているエピ
ソードはほとんどないこと(「八十年史」に記載されているエピソ
ードのうち0.31%)からすれば,被告書籍記述部分が,原告書
籍記述部分に大きく依拠し,原告書籍記述部分における事実等の取
捨選択の独自性・創意工夫を盗用していることは明らかである。
以上の諸点にかんがみれば,被告書籍記述部分は,原告書籍記述
部分を要約・修正・増減したり,順序を変えるなどして,変形して
制作された作品であり,原告書籍記述部分を翻案したものである。
(2)被告らの主張
ア歴史的事実を基礎とする著作物についての著作権侵害の判断基準
被告書籍及び原告書籍は,いずれも正造,仙之助という富士屋ホテル
の経営に携わり,地域の発展に尽くした歴史上の人物に関する歴史的事
実を基礎とする著作物である。このような歴史的事実を基礎とする著作
物において,歴史的事実そのもの,エピソードの取捨選択,すなわち,
歴史的事実を取り上げたこと自体により著作権侵害となることはあり得
ない。なぜなら,「歴史的事実」そのもの,「エピソード」そのもの
は,最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号83
7頁(「江差追分事件最高裁判決」)が指摘するように「事実若しくは
事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分」にす
ぎないものであって,本来,何人にも独占させるべきではない,公有に
帰すべきものであるからである。著作物が「事実を発掘した」先人の「
汗」の上に成り立っている場合であっても,かかる「汗」の成果であ
る「歴史的事実」そのものについては,速やかに公有に帰するのであ
り,一定期間,著作権法により保護されるのは,歴史的事実に関する「
思想又は感情の創作的な表現」部分のみである。
そして,以下に述べるように,原告書籍及び被告書籍の別紙対比表1
ないし3において共通するのは,「事実」のみであり,「思想又は感情
の創作的な表現」において表現上の本質的特徴の同一性はない。
また,エピソードの取捨選択の創作性をいう原告の主張は,「歴史的
事実に関する記述」から,極めて抽象的な「エピソード」を抽出し,か
かる極めて抽象的な「エピソード」の取捨選択が共通しただけで,「エ
ピソード」を具体的にどのように表現したとしても創作的表現として類
似し,著作権侵害に当たるというものにほかならず,その主張自体失当
である。原告は,エピソードの取捨選択のほかに,原告書籍と被告書籍
は,「表現方法」,事実の「配列」の創作的部分において同一性又は類
似性がある旨主張するが,原告書籍と被告書籍は,極めて抽象的なエピ
ソードが共通する以外に,「表現方法」においてどこが共通する創作的
表現であるというのか,その具体的摘示はほぼ皆無といわざるを得な
い。ことに,「配列」については,歴史的事実を抽象化した「エピソー
ド」レベルである以上,基本的に時系列に沿って述べている限り,創作
性が認められるはずもなく,また,エピソードレベルで多少の前後があ
っても,そのことだけで創作性が生じるはずもない。まして,原告書籍
及び被告書籍は,いずれも単なるエピソード集ではなく,それぞれが独
自の視点をもち,それぞれの具体的な創作的表現部分により著作物とな
っているものであり,抽象的なエピソードの選択や配列により著作物と
なっているのではない。
したがって,被告書籍は原告書籍を複製又は翻案したものとはいえな
いから,被告らの行為が複製権又は翻案権の侵害に当たるとの原告の主
張は,理由がない。
イ狭義の表現に関する複製又は翻案の主張に対し
以下に述べるとおり,別紙対比表1における原告書籍記述部分と被告
書籍記述部分とを対比しても,両者において共通する箇所は,表現上の
創作性がなく,著作物性を有しない部分にすぎず,両者の間に表現上の
同一性又は類似性は存在しない。
したがって,被告書籍記述部分は原告書籍記述部分の複製又は翻案に
当たるとの原告の主張は,理由がない。
(ア)No.10について
原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは,事実のみ
であり,表現の類似は皆無である。
原告は,仙之助が帰国した時の牛が7頭であるのに対して,売却し
た牛が5頭であることから,残りの2頭については死んでしまったの
であろうと述べている点について指摘するが,7頭が5頭になったと
きに,残りの2頭について当時の事情からして死んだのだろうと推測
することは当然であるし,「推測」それ自体に著作物性が認められる
ものでもない。
(イ)No.19について
原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語,それ
も客観的事実を示すべく使用されている固有名詞にすぎず,表現の共
通性は皆無である。また,その客観的事実については,先行文献に記
載がある。
(ウ)No.23について
原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語,それ
も客観的事実を示すべく使用されている固有名詞にすぎず,表現の共
通性は皆無である。また,その客観的事実については,先行文献に記
載がある。
原告は,「もちろん」,「だが」とつなぐ文章構成それ自体が表現
であるかのごとき主張をしているが,表現であるはずもなく,失当で
ある。
(エ)No.35,36について
原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語,それ
も客観的事実を示すべく使用されている固有名詞にすぎず,表現の共
通性は皆無である。また,その客観的事実については,先行文献に記
載がある。
原告は,「八十年史」に記載された「富士屋ホテルは外国人の客を
取るをもって目的とす。」,「自分は純粋なる外国の金貨を輸入する
にあり。」との仙之助の言葉を捉えて,「仙之助はホテルという事業
を,日本の外貨獲得のためと考えていたのである。」と評価したこと
は,原告独自の意見であると主張するが,「八十年史」の記述をみれ
ば,仙之助がホテル経営により「外貨獲得」を目的としていたことを
読み取るのが通常であり,原告独自の意見とはいえない。
(オ)No.38について
原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通する語はほとんどな
く,一部,類似する見解が表明されているにすぎず,表現上の類似は
皆無である。
(カ)No.43について
原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで,表現の類似は皆無であ
る。
仙之助の道路開削事業が福沢諭吉の影響,後押しによるとの見解に
ついて共通する部分があるとしても,道路の開削が福沢諭吉の提言に
よるものであることは,先行文献にも記載されているところであり,
そのような見解を原告が独占できるものではない。
(キ)No.47について
原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語,それ
も客観的事実を示すべく使用されている名詞,固有名詞にすぎず,表
現の共通性は皆無である。
また,原告は,仙之助が,サンフランシスコは日本への未練が残っ
て良くないと考えてロンドン行きを思い立ったという原告書籍記述部
分の記述は,原告独自の推測であり,個性的な表現であるなどと主張
する。しかし,先行文献である「懐想録」(乙3の7頁2行∼9行)
には,仙之助が「極度の恋郷病」にかかるも,父親から帰国を許され
ずに「石に齧り付いても帰へるまい」と決心し,「桑港は日本内地か
ら郵船の出入りが余り頻繁なので,此処に止まらず,寧ろどうにかし
て英国に行きたいと考へた」ことが記述されており,この記述から,
仙之助が,弱気を払うために,日本に帰れないようにもっと遠くに行
きたいと考えたと理解するのは通常であり,原告書籍記述部分の上記
記述が原告独自の推測とはいえない。
(ク)No.58について
原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語,それ
も客観的事実を示すべく使用されている名詞,固有名詞にすぎず,表
現の共通性は皆無である。
原告は,仙之助の死後,代表取締役には兄の修一郎が就任したにも
かかわらず,以後のホテル経営に正造の個性が色濃く反映されている
という歴史的事実から,以後をあえて「正造の時代」と称したこと
は,先行文献には記述のない原告独自の歴史認識であり,これを個性
的に表現したものであると主張するが,修一郎が「名目上」の社長
で,正造が「実質的な二代目経営者」であることは,先行文献にも明
記されている事実であり,「正造時代」という語も,原告書籍の参考
文献でもある「富士屋ホテルの建築」に記述されているところである
から,原告独自の歴史認識であるとも,これを個性的に表現したもの
であるともいえない。
(ケ)No.62について
原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは,「モータ
リゼーション」という単語にすぎず,表現の共通性は皆無である。
(コ)No.68について
原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語,それ
も客観的事実を示すべく使用されている名詞,固有名詞にすぎず,表
現の共通性は皆無である。
原告は,真一が正造に対し日光に帰ることを勧めた理由につき,正
造と孝子の夫婦仲が悪くなっていたことを真一が察していたからでは
ないかとの考えに至ったのは,原告独自の推測であり,これを個性的
に表現したものであると主張するが,正造と孝子との結婚生活が早い
段階で実質的に破綻していたことは,先行文献の記載から明白であ
り,現に,真一が正造に日光に帰ることを勧めた2年半後に正造と孝
子は正式に離婚しているのであるから,正造と仲のよい兄弟であった
真一が,正造と孝子の不和に感づいていたと考えることは自然であ
り,原告独自の推測とはいえない。
(サ)No.69について
原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語,それ
も客観的事実を示すべく使用されている名詞,固有名詞にすぎず,表
現の共通性は皆無である。
原告書籍記述部分は,「どちらかが富士屋を去らなければならな
い」という事実をそのまま記載したにすぎないのに対して,被告書籍
記述部分は,富士屋ホテルを「華やかな舞台」に見立てて,「舞台を
降りる」という独自の比喩表現を用いているのであり,表現が異な
る。述べている内容が「実質同一」であることは「狭義の表現」の同
一とは異なるものである。
(シ)No.71について
原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語,それ
も客観的事実を示すべく使用されている名詞,固有名詞にすぎず,表
現の共通性は皆無である。
原告は,「富士屋ホテルと結婚した」との記述が,原告独自の意見
であり,個性的表現であるなどと主張するが,「∼と結婚したような
もの」という表現は,何かに一心不乱に打ち込む状態を表すありきた
りな言い回しにすぎず,原告による個性的表現とはいえない。
(ス)No.89について
原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語,それ
も客観的事実を示すべく使用されている名詞,固有名詞にすぎず,表
現の共通性は皆無である。
(セ)No.91について
原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語,それ
も客観的事実を示すべく使用されている名詞,固有名詞にすぎず,表
現の共通性は皆無である。
ウ事実の取捨選択等に関する複製又は翻案の主張に対し
前記アで述べたように,原告の主張は,エピソードの選択と配列が同
一であれば,更にいえば,同一のエピソードを選択すれば,著作権侵害
になるというものであって,エピソードの取捨選択に名を借りて,「歴
史上の人物の来歴・業績について,先行資料から選択して記述する行
為」それ自体に著作権が及ぶというものであり,明らかに失当である。
しかも,原告が主張する原告書籍と被告書籍とでエピソードについて
の記述が同一又は類似する箇所は,極めて抽象的なレベルでの事実が両
者で共通しているというものにすぎず,そもそも「表現」ではないし,
ことに,配列については歴史的事実を抽象化したエピソードレベルであ
る以上,基本的に時系列に沿って述べている限り,創作性が認められる
はずはない。
また,仙之助及び正造は,富士屋ホテルの創設とその発展,地域の発
展に寄与した歴史上の人物であるから,仙之助及び正造の富士屋ホテル
とその周辺に関わる事績を記述する場合,事実やその配列が共通するこ
とはやむを得ないというべきである。原告書籍及び被告書籍のいずれに
おいても,先行文献である「八十年史」に記述された事実の中から,そ
れぞれのテーマに従って記述すべきものをほとんど記述しており,それ
以外の事実を記述することが事実上できないこと,すなわち選択の幅が
ないことは明らかであり,両書籍は,創作的表現部分において何ら共通
していない。
したがって,被告書籍は原告書籍の複製又は翻案に当たるとの原告の
主張は,理由がない。
(ア)別紙対比表2について
別紙対比表5は,別紙対比表2のX1ないしX21の各記述部分に
ついて,原告書籍記述部分(別紙対比表5の「物語」欄),被告書籍
記述部分(同「破天荒力」欄)及び先行文献の記載(同「先行文献等
の記載」欄)の三者を対比した一覧表である。
別紙対比表5における赤色の表示は,原告書籍記述部分と被告書籍
記述部分とで共通する語,固有名詞等(一部は,先行文献の記載とも
共通する。),緑色の表示は,原告書籍記述部分と先行文献の記載と
の間でのみ共通する語,固有名詞等であり,先行文献の記載の下線部
分は,当該部分と原告書籍記述部分との共通性が甚だしい部分を示す
ものである。
別紙対比表5をみれば明らかなとおり,別紙対比表2のX1ないし
X21の各記述部分について,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分
とで共通しているのは,いずれもそれ自体に著作物性のない,固有名
詞,単語,語句や既に先行文献に記載のある歴史的事実にすぎず,著
作物性のある創作的表現部分において共通する箇所は皆無である。ま
た,対比した各記述部分ごとに補足すべき被告の主張は,別紙対比表
5の「先行文献等の記載」欄末尾の各「(被告らの主張)」に記載の
とおりである。
(イ)別紙対比表3について
別紙対比表3のY1ないしY5の各記述部分は,別紙対比表2のX
1ないしX21の各記述部分のいくつかを組み合わせ,別紙対比表2
では対比されていない箇所をも含むものであるが,前記(ア)のとお
り,原告書籍と被告書籍には,別紙対比表2のX1ないしX21の各
記述部分について創作的表現部分において共通する箇所が存在しない
以上,別紙対比表3のY1ないしY5の各記述部分についても,同様
に創作的表現部分において共通する箇所が存在しないことは明らかで
ある。
また,原告書籍及び被告書籍における別紙対比表3のY1ないしY
5の各記述部分は,以下に述べるとおり,そもそもの主題の設定,ス
トーリー展開,創作性を有する描写等においてことごとく異なるもの
であり,創作的表現として全く異なるものである。
aY1について
原告書籍記述部分においては,(1)の導入に係る記述の後,(2)で
富士屋ホテルが外国人しか泊めなかった時期があること,(3)で著名
人を泊めないエピソードを紹介し,(4),(5)でその理由が外貨獲得
であり,(6)で奈良屋との契約締結によること,(7)で契約締結に至
る経過が激烈なライバルとの競争にあったことを紹介し,(25)でそ
の争いの結果,契約が締結されたとしてその条項を紹介し,(26)で
大正元年まで,この契約が続いたと締めくくっている。
他方,被告書籍記述部分においては,(A)でそもそも奈良屋が最初
に外国人を泊めていたが,(C)でその後,解禁に伴い富士屋ホテルも
開業したため,争奪戦が始まったとして,(D)でそれが再建競争とな
り,(G)で共倒れを防ぐために契約を締結したとして条項を紹介し,
(I)で契約締結は共存共栄,箱根繁栄のためであると結び,「国益,
外貨獲得の為のホテル業!?」と題して,(J)でこの契約が終了時期か
ら仙之助自身のこだわりであると推測し,(K)でその理由は外貨獲得
であるとし,「日本人の客は来てもらはずともよい」と題して,(N)
で「八十年史」の言葉を引き,(O)で仙之助の意思が強固である例と
して,著名人を泊めないエピソードを紹介し,(Q)で別の契約条項を
紹介して著者の感想を述べ,(R)で制限を解いたが創業者の志を受け
継ぎ,外国人客主体の経営を継続していると結んでいる。
以上のとおり,原告書籍記述部分は,「日本人を泊めないホテ
ル」との標題のとおり,まず,富士屋ホテルが外国人しか泊めない
時期があったとの歴史的事実を紹介し,読者の興味を惹いて,その
理由が奈良屋との契約締結であると種明かしをした後に,そこに至
る経緯を述べている。これに対し,被告書籍記述部分において
は,「富士屋vs.奈良屋の外国人客争奪戦」において,まず,「奈良
屋が先に外国人客」,「富士屋登場」,「ライバル関係」,「競争
激化」,「契約締結」という歴史的事実を基本的に時系列に沿って
述べ,その上で,「国益,外貨獲得のためのホテル業!?」と題して
上記歴史的事実を分析し,契約が仙之助の思い入れによるものであ
り,外貨獲得のためであるとし,「日本人の客は来てもらはずとも
よい」と題して,その思い入れの例証を挙げ,著名人を泊めなかっ
たエピソード,契約条項を引いているのである。
このように両者は,記述の順序を全く異にしているところ,その
理由は,原告書籍記述部分が,読者の注意を引いて富士屋ホテルが
宿泊客を泊めなかった時期があることを興味をもって読ませるため
に,歴史的事実を読者が興味を持ちやすいように配列し直している
のに対し,被告書籍記述部分は,仙之助が国益という「公」の視点
から外貨を獲得するために外国人客しか泊めなかったという主題に
向かい,歴史的事実を時系列に沿って述べた後で,これを主題にそ
って分析し,例証としてエピソードや契約条項を挙げているからで
ある。
上記のとおり,原告書籍記述部分の表現上の本質的な特徴は,歴
史的事実を配列し直した上で,読者が飽きずに読めるようにした具
体的表現部分にあり,他方,被告書籍記述部分の表現上の本質的な
特徴は,歴史的事実を明確な主題に沿って分析し,その例証を挙げ
ている具体的表現部分にあるのであって,両者は,表現上の本質的
な特徴を全く異にしている。
したがって,原告書籍記述部分の表現上の本質的な特徴を被告書
籍記述部分において感得することはできないから,後者が前者の複
製又は翻案に当たるとはいえない。
bY2について
原告書籍記述部分は,「新天地」と題する仙之助に関する記述部
分であり,仙之助が慶應義塾で福沢諭吉に影響を受けてホテルを経
営するに至ったのではないかとの推測について,(1)で慶應義塾の紹
介,(2)で仙之助が塾生であった根拠を述べ,福沢の言葉を「慶應義
塾出身名流列傳」から引用し,(3)で福沢の助言がホテル創業のきっ
かけといわれているが,(4)で突飛すぎるとして,福沢の著述,足跡
にあたるとして,(5)で仙之助が洋行によりホテルに興味を持ったと
の記述はないとし,(6)で福沢が塔之沢温泉に逗留し,福住正兄と懇
意にしていたこと,(7)で足柄新聞掲載の記事を紹介し,(9)でその
後も,福沢が県知事への手紙で道普請のことに触れていることを引
き,著者の推測として,福沢は正兄に新道開発を相談していたらし
いとし,(10)で結論として,福沢が仙之助に箱根開発を進めたのか
どうかは不明だが,福沢の意見に影響を受けた可能性が高いとして
いる。なお,福沢が正兄に新道開発を相談していたらしいとの著者
の推測は,先行文献(「福澤諭吉と福住正兄−新発見の福澤書簡をめ
ぐって−」・甲19)に記載されているものを著者自身の推測とし
ているものにすぎない。
他方,被告書籍記述部分は,そもそも「仙之助」に関する章では
なく,「第二章実学のススメ−福沢諭吉」の章における福沢に関
する記述である。すなわち,被告書籍記述部分は,福沢につい
て,「挫折は飛躍への一大転機」,「ひたすら学べ。諸君らの戦場
はここにある」,「近代化への種をまく思想家」,「足柄の「福沢
神社」や箱根との深い縁」,「箱根人・福住正兄との友情」と続け
た後に,「学問は実学であるべし−」及びそれに続く「箱根の道路
開削をけしかけろ!」との見出しに係る記述の中で,仙之助との関
係に触れている部分である。「学問は実学であるべし−」において
は,(A)で福沢が欧米のリゾートから箱根に着目し,仙之助にホテル
経営を勧めたのではないかという著者の推測をまず述べ,(B)でその
根拠として,「慶應義塾出身名流列傳」の福沢の言葉を引用し,(C)
で福沢が実学論者であったことなどを詳細に検討して,(E)で仙之助
は福沢の言葉を受けて箱根に入ったと推測している。すなわち,同
じ福沢の言葉について,原告書籍記述部分では,突飛すぎるとした
推測を,被告書籍記述部分では福沢の学問,思想から推測を裏付け
るものと評価しているのである。
また,被告書籍記述部分では,引き続き,「箱根の道路開削をけ
しかけろ!」と題して,(F)でホテルの外に道路開削工事にも尽力し
ているのは福沢の間接的な訓戒であると断定し,その根拠を足柄新
聞の記事に求め,(G)で記事とその経緯を紹介した上で,(I)でこの
後も福沢が道路建設を提言し,(J)で足柄県令や福住正兄にも提言し
ていることを挙げ,(K)で福沢のススメにより箱根でホテルを経営す
る仙之助が福沢の提言に影響されないはずはないとしている。すな
わち,原告書籍記述部分では,福沢が箱根開発,ひいてはホテル経
営を勧めたのかどうかはわからないが,仙之助が影響を受けたこと
は大いに考えられるとしているのに対し,被告書籍記述部分では,
上記(G),(I),(J)を根拠として新道建設が福沢の影響であるとして
いるのであり,原告書籍記述部分におけるような単なるホテル経営
という視点ではなく,「公」という立場からの新道開削について論
じているのである。現に,被告書籍記述部分では,(L)で仙之助が手
がけた水力発電事業,大日本ホテル業同盟会の結成などの数々の事
績は,いずれも,実学や事業によって国益に寄与することを重視し
た福沢に感化されてのものだと推測し,仙之助が推進した事業の多
くは,福沢の思想的影響を大いに受けており,それが箱根の開発や
発展につながっていったとして,(M)で福沢が,箱根に近代化の種を
まいた男であり,箱根には,その啓蒙思想が息づいていると結んで
いるのである。
このように,原告書籍記述部分が,仙之助は福沢の言葉でホテル
を経営したのか,という「富士屋ホテル物語」にふさわしい疑問を
打ち立てて,それを推理仕立てで記述することにより読者の興味を
惹き,結論としては不明であるが,大いに考えられると結んでいる
のに対し,被告書籍記述部分では,まず福沢が箱根をリゾートと考
えたという推測を述べ,さらに仙之助にホテル建築を勧めたとの推
測が事実であろうとした上で,「公」としての道路開削は,福沢の
間接的な訓戒によるものであるとして,原告書籍記述部分が,仙之
助は福沢の言葉でホテルを経営したのかとして検討した歴史的事実
以外の事実をも検討して,道路開削は福沢の間接的訓戒であると位
置づけているのであり,両者は,抽象的なレベルでは同じ歴史的事
実を扱うものではあるものの,両者におけるその扱い,位置づけは
全く異なっているのである。
したがって,原告書籍記述部分の表現上の本質的な特徴を被告書
籍記述部分において感得することはできないから,後者が前者の複
製又は翻案に当たるとはいえない。
cY3について
原告書籍記述部分は,「放浪」と題して,「H.S.K.YAM
AGUCHI」という正造のサインの由来から始まり,正造の渡米
の経緯,米国での行状,渡英の経緯,英国での柔道家としての成
功,帰国までの経過を時系列に沿って描いている。
他方,被告書籍記述部分も,「無鉄砲な一七歳,海を渡る」,「
幸運の女神に導かれてイギリスへ」,「ロンドンで「柔道家」とし
て成功」,「帰国,〝山口正造〟時代の幕開き」と題して,正造の
渡米の経緯,米国での行状,渡英の経緯,英国での柔道家としての
成功,帰国までの経過を時系列に沿って記述しているが,これらの
事実経過自体は,「懐想録」等の先行文献にも記載された歴史的事
実にすぎず,表現上の創作性が認められる部分ではない。また,上
記渡米,渡欧,帰国に至る経緯を,読者の興味を惹き,正造の人と
なりを明らかにするように記述するためには,上記の各事実が必須
というべきであり,そもそも選択の可能性は存しないか,極めて乏
しいのであるから,原告が主張する抽象的なエピソードの取捨選択
や配列のみによって,著作物性を有するものとはいえない。
原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とでは,このような「事実
そのもの」の範囲を超えて,創作性を有する具体的表現等において
類似する箇所はない。
加えて,原告書籍記述部分では,(16),(17)で正造を同時代の野
口英世と対比しているが,被告書籍記述部分にはそのような記述は
なかったり,帰国後の記述について,原告書籍記述部分では,「花
と自動車」と題して,(31)で正造の富士屋ホテルでの地位と修一郎
との関係について触れるのみであるが,被告書籍記述部分では,(S)
で結婚式が企図されたこと,(T)で仙之助が上記米英における事績を
含め正造を気に入っていたことなどについても述べているなど,異
なる部分も認められる。
したがって,原告書籍記述部分の表現上の本質的な特徴を被告書
籍記述部分において感得することはできないから,後者が前者の複
製又は翻案に当たるとはいえない。
dY4について
(a)原告書籍記述部分は,「孤独」と題して,(1)で「はふや」買
収とホテル竣工,(2)で開業した直後に関東大震災,(3)で富士屋
ホテルを含め大損害を受けたが,(6)で苦労の末,1年後に営業再
開に至った経緯を述べ,(7)で災害の際に兄真一が日光に帰ること
を勧めて正造が断る経緯を述べた上で,それは,真一が正造と孝
子の不和を感じたからではないかとし,(8)で震災から立ち直ろう
としていた大正15年に離婚,正造が残り,孝子が山口家を出た
こと,(9)で孝子がメートランドと再婚したこと,離婚の経緯につ
いての推測,(11)で二人の紹介,(13)で正造が再婚しなかったこ
とを述べた後,(14)で家庭のない正造が従業員の教育,ホテルマ
ンの育成に尽力したことを詳細に述べ,(17)でそれは家庭がなか
ったからであるとしている。
(b)他方,被告書籍記述部分は,まず,「関東大震災で倒壊,二
代目の負けじ魂」と題して,(A)で「はふや」買収,(B)で関東大
震災で全壊,(C)でこれを仙之助時代の「宮ノ下の大火」になぞら
え著者の感想を述べ,(D)で富士屋ホテルも全壊,そこから正造が
奮起し,(E)で大正15年には2階建ての建物再築したこと,その
後の北伊豆地震からの再築にも触れ,(F)で正造の負けじ魂を岳父
仙之助になぞらえて紹介する形で結んでいる。
この部分において,被告書籍記述部分が原告書籍記述部分と共
通するのは,正造が買収したホテルを竣工した直後,関東大震災
で建物が倒壊し,富士屋ホテルも大損害を受けたが,そこから復
興したという歴史的事実にすぎず,表現上の創作性が認められる
部分ではない。
(c)次いで,被告書籍記述部分は,「富士屋ホテルと結婚した
男」と題して,(G)で大震災の後,兄眞一が日光に帰ることを勧め
て正造が断る経緯を述べ,(H)で眞一が,そのころ正造と孝子の仲
がうまくいっていなかったことを察して,婿養子という立場を考
えてのことではないかと推測し,(I)で二人について簡単に述べ,
(K)で大正15年に離婚したこと,(L)で正造が残り,孝子が去っ
たこと,(M)で孝子がメートランドと再婚し,正造は再婚しなかっ
たこと,(N)で孝子との間に子のない正造にとっての子は富士屋ホ
テル従業員,明日のホテル業界の若者であり,離婚後,これらの
子の育成に力を注いでいくことになると結んでいる。
原告書籍記述部分では,(7)で関東大震災の後の真一について正
造夫妻の不和を推測していたのではないかとして,それを裏付け
る形で,直後に,(8)で「震災の打撃から富士屋ホテルが完全に立
ち直ろうとしていた大正一五年四月」離婚としているのに対し,
被告書籍記述部分では,(H)で眞一の推測をひとまず措いて,(I)
で孝子について述べ,さらに,(J)で正造について述べ,(K)で二人
を傷つけることない表現で離婚の事実を明らかにしている。
また,原告書籍記述部分では,正造と孝子の離婚の真相に関
し,(9)で「孝子が出奔したためである」との説に,「納得のいく
話だ」と述べつつ,(10)でそれを否定する考えも述べ,読者の興
味を惹きながら,(11),(12)で孝子と正造の二人について多くの
記述を割いて,(13)正造が再婚しなかったことについても詳細に
述べ,「正造が結婚したのは,最初から孝子というより富士屋ホ
テルだったのかもしれない」とし,(14)で家庭のない正造の「事
業を造り,学校を造り,もっと大勢のママとも,パパともなって
楽しむのだ」という言葉を引いて,従業員教育,ホテルマンの育
成から富士屋ホテル・トレーニングスクールの開設へとつないで
いるのに対し,被告書籍記述部分では,(M)で孝子の再婚と正造が
再婚しなかったことから,正造は「富士屋ホテルと結婚したよう
なものだったのかもしれない。」とし,(N)で子のない正造にとっ
ての子が,従業員,明日のホテル業界を担う若者であり,その育
成に力を注いでいくことになるとつないでいる。
以上によれば,原告書籍記述部分が,あくまでも地震と離婚を
結びつけているのに対して,被告書籍記述部分では,離婚の時期
からその3年前の地震のころには眞一が正造と孝子の不和を察知
していたかも知れないとしているだけであり,論旨も表現も異な
っている。また,原告書籍記述部分では,家庭のない正造が「事
業や学校を造り」という言葉から,従業員教育,ホテルマンの育
成へとつないでいるのに対して,被告書籍記述部分では,正造に
子供がなかったことから,子供はホテル従業員であり,明日のホ
テル業界を担う若者としているのであり,趣旨が微妙に異なる上
に,表現としても異なっている。
(d)さらに,被告書籍記述部分は,「人材育成でもホテル業界を
リード」と題して,(O)で「富士屋ホテル・トレーニング・スクー
ル」開設とその経緯,(Q)で修業科目,(R)で卒業者等について詳
細に述べている。
この部分において,被告書籍記述部分が原告書籍記述部分と共
通するのは,その中の歴史的事実に関する記述部分のみであり,
表現上の創作性のある部分ではない。被告書籍記述部分が,それ
らの歴史的事実についての評価として述べている,(S)のメリット
がほとんどなく,デメリットの方が大きかったかもしれないにも
かかわらず,正造がスクールを続けたのは社会貢献であり,(T)の
志の発信であるという点は原告書籍記述部分にはない。
(e)以上のとおり,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,
記述された歴史的事実自体は共通するものの,創作性を有する具
体的表現等において類似するものではない。
したがって,原告書籍記述部分の表現上の本質的な特徴を被告
書籍記述部分において感得することはできないから,後者が前者
の複製又は翻案に当たるとはいえない。
eY5について
原告書籍記述部分は,「万国髭倶楽部」と題して,(1)で著者自身
の想い出を導入として,(2)で正造の髭,(3)で真一も髭を生やして
おり,正造と瓜二つであったこと,(4)で真一は髭を落としたが,正
造はますます長く伸ばしたこと,(6)で万国髭倶楽部の設立とその宣
伝を紹介し,続いて,「WeJapanese」の詳細を説明し,正造がユニ
ークな方法で自分,富士屋ホテル,日本をPRしたとしている。
他方,被告書籍記述部分は,「「萬国髭倶楽部」の創設」と題し
て,(A)で明治時代から昭和の前半には日本男性の多くは髭を生やし
ていたことを導入として,(B)で正造と眞一がともに髭を生やしてお
り,眞一はそり落としたが,(C)で正造は伸ばしており,(D)で歌に
歌われるほど有名であること,(F)で萬国髭倶楽部の設立とその宣
伝を紹介しているのであり,導入から萬国髭倶楽部の設立に至る流
れ,記述内容がことごとく異なっている。また,被告書籍記述部分
では,(H)で正造の「萬国髭倶楽部」を通じた宣伝方法について,福
住正兄が安藤広重に浮世絵を描かせ,湯治場としての箱根と福住旅
館をコマーシャリズムに乗せようとしたのと,まったく同じ発想で
はないかと,原告書籍記述部分にはない独自の評価もしている。
さらに,被告書籍記述部分でも,「日本文化を紹介する『WeJapa
nese』刊行」と題して,(L)でその内容を紹介しているが,具体的表
現部分において,原告書籍記述部分とことごとく異なっている。
以上のとおり,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,記述
された歴史的事実自体は共通するものの,創作性を有する具体的表
現等において類似するものではない。
したがって,原告書籍記述部分の表現上の本質的な特徴を被告書
籍記述部分において感得することはできないから,後者が前者の複
製又は翻案に当たるとはいえない。
(エ)仙之助及び正造を主人公とした章全体について
原告は,仙之助を主人公とした章全体(原告書籍の「Ⅰ箱根山に
王国を築く−仙之助」の章全体,被告書籍の「第一章チャンスは非
常識にあり−山口仙之助」の章全体)の記述部分及び正造を主人公と
した章全体(原告書籍の「Ⅱ繁栄と大脱線−正造」の章全体,被告
書籍の「第六章「奇妙人」のおもしろがる精神−山口正造」の章全
体)の記述部分について,被告書籍記述部分が原告書籍記述部分のそ
れぞれ翻案に当たる旨主張する。
しかし,前述のとおり,原告が被告書籍記述部分が原告書籍記述部
分の複製又は翻案に当たると主張する個々の狭い対比個所(別紙対比
表1ないし3)について,複製又は翻案のいずれにも当たらない以
上,それ以外の箇所をも含めた「章全体」についても,翻案に当たら
ないことは明らかである。
また,当該章全体において,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分
において共通するのは,歴史的人物に関する,いずれも先行文献に記
載のある事実にすぎず,創作的表現部分において共通する箇所は存在
しないものであり,原告書籍記述部分の表現上の本質的な特徴を被告
書籍記述部分において感得することはできないから,後者が前者の翻
案に当たるとはいえない。
2争点2(被告らによる氏名表示権及び同一性保持権の侵害の成否)につい

(1)原告の主張
被告書籍においては,原告書籍のうち別紙対比表1ないし3,仙之助及
び正造を主人公とした章全体の各記述部分を複製又は翻案しておりなが
ら,上記各記述部分の著作者である原告の氏名を表示していないから,被
告Bが被告書籍を執筆し,これを被告講談社が出版物として発行,販売し
た行為は,原告の氏名表示権及び同一性保持権の侵害に当たる。
(2)被告らの主張
原告の主張は争う。
3争点3(原告の損害額)について
(1)原告の主張
ア被告らによる共同不法行為
被告らは,故意又は過失により,共同して,前記1(1)及び2(1)のと
おおり原告の著作権(複製権又は翻案権)及び著作者人格権(氏名表示
権及び同一性保持権)を侵害したものであるから,共同不法行為者とし
て,連帯して原告が被った損害を賠償する義務がある。
イ原告の損害額
(ア)著作権侵害による財産的損害
被告講談社は,被告書籍を,定価1600円で,少なくとも3万部
発行し,販売した。
原告書籍についての使用料相当額は,上記定価の10パーセントと
認めるのが相当である。
被告書籍の本文は,239頁であり,そのうち,原告の著作権を侵
害する部分を含む頁の総数は,66頁(30ないし41,44,46
ないし51,53,54,61,78ないし81,196ないし20
7,215ないし226,229,230,233ないし236頁)
であるから,頁数の割合に応じて使用料相当額を算定すると,次のと
おり,132万5523円となる。
1600円×0.1×(66頁÷239頁)×3万部=132万5
523円
したがって,原告が,被告らに対し,著作権侵害を理由として,著
作権法114条3項に基づいて損害賠償を請求し得る損害額は,13
2万5523円である。
(イ)著作者人格権侵害による慰謝料
原告は,原告書籍を執筆するに当たり,調査,検討,執筆,推敲等
にそれぞれ数か月もの期間を要するなど,長期間にわたり,多大な労
力を費やしている。
原告は,このように長期間にわたり多大な労力を費やして著作,発
表した原告書籍を被告書籍において無断で複製又は翻案して使用さ
れ,著作者人格権を侵害されることによって,甚大な精神的苦痛を被
った。
この精神的損害を金銭で評価するとすれば,500万円を下るもの
ではない。
したがって,原告が,被告らに対し,著作者人格権侵害を理由とし
て請求し得る慰謝料の額は,上記500万円である。
(ウ)弁護士費用相当額
被告らの上記著作権侵害と相当因果関係のある弁護士費用相当額
は,132万5523円の1割に当たる13万2552円であり,ま
た,被告らの上記著作者人格権侵害と相当因果関係のある弁護士費用
相当額は,500万円の1割に当たる50万円である。
(エ)よって,原告は,被告らに対し,著作権侵害の不法行為による損
害賠償として145万8075円,著作者人格権侵害の不法行為によ
る損害賠償として550万円の合計695万8075円及びこれに対
する平成19年6月5日(被告書籍の第1刷発行の日)から支払済み
まで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めることが
できる。
(2)被告らの主張
原告の主張のうち,被告講談社が被告書籍を定価1600円で発行し,
7430部販売したこと,被告書籍の本文が239頁あること(前記(1)イ
(ア))は認めるが,その余は争う。
第4当裁判所の判断
1争点1(被告らによる原告の複製権又は翻案権侵害の成否)について
原告は,別紙対比表1の各原告書籍記述部分(下線部分)はそれぞれが表
現上の創作性を有する著作物であり,同対比表の各被告書籍記述部分(下線
部分)は上記各原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性を有し,ま
た,別紙対比表2,3,仙之助及び正造を主人公とした章全体の各原告書籍
記述部分とこれらに対応する各被告書籍記述部分は,歴史的事実が共通する
のみならず,表現方法,事実の取捨選択,配列等の創作的部分において同一
性又は類似性を有し,しかも,被告書籍は原告書籍に依拠して執筆されたも
のであるから,上記各被告書籍記述部分は,上記各原告書籍記述部分を複製
又は翻案したものである旨主張する。
ところで,原告書籍のように,歴史的事実を素材として叙述されたノンフ
ィクション作品においては,基礎資料からどのような歴史的事実を取捨選択
し,その歴史的事実をどのように評価し,どのような視点から,どのような
筋の運び,ストーリー展開,言い回し,語句等を用いて具体的に叙述したか
といった点に筆者の個性が現れるものといえるが,著作権法は,思想又は感
情の創作的表現を保護するものであり(同法2条1項1号参照),思想,感
情又はアイデア,事実又は事件など表現それ自体でないものや,表現であっ
ても,表現上の創作性がない部分は保護の対象とするものではないから,ノ
ンフィクション作品においても,叙述された表現のうち,表現上の創作性を
有する部分のみが著作権法の保護の対象となるものであり,素材である歴史
的事実そのものや特定の歴史的事実を取捨選択したことそれ自体には著作権
法の保護が及ぶものではないものと解される。
そして,複製とは,印刷,写真,複写,録音,録画その他の方法により著
作物を有形的に再製することをいい(著作権法2条1項15号参照),ま
た,言語の著作物の翻案とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の
本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加
えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者
が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著
作物を創作する行為をいうものと解されるから(最高裁平成13年6月28
日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照),被告書籍記述部分がこ
れに対応する原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たるか否かを判断するに
当たっては,被告書籍記述部分において,原告書籍記述部分における創作的
表現を再製したかどうか,あるいは,原告書籍記述部分の表現上の本質的特
徴を直接感得することができるかどうかを検討する必要がある。
そこで,以下においては,上記のような観点から,別紙対比表1ないし
3,仙之助及び正造を主人公とした章全体の各原告書籍記述部分と各被告書
籍記述部分を対比し,後者が前者の複製又は翻案に当たるか否かについて順
次判断する。
(1)別紙対比表1について
原告は,原告書籍のうち,別紙対比表1の№10,19,23,35,
36,38,43,47,58,62,68,69,71,89,91
の「物語」欄の下線部分の各記述部分は,それぞれが表現上の創作性を有
する著作物であり,これに対応する被告書籍の「破天荒力」欄の下線部分
の各記述部分は,上記各原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たる旨主張
する。
ア№10について
原告書籍記述部分は別紙対比表2のX2の「物語」欄記載の記述部分
の一部,被告書籍記載部分はX2の「破天荒力」欄記載の記述部分の一
部である。
原告書籍記述部分は,仙之助がアメリカから帰国する際に持ち帰った
牛について,「八十年史」によると7頭とされているのに対し(別紙対
比表2のX2(同一箇所)の№8),原告が調査して発見した「農務顛
末」という本に,政府が仙之助から牛を5頭買った旨の記述があること
から(同№9),残りは「飼っているうちに死んでしまったのだろう
か。」との推測を述べている記述である。
他方,被告書籍記述部分も,仙之助がアメリから持ち帰った牛が7頭
であるという事実(別紙対比表2のX2(同一箇所)の№8),「農務
顛末」という記録に仙之助が政府に売却した牛が5頭であるとの記載が
あること(同№9)を挙げた上で,仙之助が売却した牛が5頭になって
いるのは7頭の牛のうちの2頭が売却する前に「死んでしまったからだ
ろう。」との推測を述べているものであって,仙之助がアメリから持ち
帰った牛7頭のうちの2頭が売却前に死亡したと推測している点におい
て,原告書籍記述部分と共通するものといえる。
しかしながら,上記のような推測それ自体は,上記の客観的事実から
自然に導かれるものにすぎず,格別の独自性が認められるものではな
い。また,そのような推測を表現した原告書籍記述部分(№10の下線
部全体)は,客観的な事実から自然に導かれる推測をありふれた表現で
記述した,短い文章にすぎないものといえるから,この部分のみを他と
切り離して取り上げた場合において,当該部分に筆者の個性が現れてい
るということはできず,創作性を認めることはできない。
イ№19について
原告書籍記述部分は別紙対比表2のX5の「物語」欄記載の記述部分
の一部,被告書籍記載部分はX5の「破天荒力」欄記載の記述部分の一
部である。
原告書籍記述部分は,富士屋ホテルにおいて,明治17年に建築され
た「アイリー」という名称の洋館に次いで明治19年に建築された洋館
に「ハーミテイジ」という名称が付けられたことについて,「アイリ
ー」に呼応するような「チャーミングな名前」であるとした上で,「「
ハーミテイジ」という響きが大好きだった」との筆者個人の感想を述べ
ている記述である。
このように原告書籍記述部分は,洋館に付けられた「ハーミテイジ」
という名称及びその「響き」に着目し,「チャーミングな名前」で,そ
の「響き」が「大好きだった」と表現している点において,筆者の個性
が現れており,創作性を有するものと認められる。
他方,被告書籍記述部分は,「ハーミテイジ」という建物の名称及び
その「響き」に着目している点では原告書籍記述部分と共通しているも
のの,富士屋ホテルが「日本における外国人向けリゾートホテルの先駆
け」であることと結びつけて,「アイリー」にしろ,「ハーミテイジ」
にしろ,「建物の愛称ひとつとっても洒落ている」との感想を述べてい
る記述であり,感想の具体的内容及びその具体的表現において,原告書
籍記述部分と共通性が認められないから,被告書籍記述部分は,原告書
籍記述部分を再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分か
ら,原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直
接感得することもできない。
ウ№23について
原告書籍記述部分は,仙之助が「電気や道路の整備」を行ったことに
ついて,「ホテル自体に必要だったから」にとどまらず,仙之助が「箱
根の近代化を自分が背負っているという自負」によるものと捉えた上
で,仙之助の業績を「困難な事業にも果敢にチャレンジしていった」と
表現している記述である。
他方,被告書籍記述部分は,仙之助による道路開削の事業につい
て,「第一義には富士屋ホテルに客や必要物資を運ぶためのもの」とし
た上で,それが住民の暮らしを便利にしたり,箱根の開発を進める結果
をもたらしたことを述べている記述である。
両者を比較すると,仙之助の道路開削事業について,ホテルの利益を
図ることのみならず,公共的な意味を有していたという趣旨を述べてい
る点において共通するものの,そのことについて,原告書籍記述部分に
おいては,「箱根の近代化を自分が背負っているという自負」によるも
の,「だからこそ,困難な事業にも果敢にチャレンジしていった」と評
価しているのに対し,被告書籍記述部分にはこのような表現部分は存在
しない。むしろ,被告書籍記述部分は,仙之助がホテルの利益のために
行った事業が,結果的に,住民の暮らしを便利にしたり,箱根の開発を
進めたという事実を客観的に述べることによって上記趣旨を表現してい
るものであり,両者の間には,具体的表現における相違が認められる。
このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは,述べられてい
る趣旨を抽象化したレベルにおいては共通するものの,その具体的内容
及び具体的表現は異なるものであるから,被告書籍記述部分は,原告書
籍記述部分を再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分か
ら,原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直
接感得することもできない。
エ№35について
原告書籍記述部分は,原告書籍(甲2)中の「『八十年史』によれ
ば,仙之助はその理由をこう言っている。〈富士屋ホテルは外国人の客
を取るをもって目的とす。日本人の金を取るはあたかも子が親の金を貰
うに等しい。自分は純粋なる外国の金貨を輸入するにあり。日本人の客
は来てもらわずともよい〉」との記述部分(73頁6行∼9行)に引き
続いて記述された箇所であり,「八十年史」に記載された「富士屋ホテ
ルは外国人の客を取るをもって目的とす。」,「自分は純粋なる外国の
金貨を輸入するにあり。」との仙之助の言葉に基づいて,仙之助がホテ
ル事業を「外貨獲得」のためと考えていたと述べている記述である。
他方,被告書籍記述部分は,被告書籍(甲1)中の「仙之助が倒れる
のと時期を同じくして奈良屋との協定が終了したということは,ほかで
もなく仙之助自身が,最晩年まで外国人専用ホテルの経営にこだわって
いたことのなによりの証左であろう。」,「しかし,なぜか。」との記
述部分(51頁後から6行∼3行)に引き続いて記述された箇所であ
り,仙之助のホテル経営が「「外貨」を獲得するため」と述べている点
において,原告書籍記述部分と共通するものといえる。
しかしながら,「八十年史」に記載された仙之助の上記のような言葉
から仙之助のホテル経営の目的が外貨を獲得することにあったと結論付
けることは,自然に導かれる結論にすぎず,格別の独自性が認められる
ものではない。また,そのことを「仙之助はホテルという事業を,日本
の外貨獲得のためと考えていたのである。」と記述したこと(原告書籍
記述部分(下線部分))もありふれた表現であるといえるから,この部
分のみを他と切り離して取り上げた場合において,当該部分に筆者の個
性が現れているということはできず,創作性を認めることはできない。
オ№36について
原告書籍記述部分は,「慶應義塾出身名流列傳」という本に出てく
る,仙之助が,岩崎彌之助,古川市兵衛等の名士の富士屋ホテル来宿を
謝絶したとのエピソード,及び「八十年史」に記載された上記エ記載の
仙之助の言葉を引用した上で,仙之助がホテル事業を日本の外貨獲得の
ためという大局から見ていた旨を述べている記述である。
他方,被告書籍記述部分も,仙之助の「一ホテルの利益を超えて,国
益のために外貨を稼ぐという経営哲学」を物語るものとして,いずれも
原告書籍記述部分と同一の「八十年史」に記載された仙之助の言葉及
び「慶應義塾出身名流列傳」の中のエピソードを引用し,それらについ
てコメントを加えている記述である。
両者を比較すると,同一文献の同一部分を引用し,それらを根拠とし
て,仙之助のホテル経営の目的が外貨を獲得することにある旨を述べて
いる点において共通するものの,その具体的内容及び具体的表現におい
ては,「外貨獲得」との言葉を使用している以外にはほとんど共通性が
みられない。むしろ,被告書籍記述部分では,①「八十年史」に記載さ
れた仙之助の言葉については,「奈良屋との協定」に結びつけて「こう
した強固な決意がなければ,奈良屋との協定はありえなかっただろ
う。」としている点,②「慶應義塾出身名流列傳」の中のエピソードに
ついては,岩崎彌之助及び古川市兵衛の人物紹介をしたり,「崇高な理
念が漂っているように思える一方で,それ以上に,彼のあまりの一徹さ
に微苦笑を禁じ得ない」との筆者の感想を述べている点において,原告
書籍記述部分にはみられない特徴的な表現部分がみられる。
このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは,同一文献の同
一部分を引用し,筆者の感想,評価等が述べられている点や述べられて
いる趣旨を抽象化したレベルにおいては共通するものの,その具体的内
容及び具体的表現は異なるものであるから,被告書籍記述部分は,原告
書籍記述部分を再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分か
ら,原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直
接感得することもできない。
カ№38について
原告書籍記述部分は,仙之助のホテル事業に対する姿勢について,「
単なる商売を超えた使命感」,「“日本のために”やっている事業なの
だという自負心」,「“日本のために”自分は外貨を稼ぐのだ」などと
表現している記述である。
他方,被告書籍記述部分は,富士屋ホテルの創業について,「単なる
外国人向けの温泉宿として生まれたわけではな」く,「「国益」という
壮大な目標が隠されていた」と述べている記述である。
両者を比較すると,仙之助の富士屋ホテル経営の目的について,営業
上の利益を得ることのみならず,公共的な利益を図る目的があったとい
う趣旨を述べている点においては共通するものの,その具体的内容及び
具体的表現にはほとんど共通性がみられない。
このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは,述べられてい
る趣旨を抽象化したレベルにおいては共通するものの,その具体的内容
及び具体的表現は異なるものであるから,被告書籍記述部分は,原告書
籍記述部分を再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分か
ら,原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直
接感得することもできない。
キ№43について
原告書籍記述部分は別紙対比表2のX11の「物語」欄記載の記述部
分の一部,被告書籍記載部分はX11の「破天荒力」欄記載の記述部分
の一部である。
原告書籍記述部分は,仙之助が箱根の道路開発の事業を行ったことと
福沢諭吉が箱根の道路開発を行うべきとの意見を持っていたこととの関
わりについて,福沢が仙之助に「直接,箱根の開発を勧めたのかどうか
はわからない」としつつ,明治7年に仙之助が慶応義塾に入学したこと
から,福沢の意見に「影響を受けたことは大いに考えられる」との筆者
の推測を述べている記述である。
他方,被告書籍記述部分は,福沢の勧めによって箱根でホテルを経営
することになった仙之助が,福沢の提言に影響されないわけがないと断
定し,「仙之助の道路開削事業が,恩師・福沢諭吉の間接的な後押しに
よってなされた」との筆者の考えを述べている記述である。
両者を比較すると,仙之助による箱根の道路開発が福沢の意見に影響
されたものであるという趣旨を述べている点においては共通するもの
の,その具体的内容及び具体的表現にはほとんど共通性がみられない。
このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは,述べられてい
る趣旨を抽象化したレベルにおいては共通するものの,その具体的内容
及び具体的表現は異なるものであるから,被告書籍記述部分は,原告書
籍記述部分を再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分か
ら,原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直
接感得することもできない。
ク№47について
(ア)前段の下線部分について
原告書籍記述部分は,サンフランシスコ滞在中の正造について,「
今でいえばまだ高校生の年齢である」ことから,「ふっと一人になれ
ば,故郷が恋しかった。」と当時の正造の心情を述べている記述であ
る。
他方,対応する被告書籍記述部分は,同様に,サンフランシスコ滞
在中の正造について,「まだ一〇代の少年である」ことから,「奉公
先から放り出されたときは,さすがに心細かったろう。」と当時の正
造の心情を述べている記述である。
両者を比較すると,サンフランシスコ滞在中の正造の心情について
正造の当時の年齢に照らし推測している点においては共通するもの
の,その具体的内容及び具体的表現にはほとんど共通性がみられな
い。特に,正造の心情について,原告書籍記述部分では,ふっと一人
になったときの故郷への思いとして表現しているのに対し,被告書籍
記述部分では,奉公先を出されるという具体的な出来事によって生じ
た不安感として表現しており,両者の意味合いに違いがみられる。
この点について原告は,正造のそれまでの破天荒なエピソードを受
け,逆説を用いて当時の年齢を引き合いに出し,実際には寂しかった
であろうとその内面に目を向けたことは,原告独自の推測であり,原
告書籍記述部分において,これを個性的に表現した旨主張する。
しかし,当時の正造が「極度の戀郷病」にかかっていたことは,「
懐想録」(乙3)の7頁にも記載されている事実であるから,当時の
正造の心情を「実際には寂しかったであろう」と推測したことは,原
告独自の推測とはいえない。
このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは,サンフラン
シスコ滞在中の正造の心情について正造の当時の年齢に照らし推測し
ている点においては共通するものの,その心情の具体的内容及び具体
的表現は異なるものであるから,被告書籍記述部分は,原告書籍記述
部分を再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分から,原
告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感
得することもできない。
(イ)後段の下線部分について
原告書籍記述部分は,正造がサンフランシスコからロンドンに向か
うことを思い立った理由について,正造が「日本からの船が出入りす
るサンフランシスコは,日本への未練が残ってよくない」と考えたこ
とによるとの推測を述べている記述である。
この点について原告は,サンフランシスコは日本からの船が出入り
するという事実を指摘した上で,正造がサンフランシスコは故郷への
未練が募って良くないと考えてロンドン行きを思い立ったと捉えたこ
とは,原告独自の推測であり,原告書籍記述部分においては,これを
個性的に表現したものである旨主張する。
しかし,「懐想録」(乙3)の7頁には,「極度の戀郷病」にかか
り,父に帰国を願い出たものの,それを拒絶され,「石に囓り付いて
も歸へるまい,異郷に止まらう」と堅く決心した正造が,「桑港は日
本内地から郵船の出入が餘り頻繁なので,此處に止まらず,寧ろどう
かして英國にいきたいと考へた。」との記述があるところ,正造がサ
ンフランシスコからロンドンに向かうことを思い立った理由を原告書
籍記述部分のように推測することは,「懐想録」の上記記述から自然
に導かれるものにすぎず,格別の独自性が認められるものではない。
また,被告書籍記述部分も,同様の事実を挙げて,正造がサンフラ
ンシスコからロンドンに向かうことを思い立った理由を推測している
点において原告書籍記述部分と共通するものといえるが,その具体的
表現は,「サンフランシスコには,日本の客船や貨物船が頻繁に入港
する。」,「サンフランシスコにいるから里心が募るのだ。」と考え
たというものであって,ほとんど共通性がみられない。
このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは,正造がサン
フランシスコからロンドンに向かうことを思い立った理由を推測して
いる点においては共通するものの,その具体的内容及び具体的表現は
異なるのであるから,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を再製
したものとはいえない。また,被告書籍記述部分から,原告書籍記述
部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得すること
もできない。
ケ№58について
原告書籍記述部分は,仙之助の引退後,長男修一郎が社長,正造が専
務に就任したが,ホテル経営の実権は正造が握っていたことについ
て,「富士屋ホテルは正造の時代を迎える」と表現している記述であ
る。
他方,被告書籍記述部分は,正造がホテル経営の実権を握っていた事
実について,「富士屋ホテルは「正造時代」に移り替わった」と表現し
ている記述であり,「正造」の名前に「時代」という言葉を組み合わせ
て表現している点において原告書籍記述部分と共通するものといえる。
しかしながら,仙之助の引退後,社長となった修一郎ではなく,専務
となった正造がホテル経営の実権を握っていたことは,例えば,「八十
年史」(甲27)の96頁に,「大正3年3月2日・・・取締役社長に
山口脩一郎氏,専務取締役に山口正造氏が就任し,正造氏は仙之助氏に
代って營業一切の衝に當ることゝなつた。」と記載されるなど,先行文
献から明らかな事実であるから,そのような認識自体は独自性のあるも
のではない。また,そのような事実を「正造の時代」などと,人物の名
前と「時代」という言葉を組み合わせて表現することも,一般的によく
みられる慣用的表現にすぎないものといえるから,このような慣用的表
現を含む短い文章である原告書籍記述部分について,この部分のみを他
と切り離して取り上げた場合において,当該部分に筆者の個性が現れて
いるということはできず,創作性を認めることはできない。
コ№62について
原告書籍記述部分は別紙対比表2のX16の「物語」欄記載の記述部
分の一部,被告書籍記載部分はX16の「破天荒力」欄記載の記述部分
の一部である。
原告書籍記述部分は,仙之助による富士屋自動車株式会社設立の事実
を述べる中で,自動車が普及し始めていた当時の時代背景について,「
箱根にも,モータリゼーションの波が押し寄せ始めていた。」,「時代
は確実に,モータリゼーションに対して追い風だった。」と表現してい
る記述である。
他方,被告書籍記述部分も,同様の事実を述べる中で,当時の時代背
景を「モータリゼーション」という言葉を使って表現している点におい
て原告書籍記述部分と共通するものといえる。
しかしながら,自動車が普及していくことを一言で「モータリゼーシ
ョン」と表現すること自体は,一般的によくみられる慣用的表現にすぎ
ず,その言葉を使用すること自体に創作性が認められるものではない。
むしろ,原告書籍記述部分においては,「モータリゼーション」の言葉
に「波が押し寄せ始めていた」,「追い風だった」との比喩表現を組み
合わせている点に表現上の特徴が認められるというべきであるが,これ
らの比喩表現は,被告書籍記述部分にはみられない。
このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは,表現上の創作
性が認められない部分が共通するにすぎないから,被告書籍記述部分
は,原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また,被告書籍記
述部分から,原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な
特徴を直接感得することもできない。
サ№68について
(ア)原告書籍記述部分は,関東大震災で富士屋ホテルが壊滅的な被害
を受けた際,日光から箱根に駆けつけた正造の実兄真一が,正造に日
光に帰ることを勧めたのに対し,正造が箱根を復興させた後でなけれ
ば帰らないとして拒絶したというエピソードを懐想録記載の真一と正
造の問答(乙3の序文)を引用して紹介し,兄真一が正造に日光帰参
を勧めた真意は,正造とその妻孝子の不和を「薄々察していたのでは
ないか」との筆者の推測を述べている記述である。
そして,原告書籍記述部分は,兄真一が正造に「日光に帰るよりほ
か,ないんじゃないか。」と問いかけて日光帰参を勧めた意図につい
て,その当時,関東大震災で富士屋ホテルが壊滅的な被害を受け,「
前の晩に降った雨で裏山に土砂崩れが起き,その土砂が庭から屋内へ
も流れ込もうとしていた」状況があったにもかかわらず,そのことと
直接には関係のない正造夫婦の不和にあえて着目し,「このとき,も
しかしたら真一は,正造夫婦の身に起きていたもう一つの破壊を薄々
察していたのではないか,と私は推測する。それもあって,日光に帰
ろうと言ったのではないだろうか。」,「もう一つの破壊−正造と孝
子の不和を,真一は感じていたのではないだろうか。」と記述したも
のであり,上記推測は筆者独自のものであって,この推測について,
震災による建物の被害を言外に「破壊」と捉えた上で,正造夫婦の不
和を「もう一つの破壊」という言葉を用いて表現している点におい
て,筆者の個性が現れており,創作性を有するものと認められる。
この点について被告らは,正造と孝子との結婚生活が早い段階で実
質的に破綻していたことは,先行文献の記載から明白であり,現に,
真一が正造に日光に帰ることを勧めた2年半後に両者は正式に離婚し
ているのであるから,正造と仲のよい兄弟であった真一が正造と孝子
の不和に感づいていたと考えることは自然であり,原告独自の推測と
はいえない旨主張する。
しかしながら,真一が正造に日光に帰ることを勧めた2年半後に正
造と孝子が離婚したという事実があるからといって,関東大震災で富
士屋ホテルが壊滅的な被害を受けた直後の上記のような状況下におけ
る真一の上記問いかけの理由が震災による被害とは直接関係のない正
造夫婦の不和を真一が察していたことにもよるものと自然に導かれる
ものではない。また,仮に関東大震災で富士屋ホテルが被害を受けた
当時,真一が正造と孝子の不和に感づいていたとしても,上記のよう
な状況下における真一の上記問いかけの理由を,あえて震災による被
害とは直接関係のない正造夫婦の不和に求めるのは,やはり原告独自
の推測というべきである。上記の推測が原告独自のものであること
は,「懐想録」(乙3)の中において,正造が「實兄は復興に見込み
ないから,『歸家せよ』などと無法なことを云って來た」と述べてい
る記述(88頁15行∼89頁1行)があり,真一が正造に日光帰参
を勧めた理由をあくまでも震災による被害と結びつけて理解している
ことからも裏付けられる。
したがって,被告らの上記主張は,採用することができない。
(イ)他方,被告書籍記述部分は,関東大震災で富士屋ホテルが全壊し
再興は不能と思われたとき,正造の実兄金谷真一が,正造に日光に帰
ることを勧めたのに対し,正造が箱根を復興させた後でなければ帰ら
ないとして拒絶したというエピソードを「懐想録」記載の真一と正造
の問答を引用して紹介し,真一が正造に日光帰参を勧めたことについ
て,その真意を推測し,「じつはそのころには,正造と妻・孝子の中
がうまくいかなくなっていた。そのことを薄々察していた眞一は,婿
養子という弟の立場を考えて,「帰ってこい」といったのかもしれな
い。」と記述したものであり,「懐想録」記載の真一と正造の問答を
引用して,真一の問いかけの真意を,真一が正造夫婦の不和を察して
いたからであると推測している点において,原告書籍記述部分と共通
するものといえる。
しかしながら,そのような推測そのものは表現それ自体ではないの
みならず,被告書籍記述部分においては,「薄々察していた」との語
句が用いられている点で共通するほかには,上記推測の具体的表現は
原告書籍記述部分と異なるものであり,原告書籍記述部分の特徴的表
現である,正造夫婦の不和を「破壊」に喩えた表現もみられないか
ら,被告書籍記述部分は,表現上の創作性のある原告書籍記述部分を
再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分から,原告書籍
記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得する
こともできない。
シ№69について
原告書籍記述部分は別紙対比表2のX18の「物語」欄記載の記述部
分の一部,被告書籍記載部分はX18の「破天荒力」欄記載の記述部分
の一部である。
原告書籍記述部分は,正造と孝子が離婚し,孝子が富士屋ホテルから
出て行ったこと(別紙対比表2のX18(同一箇所)の№70)の理由
について,「男と女として愛し合うことができなかった」以上,「どち
らかが富士屋を去らなければならなかった。」と表現している記述であ
る。
他方,被告書籍記述部分は,同様の事実について,「夫婦の絆が失わ
れた」以上,「どちらが舞台を降りるしかない。」と表現している記述
である。
両者を比較すると,述べられている事柄は共通するものの,その具体
的内容及び具体的表現にはほとんど共通性がみられない。特に,正造又
は孝子の一方が富士屋ホテルを出て行かざるを得なかったことについ
て,原告書籍記述部分は,「どちらかが富士屋を去らなければならなか
った」との客観的な事実の記述に止まるのに対し,被告書籍記述部分
は,富士屋ホテルを舞台に喩え,「どちらかが舞台を降りるしかない」
との比喩的な表現を用いており,両者の間において,表現上の特徴的な
部分において相違が認められる。
このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは,述べられてい
る事柄は共通するものの,その具体的内容及び具体的表現は異なるもの
であるから,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を再製したものと
はいえない。また,被告書籍記述部分から,原告書籍記述部分における
創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
ス№71について
(ア)原告書籍記述部分は別紙対比表2のX18の「物語」欄記載の記
述部分の一部,被告書籍記載部分はX18の「破天荒力」欄記載の記
述部分の一部である。
原告書籍記述部分は,①震災により富士屋ホテルが壊滅的な被害を
受けた際に,正造の兄真一が故郷日光に帰参することを正造に勧めた
が,正造がこれを拒絶したエピソード,真一が正造に日光帰参を勧め
た真意は正造夫婦の不仲を察していたからかもしれないとの推測(別
紙対比表2のX18(同一箇所)の№68),②孝子及び正造の人物
描写,正造と孝子が別れる場合には一方が富士屋ホテルを出て行かざ
るを得なかったこと(同№69),③大正15年に正造と孝子が離婚
し,正造が富士屋ホテルにとどまり,孝子が出ていったこと(同№7
0)の記述に引き続いて,孝子は正造と離婚した後スコットランド人
実業家と再婚したのに対し,正造は再婚することがなかった事実を指
摘し,「正造が結婚したのは,最初から孝子というより富士屋ホテル
だったのかもしれない。」と述べている記述である。
そして,原告書籍記述部分は,上記①のエピソードを経て,婿であ
った正造が孝子と離婚後も富士屋ホテルにとどまり,生涯再婚するこ
となく,富士屋ホテルの経営に精力を注いだ事実について,「富士屋
ホテル」を正造の結婚相手に喩えて,正造が「結婚した」のは「富士
屋ホテルだったのかもしれない」と表現した点において,筆者の個性
が現れており,創作性が認められる。
この点について被告らは,「∼と結婚したようなもの」という表現
は,何かに一心不乱に打ち込む状態を表すありきたりな言い回しにす
ぎないから,原告書籍記述部分は,原告による個性的表現とはいえな
い旨主張する。
しかしながら,原告書籍記述部分のように短い文章の表現の創作性
の有無を判断するに当たっては,当該記述部分の前後の記述をも踏ま
えて,当該記述部分がいかなる脈絡の下で,どのような内容を表現し
ようとしたものかをも勘案して総合的に判断すべきであり,また,語
句や言い回しそのものはよく用いられるものであっても,ある思想又
は感情を表現をしようとする場合に多様な具体的表現が可能な中で,
特に当該語句や言い回しを選んで用い,当該語句や言い回しを含む表
現がありふれたものといえない場合には,表現上の創作性を有すると
いうべきである。
これを前提に検討すると,婿であった正造が,上記①のエピソード
を経て,孝子と離婚後も富士屋ホテルにとどまり,生涯再婚すること
なく,富士屋ホテルの経営に精力を注いだ事実を表現する場合には,
多様な具体的表現が可能であって,その中で,「富士屋ホテル」を正
造の結婚相手に喩えて表現した原告書籍記述部分は,筆者の個性が現
れており,ありふれた表現とはいえないから,被告らが主張するよう
に「∼と結婚したようなもの」という言い回しそのものが何かに一心
不乱に打ち込む状態を表す際に用いられる表現であるとしても,その
ことをもって原告書籍記述部分が表現上の創作性を有することを否定
することはできない。
したがって,被告らの上記主張は,採用することができない。
(イ)他方,被告書籍記述部分(前段の下線部分)は,前記(ア)①ない
し③の事実等の記述に引き続いて,孝子は正造と離婚した後スコット
ランド人実業家と再婚したのに対し,正造は再婚することがなかった
事実を指摘し,「彼は,富士屋ホテルと結婚したようなものだったの
かもしれない。」と述べている記述である。この被告書籍記述部分
は,上記(ア)①のエピソードを経て,婿であった正造が孝子と離婚後
も富士屋ホテルにとどまり,生涯再婚することなく,富士屋ホテルの
経営に精力を注いだ事実について,「富士屋ホテル」を正造の結婚相
手に喩えて,正造が「富士屋ホテルと結婚したようなものだったのか
もしれない」と表現したものであり,原告書籍記述部分(下線部分)
と実質的に同一の表現であるといえる。
したがって,上記被告書籍記述部分は,表現上の創作性を有する原
告書籍記述部分を再製したものであって,しかも,被告書籍は原告書
籍に依拠して執筆されたものであるから,上記被告書籍記述部分は,
原告書籍記述部分の複製に当たる。
(ウ)次に,被告書籍記述部分中の「富士屋ホテルと結婚した男」との
部分(後段の下線部分)は,前記(ア)①ないし③の事実等の記述部分
の冒頭に記載された表題部であり,原告書籍記述部分とは「富士屋ホ
テル」の固有名詞,「結婚した」との語句の一部は共通するものの,
この表題自体から,原告書籍記述部分が表現しようとした,婿であっ
た正造が,上記(ア)①のエピソードを経て,孝子と離婚後も富士屋ホ
テルにとどまり,生涯再婚することなく,富士屋ホテルの経営に精力
を注いだ事実を読み取ることはできない。このように上記被告書籍記
述部分と原告書籍記述部分は,表現上の同一性を認めることはできな
いから,上記被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を再製したもの
とはいえない。また,上記被告書籍記述部分から,原告書籍記述部分
における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもで
きない。
セ№89について
原告書籍記述部分は別紙対比表2のX21の「物語」欄記載の記述部
分の一部,被告書籍記載部分はX21の「破天荒力」欄記載の記述部分
の一部である。
原告書籍記述部分は,富士屋ホテルの新館として昭和11年に建築さ
れた「花御殿」について,「細部まで正造の意図が反映されたもの」で
あるとの事実を前提に,正造が「ホテル建築に対して思い描いてきた夢
と理想を注ぎ込んだ作品」であるとの評価を述べている記述である。
他方,被告書籍記述部分は,「花御殿」について,「正造のアイデア
を細部にまで反映させた設計と言われる」との事実を指摘する部分と正
造が花御殿の建設に「並々ならぬ情熱を注ぎ込んでいたことがわかる」
との筆者の評価を述べている部分とで構成されている。
両者を比較すると,正造の考え(「意図」あるいは「アイデア」)が
花御殿の設計の細部にまで反映されていたとの事実を記述している点及
び正造の花御殿に対する思いを「・・・を注ぎ込」むという言葉を用い
て表現している点において共通するものといえる。
しかしながら,花御殿の建築に正造の意図が大きく反映されていたこ
とは,「富士屋ホテルの建築」(甲11の3)の27頁に,「『新築落
成記念』ははっきりと「設計,山口正造」と記している。」,「・・・
という知人の証言もある。したがって正造の意図が相当通っていること
は確かであろう。」などと記載された事実であって,このような事実
を「かなり細部まで正造の意図が反映されたもの」と表した原告書籍記
述部分は,ありふれた表現であり,この部分のみを他と切り離して取り
上げた場合において,当該部分に筆者の個性が現れているということは
できず,創作性を認めることはできない。
また,「・・・を注ぎ込」むとの表現自体は,一般的によくみられる
慣用的表現であるから,その部分のみを捉えて,創作性があるとはいえ
ないし,他方,正造の思いについての表現全体をみると,「ホテル建築
に対して思い描いてきた夢と理想を注ぎ込んだ」との原告書籍記述部分
と「並々ならぬ情熱を注ぎ込んでいた」との被告書籍記述部分とでは,
具体的表現が明らかに異なっている。
このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは,述べられてい
る事実の内容や正造の思いを表現した語句の一部が共通するものの,原
告書籍記述部分における創作性のある表現部分について表現上の同一性
を認めることはできないから,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分
を再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分から,原告書籍
記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得するこ
ともできない。
ソ№91について
原告書籍記述部分は別紙対比表2のX21の「物語」欄記載の記述部
分の一部,被告書籍記載部分はX21の「破天荒力」欄記載の記述部分
の一部である。
原告書籍記述部分は,花御殿の完成によって富士屋ホテルは完成され
たとの評価を述べている記述である。
この点について原告は,花御殿の完成をもって,富士屋ホテルの完成
と捉えたことは原告独自の評価であり,原告書籍記述部分はこれを個性
的に表現したものである旨主張する。
しかし,原告書籍記述部分のように,花御殿完成時の富士屋ホテルの
客室数が現在の客室数とほぼ同じであるという事実から,花御殿の完成
によって富士屋ホテルが完成したものと捉えることは自然に導かれる評
価であるといえる。しかも,「富士屋ホテルの建築」(甲11)の12
頁に,「この花御殿の完成が言わば富士屋ホテルの完成であり,花御殿
の竣工は富士屋ホテル最盛期のシンボルであった。」と記載されてお
り,この記載は,原告書籍記述部分と同様に,花御殿の完成によって富
士屋ホテルが完成したと表現したものであり,上記評価は,原告独自の
評価ということもできない。
他方,被告書籍記述部分も花御殿の落成をもって富士屋ホテルが完成
したという趣旨の評価を述べている点において原告書籍記述部分と共通
するものといえるが,原告書籍記述部分では「富士屋ホテルは,この花
御殿をもって完成されたと言っていいだろう。」と表現しているのに対
し,被告書籍記述部分では「その意味で,このホテルは山口正造の代で
完成を見たといってもいいだろう。」と表現しており,その具体的内容
及び具体的表現において共通するものとはいえない。
このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは,述べられてい
る趣旨は共通するものの,その具体的内容及び具体的表現は異なるもの
であって,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を再製したものとは
いえない。また,被告書籍記述部分から,原告書籍記述部分における創
作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
タ小括
(ア)以上によれば,別紙対比表1の№71の原告書籍記述部分(下線
部分)は,表現上の創作性を有する著作物であり,同対比表の№71
の被告書籍記述部分(前段の下線部分)は,上記原告書籍記述部分の
複製に当たるから(前記ス),被告Bが上記被告書籍記述部分を含む
被告書籍を執筆し,被告講談社がこれを出版物として発行したこと
は,被告らによる上記原告書籍記述部分についての複製権侵害と認め
られる。
(イ)他方で,別紙対比表1のうち,上記(ア)以外の各原告書籍記述部
分については,表現上の創作性を有するものと認められないか,ある
いは,対応する各被告書籍記述部分が上記各原告書籍記述部分におけ
る創作的表現を再製したものとはいえないものであり,また,上記各
被告書籍記述部分から,上記各原告書籍記述部分における創作性のあ
る表現上の本質的な特徴を直接感得することもできないのであるか
ら(前記アないしシ,セ,ソ),上記各被告書籍記述部分が上記各原
告書籍記述部分の複製又は翻案に当たるものとは認められない。
(2)別紙対比表2について
原告は,原告書籍のうち,別紙対比表2のX1ないしX21の「物語」
欄の各記述部分は,それぞれが表現上の創作性を有する著作物であり,こ
れに対応する被告書籍の「破天荒力」欄の各記述部分は,上記各原告書籍
記述部分の複製又は翻案に当たる旨主張する。
アX1について
(ア)原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも仙之助の出
生から山口粂蔵の養子となるまでの出自に関する記述であり,両者を
比較すると,①仙之助の戸籍上の出生地が実在しない地名であるこ
と,②仙之助の実父の紹介,③仙之助が山口粂蔵の養子となったこ
と,④粂蔵が横浜で「伊勢楼」という遊郭を営んでいたこと,④粂蔵
が新たに「神風楼」という遊郭も開いたこと,⑤粂蔵は「伊勢楼」を
姪に任せ,自らは「神風楼」の経営に当たったこと,⑥当時の横浜
で,外国人客を取ることが許されていた遊郭は「岩亀楼」という遊郭
だけであったが,粂蔵の働きかけによりどの店でも外国人客を取るこ
とができるようになったこと,以上の①ないし⑥の事実が述べられて
いる点において共通するものといえる。
しかしながら,これらの事実やその周辺事実についての具体的表現
においては,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど
共通性がみられず,むしろ,被告書籍記述部分には,粂蔵が横浜で遊
郭を経営していたことに関連して,当時の遊郭の性格を説明する記述
があったり,当時の横浜の異国然とした様子を説明し,少年時代の仙
之助が幕末のうちに「文明開化」を経験していたという独自の視点を
述べる記述があるなど,原告書籍記述部分にはみられない特徴的な表
現部分がみられる。
また,仙之助の出自を説明するに当たって,上記の各事実を取り上
げることに格別の独自性があるとはいえず,もとより,これらの事実
を先行文献から取捨選択し,あるいは,独自の調査でこれらの事実を
発見したことそれ自体に,原告書籍記述部分における表現上の本質的
な特徴があるといえるものでもない。
このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは,仙之助の出
自を紹介するに当たって,同一の事実を取り上げて記述しているとい
う点においては共通するものの,その具体的表現は異なるものであっ
て,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を再製したものとはいえ
ない。また,被告書籍記述部分から,原告書籍記述部分における創作
性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ)これに対し原告は,原告書籍記述部分においては,ミステリアス
な出生についての謎やそれまでタブーとされてきた仙之助と遊郭との
つながりにスポットライトを当てて,仙之助の幼少期について述べた
点に原告独自の創意工夫があり,創作性を有し,この点において共通
する被告書籍記述部分は,本質的な部分において原告書籍記述部分と
同一性又は類似性がある旨主張する。
しかしながら,仙之助の戸籍上の出生地とされる「神奈川県橘樹郡
大根村」が実在しない地名であるという点についての両者の表現ぶり
を比較すると(別紙対比表2のX1(同一箇所)の№1),原告書籍
記述部分においては,その事実を「ミステリアスな話だ」として強調
した上で,「現在の秦野市に大根という地名はあるが,橘樹郡ではな
く,大住郡である」ことや,現在の港北区にある大曽根村の「曽」の
字が抜けたとの指摘があることを説明するなど,この点を詳しく論じ
ているのに対し,被告書籍記述部分では,「橘樹郡大根村は実在しな
い地名で,出生地については諸説ある」との簡略な紹介を述べている
のみであり,表現上の特徴が異なっている。
また,仙之助と遊郭とのつながりについては,「富士屋ホテルの建
築」(甲11の3)に,仙之助の略歴として,「横浜の遊郭神風楼の
経営者山口粂蔵の養子となり」と記載されており(38頁),しか
も,仙之助の出自を説明する中で,その養父の職業に触れることはご
く自然なことであるから,これを取り上げたこと自体に原告独自の工
夫があるともいえない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
イX2について
原告書籍記述部分は,「八十年史」に記載された,仙之助がアメリカ
から持ち帰った牛7頭を「駒場勧業寮」に売却したとの記述に着目し,
その事実を確認するために,原告が国立国会図書館等の資料に当たるな
どして調査した過程を物語風に述べている記述であり,その調査の結果
として,「農務顛末」という資料から仙之助が政府に牛5頭を1頭25
0円,合計1250円で売却した事実が確認されたこと,その金額を当
時の巡査の初任給4円から推測すると,現在の価値は5000万円くら
いになること,その大金が富士屋ホテル建設の礎となったことなどを述
べている記述である。
他方,被告書籍記述部分は,「突然の転身−慶應義塾入塾」と題し
て,アメリカから帰国した後,慶應義塾に入塾するまでの仙之助の事績
として,アメリカから牛を持ち帰って牧畜業を営もうとしたが,それに
行き詰まって牛を売却し,それを原資として慶応義塾に入学したことな
どを述べている記述である。
両者を比較すると,①仙之助がアメリカから持ち帰った牛を政府に売
却したという事実が述べられていること,②「農務顛末」という資料を
挙げ,売却した牛の頭数や金額が具体的に述べられていること,③当時
の巡査の初任給4円から牛の売却代金1250円の現在の価値を500
0万円くらいになるとしていることなどにおいて共通するものの,その
具体的表現にはほとんど共通性は認められない。
すなわち,原告書籍記述部分においては,仙之助がアメリカから持ち
帰った牛の行方という謎を設定した上で,それを解明していく調査の過
程を記述していくという表現手法を採っていることや,仙之助が手にし
た大金が富士屋ホテル建設の礎となったとの結論に結びつけ,そのこと
を,「「牛」がホテルになった」との特徴的な表現で描写した点など
に,表現上の特徴が認められる。これに対し被告書籍記述部分は,仙之
助が帰国後,慶應義塾に入塾するまでの経過を述べる中で,上記①ない
し③に係る事実を簡単に紹介しているに過ぎず,原告書籍記述部分にお
けるような表現手法が採られているものではないし,その結論において
も,被告書籍記述部分では,仙之助が手にした大金は慶應義塾入塾の原
資となったとしているのであって,原告書籍記述部分とは趣旨が異なっ
ている。
また,仙之助が売却した牛の売却代金の現在の価値を売却当時の巡査
の初任給から5000万円くらいと推測するというのはアイデアであ
り,そのアイデアに基づく具体的表現(別紙対比表2のX2(同一箇
所)の№11)は異なっている。
なお,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,仙之助が持ち帰っ
た牛7頭のうちの2頭が売却前に死亡したとの推測を述べている点にお
いても共通するものといえるが,原告書籍記述部分の当該部分はありふ
れた表現であり,創作性を認めることができないことは,前記(1)アのと
おりである。
以上のとおり,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,それ自体
が表現とは認められない事実やアイデア又はそれらについてのありふれ
た表現において共通しているにすぎず,特徴的な表現部分においては異
なるものであるから,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を再製し
たものとはいえない。また,被告書籍記述部分から,原告書籍記述部分
における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもでき
ない。
ウX3について
(ア)原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも仙之助によ
る富士屋ホテル開業の経過に関する記述であり,両者を比較すると,
①仙之助が箱根宮ノ下の「藤屋」という旅館を買い取ったこと,②「
藤屋」が500年の歴史を持つ由緒ある旅館で,豊臣秀吉が小田原征
伐の際に宿泊したと伝えられていること,③仙之助は,ホテル開業に
当たって「藤屋」の屋号を「富士屋」に改めたが,それは外国人が富
士山に憧れをもっていることを意識してのことであること,以上の①
ないし③の事実が述べられている点において共通するものといえる。
しかしながら,これらの事実についての具体的表現においては,原
告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど共通性がみられ
ない。むしろ,原告書籍記述部分には,鎌倉時代にさかのぼる「藤
屋」の来歴について記述があるのに,被告書籍記述部分にはそれがな
かったり,他方,被告書籍記述部分には,仙之助は当初浅間山にホテ
ルを建てるつもりだったが,山が高すぎて物資が運べなかったことか
らこれを断念した経緯が紹介されているのに,原告書籍記述部分には
それがないなど,両者の間で特徴的な表現部分における相違がみられ
る。
このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは,仙之助によ
る富士屋ホテル開業の経過を説明するに当たって,同一の事実を取り
上げて記述しているという点においては共通するものの,その具体的
表現は異なるものであって,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分
を再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分から,原告書
籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得す
ることもできない。
(イ)これに対し原告は,原告書籍記述部分においては,数あるエピソ
ードの中から,前記(ア)①ないし③のエピソードを取り上げて,これ
らを表現した点に原告の独自性があり,創作性を有し,この点におい
て共通する被告書籍記述部分は,本質的な部分において原告書籍記述
部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
しかし,前記(ア)①ないし③の事実は,「小史」(甲12の1頁,
2頁)や「八十年史」(甲13の3の2頁,3頁,7頁)にも記載さ
れており,しかも,仙之助による富士屋ホテル開業の経過を説明する
に当たって,その前身である藤屋旅館を紹介したり,「富士屋」への
改名の理由を説明することはごく自然なことであるから,上記の各事
実を取り上げたことに格別の独自性があるとはいえないし,これらの
事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上
の本質的な特徴があるといえるものでもない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
エX4について
(ア)原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも明治16年
の富士屋ホテルの大火に関する記述であり,両者を比較すると,①明
治16年の大火で富士屋ホテルが全焼したこと,②その後,仙之助が
養父粂蔵の下で,雑役に服したこと,③明治17年,仙之助は,粂蔵
からの融資を受けて,富士屋ホテルを復興したこと,以上の①ないし
③の事実が時系列で述べられている点において共通するものといえ
る。
しかしながら,これらの事実についての具体的表現においては,原
告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど共通性がみられ
ない。むしろ,原告書籍記述部分には,大火で従業員1名が亡くなっ
たことに触れ,仙之助は,行方不明になっていた従業員を不信に思っ
ていたが,帳簿を抱いたままの焼死体が発見されたため,不信に思っ
たことを詫びて手厚く葬ったという仙之助の人柄を表すエピソードが
記述されているのに,被告書籍記述部分にはそれがないなど,特徴的
な表現部分における相違がみられる。
このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは,仙之助の富
士屋ホテルに関わる事績を記述するに当たって,同一の事実を取り上
げて時系列で記述しているという点においては共通するものの,その
具体的表現は異なるものであって,被告書籍記述部分は,原告書籍記
述部分を再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分から,
原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接
感得することもできない。
(イ)これに対し原告は,原告書籍記述部分においては,仙之助に関す
る数あるエピソードの中から,前記(ア)①ないし③のエピソードを選
び,前記の流れで記述した点に原告の独自性があり,創作性を有し,
この点において共通する被告書籍記述部分は,本質的な部分において
原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
しかし,前記(ア)①ないし③の事実は,「小史」(甲12の12
頁)や「八十年史」(甲13の3の19頁,20頁)にも記載されて
おり,しかも,仙之助の富士屋ホテルに関する事績を記述するに当た
って,富士屋ホテルが全焼するに至った明治16年の大火に触れるこ
とは当然のことであり,その際,その後の復興に至る経過を述べるこ
ともごく自然なことであるから,上記の各事実を取り上げて時系列で
記述したことに格別の独自性があるとはいえないし,また,これらの
事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上
の本質的な特徴があるといえるものでもない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
オX5について
(ア)原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも明治16年
の大火で全焼した後,富士屋ホテルの建物か再建されていった経過に
関する記述であり,両者を比較すると,①明治17年に最初の平屋建
てが完成したこと,②その建物は,その後改築,移築を繰り返し,「
高いところにある家」という意味の「アイリー」という呼び名がつけ
られたこと,③①の建物に続き,明治18年に日本館が新築されたこ
と,④続いて,明治19年に洋館が建てられたこと,⑤この洋館は,
後に移築され,「隠者の庵」という意味の「ハーミテイジ」という呼
び名がつけられたこと,⑥更に,明治20年に「別荘」と称する日本
館が建てられたこと,以上の①ないし⑥の事実が述べられている点に
おいて共通するものといえる。
しかしながら,これらの事実についての具体的表現においては,原
告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど共通性がみられ
ない。むしろ,被告書籍記述部分には,大火後の最初の建物「アイリ
ー」の特徴的なデザインである「唐破風」について,「仙之助は,外
国人宿泊客を喜ばせるものとして考えていたようである。」,「いか
にも日本的なその意匠は,当時の外国人の異国趣味を満足させるの
に,うってつけだったのであろう。」などと,外国人客を対象とした
仙之助のホテル経営戦略と関連づけた説明がされているのに対し,原
告書籍記述部分にはそのような趣旨の記述はないなど,特徴的な表現
部分における相違がみられる。
このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは,仙之助の富
士屋ホテルに関わる事績を記述するに当たって,同一の事実を取り上
げて記述しているという点においては共通するものの,その具体的表
現は異なるものであって,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を
再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分から,原告書籍
記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得する
こともできない。
(イ)これに対し原告は,原告書籍記述部分においては,仙之助の偉業
を語るに当たって,富士屋ホテルの大火の後,明治17年から20年
までの富士屋ホテルの増築及び建築された各建物の呼び名やその特徴
に係る事実に着目したことは原告独自の視点であり,創作性を有し,
この点において共通する被告書籍記述部分は,本質的な部分において
原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
しかし,これらの事実(前記(ア)①ないし⑥)は,「小史」(甲1
2の1頁)や「八十年史」(甲13の3の22頁,23頁,45頁)
にも記載されており,しかも,仙之助の富士屋ホテルに関する事績を
記述するに当たって,富士屋ホテルが大火で全焼した後の復興に至る
経過を述べること,また,その際に,復興の初期に次々と建てられた
建物について説明することは自然なことであるから,これらの事実を
取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし,ま
た,これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分に
おける表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
カX6について
原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも仙之助による箱
根の道路開削事業に関する記述であり,両者を比較すると,①明治19
年から20年にかけて道路開削事業が行われたこと,②仙之助はその事
業に自ら1000円の資金を提供し,有志からの借入れもしたこと,③
完成した道路の距離,幅,総工費の具体的な数字,以上の①ないし③の
事実が述べられている点において共通するものといえる。
しかしながら,これらの事実についての具体的表現においては,原告
書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で格別の共通性は認められず,
結局のところ,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通している
のは,それ自体が表現とは認められない事実又はそれらについてのあり
ふれた表現であるにすぎない。
また,上記の各事実は,「小史」(甲12の1頁)や「八十年史」(
甲13の3の34頁,35頁)にも記載されており,しかも,仙之助の
箱根にまつわる事績を記述するに当たって,その功績が顕著であった道
路開削事業に触れることはごく自然なことであり,その際,事業資金の
原資や完成した道路の概要を述べることも自然なことであるから,これ
らの事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえない
し,また,これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部
分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
以上のとおり,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,それ自体
が表現とは認められない事実又はそれらについてのありふれた表現にお
いて共通しているにすぎず,その具体的表現は異なるものであるから,
被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。
また,被告書籍記述部分から,原告書籍記述部分における創作性のある
表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
キX7について
原告書籍記述部分は,仙之助の事績として,①明治24年に火力発電
機を買い入れ,富士屋ホテル全館を点灯したとの事実等を述べている部
分(甲2の60頁),②明治26年に蛇骨川の水流を利用した水力発電
に着手したとの事実等を述べている部分(同61頁),③明治24年の
火力発電機導入,明治26年の水力発電計画に続いて,明治37年には
本格的な発電事業に乗り出し,「宮之下水力発電合資会社」を設立した
事実等を述べている部分(同96,97頁)及び④明治39年に「大日
本ホテル業同盟会」を設立し,その会長に就任した事実等を述べている
部分(同84頁)を抜き出し,それらを上記の順序で並べたものであ
る。
他方,被告書籍記述部分は,「“私”より“公”のサムライ・スピリ
ッツ」と題して,仙之助の事績のうち,ホテル事業や道路開削のほかに
箱根の発展に寄与した事業として,発電事業と「大日本ホテル業同盟
会」の結成を取り上げ,それらの概要等を述べている記述である。
両者を比較すると,いずれも上記①ないし④の事実が述べられている
点において共通するものの,その具体的表現には格別の共通性は認めら
れない。被告書籍記述部分は,仙之助が道路開削のほかに,電力事業及
び同業者の連帯を目指した同盟会の結成に尽力したことを総合して,「
仙之助の頭には,常に「共存共栄」の四文字があった」と捉え,この点
を「明治人特有の大いなる志,すなわち「サムライ・スピリッツ」を強
く感じる」と特徴的なフレーズで表現しているのに対し,原告書籍記述
部分は,発電事業に関する事実と「大日本ホテル業同盟会」の結成に関
する事実を,それぞれ別々の箇所で述べているのみで,それらを総合し
て仙之助の「共存共栄」の考え方を物語るものとして位置付けているわ
けではないし,仙之助の考え方の具体的表現も被告書籍記述部分とは全
く異なるのであって,両者の間で特徴的な表現部分における相違がみら
れる。
また,上記の各事実は,「小史」(甲12の1頁)や「八十年史」(
甲13の3の46頁,47頁,67頁,69頁)にも記載されており,
しかも,仙之助の事績を記述するに当たって,その功績が顕著であった
電力事業や現在の日本ホテル協会の前身である「大日本ホテル業同盟
会」の結成に触れることは自然なことであるから,これらの事実を取り
上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし,また,これ
らの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現
上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
以上のとおり,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,仙之助の
事績を記述するに当たって,同一の事実を取り上げて記述しているとい
う点においては共通するものの,その具体的表現は異なるものであるか
ら,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を再製したものとはいえな
い。また,被告書籍記述部分から,原告書籍記述部分における創作性の
ある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
クX8について
(ア)原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも富士屋ホテ
ルと「奈良屋旅館」との関係について述べた記述であり,両者を比較
すると,①箱根において,奈良屋旅館と富士屋ホテルとがライバル関
係にあったこと,②明治16年の大火後,両者が,建物の再建を競っ
て行うなどして外国人客の争奪戦を繰り広げたこと,③両者の競争
は,明治35年に,「富士屋ホテルは外国人専用,奈良屋旅館は日本
人専用にする」という内容の契約を取り交わすことによって収束した
こと,以上の①ないし③の事実が述べられている点において共通する
ものといえる。
しかしながら,これらの事実やその周辺事実についての具体的表現
においては,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど
共通性がみられない。むしろ,原告書籍記述部分においては,明治1
6年の大火後に,次々に建築された奈良屋旅館や富士屋ホテルの建物
の外観や様式等についての説明が詳細に述べられ,特に富士屋ホテル
の建物については,筆者自身の体験に基づく描写や感想の記述が相当
の分量をもって述べられているのに対し,被告書籍記述部分において
はそのような記述がないなど,特徴的な表現部分における相違がみら
れる。
このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,仙之助の事
績を記述するに当たって,同一の事実を取り上げて記述しているとい
う点においては共通するものの,その具体的表現は異なるものである
から,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を再製したものとはい
えない。また,被告書籍記述部分から,原告書籍記述部分における創
作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ)これに対し原告は,原告書籍記述部分においては,「国益のため
に外貨を稼ぐ」という仙之助の隠れた創業の目的にスポットを当て,
奈良屋との競争とユニークな契約というテーマを取り上げ,これに関
する各史実が述べられている点に原告の独自性があり,創作性を有
し,この点において共通する被告書籍記述部分は,本質的な部分にお
いて原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
しかしながら,仙之助のホテル経営の目的が外貨を獲得することに
あったと結論付けることは,「八十年史」の記載から自然に導かれる
結論にすぎないものであって,格別の独自性が認められないことは,
前記(1)エで述べたとおりである。また,富士屋ホテルと奈良屋旅館と
が競争関係にあったことや前記(ア)③のような契約を取り交わしたこ
とは,いずれも「箱根温泉史」(甲10の94頁,140頁)や「八
十年史」(甲13の3の48頁)にも記載されており,しかも,仙之
助の富士屋ホテルに関する事績を記述するに当たって,ライバルであ
った奈良屋旅館との競争関係について述べることは自然なことである
から,前記(ア)①ないし③の事実を取り上げて記述したことに格別の
独自性があるとはいえないし,また,これらの事実を取捨選択したこ
とそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴がある
といえるものでもない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
ケX9について
原告書籍記述部分は,仙之助の富士屋ホテル経営に当たっての姿勢に
ついて,①「慶應義塾出身名流列傳」という本に出てくる,仙之助が,
岩崎彌之助,古川市兵衛等の名士の富士屋ホテル来宿を謝絶したとのエ
ピソード,及び「八十年史」に記載された仙之助の言葉を引用した上
で,仙之助がホテル事業を日本の外貨獲得のためという大局から見てい
た旨を述べている部分(別紙対比表2のX9(同一箇所)の№36),
②富士屋ホテルと奈良屋旅館との間で取り交わされた契約内容の一部を
紹介した部分(同№37)を上記の順序で並べたものであり,それぞれ
が原告書籍の別々の箇所にある記述のまとまりであり,連続性のあるひ
とまとまりの記述ではない。
他方,被告書籍記述部分は,「日本人の客は来てもらはずともよい」
と題して,仙之助の「一ホテルの利益を超えて,国益のために外貨を稼
ぐという経営哲学」を物語るものとして,いずれも原告書籍記述部分と
同一の「八十年史」に記載された仙之助の言葉及び「慶應義塾出身名流
列傳」の中のエピソードを引用し,それらについてコメントを加え,更
に,富士屋ホテルと奈良屋旅館との間で取り交わされた契約内容の一部
を紹介するなどしている記述である。
まず,原告書籍記述部分のうち上記①の部分とこれに対応する被告書
籍記述部分とは,同一文献の同一部分を引用し,述べられている趣旨を
抽象化したレベルにおいては共通するものの,その具体的内容及び具体
的表現は異なるものであるから,上記被告書籍記述部分は,上記原告書
籍記述部分を再製したものとはいえないこと,上記被告書籍記述部分か
ら,上記原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴
を直接感得することもできないことは,前記(1)オのとおりである。
次に,原告書籍記述部分のうち上記②の部分とこれに対応する被告書
籍記述部分とを比較すると,富士屋ホテルと奈良屋旅館との間で取り交
わされた契約書の条項中に,富士屋が日本人客を,奈良屋が外国人客
を,それぞれ泊める場合には,宿泊料の一割を相手方に支払わねばなら
ないとの条項や富士屋は英語,奈良屋は日本語でしか広告を出してはい
けないとの条項があったことが述べられている点において共通するもの
といえる。
しかしながら,上記の点は,「八十年史」(甲27の426頁,42
7頁,431頁)にも記載された契約書の条項の内容そのものであり,
上記原告書籍記述部分は,これをありふれた表現で記述しているものに
すぎない。すなわち,上記原告書籍記述部分は,先行文献に記載された
契約書の条項の内容という客観的事実をありふれた表現で記述した文章
にすぎないものであり,この部分のみを取り上げて,筆者の個性が現れ
ているということはできず,創作性を認めることはできない。
コX10について
原告書籍記述部分は,「慶應義塾出身者名流列傳」という本の中にあ
る,福沢諭吉が仙之助に対して「今後勉強せんよりは寧ろ実業界に入り
て一旗挙ぐるに適せり」と訓戒したとの記述を引用し,「この助言が富
士屋ホテル創業の一つのきっかけになったといわれている」と述べてい
る記述である。
他方,被告書籍記述部分は,「学問は実学であるべし−」と題して,
福沢諭吉が仙之助に箱根にホテルを造るよう勧めたとの筆者の推測を述
べた上で,それを裏付けるものとして,原告書籍記述部分と同じ「慶應
義塾出身者名流列傳」中の記述を引用し,実学論者である福沢の思想に
ついて言及するなどしている記述である。
両者を比較すると,いずれも同一の文献にある同一の部分を引用し,
そこに出てくる福沢の言葉と仙之助による富士屋ホテルの創業とを結び
つけている点において共通するものの,その具体的表現にはほとんど共
通性は認められない。しかも,福沢の上記訓戒の意味について,原告書
籍記述部分では,福沢が「野心家で行動的な仙之助の性格を・・・見抜
いていた」ものと理解しているのに対し,被告書籍記述部分では,福沢
が,単に仙之助の性格的な適性を見抜いていたということに止まらず,
仙之助には「これまでの経験で培ってきた国際人としての感覚と行動力
がある」ことに着目し,「実業の世界で名を成し,わが国の経済振興の
一役を担うべし」と言っているものと理解し,実学論者としての福沢の
思想に結びつけて捉えている点において,記述の趣旨が異なっている。
このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,仙之助の事績
を記述するに当たって,同一の文献にある同一の部分を引用して,福沢
の言葉と仙之助の富士屋ホテル創業とを結びつけている点においては共
通するものの,記述の全体的な趣旨や具体的表現は異なるものであるか
ら,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を再製したものとはいえな
い。また,被告書籍記述部分から,原告書籍記述部分における創作性の
ある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
サX11について
(ア)原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも福沢諭吉が
箱根の道路開発を進めるべきとの意見を持っていたことに関する記述
であり,両者を比較すると,①福沢が明治6年に「足柄新聞」に載せ
た「箱根道普請の相談」と題する文章の内容を引用し,福沢が箱根の
道路開発を進めるべきとの意見を持っていたことを述べている点,②
仙之助の道路開削事業が福沢の上記意見に影響されたものであるとの
推測を述べている点において共通するものといえる。
しかしながら,これらの点についての具体的表現においては,原告
書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど共通性がみられな
い。しかも,上記②の推測の根拠について,原告書籍記述部分におい
ては,福沢が「足柄新聞」に「箱根道普請の相談」と題する文章を載
せた時期(明治6年)と仙之助が慶應義塾に入塾した時期(明治7
年)が近接していることに着目しているのに対し,被告書籍記述部分
においては,そのような視点はなく,発電事業や大日本ホテル業同盟
会の結成をも含めた「共存共栄」を旨とする仙之助の数々の事績が,
いずれも実学や事業によって国益に寄与することを重視した福沢に感
化されたものであったとして,仙之助の事績全体を福沢の思想的影響
によるものであるとの捉え方をしているのであり,両者の間で記述の
趣旨が異なっている。
このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,それ自体が
表現とは認められない事実又は述べられている趣旨を抽象化したレベ
ルにおいては共通するものの,その具体的表現は異なるものであるか
ら,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を再製したものとはいえ
ない。また,被告書籍記述部分から,原告書籍記述部分における創作
性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ)これに対し原告は,仙之助が「明治7年」に慶応義塾に入学した
ことを独自の調査により突き止めたことで,「足柄新聞」に関連する
一連の時期と,仙之助が慶応義塾で諭吉に学んだ時期が重なっている
ことを発見し,その発見から,ホテル創業の地として仙之助が箱根を
選んだ理由に対する答えとして,背景に福澤諭吉の存在があったとい
う独自の推論を打ち立てたものであり,原告書籍記述部分において
は,上記のような原告独自の推論とそれに行き着くためのエピソード
が述べられている点に原告の独自性があり,創作性を有し,この点に
おいて共通する被告書籍記述部分は,本質的な部分において原告書籍
記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
しかしながら,前記(ア)②のような推測あるいは推論の結論それ自
体は,著作権法上の保護の対象とはいえないアイデアにすぎず,著作
権法上保護されるのは,そのような推測の結果を導き出す過程等も含
めた記述における具体的表現である。また,上記推測に係る事実を先
行文献から取捨選択し,あるいは,独自の調査でこれらの事実を発見
したことそれ自体に,原告書籍記述部分における表現上の本質的な特
徴があるといえるものでもない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
シX12について
(ア)原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも正造の事績
のうち,渡米に至る経緯と渡米後の正造の活動を述べた記述であり,
両者を比較すると,①正造が渡米を決意した理由は,中学校を病気で
1年休学した後,復学して下級生と机を並べるのが嫌だったためであ
ること,②正造の父は,正造の渡米に当初反対したが,結局は承知
し,渡米費用として600円を出したこと,③正造は,明治32年に
船で日本を発ち,翌年にサンフランシスコに到着したこと,④その時
の正造の所持金は80ドルしかなかったこと,⑤他方,当時のサンフ
ランシスコの一流ホテルの宿泊料は1泊4ドルだったこと,⑥その
後,正造はドイツ人の家でボーイとして働くようになったこと,⑦と
ころが,その家の女主人と喧嘩してクビになったこと,以上の①ない
し⑦の事実が述べられている点において共通するものといえる。
しかしながら,これらの事実やその周辺事実についての具体的表現
においては,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど
共通性がみられない。むしろ,原告書籍記述部分においては,正造の
渡米に当たって,兄真一が所持金を腹巻きに縫いつける気づかいをし
てくれたこと,サンフランシスコに到着した正造が,ロックフェラー
気取りで,ポーターに命じてトランクを一流ホテルに運ばせたこと,
ドイツ人の家を出た後,公園で喧嘩をして警察の世話になったことな
ど,正造や兄真一の人柄を示すエピソードが述べられているのに対
し,被告書籍記述部分においてはそのような記述がないなど,両者の
間で特徴的な表現部分における相違がみられる。
このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,正造の渡米
について記述するに当たり,同一の事実を取り上げて記述していると
いう点においては共通するものの,その具体的表現は異なるものであ
るから,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を再製したものとは
いえない。また,被告書籍記述部分から,原告書籍記述部分における
創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ)これに対し原告は,原告書籍記述部分においては,「懐想録」に
記載された正造に関する数あるエピソードの中から,正造を描く上で
興味深く,的確と思われるものとして,前記(ア)①ないし⑦のような
エピソードを取捨選択し,上記の流れで記述した点に原告の創意工夫
があり,創作性を有し,この点において共通する被告書籍記述部分
は,本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性があ
る旨主張する。
しかしながら,前記(ア)①ないし⑦の事実は,「懐想録」のみなら
ず,「八十年史」(甲27の82頁,84頁)や真一著の「ホテルと
共に七拾五年」(金谷ホテル株式会社,昭和29年。以下「ホテルと
共に七拾五年」という。)(甲29の4の32頁,33頁)にも記載
されている事実であり,しかも,正造の事績や人物像を描くに当たっ
て,正造が若くして渡米した事実に触れることは当然のことである
し,その際,正造が渡米を決意した理由,渡米に当たっての父とのや
りとり,渡米後の活動などを述べることも自然なことであるから,上
記の各事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえ
ないし,また,これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍
記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもな
い。さらに,原告書籍記述部分の記述の流れも,時系列に従ったもの
で,やはりそれ自体に,表現上の本質的な特徴があるとはいえない。
このことは,「ホテルと共に七拾五年」における上記記載部分におい
ても,おおむね上記の各事実が同様の順序で記述されていることから
も明らかである。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
スX13について
(ア)原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも正造が渡米
後,更にイギリスに渡るまでの経緯を述べた記述であり,両者を比較
すると,①正造がサンフランシスコからロンドンに行くことを思い立
ったこと,②その理由は,日本からの船が出入りするサンフランシス
コにいると日本への未練が残るからというものであったこと,③イギ
リスに渡るためには,金谷ホテルに来ていた客の従者になって連れて
行ってもらえばいいと考え,そのような客を捜すために,日本からの
豪華客船が入港するバンクーバーへ向かったこと,④バンクーバーで
は,教会に寄宿し,日本人相手に英語を教えたこと,⑤ある日,金谷
ホテルに来ていた客で,カークウッドというイギリス人を見つけたこ
と,⑥カークウッドは,イギリス到着後は責任を負わないという条件
付きで,正造を病人の付添人として雇い,イギリスに同行したこと,
以上の①ないし⑥の事実が述べられている点において共通するものと
いえる。
しかしながら,これらの事実やその周辺事実についての具体的表現
においては,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で格別の共
通性はみられない。
このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,正造が渡米
後,更にイギリスに渡るまでの経緯について記述するに当たり,同一
の事実を取り上げて記述しているという点においては共通するもの
の,その具体的表現は異なるものであるから,被告書籍記述部分は,
原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また,被告書籍記述
部分から,原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な
特徴を直接感得することもできない。
(イ)これに対し原告は,原告書籍記述部分においては,「懐想録」に
記載された正造に関する数あるエピソードの中から,正造を描く上で
興味深く,的確と思われるものとして,前記(ア)①ないし⑥のような
エピソードを取捨選択し,上記の流れで記述した点に原告の創意工夫
があり,創作性を有し,この点において共通する被告書籍記述部分
は,本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性があ
る旨主張する。
しかしながら,前記(ア)①ないし⑥の事実は,「懐想録」のみなら
ず,「八十年史」(甲27の84頁)や「ホテルと共に七拾五年」(
甲29の4の33頁∼35頁)にも記載されている事実であり,しか
も,正造の事績や人物像を描くに当たって,正造が若くして海外に渡
り,様々な苦労を経験した事実に触れることは当然のことであるし,
その中でも,いったん渡ったアメリカから更にイギリスにまで渡った
理由やその方法について述べることは自然なことであるから,上記の
各事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえない
し,また,これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述
部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。さ
らに,原告書籍記述部分の記述の流れも,時系列に従ったもので,や
はりそれ自体に,表現上の本質的な特徴があるとはいえない。このこ
とは,「ホテルと共に七拾五年」における上記記載部分においても,
おおむね上記の各事実が同様の順序で記述されていることからも明ら
かである。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
セX14について
(ア)原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも正造のロン
ドンにおける事績について述べた記述であり,両者を比較すると,①
ロンドンに渡った正造は,最初日本大使館のボーイとして勤めたこ
と,②2年後,正造は,谷と三宅という2人の日本人柔道家と知り合
い,彼らと共にロバート・ライトというイギリス人が経営する道場で
柔道を教えるとともに,柔道の興行をするようになったこと,③その
後,ライトの搾取ぶりを知った正造らは,ライトのもとを離れ,3人
で柔道の興行をやるようになったこと,④3人は,徐々にその存在を
知られるようになり,ロンドン市内に柔道場を持つまでになったこ
と,⑤その結果,正造は,経済的にも成功をおさめ,豪邸に住むよう
になったこと,以上の①ないし⑤の事実が述べられている点において
共通するものといえる。
しかしながら,これらの事実やその周辺事実についての具体的表現
においては,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど
共通性がみられない。むしろ,原告書籍記述部分においては,正造と
同時代の人物である野口英世を取り上げ,野口と正造の行動や性格を
比較し,常識外れでありながら人々を惹きつける不思議なパワーを持
っていたところやチャンスを掴む天才であったところが共通している
などと述べられているのに対し,被告書籍記述部分においてはそのよ
うな記述がないなど,両者の間で特徴的な表現部分における相違がみ
られる。
このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,正造のロン
ドンにおける事績について記述するに当たり,同一の事実を取り上げ
て記述しているという点においては共通するものの,その具体的表現
は異なるものであるから,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を
再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分から,原告書籍
記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得する
こともできない。
(イ)これに対し原告は,原告書籍記述部分においては,「懐想録」に
記載された正造に関する数あるエピソードの中から,正造を描く上で
興味深く,的確と思われるものとして,前記(ア)①ないし⑤のような
エピソードを取捨選択し,上記の流れで記述した点に原告の創意工夫
があり,創作性を有し,この点において共通する被告書籍記述部分
は,本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性があ
る旨主張する。
しかしながら,前記(ア)①ないし⑤の事実は,「懐想録」のみなら
ず,「八十年史」(甲27の84頁,85頁)や「ホテルと共に七拾
五年」(甲29の4の35頁,36頁)にも記載されている事実であ
り,しかも,正造の事績や人物像を描くに当たって,正造が若くして
海外に渡り,様々な苦労を経験した事実に触れることは当然のことで
あるし,その中でも,イギリスにおいて豪邸に住むまでの成功をおさ
めるに至った経緯について述べることは自然なことであるから,上記
の各事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえな
いし,また,これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記
述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
さらに,原告書籍記述部分の記述の流れも,時系列に従ったもので,
やはりそれ自体に,表現上の本質的な特徴があるとはいえない。この
ことは,「ホテルと共に七拾五年」における上記記載部分において
も,おおむね上記の各事実が同様の順序で記述されていることからも
明らかである。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
ソX15について
(ア)原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも日光にいる
正造の父と兄が雑誌の記事によって正造の消息を知ったというエピソ
ードについて述べた記述であり,両者を比較すると,金谷ホテルの客
が忘れていった雑誌に,アポロというロシア人ボクサーと闘って勝っ
た日本人の記事が出ており,そこに載っていた写真から,その日本人
が正造であることがわかったという事実が述べられている点において
共通するものといえる。
しかしながら,上記の事実についての具体的表現においては,原告
書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で格別の共通性はみられな
い。むしろ,原告書籍記述部分においては,正造の兄真一の内面の描
写として,雑誌に載っていた正造の写真が自分に似ていたことに驚い
たことや,たった一人で異国で頑張っていた弟の姿にうれしさを覚え
たことが述べられているのに対し,被告書籍記述部分においては,そ
のような描写はなく,雑誌に載った正造の写真を見た父や兄が「たま
げた」ことが述べられているにすぎないなど,両者の間で特徴的な表
現部分における相違がみられる。
このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,正造のロン
ドンにおける事績について記述するに当たり,同一の事実を取り上げ
て記述しているという点においては共通するものの,その具体的表現
は異なるものであるから,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を
再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分から,原告書籍
記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得する
こともできない。
(イ)これに対し原告は,原告書籍記述部分においては,原告が様々な
資料に当たるなどして調査した結果,前記(ア)のエピソードに正造の
破天荒ぶりがよく表れていて興味深いと考えたことから,取り上げた
ものであり,この点に原告の独自性があり,創作性を有し,この点に
おいて共通する被告書籍記述部分は,本質的な部分において原告書籍
記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
しかしながら,上記エピソードに係る事実は,「ホテルと共に七拾
五年」(甲29の4の37頁)にも記載されている事実であり,しか
も,正造の事績や人物像を描くに当たって,正造が若くして海外に渡
り,そこで経験した事実に触れることは当然のことであるし,その中
でも,イギリスにおける活躍ぶりを示す興味深いエピソードとして,
上記の事実を取り上げることは自然なことであるから,上記の事実を
取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし,ま
た,この事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分におけ
る表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
タX16について
(ア)原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも正造が富士
屋自動車株式会社を設立した経緯について述べた記述であり,両者を
比較すると,①正造が大正3年に富士屋自動車株式会社を設立し,箱
根でハイヤー業を始めたこと,②そのきっかけは,富士屋ホテルの宿
泊客であったホイットニーというアメリカ陸軍少佐が,予約した貸自
動車が時間どおりに来なかったため,列車に遅れそうになったことか
ら,「一流ホテルなら自動車を持つべきだ」という趣旨の手紙を正造
に送ったためであること,③正造は,人力車や駕籠かきの人夫らに配
慮し,会社の株主になるよう勧めたが,嫌がらせを受けることもあっ
たこと,以上の①ないし③の事実が述べられている点において共通す
るものといえる。
しかしながら,これらの事実やその周辺事実についての具体的表現
においては,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で格別の共
通性はみられない。
このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,正造が富士
屋自動車株式会社を設立した経緯について記述するに当たり,同一の
事実を取り上げて記述しているという点においては共通するものの,
その具体的表現は異なるものであるから,被告書籍記述部分は,原告
書籍記述部分を再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分
から,原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴
を直接感得することもできない。
(イ)これに対し原告は,原告書籍記述部分においては,正造の成し遂
げた数ある偉業の中から,正造を描く上で,前記(ア)①ないし③のよ
うなエピソードを取捨選択した点及び正造による富士屋自動車設立に
関連して「箱根にモータリゼーションの時代が来た」旨の表現をした
点に原告の独自性があり,創作性を有し,この点において共通する被
告書籍記述部分は,本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性
又は類似性がある旨主張する。
しかしながら,前記(ア)①ないし③の事実は,「八十年史」(甲2
7の97頁∼99頁),「箱根温泉史」(甲10の3の104頁
頁),「懐想録」(乙3の63頁,335頁)にも記載されている事
実であり,しかも,正造の事績を述べるに当たって,箱根の近代化を
もたらしたという観点から重要と考えられる富士屋自動車株式会社の
設立に触れることは自然なことであるし,その際に,同社設立のきっ
かけとなったエピソードについて述べたり,設立に伴って生じたあつ
れきについて述べたりすることも自然なことであるから,上記の各事
実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし,
また,これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分
における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。さら
に,原告書籍記述部分の記述の流れも,それ自体に表現上の本質的な
特徴があるとはいえない。このことは,「八十年史」における上記記
載部分においても,「富士屋自動車會社の創立」と題して,おおむね
上記の各事実が同様の順序で記述されていることからも明らかであ
る。なお,「モータリゼーション」という言葉を使用した表現部分に
ついて原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とでは,特徴的な表現部
分において異なることは,前記(1)コのとおりである。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
チX17について
(ア)原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも関東大震災
によって富士屋ホテルが壊滅的な被害を受けたことなどについて述べ
た記述であり,両者を比較すると,①正造が大正11年に外国人用の
旅館であった「はふや」を買収し,箱根ホテル株式会社を設立したこ
と,②「箱根ホテル」の開業後営業は順調であったが,その矢先,関
東大震災が発生したこと,③震災により,箱根ホテルは全壊,富士屋
ホテルも大きな被害を受け,富士屋自動車の自動車も灰になったこ
と,以上の①ないし③の事実が述べられている点において共通するも
のといえる。
しかしながら,これらの事実やその周辺事実についての具体的表現
においては,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど
共通性がみられない。むしろ,原告書籍記述部分には,震災後の建物
被害の状況を詳しく説明する記述や,震災時の富士屋ホテルにいた「
久邇宮朝融王殿下」をはじめ113名の宿泊客が一夜を明かす様子を
描写する記述があるのに対し,被告書籍記述部分には,そのような記
述はなく,被害結果を簡略に説明する記述や,「宿泊客の安全を確保
し,数日のうちに箱根を脱出させた」との記述があるのみである。ま
た,被告書籍記述部分においては,正造の自伝中の言葉を引用し,順
調な経営を続けていた矢先に震災により多大な被害を受けた正造の無
念の思いを描写する記述があるのに対し,原告書籍記述部分において
は,そのような記述はない。両者の間には,特徴的な表現部分におけ
る相違がみられる。
このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,関東大震災
によって富士屋ホテルが壊滅的な被害を受けたことなどについて記述
するに当たり,同一の事実を取り上げて記述しているという点におい
ては共通するものの,その具体的表現は異なるものであるから,被告
書籍記述部分は,原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。ま
た,被告書籍記述部分から,原告書籍記述部分における創作性のある
表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ)これに対し原告は,原告書籍記述部分においては,関東大震災に
関する数あるエピソードの中から,上記①ないし③のようなエピソー
ドを取捨選択し,上記の流れで記述した点に原告の独自性があり,創
作性を有し,この点において共通する被告書籍記述部分は,本質的な
部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張す
る。
しかしながら,前記(ア)①ないし③の事実は,「八十年史」(甲2
7の136頁,137頁,143頁,148頁,149頁),「箱根
温泉史」(甲10の3の117頁),「懐想録」(乙3の86頁,8
7頁,89頁∼91頁)にも記載されている事実であり,しかも,正
造のホテル経営にまつわる事績を描くに当たって,「箱根ホテル」を
開業したことや関東大震災によって大きな被害を受けたことに触れる
のは当然のことであるし,その際に,被害の状況等について述べるこ
とも自然なことであるから,上記の各事実を取り上げて記述したこと
に格別の独自性があるとはいえないし,また,これらの事実を取捨選
択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特
徴があるといえるものでもない。さらに,原告書籍記述部分の記述の
流れも,時系列に従ったもので,それ自体に表現上の本質的な特徴が
あるとはいえない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
ツX18について
(ア)原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも正造と孝子
の離婚とその後の二人の生き方などについて述べた記述であり,両者
を比較すると,①震災により富士屋ホテルが壊滅的な被害を受けた際
に,正造の兄真一が故郷日光に帰参することを正造に勧めたが,正造
がこれを拒絶したエピソード,真一が正造に日光帰参を勧めた真意は
正造夫婦の不仲を察していたからかもしれないとの推測,②孝子及び
正造の人物描写,正造と孝子が別れる場合には一方が富士屋ホテルを
出て行かざるを得なかったこと,③大正15年に正造と孝子が離婚
し,正造が富士屋ホテルにとどまり,孝子が出ていったこと,④その
後,孝子はスコットランド人実業家と再婚したが,正造は再婚しなか
ったこと,⑤その後の正造が,従業員の教育に力を注ぎ,「富士屋ホ
テルトレーニングスクール」を開設したこと,⑥「富士屋ホテルトレ
ーニングスクール」は,多くの卒業生をホテル業界に送り出したこ
と,以上の①ないし⑥の事実等が述べられている点において共通する
ものといえる。また,被告書籍記述部分が,原告書籍記述部分のう
ち,「富士屋ホテル」を正造の結婚相手に喩えて,正造が「結婚し
た」のは「富士屋ホテルだったのかもしれない」と表現した部分を複
製した記述を含むことは,前記(1)スのとおりである。
しかしながら,上記複製部分は原告書籍記述部分のごく一部の記述
部分であって,上記複製部分を除く,ほとんどの記述部分において
は,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で上記①ないし⑥に
ついての具体的表現に格別の共通性はみられない。
このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,正造と孝子
の離婚とその後の二人の生き方などについて記述するに当たり,同一
の事実を取り上げて記述しているという点においては共通し,ごく一
部の記述部分には複製部分がみられるものの,その複製部分を除く,
ほとんどの記述部分においては具体的表現は異なるものであるから,
原告書籍記述部分の全体と被告書籍記述部分の全体との対比の観点か
らみると,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を再製したものと
はいえない。また,被告書籍記述部分から,原告書籍記述部分におけ
る創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできな
い。
(イ)これに対し原告は,原告書籍記述部分においては,震災,離婚,
人材育成,トレーニングスクール設立というストーリー展開及び前記(
ア)①ないし⑥のようなエピソードの選択と記述の流れにおいて,読者
を惹きつけるための原告の独自性があり,創作性を有し,これらのエ
ピソードの選択と記述の流れが共通する被告書籍記述部分は,原告書
籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
しかしながら,前記(ア)①ないし⑥の事実は,「懐想録」(乙3の
序文,39頁,54頁∼56頁,88頁∼90頁,95頁,101
頁,107頁,109頁,120頁,164頁,304頁等),「八
十年史」(甲27の105頁,169頁,170頁等)にも記載され
ている事実であり,しかも,正造の事績や人物像を描くに当たって,
妻孝子との関係や離婚の経過,その後の二人の生き方などに触れるの
は当然のことであるし,その際に,上記の各事実について述べること
も自然なことであるから,上記の各事実を取り上げて記述したことに
格別の独自性があるとはいえないし,また,これらの事実を取捨選択
したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴
があるといえるものでもない。さらに,原告書籍記述部分の記述の流
れも,おおむね時系列に従ったもので,それ自体に表現上の本質的な
特徴があるとはいえない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
テX19について
(ア)原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも正造の特徴
であった「髭」に関するエピソードを紹介した記述であり,両者を比
較すると,①正造と兄真一がともに,髭を生やしていたこと,②その
後,真一は髭を落としたが,正造は落とさなかったこと,③正造の髭
が地元で有名であったこと,④正造は,夜寝るとき,羽二重の袋に髭
を入れていたこと,⑤昭和6年に,正造が,「万国髭倶楽部」という
団体を設立したこと,⑥万国髭倶楽部には,世界各国の髭自慢が集ま
り,国際交流が図られたこと,⑦正造は,万国髭倶楽部を富士屋ホテ
ルをPRするものと考えていたこと,⑧富士屋ホテルには,今も万国
髭倶楽部のメンバーの写真が飾られていること,以上の①ないし⑧の
事実が述べられている点において共通するものといえる。
しかしながら,上記の各事実についての具体的表現においては,原
告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で格別の共通性はみられな
い。むしろ,原告書籍記述部分においては,原告の育った家に掲げら
れていた正造の肖像画の紹介や祖父から正造の髭にまつわるエピソー
ドを聞かされたことなど,正造の髭について,原告自身の体験に基づ
く具体的な描写が述べられているのに対し,被告書籍記述部分におい
てはそのような描写はなかったり,他方,被告書籍記述部分において
は,正造が万国髭倶楽部を富士屋ホテルのPRに利用したことについ
て,「かつて福住正兄が安藤広重に浮世絵を描かせ,湯治場としての
箱根と福住旅館をコマーシャリズムに乗せようとした」ことと比較
し,「まったく同じ発想ではないか」と述べているのに対し,原告書
籍記述部分においてはそのような記述はないなど,両者の間で特徴的
な表現部分における相違がみられる。
このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,正造の特徴
であった「髭」に関するエピソードを紹介するに当たり,同一の事実
を取り上げて記述しているという点においては共通するものの,その
具体的表現は異なるものであるから,被告書籍記述部分は,原告書籍
記述部分を再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分か
ら,原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を
直接感得することもできない。
(イ)これに対し原告は,原告書籍記述部分においては,正造にまつわ
る数あるエピソードの中から,「髭」にまつわるエピソードや「万国
髭倶楽部」の創立という史実を選択するなどした点に原告の独自性が
あり,創作性を有し,この点において共通する被告書籍記述部分は,
本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨
主張する。
しかしながら,前記(ア)①ないし⑧の事実は,「懐想録」(乙3の
82頁,83頁,264頁,265頁等),「八十年史」(甲27の
164頁),「ホテルと共に七拾五年」(甲29の4の60頁,62
頁)にも記載されている事実であり,しかも,正造の事績や人物像を
描くに当たって,正造の外見的な特徴である「髭」について触れるの
は自然なことであるし,その際に,上記(ア)①ないし⑧のようなユニ
ークなエピソードに着目し,これらについて述べることも自然なこと
であるから,上記の各事実を取り上げて記述したことに格別の独自性
があるとはいえないし,また,これらの事実を取捨選択したことそれ
自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえ
るものでもない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
トX20について
(ア)原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも正造が,日
本の習俗,習慣等を英語で紹介する冊子「WeJapanese」を発刊した経
緯についての記述であり,両者を比較すると,①正造が,外国人が知
りたがる日本の習俗,習慣等について,英語による短い解説文を,富
士屋ホテルのレストランの献立表に載せるようになったこと,②その
後,正造は,献立表に記載したものをもとにして,昭和9年に「WeJa
panese」と題した冊子を発刊したこと,③その後,「WeJapanese」は
第3巻まで刊行されたこと,以上の①ないし③の事実が述べられてい
る点において共通するものといえる。
しかしながら,上記の各事実についての具体的表現においては,原
告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で格別の共通性はみられな
い。
このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは,正造が「We
Japanese」を発刊した経緯について記述するに当たり,同一の事実を
取り上げて記述しているという点においては共通するものの,その具
体的表現は異なるものであるから,被告書籍記述部分は,原告書籍記
述部分を再製したものとはいえない。また,被告書籍記述部分から,
原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接
感得することもできない。
(イ)これに対し原告は,原告書籍記述部分においては,正造にまつわ
る数あるエピソードの中から,「WeJapanese」に関するエピソード
を,正造が「海外への日本のPR」という広い視野を持っていたこと
を示す興味深いエピソードとして選択し,これを前記(ア)①ないし③
の流れで記述した点に原告の独自性があり,創作性を有し,この点に
おいて共通する被告書籍記述部分は,本質的な部分において原告書籍
記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
しかしながら,前記(ア)①ないし③の事実は,「八十年史」(甲2
7の176頁,177頁,314頁),「懐想録」(乙3の153
頁,154頁等)にも記載されている事実であり,しかも,正造の富
士屋ホテルに関わる事績を描くに当たって,正造が富士屋ホテルの宿
泊客であった外国人とどのように関わったのかについて触れるのは自
然なことであるし,その際に,正造のユニークな事績である「WeJapa
nese」発刊に注目し,その経緯について述べることも自然なことであ
るから,上記の各事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があ
るとはいえないし,また,これらの事実を取捨選択したことそれ自体
に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるも
のでもない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
ナX21について
原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は,いずれも昭和11年に完
成した花御殿(フラワーパレス)と呼ばれる新館についての記述であ
り,両者を比較すると,①正造の考えが花御殿の設計の細部にまで反映
されていたとの事実が述べられ,それに関して,正造の花御殿に対する
思いを「・・・注ぎ込む」という言葉を用いて表現している点,②花御
殿の落成をもって富士屋ホテルが完成したという趣旨の評価を述べてい
る点,③花御殿の客室の説明として,花の名前が付けられていた事実,
ドアにはその花の絵が掲げられていた事実,ルームキーにドアと同じ絵
が描かれた木製の巨大なキーホルダーが付けられていた事実及び室内の
絨毯に部屋の名前と同じ花が織り込まれていた事実を述べている点にお
いて,共通性が認められるものといえる。
しかしながら,上記①及び②の点については,原告書籍記述部分と被
告書籍記述部分とで,これらの共通点にかかわらず,具体的表現におい
て相違するものであることは,前記(1)セ,ソのとおりである。
また,上記③の点については,いずれも「富士屋ホテルの建築」(甲
11の3の26頁)に,花御殿の客室についての説明として,おおむね
同様に記載されている事実であるから,花御殿について述べるに当たっ
て,上記事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえ
ないし,また,上記事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部
分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。また,
上記事実の具体的な表現ぶりをみても,原告書籍記述部分と被告書籍記
述部分とで共通するのは,ありふれた表現であるにすぎない。
以上によれば,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分を再製したも
のとはいえないし,また,被告書籍記述部分から,原告書籍記述部分に
おける創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできな
い。
ニ小括
以上のとおり,別紙対比表2の各被告書籍記述部分は,いずれも,こ
れに対応する各原告書籍記述部分における創作的表現を再製したとはい
えないものであり,また,上記各被告書籍記述部分から,上記各原告書
籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得する
こともできないのであるから,上記各被告書籍記述部分が上記各原告書
籍記述部分の複製又は翻案に当たるものとは認められない。
(3)別紙対比表3について
原告は,原告書籍のうち,別紙対比表3のY1ないしY5の「物語」欄
の各記述部分は,それぞれが表現上の創作性を有する著作物であり,これ
に対応する被告書籍の「破天荒力」欄の各記述部分は,上記各原告書籍記
述部分の複製又は翻案に当たる旨主張する。
アY1について
原告書籍記述部分は,「Ⅰ箱根山に王国を築く−仙之助」の章にあ
る「日本人を泊めないホテル」との見出しに係る記述の一部(甲2の7
2頁冒頭∼83頁3行)であり,富士屋ホテルのある宮ノ下を紹介する
記述に続いて,X9の原告書籍記述部分があり,更に続いてX8の原告
書籍記述部分がある。
他方,被告書籍記述部分は,「第一章チャンスは非常識にあり−山
口仙之助」の章にある「富士屋vs.奈良屋の外国人客争奪戦」,「国益,
外貨獲得のためのホテル業!?」及び「「日本人の客は来てもらはずと
もよい」」との見出しに係る記述の全部(甲1の48頁2行∼55頁4
行)であり,「富士屋vs.奈良屋の外国人客争奪戦」においては,冒頭か
らX8の被告書籍記述部分があり,続く「国益,外貨獲得のためのホテ
ル業!?」においては,仙之助が外貨獲得のためにホテル業を志した背
景事情等が記述され,更に続く「「日本人の客は来てもらはずともよ
い」」においては,X9の被告書籍記述部分がある。
原告は,Y1の中に含まれるX8及びX9の各被告書籍記述部分が,
それぞれに対応する各原告書籍記述部分と同一性又は類似性があること
を根拠として,Y1における被告書籍記述部分と原告書籍記述部分にも
同一性又は類似性がある旨主張する。
しかしながら,X8及びX9の各被告書籍記述部分は,これに対応す
る各原告書籍記述部分を再製したものではないこと,上記各被告書籍記
述部分から,上記各原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本
質的な特徴を直接感得することができないことは,前記(2)ク,ケのとお
りである。
また,これらを上記のとおり組み合わせたY1全体の記述を比較して
みても,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分における創作的表現部
分を再製したものとはいえないし,被告書籍記述部分から,原告書籍記
述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得すること
もできない。
イY2について
原告書籍記述部分は,「Ⅰ箱根山に王国を築く−仙之助」の章に
ある「新天地」との見出しに係る記述の一部(甲2の46頁5行∼50
頁1行)であり,慶應義塾を紹介する記述に続いて,X10の原告書籍
記述部分があり,更に続いてX11の原告書籍記述部分がある。
他方,被告書籍記述部分は,「第二章実学のススメ−福沢諭吉」の
章にある「学問は実学であるべし−」及び「箱根の道路開削をけしかけ
ろ!」との見出しに係る記述の全部(甲1の77頁2行∼81頁末行)
であり,「学問は実学であるべし−」においては,冒頭からX10の被
告書籍記述部分があり,続く「箱根の道路開削をけしかけろ!」におい
ては,X11の被告書籍記述部分がある。
原告は,Y2の中に含まれるX10及びX11の各被告書籍記述部分
が,それぞれに対応する各原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある
ことを根拠として,Y2における被告書籍記述部分と原告書籍記述部分
にも同一性又は類似性がある旨主張する。
しかしながら,X10及びX11の各被告書籍記述部分は,これに対
応する各原告書籍記述部分を再製したものではないこと,上記各被告書
籍記述部分から,上記各原告書籍記述部分における創作性のある表現上
の本質的な特徴を直接感得することができないことは,前記(2)コ,サの
とおりである。
また,これらを上記のとおり組み合わせたY2全体の記述を比較して
みても,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分における創作的表現部
分を再製したものとはいえないし,被告書籍記述部分から,原告書籍記
述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得すること
もできない。
ウY3について
原告書籍記述部分は,「Ⅱ繁栄と大脱線−正造」の章にある「放
浪」との見出しに係る記述の全部と「花と自動車」との見出しに係る記
述の一部(甲2の114頁冒頭∼126頁2行)であり,「放浪」にお
いては,冒頭の導入部分に続いて,X12ないしX15の各原告書籍記
述部分が順に続き,最後に,正造が英国女性との結婚を望んだが,父の
反対を受け,あきらめて帰国した経過が記述され,続く「花と自動車」
においては,正造が仙之助の婿となり,その後,富士屋ホテルの経営に
当たるようになったことが記述されている。
他方,被告書籍記述部分は,「第六章「奇妙人」のおもしろがる精
神−山口正造」の章にある「無鉄砲な一七歳,海を渡る」,「幸運の女
神に導かれてイギリスへ」,「ロンドンで「柔道家」として成功」及
び「帰国,“山口正造”時代の幕開き」との見出しに係る記述の全部(
甲1の196頁冒頭∼204頁末行)であり,「無鉄砲な一七歳,海を
渡る」においては,正造とその実家である「金谷ホテル」を紹介する記
述に続いて,X12の原告書籍記述部分があり,続く「幸運の女神に導
かれてイギリスへ」においては,X13の原告書籍記述部分があり,続
く「ロンドンで「柔道家」として成功」においては,X14の原告書籍
記述部分があり,更に続く「帰国,“山口正造”時代の幕開き」におい
ては,その冒頭からX15の原告書籍記述部分があり,続いて,正造が
英国から帰国した経緯,孝子と結婚し,富士屋ホテルの経営に関わって
いった経過,正造に対する仙之助の心情などが記述されている。
原告は,Y3の中に含まれるX12ないしX15の各被告書籍記述部
分が,それぞれに対応する各原告書籍記述部分と同一性又は類似性があ
ることを根拠として,Y3における被告書籍記述部分と原告書籍記述部
分にも同一性又は類似性がある旨主張する。
しかしながら,X12ないしX15の各被告書籍記述部分は,これに
対応する各原告書籍記述部分を再製したものではないこと,上記各被告
書籍記述部分から,上記各原告書籍記述部分における創作性のある表現
上の本質的な特徴を直接感得することができないことは,前記(2)シない
しソのとおりである。
また,これらを上記のとおり組み合わせたY3全体の記述を比較して
みても,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分における創作的表現部
分を再製したものとはいえないし,被告書籍記述部分から,原告書籍記
述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得すること
もできない。
なお,原告は,Y3の原告書籍記述部分と被告書籍記述部分には,上
記X12ないし15の各記述部分以外にも,別紙対比表3のY3の№5
4ないし№57の番号を付した記述部分(ただし,下線部分)のように
共通する記述部分があるとして,その点も上記主張の根拠とする。しか
しながら,このうち,№55ないし57の各原告書籍記述部分と各被告
書籍記述部分とが共通しているのは,それ自体が表現とはいえない,先
行文献(№55につき「懐想録」(乙3)54,207頁,№56につ
き「八十年史」(甲27)84頁,№57につき「懐想録」(乙3)8
3頁)にも記載された事実それ自体又はそれらについてのありふれた表
現であるにすぎず,創作的表現において同一性又は類似性が認められる
ものではない。また,№54の各記述部分は,記述全体の趣旨や展開と
は直接結びつかない,局部的な記述部分にすぎず,これが共通するから
といって,上記判断が左右されるものではない。
エY4について
原告書籍記述部分は,「Ⅱ繁栄と大脱線−正造」の章にある「孤
独」との見出しに係る記述の一部(甲2の147頁冒頭∼153頁14
行目)であり,ほぼ冒頭からX17の原告書籍記述部分があり,それに
続いて,X18の原告書籍記述部分がある。
他方,被告書籍記述部分は,「第六章「奇妙人」のおもしろがる精
神−山口正造」の章にある「関東大震災で倒壊,二代目の負けじ
魂」,「富士屋ホテルと結婚した男」及び「人材育成でもホテル業界を
リード」との見出しに係る記述の全部(甲1の215頁2行∼221頁
2行)であり,「関東大震災で倒壊,二代目の負けじ魂」においては,
冒頭からX17の被告書籍記述部分があり,続く「富士屋ホテルと結婚
した男」においては,X18の被告書籍記述部分があり,更に続く「人
材育成でもホテル業界をリード」においては,冒頭からX18の被告書
籍記述部分の残りが続き,最後に,正造が「富士屋ホテルトレーニング
スクール」を続けたのは,「ホテル業界全体の発展に寄与し,社会に貢
献しようという想い」によるものであるとの筆者の意見が述べられてい
る。
原告は,Y4の中に含まれるX17及びX18の各被告書籍記述部分
が,それぞれに対応する各原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある
ことを根拠として,Y4における被告書籍記述部分と原告書籍記述部分
にも同一性又は類似性がある旨主張する。
しかしながら,X17及びX18の各被告書籍記述部分は,これに対
応する各原告書籍記述部分を再製したものではないこと,上記各被告書
籍記述部分から,上記各原告書籍記述部分における創作性のある表現上
の本質的な特徴を直接感得することができないことは,前記(2)チ,ツの
とおりである。
また,これらを上記のとおり組み合わせたY4全体の記述を比較して
みても,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分における創作的表現部
分を再製したものとはいえないし,被告書籍記述部分から,原告書籍記
述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得すること
もできない。
オY5について
原告書籍記述部分は,「Ⅱ繁栄と大脱線−正造」の章にある「万国
髭倶楽部」との見出しに係る記述の一部(甲2の157頁冒頭∼163
頁7行)であり,冒頭からX19の原告書籍記述部分があり,それに続
いて,X20の原告書籍記述部分がある。
他方,被告書籍記述部分は,「第六章「奇妙人」のおもしろがる精
神−山口正造」の章にある「「萬国髭倶楽部」の創設」との見出しに係
る記述の全部及び「日本文化を紹介する『WeJapanese』刊行」との見出
しに係る記述の一部(甲1の221頁3行∼226頁9行)であ
り,「「萬国髭倶楽部」の創設」においては,冒頭からX19の原告書
籍記述部分があり,続く「日本文化を紹介する『WeJapanese』刊行」に
おいては,X20の原告書籍記述部分がある。
原告は,Y5の中に含まれるX19及びX20の各被告書籍記述部分
が,それぞれに対応する各原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある
ことを根拠として,Y5における被告書籍記述部分と原告書籍記述部分
にも同一性又は類似性がある旨主張する。
しかしながら,X19及びX20の各被告書籍記述部分は,これに対
応する各原告書籍記述部分を再製したものではないこと,上記各被告書
籍記述部分から,上記各原告書籍記述部分における創作性のある表現上
の本質的な特徴を直接感得することができないことは,前記(2)テ,トの
とおりである。
また,これらを上記のとおり組み合わせたY5全体の記述を比較して
みても,被告書籍記述部分は,原告書籍記述部分における創作的表現部
分を再製したものとはいえないし,被告書籍記述部分から,原告書籍記
述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得すること
もできない。
カ小括
以上によれば,別紙対比表3のY1ないし5の各被告書籍記述部分
は,いずれも,対応する各原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たるも
のとは認められない。
(4)仙之助及び正造を主人公とした章全体について
ア仙之助を主人公とした章全体について
原告書籍記述部分は,原告書籍の「Ⅰ箱根山に王国を築く−仙之
助」の章全体(甲2の13頁∼101頁)の記述部分であり,被告書籍
記述部分は,被告書籍の「第一章チャンスは非常識にあり−山口仙之
助」の章全体(甲1の27頁∼62頁)の記述部分である。
原告は,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間に多数の同一又
は類似の箇所が存在すること,具体的には,最も狭い範囲における表現
上の同一性又は類似性が認められる箇所として別紙対比表1の№10,
19,23,35,36及び38の各記述部分,より広い範囲における
事実の取捨選択等に関する同一性又は類似性が認められる箇所として別
紙対比表2のX1ないしX9の各記述部分,更により広い範囲における
事実の取捨選択等に関する同一性又は類似性が認められる箇所として別
紙対比表3のY1の各記述部分が存在することを根拠として,被告書籍
記述部分全体が原告書籍記述部分全体の翻案に当たる旨主張する。
しかしながら,前記(1)ないし(3)で述べたところから明らかなとお
り,原告が原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で同一性又は類
似性が認められるとして指摘する上記の箇所については,各被告書籍記
述部分は,これに対応する各原告書籍記述部分を再製したものではない
こと,上記各被告書籍記述部分から,上記各原告書籍記述部分における
創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することができないこと
に照らすならば,原告書籍記述部分全体と被告書籍記述部分全体とを対
比してみても,後者が前者の翻案に当たらないことは明らかである。
なお,原告は,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分には,上記の箇
所以外にも,別紙対比表5のW1ないしW3記載のとおり同一又は類似
する記述箇所がある旨主張するが,いずれも,原告書籍記述部分及び被
告書籍記述部分の中において,局部的な事実の記述内容が共通している
部分にすぎず,それらが共通するからといって,上記判断を左右するも
のではない。
イ正造を主人公とした章全体について
原告書籍記述部分は,「Ⅱ繁栄と大脱線−正造」の章全体(甲2の
103頁∼181頁)の記述部分であり,被告書籍記述部分は,被告書
籍の「第六章「奇妙人」のおもしろがる精神−山口正造」の章全体(
甲1の195頁∼236頁)の記述部分である。
原告は,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間に多数の同一又
は類似の箇所が存在すること,具体的には,最も狭い範囲における表現
上の同一性又は類似性が認められる箇所として別紙対比表1の№47,
58,62,68,69,71,89及び91の各記述部分,より広い
範囲における事実の取捨選択等に関する同一性又は類似性が認められる
箇所として別紙対比表2のX12ないしX21の各記述部分,更により
広い範囲における事実の取捨選択等に関する同一性又は類似性が認めら
れる箇所として別紙対比表3のY3ないしY5の各記述部分が存在する
ことを根拠として,被告書籍記述部分全体が原告書籍記述部分全体の翻
案に当たる旨主張する。
しかしながら,前記(1)ないし(3)で述べたところから明らかなとお
り,原告が原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で同一性又は類
似性が認められるとして指摘する上記の箇所(ただし,別紙対比表1の
№71の前段の下線部分を除く。)については,各被告書籍記述部分
は,これに対応する各原告書籍記述部分を再製したものではないこと,
上記各被告書籍記述部分から,上記各原告書籍記述部分における創作性
のある表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないこと,別紙
対比表1の№71の前段の下線部分の複製部分は,原告書籍記述部分全
体からみるとごく一部の記述部分であることに照らすならば,原告書籍
記述部分全体と被告書籍記述部分全体とを対比してみても,後者が前者
の翻案に当たらないことは明らかである。
なお,原告は,原告書籍記述部分と被告書籍記述部分には,上記の箇
所以外にも,別紙対比表5のW4,W5記載のとおり同一又は類似する
記述箇所がある旨主張するが,いずれも,原告書籍記述部分及び被告書
籍記述部分の中において,局部的な事実の記述内容が共通している部分
にすぎず,それらが共通するからといって,上記判断を左右するもので
はない。
ウ小括
以上によれば,仙之助及び正造を主人公とした章全体の各被告書籍記
述部分は,いずれも,対応する各原告書籍記述部分の翻案に当たるもの
とは認められない。
(5)まとめ
以上のとおり,原告の主張は,別紙対比表1の№71の被告書籍記述部
分(前段の下線部分)が同№71の原告書籍記述部分の複製に当たり,被
告Bが上記被告書籍記述部分を含む被告書籍を執筆し,被告講談社がこれ
を発行した行為が,上記原告書籍記述部分についての複製権侵害に当たる
との限度で理由があるが,その余の複製権侵害又は翻案権侵害に関する主
張はいずれも理由がない。
2争点2(被告らによる氏名表示権及び同一性保持権の侵害の成否)につい

(1)原告は,被告書籍においては,原告書籍のうち別紙対比表1ないし3,
仙之助及び正造を主人公とした章全体の各記述部分を複製又は翻案してお
りながら,上記各記述部分の著作者である原告の氏名を表示していないか
ら,被告Bが被告書籍を執筆し,これを被告講談社が出版物として発行,
販売した行為は,原告の氏名表示権及び同一性保持権の侵害に当たる旨主
張する。
そこで検討するに,前記1の認定事実によれば,別紙対比表1の№71
の被告書籍記述部分(前段の下線部分)は同№71の原告書籍記述部分の
複製に当たるところ,被告書籍(甲1)においては,上記被告書籍記述部
分に係る上記原告書籍記述部分の著作者が原告であることの表示がされて
いないから,被告Bが被告書籍を執筆し,被告講談社がこれを発行,販売
した行為は,著作物である上記原告書籍記述部分についての原告の氏名表
示権侵害に当たるものと認められる。
次に,別紙対比表1の№71の被告書籍記述部分(前段の下線部分)と
同№71の原告書籍記述部分とを対比すると,上記被告書籍記述部分は,
上記原告書籍記述部分の記述の一部を改変したものと認められ,これが原
告の意に反することは明らかであるから,被告Bが被告書籍を執筆し,被
告講談社がこれを発行,販売した行為は,著作物である上記原告書籍記述
部分についての原告の同一性保持権侵害に当たるものと認められる。
しかし,前記1で説示したとおり,被告らは,原告書籍のうち,別紙対
比表1の№71の原告書籍記述部分以外の記述部分を複製又は翻案したも
のとは認められないから,上記原告書籍記述部分以外の記述部分に関する
氏名表示権及び同一性保持権の侵害をいう原告の上記主張は,その前提を
欠くものであって,いずれも理由がない。
(2)以上のとおり,原告の主張は,被告らの前記(1)の行為が原告書籍のう
ち,別紙対比表1の№71の原告書籍記述部分についての氏名表示権侵害
及び同一性保持権侵害に当たるとの限度で理由があるが,その余の氏名表
示権侵害及び同一性保持権侵害に関する主張はいずれも理由がない。
3争点(3)(原告の損害額)について
(1)被告らによる共同不法行為
前記1及び2の認定事実によれば,被告らは,被告Bが被告書籍を執筆
し,被告講談社がこれを発行,販売したことにより,別紙対比表1の№7
1の原告書籍記述部分に関する原告の複製権,氏名表示権及び同一性保持
権を共同して侵害したものであって,上記侵害について被告Bにおいては
故意が,また,被告講談社においては少なくとも過失があったものと認め
られるから,被告らの上記行為は共同不法行為に該当するものと解され
る。
したがって,被告らは,民法709条,719条により,原告に対し,
連帯して,原告が上記共同不法行為により被った損害を賠償する義務があ
るというべきである。
(2)原告の損害額
ア著作権(複製権)侵害による財産的損害
(ア)被告講談社が被告書籍を定価1600円で発行し,7430部販
売したこと,被告書籍の本文が239頁あることは,前記第3の3(2)
のとおり,当事者間に争いがない。
この点に関し原告は,被告書籍の販売部数は少なくとも3万部であ
る旨主張するが,本件証拠上,被告書籍の販売部数が7430部を超
えることを認めるに足りる証拠はない。
そうすると,被告講談社による被告書籍の販売額の合計額は,11
88万8000円となる。
(計算式・1600円×7430=1188万8000円)
(イ)そこで,上記(ア)の認定事実を前提に,被告らの複製権侵害に係
る別紙対比表1の№71の原告書籍部分についての使用料相当額を算
定するに,被告書籍は序章から終章まで8つの章(前記第2の1(3)
ア)から成り,その本文が全部で239頁に及ぶところ,上記原告書
籍記述部分に対応する被告書籍記述部分は,第6章中の1箇所のみで
あり,しかも,2行のごく短い文章にすぎないことなどからすると,
上記の使用料相当額は,被告書籍の販売額の合計額1188万800
0円の約0.4パーセントに当たる5万円と認めるのが相当である。
(ウ)したがって,原告が被告らに対し,原告書籍記述部分の複製権侵
害を理由として,著作権法114条3項に基づいて損害賠償を請求し
得る損害額は,上記5万円である。
イ著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害による慰謝料
被告らによる著作者人格権の侵害態様(特に,前記ア(イ)のとおり,
被告書籍のうち,侵害となる部分は極めて限られていること),被告書
籍の発行・販売部数,原告と被告らとの間における交渉経過,本件審理
の経過,その他本件に現れた一切の事情を総合考慮すれば,被告らの著
作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害により原告が被った精
神的苦痛に対する慰謝料は5万円と認めるのが相当である。
ウ弁護士費用相当額
原告は,本件訴訟の追行のため弁護士費用の負担を余儀なくされたも
のであり,本件事案の性質・内容,本件訴訟に至る経過,本件審理の経
過等諸般の事情にかんがみれば,被告らの著作権(複製権)侵害と相当
因果関係のある弁護士費用相当額については,前記アの損害額5万円の
2割に当たる1万円,また,被告らの著作者人格権(氏名表示権及び同
一性保持権)侵害と相当因果関係のある弁護士費用相当額についても,
前記イの慰謝料額5万円の2割に当たる1万円とそれぞれ認めるのが相
当である。
エよって,原告は,被告らに対し,著作権(複製権)侵害の不法行為に
よる損害賠償として6万円,著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持
権)侵害の不法行為による損害賠償として6万円の合計12万円及びこ
れに対する不法行為の日(被告書籍の第1刷発行日)である平成19年
6月5日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の
支払を求めることができる。
4結論
(1)前記1及び2によれば,原告の被告らに対する被告書籍の印刷等の差止
請求は,別紙対比表1の№71の原告書籍記述部分(下線部分)に関する
複製権,氏名表示権及び同一性保持権に基づき,同№71の被告書籍記述
部分(前段の下線部分)を削除しない限り,被告書籍の印刷,発行又は頒
布をしてはならないことを求める限度で差止めの必要があるものと認める
のが相当である。
(2)以上によれば,原告の請求は,被告らに対し,原告書籍についての著作
権(複製権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)に基づ
き,著作権法112条1項により,被告書籍のうち,別紙対比表1の№7
1の被告書籍記述部分(前段の下線部分)を削除しない限り,被告書籍を
印刷,発行又は頒布してはならないことを求め,上記著作権(複製権)侵
害及び上記著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害の不法行為
による損害賠償として12万円及びこれに対する平成19年6月5日から
支払済みまで年5分の割合による金員の連帯支払を求める限度で理由があ
るからこれを認容することとし,その余は理由がないからこれを棄却する
こととし,差止請求部分についての仮執行宣言は相当でないからこれを付
さないこととし,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第46部
裁判長裁判官大鷹一郎
裁判官大西勝滋
裁判官関根澄子
(別紙)書籍目録
1題号「破天荒力箱根に命を吹き込んだ「奇妙人」たち」
著者B
発行所株式会社講談社
2007年(平成19年)6月5日第1刷発行
2題号「箱根富士屋ホテル物語【新装版】」
著者A
発行者株式会社トラベルジャーナル
2002年(平成14年)4月27日第1刷発行

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◎事務所の名称は自由に選択可能
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