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         主    文
原決定を破棄する。
本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。
         理    由
 抗告代理人鳥毛美範の抗告理由について
 1 記録によれば,本件の経緯の概要は,次のとおりである。
 (1) 本件の本案事件は,抗告人らが,有限会社D製作所(以下「被告会社」と
いう。)に対し,被告会社に工員として勤務していた抗告人らの子が被告会社の工
場である本件事業場において就業中に本件労災事故に遭って死亡したとして,安全
配慮義務違反等に基づいて損害賠償を求める事件である。被告会社は,十分な労働
安全対策を講じていたなどと主張して,抗告人らの請求を争っている。
 (2) 抗告人らは,本案事件において,本件労災事故に係る調査の概要,調査報
告書作成の有無等について,金沢労働基準監督署に対する調査嘱託の申立てをした。
そして,金沢労働基準監督署長は,調査嘱託に対する回答書において,災害調査の
概要,事業場から改善の報告を受けている事項を回答するとともに,本件労災事故
につき「災害調査復命書」を作成しており,その記載内容(要旨)は同回答書に災
害調査の概要として記載したとおりである旨の回答をした。
 (3) 抗告人らは,本件労災事故の事実関係を具体的に明らかにするためには,
上記回答書の原資料の提出が必要であるとして,民訴法220条3号又は4号に基
づき,相手方に対し,本件労災事故の災害調査復命書である原々決定別紙文書目録
記載の文書(以下「本件文書」という。)につき,文書提出命令の申立てをした。
 相手方は,本件文書を提出しなければならないとすると,労働安全衛生関係法令
の履行確保を図るという行政事務,労働災害の発生原因を調査し同種の労働災害の
再発防止策を検討するのに必要な情報を収集するという労働災害調査に係る事務の
適正かつ円滑な実施が困難になるとして,本件文書は民訴法220条4号ロ所定の
「公務員の職務上の秘密に関する文書でその提出により公共の利益を害し,又は公
務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの」に該当し,これを提出すべき義
務を負わないと主張した。
 2 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
 (1) 災害調査復命書は,特定の労働災害が発生した場合に,労働基準監督官,
産業安全専門官等の調査担当者が,労働安全衛生法の規定に基づいて,事業場に立
ち入り,関係者に質問し,帳簿,書類その他の物件を検査し,又は作業環境測定を
行うなどし(同法91条,94条),また,関係者の任意の協力を得たりして,労
働災害の発生原因を究明し,同種災害の再発防止策等を策定するために,調査結果
等を踏まえた所見を取りまとめ,労働基準監督署長に対し,その再発防止に係る措
置等の判断に供するために提出されるものである。労働基準監督署長は,これを基
に労働災害の発生した事業場等に対する再発防止のための行政指導や行政処分等の
内容を判断し,また,その写しを都道府県労働局を通じて厚生労働省に送付してい
る。そして,都道府県労働局や厚生労働省においては,これらを集約して再発防止
のための通達を発出したり法令改正等を行うなど,災害調査復命書を各種の施策を
検討するための基礎資料として活用している。
 (2) 本件文書は,石川労働局所属の労働基準監督官2名(以下「本件調査担当
者」という。)が,本件事業場における2回の調査を含め,2か月間にわたり調査
した結果を取りまとめたものであり,上記(1)の目的で,本件調査担当者から金沢
労働基準監督署長に対する復命書として作成されたものである。その記載項目は,
「事業場の名称,所在地,代表者名及び安全衛生管理体制,労働災害発生地,発生
年月日時,被災者の職・氏名,年齢」,「災害発生状況」,「災害発生原因及び災
害防止のために講ずべき対策等」等である。
 本件調査担当者は,本件労災事故の発生したその日のうちに本件事業場に立ち入
り,労働者甲の協力の下,本件労災事故の発生状況について概括的な供述を聴取す
るとともに,関係書類の提出を受け,本件労災事故の現場の計測と写真撮影を行い
,現場に残されていた物件を見分するなどし,また,その5日後,本件事業場の2
階事務所において,被告会社の代表取締役E並びに労働者乙及び丙から,本件労災
事故発生時の状況の説明,関係資料の提出とその説明を受けた。
 本件文書の記載事項のうち,「事業場の名称,所在地,代表者名及び安全衛生管
理体制,労働災害発生地,発生年月日時,被災者の職・氏名,年齢」は,主に,上
記代表取締役及び上記労働者らから聴取した内容に基づいて記載され,「災害発生
状況」は,上記聴取内容のほか,被告会社から提出を受けた関係資料,本件事業場
における計測,見分等を基に,本件調査担当者が推測,評価等を加えた結果が記載
され,「災害発生原因」は,上記聴取内容,関係資料,見分等を基に,本件調査担
当者が推測,分析した結果が記載されている。もっとも,本件文書には,上記聴取
内容がそのまま記載されたり,引用されたりしている部分はなく,本件調査担当者
において,他の調査結果を総合し,その判断により上記聴取内容を取捨選択して,
その分析評価と一体化させたものが記載されている。また,本件文書には,他に,
再発防止策,行政指導の措置内容についての本件調査担当者の意見,署長判決及び
意見,その他の参考事項も記載されている。
 (3) 上記労働者らは,いずれも,本件文書が本案事件において提出されること
には同意しない旨の意思を示している。
 3 原々審は,本件申立てを認容したが,原審は,次のとおり説示して,原々決
定を取り消し,本件申立てを却下した。
 (1) 本件文書の記載内容が「公務員の職務上の秘密」に当たるというためには
,単に非公知の事項であるというだけでなく,実質的にも秘密として保護するに値
すると認められることが必要であり,また,「公務の遂行に著しい支障を生ずるお
それがある」というためには,それが公開されることにより公務の遂行に著しい支
障を生ずるおそれが具体的に存在しなければならないと解される。
 (2) 本件文書には,本件事業場の安全衛生管理体制,本件労災事故の発生状況
,発生原因等について,事業者及び労働者らからの聴取内容等の関係証拠に基づき
,本件調査担当者の証拠評価や所見に至る思考過程,再発防止策,行政指導の措置
内容に対する意見,署長判決等が記載されており,それ自体は性質上外部への公表
を予定していない文書と認められる。本件文書のような災害調査復命書が民事訴訟
の証拠として使用され,その記載内容や調査担当者の評価等が争われることになれ
ば,調査担当者において以後記載する内容や表現を簡素化したり,意見にわたる部
分の記載を控えたりするなどの影響を受けざるを得ず,上記2(1)の目的のための
率直な意見の記載が妨げられたり意思決定の中立性が損なわれるおそれが高いと認
められる。また,一般に,労働者や下請業者等の関係者が労働災害に関する情報を
提供した場合に,情報提供の事実や提供した情報の内容が容易に公開されることに
なると,関係者の中には,情報提供により不利益を被った事業者から報復されるこ
とを恐れて,災害調査の場面において調査担当者の事情聴取に対し不十分な情報提
供しか行わないといった対応をするおそれも否定できないところ,本件文書の作成
に当たって情報の提供をした労働者甲,乙及び丙は,いずれも,本件文書が本案事
件において提出されることには同意しない旨の意思を示しているのであるから,そ
の公開によって調査担当者との信頼関係が損なわれ,ひいては同種災害調査におけ
る事業場の安全管理体制や災害発生原因の特定に関し極めて重要である関係者から
の聴取に支障を来すおそれがあることも認められる。
 (3) 以上によれば,本件文書は,非公知かつ実質的に秘密として保護するに値
する内容が記載された公務員の職務上の秘密に関する文書で,その公開により労働
災害の発生原因の究明や同種災害の再発防止策の策定等に著しい支障を来すおそれ
があり,公務の遂行に著しい支障を来すおそれが具体的に存在すると認められるか
ら,相手方は本件文書の提出を拒むことができる。
 4 しかしながら,原審の上記(2),(3)の判断は是認することができない。その
理由は,次のとおりである。
 (1) 民訴法220条4号ロにいう「公務員の職務上の秘密」とは,公務員が職
務上知り得た非公知の事項であって,実質的にもそれを秘密として保護するに値す
ると認められるものをいうと解すべきである(最高裁昭和48年(あ)第2716
号同52年12月19日第二小法廷決定・刑集31巻7号1053頁,最高裁昭和
51年(あ)第1581号同53年5月31日第一小法廷決定・刑集32巻3号4
57頁参照)。そして,【要旨1】上記「公務員の職務上の秘密」には,公務員の
所掌事務に属する秘密だけでなく,公務員が職務を遂行する上で知ることができた
私人の秘密であって,それが本案事件において公にされることにより,私人との信
頼関係が損なわれ,公務の公正かつ円滑な運営に支障を来すこととなるものも含ま
れると解すべきである。
 前記事実関係によれば,(ア) 本件文書は,本件調査担当者が本件労災事故の発
生原因を究明し,同種災害の再発防止策の策定等をするために調査結果等を踏まえ
た所見を取りまとめ,金沢労働基準監督署長に対し,その再発防止に係る措置等の
判断に供するために提出された災害調査復命書であること,(イ) 災害調査復命書
は,労働基準監督署長が労働災害の発生した事業場等に対する再発防止のための行
政指導や行政処分等の内容を判断するために利用されるほか,都道府県労働局や厚
生労働省において,再発防止のための各種の施策を検討するための基礎資料として
利用されていること,(ウ) 本件文書には,①「事業場の名称,所在地,代表者名
及び安全衛生管理体制,労働災害発生地,発生年月日時,被災者の職・氏名,年齢」
,「災害発生状況」,「災害発生原因」について,本件調査担当者において,被告
会社の代表取締役や労働者らから聴取した内容,被告会社から提供を受けた関係資
料,本件事業場内での計測,見分等に基づいて推測,評価,分析した事項が記載さ
れているほか,②再発防止策,行政指導の措置内容についての本件調査担当者の意
見,署長判決及び意見等が記載されていること,(エ) 上記労働者らは,いずれも
,本件文書が本案事件において提出されることには同意しない旨の意思を示してい
ることが認められる。
 以上に照らせば,本件文書は,①本件調査担当者が職務上知ることができた本件
事業場の安全管理体制,本件労災事故の発生状況,発生原因等の被告会社にとって
の私的な情報(以下「①の情報」という。)と,②再発防止策,行政上の措置につ
いての本件調査担当者の意見,署長判決及び意見等の行政内部の意思形成過程に関
する情報(以下「②の情報」という。)が記載されているものであり,かつ,厚生
労働省内において組織的に利用される内部文書であって,公表を予定していないも
のと認められる。そして,本件文書のうち,②の情報に係る部分は,公務員の所掌
事務に属する秘密が記載されたものであると認められ,また,①の情報に係る部分
は,公務員が職務を遂行する上で知ることができた私人の秘密が記載されたもので
あるが,これが本案事件において提出されることにより,調査に協力した関係者と
の信頼関係が損なわれ,公務の公正かつ円滑な運営に支障を来すこととなるという
ことができるから,①,②の情報に係る部分は,いずれも,民訴法220条4号ロ
にいう「公務員の職務上の秘密に関する文書」に当たるものと認められる。
 (2) 次に,【要旨2】民訴法220条4号ロにいう「その提出により公共の利
益を害し,又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがある」とは,単に文書の
性格から公共の利益を害し,又は公務の遂行に著しい支障を生ずる抽象的なおそれ
があることが認められるだけでは足りず,その文書の記載内容からみてそのおそれ
の存在することが具体的に認められることが必要であると解すべきである。
 本件文書のうち,②の情報に係る部分は,上記のとおり,行政内部の意思形成過
程に関する情報が記載されたものであり,その記載内容に照らして,これが本案事
件において提出されると,行政の自由な意思決定が阻害され,公務の遂行に著しい
支障を生ずるおそれが具体的に存在することが明らかである。しかしながら,①の
情報に係る部分は,上記のとおり,これが本案事件において提出されると,関係者
との信頼関係が損なわれ,公務の公正かつ円滑な運営に支障を来すこととなるとい
うことができるものではあるが,(ア) 本件文書には,被告会社の代表取締役や労
働者らから聴取した内容がそのまま記載されたり,引用されたりしているわけでは
なく,本件調査担当者において,他の調査結果を総合し,その判断により上記聴取
内容を取捨選択して,その分析評価と一体化させたものが記載されていること,(
イ) 調査担当者には,事業場に立ち入り,関係者に質問し,帳簿,書類その他の
物件を検査するなどの権限があり(労働安全衛生法91条,94条),労働基準監
督署長等には,事業者,労働者等に対し,必要な事項を報告させ,又は出頭を命ず
る権限があり(同法100条),これらに応じない者は罰金に処せられることとさ
れていること(同法120条4号,5号)などにかんがみると,①の情報に係る部
分が本案事件において提出されても,関係者の信頼を著しく損なうことになるとい
うことはできないし,以後調査担当者が労働災害に関する調査を行うに当たって関
係者の協力を得ることが著しく困難となるということもできない。また,上記部分
の提出によって災害調査復命書の記載内容に実質的な影響が生ずるとは考えられな
い。したがって,①の情報に係る部分が本案事件において提出されることによって
公務の遂行に著しい支障が生ずるおそれが具体的に存在するということはできない。
 【要旨3】そうすると,本件文書のうち,②の情報に係る部分は民訴法220条
4号ロ所定の「その提出により(中略)公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれが
あるもの」に該当しないとはいえないが,①の情報に係る部分はこれに該当しない
というべきであるから,本件文書のうち,②の情報に係る部分については同号に基
づく提出義務が認められないが,①の情報に係る部分については上記提出義務が認
められなければならない。
 (3) 以上によれば,本件文書について,①の情報に係る部分と②の情報に係る
部分とを区別せず,その全体が民訴法220条4号ロ所定の文書に当たるとして相
手方の提出義務を否定した原審の判断には裁判に影響を及ぼすことが明らかな法令
の違反がある。論旨は,上記の趣旨をいうものとして理由があり,原決定は破棄を
免れない。そして,本件文書のうち①の情報に係る部分の特定等について更に審理
を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すのが相当である。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 上田豊三 裁判官 濱田邦夫 裁判官 藤田宙靖 裁判官 堀籠
幸男)

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