弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     本件上告を棄却する。
         理    由
 東京高等検察庁検事長の上告趣意は、原判決が被告人Aにつき、「第一審判決認
定の如き、失業保険法違反の保険料不納付の事実が証拠上明らかであるとしても、
納付義務者の義務の履行につき期待可能性を欠くことを理由として、これを故意に
よるものとするに由なく、保険料不納付の公訴事実たるや、結局犯罪の証明なきに
帰する」旨論断している点において、従来の大審院、最高裁判所、高等裁判所の各
判例に反する判断をしたというに帰する。しかし、引用の諸判例は、いずれも、そ
の挙示の証拠により、犯罪事実を認定するに当り、情状の斟酌、法令の解釈その他
に関し必要な説示、判断を示したに止まり、判文中期待可能性の文字を使用したと
しても、いまだ期待可能性の理論を肯定又は否定する判断を示したものとは認めら
れない。されば、所論判例違反の主張はその前提を欠くものであつて、採るを得な
い。
 (なお、念のため、本件に関する失業保険法の適用に関する当裁判所の意見を附
加する。失業保険法(昭和二四年法律八七号による改正前のもの)三二条は「事業
主は、その雇用する被保険者の負担する保険料を納付しなければならない」と規定
し、同条の規定に違反した者に対する罰則規定として、同法五三条は、事業主が同
条二号の「第三十二条の規定に違反して被保険者の賃金から控除した保険料をその
納付期日に納付しなかつた場合」に該当するときは、六箇月以下の懲役又は一万円
以下の罰金に処することを定め、同法五五条は、法人の代表者又は法人若しくは人
の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の事業に関し、前記の違反行
為をしたときは、行為者を罰するの外、その法人又は人に対し、前記本条の罰金刑
を科する旨を定めている。そして、右五三条が、右五五条により本件のごとき法人
又は人の代理人、使用人その他の従業者に適用せられる場合の法意を考えてみるに、
五三条二号に「被保険者の賃金から控除した保険料をその納付期日に納付しなかつ
た場合」というのは、法人又は人の代理人、使用人その他の従業者が、事業主から
保険料の納付期日までに被保険者に支払うべき賃金を受けとり、その中から保険料
を控除したか、又はすくなくとも事業主が保険料の納付期日までに、右代理人等に、
納付すべき保険料を交付する等、事業主において、右代理人等が納付期日に保険料
を現実に納付しうる状態に置いたに拘わらず、これをその納付期日に納付しなかつ
た場合をいうものと解するを相当とし、そのような事実の認められない以上は、事
業主本人、事業主が法人であるときはその代表者が、五三条二号、五五条により三
二条違反の刑責を負う場合のあるのは格別、その代理人、使用人その他の従業者に
ついては、前記五三条に規定する犯罪の構成要件を欠くものというべきである。し
かるに、原審が引用し、そしてそれを是認した第一審判決の認定事実によれば、「
被告人Aが、被告人会社の代理人として、判示の如く納付期日に右保険料を納付し
なかつたのは、本件発生当時の被告人会社の経理状況が終戦後のインフレーシヨン
と統制経済による原料価格と、製品価格との不均衡、過剰従業員による人件費の増
大等に基く事業採算の困難、一般生活費の高騰に基因する従業員の賃上要求による
長期間のストライキから生じた生産低下等により、唯さえ経理の困難さが存在した
のに、之が延いては金融機関よりの融資の円滑を妨げる材料となり、益々経理状況
に悪化を加えられていた事情もあつて、被告人会社の本店からの送金が遅れていた
反面、前記工場長たる被告人Aの自由裁量を許される手許資金もなく、又独自の権
限で融資を受ける方法等もなかつた状態の下に起つたことが認められる」というの
であつて、右のような事実関係の下においては、被告人会社は、その代理人たる被
告人Aに、本件保険料を、その納付期日までに交付したことも認められず、その他
被告人会社において被告人Aが、右保険料を納付期日に現実に納付しうる状態に置
いたことも認められない。しからば、被告人Aが本件保険料をその納付期日までに
納付しなかつたとしても、それが失業保険法三二条違反として、同法五三条二号、
五五条に該当するものと認められないことは、既に説示した同条項の法意に照らし
明らかであつて、被告人Aは、犯罪構成要件を欠き無罪たるべきものであり、行為
者たる同被告人が無罪である以上、被告人会社も同法五五条の適用を受くべき限り
でなく、これまた無罪たるべきものである。原判決は、その理由において当裁判所
の判断と異なるところがあるが、その結論は結局正当たるに帰する。なお、当裁判
所は、第一次の控訴審が第一審判決の法令解釈に誤があるとしてこれを破棄、差し
戻し、第二次の第一審および控訴審が右判断に従つた場合においても、上告審たる
最高裁判所は右第一次の控訴審の法律判断に拘束されるものではないとの見解に立
つものである。昭和二九年(あ)第四九九号、同三二年一〇月九日大法廷判決、刑
集一一巻一〇号二五二〇頁参照)
 よつて同四〇八条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
  昭和三三年七月一〇日
     最高裁判所第一小法廷
         裁判長裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    斎   藤   悠   輔
            裁判官    下 飯 坂   潤   夫

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