弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

         主    文
     本件各控訴を棄却する。
     当審における訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。
         理    由
 本件各控訴の趣意は、弁護人川端和治及び被告人両名が提出した各控訴趣意書並
びに弁護人竹内康二が提出した控訴趣意補充書に、弁護人両名の控訴趣意に対する
答弁は、検察官が提出した答弁書及び答弁書(補充)にそれぞれ記載されたとおり
であるから、これらを引用する。
 弁護人川端和治の控訴趣意第一の一 不法な公訴受理・訴因の特定について
 所論は、本件文書(発禁「A」七月号より転載・Bと題する冊子のこと。以下同
じ。)のわいせつ個所の特定について、検察官は、本件文書の二枚目裏初めから五
行目以降五枚目最終行に至るすべての文章を、男女性交の情況などを露骨、かつ、
詳細に描写したわいせつの文章であると釈明したが、これは、本件文書のほとんど
すべての部分という意味であるうえに、その中には「女房は三度の飯なり」などと
いうようなわいせつの概念とは無縁なものまで多数含まれていて、特定されたもの
とは認められないのに、原裁判所は、公訴棄却の申立をしりぞけ、不法に公訴を受
理した、というのである。
 訴訟記録及び証拠物によると、本件起訴状の公訴事実のうち、所論に関係のある
部分(訴因変更後のもの)は、「被告人両名は、共謀のうえ、昭和四七年七月六日
ころから一一日ころまでの間、『C』店舗において、販売の目的をもつて、男女性
交の情況などを露骨かつ詳細に描写したわいせつの文章をその内容に包含する
『B』と題するわいせつの文書である冊子一〇〇冊を、所持したものである。」と
いうのであり、弁護人のした求釈明に対し、検察官が、「二枚目裏初から五行目の
『其首尾いかにを回顧するに』以下五枚目裏最終行の『沙汰とはいひがたし』まで
の部分がわいせつ部分であり、そのゆえに文書全体がわいせつ文書となる。」と釈
明していること、右の部分が本件文書の大部分を占めていること及びその中に「女
房は三度の飯なり」などというような、他の部分と切り離すとわいせつの概念とは
無縁と思われる語句が含まれていることが認められる。しかし、訴因は、検察官が
わいせつと主張している部分と、それ以外の部分とが区別される程度に特定されて
おれば足りるのであつて、わいせつと主張している部分が文書のほとんどすべての
部分であるか否かとか、その部分の中に、弁護人の判断によればわいせつとは認め
られない語句があるか否かというようなことは、訴因の特定とは関係のないことで
ある。そして、右認定事実によると、検察官がわいせつと主張している部分と、そ
れ以外の部分とがはつきり区別されるのであるから、訴因は特定されているものと
いわなければならない。
 論旨は理由がない。
 弁護人川端和治の控訴趣意第一の二不法な公訴受理・公訴権の濫用、被告人Dの
控訴趣意二公訴棄却の主張及び同Eの控訴趣意のうち、公訴棄却の主張について
 所論は、本件公訴の提起は、被告人両名が経営する書物の自主流通機構をまつ殺
もしくは弾圧することをねらいとし、憲法一四条に違反し、公訴権を濫用してなさ
れたものであるのに、原裁判所は、公訴棄却の申立を
しりぞけ、不法に公訴を受理した、というのである。
 しかし、訴訟記録及び証拠物を調査しても、本件公訴の提起が、所論が問題にし
ているように、被告人両名が経営する書物の自主流通機構をまつ殺し、弾圧するこ
とをねらつたものであるとか、憲法一四条に違反するものであるとかと疑うに足り
るような事情は認められず、公訴権の濫用によるものではないことが明らかである
から、原裁判所が公訴棄却の申立をしりぞけたのはもとより当然のことであり、そ
の理由として判示しているところも正当として是認することができる。なお、原判
決は触れていないが、本件は、Fが被告人両名の経営するCで買つて持つていた本
件文書二冊を警察官に見られ、昭和四七年七月二五日にその取調を受け、右二冊を
証拠物として提出したことがきつかけになり、翌二六日に同舎を捜索して本件文書
三五冊等を押収し、捜査の結果、公訴の提起に至つたものと認められるのである。
 弁護人は、所論の中で、公訴棄却の申立の理由として主張した事実のうち、
(1)雑誌「A」に全く同じ文章が掲載され、全国の小売店で取扱われたのに、け
ん疑を受けた小売店がないこと、(2)「A」の事件についての処理方針さえ決め
かねていた段階で、強制捜査をし、身柄拘束のまま起訴するという小売店主に対す
るものとしては初めての処分がたされたこと、(3)「A」の被疑者は本件の起訴
後に送検されており、しかも身柄を拘束されていないこと、(4)本件についての
捜索の際、公安課のGという刑事が入り込んでいたこと、(5)検察官が冒頭陳述
で、被告人両名が昭和四七年七月五日以前に本件文書によつて利益をえようと企て
たと主張していたことについて、原裁判所は故意に無視して判断をし、また、小売
店主が通常の営業過程での文書の販売目的所持について起訴されたのは初めてであ
るという主張に対し、理論的に可能であつたという無意味な判示をし、逮捕、勾留
まで請求した官憲の内心の意図を問題としたのに対し、裁判所の出した令状によつ
てなされたものであるから、逮捕、勾留は合法であると的外れの判示をしているな
どと、いうのである。しかし、公訴棄却の申立は、裁判所の職権発動を促す意味を
もつに過ぎないものである(最決昭和四五年七月二日・刑集二四巻七号四一二頁参
照)から、公訴を棄却しない場合でも、必ずしもその理由を示す必要はなく、ま
た、理由を示すときにも、申立の理由として主張されたことについて一々判断を示
さなければならないというようなものではなく、自らの職権判断にとつて重要な意
味をもつたことを示せばよいのであるから、所論のように弁護人が主張したことを
故意に無視したとか、主張に対して的外れの判示をしたとかという非難は当たらな
いものといわなければならない。しかも、右(1)ないし(3)の点は、「A」の
ことないしはそれに関連することであつて、本件との関連性が薄く、(4)の点
は、公安係のH巡査が、写真撮影をする者がいなかつたため頼まれて同行したとい
うだけのことを誤解したものではないかと思われ、(5)の点は、本件文書を販売
して利益を得ようと企て、共謀のうえ、昭和四七年七月六日ころ、右文書を仕入れ
た、と主張しているだけで、所論のように同月五日以前に利益を得ようと企てたと
主張しているものではないうえに、仮に右のような事実がそのまま認められたとし
ても、本件公訴提起の効力に影響を及ぼすようなこととは思われず、原裁判所の判
断を不当ということはできない。
 論旨は理由がない。
 弁護人川端和治の控訴趣意第二没収の裁判の理由不備及び理由そごについて
 所論は、原判決は、その主文第四項において、押収してある本件文書三五冊を没
収する旨裁判し、法令の適用の項で、本件文書三五冊は判示犯罪行為を組成した物
で犯人以外の者に属しないから、刑法一九条一項一号、二項によりこれを没収する
とし、さらに量刑の事情の項で、被告人両名が本件犯行を犯すに至つたのは、被告
人両名の書店の経営方針が委託された書籍はすべて販売することとし、情報の流通
に対する一切の障害に反対するというところにあつて、たまたま雑誌「A」に掲載
された「B」を転載した本件文書を持ち込まれ、右の営業方針に従い、これを販売
したためであるうんぬんと判示しているものであるところ、右量刑の事情の項で示
されているところは、委託者の所有に属する本件文書の販売を受託し所持するに至
つたという意味であるから、犯人以外の者に属しないとしてした没収の主文と理由
との間、もしくは理由相互の間にくい違いがある場合に当たる、というのである。
 そこで調査すると、原判決は、所論のように、没収の言渡をし、法令の適用を
し、かつ、量刑の事情を判示していることが認められ、右量刑の事情として判示さ
れているところが、一般に、委託者の所有に属する本件文書の販売を受託し所持す
るに至つたという意味に解される内容であることは、所論の指摘するとおりと思わ
れる。問題は、原判決が適用している刑法一九条二項にいう「犯人以外ノ者ニ属セ
サルトキ」の意味であるが、右の「犯人」には共犯者を含み、かつ、その共犯者
は、共同正犯、教唆犯、従犯及び必要的共犯のいずれでもよく、また、共同被告人
であるか否か、既に審判を経たものであるか否かを問わないとするのが判例であり
(たとえば、大判明治四四年二月一三日・刑録一七輯七五頁、大判大正一三年二月
九日・刑集三巻九五頁、最判昭和二五年五月九日・別集四巻五号七六〇頁参照)、
学説もこれを肯定しているのである。そして、後に、弁護人川端和治の控訴趣意第
四等において詳述するように、被告人両名と本件文書三五冊の所有者との間には、
本件犯行について共謀共同正犯の関係があるものと認められるのである。従つて、
原判決は、被告人両名及び本件文書三五冊の所有者以外の者に属しない右文書を没
収する、としているのであつて、主文と理由との間にも、理由相互の間にもくい違
いはないのである。なお、没収については、その要件である事実関係及びその認定
資料である証拠の標目は判決書に記載する必要がなく、当該物件が没収の法定要件
に該当すること及び没収に関する適用法令を挙示すれば足りるものと考える(最判
昭和二三年一二月一四日・刑集二巻一三号一七六五頁、最判昭和二八年八月二五
日・刑集七巻八号一七六二頁、名古屋高金澤支判昭和三一年七月一七日・高刑特三
巻一五号七三八頁参照)。
 論旨は理由がない。
 弁護人川端和治の控訴趣意第三の一刑法一七五条の違憲性・憲法二一条違反、被
告人Eの控訴趣意のうち、憲法二一条違反をいう点について
 所論は、刑法一七五条は憲法二一条に違反するものであるのに、原判決がこれを
合憲であるとしたのが不当である、というのである。
 性に関する文書の販売目的所持等の行為も憲法二一条の保障の例外ではなく、し
かも表現の自由は憲法の保障する自由のうちでもきわめて重要な地位を占めるもの
であるから、これを尊重しなければならないことはいうまでもないことである。し
かし、表現の自由も絶対無制限なものではなく、権利の濫用が禁ぜられ、公共の福
祉に反することは許されないのであるから、性生活の秩序及び健全な風俗を乱し、
国民生活全体の利益に反する内容の文書を販売する目的で所持するなどの行為をし
た者を、事後に処罰することまでも認めない趣旨のものとは思われない。刑法一七
五条は、右のような行為を処罰する規定であつて、憲法二一条に違反するものでは
ない(最判昭和三二年三月一三日・刑集一一巻三号九九七頁、最判昭和四四年一〇
月一五日・刑集二三巻一〇号一二三九頁参照)。
 論旨は理由がない。
 被告人Dの控訴趣意三刑法一七五条の違憲性の主張について
 所論は、仮に表現の自由が公共の福祉の制限の下にあるとしても、憲法二五条の
定める健康で文化的な最低限度の生活を営む権利があり、その中には自由に表現す
る権利が含まれており、これと、性的秩序と最少限度の性道徳を維持することによ
る利益とを比較すると、前者が優先することが明らかであるから、表現の自由が公
共の福祉の制限を受けることはない、というもののようである。
 しかし、表現の自由は憲法二一条によつて保障されており、仮に同法二五条にい
う健康で文化的な最低限度の生活を営む権利の中にも表現の自由が含まれていると
しても、それは補充的なものであるに過ぎないから、同法二一条の保障する表現の
自由が濫用を禁ぜられ、公共の福祉に反することが許されないものである以上、同
法二五条の権利の中に含まれる表現の自由も、また同じように規制を受けるものと
いわなければならないのであつて、所論のように両者を別異に取扱うことはできな
いものといわなければならない。
 所論には賛成することができない。
 弁護人川端和治の控訴趣意第三の二刑法一七五条の違憲性・漠然性の故に無効に
ついて
 所論は、原判決が適用している刑法一七五条は、その構成要件要素であるわいせ
つ文書の概念が漠然としているため憲法三一条、二一条に違反し、無効である、と
いうのである。
 しかし、刑法一七五条にいうわいせつ文書とは、原判決もいうように、その内容
がいたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ、普通人の正常な性的しゆう恥心を
害し、善良な性的道義観念に反する文書のことであり(最判昭和三二年三月一三
日・刑集一一巻三号九九七頁、最判昭和四四年一〇月一五日・刑集二三巻一〇号一
二三九頁参照)、これによれば、わいせつ文書の概念が漠然としていて憲法三一
条、二一条に違反するものとはいえない。
 所論は、原判決は、わいせつ文書の定義について、いわゆるI事件の最高裁判所
判決(最判昭和三二年三月一三日・刑集一一巻三号九九七頁)に示されているとこ
ろを踏襲するとしながら、他方で、同判決でわいせつ文書とされた「I」上・下二
冊について、現在これをわいせつ文書と断ずるのは疑問であるとしているのであつ
て、このように正反対の結論を導くことが可能であるということは、初めから定義
であり得なかつたことを明らかにするものである、というのである。しかし、原判
決は、ある文書がわいせつ文書の定義に当たるかどうかは一般社会に行われている
良識、すなわち社会通念に従つて客観的に判断すべきものであり、今日の社会通念
によつて「I」上・下二冊を検討すると、わいせつ文書の定義に当たると断定する
のは疑問である、といつているのであつて、わいせつ文書の定義そのものが揺れ動
いていることを示すものではない。
 論旨は理由がない。
 弁護人川端和治の控訴趣意第三の三、四刑法一七五条の違憲性・性行為非公然性
の原則とのかかわりについて
 所論は、原判決が刑法一七五条の存在根拠としている性行為非公然性の原則は、
実験等によつて検証されていない全くの虚構の上に立つドグマであり、このような
非合理な原則を存在根拠とする同条は憲法三一条に違反して無効であり、仮に性行
為非公然性の原則が守られなければならないとしても、刑法一七五条は右原則の遵
守とは無関係の行為を禁止するものであるから、やはり憲法三一条に違反して無効
である、というのである。
 性及び性行為は、それ自体としては善でも悪でもないが、原判決が性行為非公然
性の原則の内容であるという、性交やそれに密接する性戯等が公然と実行された
り、刑法一七五条に規定されている、わいせつ文書の販売等が実行されたりする
と、短期的には、これを見たり読んだりする者の性欲を興奮または刺激させ、長期
的には、一般人の性的しゆう恥心をまひさせ、性及び愛の純粋性が失われ、善良な
性的道義観念が廃れ、遂には性的秩序さえ維持されなくなる虞があることは、われ
われの経験上顕著な事実であり、当審における事案取調の結果によつても左右され
るものではない。右の命題について実験した結果等は今のところ見当たらないが、
だからといつて、それが根拠のない非合理なものであるとする理由にはならない。
刑法一七五条がわいせつ文書を販売したり、販売する目的で所持したりする行為を
犯罪とし、その行為者に刑罰を科するものとしているのは合理的な根拠のあること
というべきである。
 論旨はその前提において理由がない。
 弁護人川端和治の控訴趣意第三の五刑法一七五条の違憲性・刑法一七四条の刑と
の不均衡による憲法三一条違反について
 所論は、刑法一七五条は、同法一七四条の刑と比較して均衡を失しており、憲法
三一条に違反する無効なものであるのに、原判決はこれを合憲であるとして適用し
た違法がある、というのである。
 しかし、刑法一七五条所定の行為は、同法一七四条所定の行為に比較して、一般
的に営利犯ないし営業犯的傾向を帯びやすく、反復利用される可能性があるばかり
でなく、マスコミニケーシヨンの方法を利用して犯されることも多く、それだけに
及ぼす影響が大きく、性的秩序に対する侵害の危険性が高いものであるから、法定
刑の上限に差を設けているのであつて、均衡を失しているものとは思われない(な
お、原判決が、この点について、「憲法二一条違反等の問題にはなりえない。」と
判示しているのは、「憲法三一条違反等の問題にはなりえない。」の誤記と認め
る。)。
 論旨は理由がない。
 弁護人川端和治の控訴趣意第四(「第三」とあるが、「第四」の誤記と認める。
以下、これに準ずる。)及び弁護人竹内康二の控訴趣意補充没収の裁判の違憲・違
法性、被告人Dの控訴趣意一四畳半三五冊の没収について
 所論は、原判決は、その主文第四項において、押収してある本件文書三五冊を没
収しているが、右三五冊は被告人両名以外の委託者の所有に属するもの(少なくと
もその所属が明らかでないもの)であるうえに、原審記録にひそかに編てつされて
いる第三者所有物の没収に関する公告をした旨を届け出た書面によると、検察官が
本件文書についてした公告は、原審の弁論が終結された昭和五一年七月一五日より
二一日も遅い同年八月五日になされたものであつて、刑事事件における第三者所有
物の没収手続に関する応急措置法二条に定める、すみやかにの要件を欠くばかりで
なく、右公告に基づき第三者が参加の申立をしても、時既に遅く、すべての審理が
終つていて具体的な権利行使が不可能であるから違法であるという外はなく、結
局、前記没収の裁判は、憲法三一条、二九条にも違反するものである、というので
ある。
 原判決の掲げる関係各証拠によると、本件文書は、昭和四七年七月六日ころJ企
画というものから販売の委託を受け、Cにおいて被告人両名が所持していたもので
あるが、J企画というものの実体がわからないため、所有者があることは間違いな
いが、それが何人であるかが明らかでないものである。ただ、刑法一九条二項にい
う犯人に共犯者が含まれることはさきに述べたとおりであるから、その所有者が被
告人両名と共犯関係にあることが認められれば、実体法上の没収の要件には欠ける
ところがないことになる。ところで、前記各証拠によると、その所有者は、それが
本件文書の製造者、中間取引者、被告人両名への販売委託者のいずれであつても、
本件文書の記載内容を了知し、少なくとも未必的にはそのわいせつ性を認識してい
たこと、被告人両名への販売委託の際、直接あるいは販売委託者を通じて、被告人
両名と、被告人両名が本件文書を販売の目的で所持することを共謀していたことが
推認されるのであるから、実体法上没収の要件に欠けるところはないわけである。
次に原審の訴訟記録によると、本件は、昭和四七年八月一八日に公訴が提起され、
昭和五一年五月二〇日の第二六回公判期日に検察官の論告があり、同年七月一五日
の第二八回公判期日に弁護人の弁論及び被告人両名の最終陳述を終り、判決宣告期
日は追つて指定することとされ、同年一二月二三日の第二九回公判期日に判決が宣
告されていること、検察官は、昭和四九年二月八日の第八回公判期日において、本
件文書は被告人両名が買取つたものであると主張していたが、昭和五〇年七月三日
の第二〇回公判期日に取調べられた被告人両名の司法警察員及び検察官に対する各
供述調書や昭和五一年二月二〇日の第二五回公判期日における被告人両名の供述に
よると、本件文書は被告人らの所有に属するものか、それとも第三者の所有に属す
るものかが必ずしも明らかではない状態になつたと認められること、検察官は、本
件文書の所有者の住居、本名が不詳であるとして、刑事事件における第三者所有物
の没収手続に関する応急措置法二条一項所定の事項を、昭和五一年八月五日の官報
及び新聞紙に掲載し、かつ、同年七月二六日から同年八月九日までの一四日間、検
察庁の掲示場に掲示して公告していること、その後、法定の同月二三日までにはも
とより原判決が宣告された同年一二月二三日に至るまでも、第三者から参加の申立
がなされた形跡がないことが認められる。ところで、前記応急措置法二条一、二項
によると、検察官は、没収を必要と認める物があり、それが被告人の所有に属する
か第三者の所有に属するか明らかでないときは、すみやかに所定の告知または公告
をしなければならないことになつているのであるから、遅くとも、同年二月二〇日
の第二五回公判期日以後には公告の手続をしなければならなかつたものといわなけ
ればならない。しかるに検察官は、前記のように同年七月の後半以後に<要旨>なつ
てようやくその手続をしているのであるから、本件の公告は不適法なものという外
はない。しかし、同条項がすみやかに告知または公告をしなければならない
としている趣旨は、没収を必要と認める物の所有者に、問題の被告事件の手続への
参加の機会を与え、その権利を擁護しようとするものであるから、仮に右のすみや
かにの要件を満たさない告知または公告であつても、右の趣旨に沿うものであれ
ば、なお、告知または公告として有効なものとみてよいものと考えられるところ、
本件では、既に弁論は終結されてはいたもののいまだ判決宣告にまでは至つていな
い間に、公告が行われ参加申立の期間が経過したわけであり、適法な参加の申立が
あれば、請求によりまたは職権で、いつでも終結した弁論を再開して審理を続行す
ることができたのであるから、本件公告はなお有効なものといわなければならな
い。
 論旨は理由がない。
 弁護人川端和治の控訴趣意第五の一訴訟手続の法令違反について
 所論は、弁護人は原審において、刑法一七五条を全体として違憲であると主張す
るとともに、文書、図画、その他を区別することなく、しかも販売、頒布等の具体
的態様を問うことなく漫然一律に禁止していて、パンダリング手法によらない文書
による表現の自由、及びパンダリング手法によることなく、直接公衆の目に触れる
ことのない方法をもつてする図画等による表現の自由が制限される結果となる限り
においても違憲であると主張したのに、原判決は、前者については判断を示してい
るものの後者については一切の回答を拒んでおり、右は刑訴法三三五条二項に違反
する、というのである。
 しかし、刑法一七五条が違憲であるという主張は、それが全体として違憲である
というものでも、部分的に違憲であるというものでも、刑訴法三三五条二項にいう
「法律上犯罪の成立を妨げる理由」には当たらないものであつて(東京高判昭和四
一年一二月二六日・東高刑時報一七巻一二号二八七頁参照)、もともと判断を示さ
なければならない事項ではないから、所論はその前提において理由がないうえに、
原判決は種々検討のうえ刑法一七五条は違憲でないとしているのであるから、所論
の点についても否定の判断をしているものというべきである。
 論旨は理由がない。
 弁護人川端和治の控訴趣意第五の二訴訟手続の法令違反について
 所論は、本件文書三五冊(昭和五二年押第一五二号の三)は、刑訴法に定める押
収の目的を超過し、かつ、有罪の判決なしに行う事前検閲の内容をもつ差押によつ
てえられたものであり、また、本件文書二冊(同押号の四)は、提出についての任
意性がないものであつて、いずれも違憲、違法な押収手続によるものであるから、
証拠能力を否定すべきものであるのに、これを証拠にした原審の訴訟手続は違法で
ある、というのである。
 しかし、原審における訴訟記録によると、Fが被告人両名の経営するCで買つて
持つていた本件文書二冊(同押号の四)を警察官に見られ、昭和四七年七月二五日
にその取調を受け、右二冊を証拠物として任意に提出したこと、翌二六日に司法警
察員Kらが捜索差押許可状を被告人Eに示して同舎内を捜索し、本件文書三五冊
(同押号の三)を差押えたこと、右三五冊の取調請求に対しては、弁護人から、右
に控訴趣意として要約したところとおおむね同様の理由で異議がある旨の意見陳述
があり、前記二冊の取調請求に対しては、弁護人から異議がない旨の意見陳述があ
り、そのうえで取調べられたことが認められる。そうすると、右二冊については、
提出について任意性があることが明らかであるから、所論はその前提において失当
であるといわなければならない。問題は右の三五冊についてである。刑訴法が犯罪
組成物等について差押を認めている理由が証拠の保全と没収執行の保全の双方であ
ることは、所論も指摘するとおりであるから、Fが提出した二冊があるからそれ以
上は差押の必要がないとか、三五冊が同舎内にあることを検証しておけば十分に目
的を達成できるとか、同舎内から押収する必要があるとしても、一、二冊で十分で
あるとかというような所論には同調できない。けだし、それでは没収の執行はおぼ
つかないことになるからである。
 なお、事前検閲というのは、文書等の発行前にその内容を調べ、発行を規制しよ
うとするものであつて、犯罪組成物等の差押とは全く異なるものである。ただ、文
書の差押においては、それがわいせつ文書に当たるものであるか否かの判断がむず
かしく、もしわいせつ文書に当たらないものが差押えられるというようなことがあ
れば、表現の自由という重大な権利が侵害されることになるのであるから、慎重な
検討を経てことに当たらなければならないことは多言を要しないが、いやしくも差
押をすることに決定した以上は、証拠の保全及び没収執行の保全に必要な範囲で差
押をなすべきものであつて、文書であるか否かによつて区別をしなければならない
理由は見当たらない。
 所論は、文書が差押えられれば、その時点で有罪判決がなされたのと同一の効果
を関係者と社会に及ぼし、文書は書店から消え去り、国民が批判的にその文書の是
非を論じる可能性が失なわれる、というのである。たしかに、ある文書がわいせつ
文書として差押えられると、そのことが報道され、それを知つた書店主等が犯罪に
なる危険を感じて同種の文書を店頭からしまうことになる場合が多いであろうが、
それは、危険なものに近寄りたくないという人びとの知恵の結果であつて、差押そ
のものが違法なためではない。しかも、このことは、わいせつ文書販売目的所持罪
等における文書の差押に特有のことではなく、他の犯罪においても、たとえば、あ
る行為が犯罪になるものとして、検挙されたということがあれば、それを知つた者
があえて同種の行為をしなくなるのと同じことである。なお、書店主等が同種の文
書を店頭からしまうことになる結果として、国民がそれを入手して是非を考えるこ
とが困難になるであろうことは否定できないが、これも差押そのものが違法なため
ではない。
 所論は、文書の差押の際に、執筆者、発行者、販売者に対して告知し、弁解を聴
くなどの防禦のための制度的保障がないのは著しく不合理であり、憲法三一条、二
一条、二九条に違反するともいうのである。しかし、刑訴法四三〇条は、検察官や
司法警察職員等のした押収について不服がある者は、裁判所にその取消または変更
を請求することができる旨規定して権利保護の制度を設けているのであるから、所
論はその前提において失当である。そして、所論にかんがみ訴訟記録を精査して
も、前記三五冊を証拠にしたことを違法とすべき事情は見当たらない。
 論旨は理由がない。
 弁護人川端和治の控訴趣意第六本件冊子のわいせつ性に関する事実誤認、被告人
Eの控訴趣意のうち、本件文書のわいせつ性に関する事実誤認の主張について
 所論は、原判決が本件文書をわいせつ文書と認定したのが事実を誤認するもので
ある、というのである。
 原判決が掲げる関係各証拠によると、本件文書は、雑誌「A」昭和四七年七月号
に掲添された「B」と題する短編小説及びその関係の新聞記事等を複写して冊子に
まとめたもので、中心をなす右小説は、Lと称する者の戯作となつており、初め
に、主人公が元待合であつた家を買い、手入れをするうちに、離れ座敷のふすまの
下地にはられていた紙に記された面白い文章を発見したことを述べ、次いで、その
内容の叙述として、「其首尾いかにを回顧するに」から「流石に夜が明けてから顔
見合すも恥しきばかりなる。」までの部分に、二人分男女が体位を変えたりしなが
ら性交を続けていく様子や、その前後における性戯等の情景を、その姿態、性器の
状態、行為者の会話・発声・感情・感覚の内容等を交えながら、露骨、詳細、かつ
具体的に、しかも情緒的、官能的な表現方法をもつて描写し、その後で、主人公の
浮気癖や漁色遊とうの様子を物語つている作品で、右の性交や性戯等の描写部分
が、量的に全体の約三分の二を占めているうえに、質的にも小説の中枢をなしてい
るものであつて、その文体・語い・文章上の技巧・全体の構成、小説のもつ感興・
印象、小説に対する評価・位置づけなどを考慮に入れても、全体として、読者の好
色的興味をそそることをねらいとしたものと認められ、現今の社会通念によると、
その内容は、いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ、普通人の正常な性的し
ゆう恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものと評価される。従つて、これを
刑法一七五条にいうわいせつの文書に当たるとした原判断は、正当として是認する
ことができる。
 所論は、本件文書中に、「開中」、「ぼぼ」、「本取」、「居茶臼」などのわか
りにくい用語があること、行為者の会話の描写が少なく、しかも、たとえば、「あ
なたどうかして頂戴よ、紙がとれませぬ」などのようなものばかりで、直接、性器
や性行為等を内容としたものがなく、その表現も官能的、情緒的でないこと、性行
為等による主人公の感覚の記載がほとんどなく、女の発声が誇張され現実離れして
いることなどを挙げて、本件文書はわいせつ文書としての要件を備えていない、と
いうのである。本件文書の中には、所論が指摘するような用語がないではないが、
わが国の国語教育の程度からすると、その一字一句の微妙な語意まで全部理解する
ことは困難であるとしても、そのおおよその意味をは握し、文章全体の内容を正し
く理解することができる者が多数存在するものと考えられるうえに、文書のわいせ
つ性の判断においては、個々の語句を他の部分と切り離して捕らえるのではなく、
それを含んだ文章を全体として評価するものであるから、所論をもつて本件文書の
わいせつ性を否定する理由とすることはできない。
 論旨は理由がない。
 弁護人川端和治の控訴趣意第七故意に関する法令の適用と事実誤認、被告人Dの
控訴趣意五故意について
 所論は、原判決が、当該文書の問題となる記載は読んでいないがそのわいせつ性
を認識しているという場合を想定することができるとし、取締当局によつて当該文
書がわいせつ文書として摘発を受けた事実を知つている者は当該文書を読んでいな
くても、特別の事情のない限り、そのわいせつ性を少なくとも未必的に認識してい
るという評価を免れることはできないとして、被告人両名に、本件文書のわいせつ
性について未必的故意を認めたのが、法令の適用を誤り、事実を誤認するものであ
る、というのである。
 しかし、所論の点に関する原判決の判断はおおむね相当であり、原判決の掲げる
関係各証拠によると、原判決が、被告人両名に、本件文書のわいせつ性について未
必的故意を認めたのは正当であつて、法令適用の誤りや事実誤認があるとは思われ
ない。なお、所論にかんがみ若干の点について判断を示しておくこととする。
 所論は、原判決が、「文書の記載内容の認識がなくても」、未必的にわいせつ文
書販売目的所持罪の故意を有する場合があると判示したとして、これは驚くべき暴
論である、というのである。しかし、原判決をしさいに調査しても、所論が指摘す
る「文書の記載内容の認識がなくても」、未必的故意を有する場合があるという判
示はどこにも見当たらない。原判決は、「問題となる記載は読んでいないが」と
か、「当該文書を読んでいなくても」、未必的故意を有する場合があると判示して
いるのであり、読んでいなくても内容を認識することができることは、あえて説明
するまでもないことである。
 所論は、原判決は、「取締当局によつて当該文書がわいせつ文書として摘発を受
けた事実を知つている者は、特別の事情のない限り、そのわいせつ性を少なくとも
未必的に認識しているという評価を免れることはできない。」と判示しているが、
取締当局の摘発を知つていたかどうかは、文書のわいせつ性の認識とは全く関係の
ない事実である、というのである。しかし、原判決が判示するように、取締当局が
言論及び出版の自由に注意を払うことなく、ほしいままにわいせつ文書等として摘
発をしているような事情はなく、むしろ、判例の示すところに従つて具体的に吟味
し、裁判官の発する令状によつて摘発に踏切るのが実情であるから、ある文書が取
締当局によつてわいせつ文書として摘発されたということを知つた者は、その文書
がわいせつと評価されるような内容のものであるかもしれないと判断し、そのよう
に認識するのが普通一般であるといつてよく、所論のように関係のない事実である
とすることはできない。
 また、所論は、右に関連して、もし原判決の判断によると、一般市民は、わいせ
つ性の有無を、判例にあてはめて決めるのではなく、専ら取締当局がどうしたかに
よつて決めざるをえなくなつて不当である、ともいうが、原判決が専ら取締当局の
摘発の有無によつて故意の存否を決めようとしているものでないことは、判文を一
読することによつて明らかである。なお、また、所論は、原判決は、裁判所がその
権利、役割を放棄して、わいせつ文書販売目的所持罪の成否を取締当局の判断にゆ
だねるものである、ともいうが、原判決は、取締当局がある文書をわいぜつ文書と
して摘発したことを知つているという事実を、未必的故意の存否の判断の一資料に
しているだけであつて、もとより当然のことであり、権利を放棄したとか、同罪の
成否を取締当局の判断にゆだねるものであるとかという非難は当たらない。
 論旨は理由がない。
 被告人Dの控訴趣意一主文について及び被告人Eの控訴趣意のうち、量刑の違い
について
 所論は、被告人両名の行為がもし犯罪になるのであれば、同一の刑になるはずで
あるのに、根拠もなしに罰金に差をつけたのは、事実に基づいて判決をしたもので
はなく、予断と推測に基づいて判決をしたことになる、というのである。
 原判決が、被告人Dを罰金一〇万円に、被告人Eを罰金六万円にそれぞれ処して
おり、両者間に差を設けた理由については明示的な説明をしていないが、量刑にあ
たつては、単に犯罪行為を共同して実行したということだけではなく、その態容、
その際における各犯人の年令、地位及び犯罪行為への影響力、犯罪行為によつて直
接または間接に受けた利益、犯罪後における態度等の諸事情も総合して、各犯人の
責任の程度を考えるべきものであるから、前記罰金刑の差は、これら諸般の事情が
検討された結果によるものと思われる。
 そして、当裁判所としても、これを相当なものとして是認することができる。
 論旨は理由がない。
 その他、各所論にかんがみ、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の
結果を参しやくしても、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認
や法令違反は見当たらず、論旨はすべて理由がない。
 そこで、刑訴法三九六条により、本件各控訴を棄却し、同法一八一条一項本文、
一八二条により、当審における訴訟費用は被告人両名に連帯して負担させることと
し、主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 坂本武志 裁判官 門馬良夫 裁判官 小田健司)

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛