弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
被告人を無期懲役に処する。
未決勾留日数中1170日をその刑に算入する。
押収してあるネクタイ1本(平成17年押第28号符号2)及び包丁
1丁(同押号符号1)を没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,同居していた実母であるaが,妻bを長年にわたり泥棒扱いするな
どしていじめ続け,これを自分自身に対する嫌がらせであると考え,さらに,平
成17年1月27日に預金の預け替えを勧めた郵便局長をも泥棒呼ばわりするに
至って,これ以上aと同居することは耐えられないなどの思いから,aを殺害し
て,自殺することを企て,さらに,長男c,長女d,同人の長男e,同人の長女
g及び同人の夫hについても,殺人犯の家族として生きていくのは耐えられない
だろうとの考えから,同人らをも殺害することを企て,
第1平成17年2月27日午前7時35分ころ,岐阜県中津川市甲乙番地丙所
在の被告人方においてc当時33歳に対し同人の頸部にネクタイ平,(),(
),,,成17年押第28号符号2を巻き付けて強く絞め付けよってそのころ
同所において,同人を窒息死させて殺害した
第2同日午前7時45分ころ,同所において,a(当時85歳)に対し,同人
の頸部に前記ネクタイを巻き付けて強く絞め付け,よって,そのころ,同所
において,同人を窒息死させて殺害した
第3同日午後零時10分ころ,同所において,d(当時30歳)に対し,同人
の頸部に前記ネクタイを巻き付けて強く絞め付け,よって,そのころ,同所
において,同人を窒息死させて殺害した
第4同日午後零時20分ころ,同所において,e(当時2歳)に対し,同人の
頸部に前記ネクタイを巻き付けて強く絞め付け,よって,そのころ,同所に
おいて,同人を窒息死させて殺害した
第5同日午後零時30分ころ,同所において,g(当時零歳)に対し,同人の
鼻口を左手で押さえた上,頸部を右手で扼し,よって,そのころ,同所にお
いて,同人を窒息死させて殺害した
第6同日午後1時30分ころ,同所において,h(当時39歳)に対し,殺意
をもって,所携の包丁(刃体の長さ約19.5センチメートル(同押号符号)
1)で同人の腹部を1回突き刺すなどしたが,同人に包丁を奪われて逃げら
れたため,同人に全治約2週間を要する腹部刺創等の傷害を負わせたにとど
まり,殺害の目的を遂げなかった
ものである。
(法令の適用)
記載省略
(弁護人の主張に対する判断)
第1弁護人は,被告人は,敏感関係妄想(妄想性障害)を基礎として,葛藤反
応型うつ病に罹患し,単一観念症に陥った結果,本件犯行当時,妄想様観念
に陥っていたため,是非善悪弁別能力が著しく減弱していたから,心神耗弱
の状態にあった旨主張するので,この点について検討する。
第2関係各証拠によれば,以下の事実が認められる。
1被告人の身上,経歴,家族関係等
()被告人は,昭和22年11月20日に,長野県において,父i及び母a1
の長男として生まれ,昭和25年には,弟jが生まれた。
()aは,大正9年2月1日に,広島県で出生した。aの実家は,昔は裕福2
な名家であったが,aの代にはすでに財産はなく,aは子供のころから経
済的に苦しい思いをしてきた。また,aは,iと結婚後,iの実家のある
長野県に引っ越したが,慣れない土地で,近所に友人もなく,舅や姑にも
きつく当たられるなど,辛い思いをして過ごした。aは,結婚当初は,革
,,職人をしていたiを手伝って働いていたが被告人が小学校5年生のころ
,。iが生命保険の用務員に転職し以前よりも収入は安定するようになった
しかし,依然として経済的には厳しく,aは,清掃員などをしてiの定年
まで働き続けて家計を助けていた。iとaは,経済的な理由でよくけんか
をしていた。
()被告人は,小学校に入学した当初は大人しい性格で,クラスでも目立た3
ない生徒だったが,被告人が小学校5年生のころ,iの転職により転校し
たことをきっかけに,被告人は,転校先で出会った明るく活発な友人と一
緒に行動するようになったことなどから,学校では目立つ存在になってい
った。このころも,家庭内では,aとiとのけんかが絶えず,aが八つ当
たり的に革のベルトで被告人を叩いてしかることがあった。
()aは,家の中で自分の物が無くなったと言っては,被告人やjの弁解を4
聞き入れることなく,それを子供たちのせいにするということが度々あっ
た。さらに,被告人が友人と遊びに行こうとすると,その子供の親が芸者
であることを理由に,その友人との付き合いをやめさせようとするなど,
,。,被告人に口うるさく干渉し被告人の言い分を聞かなかったこのように
aは,怒ったときの口調がきつく,被告人の言うことに耳を貸さずに決め
つけるところがあったため,被告人は,幼いころからaのことを恐れ,逆
らうことができず,次第に被告人はaに対して言いたいことを言えなくな
り,家庭内では無口で暗い態度になっていった。被告人は,小学校高学年
のころになると,aのことを嫌うようになった。そのため,被告人は,家
,,の中でaのことを避けるようになりaから話しかけられても無視したり
嫌そうな答え方をしたりしたことから,aの方も被告人には余り話しかけ
,,,なくなりけんかになることも多く被告人とaの関係は一層悪化したが
被告人は,明るく社交的な性格のiは好いており,父子関係は良好であっ
た。他方,次男のjは,aに対して如才なく対応しており,被告人のよう
な拒絶的な態度を取らないこともあって,aが厳しく叱ることも少なく,
両者の関係は悪くなかった。そのため,被告人は,aはjのことばかり可
愛がり,自分のことは嫌っていると思うようになった。
()被告人は,中学校に入学すると,部活動で活躍するなどして,学校内で5
も目立つリーダー的な存在になり,このころから,周囲からどのように見
られているかを強く気にするようになった。被告人は,このころから,身
長が低いことに対して特にコンプレックスを持つようになり,その原因が
身長が低いaのせいであると思い,aに対する反感を強め,ますますaと
,,。,話をしなくなりまた家族ともほとんど口を利かなくなった被告人は
高校に進学すると,部活動で活躍する一方で,タバコを吸ったり,他の高
校の生徒とけんかをしたりして,不良グループのリーダー格となるなど目
立つ存在であり,活動的であったが,家の中では,暗く無口であり,家族
の会話は,ほとんどiとjで占められていた。しかし,進路については,
高校3年生時にiと話し合いをし,まじめに仕事をして苦労をしてきた父
親への尊敬の思いを強め,考えを改めて,進学の決意を固めた。
()被告人は,高校卒業後の昭和41年,東京の大学附属のエックス線技師6
の学校に進学し,昭和43年に同校を卒業後,長野県松本市の病院に就職
し,その直後,診療エックス線技師の資格を取得して,エックス線技師と
して稼働するようになった。そのころ,被告人は,同じ病院で准看護婦と
して勤務しており,美人で明るく,職場でも人気のあったbと知り合って
好意を抱き,bと交際するようになった。被告人は,bと交際を始めてか
ら,bの明るく飾らない性格にますます惹かれるとともに,背の高いbが
被告人の背が低いことを全く気にしないでくれたおかげで,コンプレック
スからも解放され,自分自身の性格も明るくなったように感じた。そのた
め,被告人は,bに良く思われようと,仕事のできる頼りがいのある男を
演じるようになった。
()被告人は,bと知り合って1年ほど後に,i及びaに結婚相手としてb7
を紹介した。iはbとの結婚を喜んだが,aはbの出身地を聞いただけで
bの家柄などに対して思い込みを抱き,bを毛嫌いして,結婚に猛反対し
た。被告人は,aの思い込みを正そうと何度となく説明したが,aは耳を
貸さなかった。そのころ,被告人は,旧岐阜県恵那郡甲町(現在は中津川
市と合併,以下「甲町」という)所在の国民健康保険甲病院(以下「甲病。
院」という)の事務長の誘いを受け,aと別居できると考えたこともあっ。
て,同病院に移ることを決意した。昭和45年6月12日,被告人はbと
結婚し,同年7月に甲町に引っ越すまでの短期間,i及びaと4人で同居
したが,aは,当初から,bを泥棒扱いするかのような言葉を被告人に言
っていた。同年7月1日,被告人はbと一緒に甲町に引っ越し,甲町職員
の身分で,甲病院でエックス線技師として働き始めた。そして,被告人と
bは,昭和46年4月1日に長男cをもうけ,昭和50年1月31日には
長女dをもうけた。bは,cをもうけた後に,仕事を辞め,平成4年4月
から平成10年3月に勤務した以外は,家事等に専念した。
()被告人は,かねてiから,退職後に被告人一家と同居をしたいとの話が8
あったことから,昭和53年に,iと被告人が頭金を出し合って,本件犯
行現場である二世帯住宅を新築し,昭和55年から,被告人一家はi及び
aと同居を開始した。aは,依然として被告人に対し,bを泥棒扱いする
かのようなことを言っていたが,それをbに直接言うことはなく,aがb
に話しかけることはほとんどなかったものの,iが中に入ってbをかばう
などしていたこともあり,当初は,被告人らとaら家族は,一緒に食事を
するなど,表面上は大きな問題もなく生活していた。ところが,iが肺癌
により入退院を繰り返すようになると,aは,bを突然怒鳴りつけて頬を
叩くなどするようになり,昭和57年にiが死亡すると,aのbに対する
態度がエスカレートし,最初から嫁と認めていないとか,通帳が無くなっ
たと言って泥棒扱いするなど,毎日のようにbを怒鳴りつけたり,嫌味を
言ったりするようになったため,被告人が仕事を終えて帰宅すると,bが
部屋で泣いていたり,ふさぎ込んでいたりすることが多くなった。また,
aは,被告人に対しても,bが自分の物を盗んだなどの悪口を頻繁に言っ
てきた。そこで,被告人は,これ以上aと同居したら家庭が崩壊してしま
うと思い,昭和59年ころ,事情を良く知っているjに相談して,神奈川
県に在住するj方にaを引き取ってもらうことにした。しかし,aは,そ
の後も,月1,2回被告人宅に帰宅しては,bに対して嫌味を言うなどし
ていた。一方で,被告人は,aがj方に行っている間,一度もj方を訪れ
ることはなく,年賀状も出さなかった。
()被告人は,平成3年に甲病院の放射線総括技師長,平成5年に健康管理9
科長,平成8年には総務課次長及び地域医療科長と順調に昇任していき,
住民の健康相談を担当したり,公会堂での健康教室で講師として講義をし
,「」。たりするようになり甲町の住民からk先生と呼ばれるようになった
被告人は,このような自分の立場を誇りに思うとともに,その立場を守る
ために,一層世間体や周囲の目を気にするようになった。
このころ,dが高校を卒業し,犬の訓練士を目指して警察犬訓練所で住
み込みで働き始めたが,1年で辞めて自宅に戻った。被告人は,このこと
がきっかけで,平成5年ころから,子供のころから飼いたいと思っていた
シェパードを2頭飼い始め,訓練所の指導を受けて警察犬の訓練を始め,
毎年実施される警察犬の大会に参加させたり,警察から嘱託を受けて事件
発生の際に出動させたりするようになった。被告人は,一頭の犬に「エン
ジェル」と名付け,その子供で特に思い入れの深い犬には,bの名をもじ
って「エイミー」と名付けた。そして,毎日散歩や訓練に連れて行くなど
し,子供同然に可愛がるようになった。
()平成10年ころになると,jは,物が無くなったと言ってはjを泥棒10
扱いしたり,泥棒が入ったと言って騒いだりすることを繰り返すaと同居
を続けることを苦痛に感じようになり,さらに,aが頭痛や白内障などに
より入通院をするようになったため,面倒を見切れなくなり,被告人にa
を引き取るように頼んだ。a自身も,jに迷惑がかかるから被告人の家に
戻ると言い出した。被告人もbも,内心ではaとの同居は拒否したかった
が,bは,悩んでいる被告人の様子を見て,何とかaと上手くやっていこ
うと決意し,被告人にaを引き取るように勧め,被告人も,長男としての
責任や世間体などを考え,bに背中を押される形で,aを引き取ることを
決めた。
()被告人とbは,平成11年4月ころ,aとの同居を再開した。bは,11
以前のことは忘れて,aと上手くやっていこうと考え,aを買い物や旅行
に誘ったり,aが喜びそうな献立を考えるなどして一緒に食事も取ってい
たが,aはやはりbに辛く当たり,次第に「こんなところで食べてもおい,
しくない」などと言い出し,自分で食事を作って自室で一人で食事を取る。
ようになった。また,aは,相変わらず物が無くなったと言ってはbのせ
いにしたり,aの具合が悪いときにbが食事を作って持っていっても全部
捨ててしまったり,自分が買ってきた花をbに頼んで庭に植えさせたにも
かかわらず,後日その花を全部抜いてしまったり,台所のテーブルにbへ
の嫌味や悪口ばかりを書いた手紙を置いたりするなど,bに対して嫌がら
せを続けた。bは,aと上手くやっていくため,jに助言を求め,jから
被告人に間に入ってもらった方がよいと言われたので,その旨被告人に伝
,,「。。」えたが被告人はほうっておけ自由にさせておくのが一番いいんだ
などと言って,aとの関係を改善する努力を全くしなかった。そのため,
bは,このようなaの仕打ちに黙って耐え,aとはなるべく顔を合わせな
いようにした。また,被告人もaのことを避けていたため,普段の生活に
,。,おいては被告人とbはほとんどaと接触することがなくなったしかし
それでもaはbを泥棒扱いし,印鑑や通帳などの貴重品を腹巻きの中に入
れて肌身離さず持ち歩くなどした。そして,頻繁に被告人を部屋に呼びつ
けては「lさんは泥棒だぞ。私の着物なんてみんな持ってっちまって,1,
枚もない」などとbの悪口を言い「私のパンツをどこにやった」など。,。
と被告人のことも泥棒扱いすることがあった。しかし,被告人は,幼少の
ころからの経験で,aには何を言っても無駄だと思い,反論することもな
,。,,くただじっとaの話が終わるのを待つことに終始していたまたaは
様子を心配して月1回定期的にaの部屋に泊まりに来るjに対しても,b
の悪口を言ったり,泥棒扱いしたりした。jは,最初はそんなことはない
と言って被告人夫婦との間を取り持とうとしたが,aが全く聞く耳を持た
ず,何度も同じことを繰り返して言うため,次第にうなずくだけにしてa
の相手をしないようになった。
,,,()dは警察犬訓練所を辞めた後エステの機械販売などをしていたが12
平成11年ころ,hと知り合い,交際を始め,平成13年3月にhと入籍
し,同年9月に結婚式を挙げた。dとhは,当初,hの実家に住んでいた
が,2か月後には被告人らと同居することになった。しかし,このことに
ついてaが嫌味を言ったことなどから,その2か月後に被告人宅の近くの
借家に住むようになった。被告人は,離婚歴のあるhとの結婚に内心では
,,,反対だったが寛大な父親でありたいという思いからhとの結婚を許し
2人が抱えていた借金を肩代わりし,dの結婚費用や家のリフォーム費用
も出してやり,結婚後も,折に触れて経済的に援助していた。また,jに
は,dの結婚について,家族が増えたと嬉しそうに話しており,結婚後の
被告人とhの関係は良好であった。
()被告人は,平成13年6月1日,配置換えにより,甲町老人保健施設13
(現在は甲老人保健施設)の事務長に就任した。
aは,平成13年に,被告人に相談することなく,二世帯住宅の自分の
居住部分と被告人夫婦の居住部分との間に扉を設け,aの部屋側から鍵が
かかるようにしたり,自室にも南京錠を取り付けるなどし,常時自室に鍵
をかけるようになったため,被告人夫婦はaの部屋に出入りできなくなっ
た。一方で,aは,被告人夫婦がいないと思ってこっそり被告人夫婦の居
住部分に来たり,入浴中に風呂を覗いたりして,被告人らの様子を窺うこ
とがあり,被告人やbは,aから自分たちの生活を監視されているように
感じ,恐怖心やストレスを感じていた。また,その後もaは,bに対して
は,後から風呂に入るbへの嫌がらせのために風呂に大小便やゴミを放置
したり,bが大切にしていた庭の花木を引き抜いたりするなどの嫌がらせ
を続け,被告人に対しても,頻繁に部屋に呼びつけてbの悪口を言うこと
を続けていた。
()bは,aからのいじめに対する不満等を被告人に言うと被告人もため14
込んでしまうと思い,ノートに殴り書きをするなどしてストレスを発散さ
せていたが,平成14年ころ,このようなaの言動によって精神的に不安
定になり,暗くふさぎ込んだり,寝付きが悪くなったり,耳鳴りや頭痛が
するなど体調にも変調を来すようになった。また,被告人自身も,aから
。bに対する悪口を聞かされ続けることに強い苦痛やストレスを感じていた
しかし,被告人は,aを恐れ,強い態度に出ることができず,またaには
何を言って無駄だという思いもあって,aに反論したり,bに対する嫌が
らせをやめさせることはできなかった。そして,bに対しては,aに何も
言えない不甲斐ない男だと思われないようにと「年寄りだから放ってお,
け」などと余裕を持って構えているような振りをし,犬の散歩や訓練でし。
ばしば家を空けるなどして,bの訴えからも逃げていた。このような被告
,,。,人に対してbは次第に失望し不満を募らせるようになった被告人は
このような中で,次第にaへの嫌悪感を強めていくとともに,aの問題か
ら逃げてばかりいる自分に対して自己嫌悪に陥り,そのような不甲斐ない
姿をbに見られ,bに失望されることを耐え難く思っていた。そして,被
告人は次第に,漠然と「母がいなくなればいい」と思うようになった。。
,。,()平成14年4月にdは長男のeを出産した被告人夫婦とd一家は15
頻繁にお互いの家を行ったり来たりし,eも被告人によく懐き,関係は良
好であった。しかし,d夫婦も,aとの交流はほとんどなく,aの部屋に
入ることもほとんどなかった。
()平成15年12月ころ,bは被告人に対して家を出て行きたいと告げ16
た。これを聞いた被告人は,aとの別居を提案し,知人に借家がないか聞
いたり,bとともに物件を見て回ったりした。しかし,被告人がこのこと
をjに伝え,jからそのことを聞きつけたaは「私を見捨てるのか」な,。
どと激しい剣幕で被告人夫婦を怒鳴った。そのため,被告人は,気持ちが
萎え,また,老人保健施設の事務長である自分が母親の面倒も見ないとい
うのは世間体が悪いなどとという思いもあり,結局別居に踏み切ることは
できなかった。
()cは,宮崎の大学に進学し,卒業後,大阪で就職したが,都会生活が17
合わないとして,2年後に退社して被告人宅に戻った。その後,アルバイ
トをしながら,平成14年8月から,カイロプラクティックの学校に通い
始め,平成15年10月に,被告人宅でカイロプラクティック院を開業し
た。被告人は,cが定職についていないことについて世間体が悪いと思っ
ていたが,cには寛大で心の広い父親であると思われたいという思いから
口には出さず,カイロプラクティック院を開業する際には開業資金の一部
を援助するなどし,関係は良好であった。なお,cも,aとの交流はほと
んどなかった。
2犯行に至る経緯
()被告人は,平成15年ころから平成16年ころにかけて,通帳が盗まれ1
たと騒いだり,bを泥棒扱いするなどしたaに対し,怒りを抑えきれず,
aを殺してしまいたいという気持ちが込み上げてきて,思わずaの首を絞
めそうになったことが2度ほどあった。しかし,被告人は,aを殺害した
ら家族に迷惑がかかるなどと考え,必死にその思いを抑えた。
被告人は,このころから,aに何か言われたり,bを泥棒扱いされたり
するたびに,aに対して強い腹立ちを覚え,aを殺してbを楽にしたい,
自分も楽になりたいという衝動に駆られることが多くなっていった。しか
し,もしaを殺せば,自分も,残された家族も,世間から一生白い目で見
られて辛い思いをするから,aを殺害するときは,家族みんなを殺さなく
てはならない,しかしそんな恐ろしいことは到底できないなどと考え,思
いとどまっていた。この間の平成16年4月ころ,dが第2子を妊娠して
いることが判明した。
()平成17年1月上旬,被告人は,aが月1回やってくるjのために家の2
裏に駐車場を作ろうと言い出したのを聞き,jが駐車場所に困っているわ
けでもなく,家の裏は,自分が大切にしている犬の遊び場であることを分
かっていながら,aがjばかり可愛がって自分に対しては嫌がらせをする
ためにそのようなことを言い出したのだと思い,激しく腹を立て,aの殺
害を強く意識するようになった。そして,被告人は,自分であれば殺人犯
の家族と言われながら生きることは耐え難く,死んだ方がましであるとい
う考えから,aを殺害するのであれば家族も殺害しなければならないとい
う思いを抱くようになった。
このころから,被告人は,夜布団に入ると,aや家族全員を殺して,最
後に自分が自殺する場面を度々頭に思い描くようになった。もっとも,b
については,ずっと苦労をかけてきた最愛の妻を殺すことなどできないな
,,。どと考え犯行に及ぶとしたらbの不在時になると考えるようになった
()同年1月24日から26日にかけてのころ,被告人は,bから「2月23
,。」,7日に日帰り旅行に誘われたが行ってもいいかと相談されたことから
これを了承し,犯行を行うことができる日ができたと思った。
()同月26日,被告人は,甲郵便局長からaの貯金のことで話があると言4
われたため,翌27日の午後にaと一緒に行くと伝えた。そして,当日,
aに家で待っているようにと言い渡して出勤し,同日昼ころ,aを迎えに
帰宅したところ,aは家にいなかった。被告人は,近所を探し回っていた
ところ,aが先に一人で郵便局に行ってしまったことを知り,被告人は自
分の言うことを聞かないaに対して激しく腹を立てた。さらに,aは,郵
便局長からの貯金の限度額超過分を預け替えしたらどうかという説明に対
し「この人に騙されてお金を取られた」などと郵便局長を泥棒扱いし出,。
し,被告人や郵便局長がいくら説明しても耳を貸さずに郵便局内で騒ぎ続
。,,けた被告人はこれが顔見知りの多い郵便局内での出来事であったため
世間に顔向けできないほど恥をかかせられたと思うとともに,ぼけてもい
,,ないaがこのようなことをするのは自分に対する嫌がらせであると考え
aを激しく憎悪した。そして,これまで家庭内にとどまっていたaの嫌が
らせが,地域社会にまで広がったことから,これ以上aと一緒に生活する
のは限界だなどと思い,bが旅行に行く2月27日に,aと家族を殺害し
て自殺することを現実に実行することを意識した。
()被告人は,それから犯行日までの約1か月間に,繰り返し殺害の場面を5
頭に思い描くようになり,徐々に殺害する順番やその方法などの犯行の具
体的手順についてイメージを固めていった。同年2月7日に,dが長女g
,,。を出産したことから最終的な計画としては以下のようなものとなった
まず最初に,aを殺害する邪魔をされないように,同居しており最も力の
強いcを,就寝中にネクタイで首を絞めて殺し,次にaを同様の方法で殺
害する,次に,aがgを見たがっているなどの口実でd,e及びgだけ自
宅に呼び寄せ,hと引き離した上で,同人らも同様の方法で殺害する,最
後に,力の強いhをネクタイで首を絞めて殺すのは困難なので,包丁で刺
して殺害する,また,飼育していた2頭の犬についても,自分が死ねば世
,,,,話をする者がいなくなることから包丁を使って殺害しそして最後に
ネクタイで首を吊って自殺しようというものであった。他方で,gが生ま
れ,dが入院中の同月11日に,珍しくaがdの見舞いに行きたいと言い
出し,見舞いに連れて行った際,aがご祝儀を出し,gを抱いて「女の子
でよかったね」などと言って嬉しそうにしていたことがあり,aを殺害す
る気持ちが揺れ動いたり,生まれたばかりのgや懐いているeを殺害する
のはあまりにもかわいそうではないかなどと殺害を思いとどまろうとする
気持ちになることもあり,葛藤を続けていた。
()このころから,被告人は,夜布団に入ると,殺害の場面が頭の中をぐる6
ぐると巡り,よく眠れなくなった。もっとも,一晩中眠れないということ
はなく,食事は普通に取れており,日常生活に支障を感じることはなかっ
た。また,被告人は,仕事中に一家殺害のことを考えてぼんやりとするこ
とが増え,職場の同僚や部下は,同年2月に入ってから,被告人が事務所
で考え事をしていることが多くなり,以前は決断が早く,即断で指示を与
えてくれていた被告人が,指示を仰いでも曖昧な返答をしたり,優柔不断
な態度を取ることが多くなったと感じていた。もっとも,被告人は,仕事
が手に付かず困難を感じるなどのことはなく,客観的にも,被告人の業務
が停滞することはなかった。
また,同年1月中旬から2月中旬頃まで,bはdの出産に伴いd宅に手
伝いに行くことが多く,被告人も頻繁にd宅に顔を出して一緒に食事をす
るなどしていたが,その際も普段通りに振る舞っていた。bは,同年1月
以降,被告人のタバコの本数が増えたり,無言で嫌な顔をしていることが
度々見られたり,以前はeに対して怒ることはなかった被告人が,eを注
意するときに怖い顔をして少しきつい言い方をするようになったりといっ
た被告人の変化を感じたが,全体としては特に大きな変化を感じることは
なかった。ただ,タバコの本数が増えたことについては,ノートに書き留
めていた。
()犯行前日の同年2月26日,被告人は,知人に預けていた2頭の犬を引7
き取りに行き,自分によく懐いている犬の様子を見て殺すことが忍びなく
なり「明日みんなを殺すのをやめようか。いや,やっぱり明日やるしかな,
い」などと葛藤した。また,その夜も布団の中で殺害方法に思いを巡らせ。
ながらも,犯行をためらう気持ちや「本当に殺せるのか」という不安を,。
抱き,葛藤を続けていた。しかしながら,最終的には,殺害を決行しよう
と思い直し,その前に旅行に出掛けるbと最後の時間を過ごしたいという
思いから,bが旅行仲間との待ち合わせ場所まで知人に送ってもらう予定
であったのを,電話をかけさせて断らせ,自分で送って行くことにした。
3犯行当日の状況
()同月27日,被告人は,朝6時ころに起床し,車を運転してbを旅行仲1
間との待ち合わせ場所まで送り届けた。それまでの間も被告人は葛藤を続
けていたが,bを送り届けた瞬間,葛藤がなくなり,犯行を実行する気持
ちが異常に高ぶり,最終的に家族を殺害する決意を固めた。
()被告人は,帰宅後,訪問客に犯行を邪魔されないように玄関の鍵を閉め2
て居間から出入りをした。すると,aが,かねてより新聞の購読を申し込
んでは断るということを繰り返して新聞販売店に迷惑をかけていたにもか
かわらず,また新聞を購読したいなどと言い出したり,gを出産して間も
ないdがaにgを見せにこないことについて嫌味を言ったりしたため,こ
のような自分勝手なaを今すぐにでも殺害したいという衝動に駆られ,殺
害の決意は揺るぎないものになった。しかし,庭に出している犬が気にな
ったことや,ここでaを殺害すると,騒ぎに気付いたcが起きてきて邪魔
されるかもしれないなどと考え,思いとどまった。
4犯行状況
()その後,被告人は,犬が騒いでcが目を覚まさないようにと,2頭の犬1
を車の荷台の中のケージに入れた。そして,同日午前7時35分ころ,c
の部屋がある2階に上がり,納戸からネクタイ1本を手に取り,cの部屋
に入った。被告人は,ベッドの上で寝息を立ててうつ伏せで眠っているc
を起こさないようにそっとcに近づき,両手でネクタイの両端を持ち,c
の頸部に巻き付けた。cは,上半身を起こして頸部に巻き付いたネクタイ
を右手でつかもうとしながら「お父さん何」などと言い,身体を弓なり,。
に突っ張らせて苦しんだが,被告人は「c,一緒に死んでくれ」と言い,。
ながら,力一杯cの頸部を絞め付けた。
被告人は,cが動かなくなったのを確認し,次はaを殺す順番だなどと
考えながら,ネクタイを持ってaの部屋に向かった。
()被告人は,同日午前7時45分ころ,aの部屋をのぞき込んだところ,2
aがソファの上で眠っているのを見て,簡単に殺害できるなどと思いなが
ら,そっと部屋に入った。そして,静かにaに近づき,ネクタイをaの頸
部に巻き付け,両手で一気に絞め付けた。aは「うっ」という声を上げ,。
身体を弓なりに反らせてもがき苦しんだが,被告人は,これでやっと楽に
なれるなどと思いながら頸部を絞め続けた。被告人は,aが動かなくなっ
たのを確認し,これで自分もbも楽になり,苦しまなくてよくなるなどと
思い,ほっとした気持ちになった。その後,被告人は,後から来たdに不
審に思われないように,aの身体をソファの上に整然と横たわらせ,スト
ーブを点けっぱなしにしておくと危ないなどと思い,ストーブを切り,テ
レビを消した後,cが確実に死亡していることを確かめるため,再び2階
のcの部屋に行き,cが死亡していることを確認し,ベッドから出ていた
cの右足をベッドの上に乗せ,布団をcにかけた。
()その後,被告人は,2頭の犬を殺害するため,台所から2本の包丁を持3
,。って犬を連れて公園に赴き順次包丁で首や胸などを刺して犬を殺害した
そして,自分が自殺した後に勤務先の施設に迷惑をかけないようにと同施
設に向かい,施設に入る前にトイレで血の付いた手を洗っていたとき,鏡
を見ると,額にも血が付いていたので,これも拭いて,さらに,血の付い
た衣服を着替えた。同日午前8時30分ころ,職員と挨拶を交わして施設
内に入り,今後の仕事に支障がないように借りていた書類や鍵等が入った
鞄を事務所に置き,私用を職場でやっていたことが発覚しないように,自
分の机等に入れていた警察犬関係の書類を取り出して持ち帰る準備などを
してから同施設を出て,途中で再び公園に寄って2頭の犬に手を合わせ最
後の別れを告げた後,自宅に戻った。
()帰宅した被告人は,犬の血が付いた2本の包丁を洗い,dらに見つから4
ないように包丁の上に衣服をかぶせて隠した。そして,自分は普段午前中
は犬を訓練所に連れて行って遊ばせているため,余り早い時間にdたちを
迎えに行くと不審に思われると考え,昼近くになってからdたちを迎えに
行くことにした。被告人は,それまでの間,こたつのそばで横たわりなが
ら,自分のしたことを振り返り,何て恐ろしいことをしてしまったんだろ
う,どうして殺してしまったのかなどと後悔する気持ちを抱きながらも,
始まったのだからもう後戻りはできないなどと犯行を継続する気持ちを奮
い立たせながら時間が過ぎるのを待った。
()その後,被告人は,同日午前11時45分ころ,車でdの家に赴き,d5
らに対し「aがgの顔を見たがっているから来てほしい」などと言い,,。
寝ていたhに対して「mさん,後で迎えにくるで頼むな」と声をかけ,,。
d,e及びgを車に乗せて被告人方まで連れて行き,到着するとaの部屋
に行くように促した。そして,同日午後零時10分ころ,dにaの近くに
行くように言って,aの様子を窺ったdがaの異変に気付いたところを背
後から近づきその頸部にネクタイを巻き付けたdは驚いた表情でお,。,「
。」,。,父さんと言ったが被告人はそのままネクタイを強く絞め付けたdは
gを抱いたまま,尻を床につき,やがて仰向けに倒れた。被告人は,dに
対する謝罪の気持ちと,世間から人殺しの子供と言われなくてよかったと
いう思いを抱きながら,首を絞め続け,dを殺害した。
()その時,eが被告人に近づき「ママ大丈夫なの。gは大丈夫なの」6,。
と心配そうに言った。これを聞いた被告人は,c,a及びdを殺害すると
きには躊躇はなかったが,さすがにかわいそうに思い,一瞬eの殺害を迷
,,「,。」ったもののもう後戻りはできないと自分に言い聞かせeごめんな
などと心の中で話しかけながら,同日午後零時20分ころ,eの首にネク
タイを巻き付けて強く絞め付け,eを殺害した。
()その後,gが突然泣き出したため,被告人は,近所の人が異変に気付い7
てしまうかもしれないと思い,あわててgの鼻と口を手で押さえた。そし
て,泣き続けるgを見て,このまま手で首を絞めて殺害しようと決め,同
日午後零時30分ころ,右手でgの首を絞めて,殺害した。その後,被告
人は,dの左腕にgを,右腕にeの頭を乗せて,gのおくるみとして使っ
ていた毛布を広げて3人にかけた。
()同日午後1時ころ,被告人は,台所から,犬を殺害した際に切れ味が鋭8
かった方の包丁を選び,衣服で包み隠して車に乗せて,hを迎えに行き,
hを連れて自宅に到着すると,aの部屋に行くように促した。そして,a
の部屋に向かうhに背後から近づきながら,衣服に包んでいた包丁を取り
出し,その途中のテーブルの上に置いてあったタオルを見て,指にできた
傷が痛むこともあり,とっさに,包丁が滑らないようにしようと考え,柄
の部分に滑り止めのためにタオルを巻き付けた。被告人は,包丁を背中に
隠したまま,aの部屋に続くドアを開けて,hに部屋の中に入るように促
したが,hは,aの部屋の様子に異変を感じて被告人の方に振り向いた。
そこで,被告人は,hに対し,同日午後1時30分ころ「mさん死んでく,
。」,。,れと言いながら包丁をhの腹部中央付近目がけて突き刺したしかし
すぐにhに包丁を持った手を押さえられ,揉み合いの末,hが包丁を奪い
取って放り投げ,被告人方から逃げたため,被告人はhを殺害することが
できなかった。
5犯行後の状況
被告人は,当初の計画では,首を吊って自殺するつもりだったが,hに
逃げられたため,すぐに人が来るに違いないと思い,首を吊って自殺する
時間はないと考え,hが放り投げた包丁で,自分の頸部を数回突き刺した
,,。,上すぐに人に見つけられないように空の浴槽内に身を隠したしかし
駆けつけた警察官らに発見され,自殺を遂げることができなかった。
被告人は,病院のベッドで目を覚ましたとき「何で生きているのか」,。
と思うと同時に,意識がはっきりするにつれ,家族を殺害したことが脳裏
に蘇ってきて,取り返しのつかない大変なことをしてしまったという後悔
の念や,恐怖心で一杯になった。
第3責任能力についての当裁判所の判断
1犯行前の被告人の生活状況・精神状態について
被告人は,犯行当時,老人保健施設の事務長として,日々の職務を問題な
くこなしていたもので,職場や地域住民からの信頼も厚く,良好な社会生活
を送っていた。また,被告人にはこれまでに精神科等への通院歴や服薬歴は
ない。被告人は,本件犯行直前ころに,第2の2()のとおり,抑うつ状態に6
見られる睡眠障害などの身体症状や,仕事での集中力や決断力が低下するな
ど思考抑制とも見られる症状のほか,タバコの本数が増えたり,怒りっぽく
なったりするなどの変化が生じていたが,食欲はあり,日常生活や仕事に大
きな支障が生じたことはなく,bら周囲の者も特に注意すべき異変があった
とは感じておらず,また,被告人自身も気分の落ち込みや精神状態の変化な
どを自覚していなかった。
2犯行態様について
()被告人は,第2の2()のとおり,綿密とまではいえないものの,その15
殺害手順や方法などについて事前に具体的な計画を立てており,その計画
内容は合理的かつ合目的的である。
()そして,被告人は,この計画に従った犯行を行うために,第2の3()22
のとおり,誰かが訪問してきて犯行の邪魔をされないように玄関の扉に施
錠をするなど,周囲に犯行が発覚しないように配慮した上,aの言動に腹
を立て殺害の衝動に駆られながらもこれを抑えて,第2の4のとおり,ほ
ぼ計画に沿った行動に出ている。また,第2の4()のとおり,犯行実行の3
途中にありながら,自分の死後に職場にどのような事態が起こるかを想定
した上での行動もとっている。そして,第2の4()ないし()のとおり,35
dらを迎えに行く前に血の付いた包丁を洗うなどした上,dらに怪しまれ
ないため,普段の自分の生活習慣に照らして不自然ではないように,あえ
て昼近くになるまで待ってからdらを迎えに行ったりするなど,慎重に注
意を払って行動している。さらに,犯行態様に関しても,第2の4()のと7
,,,おりeを殺害した後にgが泣き出した際近所に気付かれることを恐れ
急遽計画を変更して,手で首を絞めて殺害したり,第2の4()のとおり,8
hを殺害する際に,犬を殺害した際に切れ味の良かった方の包丁を選び,
タオルを見つけるととっさに手が滑らないようタオルを包丁の柄の部分に
,。,巻き付けたりするなど状況に応じて臨機応変な行動をとっているまた
第2の5のとおり,hの殺害に失敗すると,自殺方法もとっさに変更して
いる。
以上のように,被告人は,あらかじめ立てた計画に従って犯行を実行し
ており,途中で生じた予想外の事態に当たっても,その場に即応した行動
をとっているばかりでなく,それ以外の場面でも,犯行計画を実現し,後
に残る支障を少なくするため,終始,合目的的な行動をとっているのであ
って,その認識,思考及び判断は合理的である。
3犯行時の記憶・認識等について
()被告人は,本件犯行に至る経緯,動機,犯行態様,犯行後の行動等につ1
いて,概ね前判示のとおりの内容を,その際の自己の心情も交えながら詳
細かつ具体的に供述している。その内容は他の客観的な証拠と合致してお
り,犯行当時の記憶の欠落はなく,犯行時の意識は清明であったことが認
められる。
()また,被告人は,第2の2()のとおりの計画を立てたものの,実際に25
実行するか否か逡巡しながら犯行当日を迎え犯行当日も第2の4()(),,46
,,,のとおり罪悪感や恐怖心などを覚えてその都度葛藤し躊躇しながらも
一旦犯行に着手するや,計画を実現しようという強い意思の下に犯行を実
行しており,被告人は,自己の行為の意味とその罪の重さを十分に認識し
ていたことも認められる。
4犯行後の状況について
被告人は,自殺を図り,意識を取り戻した直後にも,自分の行為を振り返
り,その重大性を感じて後悔するなどしており,ここでも意識や認識の乱れ
は認められない。
5鑑定結果について
本件においては,被告人の犯行当時の精神状態につき,医師であるnによ
る鑑定(以下「n鑑定」という)が先行して行われ,その後,同じく医師で。
あるoによる鑑定(以下「o鑑定」という)が行われており,この両鑑定は。
結論を異にしているところから,それぞれについて検討する。
,,,,()o鑑定は捜査及び公判記録を検討した上被告人b及びjと面接し1
被告人に対する身体検査,10種類に及ぶ心理検査を行った上でなされた
ものであるが,結論として「本件犯行当時の被告人には,精神障害は認め,
られない。本件犯行は,何らかの精神障害の影響によるものではなく,被
告人と母との間の長年の葛藤関係,母の人格的問題に基づく逸脱行動,被
。」。告人の人格傾向などが原因となって起こったものである旨判断している
アo鑑定は,先行のn鑑定等が「うつ状態」あるいは「うつ病」との結
論であることについて,まず,①犯行直前ころ,被告人には睡眠障害が
生じたり,仕事に対する集中力を欠いたり,仕事での決断力が低下する
などの症状が見られるものの,その程度は一晩中眠れない日々が続いた
り,業務に支障が生じるほどの重度のものではなく,一家心中という異
常なことを考え葛藤を繰り返していたことに照らせば当然のこととして
理解できること,②被告人自身は,犯行当時,気持ちの落ち込み,疲労
感,意欲低下,食欲低下,集中力の低下や注意力の低下といった抑うつ
症状を自覚したことはなく,仕事に大きな支障を感じたこともなかった
こと,③bは,犯行前の被告人について,タバコの本数が増えるなどの
変化は感じていたものの,特に大きな異変は感じていなかったこと,④
被告人は,犯行前に事前に周到な計画を練り,犯行時も,冷静に状況を
判断し,自己の感情をコントロールしながら計画通りに犯行を遂行して
おり,うつ状態下に見られる意欲,思考力及び判断力の低下は見られな
いこと,⑤心理検査のうつ病自己評価尺度(SDR)によると,犯行当
,,時の得点は正常から神経症圏内であること⑥ICD−10によっても
犯行当時の被告人には,うつ病エピソード(F32)の診断基準だけで
なく,気分変調症(F34.1)や適応障害(F43.2)など,うつ
状態を呈する他の精神障害の診断基準も満たしていないことなどから,
被告人が犯行当時うつ状態あるいはうつ病であったと診断することはで
きないと判断している。さらに,①被告人には身体所見及び検査所見上
からは異常は見られず,心理検査においても記銘力,見当識及び知能な
どにも問題がないことから,器質性精神障害の可能性は明らかに否定で
,,,き②犯行当時においても鑑定時においても被告人には妄想をはじめ
幻覚,自我障害,奇異な感情表出や行動といった精神病性の症状は認め
られず,n鑑定及びo鑑定におけるいずれの心理検査においても,現実
認知の歪み,思考障害,妄想着想傾向等を窺わせる所見は得られていな
いことなどから,妄想性障害を含め,うつ病以外の他の精神病性障害に
罹患していた可能性もないと判断している。
イo医師の学識,経歴に照らし,鑑定人としての資質を備えていること
は疑いない。また,o鑑定は,207日間という鑑定期間において,n
鑑定を含む一件記録を精読し,被告人との面接,身体検査や心理検査等
を行い,さらにb及びjからも事情を聴取した上で得られた資料を前提
に,代表的診断基準であるICD−10を用いて精神障害の有無を判断
しており,その手法及び前提資料の検討も相当なものであって,判断の
過程に破綻,遺脱,欠落は見当たらず,その判断過程及び結論には十分
な合理性を認めることができる。
ウなお,o鑑定は,被告人に睡眠障害等が存在したことを前提としなが
ら,被告人が犯行当時うつ病のみならずうつ状態にあったことをも完全
に否定しているが,o医師は「すべてのうつ状態が精神障害なのではな,
,」「」く一定の診断基準を満たすうつ状態だけを精神障害と診断している
としていることに照らすと,被告人の症状が極めて軽度なものであるか
,ら精神障害と診断できるうつ状態ではなかったといっているだけであり
症状としての抑うつ状態を否定する趣旨ではないと解される。
エこの点,弁護人は,①o鑑定は,先行して行われたn鑑定の内容を正
確に理解しておらず,n医師が実施した被告人の問診結果を重視してい
ないこと,②n鑑定において指摘されている,敏感関係妄想等の精神障
害についての検討が不十分であること,③o鑑定は,本件犯行動機につ
いて,被告人の自己愛に基づくものであるという誤った推論をしている
ことなどを理由として,その信用性が乏しいと主張する。
上記①については,n鑑定における各種検査や問診については,本件
,,犯行の約1年後という比較的早い時期に実施されており各種心理検査
脳波及び頭部CT検査などを施行した上,21回にわたって被告人の問
診を実施するなど,詳細なものであって,被告人の本件犯行当時の精神
状態を知る資料的価値は高いといえる。しかし,n鑑定の各種検査結果
を見ても,被告人が犯行当時うつ病であったことを示す結果や,現実認
知の歪み,思考障害,妄想着想傾向など被告人が妄想性障害を含めた精
神病性障害に罹患していたことを示す結果が顕れているとはいえない。
また,n鑑定における問診内容を見ても,事実経過及び犯行当時の被告
人の心理状態に関する被告人の供述内容は概ね捜査段階から一貫してお
り,o鑑定の問診時における供述内容とも合致しており,時間の経過に
。,,,伴う内容の変容はほとんどないそしてo医師は当公判廷において
鑑定に当たってはn医師の鑑定書及びn医師の証人尋問調書を精査した
旨証言しており,o医師の鑑定書や証言内容からすれば,o医師がn鑑
定の各種検査結果及び問診結果も考慮に入れた上で精神障害の有無を判
断していることは明らかであって,n鑑定の問診結果をことさら軽視し
て鑑定結果を導いているとはいえない。また,n医師はICD−10.
F32の「うつ病」と診断していないにもかかわらず,このように診断
したとo医師が誤解しているという点については,n鑑定は葛藤反応型
うつ病を導く前提として抑うつ状態があると述べているのであるから,
o医師がICD−10.F32を検討することに誤りはない。また,n
鑑定によると,葛藤反応型うつ病は,ICD−10の疾病分類では,適
応障害の一種である遷延性抑うつ反応(ICD−10.F43.21)
に該当するとされているところ,o鑑定は,前記のとおり,ICD−1
0.F32の「うつ病」以外にも,ICD−10.F43.2の適応障
害の診断基準を満たしているか否かも検討しているのであるから,o医
師がn鑑定を誤解しているとの批判は当たらないというべきである。上
記②についても,o鑑定は,n鑑定が主張している妄想性人格障害,葛
藤反応型うつ病及び急性一過性精神障害について,n鑑定の診断根拠や
診断過程を検討した上で,その問題点を指摘しており(これについては
後述する,被告人にはn鑑定で診断されているようなaに対する被害。)
妄想や,うつ状態は存在せず,妄想様観念もないから,これらを前提と
するn鑑定の結論は採り得ないと判断しているのであり,その説明は十
分に論理的なものである。
以上から,弁護人の指摘する上記①,②の各点は,いずれもo鑑定の
信用性に疑問を抱かせるようなものではないというべきである。
また,上記③について,o鑑定は,精神障害の有無を判断することが
鑑定事項であり,心理学的に犯行動機を解明することは鑑定の目的では
ないとした上で,あくまでもo医師の推論ないし参考意見として補足的
に本件犯行動機について記述したにすぎないのであるから,この点も,
精神障害の有無というo鑑定の根幹部分の信用性を揺るがすものではな
い。なお,本件犯行動機をどのように解するべきかについては,その了
解可能性も含めて,本件において最も重要な問題点であることから,後
で詳しく検討することとする。
オ以上によれば,o鑑定はその根幹部分において,基本的に高い信用性
を備えているというべきである。
()一方,n鑑定は,結論において「被告人は,犯行前に,妄想障害と葛2,
藤反応型うつ病(軽度)に陥り,犯行当時は,母親に対する被害妄想と,
一家心中に対する妄想様観念を体験していた。被告人の是非善悪弁別能力
及び行動制御能力は,著しく減弱していたが,全く失われていたわけでは
ない」旨判断している。。
アn鑑定の手法について
そもそも,n医師は,鑑定の経過について,まず犯行全体を見て,大
量殺人ということの持つ意味に着目し,一家心中や利得目的ではない本
件が極めて異常な事件であると思い,次に犯行動機がどのようなもので
あるかを検討したと説明し,その検討に当たって,今まで無難に生きて
きた被告人が本件犯行に及んだこと,aの行動から殺すことを考えるこ
と自体異常であり,さらに一家殺害を考えることはより異常であって,
大きな人格異質性を考えなければならず,動機も極めて了解不能に近い
ことを前提としたと説明している。また,家族の大量殺人を,①葛藤か
ら家族全員に憎悪や怨恨を抱いてしまう場合,②病苦や借金苦から拡大
自殺としての一家心中に至る場合,③利欲や隠ぺいのからんだ偽装一家
心中の場合を除けば,何らかの精神障害を伴う場合しかないという前提
のもとで類型化し,本件は上記①ないし③に該当しない以上,何らかの
精神障害を伴うケースに該当するという判断過程をとっている。このよ
うに,n鑑定は,本件が異常な事件であるという印象から,被告人が何
らかの精神障害に罹患しているという前提に立ってその鑑定を進めてい
ることが窺われ,その判断経過の客観性に疑問が残るといわざるを得な
い。
イ被告人が妄想障害に罹患していたとする点について
n鑑定は,aは被告人を嫌っていなかったのであるから,被告人がa
の言動を自分への嫌がらせだと確信していたのは被告人の被害妄想であ
ると判断した上で,被告人は,犯行約1か月前ころから,敏感関係妄想
型の妄想障害に罹患していたと診断している。
しかしながら,aの本心がどうであったにせよ,aは,現にbに対し
て度を超えた嫌がらせを繰り返した上,被告人に対しても,部屋に呼び
つけてbの悪口や嫌味を聞かせるなど,被告人が苦痛に感じる行動をと
っていたことは事実であり,n・o両医師とも,被告人らから聴取した
aの言動・行動から考えて,aが妄想障害ないしは妄想性人格障害に罹
患していたとの疑いがあると判断するほどであったことに照らせば,そ
のようなaの言動に長年さらされていた被告人が,それを自分への嫌が
らせでもあると感じたり,確信したりしたことは,まさに客観的に生じ
ている事実に対応した心情の動きであり,妄想という病的概念を持ち出
さずとも十分に理解が可能なものである。
以上のとおり,被告人のaに対する感情は,客観的事実に対応して生
じたものであるから,これを被害妄想であるとするn鑑定には疑問が残
る。
ウ被告人が葛藤反応型うつ病に罹患していたとする点について
n鑑定は「人格が長期に続く葛藤をうまく昇華したり,解消したりす,
,,,る方法で処理できない場合に葛藤がうつ状態をひきおこしてしまい
そのような抑うつ状態に置かれているときに,葛藤反応型うつ病の診断
が用いられる」とした上で,被告人が長期にわたってaへの葛藤を抱い
ていたこと,被告人が世間体や恥に対して過度に敏感な性格であること
及び被告人が単一観念症や一過性の妄想様観念に陥っていたことなどか
ら葛藤反応型うつ病の特徴に当てはまるなどとして,被告人は葛藤反応
型うつ病に罹患していたと診断している。
しかしながら,上記n鑑定の診断基準に照らしても,葛藤反応型うつ
病と診断するためには,まず,大前提として,主症状である抑うつ状態
が認められなければならないはずであるが,n鑑定では「平成17年2,
月上旬ころから軽度の抑うつ状態が観察されている(n鑑定151頁)」
とか「被告人には思考抑制が認められる」などという抽象的な指摘がな,
されるにとどまり,被告人を抑うつ状態であったと判断するための主症
状(抑うつ気分など)や睡眠障害などの症状及びその程度については具
体的な言及がなされていない。また,そもそも,どの程度の抑うつ状態
であれば葛藤反応型うつ病と診断することができるのかについても説明
がなく,結局,n鑑定では,葛藤反応型うつ病に見られる特徴があると
指摘するのみで,いかなる診断基準を用いた上で,どのような理由から
被告人がその診断基準を満たすと判断しているのかが,鑑定内容からは
明らかではないといわざるを得ない。
また,n鑑定は,被告人が,平成17年1月27日の郵便局の一件以
降,aの殺害及び一家心中への思いを強めたことをもって,このころか
ら被告人には反復思考ないし単一観念症が発生していたと判断している
が,一家殺害という犯行の重大性からすれば,殺害方法について何度も
思いを巡らしたり,ためらう気持ちとの間で葛藤するなどして,犯行の
ことで頭が一杯になることはむしろ自然なことであって,被告人の上記
のような症状は,単一観念症という概念を持ち出さずとも,正常心理の
範囲内で十分理解が可能である。また,被告人自身も,o医師の問診に
おいて「自分の意思に反して浮かんでくるという感覚というより,自分,
の意思という感覚だった」などと述べており,その供述からも,被告人。
が犯行当時,精神障害によって思考能力が支配,抑制されていた様子は
窺われない。n鑑定は,被告人の症状を反復思考ないし単一観念症と診
断した根拠について十分な説明がなされているとは言い難い上,これら
の症状を,葛藤反応型うつ病に罹患した結果生じた症状であるかのよう
に述べる一方で,葛藤反応型うつ病と判断した根拠ともしており,循環
論法に陥っているきらいがある。
以上から,被告人が葛藤反応型うつ病に罹患していたとするn鑑定に
も疑問が残る。
エ急性一過性精神病性障害等について
n鑑定は,被告人は,aに対する被害妄想を基盤として,犯行当日の
朝,aの言動に対して立腹,激怒し,心因性妄想反応としてa殺害と一
家心中に関する妄想様観念を抱いたとした上で,かかる一過性の妄想様
観念は,ICD−10でいう急性一過性精神病性障害,DSM−Ⅳでい
う短期反応精神病に該当すると判断している。
しかしながら,上記のとおり,そもそも,被告人がaに被害妄想を抱
いていたという前提は採用し難い。また,n鑑定では,aの殺害及び一
家心中の動機に関する被告人の説明は了解不能ではないとした上で,妄
想様観念は,妄想とは異なり論理的にも感情的にもかなり了解可能な意
味内容を持つものであるから,被告人の場合は妄想ではなく妄想様観念
と診断するのが相当であるなどと述べているが,かかる説明では,被告
人の動機が妄想ではないことの理由にはなっても,妄想様観念であるこ
とを積極的に肯定するだけの根拠とはならないことは明らかであり,被
告人の動機につき,妄想様観念という病的なカテゴリーに含める積極的
な理由が,前記の一家殺害に関するn医師の持論以外何ら説明されてい
ない。n鑑定は,被告人の一家心中に関する説明はいずれも独自の病的
観念であるとも述べているが,病的なものであるとする根拠が明らかで
はない。
以上から,被告人が急性一過性精神病性障害等の精神病に罹患してい
たとするn鑑定にも疑問が残る。
オまとめ
以上のとおり,n鑑定は,上記アのとおり,被告人に何らかの精神障
害があるに違いないという前提に立って行われたことから,精神障害と
診断した論理的・合理的な根拠や判断過程が明確にされていないといわ
ざるを得ない。従って,n鑑定を採用することはできない。
6本件犯行動機について
ところで,本件犯行は,かねて深く憎悪していたaのみならず,被告人が
大切に思っていたはずの他の家族をも一度に殺害し,又は殺害しようとしな
がら,bのみは殺害の対象にならないというやや特異な事情があるので,被
告人の本件犯行動機の点については,その了解可能性も含めてやや詳しく検
討を加える。
()被告人が供述する本件犯行動機について1
被告人は,捜査段階及び当公判廷において,本件犯行動機について,概
要,次のとおり供述している。
アa殺害について
aのことは,子供のころから嫌いだった。bと結婚すると,aは,自
,分が一番大切にしているbを泥棒扱いするなどしていじめて苦しめた上
自分に対してもbの悪口をさんざん言って聞かせるなどし,そのことが
苦痛で仕方がなかった。平成11年に再びaと同居することになったと
き,bが後押ししてくれたのに,aはbに対するいじめをやめず,bが
泥棒したなどの手紙まで書いたり,家の中に勝手にドアを取り付けて鍵
をしてしまうなど勝手な行動をとっていた。aがぼけていると思い我慢
,,しようとしたが一人で買い物に行くなど普通に生活していたことから
ぼけているとは思えず,bや自分への嫌がらせだと思った。また,bが
苦しんでいるのを見て,aとの間を取り持つように言われても,aに対
する恐怖心もあり,aに強く言えず,bにも我慢してくれと言うだけで
何もできなかった。このような自分に対して不甲斐なさを感じるととも
に,bに対しても申し訳ないという気持ちを持っていた。そして,老人
保健施設事務長をしているという立場上,aを施設に預けたり,別居す
ることはできないという考えから,aとの同居生活を我慢しながら続け
るうちに,漠然とaが死んでくれればいいと考えるようになった。平成
17年になって,aが,自分の大切にしている犬の遊び場をjのために
駐車場にしようと言い出したとき,これも嫌がらせだと思い,jのこと
は可愛がるのに,自分に対しては嫌がらせばかりすると殺意を抱くよう
になった。そして,平成17年1月27日の郵便局での一件でaの嫌が
らせが外部にまで及んだことがきっかけで,我慢が限界に達し,これ以
上aと一緒に生活していくことはできないと思い,aを殺して,bをい
じめから解放し,自分も楽になりたいと殺害の決意を固めた。そして,
本件当日,aが,新聞をとるとか,dがgを見せに来ないなどの嫌味を
言ってきたことで,殺意が揺るぎないものになった。
イc,d,e及びg殺害について
しかし,aを殺せば自分は殺人犯となってしまい,そのような汚名を
着たまま生きていくことなどできないと思い,aを殺すときは,自分自
身も死のうと思った。また,自分がaを殺せば,自分の家族も,殺人犯
,,の家族として世間から白い目で見られ一生辛い思いをするに違いなく
そのような思いをさせるくらいならいっそのこと一緒に死んでもらった
方がいいだろうと思った。また,a一人を殺害するより,一家心中した
方が,そんなに辛かったのかと世間からの同情も得られるだろうという
思いもあった。
ウh殺害について
hもdの夫である以上,殺人犯の家族と言われると思い,生きていれ
ば苦労するであろうし,hを慕っているdら母子のために,家族4人を
一緒にしてやらなければかわいそうだという思いもあった。
エ以上のような,被告人の供述については,捜査段階からほぼ一貫して
おり,被告人なりに真摯に供述しているものであることを疑わせる点は
見当たらない。これを前提とすると,a殺害の動機は,被告人の一方的
,,,な思いの要素が強いものではあるがその核心はaがbに辛く当たり
時には度を超したものといえる言動をし,それが長年にわたり続いたた
め,被告人とaとの間にあった確執ともあいまって,それに耐えられな
いという思いから殺害を決意したというものであり,十分理解し得るも
のである。そして,cら殺害の動機については,生活苦等の残された者
の生活を心配するという一家心中の典型的な動機ではないものの,殺人
犯の家族という汚名を着せられるのを避けるためという動機自体は決し
て理解できないものではない。また,hについては,血のつながりはな
,,,,いもののdの夫でegの父であり被告人との関係も良好であって
借家を世話して被告人の近くに住み,日常的にも交流があったことなど
に照らせば,被告人の家族という意識から,cら殺害と同様に考えたと
いうことも,それ自体理解し得る。
以上のとおり,a殺害に関しては,通常人の思考からも十分理解可能
なものであるし,cら殺害に関しては,一般的に見ると独善性が極めて
強い考えであるとはいえるが,動機そのものは精神障害を考えなければ
理解できないというほど不可解なものではない。
()bを殺害しなかった点について2
アところで,本件は,同居していないdら一家を殺害した動機が,残さ
れた家族に辛い思いをさせたくないというものであるから,同じ家族で
あるbに対してはなおさらその動機が当てはまり,一人残せばより辛い
思いをさせることが容易に考えつくはずであるにもかかわらず,同人を
殺害の対象から外した点に,矛盾があり,理解し難いものではないかと
いう疑問がある。
イこの点,被告人は,概要,次のとおり供述している。
bは,自分にとって最愛の人であり,かけがえのない,とても大切な
存在だった。孫や子供よりも大事な存在だった。bは,長い間aのいじ
めに耐え,自分や子供たちに対しても一生懸命尽くしてくれ,本当に苦
労をかけ,自分はbに甘えてきた。だから,bに手をかけるなどという
ことは,絶対にできないことだった。また,bは,自分にとって大切な
家族であるという意味ではcやdと変わりがないが,孫や子供は親であ
る自分と一体のものであり,自分に付いてくるべき存在であって,自分
の考えを押し付けることができたのに対し,bは対等なパートナーであ
るという意識があり,自分の考えを押し付けることには多少抵抗があっ
たのかもしれない。また,bは,aのいじめにずっと耐えてきたので,
なぜ自分がaを殺す決意をしたのかを分かってくれるはずだと思った。
自分が悩みに悩んでaを殺害する決意に至ったことを理解してくれる唯
一の存在であると思った。そして,これまで情けない姿を見せてきたb
に,aの問題に対する自分なりの決着の付け方を見届けてもらいたいと
いう気持ちがあった。他方,子供たちには自分の悩みは理解されず,も
し生きていれば子供たちから非難されるだろうと思い,そのことは,自
分にとって,世間から非難されるよりも辛く,耐え難いことだった。
ウこの被告人の供述によれば,同じように愛情をかけてきた家族とはい
っても,被告人にとって,cやdら一家とbは,その愛情の性質におい
ても,aとの関係においても,質的に大きな差異があり,被告人にとっ
て,bは,dらと異なり,自己と一体視し,自己の一存でその生命を左
右できる存在ではなかったのと同時に,aによる嫌がらせを共に耐えて
きたbにならばaを殺害したことを理解してもらえるのではないかとい
う期待もあって,bには犯行を見届けてもらいたいと思ったものと認め
られるのであって,dら一家とbとを区別して取り扱うことは,被告人
にとってはむしろ自然なことであったと考えられる。このような理解に
立てば,被告人が残されるbの苦悩に思い至らず,一家殺害を思いとど
まらなかった点は,誠に身勝手で思慮浅薄ではあるが,bのみを殺害し
なかったことも理解できないわけではない。さらにいえば,被告人は,
bをaのいじめから解放してやりたいと思っていたのであり,その方法
,,,としてまずaを殺害することを考えた以上解放する対象であるbは
当然この時点で殺害の対象から外れた,つまり,これまで耐え忍んでき
た生活から普通の生活が送れるようにしてやりたいという思いであると
すれば,このような方法結果により,残されて生きなければならないb
の苦悩はともかくとして,bが生きて生活するということが前提となっ
ていたのではないかとも考えられる。その後に,殺人犯の家族という汚
名を着て辛い思いをするということから家族の殺害を考えたとき,その
家族の中にはbが含まれていなかったと考えられ,このように理解すれ
ば,少なくとも,心中の対象としてbが入っていないことの説明はでき
る。
被告人が,順次論理的にこのような思考過程をたどったか否かは不明
であるが,被告人は,aとb及び被告人という3人の関係に悩み,bを
解放し,自分も楽になりたいという思いから,aの殺害を漠然と考えて
いたもので,究極的には,aを残すかbを残すかの選択をした後に,他
の家族の殺害に思い至るのが自然である。
()犯行動機に関するo鑑定の内容について3
アo鑑定は,本件犯行は,本質的には,aによって危機にさらされた自
己愛を守るための,bに対する自分の承認欲求を満たすための犯行であ
ったため,犯行後に自分の行動を承認してもらわなければならない存在
であるbを殺すことができなかったのは当然であるとした上で,犯行後
たった一人残されるbの苦悩に思い至ることができなかった理由は,そ
れほど自己の承認欲求に囚われていたためであると説明している。
イo鑑定は,問診結果や各種心理検査の結果に基づき,被告人には,a
から十分な愛情を受けられなかったことによる自己肯定感の欠如,その
反動によるa以外の他者に対する強い自己承認欲求,自尊心の高さ,世
間からの評価に対する過敏さに加え,自己を認めてくれたbに対しては
過度の理想化が見られることなどを根拠に,自己心理学的な観点から,
上記のとおり推測したもので,これ自体はひとつの説明方法として十分
合理的といえる。
ウこれに対して,弁護人は,被告人の自己承認欲求が本件犯行に促進的
に作用したことを認めつつも,本件犯行の第1次的動機はaに対する被
害妄想であって,自己愛や自己承認欲求というのはあくまで第2次的な
心理要因にすぎないのであり,これを犯行の第1次的動機とするo鑑定
は心理分析を誤っているなどと主張する。そして,自己愛や自己承認欲
求という説明からは,被告人が母親殺害のみならず一家殺害にまで至っ
た理由や,家族の中でbだけを殺害しなかった理由などが説明できない
と批判する。
しかしながら,まず,被害妄想があったとはいえないことは前記のと
おりである。そして,o鑑定は,aの殺害は憎しみの感情で理解できた
としても,愛情の対象であった子らを殺害し,妻だけを残したという点
が明らかでないとして自己愛の点から説明しているのであって,あくま
で,本件犯行に及んだ被告人の心理の根底ないし深層には,自己愛や自
己承認欲求というものが大きく作用しており,一見すると矛盾するよう
,,に思われる被告人の行動もこのような自己心理学的な観点からみれば
十分に整合性を有したものであったと分析したものにすぎず,本件犯行
の直接的な動機が,上記認定のとおりaとの確執からくる憎悪等にある
こと自体を否定したものではないと解される。そして,このような理解
からすれば,o鑑定と,自己愛や自己承認欲求は第2次的な心理要因で
あるとする弁護人の主張との間には本質的な差異はないというべきであ
り,さらに,被告人がa殺害のみならず一家殺害に至った理由や,bだ
けを殺害しなかった理由をo鑑定からは説明できないとする批判も当て
はまらないというべきである。
エしたがって,弁護人の指摘するこの点も,o鑑定の信用性に疑問を抱
かせるようなものではないというべきである。
7まとめ
以上1ないし5の事情によれば,本件犯行当時,被告人が精神障害に罹患
しておらず,被告人の事理弁識能力及び行動制御能力が著しく減弱していな
かったことは明らかに認められる。
よって,本件犯行当時,被告人は,完全な責任能力を有していたものと認
められる。
(量刑の理由)
,,本件は同居する実母の言動に耐えかねて同女への憎しみを募らせた被告人が
同女を殺害した上,子や孫を道連れにして自殺しようと企て,息子,実母,娘及
び孫2名の計5名をネクタイ等で首を絞めて順次殺害し,その後,娘婿の腹部を
包丁で刺して殺害しようとしたがこれを遂げず,最後に自殺を図ったが死にきれ
なかったという殺人及び殺人未遂の事案である。
1まず,本件の量刑を決するに当たっては,何より5名もの被害者の尊い生命
が奪われ,1名が重傷を負ったという余りにも重大な結果が生じていることを
第一に考慮しなければならない。
()殺害された被害者の中で,最も幼い被告人の孫であり,dとhの長女であ1
るgは,20日前,aを含めて皆から祝福されてこの世に生を受けたばかり
であり,その将来には無限の可能性が広がっていたのに,自分がどのような
状況に置かれているのかも理解できず,母の腕から離れたために泣き出した
ところを,実の祖父の手によって,無惨にも,自ら動き回るなどの世界の広
がりを感じることもできないままその全てを奪われたのであって,誠に哀れ
というほかない。
()同じく被告人の孫でありdとhの長男であるeは,間もなく3歳になろう2
というところであり,野球や太鼓などに興味を持ち始め,生まれたばかりの
妹であるgにミルクを飲ませて可愛がろうとするなど,両親の愛情を受けな
がらすくすくと成長していたところであった。ところが,その名のの字をk
もらい慕っていた祖父の家に遊びに行った矢先に,その祖父が母親の首を絞
めて殺害するという信じ難い恐ろしい光景を目の当たりにし,その恐怖と衝
撃の中,自らも首を絞められ,何ら抵抗することもできぬまま,限りない未
来への可能性をわずか2歳にして奪われたのであり,その肉体的苦痛,精神
的苦痛は察するに余りあり,誠に不憫としか言いようがない。
()被告人の長女であるdは,本件犯行の20日前に待望の長女gを出産した3
ばかりであり,今後は,長男eとgの成長を楽しみにして,hとの間で平穏
で幸せな家庭を築いていくという未来があったのに,被告人から誘われて祖
母であるaにgを見せに行った矢先,突然,信頼していた父親に背後から首
を絞められ,その理由も分からないまま,耐え難い肉体的苦痛と混乱の中,
30歳にしてその命を絶たれたのである。傍らにはeがおり,最後まで抱い
ていたgを離さずにいたことを考えると,愛する子供を残して逝かなければ
ならないその心中は誠に無念であったであろうし,その衝撃や精神的苦痛は
想像を絶するものがある。
()被告人の長男であるcは,仕事を辞めたり紆余曲折を経ながらも,カイロ4
プラクティックの仕事と出会い,自ら専門学校に通って,平成15年に念願
のカイロプラクティック院を開業したばかりであり,今後の発展に向かって
,,一生懸命に生きていたのに信頼していた実の父親から突然寝込みを襲われ
33歳にして無惨にもその命を絶たれたのであって,その無念さは察するに
余りある。
()被告人の実母であるaは,85歳と高齢で,近所に友人もなく,同居して5
いた被告人からも疎まれ,孤独な余生を過ごしていた。確かに,aは,被告
人夫婦との交流を自ら避け,被告人らを攻撃するような言動を取り続けてい
た面もあるが,遠方に住む義姉への手紙には毎回のように被告人に構っても
らえない寂しい心情を綴るなどしており,被告人に対して思慕を募らせ,そ
。,れが叶わない寂しい思いを抱えていたこともまた認められるしかしながら
aのその被告人に対する心境はついに被告人には理解されないばかりか,憎
しみの感情を抱かれたまま,その被告人から就寝中に突然首を絞められ,そ
の生涯を閉ざされたのであって,その孤独感,やり場のない悲しみはいかば
かりであっただろうか。
()被告人の長女dの夫であるhは,被告人によって,全治約2週間,入院加6
療約10日間を要する腹部刺創等の重傷を負わされており,hの必死の抵抗
により幸いにも命には別状はなかったものの,その傷の部位に照らせば,一
歩間違えれば死亡するに至る危険性が極めて高く,結果は重大である。のみ
ならず,hは,何物にも代え難いかけがえのない妻と2人の子供の命を理不
,,,尽にも奪われ幸せだった家庭を一瞬にして破壊されたのであるがそれが
本件に至るまで義理の父子として円満な関係を築いていた被告人の手によっ
て行われたというのは,hにとってみれば不条理極まりないものであり,自
,,,分自身の生命はとりとめたにせよhの味わった衝撃の強さ悲しみの深さ
混乱の大きさは他の者には到底計り知れないほどのものがある。
()以上のとおり,本件は,5名もの尊い命を次々と奪い,さらに1名の者の7
命を奪おうとして重傷を負わせたもので,その結果は極めて重大であり,こ
れのみをもってしても,世上稀に見る重大かつ悪質な犯罪といわなければな
らず,検察官が主張するように,被告人を極刑である死刑に処することも視
野に入れ,その量刑を検討しなければならない事案であることは明らかであ
る。
しかしながら,死刑については,これが人間の生命の剥奪を内容とする究
極の刑罰であることを考慮すると,その選択には特に慎重を期する必要があ
るというべきであり,上記結果の重大性特に殺害された被害者の数のほか,
犯行の罪質,動機,態様特に殺害の手段方法の執拗性,残虐性,遺族の処罰
感情,社会的影響,犯人の年齢,前科,犯行後の情状等諸般の事情を併せ考
慮した際,その罪責が誠に重大であって,罪刑の均衡の見地からも一般予防
の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合にのみ,死刑の選択も許
されるというべきである。そこで,以下,被告人を極刑に処することがやむ
を得ないか否かという観点から,さらに検討する。
2犯行に至る経緯,犯行動機について
()本件犯行に至る経緯及び犯行動機は前記認定のとおりであり,本件は,小1
学生のころから母親であるaに対して恐怖感,嫌悪感を抱き続けてきた被告
人が,結婚後,同女が妻であるbに対して被害妄想的な言動や嫌がらせを繰
り返し,かつ,自分に対しても度々嫌味やbの悪口を聞かせるなどしたこと
から,次第に同女に対して憎しみを募らせ,本件の1か月前に,郵便局とい
う公衆の面前でaに恥をかかせられたことがきっかけで,同女に対する憎し
みや苦痛から解放されるためには同女を殺害するしかないと決意するととも
に,家族に殺人犯の家族という汚名を着せて生きていかせるのは忍びないな
どという気持ちから,長男のcや長女であるdの一家を皆殺しにした後に自
殺することを決意したというものである。さらに,各被害者との関係で詳し
く検討を加える。
()aについて2
確かに,aのbに対する仕打ちは長年にわたるもので,特に,被告人夫婦
がaとの同居を再開した平成11年以降は,aは一方的にbを泥棒扱いして
毛嫌いするだけでなく,bが入浴する前に浴槽に排泄するなどの度を超えた
嫌がらせを繰り返し,自宅改装の際には,自室に入ってこられないように扉
に勝手に鍵を取り付けるなどして警戒心を示す一方で,被告人らが在宅しな
いときに勝手に被告人らの居室にやってきて,bの悪口を書いた手紙を置い
ていくなど,その言動は,n及びo両医師が妄想障害ないし妄想性人格障害
に罹患していた疑いがあると指摘するほどであって,高齢化によるものとい
うだけでは説明できない常軌を逸したものであったようである。その上,幼
少のころから被告人とaとの間には確執があり,被告人がaを恐れて言いた
いことを言えない関係が出来上がってしまっていたため,被告人にとっては
aをたしなめてbへの嫌がらせをやめさせたり,aに対して強い態度に出た
りすることが極めて困難であった。しかも,このような状況を打開するため
に,jなど外部の者に相談したり,aを施設に預けたりすることは,被告人
の世間体を気にする性格や,老人保健施設の事務長という社会的立場にあっ
たことなどから実行できなかった。このような被告人とaの関係,aの言動
に,被告人の性格も加わって,被告人は,現状に無関心を装うことでしか対
処できず,現実にいじめを受けているbに適切な行動をとることができない
自分自身に対して憤りを感じ,どうにもできない状況に悩み,苦しんで,主
観的に追いつめられていき,その元凶をaにのみ求め,aを排除することで
しか解決できないと思うようになったものと理解される。
()しかしながら,客観的に見れば,まず,自分自身が積極的にaに関わり,3
関係を改善する努力をすることのほか,aを施設に預ける,別居する,以前
のように弟であるjに引き取ってもらうなど,他にとるべき方法はいくらで
もあり,そのような方法について,公的機関や専門家の助言を受けたり,家
族に相談をすることもできたはずであり,客観的にはさほど追いつめられた
状況ではなかった。
()そもそも,本件の背景となっている,被告人とaとの確執については,確4
かに,幼少のころのaの被告人に対する厳しい言動や,a自身の思い込みの
強い性格にも原因はあるが,その一方で,思春期のころからaを一方的に嫌
って口を利かなくなるなど,被告人のaに対する態度や接し方にも原因があ
り,その意味では相互に不幸な親子関係であったともいえる。しかし,少な
くとも,成人後は,過去の確執はあるにせよ,家族として少しでも融和して
生活できるように努め,それが不可能であるならば別居など現実的な対処方
法を講じるのが筋であろう。しかるに,結婚後も,bはaと何とか上手くや
ろうと努力をしていたのに,被告人自身は,aに反発するばかりで,自ら歩
み寄るなどして,aとの関係を改善する努力をしてこなかった。aからすれ
ば,同居しているのに,被告人がbばかり可愛がり,義姉に対する手紙に書
。いてあるように自分のことは避けていることを寂しいと感じていた面もある
しかし,被告人は,bから,aとの関係を改善するために一緒に食事をした
り,旅行に連れて行ってあげたらどうかなどと言われても,犬の世話や仕事
に没頭するなどして,aから逃げるばかりであった。aの言動が異常であっ
たにしても,このような被告人の態度が,aと被告人夫婦の関係を悪化させ
た一因にもなっているのであって,aに一方的な非があるわけではない。被
告人の犯行動機はあまりに独善的である。
,,,,,,()またcdeg及びhについてみればその関係はいたって円満で5
殺害される理由は何もなかったばかりか,同人らにしてみれば,事前に何ら
相談を受けることもなく,aの問題について被告人と悩みを共有することも
ないまま,まさに唐突に殺害されたものであって,理不尽以外の何物でもな
い。被告人は,家族に汚名を着せたまま生きていかせることを不憫に思った
というだけでなく,一家心中すれば世間の同情を得られるかもしれないなど
という身勝手な思いも抱きながら同人らを巻き添えにしたのであって,この
点は極めて自己中心的というほかない。また,cはすでに30歳を過ぎた自
宅で自営業を営む成人であり,dとhは,eとgの4人家族として,被告人
から独立して生計を営んでいる別世帯であるにもかかわらず,被告人の分身
としての家族の一員であるという意識から,上記理由で犯行に及んだもので
ある。この点に照らすと,本件は,自分が死ぬと自ら養育している妻子のそ
,の後の生活が成り立たないなどの理由で家族を巻き添えにするというような
典型的な一家心中の事案とは相当様相を異にしているといわなければならな
い。
()しかしながら,他方,本件の犯行動機が,自己の物欲や情欲のためといっ6
た,私利私欲に基づくものではないことも明らかである。また,aとの関係
についてみれば,上記のとおり,被告人自身にも責められるべき点はあるも
のの,一方的な思い込みや逆恨みといった理由から殺意を抱いたというもの
ではなく,客観的に存在したaの言動などが大きな要因であったこともまた
明らかであり,これによって被告人が長年にわたって苦しんでいたこと自体
には同情の余地がないわけではない。また,本件犯行後,被告人は自らの首
を包丁で何度も突き刺すという凄惨な方法で自殺を図ったが駆けつけた警察
官に発見され,緊急手術を受けた結果命をとりとめたものであり,被告人の
主観においては,思い詰め,追いつめられた末に,残された家族も不憫であ
るという思いから実行した一家心中の犯行に他ならなかったといえる。
()以上によれば,c,d,e,gの殺人及びhに対する殺人未遂の犯行動機7
は,子供たちの人格,人生を無視した誠に身勝手かつ自己中心的で悪質な犯
行というべきであり,aの殺害についてみても,客観的に見ればればあまり
にも独善的である。しかしながら,被告人が精神的に追いつめられ,aを殺
害するほかないと考え,その場合残された家族の背負うであろう苦しみに耐
えかねた末の一家心中の犯行であるという面は否定できず,何の因果もない
一方的な憎悪や利欲的な動機による犯行と比較すると,一抹の酌量の余地は
あるものというべきである。
この点,検察官は,本件犯行は,専ら被告人自身の自尊心と虚栄心を満足
させるためのものであり,被告人は,自己を正当化して周囲の同情や酌量を
得るために表面的な動機を述べるに終始したものであると主張する。しかし
ながら,被告人の述べる動機は,被告人なりに真摯な思いをそのまま供述し
たものと理解するほかなく,あえて真の動機を隠ぺいしようとしているなど
とは到底考えられない。o鑑定のいう被告人の「自己愛」とは,被告人自身
の深層を分析する説明概念として理解するべきであり,動機に関する検察官
の上記主張はやや皮相に過ぎるものであって,採用することはできない。
3犯行態様について
()被告人は,本件犯行の約1か月前ころから,本件犯行の手順について具体1
的に思いを巡らせ,bが不在の時を狙って,まず体力があり犯行を阻止され
るおそれのあるcが寝ている間にネクタイで首を絞めて殺害し,その後にa
を同様の方法で殺害してから,d,e及びgを自宅に連れてきて力のあるh
から引き離した上でネクタイで首を絞めるという方法で殺害し,最後にhを
包丁で刺して殺害するという計画を立てた上,ほぼこのとおりに本件各犯行
を遂行しており,本件は計画的な犯行である。
()犯行態様についてみると,被告人は,前記認定のとおり,c及びaについ2
ては,無防備な就寝中を狙って,その首にネクタイを巻き付けて絞め上げ,
それぞれがもがき苦しむ様子を目の当たりにしながらも,確実に息絶えるま
で絞め続けたものである。また,d,e,gについては,gを抱いてaの様
子をのぞき込むdの背後から近づき,その無防備な首にネクタイを巻き付け
て締め上げ,eが側にいるにもかかわらず,6分間ないし7分間にわたって
dの首を絞め続けて殺害した後,横たわるdの死体の側で怯えながら「ママ
大丈夫なの。gは大丈夫なの」と尋ねる幼いeに対し,正面からその首にネ。
クタイを巻き付け,強く締めつけて殺害し,さらに,dの死体の側で泣き出
した生後間もないgの小さな口や鼻を片手で塞ぎながら,もう一方の手でそ
の喉をつまむようにして絞め殺している。このように,犯行態様は,いずれ
も強固な確定的殺意に基づく,卑劣かつ非情で悪質な犯行であって,特に,
幼い2人の子がいる状況で,その母であるdを殺害するというのは極めて残
酷である。そして,hについても,被告人は,aの部屋へ向かうhの背後か
ら近づき,振り向きざまに無防備な腹部目がけて切れ味の良い包丁を突き刺
したもので,殺傷能力の高い凶器で身体の枢要部を狙って攻撃した,やはり
強固な確定的殺意に基づく,危険で悪質な犯行である。
()以上のとおり,本件は,計画的な犯行であり,殺害方法は卑劣,非情であ3
って悪質というべきである。しかしながら,他方,被告人の犯行計画を推し
進める契機となったbの旅行は,被告人が仕向けて不在状況を作出したとい
うものではなく,偶然決まったものである。また,被告人が,犯行までの約
1か月間に,殺害方法等について何度も思いを巡らせていたのは,その間犯
行を躊躇していたためという面もあり,被告人が最終的に本件犯行を決意し
たのは犯行当日の朝であった。その計画内容も,決して綿密かつ高度な完全
犯罪を目論んだものでもない。そうすると,本件は,長期間にわたって具体
的に計画を練った上での犯行ではあるものの,偶然の事情に後押しされ,実
行の直前まで逡巡を繰り返しながら実行された犯行ともいえる。また,殺害
の手段,方法についても,ことさらに被害者の苦痛を増大させるような残忍
な方法を用いているわけではなく,この種の事案の中で特に悪質性の高い犯
行態様とまではいえない。
4遺族の被害感情及び処罰感情について
()hについて1
,,被告人に殺害されそうになった上妻子3名の命を被告人に奪われたhは
本件の直接の被害者であるとともに,本件によって最も深刻な被害を被った
遺族でもある。そのhは,被告人に対する処罰感情について,事件直後は,
自分のことよりも家族を殺されたことに関して被告人に対する憎しみの気持
ちが大きく,死刑になってほしいという思いや,死刑になってすぐに楽にな
るくらいなら一生刑務所の中で苦しんでほしいという思いである旨供述して
いたが,当公判廷に出廷した際には,時の経過とともに心境が変化し,現在
は,なぜ被告人がaだけでなく自分の子供たちまで殺害しなければならなか
ったのか真相が知りたいという気持ちが強く,それが分からないままでは被
告人の処罰については考えることはできないなどと述べ,さらに,平成20
年6月7日の検察官の取調べにおいては,現在では被告人に世話になったこ
とを思い出したり,被告人に同情する気持ちも沸いてきたりして,犯人が赤
の他人であれば絶対に死刑にしてくれと言うのであろうが,被告人に対して
はそこまでの気持ちにはなれず,無期懲役になって一生償うという結論もあ
りうる旨述べている。hの被害感情は癒えることはないと思われるが,被告
人に世話になっていたことや普段の状況から,ここまでのことをした理由に
深いものがあるに違いないという気持ちなどもあって,その心境には極めて
複雑な揺れ動きがあることが窺われる。
()jについて2
jは,月に1回はaの部屋に泊まりに行き,時にはaとの関係についてb
にアドバイスをするなど,被告人らとaの関係を気にかけながら,aを実母
として大切にしてきたもので,大切な実母が実の兄である被告人の手によっ
て殺害された衝撃の大きさや,悲しみの深さは察するに余りある。一方で,
jは,当公判廷に出廷し,被告人については「死刑は望んでいません。これ,
以上肉親をなくすことは耐え難いです」などと述べている。。
()bについて3
,,,bは当公判廷への出廷はなく現在の心情については明らかではないが
捜査段階では,本件によって,突如として2人の子供や孫を一瞬にして奪わ
れたもので,被告人を憎く思うこともあると述べるなど,その衝撃や悲嘆は
大きかったものである。しかしながら,他方で,被告人がここまで追いつめ
られるまで気付いてやれなかった自分にも責任があり,被告人には申し訳な
く思うなどとも述べている。
()以上のように,本件では,遺族の悲嘆はそれぞれに大きいものがあると推4
察されるが,被告人の妻,弟として,それぞれに,何か自分にできたことが
あったのではないか,この事件は防ぐことができたのではないかという後悔
の思いと責任を感じている面も窺われ,hも,普段から交流があった義父に
対して,同様の心情を有している面も見られるなど複雑な立場に置かれてい
るのであって,これらの者が極刑を望んでいないことは相応に考慮すべきと
はいえ,それ自体を過大に評価することはできない。
5社会的影響について
本件は,狭い地域社会の中で老人保健施設の事務長という社会的地位のある
被告人が,相次いで家族6名を殺傷した極めて衝撃的な事件として新聞,テレ
ビ等によって大きく報道され,とりわけ,地元の名士として信頼されていた被
告人による凶悪犯罪として,地元住民に及ぼした衝撃は大きく,地域社会に与
えた影響には甚大なものがある。他方で,被告人に対しては,更生の機会を与
えるべく多数の地域住民が嘆願書に署名をしているという事情も認められる。
6反省,更生可能性について
被告人は,前科前歴が全くなく,これまでの経歴や生活態度を見ても,犯罪
を繰り返すような反社会性は認められない。また,被告人は,当初から,素直
に取調べに応じ,詳細に事実を話し,現在は,自己の犯行の重大性や自らの考
えが間違っていたことを認識し,本件を真剣に反省悔悟して,被害者の冥福を
祈る日々を送りながら,生きて罪を償うことを願っている。
7結論
以上のとおり,本件が,生後20日から85歳までの孫2名,子2名,母の
計5名を殺害し,娘婿を殺害するに至らなかったという極めて重大な結果を生
じさせていること,計画的で犯行態様も悪質であること,犯行動機もあまりに
自己中心的であることからすると,被告人の刑責は誠に重大であるというべき
である。他方,本件は,被告人の主観的には追いつめられた末の一家心中の犯
行であって,利欲目的等による犯行ではないこと,周到な計画性や甚だしい残
虐性までは認められないこと,被告人には前科前歴がなく,従前の生活状況や
本件の動機に照らしても,被告人に再犯可能性があるとはいえず,被告人の犯
罪傾向が矯正不可能とはいえないことなどからすると,被告人に対して極刑を
もって臨むしかないというにはなお躊躇が残るといわざるを得ない。被告人に
おいては,終生自らが手にかけた家族の冥福を祈り,かつ謝罪しながら,残さ
,,,れた人生を全うすることこそ真の償いになるものと判断し本件については
被告人を無期懲役に処することとする。
(求刑死刑,ネクタイ1本及び包丁1丁を没収)
平成21年2月13日
岐阜地方裁判所刑事部
裁判長裁判官田邊三保子
裁判官石井寛
裁判官田中篤子は特別休暇中のため,署名押印することができない。
裁判長裁判官田邊三保子

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なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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