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平成10年(行ケ)第79号 審決取消請求事件
平成13年6月12日口頭弁論終結
判決
  原      告エアー.プロダクツ.アンド.ケミカ
ルス.インコーポレーテッド
訴訟代理人弁護士  宇  井  正  一
同弁理士     古  賀  哲  次
  被      告  特許庁長官 及 川 耕 造
指定代理人     沼  澤  幸  雄
同  藤  井  俊  二
同  大  橋  良  三
同     大  野  覚  美
主文
 特許庁が平成6年審判第3987号事件について平成9年10月13日
にした審決を取り消す。
 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
 主文と同旨
2 被告
 原告の請求を棄却する。
 訴訟費用は原告の負担とする。
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
 原告は,1987年12月14日アメリカ合衆国においてした特許出願に基
づく優先権を主張して,昭和63年12月14日,発明の名称を「酸素,窒素とア
ルゴンから成る混合物の極低温蒸留による分離法と極低温蒸留装置の改良法」とす
る発明(発明の名称は,その後の補正により,「酸素,アルゴンの極低温分離方
法」とされた。)について特許出願をしたが,平成5年11月18日に拒絶査定を
受けたので,平成6年3月7日,これを不服として審判を請求した。特許庁は,こ
れを平成6年審判第3987号事件として審理し,平成7年12月6日には出願公
告をしたものの(特公平7-113514号),その後,日本酸素株式会社他から
特許異議の申立てを受け,審理の結果,平成9年10月13日,「本件特許異議の
申立ては,理由があるものとする。」との特許異議決定をすると同時に,同日,
「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,同年11月19日にその謄
本を原告に送達した。なお,出訴のため90日の期間が附加された。
2 特許請求の範囲(請求項1。以下,請求項1に係る発明を「本願発明」とい
う。)
「少なくとも1塔を有する蒸留塔系の少なくとも1つの領域において,酸素及
びアルゴンを含む液体流と酸素及びアルゴンを含む気体流を混合して,液体流の酸
素を富化しかつ液体流からアルゴンを除去するとともに,気体流のアルゴンを富化
しかつ気体流から酸素を除去する物質移動を行い,当該領域の気相アルゴン濃度が
0.6~75容積%の範囲内であることを含む,極低温蒸留法による,酸素及びア
ルゴンの混合物の分離法であって,
 前記領域における液体流と気体流の前記混合を構造化充填物(不規則充填物ある
いは非促進型規則充填物と比較して,主プロセス流方向に垂直な方向の液体及び/
又は気体の混合を実質的に促進する規則充填物を指称する)を用いて行い,かつ前
記領域の気体比重空塔速度を少なくとも0.06フィート/秒(1.8cm/秒)
とすることを特徴とする酸素及びアルゴンの混合物の分離方法」(別紙図面(1)参
照)
3 審決の理由
 審決の理由は,別紙審決書の写しのとおりである。要するに,本願発明は,
国際公開W087/06329号パンフレット(甲第4号証。以下「引用刊行物
1」という。)に記載された技術(以下「引用発明1」という。),米国特許第4
296050号明細書(甲第5号証。以下「引用刊行物2」という。)に記載され
た技術(以下「引用発明2」という。),1973年発行「Reliabilit
y and safety of air separation plant」
18頁ないし27頁(甲第6号証。以下「引用刊行物3」という。)に記載された
技術(以下「引用発明3」という。),1978年発行「PROGRESS IN
 REFR1GERATION SCIENCE AND TECHNOLOG
Y」567頁ないし577頁(甲第7号証。以下「引用刊行物4」という。)に記載
された技術(以下「引用発明4」という。),1968年発行「CHEM1CAL A
ND PETROLEUM ENGINEERING」第4号,304頁ないし3
06頁(甲第8号証。以下「引用刊行物5」という。)に記載された技術(以下
「引用発明5」という。)に基づいて当業者が容易に発明することができたもので
あるから,特許法29条2項に該当し特許を受けることができない,とするもので
ある。
 なお,審決が本願発明と引用発明1との相違点として列挙する4点を,本判決に
おいても審決と同様に相違点(1)などと呼ぶことにする。
第3 原告主張の審決取消事由の要点
 審決の理由中,1(手続の経緯・本願発明の要旨)及び2(引用例)は認め
る。3(対比・判断)及び4(むすび)は争う。
 審決は,本願発明の要旨認定を誤り(取消事由1),相違点(2)及び(4)について
の進歩性の判断を誤り(取消事由2及び同3),その結果,当業者が容易に本願発
明に想到し得たと誤った判断をしたものであって,これらの誤りが審決の結論に影
響を及ぼすことは明らかであるから,取り消されるべきである。
1 取消事由1(本願発明の要旨認定の誤り)
(1) 本願発明は,「酸素及びアルゴンを含む液体流と酸素及びアルゴンを含む
気体流を混合して,液体流の酸素を富化しかつ液体流からアルゴンを除去するとと
もに,気体流のアルゴンを富化しかつ気体流から酸素を除去する物質移動を行い,
当該領域の気相アルゴン濃度が0.6~75容積%の範囲内である」との構成要件
(以下「構成要件B」という。)を満たす「(少なくとも1塔を有する蒸留塔系の
少なくとも)1つの領域」という特定の領域(以下「本件特定領域」という。)に
「構造化充填物(不規則充填物あるいは非促進型規則充填物と比較して,主プロセ
ス流方向に垂直な方向の液体及び/又は気体の混合を実質的に促進する規則充填物
を指称する)」(以下「促進型規則充填物」という。)を使用し,しかも,「前記
領域の気体比重空塔速度を少なくとも0.06フィート/秒(1.8cm/秒)」
という構成要件(以下「構成要件E」という。)を満たす気相速度とした「極低温
蒸留法による,酸素及びアルゴンの混合物の分離法」であって,従来の蒸留トレイ
に匹敵する低HETP(Height Equivalent to Theor
etical Plate)になり,高HETPの場合のようなペナルティーなし
で低圧損(圧力損失)等の利益を享受するという,予想外の効果を奏するものであ
る。
 本願発明は,上記のとおり,構成要件B及びEを満たす本件特定領域に促進型規
則充填物を使用することを特徴とし,本願発明の特有の効果,すなわち,HETP
が従来の蒸留トレイに匹敵するものとなり,塔高さや充填物量の増加などの短所
(ペナルティー)なしで,圧力損失及び消費電力の低減という効果を得ることが可
能になり,これ以外の領域に使用した場合には,上記効果が得られないのみなら
ず,上記短所が生じるのである。
(2) 審決は,本願発明の構成要件Bにおける「当該領域の気相アルゴン濃度が
0.6~75容積%の範囲内であることを含む,」の文言について,これで一つの
まとまった文章であり,「気相アルゴン濃度」が主語,「含む」が述語であって,
本願発明のアルゴン濃度につき,気相アルゴン濃度は「0.6~75容積%の範囲
内」に限定されない意味である,と解釈している([相違点(1)について]の認定判
断参照)。しかし,この解釈は,明らかに誤っており,審決は,本願発明の要旨認
定を誤ったものである。
 本願発明に係る特許請求の範囲を正しく文理解釈したとき,「含む」の主語が,
「(当該領域の)気相アルゴン濃度」ではなく,「(酸素及びアルゴンの混合物
の)分離法」であることは,明らかである。本願発明は,「少なくとも1つの領
域」という本件特定領域において,「気相アルゴン濃度」が「0.6~75容積%
の範囲内」に限定される構成を採用しているのであり,当該領域の気相アルゴン濃
度が,0.6~75容積%の範囲外であることを許容すると解釈することはできな
い。
 審決は,上記のとおり,本願発明の要旨認定を誤った結果,引用発明1の蒸留塔
系中のどこかに,本願発明の構成要件Bを満たす領域が存在するかどうかというこ
とを検討しているだけで,引用発明1の蒸留塔系中の特定の領域において,「気相
アルゴン濃度」が「0.6~75容積%の範囲内」に限定される構成となっている
か否かを,全く検討していない。
 したがって,本願発明の上記要旨認定の誤りが,審決の結論に影響を及ぼすこと
は明らかである。
(3) また,審決は,本願発明の特許請求の範囲の「前記領域における液体流と
気体流の前記混合を構造化充填物・・・を用いて行い,」との記載に関し,本願発
明における促進型規則充填物の使用領域について,本件特定領域に限定されている
ものではなく,同領域を含む広い範囲において使用され得るものであると解釈して
いる([相違点(3)について]の認定判断参照)。しかし,この解釈も,明らかに誤
っており,審決は,この点でも,本願発明の要旨認定を誤ったものである。
 本願発明の特許請求の範囲には,上述したとおり,促進型規則充填物を,構成要
件B及びEを満たす本件特定領域に使用すると記載されているのであるから,本願
発明においては,促進型規則充填物を使用し得る領域にはおのずから限界がある,
と解釈すべきであり,本件特定領域を超える広い範囲においてまで促進型規則充填
物を使用し得ると解釈するのは不当である。
 確かに,本願発明は,特許請求の範囲の記載上は,構成要件B及びEを満たす本
件特定領域に促進型規則充填物を使用するとしているのみであり,本件特定領域以
外の領域にも促進型規則充填物を使用することを積極的に排除することはしていな
い。
 しかし,上記領域以外の領域において促進型規則充填物を使用した場合,本願発
明の効果は得られず,ペナルティーが生じるものであるから,本願発明において促
進型規則充填物の使用領域が本件特定領域を超える広い範囲に及び得るとする解釈
は,極めて不合理である。同時に,促進型規則充填物を本件特定領域以外の領域に
使用した場合,多少のペナルティーが生じても,本件特定領域に使用したのと類似
する効果を多少享受することができるから,本願発明において促進型規則充填物を
構成要件B及びEを満たす本件特定領域だけに使用しそれ以外の領域では全く使用
しないと厳しく限定したならば,第三者は,本件特定領域と,それ以外のわずかな
領域に促進型規則充填物を使用することによって,本願発明の権利範囲から容易に
逃れることができることになる。このような意味での限定は,本願出願人として到
底受け入れられないものである。
 他方,本願発明は,本件特定領域以外のどの領域に促進型規則充填物を使用する
場合が本願発明の権利範囲内であるか,あるいは,全領域に促進型規則充填物を使
用する場合が本願発明の権利範囲内であるか否かなどについて,文言によっては何
ら規定していないのである。
 上記状況の下で,本願発明における促進型規則充填物の使用領域につき,本件特
定領域以外の領域に促進型規則充填物を使用することを積極的に排除していないこ
とを根拠に,本件特定領域を超える広い範囲においてまで使用され得ると解釈する
のは,明らかに誤りである。
2 取消事由2(相違点(2)(蒸留塔等で用いる構造化充填物についての相違)に
ついての判断の誤り)
(1) 引用発明1と同2との組合せの動機付けの欠如
 審決は,相違点(2)(蒸留塔等で用いる構造化充填物についての相違)につ
いて,物質移動又は熱交換を促進するものとして本願出願前に周知となっていた引
用発明2の促進型規則充填物を引用発明1のアルゴン塔を含む蒸留塔系に適用する
ことは当業者において容易に想到し得る旨判断したが(同9頁4行~末行参照),
審決のこの判断は誤っている。
 引用発明1の構造化充填物は,促進型規則充填物ではないから,同発明には,促
進型規則充填物の空気の極低温分離法への適用を開示しあるいは示唆するものはな
い(別紙図面(2)参照)。一方,引用発明2は,促進型規則充填物を開示しているも
のの(別紙図面(3)参照),そこには,これを空気の極低温分離法に使用することに
ついては,より具体的にいえば,引用発明2の促進型規則充填物が,特に空気の極
低温分離において,そこで従来一般に使用されてきた蒸留トレイと比較して,「物
質交換を有効に行う手段」となり得るかどうかについては,何らの開示も示唆もな
い。したがって,引用発明1からも引用発明2からも,これらの技術を結び付ける
動機は生じ得ない。
(2) 技術分野の相違
 引用発明2の促進型規則充填物は,実際には,炭化水素の分離に使用され
ていたものである。炭化水素の蒸留と,空気の極低温分離とは,蒸留を利用する点
で共通しているとはいうものの,当業者の認識としては技術分野を全く別にするも
のである。引用発明2の促進型規則充填物が炭化水素の分離において実績があると
しても,同じ充填物が空気の極低温分離において実用性があるかどうかは全く不明
である。このように,引用発明2と引用発明1とは技術分野を異にしているので,
当業者が引用発明2の充填物を引用発明1の充填塔系に適用することは容易ではな
いのである。
3 取消事由3(相違点(4)についての判断の誤り)
 審決は,本願発明の構成要件Bを満たす特定の領域の気体比重空塔速度につ
いて,本願発明では,「少なくとも0.06フィー卜/秒(1.8cm/秒)」と
しているのに対し,引用発明1では,このような具体的な開示がない旨認定したう
え(相違点(4),審決書7頁7行~10行参照),本願発明が,気体比重空塔速度を
少なくとも0.06フィート/秒に限定したことは,この種の蒸留塔において普通
に用いられる範囲を特定したにすぎず,この点で,格別の技術的な創意工夫がなさ
れたと認めることができないと判断した(同12頁10行~13頁5行参照)。
 しかしながら,本願発明の「少なくとも0.06フィート/秒」の気体比重空塔
速度は,促進型規則充填物を空気分離の特定の領域に使用する場合に特有のもので
あり,そこには格別の技術的な創意工夫があるのである。促進型規則充填物に関す
る技術でない引用発明3ないし同5(いずれも非促進型規則充填物に関する技術で
ある。)に,「少なくとも0.06フィート/秒(1.8cm/秒)」の気体比重
空塔速度が用いられていたとしても,そこに,本願発明にいう「少なくとも0.0
6フィー卜/秒(1.8cm/秒)」の限定が示唆されているわけではなく,上記の
記載があったからといって,それによって,本願発明において気体比重空塔速度を
限定した技術的意義が失われるものではない。
第4 被告の反論の要点
 審決の認定判断は正当であり,原告主張の審決取消事由はいずれも理由がな
い。
1 取消事由1(本願発明の要旨認定の誤り)について
(1) 本願発明に係る特許請求の範囲には「当該領域の気相アルゴン濃度が0.
6~75容積%の範囲内であることを含む,」と記載されており,この記載は,文
脈に照らし,「当該少なくとも1つの領域の気相アルゴン濃度が0.6~75容積
%の範囲内であることを含む,」の意味であるということができる。上記記載の
「含む」の直後には句読点「,」があり,その後の文章とは明確に区分されている
のであるから,「当該領域の気相アルゴン濃度が0.6~75容積%の範囲内であ
ることを含む,」で文章としてまとまっており,したがって,「気相アルゴン濃
度」が「0.6~75容積%の範囲内である」ことを「含む」,すなわち,気相ア
ルゴン濃度は,0.6~75容積%の範囲内に限定されないことを意味するものと
解すべきである。
(2) 本願発明の促進型規則充填物の使用領域は,構成要件Bを満たす領域に限
定されているものではなく,構成要件Bを満たす領域を含む広い範囲で使用され得
ることを意味するものである。
 本願発明に係る特許請求の範囲の「分離方法であって,前記領域における液体流
と気体流の前記混合を構造化充填物・・・を用いて行い,」との記載をみると,促
進型規則充填物を用いて行うのは,「前記領域における液体流と気体流の前記混
合」であり,この「前記混合」は,「酸素及びアルゴンを含む液体流と酸素及びア
ルゴンを含む気体流を混合」を指すことが明らかである。そうすると,本願発明の
促進型規則充填物は,「酸素及びアルゴンを含む液体流と酸素及びアルゴンを含む
気体流を混合して,」の構成にいう混合を目的として使用されるのであるから,促
進型規則充填物の使用領域は,原告主張の「特定の領域」に限定されるものではな
く,促進型規則充填物の使用目的である「気液混合」が達成される領域,これを最
も広く解釈した場合には「向流気液接触領域」全域であるともいうことができる。
 このことは,前記のとおり,本願発明の特許請求の範囲の「・・・気相アルゴン
濃度が0.6~75容積%の範囲内であることを含む」の記載が,気相アルゴン濃
度は0.6~75容積%の範囲内に限定されないことを意味していること,本願明
細書にも,例えば,発明の詳細な説明の欄に,「構造化充填物は,アルゴン濃度が
0.6~75容積%でありかつ気体比重空塔速度が少なくとも0.06フィート/
秒(1.8cm/秒)である領域に限定して使用してよい」(甲第2号証2頁4欄
19行~21行)と記載されていることからも明らかである。
(3) 仮に,本願発明の要旨が,構成要件B及びEを満たす本件特定領域に促進
型規則充填物を使用するものであると認められたとしても,本願発明の構成は,当
業者が容易に想到し得たものであり,そこに何らの進歩性も見いだせない。
 すなわち,「酸素及びアルゴンを含む液体流と酸素及びアルゴンを含む気体流を
混合して,」,「液体流の酸素を富化しかつ液体流からアルゴンを除去するととも
に,気体流のアルゴンを富化しかつ気体流から酸素を除去する物質移動を行い,」
の構成は,「規則充填物」を使用する領域として周知の領域であり,促進型規則充
填物の使用の場合でも,当然の使用領域として当業者が容易に想到することができ
るものである。「当該領域の気相アルゴン濃度が0.6~75容積%の範囲内であ
る」の構成については,本願明細書の記載から明らかなとおり,空気分離装置の3
塔(高圧塔,低圧塔,アルゴン塔)にそもそも存在する向流気液接触領域に「促進
型規則充填物」を使用し,その得られた実験データの中から,HETPの低下等の
効果が得られる領域を選別して,その領域を気相アルゴン濃度という数値で表示し
たものであり,確認実験の結果に基づき予想される効果を特許請求の範囲の構成の
一部としたにすぎないものである。
 空気分離の技術分野では,化学工業で広く利用されている技術を導入する場合
に,この種の確認実験が通常の操作・手順として行われているのであり,その効果
も,促進型規則充填物を空気分離装置に導入する場合に,HETPの低下等の効果
として事前に予想される程度のものである。しかも,空気分離装置において,「規
則充填物」の使用のねらいは,HETPの低下や電力の減少等にあることは周知の
事項であり,空気分離装置の「規則型充填物」に替えて「促進型規則充填物」を使
用する場合であっても,そのねらいがHETPの低下等の効果にあることは当然で
ある。そして,予想どおりの効果が得られることも明らかである。なぜならば,促
進型規則充填物は,そもそも,規則充填物の機能改善のために開発され,既に一般
の蒸留塔においてHETPの低下等の好実績をあげているものであるからである
(乙第2号証,乙第3号証参照)。
 したがって,本願発明の,構成要件Bを満たす特定の領域に促進型規則充填物を
使用するという構成は,当業者が容易に想到し得たものであり,かつ,効果もあら
かじめ予想し得る程度のものである。
2 取消事由2(相違点(2)についての判断の誤り)について
(1) 引用発明1と同2との組合せの動機付けの欠如,について
 促進型規則充填物は,物質移動又は熱交換を促進するものとして,引用刊
行物2を始め審決において例示した各種文献により本願出願前に周知となっていた
のであるから,引用発明1における規則充填物として引用発明2の促進型規則充填
物を使用してみることは,当業者にとって容易に想到することができたことという
べきである。
 「促進型規則充填物」の存在,及び,当該物は,圧力損失がきわめて小さく,分
離効率が高く,HETPを小さくする特長を有するという事実が,本願出願当時既
に周知の事項であったことは,乙第2号証(昭和61年発行「化学技術誌MOL」
(7月号)Vol.24,No.7)及び乙第3号証(1984年McGRAW-
HILL発行「CHEMICAL ENGINEERING」3月号)からも明ら
かである。
 また,蒸留塔における規則充填物の技術開発の変遷をみれば,規則充填物の開
発・改善は,まさに蒸留塔の低圧損,HETPの低下及び省エネルギー化等をねら
いとして,鋭意行われてきたという技術的背景がある。そして,その技術開発の流
れの中で,充填物も,不規則充填物から非促進型規則充填物に,そして更に機能の
向上した促進型規則充填物(例えば住友/メラパック)にたどり着き,今ではこの
機能の向上した促進型規則充填物が規則充填物の一般代名詞のように表現されるま
でに普及し,かなりの蒸留塔では従来の規則充填物がこの促進型規則充填物に置き
換えられるという状況さえ生じているのである。そして,空気の蒸留塔において,
同様の技術的課題を有するがゆえに他の化学工業で利用している充填物(パッキン
グ)を応用する試みは,普通に行われていることである。そうであるとすれば,機
能の向上した促進型規則充填物を,HETPの低下等のために,空気の蒸留塔にお
いても使用してみることは,当業者であれば容易に想到し得たことである。
(2) 技術分野の相違,について
 蒸留システムを利用した分離技術の分野では,各種化学製品の蒸留分離と
空気の蒸留分離とは同じ範疇に入るのであり,特に充填物が使用される充填塔の蒸
留分離システムは,各種化学製品の蒸留分離の場合と空気の蒸留分離の場合とで大
きく相違するものではない。例えば,引用刊行物5に「近年化学工業で広範囲に利
用されるようになった標準的なパッキング[1‐3]は,エアセパレータの精留塔
の接触器として有望である。」(甲第8号証翻訳文1頁冒頭)旨記載されているよ
うに,空気の蒸留分離の分野でも各種化学製品の蒸留分離の分野と同様の技術的課
題を有するために,他の化学工業で利用されている充填物(パッキング)を空気の
蒸留分離にも応用する試みが普通に行われているのである。したがって,空気の蒸
留分離技術だけを他の技術と異なるように殊更特殊扱いする原告の主張は,失当と
いうほかない。
3 取消事由3(相違点(4)についての判断の誤り)について
 引用刊行物3ないし同5には,促進型規則充填物ではないものの,空気分離
装置の蒸留塔に規則充填物を導入する場合のその有効性を実験する報告書が記載さ
れている。例えば,引用刊行物3の要約の項には,「実験は,HETP値が0.1
3~0.36mの範囲で変化するとき,気相速度は0.2~1.8m/secの範
囲であると示している。」(翻訳文1頁)と記載されている。このように,規則充
填物を蒸留塔に導入する場合には,従来から,気相速度を指標として実験されてい
たのであるから,この「気体比重空塔速度」の要件は,本願発明で初めて見出され
た指標とはいえない。
 構造化充填物を充填したアルゴン分離を含めた蒸留塔系における「空塔気体速度
(vg)」が,引用発明3及び同4では0.2~1.8m/秒,引用発明5では
0.25~1.5m/秒であるとの審決の認定は,原告もこれを認めているところ
であり,空塔気体速度(vg)0.2m/秒を,気体及び液体の密度を勘案して,
気体比重空塔速度(kv):(kv=vg[ρg/(ρ1-ρg)](ρg=ガス
密度,ρ1=液密度))に換算すれば,おおむね1.8㎝/秒以上と概算されるも
のであるから,気体比重空塔速度の「少なくとも0.06フィート/秒(1.8c
m/秒)」という値は,引用刊行物3ないし同5に記載された0.2~1.8m/
秒,0.25~1.5m/秒という値と比べて変わるところがない。
 要するに,相違点(4)に係る本願発明の速度は,蒸留塔を規則充填物を使って駆動
する場合に従来から知られ,かつ,普通に用いられている操業条件の範囲を単に特
定しただけのものであり,技術的創意工夫の成果というものではない。
 更にいえば,本願発明において実験で求めているHETP値と気体比重空塔速度
の値との関係は,促進型規則充填物を導入する際,通常の気体比重空塔速度の操業
条件下でHETP値にどの程度の効果があるかを確認しているものである。そし
て,この確認のための実験手法自体は,引用刊行物3ないし同5にみられるよう
に,空気の蒸留塔に規則充填物を導入する際に,従来から用いられている実験手法
と何ら変わるものではない。
第5 当裁判所の判断
1 取消事由1(本願発明の要旨認定の誤り)について
(1) 本願発明に係る特許請求の範囲の記載が,「少なくとも1塔を有する蒸留
塔系の少なくとも1つの領域において,酸素及びアルゴンを含む液体流と酸素及び
アルゴンを含む気体流を混合して,液体流の酸素を富化しかつ液体流からアルゴン
を除去するとともに,気体流のアルゴンを富化しかつ気体流から酸素を除去する物
質移動を行い,当該領域の気相アルゴン濃度が0.6~75容積%の範囲内である
ことを含む,極低温蒸留法による,酸素及びアルゴンの混合物の分離法であって,
前記領域における液体流と気体流の前記混合を構造化充填物・・・を用いて行い,
かつ前記領域の気体比重空塔速度を少なくとも0.06フィート/秒(1.8cm
/秒)とすることを特徴とする酸素及びアルゴンの混合物の分離方法」というもの
であることは,前記(第2,2)のとおりである。
(2) 上記記載の「当該領域の気相アルゴン濃度が0.6~75容積%の範囲内
であることを含む,極低温蒸留法による,酸素及びアルゴンの混合物の分離法であ
って,」との文言に注目するとき,「含む」は,構文上も句読点の付け方からも,
終止形でなく連体形として用いられており,これを受ける体言が「(酸素及びアル
ゴンの混合物の)分離法」であることは明らかであるから,「・・・分離法であっ
て,」までの文章を素直に読めば,上記「極低温蒸留法による,酸素及びアルゴン
の混合物の分離法」は,「少なくとも1塔を有する蒸留塔系の少なくとも1つの領
域」という特定の領域(本件特定領域)において,「酸素及びアルゴンを含む液体
流と酸素及びアルゴンを含む気体流を混合して,液体流の酸素を富化しかつ液体流
からアルゴンを除去するとともに,気体流のアルゴンを富化しかつ気体流から酸素
を除去する物質移動を行」い,かつ,上記特定領域における気相アルゴン濃度を
0.6~75容積%の範囲内に限定する分離法であることになる。
 この点について,被告は,上記記載の「含む」の直後には句読点「,」があり,
その後の文章とは明確に区分されているのであるから,「当該領域の気相アルゴン
濃度が0.6~75容積%の範囲内であることを含む,」で文章としてまとまって
おり,したがって,「気相アルゴン濃度」が,「0.6~75容積%の範囲内であ
る」ことを「含む」,すなわち,気相アルゴン濃度は,0.6~75容積%の範囲
内に限定されないことを意味するものと解すべきである旨主張する。しかしなが
ら,句読点「,」があるからといって直ちに文章が区分されることのないことは,
一般人の常識というべき事柄である。被告の主張は,前提において,既に誤ってい
るものである。
(3) 念のために,本願明細書について検討する。
 甲第2号証(特許公報)及び第3号証(平成9年4月25日付け手続補正
書)によれば,本願明細書の発明の詳細な説明の欄の〔産業上の利用分野〕の項に
は,
「この発明は,酸素およびアルゴン,さらに任意に窒素を含む混合物の極
低温蒸留による分離の方法に関する。詳述すれば,この発明は,アルゴンが0.6
乃至75容量%の濃度で存在する極低温蒸留における構造化充填物の利用に関す
る。」(甲第2号証2頁3欄23行~27行)
との記載が,〔課題を解決するための手段〕の項には,
「本発明は,上記目的を達成するために,少なくとも1塔を有する蒸留塔
系の少なくとも1つの領域において,酸素及びアルゴンを含む液体流と酸素及びア
ルゴンを含む気体流を混合して,液体流の酸素を富化しかつ液体流からアルゴンを
除去するともに,気体流のアルゴンを富化しかつ気体流から酸素を除去する物質移
動を行い,当該領域の気相アルゴン濃度が0.6~75容積%の範囲内であること
を含む,極低温蒸留法(cryogenic distillation)によ
る,酸素及びアルゴンの混合物の分離方法であって,前記領域における液体流と気
体流の前記混合を構造化充填物(structured packing;不規則
充填物あるいは非促進型規則充填物と比較して,主プロセス流方向に垂直な方向の
液体及び/又は気体の混合を実質的に促進する規則充填物を指称する。)を用いて
行い,かつ前記領域の気体比重空塔速度(densimetric superf
icial gasverociry)を少なくとも0.06フィート/秒(1.
8㎝/秒)とすることを特徴とする酸素及びアルゴンの混合物の分離方法を提供す
る。」(甲第3号証2頁4行~16行)
「蒸留塔系は典型的には高圧塔,低圧塔及びアルゴン塔を含むが,このとき前記領
域は少なくとも低圧塔に設ける。しかし,上記アルゴン濃度を有する領域が2以上
ある場合には,その全ての領域で構造化充填物を使用しかつ上記気体比重空塔速度
で運転することが望ましい。また,酸素,窒素及びアルゴンを含む混合物を分離す
る場合,低圧塔とそれに連通したアルゴンサイドアーム塔を有する集積型多塔蒸留
系を用い,前記領域を低圧塔及びアルゴンサイドアーム塔に設けることができる。
集積型多塔蒸留系は低圧塔及びアルゴンサイドアーム塔の他にさらに高圧塔を有す
る3塔蒸留系であることができる。高圧塔にも構造化充填物を充填することができ
る。構造化充填物は,アルゴン濃度が0.6~75容積%でありかつ気体比重空塔
速度が少なくとも0.06フィート/秒(1.8cm/秒)である領域に限定して
使用してよい。」(甲第2号証2頁4欄7行~21行)
との記載が,〔実施例〕の項には,
「上掲の実験からわかるように,前記2組のアルゴン/酸素データのアル
ゴン濃度範囲にオーバーラップがある。1組のデータにおいてアルゴン濃度は0.
6~85容量%であり,他方の組においては82.5~97容量%である。第1組
のデータでは,構造化充填物を利用する著明な利点がみられる。この利点は,構造
化充填物に必要なHETPの高さが,同じ全分離を達成する蒸留トレイの高さに匹
敵しながら,低い圧力低下の利点をもたらすという事実である。第2組のデータで
は,構造化充填物を用いるHETPの高さは,同じ全分離用蒸留トレイに必要な高
さを超えることに成る。・・・低HETPのものの意外な利点がもはや見られない
アルゴン濃度に転移点があると考えられている。この転移点はほぼ75容量%と8
5容量%アルゴンの間のどこかであると考えられる。それ故,この発明は,少なく
ともアルゴン濃度が容量で0.6%~75%アルゴンの範囲と成るような蒸留塔の
領域で規則構造化充填物の使用を実施態様とするものである。この実測された予想
外の改良は0.06ft/秒(約1.82cm/秒)を超えるKvの値に対し存在
する。0.06ft/秒(約1.82㎝/秒)以下のKv値では実測HETP値は
予想値を超えない。」(甲第3号証13頁14行~14頁2行)
との記載が,それぞれあることが認められる。
 上記認定の記載,特に,「この発明は,アルゴンが0.6乃至75容量%の濃度
で存在する極低温蒸留における構造化充填物の利用に関する。」,「構造化充填物
は,アルゴン濃度が0.6~75容積%でありかつ気体比重空塔速度が少なくとも
0.06フィート/秒(1.8cm/秒)である領域に限定して使用してよ
い。」,「それ故,この発明は,少なくともアルゴン濃度が容量で0.6%~75
%アルゴンの範囲と成るような蒸留塔の領域で規則構造化充填物の使用を実施態様
とするものである。この実測された予想外の改良は0.06ft/秒(約1.82
cm/秒)を超えるKvの値に対し存在する。」との記載を総合すれば,本願発明
が,「少なくとも1塔を有する蒸留塔系の少なくとも1つの領域」という特定の領
域(本件特定領域)において,気相アルゴン濃度が「0.6%~75容量%」であ
ること,少なくとも上記特定の領域に構造化充填物を用いること,上記特定領域で
の気体比重空塔速度を「少なくとも0.06フィート/秒(1.8cm/秒)」と
することを必須の構成としていることは,明らかというべきである。
(4) 以上によれば,本願発明は,「酸素及びアルゴンを含む液体流と酸素及び
アルゴンを含む気体流を混合して,液体流の酸素を富化しかつ液体流からアルゴン
を除去するとともに,気体流のアルゴンを富化しかつ気体流から酸素を除去する物
質移動を行い,」,「気相アルゴン濃度が0.6~75容積%の範囲内である」と
いう構成要件(構成要件B)を満たす「少なくとも1塔を有する蒸留塔系の少なく
とも1つの領域」という本件特定領域に,「構造化充填物」を使用して液体流と気
体流の前記混合を行い,かつ,その領域で,気体比重空塔速度を「少なくとも0.
06フィート/秒(1.8cm/秒)」とするという構成要件(構成要件E)を満た
す構成の発明である。
 そうすると,審決が,本願発明について,気相アルゴン濃度は0.6~75容積
%の範囲内に限定されないと解釈したことは,本願発明に係る特許請求の範囲の文
理解釈を誤っているのみならず,本願明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして
も,誤っているものである。
 審決は,本願発明の特許性判断の前提となるべき本願発明の要旨認定において,
既に誤っているものといわざるを得ない。
(5) 被告は,仮に,本願発明の要旨が,構成要件B及びEを満たす本件特定領
域に促進型規則充填物を使用するものであると認められたとしても,本願発明の構
成は,当業者が容易に想到し得たものであり,そこに何らの進歩性も見いだせない
旨主張する。
 しかしながら,本願発明の構成は,当業者が容易に想到し得たものであり,そこ
に何らの進歩性も見いだせない,といい得るか否かの検討は,本願発明の要旨を,
構成要件B及びEを満たす本件特定領域に促進型規則充填物を使用するものである
と正しく明瞭に把握したうえでなすべき事柄である。
 審決は,上述したとおり,本願発明の要旨認定を誤った結果,本願発明におけ
る,本件特定領域とされている構成要件B及びEを満たす「少なくとも1塔を有す
る蒸留塔系の少なくとも1つの領域」の技術的意義について全く検討しておらず,
また,引用発明1の蒸留塔系の中に,「酸素及びアルゴンを含む液体流と酸素及び
アルゴンを含む気体流を混合して,液体流の酸素を富化しかつ液体流からアルゴン
を除去するとともに,気体流のアルゴンを富化しかつ気体流から酸素を除去する物
質移動を行い,」,「気相アルゴン濃度が0.6~75容積%の範囲内である」,
「気体比重空塔速度を少なくとも0.06フィート/秒(1.8cm/秒)とす
る」(本願発明の構成要件B,E)を満たす領域がどこかに存在するか否かという
形で検討しているのみであり,構成要件B及びEを満たす「少なくとも1塔を有す
る蒸留塔系の少なくとも1つの領域」(本件特定領域)が存在するかという形では
何らの検討もしていない。
 もっとも,本願発明において,特許請求の範囲の記載上,促進型規則充填物の使
用領域が明確となっていないことは,本願発明の特許性につき最終的な結論を導く
うえで,見逃すことのできない問題である。本願発明において,促進型規則充填物
の使用の許容される領域のいかんによっては,構成要件B及びEを満たす本件特定
領域に促進型規則充填物を使用することの技術的意義が結果的にほとんど失われ,
審決の上記誤りがその結論に影響を及ぼさないものとなることが十分あり得るから
である。しかも,原告自身,本願発明は,本件特定領域以外の領域に促進型規則充
填物を使用することを積極的に排除していないと主張しているのである(ただし,
本件特定領域に限定されないものの,審決のいうように広いものではなく,一定の
限界があるとしている。)。そして,このように特許請求の範囲の記載にお
いて,促進型規則充填物の使用の許容される領域につき明らかな特定がなされてい
ない場合,審決のように,使用の許容される領域は本件特定領域に限定されている
ものではなく,同領域を含む広い範囲において使用され得ると判断することが許さ
れる可能性は,相当に大きいということができるであろう。
 しかしながら,上記のとおり,審決が,上記判断の前提となっている本願発明の
要旨認定を誤っていることを考えると,直ちに,審決の上記判断を是とすることは
できない。
 本件において正しい結論を導くためには,本願発明の眼目とするところについて
の正しく明瞭な理解の下で,改めて,引用刊行物1から把握し得る技術を認定し,
これと本願発明とを対比して一致点・相違点を検討し,相違点について進歩性を検
討しなければならないことになるものというべきである。そして,そうである以
上,本件においては,改めて,特許庁における審判の手続によって,技術の専門家
である審判官の下で,正しい前提に立って審理判断がなされるべきことになるので
ある。
2 結論
 以上によれば,審決の取消しを求める原告の請求は,その余の点につき判断
するまでもなく,理由があることが明らかである。そこで,これを認容することと
し,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主
文のとおり判決する。
東京高等裁判所第6民事部
  裁判長裁判官 山  下  和  明
     裁判官 設  樂  隆  一
     裁判官 宍  戸     充
別紙図面(1)
促進型規格充填物の例
別紙図面(2)
別紙図面(3)

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