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平成19年(行ケ)第10269号審決取消請求事件
平成20年6月4日判決言渡,平成20年5月14日口頭弁論終結
判決
原告X
訴訟代理人弁理士植木久一,伊藤浩彰,竹岡明美
被告特許庁長官肥塚雅博
指定代理人秋月美紀子,山村祥子,徳永英男,森山啓
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
第1原告の求めた裁判
「特許庁が不服2004−21948号事件について平成19年3月6日にした
審決を取り消す。」との判決
第2事案の概要
本件は,原告が,その特許出願についての拒絶査定に対する不服審判請求を成り
立たないとした審決の取消しを求めた事案である。
1特許庁における手続の経緯
(1)出願手続(甲第3号証)
出願人:X(原告)
発明の名称:癌の検出及び処理
出願日:1995年(平成7年)9月18日(国際出願)
出願番号:特願平8−510734
(2)本件手続
手続補正日:平成16年4月6日(甲第9号証。以下「本件補正」という。)
拒絶査定日:平成16年7月16日(甲第10号証)
審判請求日:平成16年10月25日(不服2004−21948号)(甲第1
1号証)
審決日:平成19年3月6日
審決の結論:「本件審判の請求は,成り立たない。」
審決謄本送達日:平成19年3月27日
2本願発明の要旨
審決が対象とした発明は,本件補正による補正後の特許請求の範囲の請求項1に
記載されたものであり,その要旨は,次のとおりであるものと認められる(以下
「本願発明」という。請求項は全13項である。)。なお,発明の要旨の「前記の
生体サンプルから,錯体を形成しなかった,アルファフェトプロテイン・レセプタ
ーに抗する標識抗体を洗い流すステップ」の部分に相当する上記請求項1の記載部
分は「前記の生体サンプルから,錯体を形成しなかった,アルファフェトプロテイ
ンに抗する標識抗体を洗い流すステップ」(本件補正に係る手続補正書。甲第9号
証)とされているが,この部分の「アルファフェトプロテインに抗する標識抗体」
は,「アルファフェトプロテイン・レセプターに抗する標識抗体」の明白な誤記と
認められるので,本願発明の要旨は,上記のように認定する(審決の認定も同様で
あり,この認定に争いはない。)。
「1.患者の癌を検出する方法であって,
患者から,卵巣,子宮,直腸,脳,肝臓,血液,唾液,粘膜,痰,尿,涙,血清
及び骨で構成される群から選択された生体サンプルを獲得するステップ;
アルファフェトプロテイン・レセプターに抗する標識抗体又は標識アルファフェ
トプロテインを,インビトロで,卵巣,子宮,直腸,脳,肝臓,血液,唾液,粘
膜,痰,尿,涙,血清及び骨で構成される群から選択された前記の生体サンプルに
導入し,標識抗体又標識アルファフェトプロテインを,前記の生体サンプル内で,
アルファフェトプロテイン・レセプター又は,標識アルファフェトプロテイン又は
標識抗体に対するアルファフェトプロテイン・レセプター上のアルファフェトプロ
テイン・レセプター結合部位と反応させるステップ;
前記の生体サンプルから,錯体を形成しなかった,アルファフェトプロテイン・
レセプターに抗する標識抗体を洗い流すステップ;
前記生体サンプル内で標識抗体又は標識アルファフェトプロテインと反応した,
アルファフェトプロテイン・レセプター又はアルファフェトプロテイン・レセプタ
ーの結合部位を同定することにより,癌の存在を調べるステップであって,該ステ
ップにおいて,正常で,悪性でない個体に比して,アルファフェトプロテイン・レ
セプター又はアルファフェトプロテイン・レセプターの結合部位の増加レベルが癌
の存在を示す,
を有している患者の癌検出方法。」
3審決の理由の要旨
審決は,本願発明が,1993年(平成5年)発行に係る「TumorBiology」1
4巻2号116∼130頁所収のR.Moro(原告)らによる「Monoclonal
AntibodiesDirectedagainstaWidespreadOncofetalAntigen:TheAlpha-
FetoproteinReceptor」と題する論文(甲第6号証。以下「引用刊行物」とい
う。)に記載された発明に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたもの
であるから,特許法29条2項により特許を受けることができないとした。
審決の理由中,引用刊行物の記載事項の認定,本願発明と引用刊行物記載の発明
との対比及び相違点についての判断の部分は,以下のとおりである。
(1)引用刊行物の記載事項の認定
原査定の拒絶の理由に引用された刊行物(TumorBiology,vol.14,no.2,p.116
−130)は,「広く分布した癌胎児性抗原:アルファ−フェトプロテインレセプターに対し
て指向されたモノクローナル抗体」と題する論文であって,次の事項が記載されている。
(a)要約の項(116頁)
「要約
アルファ−フェトプロテイン(AFP)の細胞結合および取り込みに基づく蓄積された証
拠が,胎児性及び腫瘍細胞の表面上のAFPに対するレセプターの存在を示してきた。このレ
セプターをさらに研究するために,プールされたヒト乳癌細胞膜抽出物に対して作製されたモ
ノクローナル抗体(MAb)が,Ichikawa細胞株およびTA3−HA細胞株に対する
放射性標識されたAFPの結合を阻害するそれらの能力についてスクリーニングされた。クロ
ーン167H.1および167H.4から産生されたIgMが,そのレセプターへのAFPの
結合を阻害することが発見された。逆に,MAb反応は過剰のAFPによって阻害されたが,
等モル濃度の血清アルブミンによっては阻害されなかった。これらのMAbがAFPを認識す
るという可能性は,除外されてきた。さらに,167H.1とAFPの双方に反応性の分画か
ら得られたAFPレセプターの精製方法についても記述する。得られた結果は,167H.1
および167H.4がAFPレセプター上のAFPに対する結合部位に対して指向されている
ことを強く示唆している。167H.4を用いて,我々は,6/6ヒト乳癌試料において免疫
組織化学的染色が陽性であり,一方,3/3良性乳腺腫で陰性であることを発見した。167
H.4または抗−AFP抗血清のいずれかを用いての胎児性筋肉の免疫染色は,同様の染色パ
ターンを得た。167H.4で生きたIchikawa細胞を染色すると,標識されたAFP
を用いた従前の報告に記載されているのと同様の,表面レセプター分布(キャッピング)が示
された。従前観察されているAFPレセプターの広く分布した発現が,ここに記載されている
MAbを用いて得られた結果と一致している。これらのMAbの基礎研究及び臨床研究に対す
る可能な使用が議論されている。」
(b)AFPレセプター,そのモノクローナル抗体(117頁17行∼末行)
「これらの報告[19−25]は,多くの胎児性および悪性細胞がAFPレセプターを発現する
が,正常な成人細胞は発現しないことを強く支持している。すなわち,このレセプターは真に
広く分布した癌胎児性抗原であり得ることを示している。そのようなマーカーは,癌の診断及
び管理のために,また同様にAFPの生理学および細胞分化のメカニズムのさらなる研究のた
めに有用であることが証明され得るだろう。
今までのところ,AFPレセプターの検出はAFPの結合に頼ってきた。この戦略は,腫
瘍シンチグラフィーに有用であることは証明されている[22,23]が,しかしながらいくつか
の重要な弱点を有している:まず,有意量の純粋で活性なヒトAFPを入手することに実際的
困難性がある。第2に,このレセプターに対するAFPの親和性は相対的に低い[24,25]。
第3に,AFPは結合するためには機能的に完全なレセプター部位を必要とするようである;
パラフィン腫瘍部分を標識されたAFPで染色しようとする複数の試み一貫して失敗した[M
oRo,個人的見解]。AFPレセプター,またそのAFPとの相互反応を研究するためのよ
り良いツールは,該レセプターの結合部位に対して指向されたモノクローナル抗体(MAb)
であろう。そのようなMAbは,また腫瘍診断およびターゲッティングにおける応用を見つけ
ることができるであろう。」
(c)免疫組織学(120頁右欄5行∼28行)
「免疫細胞化学。100万のIchikawa細胞または末梢白血球が0.02%アジ化ナトリウム
を含むPBS中で2回洗浄され,1%BSA−PBS中のMAb腹水の1/300希釈物また
は希釈されていない上澄みとともに2時間,4℃でインキュベートされた。細胞は3回洗浄さ
れ,BSA−PBS中で1/100に希釈された第2抗体[ローダミン−コンジュゲートされ
た抗マウスIgG/IgM(Tago)]と1時間,4℃でインキュベートされた。さらに3回洗
浄後,細胞は1%フォルムアルデヒド−PBS中に分散され,エピ蛍光顕微鏡下で観察し写真
撮影した。
免疫組織化学。6つのヒト乳癌,3つの良性乳腺腫およびヒト胎児性筋肉のサンプルの標
準ホルムアルデヒド−固定パラフィン組織部分が研究された。染色は167H.4またはウサ
ギ抗−ヒトAFP抗血清(Dako,Denmark)のいずれかを用いて行われ,他の箇所[8]に記載
された間接的蛍光あるいは免疫ペルオキシダーゼ技術が適用された。第2抗体として,我々
は,セントルイスのSigmaからのペルオキシダーゼまたはローダミン抗−マウスあるいは抗−
ウサギ免疫グロブリンを用いた。陰性コントロールとして,無関係のIgMMAb腹水,1
0%胎児性子牛血清を含むRPMI,正常マウス血清または正常ウサギ血清を用いた。」
(d)結果:モノクローナル抗体とAFPレセプターとの結合(124頁右欄下から4行∼
125頁右欄7行)
「後者の結果は,167H.1と167H.4が溶解形のAFPレセプターを検出すること
を示す。これらのMAbが細胞表面AFPレセプターを認識することを確認するために,我々
は4℃で,生きたIchikawa細胞をMAbと,それからローダミン−標識化ヤギ抗−マウスIg
Mとインキュベートした。図6は,167H.4MAbとの反応性を示す(同様の結果が16
7H.1でも得られた(データは示さず))。観察されたキャピングは,リガンドとしてAF
Pを用いた従前の観察[19,21]と一致している。末梢白血球について平行して行われた実験
は陰性であった(データは示さず)。これらの実験からの結果は,2つのMAbが細胞膜−結
合されたAFPレセプターと溶解形のAFPレセプターの両方を検出することを示してい
る。」
(e)結果:図7(125頁右欄8行∼126頁左欄5行)
「図7は,胎児性,悪性および良性の組織を抗−AFPおよび167H.4MAbで染色し
たものを示す。胎児性筋肉では,抗−AFPでの染色(図7a)は,167H.4で得られた
もの(図7b)と同様であった。6つの悪性腫瘍サンプル中の6つが167H.4で強い陽性
(そのうちの3つを図7c−7eとして示す)であったが,他方,良性乳腺腫は陰性であるこ
とを示している(図7f)。2つの他の良性腺腫もまた陰性であった。癌サンプルにおいて悪
性組織だけが染色された。これは,浸潤癌細胞の索状構造が周囲の非悪性組織から明確に区別
され得ている図7cにおいて明らかである。」
そして,126頁右欄下∼127頁に,図7として,染色された組織の写真が次の説明記
載と共に示されている:
「図7.167H.4および抗−AFP抗体を用いたパラフィン部分の免疫染色。
aヒト胎児性筋肉上のウサギ抗−AFP。第2抗体はペルオキシダーゼ−ヤギ抗ウサギI
gG.反応はジアミノベンジジンとともに行われた。b167H.4で染色された同一試
料。第2抗体として,ペルオキシダーゼ−ヤギ抗マウスIgM+IgGが用いられた。反応は
ジアミノベンジジンとともに行われた。aとbの染色における同一性に注意。c−e167
H.4で染色された3つのヒト乳癌。第2抗体はローダミン−標識ヤギ抗マウスIgGIg
Mであった。fc−eにおけるように染色されたヒト乳腺腫。陰性基質と顆粒上皮との間の
コントラストの欠乏と乳癌部分の非悪性区画における染色がないことに注意。」
(f)ディスカッション:悪性腫瘍の診断(128頁右欄12行∼末行)
「この研究において用いた臍帯血清または胸膜浸出液のような体液におけるAFPレセプタ
ーの存在は,癌細胞による活性な分泌の結果または細胞死の結果でありえるだろう。両方の場
合,体液,そして特に血清における検出可能量のAFPレセプターの存在は,広範囲の悪性腫
瘍の診断とフォローアップに有用であることが証明され得るだろう。これはまた,“結果”の
項に示したように,6つのパラフィン−処理乳癌のうちの6個が167H.4MAbで陽性で
ある一方,3つの乳腺種が陰性であるので,組織病理学研究においてもそうであり得る。より
詳細な研究が,多数の試料について実施され,167H.1または167H.4
[Laderoute等,調製]で染色された場合,研究された全ての腺癌のほぼ90%が陽性であっ
たことを示している。胎児性組織では,167H.4による陽性染色の分布は,抗AFP抗血
清を用いて得られた結果に予測どおり匹敵するものであった。
167H.1と167H.4による悪性腫瘍の異なるタイプの認識は,他の種からの腫瘍
を認識するそれらの能力と同様に,AFPレセプターに常に関連付けられている広範囲な分布
に合致している。すなわち,この論文で記載したMAbは,AFP,そのレセプターおよび細
胞分化とそれらの関係の生理学を発展させるためのツールとしてと同様に,広範囲の悪性腫瘍
の診断用の,そして管理用のツールとして有用であると証明されるかもしれない。」
(2)本願発明と引用刊行物記載の発明との対比
ア引用刊行物記載の発明の認定
上記刊行物の図7に結果が示されている,乳癌等の組織サンプルをアルファフェトプロテイ
ン・レセプターに抗するモノクローナル抗体(167HMAb)を用いて染色した例では,上
記記載(e)からも明らかなように,生体サンプル内で抗体と反応したアルファフェトプロテ
イン・レセプターを同定することにより癌の存在が調べられ,正常で,悪性でない個体に比し
て,アルファフェトプロテイン・レセプターの増加レベルが癌の存在を示している。(なお,
以下において「モノクローナル抗体」を「MAb」と,「アルファフェトプロテイン」を「A
FP」と略記することがある。)
そして,上記刊行物には明記されていないものの,当該乳癌組織サンプルは,当該生体サ
ンプルを獲得するステップを経て獲得された生体サンプルであることは当然であり,生体と切
り離された生体サンプルを免疫組織化学的に染色する形態は,生体内で行われる「インビボ」
ではなく,「インビトロ」で行われているものである。
また,上記刊行物の「材料および方法」の項中の「免疫組織化学」についての記載(上記
記載(c)参照)および図7についての記載(上記記載(e)参照)にある標識された第2抗
体は,生体サンプル内でAFPレセプターと反応した標識されていない抗AFPレセプター抗
体に結合させて,生体サンプルにおけるAFPレセプターの存在を認識させるための標識され
た抗体であることは,免疫反応を利用する検査の技術分野においては自明のことである。
そうすると,上記刊行物には,
「乳房組織から生体サンプルを獲得するステップ;
アルファフェトプロテイン・レセプターに抗する抗体を,インビトロで,乳房組織からの
前記の生体サンプルに導入し,抗体を,前記の生体サンプル内で,アルファフェトプロテイン
・レセプターと反応させるステップ;
第2抗体としてローダミン−標識ヤギ抗マウスIgGIgMを用いてアルファフェトプ
ロテイン・レセプターに抗する抗体に結合させて,前記生体サンプル内でアルファフェトプロ
テイン・レセプターに抗する抗体と反応したアルファフェトプロテイン・レセプターを同定す
ることにより,癌の存在を調べるステップであって,該ステップにおいて,正常で,悪性でな
い個体に比して,アルファフェトプロテイン・レセプターの増加レベルが癌の存在を示す,
を有している方法。」の発明(以下,「刊行物記載の発明」という)が記載されているもの
と認められる。
イ一致点及び相違点の認定
本願発明と上記刊行物記載の発明とを対比すると,両者の一致点及び相違点は下記のとおり
である。
(一致点)
「生体サンプルを獲得するステップ;
アルファフェトプロテイン・レセプターに抗する抗体を,インビトロで,前記の生体サン
プルに導入し,該抗体を,前記の生体サンプル内で,アルファフェトプロテイン・レセプター
と反応させるステップ;
前記生体サンプル内で該抗体と反応した,アルファフェトプロテイン・レセプターを同定
することにより,癌の存在を調べるステップであって,該ステップにおいて,正常で,悪性で
ない個体に比して,アルファフェトプロテイン・レセプターの増加レベルが癌の存在を示す,
を有している方法。」
(相違点1)
本願発明の方法は「患者の癌を検出する方法」であるのに対して,上記刊行物記載の発明
の方法は,あらかじめ悪性腫瘍であるか良性腫瘍であるかが知られている生体サンプルにおい
て癌の存在を調べているだけのものであるから,「患者の癌を検出する方法」ではない点。
(相違点2)
生体サンプルが,本願発明では,「患者から,卵巣,子宮,直腸,脳,肝臓,血液,唾
液,粘膜,痰,尿,涙,血清及び骨で構成される群から選択された生体サンプル」であるのに
対し,上記刊行物記載の発明では,乳癌や良性乳腺腫などの生体サンプルについて癌の存在を
調べることは記載されているものの,患者から卵巣,子宮,直腸,脳,肝臓,血液,唾液,粘
膜,痰,尿,涙,血清及び骨で構成される群から選択された生体サンプルを獲得して,癌の検
出を行うことは記載されていない点。
(相違点3)
生体サンプル内でアルファフェトプロテイン・レセプターに抗する抗体と反応したアルフ
ァフェトプロテイン・レセプターを同定することにより,癌の存在を調べるための標識抗体
が,本願発明では,「アルファフェトプロテイン・レセプターに抗する標識抗体」であるのに
対し,上記刊行物記載の発明では,アルファフェトプロテイン・レセプターに抗するモノクロ
ーナル抗体は標識されておらず,該非標識抗体に結合するローダミン−標識された第2抗体を
組み合わせて使用し,間接的に生体サンプル内でアルファフェトプロテイン・レセプターに抗
する抗体と反応したアルファフェトプロテイン・レセプターを同定することにより,癌の存在
を調べている点。
(相違点4)
本願発明では,アルファフェトプロテイン・レセプターに抗する標識抗体を,生体サンプ
ル内で,アルファフェトプロテイン・レセプターと反応させるステップとともに,「前記の生
体サンプルから,錯体を形成しなかった,アルファフェトプロテイン・レセプターに抗する標
識抗体を洗い流すステップ」を有しているのに対し,上記刊行物記載の発明では,生体サンプ
ル内でアルファフェトプロテイン・レセプターに抗する抗体とアルファフェトプロテイン・レ
セプターを反応させるステップ,および標識した第2抗体をアルファフェトプロテイン・レセ
プターに抗する抗体と反応させるステップとともに,生体サンプルから,それぞれの抗原−抗
体反応で結合せず抗原−抗体複合体(錯体)を形成しなかったアルファフェトプロテイン・レ
セプターに抗する抗体あるいは標識した第2抗体を洗い流すステップについては記載されてい
ない点。
(3)相違点についての判断
ア相違点1について
上記刊行物には,生体サンプル内でMAb抗体と反応したアルファフェトプロテイン・レセ
プターを同定することにより癌の存在が調べられ,正常で悪性でない個体に比して,アルファ
フェトプロテイン・レセプターの増加レベルが癌の存在を示していることが記載されており
(上記記載(e)参照),また,MAbが腫瘍診断およびターゲッティングにおける応用でき
ることを示唆する記載がある(上記記載(b)参照)ことからみて,上記刊行物記載の方法を
「患者の癌を検出する方法」に応用することは,当業者であれば容易に想到できるものであ
る。
イ相違点2について
上記刊行物には,ハイブリドーマ167H.1と167H.4とからの2つのMAbが細胞
膜−結合されたAFPレセプターと溶解形のAFPレセプターの両方を検出することが記載さ
れ(上記記載(d)参照),生体組織サンプル中のAFPレセプターだけでなく,体液中のA
FPレセプターの存在についても,「この研究において用いた臍帯血清または胸膜浸出液のよ
うな体液におけるAFPレセプターの存在は,癌細胞による活性な分泌の結果または細胞死の
結果でありえるだろう。両方の場合,体液,そして特に血清における検出可能量のAFPレセ
プターの存在は,広範囲の悪性腫瘍の診断とフォローアップに有用であることが証明される得
るだろう。」という教示が具体的になされている(上記記載(f)参照)。また,それに引き
続いて上記刊行物には,AFPレセプターの生体における広範囲の存在に関連しての「167
H.1と167H.4による悪性腫瘍の異なるタイプの認識は,他の種からの腫瘍を認識する
それらの能力と同様に,AFPレセプターに常に関連付けられている広範囲な分布に合致して
いる。すなわち,この論文で記載したMAbsは,AFP,そのレセプターおよび細胞分化と
それらの関係の生理学を発展させるためのツールとしてと同様に,広範囲の悪性腫瘍の診断用
の,そして管理用のツールとして有用であると証明されるかもしれない。」という教示がにな
されている(上記記載(f)参照)。
したがって,これらの記載をみた当業者であれば,乳房組織からの生体サンプルだけでは
なく,血清などの体液サンプルや,乳房同様女性において癌が存在する典型器官である卵巣や
子宮,あるいはその他の器官についても,AFPレセプターに抗する抗体を用いてAFPレセ
プターの存在をを同定し,正常で,悪性でない個体に比してAFPレセプターの増加レベルが
癌の存在を示すことを確認して,これらの生体サンプル内で癌を検出する方法を容易に想到す
ることができるものである。
ウ相違点3,4について
生体サンプル中の抗原の存在レベルを検出するために,抗原に抗する抗体を用いて抗原と反
応させ,反応した該抗体の存在レベルを検出する免疫反応を利用する検査の技術分野におい
て,被検出対象抗原に抗する抗体を標識して標識抗体としての抗原と反応させて反応した該標
識抗体の存在レベルを直接的に検出する方法も,被検出対象抗原に抗する抗体は標識せずに反
応させ,その後当該抗体に結合する標識した第2抗体を反応させて当該抗体の存在レベルを間
接的に検出する方法も,いずれも慣用されている手法にすぎない。
また,生体サンプル中の抗原の存在レベルの検出する免疫反応を利用する検査において,
被検出対象抗原に抗する抗体を生体サンプルに導入して反応させた後,抗体が標識されている
場合であれ,標識されておらず標識された第2抗体をさらに反応させるステップを要する場合
であれ,生体サンプルから抗原−抗体が反応した錯体(複合体)を形成しなかった抗体を洗い
流す,いわゆるB/F分離を行うステップを設けることも,技術常識にすぎない。
そうすると,上記刊行物記載の発明のように,生体サンプル中のアルファフェトプロテイ
ン・レセプターを標識された第2抗体を用いて間接的に検出する代わりに,アルファフェトプ
ロテイン・レセプターに抗する抗体を「標識抗体」とし,該標識抗体を,生体サンプルに導入
し,前記生体サンプル内で,アルファフェトプロテイン・レセプターと反応させるステップと
ともに,生体サンプルから,錯体を形成しなかった,アルファフェトプロテイン・レセプター
に抗する標識抗体を洗い流すステップを設けるようなことは,当業者が必要に応じて適宜変更
し得る事項である。
エ作用効果について
本願明細書における具体例についてみても,体液についての例1(血清サンプル中での)
も,組織サンプルについての例12も,いずれも生体サンプル中のアルファフェトプロテイン
・レセプターをアルファフェトプロテイン・レセプターに抗する抗体と反応させた後,酵素や
ローダミンなどで標識された第2抗体を用いて間接的に検出した具体例が記載されているだけ
であって,相違点2の生体サンプルが乳房組織サンプル以外のものであることや,相違点3,
4に係る構成の採用との関連において,本願発明が格別の作用効果を奏するものであるとは認
められない。
オ請求人(原告)の主張についての判断
請求人は請求の理由において,上記刊行物には本願発明を示唆する記載はあるものの,
「could」や「might」,あるいは「perharps」といった不確実性を表す語をもって記載された
文章によって,本願発明の特許性を否定されることは納得できない旨主張しているが,これら
の断定的でない不確実性を含めた語を用いた記載であるからといって,上記刊行物においてA
FPレセプターの存在レベルが確かめられた生体サンプル以外の生体サンプルでのAFPレセ
プターの存在レベルの検出による癌の検出の可能性を否定しているわけではないから,上記刊
行物記載の教示に従い,周知の技術等を用いて他の生体サンプルについても実験を行い,癌の
検出を確認してみるようなことは,当業者が普通に行う技術的創作活動の範囲内の事項であ
る。また,本願の明細書の記載を見る限りでは,上記刊行物記載の生体サンプル以外の他の生
体サンプルにおける癌の存在を調べるにあたり,格別の創意工夫が必要であったということも
認められないから,他の生体サンプルを用いた場合においても上記刊行物記載の生体サンプル
を用いた場合と同様に実験を行うことができ,その効果を確認することができたものと認めら
れる。
第3当事者の主張の要点
1原告主張の審決取消事由
(1)取消事由1(相違点2についての判断の誤り)
審決は,その摘記に係る引用刊行物の記載(d)及び(f)(上記第2の3の(1)の(d)
及び(f)。以下,それぞれ「記載(d)」,「記載(f)」という。)に接した当業者で
あれば,乳房組織からの生体サンプルだけではなく,血清などの体液サンプルや,
乳房同様女性において癌が存在する典型器官である卵巣や子宮,あるいはその他の
器官についても,AFPレセプターに抗する抗体を用いてAFPレセプターの存在
を同定し,正常で,悪性でない個体に比してAFPレセプターの増加レベルが癌の
存在を示すことを確認して,これらの生体サンプル内で癌を検出する方法を容易に
想到することができるものであると判断した。
しかしながら,この判断は,以下の理由により誤りである。
ア請求項1の「該ステップにおいて,正常で,悪性でない個体に比して,アル
ファフェトプロテイン・レセプター又はアルファフェトプロテイン・レセプターの
結合部位の増加レベルが癌の存在を示す」との構成は,癌患者の上記生体サンプル
中のアルファフェトプロテイン・レセプター(AFPレセプター)レベルは,「正
常」,すなわち癌でない健常人に比べて増加するだけでなく,「悪性でない個
体」,すなわち良性疾患の患者に比べても増加することを規定しているのであり,
単純に生体サンプル中のAFPレセプターがモノクローナル抗体(MAb。ただ
し,引用文中では「Mab」と表記することがある。)と結合することのみを規定
しているものではないし,「正常」,すなわち癌でない健常人に比べ,癌患者のA
FPレセプターレベルが増加することのみを規定しているものでもない。本願発明
の上記構成の内容は,実施例においても実証されている。
記載(d)の実験においては,確かにMAbが細胞膜に結合したAFPレセプター
と溶解型のAFPレセプターの両方を検出することが記載されているが,この実験
では,「悪性細胞」と「正常細胞」を区別しているのみであって,「悪性細胞」と
「良性疾患細胞」を区別しているものではないから,当業者が記載(d)を参照して
も,「癌患者」と「良性疾患患者」を区別することができる本願発明について容易
に想到することはできない。
イまた,記載(d)のMAbが溶解形態のAFPレセプターを検出することを示
すとされた実験において使用されたAFPレセプターは,「ヒト臍帯血清」から精
製されたフラクション(分画)であり,「ヒト臍帯血清」はもとよりAFP及びA
FPレセプターを比較的多量に含んでいると考えられているものであるから,この
実験はMAbが多量のAFPレセプターに結合することを実証しているにすぎな
い。また,この実験はIchikawa細胞(ヒトT細胞リンパ腫細胞株)を用いて行われ
ているところ,このような培養細胞での結果が実際の生体サンプルでも得られると
は考えられない。
したがって,記載(d)に示される実験の結果を一般化して本願発明について容易
想到であるということはできない。
ウ記載(f)には,確かに「臍帯血清」と「胸膜滲出液」でAFPレセプターの
存在が確認できたことが記載されているが,AFPが胎児性のタンパク質であるこ
とから「臍帯血清」中にAFPレセプターが含まれることは当然であり,「胸膜滲
出液」は肺癌に伴って肺の外側に溜まるものであるから,肺癌患者の胸膜滲出液に
AFPレセプターが比較的多量に含まれていることも当然である。他方,体液では
AFPレセプター以外のタンパク質も含まれており,さらに,AFPレセプターは
細胞表面に存在する膜タンパク質であることから脂溶性が高く,水分を主な構成成
分とする体液中に検出可能なほど豊富に含まれているとは一般的に考えにくい。
したがって,「臍帯血清」と「胸膜滲出液」においてAFPレセプターの存在が
確認できたからといって,これによって「癌患者」と「良性疾患患者」とを区別で
きることが示唆されているということはできないから,当業者が記載(f)を参照し
ても,本願発明について容易に想到することはできない。
また,記載(f)は,乳房組織の実験結果についてのものであり,上記のとおり,
ある癌種に対するマーカーが他の癌種のマーカーとしても効果を発揮できる保証は
全くないのであるから,乳房組織の結果をもって,当業者が本願発明に係る卵巣や
子宮その他の器官に一般化することが容易であるということもできない。
エ審決は,記載(f)を根拠として,当業者が本願発明を容易に想到することが
できると判断しているが,記載(f)の原文では「might」や「perhaps」という不確
実性を示す語があえて用いられており,引用刊行物の共同執筆者でもある原告が
「同様の結果が他のサンプルをもってしても得られるというものではない」と認識
していたのであるから,審決は引用刊行物の記載についての認定を誤った上で容易
想到性の判断をしたものである。
また,「応用の可能性」についての記載があったとしても,臨床試験には多大な
労力やコスト,時間,技術を要するのであり,引用刊行物の記載をもって,当業者
であれば実験を開始することができるということにはならない。
(2)取消事由2(顕著な作用効果の看過)
審決は,本願発明は引用刊行物に記載された発明との比較において,格別の作用
効果を奏するものであるとは認められないと判断した。
しかしながら,この判断は,以下の理由により誤りである。
ア本願発明によれば,「癌患者」と「健常人」のみならず,「癌患者」と「良
性疾患患者」とを明確に区別することができるのであり,本件補正後の本件特許出
願に係る明細書(平成16年4月5日付け手続補正書(甲第7号証)による補正に
よって補正された後の明細書の翻訳書面(甲第2号証添付)。以下「本願明細書」
といい,引用する場合は,証拠番号(ただし,上記明細書の翻訳書面は単に「甲第
2号証」と表記する。)も付する。)中の実施例である[例1](甲第2号証23
頁7行∼27頁5行,甲第7号証2頁15∼17行)においても非常に優れた結果
が示されている。
本願発明のこのような高い感度は,精度の低い従来の腫瘍マーカーと比較して極
めて優れているものであり,悪性細胞と良性細胞の表面におけるMAbの結合試験
結果しか開示していない引用刊行物の結果からは到底予想することができないもの
である。
イ本願明細書の上記[例1]に記載されているとおり,本願発明によって陰性
の対照グループに入っていた患者が陽性と判断され,その結果をもって担当医がC
ATで改めて診断したところ,悪性の腎癌となっている腫瘍が発見された。このよ
うに,本願発明は,解剖学的変化など,他の点では正常に見えるが,実際には初期
段階の腫瘍である細胞を検出することができるのであり,従来の腫瘍マーカーに初
期の癌を検出できるものは皆無であったことから,本願発明の効果は実用上極めて
有用なものである。
ウ本願発明においては,生体サンプルとして,規定されているものの中に,血
液や血清などの体液が含まれており,これらの体液をサンプルとして用いれば,特
異性の高い従来の腫瘍マーカーとは異なり,広範囲にわたる様々な癌を検出でき
る。
このような効果に関しては,記載(f)において「体液,特に血清における検出可
能量のAFPレセプターの存在は,広範囲の悪性腫瘍の診断とフォローアップに有
用であることが証明され得るだろう」との記載があるが,憶測の域を出るものでは
なく,原文でも「might」という不確実な語が用いられている。
エ本件特許出願後,本願発明の発明者である原告は,更に研究を進め,簡便な
癌検出ツールの開発に至っている。そして,原告が最高経営責任者を務めるバイオ
キュレックス社は,この種商品に関し,アボット社と業務提携をしており,簡便で
初期癌をも高感度で検出できる本願発明を用いた商品は,今後莫大な利益を生む可
能性がある。
2被告の反論の要点
(1)取消事由1(相違点2についての判断の誤り)に対して
原告が主張する取消事由1は,以下のとおり理由がなく,審決の相違点2につい
ての判断に誤りはない。
ア原告は,記載(d)の実験においては,「悪性細胞」と「正常細胞」を区別し
ているのみであって,「悪性細胞」と「良性疾患細胞」を区別しているものではな
いと主張するが,引用刊行物に記載された乳房組織の良性腫瘍は,腫瘍ではあるも
のの,原告のいう「良性疾患」に分類されるものである。
このことは,本願明細書の[例1]の結果を示した[表1](甲第2号証47∼
50頁)の「癌なしの患者の血清サンプル22個」である番号31∼52のサンプ
ルの最終診断の欄に,血管疾患や炎症といった腫瘍以外の疾患に混じって,33の
「Meningioma」髄膜腫,36の前立腺の「Adenoma」腺腫といった良性腫瘍が含ま
れていることから,明らかである。
また,引用刊行物には,乳房細胞について,「癌」と「良性腫瘍」とを区別して
検出したことが記載されている。研究段階から臨床検査へと移行する際に,腫瘍マ
ーカーの評価を行う場合,健常人,悪性疾患患者(癌患者),良性疾患患者(良性
腫瘍及び腫瘍以外の疾患患者)のぞれぞれにおける陽性率を,癌の種類及び良性疾
患の種類に応じて,それぞれ多数の個体数の検査の結果から求めることは,本件特
許出願時における腫瘍マーカーに関する技術常識である。
したがって,引用刊行物に記載された研究段階の発明と臨床診断への応用可能性
の示唆に触れた当業者が,臨床検査への適用に際して,癌患者と健常人及び良性疾
患患者とを区別することができるか試みてみることは当然であり,原告の主張は誤
りである。
イ原告は,記載(d)に示される実験の結果は,「ヒト臍帯血清」を用いた溶解
形AFPレセプターの結合実験についてのものであり,また,培養細胞である
Ichikawa細胞を用いたものであるから,この結果を一般化することは考えられない
旨主張する。
しかしながら,本件特許出願前からよく知られている腫瘍マーカーであるCE
A,TPA,BFP,AFPは,「癌・胎児性物質」といわれ,胎児組織や癌組織
に共通する物質であり,CEA,TPA,BFPの特異性が広範囲であることは,
本件特許出願前の腫瘍マーカーに関する技術常識である。
そして,引用刊行物には,「多くの胎児性細胞と悪性細胞がAFPレセプターを
発現するが正常な成人細胞は発現しないことから,このレセプターは広く分布する
真の胎児性抗原であろうという考えを強く支持している。」(訳文2頁9∼11
行)と記載され,さらに,AFPレセプターが,癌だけでなく,胎児性筋肉にも存
在することが示されているから(図7(a),(b)),AFPレセプターも,癌・胎児
性物質の一種であるということができる。
したがって,引用刊行物に記載された広範囲の腫瘍の診断の可能性の示唆に触れ
た当業者が,癌・胎児性物質の一種であるAFPレセプターについて,広範囲の癌
の診断を試みようとするのは,ごく自然なことであり,原告の主張は失当である。
ウ原告は,記載(f)において「臍帯血清」と「胸膜滲出液」にAFPレセプタ
ーの存在が確認されたことをもって,「癌患者」と「良性疾患患者」を区別できる
ことの示唆があるとすることはできない旨主張する。
しかしながら,引用刊行物には,臍帯血清と胸膜滲出液のような体液におけるA
FPレセプターの存在は,癌細胞による分泌や細胞死の結果であると記載されてお
り(訳文22頁16∼17行),AFPレセプターが,細胞表面や細胞内だけに留
まらず,細胞外へ放出されることが示されている。そして,放出されたAFPレセ
プターは体中を隈無く循環する血流にのると考えるのが自然である。
また,引用刊行物においても用いられているMAbを試薬として用いた検出方法
は,感度や精度が高いことが知られているから,これを用いて血清中のAFPレセ
プターが検出できないとする根拠はない。
そして,引用刊行物には,体液,特に血清における検出可能量のAFPレセプタ
ーの存在が,広範囲の悪性腫瘍の診断に有用であることが証明される可能性がある
ことを示唆する記載があるから(訳文22頁17∼19行),腫瘍マーカーによる
癌の検出において通常用いられている血清や代表的な体液である血液や唾液,粘
液,痰,尿,涙などの分泌液や排出液をサンプルとして用い,MAbのAFPレセ
プターに対する結合の度合いから,良性疾患と区別して癌の存在を知ることは当業
者が容易になし得たことであるというべきである。
さらに,引用刊行物に記載された乳房組織サンプルについても,癌が存在しうる
代表的な組織である卵巣,子宮,直腸,脳,肝臓及び骨をサンプルとして用い,同
様に,良性疾患と区別して悪性腫瘍の存在を確認することは当業者が容易になし得
たということができるから,原告の主張はいずれも失当である。
エ原告は,引用刊行物においては,「might」や「perhaps」のような不確実性
を示す語が用いられているから,引用刊行物の著者は「同様の結果が他のサンプル
をもってしても得られるというものではない」と認識していた旨主張するが,広範
囲の悪性腫瘍の検出のためのツールとして有用であることが証明されるかもしれな
いという記載がある以上,結果が得られるかどうか不確実であるかどうかは別とし
て,当業者が発明を創出する手助けとなる記載ということができるのであるから,
原告の主張は失当である。
また,原告は,臨床試験に多大な労力やコスト,時間,技術を要することを根拠
として,本願発明の容易性が否定される旨を主張するが,このような困難性は発明
の進歩性の判断における困難性とは別のものであるから,原告の主張は失当であ
る。
(2)取消事由2(顕著な作用効果の看過)に対して
原告は,本願発明が顕著な作用効果を奏するものであると主張するが,以下の理
由により誤りである。
ア原告は,本願発明によれば,「癌患者」と「良性疾患患者」を明確に区別す
ることができると主張する。
しかしながら,このことが本願明細書中で具体的なデータをもって示されている
実施例は,血清サンプルを用いた[例1]のみであり,その結果を示した[表1]
によると,癌種別の個体数は1∼2個体であるため,個体や疾患の種類によるバラ
ツキの影響を全く排除できていない。また,本願明細書中では閾値を54%として
いるが(甲第2号証25頁下から4∼3行,甲第7号証2頁16行),これは,乳
癌が肺へ転移した患者の胸水であるコート番号「P89」の測定値であり,原告も
主張するとおりAFPレセプターが比較的多量に含まれているものであって,一般
的な腫瘍マーカーの評価とも異なるものである。さらに,良性疾患のなかでも,良
性腫瘍は2例のみであり,数値も52%,54%と閾値とされる上記の値に近いも
のである。
したがって,本願明細書の不十分な個体数のデータをもって,AFPレセプター
が比較的多量に含まれている試料を閾値として判定している本願発明が従来の腫瘍
マーカーと比較して,「癌患者」と「良性疾患患者」を明確に区別できるものとい
うことはできない。
イ原告は,本願発明によれば,初期の癌を検出できると主張する。
しかしながら,本願明細書には,初期癌の検出については,「AFPレセプター
の発現は,解剖学的変化でなく,分化及び生化学的変化をもたらすように条件付け
られているので,他の点では正常に見えるが実際には腫瘍化の初期段階にある細胞
は,AFPレセプター検出テストで陽性を示すであろう。」(甲第2号証22頁2
1行∼23頁1行)と記載されているだけであり,具体的に初期癌の検出ができる
ことを確認した実施例等の記載はなく,そのような効果は不明であり,原告の主張
は失当である。
ウ原告は,本願発明によれば,広範囲にわたる様々な癌を検出できると主張す
る。
しかしながら,上記(1)ウのとおり,AFPレセプターは,癌細胞から放出され
るものであり,種々の組織の癌から放出されるAFPレセプターは,体中を隈無く
循環する血流にのると考えるのが自然であって,引用刊行物に「体液,特に血清に
おける検出可能量のAFPレセプターの存在は,広範囲の悪性腫瘍の診断とフォロ
ーアップに有用であることが証明され得るだろう。」(訳文22頁17∼19行)
との記載があることに加え,AFPレセプターが癌胎児性物質であり,広範囲の癌
の検出が可能であるという本件特許出願時の技術常識を踏まえると,サンプルを血
清とした場合に広範囲の癌の検出が可能であるという効果は当業者が予測するとこ
ろであるから,原告の主張は失当である。
エ原告は商業的成功について主張するが,原告が主張する簡便な癌検出ツール
は,本願発明の範囲外の構成を含むものであり,同ツールの商業的成功をもって本
願発明の効果ということはできない。
第4当裁判所の判断
1取消事由1(相違点2についての判断の誤り)について
(1)引用刊行物の記載
引用刊行物には,次の記載がある。
「アルファーフェトプロテイン(AFP)の細胞結合や取り込みに基づく蓄積された証ア
拠により,胎児性細胞および腫瘍細胞の表面上のAFPレセプターの存在が示されている。」
(訳文1頁4∼5行)
「AFPの取り込みと細胞分化の関係により[参考文献1∼17],悪性細胞が脱分化イ
するためにAFPレセプターや,多くの様々なタンパク質(腫瘍胎児性抗原)と代謝経路[参
考文献18]を再発現するであろうことが示唆された。癌細胞によるAFPの取り込みは,そ
の後においてinvitro[参考文献19∼21]とinvivo[参考文献22,23]の両方で
も確認された。悪性細胞におけるAFPレセプターの存在の直接的な証拠は,MCF−7ヒト
乳癌細胞株[参考文献24]とマウスYAC−1リンパ腫細胞株[参考文献25]を用いたス
キャッチャード解析から得られている。」(訳文2頁2∼8行)
「これらの報告[参考文献19∼25]は,多くの胎児性細胞と悪性細胞がAFPレセウ
プターを発現するが正常な成人細胞は発現しないことから,このレセプターは広く分布する真
の胎児性抗原であろうという考えを強く支持している。そのようなマーカーは,AFPの生理
学や細胞分化のメカニズムのさらなる研究と同様に,癌の診断や管理のために有用であること
が証明され得るだろう。」(訳文2頁9∼13行)
「今までのところ,AFPレセプターの検出はAFPの結合に頼ってきた。この戦略エ
は,腫瘍シンチグラフィーに有用であることは証明されているが[参考文献22,23],い
くつかの重要な弱点を有している:・・・AFPレセプターとそのAFPとの相互反応を研究
するためのより良いツールは,当該レセプターの結合部位に対するモノクローナル抗体(MA
b)であろう。そのようなMAbは,また,腫瘍診断やターゲッティングにおける用途も見付
け得るであろう。」(訳文2頁14∼22行)
「後者(判決注:訳文15頁以降の実験を指すものと認められる。)の結果は,167オ
H.1と167H.4が溶解形態のAFPレセプターを検出することを示す。これらMAbが
細胞表面AFPレセプターを認識することを確認するために,生存Ichikawa細胞をMAbと4
℃でインキュベートした後,ローダミンで標識したヤギ抗マウスIgMとインキュベートし
た。図6は,167H.4MAbとの反応性を示す(同様の結果は167H.1でも得られて
いる・・・)。観察されたキャピリングは,リガンドとしてAFPを用いた従前の観察[参考
文献19,21]と一致している。・・・これら実験の結果は,2つのMAbが細胞膜に結合
したAFPレセプターと溶解形のAFPレセプターの両方を検出することを示している。」
(訳文18頁12∼20行)
「図7は,胎児性,悪性および良性の組織を抗AFPおよび167H.4MAbで染カ
色したものを示す。・・・6つの悪性腫瘍試料中の6つが167H.4で強い陽性(そのうち
3つを図7c∼7eとして示す)を示した一方で,良性乳腺腫は陰性であることが示されてい
る(図7f)。2つの他の良性腺腫もまた陰性であった。癌試料において悪性組織のみが染色
された。このことは,浸潤癌細胞の索状構造が周囲の非悪性組織から明確に区別され得ている
図7cにおいて明らかである。」(訳文19頁20∼26行)
「AFPは,いったん膜レセプターとの複合体として内在化した場合,細胞質内におけキ
る高濃度KClにより促進されるプロセスを通じて解離されると考えられる。その結果フリー
となるレセプターは,少なくとも部分的に,臍帯血清,転移性乳癌からの胸膜滲出液,本研究
や他の研究[参考文献29,31]で用いられた細胞質の中に見出されるレセプターになると
考えられる。」(訳文21頁10∼14行)
「本研究において用いた臍帯血清や胸膜滲出液のような体液におけるAFPレセプターク
の存在は,癌細胞による活発な分泌の結果や細胞死の結果であり得るだろう。いずれの場合で
も,体液,特に血清における検出可能量のAFPレセプターの存在は,広範囲の悪性腫瘍の診
断とフォローアップに有用であることが証明され得るだろう。このことはまた,「結果」の項
に示したように,6つのパラフィン処理乳癌のうちの6つが167H.4MAbで陽性である
一方,3つの良性腺腫が陰性であるので,組織病理学研究においてもそうであり得る。多数の
試料について実施されたより詳細な研究によれば,167H.1または167H.4により染
色された場合[・・・],研究された全ての腺癌のほぼ90%が陽性であったことが示されて
いる。・・・167H.1と167H.4による異なるタイプの悪性腫瘍の認識は,他の種由
来の腫瘍を認識するそれらの能力と同様に,AFPレセプターと常に関連付けられる広範囲な
分布と合致している。即ち,この論文で記載したMAbは,AFP,そのレセプターおよび細
胞分化とそれらの関係の生理学を発展させるためのツールの他,おそらく広範囲の悪性腫瘍の
診断用や管理用のツールとして有用であると証明されるかもしれない。」(訳文22頁16行
∼23頁3行)
(2)上記(1)の引用刊行物の記載によると,引用刊行物には以下のような事項が
記載されているということができる。
ア引用刊行物の発表時点において既に報告されていた研究内容によると,悪性
細胞におけるAFPレセプターの存在は,複数種類の癌において確認されていた
(上記(1)ア,イ)。
イ既報告の研究において,悪性細胞の脱分化にAFPレセプターが関与するこ
とが示唆されていた(上記(1)イ)。
ウこれらを踏まえて,「多くの胎児性細胞と悪性細胞がAFPレセプターを発
現するが正常な成人細胞は発現しないことから,このレセプターは広く分布する真
の胎児性抗原であろう」との考えが強く支持される(上記(1)ウ)。
エまた,AFPレセプターの検出をAFPの結合に頼ることには問題があり,
AFPレセプターの結合部位に対するモノクローナル抗体(MAb)がより良いツ
ールとなり得ると考えられ(上記(1)エ),MAbを使用した試料検査において,
悪性腫瘍試料のすべてについて強い陽性を示す一方,良性乳腺腫では陰性であると
いう結果が得られた(上記(1)カ)。
オ実験の結果から,MAbのうちでも,167H.1と167H.4の2つが
細胞膜に結合したAFPレセプターと溶解形のAFPレセプターの両方を検出する
ことがわかった(上記(1)オ)。
(3)本願明細書における先行技術に関する記載
本願明細書には,マウス横紋筋肉腫,マウスの神経芽細胞腫,マウス及びヒトの
乳癌,マウスのTリンパ腫,ヒトのT細胞リンパ腫及びB細胞リンパ腫,フィトヘ
ムアグルチニンにより活性化されるヒトのTリンパ球,ヒトの悪性腫瘍単核細胞株
U937及びHT29ヒトの結腸癌細胞群において,AFP取り込みの発現,つま
りAFPレセプターの存在を示す直接的証拠が示されてきたこと,これらの発見に
より,AFPレセプターは,腫瘍の種類よりもむしろ悪性腫瘍の状態と関係づけら
れ,胎児腫瘍の抗原として広く採用されていることが記載されている(甲第2号証
10頁3行∼11頁20行)。
このことによると,本件特許出願前の時点において,AFPレセプターが多くの
種類の癌に存在することが当業者に明らかになっていたものと認められる。
(4)上記(1)∼(3)によると,本件特許出願当時の当業者は,上記(1)の引用刊行
物の記載に接することにより,上記(2)の各事項の記載があるものと認識するとと
もに,上記(1)クの「体液,特に血清における検出可能量のAFPレセプターの存
在は,広範囲の悪性腫瘍の診断とフォローアップに有用であることが証明され得る
だろう。」,「この論文で記載したMAbは,AFP,そのレセプターおよび細胞
分化とそれらの関係の生理学を発展させるためのツールの他,おそらく広範囲の悪
性腫瘍の診断用や管理用のツールとして有用であると証明されるかもしれない。」
との各記載によって,研究の方向性について示唆を受けることとなり,さらに,上
記(3)のとおり,AFPレセプターが多くの種類の癌に存在することについても認
識したものと考えることができる。
そうすると,そのような当業者が,引用刊行物に記載された乳癌や良性乳腺腫の
ような生体サンプルにとどまらず,より広く,卵巣,子宮,直腸,脳,肝臓,血
液,唾液,粘膜,痰,尿,涙,血清及び骨で構成される群から選択された生体サン
プルを獲得して癌の検出を試みることは,自然な思考に基づくものであるから,当
業者が,引用刊行物に記載された発明について,相違点2に係る本願発明の構成に
想到することは容易であると考えられる。
しかるところ,原告は,取消事由1に関する主張において,何点かの理由を挙げ
て,そのように判断することはできないと主張するので,以下において,順に検討
する。
(5)癌患者と良性疾患患者の区別について
原告は,記載(d)の実験においては,「悪性細胞」と「正常細胞」を区別してい
るのみであり,本願発明のように「悪性細胞」と「良性疾患細胞」を区別している
ものではないから,この記載から「癌患者」と「良性疾患患者」を区別する本願発
明を容易に想到することができないと主張する。
しかしながら,癌の検出という目的に照らして,癌と良性疾患とを区別できるこ
とが必要であることは明らかであり,現に,上記(1)カのとおり,引用刊行物に
は,組織サンプルについてではあるが,乳癌患者と良性乳腺腫患者を識別できるこ
とが記載されているのである。
さらに,平成元年10月30日発行の「臨床検査」33巻11号所載の「“腫瘍
マーカー”の検査」と題する記事(乙第1号証)は,河合忠ほか数名の研究者が分
担して執筆したものであるが,その「総論」の「概説」部分には,腫瘍マーカーの
いくつかは,癌と良性腫瘍との鑑別に画像診断技術と併用してかなりの効果を挙げ
ていることが記載されている(1322頁右欄21∼24行)ほか,個別の腫瘍マ
ーカーに係る「各論」の部分には,CEA(1332頁表1),TPA(1336
頁図3),BFP(1340頁図3,1341頁右欄表)等の腫瘍マーカーについ
て,癌患者と健常人の陽性率(又は陰性率)に加え,各種良性疾患患者の陽性率の
測定値が掲げられており,このことに,上記記事が腫瘍マーカーに関する一般的な
解説をしたものであることを併せ考えれば,腫瘍マーカーについては,癌患者と健
常人の陽性率(又は陰性率)のみならず,良性疾患患者の陽性率いかんも併せて臨
床成績が評価されている実態があると認められ,引用刊行物に接した当業者が期待
する「広範囲の癌の検出の可能性」には,癌と良性疾患とを識別できることも含ま
れるというべきであるから,原告の主張は失当である。
(6)引用刊行物記載の方法の一般化について
次に,原告は,引用刊行物の記載を一般化して本願発明について容易想到である
ということはできないと主張するので,この点について検討する。
ア乙第1号証の記載
上記「臨床検査」33巻11号所載の「“腫瘍マーカー”の検査」と題する記事
(乙第1号証)には,「総論」の「概説」部分に,腫瘍マーカーについて,「便宜
的に,ⓐ多臓器の癌に陽性を示すもの(broad-spectrumtumormarkers)とⓑ特定の
臓器癌に特に陽性率が高いもの(relativelyorgan-specifictumormarkers)に分
けることができる。前者のbroad-spectrumtumormarkersというのは,ある特定
の癌に高い陽性率を示すわけではなく,いろいろな臓器の癌で陽性を示す。例え
ば,β2−ミクログロブリン,フェリチン,CEA,TPA,尿中ポリアミンなど
がある。」(1321頁右欄13∼21行)との記載があるほか,個別の腫瘍マー
カーに係る「各論」の部分において,CEAにつき,「CEAは大腸・直腸癌だけ
でなく,胃癌,乳癌,肺癌などの多くの腺癌と甲状腺髄様癌でも産生される。」
(1331頁左欄16∼∼18行)との記載が,TPAにつき,「乳癌,肺癌,食
道癌,胃癌,肝癌,胆嚢・胆管癌,膵癌,大腸癌などの消化器系の各種癌および卵
巣癌,子宮癌,前立腺癌などの生殖器系の癌や,膀胱癌,腎癌など尿路系癌で高率
に陽性を示す。」(1337頁左欄9∼13行)との記載が,BFPにつき,「B
FPは生化学,免疫組織化学的研究により,胃癌,結腸癌,原発性肝細胞癌,肺
癌,乳癌,腎癌,膀胱癌,睾丸癌,子宮癌,卵巣癌,白血病細胞など広範囲の諸種
の悪性腫瘍に存在し」(1338頁「3)BFP」の項左欄7∼10行)との記載が,
それぞれあり,これらの記載に,上記のとおり,上記記事が腫瘍マーカーに関する
一般的な解説をしたものであることを併せ考えれば,本件特許出願当時,当業者
は,腫瘍マーカーについて,特定の臓器の癌に特に陽性率が高い(臓器特異性の高
い)ものもあれば,多種類の臓器の癌で陽性を示す(臓器特異性が低い)ものも存
在することを認識していたものと認められる。
そして,このことを踏まえつつ,当業者が引用刊行物に接した場合に,以下のと
おり,引用刊行物に記載された方法を,相違点2に係る「卵巣,子宮,直腸,脳,
肝臓,血液,唾液,粘膜,痰,尿,涙,血清及び骨で構成される群から選択された
生体サンプル」に適用することについて,原告主張の阻害事由があるということは
できない。
イ相違点2に係る組織サンプルへの適用
原告は,記載(f)は乳房組織についての結果であり,この結果をもって,当業者
が,本願発明に係る卵巣や子宮その他の器官へと適用対象を一般化することは容易
ではない旨主張する。
しかしながら,上記(3)のとおり,本件特許出願前の時点において,AFPレセ
プターが多くの種類の癌に存在することが,当業者に明らかになっており,また,
引用刊行物において,上記(1)クのとおり,体液に関してではあるが,AFPレセ
プターの存在が広範囲の悪性腫瘍の診断等に有用であることが示唆されている以
上,同カに記載された,MAbを用いることにより,乳癌組織が染色され,良性乳
腺腫組織は染色されなかったとの実験結果に基づく乳癌の検出方法を,癌が発生す
る代表的な組織である「卵巣,子宮,直腸,脳,肝臓,粘膜及び骨」の組織サンプ
ルに対して適用することは自然であり,何ら困難性は見出せないから,原告の主張
を採用することはできない。
ウ相違点2に係る体液等のサンプルへの適用
原告は,記載(f)(上記(1)ク)における臍帯血清及び胸膜滲出液を用いた実験に
関し,臍帯血清は胎児に特有のものであり,AFPレセプターが含まれていること
は当然であるほか,胸膜滲出液も,乳癌や肺癌に伴って生じるものであり,AFP
レセプターが比較的多量に含まれているのが当然であるが,(癌患者の血清,血
液,唾液,粘液,痰,尿及び涙等の通常の)体液中には,AFPレセプターが検出
可能なほど豊富に含まれているとは一般的に考えにくいと主張する。
しかしながら,引用刊行物には,上記(1)オのとおり,AFPレセプターに対す
るMAbが,細胞膜に結合したAFPレセプターと溶解形のAFPレセプターの両
方を検出することが記載されているところ,同キにはAFPレセプターが臍帯血清
や胸膜滲出液だけでなく他の研究で用いられた細胞質の中に見出されるプロセスに
ついて記載され,同クの記載によると,臍帯血清及び胸膜滲出液を用いた溶解形A
FPレセプターの検出の実験は,広範囲の悪性腫瘍の診断とフォローアップに応用
するための予備実験的なものとして位置付けられるから,癌患者の体液等中に,A
FPレセプターが存在する可能性があるのであれば,引用刊行物に記載された検出
方法を,癌患者の体液等に適用する動機付けは十分に存在するものと認められる。
そして,癌患者の体液等中に検出可能な程度のAFPレセプターが存在するかど
うかは,実験により自ずと明らかになる事項であるから,引用刊行物の記載を臍帯
血清及び胸膜滲出液以外の体液等に適用することに何ら障害はなく,原告の主張を
採用することはできない。
エIchikawa細胞について結果の生体サンプルへの適用
原告は,記載(d)(上記(1)オ)に係る実験はIchikawa細胞を用いたものであり,
このような培養細胞による実験について,実際の生体サンプルでも同じ結果が得ら
れるとは考えられない旨主張する。
しかしながら,上記(1)オ,キ及びクのとおり,引用刊行物には,臍帯血清にお
いてAFPレセプターの検出に成功した実験例が記載されており,引用刊行物には
「IgM産生クローンである167H.1と167H.4が,AFPのレセプター
への結合を阻害することが見出された。逆に,MAb反応は過剰のAFPにより阻
害されたが,等モル濃度の血清アルブミンによっては阻害されなかった。」(訳文
1頁9∼12行)との記載もあって,血液や血清中の代表的なタンパク質である血
清アルブミンが,MAbとAFPレセプターとの結合を阻害しないことについて確
認されているのであるから,少なくとも,血液ないしは血清を用いた場合に,血清
アルブミンの存在がAFPレセプターの検出の妨げとはならないことが示されてい
るということができる。
そうすると,引用刊行物におけるこの実験例は,血清を生体サンプルとすること
を念頭に置いた予備実験と位置付けることができるものであり,引用刊行物の実験
がIchikawa細胞のような培養細胞によるものであることを理由として,引用刊行物
に記載された検出方法を他の生体サンプルに適用することができないとする理由は
ないばかりでなく,むしろ,血清を生体サンプルとすることを示唆しているという
ことができるのであるから,原告の主張は到底採用することができない。
(7)原告は,引用刊行物の原文では「might」や「perhaps」という不確実性を示
す語があえて用いられており,引用刊行物の共同執筆者でもある原告は「同様の結
果が他のサンプルをもってしても得られるというものではない」と認識していたこ
とを根拠として,審決は容易想到性の判断を誤ったと主張する。
しかしながら,ある発明がある文献に基づいて容易に想到し得るかどうかを判断
するに当たっては,その文献に接した当業者が,その記載に基づいて一定の技術的
事項について認識し,示唆を与えられるかどうかが問題となるというべきであり,
ある文献に「might」や「perhaps」という不確実性を示す語が用いられていること
によって,その文献を容易想到性の根拠とすることができなくなるわけではない。
そして,上記(3)のとおり,AFPレセプターが,複数種類の癌細胞に存在する
ことが明らかとなっていた状況において,上記(6)のとおり,腫瘍マーカーには臓
器特異性の低いものも存在することを認識していた当業者が,上記(2)のとおり,
AFPレセプターが真の胎児性抗原であり,その検出方法について様々な癌の診断
における有用性を期待し得ることが記載された引用刊行物に接すれば,MAbによ
るAFPレセプターの検出が広範囲の癌の検出に適用できる可能性を期待するのが
むしろ自然であると考えられる。
そして,引用刊行物中に不確実性を示す語が使用されており,MAbによるAF
Pレセプター検出の有用性についての引用刊行物の記載は,その可能性を示すにす
ぎないものであるとしても,上記の判断は何ら変わるところがないのであり,原告
の主張を採用することはできない。
また,原告は,引用刊行物中にMAbによるAFPレセプター検出の「応用の可
能性」についての記載があったとしても,臨床試験には多大な労力やコスト,時
間,技術を要するのであり,引用刊行物の記載をもって,当業者であれば実験を開
始することができるということにはならないと主張する。
一般に,医学上の発見や発明について,臨床試験を経て医療診断に活用するに至
るためには,多くの労力が費やされるだけでなく,その段階に応じた創意工夫が必
要となるものと認められる。
しかしながら,このような経過についての創意工夫は,癌検出方法に関する本願
発明に係る技術的思想の創作とは別のものであり,本願発明の容易想到性の判断に
影響を与えるものではないから,原告の主張は失当である。
(8)以上によると,上記(4)のとおり,当業者が,引用刊行物に記載された発明
に基づいて,本願発明の相違点2に係る構成に想到することは容易であると考えら
れ,上記(5)∼(7)のとおり,取消事由1に係る原告の各主張はいずれも採用するこ
とができないから,審決の相違点2についての判断に誤りはなく,取消事由1は理
由がない。
2取消事由2(顕著な作用効果の看過)について
(1)癌患者と良性疾患患者の明確な区別
原告は,本願明細書の実施例である[例1](甲第2号証23頁7行∼27頁5
行,甲第7号証2頁15∼17行)の記載に基づき,本願発明が,癌患者と良性疾
患患者を明確に区別することができ,そのような高い感度は,従来の腫瘍マーカー
と比較して極めて優れていると主張する。
しかるところ,上記本願明細書の[例1]及び図1(甲第2号証添付)には,癌
患者及び癌なし患者の各血清サンプルにつき,Mabを用いてAFPレセプターの
検出をする実験において,陽性と陰性の閾値を54%に設定した場合に,癌患者1
6例中15例に係るサンプルが陽性を示したことが記載されており,その感度(陽
性率)は約94%となる。
他方,上記1(5)の「臨床検査」33巻11号所載の「“腫瘍マーカー”の検
査」と題する記事(乙第1号証)には,個別の腫瘍マーカーに係る「各論」の部分
において,CEAにつき,「CEA抗体には違った抗原決定基と反応するものがあ
り,抗体によってはNCAなどCEA以外の関連抗原も同時にとらえてしまうた
め,どの試薬を使用するかで測定値が違う。同じメーカーでもRIA法とEIA
法,モノクローナル抗体法で異なる値になり,同じカットオフ値を用いているキッ
トでも,癌の陽性率(感度)と非癌での偽陽性率が違う。自分の用いる試薬の正常
値と特異性を知り,患者のフォローにはいつも同じ方法で値を比較する必要があ
る。」(1331頁右欄2∼10行)との記載があり,「主要なCEA試薬と正常
値」と題する表1(1332頁)には,11種のCEA試薬に係る感度(陽性率)
の最大値が75%(キット名・ファデバスCEA,発売元・塩野義製薬,測定原理
・サンドイッチ)であり,最小値が53%(キット名・リアグノストCEA,発売
元・ヘキスト,測定原理・サンドイッチ)であることが示され,また,同様に「各
論」の部分において,TPAにつき,「健常人および各種悪性疾患患者における血
中TPA濃度と陽性率」と題する図2(1335頁)に,各種臓器の癌における陽
性率が,頭頸部癌(甲状腺癌を除く)32.3%,甲状腺癌18.5%,乳癌2
3.1%,肺癌63.6%,食道癌38.2%,胃癌45.1%,肝癌82.5
%,胆嚢・胆管癌73.3%,膵癌62.8%,大腸癌48.0%,卵巣癌47.
0%,子宮癌16.5%,膀胱癌62.5%,前立腺癌78.6%,腎癌37.5
%と示されているほか,TPAについては,「総論」の「概説」部分においても,
「いろいろな臓器癌における各種腫瘍マーカーの平均的な陽性率」と題する図1
(1322頁)に,その陽性率が食道癌と胃癌を除く各種臓器癌について75%∼
85%程度であることが示されている。
これらの記載ないし図示によれば,同じ腫瘍マーカーに関する検出方法であって
も,用いる試薬や測定法によって,測定値や感度が異なるものであり,実際,CE
A試薬の感度については53%∼75%の数値が示されているほか,TPAの陽性
率(感度)についても大きな開きがあることが認められる。
したがって,本願明細書の[例1]に示された,感度(陽性率)を約94%とす
る実験結果は,AFPレセプターが優秀な腫瘍マーカーである可能性を示唆するも
のであっても,この実験結果のみから,直ちに,本願発明に係る腫瘍マーカーが,
従来の腫瘍マーカーに比べて格段に優れたものであるとまでは認めることはできな
いから,このことを前提とする原告の主張を採用することはできない。
(2)初期の癌の検出
原告は,本願発明は,解剖学的変化など,他の点では正常に見えるが,実際には
初期段階の腫瘍である細胞を検出することができるのであり,従来の腫瘍マーカー
に初期の癌を検出できるものは皆無であったことから,本願発明の効果は実用上極
めて有用なものであると主張する。
原告が上記主張の根拠とする本願明細書の記載は次のとおりである。
「陰性の対照グループに入っていた患者(表中にはない)は陽性を示した。得られたデータ
結果の重要性に注意を喚起され,担当医は,患者をCATでスキャンし,悪性の腎癌となって
いる腫瘍を発見した。この悪性腫瘍は,このテストで最初に発見され,それから臨床的に確認
された。」(甲第2号証26頁20行∼27頁1行)
しかしながら,上記の記載中の悪性の腎癌がどのような段階の癌であったかは,
本願明細書には記載がなく,初期段階で発見されたとする根拠はない上,この患者
がどのようなテストで陰性と判断されたか,また,そのように判断された原因は何
かという点も不明であり,上記記載に係る1例をもって本願発明に係る検出方法
が,解剖学的変化等では正常に見えるが,実際には初期段階の腫瘍を検出できるこ
とが示されているということはできない。
なお,2007年(平成19年)9月ないし10月のウエブ情報であるバイオキ
ュレックス社のプレスリリース(甲第17,第18号証)には,「RECAF血液
テスト」が初期の乳癌,前立腺癌等を検出する旨の実験結果が記載されているが,
同プレスリリースには,その記載に係る実験の内容(「RECAF血液テスト」の
構成,実験の条件,実験手順等)について具体的な記載はなく,当該実験結果が本
願発明の構成に基づく効果であると認めることはできない上,そもそも,本願明細
書に記載がない初期癌の検出を(上記腎癌の例が初期癌の検出に関するものと認め
難いことは上記のとおりである。),上記プレスリリースの記載に基づき本願発明
の効果として主張することはできない。
したがって,原告の主張を採用することはできない。
(3)広範囲の癌の検出
原告は,本願発明においては,生体サンプルとして規定されているものの中に,
血液や血清などの体液が含まれており,これらの体液をサンプルとして用いれば,
特異性の高い従来の腫瘍マーカーとは異なり,広範囲にわたる様々な癌を検出でき
ると主張する。
しかしながら,上記1(4)のとおり,引用刊行物に接した本件特許出願当時の当
業者が,引用刊行物に記載された乳癌や良性乳腺腫のような生体サンプルにとどま
らず,より広く,卵巣,子宮,直腸,脳,肝臓,血液,唾液,粘膜,痰,尿,涙,
血清及び骨で構成される群から選択された生体サンプルを獲得して癌の検出を試み
ることは,自然な思考に基づくものであると認められるのであり,このような思考
に基づいて検証した結果,AFPレセプターの臓器特異性の低い腫瘍マーカーとし
ての性質が確認されたとしても,このことをもって格別な効果であるということは
できない(なお,本件特許出願時において,腫瘍マーカーについては,臓器特異性
の高い腫瘍マーカーもあれば,臓器特異性の低い腫瘍マーカーも存在すると認識さ
れていたものと認められることは,上記1(6)アのとおりである。)。
また,原告は,引用刊行物には「体液,特に血清における検出可能量のAFPレ
セプターの存在は,広範囲の悪性腫瘍の診断とフォローアップに有用であることが
証明され得るだろう」との記載があるが,憶測の域を出るものではなく,原文でも
「might」という不確実な語が用いられていると主張する。
しかしながら,上記1(7)のとおり,引用刊行物の示唆の内容が「might」などの
用語の使用によって影響を受けるものではないところ,原告の主張する効果は,本
願発明において体液等のサンプルから癌を検出するという手法を採用したことによ
る効果そのものであるから,上記に説示したのと同様の理由により,格別なものと
いうことはできない。
(4)商業的成功
原告は,本件特許出願後,本願発明の発明者である原告は,更に研究を進め,簡
便な癌検出ツールの開発に至り,原告が最高経営責任者を務めるバイオキュレック
ス社が,この種商品に関し,アボット社と業務提携をしており,簡便で初期癌をも
高感度で検出できる本願発明を用いた商品は,今後莫大な利益を生む可能性がある
と主張する。
しかしながら,バイオキュレックス社及びアボット社のプレスリリース(甲第1
5∼第21号証)の内容によると,本願発明に基づいて商業化が進められているこ
とが認められるものの,これらの証拠はそもそも商業的に成功したことを示すもの
ではないから,原告の主張は前提を欠くというべきである。
(5)以上によると,本願発明が,引用刊行物に記載された発明との比較におい
て,格別な作用効果を奏すると認めることはできず,審決の判断に誤りはないか
ら,取消事由2は理由がない。
第5結論
以上の次第で,原告主張の取消事由はいずれも理由がないから,原告の請求を棄
却すべきである。
知的財産高等裁判所第4部
裁判長裁判官
石原直樹
裁判官
榎戸道也
裁判官
杜下弘記

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