弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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       主   文
1 相手方が平成13年8月13日付けで申立人に対して発付した退去
強制令書に基づく執行は、本案事件(当庁平成13年(行ウ)第316号退去強制
令書発付処分取消等請求事件)の第一審判決の言渡しの日から起算して10日後ま
での間これを停止する。
2 申立人のその余の申立てを却下する。
3 申立費用は、これを4分し、その1を申立人の負担とし、その余を相手方の負
担とする。
       理   由
第1 当事者の申立て
1 申立ての趣旨
 相手方が平成13年8月13日付けで申立人に対して発付した退去強制令書に基
づく執行は、本案事件(当庁平成13年(行ウ)第316号退去強制令書発付処分
取消等請求事件)の判決が確定するまでこれを停止する。
2 相手方の意見
 本件申立てを却下する。
第2 前提となる事実
 本件記録によれば、申立人の国籍及び生年月日、入国及び在留の経緯、家族状況
並びに退去強制手続の経過については、別紙記載のとおりの事実が一応認められる
(以下における略語は、同別紙記載のものと同様である)。
第3 申立の理由
 本件申立ての理由の要点としては、申立人の法49条1項の異議の申出に対して
法務大臣が平成13年8月13日付けでした裁決(以下「本件裁決」という。)
は、原告とAとの婚姻が真撃なものであるのにこれを認識しなかったか、又は、同
婚姻の事実を認識しつつ本件裁決に当たりその事実を十分考慮せず、本来重要な要
素として評価すべきではない不法残留、不法就労、外国人登録法違反の事実を過大
に評価した点で、法務大臣の裁量権の濫用ないし逸脱があり、夫婦関係及び家族関
係の尊重を定める憲法24条2項、私生活等に対する恣意的又は不法な干渉を禁止
する市民的及び政治的権利に関する国際規約17条、家族及び婚姻の権利を保障す
る同規約23条1項及び2項、平等原則を定める憲法14条に反する違法なもので
あり、これを前提とする本件退令発付処分は違法なものであり、また、相手方につ
いても、上記と同様の婚姻関係についての事実誤認等の点で本件退令発付処分にお
ける裁量権の逸脱又は濫用があって違法なものであり、取り消されるべきであるか
ら、本件は「本案について理由がないとみえるとき」(行政事件訴訟法25条3
項)に当たらず、申立人には本件退令の収容部分及び送還部分のいずれについても
回復困難な損害を避けるために執行停止を求める緊急の
必要性があり、この点について相手方の主張する「通常損害基準論」は極めて不合
理で理論的に維持し難く、裁判実務からも放逐されつつあるというものである。
第4 当裁判所の判断
1 「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」(行政事件訴訟法2
5条2項)の要件の有無について
(1) 本件退令に基づく収容の執行について
ア 行政事件訴訟法25条2項の「回復の困難な損害」とは、処分を受けることに
よって被る損害が、原状回復又は金銭賠償が不能であるとき、若しくは金銭賠償が
一応可能であっても、損害の性質・態様にかんがみ、損害がなかった原状を回復さ
せることは社会通念上容易でないと認められる場合をいう。
 本件退令に基づく収容により申立人が被る損害は、収容による身柄拘束を受ける
ことであるが、身柄拘束自体が個人の生命を奪うことに次ぐ人権に対する重大な侵
害であり、精神的・肉体的に重大な損害をもたらすものであって、その損害を金銭
によって償うことは社会通念上容易でないというべきである。元来、我が国の法体
系下において、このように人権に重大な制約を及ぼす行為を単なる行政処分によっ
て行うこと自体が異例なのであるから、これに直接携わる行政機関はもとより、そ
の適否を審査する裁判所においても、この処分の取扱いには慎重の上に慎重を期す
べきであり、このことは執行停止の要件該当性の判断に当たっても妥当するものと
いうべきである。
 その上、一件記録によれば、申立人は、平成9年9月ころからAと生計を一にす
るようになり、申立人の土木業による収入を主とし、これにAのパート収入を加え
て、申立人、A及びAの同居の子の生活を支え、平成11年12月14日にAとの
婚姻の届出を了し、その際直ちにはAとその前夫との間の子に対する配慮から完全
な同居には至らなかったものの、平成13年5月ころからは申立人とAが2人でキ
ムチ販売業を始めたことやAの子においても申立人との同居を受け入れる素地がで
きたことから、同年6月からAとその子の住むアパートに申立人も同居するように
なったが、同年8月13日に相手方から本件退令の発付を受け、同日から収容され
ていることが一応認められ、申立人は、Aとの婚姻後、申立人とAの子との間の関
係の調整期間を置いてようやく同居に至って約2か月しか経過していないところ
で、同居が不能とならざるを得ない事態を強制されることとなり、しかも
、従前から申立人のみならずA及びその子の生活は主として申立人の収入により支
えられていて、同年5月ころに申立人とAの二人で始めたばかりのキムチ販売業に
ついても、申立人が本件退令発付処分により収容されたことによって、Aにおける
同事業維持のための負担が過重となっているものと認められるのであって、収容に
より申立人が受ける精神的ダメージや申立人との面会や本件の訴訟手続等のために
奔走していることがうかがわれるAの精神的・肉体的・経済的負担、さらにはよう
やく同居することとなった申立人と引き離されたAの子と申立人との関係に対する
影響をも考慮すると、申立人が収容されていることにより、申立人とAの始めたキ
ムチ販売業が立ち行かなくなったり、申立人とAとの婚姻関係や申立人とAの子と
の関係に回復し難い悪影響が及ぶ可能性もないとはいえず、こうした不利益によっ
て生ずる損害は、後の金銭賠償が不可能なものであるか、金銭賠償が一応可能であ
っても、社会通念上損害がなかった原状を回復させることが容易でない損害である
と認められる。
イ 相手方は、行政処分又は行政処分の執行自体により発生する損害について、当
該行政処分の根拠法が、当該処分の結果として当然発生するものであることを予定
しているものである限り、受忍限度内のものとして行政事件訴訟法25条2項にい
う「回復の困難な損害」には当たらないと主張し、法52条5項にいう収容は、退
去強制令書の発付を受けた者につき、送還が可能になるまでの間、その身柄を確保
するとともに、本邦内において在留活動を禁止することをも目的とするものである
から、被収容者が収容されることにより生ずる何らかの不利益は、退去強制令書の
収容部分を執行されることにより通常生ずべき損害にすぎないものであり、回復の
困難な損害には当たらないと主張する。
 しかし、行政事件訴訟法は、処分取消しの訴えが提起されても処分の効力に影響
がない(行政事件訴訟法25条1項)との原則を前提に、同原則の徹底により処分
の結果として回復の困難な損害を受け、後に本案について勝訴判決を得てもその効
力が実効性をもたないことを防ぐために執行停止の制度を設けたものであり、他方
で、後に回復が容易な損害についてはその回復の手続によって解決するものとした
のであるから、処分そのものや法が当然予定した損害であっても、そのことにより
後の勝訴判決が実効性を持た
ない可能性がある場合には、執行停止の必要性を肯定すべきである。そして、回復
が困難か否かとその損害が処分の結果として当然発生するか否かは必ずしも一致す
るものではなく、処分の結果として当然発生する損害であっても、回復が困難な場
合はあるし、他方、処分の結果として法が予定していないものであっても、事後的
な回復が容易な損害もあるから、処分の性質やその結果である損害の性質、さらに
は申立人の事情等を考慮して、当該損害が回復困難な損害といえるか否かを検討す
れば足りるものである。行政事件訴訟法の文言も、当該処分の結果として当然発生
するものであることを予定している損害を排除しているものではないから、このよ
うな解釈を妨げるものではない。相手方の主張は、法の規定しない新たな要件を設
定しているに等しく、到底採用できない。
ウ しかして、本件においては、前記のとおり、本件処分によって申立人は、事後
的に回復することが困難な損害を受ける蓋然性が高いものといわざるを得ない。
 なお、上記のように退去強制令書に基づく収容による身柄拘束自体が行政事件訴
訟法25条2項の「回復の困難な損害」に当たると解することに対しては、個別事
情にかかわらず退去強制令書の収容部分については常に同項の要件を充たすことに
なって同条1項の定める執行不停止の原則に反するのではないかとの疑問が生じな
いでもない。
 しかし、上記解釈は執行不停止を原則としつつも明文上の制度として定められた
執行停止の要件の解釈の問題であり、明文上の要件の一部について結果として類型
的にこれを充足することがあったとしても何ら法律上の原則を歪めるものでないこ
とはもちろんである上、そもそも、退去強制令書に基づく身柄拘束については、前
記のように我が国の法体系下において、刑事手続においてすら身柄拘束のためには
令状主義により司法審査を経ることが原則とされていることに照らせば、司法審査
を経ずに行政庁が行政処分として身柄拘束をすることが許されていること自体で極
めて例外的な制度であるといわざるを得ず、そのような類型の処分については、身
柄拘束を伴う処分の執行停止の要件を充たす可能性が結果として類型的に高くなる
としても、何ら不合理なことではない。
 また、執行停止の要件としての「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があ
る」か否か(行政事件訴訟法25条2項)の判断については、処分が違法
であることの疎明の程度が高いときは申立人が違法に損害を被る可能性が高いか
ら、これにより損害回避の必要すなわち執行停止の必要性も高くなると考えられ、
逆に、「本案について理由がないとみえるとき」(同条3項)に当たるとまではい
えないまでも、処分が違法であることの疎明が非常に低い程度にとどまる場合に
は、執行停止が仮の措置であることに照らし、申立人において損害を甘受すべき場
合もあり得るというべきである(この点においては、保全処分における被保全権利
の疎明の程度と保全の必要性の相関関係に類似するものと考えられる。)。したが
って、第1次的には身柄の拘束がそれ自体で「回復の困難な損害」に当たるとして
も、本案の勝訴の見込みとの比較の結果、「回復の困難な損害を避けるため緊急の
必要があるとき」との要件を充たさないこととなる場合もあり得るのであって、身
柄の拘束を伴う行政処分について常に行政事件訴訟法25条2項の要件が充たされ
ることにはならないから、収容による身柄拘束自体が「回復の困難な損害」に当た
ると解することは、何ら執行不停止の原則に抵触するものでもないし、同要件を蔑
ろにするものでもない。
 従前、退去強制令書発付処分に対する執行停止申立てがされた場合に、実務上、
送還部分に限って執行を停止し収容部分の執行を停止しないことが多かったが、こ
れは、従前の事案においては、退去強制事由の存在に争いがなく、本案の主たる争
点を在留特別許可における法務大臣の裁量権の行使に濫用があったか否かに設定
し、このため、いわば申立人の主張自体からして勝訴の見込みが極めて限定され、
しかも、仮に後記2(1)のように主任審査官の裁量権を前提とした考え方を採っ
たとしても、その事案の内容からして送還がやむを得ないとうかがわれる事例に関
するものが多かったことから、上記のように本案の勝訴の見込みとの比較検討がさ
れた結果によるものと考えられる。
エ そして、退去強制令書の発付については、後記2(1)に述べるとおり、在留
特別許可における法務大臣の裁量権の行使に濫用があったか否かはともかく、主任
審査官には、退去強制令書を発付するか否か、発付するとしていつこれを発付する
かにつき裁量が認められると解すべきであり、退去強制令書を発付された外国人
は、退去強制令書発付処分の取消等を求める訴訟において、退去強制事由の有無の
ほか、主任審査官の裁量の逸脱又
は濫用についても同処分の違法事由として主張し得ると解すべきであって、これを
前提とすると、本件においては、後記2(3)のとおり、相手方が自らに裁量権が
あることを前提としてその行使に当たり本件退令の発付により申立人に回復し難い
損害が発生するおそれの有無及び程度等をどのように考慮したのかについては定か
でなく、そのような考慮が十分されたものであるかは疑わしく、相手方が本件退令
の発付に当たって考慮した事実には、社会通念に照らし著しい過誤欠落があった可
能性が少なからず認められるのであって、そうした過誤欠落がある場合には本件退
令の発付は違法といわざるを得ず、申立人については勝訴の見込みが相当程度ある
と考えられ、こうした点で、本件は、上記のようなこれまでの実務が前提としてい
た事案の把握や争点の設定とはその内容を異にするものであって、同列には取り扱
えないものであるということができる。
(2) 本件退令に基づく送還の執行について
 本件において、本件退令に基づき申立人が韓国に送還された場合には、申立人の
意思に反して申立人を送還する点で、申立人の居住地(国)選択の自由を制限する
ものであり、そのこと自体が申立人にとって重大な損害となるほか、申立人と訴訟
代理人との間で訴訟追行のための十分な打合せができなくなるなど、申立人が本案
事件の訴訟を追行することが著しく困難になることは明らかである。また、仮に申
立人が本案事件について勝訴判決を得ても、その送還前に置かれていた原状を回復
する制度的な保障はないことや、前記のとおり申立人については本案事件において
勝訴の見込みが相当程度あると考えられることをも考慮すれば、申立人は、本件退
令に基づく送還の執行により回復の困難な損害を被るものと認められ、本件につい
ては、こうした損害を避けるため本件退令に基づく送還の執行を停止すべき緊急の
必要があるというべきである。
2 「本案について理由がないとみえるとき」(行政事件訴訟法25条3項)に該
当するかどうかについて
(1) 本件の本案事件において、申立人は、本件退令発付処分の取消しを求めて
いるところ、法24条は、同条各号の定める退去強制事由に該当する外国人につい
て、法第5章(27条ないし55条)に規定する手続により、「本邦からの退去を
強制することができる」と定めている。いかなる場合に行政庁の裁量を認めるかの
判断については、種々の
見解があるにせよ、このうち法律の文言のみを基準とする立場に立たずとも、法律
の規定の仕方が同判断の重要な要素となるべきことは論を待たず、法律の文言が
「・・・することができる」と規定している場合には、その裁量の範囲が全くの自
由裁量か覊束裁量であるかの点を別とすれば、立法者が行政庁に対して一定の幅の
効果裁量を認める趣旨を表したものであると解するのは極めて一般的な見解であ
る。特に、本件の退去強制令書の発付処分のように侵害的行政行為であって同処分
が第三者に対する関係でも授益的な側面を持たない処分については、裁量の範囲自
体は当該行政行為の目的等に従って自ずと定まるにしても、上記の法律の文言を裁
量を示すものと解することに何らの支障もないということができる。したがって、
法24条が、退去強制に関する実体規定として、退去強制事由に該当する外国人に
対して退去を強制するか否かにつき担当行政庁に裁量があることを規定しているも
のであることはその文言上明らかである。
 他方、行政法の解釈においては、伝統的に権力発動要件が充足されている場合に
も行政庁はこれを行使しないことができるとの考え方が一般的である(行政便宜主
義)。特に、外国人の出入国管理を含む警察法の分野においては、一般に行政庁の
権限行使の目的は公共の安全と秩序を維持することにあるから、その権限行使はこ
れを維持するための必要最小限度にとどまるべきであると考えられている(警察比
例の原則)。したがって、仮に形式的には法所定の処分要件に該当する事実があっ
たとしても、当該事実関係の下において処分を行わなくても実質的にみて公共の安
全と秩序を乱すおそれがない場合はもちろん、そのおそれがある場合にも、事態を
放置することによって発生する弊害の程度が低く、かつ当該処分を行うことによっ
て発生する権利自由の制限がこれを大きく上回るときには、もはや行政庁はその権
限を行使することができないと解するのが相当である。
 そのような観点から、法第5章の手続規定をみると、主任審査官の行う退去強制
令書の発付が、当該外国人が退去を強制されるべきことを確定する行政処分として
規定されており(法47条4項、48条8項、49条5項)、退去強制についての
実体規定である法24条の認める裁量は、具体的には、退去強制に関する上記手続
規定を介して主任審査官に与えられ、その結果、主任審査官には、退去強
制令書を発付するか否か(効果裁量)、発付するとしていつこれを発付するか(時
の裁量)につき、裁量が認められており、比例原則に違反してはならないとの規範
も与えられているものというべきである。
 また、このことは、退去強制手続において、入国警備官、入国審査官、特別審理
官、法務大臣の行う各行為に裁量があることを否定するものではなく、手続の各段
階においてその行為の性質に即した裁量が認められるべきことを前提とするもので
はあるが、就中、退去強制令書の発付においては、単に退去強制事由の有無が問題
とされるのではなく、初めて退去強制の執行方法や送還先の指定をし、本邦から退
去すべき義務を具体的に確定するものと解される点で、一連の退去強制手続におい
て法が退去強制手続を担当する行政庁に対して与えた裁量がいわば集約されている
ものということができる。なお、法49条の異議の申出について法務大臣が理由が
ないと裁決した場合には、主任審査官は裁決に拘束されるのではないかとの疑問が
生じないでもない。しかし、この裁決は行政処分ではなく、単なる行政機関内部に
おける裁決手続にすぎないと解すべきであるから、その決裁の趣旨が退去強制令書
の発付を命ずる趣旨であるとしても、それは組織法上の義務を生じさせるにとどま
り、そのことによって当該発付処分が適法となるものではなく、これに客観的にみ
て裁量違反ないし比例原則違反の事実がある場合には当該処分は違法といわざるを
得ないのである。このことは、処分庁が事前に上級行政庁の決裁を受けて行政処分
をした場合一般に生ずることであり、何ら特異な現象ではない。
 したがって、退去強制令書を発付された外国人は、退去強制令書発付処分の取消
等を求める訴訟において、退去強制事由の有無に加えて、これらの主任審査官の裁
量の逸脱又は濫用及び比例原則違反についても同処分の違法事由として主張し得る
のであり、主任審査官が退去強制令書を発付する時点における、これを発付しない
ことによって生ずる公共の秩序と安全への支障とこれを発付することによって当該
外国人とその家族に生ずる権利自由の制限に関する具体的事実を前提として、主任
審査官がした判断の過程に、社会通念に照らし、著しい過誤欠落があると認められ
る場合には、その裁量を逸脱又は濫用したものとして、また同時に比例原則に違反
するものとして、当該退去強制令書の発付が違法なものとな
るというべきである。
(2) このように解することに対しては、法47条4項、48条8項及び49条
5項が、容疑者が入国審査官の認定若しくは特別審理官の判定に服したとき又は法
務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは、主任審査
官は「退去強制令書を発付しなければならない」と規定していることから、主任審
査官には退去強制令書を発付するか否かにつき裁量の余地はなく、比例原則に違反
するときにもこれを発付するほかないのではないかとの疑問が生じないでもない。
 しかしながら、退去強制手続は、原則として容疑者たる外国人の身柄を収容令書
により拘束していることを前提としているため、その手続を担当する者が何の考慮
もないままに手続を中断し、放置することを許さないように、法47条1項、48
条6項及び49条4項において、それぞれ容疑者が退去強制事由に該当しないと認
められる場合に「直ちにその者を放免しなければならない」ことを定めるととも
に、法47条4項、48条8項及び49条5項においては、退去強制に向けて手続
を進める場合においても、「退去強制令書を発付しなければならない」として主任
審査官の義務として規定を置いたものと解され、これらの規定と法24条を併せて
解釈すれば、実体規定である法24条において退去強制につき前記効果裁量及び時
の裁量を認めている以上、主任審査官において、そうした裁量の判断要素について
十分考慮をしてもなお退去強制手続を進めるべきであると判断した場合には、放免
又は退去に至らないまま手続を放置せず、法の定める次の手続に進む(退去強制令
書を発付する)べきことを定めたものと解すべきであって、裁量判断の結果、手続
を進めるべきではないと判断した場合には、その時点で容疑者を放免することがで
きるし、比例原則違反の事実があると判断した場合には、むしろ容疑者を直ちに釈
放すべき義務があると解すべきである。法24条と法47条4項、48条8項及び
49条5項の規定が一見矛盾するようにみえないでもないが、法の解釈は、極力合
理的な解釈方法により関連規定が体系的な整合性を持つように行うべきものであ
り、上記のように法の各規定をその位置づけに応じて解釈すれば、主任審査官に退
去強制令書発付についての裁量を認め、かつ比例原則違反を考慮した行動を求める
ことは、法47条4項、48条8項及び49条5項の各規定と何ら
矛盾するものではない。
(3) 以上を前提に、本件において「本案について理由がないとみえるとき」に
該当するかどうかを検討するに、申立人は、法務大臣が申立人に対して在留特別許
可をせずに法49条3項の裁決をしたことが法務大臣の裁量の逸脱又は濫用に当た
り違法であり、同裁決に基づく本件退令発付処分も違法である旨及び相手方につい
ても申立人とAとの婚姻関係についての事実誤認等の点で本件退令発付処分におけ
る裁量権の逸脱又は濫用があって違法なものである旨主張しているところ、本件退
令発付処分の違法事由として法務大臣の裁決の違法を主張し得るか否かや申立人の
主張する事由が法務大臣の裁決の違法事由となるか否かはともかくとして、申立人
が法務大臣の裁量の逸脱又は濫用を基礎づける事情として主張する事実は、上記主
任審査官の裁量の逸脱又は濫用を基礎づける事実となり得るものであるから、本件
で「本案について理由がないとみえるとき」に該当するかどうかを検討するに当た
っては、申立人が本件裁決の違法事由として主張する事実をも主任審査官の裁量の
逸脱又は濫用を基礎づける事実としても検討すべきである。
 そして、前記第2の前提となる事実及び疎明資料によれば、次の事実が一応認め
られる。
ア 申立人は、平成4年5月14日に、在留資格「短期滞在」、在留期間15日間
の上陸許可を受けて本邦に入国したが、その後まもなく、資格外活動許可を受ける
こともないまま不法就労をし、在留期限である同月29日を超えて本邦に不法残留
していたところ、平成9年3月ころ、日本人であるAと知り合って、同年6月ころ
から同人との交際を始めた。
イ 申立人は、平成9年9月30日に、勤務先の寮を出て、Aの友人が賃貸するア
パートに転居したが、その際、Aが賃貸借契約上の賃借人となり、申立人を住まわ
せた。このころから、申立人は、その収入をAに渡し、申立人の土木業に従事した
収入を主とし、これにAのパート収入を加えて、申立人、A及びAの前夫との子の
うちAと同居している2人の生活費のやりくりをすることにより申立人とAがその
生計を一にするようになり、申立人とAは、平成11年12月14日に婚姻の届出
を了した。Aには、前夫との間に3人の子があり、申立人との交際を始めたころか
ら順次申立人と子らを引き合わせ、独立して生計を別にしている長男からは申立人
との婚姻につき祝福を受けていたが、二男及
び三男は直ちに申立人との婚姻及び同居を受け入れることはできず、申立人は、A
との婚姻後直ちには二男及び三男に対する配慮から同居をしなかった。しかし、申
立人が夕食を頻繁にA宅でとったり、Aが申立人宅で食事の支度をしたりするうち
に、二男も申立人とAの婚姻を受け入れ、また、平成12年には二男は勤務先の寮
に転居することとなった。
ウ 申立人は、平成13年5月ころ、Aと二人でキムチ販売業を始め、そのころま
でには、時には申立人がAの三男と二人で外出をするなどして、三男が申立人との
同居を受け入れる素地ができたことから、同年6月からAとその子らの住むアパー
トに申立人も同居するようになったが、同年8月13日に相手方から本件退令の発
付を受け、同日から収容されている。
エ Aは、申立人が収容された後も、申立人と頻繁に面会し、申立人の放免に向け
て助力をしており、Aの子らや兄弟等の親族も申立人とAとの婚姻に理解を示し、
申立人が放免されることを強く望んでいる。
 これらの事実によれば、申立人とAとの婚姻関係は真撃なものと認められ、申立
人については、本件退令発付の時点において、実質的には「日本人の配偶者等」と
しての在留活動があったものということができる。
 他方、申立人に対する法違反調査においては、申立人とAとの関係について事情
が聴取されたり、婚姻届出がされていることが確認されていながら、相手方は、本
件において、申立人が本邦への入国直後から不法就労し、8年間以上も不法残留を
していて、外国人登録法上の新規登録の申請も本邦入国後約7年7か月後であった
ことを捉え、「申立人とAとの婚姻関係がいかなるものであったにせよ、申立人の
素行は著しく不良であり、出入国管理上も極めて悪質であることから、法務大臣
は、申立人について特別に在留を許可すべき事情があるとは認められないと判断
し」たもので、日本人との婚姻等の事実の存在をもって直ちに法務大臣の裁決がそ
の裁量権の範囲の逸脱又は濫用によるものであるとすることはできない旨を主張す
る。
 確かに、不法残留及び不法就労の点は、出入国管理上は容易に看過し難いもので
あるが、疎明資料によると、申立人は、平成4年に本邦に入国して以来、Aとキム
チ販売業を始めるまでは土木作業員として働いていたところ、これまでの間、不法
残留・不法就労、外国人登録法違反の他に特段の法律に違反する行為をしたことも
ないこ
とが一応認められるのであるから、その素行が著しく悪質であるとの認定には疑問
がある。また、疎明資料によると、申立人は、当初は土木作業員として働いていた
が、平成13年5月からAとともにキムチ販売業を始め、徐々にその販売先を拡大
してきていたところであることが一応認められ、その就労状況が我が国の労働市場
に悪影響をもたらしているとも認め難い。その上、相手方が、退去強制令書を発付
するか否か、発付するとしていつ発付するかにつき、自らに与えられた裁量の範囲
において、申立人とAとの婚姻関係につきその別居の理由や同居に至る経緯を含め
同婚姻関係がどの程度真撃なものかの点、さらには、これを踏まえ、本件退令の発
付が申立人とAとの婚姻関係及び申立人とAの子との関係に及ぼす悪影響等、本件
退令の発付により申立人及びAに回復し難い損害が発生するおそれの有無及び程度
等をどのように考慮したのかについては定かでなく、むしろ相手方の上記主張から
は、そのような考慮が十分されたものであるかは疑わしいというべきである。そう
であるならば、相手方は、本件退令の発付に当たって、申立人を在留させた場合に
おける本邦への弊害を過大評価していた疑いがある上、本件退令の発付により申立
人ひいては我が国の国民であるAにいかなる損害が生ずるかについての考慮を欠い
ていた可能性も否定できず、その判断過程には、社会通念に照らし著しい過誤欠落
があった可能性が高いばかりか、その判断が比例原則に反する可能性も高い。
 こうした点にかんがみれば、本件退令の発付については、少なくとも本案の審理
を待たずに同裁量の逸脱又は濫用がなく、比例原則違反の事実もなかったと断ずる
ことは困難であり、本件退令の発付処分が違法となる可能性が低いとも言い難いの
であって、本件については、申立人のその余の主張について検討するまでもなく、
「本案について理由がないとみえるとき」に該当するとは認められない。
3 「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」(行政事件訴訟法25
条3項)に該当するかどうかについて
 相手方は、退去強制令書の収容部分の執行停止につき、退去強制令書の発付され
た外国人に対して、収容部分の執行を停止することになれば、正式に入国し適法に
在留する外国人ですら、法により在留資格及び在留期間の点で管理を受け、法54
条が定める仮放免についても、保証金の納付等の相当程度の
制約が存するのに比し、違法に在留する外国人についてはそのような規制を受ける
ことがなく、全く放任状態のまま司法機関によって公認された形で在留させる結果
となるが、このことは、裁判所が強制処分に積極的に干渉して、仮の地位を定める
結果を招来し、行政事件訴訟法44条の趣旨に反し三権分立の建前にも反するばか
りか、法の定める外国人管理の基本的支柱たる在留資格制度(法19条1項)を著
しく混乱させるものであるし、仮放免における保証金納付等に対応する措置を採り
得ないことから、逃亡防止を担保する一切の手段がないままに逃亡により退去強制
令書の執行を不能にする事態が出現することも十分に予想される旨主張し、また、
送還部分の執行停止については、退去強制令書の発付を受けた者が抗告訴訟を提起
し、併せて退去強制令書の執行停止を申し立てた場合、単に本案訴訟の提起及び係
属を理由に、安易に退去強制令書に基づく送還の執行停止を認めるとすれば、本案
訴訟の提起は原則として執行停止の効力を有しないとする行政事件訴訟法25条1
項に明らかに反する上、本案訴訟の係属している期間中、申立人のような法違反者
の送還を長期にわたって不可能にすることになり、出入国管理行政を長期間停滞さ
せて甚だしい打撃を与えることになるから到底容認し得ないと主張し、このような
事態を招く退去強制令書の執行の停止は、本件と同様に在留期間を経過して不法に
残留し、退去強制処分に付されるやこれを免れるために訴えを起こすという濫訴を
誘発し助長するものであるから、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると
主張する。
 しかし、執行停止制度が行政事件訴訟法上の制度である以上、その制度を用いる
ことは、同法が民事訴訟法上の仮処分を排除していることに何ら抵触するものでは
ないし、本件処分の執行停止は、前記1及び2で説示したとおり、行政事件訴訟法
25条所定の要件の存在を判断した上でされるものであって、単に本案訴訟の提起
及び係属のみを理由に安易にされているものでもない。また、相手方がそのほかに
主張するところは、いずれも退去強制令書の執行停止による一般的な影響をいうも
のであって具体性がなく、主張自体失当であるし、本件において、本件退令に基づ
く執行を停止すると公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとの事情をうか
がわせる疎明はない。
4 執行停止の期間について
 前記2の「本案につ
いて理由がないとみえるとき」に該当するかどうかの判断については、本案事件の
第一審判決の結論いかんにより影響を受けるものである。そして、本案事件の第一
審判決において申立人敗訴の判決が言い渡された場合でも、なお「本案について理
由がないとみえるとき」に該当しないとまでいうことは困難であり、この点につい
ては、本案事件の第一審判決の帰趨を待って改めて判断すべきものと解される。
 しかして、本件退令に基づく執行の停止の期間は、執行停止期間満了時の円滑な
事務処理の必要性をも考慮し、本案事件の第一審判決言渡しの日から起算して10
日限りとするのが相当である。
5 結論
 よって、本件申立ては、本案事件の第一審判決の言渡しの日から起算して10日
後までの間につき本件退令に基づく執行の停止を求める限度で理由があるから、そ
の限度でこれを認容し、その余の部分は理由がないからこれを却下することとし、
申立費用の負担について、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条、64条本文を
適用して、主文のとおり決定する。
平成13年12月27日
東京地方裁判所民事第3部
裁判長裁判官 藤山雅行
裁判官 村田斉志
裁判官 廣澤諭

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