弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

平成23年6月9日判決言渡同日原本領収裁判所書記官
平成22年(行ケ)第10322号審決取消請求事件
口頭弁論終結日平成23年5月26日
判決
原告千寿製薬株式会社
同訴訟代理人弁護士岩坪哲
速見禎祥
同弁理士田中順也
被告参天製薬株式会社
同訴訟代理人弁護士岡田春夫
小池眞一
同弁理士深見久郎
森田俊雄
仲村義平
中村考志
秦野正和
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
特許庁が無効2009−800243号事件について平成22年8月31日にした
審決を取り消す。
第2事案の概要
本件は,原告が,下記1のとおりの手続において,被告の下記2の本件発明に係
る特許に対する原告の特許無効審判の請求について,特許庁が同請求は成り立たな
いとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は下記3のとおり)には,
下記4のとおりの取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。
1特許庁における手続の経緯
(1)本件特許(甲27)
被告は,平成15年11月17日,発明の名称を「Rhoキナーゼ阻害剤とβ遮
断薬からなる緑内障治療剤」とする特許出願(特願2003−386138,国内
優先権主張日:平成14年11月18日(特願2002−333213))をし,
平成21年5月29日,設定の登録(特許第4314433号)を受けた。以下,
この特許を「本件特許」といい,本件特許に係る明細書(甲27)を「本件明細
書」という。
(2)原告は,平成21年12月3日,本件特許の請求項1及び2に係る特許
(以下,請求項1記載の発明を「本件発明1」,請求項2記載の発明を「本件発明
2」といい,これらを併せて「本件発明」という。)について,特許無効審判を請
求し(乙1),無効2009−800243号事件として係属した。
(3)特許庁は,平成22年8月31日,「本件審判の請求は,成り立たな
い。」旨の本件審決をし,同年9月9日,その謄本が原告に送達された。
2本件発明の要旨
本件発明の要旨は,特許請求の範囲の請求項1及び2に記載された次のとおりの
ものである。文中の「/」は,「および/または」の部分を除き,改行部分を指す。
【請求項1】Rhoキナーゼ阻害剤とβ遮断薬との組み合わせからなる緑内障治療
剤であって,/該Rhoキナーゼ阻害剤が(R)−(+)−N−(1H−ピロロ
[2,3−b]ピリジン−4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドで
あり,/該β遮断薬がチモロールである,/緑内障治療剤
【請求項2】Rhoキナーゼ阻害剤とβ遮断薬との組み合わせからなり,お互いに
その作用を補完および/または増強することを特徴とする緑内障治療剤であって,
/該Rhoキナーゼ阻害剤が(R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]
ピリジン−4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドであり,/該β遮
断薬がチモロールである,/緑内障治療剤
3本件審決の理由の要旨
(1)本件審決の理由は,要するに,本件発明1及び2は,①下記アの引用例1
に記載された発明に下記イに記載された発明及び周知技術を適用し,又は②下記イ
の引用例2に記載された発明に下記ア,ウないしクに記載された事項を適用して,
当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえない,としたものであ
る。
ア引用例1:特表平7−508030号公報(甲1)
イ引用例2:国際公開第00/09162号パンフレット(甲2)
ウ周知例1:月刊眼科診療プラクティス42.点眼薬の使い方52∼53頁
(平成11年発行。甲5)
エ周知例2:月刊薬事38巻9号2311∼2331頁(平成8年発行。甲
6)
オ周知例3:Drugs,Vol.59,No.3,pp.411∼434(平成12年(2000年)
発行。甲7)
カ周知例4:ExpertOpinEmergingDrugs,Vol.7,No.1,pp.141∼163(平成
14年(2002年)発行。甲8)
キ周知例5:InvestOphthalmolVisSci,Vol.42,No.1,pp.137∼144(平成
13年(2001年)年発行。甲9)
ク周知例6:InvestOphthalmolVisSci,Vol.42,No.5,pp.1029∼1037(平
成13年(2001年)年発行。甲10)
(2)本件審決は,本件発明1に関する判断の前提として,引用例1に記載され
た発明(以下「引用発明1」という。),本件発明1と引用発明1との一致点及び
相違点,引用例2に記載された発明(以下「引用発明2」という。),本件発明1
と引用発明2との一致点及び相違点を,以下のとおり認定した。
ア引用発明1:HA1077等のカルシウムアンタゴニストとβ遮断薬であ
るチモロール等の眼圧を下降させる化合物との組合せを含む緑内障治療用の眼局所
用組成物
イ本件発明1と引用発明1との一致点:β遮断薬と他の薬剤との組合せからな
る緑内障治療剤であって,該β遮断薬がチモロールである,緑内障治療剤である点
ウ本件発明1と引用発明1との相違点:本件発明1では,上記他の薬剤がRh
oキナーゼ阻害剤であって,該Rhoキナーゼ阻害剤は(R)−(+)−N−(1
H−ピロロ[2,3−b]ピリジン−4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベン
ズアミドであるのに対して,引用発明1では,上記他の薬剤がHA1077等の
カルシウムアンタゴニストである点
エ引用発明2:Rhoキナーゼ阻害剤からなる緑内障治療剤であって,該Rh
oキナーゼ阻害剤が(R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジン
−4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドである緑内障治療剤
オ本件発明1と引用発明2との一致点:Rhoキナーゼ阻害剤を含む緑内障治
療剤であって,該Rhoキナーゼ阻害剤が(R)−(+)−N−(1H−ピロロ
[2,3−b]ピリジン−4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドで
ある緑内障治療剤である点
カ本件発明1と引用発明2との相違点:本件発明1が,β遮断薬であるチモロ
ールとRhoキナーゼ阻害剤である((R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,
3−b]ピリジン−4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドとの組合
せからなるのに対し,引用発明2はRhoキナーゼ阻害剤である((R)−(+)
−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジン−4−イル)−4−(1−アミノエ
チル)ベンズアミドからなる単剤である点
4取消事由
(1)引用発明1に基づく容易想到性の判断の誤り
(2)引用発明2に基づく容易想到性の判断の誤り
第3当事者の主張
1取消事由1(引用発明1に基づく容易想到性の判断の誤り)について
〔原告の主張〕
(1)引用発明1の認定について
アHA1077(塩酸ファスジル)は,p160ROCK阻害剤として優先
権主張日当時知られており(甲4),HA1077の一般的属性はカルシウムア
ンタゴニストであるとともにRhoキナーゼ阻害剤でもある(甲12∼14)。
特許法29条1項3号所定の刊行物に記載されている発明とは,刊行物に記載さ
れている事項及び記載されているに等しい事項から当業者が把握できる発明をいう
ところ,引用例1にはHA1077とチモロールの組合せよりなる緑内障治療剤
が開示されており,HA1077はカルシウムアンタゴニストであるとともにR
hoキナーゼ阻害剤であることも優先権主張日当時の技術常識であったのであるか
ら,当該技術常識を参酌すれば,引用例1には「Rhoキナーゼ阻害剤であるHA
1077とチモロールの組合せよりなる緑内障治療剤」が開示されているに等しい
ことは明らかである。
イ本件審決は,引用例1記載のHA1077がRhoキナーゼ阻害剤である
ことが当業者にとっての優先権主張日当時の技術水準であったことを認定しながら,
引用例1のチモロールと併用する化合物として記載されているのは,「カルシウム
アンタゴニスト」のみであると認定したものであって,前後の認定には整合性がな
く,理由が食い違っている。
引用例1のHA1077が,Rhoキナーゼ阻害剤としてではなく,あくまで
カルシウムアンタゴニストの具体的な化合物の一つとして,緑内障治療剤において
採用されることが意図されているにすぎないとの本件審決の認定は,当業者の認識
能力(技術水準),すなわち,HA1077とβ遮断薬の組合せよりなる緑内障
治療用併用剤の開示を見れば直ちにRhoキナーゼ阻害剤とβ遮断薬の組合せより
なる緑内障治療用併用剤の開示を読み取ることを度外視したものである。上記認定
は,引用例1の作成者の主観のみを忖度した認定であって,優先権主張日当時の当
業者の技術水準を踏まえた上で客観的にされるべき引用発明の認定を誤ったもので
ある。
ウなお,本件審決の引用発明1の認定は,特許・実用新案審査基準「医薬発
明」における「その化合物等を医薬用途に使用できることが明らかであるように当
該刊行物に記載されていない場合にも,当該刊行物に医薬発明が記載されていると
することができない」との記載を受けてのものと思われるが,カルシウムアンタゴ
ニストであるとともにRhoキナーゼ阻害剤であることも技術常識として優先権主
張日当時当業者に周知されていたHA1077について,この基準を当てはめる
ことは誤りである。
また,本件発明1は,実験結果に基づく機能や特性を発明特定事項とするもので
はないから,HA1077とチモロールとの組合せに係る実験例が引用例1に記
載されていないことは問題とはならない。進歩性の判断のための引用例としては,
技術的思想の開示があれば十分である。
(2)置換容易性の判断について
ア甲28の記載は,引用例1に記載されているカルシウムアンタゴニストと同
様の末梢循環改善作用を本件発明のRhoキナーゼ阻害剤が奏することを示唆する
ものであり,(R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジル−4−
イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドとカルシウムアンタゴニストは,
共に血管平滑筋の収縮を抑制し血管収縮を妨げる作用を奏するものであったという
優先権主張日当時の当業者の常識を示すものである。したがって,引用例1に接し
た当業者が,カルシウムアンタゴニストを,(R)−(+)−N−(1H−ピロロ
[2,3−b]ピリジル−4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドに
置換しようと試みる動機を付与するものである。
イカルシウムアンタゴニストの薬理的性質が主房水流出能にあることは優先権
主張日当時当業者に明らかであって(甲29),他方,Rhoキナーゼ阻害剤がT
M(線維柱帯)細胞やCM(毛様体筋)に作用し,主流出経路である経シュレム管
流出路からの房水流出を促進することが明らかであったから(甲9),引用例1に
おけるHA1077(Rhoキナーゼ阻害活性及びカルシウム拮抗作用を有する
物質)を,カルシウム拮抗薬(カルシウムアンタゴニスト)と同じ薬理活性を示す
Rhoキナーゼ阻害剤に置換することは,優先権主張日当時,当業者が容易に想到
できたことである。
ウ本件審決は,(R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジル
−4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドの作用機序がカルシウムア
ンタゴニストと同一であるという優先権主張日当時の技術常識を看過し,同一の作
用機序を有するカルシウムアンタゴニスト,特にHA1077と,(R)−
(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジル−4−イル)−4−(1−ア
ミノエチル)ベンズアミドとの置換が優先権主張日当時当業者にとって容易に想到
できたことを見逃したものである。
エなお,本訴において提出した甲28,29は,いずれも優先権主張日におけ
る周知技術を立証するためのものである。
(3)被告の主張について
ア原告は,引用例1に記載された「カルシウムアンタゴニスト」が「Rhoキ
ナーゼ阻害剤」と一致することを主張しているのではなく,人体に対して奏する作
用機序の同等性を根拠として当業者であれば前者を後者に置換することを容易に試
み得たことを主張するのであり,引用例1に列挙された「カルシウムアンタゴニス
ト」の薬理効果の全てがなければRhoキナーゼ阻害剤を考慮する余地がないとす
ることは,カルシウムアンタゴニストからRhoキナーゼ阻害剤への置換容易性の
議論を両者の非同一性の議論にすり替えるものであって,当を得ない。引用例1に
接した当業者であれば,虚血状態で起こるカルシウム過負荷の有害な影響を細胞か
ら保護する作用の存否にかかわらず,血管拡張作用と眼圧降下作用の組合せにより,
これらの一方の作用のみに依拠する場合に比して,緑内障に対する広い保護作用が
発揮されることが自明の事項として把握できるのである。しかして,カルシウムア
ンタゴニストであるHA1077はRhoキナーゼ阻害剤でもあることが当業者
常識であったから,上記置換に想到することは周知技術の置換(用途の付加)とし
て実質同一発明の範疇に属することでさえある。
被告の主張は,総じて,引用例1における枝葉末節の記載を,置換容易性の否定
根拠となる阻害要因である本質的性質のように誇大して主張する傾向が顕著であり,
妥当性を欠く。
イ被告は,本件発明1の顕著な効果を主張するが,本件明細書の薬理試験では,
被検体であるウサギの個体差や初期眼圧値が考慮された形跡はないし,サンプルサ
イズについては何ら配慮することなく,1群当たりたかだか4匹で試験さているこ
とからも,その実験手法については看過し難い過誤がある。
本件明細書の開示は効能の証明と称するにはサンプルサイズが余りに小さく,動
物実験であることを差し引いても効果の証明とはなり得ない。本件明細書において
は,エラーバーによる併用剤の偏差のデータが単剤の偏差のデータとが区別のつか
ない記載となっており,エラーバーの重なりから,誤差範囲において単剤と併用剤
の評価がなされていることが明らかであって,適切な評価になっているかに疑問が
ある。
(4)小括
以上のとおり,本件審決は,引用例1に開示されたHA1077がRhoキナ
ーゼ阻害剤であることをよく知る優先権主張日当時の当業者の技術水準を看過し,
カルシウムアンタゴニスト(カルシウム拮抗薬)とRhoキナーゼ阻害剤との作用
機序の同一性に係る当時の公知の知見を看過したものである。引用例1及び2並び
に周知技術から,引用例1のHA1077をRhoキナーゼ阻害剤である(R)
−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジル−4−イル)−4−(1−
アミノエチル)ベンズアミドに置換することが容易であったことが導かれる。
〔被告の主張〕
(1)引用発明1の認定について
ア引用発明の発明性
原告の主張によれば,一つの公知な化合物が記載されており,かつ,技術常識と
してその物の他の効能が周知な技術的事項として知られていれば,他の効能を前提
とすべき引用発明が刊行物記載の組合せの構成から常に抽出できるという理解にな
るが,公知の刊行物から本来的に技術的思想であるべき引用発明の抽出として,正
しく理解していない。
引用例1に記載されて対比の対象となり得る発明は,あくまで「緑内障治療用の
眼局所用組成物」に係る技術的思想であり,眼局所用組成物は,「HA1077
等のカルシウムアンタゴニスト」と眼圧を下降させるという効能を有する「β遮断
薬であるチモロール等」との組合せを含む2剤以上の組成物である点である。
引用例1に,「緑内障治療用の眼局所用組成物」の発明として,HA1077
の「Rhoキナーゼ阻害剤」としての作用機序を利用する記載及びその効果を確認
する記載が一切ない以上,技術的思想として原告主張の引用発明を抽出することは
できない。周知の事項であれば,刊行物に当該発明の開示がないにもかかわらず,
記載されるに等しい事項として引用発明の中に何でも取り込んでよいものではない。
イ引用例1の記載事項
引用例1は,明細書中一貫して,「カルシウムアンタゴニスト」としての効能の
知られる多数の化合物に関して他の眼圧を下降させる又は制御する化合物との眼科
的に有効な組合せによる「緑内障治療用の眼局所用組成物」の発明を開示しており,
カルシウムアンタゴニストを利用する技術的思想しか開示していない。明細書の記
載から離れて,物としての発明の作用機序を主張することは,刊行物に記載された
発明の把握として誤りである。
引用例1の「カルシウムアンタゴニストと眼圧を下降させる化合物との組合せを
含む緑内障治療用の眼局所用組成物」ですら,カルシウムアンタゴニストの作用機
序から期待される可能性を基にして,願望,希望が示されている組成物の組合せを
開示するにすぎず,具体的な化合物同士の組合せに関する実験例を記載していない
から,本来,その化合物の組合せを引用発明とすることに適格性の観点から疑問が
ある。まして,引用例1に開示されている多数の化合物の組合せの中から,220
個にわたるカルシウムアンタゴニストからHA1077を選択し,眼圧を下降さ
せる化合物としてチモロールを選択した組合せである発明を抽出できるとすること
は,医薬分野での引用発明の把握として不可解である。
そして,引用例1における「緑内障治療用の眼局所用組成物」との組合せにおい
て,その構成要素から「カルシウムアンタゴニスト」としての作用機序による化合
物の統一的な把握,及びこれを利用する技術的思想である点を排除して,単にHA
1077がRhoキナーゼ阻害剤として周知であるという技術常識だけを根拠に,
「RhoキナーゼであるHA1077」を採用した「緑内障治療用の眼局所用組
成物」の発明が抽出できるとする余地はない。
ウ本件審決の引用発明1の認定
以上のとおり,本件審決における引用発明1の認定に誤りはない。
(2)置換容易性の判断について
アカルシウムアンタゴニストとRhoキナーゼ阻害剤との置換の非容易性
眼局所用組成物という特定を離れて血管拡張剤としてみれば,HA1077が,
カルシウムアンタゴニストであるのと同時に,Rhoキナーゼ阻害剤であることは,
公知であったからといって,それに対応すべき化合物が両者の性格を常に併有する
ものでないことは,技術常識を適用すべき前提としては当然のことであり,まして
や,各化合物に係る上位概念であるカルシウムアンタゴニストとRhoキナーゼ阻
害剤とを,HA1077や一部の化合物の性格の共通性をもって,相互に置換可
能とする原告の技術常識の位置付けは,強引である。
むしろ,引用例1に記載された220種類ものカルシウムアンタゴニストと分類
される化合物のほとんどが,Rhoキナーゼ阻害剤としての作用機序を認め得る化
合物でなかったことこそ,両者を同一視して把握することも,これを相互に置換可
能なもののように取扱うべき技術常識も存在しなかったことの証左である。
一方で,Rhoキナーゼ阻害剤による眼圧下降作用には細胞骨格の変化が関与し
ていることが知られており(甲27),そもそも,ベラパミルとRhoキナーゼ阻
害剤の房水流出能の増大メカニズムですら異なるから,引用発明1における「カル
シウムアンタゴニスト」を引用例2に記載された「(R)−(+)−N−(1H−
ピロロ[2,3−b]ピリジン−4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズア
ミド」に置換することは,容易に想到できない。
イ新たな証拠に基づく主張について
原告は,新たな証拠(甲28,29)を提出し,その容易想到性に係る主張をす
るが,以下のとおり理由がない。
甲28は,全て緑内障用治療用のものでなく,循環器系用疾患予防・治療剤等の
医薬分野において,化合物(Ⅰ)がカルシウム拮抗剤以上の血管拡張の薬理作用を
利用することが示唆されているにすぎない。「Rhoキナーゼ阻害剤」としての薬
理作用の把握にとって重要な事実は,細胞外からカルシウムイオンを細胞が取り込
むことを阻害する,いわゆるCa流入阻害剤としての作用機序を一般に持たないと
いう技術常識であるから,「カルシウムアンタゴニスト」に換え「Rhoキナーゼ
阻害剤」を適用すれば,引用発明の効果を奏さなくなることを意味する以上,機能
同一性に基づいた動機付けとしての容易想到性の検証にあたっての典型的な阻害事
由になる。
また,原告の甲29についての主張は,一つの下位概念である特定の化合物であ
るベラパミルをもってカルシウムアンタゴニスト一般の技術常識と主張するもので
あり,カルシウムアンタゴニストとして把握されるべき化合物一般の眼局所用投与
に眼圧降下作用を認めるような技術常識は認められない。
以上のとおり,上位概念であるRhoキナーゼ阻害剤の技術常識としてみても,
カルシウムアンタゴニストの技術常識としてみても,両者を同一視して置換可能と
論理付けることができないことは明らかである。
(3)本件発明1の効果に予測可能性がないこと
ア本件発明1の効果に関する明細書の記載
本件明細書(甲27)の記載(【0005】【0006】【0009】)による
と,Rhoキナーゼ阻害剤とβ遮断薬とを組み合わせた薬理効果に関する実験結果
が一切なかったとの技術水準を前提として,単剤投与の場合と比較して,本件発明
1に「眼圧下降作用の顕著な増強および/またはその作用の持続性の顕著な向上が
見られた」との作用効果を報告するものである。本件明細書の図1において示され
た上記薬理試験の結果は,顕著であり予測可能性がない(乙4,5)。
イ本件発明1の眼圧降下の顕著性
本件明細書の図1記載の薬理試験の再現性は明らかであり(乙11),その手法
は科学的に正しい手法で,技術常識に沿うものであるところ,Rhoキナーゼ阻害
剤試薬単独投与群及びβ遮断薬試薬単独投与群の各眼圧下降幅と比較して,質的に
相違する顕著な眼圧下降効果を奏している(甲5,7)。
ウ顕著な作用効果
以上のとおり,仮に,β遮断薬であるチモロールに房水産生抑制効果が知られて
おり,Rhoキナーゼ阻害剤に主流出路における房水排出の効果が知られていても,
両者の組合せ剤又は併用療法においてそれぞれの眼圧下降作用の総和を超える眼圧
下降作用が確認されたり,単独剤投与の場合であれば眼圧下降作用が確認できない
時点以降において組合せ剤又は併用療法として眼圧下降作用の持続性が確認された
りすれば,予測可能性のない効果と評価すべきである。そして,本件発明1におい
て,図1で示されている眼圧下降効果及びその持続性に関する発明の効果が予測可
能性のない薬理試験の結果を示す内容であることは明らかである。
2取消事由2(引用発明2に基づく容易想到性の判断の誤り)について
〔原告の主張〕
(1)引用発明2,周知例2及び周知技術に基づく容易想到性
ア緑内障治療においては,1種類の点眼薬のみで目標眼圧以下にコントロール
するのではなく多剤の併用を要する例が多いこと,具体的には,緑内障治療の併用
療法を考慮した場合,房水産生,経シュレム管房水流出の総和として眼圧降下の薬
理効果を得ることができることが周知であった(甲5)。
その際,経シュレム管流出路(conventionaloutflow:線維柱帯→シュレム管→
上強膜静脈)は房水流出の主流出路であり,この主流出路の構築を理解する上で,
線維柱帯の間隙の広さが毛様体筋の緊張によって調節されていること,また,線維
柱帯とシュレム管の接点である傍シュレム管結合組織近辺に最大の流出抵抗がある
ことが重要であることも,周知であった(甲6)。とりわけ,交感神経β遮断薬で
あるチモロールは房水産生抑制に効果があること(甲30),一方,経シュレム管
からの房水流出を促進の効果を有するピロカルピンは,瞳孔括約筋と毛様体筋の収
縮により,シュレム管を開き,房水流出を促進させて眼圧を下げること,毛様体筋
を収縮させることにより線維柱帯とシュレム管の房水流出抵抗を減少させることが
周知であった(甲6)。
そして,β遮断薬の1つであるチモロールとピロカルピンの併用療法も優先権主
張日当時周知の事項であった(甲6)。
したがって,互いに眼圧下降機序の異なる治療法を組み合わせて併用療法の効果
を得るとの知見,具体的には,ピロカルピンとチモロールとの併用療法について開
示された周知例1ないし3に接した当業者であれば,房水産生を抑制するβ遮断薬
(チモロール)と,経シュレム管流出を促進するピロカルピンを併用して総和(相
加)効果が得られることは,優先権主張日当時,当業者に周知自明の事項であった。
イ他方,本件明細書(【0004】)には,Rhoキナーゼ阻害剤が線維柱帯
流出経路からの房水流出を促進することで眼圧を下降させることが記載されている
ところ,Rhoキナーゼ阻害剤であるY−27632((R)−(+)−トランス
−N−(4−ピリジル)−4−(1−アミノエチル)シクロヘキサンカルボキサミ
ド)は,摘出ブタ眼球とウサギにおいて房水流出能を増大させること,培養ヒト線
維柱帯とシュレム管細胞では細胞形態の変化を誘発し,線維柱帯,特に傍細管組織
の細胞外空隙を広げることが知られていた(甲8)。
Rhoキナーゼ阻害剤は,TM(線維柱帯)細胞やCM(毛様体筋)に作用し,
主流出経路である経シュレム管流出路からの房水流出を促進する(甲9)。ピロカ
ルピンとRhoキナーゼ阻害剤(Y−27632)とが互いに主流出経路から房水
流出を促進する薬剤であることを開示するものであり,これらが当該房水流出促進
の機能作用において置換可能である(甲10)。
よって,周知例1ないし3に開示されたピロカルピン(主たる流出経路である経
シュレム管からの房水流出促進作用を有する。)とチモロール(房水産生抑制)と
の併用療法において,Rhoキナーゼ阻害剤(主たる流出経路である経シュレム管
房水流出促進作用を有する。)をもって,上記併用療法においてチモロールと組み
合わせたピロカルピンと置換することは,優先権主張日当時,当業者なら容易に試
みることができた事項である。
そして,その際,Rhoキナーゼ阻害剤として本件発明1における(R)−
(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジン−4−イル)−4−(1−ア
ミノエチル)ベンズアミドを選択することは,引用発明2の特定事項そのものであ
る。
さらに,本件明細書中でウサギを用いてRhoキナーゼ阻害剤単剤とチモロール
との併用とを比較して示された眼圧降下の持続性の作用効果も,当業者であれば引
用例2に開示されている事項から予測可能な相対的なものにすぎず,質的に顕著な
効果とは到底いえないばかりか,当初明細書の請求項3に記載されていた複数のR
hoキナーゼ阻害剤に比して本件発明1のRhoキナーゼ阻害剤が顕著な作用効果
を奏するものであったことも,一切証明されていない。
ウよって,本件発明1は,引用発明2における(R)−(+)−N−(1H−
ピロロ[2,3−b]ピリジン−4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズア
ミドの単剤療法に,チモロールとの併用療法に関する周知の知見(周知例1ないし
3)及び併用可能な薬剤に係る公知技術を適用することにより当業者が容易に想到
できたものである。
(2)β遮断薬(チモロール)と他の薬剤の併用
ア房水産生に抑制作用のあるβ遮断薬と主流出経路からの房水流出促進に効能
を有する薬物との相加効果によってこれらを併用することは,優先権主張日当時当
業者にとって周知の技術事項であった(甲5,30∼34,37∼39)。
このように,緑内障治療において,眼圧亢進の原因である必要以上の房水を除去
するために,房水産生を抑止するか,主経路からの流出を促進するか,従たる経路
(ブドウ膜強膜)からの流出を促進するかのいずれかの方策が当業者に付与された
場合,異なる眼圧下降機序の組合せによって相加効果が得られるであろうことは,
自明な事実として当業者が容易に想到できるのである(甲5)。
そうすると,主たる流出経路からの流出を促進することが知られるRhoキナー
ゼ阻害剤,特に,(R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジン−
4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドと,房水産出を抑制するチモ
ロールとの併用に想到することは容易である。
前記のとおり,チモロール(房水産生抑制)と,これとは作用機序の異なる眼圧
降下剤を併用することは周知自明の事項であるから,チモロールとRhoキナーゼ
阻害剤との併用も,自明な事項として当業者が容易に想到できたことというしかな
い。「シュレム管流出路からの房水流出の促進作用を有する薬剤に対して併用する
薬剤として,房水産生の抑制作用を有するチモロールのような非選択性のβ遮断薬
が特に適したものであるという技術的事項は何ら見出せない」という本件審決の認
定は,誤った認定であることは明らかである。
なお,本訴において提出した甲30ないし34,37ないし39は,いずれも優
先権主張日における周知技術を立証するためのものである。
イまた,緑内障治療剤として併用療法を考慮する場合,チモロールは当業者が
先ず検討するファーストチョイスであった(甲37)。かかる優先権主張日当時の
技術水準を踏まえれば,当業者が本件発明のRhoキナーゼ阻害剤との併用療法を
創案するに当たり,チモロールとの組合せに想到することは最も自然な成り行きで
ある。
ウここで重要なことは,それぞれの症例についてtryanderrorで判定する以
外に方法はなく,実際の緑内障患者に対して実際に適用して試行錯誤を経た上で薬
理効果を確認しなければならないことである(甲5)。
本件発明1は,たかだか一群4匹の健常なウサギを用いて眼圧降下を調べた上で
想到されたものにすぎず,実際の症例に基づくtryanderrorを経ていない。また,
周知例1において引用されている「UF−021とピロカルピンの併用による眼圧
下降作用−原発性開放隅角緑内障および高眼圧症における検討」(甲35)では,
動物実験で認められた効果を直ちに実際の患者における臨床効果に当てはめること
ができないと述べている。
そうすると,緑内障治療の臨床現場において仮に併用療法を実施するに当たって
の困難性が存在するとしても,実際の症例に基づくtryanderrorを経ることなく,
単なる健常なウサギの実験結果に基づいて想到されたにすぎない本件発明1は,当
該困難性を前提に容易に想到し得なかったとする理由にならない。したがって,優
先権主張日当時,当業者が主たる流出経路の房水流出促進に効能を有することが公
知の(R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジン−4−イル)−
4−(1−アミノエチル)ベンズアミドに,併用療法に用いることが周知であった
房水産生抑制効果のあるチモロールを併用することは,容易に想到し得たことは明
らかである。
エ本件審決は,ピロカルピンとRhoキナーゼ阻害剤が作用機序の点において
完全に一致していないから置換可能とはいえないと判断したが,作用機序の差異は,
周知例2に開示されたピロカルピンとチモロールとの併用療法において,共に主た
る流出路における房水流出促進に寄与することが知られたピロカルピンをRhoキ
ナーゼ阻害剤に置換することを阻害する事由にはならない。
また,毛様体の収縮と弛緩という作用機序の差異は,主たる流出路からの房水流
出促進という両者に共通する薬理作用を緑内障治療(眼圧降下)に当てはめるに当
たって,全く考慮する必要はない。同一経路からの房水流出促進の効果があるなら,
置換を試みようとすることは当業者にとって即座に想到し得ることというしかない。
さらに,Rhoキナーゼ阻害剤が経シュレム管流出(主たる流出経路)促進に加
えて後方流出経路(経ぶどう膜−強膜流出路)を促進することが当業者に知られて
いるから,ピロカルピンにも増してRhoキナーゼ阻害剤を用いようとする動機が
積極的に形成されることは当業者にとって明らかである。
(3)被告の主張に対する反論
ア動物実験レベルでの併用の効果の確認は,周知例1(甲5)の図1に依拠す
れば当業者が誰でもできたものであり,経シュレム管流出を促す交感神経刺激薬な
いし副交感神経刺激薬と同効を奏することが優先権主張日当時当業者に知られてい
た本件発明のRhoキナーゼ阻害剤との組合せは,当業者が容易に「try」し得た
ものであって,格別の困難性があるとはいえない。
イチモロールは,優先権主張日当時,緑内障治療薬として広く公用されていた
もので,その副作用を克服した上で実用化されており,投薬時に注意を促す等によ
って副作用を抑える相応の手段が講じられていた。「併用療法による副作用」が引
用例2に記載されているというならまだしも,引用例2に記載されたチモロール自
体の副作用を,併用療法を検討する際の阻害要因であると論ずることは誤りという
よりほかない。
ウ被告は,本件出願過程において,実施可能要件違反及びサポート要件違反の
拒絶理由通知に対し,種々のRhoキナーゼ阻害剤が,いずれも同一の薬理作用,
すなわち線維柱帯流出経路からの房水流出を促進することにより眼圧を下降させる
こと,β遮断薬についても,同一の薬理作用すなわち房水産生を抑制することによ
り眼圧を下降させることが,当業者に周知であることを述べていた(甲40)。本
件訴訟において,眼圧下降作用は本件発明における組合せにおいてのみ相乗効果を
奏するかの如く主張することは,禁反言にも該当する。
(4)小括
以上のとおり,本件審決は,緑内障患者の症例に従いtryanderrorで併用療法
の可否を判断しなければならないとする周知例1の記載を,実験動物(1群4匹の
健常な日本ウサギ)レベルの本件発明1の容易想到性判断に持ち込み,チモロール
(房水産生抑制)とRhoキナーゼ阻害剤(房水流出促進)の併用療法に想到する
ことが困難であるとの不明な判断をし,また,公知のチモロールとの併用療法が臨
床段階に達しているピロカルピンと同一の薬理効果に基づき本来置換容易であるべ
きRhoキナーゼ阻害剤とピロカルピンとの瑣末な作用機序の違いをもって阻害要
因と評価した点において誤っている。
〔被告の主張〕
(1)引用発明2に基づく容易想到性の判断の誤りについて
ア原告の主張について
原告は,引用発明2との併用を当業者が検討するにあたって,当業者が「β遮断
薬であるチモロール」を選択することが容易とはいえないとの本件審決の判断を争
っているだけである。緑内障治療剤として数多くの薬理作用を示す薬剤があり,そ
の併用,組合せに数多くの選択枝がある以上,原告の議論は,余りに乱暴である。
なお,甲35は,薬理作用の確認にとって動物実験の有用性を否定する内容では
ないし,発明特定事項を裏付けるべき実験として,どの程度の薬理試験のレベルを
要求すべき基準とするかは,必要かつ合目的的解釈によって決せられるべきもので
あり,単に動物実験であって人眼に対する実験でないから「tryanderror」に相
当しないといった原告の理解は,誤りである。
イ動機付けについて
引用発明2に関して,「緑内障治療に係る眼圧下降薬の併用療法に関し,シュレ
ム管流出路からの房水流出の促進作用を有する薬剤に対して併用する薬剤として,
房水産生の抑制作用を有するチモロールのような非選択性のβ遮断薬が特に適した
ものであるとの技術的事項」という選択における動機付けを明らかにできないので
あれば,引用発明2の緑内障治療剤に,房水産生の抑制作用を有する何らかの薬剤
を選択することの着想を得ることができるのが最大限であり,本件発明1の発明特
定事項に想到すべき論理付けに足りないことは明らかである。
ましてや,優先権主張日当時,多数の細胞でcAMPとRhoキナーゼとが拮抗
関係に立つことも知られていたものである。
ウ引用例2に記載されたチモロールとの併用を拒む記載
引用例2は,同じ緑内障治療剤としてチモロールをとりあげ,眼局所の乾燥感,
アレルギー性眼瞼炎,表層角膜炎等の副作用等の課題があったことを指摘し,これ
らに替わる有力な緑内障の予防・治療のため発明されたのが引用発明2であること
を明らかにしている。引用発明2を主引用例とする以上,これらの課題の解消も図
られないまま,単にチモロールを併用することには基本的な阻害事由があることは
明らかであり,少なくとも,原告は,具体的にチモロールと併用することを示唆又
は動機となるべき引用例2の記載を示すべきである。
エピロカルピンとチモロールとのその余の併用療法
なお,周知例1ないし3の「ピロカルピンとチモロールとの併用療法」の発明に
おいて,ピロカルピンをRhoキナーゼ阻害剤に置換することは,これを容易とす
べき動機付けが認められない。ピロカルピンが毛様体を緊張させることにより,こ
れに連結する繊維柱帯を引き延ばし,主流出路における房水排出を促進させる薬剤
である以上,これとは逆に,毛様体を弛緩させる作用・機序を有するRhoキナー
ゼ阻害剤を適用しようとした場合,「ピロカルピンとチモロールとの併用療法」の
発明の作用効果が当然に維持されると理解することはできない。当該発明は,あく
までも併用療法として,その作用効果を明らかにする発明として抽出される内容で
あり,従前,併用療法として使用された先行例がないRhoキナーゼ阻害剤にあっ
て,単に,その機能が主流出路における房水排出機能の面で共通するからという理
由で置換が容易とされることにならない。
また,主流出経路からの房水流出を促進すべき薬剤とチモロールとの組合せにつ
いて,Rhoキナーゼ阻害剤については,優先権主張日当時において,他の眼圧下
降薬と併用された例が一切知られていなかった。優先権主張日当時,Rhoキナー
ゼ阻害剤がRhoキナーゼを阻害することを端緒として線維柱帯の細胞骨格の形質
変化を生じさせ房水流出を促進するものであること,また,毛様体を緊張させるこ
とで同じ線維柱帯を引っ張って房水流出を促進させるピロカルピンとチモロール併
用することで相加的な眼圧下降が得られることが知られていても,ピロカルピンに
換えてRhoキナーゼ阻害剤を選択することも,逆に,Rhoキナーゼにβ遮断薬
(チモロール)を併用することも,相加的な眼圧下降という成功の合理的な期待が
ある技術水準であったとはいえない。
(2)β遮断薬(チモロール)と他の薬剤の併用
原告が新たに提出した証拠を勘案しても,本件発明1を容易に想到することはで
きない。
甲30には,その薬理作用における単独薬剤の投与と異なる作用効果を示す記載
は全くなく,プロスタグランジンに換えてRhoキナーゼ阻害剤を採用すべき成功
への合理的な期待がない。
甲31には,チモロールとピロカルピンの併用療法も含め,眼圧下降値に具体的
に言及している記載はなく,本件発明1における各単剤の眼圧下降効果の総和を超
える眼圧下降を示すことが開示されているわけではない。ピロカルピンをRhoキ
ナーゼ阻害剤に置換することを容易と理解すべきところはない。
甲32には,β遮断薬とジピベフリンの併用療法が開示されており,ジピベフリ
ンに換えてRhoキナーゼ阻害剤を採用すべき成功への合理的な期待がない。
甲33に,眼圧下降作用に関する併用療法による改善効果を説明する記載は一切
存在しない。
甲34は,チモロール(房水産生抑制)と,これとは作用機序の異なる眼圧下降
剤の併用療法を開示したものといえず,Rhoキナーゼ阻害剤への置換を容易と理
解すべきところはない。
第4当裁判所の判断
1本件発明について
本件明細書(甲27)によれば,本件発明は,最近,新たな作用機序に基づく緑
内障治療剤としてRhoキナーゼ阻害剤が見出され,また,緑内障治療で眼圧下降
作用を有する薬剤を組み合わせて使用することは以前から知られているという背景
技術の下で,Rhoキナーゼ阻害剤とβ遮断薬との組合せによる緑内障治療剤とし
ての有用性を見出すことを課題とするものである。これら薬剤の組合せによる効果
を研究した結果,各薬剤の単独使用時と比較して眼圧下降作用が増強し,又はその
作用の持続性が向上することが見出されたものであり,本件発明は,Rhoキナー
ゼ阻害剤として(R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジン−4
−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドを,β遮断薬としてチモロール
を組み合わせた緑内障治療剤に関するものである。
2取消事由1(引用発明1に基づく容易想到性の判断の誤り)について
(1)引用発明1の認定について
ア引用例1の記載
引用例1(甲1)は,発明の名称を「カルシウムアンタゴニストと公知の抗緑内
障薬との組合せを含む眼局所用組成物」とする公表特許公報であり,発明の背景と
して,緑内障は,視野の減少を伴う視神経への障害で特徴付けられる疾患であり,
眼圧の上昇を徴候とするものであること,緑内障は,眼圧を下降させることにより
治療してきたが,脈絡膜,網膜及び眼神経線維への血流障害といった眼圧以外の因
子も視野の減少の要因となることが記載されている。
また,引用例1には,カルシウムアンタゴニストは,細胞外カルシウムの細胞内
への移動を妨げることによりカルシウムイオンによる血管平滑筋の収縮を防ぎ,血
管拡張を引き起こして血流量を増加し,網膜及び眼神経線維の虚血に対抗し得ると
共に,虚血状態下で起こるカルシウム過負荷の有害な影響から細胞を保護し得ると
いう,組織が受ける血管収縮性虚血に二重の利点を有し得ること,眼圧を下降させ
ることもまた眼の血流増加を促進するので,カルシウムアンタゴニストと眼圧を下
降させる化合物との組合せは,いずれか1つのものよりも広い保護作用を有するこ
とが記載されている。
そして,引用例1には,好ましいカルシウムアンタゴニストとして220もの多
数の化合物が列記されているところ,その中の1つに,HA1077が記載され
ている。また,眼圧を下降させる化合物についても,縮瞳薬,交感神経作用薬,β
−ブロッカー,炭酸脱水酵素インヒビターが含まれると記載されており,チモロー
ル等多数の化合物が列記されている。
イ原告の主張について
原告は,HA1077がカルシウムアンタゴニストであり,かつ,Rhoキナ
ーゼ阻害剤であることは技術常識であったとして,引用例1におけるHA107
7の記載から,当業者はRhoキナーゼ阻害剤が記載されているに等しいものと認
識することができたと主張する。
しかし,引用例1には,上記アのとおり,カルシウムアンタゴニストの作用機序
と緑内障治療の関係が説明されているのであって,Rhoキナーゼ阻害活性と緑内
障治療についての開示は一切存在しない。
そして,特許法29条2項により,同条1項3号にいう「刊行物に記載された発
明」に基づいて当業者が容易に発明をすることができたか否かを判断するに当たっ
ては,同条1項3号に記載された発明について,まず刊行物に記載された事項から
認定すべきである。引用例1には,緑内障治療にカルシウムアンタゴニスト活性を
有する薬剤と眼圧を下降させる薬剤の併用が開示されているのみで,Rhoキナー
ゼ阻害活性と緑内障治療についての開示は一切存在しないことに照らすと,引用例
1の記載に接した当業者は,たとえ,そこに記載された具体例の1つであるHA
1077が,たまたまRhoキナーゼ阻害活性をも有するとしても,そのことをも
って,引用例1に,Rhoキナーゼ阻害活性を有する薬剤と眼圧を下降させる薬剤
を併用する緑内障治療が記載されているとまでは認識することができないというべ
きである。
なお,特許出願時における技術常識を参酌することにより当業者が刊行物に記載
されている事項から導き出せる事項は,同条1項3号に掲げる刊行物に記載されて
いるに等しい事項ということができるが,刊行物に記載されたある性質を有する物
質の中に,たまたまそれとは別のもう一つの性質を有するものが記載されていたと
しても,直ちに当該刊行物に当該別の性質に係る物質が記載されているということ
はできず,このことは,むしろ,容易想到性の判断において斟酌されるべき事項で
ある。
よって,原告の上記主張は,採用することができない。
(2)置換容易性の判断について
ア相違点の内容
本件発明1と引用発明1との相違点は,β遮断薬と組み合わせる薬剤が,本件発
明1では,Rhoキナーゼ阻害剤であって,当該Rhoキナーゼ阻害剤は(R)−
(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジン−4−イル)−4−(1−ア
ミノエチル)ベンズアミドであるのに対して,引用発明1では,HA1077等
のカルシウムアンタゴニストである点である。
イ容易想到性
引用例1に記載されたカルシウムアンタゴニストの具体例の1つであるHA1
077が,カルシウムアンタゴニストであるのと同時にRhoキナーゼ阻害剤であ
ることは,周知であった(甲12∼14)。しかし,引用例1には,220種類も
のカルシウムアンタゴニストが記載されているが,カルシウムアンタゴニストとR
hoキナーゼ阻害剤とは,薬物が作用する生体内の分子が異なることからすると,
引用例1に記載のほとんどのカルシウムアンタゴニストが,同時にRhoキナーゼ
阻害剤としての性格を常に有するものではない。そうすると,引用例1に,カルシ
ウムアンタゴニストの1例としてHA1077が記載されているとしても,β遮
断薬と組み合わせる薬剤として,カルシウムアンタゴニストに換えて,Rhoキナ
ーゼ阻害剤とすることは,容易とはいえない。
ウ原告の主張立証について
原告は,いずれも優先権主張日における周知技術を立証するためのものであると
して,本訴において新たに甲28,29を提出した。
(ア)甲28について
原告は,甲28を提出し,引用例1と比較した上で,引用例2記載の化合物の薬
理作用がカルシウムアンタゴニストと同一である点が優先権主張日の技術常識であ
って,この点を看過した結果,本件審決が本件発明1の容易想到性の判断を誤った
と主張する。
甲28は,発明の名称を「ベンズアミド化合物およびその医薬用途」とする国際
公開公報であって,強い平滑筋弛緩作用を有し,従来のカルシウムアンタゴニスト
と同様に降圧作用及び脳・冠血流拡張作用を有するほか,持続的な腎及び末梢循環
改善作用も有し,しかもカルシウムアンタゴニストとは異なり,種々のアゴニスト
による血管収縮をも抑制する経口投与が可能な化合物を提供することを目的とす
る。甲28の特許請求の範囲請求項1に記載された一般式(I)により表されるベ
ンズアミド化合物は,引用例2に記載された「(R)−(+)−N−(1H−ピロ
ロ[2,3−b]ピリジン−4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミ
ド」を包含する。甲28には,上記化合物(I)は,強い平滑筋弛緩作用を有し,
カルシウムアンタゴニストと同様に冠及び脳血流増加作用を有すること,従来のカ
ルシウムアンタゴニストには見られない腎及び末梢循環改善作用も有するし,その
血流量増加作用の持続も長いこと,さらに,細胞内カルシウムの増加を伴う平滑筋
収縮反応ばかりでなく,平滑筋のカルシウム感受性機構の亢進による収縮反応をも
抑制することが記載されている。
したがって,甲28に記載された事項が周知であるとしても,甲28に記載の一
般式(I)で表されるベンズアミド化合物は,細胞内カルシウムを減少させること
によって血管を拡張するというカルシウムアンタゴニストの作用だけでは,平滑筋
収縮に起因する疾病を治療することは不十分であるとの認識の上に開発された平滑
筋弛緩薬であって,強い平滑筋弛緩作用を有し,カルシウムアンタゴニストと同様
の血流増加作用を有するとともに,カルシウムアンタゴニストには見られない循環
改善作用を有し,血流増加作用の持続時間は長く,さらに,カルシウムアンタゴニ
ストの作用機序である細胞内カルシウムの増加を伴う平滑筋収縮反応ばかりでな
く,平滑筋のカルシウム感受性機構の亢進による収縮反応をも抑制するという薬理
作用を有するということができる。すなわち,引用例2に記載された(R)−
(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジン−4−イル)−4−(1−ア
ミノエチル)ベンズアミドの血管平滑筋に対する作用は,カルシウムアンタゴニス
トと比較して,強くまた持続性を有するものであって,平滑筋のカルシウム感受性
の亢進による収縮反応も抑制できるという,カルシウムアンタゴニストにはない作
用機序を有するものである。
このように,甲28によれば,(R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−
b]ピリジン−4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドの血管平滑筋
に対する作用は,カルシウムアンタゴニストの作用よりも強力で持続するものであ
って,これは,カルシウムアンタゴニストにはない作用機序が関与していることに
基づくと考えられ,(R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジン
−4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドの作用とカルシウムアンタ
ゴニストの作用とが同じであるということはできない。
他方,引用例1(甲1)の記載は,緑内障治療にカルシウムアンタゴニストを使
用する理由は,血管拡張による血流量増加作用に加え,虚血状態下で起こるカルシ
ウム過負荷の有害な影響からの細胞保護作用という,組織が受ける血管収縮性虚血
に対し二重の利点を有するためであるということができる。そして,引用例1の記
載のうち,虚血状態下で起こるカルシウム過負荷の有害な影響からの細胞保護作用
は,(R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジン−4−イル)−
4−(1−アミノエチル)ベンズアミドの血管平滑筋に対する作用として甲28に
記載されていないものであるところ,引用例1では,この作用も期待して,カルシ
ウムアンタゴニストを緑内障治療に使用するものである。
そうすると,(R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジル−4
−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドの薬理作用がカルシウムアンタ
ゴニストと同一であるということはできないし,引用例1におけるHA1077
等のカルシウムアンタゴニストは,甲28に記載のないカルシウムアンタゴニスト
による作用を期待しているので,引用例1に記載のHA1077をカルシウムア
ンタゴニストと同じ薬理活性を示すRhoキナーゼ阻害剤に置換することが容易に
想到できたということもできない。
したがって,原告の上記主張には理由がない。
なお,原告は,引用例1に記載されたカルシウムアンタゴニストがRhoキナー
ゼ阻害剤と一致することを主張しているのではなく,両者が共通して有する血管拡
張作用という人体に対して奏する作用機序の同等性を根拠として,当業者であれば
カルシウムアンタゴニストをRhoキナーゼ阻害剤に置換することを容易に試み得
たと主張する。しかし,引用例1では,カルシウムアンタゴニストが有する血管拡
張作用に加え,虚血状態下で起こるカルシウム過負荷の有害な影響からの細胞保護
作用も期待して,カルシウムアンタゴニストを緑内障治療に使用するものであるか
ら,血管拡張作用の共通性のみをもって,カルシウムアンタゴニストをRhoキナ
ーゼ阻害剤に置換するということはできない。
(イ)甲29について
原告は,甲29を提出し,カルシウムアンタゴニストの薬理的性質が主房水流出
能にあることは優先権主張日当時当業者に明らかであったので,引用例1における
HA1077を,カルシウムアンタゴニストと同じ薬理活性を示すRhoキナー
ゼ阻害剤に置換することは当業者が容易に想到できたと主張する。
甲29には,カルシウムアンタゴニストの内服により眼圧下降作用があることが
示され,ベラパミル点眼でも眼圧下降が生じることが報告されたこと,摘出人眼の
灌流実験でベラパミルは用量依存性に眼圧を下降させ,主房水流出路の流出能増大
を惹起することが記載されており,カルシウムアンタゴニストは眼圧を下降させる
薬剤の一種として位置付けられている。
これに対し,引用例1では,従来の眼圧を下降させることによる治療とは異なる
視点でカルシウムアンタゴニストを使用していることは明らかである。そうする
と,甲29に記載された事項が周知であり,カルシウムアンタゴニストに主房水流
出路の流出能増大を惹起し,眼圧を下降させる作用があるとしても,これとは異な
る技術思想でカルシウムアンタゴニストの使用を開示する引用例1に接した当業者
が,カルシウムアンタゴニストとRhoキナーゼ阻害剤の薬理活性の共通性を根拠
に,置換することが可能であるとは考え難い。
よって,原告の上記主張も採用することはできない。
(3)小括
以上のとおり,本件発明1は,引用発明1を主引用例として,周知例1ないし
3(甲5∼7),甲28,甲29等の周知技術を組み合わせても,容易に想到す
ることができたものとはいえない。よって,取消事由1は理由がない。
3取消事由2(引用発明2に基づく容易想到性の判断の誤り)について
(1)引用発明2と相違点
引用例2は,緑内障治療剤としてチモロールを採り上げ,眼局所の乾燥感,アレ
ルギー性眼瞼炎,表層角膜炎等の副作用等の課題があったことを指摘し,これに替
わる有力な緑内障の予防・治療のため発明されたものである。
引用例2には,Rhoキナーゼ阻害剤からなる緑内障治療剤であって,該Rho
キナーゼ阻害剤が(R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジン−
4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドである緑内障治療剤(引用発
明2)が記載され,本件発明1と引用発明2との相違点は,本件審決が認定したと
おり,本件発明1が,β遮断薬であるチモロールとRhoキナーゼ阻害剤である
((R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジン−4−イル)−4
−(1−アミノエチル)ベンズアミドとの組合せからなるのに対し,引用発明2は
Rhoキナーゼ阻害剤である((R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−
b]ピリジン−4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドからなる単剤
である点である。
(2)相違点についての検討
ア緑内障治療においては,単独の眼圧降下薬では効果が不十分な場合に,2種
類の薬剤を併用して治療すること,2種類の薬剤を併用した場合の効果は各薬剤の
薬理作用から理論的にある程度類推可能なので,各薬剤の房水動態に及ぼす影響を
考え,異なる受容体や酵素に作用する薬剤又は異なる作用機序を有する薬剤の組合
せが効率的な治療につながることは,いずれも優先権主張日には当業者には周知の
事項であった(甲5∼7)。そして,Rhoキナーゼ阻害剤によりもたらされる眼
圧降下は,経シュレム管流出路からの房水流出の促進によるものであることも,優
先権主張日には知られていた(甲8∼10)。
そうすると,Rhoキナーゼ阻害剤に,経シュレム管流出路からの房水流出の促
進作用とは異なる,他の薬理活性(作用機序)を有する別の眼圧降下薬を併用しよ
うとすること自体は,当業者が想到し得たということができる。
イしかしながら,シュレム管流出路からの房水流出の促進作用を有する薬剤と
併用する薬剤は,この作用機序とは異なる機序を有する眼圧降下薬,すなわち,房
水産生の抑制作用を有する薬剤が候補となるところ,房水産生の抑制作用を有する
眼圧降下薬としては,α2アドレナリン作動薬,β遮断薬及び炭酸脱水酵素阻害薬
が存在する。さらに,β遮断薬には,チモロールのような非選択性のβ遮断薬に加
え,β1選択性のものやαβ遮断薬がある(甲5∼7)。すなわち,シュレム管流
出路からの房水流出の促進作用を有する薬剤と併用する薬剤には,非選択的β遮断
薬であるチモロールのほか,α2アドレナリン作動薬や炭酸脱水酵素阻害薬が存在
し,また,β1選択性のβ遮断薬やαβ遮断薬も存在する。
また,薬剤を併用した場合の効果は各薬剤の薬理作用から必ずしも理論どおりと
なるものではなく(甲5),また,β遮断薬と交感神経刺激薬の組合せでは,チモ
ロールとエピネフリンの併用や,レボブノロールとジピベフリンの併用では眼圧低
下の相加作用が認められないのに対して,ベタキソロールとジピベフリン又はエピ
ネフリンの併用では有意な相加作用が認められた(甲7)。このように,緑内障治
療における薬剤併用の効果は,個々の具体的な薬剤のレベルでは各薬剤の薬理作用
から類推した結果と実験の結果が一致しない場合もある。加えて,優先権主張日前
に,Rhoキナーゼ阻害剤と他の眼圧降下薬を併用し緑内障の治療に使用する先行
技術を認めるに足りる証拠はないから,Rhoキナーゼ阻害剤について,これを他
の眼圧降下薬と併用した場合の効果を,先行技術から類推することはできない状況
にあった。
そうすると,Rhoキナーゼ阻害剤である(R)−(+)−N−(1H−ピロロ
[2,3−b]ピリジン−4−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミド
に,組み合わせる薬剤としてβ遮断薬であるチモロールを選択したことは,この組
合せによる緑内障治療剤が,各薬剤の単独使用時と比較して眼圧下降作用が増強さ
れることを確認したことに照らし,容易に想到することができたとはいえない。
(3)原告の主張について
ア原告は,周知例1ないし3に開示されたピロカルピン(主たる流出経路であ
る経シュレム管からの房水流出促進作用を有する)とチモロール(房水産生抑制)
との併用療法において,Rhoキナーゼ阻害剤(主たる流出経路である経シュレム
管房水流出促進作用を有する)をもって,上記併用療法においてチモロールと組み
合わせたピロカルピンと置換することは,優先権主張日当時,当業者なら容易に試
みることができた事項であるとか,また,チモロールとシュレム管流出路からの房
水流出促進に効能を有する薬物を併用することは周知自明であるから,チモロール
とRhoキナーゼ阻害剤との併用も,自明な事項として当業者が容易に想到できた
として,「シュレム管流出路からの房水流出の促進作用を有する薬剤に対して併用
する薬剤として,房水産生の抑制作用を有するチモロールのような非選択性のβ遮
断薬が特に適したものであるという技術的事項は,何ら見出せない」という本件審
決の認定は誤りであると主張する。
周知例3(甲7)によれば,「併用療法で使用される薬剤」である「メチプラノ
ロール0.1%とピロカルピン2%の固定配合剤(Normoglaucon®)」が販売され
ていることが認められる。そして,ピロカルピンは毛様体筋も収縮させるため強膜
岬を牽引し,線維柱帯とシュレム管の房水流出抵抗を抑制すること,また,メチプ
ラノロールはISAを有さない非選択的β遮断薬であり,房水産生を阻害すること
で眼圧を低下させることが記載されているから,上記固定配合剤は,シュレム管流
出路からの房水流出促進作用を有する薬物と房水産生の抑制作用を有する薬物の配
合剤であり,チモロール以外の房水産生の抑制作用を有する薬物とシュレム管流出
路からの房水流出促進作用を有する薬物の併用も,優先権主張日に周知であったと
いうことができる。
そうすると,原告が主張するように,β遮断薬であるチモロールとシュレム管流
出路からの房水流出促進能を有する薬物を併用することが周知であるとしても,シ
ュレム管流出路からの房水流出の促進作用を有する薬剤と併用する薬剤には,非選
択的β遮断薬であるチモロールの外に,α2アドレナリン作動薬や炭酸脱水酵素阻
害薬,β1選択性のβ遮断薬やαβ遮断薬が存在し,また,チモロール以外の房水
産生の抑制作用を有する薬物とシュレム管流出路からの房水流出促進作用を有する
薬物を併用することが周知であったから,チモロールとシュレム管流出路からの房
水流出促進能を有する薬物の併用の周知性を根拠に,シュレム管流出路からの房水
流出の促進作用を有する薬剤と併用する薬剤として,チモロールが特に適したもの
であるということはできない。
しかも,引用発明2は,緑内障治療剤としてのチモロールに,眼局所の乾燥感,
アレルギー性眼瞼炎,表層角膜炎等の副作用等の課題があったことから,チモロー
ルに替わる緑内障治療剤として発明されたRhoキナーゼ阻害剤である((R)−
(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジン−4−イル)−4−(1−ア
ミノエチル)ベンズアミドからなる単剤である。引用発明2にチモロールを組み合
わせるには,上記の課題の解消も図る必要があり,これが図られない状態で,単剤
として発明された上記Rhoキナーゼ阻害剤にチモロールを併用することを想到で
きるとはいえない。
よって,緑内障治療に係る眼圧下降薬の併用療法に関し,引用発明2に組み合わ
せる別の眼圧降下薬として,チモロールを採用して本件発明1を想到することが容
易であるとはいえない。
イ原告は,併用療法を検討するに際し,チモロールは当業者が先ず検討するフ
ァーストチョイスであったと主張して,甲37を提出する。
なるほど,甲37(薬事・食品衛生審議会医薬品第一部会の議事録の抜粋)に
は,緑内障の手術を最近は行っていないのかという問いに対し,医薬品第一部会に
おける委員の「PG製剤,あるいはβブロッカーがファーストチョイスになってい
ます」との発言が記載されている。同委員の上記発言の前には,点眼薬でコントロ
ールできなかった場合に併用,作用機序の違う点眼薬を用いることを述べる部分が
あり,上記発言が併用療法におけるファーストチョイスの趣旨と解されなくもな
い。
しかし,まず,上記発言の前後には「…」という発言内容が不明な部分がある。
また,併用療法において,実際には,雪だるま処方は避けるべきであるとされてお
り,多剤併用にも限界があり3∼4剤以上の併用は現実的でないとされているので
あるから,3種類もの薬剤を併用することは考えられないところ(甲5),上記発
言の後の「今はメインが大体3種類なのですが,3種類の点眼をやってどうしても
コントロールができないようなときに手術する」との部分は,併用療法を考慮する
場合についてのものではなく,単独の薬剤の種類のことを述べているものと解され
る。さらに,その後に,前記発言を補足する趣旨で,審査第二部長は,眼圧下降薬
の使われ方は,チモロールとプロスタグランジン製剤がほぼ半々ぐらいであり,フ
ァーストチョイスの薬剤が何らかの理由で使用できない場合に,セカンドチョイス
として炭酸脱水酵素阻害薬系の薬剤が使用されていることを述べているところ,そ
こで眼圧降下薬の使われ方としてチモロールとプロスタグランジン製剤がほぼ半々
ぐらいというのは,併用ではなく単独の使われ方のことをいうものと解される。そ
うすると,前記「PG製剤,あるいはβブロッカーがファーストチョイスになって
います」との発言は,併用療法を考慮する場合にチモロールがファーストチョイス
であることを述べる趣旨のものではなく,眼圧降下薬を単独で使用する場合のもの
と解され,原告の主張には根拠がないというべきである。
なお,原告が新たに提出したその余の証拠(甲30∼35,38,39)にも,
緑内障治療剤として併用療法を考慮する場合にチモロールがファーストチョイスで
あったことが理解できる記述は存在しない。むしろ,周知例2(甲6)に,相加効
果があると示されている併用の例は,ピロカルピンとβ遮断薬,エピネフリンとβ
遮断薬(エピネフリンを先に点眼した場合のみ),エピネフリンとピロカルピン,
代謝型PG系薬とβ遮断薬(又はピロカルピン)が示されているところ,そこで
は,房水産生を抑制する強さは非選択的β遮断薬(チモロール,カルテオロール,
ベフノロール,レボブノロール)ではほとんど同じであることも記載されており,
併用例として記載されたβ遮断薬としてチモロールを必ず選択するものであるとい
うことはできない。
よって,原告の上記主張には理由がない。
ウ原告は,本件明細書では健常なウサギに対する眼圧降下作用を調べ眼圧降下
薬の併用療法による効果を確認しており,緑内障患者に適用して効果を確認してい
ないにもかかわらず,緑内障治療に係る眼圧降下薬の併用療法による効果は理論ど
おりではなく,症例に実際に適用して判定する以外に方法はないことを本件発明の
進歩性を肯定する理由の一つとしている本件審決は誤りであると主張する。
しかし,(R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジン−4−イ
ル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミドと併用する薬剤は,眼圧降下の作用
機序に基づきある程度その数が絞られたとはいえ,依然,数多くあり,これらの薬
剤について,その効果を実際に確認しなければ併用における効果は不明であるとこ
ろ,この数多くの薬剤の中から,示唆もなくチモロールを選択することには困難が
ある。緑内障治療に係る眼圧降下薬の併用療法による効果は症例に実際に適用して
判定する以外に方法はないとの指摘に対して,進歩性を判断するに際し考慮すべき
は,併用による効果は実際に確認しなければ分からないということで十分であり,
症例,すなわち,緑内障の患者やモデル動物に投薬しその効果を判定しなければな
らないというものではない。そして,本件明細書では,健常なウサギにより,併用
療法と単独療法を対比して眼圧降下薬の効果を確認しているから,原告が主張する
誤りはない。
原告は,本件明細書記載の実験は,1群4匹のウサギと少数の動物による実験で
効果を確認したものであり,また,エラーバーに重なる部分があるので,その評価
方法についても疑問がある旨も主張する。しかし,上記のとおり,特許発明の進歩
性の判断では,先行技術である単独療法と比較して併用療法の効果を確認すること
ができればよいのであって,多数の実験動物や緑内障患者により併用療法の効果の
確実性を確認しなければ,先行技術と比較して顕著な効果が認められないというも
のではなく,実験動物の数を問題とする原告の上記主張には理由がない。また,エ
ラーバーの重なりについても,本件明細書の図1の2時間及び4時間経過後のデー
タでは,併用投与群と単独投与群の間で原告が指摘するような重なりはなく,この
データにより,本件発明の緑内障治療剤が増強された眼圧下降作用を有するという
ことができるから,原告の主張を採用することはできない。
エ原告は,ピロカルピンにRhoキナーゼ阻害剤を置換するのに両者の作用機
序の不一致は考慮する必要はなく,むしろ,Rhoキナーゼ阻害剤を用いようとす
る動機が積極的に形成されるものであるから,薬剤間の作用機序が完全に一致して
いないとして置換可能でないとした本件審決の判断は誤りであると主張する。
引用例2(甲2)では,ウサギの正常眼圧に対するRhoキナーゼ阻害剤(Y−
27632及び(R)−(+)−N−(1H−ピロロ[2,3−b]ピリジン−4
−イル)−4−(1−アミノエチル)ベンズアミド)の効果を確認しているが(実
験例4),他方において,ウサギの摘出毛様体筋に対するRhoキナーゼ阻害剤
(Y−27632)の作用を測定して(実験例3),ぶどう膜強膜を介した房水流
出(ぶどう膜−強膜流出路)を促進する可能性を示唆しており,本件審決も,これ
を前提として薬剤間の作用機序が完全に一致していないと判断した。
しかしながら,周知例5(甲9)は,Rhoキナーゼ阻害剤(Y−27632)
の房水流出能を測定し,Rhoキナーゼ阻害剤は房水の総流出能を2倍上昇させる
が,ぶどう膜−強膜流出路からの流出は有意に上昇させなかったことを実測したと
ころ,これによれば,Rhoキナーゼ阻害剤による眼圧低下作用は,経シュレム管
流出によるものということができる。そうすると,引用例2の実験例3におけるR
hoキナーゼ阻害剤のぶどう膜強膜を介した房水流出促進の可能性についての示唆
は,誤りということになる。
そうすると,本件審決がそれを前提に薬剤の作用機序が完全に一致しないとした
部分には,誤りがあることに帰するが,ピロカルピンをRhoキナーゼ阻害剤に置
換することが可能であったとしても,Rhoキナーゼ阻害活性を有する化合物を含
有してなる引用発明2の緑内障治療剤に,これと併用するための,Rhoキナーゼ
の阻害に基づく経シュレム管流出路からの房水流出の促進作用とは異なる作用機序
を有する眼圧降下薬としてチモロールを見出すことは,前記(2)のとおり容易とは
いえないから,上記誤りは本件審決の結論に影響を及ぼすものではない。
原告の上記主張は,本件審決の結論に影響を及ぼす違法をいうものとはいえな
い。
(4)小括
よって,取消事由2は理由がない。
4結論
以上の次第であるから,原告主張の取消事由はいずれも理由がなく,原告の請求
は棄却されるべきものである。
知的財産高等裁判所第4部
裁判長裁判官滝澤孝臣
裁判官髙部眞規子
裁判官齋藤巌

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛