弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。
     被控訴人の請求を棄却する。
     訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
         事    実
 控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は、本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする、との判決を求めた。
 当事者双方の事実上および法律上の陳述ならびに証拠の関係は、つぎの(一)な
いし(三)のとおり付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを
引用する。
 (一) 控訴代理人は、
 「本件事故は、衝突してきた相手車両の運転者において停止信号を無視し暴走進
入したことが、その唯一最大の原因である。速度違反が注意義務違反となるかどう
かは、速度違反と事故との間の因果関係の有無によつて判断されるべきである。と
ころが、控訴人車両の運転者Aが制限時速四〇キロメートルで運行ていたとして
も、その場合の停止距離は一七・九メートルであり、一方、同人が相手車両を認め
たのは衝突地点の九・八メートル手前であるため、急停車しても間に合わなかつた
のである。しかも、事故現場の暗さや見通しからすると、Aのほうで相手車両を発
見するのが遅れたとはいえない。この点につき、「常に」相手車両の方向を注視し
ていたときは、時速四〇キロメートルでは、制動反応さえ早ければブレーキ操作だ
けでかろうじて事故を防ぎえたとの鑑定意見もあるが(当審鑑定人Bの鑑定の結
果)、他の方向にも注意を払わなければならないから、「常に」一方だけを注視す
ることはできず、発見が多少遅れてもやむをえない。しかも、右鑑定意見によれ
ば、発見が〇・五秒でも遅れれば、事故を防ぐことはできないのである。のみなら
ず、停止信号を無視して進入してくる車両のありうることまで予想すべき注意義務
はないから、発見が遅れたとしても、これをもつて注意義務違反とすることはでき
ない。およそ、車両の運転者は、互いに他の運転者が交通法規に従つて適切な行動
に出るであろうことを信頼して運転すれば足りるものである。この原則、すなわち
信頼の原則は、運転者に交通法規違反があつても、その違反が具体的な注意義務違
反と結びつかない場合には、なお適用されるべきである。要するに、控訴人車両の
運転者には、本件事故発生につき、注意義務の違反がない。」
 と付加陳述した。
 (二) 被控訴代理人は、控訴人の右主張に対し、
 「本件衝突事故は、控訴人車両の運転者Aが前方注視を怠り相手車両の発見が遅
れた過失と、制限時速四〇キロメートルをはるかに越えた六〇キロメートルで運転
した交通規則違反という過失とによつて、発生したことが明らかである。すなわ
ち、Aが常に相手車両の方向に注視し、制限時速四〇キロメートルを守つていた場
合には、事故現場のかなり手前で相手車両を発見することができ、急停車すること
によつて事故を防ぎえたものである。しかも、夜間のことであり、相手車両ヘッド
ライトの光芒によりその存在をもつと早く認識できたはずである。また、交差点の
ような場所では、信号のいかんにかかわらず、左右からの車に一応注意を払うべき
であり、制限速度も、かような場所においてこそ、危険防止のため遵守しなければ
ならない。ことに、Aは赤信号の出ている交差点に接近してきたのであるから、交
差点の手前でいつたん停止できる速度にまで減速して接近すべき注意義務があると
いうべきである。しかるに、Aは、交差点の手前二六メートル付近で信号が青に変
つたので、制限速度を超過したそのままの速度で北進し、交差点の直前で右側の他
車を追い抜いている。このこと自体きわめて危険であるのみならず(したがつて、
かような場合にはブレーキベダルに足を掛けておくなど臨機の措置がとれる用意を
すべきである)、そのため、左方向の相手車両に注意を払うことができなかつたの
である。また、Aが以上の注意を守つても接触程度の事故は免れなかつたかもしれ
ないが、その場合は、被控訴人の傷害が、本件の場合に比しきわめて軽微であつた
はずである。しかも、Aがずつと前から四〇キロメートルの制限速度で運転してき
たならば、もともと本件事故は起こらなかつたのであるから、Aの速度違反と本件
衝突との間の因果関係を否定することはできない。控訴人は、相手車両運転者の信
号無視を強調するけれども、本件は信号の変つた瞬間のほんの数秒間の出来事であ
り、それも交通閑散な深夜のことであるから、この程度の信号無視はありがちなも
のということができる。このことを考えると、Aとしては、まつたく予見不可能な
ものとはいえず、このように結果に対する予見が可能である以上、信頼の原則は適
用されない。ことに、Aには、以上のような本件事故の原因たる注意義務違反があ
る以上、信頼の原則の適用がないことはいろうでもない。信頼の原則は、本来、刑
事事件において、高速度交通機関の発達とその社会的意義の増大にかんがみ、過失
責任の追求を適正な範囲に制限しようという目的から生まれたもので、刑事罰をも
つて強制すべき注意義務の範囲を緩和したものにすぎず、そのまま民事事件に妥当
するものではない。自動車損害賠償保障法の立法目的に従えば、民事事件において
は、むしろ、信頼の原則の適用による注意義務の緩和とは異なつた原理が働くこと
を見のがしてはならない。」
 と述べた。
 (三) 証拠(省略)
         理    由
 一 控訴人の運転手Aの運転する自動車が、昭和三八年七月二二日午前二時一〇
分ごろ、大阪市a区b町c丁目d番地先道路上において、原審相被告Cの運転する
自動車と衝突し、Aの車に乗つていた被控訴人が受傷したこと、および、右Aの運
転する自動車は、控訴人がタクシー営業に供していたものであることは、いずれ
も、当事者間に争いがない。
 そこで、自動車損害賠償保障法第三条ただし書の免責事由について判断するに、
まず、成立に争いのない乙第二号証、第三号証、第五号証、第六号証、第八号証お
よび第九号証、原審証人Aの証言ならびに当審鑑定人Bの鑑定の結果を総合する
と、事故の起こつたところは南北に通じる国道二五号線eと東西に通じるb町通と
の交差点で、そこでは信号機による交通整理が行なわれていたこと、Aは、毎時六
〇キロメートルの速度でeを北進中、右信号機が南北青となつていたので従前の速
度のまま交差点にはいつたところ、東西が赤信号であるのに西方からCの車が突入
してきたこと、AはCの車を左前方至近距離で発見したが、避譲措置をとるいとま
もなく同車のため自車の左側部に衝突されたこと、および、eにおける制限速度が
毎時四〇キロメートルであり、したがつてAの速度はこれを超過していたこと、等
の事実を認めることができる。
 二 Aの注視義務違反の有無について
 前段に認定した事実関係にもとづいて考えるに、Aが斜め方向をも含めて前方の
注視を怠らなかつたことが認められなければ、それだけで控訴人に責めを帰するに
十分であるから、この点から検討をはじめる。
 すでに認定したように、Aは、Cの車を至近距離においてようやく発見したので
あるところ、前掲各証拠によると、Aは、右青信号の交差点にさしかかる直前で一
応左右の道路を見たが、東西方向から進入する車を発見しなかつたので安心して交
差点に進入したこと、もしその後も左方向を注視しつづけておれば、いま少し早く
相手の車を発見することも不可能ではなかつたことが認められる。しかしながら、
一般に、青信号の出ている交差点に進入する自動車の運転者としては、特段の事情
のないかぎり、赤信号の出ている方向からこれを無視して突入してくる車両のあり
うることまで予想して左右を注視する注意義務はないものと解するのが相当である
(最高裁判所昭和四三年(あ)第四九〇号同年一二月二四日第三小法廷判決)。本
件では、左方向は東西赤の信号が出ているのであるから、手前で左右方向を一応確
認したAにおいては、その後もさらに左方向だけを注視しつづけなければならない
注意義務はなかつたものということができる。ところで、前掲乙第二号証と乙第三
号証とを対比してみると、Aの車よりややおくれてその右側の通行帯を同じく北進
していた自動車の運転者Dは、Aよりも一瞬早くCの車を発見していることが認め
られるけれども、この事実だけでは、Aにおいて、信号無視のCの車にいま少し早
く気がついてしかるべき特段の事情ありとすることはむずかしい。
 右の点につき、被控訴人は、夜間のことであるから相手の車のへッドライトの光
芒によりその存在をもつと早く認識できた旨主張するけれども、右認定のように、
DにしてもAよりわずかに早くCの車を発見したにすぎず、そのへッドライトの光
芒をそれ以前に見ていたという証拠はなく、そのほか本件の全証拠を調べてみて
も、へッドライトの光芒によりAがもつと早くCの車を察知できる情況にあつたと
は認められない。また、被控訴人は、交差点では信号のいかんにかかわらず左右か
らの車に一応注意を払うべきであると主張するけれども、Aが交差点の手前で一応
東西方向を見たが進入車を発見しなかつたことは右に認定したとおりであり、その
際注意すればCの車を発見できたことを認めるに足りる証拠はない。さらに、被控
訴人は、本件は東西の信号が赤に変つた瞬間相手車両が進入したもので交通閑散な
深夜にはよくあることであると主張するけれども、前記一に掲げた各証拠による
と、Aは交差点の手前数十メートル(少なくとも二五メートル以上)のところで北
行信号が赤から青に変つたのを現認していることが認められ、したがつて、信号が
変つた瞬間のこととはいえず、Aの車が交差点にはいるときは東西の信号が赤に変
つて相当の時を経過し東西方向からの進入車はすでになくなつているはずであるか
ら、被控訴人の右主張は採用できない。
 以上要するに、Aが至近距離になつてようやく信号無視の相手車両を発見したこ
と自体には、なんら注意義務の違反はないというべきである。
 <要旨>三 Aの速度違反と事故との因果関係の有無について
 斜め方向をも含めて前方の注視義務違反がAに成立しないことは、右のとおりで
あるけれども、さきにも認定したように、Aには制限速度超過という交通法規違反
がある以上、適切な速度で運転していてもなお事故を回避できなかつたことの証明
がつかないかぎり、控訴人はやはり責めを免れることができないわけである。そこ
で、このような証明があるかどうかにつき、検討を進める。
 AがCの車を発見したのは、前記認定のとおり至距近離に迫つてからであり、こ
の段階では、制限速度を守つていてももはや事故を避けられないことは、前掲鑑定
の結果に徴し明らかである。もつとも、極端に減速しておればあるいは事故発生に
至らなかつたとの疑いもないではなく、被控訴人も、Aが本件交差点に接近しつつ
ある途中ではまだ赤信号が出ていたから、その手前でいつたん停止できるよう減速
すべきであつた旨主張する。しかし、前記二の末尾で認定したように、Aは交差点
の手前数十メートルのところで北行信号が赤から青に変るのを現認しているのであ
るから、その地点までいつたん速度を落としてきたとしても青に変るのを見てふた
たび加速することは少しもさしつかえなく、交差点で停止できるよう減速すべき義
務はない。
 被控訴人は、また、Aが制限速度で運行しておれば、(1)左方向からの相手車
両をもつと手前で発見できたし、(2)接触程度の軽い事故ですんていたのみなら
ず、(3)ずつと前から制限速度で来たならばはじめから本件事故など起こらなか
つたと主張する。ところで、前記一所掲の各証拠を総合すると、左方向に格別注視
しなくても相手車両を確実に発見できた、という情況ではなかつたことが認めら
れ、そうすると、右(1)の主張は、左方向注視義務があつてはじめて取り上げる
べき問題である。しかるに、本件の場合、左方向注視義務のないことは前に説示し
たとおりであるから、右(1)の主張は採用できない。また、被控訴人の(2)お
よび(3)の主張は、結果から論ずればまさにそのとおりであるけれども、その論
法をもつてすれば、いやしくも制限速度違反があるときは、ただそれだけの理由で
当該の衝突事故につき過失を免れることができないという結果になる。しかしなが
ら、速度を上げすぎたことが原因となつて衝突回避のための適切な措置をとりえな
かつたというのであれば、速度違反と事故とが結びつくけれども、適切な回避措置
をとれなかつた原因が速度違反以外の点にあるときは、速度違反と事故との間の因
果関係を否定しなければならない。ところで、本件では、前記認定の各事実に徴し
て考えると、Aが衝突を回避できなかつたのは、速度が早すぎたからではなく、も
つぱらCの車が赤信号にもかかわらず横合いから突入したからであることが認めら
れる。けだし、制限速度を守つておればもつと早く発見できたではないかという点
は、右に説示したように問題とすべきではないし、Aが右Cの車を発見した時点で
は、制限速度で走つていても衝突を避けられなかつたことはすでに認定したとおり
であるからである。したがつて、被控訴人の右(2)および(3)の主張も採用で
きず、要するに、Aの制限速度違反と本件事故との間の因果関係は、否定するほか
ない。
 なお、被控訴人は、Aが制限超過のまま進行し交差点の手前で他車を追い抜くよ
うな危険な運転をするときは、用心してブレーキペダルに足を掛けておくべきであ
るのに、かえつて追抜きのため左方向への注意がおろそかになつたと主張する。し
かしながら、右のような追抜きがそれ自体はたして危険な運転に属するかどうかが
そもそも問題であるのみならず、前記鑑定の結果に徴すると、Aが相手車両を発見
した時点ては、前からブレーキペダルに足を掛けていたとしても急停車は間に合わ
なかつたことが認められるし、またしばしば指摘したように、本件では左方向に対
する注視の義務がないのであるから、被控訴人の右主張は、採用することができな
い。
 四 信頼の原則の民事事件への適用等について
 本件事故発生の経緯は以上のとおりで、Aの車がCの車に衡突されたのは、交差
点で赤信号が出ているのにかかわらず西方から突つ込んできたCの重大な過失に、
全面的に起因するものといわなければならない。
 Cがいかに無謀な運転をしていたかについては、成立に争いのない甲第八号証お
よび乙第七号証によれば、同人は事故当時飲酒運転をしていたことが認められ、こ
の点からしても、そのあまりにも非常識な信号無視ないしは信号に気づかなかつた
ことが事故の原因であることを裏付けるに十分である。Aにはかような車両のある
ことまで予想すべき注意義務はないし、またCの車を発見したときは急停車しても
間に合わなかつたのであるから、Aには過失なし、とするほかはない。そして、前
段までに検討を加えた争点のほかには、右の判断を左右すべき事情を認めるに足り
る証拠もない。
 このように、衝突の原因がもつぱらCの過失に存し、Aには過失がない以上、運
転者Aに対する控訴人の選任監督上の過失と事故との間の因果関係もないことにな
るから、控訴人が運行供用者としての注意を怠らなかつたことを論ずる余地はな
い。同様に自動車の構造上の欠陥または機能の障害がなかつたことを問題とする必
要もない。つまり、これら免責事由を証明するまでもなく、控訴人は、本件事故に
ついての賠償責任を免れることができるわけである。
 右の結論は、自動車事故の被害者の保護を図ろうとする自動車損害賠償保障法の
立法目的を考慮にいれても、これを動かすことができない。この点につき、被控訴
人は、民事事件では信頼の原則を刑事事件どおりの形で適用することは妥当でな
い、と主張する。当裁判所の以上の判断、ことに、赤信号にもかかわらず交差点に
突入してくる車両のあることまで予想すべき注意義務を否定した点は、まさに被控
訴人主張の原則に従つたものである。ところで、信頼の原則が民事事件でも刑事事
件におけるとまつたく同様に適用されるべきかどうかは、一つの問題ではあるけれ
ども、その一般論は別として、本件のように信号機のある交差点を青信号に従つて
進入する運転者については、信頼の原則を適用すべき最も典型的な場合であり、か
ような場合には、民事事件でも信頼の原則が適用されてしかるべきである。被害者
の保護を強調するあまり、かかる場合にもなお信号無視の車両のあることまで予想
すべき注意義務を肯定するのは、行過ぎである。被控訴人としては、控訴人ととも
に第一審被告であつたCに対する勝訴の確定判決をもつて満足せざるをえない。
 五 むすび
 以上のとおり控訴人の抗弁は理由があるから、被控訴人の本訴請求は失当として
棄却すべきである。よつて、これと異なる原判決は不当であるから、民事訴訟法第
三八六条、第九六条、第八九条に従い主文のとおり判決する。
 (裁判長判事 井関照夫 判事 藪田康雄 判事 賀集唱)

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