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主文
1一審原告ら(一審原告28,43,51,55ないし57,148,15
2ないし154を除く。)の控訴をいずれも棄却する。
2一審被告らの控訴に基づき,
原判決中一審被告ら敗訴部分を取り消す。
上記取消部分に係る一審原告28,43,51,55ないし57,14
8,152ないし154の被爆者健康手帳交付申請却下処分及び健康管理手
当認定申請却下処分の各取消請求をいずれも棄却する。
上記取消部分に係る一審原告28,43,51,55ないし57,14
8,152ないし154の被爆者健康手帳交付義務付け請求に係る訴えをい
ずれも却下する。
3訴訟費用は,第1,2審とも,一審原告らの負担とする。
事実及び理由
第1章控訴の趣旨及び事案の概要
第1控訴の趣旨
1一審原告ら(一審原告28,43,51,55ないし57,148,152
ないし154を除く。)
原判決中,一審原告ら(一審原告28,43,51,55ないし57,
148,152ないし154を除く。)の敗訴部分(訴訟終了宣言に係る
部分を含む。)を取り消す。
【別紙4】処分目録記載の各被爆者健康手帳交付申請却下処分及び各健
康管理手当認定申請却下処分(いずれも処分番号28,43,51,55
ないし57,148,152ないし154のものを除く。)をいずれも取
り消す。
アの各被爆者健康手帳交付申請却下処分(処分番号5,11,19,
22,30,36,76,95及び128のものを除く。)の「処分機
関」欄記載の行政庁は,当該各処分の「申請者」欄記載の一審原告(同
欄に対応する「死亡日」欄に年月日の記載がある者については,同欄に
対応する「相続人」欄に記載の一審原告)に対し,被爆者健康手帳を交
付せよ。
イ処分番号5,11,19,22,30,36,76,95及び128の
各被爆者健康手帳交付申請却下処分の「相続人」欄記載の一審原告と当該
各処分の「処分機関」欄記載の行政庁を首長とする一審被告との間におい
て,当該各処分の申請人が,生前,原子爆弾被爆者に対する援護に関する
法律(平成6年法律第117号)1条3号に該当する被爆者の地位にあっ
たことを確認する。
各健康管理手当認定申請却下処分の「処分機関」欄記載の行政庁を
首長とする一審被告は,当該各処分の「申請者」欄記載の一審原告(同欄
に対応する「死亡日」欄に年月日の記載がある者については,同欄に対応
する「相続人」欄に記載の一審原告)に対し,当該各処分の「申請日」欄
記載の年月日の属する月の翌月から毎月,当該一審原告に対応する「健康
管理手当額」欄記載の額の金員を支払え。
2一審被告ら
主文同旨
第2事案の概要
本件は,長崎市に投下された原子爆弾(以下「長崎原爆」という。)に被
爆したと主張して原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(平成6年法律
第117号。以下「被爆者援護法」という。)2条1項及び27条2項(4
9条)に基づき長崎県知事又は長崎市長に対して被爆者健康手帳の交付申請
(以下「手帳交付申請」という。)又は健康管理手当の支給要件認定申請
(以下「手当認定申請」という。)をして却下された申請者又はその相続人
である一審原告らが,当該申請者らは被爆者援護法1条3号に規定する者に
該当すると主張して,一審被告長崎県又は一審被告長崎市に対し,①手帳
交付申請却下処分の取消し及び被爆者健康手帳の交付の義務付け又は死亡し
た申請者らが同号に該当する被爆者の地位にあったことの確認,②手当認
定申請却下処分の取消し及び健康管理手当の支払を求めた事案である。
原審は,本件訴訟のうち,原審口頭弁論終結前に死亡した申請者らが原告
として提起したものは,その死亡によって終了したとして,訴訟終了宣言を
し(原判決主文第1項),当該申請者らの相続人である一審原告らが訴訟承
継人として追加した当該申請者らが生前において被爆者援護法1条3号に該
当する被爆者の地位にあったことの確認を求める訴えを不適法として却下し
た上(同第2項),その余の一審原告らが提起した,健康管理手当の支払を
求める訴えを不適法として却下し(同第3項),同一審原告らの一部の者
(一審原告28,43,51,55ないし57,148,152ないし15
4(以下「一審勝訴原告ら」という。))について,上記各処分の取消し及
び被爆者健康手帳の交付の義務付けを求める請求を認容し(同第4項,第5
項),同一審原告らのその余の者について,上記各処分(ただし,一審原告
25,165については,手帳交付申請却下処分のみ)の取消しの請求を棄
却して被爆者健康手帳の交付の義務付けを求める訴えを不適法として却下し
た(同第6項,第7項)。
原判決に対して,一審勝訴原告ら以外の一審原告らがその敗訴部分と訴訟終
了宣言に係る部分を,一審被告らがその敗訴部分をそれぞれ不服として控訴
した。
1争いのない事実等
原判決12頁20行目から20頁15行目までを引用する。
ただし,次のとおり補正する。
原判決12頁22行目から13頁7行目までを次のとおり改める。
「一審原告ら
一審原告らは,後記のとおり,長崎県知事又は長崎市長に対して,
手帳交付申請又は手当認定申請をして却下された者又はその相続人で
ある。」
原判決14頁18行目の「制令」を「政令」に改め,20行目から15
頁14行目までを次のとおり改める。
「本件手帳交付申請却下処分及び本件手当認定申請却下処分等
ア【別紙4】処分目録の各「申請者」欄記載の者(以下「本件各申請
者」という。)は,同欄に対応する「却下処分」欄中の「申請日」
欄記載の日に,それに対応する「処分機関」欄記載の処分行政庁に
対して,被爆者援護法2条1項及び27条2項(49条)に基づい
て,上記「却下処分」欄記載の各申請(ただし,一審原告25,1
65については,手帳交付申請のみ)を行い,同欄中の「却下日」
欄記載の日に,手帳交付申請については本件各申請者が被爆者援護
法1条3号に規定する者に該当しないとして,手当認定申請につい
ては本件各申請者が被爆者援護法1条に規定する被爆者に該当しな
いとして,当該申請をいずれも却下する処分(以下,これらの処分
のうち,手帳交付申請の却下処分を「本件手帳交付申請却下処分」
といい,手当認定申請の却下処分を「本件手当認定申請却下処分」
という。)を受けた。
イ同目録の各「死亡日」欄に年月日の記載のある本件各申請者は,当
該年月日の日に死亡し,同欄に対応する「相続人」欄記載の一審原
告らが当該本件各申請者を法定相続分の割合に従って相続した。」
2中心的争点とこれに関する当事者の主張
本件の中心的争点は,本件各申請者が被爆者援護法1条3号にいう「原子
爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を
受けるような事情の下にあった者」に該当するかどうかであり,この点に関
する当事者の主張は,次のとおりである。
【一審原告らの主張】
被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるよう
な事情の下にあった」とは,放射能の影響が疑われるような定性的事情ない
し放射線の影響を受けたことが否定できない定性的事情があることを意味す
るものであって,現実に身体に放射線の影響を受けたかどうかは無関係であ
るし,爆光,爆風,「黒い雨」を浴びたことなどの具体的な被曝状況や被曝
した放射線量,急性症状・慢性疾患の発症などの健康被害の発生,健康被害
の放射能起因性は無関係である。また,一審被告らは,本件各申請者がその
ような事情の下にあったとの事実が存しないことについて,立証責任を負う
と解すべきである。
長崎原爆投下当時,爆心地から12㎞の範囲内にある被爆未指定地域
(原判決別紙9の図面に記載された長崎県伊木力村,大草村,喜々津村,古
賀村,戸石村,矢上村,日見村,茂木町,深堀村,香焼村,式見村,三重村
及び村松村を併せた区域)に在って被爆し,その後も被爆未指定地域ないし
より爆心地に近い地域において生活をしていた者には,次のとおり,放射能
の影響が疑われるような定性的事情ないし放射線の影響を受けたことが否定
できない定性的事情があったということができる。
ア外部被曝
被爆未指定地域は,長崎原爆の爆発によって発生した原子雲に覆わ
れ,その全域に原子雲に多量に含まれていた放射性降下物が降下した。被
爆未指定地域の住民は地表に残った放射性降下物が放出する放射線(ベー
タ線及びガンマ線)によって外部被曝した。
長崎原爆投下後に被爆未指定地域において実施された原爆由来の放射線
の線量率の測定結果(後記のマンハッタン調査団の調査の結果)を基に,
被爆未指定地域において被曝した本件各申請者の年間外部被曝線量を算出
すると,【別紙5】の年間外部被曝線量欄記載のとおりと推定され(推定
の根拠は,後記オのA意見のとおり。),本件各申請者は放射性降下物
の放出する放射線の外部被曝によって健康被害が生じる可能性がある事情
の下にあった。
イ内部被曝
人体に取り込まれた微小な放射性物質は,全身の隅々に運ばれ,すべ
ての組織,臓器,器官などの構成細胞に付着・吸収され,放射線を放出し
続ける。体内に留まる放射性物質は,その周囲の細胞に全方位的・継続的
に放射線を射出し,局所的な分子切断を生じさせること,放射性微粒子に
はガンマ線よりも強いエネルギーを持つアルファ線及びベータ線が含まれ
ており,これが内部被曝をもたらすことから,内部被曝では分子切断の危
険度が高く,線量にかかわらず深刻な健康被害(生命の構造の損傷・機能
喪失,急性症状の発症,急性死等)をもたらし,外部被曝よりも加害性の
リスクが高い。
本件各申請者は,長崎原爆が投下された以降,被爆未指定地域において
生活していたため,その投下直後から,原子雲から降下して大気中に充満
した放射性微粒子を呼吸によって吸い込んだり,飲食物に含まれる放射性
微粒子を飲食によって摂取したりして,その放射性微粒子から放出される
放射線の内部被曝によって健康被害が生じる可能性のある事情の下にあっ
た。
本件各申請者の甲状腺内部被曝線量を推計すると,【別紙5】又は原
判決別紙10の甲状腺内部被曝線量欄記載のとおりと推定される(推定の
根拠は,後記オのA意見のとおり。)。
ウ被爆未指定地域の住民に生じた健康被害
原爆投下後に長崎において実施された調査・研究の結果,爆心地から
2㎞を超える地域(初期放射線量が100m㏜以下になる地域)におい
て,下痢,脱毛,出血症状等の急性症状と同様の症状が生じたことや,被
爆未指定地域に隣接する長崎市西山地区の住民に白血球の異常な増加が生
じたり,白血病が複数発症したりしたことが明らかになった。また,原爆
投下当時,被爆未指定地域に居住していた住民にも,下痢,脱毛,出血等
の放射線被曝の急性症状と同様の症状が発症した。これらの症状は,いず
れも長崎原爆の放射能の影響によるものであると考えられ,被爆未指定地
域に居住していた本件各申請者にも,長崎原爆の放射能によって健康被害
が生じる可能性があったことを示すものである。
エ低線量被曝の危険性
100m㏜以下の低線量の被曝でも,健康被害が生じる可能性がある
との調査・研究結果が複数存在する。また,国際放射線防護委員会(IC
RP)は公衆被曝の限度を年間1m㏜の実効線量としているほか,国の原
爆症の認定基準において,爆心地から3.5㎞(初期放射線量が約1m㏜
になる距離)以内で被爆した場合には積極認定の対象とされており,これ
らは1m㏜の放射線量の被曝による健康被害の可能性があることを前提と
するものである。
したがって,低線量(年間1m㏜以上)の被曝をした場合には,健康被
害が生じる可能性があるというべきである。
オ前記アないしエの主張を裏付ける主要な証拠として,A(以下
「A」という。)の意見(甲A130の1・3,甲A139の1,甲A1
48,甲A152,甲A153,甲A184,甲A185,甲A189,
甲A190,甲A200,甲A207,甲A208,甲A211,証人
A。以下,これらの意見を併せて「A意見」という。)がある。
カ小括
以上によれば,被爆未指定地域において生活していて長崎原爆に被爆し
た本件各申請者は,いずれも年間外部被曝線量又は甲状腺内部被曝線量が
1m㏜を超えている(【別紙5】又は原判決別紙10参照)から,本件各
申請者について,長崎原爆の放射能の影響が疑われるような定性的事情な
いし放射線の影響を受けたことが否定できない事情があったということが
できる。
したがって,本件各申請者は,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾
が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受け
るような事情の下にあった者」に該当し,本件各申請者は,いずれも被爆者
援護法27条1項所定の疾病要件も満たしている。
【一審被告らの主張】
被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるよう
な事情」とは,単なる放射能による身体の何らかの生物学的反応をいうので
はなく,放射能の影響による健康被害を生ずるような事情,すなわち健康被
害を発症し得る相当程度の放射線被曝をするような事情を指すものと解すべ
きである。また,一審原告らは,本件各申請者がそのような事情の下にあっ
たとの事実が存することについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実
性の確信を持ち得る高度の蓋然性をもって証明する責任があるというべきで
ある。
一審原告らは,本件各申請者について,被爆者援護法1条3号の「身体
に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」ことについ
て,個別具体的な事情を主張立証する必要があるところ,その主張立証をし
ていないから,一審原告らが主張の根拠とする意見書の科学的合理性を論ず
るまでもなく,一審原告らの主張は失当である。
また,以下のとおり,長崎原爆投下当時,被爆未指定地域については,い
かなる被曝態様によっても,放射能の影響による健康被害が生じるような被
曝線量があったということはできない。
ア初期放射線
長崎原爆投下時の本件各申請者の居住地には,初期放射線は及ばなかっ
た。
イ放射性降下物
以下のとおり,国際的に通用する科学的知見を踏まえると,長崎原爆
の爆心地から7㎞ないし12㎞程度離れた被爆未指定地域に,健康に影響
するような放射性降下物の降下があったとは考えられない。
長崎原爆は,空中で核爆発を起こしたため,放射性降下物の拡散に関
する経験則上,これによる放射性物質は,大半が火球と共に上昇し,
成層圏にまで達して広範囲に広がったといえること,一般に,空中核
爆発の場合,地表核爆発の場合に比べて,直下の放射性降下物による
被害が著しく小さくなることから,長崎市内に降り注いだ放射性降下
物は極めて少なかった。
長崎市内において,原爆投下直後に比較的高い放射能が計測されたの
は,爆心地から約3㎞の風下に位置し,爆発後に激しい降雨のあった
特定の地区(西山地区)だけであり,爆心地を除くその他の地区で
は,放射能はほとんど測定されなかった。
かえって,爆心地から7㎞ないし12㎞離れた地域における土壌中に
含まれる放射能を測定した結果,原爆投下とは無関係のその他の地域
の土壌中の放射能と大差がなかったことからすると,人体に健康被害
を発症し得る程度の放射線被曝をもたらすような放射性降下物が降下
しなかったことが推定される。原爆投下直後に比較的高い放射能が計
測された西山地区においても,健康被害の発生可能性という見地から
は,極めて少ない線量が推定されているにすぎない。
長崎原爆投下当時に爆心地から離れた地域に所在した者には,下痢,
脱毛,出血傾向等の身体症状の訴えがなかった。また,原爆投下後,
西山地区方向の住民に,原爆の放射能に起因すると考えられる身体症
状が多く発症したわけではない。これらの事情からすると,西山地区
よりも爆心地から遠距離にある被爆未指定地域について,健康被害が
生じるほどの放射線量が存在したとはいえない。
かえって,遠距離被爆者(被爆地点が爆心地から7㎞以上離れた
者)に係る出血,脱毛,口腔咽頭病変,熱傷及び火傷の症状について
調査した結果,被爆地点が爆心地から7㎞以上10㎞未満の者につい
て,上記症状の発症率がいずれも0.5%以下で,10㎞以上の者に
ついては0%であったことからすると,人体に健康被害を発症し得る
相当程度の放射線被曝をするような事情はなかったことが推定され
る。
染色体異常頻度から線量を評価する手法は,信頼性が高い線量評価手
法であるところ,遠距離被爆者と非被爆者の染色体異常頻度を測定し
た結果,両者の間で上記頻度に有意な差がなく,被曝線量に有意な差
があったとは考えられない。
ウ誘導放射線
以下のとおり,爆心地から7㎞ないし12㎞程度離れた被爆未指定地域
において,長崎原爆に由来する誘導放射線の量が人体に健康被害を発症さ
せ得る程度のものであったとはいえない。
中性子線による誘導放射線量は,①原爆から放出された中性子線
量,②放射化し易い核反応断面積を有する金属元素の環境内におけ
る量,③その半減期によって決定されるところ,上記②について,
極めて短時間で誘導放射化されるのは,一部の限られた元素である
上,上記③について,誘導放射化した元素の半減期は比較的短く,原
爆の誘導放射線が問題となり得る核種は,マンガン56とナトリウム
24だけである。
原爆による初期放射線の中性子は,爆心地からの距離が600mない
し700mを超えるとほとんど届かないから,誘導放射線は,それを
超える範囲では発生していない。また,爆発から無限時間誘導放射線
の発生した地域の同じ場所にとどまっていたという仮定に基づいて誘
導放射線の積算線量を算出した場合でも,その積算線量は健康に影響
を与えるような程度のものではない。
エ内部被曝
以下のとおり,爆心地から7㎞ないし12㎞程度離れた地域におい
て,健康に影響するような内部被曝が一般的にあったとはいえず,本件各
申請者について,内部被曝によって,人体に健康被害を発症し得る程度の
放射線被曝をするような事情があったとは認められない。
内部被曝線量
原爆で問題となる内部被曝は,放射性降下物及び誘導放射線によるも
のであるが,放射性降下物の量及び誘導放射線の線量が健康への影響
という見地から極めて少ないものであったことは,前記のとおりであ
る。
また,西山地区等の長崎市の住民が受けた内部被曝線量は極めて低
かったと推定されており,長崎原爆による内部被曝の影響は,人体の
健康被害という観点からは,重視する必要がない程度のものであっ
た。
実際の健康被害
放射性物質の中には,特異的に集積する臓器が決まっているものが
あるところ,仮に原爆の放射線に起因する内部被曝の影響が無視でき
ないものであるとするならば,被爆者らには特定の臓器に癌が多発し
たはずであるが,遠距離・入市被爆者に生じた癌は,非被爆者同様,
様々な部位に発症した。また,医療上,放射性核種を投与することが
あり,それによって内部被曝が起きているが,上記被曝による人体へ
の影響はないというのが医療の常識とされている。
したがって,被爆者に生じた健康被害の観点から,被爆者が一般的に
有意な内部被曝の影響を受けたということはできない。
内部被曝の危険性
一般的に,内部被曝が外部被曝と比較して人体への危険性が高いとい
うことはできない。
すなわち,内部被曝の場合も,外部被曝の場合も,放射線急性症状
が発症する機序は変わらず,急性症状が発症する線量も同じであると
ころ,内部被曝の場合,急性照射ではなく,単位時間当たりの放射線
の量が小さい低線量持続型の被曝形態となるため,人体の修復効果に
より,放射線による影響の効率が低くなり,急性症状を起こしにくく
なる。また,放射性物質が微粒子で存在する場合,微粒子内での自己
吸収によって線量自体が低くなる上,微粒子近傍では線量が相対的に
高くなり,細胞死が先行して癌化の効果が低くなる。身体症状発症の
点で,内部被曝において考慮すべきアルファ線やベータ線がガンマ線
と比して危険であるといえる科学的知見はない。
一審原告らは,放射線核種を体内に摂取した場合,放射線核種から放
出される放射線によって継続的な被曝が生じるとして,内部被曝の危
険性を強調するが,体内に取り込まれた放射性核種は,物理的崩壊に
よる減衰に加え,人体の代謝機能により,各元素に特有の代謝過程を
経て体外に排出されるから,放射性核種を摂取した場合でもその影響
が変わらずに残るわけではない。
低線量被曝の危険性
実効線量が年間100m㏜を超過すると,放射線の人体の細胞等への
影響により癌などが発生する可能性が高くなることが一般に認められ
ているが,年間100m㏜を下回る被曝線量で癌の発症率が有意に上
昇するとの疫学的報告は存在せず,それ以下の低線量被曝によって,
癌や白血病が発症するリスクが大きくなるとは認められていない。
また,放射線は,自然界に存在しているし,医療行為にも用いられて
いるのであって,放射線による健康への影響は被曝の量に従って増減
することを踏まえると,被曝の程度を考慮せずに,被曝をしたという
だけで健康に影響があるとする考え方には合理性がないことは明らか
である。
以上の一審被告らの主張を裏付ける主要な証拠として,B(以下
「B」という。)の意見(乙A66の1,乙A221,乙A228の
1,乙A312,証人B。以下「B意見」という。)及びC
の意見(乙A349))がある。
結論
以上によれば,本件各申請者について,原爆投下によって人体に健康被害
を発症し得る相当程度の放射線被曝をするような事情は認められず,本件各
申請者は被爆者援護法1条3号に該当する者には当たらない。
第2章中心的争点についての判断
第1被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるよ
うな事情の下にあった」ことの意義について
1前提事実
原判決42頁16行目から57頁11行目までを引用する。
ただし,原判決43頁14行目,16行目及び19行目の「もの」をいずれ
も「者」に,45頁7行目の「十年余」を「十余年」に,46頁17行目の
「照射」を「輻射」に,54頁13行目の「行うべきではなく,」を「,関
係者の間に新たな不公平感を生み出す原因となり,ただ徒らに地域の拡大を
続ける結果を招来するおそれがある。」に改め,56頁初行の「撤廃され
た」を「撤廃されたところ,健康管理手当の額は,平成23年4月から平成
24年3月までの月分が3万3100円,同年4月分から平成26年3月ま
での月分が3万3000円,同年4月から平成27年3月までの月分が3万
3130円,同年4月分から平成28年3月分までの月分が3万4030
円,同年4月分から平成29年3月分までの月分が3万4300円,同年4
月分から平成30年3月分までの月分が3万4270円,平成30年4月以
降の月分が3万4430円である(被爆者援護法27条4項,29条1項,
平成30年政令第104号17条,附則2項)。」に改める。
2被爆者援護法1条3号の意義
原判決57頁13行目から62頁15行目までを引用する。
ただし,原判決58頁19行目末尾に「なお,同条1号において,当時の
長崎市の区域内に在った者を一律に被爆者健康手帳の交付を受けることによ
り「被爆者」とすることとしたのは,同市の意向を尊重したためである。」
を加え,60頁22行目の「被爆者援護法等が制定された」を「被爆者援護
法等を制定した」に改め,62頁15行目末尾を改行の上,「もっとも,
「原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあった」と
いうだけでは,ある特定個人又は原爆投下時点である地域に在った者らが,
「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」か否か
が一義的に決定されるものではない。「健康被害を生ずる可能性」の可能性
は,単に可能性の有無ではなく,正確には蓋然性,すなわち確率の問題であ
り,一定の幅を持った概念といわざるを得ない。」を加える。
3被爆者援護法1条3号についての立証の程度
原判決62頁17行目から63頁12行目までを引用する。
ただし,原判決63頁12行目末尾を改行の上,次を加える。
「さらに敷衍して述べるに,一審原告らにおいて,本件各申請者が健康被
害を受けた高度の蓋然性を証明することは要しない。しかし,一審原告ら
が,本件各申請者が原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事
情の下にあったことを推認させる間接事実として,原爆投下時に被爆未指
定地域内にいた者(本件各申請者の一部又は他の第三者)が原爆の放射線
により健康被害を受けたことを主張するのであれば(一審原告らが本件各
申請者の健康状態等に言及するのは,上記主張をする趣旨と理解され
る。),上記の健康被害を受けた事実を高度の蓋然性をもって証明すること
を要することになる。これに対し,一審原告らは,最高裁平成12年7月
18日第三小法廷判決・裁判集民事198号529頁を援用して,同判決
は健康管理手当ですら「程度の弱い因果関係で足りる」としているのであ
るから,被爆者健康手帳の交付は更に程度の弱い因果関係で足りると主張
する。しかしながら,被爆者援護法1条3号の要件充足性の立証を個々の
疾病と原爆放射線被曝との因果関係の立証と比較して論じること自体失当
であるから,一審原告らの上記主張は採用することができない。」
4被爆者援護法1条1号ないし3号の関係等
前記認定説示によれば,被爆者援護法の淵源である原爆医療法制定時に
法律案を提出した内閣は,爆心地から半径1㎞以内の地域にいた者は高度
の障害,半径1㎞から2㎞の地域内にいた者は中度の障害,半径2㎞から
4㎞の地域内にいた者は軽度の障害を負ったとの原子爆弾災害調査報告書
(昭和26年日本学術会議発行)等により,原爆の放射線により健康被害を被
ったおそれのある者(ただし,いわゆる入市被爆者等を除く直接被爆者)
は,広範に見ても爆心地から約5㎞以内の地域にいた者に限定されるとす
るのが科学的知見であるとの認識を有し,内閣は,上記認識に基づき,原
子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令1条1項別表第一により,原子
爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下「原爆医療法」という。)2条1号
にいう長崎市に隣接する区域を定めたこと(上記区域は,原子爆弾被爆者に
対する援護に関する法律施行令(平成7年政令第26号。以下「被爆者援
護法施行令」という。)1条1項,別表第一が定める区域と同一であ
る。),また,内閣は,被爆者を定義した原爆医療法2条1号ないし3号に
ついて,同条1号及び2号によって直接被爆者及び入市被爆者は原則すべ
て援護の対象とするとともに,これから漏れた被爆者を3号により個別に
援護の対象とするものと位置付けていたこと,原爆医療法2条1号が,上
記科学的知見に対する内閣の認識と異なり,当時の爆心地からの距離が最
大約12㎞となる当時の長崎市(以下「旧長崎市」という。)の区域内に
あった者を一律に被爆者健康手帳の交付を受けることにより「被爆者」と
することとしたのは,法律案を提出した内閣が地元自治体である長崎市の
意向を尊重したためであること(上記意向は,同一市内にいながら被爆者と
認定される者と認定されない者に分断されることから生ずる混乱等を回避
するための行政上の又は政治的な配慮であると推測される。),以上の原爆
医療法及び原爆医療法施行令制定当時の内閣の認識及び判断は,そのまま
被爆者援護法の法律案を提出し,被爆者援護法施行令1条1項を制定した
内閣に引き継がれ,国会もこれを是認して同法が成立したことが認められ
る。
上記によれば,被爆者援護法1条1号及び2号は,一定の時間的・場所
的範囲にいた者を類型的に被爆者とし,同条3号は,同条1号及び2号に該
当しない被爆者を個別に被爆者と認定して救済しようとするのが立法者の意
思であると考えられる。
しかし,他方,同条1号ないし3号の定める被爆者要件が,相互に関連性
のない各々独立したものと見ることはできない。すなわち,同条1号及
び2号は,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあっ
た者」を,それに当たることの立証を可能な限り容易にする趣旨から,その
者が原爆投下当時いた場所,原爆投下後立ち入った場所が含まれる行政区画
で区別することとし,これに当たる者を被爆者としてその援護の対象として
いるものと解される。また,原爆放射線による「身体に原子爆弾の放射
能の影響を受けるような事情」の有無は,最新の知見に基づいた高度に科学
的,専門的な判断が必要であるし,これを地理的な区域と連動させて決定す
ることは,高度に技術的な判断が必要であるが故に,同条1号が「隣接する
区域」を定める権限を政令に委ねたと解するのが合理的である。よって,
「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」こと
は,同条1号ないし3号に通底する同法上の「被爆者」の基本概念というべ
きである。ただし,同条1号は,これとは別の政策上の理由から当時の長崎
市の区域内にいた者を「被爆者」の要件上一律に扱うものとしたことは前記
のとおりである。
同条1号ないし3号の構造が上記のとおりであるとすると,①被爆者
援護法施行令1条1項における長崎市に「隣接する区域」の定めの根拠と
なった直接被爆者は広範に見ても爆心地から約5㎞以内の地域にいた者と
するのが科学的知見であるとの認識に誤りがあり,当時の科学的知見によ
れば,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった
者」がいた範囲はより広範囲になるとき,又は②同項制定当時の科学的
知見に対する認識としては誤りがなかったが,その後の研究成果等を踏ま
えた最新の科学的知見は上記認識と異なるものとなり,「身体に原子爆弾の
放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」がいた範囲が同項の定
める範囲より広範囲になるときは,同項は,正しい又は最新の科学的知見
と整合するよう改正されなければならない。被爆者援護法1条1号は,上
記①,②のような事態に遅滞なくかつ的確に対応することも理由の一つと
して,「隣接する区域」の決定を政令に委ねたものと解される。
ところが,上記①又は②の事態が発生しているにもかかわらず,被爆者
援護法施行令1条1項が改正されない場合,原爆投下時にいた場所が現行
の同項が定める長崎市の「隣接区域」に含まれないものの適正な改正がさ
れていれば改正後の「隣接区域」に含まれるであろう者は,「身体に原子
爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」として被爆者援
護法1条3号所定の被爆者に該当すると解すべきである。すなわち,この
場合,同号所定の被爆者であるというためには,その特定個人がいた場所
が,原爆投下当時,当該場所に在った者がおよそ一般的に「身体に原子爆
弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」といえる区域内にあ
ることを要するが,その場合には,当該特定個人についても個別具体的に
「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」と認
めることができることになるというべきである(もとより,それ以外に,
当該特定個人につき「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情
の下にあった」と認めるべき特有の事実関係があれば,被爆者援護法1条
3号の要件を満たすことはいうまでもない。)。本件において,一審原告ら
は,本件各申請者について,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるよ
うな事情の下にあった」ことをそれぞれに特有の事実関係をもって個別具
体的に主張立証するのではなく,本件各申請者が長崎原爆投下当時に被爆
未指定地域に在ったことをもってこれを主張立証しようとするのであるか
ら,以下における本件各申請者の同号の要件該当性の検討においては,被
爆未指定地域内に在った者が一般的に原爆の放射線により健康被害を生ず
る可能性がある事情の下にあったといえるか否かを検討することとなる。
第2本件各申請者は,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際
又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の
下にあった者」に該当するかについて
1前提事実
原判決63頁18行目「前記争いのない事実等」から79頁22行目まで
を引用する。
ただし,次のとおり補正する。
原判決66頁6行目の「37頁,」の後に「乙A226,」を加え,14
行目の「原子核の組成よって」を「原子核の組成によって」に,67頁2行
目の「発された」を「発せられた」に,68頁19行目の「317」を
「3.7」に,71頁11行目の「1.48m㏜」を「約2.1m㏜」にそ
れぞれ改め,72頁2行目の「29頁,」の後に「乙A393,」を加え,
73頁23行目から24行目にかけての「以下の性質を有するものは人体に
とって危険が高い。」を削り,74頁初行の「出すもの」の次に「は,人体
にとって危険が高い。」を,75頁12行目の「放射性降下物」の前に「原
爆及び大気圏核実験に伴い,核爆発した周辺に降下した放射性降下物を局所
フォールアウト(ローカル・フォールアウト)と呼び,それより遠方及び地
球規模で拡散し降下したものをグローバル・フォールアウトと呼ぶ。」を,
79頁19行目の「甲A140ないし147,」の後に「甲A214,」を
それぞれ加える。
2外部被爆(放射性降下物による被曝)について
放射性降下物の影響
原判決79頁25行目から80頁11行目までを引用する。
認定事実
原判決80頁12行目の「後掲の」から92頁21行目までを引用する。
ただし,次のとおり補正をする。
ア原判決83頁18行目の「本件申請者」を「本件各申請者」に改め,2
1行目の「指数関数的に」の前に「時間の経過とともに」を加える。
イ原判決86頁6行目の「以下「年間積算線量」という。」の後に「正確
には初年度の年間積算線量であるが,以下では逐一断らない。」を加え,
7行目の「約95%」を「約84%」に,8行目の括弧内を「甲A130
-15頁,甲A189-14~15頁,乙A29-213頁,乙A349
-26~27頁」に,22行目の「マックレニイ」を「マックレイニ」に
それぞれ改める。
ウ原判決87頁6行目の「100ha」を「1000ha」に改める。
エ原判決89頁15行目の「618頁」の後に「,証人A(速記録)-2
8項」を加え,17行目の「マックレニイ」を「マックレイニ」に改め
る。
オ原判決91頁13行目の「自然放射線の測定した」を「自然放射線を測
定した」に,16行目の「されている」を「考えた場合には」にそれぞれ
改め,17行目の「0.01)」の後に「となる」を加え,20行目の
「平成26年」を「平成25年」に改める。
カ原判決92頁2行目の「0.01mR/h」から3行目の「である。」ま
でを削り,5行目の「伊切木村」を「伊木力村」に改める。
A意見(一審原告らが援用する証拠)及びB意見(一審被告らが援
用する証拠)の内容
アA意見の趣旨
被曝線量の算定の概要(甲A130の1,甲A139の1,甲A15
2,甲A189-3~15頁・26~27頁,甲A190,甲A21
1-38~39頁,証人A(速記録)-34項)
マンハッタン調査団の最終報告書(甲A132)の等線量分布図(原
判決別紙13-1)を基にAが作成した図面(原判決別紙13-
2)のb区域ないしe区域について,線量率の最低値と最高値の平均
値(例えば,b区域の線量率の最低値〈0.1mR/h〉と最高値〈0.
2mR/h〉の平均値は0.15mR/hである。)を取り,それ以外の区
域については,本件各申請者が居住していた各区域に最も近い計測地
点の空間線量率を取って,その空間線量率をマンハッタン調査団によ
り西山地区(旧長崎市に属し,爆心地の東側に位置する。)における
線量率の測定が行われた昭和20年9月26日の空間線量率に換算す
る(マンハッタン調査団の放射能測定は昭和20年9月21日から同
年10月4日までの2週間にわたり行われ,その間にも放射性降下物
の減衰は生じるため,比較のため,線量率換算式を用いて西山地区の
測定が行われた同年9月26日の線量率に換算する必要がある。)
と,【別紙6】の「補正値」欄記載のとおりとなり,b区域における
線量率(0.18mR/h)に対するそれ以外の区域の上記換算後の線量
率の比率は,【別紙6】の「エリアb比」欄記載のとおりとなる。
b区域につき,上記補正後の線量率(0.18mR/h)を基に空間線
量率を線量率算定式(原判決85頁のa)のXtに,原爆投下から上記
測定までの時間を線量率算定式のtにぞれぞれ当てはめて,原爆投下
1時間後の地上高1mの線量率(線量率算定式のX1の値)を求め,さ
らに,上記線量率(X1)をDS86の式(公益財団法人放射線影響研
究所(以下「放影研」という。)が中心となって作成した原子爆弾放射
線の線量評価システムに基づく残留放射能による積算線量の推定式で
あり,減衰率(残留放射線の線量が減衰する速度)を-1.2のべき
乗(t-1.2
)とするもの。原判決85頁のb)に当てはめて,生涯積
算線量(原爆投下1時間後から無限時間後までの累積的被曝線量。原
判決85頁のb)を算出すると,4250mRとなる。計算上の年間
積算線量(原爆投下1時間後から1年後までの累積的被曝線量。原判
決86頁のc)は,4250mRに0.84を乗じた3570mRと
なる(DS86の式によって算出した年間積算線量は,同様の方法で
算出した生涯積算線量の約84%である〈原判決86頁のc〉。)。そし
て,実際に被曝した年間積算線量は,遮蔽効果を考慮して3570m
Rに3分の2を乗じた2380mR(=22.6mGy。1R=0.9
5rad=9.5mGyで換算)となる(減衰率が-1.5のべき乗の場
合は,22.6mGyに2.54を乗じた57.4m㏜となる(DS8
6の式における減衰率を-1.5のべき乗に置き換えて算出される年
間積算線量は,減衰率を-1.2のべき乗とするDS86の式に基づ
いて算出される年間積算線量の2.54倍になる〈原判決86頁の
c〉。)。)。
b区域の年間積算線量に,エリアb比を乗じて,c区域以下の各区域
の年間積算線量を算出すると,【別紙5】の「年間外部被曝線量」,
「k=-1.2」及び「k=-1.5」欄記載のとおりとなる(単位
はmGy)。
線量率の減衰率(甲A130の1-18頁,甲A139の1-7~1
5頁,甲A189-16~24頁,甲A207-41~43頁,甲A
211-21~38頁,証人A(速記録)-25~30項,証人A
(反訳書)-13頁)
DS86の式が採用した減衰率-1.2のべき乗は,放射性降下物が
風雨の影響を受けずにその場にとどまった場合の理論値であるとこ
ろ,長崎では,昭和20年9月2日に大雨が降り,さらに同月中に枕
崎台風の影響で再度大雨が降るなどした結果,長崎に降下した放射性
降下物は,土壌とともに相当量流出した。したがって,原爆投下後か
らマンハッタン調査団の調査が行われるまで(同年9月20日前)の
減衰率は-1.2のべき乗よりも大きかったというべきである。
上記の事情に加え,DS86の式は,減衰率について,-1.3の
べき乗又はその他の-1.5に準じる数値を採用することが可能であ
るとしていること,マンハッタン調査団の最終報告書(甲A132。原
)には,長崎のように放射性降下物が雨などにより浸
食を受け易い場合は,減衰率は-1.5に近い値と考えられる旨が記
載されていること,Dの研究(甲A139の2の2。原判決
において算定された西山4丁目の住民の生涯積算線量
(149rem〈証人A(速記録)-28項〉)は,DS86の式に減衰
率-1.5を代入して計算した生涯積算線量に近いことなどからする
と,減衰率を-1.5に近い値とするのが実情に合う(ただし,それ
よりも低い値であった可能性もある。)。
放射性降下物の降下時期(甲A139の1-16~24頁,甲A20
0-12~13頁,甲A185,甲A189-25頁,甲A207-
31~34頁,証人A(速記録)-22~23項,証人A(反訳書)
-17~18頁・58頁)
核分裂生成物の放射能は時間の経過とともに指数関数的に減衰するか
ら,ある地域に同じ量の放射性降下物が降下した場合でも,それが原
爆投下後どのぐらいの時間をかけて地表に到達したかは,地上にいる
住民の被曝線量に影響することになる。
マンハッタン調査団の調査までに被爆未指定地域に降下した放射性降
下物の主要部分は,原爆投下後,1時間以内に降下したということが
できる(被爆未指定地域に降下した放射性降下物の主要部分は,土砂
等に放射性微粒子が付着したものであり,直径が十分に大きかったか
ら,原爆投下後1時間以内に降下したと考えられる一方,爆発後1時
間経っても地表に到達しないような微小な放射性降下物は,当時吹い
ていた西風の影響により,被爆未指定地域よりも遠方に降下したと考
えられる。)。
すなわち,原爆投下当時,長崎では毎秒3m(時速約11㎞)の西風
が吹いており,原子雲は,その内部の放射性物質を降下させながら,
上記西風に流されて,東方に移動した。原子雲の主要部分の直径(正
確な大きさは不明である。)を6㎞(半径数㎞)として,Aaの推定
(甲A139の1-17~19頁,乙A278。原判決65頁のウ)を
前提に,原子雲が上記西風(時速約11㎞)と同じ速度で東に移動
し,原子雲から降下した放射性物質(の大半)は原子雲が通過する際
にその直下の地表に到達したと仮定すると,原子雲の東端が爆心地か
ら9㎞東の地点(矢上村)に到達したのが,原爆投下の約20分後
(午前11時20分頃)で,原子雲の西端が上記地点を通過したの
は,原爆投下の約60分後(午前12時00分頃)となるから,上記
地点に原子雲から放射性降下物が降下したのは,原爆投下の約20分
後から約60分後となる。そして,マンハッタン調査団の最終報告書
(甲A132。原判決82頁のc)の線量率の分布によれば,放射性降
下物は実際には直径6㎞の原子雲より広く分布したと考えられるこ
と,原子雲が通過した後も長崎市内において発生した大規模な火災に
よって生じ,上昇気流によって巻き上げられた灰や土埃(放射性物質
を含むもの)の落下は続いたと考えられること,原爆投下と同じ頃に
投下された観測用ラジオゾンデのパラシュートが同日午前11時30
分頃に東長崎地区(被爆未指定地域のうち爆心地の真東方向に位置す
る矢上村,日見村,古賀村,戸石村を併せた区域)の戸石村に初めて
落下したことに照らすと,東長崎地区への主要な降灰は原爆投下の3
0分後から1時間後に起こったと推定される(甲A139の1-20
頁)。
マンハッタン調査団の調査結果を算定の基礎とすることの合理性
aバックグラウンドが適切に考慮されていること(甲A139の1
-27~28頁,甲A188-2頁,甲A189-28~31頁,
証人A(速記録)-15項)
マンハッタン調査団の調査結果においては,バックグラウンドを
0.01mR/hとしているところ,被爆未指定地域の地質には放射
線の放出量が多い花崗岩等が含まれていないこと,Abeらの調査
(Eらが昭和43年に九州地方で行った環境放射能調査結
果)において,長崎県でマンハッタン調査団の
調査におけるバックグラウンドより大きな自然放射線が測定された
地域は,江迎,東彼杵と島原(いずれも被爆未指定地域外の地であ
る。)に限られ,Eの測定結果(Eが昭和42以降に被
爆未指定地域を含む長崎市及びその周辺の空間中の自然放射線量を
も同様であること,Aの測定
結果のとおり,Aが平成25年11月23
日に被爆未指定地域において自然放射線量(地上高5㎝及び1m)
を測定したところ,伊木力村,茂木,野母半島,三重のいずれにお
いても,0.01mR/hよりも相当低い数値が測定されたこと,バ
ックグラウンドの時間的変化も十分小さいことなどに照らせば,マ
ンハッタン調査団の調査結果においては,バックグラウンドが適切
に考慮されており,その結果を基に被曝線量の推計を行っても,被
曝線量を過剰に評価することにはならない。
b測定が地上高5㎝で行われたこと(甲A153-16~18頁,
甲A200-13~15頁,甲A207-45~46頁,甲A21
1-3~20頁,証人A(速記録)-17~19項)
マンハッタン調査団の調査における線量率の測定は地上高5㎝で
行われた。地上高5㎝の線量率が地上高1mのそれよりも高く測定さ
れるとすれば,その原因は,①ベータ線を測定したことの影響,②
ホットスポット(局所的汚染箇所)における測定であることの影響の
いずれかである。これらの影響がない場合,地上1mも5㎝もほぼ同
じ線量率である。実際,前記Aの測定結果に
おいても,地上高5cmと地上高1mとで自然放射線量の測定結果に
ほとんど差はなかった。
マンハッタン調査団の調査では,ガンマ線のみの測定を行い(ガン
マ線のみを測定できる計測器を用いて測定した。),ホットスポット
での測定を行っていない(住民が日常使用していた道路に沿って測
定したところ,これらの場所は,水はけが良いため,雨水の流れに
よって落ち葉や土埃・泥などが集積することがない。)から,上記
①,②のどちらの影響もなかった。
また,被爆当時の本件各申請者の年齢,身長,生活上の動作等を考
慮すれば,地上高5㎝の測定値を用いることはむしろ適切である。
以上によれば,西山地区及び被爆未指定地域の線量率の算定に当た
り,地上高5㎝で測定したマンハッタン調査団の調査の測定値を用
いることによって,被曝線量を過大に評価することにはならない。
イB意見の趣旨
次のとおり,A意見書における生涯積算線量及び年間積算線量の算出
方法には問題点があり,その値は実際よりも過大になっている。
減衰率を-1.5のべき乗とするのは過大であること(乙A228
の1-22~23頁,証人B-11~12頁・49~52頁)
マンハッタン調査団の最終報告書(甲A132。原判決82頁のc)
において,同調査団のタイバウト(Tybout。同調査報告書の放射線の
項を執筆した技術部長)は,減衰率を-1.2のべき乗とすることが
望ましいとしている上,マックレイニ報告書(乙A269の1・2。
において,昭和20年9月26日から同年11月
12日までの減衰率は,上記期間中に降雨があったにもかかわらず,
-1.2のべき乗が採用されている。
また,DS86において前提とされた西山地区での最大線量率(1.
8mR/h)は,風雨の影響を受けにくい地点(「貯水池東側の小道の外
れ」,「草むら」)で測定されたものである。
長崎原爆由来の放射性降下物による残留放射能の放射線量を推計する
際の減衰率は,上記のような風雨の影響を受けにくい地点の測定結果
を用いる場合,-1.2のべき乗とすることが妥当であり,-1.5
のべき乗とすると過大に推計することになる。
放射性降下物の降下時期(乙A228の1-22~25頁,乙A32
9,証人B-12~13頁)
核分裂生成物の放射能は時間の経過とともに指数関数的に減衰する
ので,ある地域に降下した放射性降下物の全体が降下した時期は,地
上にいる住民の被曝線量に大きく影響する(放射性降下物が爆発後2
時間で降下したとした場合,線量率は爆発1時間後に降下したとした
場合の43.5%に減少し,3時間では26.8%,4時間では1
8.9%,6時間では11.6%,12時間では5.1%にそれぞれ
減少する。仮に,被爆未指定地域の各区域の年間積算線量を推計する
に当たり,放射性降下物の全体が1時間で降下したとの仮定を2時間
に変更するだけでも,年間積算線量は15.4%ほど減少し(減衰率
-1.2のべき乗の場合),3時間に変更すると23.5%ほど減少
する。)。
A意見は,被爆未指定地域に降下した放射性降下物の主要部分が爆
発後1時間以内に降下したものとして,線量率及び積算線量を算出し
ている。しかし,西山地区ですら爆発後30分程度で放射性降下物の
主要部分が降下したという科学的根拠はなく,まして,同地区よりも
爆心地から遠方にある被爆未指定地域において,放射性降下物の主要
部分が爆発後1時間で降下したとする科学的知見はない。A意見が
前提とするように,風速風向が一定であったとは考え難いし,長崎に
おいて,西山地区以外で大量の降雨があったという記録は乏しく,降
雨があったとしても少量であったのであるから,被爆未指定地域の多
くの区域ではゆっくりと(すなわち,1時間以上の時間をかけて)放
射性降下物が地上に降下した可能性があるというべきである。
また,原爆の爆発で生じた火球が冷える過程で,核分裂生成物は融解
温度が高いものから固化して比較的大きな粒子になり,それらの粒子
は爆心地の近くに早く降下し,他方,融解温度が低い核分裂生成物は
より小さい粒子になり,より長い時間をかけてより遠方の地上に到達
する(フラクショネーション)。そして,長崎原爆のような空中核爆発
の場合の核分裂生成物の粒子径は小さいこと,原子雲(キノコ雲)は
相当高度に達することからすると,爆発によって生じた微粒子の多く
は上空にとどまり,グローバル・フォールアウト(地球規模での拡散
と降下)として時間をかけて降下したと考えられる。他方,比較的大
きな放射性降下物は,爆心地から近距離に降下したはずである。
したがって,被爆未指定地域に降下した放射性降下物の主要部分が爆
発後1時間以内に降下したとはいえず,西山地区における積算線量を
算出するために用いられたDS86の式を西山地区よりも爆心地から
遠距離にある被爆未指定地域での積算線量を算出するために用いる
と,これを過大に推計することになる。
マンハッタン調査団の調査結果をそのまま用いることはできないこと
aバックグラウンドの数値(乙A228の1-24~25頁,乙A3
12-25頁,証人B-56頁)
マンハッタン調査団は,0.01mR/hをバックグラウンドとした
が,上記数値は,海岸の自然放射線レベルを測定したものである。
海岸の自然放射線は,主に宇宙線によるものであり,他方,内陸部
における自然放射線は,宇宙線に加えて,大地からの自然放射線に
よるものであること,九州の内陸部では,沿岸部に比べて自然放射
線量が2ないし3倍強高いことからすると,マンハッタン調査団の
測定結果のうち,バックグラウンドに近い数値が測定された地域の
分については,大地からの自然放射能の「揺らぎ」を捉えている可
能性があり,上記バックグラウンドの数値を超える放射線が測定さ
れたことをもって,原爆由来の放射性降下物が降下したということ
はできない。
また,自然放射線の測定は,天候や風の影響も受ける。そのた
め,Abeらの調査,Eの測定結果,Aの測定結果において測定
されたバックグラウンドの数値が,マンハッタン調査団で設定された
バックグラウンドよりも低かったからといって,一概にマンハッタン
調査団の測定結果が実際の線量率よりも低かったとはいえない。
したがって,マンハッタン調査団の線量率の測定結果を基に累積被
曝線量を推計すると,実際よりも過剰な数値になる可能性がある。
b地上高5㎝での測定値を用いることについて(乙A312-25
頁,乙A329の1-11頁・14頁,証人B-16~20頁・
80頁)
マンハッタン調査団の調査では,空間線量率は地上高5㎝で測定
された。放射線には距離の2乗に反比例して線量が低下する性質があ
るため,地表近くで測定するとその直下の線源の寄与が大きくなり,
線量が高くなってしまうことから,地上高5㎝の線量率は,住民の被
曝線量を算定する場合に一般に使われる地上高1mの線量率より高く
なる(実測において地上高1mの線量率のほうが高くなる場合がある
のは,周辺にホットスポット等の強い線源があるような場合であ
る。)。実際に,マックレイニ報告書において,地上高5㎝での測定
値は地上高1mでの測定値より2倍高かったとされている。
住民の被曝線量を算定する際の空間線量率は,地上高1m,建造
物から1m離れた地点でのものを国際的に標準としている(大人の場
合,この高さに重要臓器がある。)。国際的には,子どもについても
地上高5㎝の測定値を用いるべきものとはされていない(子どもであ
っても,重要臓器,特に頭部や胸部等は,地上高5㎝よりも地上高1
mに近い高さに位置している。)。
したがって,マンハッタン調査団の調査において測定された線量
率は,住民が平均的に受けていた線量率よりも少なくとも2倍高かっ
たと考えられ,その調査結果をそのまま利用して住民の被曝線量を算
定した場合,過剰に見積もることになる。
A意見及びB意見の適否について
ア放射性降下物の放射線の減衰率
減衰率の算出について
放射性降下物の発する放射線の線量率は,時間の経過に伴う放射性物
質の崩壊やウェザリング効果(気象現象等により,放射性物質(特に
放射性降下物)の当初の土壌への沈着量が減少する効果。原判決75
頁のc)によって減衰するところ,長崎原爆由来の放射性降下物の場
所ごとの減衰率を調べた研究・調査は見当たらないこと,マンハッタ
ン調査団の調査の測定が行われた各測定点におけるウェザリング効果
の具体的な程度は明らかでないことからすると,上記各測定点におけ
る放射線の減衰率の具体的な数値を算出することは不可能である。
したがって,長崎原爆に由来する放射性降下物の発する放射線の減衰
率については,当時の気象条件等を考慮して,概算するほかない。
減衰率を-1.2のべき乗とするDS86の式の評価
aDS86の式が採用した減衰率-1.2のべき乗は,西山地区で採
取した土壌サンプルを実験室に持ち帰って測定した数値である(原
判決83頁のd)ところ,証拠(乙A228の1-22頁)及び弁
論の全趣旨によれば,屋外にある原爆由来の放射性降下物は,風雨
の影響を受けて移動・流出することが認められ,特に,前記(原判
ア)のとおり,長崎においては,マンハッタン調査団
の調査前,多量の降雨があり,それによって風雨や土砂とともに移
動・流出した放射性降下物も多いと推認される。
そして,DS86では,減衰率を定めるに当たり,放射性降下物
が測定前の風雨の影響により散乱した可能性を認めた上で,資料採
取場所について詳細な情報が得られないために風雨の影響を評価す
ることが不可能であるとして,風雨の影響による補正をしない実験
室内での測定データを用いたことが明示されている(原判決87頁
の)。そうすると,DS86の式において採用された減衰率-
1.2のべき乗は,実験室において核分裂生成物の発する放射線に
は妥当するとしても,長崎原爆に由来し風雨の影響の下にある放射
性降下物の発する放射線にも妥当することが科学的に実証されたも
のと直ちにいうことはできない。
bもっとも,マックレイニ報告書(乙A269の1・2。原判決89
には,西山地区における昭和20年9月26日の線量率と
それに近い場所の同年11月12日の線量率から推定される減衰率
が-1.2のべき乗に合致するとする部分があり(原判決89頁の
,日本原子力研究開発機構の茅野政道の意見(乙A226)に
も,セシウムやプルトニウムは,土壌に固定し易く,土壌に到着し
た時点で固定化が進むため,数回の雨で大きく沈着濃度が減少する
ことはないとする部分があり,Fらの研究「広島原爆の早期調
査での土壌サンプル中のセシウム137濃度と放射性降下物の累積
線量評価」(乙A39の1・2)には,広島市内への原爆投下から
3日後に採取された試料からの被曝線量は,広島に枕崎台風が到来
した後の測定結果に基づき減衰率を-1.2のべき乗として計算し
たDS86の式による被曝線量の推計値と類似しているとする部分
があるなど,風雨の影響の下にある放射性降下物の発する放射線に
も,減衰率-1.2のべき乗が妥当するとの報告も少なからず存在
する。
そうすると,DS86の式の減衰率-1.2のべき乗が実証的な
裏付けを全く欠くものということもできない。
減衰率を-1.5のべき乗とするA意見について
他方,A意見は,長崎原爆由来の放射性降下物による放射線の減衰
率を,核実験Trinity(昭和20年7月16日に米国のニューメキシコ
州の砂漠地帯にあるアラモゴード爆撃試験場において行われたプルト
で発生した放射性物質に
よる放射線の減衰率(ただし,雨が降った地域であるホットキャニオ
ンと呼ばれる渓谷におけるもの。甲A130の3-7頁,甲A189
-16頁)と同じ-1.5のべき乗であったとする。
この点,核実験Trinityは,長崎に投下された原爆と同型の爆弾が用
いられたものの,空中核爆発であった長崎原爆と異なり,地上20m
で行われた地表核爆発であったこと(原判決88頁の),一般に,地
表核爆発では空中核爆発よりも多量の放射性物質が生成されること
(原判決66頁の)からすると,核実験Trinityでは,長崎原爆と比
較して,誘導放射化された土壌の粉塵が多量に空中に巻き上げられ,
相当多量の放射性降下物が発生したと考えられる。また,上記核実験
が行われた場所は砂漠であり,自然条件が長崎原爆と大きく異なる。
したがって,核実験Trinityにおける放射性物質の減衰率を長崎原爆に
そのまま当てはめることはできない。
また,マンハッタン調査団の最終報告書(甲A132。原判決82頁
のc)において,長崎のように放射性降下物が風雨による浸食を受け
易い場合には,減衰率は核実験Trinityの-1.5に近い値と考えられ
るとされているが(原判決83頁のd),同最終報告書が地形や観測
場所その他の条件をどのように考慮して核実験Trinityと長崎原爆とを
対比したのか不明であって,同最終報告書から長崎原爆に由来する放
射性降下物の減衰率が-1.5のべき乗に近い値であったと認定する
ことはできない。Dの研究(甲A139の2の2。原判決88
),Bbらの調査(乙A349),Wilson
論文(甲A139の2の5の1・2)も,降雨量と
ウェザリング効果との関連性の有無・程度をどのように考慮したのか
が不明である,過去の調査における実測値と減衰率を-1.5のべき
乗とした場合の推計値が一致ないし類似するとの判断に客観性が乏し
い,降雨によるウェザリング効果がない場合にも減衰率が-1.5の
べき乗であることを前提にしている点で特異である,などの問題があ
り,長崎原爆に由来する放射性降下物の減衰率が-1.5のべき乗又
はそれに準ずる値であることを積極的に根拠づけるものとはいえな
い。また,Aが平成29年の台風18号の上陸時に行った台風によ
る土壌流出の再現実験,Aが行った福島第一原子力発電所事故後の
現地走行調査による測定結果(乙A226),内閣府原子力被災者生
活支援チームによる「避難指示区域における航空機モニタリングの測
定結果」(甲A211参考文献7)からの減衰率の推計にも限界があ
ると言わざるを得ない。
以上のとおり,減衰率に関するA意見は採用できない。
長崎原爆に由来する放射性降下物の放射線の減衰率
以上によれば,長崎原爆に由来する放射性降下物の発する放射線の減
衰率について,マンハッタン調査団の調査における測定点ごとの具体
的な数値を算出することはできないところ,それが風雨の影響(ウェ
ザリング効果)によって-1.2のべき乗よりも高くなっているかど
うか,なっているとして,どの程度かを的確に認定することはできな
いというほかない。
イ放射性降下物の降下時期
爆心地の東側(原子雲の本体が通過した直下ないしその付近)の地域
aA意見の前提
A意見は,積算線量の算定に当たって,原子雲がAaの推定(乙
A139の1-17~19頁,乙A278頁。原判決65頁のウ)の
とおりに移動したこと,その間,西風が全ての高度で秒速3mの定
常流として吹き続けていたことを前提に,被爆未指定地域には,そ
の上空を原子雲の本体が通過する頃までに放射性降下物の主要部分
が降下し終わり,したがって,爆発の約1時間後までに放射性降下
物の主要な部分が降下したとする。
この点,長崎原爆によって地上で発生した大規模な火災による灰は,
上空に舞い上がった後,核分裂生成物等を付着させて,爆発の30分
後頃から数時間の間に降下した事実が認められる(原判決65頁の
が,放射性降下物の全体量,そのうち核分裂生成物等の粒子径の大き
さやその割合,粒子の大きさ・重量と降下速度の関係,爆心地周辺の
各地域に降下した具体的な時刻,量等を測定した結果の記録はない
(証人B-57~58頁,弁論の全趣旨)。
b認定事実
爆心地の東側の地域のうち西山地区では,被爆未指定地域よりも爆
心地に近いことや爆発直後に降雨が見られたことを考慮すると,被
爆未指定地域よりも早くに放射性降下物が降下したといえるとこ
ろ,マンハッタン調査団の調査の結果によれば,線量率の測定値が
西山地区をピークとしてそれより東側で概ね距離に応じて低下して
いること(原判決別紙12,13)からすると,放射性降下物は,
原子雲が通過した頃ないし通過後間もない頃に,その直下付近に,
爆心地からの距離に応じて,時間的に連続して降下したと考えるの
が合理的である。そして,Aaの推定(乙A139の1-17~19
頁,乙A278頁。原判決65頁のウ)における原子雲の動きを前
提にすると,爆心地の東側の被爆未指定地域,特に爆心地により近
い地域においては,爆発後1時間が経過する前から,放射性降下物
(特に粒子径の大きなもの)の降下が始まり,爆発の1時間後まで
にある程度の量が降下した事実が推認できる。
他方,被爆未指定地域は,西山地区よりも爆心地から遠距離にある
こと,本件証拠上,原爆投下後,爆心地の周辺地域のうち,西山地区
以外で降雨があったとの客観的な記録はないこと,証拠(乙A329
の2-9の2頁,証人B-12~14頁)及び弁論の全趣旨によれ
ば,原子雲の火球が冷える過程で,核分裂生成物等は融解温度が高い
ものから固化して比較的大きな粒子になって早く降下し,他方,融解
温度が低い核分裂生成物等はより小さい粒子になり,より長い時間を
かけて地上に到達すること(フラクショネーション)が認められるこ
とからすると,西山地区より東側の地域では,西山地区よりも放射性
降下物の降下が遅く始まり,その主要部分が地表に到達するまでによ
り長い時間がかかったものと推認できる。このことは,爆風によって
塵となって吹き上げられた土壌や建造物,長崎原爆投下後の大規模な
火災によって発生した粒子が核分裂生成物等を吸着したものについ
ても同様と考えられる。
cA意見の評価
A意見は,Aが平成23年3月8日から同年4月30日までに
行ったアンケートによる調査を根拠に,爆心地から北東約7.5㎞
の離れた場所にある間の瀬地区において,午前11時20分頃から
20分ないし30分の間,降雨があったとするところ(甲A130
の1-57頁),これは間の瀬地区において降雨とともに小さい粒子
の放射性物質が早期に降下したとする趣旨と解される。しかし,上
記のとおり,西山地区以外で原爆投下後間もなく降雨があったとの
客観的な記録はなく,上記アンケートによる調査の結果のみから間
の瀬地区で降雨があった事実を認めることはできないし,仮に降雨
があったとしても,証拠(甲A130の1-57頁)によれば,上
記アンケートによる調査結果では,雨の程度について,通り雨,に
わか雨,小雨と回答した住民がいることが認められることからする
と,間の瀬地区に降下した放射性降下物の主要部分が降下するのに
十分な量の降雨があったと認めることはできない。
また,A意見は,原子雲が通過する時間とその直下付近に放射性
降下物の全部ないし主要な部分が降下(地表に到達)する時間とが
同じであること(そして,原子雲が被爆未指定地域に到達するまで
の時間が爆発後1時間程度に収まっていること)を前提にするが,
原子雲が通過する時間とその直下付近に放射性降下物の主要部分が
降下(地表に到達)する時間が同じであったことを裏付ける調査・
研究は見当たらないこと,A意見が前提とする気象台の観測結果
「秒速3mの西風」が同所での全ての高度の風速・風向を示すと認
めるに足りる証拠がないことなどからすると,A意見(甲A18
5-3頁等)が推測するように,被爆未指定地域に降下したのが原
爆で地表から巻き上げられて核分裂生成物を吸着した土砂や灰,水
滴などの粗大粒子が主体であったとしても,上記前提は採用できな
い。
そもそも,A意見の適否は,原子雲の大きさに依存するところ,
その正確な大きさ自体も不明であり,例えば,矢ケ崎意見書(甲A
179等)では,長崎原爆爆発による原子雲がその初期に半径15
㎞の同心円状に広がり,ほぼ形をとどめたまま流され,その後,薄
い雲が当日22時頃まで続いたところ,この雲が原子雲の通過した
地域の放射性微粒子が凝結核となって生じ続けたものと推察されて
おり,そうだとするとA意見の推察の前提が失われることにな
る。
d小括
以上によれば,マンハッタン調査団が線量測定をするまでに被爆未
指定地域に降下した放射性物質が,長崎原爆の爆発後1時間以内に
地表に到達し始め,それが爆心地からの距離に応じてある程度の量
に達していたということはできるが,その主要な部分が爆発後1時
間以内に地表に到達していたと認めることはできず,特に爆心地か
ら遠い地点ほど放射性降下物の降下に長い時間を要したことが推認
できるというべきであって,そうであるとすると,爆発後1時間後
以降の積算線量を算出する式であるDS86の式を用いた場合,被
爆未指定地域における積算線量を過大に推計することになるという
べきである。
爆心地以外の地域
長崎原爆の爆発によって発生した放射性降下物の主要な部分は,原子
雲の本体に含まれていたこと(原判決65頁の,長崎原爆投下当
時,長崎では秒速3m(時速11㎞)程度の西風が吹いており,原子雲
はこの風により爆心地から東側に移動したこと,地表に降下するのに数
時間程度を要する粒子径の小さい放射性降下物(の多く)は,地表に達
するまでの間に上記の風によって拡散したと考えられること,本件証拠
上,長崎周辺の地域で,西山地区以外に原爆投下後間もなく降雨があっ
たとの客観的な記録は見当たらないことからすると,原子雲の本体が通
過した爆心地の東側の地域以外の被爆未指定地域においては,放射性降
下物が東側の地域よりも長い時間をかけて徐々に降下したことが推認さ
れ,マンハッタン調査団の調査までに上記被爆未指定地域に降下した放
射性物質の主要な部分が,爆発後1時間以内に降下したと認めることは
できない。
Gの意見について
Gは,空中に浮遊する放射性降下物は,地表に到達しなくても
放射線を照射するので,地上の住民は被曝し,したがって,地表に到達
した放射性降下物のみで線量を評価すると過小評価となるとするところ
(甲A188),そのこと自体は首肯し得ないではないものの,具体的
な評価方法は不明であるし,生涯積算線量との関係も明らかでない。
ウマンハッタン調査団の調査結果の評価
バックグラウンドについて
aマンハッタン調査団の調査では,バックグラウンド(自然放射線)
を一律に海岸付近(「北上して道路が海に到達する地点」。甲A13
2の2-4頁,甲A189-28頁)で測定した0.01mR/hとし
て,これを各地点における放射線量の測定結果(ただし,カウント数
で計測したもの)から差し引いた値をその地点における原爆由来の放
射線量とした(原判決82頁のc)。
一般に,自然放射線量は,宇宙からの放射線量が主に計測される海
岸線付近よりも,宇宙からの放射線量に加え,大地からの放射線が存
在する内陸部の方が高くなる傾向にある(原判決90頁のが,マ
ンハッタン調査団の調査は,海岸線そのものではなく,そこから若干
の距離だけ内陸に入った地点,すなわち,内陸部の計測値との連続性
(比例関係)が維持されている地点(範囲)における最低値を求めた
ものであり(甲A132の2-4頁,A189-28頁),上記調査
が海岸線そのものにおける特異な値を計測してバックグラウンドと
したとの批判は当たらない。
実際,マンハッタン調査団の調査においてバックグラウンドとして
採用された線量率(0.01mR/h)は,Abeらの調査(原判決90
頁の,Eの測定結果(原判決91頁のAの測定結果(原
判決91頁のにおけるバックグラウンドの測定値よりも相当程度
高い数値であり,複数の調査,測定結果に見られるこのような傾向に
かかわらず,マンハッタン調査団の測定結果が天候の影響等による自
然放射線の「ゆらぎ」をとらえたものに過ぎないとか,そのバックグ
ラウンド値が海岸線における特異な測定値であるとすることはでき
ない。
上記の事情に加え,本件証拠上,長崎において,昭和20年から
平成25年までの間に,地質の変化など,自然放射線量に大きな変化
をもたらす事象があったとは認められないこと,前記のとおり,被爆
未指定地域を含む長崎市周辺の地質が高い放射線を放出する花崗岩等
によって構成されているものではないこと,マンハッタン調査団がバ
ックグランドとして採用した線量率(0.01mR/h)は,日本人が
年間に受ける自然放射線(年間2.1m㏜)のうち外部被曝線量(宇
宙線(0.3m㏜)と大地からの自然放射線(0.33m㏜)の合計
0.63m㏜)と比較しても小さいとはいえないこと(H意
見・甲A204-6~7頁)などに照らせば,マンハッタン調査団の
調査結果の採用したバックグラウンドの線量率が実際よりも低いとい
うことはできない。
b一審被告らは,マンハッタン調査団の空間線量率の測定値とバック
グランドの値を前提とすると,雲仙に至るまでの全ての地域で原爆
由来の放射性降下物による影響があることとなるとして,それらの
値が不当であると主張する。
しかし,前記のとおり,原子雲は爆心地から西風により東に流され
たところ,雲仙は爆心地の東側に位置していること,原子雲に含ま
れていた粒子は降下時間が長く,その多くは上記西風によって東側
へ拡散したものと推測されることからすれば,直ちにマンハッタン
調査団の測定値やバックグラウンドの値が不自然であるとはいえな
い。
c以上によれば,マンハッタン調査団の調査結果のうち,バックグラ
ウンドに近い数値が測定された地域における線量率を基に累積被曝線
量を推計すると実際よりも過大になる可能性があるとのB意見は採
用できない。
測定高について
a判断の前提となる知見等
放射線は,距離に反比例して線量が低下する性質を有する。そのた
め,①ガンマ線の線源が点状である場合,線量率は距離の二乗に
反比例する(全方向に放射された放射線全てを計算に入れた場合。
ある対象物との関係では,対象物が位置する側に出た放射線量によ
って上限が画される。)。②線源が線状に分布する場合は,放射
線の線束は線状線源を中心線とする円柱の表面積に反比例する(放
射線束は線源からの距離に反比例する。)。③全面に一様に汚染
され,線源が面状に分布している場合は,放射線の線束の減衰は点
状線源や線状線源ほどには生じない。さらに,④線源が無限大に
広がる面である場合は,測定高にかかわらず線量率は一定となる。
以上を踏まえ,他の条件を捨象すれば,平面に沈着した放射性物質
からのガンマ線を測定した場合は,地上1mでの空間線量率の測定値
は地上10㎝での測定値の約1.55分の1になるとの見解(乙A3
31-58~59頁,乙A349-24頁)や,地表面と地上1mと
ではおおよそ1.3倍くらいの差になると推測する見解(甲A211
-参考文献4)等がある(甲A153-16頁,甲A183,甲A2
11-5~6頁,乙A43の1,乙A43の2-231項,乙A33
1-58~59頁,乙A349-24頁,乙A312-25頁,乙A
329の1-11頁・14頁,証人B-17頁)。
測定箇所の直下にホットスポット(局所的汚染個所)が存在する場
合,地上10㎝ではその影響を大きく受けるのに対し,1mでは相対
的にその影響が小さくなるため,それが存在しない場合に比べ測定値
の差が顕著になる。他方で周辺にホットスポットがある場合,差が縮
小し,ときに逆転する場合がある(乙331-15頁・59~61頁)。
以上によれば,線量率と距離との反比例関係があることを前提に,
線源の形態(点状,線状,面状の別,一様さや広がりの程度等)に
より線源からの距離の増大に伴う線量率低下の程度が異なり,ホッ
トスポットの影響の有無,地表面の凹凸や周囲の地形による修正が
どの程度加わるかによって,地上高ごとの測定値の差の有無・程度
が変化してくることとなる。
b米国海軍医学研究所(NMRI)の報告書について
米国海軍医学研究所(NMRI)の報告書には,「西山地区では,計
数管を地上1mの所から地上5㎝の所に移した時にはメーターの読
みは殆ど倍増した。」として(原判決84頁の),西山地区にお
いて,地上高5㎝の放射線量の測定値が地上高1mのそれの約2倍
になったとの記載がある。
証人Aは,米国海軍医学研究所(NMRI)の報告書における測定結
果について,計数管の球状の窓を開いた状態でガンマ線とベータ線
を同時に測定した結果として,ベータ線が測定された地上高5㎝で
の測定値がベータ線の測定されない地上高1mでの測定値よりも高
くなったものであり,ガンマ線とベータ線を分けて測定したマンハ
ッタン調査団の調査の結果には妥当しない旨供述する(証人A(速
記録)-17~18項)。
しかし,上記測定が証人Aの推測するような方法で行われたことを
認めるに足りる証拠はなく,むしろ証拠(甲A169,乙A35
5)によれば,米国海軍医学研究所(NMRI)の調査が長崎市の中心
区域と西山地区の放射線量を比較する目的であったこと,したがっ
て,長崎市の中心区域では,球状の窓を閉じた状態で計数管を地上
1m及び5㎝にそれぞれ置いて測定したことが認められるのであれ
ば,西山地区において計数管を地上1m及び5㎝に置いた際にも球
状の窓は閉じた状態であったと推認するのが自然であるところ,中
心区域では,上記窓を閉じた状態で測定されていることが認められ
ることなどに照らし,証人Aの上記証言は採用し難い。
そうすると,米国海軍医学研究所(NMRI)の報告は,マンハッタ
ン調査団の調査当時,比較的多量の放射性降下物が降下した東長崎
地区においては,西山地区と同様に,放射線量を地上高5㎝での測
定値が地上高1mでの測定値の2倍近かったと推認する根拠となり
得るものというべきである。
cAの測定結果等について
これに対し,A意見は,Aの測定結果(平成25年11月23
日に伊木力村等において自然放射線量を測定したもの。原判決91頁
)において,地上高5㎝と地上高1mで,線量率にほとんど差が
見られなかったこと,証拠(甲A153-資料6)によれば,平成2
4年7月23日から同年8月1日にかけて行った千葉県成田市内の保
育園等における放射線量の測定でも概ね同様の結果であったこと,平
成29年7月8日,Aが福島県浪江町の山合いの牧場の見晴らしの
良い道路沿い(A意見によれば,福島第一原子力発電所事故による
放射性降下物による線量率が高い場所であるとされる。)においてガ
イガーカウンターを用いて地上高5㎝と地上高1mの各線量率の測定
を行ったところ,測定値にほとんど差がなかったこと(甲A207-
45~46頁)から,マンハッタン調査団の調査の際にも地上高の違
いによる線量率の違いはなかったと推測されるとする(甲A139の
1-27頁,甲A153-16頁,甲A207-45~46頁)。
しかし,伊木力村等におけるAの測定結果は,長崎原爆投下か
ら約70年後の平成25年に実施された調査によるものであり,原爆
由来の放射性降下物による影響はほとんど残っていなかったと考えら
れ,残留放射線の影響が残っていたマンハッタン調査団の調査当時も
同様の測定結果になったということはできない。
また,上記成田市における測定は,福島第一原子力発電所事故か
ら1年以上経過した後に行われたものであり同事故に由来する放射性
降下物の影響は相当程度弱まっていたと考えられ,原爆投下の2か月
以内に実施されたマンハッタン調査団の調査と同じ状況で行われたと
はいえない。
さらに,浪江町における測定結果については,伊木力村等におけ
るAの測定結果に比べて数値がかなり高く,未だ線量率が高い場所
におけるものであることは推認し得るものの,厳密な測定条件(周囲
の状況等)が不明であり,周辺のホットスポットの影響を排除できて
いるのかも疑問である。
したがって,上記のAの測定結果等からマンハッタン調査団の
調査についても同様の結果となったはずであるとはいえない。
なお,A意見は,マンハッタン調査団が昭和20年9月26日
(爆発から48日後)に地上高5㎝で測定した西山地区の各地点の測
定値と,米国海軍医学研究所(NMRI)が同年10月21日(爆発か
ら73日後)に地上高1mで測定した西山地区の各地点の測定値と
を,放射線の減衰率を-1.2のべき乗として換算した上で比較する
と,全体としてよく一致していると指摘する(甲A153-18頁,
甲A200-15頁。両測定の等線量分布図を重ね合わせた結果は
【別紙7】のとおり。)が,地上高5㎝で測定したマンハッタン調査
団の調査結果よりも地上高1mで測定した米国海軍医学研究所
(NMRI)の調査結果の方が高い箇所が少なからずある上,両調査に
おいて使用された機材の違い(甲A153-16~18頁)などの測
定条件の違いをも考慮すれば,両測定結果を単純に換算の上比較する
ことの相当性には,疑問が残る。
以上のとおり,マンハッタン調査団の調査において地上高5㎝にお
ける測定値と地上高1mにおける測定値が同じであったはずであると
するA意見は,これを採用することができない。
d国際的な基準等の考慮について
なお,国際的な基準では,住民の被曝線量算定のための空間線量
率を測定する場合,主要な臓器への影響を検討する必要から,地上高
1m(かつ建造物から1m離れた地点)の測定値を用いるとされてい
る(乙A403-50頁,証人B-16頁)のに対し,一審原告ら
は,本件各申請者が当時子どもであったことから,地上高1mの測定
値を用いる必要はない旨主張する。
この点,証拠(甲A211-3頁及び参考文献1ないし3)によ
れば,国による福島第一原子力発電所事故に関する放射線量の調査等
において,保育園,幼稚園,小学校については地上高50㎝の測定値
が標準として採用されたことが認められるところ,これらは,被曝す
る者の重要臓器の位置(高さ)にも鑑みて被曝の実態を正確に把握す
るための対応ということができ,本件各申請者の長崎原爆投下時の年
齢に鑑みると,その被曝線量を推計するに当たって,その重要臓器の
位置(高さ)を考慮することの合理性を裏打ちするものとはいえる
が,だからといって,直ちに,地上高5㎝の測定値が地上高1mのそ
れよりも本件各申請者の被曝線量を推計するに当たってより適切であ
るということにはならない。
e小括
以上によれば,理論上,測定高5㎝と地上高1mとでは測定値に
最大2倍程度の差が出る可能性があることは否定できず,マンハッタ
ン調査団の調査において測定高による差が皆無であったとも認められ
ないから,測定高5㎝の測定値に基づくA意見の推計値が,本件各
申請者の当時の年齢(身長)を考慮したものとしてではあっても,被
曝線量の推計値として過大である可能性は否定できない。
被爆未指定地域における年間積算線量(外部被曝)の推計
ア年間積算線量の推計の前提
前記のとおり,被爆未指定地域において,長崎原爆に由来する放射性物
質の線量率の減衰率の場所ごとの具体的な数値を算出することはできな
い。また,本件証拠上,マンハッタン調査団の調査における地上高5㎝で
の線量率は,地上高1mのそれよりも大きいことが推認されるものの,前
者を後者に換算した場合の正確な数値は不明である。さらに,各地点に放
射性降下物が降下した具体的な時間や量,放射性降下物の組成(各元素の
割合)も明らかではない。したがって,本件各申請者の個別の累積被曝線
量や被爆未指定地域における平均的な累積被曝線量を詳しくかつ正確に算
出することはできない。そこで,被爆未指定地域において被爆した本件各
申請者の被曝線量については,マンハッタン調査団の調査の結果や上記検
討の内容に基づいて概ねの数値を推計せざるを得ない。
そして,残留放射線の減衰率を-1.2のべき乗とした場合の年間積算
線量(原爆投下1時間後から1年後までの累積被曝線量)は,生涯積算線
量(原爆投下1時間後から無限時間までの累積被曝線量)の約84%であ
ること(原判決86頁のc。なお,減衰率を-1.5のべき乗とするとそ
の割合は増加する。),生涯積算線量は被曝した者の寿命によって差が出る
ことから,被爆未指定地域の住民ないしそこで被爆したとする本件各申請
者の被爆者援護法1条3号該当性については,長崎原爆投下から1年後ま
での年間積算線量をもって検討することとする。
イ年間積算線量の推計
マンハッタン調査団の最終報告書(甲A132。原判決82頁のc)を
基にAが作成した図面(原判決別紙13-2)のb区域ないしe区域に
ついては,同報告書における各区域ごとの線量率の最大値と最小値の平均
値(b区域は0.15mR/h,c地域は0.06mR/h,d地域は0.0
15mR/h,e地域は0.008mR/h)をとり,それ以外の区域につい
ては,本件各申請者が居住していた各区域に最も近い計測地点の線量率を
とり,線量率算定式を用いて,その線量率を西山地区における線量率の測
定が行われた昭和20年9月26日の線量率に補正すると,【別紙6】の
「補正値」欄記載のとおりとなる。
また,これらの補正値とb区域における線量率(0.18mR/h)に対
する上記補正後の数値の比率は,【別紙6】の「エリアb比」欄記載のと
おりとなる。
b区域における生涯積算線量の算定
マンハッタン調査団の調査において測定された空間線量率を線量率算
定式(原爆投下からt時間後の線量率(Xt)=X1t-1.2
。ただし,
X1は,原爆投下1時間後の地上高1mの線量率である。)のXtに,原
爆投下から上記測定までの時間を線量率算定式のtにそれぞれ当てはめ
て,原爆投下1時間後の地上高1mの線量率(X1の値)を求め,さら
に,そのようにして求めた線量率(X1)をDS86の式にあてはめ
て,b区域における生涯積算線量を算出すると,4250mRとなる。
また,DS86の式における減衰率-1.2のべき乗を-1.5のべき
乗に置き換えて,同様の方法でb区域の生涯積算線量を算出すると,1
0795mRとなる。
各区域における年間積算線量の算定
まず,減衰率を-1.2のべき乗とした場合の一応の年間積算線量を
DS86の式を用いて算定する。
上記「エリアb比」を前記のb区域の生涯積算線量(減衰率を-1.
2のべき乗とした場合の値)に乗じて,被爆未指定地域の各区域におけ
る暫定的な生涯積算線量を算出し,その数値に0.84を乗じて各区域
の年間積算線量を算出し(DS86の式によって算出した年間積算線量
は,同様の方法で算出した生涯積算線量の約84%である(原判決86
頁のc)。),さらに,遮蔽効果を考慮してその年間積算線量を3分の2
倍(K報告書〈原判決90頁のオ〉に基づく数値)して原爆投下後1
年間の年間積算線量を算出する。
なお,上記算定に当たり,人体への影響を評価するためには,まず,
照射線量(R)を吸収線量(Gy)に換算する必要があるところ,本件
で問題となっているのは,空気線量率から実効線量を求める計算方法で
あるから,水吸収線量ではなく,空気吸収線量を用いるのが合理的であ
る。よって,1R=0.876rad=8.76mGyで換算することとなる(乙A
349-31頁以下)。
また,Gyから㏜(実効線量)に換算して放射線の人体への影響を評
価する必要があるところ,標準人を基準としたコンピュータシミュレー
ションに基づき,成人では1Gy=0.75㏜(実効線量),子どもで
は,1Gy=0.9㏜(実効線量)で換算することとされており(乙A
349-32頁以下),これを用いるのが相当である。
これに対し,A意見は,全身に均等に1mGyを浴びた場合,等価
線量はどの臓器・組織でも1m㏜となり,実効線量も1m㏜となること
から,本件においても,1Gy=1㏜とすべきであるとする(甲A21
1-38~39頁,乙A403-37頁)が,原爆放射線の被曝,とり
わけ放射性降下物による被曝において,当然に全身に均等に放射線を浴
びることとなるのか疑問があるから,A意見は採用できない。
そうすると,減衰率を-1.2のべき乗とした場合の被爆未指定地域
の各区域の一応の年間積算線量は,【別紙8】の「①t-1.2
の場合」欄
記載のとおりとなり,減衰率を-1.5のべき乗とした場合の一応の年
間積算線量は,減衰率-1.2のべき乗として算出される年間積算線量
の2.54倍である(原判決86頁のc)から,【別紙8】の「②t-1.

の場合」欄記載のとおりとなる。
もっとも,長崎における原爆投下後の昭和20年9月1日から同月2
5日の降雨量が年間降雨量の約3分の1に及び,その間,枕崎台風が襲
来したこと(原判決80頁のア)を考慮すると,減衰率を-1.2のべ
き乗として求めた被曝線量は,実際よりも過小である可能性がないとは
言い切れない。しかし,減衰率が-1.5のべき乗又はそれに準じる値
であったと認めることができないことも前記説示のとおりであり,結
局,被爆未指定地域における放射線の年間積算線量が減衰率を-1.2
のべき乗として求めた推計値を超えることの証明はないといわざるを得
ない。
むしろ,前記のとおり,マンハッタン調査団の調査における線量率の
測定結果(地上高5㎝で測定された数値)は,地上高1mで測定した線
量率よりも高い数値であった可能性があること,被爆未指定地域におい
て,マンハッタン調査団の調査までに降下した放射性降下物の主要な部
分が爆発後1時間以内に降下したと認めることはできないことに照らせ
ば,上記の推計値ですら,被爆未指定地域の各区域の住民の年間積算線
量を過大に評価している可能性が高いということができる。
Iの意見について
ア意見の内容
I(以下「I」という。)の意見(甲A43の1,甲A11
0,甲A128の1・2。以下「I意見」という。)は,「原爆投下
直後,爆心地を中心とする半径約30㎞の範囲内に原子雲が形成され,そ
のうち,半径10㎞余りの範囲内の全ての地域に,原子雲の下に存在した
放射性降下物が一様に降った。それは,上記地域に存在する者につき,原
爆放射線により健康被害を生ずる可能性があるといえる程度のものであっ
た」とする。
イ検討
I意見は,前記のとおり,マンハッタン調査団の調査の結果,
爆心地を中心とした同心円の地域の中で原子雲の本体が通過した爆心
地の東側で際だって高い線量率が計測されたことと整合しない。一般
に,対流圏(地上から高さ10㎞ないし16㎞までの大気の層)は,
対流が活発であるから(対流が起こりにくい成層圏とは異なる。乙A
183),原子雲の下には放射性降下物があり,それが降下するとし
ても,原子雲の範囲内に一様に降り注ぐことは考え難い。また,証拠
(甲A128の2-24頁・148頁・156~169頁)によれ
ば,I自身も,上記範囲内における放射性降下物の降り方につい
て,均一ではなかったと別件訴訟で証言したことが認められ,上記証
言は,放射性降下物の降り方が一様であった旨の上記I意見と齟齬
している。
I意見は,J「雲仙より見たる原子爆弾投下によって発生し
た雲について」(乙A184。以下「J論文」という。)にあるスケ
ッチ(第2図,第3図(原判決別紙17)。以下,併せて「本件スケッ
チ」という。)を根拠として,圏界面上に広がった雲域について,約3
0㎞に四方に広がったものとする。しかし,本件スケッチには,描か
れた山の名称や縮尺の参考にし得るものの記載がなく,本件スケッチ
を周囲の地形等と比較することで雲の規模を推定することは困難であ
ること,証拠(乙A184-142頁)によれば,実際の推計値につ
いて,J論文においては,「雲底1200乃至1300米雲頂400
0乃至5000米程度と思われる」とされていて,I意見がキノコ
雲の雲頂が成層圏(約10000m)に達したとしていることと齟齬
していること,本件スケッチは,雲仙から西方の長崎市の方向を見た
ものであって,本件スケッチからは原子雲の東西方向の広がりは分か
らないことからすると,本件スケッチを根拠に原子雲の形成された範
囲が半径約30㎞の同心円であるとの事実を認めることはできず,そ
の他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。
したがって,前記のI意見は,採用することができない。
3内部被曝(体内に取り込まれた放射性物質による被曝)について
⑴内部被曝の影響の評価について
ア長崎原爆における内部被曝
内部被曝とは,呼吸,飲食,外傷,皮膚等を通じて体内に取り込まれた
放射性物質が放出する放射線による被曝をいう(原判決72頁の。
長崎原爆に関して内部被曝の主要な原因となり得るのは,放射性降下物
(原爆により一旦気化した核分裂生成物,未分裂のプルトニウム及び原爆
の容器に加え,誘導放射化された土壌や建築物等が塵となって爆風で吹き
上げられたもの,火災により発生した粒子などを含む。)である。
イKらの調査
証拠(乙A29-219頁)及び弁論の全趣旨によれば,内部被曝につ
いて,長崎大学のKらが,昭和44年及び昭和56年の調査で残留放射
線が多かった西山地区の住民を対象とするセシウム137(核分裂により
生成されるセシウム〈原子番号55の元素〉の放射性同位元素であり,半
減期は30年である。)の測定結果を用いて,昭和20年から昭和60年
までの40年間のセシウム137による内部被曝線量を積算したところ,
男性で10mrem(ミリレム。=0.0001Gy),女性で8mrem(=
0.00008Gy)と推定されたと報告したことが認められる。
もっとも,上記の報告からは,セシウム137よりも半減期の短い(放
射性崩壊の確率が大きく,単位時間当たりの放射線の放出量が多いと考え
られる。)放射性物質等による内部被曝線量については不明であるが,半
減期の短い核種は,原爆投下後短時間のうちに環境中から消失するため,
体内に摂取される機会は極めて小さく,それによる内部被曝線量は,半減
期が長く生成量が多いセシウム137による被曝を超えることはなく,放
射性降下物の中で内部被曝線量に寄与する主な核種は,半減期が長く生成
量が多いセシウム137であるとの見解がある(乙A30-20~23
頁,乙A46-153~154頁,乙A54)。
これに対し,A意見(甲A130の1-64~66頁,甲A139の
1-36~38頁,甲A200-8~9頁)は,短寿命核種による被曝も
考慮すべきであるとするが,上記証拠から認められる短寿命核種の半減期
及び内部被曝線量を計算するための係数である実効線量係数に鑑みれば,
長期間の内部被曝線量を推計するに当たり重要なのは,セシウム137で
あり,短半減期核種を含めた全体としての内部被曝線量を推計したとして
も,セシウム137による値を大きく上回るものとなるとは認め難い。
そして,被爆未指定地域は,初期放射線及び誘導放射線の影響がなかっ
たこと,被爆未指定地域に降下した放射性降下物が西山地区に降下したそ
れよりもかなり少なかったことをも考慮すれば,被爆未指定地域における
内部被曝線量は,Kらが推計したセシウム137による数値よりも更に
少なかった可能性が高いというべきである。
ウ内部被曝における被曝線量の評価
このように,被爆未指定地域における内部被曝線量は,長期的にみても
かなり微量にとどまる可能性が高い。これに対し,一審原告らは,内部被
曝の特殊性からして,線量としては微量であっても,人体に対する危険性
は高いと主張するので,その当否を検討する。
一審原告らが拠って立つ見解について
証拠(甲A75の1,甲A77,甲A83の2,甲A83の6,甲A
109の3,甲A116,甲A121,甲A133,甲A217)によ
れば,内部被曝については,以下の要因から,外部被曝と異なる特徴が
あり,一時的な外部被曝よりも身体に大きな影響を与える可能性がある
などと指摘する見解があることが認められる。
すなわち,外部被曝の場合,放射能を有する物体から全方位に照射さ
れる放射線のうち,当該人体に向かうもののみが問題となり,有意な被
曝をもたらすのは透過性の大きいガンマ線だけであり(甲A83の2-
4頁),人体が放射線環境から離れれば継続して被曝することはないの
に対し,内部被曝の場合,①放射性物質が微粒子を形成すると,膨大
な数の放射性核種が微粒子内に存在することになるため,微粒子から連
続的に放射線が放出され,体内の微粒子の周囲にホットスポット(濃密
な被曝領域)が作り出される(ホットパーティクル理論。甲A83の2
-5頁,乙A192-2頁),②体内で放射される全放射線のエネル
ギーが被曝に直結し,透過性が小さく,飛程の短いアルファ線やベータ
線によって密度の高い電離作用が働くことになる(甲A83の2-4
頁),③放射性物質が体内に存在し続けることになるため,人体が放
射性物質を体内に取り入れたその場所を離れても被曝が継続する,④
このような体内における高密度の電離作用に加え,間接効果として放射
線に直接当たらなかった近隣の細胞が影響を受けて染色体異常をきたす
近隣効果(バイスタンダー効果)や,放射線が水分子を電離することで
イオン化した水分子がDNAの二重鎖を切断する効果があるなどと指摘
されている(甲A83の2-14頁・16頁)。
しかし,他方,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,現状において
は,内部被曝における線量測定方法は確立していない上(甲A77-7
9頁,甲A156の1-48頁),外部被曝であろうと内部被曝であろ
うと,全身や組織,臓器が受ける放射線の量が同じであれば,人体影響
に差異はないのであって,内部被曝であるからといって,ことさらに危
険性が高まるということはなく,むしろ,内部被曝は,低線量で徐々に
被曝する形の連続被曝であるため,急性の被曝の場合に比べて,人体の
回復力が働きやすく,影響が少ないとして,内部被曝につき外部被曝よ
り危険性が高いとはいえないとする見解があることが認められる(甲A
82,甲A83,乙A30-22頁,乙A41-14頁,乙A35
9)。また,体内に取り込まれた放射性核種は,人体に備わった代謝機
能によりいずれは体外に排出されるものとして,医療の現場等において
も放射性物質の人体への投与が行われており(公知の事実),遠距離・
入市被爆者に出現する癌に特定の核種が特定の臓器に沈着,集積して当
該臓器に影響を与える危険性が現れていると認めるに足りる証拠もな
い。さらに,証拠(乙A191,乙A192)によれば,上記ホットパ
ーティクル理論は,ICRP等により相当の科学的根拠をもって否定さ
れていることが認められる。
これらのことを総合考慮すれば,内部被曝については一時的な外部被
曝よりも身体に大きな影響を与える可能性があるという見解が科学的知
見として確立しているとは認め難いというべきであり,一審原告らが拠
って立つ前記見解は,直ちに採用することができない。
細胞に生じる現象について
証拠(甲A116-154頁・156頁,甲A175-143頁)に
よれば,内部被曝の危険性について,前記のバイスタンダー効果のほ
か,逆線量率効果(同じ被曝線量であれば,長期にわたって被曝した場
合の方がリスクは高いこと),ゲノム不安定性(放射線を浴びて生き残
った細胞集団の遺伝的変化が分裂した細胞に受け継がれていくこと),
ペドカウ効果(「液体の中に置かれた細胞は,高線量放射線による頻回
の反復放射よりも,低線量放射線を長時間放射することによって容易に
細胞膜を破壊できる」というもの)等を指摘する研究が行われているこ
とが認められる。
しかし,証拠(乙A365の1・2,乙A43の2-414項,乙
A362-19頁,乙A363の1・2,乙A364-71~75頁,
乙A366-80~81頁,乙A362-20頁,乙A367の1・
2,乙A356-2頁)によれば,上記の現象については,いずれも,
限定的な状況下で細胞レベルのものとして観察されたにとどまり,人体
やヒトの集団を対象としても同様の現象が見られるのか不明である等の
指摘がされていることが認められるから,内部被曝の人体やヒトの集団
への影響に関する科学的知見として確立したものとはいえない。
遠距離被爆における急性放射線症と内部被曝について
のとおり,いわゆる原爆の遠距離被爆者に放射線被曝による
急性症状に類する症状が一定割合生じているとの調査結果があることが
認められる。
しかしながら,それらの症状は,放射性降下物による外部被曝の影響
とも考えられること,そもそも,放射線以外の原因による症状である部
分もあり得ること等を考慮すれば,直ちに内部被曝による健康への影響
と認めることはできない。
Lほか「広島フォールアウト地域4重がん症例の肺がん組織で
証明された内部被ばく」(甲A188-11~12頁,甲A188の
4)について
a調査内容及び結果
広島に投下された原爆の爆心地から4.1㎞の地点で被爆し(よっ
て原爆の初期放射線推定線量は0であり,フォールアウトによる被曝
が考えられる。),肺癌,胃癌,大腸癌,染色体異常を伴う骨髄異形成
症候群に順次罹患した対象者の肺癌手術の際の切除組織を解析したと
ころ,癌組織内に有意に増加したアルファ線飛跡が確認された。その
放射線源は,貪食細胞内に取り込まれた広島原爆ウラン235の可能
性が高いことが強く示唆された。原爆被爆時から肺癌発症までの等価
線量を求めたところ,肺癌部組織が肺非癌部組織の約10倍高い放射
線量となった。
b検討
アルファ線飛跡がウランによるものであるとの確証はなく,また,
原爆投下後の核実験によるグローバル・フォールアウトとの関係も明
らかではなく,癌が原爆由来の放射線によるものであるとは断定でき
ない。よって,同研究によって内部被曝の危険性が大きいことが証明
されたと認めることはできない。
エ小括
以上によれば,内部被曝の機序については科学的に未解明な部分もあ
り,外部被曝と異なる特徴がある可能性は否定できないが,他方で,内部
被曝の特殊性,危険性を疑問視する見解の合理性も否定し難く,少なくと
も,微小な線量の内部被曝によっても健康への影響が生じると直ちに認め
ることはできない。
⑵A意見(マックレイニ方式による計算)について
アA意見の趣旨
原判決127頁6行目から128頁2行目までを引用する。
イ認定事実
原判決128頁3行目の「後掲」から132頁13行目までを引用す
る。
ただし,原判決128頁17行目の「地表爆発をした」の後に「(地上
500フィートで爆発し,クレーターは形成しなかった。甲A174)」
を,130頁17行目の末尾に「。」を,132頁6行目の「「長崎の鐘」
には,」の後に「放射能の間接障害の珍しい症例として,」を,10行目
の「43頁」の後に「,甲A139の1-42~43頁」をそれぞれ加え
る。
ウ被爆未指定地域の土壌汚染密度について
原判決132頁15行目から135頁初行までを引用する。
ただし,原判決134頁末行の「土壌汚染」の後に「密度」を加える。
エ被爆未指定地域の住民の甲状腺被曝線量つ
いて
A意見の根拠
原判決135頁4行目から137頁24行目までを引用する。
ただし,次のとおり補正をする。
原判決135頁8行目の「34」を「32」に改め,136頁19行
目の「R/V比を1とした場合」の後に「。年間積算線量=(セシウム1
37の土壌汚染密度)×24である。」を,20行目の「R/V比を2と
した場合」の後に「。年間積算線量=(セシウム137の土壌汚染密
度)×38である。」を,21行目の「383mGy」の後に「。ただ
し,年間積算線量を生涯積算線量の95%とした場合。」をそれぞれ加
え,136頁23行目の「甲A135」を「甲A153」に改める。
A意見についての検討
aヨウ素131の土壌汚染密度の算定とORIGENコードの使用につ
いて
⒜前記のとおり,マックレイニ報告書及びA意見においては,長
崎原爆由来の放射性降下物中の各放射性核種の割合がORIGENコ
ードと同じであることを前提に,西山地区におけるヨウ素131
の土壌汚染密度を算出している。
しかし,前記(原判決129頁の)のとおり,ORIGENコー
ドは,原子炉内でプルトニウムが完全に核分裂した場合の放射性
核種の割合を示すものであって,プルトニウムの一部しか核分裂
反応をしなかった長崎原爆には当てはまらない。また,仮に長崎
原爆爆発時の放射性核種の割合がORIGENコードと同じであった
としても,証拠(乙A229,証人B-65頁)によれば,屋
外における核爆発では,核爆発によって生じた火球により,一旦
は全ての物質が蒸発(気化)し,その後の数十秒ないし数分の間
に融点の高いもの(プルトニウム等の難揮発性核種)から凝集し
始めるが,融点の低いもの(ヨウ素131やセシウム137等の
揮発性核種)はこの凝集過程(フラクショネーション)に加わら
ない結果,放射性降下物の構成比は,理論的に計算される核分裂
生成物の構成比と比べて,難揮発性核種が多くなり,揮発性核種
が少なくなるということができ,空中核爆発の場合,揮発性核種
である放射性ヨウ素131の割合はORIGENコードにおける割合
よりも低くなるというべきである。そうすると,西山地区におい
て計測された線量率を基にORIGENコードの比率をそのまま当て
はめてヨウ素131の土壌汚染密度を算出すると,実際よりも高
い推計をすることになる。
なお,上記事情のほか,証拠(甲A139の1-34頁)によれ
ば,マックレイニ報告書においてORIGENコードが採用されたの
は,放射線被曝に関する米軍兵士の安全性を評価するに当たり,
慎重を期して,より安全側に配慮したことによるものであること
がうかがわれ(証人B-25頁参照),正確な内部被曝線量を計
算するためであったとは認め難い。
したがって,A意見における「長崎原爆由来の放射性降下物
中の放射性核種の存在比率がORIGENコードと同じである」との
前提は採用できず,ORIGENコードを基に長崎原爆における各核
種による土壌汚染密度を算出することはできないから,原爆投下
1日後のヨウ素131の土壌汚染密度が15,000KBq/㎡であ
ったとのA意見も採用することができない。
もっとも,前記(原判決134頁の)のとおり,長崎原爆由
来の放射性降下物が降下した地域では放射能による土壌汚染が生
じていたこと,証拠(甲A130の1-40頁)によれば,M
らが平成元年に超音波検査装置を用いて検査をした結果,対照群
よりも西山地区における甲状腺結節(悪性のものは甲状腺癌であ
る。)の割合が高かったことが認められることからすると,放射能
による土壌汚染密度の程度に応じたヨウ素131による土壌汚染
があったこと自体は否定できないが,本件証拠上,長崎原爆由来
の放射性降下物中の各放射性核種の割合を測定した調査・研究等
は見当たらないから,結局,ヨウ素131の土壌汚染密度の具体
的な数値を推計することはできない。
⒝これに対し,A意見は,前記のとおり,DS86の式に基づい
て推計される西山地区の外部被曝線量と,核実験Diabloのデー
タ,ORIGENコード及びCcの式を用いて推計される西山地区の
外部被曝線量とがほぼ一致することから,核実験Diabloのデータ
及びORIGENコードを基にヨウ素131の土壌汚染密度を推計す
ることは合理的であるとする。
しかし,A意見における上記推計は,西山地区におけるR/V値
(難揮発性核種と揮発性核種の量の比の実測値と理論値の比)が
1.0ないし2.0であることを前提とするところ(1.0は,フ
ラクショネーションがなく,原爆により発生した環境中のセシウム
137の量が理論値と一致する場合であり,2.0は,フラクショ
ネーションが存在し,原爆により発生した環境中のセシウム137
の量が理論値の半分である場合を意味する。),証拠(甲A153-
20頁)及び弁論の全趣旨によれば,西山地区におけるR/V値に
関する報告には,上記範囲に収まらないものがあることが認められ
るから,上記前提が正しいものとすることはできない。
また,A意見(甲A153-21~22頁,甲A200-5~
6頁)は,マックレイニが昭和45年に採取された西山地区の深さ
30㎝の土壌サンプルを分析して得たセシウム137の平均濃度
とバックグラウンドの土壌サンプルのセシウム137の平均濃度
の差から半減期を考慮して逆算した昭和20年のセシウム137
の濃度(0.53μCi/㎡)と,核実験Diabloのデータ及びORIGEN
コードを用いて算出した濃度(0.37μCi/㎡)とが「よく合致
する」として,長崎原爆ではフラクショネーションの影響はなく,
ORIGENコードの使用に問題はないとするが,両者の濃度が近似し
ていると評価できるか自体に疑問があり,上記A意見は採用でき
ない。
なお,一審原告らは,被爆当時の本件各申請者の居住地に降下
した放射性降下物の主要部分は,爆発後1時間以内に地表に降下
したものであるから,その粒子径及び質量は比較的大きく,長崎
原爆により巻き上げられた土砂等(甲A162,甲A163)の
粗大粒子に放射性物質が付着したものであったと推測され,この
場合には,フラクショネーションの影響は受けない(乙A312
-26頁),フラクショネーションの影響を受けるような放射性
降下物は,風速3m/秒の風に乗って,はるか東方へ流され,本件
各申請者の居住地に降下することはなかったとも主張する。
しかしながら,前記のとおり,被爆未指定地域に降下した放射
性降下物の主要部分が爆発後1時間以内に地表に降下したと認め
るに足りないし,同降下物の粒子径や質量が比較的大きかったと
しても,空中核爆発であった長崎原爆の放射性降下物がフラクシ
ョネーションの影響を受けなかったと断ずることはできない。
以上のとおり,A意見の根拠のうちヨウ素131の土壌汚染
密度の算定とORIGENコードの使用に関する部分(原判決135
頁のa)は採用できない。
b被爆未指定地域の住民の甲状腺被曝線量について
被爆未指定地域の住民の甲状腺被曝線量についてのA意見の根
拠(原判決135頁の)は,西山地区における原爆投下1日後の
ヨウ素131の土壌汚染密度が15,000KBq/㎡であることを前
提にするところ,その前提を採用することができないのは前記aの
とおりである。
また,A意見は,ヨウ素131の土壌汚染密度とその土壌に植
生する植物の汚染密度は同等であり,土壌汚染密度はヨウ素131
の半減期に従って低下すること,福島第一原子力発電所事故後の福
島県飯舘村深谷地区における植物(雑草)の汚染濃度が西山地区の
作物の汚染濃度と同じであることを前提に,西山地区の作物の放射
線汚染濃度を推計しているが(甲A130,甲A139),A意
見(甲A130を訂正した甲A148)によると,福島第一原子力
発電所の事故後の福島県飯舘村深谷の雑草のヨウ素131の濃度
は,ヨウ素131の半減期に従って低下することなく,不規則に変
化しており,Aによるその測定結果には,同事故においてはヨウ
素131の放出が少なくとも1か月間は断続的に続いていたこと
(乙A276-7頁図3)が影響している可能性がある。
さらに,証拠(乙A312-26頁)及び弁論の全趣旨によれ
ば,野菜は通常付着した土などを落とし,皮を除いて摂取するもの
もあること,半減期の短いヨウ素131が根から吸収される可能性
はほとんどなく,根菜類の可食部分にヨウ素131による汚染が沈
着しにくいと認められることからすると,原爆投下後被爆未指定地
域の住民が摂取していた野菜,果実と福島第一原子力発電所の事故
後の福島県飯舘村深谷地区に生育していた雑草とを,その種類,形
状及び性質等の差異を考慮せずに同一に見て,両者を同じ量摂取し
た場合に同じ量の放射性物質を摂取したことになることを前提にし
てヨウ素131による被曝線量を推計するのは著しく合理性を欠
き,過大に評価することになるというべきである(一審原告らは,
野菜以外の食べ物や水に含まれるヨウ素131を考慮すべきである
とも主張するが,具体的にどの程度考慮すべきであるとするのか不
明である。)。
なお,西山地区においては,甲状腺結節の割合は高かったもの
の,甲状腺癌の発症が増加ないし頻発したとの調査・報告は見当たら
ず(証人A(反訳書)-21頁,証人B-33頁),少なくとも西
山地区で発症した甲状腺障害の内容から積極的にチェルノブイリ事故
水準の甲状腺被曝があったことを根拠づけることはできない。
以上によれば,前記のA意見における甲状腺被曝線量の推計は
過大である可能性が高く,採用できない。
オ西山地区の住民の体内から放射性セシウムが計測されたこと(原判決1
27頁のア③)について
前記のKの研究のとおり,昭和44年の調査の時点で,西山地区の住
民の体内から他の地域の住民よりも高い放射性セシウムが検出されたこ
と,西山地区の土壌及び農作物から他の地域よりも高い放射性セシウムが
検出されたことからすると,原爆投下により,西山地区の土壌が放射性セ
シウムを含む放射性物質により汚染され,西山地区の住民がそこで育った
作物を摂取するなどして放射性セシウムを体内に摂取し,それによって内
部被曝を受けたものと推認できる。
しかし,証拠(乙A228の1-26頁)によれば,平均的な日本人の
自然起源の放射性カリウムによる内部被曝の年間積算線量が0.18m
Gyであることが認められ,これと比べても,前記のとおり,Kの研究
で推計された西山地区における昭和20年からの40年間の放射性セシウ
ムによる内部被曝の年間積算線量(男性では0.1mGy,女性では0.
08mGy)の値は小さく,放射性セシウムによる内部被曝が直ちに西山
地区の住民の健康に有意な影響を与える程度のものであったと認めること
はできない。
したがって,Kの研究を根拠に,西山地区よりも放射性降下物の降下
量が少なかった被爆未指定地域において,住民がそこで育った放射性セシ
ウムを含む作物を摂取することで,健康に有意な影響を与える程度の内部
被曝をしたと認めることはできない。
なお,放射性セシウム以外の核種を考慮したとしても,内部被曝線量に
大きな差異が生じるとは認められないのは前記イ記載のとおりである。
カベータ線による被曝(原判決127頁のについて
A意見は,マンハッタン調査団の調査の結果,西山地区及び東長崎
地区でベータ線が計測されたこと,Bbらの調査の結果,西山地区の民
家の樋の土から高い放射能が検出され,そのベータ線の比率が高かった
こと,西山地区の残留放射能の発見のきっかけとなった木の葉の泥の付
着した部分が変色していた(原判決132頁のb)のは,ベータ線火傷
と同じ機序によるものと考えられること,永井隆の著作「長崎の鐘」に
記載されている川平地区の農民に生じた「かゆい紅色の丘疹」(原判決
132頁のa)はベータ線被曝によるものと考えられることに照らせ
ば,被爆未指定地域の住民がベータ線核種を体内に取り込んでベータ線
による内部被曝をしたり,ベータ線核種が皮膚に付着して外部被曝をし
たりしたということができるとする(甲A130の1-42~44
頁)。
証拠(乙A228の1-27頁)によれば,チェルノブイリ原発事故
で消火活動に携わった作業員に生じたベータ線熱傷では,被曝1,2日
後に一過性の日焼け様の発赤が出現して自然に消えた後,被曝8日後か
ら21日後に本格的な熱傷が発症したこと,放射線熱傷は痛みを伴い,
重症の場合には水疱形成やびらんを発症し,重症では難治性の深い潰瘍
を形成することが認められるところ,前記川平地区の農民に生じた症状
は上記のような重度のものとは異なること(A意見(甲A139の1
-42~43頁)は,原爆の皮膚病変を知悉していた永井博士が,黒い
雨を浴びて枯れた萱を担いで帰った農民が接触部位に同じような丘疹を
起こした点に着目して,放射能の間接障害と診断したとの推測を述べる
が,証拠上上記診断の根拠は明らかではなく,採用できない。),本件
証拠上,数㏜のベータ線被曝によって木の葉に変色が生じるという科学
的知見は見当たらないこと(乙A228の1-27頁)からすると,上
記の事情から被爆未指定地域の住民にベータ線被曝が生じたと推認する
ことはできない。
もっとも,Bbらの調査によれば,長崎原爆によって発生した放射性
降下物にはベータ線を発する放射性核種(ベータ線核種)が含まれてい
たこと(原判決131頁の米国海軍医学研究所(NMRI)の調査や
Bbらの調査の結果,西山地区において,周囲よりも高い数値のベータ
線が計測されたこと(原判決84頁の
比較的多量のベータ線核種が降下した場所)の住民が,原爆投下後,呼
吸や飲食を通じて,体内にベータ線核種を含む放射性降下物を体内に取
り込み,その核種から放出されたベータ線によって内部被曝をした可能
性及びベータ線核種を含んだ土などが直接皮膚に付着して外部被曝した
可能性は否定できない。
そして,A意見(甲A130-44頁,甲A139-44頁,甲A
200-10頁)は,Nらの論文(甲A176,乙A338。マッ
クレイニ報告書における西山地区のセシウム137の放射線量の測定値
を基に,同地区におけるベータ線の線量が脱毛の急性症状が発生し得る
程度に高い値であるとするもの)を根拠に,被爆未指定地域の住民がベ
ータ線核種による外部被曝をしたとする。
しかし,証拠(甲A176,乙A338,証人B-34頁)によれ
ば,A意見が引用するNらの論文は,①核爆発後30分までに
全ての放射性降下物が地表面に達したこと,②住民が24時間屋外に
いて皮膚を大気にさらしていたこと,③皮膚に付着した泥(ベータ線
を発するもの)は洗い流されることなく1か月程度皮膚に付着していた
ことを前提に皮膚の被曝線量を推計するものであることが認められると
ころ,上記①ないし③の仮定が事実であることを認めるに足りる証拠は
ない。したがって,Nらの論文に依拠して推計された西山地区の皮
膚の被曝線量は過大である可能性があり,実際,西山地区の住民に脱毛
が多数生じたことをうかがわせる証拠はない。
以上によれば,Nらの論文を根拠にする上記A意見は採用でき
ない。
一審原告らの当審における主張①(ヒックス方式による計算)について
アA意見の概要(甲A184,甲A190,甲A207,甲A211)
ヒックスの計算値について
A意見が前提とするヒックスの計算値は,ネバダ砂漠(核実験
Diablo及び核実験Shasta。原判決128頁のb,c)及び太平洋での
核実験の実測データ等を基に,爆発12時間後の線量率が1mR/hの場
合の地表面における放射線核種の組成及び土壌汚染濃度(単位・μCi/
㎡)を経時的に計算したものである。
ヒックスの計算値は,①フラクショネーションがない場合(すなわ
ち,難融性分画が1.0),②フラクショネーションがあり,難融性
分画が0.5の場合,③フラクショネーションがあり,難融性分画が
0.1の場合の3種類の条件で計算された。
被爆未指定地域の住民の甲状腺被曝線量の推定方法について
ヒックスの計算値を用いて被爆未指定地域のb区域のヨウ素13
1の土壌汚染密度を求める(手順),原爆投下時にb区域の住民
が食べていたものと同種の野菜,果物等をサンプルとして栽培し,野菜
等の上空に向いた部分の表面積,野菜等の重量,土壌汚染密度から,そ
の野菜等の単位重量当たりのヨウ素131の濃度を求める(手順),
上記の野菜等をb区域の住民が昭和20年8月9日から9月2日
(長崎に大雨が降った同月3日の前日)までの間毎日一定重量を摂取し
たとした場合の甲状腺被曝線量を計算する(手順),b区域と他
の区域との線量率の比(エリアb比)から,他の区域の住民の甲状腺被
曝線量を推定する(手順)。
a手順について
被爆未指定地域のR/V値として0.1~0.8を用いることを前
提にして,ヒックスの計算値の中から難融性分画が0.5の値を用
いる(【別紙9】)。
マンハッタン調査団が昭和20年10月4日に測定したb区域の線
量率の平均値0.15mR/hをDS86の式に当てはめると,爆発1
時間後の値は850mR/hであり,12時間後には43mR/hとなる。
ヒックスの計算値は,爆発12時間後の線量率が1mR/hの場合の放
射線核種の組成及び土壌汚染密度を経時的に計算したものであると
ころ,土壌汚染密度は線量率に比例するので,ヒックスの計算値に4
3を乗じると,b区域の1㎡当たりの土壌汚染密度が求められる。
被爆未指定地域の住民が長崎原爆投下後最初に摂取する食事を昭
和20年8月9日の夕食と想定し,b区域の長崎原爆爆発6時間後
の土壌汚染密度を求めると,ヨウ素131の土壌汚染密度0.76
μCi/㎡(【別紙9】)に43を乗じた32.7μCi/㎡(37,00
0を乗じてBq/㎡に換算すると1210KBq/㎡となる。)。
b手順②について
上記の土壌汚染密度に基づき,ヨウ素131が上空からサンプル野
菜等に沈着し,そのままそこに留まったと仮定して,サンプル野菜等
の上空に向いた部分の表面積と重量から,サンプル野菜等の単位重量
当たりのヨウ素131濃度を計算する。b区域のサンプル野菜等の上
空に向いた部分の表面積,重量,ヨウ素131濃度との間には,【サ
ンプル野菜等のヨウ素131濃度〔Bq/kg〕=1,210,000×
(サンプル野菜等の表面積〔㎠〕÷サンプル野菜等の重量〔g〕)】
という関係が成り立つ(各野菜,野草,果実サンプルの仮想ヨウ素1
31濃度の計算結果は,【別紙10】のとおり。)。
c手順③について
平成20年8月当時,被爆未指定地域の住民が摂取していた葉菜と
野草(野菜の中でもこれらに限って計算する。)の量を1日100g
(本件各申請者が当時子どもであったことを考慮して1日50g)と
見積もり,b区域の住民が平成20年8月9日から9月2日(長崎に
大雨が降った日の前日)まで毎日50gの汚染された葉菜と野草(以
下「汚染葉菜」という。)を食べたとして,甲状腺被曝線量を計算す
る。
汚染葉菜のヨウ素131濃度は,ヨウ素131の土壌汚染密度が
1,210KBq/㎡のときに500KBq/㎏であった。したがって,土
壌汚染密度がヒックスの計算値に従って減衰していった場合には,ヨ
ウ素131濃度(m㏜)=土壌汚染密度(KBq/㎡)×500KBq/㎏
÷1,210KBq/㎡で計算され(計算結果は,【別紙11】のとお
り。),b区域につき573m㏜(573mGy)である(減衰率-
1.2のべき乗の場合。減衰率が-1.5のべき乗の場合は573m
㏜×2.54=1455m㏜(1455mGy)となる。)。
なお,推計結果に洗浄の影響は加味しない。
d手順④について
本件各申請者についての計算結果は【別紙5】の「甲状腺内部被曝
線量」欄記載のとおり。
イ検討
A意見書(甲A207,甲A211-40~41頁)は,ヒックス
の計算値が地上爆発であるネバダ砂漠での核実験の実測データ等を基
にしたものであることに関し,長崎原爆は,高度503mで爆発した
高空中爆発であるものの,爆発後の被爆未指定地域に降下した放射性
降下物は,放射性微粒子が土砂等の粗大な粒子に付着したものである
から,物理特性,放射化学特性がネバダ砂漠の地上爆発の原爆の放射
性降下物のそれに近く,また,広範囲のローカル・フォールアウトが
見られた点で,長崎原爆には,低空中爆発の原爆である核実験Diablo
(爆発高度152m。原判決128頁のb),核実験Shasta(同152
m。同c),核実験Smoky(同213m)と共通する点があるとする。
しかし,上記A意見によれば,上記低空中爆発の原爆の核実験で
は,ローカル・フォールアウトの及んだ範囲(規模)が長崎原爆をは
るかに上回っており,これは,長崎原爆が基本的には空中爆発の原爆
としての特性を備えていたことの証左であるといえる。
したがって,長崎原爆についてヒックスの計算値を当てはめて土壌汚
染密度を計算すると,相当大きな誤差を生じる可能性があるというべきで
あり,この一点のみからしても,Aのヒックス方式の推定値の意味がど
れほどあるのか疑問である。
以上の外,A意見が前提とするように野菜の葉の全体に放射性降下
物が付着すると認めるに足りないこと,A意見によっても,野菜を洗
うことにより最大38%程度の除染効果が見られること(甲A184―
16頁)などを併せ考慮すれば,ヒックスの計算値を用いたA意見書
の計算には合理性があるとはいえず,これに基づいて被爆未指定地域の
住民の甲状腺被曝線量を認定することはできず,その実際の値は不明と
いわざるを得ない。
一審原告らの当審における主張②(放射性マンガン56粉末を用いたラッ
トの内部被曝実験)について(甲A208ないし210,甲A211-43
頁以下)
一審原告らは,放射性マンガン56粉末を用いたラットの内部被曝実験に
よって,ホットパーティクルによる腸管被曝が遅延性の組織変化を起こすこ
と,同線量の被曝であっても外部被曝であれば生じない健康被害が内部被曝
では生じ得ること,外部被曝により健康被害が生じた場合には同線量の内部
被曝により生じた健康被害は,外部被曝の場合より程度が大きいことといっ
た内部被曝に特徴的な影響が示唆されたと主張する。
しかし,前掲各証拠によれば,上記実験結果は,調査対象のラットの数が
少ないこと,被曝線量が低いはずのラットの方により多くの有糸分裂細胞が
見られること,肺気腫の発現内容,対照群(放射線への曝露のない群)にも
出血や炎症等の所見があることなどからすれば,ラットの個体差や環境条件
の差異等の結果である可能性もあるから,一審原告らの主張は実験結果の一
解釈であるにとどまるというべきであるし,上記実験結果から,何らかの内
部被曝の特徴ある影響が確認されたとしても,それが人体やヒトの集団にも
妥当するとは即断できない。
したがって,上記実験結果から被爆未指定地域の住民に内部被曝による健
康被害が生じた可能性があると認めることはできない。
小括
以上のとおり,長崎原爆爆発時に被爆未指定地域に在った住民は,同地域
に降下した放射性降下物に由来する放射性物質を呼吸,飲食等で摂取し,そ
れによって内部被曝(甲状腺内部被曝を含む。)をした可能性は否定できな
いものの,具体的な内部被曝の程度(線量)は明らかでなく,被爆未指定地
域の住民に健康被害を生ずる可能性のあるほどの内部被曝があったとの前記
A意見は採用できない。
4遠距離被爆と急性症状の発症
認定事実
後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,遠距離被爆に関する調査結果とし
て,以下の事実が認められる。
ア原子爆弾災害調査報告集(甲A197,乙A302)
東京帝国大学医学部診療班は,昭和20年10月から同年11月にかけ
て広島原爆の被爆者(爆心地から5㎞圏内で被爆した生存罹災者5120
名(うち3㎞以内の被爆者は4406名))を調査した。
その結果,909名に「原子爆弾放射能傷」(脱毛,皮膚溢血斑及び壊
疽性ないし出血性口内炎症のうち一つ以上の症状を具備したもの)が見ら
れ,発生頻度は,爆心地からの距離が,0~0.5㎞で81.48%,
0.6~1.0㎞で76.66%,1.1~1.5㎞で34.21%,
1.6~2.0㎞で14.04%,2.1~2.5㎞で9.34%,2.
6~3.0㎞で3.58%であり,中心地区で頻度が最も高く,1~2㎞
の間で急激に減少し,2㎞以遠では緩徐な曲線を描き,2.8㎞で終わる
正規曲線に近い曲線を描いているとされた(甲A197-598頁。な
お,脱毛は,909例中,707例であり,0~0.5㎞で77.7%,
0.6~1.0㎞で70.3%,1.1~1.5㎞で27.1%,1.6
~2.0㎞で9.0%,2.1~2.5㎞で6.4%,2.6~3.0㎞
で1.7%であった。皮膚溢血斑は,909例中,345例であり,0~
0.5㎞で33.3%,0.6~1.0㎞で33.6%,1.1~1.5
㎞で13.9%,1.6~2.0㎞で4.6%,2.1~2.5㎞で2.
2%,2.6~3.0㎞で1.5%であった。甲A197-554頁)。
これ以外の4211名についても,各種症状(口内炎症,下痢,発熱,
悪心嘔吐,食思不振,倦怠感)の発現が見られた。そして,全症例につき
上記各種症状の距離別発現頻度を検討したところ,これらの症状は,被爆
地点が爆心地から3.1㎞ないし5.0㎞の患者にも見られた。このうち
下痢の発症頻度は,3.1~3.5㎞で18.2%,3.6~4.0㎞で
24.0%,4.1~4.5㎞で27.7%,4.6~5.0㎞で25.
1%であった(甲A197-575頁第39表)。
上記調査の報告書では,口内炎症及び悪心嘔吐の距離別発現頻度は,脱
毛及び皮膚溢血斑のそれと相似の曲線を描いており,両症状は大体におい
て放射線によるものであることをうかがわせるのに対し,発熱・下痢・食
欲不振・倦怠感は,発現頻度が被爆距離に比例せずに不規則であり,1.
5㎞以遠の発現頻度が口内炎症及び悪心嘔吐に比べて高いことから,放射
線に基づかない他疾患の混在を思わせる,とされている。ただし,これら
の症状の初発時期と距離には,発熱,口内炎症及び下痢は被爆当日に4㎞
まで,食思不振,悪心嘔吐及び倦怠感は被爆当日に5㎞までの範囲にかな
りの発現を見ており,その発現が何らかの意味で原爆の爆発に関係がある
ことを明示している,とされている(甲A197-599頁)。
なお,同報告書では,第1次調査は,広島市及びその周辺の特定の地点
において付近住民の来訪を求めて行なわれたものが多く,被曝後何らかの
障害を自覚した者が余計に集まった傾向があったとされている(522
頁)。また,調査者の中には,「脱毛の出現範囲,部位,方向性等に関し
て,従来の放射線生物学的な考え方と多少矛盾し,理解に苦しむ点があ
る。」と述べる者もいた(乙A53-16頁)。
イマンハッタン調査団の最終報告書(甲A132)
マンハッタン調査団は,新興善救護所(69名),諌早海軍病院(5
2名),大村海軍病院(289名)に収容された入院患者に対する医学
的調査を実施し,その結果を,最重度群の患者(死亡率100%の患
者),中等度群の患者(死亡率50%の患者)及び軽症度群の患者(軽
症の患者)に分けてまとめた。それによると,軽症度群の患者について
も,脱毛・下痢の症状が見られた(脱毛につき投下後20日,下痢につ
き同24日)。また,爆心地から2㎞以遠で脱毛及び出血症状が20症
例見られた(2㎞で5症例,3㎞で10症例,4㎞で3症例,4.1㎞
及びそれを超える距離で2症例。ただし,発現した最長距離は不明であ
る。また,脱毛等の距離別の発現頻度はこの報告からは明らかではない
(原判決別紙22。甲A130の1-53頁,甲A139の1-67
頁)。)。
マンハッタン調査団は,広島・長崎の入院中の被爆者のうち900名
を調査した(甲A194-3頁)。脱毛の発症者は,広島では,女性が
爆心地から2.75㎞以遠で0名,男性が2.25~3.75㎞で0
名,3.75~4.25㎞で1名であった。長崎では,女性が2.75
~3.25㎞で0名,3.25~3.75㎞で1名,男性が1.75~
2.75㎞で0名,2.75~3.25㎞で2名,3.25㎞以遠は0
名であった。(甲A194-45頁Figure6)
点状出血の発症者は,広島では,女性が2.75~3.25㎞で1
名,3.25㎞以遠で0名,男性が2.75~3.25㎞で1名,3.
25㎞以遠で0名であった。長崎では,女性が2.75㎞以遠で0名,
男性が2.75~3.25㎞で2名,3.25㎞以遠で0名であった。
(甲A194-46頁Figure7)
ウOの調査(甲A41の9)
上記調査(以下「O調査」という。)は,昭和32年1月から同年
7月までの間において,広島市内の一定地区(爆心地から2ないし7
㎞の範囲内)に住む被爆生存者3946名につき,その被爆条件,急
性原爆症の有無及び程度,被爆後3か月間の行動等を各個人ごとに調
査し,爆心地に残留した放射能による人体の障害の程度,期間等を統
計的に算出したものである。
O調査は,調査対象者を,原爆投下から3か月以内に中心地(爆心
地から1㎞以内)に出入りしたかどうかに従って二分し,出入りの有
無が急性原爆症の発生頻度や症状の軽重を左右したかについて統計的
に観察を行った。さらに,上記調査では,「広島市に原爆が投下された
昭和20年8月6日午前8時15分当時に広島市内にいた者」でない
者のうち,原爆投下から3か月以内に広島市に入った者(629名)
についても,原爆投下から3か月以内に中心地に出入りしたかどうか
に従って二分し,入市直後に急性原爆症同様の症状が発現したかを調
べた。なお,上記調査の結果によれば,広島市に「原爆直後入市し,
中心地に入らなかった非被爆者」(調査人数104名)の下痢,皮粘膜
出血,脱毛等の症状の発現数は,いずれも0名とされている(原判決
別紙23の表1ないし表6)。
エPらの調査(甲A196の1・2,乙A304,乙A305)
長崎医科大学のPらは,昭和20年10月から同年12月までの
間,原爆投下当時長崎にいた者に対し,投下後の出血・脱毛等の症状の
有無等について調査(以下「Pらの調査」という。)をした。
Pらの調査によれば,脱毛の発症頻度は,爆心地から1㎞の地点
にいた生存者では31.1%,1~1.5㎞の地点にいた生存者では2
5.8%,1.5~2㎞の地点にいた生存者では8.9%,2~3㎞の
地点にいた生存者では3.2%,3~4㎞の地点にいた生存者では1.
8%)であった。なお,4㎞外の地点(詳細な距離は不明)にいた生存
者では0.9%であった(87頁第65表)。Pは,別の文献(乙A3
05-86頁)において,当時の調査結果に急性症状による脱毛ではな
い単なる自然脱毛が含まれていた可能性を指摘している。
下痢の発症頻度は,爆心地から0~1㎞の地点にいた生存者では3
8.8%,1~1.5㎞の地点にいた生存者では42.8%,1.5~
2㎞の地点にいた生存者では33.8%,2~3㎞の地点にいた生存者
では30.1%,3~4㎞の地点にいた生存者では24.0%,4㎞外
の地点にいた生存者では13.2%であった(60頁第23表)。この
点につき,Pは,「近距離ハ頻度高ク遠距離トナルニ従ヒ低下スル。但
4㎞外ト雖モ全ク零トナラナイノハ,普通ノ健康人デモ夏季中ニ一回位
下痢スルコトガアルノニ起因スルモノト思ハレル」(乙A305資料2
-69頁)として,放射線以外の原因による下痢が含まれていた可能性
を指摘している。
出血の発症頻度は,爆心地から0~1㎞の地点にいた生存者では3
1.4%,1~1.5㎞の地点にいた生存者では28.8%,1.5~
2㎞の地点にいた生存者では10.8%,2~3㎞の地点にいた生存者
では7.5%,3~4㎞の地点にいた生存者では4.3%,4㎞外の地
点にいた生存者では3.1%であった(80頁第48表)。
オ放影研の調査(甲A42の8,調査嘱託の結果)
原爆傷害調査委員会(ABCC)及び放影研は,寿命調査の対象者である
被爆者(原爆投下時に爆心地から10㎞以内にいた者)8万6632名を
対象に,昭和22年以降の約10年間に急性症状に関する調査を実施し
た。
脱毛と爆心地からの距離との関係について,爆心地から2㎞以内での脱
毛の頻度は,爆心地に近いほど高く,爆心地からの距離と共に急速に減少
し,2㎞から3㎞にかけて緩やかに減少し(3%前後),3㎞以遠でも少
しは症状が認められるが(約1%),ほとんど距離とは独立である,この
パターンから,遠距離における脱毛が放射線以外の要因を反映しているか
もしれないことが示唆された,とされた。脱毛の程度も遠距離被爆ではほ
とんど全てが軽度であった。
調査対象者のうち被爆地点が爆心地から7㎞以遠であった者合計199
5名に対する出血,脱毛(原爆投下後60日以内に起こったと報告された
脱毛のみを陽性としている。),口腔咽頭病変,熱傷,火傷の症状の有無
に関する調査結果は,原判決別紙24のとおりであり,上記1995名の
うち,出血,脱毛,口腔咽頭病変,熱傷,火傷の各症状があったとされた
者がそれぞれ3名,1名,7名,1名,0名で,上記各症状について症状
の有無が疑わしいとされた者がそれぞれ0名,7名,1名,2名,2名で
あり,それ以外の者は症状がないか情報が得られない者(出血,脱毛及び
口頭咽頭病変につき56名,熱傷及び火傷につき69名)であった。
なお,上記調査において,上記の各症状が放射線の影響によるものか
どうかは,確認されなかった。
カQ-Jonesの報告(乙A337)
原爆傷害調査委員会(ABCC)のQ及びオークリッジ国立研究所
のT.D.Jonesは,広島の爆心地から1600mないし2000mの地点
で被爆した者(コホート群。「黒い雨」を浴びた者を含む。)と対照群(爆
心地の南東部の,爆心地から2000m以遠で被爆した者)について,急
性症状(発熱,下痢,脱毛)の発症率を調査した結果,コホート群におけ
る脱毛の発症率の方が対照群における発症率よりも高い結果となった(コ
ホート研究は,疫学研究の方法の1つで,特定の要因に暴露した集団と暴
露していない集団を一定期間追跡調査し,研究対象となる疫病の発生率を
比較することで要因と疫病発生の関連を調べるもの。甲A130の1-5
2~53頁,甲A139の1-51~54頁,乙A337,証人A(反訳
書)-45頁)。
キRらの調査
平成10年の調査(乙A300)
長崎大学のRらは,被爆者(被爆者健康手帳の保持者)のう
ち,被爆地点の爆心地からの距離(被爆距離)が3.5㎞以内の者3
000名を対象に,急性症状(嘔吐,下痢,発熱,脱毛,皮下出血
等)の発症頻度と被爆距離との関連を調べた。
上記調査の結果,被爆距離が遠くなるにつれて,急性症状が出る割
合が減った。脱毛に関する調査結果は原判決別紙25のとおりであり,
その発症率は概ね被曝距離が延びるのに応じて減少する傾向を示し,被
爆距離が2.5~2.9㎞では被爆者の3.65%(889名中32
名)が発症し,3.0~3.4㎞の被爆者にも発症した者がいた(1
名)。また,脱毛の発症時期は,昭和20年8月に発症した者が約6
0%で,時間の経過と共に発症率が下がったが,同年11月に発症した
者もいた。
なお,上記調査の報告書には,上記調査による急性症状には,放射
線以外の要因によるもの(たとえば,感染症による下痢や発熱)が含ま
れているかもしれないこと,脱毛の症例は2㎞以遠でも観察されたが,
放射線を要因とするものかを判断するには更に詳細な調査が必要である
ことが記載されている。
平成12年の調査(乙A301)
Rらは,被爆距離が4㎞未満の被爆者1万2905名に対
し,急性症状の有無について,遮蔽状況を考慮して調査をした。
その結果,脱毛について,被爆距離が1.0㎞以上では,被爆距離
が伸びるほど発症率が低下し,3㎞超での脱毛は1000名弱(図1)
のうち14症例で,うち12症例は軽度であった(図4)。
なお,上記調査の報告書には,2㎞以遠においても遮蔽の有無によ
る脱毛の頻度の顕著な差が確認されたこと及び脱毛の程度と被爆距離
に相関関係が見られたことから,2㎞以遠の脱毛が放射線を原因とす
ることが考えられるが,放射線との因果関係を調査するには,染色体
分析調査等の個人レベルで放射線を受けたことを確認する調査を行う
必要があると記載されている。
ク日米合同調査報告書(甲A195,乙A303)
脱毛及び紫斑又は脱毛若しくは紫斑の発症について
長崎原爆に係る調査結果(Table68N。甲A195-236頁)に
おいて,爆心地から4.1~5㎞の範囲内で,日本家屋の屋内で被曝し
た者の群(157名)で1名(0.6%)について見られたのみであ
り,他の群(屋外群,重量建築物の屋内又は防空壕にいた群)では見ら
れず,5㎞以遠では全ての群で0名である。
広島原爆(Table68H。甲A195-235頁)では,爆心地から
4.1~5㎞の範囲内では,遮蔽なしの屋外にいた群(68名)で2
名,日本家屋の屋内にいた群(127名)で1名,重量建築物の屋内に
いた群(27名)で1名の合計4名について見られたのみであり,5㎞
以遠では,遮蔽なしの屋外にいた群(19名)で1名について見られた
のみである。
脱毛・紫斑又は放射線によると思わせる口咽頭障害,嘔吐,出血等の
症状を2つ以上発症した者について
長崎原爆(Table69N。甲A195-238頁)では,爆心地から
4.1~5㎞の範囲内では,遮蔽なしの屋外にいた群(46名)で2
名,遮蔽ありの屋外にいた群(23名)で2名,日本家屋の屋内にいた
群(157名)で5名,重量建築物の屋内にいた群(17名)で2名の
合計11名について見られたのみであり,5㎞以遠では,遮蔽なしの屋
外にいた群(10名)で1名,日本家屋の屋内にいた群(69名)で2
名の合計3名について見られたのみである。
広島原爆(Table69H。甲A195-237頁)では,爆心地から
4.1~5㎞の範囲内では,遮蔽なしの屋外にいた群(68名)で7
名,遮蔽ありの屋外にいた群(7名)で1名,日本家屋の屋内に9いた
群(127名)で4名,重量建築物の屋内にいた群(27名)で2名の
合計14名について見られたのみであり,5㎞以遠では,遮蔽なしの屋
外にいた群(19名)で3名,遮蔽ありの屋外にいた群(5名)で1
名,日本家屋の屋内にいた群(22名)で4名の合計8名について見ら
れたのみである。
ケSの調査(甲A198)
昭和42年5月から同46年7月までの間に広島県及び広島市を通じて
提出された認定申請書614件を対象とした調査である。
被爆距離別(①0~0.9㎞,②1.0~1.9㎞,③2.0~2.9
㎞,④3.0~3.9㎞,⑤4.0㎞~)の発生頻度(%)は,脱毛で①
85.7,②43.1,③36.4,④12.5,⑤26.9であり,下
痢で①56.0,②43.9,③43.8,④25.0,⑤38.5であ
った(第23表,第26表,第27表)。
上記調査では,「注目せられることは,4.0㎞以上の被爆者が脱毛,
下痢,出血性素因,その他などにおいて3.0~3.9㎞の者より高いも
のが散見される点であるが,これら遠距離被爆者,入市者は家族,家屋の
被害が軽微であったために至近距離圏内にしばしば出入して,残留放射線
の影響が大きかったのではないかとも思われる」,「これら脱毛の発症時
期が夏季より秋季にかけての生理的脱毛の見られ易い時期であり,また火
傷による脱毛を誤認した例も報告されている。また,当時の食糧事情によ
る栄養のアンバランスからきた脱毛もあったかもしれない。しかし,それ
らはその距離における脱毛を否定するに足るだけの数でなかった。」,
「他方,原爆被爆という一大惨事から生じたさまざまな精神的ストレス,
肉体的消耗が脱毛促進に関与したことも考えられ,さらに原爆放射線によ
る内分泌機能障害と脱毛との関係も疑い得るのではなかろうか。」(61
頁)と分析されている。
遠距離被爆での急性症状の発症
ア発症の可能性について
後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,放射線被曝による急性放射線症
(全身被曝後数週間以内に起こる臨床症状の総称。乙A111-3頁)に
ついては,一般に約1Gy以上の線量を体幹などの主要な部分に被曝する
と起き,皮下出血(歯茎からの出血,紫斑を含む。)については2Gy程
度,脱毛については3Gy程度,下痢については4Gy程度の閾線量(被曝
した人の1ないし5%に症状が出現する線量。乙A111-2頁)がある
とされるところ(乙A22-422~423頁,乙A111,乙A11
2,弁論の全趣旨),DS86の式(乙A29)及びCc論文(乙A4
6)により算出される誘導放射線及び放射性降下物による放射線の外部被
曝線量は,現実的には最大でも数十センチGy程度(センチは100分の
1を表す。)であり,しかも,上記の閾線量は,DS86の調査(乙A2
8-335頁)によれば,広島原爆については爆心地から1000ないし
1300m付近で,長崎原爆については爆心地から1150ないし145
0m付近でそれぞれ被爆した場合の初期放射線による被曝線量に相当する
値であり,このことを前提とすれば,広島原爆及び長崎原爆のいずれにつ
いても,爆心地から1500m以遠において皮下出血,脱毛,下痢といっ
た放射線被曝による急性症状が生じることはほとんどないことになるはず
である。
もっとも,原爆投下後比較的早期に行われた前記各調査(東京帝国大学
医学部診療班の原子爆弾災害調査報告〈前記⑴ア。乙A302〉,マンハ
ッタン調査団の最終報告書〈前記⑴イ〉,O調査〈前記⑴ウ〉,P
らの調査〈前記⑴エ〉等)からは,脱毛や出血傾向が生じたとする者が,
1500m以遠で被爆した者についても数%は存在し,かつ,これらの症
状(特に脱毛)を生じたとする者の割合が,少なくとも爆心地から2~3
㎞程度までについては,概ね爆心地から遠ざかるにつれて減少する傾向が
見られ,この傾向は,その後に行われた調査結果(Q-Jonesの報告
〈前記⑴カ〉,Rらの調査〈前記⑴キ〉,日米合同調査報告書〈前記
S)にも見られる。
上記のような各調査の結果に照らすと,長崎原爆の爆心地からの距離が
1500mを超えて2ないし3㎞までの地域において被爆した者に生じた
とされる脱毛や皮下出血等の症状にも,戦争被害による心理的影響や戦時
下ないし戦後の栄養状態,衛生状態の悪化の要因を踏まえてみても,放射
線による症状が含まれているとみるのが自然である。
イ被爆未指定地域における発症の有無について
しかしながら長崎原爆の爆心地から7.5㎞以遠の地点にいた者に原爆
由来の放射線に起因する急性症状を生じたことを高度の蓋然性をもって認
定するに足りる証拠はない。
すなわち,前記,原判決別紙24のとおり,原爆傷害調査委員会
(ABCC)及び放影研が寿命調査集団(LSS集団)に対して行った調査の
結果,長崎原爆の爆心地から7㎞以上10㎞以下の地点での被爆者199
5名について,出血,脱毛,口腔咽頭病変,熱傷,火傷の各症状があった
とされた者は,12名(全体の0.6%)であったところ,上記調査にお
いては上記の各症状が放射線の影響によるものかどうかは,確認されてい
ない。そして,前記(原判決78頁のウ)のとおり,戦時中及び戦後しば
らくの間は,食料や生活物資が欠乏し,栄養状態が悪く,多数の国民が栄
養失調状態にあったこと,昭和18年には,赤痢,猩紅熱が増加し,特に
腸チフス,パラチフス,ジフテリア等の増加が顕著となったほか,戦争が
長期化し,本格化するにつれ,国民の体力そのものが低下して,罹病者が
増加する傾向を示すなど,衛生状態が劣悪であり,被爆未指定地域を含む
地域においても例外ではなかったことが認められ,これらの影響により嘔
吐,下痢,脱毛等の身体症状が発症したとしても不自然とはいえないこと
からすると,上記調査において症状があったとされた者の中に被爆未指定
地域の住民が含まれていたとしても,原爆由来の放射線の被曝によって上
記各症状が生じた高度の蓋然性があると認めることはできない。
また,前記⑴の各調査においても,上記原爆傷害調査委員会(ABCC)
及び放影研の調査以外の調査において,爆心地から7㎞以遠で被爆した者
(入市被爆者を除く。)の相当数に急性症状が発症したというような結果
は報告されていない。そもそも,上記のいずれの調査も爆心地から7.5
㎞以遠にいた者を調査対象としたものと認めるに足りる証拠はなく,各調
査において爆心地から遠距離とされた地域に在ったとする対象者に見られ
た症状については,症状の発現数や発現頻度がさほどないこと,内容や程
度が概ね軽度であることに鑑みれば,いずれも,調査時期,調査方法に起
因するバイアスの影響や,放射線以外の原因による発症の可能性によって
説明され得るものというべきである(バイアスの存在につき,Rら
によって報告された「長崎原爆被爆者の急性症状に関する情報の確かさ」
(乙A147,乙A282,乙A283))。なお,前記認定のとおり,
O調査の調査結果によれば,広島市に原爆投下直後に広島市の中心地に
入らなかった104人の非被爆者については,下痢等の症状が発現しなか
ったとされているものの,調査人数が限られていることに加え,当時の国
民生活の状況や衛生状態等からすると,上記調査結果から,当時非被爆者
には下痢等の症状が発現しないのが通常であったということもできない。
さらに,広島で1980人,長崎で1062人の原爆被爆者を対象とし
て,同人らから得られた安定型染色体異常頻度を用いて線量効果関係の特
性の解析を行った研究(乙A66の12・13)では,原爆投下時に長崎
市内にいなかったがその後入市した者(60日以内入市者(早期入市者)
24人,60日後入市者(後期入市者)180人)と,DS86の調査で
5m㏜未満の被曝線量と評価されている910人(爆心地から約2.5㎞
以遠(乙A221-137項によれば約3㎞以遠)に所在した者。うち4
人については,爆心地から2.5㎞以内に所在したが,遮蔽等の関係で5
m㏜未満の被曝線量と評価された。)について解析したところ,両者に有
意な差異は認められなかったことが認められる(乙A66の1-36頁以
下,弁論の全趣旨)。加えて,後記「Ddの調査」(原判決182頁の
カ)も,遠距離での被爆者と非被爆者の染色体異常頻度には有意な差はな
いとの上記と同様の結論を示している。
これに対し,A意見(甲A130の1-57~58頁,証人A(反訳
書)-37~38頁)は,平成23年3月8日から同年4月30日までの
間に被爆未指定地域にある間の瀬,矢上,古賀,戸石の各地区の住民に対
して行ったアンケートを根拠に,「黒い雨」が降ったとする間の瀬地区の
住民の多くに脱毛,下痢,吐き気の症状が生じたとする。そして,証拠
(甲A130の1-57~58頁)によれば,上記アンケートに回答した
者のうち,「黒い雨」が降ったとする間の瀬地区住民14名中(なお,原
爆投下時の住民数は約320名であり,「黒い雨」の降り方については人
によって回答内容が異なる。),6名(43%)に脱毛,3名(21%)に
下痢,2名(14%)に嘔気があったと回答し,他方で矢上,古賀,戸石
地区の住民99名中3名(3%)が脱毛の症状があったと回答した事実が
認められる。しかし,上記アンケートの結果は,上記原爆傷害調査委員会
(ABCC)及び放影研の調査と整合せず,前記⑴のその余の調査等も上記
アンケートの信頼性を裏付けるものとはいえない。上記アンケートが実施
されたのが原爆投下から60年以上経過した後であり,記憶が減退してい
る可能性は否定できないことを考慮すると,上記アンケートの結果は採用
できず,これに依拠するA意見も採用することができない。
なお,「原子爆弾被爆地域拡大に関する要望書」(①長崎県が昭和4
0年代に提出したもの〔甲A12〕,②長崎市が昭和49年6月に提出
したもの〔甲A20〕,③長崎県及び長崎市が昭和50年12月に提出
したもの〔甲A21〕)及び昭和61年12月に長崎市が提出した「原子
爆弾被爆地域拡大是正に関する要望書」(甲A22)並びに平成12年3
月の「聞いて下さい!私たちの心のいたで原子爆弾被爆未指定地域証言
調査報告書」(甲A13)及び長崎県民主医療機関連合会による平成23
年1月から24年10月にかけての「被爆地域拡大証言調査」は,爆心地
から7.5㎞以遠の者を調査対象とするものであるが,後記のとおり,
これらによって直ちに調査対象者に放射線に起因する症状が発現したと認
めることはできず,上記判断を左右するものではない。
ウ小括
以上のとおり,遠距離被爆者(爆心地から1500m以遠で被爆した
者)に生じた症状がおよそ放射線の影響によるものではないということは
できないものの,他方で,これらの症状は戦争被害による心理的影響や戦
時下ないし戦後の栄養状態,衛生状態の悪化によっても増加し得るもので
あって,被爆未指定地域もその例外ではなかったから,被爆未指定地域の
住民に下痢,脱毛,出血等を生じた者がいたことから直ちに,被爆未指定
地域に放射線に起因する下痢,脱毛や出血等の急性症状ないしそれに類似
の症状を発症した者がいた高度の蓋然性があると認めることはできない。
また,仮に,被爆未指定地域と同じく長崎原爆の爆心地から7.5km
以遠の地域に在った住民の中に放射線に起因するものと認められる下痢,
脱毛や出血等の急性症状ないしそれに類似の症状を呈する者がいると認め
られたとしても,その発症頻度は極めて低く(原爆傷害調査委員会
(ABCC)及び放影研の前記調査結果によれば,1%未満となる。),当該
調査対象者ら個々人の被曝した当時の行動等も明らかではない以上,地域
ごとに被爆者援護法1条3号該当性を判断する場合の当該地域を代表する
事象として捉えてよいのかも疑問である。
⑶Tの意見について
ア認定事実
原判決154頁17行目の「証拠」から158頁10行目までを引用す
る。
ただし,原判決158頁4行目から10行目までを次のとおり改める。
「c上記回答者のうち,未指定地域①にいた回答者は,41.3%が何
らかの症状が現れたと回答し,873人(14.9%)が発熱,86
0人(14.6%)が下痢,231人(3.9%)が歯茎からの出
血,175人(2.9%)が皮膚の斑点,169人(2.8%)が脱
毛の症状が現れたと回答した。
また,上記回答者のうち,未指定地域②にいた回答者は,地域合計
で107人(8.8%)が発熱,164人(13.5%)が下痢,2
9人(2.3%)が歯茎からの出血,27人(2.2%)が皮膚の斑
点,41人(3.3%)が脱毛の症状が現れたと回答した。」
イTの意見(当審における修正前のもの)の趣旨
原判決158頁12行目から25行目までを引用する。
ウT被曝線量①の事実に係るT意見の適否
原判決159頁初行から165頁21行目までを引用する。
エT被曝線量②の事実に係るT意見の適否
原判決165頁23行目から166頁24行目までを引用する。
オ当審における修正後のT意見(甲A199の1)について
Tは,広島LSS集団の全脱毛発症率を初期放射線だけによるもの
と仮定し,そこに放射性降下物による被曝線量として1.371Gyを
加算し(軽度も含む脱毛の発症率の閾値を1.5Gyとし,これを発症
率5%に相当するように調整したものと解される。),そこから,全脱毛
の発症率と被曝線量の関係を与える正規分布(平均値2.535Gy,
標準偏差0.669Gy,以下「T正規分布④」という。)を得たとこ
ろ,これがT正規分布①に近接するとしている。Tは,T正規分
布④を前提に,広島では爆心地から3㎞の同心円状の放射性降下物によ
る被曝線量の平均値は約1Gyであると計算している(21~25
頁)。
しかしながら,仮に,重度脱毛だけを取り上げたストラム論文におい
て初期放射線だけが考慮され,放射性降下物による被曝が考慮されてい
ないというTの見解(17頁)が正当であるとしても(この点につい
て,A意見(甲A189-39~40頁)は異なる解釈をしてい
る。),重度脱毛以外に中軽度脱毛も含めた値である広島LSS集団の全
脱毛発症率が初期放射線だけによるものと仮定するのは不合理である。
Tは,T正規分布④とT正規分布①との近接をもって双方の数値
の合理性の根拠とするものと解されるが,T正規分布①が採用できな
いのは前記のとおりであるから,上記仮定は採用できない。
T意見は,T正規分布②(脱毛や紫斑,下痢)を用いて,被曝線
量を求め,上記と同様の被曝線量となったとする(26~30頁)が,
T正規分布②が採用できないのは前記のとおりである。
T意見は,長崎原爆について,爆心地から5㎞まではPらの
調査による脱毛等の発症率を,5㎞以遠については「原子爆弾被爆未指
定地域証言調査」の結果を,それぞれ放射線に起因する急性症状の発症
率として採用することを前提に,広島と同様の被曝線量と発症率の関係
を与える正規分布を用いて解析している。その際,長崎原爆の急性症状
の脱毛と紫斑についてはT正規分布①を,下痢の発症率についてはT
正規分布②をそれぞれ用いている。その結果,被爆距離が4㎞辺りから
12㎞までの地域について,脱毛発症率からは約1.25Gy,紫斑と
下痢の発症率からは1.33Gyという被曝線量を算出した(31~3
6頁)。
しかしながら,①二つの異なる調査結果を単純に接続させているこ
と,②証言調査については前記のとおり直ちに採用できないこと,③
T正規分布①,②はいずれも採用できないこと,④Tの被曝線量
の推定からすれば,4㎞以遠はほとんど被曝線量の低下がないこととな
り,被曝線量が距離に従って系統的に低下するというTのよって立つ
見解によれば,際限なく1Gy程度の被曝線量であったことになりかね
ないことなどからして,T意見の上記被曝線量の計算結果は,採用で
きない。
T意見は,広島LSS集団の男性の各種癌の岡山県民に対する標準
化死亡比(LSSの癌死亡率÷岡山県民癌死亡率)が,初期放射線被曝
線量が0になっても1(すなわち岡山県民と同じ死亡率)にならず,
LSS集団の標準化死亡比から求めた初期放射線被曝線量に対する標準
化死亡比を与える回帰直線を初期放射線被曝線量がマイナスとなる所ま
で伸ばしてみると,初期放射線量がマイナス0.4ないしマイナス1.
0㏜の間でようやく標準化死亡比が1になっており,これは,広島
LSS集団が初期放射線被曝線量0のとき,すでにマイナスの値の絶対
値だけの被曝,すなわち0.4ないし1.0㏜の被曝を放射線降下物に
よって受けていることを示すとする(37~40頁)。
しかし,Tの上記見解からすれば,例えば,標準化死亡比が極めて
少ない(1に極めて近い)が回帰直線の傾きもまた非常に緩やかな場
合,回帰直線が標準化死亡比1の軸に達するのは初期放射線被曝線量の
軸が相当大きなマイナスになってからとなり,その結果,莫大な量の放
射線降下物による被曝を受けているという帰結になりかねず,不合理で
ある。
よって,上記T意見は採用し難い。
その他,T意見は,放影研が初期放射線だけを評価していることに
ついてるる指摘するが,採用することができない。
カ結論
以上のとおり,T意見はいずれも採用できない。
⑷Uの意見について
原判決167頁8行目から171頁23行目までを引用する。
一審原告らの当審における主張(原子爆弾被爆地域拡大に関する要望書,
原子爆弾未指定地域証言調査報告書等を考慮すべきこと)について
ア一審原告らの主張
一審原告らは,「原子爆弾被爆地域拡大に関する要望書」(①長崎県が
昭和40年代に提出したもの〔甲A12〕,②長崎市が昭和49年6月に
提出したもの〔甲A20〕,③長崎県及び長崎市が昭和50年12月に提
出したもの〔甲A21〕)及び昭和61年12月に長崎市が提出した「原
子爆弾被爆地域拡大是正に関する要望書」(甲A22)並びに平成12年
3月の「聞いて下さい!私たちの心のいたで原子爆弾被爆未指定地域証
言調査報告書」(甲A13)及び長崎県民主医療機関連合会による平成2
3年1月から24年10月にかけての「被爆地域拡大証言調査」の内容を
前提事実として判断すべきである旨主張する。
イ検討
「原子爆弾被爆地域拡大に関する要望書」について
a長崎県が昭和40年代に提出したもの(甲A12)について
長与村(当時),時津村(当時)について,被爆地域としての指定
を求める要望書である。「被爆地域に指定されたい理由」として,
「健康診断実施結果によると,申請両地域の原爆関連疾病の有病率
は,既指定隣接地域及び県下被爆者の有病率に比較してむしろ異状に
高い状況にある」こと等が記載されている。
両村(爆心地からの距離は4.5~11㎞の範囲)の合計852
4人が調査対象とされ,うち合計3258人が健康診断を受診し,う
ち合計1109人が原爆関連疾病を発現した者(「令3号類似患
者」)であるとした。そして,「令3号患者類似発現者数」を「受診
者数」で除し,原爆関連疾病の「発現率」(全体で34.03%)を
求めた。
他方で,長崎市について,「昭和46年制定の特定地域被爆の令
3号患者発現状況」(被爆距離3.1~4.5㎞)として,「令3号
患者数」(1645人)を「被爆者数」(1万4531人)で除して
「発現率」(11.32%)を求めた。また,「一般被爆者該当町被
爆の令3号患者発現状況」(被爆距離4.0~9.8㎞)として,
「令3号患者数」(1783人)を「被爆者数」(1万6746人)
で除して「発現率」(10.65%)を求めた。また,長与町の「既
指定地区(高田郷,吉無田郷)の令3号患者発現状況」(被爆距離
4.0~5㎞)として,「令3号患者数」(182人)を「被爆者
数」(997人)で除して「発現率」(18.25%)を求めた。
同要望書は,これらの「発現率」を比較の上,両村の「発現率」
が「異状に高い」としているものと解される。
しかし,長崎市や既指定地区については患者数を「被爆者数」で
除しているのに対し,両村については,「受診者数」で除しており,
そもそも計算方法が異なっている(仮に,両村につき上記「被爆者
数」に相当する「調査対象者数」(8524人)で除した場合,数値
は13%程度となり,長崎市や既指定地区と比して異状に高いとはい
えない。また,各地域の年齢構成等も不明であり,単純な比較が可能
であるかも疑問である。
以上によれば,上記要望書から直ちに被爆未指定地域の住民に放
射線に起因する症状が発現したとは認められない。
b長崎市が昭和49年6月に提出したもの(甲A20)について
同要望書には,原爆の爆発状況やゾンデの飛来状況から広範な被
害があったとした上で,各地域の被災状況や負傷率が記載されている
だけであり,放射線による被害の具体的な状況には特に触れられてい
ないから,上記要望書から被爆未指定地域の住民に放射線に起因する
症状が発現したとは認められない。
c長崎県及び長崎市が昭和50年12月に提出したもの(甲A21)
について
上記bと同様の記載の後,拡大要望地区の健康診断(一般検査)の
受診状況やその結果要精密検査となった者の精密検査受診状況,さら
に,同検査の結果(有疾病者の障害別状況)が記載されており,一定
の有疾病者の存在が確認できるが,上記bと同様,上記要望書から被
爆未指定地域の住民に放射線に起因する症状が発現したとは認められ
ない。
昭和61年12月の長崎市「原子爆弾被爆地域拡大是正に関する要望
書」(甲A22)について
昭和58年度及び59年度に実施された健康診断の結果,受診者72
99人中,2582人が「要精密検査」となり,うち2222人が「有
疾病」として,受診者の疾病発現率が30.4%,うち,「健康管理手
当支給対象疾病発現者」が1870人(疾病発現率25.6%)とし
て,これを,①「昭和49.4拡大要望した地区」,②「昭和49.1
0.1措置時津町・長与町」,③「昭和51.9.18措置日見村
ほか5地区」,④「在来被爆区域被爆者等(昭和59年度実施分)」
(年2回受診)の各地域と比較するものであり,「拡大要望地区」の受
診者に占める,精密検査結果での有疾病者や健康管理手当支給対象疾病
発現者の割合は,①ないし③の地域とほぼ同等となっている。
しかしながら,「拡大要望地区」は「健康管理手当対象障害」が11
障害であるのに対し,①ないし③の地域はいずれも8障害にとどまって
おり,単純に比較はできない。また,④の受診者に占める「有疾病者」
の割合(62.6%),「健康管理手当支給対象疾病発現者」の割合
(62.5%)と比較して同等以上であるとはいえない。
以上によれば,同要望書により被爆未指定地域の住民に放射線に起因
する症状が発現したと認めることはできない。
平成12年3月の「聞いて下さい!私たちの心のいたで原子爆弾被
爆未指定地域証言調査報告書」(甲A13)について
a調査内容及び結果
前記(原判決157頁の)の
とおりである。
b検討
調査時期が平成11年から12年にかけてであり,原爆投下から5
5年が経過していること,調査方法がアンケート及びそれに基づく聞
き取り・面談にとどまること,調査に至る動機・経緯につき,「陳
情,要望を繰り返してきたにもかかわらず,基本問題懇談会が示した
「科学的,合理的根拠」という見解によって被爆地域指定拡大が一歩
も前進していない。」という認識を前提にしていることから,一審被
告らが指摘するバイアス(リコールバイアス,レポーティングバイア
ス等)が介在している可能性を否定できない。バックグラウンドとし
ての脱毛,下痢等の発症を考慮していない,「脱毛」の定義(程度)
が明らかでないという問題があり,バックグラウンドとなる症例数を
差し引いた場合,残る症例報告は,上記バイアス等によって説明可能
な範囲のものとなる可能性が高い。
以上によれば,上記報告書から被爆未指定地域の住民に放射線に起
因する症状が発現したと認めることはできない。
長崎県民主医療機関連合会による平成23年1月から同24年10月
にかけての「被爆地域拡大証言調査」(甲A213)について
a調査内容及び結果
長崎県民主医療機関連合会が,平成23年1月から24年10月
にかけて,「被爆体験者」(193名。長崎の被爆未指定地域で被爆し
た者(本件各申請者を含まない。))と「非被爆者」(152名。原爆
投下前に出生し,爆心地から12㎞圏内に30年以上居住した(ただ
し,昭和20年8月9日から同21年9月頃までは,爆心地から12
㎞以遠にいた)者)に調査票に沿ったインタビュー形式での聞き取り
をしたもの。
結果は,「被爆体験者」については,脱毛が20人(10.
4%),下痢が42人(21.8%),歯茎出血が14人(7.
3%),皮膚斑点が18人(9.3%),血便10人(5.2%),発
熱が26人(13.5%),吐き気32人(16.6%),鼻血が30
人(15.5%),口内炎が28人(14.5%),倦怠感が34人
(17.6%)等であった。
これに対し,「非被爆者」については,脱毛が2人(1.3%),
下痢が7人(4.6%),歯茎出血が0,皮膚斑点が6人(3.
9%),血便が1人(0.7%),発熱が2人(1.3%),吐き気が
3人(2.0%),鼻血が2人(1.3%),口内炎が5人(3.
3%),倦怠感が2人(1.3%)であった。
b検討
調査時期が平成23年から24年にかけてであり,原爆投下か
ら65年以上が経過していること,②調査方法が調査票に沿ったイ
ンタビュー形式の聞き取りにとどまること,③「被爆体験者」を選
定するに当たり,主に「長崎被爆地域拡大協議会」の会員及び会員に
つながりのある者を中心に協力を募り,東長崎地域では「全国被爆体
験者協議会」の会員及び会員につながりのある者の協力を募るなどし
ていることから,被爆地域指定拡大への関心の特に高い者が集まり,
バイアス(リコールバイアス,レポーティングバイアス等)が介在す
る可能性を否定できない。また,バックグラウンドとしての脱毛,下
痢等の発症を考慮して評価する必要があり,脱毛の定義(程度)が明
らかではないという問題もある。
脱毛の発現率10.4%は,原子爆弾災害調査報告集では1.6な
いし2.0㎞圏内(相当程度の初期放射線が届いた地域),O調査
では2㎞前後,Pらの調査では1.5ないし2㎞の地域での数
値であり,原爆投下時から比較的近い時期に行われたこれらの調査結
果との齟齬が大きい。また,上記の結果(2%程度)とも齟齬す
る。したがって,バイアスの介在の可能性は否定できず,「脱毛」が
軽度なものを含む場合,「非被爆者」が報告の要なしとした程度のも
のを「被爆体験者」が報告している可能性もあり,これを除くと,バ
ックグラウンドやバイアスによって説明可能な範囲に収まる可能性が
高い。
以上によれば,同調査により被爆未指定地域の住民に放射性に起因
する症状が発現したと認めることはできない。
ウ結論
以上の検討に,戦後に行われたセシウム137やプルトニウム239・
240の濃度の測定結果,これに基づく最大被曝線量の推定結果(乙4な
いし7。いずれも被爆未指定地域に特異に高い数値を認めなかった。)等
も併せ考慮すれば,一審原告らが挙げる各要望書や各証言調査から被爆未
指定地域の住民に放射線に起因する症状が発現したと認めることはできな
い。
5西山地区の住民に生じた症状(染色体異常,白血球数増加)とその原因
原判決171頁25行目から179頁4行目までを引用する。
ただし,次のとおり補正する。
原判決173頁17行目の「原爆」から19行目の「約52%」までを
「100個の細胞観察による数値12radの52.1%」と,22行目の
「7.36」を「7.35」と,同行目の「73.6m㏜」を「73.5
m㏜」と,同行目の「100個」から23行目の「52.1%」までを
「原爆放射性降下物に関する等線量線区分地図と積算線量からの平均推定
量13.97radの52.6%」とそれぞれ改める。
原判決174頁15行目以下を次のとおり改める。
「前記ア(原判決171頁のア)のとおり,長崎大学と原爆傷害調査委
員会(ABCC)の共同調査チームの調査において,染色分体及び不安定
型染色体異常は西山地区住民群に高い傾向が見られ,安定型染色体異常
は西山地区住民群が対照群よりもやや高い傾向が見られるところ,上記
共同調査チームは,上記の結果について,放射性降下物による原爆直後
の影響とともに,長期微量放射能の影響を示唆しているように思われる
としたこと,Vの予報において,西山地区住民と対照地区住民と
の間で染色体異常細胞の出現頻度には有意な差があったことからする
と,西山地区住民が原爆に由来する放射性降下物によって被曝をしたこ
とによって染色体異常が生じた事実が推認される。
そして,上記事実に照らせば,長崎原爆由来の放射性降下物が降下した
と認められる被爆未指定地域において,その住民が放射性降下物によって
ある程度の被曝をして染色体異常が生じた可能性がないとは言い切れな
い。
しかし,西山地区と被爆未指定地域とでは放射性降下物の条件や測定さ
れた放射線量に大きな違いがあることからすると,前記ア(原判決171
頁のア)の西山地区に在った住民に対して行われた調査の結果に基づい
て,被爆未指定地域に在った住民にも染色体異常が生じた高度の蓋然性が
あると認めることはできず,被爆未指定地域の住民に健康被害が生じ得る
程度の被曝をしたとするA意見は採用することができない。」
原判決176頁21行目の「された。」の後に「うち1名は,西山水源地
の東にある木場という集落の住民であり,1歳のときに上半身裸で遊戯中に
被曝し,放射性降下物を浴びた者であり(急性症状は見られなかった。),
もう1名は,原爆の直曝を受け,その後西山地区に移住した者である。」
を,22行目の「52頁」の後に「,乙A228の1-31頁」をそれぞれ
加え,178頁19行目の「認められるが,」の後に「うち1名は原爆の直
曝を受けた後に西山地区に移った者であるから,同人の症状は西山地区にお
ける健康被害を示すものとはいえず,残り1名となるところ,」に改める。
6低線量被曝が人体に及ぼす影響について
⑴認定事実
原判決179頁6行目の「後掲の」から182頁25行目までを引用す
る。
ただし,次のとおり補正する。
ア原判決179頁7行目の「甲A139の3の14」の後に「,乙A32
3」を加える。
イ原判決180頁2行目の「乙A224-文献26」の後に「,甲A18
6の1,乙A399」を,3行目の「英国において」の後に「22歳まで
に1回以上」を,7行目の「別紙31のとおりである」の後に「,すなわ
ち,15歳未満の頭部CTスキャン2,3回の累積線量で脳腫瘍のリスク
が約3倍,5ないし10回の累積線量で白血病リスクが約3倍となる」
を,16行目の「501頁」の後に「,乙A342,乙A349」を,同
行末尾に改行の上,「被曝について増加した絶対リスク(被曝露群(対照
群)の発生率から暴露群(介入群)の発生率を差し引いたリスクの差のこ
とで,曝露効果の強さを示す。)は非常に小さく,患者数では,頭部CT
スキャンを1万件実施するごとに被曝後10年以内の白血病及び脳腫瘍の
症例がそれぞれ1例増加する程度と推定された(乙A349-16頁,乙
A343-2頁)。同研究では,閾値の有無は解析されていない(乙A2
28の1の35頁)。」をそれぞれ加える。
ウ原判決181頁24行目の「Multiple」を「Muitiplex」と,182頁
14行目から15行目にかけての「1mGy日」を「1mGy/日」と,1
8行目の「優位」を「有意」とそれぞれ改める。
エ原判決182頁20行目の「乙A329の1-8頁」の前に「乙A66
の14-161頁,」を加える。
オ原判決182頁25行目末尾を改行の上,次を加える。
「キ放影研のWらによる「放射線・反応推定におけるベイジア
ン・セミパラメトリックモデル」(乙A348)
「セミパラメトリックモデル」とは,パラメトリックモデル(リスク
が線量(x)とともにどう変化するかを媒介変数(β)を使って記述
したモデル)と線量反応について特定の形を全く仮定しないノンパラ
メトリックモデルの中間に位置するモデルをいう。線形非閾値モデル
(リスクが閾値を持たずに線量に比例して増加することを仮定したモ
デル)など特定のパラメトリックモデルを仮定することなく,さまざ
まな線量反応曲線とその不確実性をより正確に推定することができる
ため,特に低線量被曝に伴うリスク評価において役立つと考えられて
いる。
短く区切られた線量カテゴリ上に定義された区分線形関数を結合した
線量反応式において,区間ごとの傾きを示す係数をランダム変数とした
上で互いに相関を持たせることによって平滑化を行うセミパラメトリッ
クモデルを考え,放射線線量反応推定に適用する手法が用いられた。
同手法によるLSSデータ(固形癌罹患率解析1958-1998
年)の解析では,従来の線形非閾値モデルと比較して,低線量域におい
てリスク推定値は低く,区間推定は広くなり,100mGyまでの放射
線被曝によるリスクの上昇が明らかでないことを示唆した(荷重吸収結
腸線量(被曝線量)が0.1Gy(100mGy)を超えた辺りから,過
剰相対死亡率(ERR)の95%信頼区間の下限が0を上回るが,同0.
0から0.1Gy(100mGy)の範囲では,過剰相対リスクは95%
信頼区間の下限が0を下回っているため,放射線被曝の健康への影響に
ついて統計学的に有意なリスク上昇が認められない。)。」
⑵A意見(一審原告らが援用する証拠)及びB意見(一審被告らが援
用する証拠)
A意見は,ICRP勧告(原判決179頁のア),Pearceらの報告(原
判決180頁のイ),福島第一原子力発電所事故に伴う居住制限(原判決1
80頁のウ),WHO福島報告書(原判決181頁のエ),Xらの研究
(原判決181頁のオ)を根拠に,100m㏜以下(1m㏜ないし20m㏜
程度)の低線量の被曝によっても,健康被害が生じる可能性があるとする。
(甲A130の1-62~63頁,甲A139の1-69~72頁,甲A1
53-26頁,甲A200-1頁・16頁,証人A(速記録)-63項以
下)
これに対し,B意見は,現時点において,疫学的に健康被害が生じるこ
とが証明されている被曝線量は150m㏜であり,それ以下の線量の被曝で
は,疫学調査によっても癌の発生等の健康被害と線量の相関関係は不明であ
るとして,100m㏜以下の低線量被曝によって健康被害が生じるとはいえ
ないとする。(証人B-42~44頁・85頁・93頁・94頁)
検討
アA意見について
証拠(甲A139の1-69頁,乙A220,乙A312-22~23
頁,乙A326,乙A339-4枚目,乙A349-5頁・12頁)及び
弁論の全趣旨によれば,現時点において,低線量(100m㏜以下)の被
曝をした場合に健康被害が生じるか,生じるとしてどの程度の線量でどの
ような健康被害が生じるかは,未解明のままで,確立した科学的知見は存
在しないといわざるを得ない。また,Ddの調査(原判決182頁のカ)
からすると,原爆由来の放射線によって5m㏜(0.005㏜)未満の線
量の被曝をした場合に,健康被害や染色体異常が生じるほどの有意な危険
があるとはいい難い。したがって,上記A意見は採用することができな
い。
イ各種の勧告・研究等についての個別の検討
ICRP勧告について
ICRP勧告は,個人の確定的影響の発生を防止し,確率的影響の誘
発を減らすため,あらゆる合理的な手段を確実にとることに放射線防護
の目標を置き,社会的・経済的要因を考慮に入れながら合理的に達成で
きる限り低く被曝線量を制限することを求めていることに基づいて公衆
の被曝に関する実効線量の限度を年間1m㏜としたものである。よっ
て,それを超えると直ちに一定程度の健康被害の蓋然性が認められると
いうものとは解されない。
Pearceらの報告について
Pearceらの報告は,50mGy程度の低線量でも相対リスクが増加す
ること等を示すものであるが,同報告については,次のような問題点が
指摘されているから,これをそのまま採用することはできず,その内容
を紹介したYの市民公開講座における報告も同様である。
①同論文では,患者がCT検査を受けた理由が調査されていない
(例えば潜在的な白血病,脳腫瘍患者がCT検査を多く受けていた
可能性を排除できない。)。なお,最初のCT検査時に癌の症状を
発症していた患者を解析から除外したKrilleらの研究では,単位放
射線当たりの脳腫瘍リスクや白血病リスクは,Pearceらの報告に比
べ,3分の1ないし4分の1程度の値となっている。(乙A342
-3頁,乙A343-2頁,乙A349-16~17頁)
多くの疫学研究では被曝時年齢が低いほど同じ放射線量に対する発
癌リスクが増加することが示されているのに,同論文では,過剰相対
死亡率(ERR)を被曝時年齢別に見た場合,白血病ではほぼ一定で
あるものの,脳腫瘍では被曝時年齢が高いほどリスクが上昇している
(乙A342-2頁,乙A349-17頁)。
CT検査と74症例の白血病との関係を見ると,9症例の骨髄異形
成症候群MDSという特殊な疾患がCT検査と強い相関を示してい
る。MDSを除く残り65症例の白血病とCT検査との相関は小さく
なり,統計的にも有意な増加ではなくなる(乙A228の1文献26
-502頁,同号証の2の26-3枚目)。小児MDSは,様々な遺
伝性疾患,ダウン症候群,その他の先天異常を合併している頻度が高
いことが報告されている(乙A350-3頁・7頁,乙A228の1
-35頁)。
④本来,個々の小児が受ける被曝線量はそれぞれのCT検査機器に設
定されている出力等により異なっている。しかるに,同報告では,全
員のデータが得られず,当時イギリスで使用されていた典型的な機器
を用いた場合の推計値を求めている(乙A228の1文献26)。
⑤骨髄線量について,検査により被曝した解剖学的部位ごとではな
く,全身の赤色骨髄の等価線量に変換して求めているため,頭部CT
により頭蓋骨の骨髄に当たった線量を実際より小さく推定している
(乙A228の1-34頁)。
⑥代表的な条件で実施されたCT検査による線量を推定値として個々
にあてはめているが,実際に受ける線量と線量推定値との間に誤差が
あり,リスク推定値が過大評価される可能性が指摘されている(乙A
342-3頁)。
福島第一原子力発電所事故における居住制限について
福島第一原子力発電所事故における居住制限における「年間20m㏜」
の基準は,ICRPが提言する緊急時被曝状況(原子力事故又は放射線緊
急事態の状況下において,望ましくない影響を回避若しくは低減するため
に緊急活動を必要とする状況)の参考レベルの範囲(年間20ないし10
0m㏜)のうち,安全性(放射線防護)の観点から,最も厳しい値でを採
用したものであり(乙A345-14頁,乙A352,乙A349-12
及び13頁),ICRP勧告と同様,放射線防護体系の観点から採用され
たものである。また,福島第一原子力発電所事故に伴う居住制限における
「年間積算線量」は,同所での生活を継続することにより,一定程度の放
射線被曝がその後(2年目以降)も積み重なっていくと仮定したものであ
るが,原判決の原爆投下1時間後から初年度における「年間積算線量」
は,原爆による核分裂生成物の放射能が時間の経過とともに指数関数的に
減衰することを前提としている。
以上によれば,上記居住制限の存在をもって,低線量被曝の影響につい
て一審原告らの主張が立証されたということはできない。
WHO福島報告書について
WHO福島報告書は,平成23年秋までに入手可能であったデータに基
づく「予備的線量評価」(平成24年発行)とこの線量評価に基づいて影
響を評価した「影響評価」(平成25年発行)とからなり,平成23年ま
でに得られた限られた情報に基づく(乙A344-11頁,乙A349-
7頁)。その後に発表された「2011年東日本大震災の原子力事故によ
る放射線被ばくのレベルと影響に関するUNSCEAR報告書(2013年
第1巻科学的付属書)」やIAEA報告書(2015年)では,利用可
能なデータが増え,WHO福島報告書に比して低い評価結果となっている
(乙349-8頁)。
また,同報告書の数値は,①計画的避難,屋内退避,食品流通制限な
どの防護方策はとらなかったという条件が採用された,②地表に沈着し
た放射性核種からの外部被爆の線量推定に当たり,1日のうち16時間を
屋内で過ごすと仮定し,その場合の建物としてコンクリートに比べて遮蔽
効果が小さい木造を想定している,③食品由来の内部被曝の評価につい
ては,福島県及び近隣県の食品のみを摂取したと仮定している,④甲状
腺へのヨウ素による内部被曝の評価について,ヨウ素摂取量の多い日本人
の食生活を考慮していない,⑤放射線発癌のリスク評価については,固
形癌についてLNTモデルを採用しているが,線量・線量率効果係数
(DDREF:単位線量当たりの生物学的効果が低線量・低線量率の放射線
被曝では高線量・高線量率における被曝と比較して通常低いことを考慮す
るための係数。ICRPでは2を用いている。)を適用していないなどの
点で,安全な方向でのいくつもの仮定を置いた上で算定されたものといえ
る。
さらに,環境中の放射線量の測定からモデルを用いて推定された線量
は,実際に住民が受けた線量と比較して過大評価となるとされている(乙
A349-9頁)。
以上の条件の下に計算したリスク上昇ですら,都道府県ごとの死亡率の
差に隠れてしまうほどの非常に小さい値にすぎない(証人B-44
頁)。
以上によれば,WHO福島報告書の内容から低線量被曝に関する一審原
告らの主張が立証されたとすることはできない。
Xらの研究について
Xらの研究は,Xが,「低線量率放射線の長期間慢性被ばくに
より生じるヒト染色体異常頻度の線量・線量率効果関係を調べる研究は,
調査対象とするヒト集団の被ばく線量が極端に低いことや交絡因子の影響
が加わることから大変困難である」(甲A153・文献9-1頁)と自認
していること,また,Xが所属する公益財団法人環境科学技術研究所の
平成26年度生物学的線量評価実験調査報告書において,①1mGy/
日の低線量率放射線長期照射は,染色体異常を誘発し,それを有意に検出
することも可能である,②0.05mGy/日(年間20m㏜)の低線
量率放射線長期照射によって誘発される染色体異常は,少なくとも上記調
査の実験条件下では,加齢等に伴い非照射群でも自然に起こる変化や個体
間のばらつきなどを超えて検出できるようなレベルのものではないとして
いること(乙A347-39頁,乙A349-18頁)に照らせば,これ
によって低線量被曝に関する一審原告らの主張が立証されたものとするこ
とはできない。
その他
なお,我が国の「電離放射線に係る疾病の業務上外の認定基準につい
て」(昭和51年11月8日基発第810号)が,白血病について0.5
rem(=5m㏜)の放射線被曝の事実を考慮要素に挙げていること(乙A
382)や,ウクライナのチェルノブイリ法が移住の権利を年間1m㏜か
ら認めていること(甲A150-34頁)について検討するに,前者につ
いては,幅広い救済の観点からのものであって,白血病との因果関係を前
提としていない(乙A384-23頁)ことに加え,その他の要件を満た
した上で,さらに専門家による個別具体的な検討がされる仕組みとなって
いる(乙A382,乙A385,乙A386)こと,後者については政治
的な要因が影響を与えた結果設定された基準であって科学的根拠に基づく
ものではない(乙A391-146頁)ことといった事情があり,いずれ
も一審原告らの主張を根拠づけるものとはいえない。
一審原告らの当審における主張(「INWORKS癌論文」)について
ア「電離放射線への職業被ばくによる癌リスク:フランス,英国,米国
における作業者の後ろ向きコホート研究(INWORKS)」(甲A181
の1・2,乙A373の1・2,乙A398。以下「INWORKS癌論
文」という。))について
INWORKS癌論文の概要
a研究課題
長期間の電離放射線の低線量被曝は固形癌の発症リスクをもたらす
か。
b方法
電離放射線による外部被曝を,詳細なモニタリング・データを有
するフランス,英国,米国の30万8297名の原子力産業労働者の
死亡登録と関連付け,癌による死亡率の被曝線量1Gy当たりの過剰
相対死亡率(ERR)を推定するというもの。
追跡調査は820万観察人年に及び,追跡調査の終わりまでに調
査された死亡6万6632人のうち1万7957人は固形癌による
(なお,全癌死1万9748人,白血病を除く癌死1万9064人,
肺癌死を除く固形癌死1万2155人)。
c結果
被曝線量の増加に伴い癌の割合が直線的に増加することを示唆し
ているとされた。累積被曝線量の平均,人年,白血病を除く全ての
癌の死亡数,放射線による過剰死亡数の推定は,【別紙12】のと
おり。
⒝被爆した労働者の結腸の平均累積線量は20.9mGy(中央値
4.1mGy)であった。
⒞潜伏期10年を仮定(勤務開始後10年以内の死亡は既に放射線
に起因しない可能性があるため,この期間の線量を統計から除外
(0m㏜とする))した場合の推定死亡率が次の通り増加した。
①全癌では,1Gy当たり51%
②白血病を除く全癌では,1Gy当たり48%
③固形癌では,1Gy当たり47%
④肺癌以外の全ての癌では,1Gy当たり46%
⒟0~100mGyの推定被曝範囲での結果は,全ての被曝範囲で
得られたものと規模に関しては同様であるが,精度は低いとされ
た。
喫煙や職業性石綿被害は潜在的交絡因子であるとされたが,肺癌
と肋膜癌による死亡を除外しても推定される関連性には影響を与
えないとされた。
なお,固形癌から喫煙との関連が大きい癌(口腔および咽頭,
食道,胃,大腸,直腸,肝臓,胆嚢,脾臓,鼻腔,咽頭,肺,子
宮頸部,卵巣,膀胱,腎臓及び尿管の癌。固形癌死亡の70%を
占める。)を除くと,放射線1Gy当たりの過剰相対死亡率
(ERR)の大きさと精度が減少した。
dその他(中性子線被曝の取扱いについて)
INWORKS癌論文では,中性子被曝線量(ガンマ線よりも生物学
的影響が大きいためにその正確な被曝線量を測定することが求められ
る。)が累積被曝線量の10%以上を占める従事者を解析から除外し
ていない(乙A377の1・2)。同論文では,中性子被曝のレベル
により調整はしているものの,著者らもその調整が十分でなかったか
もしれないとしている(乙A373-7頁)。
INWORKS癌論文に基づくZ意見(甲A182,甲A187,
甲A201,甲A215)の概要
a結果の評価について
5mGy以上の全ての線量区分での死亡率は,基準群(5mGy未
満群)に比べて統計的に有意に高い(【別紙13】のとおり)。
b喫煙の影響について
aの違いは喫煙率の違いでは説明できない。すなわち,
5mGy被曝群の癌死亡危険度が5mGy未満群の2倍以上とな
っていること(甲A187-2頁表1)について,喫煙率でそれを
説明しようとすれば,喫煙率が2倍以上となっていなければならな
いが,累積被曝線量階級別の喫煙率の違いは最大で1.23倍であ
るとする調査結果がある(平成18年1月付け財団法人放射線影響
協会「文部科学省委託調査報告書「原子力発電施設等放射線業務従
事者に係る疫学的調査(第Ⅲ期平成12年度~16年度)第2次交
絡因子調査編」に記載された「喫煙に関する集計結果」)。(甲A
187)
⒝【別紙12】により得られる固形癌死亡の過剰相対死亡率
(ERR)の累積被曝線量区分がすべて喫煙率の違いによるという仮
説(仮説S)を前提に線量区分別の喫煙率を推計すると,【別紙1
2】の「仮説Sの下で推算された喫煙率」欄記載のとおりとなる。
それによれば,仮説Sの下では,被曝線量0の集団での喫煙率が3
0%を超える場合,高被曝線量区分では喫煙率70%以上と推定さ
れることになり,報告されているフランス,英国,米国での喫煙率
を遥かに超えた値となる。(甲A215-1~4頁)
⒞放射線被曝線量の癌罹患への影響を論ずる際に喫煙の影響は実質
的に無視できる程度に軽微であるとする報告が存在する(Eric
J.Grant「原爆被爆者の寿命調査における固形癌罹患:1958-
2009年」(甲A202))。(甲A201-3頁)
c中性子線被曝について
中性子被曝をした作業者に対する放射線の影響の調査解析をする場
合の中性子被曝の影響の排除の必要性について,Z意見は,固形癌
死亡の1Gy当たりの過剰相対死亡率(ERR)は,100mGy以下
の全ての低線量被曝群(5群)が0.05以下であるのに対して,4
00mGy以上の全ての高線量被曝群(2群)は0.2を超えており
(【別紙13】参照),その差を中性子線量の割合の違いによる結果
として説明することには無理があり,相対的には中性子被曝の影響は
大きくないとする。(甲A201-1~2頁)
Grantらの論文(甲A202)について
寿命調査(LSS)における固形癌罹患率と結腸線量の関係について調
査をしたものである。
男女を平均した線形の線量反応関係を用いると,被爆時年齢が30歳
の人の70歳での線量1Gy当たりの過剰相対死亡率(ERR)は0.5
0であった。喫煙の調整後の値は0.47であり,喫煙が放射線リスク
推定値にほとんど影響しないことが示唆されたとする。
検討
a結果の評価について
INWORKS癌論文では,本件で問題となる低線量被曝群について
は,1Gy当たりの過剰相対死亡率(ERR)の精度が低いとしてい
る。また,Z意見でも,INWORKS癌論文の評価の前提となった
データを【別紙13】に差し替える前後で,精度の記述に変化が見ら
れる(甲A182)。
したがって,INWORKS癌論文から,低線量被曝による癌の発症
リスクの直線的増加を直ちに読み取ることはできない。
b個別問題について
喫煙の影響の調整について
ⅰ同論文は,喫煙による交絡を間接的に評価するため,放射線量
と肺癌を除く固形癌の関連を推定した結果,その過剰相対死亡率
(ERR)の推定値が全固形癌のそれの数値と同様であったとす
る(肺癌を除くだけで喫煙の影響が調整されるのであれば,他の
固形癌に喫煙の影響は及んでいないとも解し得る。)。
しかしながら他方で,同論文は,固形癌の分類から喫煙関連癌
(口腔および咽頭,食道,胃,大腸,直腸,肝臓,胆嚢,脾臓,
鼻腔,咽頭,肺,子宮頸部,卵巣,膀胱,腎臓及び尿管の癌)を
除くと,1Gy当たりの過剰相対死亡率(ERR)は大きく低下
し,精度も低下したともしている。
このように,固形癌死亡の70%を占めるこの大きな喫煙関連
癌のグループを除くことにより,1Gy当たりの過剰相対死亡率
(ERR)が大きく低下し,精度も低下したことからすると,喫
煙が交絡因子として結果に大きく影響している可能性は否定でき
ない。
ⅱZ意見について
Z意見が依拠するGrant論文は,原爆被爆者集団を対象と
した上記疫学的調査研究において,喫煙が交絡因子となっていな
かったというだけであり,他の放射線被曝と癌罹患率との関連性
に係るいかなる疫学調査においても喫煙が交絡因子とならない,
ということを意味しない。また,同論文は,100mGyを下回
る低線量被曝と癌罹患率との関連性について調査研究したもので
はない(弁論の全趣旨)。
他方で,喫煙が交絡因子として影響し得ることを指摘する論文
(乙A369・特に4頁)や,研究・調査が存在しする(「原子
力発電施設等の放射線業務従事者を対象とする低線量放射線によ
る人体への影響に関する疫学的調査,1991-2010」(乙
A370,乙A372))。
そうすると,Grantら論文から直ちに喫煙が交絡因子として無
視できる程度のものであるとはいえない。
Z意見書(甲A187)について
Z意見書(甲A187)の「2.3被曝線量別喫煙率と
の比較」においては,INWORKS集団の線量群間のリスクの
差異を,INWORKS集団の喫煙データではなく,日本の集団
の喫煙データを用いて説明しており,その手法自体に問題があ
る。また,日本の解析に用いている表3は,単なる集計結果で
あって,層別解析されたものではなく,年齢調整も考慮されて
いないことからすれば,上記Z意見の信用性は低いと言わざ
るを得ない。
Z意見書(甲A215)の意見について
Z意見書(甲A215)は,日本の多目的コホート研究の
結果を用いてINWORKS集団の分析をしている点に問題があ
り,また,前記のとおり,【別紙13】の相対危険度や過剰相
対危険度のデータは,とりわけ低線量被曝群において精度が低
い可能性があるから,これを前提とする上記Z意見は採用で
きない。
⒝中性子線被曝の影響について
【別紙14】のとおり,INWORKS癌論文では,中性子線被ば
くの調整を行わずに解析した結果,白血病を除く癌の1Gy当たり
の過剰相対死亡率(ERR)は有意ではなく,これを前提とするZ
意見は採用できない。
そもそも,中性子被曝の不確かさの本質的な問題は,放射線被
曝と癌発症率との間に統計学的に有意な関連性が認められるか否
かの問題であり,単に,400mGy以上の高線量被曝群の過剰相
対死亡率(ERR)が中性子線被爆による影響であるか否かという
問題ではないから,Z意見は問題の立て方を誤るものである。
INWORKS癌論文では中性子線被曝の評価が不確かであるた
め,解析に使用した線量分布が実際の線量分布と異なっている可
能性が否定できない。
cその他の問題
INWORKS癌論文については,喫煙や中性子線被曝の影響のほか
にも,職場における有害物質への曝露の情報や,診断や治療で受ける
医療被曝の情報が収集されていない点にも,方法論的な問題があり,
同研究結果のみで長期にわたる低線量被曝による健康への影響につい
て結論づけることは早計である旨の評価もあり(乙A397),同論
文を,低線量被曝による健康への影響についての確立した科学的知見
を提供するものであると認めることはできない。
イ「被ばく量が記録されている作業者における白血病とリンパ腫による死
亡リスクと電離放射線:国際コホート研究」(乙A378の1・2。以下
「INWORKS白血病論文」という。)について
INWORKS白血病論文の概要
フランス,英国,米国の放射線業務従事者を対象として,放射線被曝
と白血病死亡率との関係を検討した結果,1Gy当たりの慢性リンパ性
白血病を除く白血病の過剰相対死亡率(ERR)が2.96/Gyとされ
ている。
検討
aINWORKS白血病論文では,喫煙を含む複数の潜在的交絡因子等
の影響が考慮されていないとして疑問を呈する見解が存在する(乙A
379の1・2,乙A380の1・2)。
bINWORKS白血病論文では,中性子による被曝が考えられる作業
者で白血病(慢性リンパ性白血病を除く。)により死亡した127人
が対象に含まれている(乙A378の1・2-e280頁)。
c我が国の疫学的調査では,累積線量と白血病(慢性リンパ性白血病
を除く。)による死亡との関係につき,累積線量と過剰相対リスク
(ERR)との間に関連性は認められなかった(乙A370-16
頁)。
d以上によれば,INWORKS白血病論文に基づいて低線量放射線被
曝によって健康に影響が生じるとはいえない。
小括
ア以上によれば,100m㏜以下の低線量被曝によっても健康への影響
(確率的影響)があることについて,確立した科学的知見に関する証
拠はないといわざるを得ない。
イこれに対し,一審原告らは,確率的影響では理論上一つの細胞が損傷
しただけで癌等の罹患の可能性が生じるのであるから,100m㏜以
下の低線量被曝によっても健康への影響はあること(1m㏜であって
も健康への影響はあること)は科学的に証明されている旨主張する。
しかしながら,上記主張は採用することができない。すなわち,癌や
遺伝性影響といった確率的影響といわれる健康への影響は,細胞の
DNA損傷による突然変異により生じる(乙A228の1-5頁・10
頁)。
他方,細胞の損傷は,生体が備えている防御の処理能力を凌駕しない
限り重大な影響は発生せず,短時間に高線量被曝した場合に急性放射
線症(障害)が発症するのは,放射線によるラジカル(放射線が照射
され電子の一部を失った原子で反応性が高いもの)発生やDNA損傷
と生体の防御機構とのバランスが崩れるからとされる(乙A228の
1-3~4頁)。
細胞が防御・修復機構の処理能力を凌駕するほどに損傷された場合に
健康への影響が生じ得るところ,細胞の損傷の頻度と放射線量との関
係や,細胞に備わった防御ないし修復機能の限界の有無・程度等とい
った,個別細胞にとどまらない全体としての人体の健康への影響の発
生機序は解明されているとは言い難く,上記個別細胞レベルの理論が
全体としての人体への影響を余すことなく評価しているのか明らかで
はない。
B意見でも,バイスタンダー効果,適応応答(10~100mGy
の低線量被曝をした細胞が示す反応で,被曝すると細胞死防止や遺伝
子修復等に関する遺伝子群が発現誘導され,後から追加される被曝の
影響を緩和する現象),超放射線感受性(10~30mGyの被曝で選
択的に細胞死が誘導される現象)といった諸現象がヒトの放射線発癌
リスクにどのように影響しているか分かっておらず,単位時間当たり
被曝線量が低い場合や,1回の小さな線量を繰り返し被曝する場合に
は,積算総線量が100~200mGy以上になっても,同じ線量の急
性被曝と比較すると,突然変異率や細胞死率が減少するのも,上記諸
現象が複合したためと考えられている(乙A228の1-5~6頁)。
以上に,前記したWらの研究では,LNT仮説(閾値がなく結果と
影響の頻度が直線関係にあるとするもの)と比較して低線量域でのリ
スク推定値は低くなったことなどを併せ考慮すれば,個別細胞レベル
の一般的な理論だけでは,全体としての人体の健康への影響があるこ
との立証としてはなお不十分であるといわざるを得ないのであって,
LNT仮説は飽くまで仮説ないし放射線防護のためのポリシーであるに
留まるというべきである。
7本件各申請者の被爆者援護法1条3号該当性の判断
前記第1の2(原判決62頁。ただし,補正後のもの)のとおり,被爆
者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事
情の下にあった」とは,原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある
事情の下にあったことをいうものと解される。
被爆未指定地域のうち,最も高い被曝線量であったのは,b区域(戸石村
及び矢上村の一部)である。
b区域の被曝線量の最高値と最低値の平均値を基に算定した年間積算線量
(外部被曝)は,【別紙8】のとおり,①減衰率を-1.2のべき乗とし
た場合で約18.7m㏜,②減衰率を-1.5のべき乗とした場合で約4
7.7m㏜である。
そして,減衰率が-1.5のべき乗又はそれに準じた数値であると認めら
れないことは,前記説示のとおりであり,減衰率が-1.2のべき乗を上回
るものと認定することはできない。かえって,被爆未指定地域における放射
性降下物の降下時期がA意見のとおりであるとは認められず,また,マン
ハッタン調査団が地上高5㎝での測定値を用いていることによって,A意
見における被曝線量の推計が過大となっている可能性がある。
すると,b区域の外部被爆の年間積算線量が減衰率を-1.2のべき乗と
して計算した約18.7m㏜を上回るものであったと認定することはできな
い。
また,被爆未指定地域の住民は,戦時中及び戦後しばらくの間,近所で採
れた野菜,果物,山菜等を食べ,井戸水,近くの川の水や湧水を生活用水や
飲料用水として利用するという生活状況にあった(原判決79頁の)上,
証拠(証人A(速記録)-26頁)及び弁論の全趣旨によれば,当時の住居
は現在よりも気密性が低く,原爆投下直後には,放射線防護対策が国レベル
でも個人レベルでも行われていなかったと認められることからすると,現在
よりも生活環境中に存在する放射性物質が皮膚に接触し,また,その体内に
取り込まれる可能性が高かったということができる。
しかし,被爆未指定地域の内部被曝線量は,Kらが西山地区につき測定
した規模よりも更に小さい規模であった可能性があるから,上記外部被曝の
線量を大きく増加させるものであったと認めることができず,それによっ
て,健康被害の危険性が高まるかどうか及びその程度を認定することはでき
ない。
そうすると,b区域における外部被曝線量と内部被曝線量とを合計して
も,年間積算線量が約18.7m㏜を上回るものと認めることはできない。
そして,100m㏜以下の低線量被曝によっても健康への影響(確率的影
響)があることについて,確立した科学的知見に関する証拠はないといわざ
るを得ないことも前記説示のとおりである。したがって,上記認定の程度の
年間積算線量の被曝によって健康被害を生ずる可能性があると認めることは
できない。
よって,本件各申請者のうち長崎原爆投下当時にb区域に在った者は,そ
のことだけをもって,一般的に原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性
がある事情の下にあったということはできず,被爆者援護法1条3号に該当
するということはできない。
また,本件各申請者のうち長崎原爆投下当時に被爆未指定地域のそれ以外
の区域に在った者は,それらの区域における被曝線量がb区域よりも少なか
ったのであるから,それぞれの区域に在ったということだけをもって被爆者
援護法1条3号に該当するということはできない。
なお,本件各申請者に長崎原爆の投下後原爆の放射線による急性症状があ
ったと認めるに足りるだけの証拠もない。
8一審原告らの当審における主張(憲法14条違反)について
一審原告らの主張
被爆者援護法上の「被爆者」には,長崎原爆投下当時,①爆心地から5
㎞以内に在って,当時の「科学的知見」によれば原爆の放射線により健康被
害を被ったおそれがあるとされた者と,②爆心地から5㎞以遠12㎞以内
の旧長崎市の行政区画内に在って,当時の「科学的知見」によれば原爆の放
射線により健康被害を被ったおそれはないが,行政上ないし政治的配慮によ
り「被爆者」とされた者がいるが,このような行政上ないし政治的配慮によ
る取扱いの差異は,事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものとはいえ
ない。すなわち,
ア旧長崎市の行政区画内に在った住民の間で「被爆者」該当性の判断が分
かれることを回避する必要性は,上記の取扱いの差異の合理的な根拠とは
ならない。
イ旧長崎市の行政区画は,爆心地からの距離が当時の「科学的知見」によ
って健康被害が生じるおそれがあるとされた距離(5㎞)の2.4倍の距
離にある地域にまで及ぶところ,①被爆者の健康面に着目した社会保障
法としての性格と②「原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因
する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんが
み」た国家補償的性格を併せ持つところ,そのような性格の各種援護の給
付について,5㎞以遠の旧長崎市内に在った者と同市外に在った本件各申
請者との間で差異を設ける合理的な根拠はない。
ウ現に,被爆者援護法は,健康診断については,旧長崎市とそれ以外の行
政区画とを区別せずに爆心地から12㎞圏内にいた者を「被爆者」とみな
す旨規定しており(被爆者援護法7条,同附則17条,被爆者援護法施行
令附則2条,同別表第四),他の援護(医療の給付や各種手当の給付)に
ついて,これと異なる扱いをする合理的な理由がない。
よって,被爆者援護法施行令1条1項に基づく区域指定は憲法14条に違
反するというべきであり,爆心地から12㎞圏内に在って,かつ,被爆者援
護法1条1号の被曝地域以外に在った者全員を同条3号該当の被爆者とすべ
きである。
一審被告らの主張
被爆者援護法1条1号及び2号における被爆地域の指定は,従来の行政区
画を基礎として行われたため,例えば長崎市は南北に細長い形をしている結
果,爆心地からの距離が比較的遠い場合であっても,同条1号の被爆地域の
指定を受けることになる。
しかしこれは飽くまで旧行政区画で切らざるを得なかったという立法政策
的な観点に基づく。被爆者対策の基本的な在り方としては,被爆地域の指定
は,本来原爆投下による直接放射線量及び残留放射線の調査結果など,十分
な科学的根拠に基づいて行われるべきものとされている。このような科学
的・合理的な根拠に基づくことなく,これまでの被爆地域との均衡を保つた
めという理由だけで被爆地域を拡大することは,関係者の間に新たな不公平
感を生み出す原因となり,いたずらに被爆地域の拡大を続ける結果を招来す
るおそれがある。
しかるに,一審原告らの主張は,上記のような政策的観点に基づき行われ
た被爆者援護法1条1号に係る立法趣旨ないし同号の適用範囲を,そのよう
な観点が妥当しない場面である同条3号の場合に合理的な根拠のないまま無
限定に及ぼすものであって,本末を転倒するものといわざるを得ない。
検討
一審原告らは,被爆者援護法1条1号,被爆者援護法施行令1条1項に基
づく区域指定の結果,長崎原爆投下時に爆心地から5㎞以遠12㎞以内の距
離に在った者のうち旧長崎市の行政区画内に在った者については,当時の科
学的知見によれば原爆の放射線により健康被害を被ったおそれがなくても,
行政上ないし政治的配慮により「被爆者」とされるのに,当時上記行政区画
外に在った者については,そのような取扱いがされないのは,憲法14条に
違反すると主張する。
しかし,仮に,上記区域指定が,「被爆者」の要件該当性について,長崎
原爆投下当時旧長崎市の行政区画内に在った者とそれ以外の者の取扱いに合
理的な根拠のない差異を設けているものとして,憲法14条に違反して無効
であるとしたとしても,それによって,被爆者援護法や被爆者援護法施行令
の改正を待つことなく直ちに,上記区域指定が被爆未指定地域に及ぶことに
なるとか,長崎原爆投下当時被爆未指定地域に在った者が被爆者援護法1条
3号に該当することになると解することはできない。
一審原告らは,被爆者援護法が,健康診断については,特例として,旧長
崎市の行政区域外であっても,長崎原爆投下当時に爆心地から12㎞の区域
内に在った者を「被爆者」とみなして援護を行うものとしていることを指摘
して,上記区域指定が憲法14条に違反して無効であるとした場合,健康管
理手当等の他の援護についても,「被爆者」の範囲を上記特例と同様に取り
扱うべきであるとするが,健康診断についてそのような特例が規定されてい
るからといって,現にそれ以外の援護について同様の特例を定めた規定がな
く,上記のような立法的措置も講じられていない以上,本件における本件各
申請者の「被爆者」要件該当性の判断が左右されることにはならない。
そうすると,被爆者援護法施行令1条1項に基づく区域指定の憲法適合性
は,本件における一審原告らの請求の帰すうを左右するものではないから,
これについて判断することは必要でなく,相当でもないというべきである。
第3中心的争点についての判断の結論
以上によれば,本件各申請者が被爆者援護法1条3号に該当するということ
はできない。
第3章一審原告らの各請求についての判断
第1手帳交付申請却下処分の取消請求について
前記説示のとおり,本件各申請者は,被爆者援護法1条3号に規定する者に
該当しないから,本件各申請者に係る手帳交付申請却下処分は,いずれも適
法であって,その取消しを求める一審原告らの請求は,いずれも理由がな
い。
第2被爆者健康手帳交付の義務付け請求について
一審原告らの被爆者健康手帳の交付の義務付けを求める訴えは,長崎県知
事又は長崎市長において,本件各申請者がした手帳交付申請を認めて本件各
申請者に対して被爆者健康手帳を交付すべきであるにもかかわらず,これが
されないとして提起されたものであるから,行政事件訴訟法3条6項2号が
定める申請型の義務付けの訴えに該当する。
同号が定める義務付けの訴えの要件は同法37条の3第1項が定めている
ところ,これを本件に即していえば,手帳交付申請却下処分が取り消される
べきものであるときに,一審原告らは,被爆者健康手帳の交付の義務付けの
訴えを提起することができることになるが,本件各手帳交付申請却下処分が
いずれも取り消されるべきものといえないことは前記説示のとおりである。
したがって,本件訴えのうち,一審原告らが被爆者健康手帳交付の義務付け
を求める部分は,義務付けの訴えの要件を欠いて不適法であり,却下を免れ
ない。
第3被爆者の地位の確認請求について
1原判決38頁末行から同40頁24行目までを引用する。
ただし,原判決39頁初行から2行目にかけての「相続人原告ら」を「原審
口頭弁論終結前に死亡した本件各申請者の訴訟承継人である一審原告ら」に
改め,40頁20行目から24行目までの括弧書きを削る。
2一審原告らは,被爆者が死亡した場合,その相続人や葬祭を行った者が健康
管理手当や葬祭料(被爆者援護法32条)の受給権を取得することを理由
に,確認の利益があると主張する。
しかしながら,被爆者援護法27条に基づく認定の申請がされた健康管理
手当の受給権は,手帳交付申請及び手当認定申請をした者の一身に専属する
権利ということはできず,相続の対象となるところ,手帳交付申請及び手当
認定申請の各却下処分の取消しを求める訴訟について,訴訟の係属中に申請
者が死亡した場合には,当該訴訟は当該申請者の死亡により当然に終了する
ものではなく,その相続人がこれを承継するものと解される(最高裁平成2
8年(行ヒ)第404号の1同29年12月18日第一小法廷判決・民集7
1巻10号2364頁)。したがって,その相続人が訴訟を承継して上記各
却下処分の取消しを得た上で,その取消しを前提として,被爆者健康手帳の
交付を求めれば足りるのであり,死亡した申請者がその生前において被爆者
の地位にあったことや被爆者援護法1条3号に該当する者であったことの確
認を求める必要はない。
また,被爆者援護法には被爆者健康手帳交付の効果がその申請時に遡及す
る旨の特段の規定は存在しないから,被爆者健康手帳交付に係る被爆者の地
位取得の効果はその申請を認容する処分がされた時に発生するというべきで
あり,それが認容される前に死亡した申請者は,被爆者援護法に規定する被
爆者(被爆者援護法1条)に該当せず,その死亡をもって「被爆者が死亡し
たとき」(被爆者援護法32条)に当たるということはできないから,その
葬祭を行った者が同条に基づく葬祭料の支給を受けることはできないという
べきである。よって,葬祭料の支給を受けるために死亡した申請者が被爆者
の地位にあったことや被爆者援護法1条3号に該当する者であったことの確
認を求める利益があるともいえない。
3以上のとおり,本件訴えのうち,原審口頭弁論終結前に死亡した本件各申
請者の訴訟承継人である一審原告らが,当該本件各申請者が生前被爆者の地
位にあったことの確認を求める請求に係る部分は,確認の利益がなく不適法
であるから,これを却下すべきである。
第4手当認定申請の却下処分の取消請求について
長崎県知事及び長崎市長は,本件各申請者(一審原告25,165を除
く。)について,いずれも被爆者援護法の「被爆者」に該当しないことを理由
に本件各手当認定申請却下処分をしたものである。
本件各申請者が被爆者健康手帳の交付を受けていない以上,本件各申請者
は,被爆者援護法1条に規定する被爆者ではないから,健康管理手当の支給要
件(被爆者援護法27条1項)に該当しないことが明らかであって,上記の本
件各申請者に係る本件各手当認定申請却下処分はいずれも適法というべきであ
り,その取消請求は理由がない。
第5健康管理手当の支払請求について
一審原告ら(一審原告25,165を除く。)の健康管理手当の支払請求に
係る訴えは,一審被告らに対し,健康管理手当(被爆者援護法27条)として
一定額の金員の支払を求める訴えであり,その性質は,当事者訴訟(行政事件
訴訟法4条)に属する給付訴訟というべきである。
健康管理手当の支払請求を給付訴訟により行うことを許さない趣旨の法令上
の規定は存在せず,給付訴訟の原告適格を有するのは,自らがその給付を請求
する権利を有すると主張する者であり,被告適格を有するのは給付義務者であ
ると原告が主張する者であって,被告とされた一審被告らが健康管理手当の支
給主体であるかどうか,あるいは,原告となった一審原告らが具体的な健康管
理手当請求権を有するかどうかなどは本案請求の当否に関わる事柄であるか
ら,上記の一審原告らの健康管理手当の支払請求に係る訴えは,請求の適格性
及び当事者適格において欠けるところはなく,いずれも適法というべきであ
る。
しかし,上記の一審原告ら,は,いずれも健康管理手当の支給要件の認定を
受けていないから,その受給権を有するとはいえず,その健康管理手当の支払
請求は,いずれも理由がない。
第6小括
以上のとおり,一審原告らの請求のうち本件手帳交付申請却下処分及び本
件手当認定申請却下処分の取消し並びに健康管理手当の支払を求める部分は
いずれも理由がなく,その余の請求に係る訴えはいずれも不適法として却下
すべきである。
第4章まとめ
第1原判決の主文について
1原判決主文第1項について
本件手帳交付申請却下処分及び本件手当認定申請却下処分の各取消し並びに
被爆者健康手帳の交付の義務付け及び健康管理手当の支払を求める訴訟につ
いて,訴訟の係属中に申請者が死亡した場合には,その相続人が当該訴訟を
承継する(前掲最高裁平成29年12月18日第一小法廷判決参照)。
そうすると,原判決中,本件各申請者のうち原審口頭弁論終結前に死亡した
者が提起した本件手帳交付申請却下処分及び本件手当認定申請却下処分の各
取消し並びに健康管理手当の支払を求める訴訟につき終了宣言をした部分
(原判決主文第1項)は失当であるが,上記各請求は,いずれも理由がな
く,棄却を免れないところ,同部分については,上記の本件各申請者の訴訟
承継人である一審原告らのみが控訴しており,一審被告らは,控訴も附帯控
訴もしていないから,不利益変更禁止の原則により,上記の一審原告らの控
訴を棄却するにとどめるべきである。
2原判決主文第2項について
本件各申請者のうち原審口頭弁論終結前に死亡した者の訴訟承継人である一
審原告らが提起した被爆者の地位の確認請求に係る訴えは,不適法であり,
これを却下した原判決(原判決主文第2項)は相当であるから,上記の一審
原告らの控訴を棄却すべきである。
3原判決主文第3項について
一審原告ら(本件各申請者のうち原審口頭弁論終結前に死亡した者の訴訟
承継人である一審原告ら及び一審原告25,165を除く。)の,健康管理手
当の支払を求める訴えは適法であり,原判決中,同訴えを却下した部分(原
判決主文第3項)は失当であるが,同部分に係る請求は理由がなく,棄却を
免れないところ,同部分については,上記の一審原告らのみが控訴してお
り,一審被告らは,控訴も附帯控訴もしていないから,不利益変更禁止の原
則により,上記の一審原告らの控訴を棄却するにとどめるべきである。
4原判決主文第4項及び第5項について
一審勝訴原告らの本件手帳交付申請却下処分及び本件手当認定申請却下処分
の各取消しの請求は理由がなく,原判決中,これを認容した部分(原判決主
文第4項及び第5項)は失当であるから,一審被告らの控訴に基づき,
同部分を取り消した上,同部分に係る一審勝訴原告らの請求を棄却し,一審
勝訴原告らの被爆者健康手帳の交付の義務付けの訴えは不適法であり,原判
決中,同訴えに係る請求を認容した部分(原判決主文第4項及び第5項
)は失当であるから,一審被告らの控訴に基づき,同部分を取り消した
上,同部分に係る一審勝訴原告らの訴えを却下すべきである。
5原判決主文第6項及び第7項について
一審原告ら(本件各申請者のうち原審口頭弁論終結前に死亡した者の訴訟承
継人である一審原告ら及び一審勝訴原告らを除く。)の被爆者健康手帳交付義
務付けの訴えは不適法であるから,原判決中,これを却下した部分(原判決
の一審原告ら
の控訴を棄却することとし,本件手帳交付申請却下処分及び本件手当認定申
請却下処分(一審原告25,165については,手帳交付申請却下処分の
み)の各取消しの請求は理由がないから,原判決中,これを棄却した部分
(原判決主文第6項,第7項)は相当であり,同部分に対する上記の一
審原告らの控訴を棄却すべきである。
第2結論
よって,一審原告ら(一審勝訴原告らを除く。)の控訴を棄却し(主文第1
項),一審被告らの控訴に基づいて原判決中一審被告ら敗訴部分を取り消して
(主文第2項),同部分に係る一審勝訴原告らの請求のうち手帳交付申請却
下処分及び手当認定申請却下処分の各取消しを求める部分を棄却し(同),
被爆者健康手帳の交付の義務付けを求める部分に係る訴えを却下する(同
)こととして,主文のとおり判決する。
福岡高等裁判所第1民事部
裁判長裁判官矢尾渉
裁判官佐藤康平
裁判官村上典子

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