弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     本件控訴を棄却する。
         理    由
 本件控訴の趣意は、大津地方検察庁検察官正木良信作成の控訴趣意書記載のとお
りであり、これに対する答弁は弁護人石原即昭作成の答弁書記載のとおりであるか
ら、これらを引用する。
 所論は、要するに、本件公訴事実は原審で取調べた証拠によりこれを十分証明で
きるにかかわらず、原判決が、本件公訴事実中「被告人がA事務官に実地見分調書
の作成を指示した」との点について、右事実に沿うAの証言および同人の検察官に
対する各供述調書の信用性を否定し、「Aが六月下旬ごろに本件実地見分調書を作
成した点は極めて疑わしく、ひいては被告人が同人にその作成方を指示したとの点
に対しても疑惑を投ずるものと考える。」と判示し、本件は結局犯罪の証明がない
ものとして無罪の言渡しをしているのは、被告人の公判廷における弁解に惑わされ
て証拠の価値判断を誤り事実の認定を誤つたものである、というのである。
 よつて、記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して案ずるに、ま
ず、被告人が昭和四三年一月一日から同年七月一六日まで彦根検察審査会事務局長
として勤務し、その間検察審査会事務官として同審査会の会議録作成等の職務に従
事していたこと、なお、被告人は同年七月一六日付で二カ月間の停職処分を受け、
同年九月一四日付で依願免職となつたが、同年七月二六日付で後任の事務局長とし
てBが発令され、同人はそのころ赴任したことは、原審で取調べた被告人の検察官
に対する昭和四四年二月一五日付供述調書、懲戒処分書写、人事異動通知書写なら
びに当審証人Bの証言によつて認められる。つぎに、本件の背景をなす事情すなわ
ち申立人Cが彦根検察審査会に審査の申立をなすにいたつた経緯ならびに同審査会
における右審査事件処理の経過として、概要以下の事実が、原審で取調べた被疑者
Dに対する不起訴裁定書、被告人Cに対する起訴状、検察官の科刑意見書、被告人
Cに対する略式命令、同被告人の正式裁判申立書、同被告人に対する判決書の各謄
本、司法警察員作成の実況見分調書、D、C、Eの各検察官に対する供述調書、証
人F、同G、同H、同I、同A(第六回ないし第八回公判)の各証言によつて認め
られる。すなわち
 1 昭和四二年六月一日滋賀県愛知郡a村字bc番地先交差点においてC運転の
自動車とD運転の自動車が出合い頭に衝突し、DならびにC運転の自動車の同乗者
二名が負傷するという事故が発生した。
 2 大津地方検察庁彦根支部は右事故につき捜査の結果、同年一〇月二八日Dの
通行していた道路の幅員は一四・四メートルでCの通行していた交差道路の幅員七
メートルよりはるかに広く、かつDは始めて通行する道路で狭い交差道路の存在を
知らなかつたもので、事故の原因は主としてCの無謀な飛出し運転にあると認める
との理由で、Dを起訴猶予処分にすると共に、同年一一月一〇日Cを八日市簡易裁
判所に起訴して略式命令を請求したが、右Cから略式命令に対し正式裁判の申立が
なされ、昭和四三年三月二三日同簡易裁判所は、同人を罰金一万五〇〇〇円に処し
た。
 3 昭和四三年二月二六日Cは、右事故につきDにも相当の過失があるにもかか
わらず、自己のみが処罰を受け、Dが不起訴になつたのは片手落ちであるとして、
彦根検察審査会に対しDに対する前記不起訴処分につき審査の申立をなした。
 4 同年三月一五日同審査会の定例会議が開かれ、席上A検察審査会事務官から
右審査事件の申立の概要につき説明がなされ、次回にCから事情を聴取することを
決めた。(第一回審査会議)なお、検察審査会は検察審査会法(以下法という)二
一条一項、三項により毎年三月、六月、九月および一二月の各一五日に検察審査会
議を開かねばならないこととされており、これを定例会議と称し、同法二一条二項
により開かれる検察審査会議を臨時会議と称している。
 5 同年三月二九日臨時会議を開き、申立人Cから事情を聴取した。(第二回審
査会議) 6 同年四月二六日臨時会議を開き、検察庁から送付された被疑者Dに
対する業務上過失傷害被疑事件の関係記録を取調べた。(第三回審査会議)
 7 同年四月末をもつて検察審査員の半数が改選され、同年五月一四日開かれた
会長互選会議の結果、会長にF、副会長にIが選ばれ、引続いて新たに検察審査員
となつた人のために前記審査事件の従前の審査経過についてA事務官から説明がな
され、次回にDから事情聴取することを決めた。(第四回審査会議)なお、検察審
査員の任期は六カ月で(法一四条)、毎年一月、四月、七月、一〇月の末日に約半
数がそれぞれ交替する(法一三条)こととなつている。
 8 同年六月一日臨時会議を開き、Dから事情を聴取したが、その結果事故現場
において実地見分することを決め、F、I、G、J、Kの検察審査員五名と検察審
査会事務局長である被告人が行くことになつた。(第五回審査会議)
 9 同年六月八日被告人の立合いの下に右検察審査員五名が事故現場において、
Dの進路から見て本件現場が交差点であることがわかるか、CおよびDそれぞれの
進路から相手方に対する見とおしがきくか、Dの進路を時速五〇キロメートルで進
行した際急停車の措置を講ずるとどれ位の距離で停車するか等についてそれぞれ検
討した。
 10 同年六月一五日定例会議が開かれ、実地見分に加わつた審査員および被告
人からそれぞれ実地見分の結果について報告が行なわれ、A事務官は当日の会議の
模様をメモしていた。そして、次回に不起訴処分をしたL検事から意見を聴取する
ことを決めた。(第六回審査会議)
 11 同年七月二七日臨時会議を開いたが、L検事が差支えのためそのまま散会
した。(第七回審査会議)
 12 同年七月末に検察審査員の半数が改選され、同年八月一二日開かれた会長
互選会議の結果、Iが会長に互選され、その席上新検察審査員のためにA事務官か
ら前記審査事件の従前の審査の経過の概要が説明された。
 13 同年九月二四日臨時会議が開かれ、L検事より意見を聴取したが、同検事
はDには優先通行権があり、またDは初めて通る道路であつたため交差点の存在に
気付かなかつた事情を参酌し、起訴猶予にした旨説明した。以上の結果に基づいて
検察審査員は討議、票決を行ない不起訴不相当の議決をするに至つた。(第八回審
査会議)そして議決書の起案はA事務官がすることになり、四、五日後A事務官は
原案を作成し、I会長の決裁を得てタイプに回した。
 14 同年一〇月九日臨時会議が開かれ、検察審査員が議決書にそれぞれ署名押
印し、これを検察庁に送付した。(第九回審査会議)
 以上の各事実が認められる。
 さらに、作成の時期の点は暫くおき、A事務官が本件公訴事実記載の如き方法で
前記実地見分の結果を記載した実地見分調書と題する書面(実地見分調書としてそ
の内容の確定されたものであるか否かは暫く措く。以下これに準ずる、)を作成し
たことおよび同調書の実地見分の結果欄に現場の模様として(道路警戒標識は五〇
メートル手前に立ててあつた」との記載があることは、原審で取調べた検察官逢坂
貞夫の捜査復命書(記録一一三丁)、彦根検察審査会事務局長Bの捜査関係事件に
ついて(回答)と題する書面および前掲証人Aの証書によつて明らかであるが、右
の道路警戒標識に関する点が虚偽であるか否かについて検討すると、Mの検察官に
対する供述調書(二通)、Nの検察官に対する供述調書および検察官作成の実況見
分調書によれば、昭和四四年一月二八日本件交差点につきその東西南北の四カ所に
「十形道路交差点あり」の道路警戒標識が設置されたが、それ以前には該交差点付
近には同交差点の存在を表示する標識は一切設置されていなかつたことが認めら
れ、したがつて、本件実地見分当時には本件交差点についての道路警戒標識はなか
つたのであるから、右実地見分調書中この点に関する前記記載が明らかに事実に反
し虚偽のものであることは言うまでもないところである。
 そこで、まず、被告人が前記実地見分の際に道路警戒標識があつたと吹聴したか
否か、さらに第六回審査会議の席上被告人が道路警戒標識が存在したと報告したか
否かについて争いが存するので検討するに、原審証人F、同G、同I、同A(第七
回公判)の各証言、原審で取調べたIの検察官に対する昭和四四年二月二八日付お
よび同年三月一一日付各供述調書、Aの検察官に対する同年三月一三日付供述調書
ならびに被告人の検察官に対する同年三月一八日付供述調書を総合すると、実地見
分の当日被告人はIの運転する車に同乗してDの進行した経路を通つて現場に到着
し、すでに現場に到着していた検察審査員四名に向つて道路警戒標識がDの進行方
向から見て交差点の手前にある旨指示し、Iはそのような標識はなかつたように思
つたが、被告人の指示にうなずいた。しかし他の審査員等は標識について余り関心
がなかつたりあるいは被告人の指示を信用したため、強いて標識の有無を現実に確
かめることをしなかつた。さらに第六回審査会議において前記の如く実地見分の結
果について報告がなされた際、被告人は交差点の五〇メートル手前(当然にDの進
行方向から見てということになる)に交差点を表示する道路警戒標識が存在したと
報告をした事実が認められる。もつとも、前記証人の各証言ならびに捜査官に対す
る供述を仔細に検討すると道路標識の位置、種類等について相互に食違いがあり必
ずしも一致している訳ではないが、同人等は専ら現場の道路状況や地形などから交
差点であることがわかるかどうかに関心を持ち前記の如く標識の存在については余
り関心を示さなかつたことが看取され、したがつて標識に関する記憶も余り正確な
ものでないとしても左程怪しむに足りず、そのことをもつて右証言、供述が信用で
きないとする訳にはいかない。なお、被告人は原審および当審において前記の如く
指示したことや報告したことは全くないと供述しているのであるが、果してそうで
あるならば、A事務官の起案にかかる前記実地見分調書中の道路警戒標識の存在に
関する記載は同事務官の創作によるものということになるのであるが、同事務官の
起案にかかる議決書の内容に徴しても、同事務官が右標識の存在の重要性について
十分な認識を有していたことは明らかであり、実地見分に立会していない同事務官
が右の如き重要な点を勝手に創作しまたは、できるものとは考えられず、前掲各証
拠に対比して被告人の前記供述はにわかに措信することができない。
 つぎに、A事務官が本件実地見分調書を作成した時期ならびに、被告人がA事務
官に右調書の作成方を指示したか否かの点について検討するに、原審証人Hの証言
中「八月一二日会長互選会議のあとA事務官から審査事件について説明があつた
が、その際交差点の標識があつたことならびに標識のあつた場所、距離についても
説明があつた」との部分、原審証人Iの証言中「実地見分調書は会議の際に見たよ
うに思う」との部分、Iの検察官に対する昭和四四年三月一二日付供述調書中「実
地見分調書は会長になつてからの審査会議の席上会議録に目をとおした時に一度見
た記憶がある」との記載部分、当審証人Bの証言中「八月一二の会長互選会議のあ
とA事務官から審査事件の内容について説明があつたと思う。自分は実地見分調書
に目をとおしたことがあるが右互選会議の前であつたか、後であつたかは明確でな
いが、議決のあつた審査会議より後ではない」との部分、ならびに議決書の謄本写
によれば議決書中「議決の理由」の「四、資料の標目」に「(三)当検察審査会の
実地見分調書」と記載されていることを総合すると、本件実地見分調書は八月一二
日の会長互選会議までかおそくとも九月二四日の第八回審査会議までには作成され
ていたものと認めるべきであり、そして以上の事実とすでに認定した被告人が実地
見分の際道路警戒標識の存在を指示し、六月一五日の第六回審査会議において右標
識の存在を報告した事実ならびに原審証人Aの証言(第七回公判)、同人の検察官
に対する供述調書二通を総合すると、A事務官は自発的に右の実地見分調書を作成
するに至つたものではなく、被告人からの指示ないし依頼によりこれを作成するに
至つたことすなわちA事務官は第六回審査会議以降被告人が一向に実地見分調書を
作成しようとしないので六月下旬ごろ被告人に「実地見分調書を書いてもらわんな
らん」と催促したところ、被告人は「そやなあ、検証調書作らんならんなあ、あん
たの方で書いてくれ」と言うので、やむなくこれを引受けその二、三日後に検察審
査会議における被告人の実地見分の結果報告および司法警察員の実況見分調書等に
基づいてその内容が真実に反する部分のあることを知らない侭前記の調書を作成し
たことすなわちその作成時期は八月一二日の会長互選会議より以前の六月下旬ごろ
である事実が認められる。
 ところで、原判決も右認定の時期に実地見分調書が作成されていたことは疑わし
いとして指摘しこれを無罪の理由としている点ではあるが、原審証人A(第七、八
回公判)、同Iの各証言ならびに検察官逢坂貞夫の捜査復命書添付の実地見分調書
の写真によれば、(一)A事務官は本件実地見分調書を作成した後も被告人に見せ
てその署名押印をもらわずに半年以上も忘れて放置し、逐に署名押印をもらうこと
なく終つたこと、(二)同事務官は七月二七日に開かれた第七回審査会議の際に実
地見分をしたF会長に署名押印をもらわず、作成後半年以上も経過した昭和四四年
二月ごろになつて実地見分当時副会長であつたIに会長として署名押印をもらつて
いること、(三)Aは原審において本件調書を作成する際に愛知川警察署交通係に
架電して本件交差点の道路の勾配について確かめ、あわせて「道路標識あります
な」と言うと「ええあります、あれDの件ですか」と答えたと証言していること、
がそれぞれ認められ、以上のうち(一)(二)の事実によるとA事務官の事務処理
は一般に裁判所のこの種事務処理としては考えられない程杜撰なものであつて、果
して同事務官か六月下旬ごろ本件証言を作成したものであるか、さらには同事務官
が上司である被告人の指示によつて作成したものであるかについて一応疑をさしは
さむ余地があり、また(三)の事実によると、すでに認定した如く本件交差点に道
路警戒標識が設置されたのは昭和四四年一月二八日であり、それ以前には道路標識
は一切存在しなかつたのであるから、同事務官が右調書を作成したのは昭和四四年
一月二八日以降ではないかとの疑をさしはさむ余地もあるので以下これらの点につ
いて判断する。
 まず(一)の点について、A事務官は原審公判廷(第七、八回公判)において概
略「調書を作成した当時被告人は別の事件のため毎日非常に弱つておられ傍に座つ
ていても顔を合わすのが気の毒な位であつた。そのころ部内の処分発表がそろそろ
あるという噂が流れていた。調書を作成したときぱつと署名捺印をもらつたらよか
つたのだが、バインダーに綴じてロッカーの中にしまつた。それ以後もあまりシヨ
ツクがきつかつたのか署名押印をもらうのを忘れていた」と証言し、同人は検察官
に対しても同旨の供述をしているのである。そこで右証言の内容について検討する
に、原審証人O、同Pの各証言、懲戒処分書写、弁護人作成の供述書によると、被
告人は昭和四三年二月滋賀県警察本部で収賄容疑で取調を受け、同年四月二三日大
津地方裁判所裁判官三名で構成する調査委員会から事情を聴取され、同年六月三〇
日大津地方裁判所裁判官会議で二カ月間停職の懲戒処分ならびに右期間満了後依願
免とすることを決定し、同年七月一日大津地方裁判所P事務局長から右決定を内示
され、数日後退職願を提出したこと、なお被告人に対する右収賄被疑事件について
は同年七月一九日不起訴処分がなされたことが認められ、以上の経過に徴すると同
年六月下旬ごろ被告人に対する処分発表が近くなされるという噂が流れるというこ
とも十分考えられるところであり、また原審証人Qの証言および被告人の原審公判
廷における供述によると、被告人は同年六月末ごろは近くなされるのであろう部内
の行政処分および収賄被疑事件の処理結果を待つているという状態で自己ならびに
家族の将来のことを案じ悩みそのため仕事も手につかない程であつたことが窺わ
れ、以上の如き状況に照らして考えると、被告人とA事務官とは限られた人数の彦
根検察審査会の事務局長と庶務係長という身近な関係にあつたうえ、当時急いで本
件調書の体裁を完備しておかねばならないさし迫つた必要性もなかつたことから、
A事務官が被告人の立場に同情しその心中を察して、後日被告人の進退が明らかに
なるなど事態が落着した段階で同人の署名押印を受けようと考え、本件調書を被告
人に見せることなくロツカーに収納したということも十分理解できるところであつ
て、これを目して格別不自然不合理であるとすることはできない。つぎに、被告人
が七月上旬辞表を提出し、登庁しないこととなつた時点およびそれ以降においても
なお署名押印を受けなかつた点および(二)の検察審査会長の署名押印を受けない
まま半年以上放置していた点について、Aの検察官に対する昭和四四年三月一三日
付供述調書によれば、A事務官は昭和四四年一月末か二月初旬ごろ大津地方検察庁
のR検事から電話で議決書に道路標識があつたように記載されているが実際にはな
いらしい等と聞かされ、直ちに実地見分調書を見ると会長および事務官の署名押印
がないことに気付き、それ以外にも署名押印洩れを調べたところ、L検事の供述調
書ならびに八月一二日の会長互選会議および九月二四日の第八回審査会議の際いず
れも審査員のうち差支えの者があつたので臨時検察審査員を選定した選定録二通に
会長の署名押印のないことを発見し、そのころIに来てもらつて以上四カ所に署名
押印をしてもらつたことが認められ、以上のうち会長の署名押印洩れが数通あつた
ことはIの原審証言によつても裏付けられている。しかして、Iの任期は同年一〇
月末までであつたのであるからA事務官が前記の如く署名押印洩れを発見したのは
Iの任期終了後三カ月を経過してからということになる。以上の事実からするとA
事務官の文書作成事務のうち署名押印等文書の形式を整える面については全般的に
かなり杜撰に取り扱われていた状況が窺われるのであり、審査員らの任期満了の時
点において、ことさらに会議録等を精査して署名洩れ等の不備を補完するなどの処
置に出ていなかつたことが認められ、したがつて、本件実地見分調書についてもA
事務官が被告人およびF倉長の署名押印を受けるのを長らく失念していたとしても
右の事実関係からうかがわれるような杜撰な仕事ぶりからみて特段に疑念をさしは
さむいわれはないといわなければならない。なお、A事務官が被告人がいよいよ登
庁しないことになつた時点において同人の署名押印を受けなかつた点については前
掲A証言にもあるとおり、被告人に対する処分が余りにも重大かつ決定的なもので
あつたことによるシヨツクのあまり失念していたという事情も窺われるのである。
さらに、(二)の実地見分当時会長でなかつたIに会長として署名押印を受けたと
の点について、Aは原審公判廷(第七回公判)において概略「Fさんは遠いとこの
方でわざわざ来てもらうのは気の毒だし、会長に差支えのあるときには副会長がこ
れにかわることになつているので、実地見分当時副会長であつたIに来てもらつて
実地見分調書に署名押印を受けた。肩書としては副会長と表示すればよかつた」と
証言しているので、右証言について検討するに、当時Fの住居が滋賀県愛知郡d町
にあり、Iが彦根市役所に勤務していたことは記録上明白であり、そのためA事務
官としてはFよりもIを気安く検察審査会に呼出すことができたことや、さきに認
定したようにIには外にも署名押印をもらうべき書類があつて同人に来てもらう必
要もあつたことまた法一五条によつて検察審査会長に事故があつて一時的に職務を
行ないえないときは他の検察審査員が臨時に検察審査会長の職務を行なうことがで
きることとなつていたところから、本件実地見分当時会長ではなかつたが副会長で
あつたIにF会長に代つて便宜署名押印を求めても形式的には差支えない、という
ような諸点からA事務官としてはただ調書の形式を整えるため安易にIに署名押印
を求めたものと考えられその措置には杜撰の誹りは免れないとしてもそれ以外に他
意はなかつたものと認められる。そしてこのような安易なA事務官の措置が前記疑
惑を投じさせる原因ともなつたものと認められる。このことは右調書中実地見分を
した者として会長Fと記載されており、これと署名押印者とが異なることは一見し
て明瞭なことからも窺われるところである。最後に(三)の点については、原判決
も指摘するように、警察としてはDの件が検察審査会にかかつていることは知つて
いたとしても、六月下旬当時は道路標識の点が問題になつていることはまず知りえ
ない状況にあり、警察官が道路標識のことを聞かれただけで即座に「Dの件です
か」と反問したという点は極めて不可解というべきであり、また現場を知悉してい
る交通係としては当時存在しない道路標識を「ある」と答える筈はないのであり、
したがつて、右の証言からすると、A事務官が本件調書を作成したのは昭和四四年
一月二八日以降ではないかという疑をぬぐうことはできず、またA事務官の原審証
言および検察官に対する供述調書の信憑性に疑問を投げかけるのである。しかしな
がら、本件調書の作成時期の点についてはすでに説示したとおり、六月下旬ごろに
は作成されていたものと見るべきであり、右疑問は未だ右認定を左右するに足るも
のとは考えられない。なお、本件調書が六月下旬ごろに作成されていた事実を前提
としてA証言について考えると、すでに説示したとおりA事務官が昭和四四年一月
末か二月初ごろR検事から電話で「議決書に道路標識があるように書いであるが、
実際にはなかつたようだ」と聞かされたことがあり、実地見分に立会つていないA
事務官としては早速愛知川署交通係に電話して道路標識の有無を確かめたところ、
警察官との間にA証言の如き問答があり、これを混同して作成時と思い違いをして
証言をしたものとも考えられる余地が十分あるのである。しかして、A証言等の信
憑性について検討するに、同人は本件の中枢となるべき事実関係については検察官
に対する供述、公判廷における証言を通じて前後矛盾することなく一貫しており、
被告人の公判廷における供述を除く他の証拠に照らしても格別矛盾する点も窺われ
ず、またその証言および供述の一部についてはすでに検討をしたところであつて、
愛知川警察署に対する架電の点についても前記の如くA事務官の記憶違いであると
考えられる余地もあり、他にその信憑性を疑わせる点も発見されず、全体として信
用性が高いものということができる。
 以上検討したところによつて明らかな如く本件実地見分調書はその内容の確定の
有無はともかく公訴事実記載の時期にA事務官が被告人の指示により作成したもの
と認めるべきが相当であり、右認定に反する被告人の原審および当審公判廷におけ
る供述は前掲関係各証拠に対比してにわかに措信することができず、他に右認定を
覆えすに足る証拠はない。してみると、原判決が「本件公訴事実中Aが昭和四三年
六月下旬ごろに本件調書を作成した点は極めて疑わしく、ひいては被告人が同人に
その作成方を指示したとの点に対しても疑惑を投ずるものと考える」として犯罪の
証明がないとしたのは、証拠の価値判断を誤り事実を誤認したものと言う外はな
い。
 <要旨>しかしながら、さらに進んで以上認定にかかる事実関係に基づき、被告人
の所為か虚偽公文書作成罪を構成</要旨>するか否かについて審究するに、凡そ公
文書を職務上作成する権限を有する公務員が情を知らない作成権限のない公務員を
使用して内容虚偽の文書を作成させた場合に虚偽公文書作成罪の間接正犯が成立す
ることのあるのは言うまでもないところであるが、右間接正犯が成立するためには
作成権限のない公務員をして作成せしめた文書が一般人をして公務所又は公務員の
権限内において作成した文書であると信ぜしめる程度に形式、外観を具えることが
必要であると共にその文書が確定的な意識内容の記載であり、かつ原本的なもので
なければならないのであつて、したがつて確定的な意識内容の記載とはいえない草
案や草稿は未だ公文書とはいえないものと解するのが相当である。これを本件につ
いてみると、Aの原審証言および検察官に対する各供述調書ならびに検察官逢坂貞
夫作成の捜査復命添付の実地見分調書の写真および司法警察員作成の実況見分調書
を総合し、かつ当審証人Bの証言を参酌すると、まず本件調書の形式、外観、記載
内容として、本件調書は検察審査会の行なう実地見分のため予め印刷された用紙を
使用して作成されたもので、その用紙は左端にバインダーに綴り込むための穴が十
数個あけられており、用紙の表面上欄中央に実地見分調書、その右側に検察審査会
と印刷され、その下方に枠組を作つてそれぞれの欄に事件名、実況見分年月日時、
実況見分の場所、添附図面、実地見分をした者、立会人、実地見分の目的、実地見
分の結果と印刷され、実地見分の目的欄、実地見分の結果欄および裏面には横罫が
印刷されていること、そして右検察審査会と印刷された個所の左側に彦根と刻され
たゴム印が押され、立会人、添付図面の各欄を除く他の欄にはそれぞれ所要の事項
がインキで書かれているが、そのうち実地見分の結果欄の現場の模様の記載内容
は、道路警戒標識の点を除き司法警察員作成の実況見分調書中の現場の模様の記載
のうち関係人の指示説明部分を除いた他の部分をまとめたに過ぎないものであるこ
と、裏面には上から二行目に検察審査会事務官と刻したゴム印が左側に、上から四
行目に検察審査会長と刻されたゴム印が左側にそれぞれ押捺され、検察審査会長の
ゴム印の右側にはIの署名ならびにIと刻された印章が押捺されていることが認め
られる。つぎにA事務官が本件調書を作成した経過およびその状況として、同人は
六月下旬ごろ彦根検察審査会の事務室において約一時間余りを費して実地見分調書
の表面に前記の如き所要事項をそれぞれ記載し、終つてから被告人に見せることな
く直ちにバインダーに綴りロッカーに収納したこと、同人は右調書をのち程被告人
に見てもらいその内容を確認してもらつてからその署名押印をもらうつもりでいた
が、その際被告人から必要事項を書き加えるよう指示されることがあるかも知れ
ず、その時には実地見分の結果欄の最後の記載に続いて書き加えなければならない
ので、通常は調書の記載の最後の行のすぐ次の欄を一行あけてその次の欄に検察審
査会事務官のゴム印を、さらに一行あけて次の欄に検察審査会長のゴム印をおし、
それぞれその右側に検察審査会事務官や検察審査会長が署名押印することになつて
いたが、それらのゴム印も押さないままにし加うるに被告人の後任の事務局長とし
て着任したBも審査会事務には全く経験がなく不馴れなため着任後右調書に目をと
おしながらその不備に気がつかず、その後の処理一切をA事務官に任せていたこ
と、そしてすでに認定したとおり同人は昭和四四年一月末か二月初ごろ漸く調書に
署名押印のないことに気付き、調書の裏面に前記認定の如くゴム印をそれぞれ押捺
し、その翌日ごろIに来てもらつてその署名押印を受けたこと、しかし被告人には
そのころ署名押印をもらいたいと言つてその承諾を得たが、直接調書を見せたり、
署名押印をもらつたことは最後までなかつたことが認められる。そこで、以上認定
の事実によつて考察するに、昭和四三年六月下旬ごろA事務官が本件調書を書き上
げた際の同調書の形式、外観は、それ以降における右調書の保管方法をもあわせ考
えると、未だ作成名義人である検察審査会事務官および検察審査会長の署名押印が
なく文書の形式において法令上欠くるところがあつたとしても、一般人をして公務
員の作成した文書であると信ぜしめる程度の形式、外観を具えていたものと解せら
れないことはないけれどもすでに認定したところから明らかなように、(1)A事
務官は本件実地見分には立会つておらず、ただ六月一五日の審査会議の席上、実地
見分に参加した審査員および被告人の報告を聞きこれをメモした程度であり、本件
調書に記載すべき具体的内容については被告人はもちろん誰からも何等の指示も受
けておらなかつたのであり、したがつて同人としては調書の記載内容につき被告人
から加除訂正の指示がなされるかも知れないと考えて余白を残した侭綴り込んでい
たもので調書としてはその内容は未確定の侭の状態であつたこと、(2)現実に記
載された内容も、前記認定のとおり道路警戒標識の点を除くと司法警察員作成の実
況見分調書の記載をまとめたに過ぎないもので、本件実地見分の重要な目的であり
六月一五日の審査会議で報告のなされたと窺われる。CおよびD双方の側からそれ
ぞれ相手方に対する見とおし状況、あるいはDの進路から見た場合該交差点の地
形、道路状況から見て交差点であることを知り得たか否か等については何等の記載
もなされていないこと、(3)また被告人としてもA事務官に実地見分調書の作成
方を指示した際の状況からみて同調書に道路警戒標識の存在について記載されるで
あろうことは一応予測していたとしても、右標識の種類、存在位置および右標識以
外の内容についてまで具体的に指示したわけではなく、そのためそれらの点につい
て如何なる記載がなされるかについては全く予測することができず、また調書が作
成された後においてもその記載内容を遂に確認することはなかつたこと、(4)被
告人が署名押印したことはなく、検察審査会長の署名押印欄のIの署名押印も本件
議決がなされた一〇月九日から約三カ月を経過してなされていることなどに徴する
と、本件調書の内容はそれが作成された六月下旬ごろには実地見分の結果の記載と
しては未だ未確定の状態にあつたものというべく、したがつて結局右調書は原本的
なものではなく、未だ草案ないし草稿の域を出でなかつたものと解さざるをえな
い。このことは、前記の如く該文書が形式外観上公文書と認めうる状態にあつたこ
とあるいは該文書が議決書のうちに引用されるなど恰も内容も確定された実地見分
調書が現実に存在するかの如く取り扱われていたとしても結論に消長をきたすこと
はない。もつともその後A事務官が調書の末尾に検察審査会事務官および検察審査
会長の各ゴム印を押したうえ右会長名下にIの署名押印を受けた段階においてはあ
るいは調書として内容も確定的となつたかの如き外観を呈するに至つたともみえる
けれども、それはただ形式を整えるためになされただけであり、またほんらいの作
成権限のある検察審査会事務官としての被告人の署名押印もなされていない点に徴
すると調書としては依然内容未確定の状態であることにかわりはないからこの段階
においてもなお前記結論を左右されるものではない。所論指摘の判例は本件と事案
を異にし適切ではない。
 以上要するに被告人の指示により自己が作成すべき実地見分調書をA事務官をし
て作成させたとしてもそれが外観もまた内容も確定されていた場合はともかく未だ
確定されず草稿の域を出でないものと認められる以上未だ虚偽公文書作成罪を構成
するによしなく、したがつて同行使罪も成立しないものといわなければならない。
されば本件は結局罪とならないものというべきであるから原判決が理由を異にする
とはいえ刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をしたのは結局相当で
あり検察官の論旨もまた理由がないことに帰する。
 よつて、刑事訴訟法三九六条、一八一条三項により主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 瓦谷末雄 裁判官 原清 裁判官 松井薫)

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