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裁判例


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         主    文
     本件抗告を棄却する。
         理    由
 (略語表)
    本確定判決=高松地方裁判所丸亀支部昭和二七年二月二〇日言渡判決
    再一審決定=第二次再審請求に関する高松地方裁判所丸亀支部(差戻前第
一審=再一審)昭和四七年九月三〇日付決定
    再二審決定=同高松高等裁判所(差戻前第二審=再二審)昭和四九年一二
月五日付決定
    最高裁決定=同最高裁判所昭和五一年一〇月一二日付決定
    原 決 定=同高松地方裁判所(差戻後第一審=原審)昭和五四年六月六
日付決定
    A1第一鑑定…………A1作成の昭和二六年六月六日付鑑定書
    A1第二鑑定…………A1・A2共同作成の昭和四六年五月一〇日付鑑定

    A1・A2回答書……A1・A2共同作成の昭和四六年一二月一三日付回
答書
    A3鑑定書……………A3作成の昭和五二年一二月一〇日付鑑定書
    A3原審証言…………原審昭和五二年二月一三日(第一回)及び同年三月
一三日(第二回)各証人尋問期日における証人A3の証言
    A3鑑定………………A3鑑定書及びA3原審証言を総合したもの
    A3当審証言…………当審昭和五五年八月二九日証人尋問期日における証
人A3の証言
    A4原審証言…………原審昭和五三年六月二六日証人尋問期日における証
人A4の証言
    A4当審証言…………当審昭和五五年二月二一日(第一回)及び同年六月
一四日(第二回)各証人尋問期日における証人A4の証言
    A5鑑定………………A5作成の昭和二五年八月二六日付鑑定書(同月一
日依頼分)
    A2原審証言…………原審昭和五三年六月二六日証人尋問期日における証
人A2の証言
    A2当審証言…………当審昭和五五年六月一三日証人尋問期日における証
人A2の証言
    A6鑑定書……………A6作成の昭和五三年八月四日付鑑定書
    A6証言………………原審昭和五三年一〇月一六日証人尋問期日における
証人A6の証言
    A6鑑定………………A6鑑定書及びA6証言を総合したもの
    検面調書=検察官に対する供述調書
    員面調書=司法警察員に対する供述調書
    本件事犯=確定判決の罪となるべき事実・本決定理由第一冒頭に掲記のも

    本件斑痕=A1第一鑑定における国防色ズボン(証二〇号)の四個の被検
斑痕
    本件六個の斑痕=本件斑痕及びA5鑑定において国防色下服(=国防色ズ
ボン)につき人血検査のなされた二個の斑痕の総称
    捜査状況報告控等=昭和二五年当時の捜査書類である「(二)a村強盗殺
人事件捜査書類捜査課」中の昭和二五年三月一日発信の電話通信用紙、同年同月一
一日付香川県警察隊長作成の強盗殺人事件発生並びに捜査状況報告控及び同年同月
九日提出の旨記載の同報告案の総称
    三疑点=最高裁決定指摘の三疑点・理由第一掲記
    二度突き=請求人が捜査段階で自供する、被害者の胸部を刺身包丁で一度
突き刺した上、刃を少し引き、全部抜かないまま、もう一度突いたこと
    本件新証拠=洗濯に関するA3鑑定に同A6鑑定、A1・A2回答書を総
合したもの
    本件旧証拠=本確定判決に際し取調べられた全証拠
 第一 原決定に至るまで
 高松地方裁判所丸亀支部が請求人に対し昭和二七年二月二〇日言渡し確定した判
決(以下、本確定判決という。)の罪となるべき事実の要旨は、最高裁判所昭和五
一年一〇月一二日付決定(以下、最高裁決定という。)を参照し要約すれば「被告
人(請求人)は、借金の支払と小遣銭に窮し、a村の一人暮しのブローカーB1が
日頃多額の現金をもつていると考え、これを場合によつては強奪しようと企て、昭
和二五年二月二八日午前二時過ぎころ、国防色上衣(証一八号)、国防色ズボン
(証二〇号)等を身につけ、刺身包丁を携え同人方に到り、同家炊事場入口の錠で
ある俗にゴツトリといわれるものを刃物様のもので突いてあけて入り、就寝中の同
人の枕許あたりを物色したが、胴巻が見当らなかつたため、いつそ同人を殺害して
金員を奪おうととつさに決意し、同人の頭、腰、顔を多数回切りつけ突くなどし、
同人の腹に巻いてあつた胴巻きの中から現金一万三千円位を強奪したあと、なおも
止めを刺すべく、心臓部に一回包丁を突き刺し、包丁を全部抜かずにさらに同じ部
位を突き刺し(以下、二度突きという。)同人を殺害した。、以下、(本件事犯と
いう。)」というのであり、右確定判決に対する本件再審請求の理由及び本件再審
請求に至るまでの経過は、原決定理由第一、第二、(同決定一枚目裏一二行目から
一三枚目裏七行目まで)に記載されているとおりである。なお、同所にも記載され
ているとおり、最高裁判所は前記昭和五一年一〇月一二日付決定をもつて、その原
決定(第二次再審請求に対する高松高等裁判所《差戻前第二審・以下、再二審とい
う。》、昭和四九年一二月五日付決定。以下、再二審決定という。)及び原原決定
(同高松地方裁判所丸亀支部《差戻前第一審・以下、再一審上いう。》、昭和四七
年九月三〇日付決定。以下、再一審決定という。)を取り消し、本件を高松地方裁
判所に差し戻したが、同最高裁決定には、本確定判決の有罪認定とその対応証拠関
係を検討したうえ、請求人の自白には、(イ)被害者の胴巻に血痕が付着していな
い点、(ロ)犯行現場に自白に符合する血痕足跡がない点、(ハ)請求人が自動車
で護送される途中、着用のオーバーのポケツトから強奪金の費消残金八、〇〇〇円
位を捨てたという点に疑点があり(以下、三疑点という。)、そのすべてが解明さ
れない限り被害者の胴巻から一万三、〇〇〇円を奪取したとして強盗殺人の罪に問
われている請求人の自白の信用性について疑問を抱かざるをえず、ほかにも自白の
内容である事実に不審を抱かせる疑点が数々あり、本確定判決が挙示する証拠だけ
では請求人を強盗殺人罪の犯人と断定することは早計に失するといわざるをえない
旨記されている。
 第二 原決定の理由
 原裁判所は、最高裁判所より前記のとおり本件の差戻しを受け、審理した後、原
決定において、
 (一) 最高裁決定が再一、二審決定破棄の直後の理由として示す、前記請求人
の自白の信用性には疑いを抱かざるをえず、本確定判決の挙示する証拠だけでは請
求人を本件の犯人と断定するのは早計に失する旨の判断は破棄差戻を受けた裁判所
を拘束するものであると解したうえ、差戻後の証拠調べの結果を加えて検討してみ
ても、最高裁決定が指摘する前記疑点(とりわけ三疑点)を解明することができ
ず、右判断は動かないから、最高裁決定に従い、請求人の自白の信用性に疑いを抱
かざるをえず、本確定判決の挙示する証拠だけでは請求人を真犯人と断定すること
は早計に失するものといわざるをえない、としたうえ、これを前提として順次検討
するとし、
 (二) 血痕鑑定について
 本件事犯時請求人がはいていたという国防色ズボン(証二〇号)に付着していた
血痕は被害者の血液型と同じO型であるとするA1作成の昭和二六年六月六日付鑑
定書(以下、A1第一鑑定という。)及び右鑑定から二〇年を経て右国防色ズボン
について再度血痕鑑定をし、右スボンにO型血液が付着していたというA1・A2
共同作成の昭和四六年五月一〇日付鑑定書(以下、A1第二鑑定という。)がある
ところ、A1第二鑑定は、A1第一鑑定時においてすら、余すところなくベンチヂ
ン反応試験を行つて発見した四個の微量血痕を集めてようやく血液型の判定ができ
たとされ、これに先立つA5作成の昭和二五年八月二六日付(同月一日依頼分)鑑
定書(以下、A5鑑定という。)でも、ルミノール反応試験により右とほゞ同じ場
所に血痕とみられる小斑点若干が認められたが、あまりにも微小・少量で血液型の
判定はできなかつたほどで残存血痕はないとみられるのに、鑑定のために切り取ら
れたとみられる隣接場所に、さらに大きく、かつ、新しい色調とみられる淡赤褐色
の血痕が残存していたというものであつて、不自然不合理であり、右血痕はあるい
はA1第一鑑定以後に何らかの理由で付着したのではないかとの疑いを払拭し切れ
ないから、A1第二鑑定をもつてA1第一鑑定の信用性を裏付けるものとはいえな
い。
 A1第一鑑定自体についても、(イ)新証拠であるA3作成の昭和五二年一二月
一〇日付鑑定書(以下、A3鑑定書という。)の記載並びに同人の昭和五三年二月
一三日(以下、A3原審第一回証言という。)及び同年三月一三日(以下、A3原
審第二回証言という。)の証人尋問期日における証言(以上を総合して、以下には
A3鑑定という。)によれば、国防色ズボンに関する部分は、これに付着していた
という四個の斑痕を集めても〇・四ミリグラム程度で血液型の正確な判定結果を得
るために十分な量(二ないし三ミリグラム程度を要するとされる。)であつたとは
いえず、また、(ロ)新証拠であるA4の昭和五三年六月二六日証人尋問期日にお
ける証言(以下、A4原審証言という。)によれば、四個の血痕の一、二について
しか人血反応試験を行わず、かつ、これら微量血痕を集めて血液型の判定を行つた
ことが認められ、これら血痕が同一由来であることを合理的に首肯しうる確たる証
拠はないから、この場合「1」人血反応試験を省略した点において人血でないもの
が混つたり、「2」数個の血痕を集めた点において血液型の異なる血液が混つてい
ることも考えられ、微量の故といずれの血液型の血液にも同程度に吸収されるとい
う抗O凝集素の性質により、A型血液とB型血液が等量に混合しているような場
合、O型血液が存在しないのにO型と判定を誤る危険性も高く、更に、(ハ)A4
証言によれば、このような検査に必ずしも習熟していたとは言いがたい大学院生
(A4)によつてそのほとんどが行われ、A1鑑定人の関与の程度はむしろ低かつ
たとみられることなどの諸事情を併せ考えれば、国防色ズボンに付着していた血痕
の血液型に関するA1第一鑑定は信用性に乏しいものといわなければならない。
 (三) 着衣の洗濯について
 また、請求人の自白中請求人が国防色上衣(証一八号)や国防色ズボン(証二〇
号)を犯行時着用し、かつ、犯行後間もなく財田川の水でべつとりと血の付いた国
防色上衣を洗い、さらにその後四時間位して血痕の残つていた右上衣や国防色ズボ
ンを石けんを使つて洗濯したとの点を検討するに、A1第一鑑定では上衣にベンチ
ヂン反応はなくこれに血痕付着部分は認められなかつたところ、前記A3鑑定によ
れば、請求人が自白するような洗濯の状況でべンチヂン反応が陰性になることはな
いものと認めるのが相当であり、これに、A6作成の昭和五三年八月四日付鑑定書
(以下、A6鑑定書という。)の記載及び同人の昭和五三年一〇月一六日の証人尋
問期日における証言(以下、A6証言という。)(以上の鑑定書及び証言を総合し
て、以下にはA6鑑定という。)及びA1・A2共同作成の昭和四六年一二月一三
日付回答書(以下、A1・A2回答書という。)を総合すると、請求人が自白する
ような洗濯方法では血痕予備試験が陰性になることはないものと認められ、請求人
の右上衣に関する自白は虚偽の自白ではないかとの疑いを生じ、ひいては国防色ズ
ボンを犯行時着用し洗濯したとの自白にも疑問を持たざるをえない。
 (四) 二度突きの秘密性について
 更に新証拠である捜査状況報告控等(当時の捜査書類である「(二)a村強盗殺
人事件捜査書類捜査課」中の昭和二五年三月一日発信の電話通信用紙、同年同月一
一日付香川県警察隊長作成の強盗殺人事件発生並びに捜査状況報告控及び同年同月
九日提出の旨記載の同報告案・以上三者を総合して、捜査状況報告控等という。)
によれば、被害者の死体解剖直後ころからa村捜査本部で捜査会議が開かれ、その
場で解剖結果も報告され、捜査官らに二度突きによつて生じたとみられる創傷の状
況が周知されていたことを窮わせ、またC1警部補と共に請求人を取調べていたC
2警部が当時右創傷の状況を知つていたことが明らかであつて、このことは最高裁
決定がC1警部補だけが二度突きのことを知らなかつたというのは甚だ訝しく、二
度突きの事実が犯人しか知りえない秘密性を持つ事実であつたことをたやすく肯定
できない旨指摘する疑点をさらに決定的に深めるものである。
 (五) 結論
 そうすると、請求人の自白の信用性には疑いを抱かざるをえず、本確定判決の挙
示する証拠だけで請求人を本件の犯人と断定することは早計に失すると考えられる
うえ、A3鑑定及びA4原審証言は本件の重要証拠であるA1第一鑑定の信用性に
疑いを抱かせ、またA3鑑定中洗濯に関する部分は請求人の自白の信用性にさらに
疑点を加えるものであり、また、捜査状況報告控等は最高裁決定の指摘する二度突
きの自白の秘密性に対する疑惑を一層深めるものであるから、もしこれら証拠が本
確定判決をなした裁判所の審理中に提出され、これらと他の証拠を総合的に判断す
れば、有罪認定に合理的な疑いを生じ、有罪判決に至ることはなかつたであろうこ
とが明らかである。
 したがつて、A3鑑定、A4原審証言及び捜査状況報告控等は刑訴法四三五条六
号所定の無罪を言渡すべき新規かつ明白な証拠に当る。
 よつて、本件についてはその余の点について判断するまでもなく再審を開始すべ
きものである。
 と、決定している。
 第三 抗告理由
 検察官の抗告理由は、昭和五四年六月一一日付高松地方検察庁検察官検事C3作
成名義の即時抗告申立書及び同年一〇月三一日付同即時抗告理由補充書各記載のと
おりであるが、その要点は、原決定はまず最高裁決定の指摘する各疑点等について
十分な審理を尽さず、かつ、証拠の判断を誤つた結果既に合理的に解明されている
かまたは容易に解明されるべき筈の右疑点等を解明することができず、また、請求
人の自白の信用性に疑いを抱かざるをえないとしたうえ、更に新証拠として掲げる
A3鑑定、A4原審証言、捜査状況報告控等が刑訴法四三五条六号の明白性を備え
ていないのにこれに対する評価を誤つてその明白性を是認し、同号による再審開始
決定をしたものであると総括したうえ、
 一 最高裁決定が提示した疑点等はすべて解明された。
 二 A1第一鑑定は信用できる。
 三 A1第二鑑定における血痕はA1第一鑑定において見残され又は切り残され
たものであつて、本件事犯時に付着したものである。
 四 A3鑑定中洗濯に関する点は条件を異にし、請求人の自白の信用性を害する
ものではない。
 五 ズボンの血痕付着部位についての請求人の自白は、秘密性を持つ。
 六 捜査状況報告控等は当時の捜査経過の概況を知りうる資料に過ぎず、死体解
剖後の捜査会議に出席した警察官らが被害者の左胸部の特殊な創傷の状況を認識し
たとしても、これをもつて直ちに同人らが最高裁決定、原決定のいうような態様の
二度突きをした事実を知つたとすることはできず、請求人のC1警部補に対する二
度突きの自白は捜査官があらかじめ知らない明らかに犯人しか知りえない秘密性を
もつた事実の自白と認められ、捜査状況報告控等は右自白の信用性、真実性を害せ
ず、明白性を有しない。
 七 原決定が手記に判断を加えないのは手記が請求人の自筆と認めたからとみら
れるし、この点も請求人の自白の信用性を担保するものである。
 というものであるが、その詳細は当裁判所の判断のそれぞれの場所において必要
に応じて触れる。
 第四 当裁判所の判断
 一 A1第二鑑定について
 原決定は、A1第二鑑定をもつてA1第一鑑定の信用性を裏付けていないとし、
検察官はこの点を争つている。したがつて、A1第一鑑定の検討に入る前に、先ず
A1第二鑑定の方からみていくこととする。
 検察官のこの点に関する抗告理由は、A1第二鑑定の被検血痕二個はA1第一鑑
定の際の見残しあるいは切り残しであり、A1第一鑑定の被検血痕と同一由来によ
るもので、ただ、洗濯されたが洗濯の効果が不十分で繊維のなかに付着残存してい
たものであるため、A1第一鑑定の被検血痕と異なり非常に色が淡くにじんだよう
になつていたに過ぎない、血痕の比較は面積だけでするべきでない、血痕の色調の
点についても、血痕の色の見方・その表現の仕方には相当個人差があり、それに、
原審における証人A2の昭和五三年六月二六日証人尋問の際の証言(以下、A2原
審証言という。)によると、赤色は非常に淡かつたことが認められ、しかも国防色
ズボンの保管状況は良好であり退色しにくい状態で保管されていたのであるから、
色調の点から疑念を容れるべきでない、被害者の衣類と一緒に保存されたため血液
が国防色ズボンに移着したものであるとも考え難い、A1第二鑑定は正当である、
というのである。
 1 A1第二鑑定がだれにより、どのような手順で行われ、国防色ズボンに付着
していた血液型がどのように判定されたかは、原決定の認定するとおりであり、血
液型検査の際、斑痕をまとめてしたのか、個々別々にしたのか、いまだ必ずしも明
らかでない面もあるが、原決定も、その検査の方法、判定結果を問題としておら
ず、ただA1第二鑑定の被検血痕の付着時期に関して、問題にしており、検察官の
抗告理由も結論的にこの点を争つているだけである。当審でもこの点に関しA2証
人、A4証人、A3証人を取調べたが、結局A1第一鑑定以前に付着したものとす
るには合理的疑いのあること、原決定と同様である。以下、若干付言する。
 2 先ず、A1第二鑑定の国防色ズボン付着被検血痕中、上の方(二個の中、裾
から遠い方)の血痕について考察する。A2原審証言によると、これは〇・二×
一・〇センチメートル位の大きさだつたという。これはA5鑑定あるいはA1第一
鑑定で発見されたものよりもずつと面積的に広い、A5鑑定あるいはA1第一鑑定
で発見されたものも、視認すれば可能なものであつた。しかるに、それらよりはる
かに大きい〇・二×一・〇センチメートルものものが、A5鑑定やA1第一鑑定に
際し、視認されなかつたということになつているのである。しかも、A5鑑定では
ルミノール試験、A1第一鑑定ではベンチヂン試験(間接法)が行われている。後
記(第四の三の2)のとおりの右両試験の鋭敏度より考え、右斑痕が存在したとす
れば陽性に反応しない筈はない。現にA1第二鑑定では同じルミノール試験・ベン
チヂン試験(間接法)をして陽性の反応を示しているのである。それなのに、A5
鑑定書、A1第一鑑定書のいずれにも、血痕予備試験によつて、A1第二鑑定の右
被検血痕が発見された趣旨の記載がない。それもA5鑑定・A1第一鑑定の被検斑
痕の近傍で当然注意の向く所である。A1第一鑑定書にはベンチヂン試験は多少な
りとも血痕の付着が疑われる部分には余すところなく施行し、と記載されており、
A4証人も原審において同旨の証言をしている(A4原審証言・速記録一〇丁以
下)。それで発見された旨の記載がないのに、A1第二鑑定において、同じルミノ
ール試験・ベンチヂン試験(間接法)によつて発見されたというのは理解し難いと
ころである。もち論、血痕量の総体を決めるには、面積だけでなく、立体的考察が
必要である。しかし、ともかく、A1第二鑑定において視認によつて色彩の分る程
度の血液付着があつたとされているから、血痕予備試験に反応しない筈はない。と
すれば、試験に反応する面積が重要である。この大きさの斑痕の反応を通常では見
落す筈はない。また、A1第二鑑定時に視認できているものを、A1第一鑑定に際
し、A4証人がこの斑痕に対しベンチヂン試験(間接法)をしなかつたとすれば、
やはり理解し難いこととなる。A2証人は当審における昭和五五年六月一三日証人
尋問期日における証言(以下、A2当審証言という。)で、A1第一鑑定時に右斑
痕を発見したが、血液型検査には不足不適と思いこれを取り上げなかつたのでない
か(A2当審証言・速記録九五丁)と、供述する。それにしても、A1第一鑑定書
に同斑痕に関する記載のないのは不思議である。国防色ズボンそのものの切り取ら
れた穴の位置からみて、右斑痕は、位置的にA5鑑定人の付した白チヨークの丸の
中にある。しかし、同鑑定人の写した国防色ズボンの写真には、それらしきものが
写つていない。写真のこと故、重視はできないが、少なくとも、検察官も「円の外
になんか黒く写つているように見えるのがそれでないか。」と発問している程であ
る(A3原審第二回証書・速記録七五丁)。このようにみてくると、A1第二鑑定
の右被検血痕はそもそもA1第一鑑定以前には存在していなかつたのではないか、
という疑問が生れてくる。このようにA1第二鑑定の被検斑痕中、上の方のものの
付着時期に疑問があるということは、同時に同斑痕中、下の方の斑痕についても同
様の疑念を生むことは否み難い。色調も同じでA2証人も同一ころに付着したもの
でないかと考えたというからなお更である(A2原審証言・速記録二五丁、三三
丁、同当審証言・速記録九二丁)。検察官の所論は、下の方はA1第一鑑定の切り
残しだと主張する。しかし、A1第一鑑定書によると、血痕の付着が微量であるの
で一つ一つについて検査することは困難であると記載されている。そのような時に
なお切り残しを作るだろうか。
 A4証人は一般に後日の検査に備えてできるだけ血痕を一部残すという配慮をし
ていたようである。しかし、同証人は原審において、はつきりした証言ではない
し、断言もしないし、むしろ、反対の場合もありえることの留保もしているが、と
にもかくにも、この程度の大きさだと残したとも考えられない、残すまでの気持に
ならなかつたのでないか、黒い部分(A1第一鑑定の切り取り部分)だけを切り取
つて左にある一寸した角の部分(A1第二鑑定の被検斑痕)を切り残すということ
をせず、全部取つているのではないか(A4原審証言・速記録八八丁、九〇丁、九
九丁)等との言を洩らしているのは、A1第一鑑定に当つてA1第二鑑定のいわゆ
る下の方のものを切り残したと認定するには、気がかりとなるところである。A1
第一鑑定がA5鑑定後の再鑑定(A4証人がどの程度既にA5鑑定が行われていた
ことを知つていたか明らかでないが、少なくとも同証人の当審昭和五五年二月二一
日証人尋問期日における証言《以下、A4当審第一回証言という。》等よりみて、
既にA5鑑定により国防色ズボンに木札が付されていたりしたから、ある程度は認
識していたものと考える。同上証言・速記録四六丁)であること、微量血痕である
ことを考えるとやはりA1第二鑑定の被検血痕中下の方の斑痕がA1第一鑑定時に
切り残したものであるとみるには疑いがある。
 3 次に色調の点についてみてみよう。A1第二鑑定書、A2原審及び当審証言
によると、上の血痕も下の血痕もいずれも赤という字で表現される要素があつたこ
とは否定し難い。A2証人は当審で赤も非常に淡い色だつたように言う。しかし、
それにしても赤という字で表現される要素をもつた色であつたことは否定していな
い。血痕の色が血液中のヘモグロビンの変化によるものであることを考えると、赤
という字で表現される要素を持つた色であることの意味は重要である。A5鑑定・
A1第一鑑定の色調に関する表現と対比してみて、それに検察官が付着したと主張
する時期からA1第二鑑定の実施されるまでの約二〇年の経過年数を考えると、や
はり、疑念の残ること、原決定と同じである。検察官は保存状態が良かつたと主張
するが、それにしても二〇年の経過年数は軽視できない重みがある。特に前記上の
方の血痕は厚みがなくうすく付着していたと認められるから、血痕の色調変化は早
い筈である(A2当審証言・速記録一六七丁)。
 A2原審証言(同上速記録一八丁以下、二八丁)及び当審証言(同上速記録二九
丁以下、四二丁)によると、A1第二鑑定の被検血痕は、いずれも色がうすく、上
の方は非常に淡くにじんだようなもので、正確には淡淡淡赤褐色とでもいうべきも
のであり、下の方はこれより色が多少濃かつた、上の方はにじんでいたが下の方は
にじんでいない、という。検察官は抗告理由において、これは洗濯の影響によるも
のであるという。血液が衣類に付着してから濡れると、にじむというから、上の方
のその点は洗濯の影響によるものとして説明もできよう(なお、この上の方の斑痕
がA5鑑定・A1第一鑑定の血痕予備試験で発見されなかつた点よりみて、その血
液付着時期はA1第一鑑定時以後でないかという疑問のあること、前記のとおりで
ある。)が、下の方はそれとは異なり、洗濯の影響があつたという証左とはいえな
い。検察官は、下の方の斑痕はA1第一鑑定時の切り残しであり、A1第一鑑定の
被検斑痕は衣類に飛沫血痕の外形をそのまま残したものであり、A1第二鑑定のそ
れはその外形が損われて繊維のなかに付着した形で残つていたものである、とも主
張する。A2証言によると、前記のように、上の方の斑痕は淡淡淡赤褐色とでもい
うか非常にうすい赤褐色で、下の方はそれよりも多少濃いけれども、淡赤褐色の淡
は色にもかかる表現である(A2原審証言・速記録二八丁、当審証言・速記録三〇
丁)というから、下の方も、とにかく淡い色であつたようである。半米粒大と表現
される微小の斑痕の一部が暗褐色であり、その切り残しが上記のような淡赤褐色と
いうのではあまりに対照が過ぎる。A5鑑定も、暗褐色乃至黒褐色で、略同様の性
状の小斑点とか、多少光沢ある黒褐色の微細な塊、と表現しており、上記のような
色彩の切り残し部分が生じうるようなものと思われる記載がない。
 4 検察官の抗告理由には、「原決定は、国防色ズボンのA1第二鑑定の被検血
痕はA1第一鑑定時以後移着した可能性があり、たとえば被害者の衣類から血液が
移着したというようなことも考えられないわけでない、とする。」として、被害者
の衣類その他からの血液移着を念頭において、そのようなことはないと非難してい
るが、原決定は、A1第一鑑定時以後付着した可能性があるといつているのであつ
て、必ずしも被害者の血液が移着したといつているのでなく、被害者の衣類からの
血液移着は例示に過ぎない。原決定の言わんとするところは、A1第二鑑定でO型
と判定された血痕はなんらかの理由でA1第一鑑定時以後に付着した疑いがある、
というだけで、それ以上どのような血液がどのような機会に付着したのか特定して
いるものでないことは原決定上明らかである。またそれを決定しようもないこと
は、記録上明らかである。検察官のこの点に関する抗告理由については、多く言う
を要しない。ただ上記に検討してきたとおり、A1第一鑑定時以前には付着してい
なかつたのでないか、即ち本件事犯時に付着したものではないのではないかという
合理的疑いがあること、原決定と同じである。
 5 以上のとおり、A1第二鑑定に関する検察官の所論は理由なく、同鑑定をも
つてA1第一鑑定の結論を補強するもの、ということはできない。また、A1第二
鑑定の被検血痕を、A1第一鑑定時以前から存在した、とするには合理的疑いがあ
る。
 なお、右に見てきたようにA1第二鑑定の採証し難いのはその付着血痕の由来に
疑義があるからであつて、その検査方法やその判定結果自体を問題としているわけ
ではないから、A1第一鑑定も同じA1鑑定人が関与しているが、A1第二鑑定が
採証できないからといつて、A1第一鑑定の証拠価値に響くものではない。A1第
一鑑定の対象となつた斑点は、既にA5鑑定の際発見され白チヨークで記され写真
も撮られているのである。
 二 A1第一鑑定の信用性について
 検察官の所論はA1第一鑑定の方法及び結果は適正妥当であり、原決定が新証拠
とするA3鑑定及びA4原審証言によつてその信用性が損われるものではなく、右
新証拠には明白性がない、といい、原決定がA1第一鑑定を信用できないとする各
疑点、事情に対し、
 (イ) 「1」三ミリグラム以下の血痕量でも凝集素の力価を低下させ、分量を
減少させる手法により、この場合でも凝集反応の判定は客観的にできるから、原決
定がいう〇・四ミリグラムの場合でも血液型判定を誤る危険性はない。「2」原決
定が血痕量を約〇・四ミリグラムとかあるいは一ミリグラムをはるかに下廻ると認
定するのは、少なすぎる。
 (ロ) 「1」本件四個の血痕はその位置、性状よりみて同一由来と認められ、
人血検査を一部省略したからといつて、同一由来と考えられる血痕八個中A5鑑定
において二個A1第二鑑定において二個その他A1第一鑑定においては更に一部の
人血検査が行われ、いずれも人血と認められたのであるから、A1第一鑑定の対象
となつた四個の血痕中に動物血の混在は考えられないし、血液型の判定を誤るおそ
れは全くない。「2」本件に使用した抗O凝集素はO型血液に強く吸収され、他の
血液型の血液には弱く吸収され、A型又はB型血液に対する抗O凝集素の被吸収程
度は対応する型血液に対する抗A凝集素または抗B凝集素のそれより弱いことが明
らかである。「3」またA型血液とB型血液が混在するような条件の下にあつても
これを誤つてO型と判定されるようなことはありえない。したがつてA1第一鑑定
で数個の血痕を集めて血液型検査をしてもO型血液がないのに、O型と判定を誤る
危険性はない。
 (ハ) A4は、当時大学院特別研究生ではあつたが、血痕鑑定に習熟してい
た、
 と主張する。
 1 A1第一鑑定がだれにより、どのような手順で行われ、国防色ズボンにあつ
た斑痕の人血付着の有無及びその血液型がどのように判定されたかは、原決定の認
定するとおりである。本件における争点はその判定結果を信用しうるか否かにあ
る。以下、この点に関する前記原決定の理由及び検察官の抗告理由にそつて順次検
討する。
 (イ) 「1」 そこでまず、国防色ズボンに付着していた血痕量について検討
する。A1第一鑑定によれば、国防色ズボンに血液が付着していたとされたもの
は、けしの実大の暗褐色の斑痕三個と半米粒大の暗褐色の斑痕一個(以下、本件斑
痕という。)である。原決定はA3鑑定に基づき同人が実験的に白木綿の布に飛沫
状に血痕を付着させて作製した血痕の面積と血痕量の計測結果(A3鑑定書六~七
頁A表)からの比例計算により、けしの実大を一×〇・五ないし〇・七ミリメート
ルとみて、これを一×〇・五ミリメートルの矩形に近いものとし、その血痕量は
〇・〇二五ミリグラム、半米粒大を五×三ミリメートルとみて、これを直径三ミリ
メートルの円形に近いものとしその血痕量を〇・三六ミリグラムとし、けしの実大
三個と半米粒大一個の血痕の合計量は〇・四三五ミリグラムになるところ、人血試
験に要した分としてけしの実大一個ないし二個分を差引くと約〇・四ミリグラムに
なる。と記載している。しかしながら、A3原審第一回証言(同速記録七六丁)
で、A3証人自身けしの実大というのは、直径一ミリメートル位の円形のものを言
う人もあることを認めており、A6鑑定書もこれによつているから(同鑑定書五
丁)これによれば原決定のように一×〇・五ないし〇・七ミリメートルとみるのは
過小のそしりを免れず、また半米粒大を五×三ミリメートルとしながら、直径三ミ
リメートルの円形に近いとするのも正確でない。もつともA3証人は原審第一回証
言(同速記録七六丁)において、けしの実大とは一ミリメートル掛ける〇・四(ミ
リメートル)を言うこともあるといい、これによれば原決定の数値はやや大き目の
計算となる。いずれにしても、けしの実大、半米粒大と言つてもその数値が確立さ
れていたわけでもなければ、国防色ズボンに付着していた血痕の大きさが原決定の
するような数値で表すのも妥当であるという保証もなく、ただ一応の推量算定する
根拠としたもの、と考えるべきだろう。問題はその立体性である。
 A5鑑定書第五項には
 右国防色下服の右脚下半で、前面の略中央(木牌を付してその部位を示す)及び
略々後面の下端等に、暗褐色ないし黒褐色の小斑点若干を付着し、これらは何れも
略々同様な性状を呈し、木牌を付した部分の斑点は「ルミノール」発光反応及び
「ウーレン・フート」氏人蛋白沈降反応を陽性に与えるので人血痕である。これら
は何れも表面から付着したもので裏面から付いたものでなく、且つ「ルーペ」で検
すると、多少光沢のある飛沫血痕の様に見え何れも微少で血痕の量が少なく、血液
型の検査を行うに充分でないからこれを行わなかつた。
 写真第一は本物件の下半の一面を、第二、第三はその一部(人血痕付着部)をそ
れぞれ撮影したもので、後二者は前者を多少拡大したものである。本物件が私の手
許に送致せられた時には、被検汚斑が赤色のやや太い線で円く囲まれ、その部位を
明示せられてあり、かかる汚斑は何れも血液検査(「ルミノール」発光反応)が陰
性であるに反し、赤い印のない、更に微細な暗褐色ないし黒褐色の小斑点は陽性の
血液反応を呈した(註、血液検査陽性の斑点若干には、「チヨウク」で白印を付し
ておいた)。しかして本物件が洗濯せられたとしても、血液反応の陽性を呈した斑
点の中には、洗濯を免れたと思われるものがある。即ちその量は極めて少ないが、
前記の如く多少光沢ある黒褐色の微細な塊をなして付着している
 旨記載され、写真が添付されている。
 一方A1第一鑑定をみるに、
 本物件(国防色ズボン)の右脚前面の下半部には木札を付した部が二個所あり米
粒大の部分が切取られている。又右脚前面の中央よりやや下方及び右脚後面の下方
に白チヨークでマークせられた部が三個所あるがその部にはけしの実大の暗褐色の
斑痕三個及び半米粒大の暗褐色の斑痕一個が認められる。
 と記載されている。このうち、A5鑑定書の前記引用末尾に記載されている、
「多少光沢ある黒褐色の微細な塊をなして」いたというのは、国防色ズボンの陽性
の血液反応を呈した斑点すべてをいうのか否か、という点については疑義がないわ
けではない。このことは、「……血液反応の陽性を呈した斑点の中には洗濯を免れ
たと思われるものがある。即ちその量は極めて少ないが……塊をなして付着してい
る。」という表現よりみて、果して、A1第一鑑定書に記されている暗褐色の四個
の斑痕がA5鑑定書にいう塊をなしていると表現されている部分に相当するか否か
は、必ずしも文面上からは一義的に明らかではない。しかし、A5鑑定書において
国防色下服(ズボン)の右脚下半の前面略中央及び略々後面の下端等に付着してい
た暗褐色ないし黒褐色の斑点はいずれも略同様な性状を呈していたとされ、しかも
いずれも多少光沢のある飛沫血痕の様に見える、と記されているところを見ると、
A1第一鑑定書に記されている暗褐色の斑痕が塊であるとか、たとえ塊とまで表現
しえないものであつたとしても、塊に近い性状の付着の仕方をしておつたもので、
厚みのない単に平面的な付着をしておつたものとは考え難い。しかも、右斑痕は、
A1第一鑑定書自体で暗褐色と表現され、A5鑑定書では、暗褐色ないし黒褐色で
多少光沢があつたといわれている。ところで、A3証人の当審昭和五五年八月二九
日証人尋問期日における証言(以下、A3当審証言という。)による(同上速記録
一一九丁)と、血痕も厚みがあると赤味より黒味が強く見えるという。このことは
A2当審証言(同速記録三五丁)でも指摘するところであり、A4証人も当審昭和
五五年六月一四日証人尋問期日における証言(以下、A4当審第二回証言とい
う。)で同旨の供述をしている(同上証言・速記録七四丁)。この面からも本件斑
痕が塊状か少なくとも塊に近い性状で厚味をもつたものであり、平面的な付着でな
かつたと認めるべきである。ところで、原決定が算定の基礎にしたA3鑑定の血痕
量の実験(A3鑑定書六~七頁A表)はへパリンを加えた人為的に流動性を付与し
た人血を使用しており、それは平面的にしか付着しえない性状のものである(A3
当審証言・速記録一〇六丁以下、一一一丁)。しかも、A3証人自身同表は絶対的
なものでなく、一つの目安であるとし、同表自体の中にばらつきのあることを認め
ている(同当審証言・速記録一〇九丁)。また、立体的になつてくると、右表とは
異なり重くなつてくることももち論認めている(同当審証言・速記録一一七丁以
下)。このような付着の仕方をした実験結果により、平面的でない付着をしていた
と認められる本件斑痕の血液量を、機械的に算定したのでは、適正な数値を求める
ことはできない。A3証人自身原審第二回証言で(同速記録三四丁、四五丁)、実
験的計量として、血粉につきそれぞれけしの実大は〇・〇九~〇・二七ミリグラ
ム、半米粒大は一・五七~二・五七ミリグラムであり、衣類に付着した血痕として
は半米粒大の場合恐らく一・何ミリグラムというような大きさになると供述し、更
に自己のした血痕量の実験(A3鑑定書六~七頁A表No.2)を基にすると一ミ
リグラム以下になるから、一ミリグラム内外と推定して構わないと述べ、更に、当
審においても衣類に付着した血痕として半米粒大の場合一ミリグラム位か、半米粒
大の血粉量を平均二ミリグラム位としてまあどう見てもせいぜい半分の一ミリグラ
ムか一ミリグラム強でないか(A3当審証言・速記録一一三丁以下)と表現してい
る。A3当審証言(同速記録一八九丁)によると、同人は、血痕という時、平面的
についているしみのような斑痕を想定しているので、前記のように平面的付着でな
い本件斑痕について、A3証人のいうように血粉量の半分とみるのが妥当であるか
否か問題がないわけではないし、特に、A3証人自身のした実験例(A3鑑定書六
~七頁A表No.2)を基にして一ミリグラム内外と推定するのは理解し難く(む
しろ、同表によるならば、原決定のいうように〇・三六ミリグラム程度と推定する
方が合理的である。)採用し難いが、上記血粉量を基礎にしての算定は本件斑痕か
ら得られる量を推定する一応の参考にはなる。もち論、今となつてはこれを秤量し
あるいは確定する術とてもない。ただ、少なくとも、本件斑痕に付着していた量が
微量であつたことは間違いないが、原決定のいうようなおよそ〇・四ミリグラム程
度あるいは一ミリグラムをはるかに下まわる極めて微量である、と認定するのは相
当でない。
 「2」 原決定は、血液型の判定として確実な結果を得るためには、通常二ない
し三ミリグラムの血痕量を必要とするというべきであり、それ以下では刑事裁判の
証拠として一般的に証明力に疑いを生じ、採用することにちゆうちよされるとい
い、検察官もA1第一鑑定の当時凝集素吸収試験法によるABO式血液型判定には
三ミリグラム位の血痕量を必要とすると一般に言われていたようである、とこれを
肯定し、もち論弁護人もこれを前提にして立論を進めている。ところで、A4当審
第一回証言(同速記録四八丁、五九丁以下)によると、二~三ミリグラム必要だと
いうのはかなり古い時代から言われていたことで、その時代はかなりの力価の抗血
清をかなりの量使つていた時代に言われたことであり、A1第一鑑定当時はもつと
微量でも検査できないだろうかということでA4証人の属していたD1大学D2教
室でも工夫試行がなされていたという。そして当時の普通の血痕検査では力価八倍
の抗血清(後記第四の二1(ロ)「2」に記すとおり、抗血清の原液を生理的食塩
水で稀釈し、これに、対応する血球を加えた場合、八倍までの稀釈ならば凝集反応
を起すが、その倍の一六倍稀釈では凝集反応を起さないもの)あるいは力価一六倍
の抗血清(上記同様一六倍稀釈で凝集反応を起し三二倍稀釈で起さないもの)を
〇・二CCあるいはそれ以上使うのが常識であり、その時二~三ミリグラムの検体
があり、専門的注意を払つてやれば一応信頼できる結果が得られると考えられてい
たが、微量血痕の場合にはその用いる抗血清の力価や使用量を強めあるいは少なく
することによつて可能ではないかと理論的にも考えられ、経験を積むうちに、慎重
に行えばそれがため検査が必ずしも不正確になるものでないことが分つてきた、と
いうのである。A3証人も当審における証言において、凝集素価(力価と同じ)が
八倍から四倍のものが使われており、場合によつては相手となる検体の血痕量が微
量になるとそれに合わせて凝集素価が二というような低いものを使わねばならない
と述ベ(A3当審証言・速記録三丁、七丁)、微量血痕の場合に前記A4の証言し
たと同じテクニツクを用いることを示唆している。A3証人は当審において凝集素
価を弱めることのみに触れているが、原審において微量血痕に対し調整可能な場合
には抗血清を量的にも、それから凝集素価という質の方も調整すると答えている
(原審第二回証言・速記録九五丁)。もつとも同証人は凝集素吸収試験でやる方法
では二ミリグラム前後の血液が得られないと採証学的な血痕検査はできないと思つ
ているという(同当審証言・速記録一〇三丁)。また、その時用いる抗O血清の力
価は四倍からせいぜい八倍のものを大体〇・二五CC位用いるとも述べている(同
当審証言・速記録一八四~一八五丁)。とするならば、同証人は、前記のように微
量の時には凝集素価二というような低いものを使うとも述べているのであるから、
抗血清の力価を右にいう力価四倍あるいは八倍という程度よりももつと弱め使用量
も〇・二五CCよりももつと減ずるならば、弱め減ずる程度に比例して二ミリグラ
ム以下の血液しか得られない微量血痕の場合でも、吸収試験による検査が可能な場
合もあると考えていたことを、暗に肯定しているものといわざるをえない。もつと
も、A4証人も述べているように、これが検査には慎重な配慮も要しようし、血痕
量が微量でもできるといつてもその微量の程度には自ら限界のあることはもち論で
ある。また、微量の血痕に対する検査方法は古くから研究され始めていたが、A4
証人のいう右のような方法がA1第一鑑定当時学問的に認知されるという段階にま
では達していなかつたようである。しかし、その後の学問的発展によつて微量血痕
の検査方法として右のような方法が妥当であつたことが裏付けられた、というのは
A4証人の証言するところであり(A4当審第一回証言・速記録六〇丁、二一五
丁)、これを否定するようなものは記録上見当らない。弁護人が提出した、C4の
「血痕並びに人体液排泄物等の血液型判定法に関する知見補遺第一編血痕の血液型
判定法に於ける二、三の基礎的事項について」という論文もC5氏法の追試であ
り、しかも〇・一ミリグラム、あるいは〇・〇四ミリグラム、若しくは〇・〇二ミ
リグラム程度と計算される超微量の血液の血痕の検査法に関するものであり、本件
に適切でないばかりか、かえつて、血液付着後一週間以後一年未満という限定つき
ではあるが、〇・一ミリグラム程度の場合においても良好な結果が得られる場合が
ある、とされているのは注目すべきことである。
 本件において、国防色ズボンの検査に当つて、力価二倍の弱い抗血清を用いてい
ることはA1第一鑑定書によつて窺われる。これは付着量が極めて微量であつたこ
とにつき配慮したことを示し、A4証人も言う如く当然抗血清の量も通常の場合よ
り減じたものと考えられる。以上のとおりA1第一鑑定は、斑痕が微量なりに配慮
した検査をして得られた結果なのである。それに右「1」で検討したとおり、本件
斑痕の付着量が原決定のいうようなものでないと思料されることをもあわせて考察
すれば、A1第一鑑定において実施してみてその上で出てきた試験結果は、試験結
果として肯定すべきであつて、微量であるからといつて、これを否定すべき事由と
はなし難く、原決定のいうように、斑痕量の微量性故にA1第一鑑定の試験結果を
正確なものでないとか信用性に乏しいものとするわけにはいかない。
 もち論、前記のように微量の試験であればあるだけに、慎重な配慮を要するであ
ろう。しかし、本件国防色ズボンの検査における血液型試験は抗A凝集素・抗B凝
集素において斑点部・対照部においては同様な反応を示しているが、抗O凝集素に
おいては斑点部と対照部で二段階差という有意・明瞭・信頼できる差異を示してい
る。この点よりみても本検査が不正確であるとか判定を誤つたものとかとは解し難
い。
 (ロ) 「1」 人血試験を一部省略した点についてみてみよう。
 A1第二鑑定の被検血痕は前記のように付着時期に疑義があるから、考察の対象
にすることはできない。A1第一鑑定で血痕予備試験が陽性を示した斑点は四個
で、A4原審証言によると、おそらくそのうちの一個につき人血試験をしただけだ
ろうという。原決定は、A1第一鑑定がこれらの斑痕のすべてについての人血反応
試験を行わずかつこれらを集めて血液型判定の試験を行つている点において、人血
以外のものが混入する可能性ひいては判定を誤る危険性を否定し切れず……A1第
一鑑定はきわめて信用性に乏しいと説述している。しかし、これら四個の斑痕は前
面・後面の差はあつても、いずれも国防色ズボンの右脚の下半部に付着していたも
のであり、すべて血痕予備試験であるベンチヂン(間接法)試験において陽性の反
応を示したのである。これら四個の斑痕は、A5鑑定人が発見しチヨウクで白印を
付した部分にあつたのであるが、同鑑定人はこの外に国防色ズボンの右脚下半の前
面に二個発見し(この二個について人血試験を施している。)、これらにルミノー
ル試験を行い陽性の反応を得ているのである。先ず本件斑痕はすべて血痕予備試験
が陽性であつたことを留意すべきである。A5鑑定人は自ら発見した暗褐色ないし
黒褐色の小斑点若干がいずれも略同様の性状を呈し、これらはいずれも表面から付
着したもので裏面から付いたものでなく、かつルーペで検すると、多少光沢のある
飛沫状の血痕のように見えるとして、これら斑点について個性を認めていないし、
A4証人も本件斑痕を同一性状・同一由来と考えたようである(A4原審証言・速
記録二七丁、同当審第一回証言・速記録一〇八丁)。もつとも外観だけで同一由来
であるとまで断定するのは危険であるかも知れないが、少なくとも似通つた性状に
あり、A5やA4証人が見て異なる性状異なる由来のもの、とするところはなかつ
たものと考えられる。そして、A5鑑定人において前面の二個につき人血試験をし
て人血と判定し、A1第一鑑定において少なくとも一個につき人血と判定してお
り、したがつてA1第一鑑定の四個及びA5鑑定人の人血試験をした二個合計六個
(以下、本件六個の斑痕という。)のうち、少なくとも任意(鑑定人が意図的に選
んだ形跡はない。)の三個までは人血の証明があつたことになり、しかもこれら六
個はいずれも同じ国防色ズボンの右脚下半部にあり、さして離れたところにあつた
わけではない。検察官の即時抗告理由補充書の表現を借りるならば、右六個はすべ
て左斜上から右斜下にかけて約七センチメートル幅の一線上の内に入つている。ズ
ボンの前面及び後面に付着していても、付着時にズボンが静止していたとは限らな
いことを考慮すると、別に同一性状・同一由来を否定する事由にはならない。更に
動物の血液は抗A又は抗B凝集素を吸収するものが多く、抗O凝集素を吸収するも
のは種類個体ともに少なく(A4当審第二回証言・速記録二七丁、A3当審証言・
速記録一八七丁以下)、O型であると判定されたことは、A4証人によると、人血
であるとの推測を高めるといい、A3証人もあるいは人血であるという証明になる
かも知れないと述べている(A4当審第二回証言・速記録二六丁、A3原審第二回
証言・速記録五二丁)ところ、本件斑痕はO型によるものと判定される、少なくと
も凝集素吸収試験においてO型反応を示すだけの物質の付着を示す試験結果が得ら
れていること後記(第四の二1(ロ)「3」「4」)のとおりである。
 人血試験を施し人血反応が陽性に出た斑痕が人血であること確実であるといえる
外、以上のような条件が揃つているのであるから、本件斑痕中人血試験を施行しな
くても、血液型試験でO型との反応を示したその余の斑痕も人血であると推量させ
るかなり高度の証明が得られたものというべきである。
 もつとも、本件斑痕四個全部に対し個々的に人血試験がなされていないことによ
つていまだ人血とは認められないという者も、あるいはあるであろう。たしかに、
科学の証明としては論議はあるかも知れない。しかし、本件は裁判上の資料となり
うるか否かの問題であり、他の証拠と総合対比して事実認定するに当つてどのよう
な証拠価値をもつかの問題である。如上のごとき状況にあるということは、それ相
応に十分証拠価値をもつている、といわざるをえない。
 「2」 A1第一鑑定に用いられた抗O凝集素は他の血液型の血液によつてもO
型血液によるのと同程度に吸収されるものであるか否かについてみるに、A6証言
はこれを否定し、A3証人は原審及び当審においてA1第一鑑定中軍隊用袴下につ
いての成績
<記載内容は末尾1添付>
 を基にこれを肯定する。そしてA1第一鑑定は右の成績を基に、この斑点は抗A
凝集素と抗O凝集素を吸収し、抗B凝集素を吸収しないからA型である、と説明す
るにとどまり、吸収の程度の差を問題にしていない。そしてA4原審証言は抗O凝
集素のO型血液に対するのと、その他の血液型の血液に対するのとの被吸収の度合
について、厳密にいうと差があるかも知れませんが、当時としては同じ吸着度合と
いう考えで扱つていましたしまたそういうふうに反応が出ていたと思いますといい
(A4原審証言・速記録三七丁)、血液型判定の一般式を
<記載内容は末尾2添付>
 と表示し、ここにも書いてあるとおりでA型にも、B型にも、AB型にも、もち
ろんO型にも吸収されるので、この表に出るようなケースの抗O凝集素を使つてお
りましたとしており、軍隊用袴下についての成績中抗A凝集素の稀釈倍数1の時の
対照部の試験結果が・となつていることにつき説明を加えなかつたのに、当審に至
り(A4当審第一回証言・速記録六三丁以下、同当審第二回証言・速記録六〇丁以
下)、一般式を
<記載内容は末尾3添付>
 と訂正したうえ、抗O凝集素の性質につき、O型血液には強く反応するが、その
他の血液型血液には弱くしか反応しないものであり、当時D1大で作つていた抗O
凝集素は、使用する鶏の個体差等にょり性能が千差万別で血球と反応させてみた上
で性能の良いものを選んで使つており、軍隊用袴下の成績についても抗A凝集素も
抗O凝集素も+、―だけに着目すれば、斑点の部と対照部においていずれも一段階
の差に過ぎないが、抗A凝集素の稀釈倍数1の時、対照部についてのものが・であ
るのに斑点の部が+であることは斑点の部においてなにがしかの吸収があつたこと
を示すものであり、いわば抗A凝集素については一段階と二段階の中間的差を示し
ており抗O凝集素の稀釈倍数1の時、斑点の部、対照部とも+で差がなく稀釈倍数
2で始めて差が出てきており、単純に一段階差に過ぎないのと対比してみて、A型
血液が抗A凝集素を吸収する度合よりも抗O凝集素を吸収する度合の方が低いこと
を示しているものである、とし、原審における証言は、おぼろげな記憶で漠然とし
た印象で答えたもので、この点に関する当審における証言の方が正しい、とするに
至つた。A1第一鑑定の軍隊用袴下の成績よりみて、当審における証言の方が正確
であると認められる。
 ところで、この点につき当審におけるA3証言は軍隊用袴下の成績表には吸収前
の凝集素価(力価ともいう)が記載されていないが、これは夏メリヤスシヤツ(証
一一号)の次の表のような成績
<記載内容は末尾4添付>
 に記載されたのと同じ力価のものが使われたとみなければならず、この表におけ
る抗A凝集素の稀釈倍数4のとき十にとどまるから軍隊用袴下の成績中右に対応す
るとみられる抗A凝集素の稀釈倍数1のとき・になるのは「1」対照部から凝集力
を強める物質がにじみ出たか「2」稀釈を誤つて濃くしたか「3」検査のとき入れ
る血球量を誤つたかであるとし、したがつて軍隊用袴下の成績表を見る場合は右・
は+とみなさなければならず、A4証人が当審でいうような抗O凝集素の被吸収度
の差は、ないことに帰するという。しかしA3証人のいう右三者のうち「1」は想
定しがたいところである。弁護人も、軍隊用袴下の対照部から凝集力を強める物質
がにじみ出たため稀釈倍数1で対照部が・なら、稀釈倍数2は・、稀釈倍数4は+
であるべきだと主張し、前記「1」の可能性を否定している(昭和五五年一〇月一
五日付弁護人意見書三二頁)。また、「3」の血球量を誤つたかという点につい
て、A3証人は当審証言で「加える血球の量かなんかでも差が出て来るというよう
なこともあるわけですか。」という問に対し「ええ、それもテクニツクフエラーに
入ります。」と答えている(同当審証言・速記録一三七丁)が、それ以上その点に
ついて何の説明もない。また、加える血球量をどのように誤つたがために、このよ
うな結果になつたというのか、これを推定する根拠すら明らかでない。また、同証
人は研究所・教室・専門家は一定の赤血球を用意していてこれを使うよう努力して
おり、この面から差異が出ないようにしていると証言(同上当審証言・速記録九
丁)しており、A1第一鑑定においてこの加える血球の性質の面での配慮に欠けて
いると認めるべき根拠もない。加うるに、A1第一鑑定に際して加える血球量を誤
つたがためにこのような結果が出た、と解すべき証左は全くない。ところで、抗血
清原液の力価は個体によりさまざまであつて、これを2n(2のn乗)倍に稀釈し
てもなお対応する血球を加えた時に凝集力を持つが2n+1倍に稀釈した場合に同
様にして凝集力を示さなくなるときその抗血清(凝集素)の力価は2nであるとい
うことになり、力価は2nとして表わされるのが通常であるから、力価といつても
幅がありこれが・の凝集力を示したからといつても次の稀釈によつてそのまま・の
力が維持される場合と+に減弱する場合があり、さらにもう一回の稀釈によつて+
になる場合も―になる場合もあると認められる。A3証人も当審(回証言・速記録
一七一丁)で、八倍価の凝集素を使つた証一一号夏メリヤスシヤツについて、「こ
の場合一六倍になると―が出ておりますね、この場合一四倍に稀釈した時に―にな
るのか、一五倍で一になるのか、そういうことはやつてみないとわからないんです
か。」という問に対し、「ええ、やつてみないとわかりませんし、通常は二、二で
やつてますから、そういうことはやらないわけですね。」と答えている。しかし、
そもそも、証一一号の夏メリヤスシヤツの稀釈倍数4のところと、軍隊用袴下の稀
釈倍数1のところと全く同じであると考えてよいかが問題である。A1第一鑑定書
には、凝集素吸収試験による血液型の検査について、「……可検斑痕の適当量を細
かく切つて試験管にとり、これに適当に凝集素価を有する様に稀釈した……凝集素
の適当量を加え……」と記している。そしてA4証人は当審第一回証言において
(同速記録一八六丁、一八七丁)「これはこのような検査をやるときに始終あるこ
とでして、血清を薄めて使うわけですけれども、そのときにどの検査においても同
じ濃度に薄めるということではなくして、こちらに使つた血清とこちらに使つた血
清との間に或る程度のずれがある。」と述べている。当審第二回証言でも、予め適
当に抗血清を調整しておくと証言している(当審第二回証言・速記録三丁)。軍隊
用袴下の稀釈倍数1のところの凝集素が夏メリヤスシヤツの稀釈倍数4のところと
凝集能が全く同じとする根拠はない。また、そのようにする必要もない。むしろ、
それは軍隊用袴下の被検斑痕から得られる見込量に応じて適当に稀釈されたもので
あつたと解するのが、A1第一鑑定書を見ての自然な解釈でないかと考えられる。
 もち論その後の検査においては倍数稀釈すべきであり、そのように稀釈した趣旨
に鑑定書は記載されており、これを否定すべきものは何もない。A3証人はこれを
稀釈を誤つたものではないかとも言つているが、誤つたにせよ、意図的にしたにせ
よ、A1第一鑑定書を素直に読めば、軍隊用袴下についてはこうした反応を起すよ
うに稀釈された抗血清を用いたと読めるのであり、これがため抗A凝集素の対照部
における反応が・と出たと解するのが自然であると思われ、抗A凝集素の対照部に
おいて・の成績が出たことを否定する事由はないと思われる。
 もつとも、吸収試験における判定に当つては可検斑痕部と対照部の比較が大切な
ことはA4当審証言(同上第一回証言・速記録六七丁以下)の指摘するところであ
り、A3当審証言も肯定して(同速記録二二丁)いるところである。その意味でど
こを対照部として取るかは重要なことであり、A4証人もそれを認識していたから
(同当審第二回証言・速記録七二丁)、A1第一鑑定においてそれが万全であつた
か否かは明らかでないが、少なくともA4当審証言によつて、同人の考えにおいて
不適切と思われるところを取つたという事跡は窺われない。
 A1第一鑑定において斑点の部と対照部との間に有意の差が出ていること自体
は、これを否定すべき特段の事由が認められぬ限り、やはり、それなりの証拠価値
を認めるべきである。また右のような特段の事由は見当らない。しかるに、原決定
はA1第一鑑定の軍隊用袴下に対する凝集素吸集試験の検査成績として、検体斑点
部の124倍稀釈の抗A凝集素に対する吸収反応が+――、同各倍数稀釈の抗O凝
集素に対する吸収反応も同様+――であることのみに着眼して、A1第一鑑定時に
血液型判定に使われていた抗O凝集素はO型血液のみならず、他のいずれの血液型
によつても、A型あるいはB型の血液が抗Aあるいは抗B凝集素を吸収するのと同
程度に吸収される性質を有するものであると認定したのは、明らかに誤りであると
せざるをえない。A3証人も当審において(同当審証言・速記録三四丁、一八三
丁)、同人自身昭和三〇年頃から抗O血清をO型血液と他の型の血液と区別するた
めに使用することができるようになつたが、昭和二五~六年頃でもたまたま成功す
るような(抗O)血清に当る人があつたと証言しており、同証言自体A1第一鑑定
において使用した抗0凝集素の性質に関するA4当審証言を一般論としては否定し
たことにならない証言になつているとも言いうる。A1第一鑑定において用いられ
た抗O凝集素は、O型以外の血液において、それが吸収される程度は、その血液型
に対応する抗Aあるいは抗B凝集素が吸収される程度よりも、低かつたものと認め
られる。
 「3」 ところで、A1第一鑑定の血液型試験は一つ一つについて試験すること
は困難であるとして、人血試験で費消したものを除きこれらを集めて試験を行つて
いる。できれば斑点一つ一つについて行うに越したことはなく、微量のためである
というからやむをえないところとして諒解すべきであろう。問題はそれによつてそ
の試験結果は証拠価値を失うか、どの程度の証拠価値を有するかである。
 原審及び当審のA3証言において、血痕がA型、B型、AB型であるのに、微量
すぎて単独では抗A、抗B凝集素を吸収しない場合でもこれら血痕が混合するとこ
れら血痕中の抗O凝集素に対する吸収力が相加される結果抗O凝集素を吸収する作
用をする場合があるとの点は、A型、B型、AB型血液の抗O凝集素に対する吸収
力が抗A、抗B凝集素に対する吸収力に劣るとすればもち論、これが同程度として
も本件国防色ズボンにおける抗O凝集素に関する検査成績が対照部・斑点部で二段
階差を示しているから、O型血液が皆無であるのにO型と誤つて判定されたとする
ことはできないものと認められる。右A3証言によれば、O型以外の血液の抗O凝
集素に対する吸収力が抗A、抗B凝集素に対する吸収力と同じであり、かつ例えば
A型血液とB型血液が等量程度混在する場合には抗A、抗B各凝集素は血液微量の
故にともに吸収されないのに抗O凝集素が吸収されることがあるとし、その理由と
する、A型血液中に含まれる抗A凝集素を吸収する力をnとすれば抗O凝集素を吸
収する力もnであるから(B型血液についても同じことがいえる。)A型血液とB
型血液が等量混在する場合抗A、抗B凝集素を吸収する力はともにnであるのに抗
O凝集素を吸収する力は2nとなり二倍の力でもつて作用するためであるという、
いわば極限の場合を想定してみても、本件において集めた血痕量がA型血痕とB型
血痕の等量程度であつたとすることは前記けしの実大、半米粒大の各血痕量のいろ
いろな組合わせを作つてみても困難であること、本件国防色ズボンの凝集素吸収試
験の成績は
<記載内容は末尾5添付>
 であつて、抗O凝集素の性質を、A3証人のいうようにO型血液に対してもその
他の血液型の血液に対しても同程度に反応するものであつたとしても、本件のごと
く稀釈倍数1の抗O凝集素をも吸収し血痕部と対照部との間で二段階差を示してい
るのに抗A、抗B凝集素が全く吸収されないということは、A3証人のいうような
O型以外の血液の混合したものではない証左であると考える。何故なれば、前記の
ように抗O凝集素に対する吸収能を2nとみても、二段階差を示したということ
は、nの力でも反応を示すことを意味し、O型血液以外の混在であつたなら、理論
的に、抗A、抗B凝集素についても抗O凝集素に対するnの力と同程度の反応を示
すものとしなければならないからである。まして、本件において使用された抗O凝
集素の性質は、前記のとおり、A型血液あるいはB型血液またはAB型血液におけ
る抗O凝集素の被吸収度より、対応する血液型血液における抗A凝集素または抗B
凝集素の被吸収度の方が優つているのである。したがつて本件血痕中に0型血液の
存在したことは否定しえないものといわなければならない。A3証人のA型・B型
あるいはAB型血液が混合した微量血痕がO型血液としての反応を示すことがある
との見解も、抗O凝集素の性質をO型血液のみならずA型血液B型血液あるいはA
B型血液にも同程度に反応するものであることを前提としており(A3当審証言・
速記録三九丁)、前提を異にし本件には適切ではない。
 「4」 もち論本件は、前記のように一つ一つについては試験することの困難な
ような微量斑痕を集めて試験したものである。若し、その中に、本件で用いられた
抗A凝集素あるいは抗B凝集素に反応を示しえない程の微量のA型血液あるいはB
型血液が含まれていたとしても、本試験によつてはこれを見出しえないであろう
(A4当審第二回証言・速記録二五丁)。その意味で理論的には、本試験だけで本
件斑痕のすべてがO型血液であるとはいいえないであろう。ただ、それにしても前
記のような類似した性状・付着の位置等よりみて、本件においては、その可能性は
極めて低いものと言いうるであろう。いずれにしても、本件斑痕の中に、少なくと
もA1第一鑑定書で示すような試験結果をもたらす程度の量のO型血液が存在する
との判定は、肯定しなければならない。A1第一鑑定はそれなりの証拠価値を十分
有しているのである。この点に関しても、A1第一鑑定に信憑力がないとする原決
定の理由に左袒することはできない。
 (ハ) 原決定は、A1第一鑑定は、A1鑑定人が、本件のような検査に必ずし
も習熟していたとは思われない当時大学院特別研究生のA4を補助者にし、本件検
査の実験あるいはその結果の判定はそのほとんどをA4が実際上行い、A1鑑定人
のこれに関与する程度はむしろ低かつたとして、血液型判定を誤る危険性があつた
としている。しかし、鑑定人が補助者を使用することを、ただそれだけで、一概に
非難できないことは言うまでもないところである。もち論、鑑定に対し責任を負う
のは鑑定人である。しかし、鑑定人がその責任で信頼する補助者を選び、その信頼
の度合に応じてそれ相応の補助行為をさせるのは、鑑定人の自由である筈である。
要は責任と信頼の問題である。のみならず、本件検査に当つたA4は、昭和二三年
一〇月D1大学大学院特別研究生としてD1大学医学部D2教室に属し、本件鑑定
に関与した昭和二六年三月~六月までに既に二年半余を閲し、その間法医学に関す
る基本的知識を学びつつ右D2教室において、検査の仕方や判定の仕方を実地に習
得するとともに、鑑定人または補助者として各種法医鑑定を多数手掛け、検察官が
当審に提出した昭和五四年七月三日付D1大学医学部長C6作成の「捜査関係事項
照会書の回答について」と題する書面やA4当審第一回証言(同上速記録一四一
丁)によると、血液型に関係ある鑑定だけでも既に二〇件以上、内、血痕鑑定も八
件を数え、その他、同人は昭和二四年頃埼玉県警察本部から依頼され、嘱託医とな
り、血痕検査もかなりの数手がけた経験を有していたのである。弁護人は、原審に
おける昭和五三年一二月一一日付意見書で、C7教授の「血液型の法医学的応用」
と題する論文に引用されたボイドの「血痕の血液型検査は、経験の豊かな技術者が
行えば充分信頼性のある結果が得られる。しかし、それだからといつて、経験のな
い未熟者はもちろんだが、たとえ血液型の他の方面にはいかに習熟していても、血
痕検査という特殊な仕事に少しも経験がない者には、うまくできないことを強調し
たい。」という言葉を援用主張しているが、A4がA1第一鑑定当時右にいう技術
者として豊富とまでいえるか否かは評価の問題ではあろうが、少なくとも経験の乏
しい者とは言えなかつた、と考える。もち論本件は微量血痕であり、慎重な試験を
要すること、前示したところであるが、微量血痕なりに配慮した試験をしたことも
認められ、内容的にみても、A1第一鑑定の結果に原決定の指摘するような非違は
なく、それなりの信憑力のあること前記のとおりである。A1第一鑑定が大学院特
別研究生を補助者に使い、原決定の記載する(原決定三二丁以下)検査経過を経た
ものであっても、それ故に判定を誤つたとか、A1第一鑑定は信用性に乏しいもの
と認めるべき証跡は見当らない。
 2 以上に検討したとおり、原決定が、A1第一鑑定の信用性に関するA3鑑
定、A4原審証言により、A1第一鑑定を信用性に乏しいとした所以のところは、
当審における事実取調の結果も加えて検討すると、理由がなく、A1第一鑑定は国
防色ズボンにO型の人血と推量されるものの付着をかなり高度に証明するものであ
つて、A1第一鑑定を信用性に乏しいものとは到底言いえないことが明らかになつ
たと考える。
 もつとも、本件斑痕に関する同鑑定は微量血痕に関するものであり、上記検討の
過程で明らかになつたとおり、A1第一鑑定の国防色ズボンにO型人血が付着して
いたとの点に関する同鑑定だけでの科学上の証明としての証明の程度に若干の限界
のあることは肯定せざるをえない。例えば、人血試験を一つ一つの斑点についてで
きなかつた点について、科学上の証明としては萬全でなく議論もあろう。数個の斑
痕を集めて血液型試験を行つた点において、本件斑痕すべてがO型の人血であると
する科学的証明ではなく、科学としては微量のA型、B型又はAB型血液の混在の
可能性を否定しえない実験結果であること、前記のとおりである。しかし、この点
を重視しても、本件斑痕中に少なくともA1第一鑑定の検査結果をもたらすような
O型血液の付着、それとも人血と推量される血液の付着があつたこと、をかなり高
度に証明するものであることに変りはない。更にここで注意すべきことは、本件が
微量故に一回の実験しかなしえなかつたことである。科学の再現性としてみる限
り、十全なものでないことはA4証人自身認めているところであり(A4当審第一
回証言・速記録二〇五丁以下)、一回の検査の反応がこうなつたという趣旨に鑑定
書を解釈すべきであるとも述べている(A4原審証言・速記録四六丁)。A1第一
鑑定書も検査方法を記載した上、注意深く、「……本検体の血痕の附着量は極めて
微量であるため、充分の検査をすることが出来なかつたが……。」と記し、更に鑑
定主文も「証第二十号国防色ズボンには人血が附着している。この血液型はO型と
判定される。」と記載している。血液型はO型であると言い切つてはいないのであ
る。A1第一鑑定自体において、抽象的表現ではあるが、既にその証明力の程度に
若干限界のあることを示しているのである。その意味でA1第一鑑定の信用性に関
するA3鑑定・A4原審証言は、A1第一鑑定自体が抽象的に表現していたその科
学としての証明力の程度・限界を、より具体的に示したものとは言えるが、それで
もなお、A1第一鑑定は国防色ズボンにO型の人血の付着を推量させるかなり高度
の証明力を有するものであり、十分証拠価値を有するものといわねばならない。し
かも、本件斑痕についての血液型検査において抗O凝集素に対し斑点部・対照部に
おいて二段階差という明瞭な差異を示していることは、一回だけの検査ではある
が、それなりの信頼すべき鑑定として評価すべきであると考える。
 3 本確定判決をした裁判所は、A1第一鑑定の、右のような、それ自体だけで
の証明力の程度・限界について、どのような認識があつたか明らかでない。しか
し、本件斑痕が、O型の人血の付着によつて生じたものと認定し切るには、A1第
一鑑定だけではその証明力に限界があるといつても、今問題にしているのは、A1
第一鑑定の科学の証明としての完全性の有無ではなく、裁判の証拠となりえるか否
か、どの程度の証拠価値があるかである。
 裁判上の証明は、証拠それ自体の評価だけではなく、他の証拠との対比検討総合
の上になされるのである。他の証拠との総合認定に際し、正当に評価しそれなりに
位置付けることが肝要である。同鑑定自体をみても、上記のような限界はあるにし
ても、国防色ズボンの本件斑痕は抗O凝集素に対し二段階差を示すなど、高度の蓋
然性をもつてO型の人血が付着したものと推量すべきものであること、上記のとお
りである。請求人にとつては他人の血液であるO型血液が、請求人の着衣に付着す
るような機会があり、その時付着したものであるとの状況があれば、積極的に本鑑
定と互に補強し合うこととなる。本件事犯の被害者B1の血液型がO型であつたこ
とに疑義はない。右B1の血液と本件斑痕が結びつく状況があることを示す証拠が
他にあると、ますますO型の人血であり本件事犯に際し付着したものであるとの認
定が強まり、証拠が互に補強し合つて前記A1第一鑑定の科学としての証明の限界
を打ち破るだけでなく、A1第一鑑定更に国防色ズボンは請求人の本件事犯に対す
る証拠としての重要性をいよいよ増すことになる。本確定判決に際し取調べられた
証拠(以下、本件旧証拠という。)中に、本件六個の斑痕が同一性状でないとか同
一由来でないとして、O型人血であることを否定するものを窺わしめるような証跡
はない。かえつて、B1の血液と本件斑痕を結びつけているものとして、一応請求
人の検察官に対する昭和二五年八月二一日付供述調書(以下、第四回検面調書とい
う。)をはじめ捜査段階での請求人の自白がある。本確定判決は、国防色ズボン、
A1第一鑑定、請求人の第四回検面調書をはじめ、その挙示する証拠を総合して本
件事犯を認定している。請求人は右第四回検面調書において、本件事犯に際し、国
防色ズボンを着用し、これにB1の血液が付着しこれを洗濯した旨を供述してい
る。してみれば、国防色ズボンの存在及びこれにB1と同型のO型の人血の付着を
推量させるA1第一鑑定書は、右請求人の供述を補強するとともに、右請求人の供
述はいよいよ国防色ズボンに存在した本件斑痕がO型の人血であつたと判定するA
1第一鑑定を補強しその証明力をますます高めるもの、といわねばならぬ。即ち、
請求人の第四回検面調書の供述と国防色ズボン・A1第一鑑定は互に補強し合つて
いるのである。こうしてみると、請求人の第四回検面調書中の、本件事犯時国防色
ズボンを着用しそれに被害者の血液付着があつたとの供述が不合理で措信できない
ものとなれば格別、その際には、その面からの再審開始許否を検討すべきであつ
て、そうでなければ、本確定判決をした裁判所の審理中に、A1第一鑑定の信用性
に関するA3鑑定やA4原審証言が提出され、本件旧証拠と総合されたとしても、
それがため、本件斑痕が同一由来でないとか、O型の人血でないとか、との疑いが
生ずるわけでもなく、請求人が捜査段階で自供しているとおり本件事犯に際し請求
人が国防色ズボンを着用しており、B1の血液が付着し本件斑痕が生じたとの見方
に、A1第一鑑定を措信できないものとすることによる合理的疑いが出てくるわけ
ではない。本確定判決をした裁判所が、A1第一鑑定の証明力に限界があるとみた
か否かいずれであつたにせよ、また同鑑定の信用性についてのA3鑑定、A4原審
証言がA1第一鑑定の証明力の限界を前記のように具体的に明らかにしたにして
も、ただ、右A3鑑定、A4原審証言が提出されたというだけでは、なんら本確定
判決の事実認定に合理的疑いが生まれるものではなく、その意味での右A3鑑定、
A4原審証言は刑訴法四三五条六号所定の再審開始事由たる証拠ではない。
 以上のとおり、検察官の本点に関する所論は理由がある。
 もつとも、B1の血液と本件斑痕を結びつけている請求人の捜査段階での自供が
措信できないとなると、更に検討を要することとなるのであつて、この際にはこの
方面から再審開始事由があるか否かを考究しなければならないこと、上記のとおり
である。
 三 着衣の洗濯について
 検察官の所論は、原決定はA3鑑定を根拠にして、請求人が自白するように国防
色上衣(証一八号)を、血痕付着後間もなく一回水洗いし、約四時間後石けんを使
つて洗濯した場合には、ルミノール試験、べンチヂン試験(間接法)が陰性になる
ことはないと認めるのが相当であるとするが、
 「1」 血痕の付着した衣類を洗濯した場合血痕予備検査のルミノール試験又は
ベンチヂン試験が陰性となるかどうかは人血付着部位の広狭、付着血痕の多少、洗
濯の方法、程度によつて異なるものであるところ、A3鑑定の洗濯の方法、程度は
請求人の供述する方法程度に合致しないから、これを根拠にして判断すべきでな
く、特に、A3証人がいわゆるD3事件で鑑定した洗濯実験ではベンチヂン反応
(間接法)が陰性となつたというのに、本件の洗濯実験では陰性とならなかつたと
証言しているのは矛盾もはなはだしく、
 「2」 国防色上衣はベンチヂン反応が陰性であつたA1第一鑑定以前にA5鑑
定人によりルミノール試験が行われていたことが判明しており(その試験結果は陰
性であつたと認められる。)、A3証人も認めるようにベンチヂン試験(間接法)
は先にルミノール試験をするとその影響を受けて陰性となることがある点を考慮す
ると、国防色上衣がA1第一鑑定でベンチヂン試験(間接法)陰性を示しているの
は当然であり、
 「3」 前記A5鑑定人の許においてルミノール反応が陰性であつた点も、ルミ
ノール反応はベンチヂン試験に比し鋭敏度が著しく劣り洗濯により陰性となりうる
ことを考慮すれば当然のことであつて、
 国防色上衣及び国防色ズボンの洗濯についての請求人の自白に疑問を持たざるを
えないとする原決定の判断は誤りであり、A3鑑定は刑訴法四三五条六号にいう明
白性ある証拠ではない、というのである。
 1 先ず、国防色上衣及び国防色スボンに対する血痕予備検査の成績をみると、
次のとおりとされている。
 (一) 国防色上衣
 当審で検察官の主張する国防色上衣に関するA5鑑定
 当審に至るまで、A5鑑定人により国防色上衣の検査されたとの主張も証拠もな
かつたところ、検察官は当審に至つて、A5鑑定人によりルミノール試験が行わ
れ、その結果は陰性であつたと主張し、香川県警察本部刑事部鑑識課C8作成の報
告書やC9の検察官に対する昭和五四年一一月七日付供述調書を提出してきた。
 A1第一鑑定
 本物件には、血痕を疑わせる様な斑痕が認められないのみならず、ベンチヂン反
応(間接法)が陽性を呈する部が全くない。よつて本物件には現在血痕がついてい
ないものと判定した。
 A1第二鑑定
 鑑定資料の汚斑についてベンチジン検査(間接法)を実施したがいずれも陽性を
示す部位は認められない。なお念のためルミノール試薬を資料全体に噴霧して詳細
に検査したが血痕と推定されるような反応は認められない。したがつて、本資料に
血痕らしい付着物を証明することはできない。
 (二) 国防色ズボン
 A5鑑定
 前掲第四の二1(イ)「1」記載のとおり
 A1第一鑑定
 本物件の右脚前面の下半分には木札を付した部が二ケ所あり、米粒大の部分が切
り取られている。本物件には各所に赤線で印をつけられた斑点が多数あるが何れも
ベンチヂン反応が陰性であるので血痕ではない。又右脚前面の中央より稍下方及び
右脚後面の下方に白チヨークでマークせられた部が三ケ所あるが、その部にはケシ
の実大の暗褐色の斑痕三ケ(写真(同鑑定書添付のもの)十乃至十三の1、2、
3)及び半米粒大の暗褐色の斑痕一ケ(写真(同鑑定書添付のもの)十一及び十三
の4)が認められ、其斑点は何れもベンチヂン反応陽性である。
 A1第二鑑定
 資料には赤印のつけてある個所で、一見血痕様の斑点が多数みられるが、これら
の箇所は血痕予備検査はいずれも陰性であつた。しかし、右裾部の後側で、すでに
前の鑑定のため切り取つたと思われる部位に隣接したところ(同鑑定書添付図―2
―参照)に淡赤褐色の付着斑が認められた。そこで、その部位について前記の血痕
予備検査(当裁判所註、ベンチヂン法及びルミノール法)、実性検査及び人血検査
を試みたところ、いずれも陽性の反応を示し、付着斑は人血痕であることが明らか
となつた。
 2 次に、一般に、血痕付着衣類に対する血痕予備試験(ルミノール試験及びベ
ンチヂン試験)が洗濯によりどのような影響を受けるかについて考察する。
 A3鑑定
 衣類付着血痕については、付着血痕量、付着後水洗い又は石けんによる洗濯まで
の経過時間、洗濯程度、被付着布片の種類などによつて多少異なるが、一般的には
水洗い又は石けんによる洗濯によつてルミノール化学発光試験及びベンチヂン予備
試験(直接法)は影響されないといわれており、薄茶色木綿ギヤバジン織半ズボン
及びさらし木綿の布地に血痕を付着(布地を張り生体静脈血を五〇~六〇個位の斑
痕に分散付着させる。つまみ洗いできるように血痕一個あたりの布の大きさは普通
のハンケチの二まわり位小さいものにする。)させたのち間もなく各五分間流水中
にさらして水洗いし、さらに四時間後石けんを用いてもみ洗い、すすぎを二度くり
返し(石けんを二回つけて二回もみ洗いし一回五秒間でそれぞれ五秒間水洗いす
る。肉眼で付着を認めえない程度になる。)自然に乾燥させ、三か月後にルミノー
ル化学発光試験及びベンチヂン予備試験を行つたところ、ルミノール試験及び直接
法によるベンチヂン予備試験はいずれもほとんど影響されなかつたが、間接法によ
るベンチヂン予備試験は反応が減弱したが陰性化はほとんど認められなかつた。な
おルミノール試験後に間接法によるべンチヂン予備試験を行うと陰性化し、直接法
によるべンチヂン予備試験も影響がみられた。したがつて、血痕付着後間もなく水
洗いを一回、その後約四時間してから石けんを使用して洗濯してもルミノール化学
発光反応並びにベンチヂン反応(間接法)が不可能になることはないと推測され
る。
 当審に検察官が提出したA3作成のD3事件報告書及び同事件における同人の昭
和三九年一月一四日証言速記録各写によるA3D3事件例
 新しい白木綿布(普通のハンカチよりも二まわり程度小さい洗濯しやすいものと
みられる。)に血液を滴下させ日の当らない部屋で一時間放置し、女子職員二名に
十分(ベンチヂン反応の陰性になるように洗濯すれば賞品を与えると伝える。)い
ろいろな石けんをつけて一〇分間洗濯させた場合、あるいは血痕付着一時間後に流
水中に一七時間浸漬せしめ前記同様一〇分間女子職員に十分洗濯させた場合、いず
れもべンチヂン直接法は陽性であつたが同間接法は陰性であつた。
 同事件においてズボンにヌルヌルと多量の血液が付着したと仮定して、更に普通
の洗濯を二度行つた程度ではべンチヂン法による血痕予備試験成績が陰性となるこ
とはありえない。
 A6鑑定
 同人の研究員の指導実験において人血を付着させた一五センチメートル四角の木
綿布を自然乾燥させ、直後洗剤を使用し洗濯機で記載通りの洗剤の用法で(一五分
洗剤で洗い三〇分間水洗いする。)洗濯して乾燥すると血痕の付着部位は不明とな
る。同じ方法による洗濯、乾燥をさらに二回(合計三回)行つた場合でもルミノー
ル試験及びベンチヂン試験(直接法)とも陽性に反応したとし、本件犯行当時犯人
が国防色上衣、国防色綾織軍隊用上衣(証二一号)国防色ズボンを着用して人血付
着後間もなく水洗いを一回、その後四時間してから石けんを使用して洗濯したとす
れば、上記実験の結果のごとくなるものと思考されるが、実際では鑑定資料に対す
る人血付着の部位の広狭、付着血痕の多少、洗濯の方法(例えばもみ洗い等)によ
り左右され、血痕予備試験が陰性になることは否めない。
 A1・A2回答書
 衣類などに人血痕が付着した場合、付着直後乾燥しないうちに石けんを使つて二
回にわたつてよく洗たくすると血痕予備検査、血痕実性検査及び人血検査が不可能
になることはありうると考えられるが、しかし一般にはよほど注意して洗たくしな
ければ、血液型抗原が繊維などの間にごく微量でもしみついて残ることがある。も
し国防色上衣に血痕が付着しても、その直後前記のように石けんを用いてよく洗濯
した場合には、鑑定書(A1第二鑑定)に記載した血痕検査法(ベンチヂン反応試
験(間接法)及びルミノール試験)によつて検出不可能なことはありうると思われ
る。
 当審に検祭官が提出したC10発表の「水浸により処理された血痕の血痕検査成
績(科学と捜査五巻二号所載)」という論文写に記されている実験例
 右実験例中本件に関係あると思われるものを摘記すると、木綿、ラシヤ、絹に人
血を点状に付着させ、付着後自然乾燥で三~五週間の間にこれら材料を適当の大き
さに切り、簡単洗濯(水道水で五回揉む。)あるいは入念洗濯(簡単洗濯の場合と
同様の動作を加えて肉眼的に血痕部が認められない程度まで洗濯し、二%石けん水
に一時間、水洗いを加える。)してベンチヂン(直接法)検査をしたところ、簡単
洗濯では陽性を示し、入念洗濯では疑陽性を示し、ルミノール試験でも簡単洗濯で
は陽性であり、入念洗濯では陰性である、という。
 原決定が刑訴法四三五条六号にいう新規明白な証拠であるとするA3鑑定は、人
血痕への洗濯の影響の有無について、「付着血痕量、付着後水洗いまたは石けんに
よる洗濯までの経過時間及び洗濯程度、被付着布片の種類などによつて多少相異す
るが、一般的には、水洗いまたは石けんによる洗濯によつてルミノール化学発光試
験及びベンチヂン予備試験(直接法)は影響されないといわれている。」とし、多
少とは言つているが、付着血痕量、付着後洗濯までの経過時間、洗濯程度等によつ
て洗濯によるルミノール試験やベンチヂン試験への影響に差があることを肯定して
いる。同様、A6鑑定書もA1・A2回答書も、それぞれ洗濯の程度によつて血痕
予備試験に差異が生ずることを認めている。どのような時にどのような差異を生ず
るか、上記の各実験結果は一応これを考える足掛りになるであろう。試みに、ルミ
ノール試験につき、上記各実験結果を洗濯方法に着眼して順次列記すると、次のと
おりとなると思われる。
 1 付着後三~五週間の間に水道水で五回もむ……陽性(C10簡単洗濯)
 2 付着後五分あるいは一〇分後にそれぞれ五分間水洗いし、更にそれぞれ四時
間後に石けんをつけて五秒間洗濯し五秒間水洗いすることを二回くり返したもの…
…いずれも陽性(A3鑑定)
 3 付着後自然乾燥させ直後に洗剤を用い洗濯機で一五分洗い三〇分間水洗いす
る。それをまた自然乾燥させ、同様の洗濯方法を都合合計三回くり返す……陽性
(A6鑑定)
 4 付着後三~五週間の間に水道水でもんで付着部位が判明しない程度まで洗濯
した後、二%石けん水で一時間水洗いをする。……陰性(C10入念洗濯)
 以上を通観すれば、A3鑑定のいう洗濯程度のルミノール試験に及ぼす影響の差
異が概ね明らかであろう。やはり石けん等を使つて余程入念に長時間洗濯しないと
ルミノール試験の反応は陰性化しないと言いうると認められる。前記再一審に出た
A1・A2回答書が「……一般にはよほど注意して洗濯しなければ血液型抗原が繊
維などの間に残ることがある……」としているのも同趣旨と解される。右の趣旨に
おいて、A3鑑定中の前記引用部分は肯定することができるとともに、上記各実験
例はその意味を、より具体的に示すものである。更に別の面から考察すれば、洗濯
の結果肉眼的には血痕付着を視認できなくなつてもルミノール反応は陽性を呈する
場合があるということである。検祭官は論点を異にする場所においてではあるが、
「A5鑑定において『洗濯を免れたものがあると思われる』との記載の意味は、洗
濯はしたが洗濯で血痕が完全に消滅する効果があがらなかつたことを言い、飛沫血
痕の付着した衣類を洗濯したのに完全に血痕を消滅させることができなかつた場
合、残存血痕の態様として衣類に飛沫血痕の外形をそのまま残しているものと、そ
の外形が損われて繊維の中に付着した形で残つているものがある。」という。ルミ
ノール反応は血液中のヘモグロビンの触媒作用であるところ、検察官のいう洗濯後
の残存血痕の態様にこのような種類があることは、A2当審証言(同上速記録六一
丁)によつても肯定できるし、したがつて、洗濯後の残存血痕の態様とルミノール
反応との関係はルミノール反応の鋭敏度も考え、概ね次のような色々な場合がある
と考えられる。なお、検察官の即時抗告理由補充書(三〇頁)において、検察官は
血痕足跡を区分しているが、これに対応させ名称を付すると、次の( )内のよう
になる、と考える。
 (1) 付着したままの外形を留め肉眼的に視認でき、反応陽性を示すもの(顕
在血痕)
 (2) 付着した時の外形は損われ、例えば周囲ににじんだ形等であるが、なお
肉眼的に視認でき、反応陽性を示すもの(血痕よう斑痕)
 (3) 肉眼的に視認はできないがなお反応陽性を示すもの(潜在血痕)
 (4) 肉眼的に視認もできず反応陰性を示す場合(血痕消失)
 以上ルミノール反応について検討してきたが、ベンチヂン反応はルミノール反応
に比しより極めて鋭敏度の高いものである。A3証人は、ルミノール反応は五、〇
〇〇倍から一万倍であるに対し、ベンチヂン反応は一〇万倍から二〇万倍であると
述べている。(同原審第二回証言・速記録七~八丁)。上記ルミノール試険につき
検討した所は、より一層べンチヂン試験に妥当するものと考える。
 3 次に、請求人が自白する着衣の血痕付着箇所及びその洗濯の程度について考
察する。
 (イ) これに関し、本確定判決が証拠に挙示する請求人の検察官に対する昭和
二五年八月二一日付第四回供述調書(第四回検面調書)の記載は次のとおりであ
る。
 請求人は本件犯行当時、前記国防色上衣、軍隊用袴下(証一九号)、前記国防色
ズボン、警察官用国防色綾織上衣(証二一号)、ゴム製バンド(証二二号)、白木
綿長袖カツターシヤツ(証二三号)及び靴下(証二四号)を着用し、被害者を刺身
庖丁で殺害したのち自宅に帰る途中犯行現場からほど遠からぬ帰来橋付近の財田川
で国防色上衣、庖丁、靴、手を洗い、上衣を請求人方表の竹竿に干し……その後四
時間位経た朝六時半ころ起き一人で先に朝食をすまし、国防色進駐軍用上衣は丸ず
けにし、国防色ズボンは脛から下の血痕の付いている所をつまみ、いずれも石けん
で洗濯しましたが、右の上衣は特に血の付いていた胸とすそ、右そで等を特別念入
りに洗つて竿に干したのであります。……体はつらかつたけれども無理して午前七
時ころ常のごとくEの山へ炭焼に行き夕方帰りました。というのである。
 更に、捜査段階でのその他の請求人の供述調書のこの点に関する記載を見てみよ
う。
 司法警察員C1豊に対する昭和二五年七月二六日付第一回供述調書(以下第一回
員面調書ともいう。)
 ……上衣(進駐軍の配給の青色のサージの上服で左の胸のあたりにSの字のある
古品のもの)も胸のあたりに夜目にもベツトリと血のついていたのが分つたので脱
いで(川で)丸洗いをし、自宅表の物干竿に干した。……午前六時半ころ起きて見
ると、サージのズボン(黒のサージ服海軍の下ズボン)にも「すね」のあたりに血
がついていたので親に知られぬ中に石けんで泉の端で上服と一緒に干しました。
 同七月二七日付第三回供述調書
 私が犯行の時着ていた上服とか海軍用下ズボンは当夜と暁六時頃に洗つたが血が
着いておつては証拠になり逢えられる虞があるので石けんをつけて一週間位後(三
月五、六日頃)の昼私宅の井戸の端で洗いましたから血は全然ついていないと思つ
ております。(なお、三月五、六日頃の洗濯については、他にこの洗濯を述べた調
書はない。この三月五、六日頃の洗濯を認めることはできない。同年八月一七日付
手記にこれを取消した記載がある。検察官もこの事実があつたと主張している事跡
はない。)
 同七月二九日付第五回供述調書
 夜が明けて枕元に脱いであつた紺色の下ズボン(紺色手織りの古いもの)の膝の
当りに血がついていたのでその処丈けつまみ洗いをしましたが、表の竿に干してあ
つた上服(綾織り木綿地の青みがかつた国防色夏服・警察職員用制服であつたも
の)も夜逃げしなに暗がりで川で洗つた丈けなのでは血が十分に洗えていないと気
になつたので更に下ズボンと一緒に石けんをつけて洗いなおして干したのでありま
す。
 同八月五日付第七回供述調書(以下第七回員面調書ともいう。)
 ……川の中に降りて血のついた上服(進駐軍放出のS字入り濃緑色の上服)、庖
丁、靴の裏、手等を充分洗つて、洗つた上服は……帰つてから物干竿にかけて乾く
様にした。……朝六時半頃に起きて見たら上服の胸のあたりと下の方(左)にボツ
ボツと血痕がついておりますし、下服(木綿の黒ズポン)は裾の方に少しついてい
たので家の者に知られぬ間に井戸端で石けんつけてよく洗いました。洗つてから又
表の竿に干しました。
 (服の血のついている状況は、との問に対し)進駐軍放出のS字入り上服には前
では右胸のあたりに点々と二、三ケ所及び一番下の方にベツトリと直径二寸位の大
きさについておりました。袖は右袖の内側の先の方に点々と血の飛沫が五カ所位つ
いていました。黒木綿下服は一番下の裾の附近に(右股の)点々と三ケ所位ついて
いました。その他服に付いておらず……。
 (帰つてから服を何回洗いましたか、との問に対し)犯行当夜帰来橋の処で上服
と靴、庖丁、手の血を洗い落し、帰つて寝て翌朝午前六時半頃上服の血の残つてい
たもの下服の裾の血のついていたものを洗い直しましたが下服は当所へ来て風呂場
で七月中旬洗つたが直ぐ提出しました。(図面を添付している。)というのであ
る。
 (ロ) 右のような請求人の自白中着衣の血痕のあつた部位に関する供述には、
どの段階で認識したというのか、必ずしも明らかでないものもあるし、着衣の種類
も色々と変遷しているが、
 (国防色上衣)
 上衣については果して終始同一のものを述べているのか疑問である(警察職員用
制服であつたものと進駐軍配給の国防色上衣とは明らかに相違する。)が、血痕付
着箇所については概ね一貫し矛盾し合つた供述がないので、原決定及び検察官の所
論に添い、主として確定判決の挙示する第四回検面調書及びこれを補充するものと
しての第七回員面調書により
 (1) 右胸のあたりに点々と二、三箇所(胸のあたりに夜目にも分る程ベツト
リとも表現する。)
 (2) 下の方にベツトリと直怪二寸位の大きさに
 (3) 右袖の内側の先の方に点々と飛沫が五箇所位
 各付差していた趣旨の供述である、と解する。
 (国防色ズボン)
 本件事犯時に着用していたズボンが何であつたか、供述の変遷は激しいが、最終
的に請求人は捜査段階の自白で国防色ズボンであるとしている。そして、本確定判
決が証拠に挙示する請求人の第四回検面調書においては、脛から下の血痕のついて
いるところとのみ供述していて、それ以上の詳細な供述はない。しかし、前記第七
回員面調書に、木綿の黒ズボンであるとしてではあるが、一番下の裾の付近に(右
股の)点々三箇所位ついていたとして、図面まで添付しており、第五回検面調書で
本件事犯時に着用したのは国防色ズボンであるが、血液付着箇所は大体同じである
と供述し、検察官は抗告理由でズボンの相違こそあれ、これが血痕付着箇所であ
り、これは、A5鑑定、A1第一鑑定の血痕付着箇所とほぼ同一の場所で、右供述
は捜査官がいまだ知らないことが明らかな犯人しか知りえない秘密性をもつ事実に
ついての供述であるとまで主張するので、所論にそい右のような前提で以下に検討
することとする。なお、「すね(脛小僧の意と解される)」あるいは「膝(膝頭の
意と解される)」に付着していたと供述している調書もあるが、これは海軍の黒サ
ージズボンあるいは紺色の下ズボンを着用していたと供述している段階のものであ
るところ、検察官は抗告理由において、これをも前記第七回員面調書あるいは第四
回検面調書における血痕付着箇所に関する供述とほぼ同旨の供述であると主張する
が、血痕付着箇所も明らかに相違するし、しかも「すね」とか「膝」との供述には
左右の限定もつけず、これをも第七回員面あるいは第四回検面調書と同旨の供述で
あるとすることはできない。まして、右第七回員面あるいは第四回検面調書におい
て供述する血痕付着箇所の外に「すね」あるいは「膝」にも血痕付着があつた趣旨
を供述しているものとは認められない。よつて、国防色ズボンについては、
 (1) 脛から下(右股の裾の附近)に点々三箇所位
 各付着していたと供述しているものと解し、以下に考察する。
 (ハ) また、洗濯の程度について考えてみるのに、
 帰途に燈火も用いず夜中にした川での丸洗いはいうまでもないところ、請求人は
朝六時半ころ起き出し七時ころには炭焼山へ行くべく家を出たと供述しているか
ら、この三〇分の間に前記のとおり一人で先に朝食をし、洗濯をし、山支度をし、
出かけた勘定になるから、上衣やズボンを洗濯すれば代りの服も考えねばなるまい
こと、洗濯については寒さもありまた家人に見つからないようにとの配慮もあつ
て、いわば人目を忍んでの洗濯であり、当裁判所において検するに、国防色上衣は
大きくかつごわごわしていて洗濯したとしても洗濯しにくかつたと目されること、
を考えてみると、請求人の供述するところによれば、洗濯といつても程度には自ら
限界があつたもの、といわざるをえない。
 4 一方、本確定判決が証拠に挙示する請求人の第四回検面調書によると、請求
人は
 …とつさにB1をやつて終つて(殺す意)金を探そうと考え中腰の姿勢で庖丁の
刃を下に向けて右手に本手に握りB1の右横から咽喉を目がけて突き刺したところ
頭髪で顔をかくしていたため十分見えず手許がくるつてB1の左あごの当りに差し
込んだのであります。この点については警察の御取調べではB1の口中目がけて刺
したと申しましたが咽喉を目がけて突いたのが本当であります。またこれまでにB
1に庖丁を突きつけて金を出せと問答したごとく述べたこともありましたがそれは
事実ではありませんでした。
 右のごとく庖丁でB1の顔面を一突きして瞬間そのまま刺しているとB1は「う
わあ」と二、三回大きな声を上げ左手で顔に突き刺つた庖丁の刃を握つたので私は
直ちに庖丁を手許に引くとB1がすぐにかけ布とんを両手ではねのけて上半身を起
し敷布とんの上に座り何か大きな声を上げましたが何と叫んだのかよく覚えており
ません。私はその声が裏のF1にでも聞えると困ると思い中腰で矢つぎ早にB1の
右顔面部当りを二、三回突くとB1は私が入つたふすまの方へ逃げようとしました
ので私は同人の背後からその頭部を目がけて一、二回庖丁で切り下げB1の前面を
ふさいでB1の方を向いて入口に立ちました。すると彼は今度は北側の障子の方へ
向つて這ふて行き障子のさんに手をかけたので私は背後から同人の腰の当りから一
突したと思います。
 そしてB1は指を障子にかけたまま目では私の持つている庖丁の方を見乍らいざ
り始め何か救いを求めると思われるような声を二声三声上げましたがその声はもう
先程の声よりもよほど低くなつていました。そこで私は自分の方を向いているB1
の顔面目がけて四、五回直突きをやると彼は中腰になつて私の方を向いたので私は
同人の首の辺りを三、四回位突きました。すると彼は箪笥の方へ頭を向け足を北側
の障子の方へ向け斜めに仰向けになつて倒れ手足や全身をぶるぶるとふるわせまし
たがこの時はもう声を立てませんでした。
 ……そして私はB1が後で生き返ると困るので心臓を突いておこうかと考えB1
の臍の上当りを股ぎチヨツキや襦袢を上にまくり上げて胸部を出し庖丁を刃を下向
けに右手に持ちあばらの骨に当ると通らんので刃の部分を自分から向つて斜め左下
方を向けて左胸部の心臓と思われるところを大体五寸位突きさしましたが血が出な
いので庖丁を二、三寸抜き(全部抜かぬ)更に同じ深さ程度突き込み一寸の間B1
の様子を見ましたがB1は全然動かんのでもう大丈夫B1は死んだと思つて庖丁を
引き抜いたのであります。……
 と供述している。本確定判決も、主としてこれによつたのであろう、「被告人
(請求人)は……右手にしていた刺身庖丁で熟睡中のB1の咽喉をめがけて突き刺
したが被告人はその頭髪を前に垂らして自分の顔を隠くしていたため手許が狂い庖
丁は右B1の口のあたりに刺し込まれ、B1が『うわつ』と声をあげてその庖丁を
右手で握つたのでこれを手許に引きB1が直ちに上半身を起こし敷布団の上にすわ
つて声をあげた時には矢継ぎ早に同人の顔面部等を右庖丁で突き更らに同人が逃げ
ようとするところを頭部をめがけて切り下げついで同人の腰や顔面部等を突く等し
同人が間も無く仰向きに倒れるや……B1が生き返らぬようにとその心臓部と思わ
れるところに右庖丁を突き刺し血が出なかつたので庖丁を全部抜かずに刃先を変え
て更らに突き刺してとどめを刺し……。」と認定している。
 ところで、司法警察員作成の昭和二五年三月一日付検証調書(確定一審記録七六
丁以下)によると、被害者B1方の被害の模様は、
 被害者は就寝中のところを矢庭に鋭利な短刀様のものにて傷つけられたものと認
められ寝具下布団南側には背中のあたる附近まで血痕が多量に附着し同人の枕にも
位置は変ることなく右側上部に血痕を認められ、次に就寝中の頭部にあたる襖及左
側襖にも飛沫状血痕が附着してゐて、又被害者の枕の横には赤色花模様入中古座布
団一枚を二つ折りにし枕の代用にしてるた様になつておりその位置は稍斜に変つて
ゐて之にも飛沫状血痕が多量に附着してゐた
 次に上布団は蹴(跳の誤記と思われる。)ね起きた格構になつており二枚の中下
側の人絹布団並びに国防色毛布には同じく多量の血痕が附着してゐる
 更に、枕許の雛鶏用どうまる籠にも血痕附着し又板の間に至る出口附近の敷紙及
襖には多量の血痕が附着してゐる
 同場所より西側に向ひ連続して敷紙上に一面擦過状の血痕附着し次は北側障子戸
に被害者がすがりついて歩いたものか横這ひに血痕が附着し西側障子は少し開けて
木戸並びに柱に触れた様な血痕が認められる
 被害者は此の場所に南西に頭部を向け仰向けに倒れており右足は前記柱に踵をつ
け畳の縁に副ひ真直ぐ延ばし左足は角度四十五度位に開ひて同じく真直ぐ延ばして
おり右手は曲げて虚空を掴み顎のところに、左手は同じく曲げて肘を畳につけ拳は
上方にして虚空を掴んでゐるその両手とも創傷を負ひ鮮血にまみれてゐる
 頭部顔面には二月二十一日附のD4新聞を押し当ててあるが創切刺傷は頭頂部口
部右耳部などに多数認められその出血稍左に顔を振つておる為左肩左胸部下方の畳
上に多量に流出し約二尺平方は血の海となつてゐる、尚その血糊の中に被害者の入
歯が転げ落ちてゐた。
 と記述され、しかも生々しい血痕付着・流出の現場写真が数葉提出されている
(昭和二五年三月一日撮影B1強盗殺人現場写真「18」乃至「32」等、確定一
審記録一〇三丁以下)。
 また、鑑定人A7作成の鑑定書(確定一審記録一四四丁以下)によると、被害者
B1の屍体には次に記載するような極めて多数の刺切創・割切創・切創等があつた
のである。
 (一) 頭頂部の略々中央に長さ約五・五糎、線状で創縁整鋭、創角尖鋭、創面
平滑の切割創があり、創底には骨質を触れ、後創角部創底の骨質は僅に傷けられ、
鱗屑状の骨小片を遊離する(剖検記録第二及第十九項)。
 (二) 頭頂部で前創(創傷(一))に略々平行し、長さ約五・〇糎、線状の切
割創があり、その創縁、創角及創面等は略々前創と同様である(剖検記録第二
項)。
 (三) 右耳穀附着部上端の前上方に米粒大乃至二倍米粒大、汚褐色の表皮剥脱
が四個あつて、皮下組織間に出血がある(剖検記録第二項)。
 (四) 右耳殻附着部上端の前方で前創(創傷(三))の下方に、二倍乃至三倍
米粒大の刺切創が四個あつて、創縁は略々整鋭、創面は略々平滑である(剖検記録
第二項)。
 (五) 右眉毛外端の上方に碗豆大、淡汚褐色の表皮剥脱があり、皮下組織間に
出血はない(剖検記録第三項)。
 (六) 右眼外眦の後下方に長さ約二・三糎、線状の創傷があり、その皮下組織
間には凝血を存在する(剖検記録第三項)。
 (七) 右耳前部即ち右耳殻附着部の前方に二個の創傷があり、一つは略々線状
で長さ約一・〇糎、深さ約一・〇糎、他の一は略々米粒大、不正三角形をなし、創
底に骨質を触れる(剖検記録第三項)。
 (八) 右口角部の後方約一・八糎の部に、不規則な三角形を呈する刺切創があ
り、その後方の一辺の略々中央から後上方に向ひ約五・〇糎ほどの表皮を剥脱して
居る。本創の創縁は稍々不規則で創縁は平滑を欠き、創底は口腔に通じて居る(剖
検記録第三項)。
 (九) 右口角部から右後方に向ひ長さ約二・〇糎、略々鍵形に該部を離断する
刺切創があり、創口は・開し、両創縁は不規則、創面は少しく平滑を欠き、口腔に
通ずる(剖検記録第三項)。
 (十) 前創(九)の下方に不整形拇指頭大、淡汚赤色の表皮剥脱があり、皮下
組織間に出血がある(剖検記録第三項)。
 (十一) 左口角部の下方約一・五糎の部に、長さ約一・三糎の細い創傷があつ
て、創縁略々整鋭、上創角尖鋭で創口は口腔に通ずる(剖検記録第三項)。尚、口
腔内には舌根部背面の略々中央に長さ約一・五糎、深さ約三・五糎の刺切創を、咽
頭後壁で会厭軟骨附近には粘膜剥離を、更に食道の上端で左側壁に長さ約一・二糎
の刺切創を(剖検記録第十三項)夫々存在し、之等は創傷(九)、(十)及(十
二)と同時に生じたものと考へられるが、前三者の何れが後三者の何れに由来する
やは判定し難い。
 (十二) 左乳嘴の右稍々上方で左第三肋間に長さ約二・〇糎、巾約〇・八糎の
不整形の刺切創が左上方から右下方に少しく斜走し、上創縁は整鋭であるが下創縁
の一部は不規則である(剖検記録第五項)。
 本創は前胸壁を貫いて左胸腔内に達し、左肺を刺傷し、左上葉の前面に長さ約
一・〇糎、巾約〇・三糎、深さ約五・〇糎及長さ約二・〇糎、巾〇・七糎、深さ約
八・〇糎なる二個の刺切創を生じたものと認められる(剖検記録第十二項)。
 (十三) 前創(十二)の直下方で略々之に平行し、長さ約四・〇糎、線状の皮
創がある(剖検記録第五項)。
 (十四) 創傷(十二)と左乳嘴との略々中間に示指頭大、類円形、乾固した表
皮剥脱がある(剖検記録第五項)。
 (十五) 右鼠蹊部の略々中央に碗豆大、淡暗褐色の表皮剥脱がある(剖検記録
第五項)。
 (十六) 右前腕伸展側に拇指頭大の変色斑があつて皮下組織間に微に出血があ
る(剖検記録第六項)。
 (十七) 右拇指々腹面に長さ約四・〇糎、創縁不規則、創面稍々不整な切創が
あり、創底に骨質及腱等を暴露する(剖検記録第七項)。
 (十八) 右示指の第一節と第二節との関節部に長さ約二・〇糎で創縁、創面等
の性状は前創(十七)と略々同様な切創があつて該関節部は殆ど離断せられんとし
て居る(剖検記録第七項)。
 (十九) 右環指第二節小指側に長さ約一・〇糎、深さ骨質に達する切創がある
(剖検記録第七項)。
 (二十) 右小指第一節に米粒大、弁状の表皮剥脱があり、皮下組織間に出血が
ある(剖検記録第七項)。
 (二十一) 右手掌部で右小指第一節に近く、豌豆大の表皮剥脱があり、皮下組
織間に少許の出血がある(剖検記録第七項)。
 (二十二) 右大腿外側の略々中央に長さ約三・〇糎、巾約一・〇糎、創口の・
開する刺切創があり、皮下組織間に出血がある(剖検記録第七項)。
 (二十三) 右大腿前面の略々中央部に長さ約二・〇糎の刺切創があり、創縁、
創面等の性状は前創(二十二)と略々同様である(剖検記録第七項)。
 (二十四) 右膝蓋骨の左下方に長さ約一・〇糎の皮創が二個相接して存在し、
皮下組織間に微に出血がある(剖検記録第七項)。
 (二十五) 左手腕関節部小指側には長さ約一・八糎の表皮剥脱を、更にその下
方には一小皮創を夫々存在し、何れも周囲の皮下組織間に微に出血がある。又、そ
の附近に長さ約三―五種、線状の表皮剥脱があり、其の皮下組織間に出血はない
(剖検記録第七項)。
 (二十六) 左拇指第一節には長さ約三―五糎、創口・開してその巾約二・三
糎、創縁稍々不規則、創面平滑の切創があり、創底に凝血がある(剖検記録第七
項)。
 (二十七) 左中指、左環指及左小指の指腹には夫々長さ約一・〇糎内外の浅い
切創が略々一連して存在し、何れも皮下組織間に出血がある(剖検記録第七項)。
 (二十八) 左大腿外側で上端に近く、不整形米粒大、の表皮剥脱数個があり、
皮下組織間に出血がない(剖検記録第七項)。
 (二十九) 臍窩の下方約一五・〇糎の部に長さ約二・〇糎、横置の刺切創があ
り、創縁略々整鋭、創面平滑、周囲の皮下組織間に微に出血がある(剖検記録第八
項)。
 これら証拠よりみて、被害者に兇器(確定判決は刺身庖丁といい、請求人の第四
回検面調書では刃渡七、八寸という。)で至近距離からこのような創傷を与え、そ
の血液を現場に前記のように付着流出せしめえた犯人は、その自らの着衣に相当の
被害者の血液を浴び付着させるに至つたことは、蓋し当然推認すべきところであ
る。被害者からの返り血もあろう。兇器についた血が兇器を振るうことによつて着
衣に飛び散ることもあろう。被害者から流出する血がそのまま犯人の着衣につくこ
とがなかつたとまで言いきれまい。被害者から出て被害者の着衣や畳や襖に付着し
た血を更に犯人の着衣が擦過することもないことはなかろう。血の付着した犯人自
身の手や刃物が自己の着衣に接し血の付着することもありえよう。その犯人の着衣
への付着の仕方もべツトリと付くこともあれば飛沫状に付くこともあり、あるいは
擦過状に付くこともありえよう。大小、形状また様々であろう。検察官も別の所で
(当審A3証言・速記録一一〇丁)証人に対する問に際して、血液がいろいろな物
件に付く場合、人を刺してすぐ飛沫血痕状にすつととびつく場合もあるし、いろい
ろなケースがある、と述べている。これらの可能性をすべて否定できるものは何も
ない。しかも請求人の捜査段階での供述では、被害者は寝ているところを刺され、
蒲団上に上体を起し更に兇行から逃れようとして這いまたはいざり廻り、請求人は
これを追い、あるいは逃げ口を塞ごうと前面に立ちはだかるようにしたりしたとい
う。前記検証調書の検証結果もこれを窺わしめるものがある。これに拠るならば、
互に動き合つている両者の姿勢・行動関係において、請求人の捜査段階での供述に
よる請求人の犯時の着衣への被害者の血液付着は単純なものでなく、色々な部位へ
の色々な形での付着を考えねばなるまい。もとより今となつてはこれを確認しうべ
くもない。しかし、如上証拠に経験則を適用すれば、当然推認できるところであつ
て、これをもつて証拠に基づかない単なる臆測であるとすることはできないと考え
る。検察官も、他の論点についてではあるが、即時抗告理由補充書において「……
被害者はかなり多量の出血をきたす多数の創傷を受け、現実に多量の血液が四畳の
間の布団・畳等に付着・飛沫・貯溜していたが……」と記し(同一八頁)ている
が、このことは、被害者の至近距離にいた犯人の着衣に前記のような血液付着を結
果せしめずにはおかないものと考える。請求人は、着衣の血痕付着部位につき、捜
査段階で前記第四の三の3の(ロ)のとおり供述している。しかし、請求人がこれ
を認識したというのは月が出たとはいえ夜闇の川畔や日の出頃の早暁においてであ
る。一方は請求人のいうとおり夜目であり(確定一審記録一一〇五丁)、他方は人
目を忍んで(確定一審記録一二二四丁)である。たとえ犯跡を消そうとする気持が
働いていた時であつても、到底、科学者や捜査官が事後的に精査する比ではない。
また、その気持の余裕のある状況の時でもない。
 請求人の第七回員面調書添付の図面(二枚目)に「左袖わおぼえぬ」と記してい
るのも、請求人の述べている点検・認識の程度を示すものといわなければならな
い。請求人の捜査段階での着衣の血痕付着箇所に関する前記供述が自己の記憶に忠
実なものであつたとしても、自己の着衣への血液付着状況につき認識し供述しえて
いるところにはどうしても限界があり、これをもつて覆いつくせるものでないとせ
ざるをえない。現に捜査官自身国防色ズホンについてA5鑑定によつて発見しえた
血痕を、視認によつて発見していないのである(A5鑑定によれば、本件国防色ズ
ボンが同鑑定人の手許に送致されたときには被検汚斑が赤色の稍太い線で円く囲ま
れその部分が明示されていたが、これらの汚斑はいずれも血液検査(ルミノール発
光反応)が陰性であるに反し、更に微細な暗褐色ないし、黒褐色の小斑点がありこ
れが本件血痕だということになるのである。右の赤い印は捜査官において印し鑑定
人の留意を促したものと思われる。検察官もそのように解している。右A5鑑定か
らもわかるように本件六個の斑痕は捜査官においてさえ発見しえなかつたものであ
る。検察官の即時抗告理由補充書七三頁六行目以下参照)。
 請求人が捜査段階で前記のように供述するところを超えて、また、請求人自身が
認識したところ以上に(特に微細な血は然り)、犯人の着衣にはもつと色々の箇所
に色々の態様で被害者の血液が付着していたと推認するのは、理の当然としなけれ
ばならない。
 5 請求人が捜査段階の第四回検面調書で本件事犯時の着衣であると供述する国
防色上衣や国防色ズボンの科学検査の結果、僅に国防色ズボンの方から血痕予備試
験に対し陽性に反応する微小の斑点が発見されたのみであること、第四の三の1記
載のとおりである。検察官はこれを、請求人が洗濯したため、付着した血痕が消え
微量の血痕のみが認められたのである、と主張し、本確定判決に当つて判決をした
裁判所もそのように解したに違いない。果してそれが適正な見方であるか、更に順
次検討することとする。なお、A1第二鑑定の血痕予備試験で反応陽性を示した斑
痕は、その付着時期に疑義のあること前記のとおりであるから、本考察の対象にな
らない。
 (一) 国防色上衣について
 検察官は当審にいたつて、国防色上衣についてもA5鑑定人がルミノール試験を
行つていると主張し、新たにB1県警察本部刑事部鑑識課C8作成の報告書やC9
の検察官に対する昭和五四年一一月七日付供述調書を提出してきた。しかし、右当
審の立証も、国防色上衣について真実ルミノール試験が行われたとの事実を端的に
示すものではない。仮に、これが行われたものとすれば、鑑定書の作成提出のない
ところから、検察官も言うとおりルミノール反応陰性であつたのであろう。先ず、
この仮定の上に立つて考えてみよう。
 ここで注意すべきことは、前述の各鑑定人らの洗濯の実験と請求人のいう国防色
上衣等の洗濯は基本的に異なつているということである。それは上記鑑定人の実験
においてはいずれも布を洗濯し易いような限られた面積にし、わざわざ血痕を付着
させ、血痕の存在場所を認識し、洗濯によつて血痕予備試験の反応が如何なるかと
いう目的意識のもとに、単純な布一枚(但し、A3鑑定の半ズボンは例外、それも
洗濯によるルミノール試験への影響はない結果になつている。)の、いわば限られ
た部分を洗濯しているということである。一方請求人の供述するところは、血痕を
他人に気づかれないようにしようとの意図であるとはいえ、右実験材料とは比較に
もならない国防色上衣(それも前述のようにかなり固い材質である。)という広面
積複雑な形をしており、血痕付着箇所を精査点検したり、しかと確認しないままに
丸浸けにし手もみで洗つているということである。この請求人が洗濯した意図につ
いて直接触れた供述はない。しかし、請求人の第四回検面調書によると、請求人は
庖丁を持つておるのを人に見つかるとあやしまれると考えたからと言い、また、世
間の人に対しては犯行当日は私が真面目に働いていたという事を見せるために山へ
炭焼きに行つたと述べていることからみて、また、この段階では通常逮捕を免れる
ことが第一であると考えていることよりみて、先ず血痕を他人に気づかれないよう
にという意図であり、裁判になつた時、科学検査に堪ええるように(請求人にどの
程度この点に関する科学知識があつたか疑問である。)とまで思い及ぶまいし、そ
の余裕もなかつたものと考えねばなるまい。即ち、血の色彩が消え人目につかない
ように、との程度の考えでいたとみるのが自然である。これに反する証拠はない。
請求人の供述によつても、血痕の目についた所のみを意識し、仔細な点検をした形
跡がない。やはり前記洗濯実験の場合とはかなり基本的に異なるものがある。とこ
ろで、請求人の供述する洗濯は、前記のように人目を忍んで早々の間になされてお
り洗濯の程度には自ら限度がある、ということである。そして、前記科学の実験と
して意図的になされた洗濯においてすら前記のように石けん等を用いて余程入念に
相当時間、あるいは余程注意して、洗濯しないと、一旦付着した血痕はルミノール
試験に反応が陰性化しないのである。前記請求人の洗濯の目的・程度、犯人の着衣
に付着していたであろう血痕の状況とを対比検討すると、本件犯行によつて着衣に
付着した血痕が、請求人のいうような洗濯によつてすべて消えて、ルミノール反応
がすべて陰性化するであろうか。逆に言えば、請求人はそのような洗濯をなし、あ
るいはなしえたであろうか。そもそも疑問とせざるをえない。A6鑑定が科学実験
としての洗濯後の血痕予備試験結果よりみて、一応、「……国防色上衣、国防色ズ
ボンに人血液付着後間もなく水洗一回、その後四時間してから石けんを使用して洗
濯したものとすれば、上記実験結果(ルミノール試験も、直接法のベンチチン試験
も、ともに陽性)のごとくなるものとは思料されるが、……」としているところ
は、更に限定を付しているが、本件での洗濯の効果そのものを考えるに当つて参考
になる。
 検察官は抗告理由で、請求人は国防色上衣は丸づけにし石けんで特に血のついて
いた胸と裾、右袖等を特別入念に洗つたというのであるから、A3証人が本件で洗
濯実験をした五秒間ずつ二度もみ洗いした程度でなく、その方法、程度は請求人の
自白する洗濯の方法、程度に符合せず、むしろ、A6証人のいう石けんをつけてま
た、石けんをつけてもみ洗いをしたという方法、程度の方が本件に近いもので、こ
れだと状況により血痕予備試験が陰性になることも否めない、と主張する。
 そこで先づ、請求人の供述する「上衣は特に血のついていた箇所を特別入念に洗
濯した。」という趣意を検討してみよう。たしかに、講求人の第四回検面調書によ
ると、一応請求人は国防色上衣の血液付差箇所を特別念入りに洗濯したかの如くで
ある。しかして、国防色ズボンからは前記のとおり人血痕が検出されているのに、
上衣からはこれが検出されていないことからして、上衣を特別念入りに洗つたとす
る供述は注目を要するところである。しかしながら、右趣旨の供述は右検面調書に
あるだけであつて前記他の供述調書では自宅における二月二八日朝の洗濯において
上衣とズボンで特に差のあつた供述をしている形跡は見当らず、かえつて第一回員
面調書では前記のとおり朝上衣を洗濯したことには触れていないくらいである。ま
た、請求人は前記第七回員面調書において、前記のとおり服に血のついている状況
はとの問に対し、進駐軍放出のS字入り上服には前では右胸のあたりに点々と二、
三ケ所、及一番下の方に「ベツトリ」と直径二寸位の大きさについておりました。
袖は右袖の内側の先の方に点々と血の飛沫が五ケ所位ついておりました。黒木綿下
服は一番下の裾の付近に(右股の)点々と三ケ所位ついておりました、と供述して
図面を書いている。そして以上いずれの供述においてもズボンにも血痕の付着して
いたことを認識していたことになつているから、他人に血痕を見つからなくするた
めの洗濯だというのに、上衣だけを特別念入りに洗濯しズボソの洗濯には手を抜く
ことは、通常は考えられないところである。したがつて、第四回検面調書における
供述から、上衣のみを特別念入りに洗つたとするのは唐突不自然である。二月二八
日朝における自宅での上衣とズボンの洗濯の程度には、上衣は丸浸けにし、ズボン
は認識しえた血痕付着部位をつまみ洗いしたとの差はあるにしても、いずれも血痕
を人目につかないようにしようとの目的は同一であるから、上衣にしろ、ズボンに
しろ、認識しえた血痕付着部位に対する洗濯の程度そのものについては、強調でき
る程の差をつける筈はなく、この供述をさして重視できないというべきである。請
求人の第四回検面調書におけるこの供述も単に丸浸けにして洗つた上衣の洗濯は、
中でも血痕を認識しえた所を格別念入りに洗つた趣旨だけと解すれば、これは血痕
の色彩を分らないようにとの目的以上の洗濯をしたものを意味するものと解すべき
ではなく、ズボンの洗濯との間に差をつけた趣旨ではないと読みえないわけでもな
い。とすれば、ズボンの洗濯した部位に微量とはいえ視認できる斑痕が残つていた
ことをも参照し、前記のように石けん等を使つて余程入念に相当時間洗濯しないと
ルミノール試験の反応は陰性化しないという鑑定結果よりみて、上衣に付着した血
痕を請求人の洗濯によつてルミノール反応を陰性化しうるまでに洗濯しえたとする
には疑問がある、といわざるをえない。
 次に、請求人の第四回検面調書で供述する字義どおり、上衣の特に血のついてい
た部位につき、特別念入りに洗つたものとして検討してみよう。たしかに所論のい
うとおり、A3鑑定の洗濯実験はあまりに簡であり、これだけで請求人の自白する
上衣に関する洗濯をすべて律しようとするのでは検察官が不満の意を示すのも無理
はあるまい。しかし、また検察官のいうとおり、請求人の本件洗濯はすべてA6鑑
定のいうもみ洗いまたもみ洗いという方法で(A6鑑定書一七丁、A6証言・速記
録九七丁)血痕予備試験を陰性化する程度のものである、とするのも如何なもので
あろうか。請求人の本件洗濯は国防色上衣を手もみで洗つたのである。あるいは中
には検察官のいうような程度の洗濯を受けた部分もあつたと仮定しても、請求人が
認識しなかつた付着血痕もあつた筈であり、これをも含めて、上衣の付着血痕すべ
てを、検察官の主張する程度に洗濯し終えたとみるのは、手もみの洗濯という方法
よりみて、考え難いところである。
 当審で検察官の主張する国防色上衣に関するA5鑑定によつてルミノール検査を
受けたと仮定して、本件国防色上衣はその後A1第一鑑定でベンチヂン試験(間接
法)を受けている。A3鑑定は、洗濯され更にルミノール試験を受けた後ベンチヂ
ン試験(間接法)を受けると、ベンチヂン試験(間接法)の反応が陰性化するとい
う。しかし、国防色ズボンについてA5鑑定により明らかにルミノール試験を受け
ているのに、その部位からA1第一鑑定の結果ベンチヂン試験(間接法)反応陽性
の斑点が発見された、という事実がある。それはそれとして、国防色上衣について
当審で検察官の主張するA5鑑定でルミノール試験を受けたとしても、A1第一鑑
定で全くベンチヂン試験反応陽性の部分が発見されなかつたということは、少なく
ともベンチヂン試験(間接法)により血液付着の証明が得られなかつた、という意
味はあるものと考える。
 また、若し、A5鑑定において国防色上衣にルミノール試験が行われていないと
しても、A1第二鑑定でルミノール試験が行われ、反応はすべて陰性であつたので
ある。それに、ルミノール試験以上に鋭敏であるベンチヂン試険がA1第一、第二
鑑定において行われ、反応陰性であつたことは、ますます理解に苦しむところであ
る。ベンチヂン反応は一〇万倍、二〇万倍のものにも反応するというのであるから
(A6証言・速記録六丁、A3原審第二回証言・速記録七~八丁)。もつとも、本
件においてベンチヂン試験は間接法によつている。それにしても、A1第一鑑定に
おいて多少なりとも血痕の附着が疑われる部分には余すところなく施行したという
のに、また、ルミール試験を経たわけでもないのに、ベンチヂン試験に対し陽性の
反応を示すところが全くなかつたというのは、血液付着があつたとしたにしては、
理解できないところである。
 (二) 国防色ズボンについて
 原決定は、A1第一、第二鑑定を共に採証できないとみたからか、国防色ズボン
について直接判断することなく、国防色上衣の洗濯に関する請求人の自白は虚偽で
あるとの疑いがあるから、ひいて国防色ズボンについても犯行時に着用していたと
の請求人の自白に疑問を持たざるをえないとした。ここでは端的に国防色ズボン自
体についてルミノール反応と洗濯の関係を検討することとしよう。A5鑑定のルミ
ノール試験の結果、右脚裾に微量の飛沫状血痕反応が発見されたに止まつたこと前
記のとおりである。この発見された血痕だけでは微量に過ぎ、前記犯行現場の状況
や被害者の受傷程度よりみて到底首肯できるものではない。検察官はこれは洗濯に
よるものだという。しかし、国防色上衣についてみたルミノール試験と洗濯の関係
が同様にあてはまり、洗濯したにしても微量の血痕反応を除いてその余はすべてル
ミノール反応陰性であることは奇異の感を免れない。請求人は国防色ズボンはつま
み洗いしただけだという。また、A5鑑定のルミノール試験だけでなくA1第一鑑
定でベンチヂン試験(間接法)を、更にA1第二鑑定でベソチヂン試験(間接法)
及びルミノール試験を施されている。その結果は前記のとおりである。
 先づ洗濯を施されなかつた部分について検討すると、これらの部分はルミノール
反応、ベンチヂン反応、ともに陰性であつたことは、この部分に全く血液付着の形
跡がなかつたことを意味するというべきである。ルミノール試険後のベンチヂン試
験であつても、洗濯しなかつたという部分についてであるから、ルミノール試験後
におけるベンチヂン試験に関するA3証人のいう前記見解を適用する余地はない。
前記検証調書等から推認される犯人の着衣に付着した筈の血痕状況、特に被害者が
比較的低い姿勢の時受傷したこと等よりみて、本当にズボンのこの部分、即ち、右
脚裾の部分を除く部分に全く血液が付着しなかつた等ということがありえるだろう
か。理解に苦しむところである。
 次に、洗濯したという部分について見てみよう。右脚裾にA5鑑定、A1第一鑑
定によつて、微量な血痕と判定されたものが発見されたこと、前記のとおりであ
る。しかし、右痕跡はすべて飛沫血痕の外形をそのまま留め(検察官も即時抗告理
由補充書でそのように評価する。同一六二~一六三頁)肉眼的に視認できる状態で
残存していたのであり、他はすべて血痕予備検査陽性の反応がなかつたということ
になつている。洗濯後の残存血痕とルミノール反応に関し、前記のように幾つかの
段階がある。しかるにそのうちの前記第四の三の2に記した、付着したままの外形
を留めるもの(顕在血痕)があつたというだけで、他はすべて洗濯で反応を示さな
い状況になつてしまつた(血痕消失)ということになるのである。両者の中間段階
である付着した外形が損われ(血痕よう斑痕)あるいは肉眼的に視認できず、それ
でもなお反応陽性を示す(潜在血痕)という段階のものが全くない。いわば、検察
官の抗告理由での表現を借りるならば、飛沫血痕の外形でそのまま残るか、あるい
は完全にルミノール試験に反応しない程度に消えてしまつたか、そのいずれかのみ
であつたのである。しかも、請求人の供述によれば、その洗濯は、つまみ洗いとは
いえ、ズボンの右裾、脛から下という狭い面積の、限局された部分を洗濯したこと
になる。一点の洗濯は、その周辺に洗濯効果を及ぼさずにはおくまい。請求人の第
四回検面調書によると、請求人が血痕があつたのでつまみ洗いをしたという部位そ
のものから、検察官の主張によれば正に最も洗濯の影響を受けていなければならな
いと考えられるそこの所から、完全な形で残存しているのが発見されたというので
ある。そして、その他には、全く反応を示さないというのである。若し真に洗濯に
よつてルミノール反応を陰性化しえる程に血痕をなくすことができたというなら
ば、狭い右脚裾という洗濯面積よりみて、外形をそのまま残した血痕が発見された
というのがそもそも不思議であるし、そのままの外形で残るか全く消えるかだけで
あつて、中間段階のもの(血痕よう斑痕や潜在血痕)が全く見当らないというの
は、なお更理解できないことである。A1第二鑑定の被検血痕はその付着時期に前
記のように明らかに疑問があり、採証できないこと、前記のとおりである。更に視
点を変えてみよう。微量にもせよ、このような斑痕が飛沫血痕の外形をそのまま残
して残存したということは、洗濯したにしてもその程度の洗濯であつたということ
である。その程度の洗濯で、発見された微量血痕以外は全く消し去ることができ
る、ということがありえるだろうか。したがつて、前記程度の微量な血痕反応が右
裾のみから発見されその他血痕予備試験で全く反応を示さないというのは不自然な
ことである。やはり、この発見された微量血痕反応箇所以外にはそもそも最初から
血液は付着していなかつたのではないかとの合理的疑いが生れてくるのである。ま
た、国防色ズボンについての洗濯がこの程度であると見ることは、国防色上衣の洗
濯程度の見方にも影響を及ぼし、国防色上衣についても同様の疑問が湧いてくるの
である。
 以上は、請求人の捜査段階での前記供述が、A5鑑定やA1第一鑑定で発見され
た血痕反応部位のすべてを請求人の洗濯の対象にしたという趣旨の供述である、と
解して検討してきた。一応そのように読める。しかし、この点疑問がないわけでは
ない。というのは、請求人は第七回員面調書本文においては前後面を限定して供述
していないが、添付図面において血痕付着箇所としてズボン前面に赤点を付してお
り、ズボン右脚後面の血痕は請求人の図示しないところだからである。検察官はこ
の図面によつたのであろう。抗告理由補充書において、請求人のいうズボンの裾の
方の血痕付着箇所はズボン右脚前面をいうものとしている(即時抗告理由補充書六
三頁・七三頁・七五頁)。しかし、そうなると、なお更、疑問は増大するだけであ
る。何故ならば、A5鑑定・A1第一鑑定において、発見された血痕は略同様な性
状を示すとされており、請求人か意識して洗濯したというズボン前面と血痕付着の
認識がなく、洗濯しなかつたという、ズボン後面での各残存斑痕の性状が同一であ
るということになり、そのこと自体でズボンについて洗濯の介在を考えることさえ
困難である。
 しかしながらなお暫らく洗濯はあつたものとして論を進めよう。検察官の主張す
るところはズボンに微量の血痕が認められ、上衣に血痕が認められなかつたのは後
者は犯行直後に水洗いしたのに前者はこれをしなかつたためであろうとする。しか
しながら、請求人の自白によれば前記のとおり上衣を二月二八日朝見たとき血痕が
残つていたというのであるから、水洗が先行した点はさほど有意の差をもたらすも
のとは考えられない。
 6 以上、請求人の捜査段階での自白を前提とし、これに本件旧証拠である国防
色上衣、同ズボン等や新たな証拠である洗濯に関するA3鑑定、A1・A2回答
書、さらにC10論文等を対比検討してきたが、その結果、国防色上衣にせよ、国
防色ズボンにせよ、請求人の自供するような、本件事犯時に着用され本件犯行によ
り付着した多量の血痕を、洗濯により、国防色ズボンで発見されO型の人血と判定
された斑痕以外、すべて消去し血痕予備試験を陰性化しえた、とするには幾重にも
疑問があり、これらの疑問を総合すると、国防色ズボンから発見された微量の血痕
反応箇所以外には、そもそも当初から血液が付着していなかつたのではないか、と
なると、右付着していたのは、本件事犯時のB1の血液ではなく、別の人の血液で
はないか、したがつて、遡つて、この点に関する請求人の自白は虚偽ではないか、
という合理的疑いが出てきたのである。A3鑑定中の洗濯実験における洗濯の程度
が、請求人の供述する洗濯より低いものであつたとしても、以上のとおり、洗濯に
関するA3鑑定に、同A6鑑定、A1・A2回答書、更にC10の前記論文写を加
味し、これを本件旧証拠と総合し検討すれば、本件事犯時に国防色上衣及び国防色
ズボンを着用、これに被害者B1の血痕が付着したので犯行後間もなく国防色上衣
を水洗いし、更に四時間後に国防色上衣及び国防色ズボンを石けんを使つて洗濯し
た旨の請求人の自白は虚偽であるとの合理的疑いを生じ、同様洗濯に関するA3鑑
定に、同A6鑑定、A1・A2回答書を総合し(これが新たな証拠であることは争
いがない。以下、本件新証拠という。)、国防色上衣の犯時着用・血痕付着・洗濯
に関する請求人の自白を虚偽であるとし、ひいては国防色ズボンについても犯行時
着用していたとの自白に疑いを持たざるをえないとする原決定の判断は、当裁判所
と必ずしも理由を同じくしないが、結論において正当である、と考える。この点に
関する検察官の所論は採用できない。それとともに、国防色ズボン及び国防色上衣
は請求人の本件事犯に対する証拠としての関連性を失い、A5鑑定第五項、A1第
一鑑定も同様、本件事犯に対する関連性を失い、いずれも本件事犯に対する証拠に
はならなくなつたのである。
 なお、右の点は、国防色ズボン等と本件事犯との関連性がないことを明らかにし
たというだけで、本件六個の斑痕が、同一由来でないことを明らかにしたというよ
うなものではないから、前記のようなA1第一鑑定の証明力を補強し高めることに
はならなかつたが、これによつてA1第一鑑定の信憑力が損われるに至つたという
ものではない。
 また、検察官は、抗告理由においては、A3証人の鑑定態度及び鑑定結果には一
般に信用性に欠ける面が多く信用性を認め難いと主張するが、昭和五五年一〇月一
五日付意見書では、「事柄によつては同証人の証言するところは、原審における証
言に比し正確となり、真実を理解するのに役立つこととなつた証言部分もある。」
(同意見書三一頁)ともしており、洗濯に関するA3鑑定を前記趣旨において採証
することを、A3証人の鑑定なるが故に否定すべきであるとまで、主張していると
も思われないし、また、その事由があるとも考えられない。
 四 血痕付着原因について
 1 以上に検討したとおり、国防色ズボンは本件事犯と関連性のないことが明ら
かになつたけれども、A1第一鑑定の証明力は損われていないから、国防色ズボン
にあつた本件六個の斑痕は、なお、O型の人血の付着したものと推量されることに
変りない。しかるに、請求人の血液型はA型である。O型の人血は明らかに請求人
にとつて他人の血液である。これが本件事犯時に付着したものでないとすると、一
体何時どのようにして付着したかは、当然出てくる疑問である。この問題につき検
討したところを、ここに記しておくこととする。
 2 ここで想起さるべきは、いわゆるD5強盗傷人事件である。請求人は、本件
の起きた後である昭和二五年四月一日、他一名の共犯者と神田村農業協同組合にお
いて金品を強取しょうと企て、それぞれ刺身庖丁一丁を携え同組合事務所において
金品物色中、宿直員B2に発見され、請求人は所携の刺身庖丁で右B2の腹部を一
回突き刺しその左季肋部に治療約二週間を要する刺創を被らしめたとして、強盗傷
人有罪の認定を受けている。この時の被害者B2の血液形はO型である。そして、
この時請求人が着用していたズボンが本件証二〇号の国防色ズボンなのである。こ
のことは、請求人が同事件に関する昭和二五年四月一二百付員面調書謄本(丁数が
打つてないが確定記録に編綴され、当裁判所が事実取調したものである。)におい
て認め、同事件の公判廷でも証拠とすることに異議なかつたところである。請求人
はこの国防色ズボンは捜査官がすり代えたものだとも主張するが、その認められな
いこと最高裁決定の説述するとおりである。検察官も、右強盗傷人事件に際し請求
人が着用していたズボンと証二〇号国防色ズボンの同一性を、強く主張している。
とするならば、本件において、犯時請求人が右国防色ズボンを着用していたか否
か、同ズボンから発見された本件斑痕が被害者B1の血液によるものであるか否か
を考えるに当つて、右D5強盗傷人事件で請求人が着用しており、その時の被害者
B2の血液型がO型であつたこととの関係を検討せざるをえない。
 再一審記録によれば、昭和三八年最高検察庁は本件強盗殺人事件の執行事務処理
のため高松高等検察庁に対し、「1」右強盗傷人事件被害者B2の血液型がO型で
あることは間違いないか、「2」同事件犯行の際、請求人着用のズボンに右B2の
血液が付着した可能性はあるか、を照会し、これを受けて高松高等検察庁は高松地
方検察庁丸亀支部及び香川県警察本部に照会調査させた結果、いずれによつてもB
2の血液型はO型であることが確認されたが、右国防色ズボンに対するB2の血液
付着の可能性の有無については、高松地方検察庁丸亀支部長は、可能性は極めて薄
いという見解であり、香川県警察本部長はその可能性は認められない、というもの
であつたと認められる(再一審記録四六四丁以下)。ところで、右再一審記録に編
綴されているB2の検察事務官に対する昭和三八年五月八日付供述調書謄本や、前
記請求人の強盗傷人被疑事件に関する昭和二五年四月一二日付員面調書謄本によつ
てみると、請求人は、右D5組合事務所において二本あつた刺身庖丁のうち長い方
を持ち、物色中、ガタンという物音に不審を抱いたB2が宿直室から事務室の方へ
出てきているや、発見されたと思い、接近し右手に持つた右刺身庖丁の刃を下にし
てB2の足(股)目掛けて力強く一突きしたが、B2が体を変えたため手応えな
く、更に一突きしたところ、B2の季肋部に当つて手応えがあり、B2が騒ぐので
突嗟に逃走したが、B2はこのため左季肋部に傷害を負い、B2の供述するところ
によるとその後宿直室で見たら左腹に傷口があり、少し血が出ていたが、厚い毛製
の外套の上から刺されていたので傷が浅かつたものか、気付いた時も血が流れる程
ではなく、また、請求人のズボンがB2の体や傷口にふれることはなく、厚い外套
の上からであり出血も少なかつたので同人の傷口の血が請求人の服装に付着するよ
うなことはないと思う、というのである。
 これでみると、
 「1」 請求人は右手に庖丁を持つてB2を刺し、一方国防色ズボンの血液付着
部位もすべて右脚であること、
 「2」 刺身庖丁は長さは不明であるが、とにかく二本ある中の長い方を使用
し、一方血液付着部位も裾の方であること、
 「3」 B2の出血も少なかつたと思われるが、一方、ズボンの付着血液も微量
であつたこと、
 「4」 検察官の表現を借りると、ズボンの血痕は左斜上から右斜下にかけて約
七センチメートル幅の一線上に並んでおり、いずれも表面から付着した飛沫血痕様
の性状を呈し、その位置性状よりみて、検察官も同一の機会に同一人の血液が付着
したものと主張している程であること、
 「5」 付着部位は確にズボンの前面と後面の両方に別れているが、請求人も静
止していたわけでなく、そこに動きがあり、例えばB2を一突きした後直ちに請求
人が逃走する動きもあつたこと、
 これらの状況よりみると、O型であるB2の血液が国防色ズボンに付着した可能
性が相当に強い、例えば、B2を刺した兇器に付着したB2の血液が、兇器を引き
抜くときに国防色ズボンに飛散した可能性も否定できないではないか、との疑念が
浮ぶのである。国防色ズボンに付着していてO型の人血と判定されたものが微量で
あるだけに、この疑いが拭い難いものとなつているのである。もつとも、前記のよ
うに、昭和三八年最高検察庁の照会により高松高等検察庁が調査した時には、B2
の血液が犯人のズボンに付着する可能性は極めて薄いとか、その可能性は認められ
ない、ということになつている。記録上窺われる当時の調査内容を見ると、犯人の
着衣がB2の体や傷口に触れたか、あるいはB2の返り血自体が付着するようなこ
とはなかつたか、という観点で調査していたものと認められる。前記B2の検察事
務官に対する供述調書謄本における供述自体、これにそつたものとなつている。刺
すことによつて庖丁に付着したB2の血液が、庖丁を抜き取る際等に犯人の着衣に
飛散しなかつたか否か、という点を配慮して調査検討した形跡は窺われない。B2
の出血は少なかつたようである。しかし、とにかく出血はしているのである。昭和
三八年調査当時、前記のように、検察側に、極めて薄いとはしながらも付着する可
能性を全く否定し切つていない見解があつたことも見落せない。
 以上のように、当審に至るまでに提出された関係証拠によつても庖丁に血がつか
なかつたとも思えず、刺した庖丁を抜き取る際にこれが着衣に挾まれて付着した血
液が完全に拭き取られたものともいい切れないから、庖丁にはなにがしかの血液が
残り、これが庖丁を抜き取る際や、逃走の際に請求人のズボンに付着したものでは
ないかとの疑いが浮び、この点に関し、これまで検討された形跡がないので、これ
を検討し、なお、B2の血液が国防色ズボンに付着したとの合理的とまでいえる疑
いがあるならば、検察官も右強盗傷人事件に際し着用されたのが証二〇号の国防色
ズボンであると主張しているのであるから、むしろ、端的に、再一審に提出された
B2の血液型がO型であるとの証拠こそ再審開始の問題となる証拠ではないか、と
考えた。
 3 右に鑑み、当裁判所は更に解明する端緒にもと思い、検察官を通じ、右B2
の負傷に関する医師のカルテ、及び、昭和三八年当時香川県警察本部長の高松高等
検察庁次席検事宛の回答書中に引用するB2の昭和二五年八月一六日丸亀簡易裁判
所において実施されたという証人尋問調書、の存否を調査した。しかし、これは現
存しないということであつた。その際検察官は、進んで、昭和五五年九月八日付B
2の検察官に対する供述調書、昭和五五年九月一〇日付F2の検祭官に対する供述
調書、同日付F3の検祭官に対する供述調書及び昭和五五年九月一一日付検察事務
官C11作成の写真撮影報告書を提出してきた。これらによると、検察官も今回
は、刃物に付着したB2の血が請求人の着衣に付着する可能性の有無、という点を
十分念頭におきながら調査していることが分る。これらによると、一見右可能性が
否定されているように見えるが、仔細に検討すると、なお、その可能性を否定し切
れているとは思われない。即ち
 (一) 右強盗傷人被告事件の判決で、B2の受傷は治療約二週間を要する左季
肋部刺創、と認定されているところ、
 (イ) B2の検察官に対する昭和五五年九月八日付供述調書によると
 「1」 傷口が三センチ位あり、二針か三針縫合し
 「2」 ともかく妻を付添いにして一二日間入院し
 「3」 当時診察していた医師が、たいしたことはない、と言いながらも、腹膜
には達していない、と表現していたというところよりみて、医師も単に表面の皮下
脂肪層だけでなく筋肉層まで切断していることは認めていたのではないか、と思わ

 「4」 B2が同調書で「当夜宿直室で見たとき、傷口は閉じており、その傷口
のところに少し血がにじんでついている状態でしたが、出血は止つていました。傷
口についている血液はわずかでした。メリヤスシヤツの切り口周辺に直径約三セン
チくらいの範囲で少ない血液がこすりついていたが、周囲にしみ込んだというよう
なものではなかつた。」と述べており、同人の検察事務官に対する昭和三八年五月
八日付供述調書謄本における「当夜宿直室で見たところ左腹に傷口があり少し血が
出ていた、傷が浅かつたものか気付いた時も血が流れる程ではなかつた。」との供
述と完全に合致するか否か疑問もあるが、一時的に出血したことは、間違いないこ

 (ロ) F2の検察官に対する供述調書によると
 「5」 医師F2が季肋部の腹壁だけについた傷であれば、出血はあつても一時
的で、圧迫する程度で止まりますと述べ、反面解釈として、一時的出血のあつたこ
とを肯定しているとみられること
 (ハ) 昭和五五年九月一一日付検察事務官C11作成の写真撮影報告書添付の
写真より窺われる
 「6」 B2の傷跡
 これらの事実よりみて、傷が皮下脂肪層のみにとどまつたと断言できず、少量で
あり、一時的であつたにもせよ、出血があつたことも打消せず、国防色ズボンから
発見された程度の血液を刃物なりを通じて飛散させる位の出血があつたことを、い
まだ否定し切れているとは思われないこと
 (二) 医師F2は、「季肋部を鋭利な刃物で刺してその刃物をすぐ引き抜いた
場合、毛細管程度の血管(があるだけ)であり、しかもすぐに抜き取るのですから
刃に血の付く量は少く、その刃物を振り回しても刃物についている血が飛び散るよ
うなことは到底ない。」旨供述しているが、同人は同調書中のその前の部分で「季
肋部の皮下脂肪層には毛細管程度があるだけで、また、筋肉層にも大きな血管はあ
りません。」と述べ、毛細管というのは皮下脂肪層に関して述べているところ、筋
肉層を切断しなかつたとはいえないこと前記のとおりであり、刃物に血がつく以
上、刃物の形状、振り方、力を加えた程度等諸種の条件の組み合せ如何により、国
防色ズボンに付着していた程度の血が飛散することが全くない、と言えるか、いま
だ疑問に思われること
 (三) B2を刺すに当つて、B2のメリヤスシヤツ及び厚い毛製の外套の上か
ら刺したものであつても、請求人にもB2にも動きがあり、抜き取る角度如何によ
つては必ずしも着衣に挾まれて兇器に付着した血液が完全に拭い取られるとは言い
切れず、また、外套の切り口がメリヤスシヤツの切り口より少し上であつても、B
2の姿勢・動き如何によつては、必ずしもB2が検祭官に対する前記供述調書で述
べているような犯人は上側から下方に向けて突き刺そうとしたものと決めつけられ
ないこと
 以上は検察官から提出された証拠のみによつて検討したところであるが、これら
を総合すれば、当審において検察官より提出された前記証拠によつても、D5強盗
傷人事件の際、被害者B2の血液が本件国防色ズボンに付着した可能性は、なお、
否定し切れていないといわざるをえない。もち論、この時付着したものであると確
認できているものではない。また、この時でなく、もつと別の機会(本件事犯時を
除く。)であつたかも知れない。この程度の調べでB2の血液が付着した合理的疑
いがあると言い切るのも危険であろう。しかし、これ以上月日をかけて事実取調を
してこの点を究明するのは、再審を開始するか否かを決すべき再審請求受理裁判所
の、しかもその抗告審である当裁判所の任務とするところでないので、明快な解明
ではないがこの程度に止めることにした。単に本件事犯時以外において、他人の血
液の付着する可能性が否定しきれていないのではないかと思われる一例示とする。
 五 明白性について
 1 最高裁決定が要約するとおり、本確定判決は、有罪事実認定の証拠として、
申立人(請求人)の第四回検面調書のほか、被害者の血液型であるO型と同型の血
痕の付着した国防色ズボン(証二〇号)を含め合計二六点の証拠物、鑑定書、検証
調書、被害者の妻、捜査官の各証言等を挙示しているところ、最高裁決定は、本件
有罪判決の証拠としては第四回検面調書に録取されている請求人の捜査段階におけ
る自白と証拠物として国防色ズボンの存在が重い比重を占めるといい、原決定もA
1第一鑑定をも掲げた上、これらを本確定判決の有罪認定を支える証拠中いわば決
め手となるべき重要なものとしており、右確定判決をした裁判所も同様な心証であ
つたと解される。しかるに、これまで検討してきたとおり、本件新証拠によつて、
国防色ズボンに付着していた血痕は本件事犯に際し付着したものではないとの合理
的疑いが生じ、国防色ズボン、及びこれに関するA1第一鑑定・A5鑑定第五項更
には国防色上衣は、本件に対する証拠とはならなくなつたのである。即ち、本確定
判決を支えていた重要な証拠の一角が崩れたことは疑いない。しかし、これをもつ
て直ちに再審を開始すべきであるとするのも早計である。
 ここで一言触れねばならぬことがある。それは原決定は、最高裁決定の、(本)
確定判決の挙示する証拠だけでは請求人を本件の犯人と断定することは早計に失す
る、旨の事実判断は、差戻しを受けた裁判所を拘束するとしていることである。し
かし、原決定もいうとおり、最高裁決定は再審請求を棄却し、これを維持した再
一、二審決定を取り消しているのであつて、本確定判決に対する上級審として、そ
の一、二審判決を破棄しているわけではない。最高裁決定は再一、二審の審理不尽
を言い、これが、原決定及び原原決定破棄の直接の消極的否定的判断として、差し
戻しを受けた裁判所に対し、拘束力を持つことは明らかであるが、(本)確定判決
の挙示する証拠だけでは請求人を強盗殺人罪の犯人と断定することは早計に失する
旨の判示は、差し戻しを受けた下級審を拘束するものとは解されない。したがつ
て、やはり、前記国防色ズボン等を証拠から除くと、無罪を言渡すべきことが明ら
かであるか否かを、本件新証拠との関係をも考慮しつつ、具体的に検討しなければ
ならない。
 ここで留意すべきことは、右のように、国防色上衣や同ズボン等が本件の証拠に
ならなくなつたとともに、請求人の第四回検面調書をはじめ、その捜査段階での自
白の再評価を迫られているということである。既述のとおり、請求人の第四回検面
調書における請求人の供述と国防色ズボン・A1第一鑑定は、一応互に補強し合つ
ていたのである。本確定判決をした裁判所は、請求人自身が右国防色上衣や同ズボ
ンを着用し本件犯行に及んだと自白するのみならず、鑑定の結果ズボンに被害者B
1と同じO型血液が付着していると判定されたが故に、請求人の第四回検面調書に
おける自白はこの点でも措信できるとしてこれらを証拠の標目に掲げたものであろ
う。しかるに、国防色ズボンやA1第一鑑定を本件事犯に対する証拠とすることが
できなくなつたのである。このことは、これらが請求人の第四回検面調書における
供述を補強しなくなつたことを意味する。それとともに、請求人の本件事犯時の着
衣及びその洗濯に関する自白に疑いが生じてきたこと上記のとおりである。という
ことは、右供述部分に止まらず、請求人の自白全体の再検討を要することとなつた
のである。そうすると自ら最高裁決定理由第二の二の(一)乃至(三)でいう疑
点、即ち原決定のいう請求人の自白の信用性に関する三疑点が浮かび上つてくるの
である。三疑点について、本確定判決をした裁判所もこうした疑点があることに気
づいていたかも知れない。それでもなおかつ有罪の確定判決をしたのは、請求人が
捜査段階において自白しているからその供述は間違いあるまいとの心証形成をした
ことが、大きな比重を占めているであろう。しかるに、請求人の自白の再検討を迫
られていること前記のとおりである。自白しているからといつて、ただそれだけで
は信を措きえなくなつたのである。そうした意味で必然、三疑点が再び浮上して、
検討の要が出てきたのである。原決定が三疑点について検討し今となつては更に取
調べる証拠とてなく疑問を解明できないとか、検察官の提出した証拠ではなんら疑
点を解明するに足りないとしたのに対し、検察官は抗告理由でこれを論難している
ので、所論にそつて検討することとする。なお、検察官は当審において、三疑点等
に対してもその疑問を解消する証拠として、A8作成の昭和五四年八月九日付鑑定
書等の書証を提出してきた。そこで、三疑点に対する具体的検討に入る前に、ここ
で、本件における事実の取調一般の問題につき、当裁判所の見解を述べることとす
る。
 本件は再審請求事件の即時抗告事件である。法は厳格な要件の下においてのみ再
審開始を予定しているところ、原審は本確定判決に対し刑訴法四三五条六号の無罪
を言い渡すべき明らかな証拠を新たに発見したときに該当するとして、再審開始を
決定し、検察官がこれに即時抗告してきた事件である。したがつて、右証拠の新規
性・明白性の存否の判断が再審開始許否を決する岐路となるわけであるが、当審<要
旨第一>において証拠の新規性については争いがないから、証拠の明白性に限つて考
察する。ところで、刑訴法四三五条六号にいう「無罪を言い渡すべき明
らかな証拠」とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、そ
の認定を覆えすに足りる蓋然性のある証拠をいい、それであるか否かは、もし当の
証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、果してそ
の確定判決においてされたような事実認定に到達したであろうかというような観点
から当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきである、とされてい
る。ここに当の証拠と他の証拠とを総合的に評価判断するということは、確定判決
の基礎となつた積極証拠のみならず消極証拠(即ち両者を合わせたものが旧証拠)
に、新証拠を加え総合評価すること、いわゆる新旧証拠を総合評価することを意味
すると解されるが、それに当つても特段の事由もないのに、みだりに判決裁判所の
心証形成に介入するのを是とはされていないのである。したがつて具体的には、通
常、新証拠の持つ意味・証拠価値を明らかにし、それが旧証拠とどのように関連す
るか、新証拠の持つ重要性と立証命題との有機的関連において旧証拠はどのように
再評価しないといけないか、それによつて確定判決の証拠判断及びその結果の事実
認定がどのような影響を及ぼされるか、を審査することとなり、以上の作業により
確定判決の事実認定に合理的な疑いが出てくれば再審開始決定をすることとなるの
である。したがつて、それは確定判決の立場に身をおいて、即ち時間的には確定判
決をした裁判所の立場に身をおいて判断することである。再審開始の許否を決すべ
き再審請求受理裁判所には、必要とあれば事実の取調をする権能を付与されている
が、同裁判所がせねばならない事実の取調は、同裁判所のなすべき右審理の趣意に
そつたものであるべきである。
 これに反し、再審請求に対する審判手続において、右のような審理を超えて、新
旧証拠を総合評価した結果浮んできた確定判決の事実認定に対する合理的疑いを現
時点において解明するための事実の取調を、せねばならぬというものではない。再
審請求受理裁判所のする前記手続は決定手続である。刑訴法一条の精神よりみて、
決定手続によつて、右のような合理的疑いが解明されるか否かを審理するのが必ず
しも相応しい手続であるとも思われない。
 したがつて、検察官の側から、右に記載したような合理的な疑いを解明するため
の事実の取調をすべきであり、これをすれば合理的な疑いは解消されるから再審を
開始すべきでない、と主張して具体的な事実取調の申出があつても、このような主
張は再審開始の許否を決すべき再審請求受理裁判所においては主張自体採用の限り
でないと考える。まして、当裁判所は抗告審である。以上の見地よりみて、検察官
から提出のあつた書証中、右のような当裁判所のなすべき審理手続の趣旨にそつた
相当なもののみを採り上げ内容的に検討の対象にした。
 なお、量高裁決定は、その末尾に「……差戻しを受けた原原審が、手記の筆跡に
ついて更に鑑定の手続きをとるか、第四回検面調書における申立人の自白について
当裁判所が指摘した不合理、疑点が解明されないとして鑑定の手続きをとるまでも
なく自白内容を検討し、能う限りの限度で事実調べをすることで結論を下すかは、
その裁量に属するものである。」としており、あたかも再審請求に対する審判手続
において三疑点についても解明のため事実の取調の要がありえるように読めなくも
ないが、原審は最高裁判所が示した前記二つの途の中、前者即ち、手記の筆跡につ
いての鑑定の手続に象徴される再審請求事由即ち刑訴法四三五条六号の新規明白の
証拠の存否の究明の途を選んだものであり、その観点からの決定をしていること明
らかであるから、事実取調に関する当裁判所の前記見解は右最高裁判所と見解を異
にする、という趣旨のものとは解していない。
 2 具体的に三疑点の検討に入る。
 (イ) 胴巻に血痕が付若していない点について
 検察官は、被害者の着衣の状況、創傷の部位、特に胴巻を着用していたという部
位付近などを考察し、頭部などに受けた傷により流出した血液が滴下して着衣につ
き浸透して素肌につけていると思われる肌巻に及ぶ可能性、肌を伝つて胴巻に及ぶ
可能性などを検討してその可能性はない、と主張する。本件新旧証拠を総合しただ
けでも、夏冬メリヤスシヤツ、パンツの血液付着原因や、着衣を透過しあるいは肌
を伝つて胴巻に血液が付着する可能性について、それはそれなりの説明となつてい
るとは思われるが、請求人は血痕が付着していた手や庖丁を布で拭つたといつてい
るが、果してどこまで拭いえたであろうか。検察官の所論は、被害者は仰臥して声
も出ない状態の時点であつたので、請求人は被害者はもう死ぬだろうと考えて、比
較的落ち着いてていねいにぬぐつたもの、と考えるという。しかし、湯や水を使つ
たわけでない、石けんを使つたわけでもない。ただ、布で拭つたというだけであ
る。そのようなことでルミノール試験やベンチヂン試験に全く陽性反応しない程、
胴巻への血液移着というものはありえないものなのか、疑わしく思う。更に請求人
は自身の着衣を拭つたとは言つていない。特に請求人の着用していたという上衣の
右袖にも血液が付着していたことは請求人自身供述しているところであるばかりで
なく、右手に兇器を持つて兇行に及んだという犯行状況よりみて当然鑑定できると
ころである。請求人は被害者から胴巻を抜き取る前、被害者の身体に巻き、トンボ
結び(真結びの意)になつているのを庖丁を右手に持つたまま両手で結び目を解い
たという、また、胴巻を電気の所へ持つていつてから胴巻の口を右手に持ち左手を
胴巻の口に突き込んだという。請求人は胴巻に血液が付着しないようにと、特に配
慮していたわけではあるまい。これらの時胴巻に血液が移若しないだろうか。請求
人は胴巻を抜き取る前被害者の着物を両方に開きチヨツキや襦袢を上にまくり上げ
たといつている。ところで、昭和二五年三月一日撮影B1強盗殺人現場写真「3
0」~「32」によると、所論のいう白ネル襦袢は横に開かれている(同写真は、
所論のいう毛糸アンダーシヤツを毛糸襦袢と呼称しているようである。請求人のい
うまくり上げた襦袢とは、所論のいう毛糸アンダーシヤツをいうと思われる。)。
そして同写真によると、被害者の左側の、開かれた白ネル襦袢の内側にも点々と血
液付着が明認できるのである。請求人は胴巻を被害者のどちらの横側から引き抜い
たというのか必ずしも定かでない。しかし、いずれの側から抜いたとしても、一四
〇センチメートルという長さの柔軟性に富んだ胴巻を引き抜く時、胴巻が右血液に
触れることはない、と言い切れるだろうか。
 更には、現場や被害者の着衣あるいは請求人自身の着衣に血が流れあるいは飛散
していることが認められるところ、前記のような胴巻を持ち運んだり、これを弄つ
た際等に胴巻がこれら血液に触れないように留意することは至難のわざではなかろ
うか。また、財布から金員を取り出してポケツトに入れる際胴巻を手放さなかつた
ろうか。その際一四〇センチメートルという長い柔軟性に富んだ胴巻に血が付かな
いように配慮することができるだろうか。以上のように検討してくると、胴巻に血
痕が付着していないことは、やはり本件新旧証拠を総合しただけでは疑問として残
るものといわざるをえない。更に考えてみるのに、強盗目的で人を殺した者が、右
手に庖丁を持つたまま、これを使つて胴巻を切ることもせず、わざわざ両手を使つ
て結び目を解き、血が付かないように留意して胴巻を引き出し、相当、部厚い財布
が在中しているのに僅か四畳間でとにもかくにも二〇燭光の電灯がついているの
に、わざわざ電灯の下まで行つてこれを確かめ、振つてみて出なかつたために左手
を胴巻の中にさし入れて財布を取り出して金を取り、これを元どおり胴巻に入れて
釣柄に掛けておくというようなことをする必要のないことはもとより、このような
ことがありえようとも思われない。また、その胴巻の掛つていたところは前日新築
の手伝いに行つてほこりのついたズボンの吊つてある内側であつたというにおいて
は、あまりにもていねいすぎ、むしろ被害者が着替えをする際ズボンを脱ぎ釣柄に
掛け胴巻をはずして同じ場所に掛けたとみる方が自然である。検察官が抗告理由で
いうところは一部首肯できるところもあるが、全体としてみると、結局疑問が解明
し尽くされているとも思われず、やはり最高裁決定の指摘する合理的疑いは残るの
である。
 (ロ) 自白に符号する血痕足跡のない点について
 検察官は靴裏に血液がベツトリついた場合でも数歩のうちに血痕足跡が消え去る
こと、畳や布などには相当量の血液が付着しないとこれを踏んだ靴裏から血痕足跡
は生じないこと、当時の鑑識技術ではいわゆる顕在血痕足跡しか判別できず、いわ
ゆる潜在血痕足跡を認知する技術は開発されていなかつたところ、後者の技術によ
れば潜在血痕足跡も発見しえ、自白に符合するものを発見しえたであろうと主張す
るが、主張は主張として、本件新旧証拠を総合しただけでは、請求人のいうような
倒れている被害者より胴巻を抜き取つてから電灯の所へ行き胴巻を釣柄にかけたと
いう請求人の自白に符合すると認めるに足る血痕足跡を見出せず、少なくとも足跡
の面から見て、請求人が胴巻を奪つてから電球の所や釣柄の所へ行つたという自白
を補強する積極的証拠はない、と言いえるであろう。
 (ハ) 八、〇〇〇円投棄の点について
 検察官の所論は、請求人は逮捕連行される途中、約八、〇〇〇円を護送されてい
る自動車内から真実投棄したと主張するのか、それともそれは真実でなく他に費消
したというのか、必ずしも明らかでないが、前者について所論の主張するところは
請求人が自白するように護送途中投棄することが物理的に可能であるとするにとど
まるところ、これすらきわめて可能性に乏しいものであるほか、相当大がかりな捜
索にもかかわらず投棄したという紙幣は見つかつていないのである。護送の途中、
八、〇〇〇円投棄したとするには合理的疑いがある。後者について、検察官は、犯
行の動機となる借金のあつたこと、及びその督促を受けていたことについての立証
は十分であり、賍金の使途についても、請求人は本件で奪取した金員のうち五、〇
〇〇円を超える金額についてこれを費消したことを自白しており、その裏付けとし
て証人F4らによつて二、九五〇円位乃至二、四五〇円位の証明があり、請求人の
費消した金額は本件の賍金なくしては説明がつかないのであつて、賍金全部の使途
が解明されなくても、本件犯行に関する請求人の自白の裏付けとして十分であると
主張する。請求人に、同人にとつては容易に返済できぬような多額の債務のあつた
ことは認められるが、請求人の供述によつても、請求人の奪取したと供述する金員
の使途が必ずしも一貫せず、また、その説明が十分尽くされているわけではない。
更にその裏付けあるところといえば、それ以上に乏しい。また、請求人がその費消
した金員の調達先の証明が十分できないからといつて、また、どのように借金があ
り、金員を欲していたからといつて、本確定判決の判示するような請求人が金員強
取をしたものと直ちに認定するのは、飛躍に過ぎる。そもそも、本件においては金
員の被害にあつたということ自体についての補強証拠が極めて弱いのである。即
ち、被害者B1は二〇年も前、事業に失敗して他出し、本件事件の起る五年程前a
村へ戻つてからも妻子とは別居するようになり、爾来犯行現場に独り暮らしし、闇
米を売買等して生活していたという者で、その金員収支の状況は余人の容易に窺い
知り難い状況にあり、妻Gも時々行つたり来たりしていたとはいうものの、同人す
ら被害者の所持金や金員被害に関しては「本件当時は知りませんが、何時も大金は
財布に入れず小さい金を財布に入れ共に胴巻に入れて持つていた。平素私の見たと
ころでは百円札としたら十五万円か二十万円位を胴巻に入れていたと思う。殺され
たときは一万円か二万円であつたと思う、殺される四~五日前煙草を買いに来た事
があるが、その時胴巻を見たのが最後て何時も一万円から二万円位持つていたから
その時もその位持つていたと思う。」という程度の証言をするだけで(確定一審記
録二〇三丁以下)、本件被害に関してはすべて推測推量であり、被害者の近隣であ
るF1の証言でも「B1が風呂に入りに来た最後は十日程前で、その時現金はどの
位持つていたか判然りと判らないが、重雄さんは自身(以前に)一万円か二万円位
ぢやと言つた事を聞いているから、その時もその位入つていたと思う。」と証言
(確定一審記録二〇八丁以下)するも、これまた推量の域を出でず、他にB1が当
時どの程度の金員を所持していたか明らかにするものがなく、本件金員強奪の罪体
自体の補強証拠は極めて弱いといわざるをえない。加うるに、前記(イ)胴巻に血
痕が付着していない点についての項で検討したとおり、B1の胴巻から金員を強奪
したという請求人の自白内容には数々の疑点があること前記のとおりであり、他に
足跡の面からみても、また、請求人の自供する賍金の使途の面からの解明という点
からみても、請求人の金員強奪の自白を裏打ちするものがなく、他に補強証拠はな
い。胴巻以外の所から奪取したとみられる証拠もない。してみれば、請求人が当時
金員に窮しており遊興費を欲していても、また、請求人の費消した金員の調達先の
証明を請求人自身十分できなくても、また、請求人がB1の胴巻からの金員強取を
自白していても、右自白自体を再評価すると、請求人がB1よりその胴巻からはも
ち論、その他の所からも、金員を強奪したものであると認定するわけにはいかない
のである。
 このようにみてくると、被害者の胴巻から金員を奪取したとの請求人の自白には
その信用性に疑いを抱かざるをえず、また被害者B1が金員の被害に遭つたとの罪
体自体についての補強証拠も極めて弱くいわば無きに等しいのであつて、そうして
みると、本件新旧証拠を総合すると、本件を請求人による金員を奮取した上での強
盗殺人罪と認定するには合理的な疑いが存するものである。
 検察官は抗告理由において、請求人の自白には自白の真実性の吟味にたええる秘
密性をもつ具体的事実についての自白があるとして、いわゆる二度突きの自白を挙
げ、更に国防色ズボンの右脚前面に血痕が付着していたという犯人しか知りえない
秘密性をもつ具体的事実を捜査官が知る前に請求人が自白していると主張する。確
かに、最高裁決定が二度突きにつき指摘するとおり、犯人ならではの自白は、犯行
を認定するにつき重大な意義を持ち、請求人の有罪認定に関し有力な証拠となりえ
るものである。しかし、二度突きは殺人そのものに関することだけに、最高裁決定
のいう右の点は殺人罪につき、特にあてはまるが、金員奪取の事実には直接関連し
た供述ではない。請求人の二度突きの自白が犯人ならではの秘密に関する自白であ
つたとしても、罪体自体についての補強証拠が弱いばかりか、最高裁決定が、それ
が解明されない限り被害者の胴巻から一万三千円を奪取したとして強盗殺人の罪に
問われている請求人の自白の信用性について疑いを抱かざるをえないとまで評す
る、前記胴巻に血痕が付着していない点を始め、幾多の疑点がある、金員奪取の事
実まで、認定させるに足るものではない。また、請求人が国防色ズボンの右脚前面
に血液が付着しているという犯人しか知りえない事実を自白しているという点につ
いても、そもそも国防色ズボンにあつた本件六個の斑痕が本件事犯時に被害者B1
の血液が付着したことによつて生じたものと認めるには合理的疑いが多々あること
前記のとおりであり右斑痕が本件事犯に関係あるものとは到底認め難いから、請求
人の自白の中に国防色ズボン付着の右斑痕に照応する供述があると解したとして
も、そもそも本件事犯とは無関係であつて、同供述が本件事犯に関し自白の真実性
の吟味にたええる秘密性をもつ具体的事実についての供述である、ということはで
きない。
 また、原決定は手記の筆跡について何の判断も示していない。しかし、仮にこの
手記の筆跡が請求人のそれであつても、上記の疑点を解明するに足るものや補強証
拠を強化するものでなく、これまでの検討経過に鑑み、右結論を変えしむるもので
はない。
 3 しかし、ここでなお、考慮を要することがある。それは以上の検討だけで無
罪を言渡すべきことが明らかであるとは直ちには言えない、ということである。上
記した本確定判決に対する合理的疑いは着衣の外はすべて金員奪取にかかる点のみ
である。同様の疑念を抱いた最高裁判所もその最高裁決定において、「被害者の胴
巻から一万三千円を奪取したとして強盗殺人の罪に問われている申立人の自白の信
用性について疑いを抱かざるをえない。」としているのは同旨であろうと思われ
る。金員奪取を除くその余の事実は如何か。強盗殺人罪に問えなくても他の罪が成
立するならば、直ちに無罪を言渡すべきことが明らかな場合であるとはいえない。
ただ、刑訴法四三五条六号にいう、「原判決の認めた罪より軽い罪を認めるべき場
合」に該るか否か等、別の問題となるだけである。確定判決のうち金員奪取の点を
除くと、強盗は未遂としての強盗殺人罪、あるいは殺人罪、の成否が問題になると
考えられる。
 (イ) 先ず、強盗の点は未遂としての強盗殺人罪についてみてみよう。請求人
の捜査段階の自白では、金員強取の目的であつた、と供述している。金員強奪の目
的が存在した疑いがないわけではない。しかし、金員を奪取し終えたと認定するに
は合理的疑いのあること既に検討したとおりである。それなら何故物色した跡がな
いのだろうか。司法警察員作成の前記昭和二五年三月一日付検証調書によると、被
害者の枕許付近において幾分取混ぜた形跡が認められる、というが、それ以上具体
的記述がなく、これも物色した跡であると直ちには認め難い。箪笥も物色された跡
がないというし、胴巻にも一〇〇円近い金員が入つたまま釣柄に掛つていたという
のである。やはり強盗殺人罪の構成要件としての金員強奪の目的があると証拠上認
められ、それが未遂に終つたのであると証拠に基づき認定するには、この点に関す
る請求人の自白があつても、本件新証拠によつて請求人の自白の再評価を要するこ
ととなつた以上、困難である。金員強奪未遂としての強盗殺人罪とするわけにはい
かないのである。
 (ロ) 次に殺人罪の点について検討してみよう。
 本件を殺人罪に限つてみれば、A7作成の鑑定書や司法警察員作成の昭和二五年
三月一日付検証調書をはじめ罪体自体の補強証拠は十分あること等、これまで検討
してきた金員奪取の点とは様相を異にするものがあるが、一面前記のとおり確定判
決を支える有力な証拠の一角であつた国防色ズボン、A1第一鑑定、A5鑑定第五
項を本件事犯に採証できなくなつたし、また本件新証拠によつて請求人の自白中金
員奪取の点につき合理的疑いが出てきたということは、ますます一連の自白の一部
である殺人に関する部分についても再検討を要することにもなつたのである。
 検察官は、請求人の二度突きの供述を自白の真実性の吟味にたええる秘密性をも
つ具体的事実についての自白であると主張するが、再一審における証人F5、同F
6の各証言により請求人の二度突きの自白が犯人ならではの秘密性を持つ事実の自
白とするには疑問のあること既に最高裁決定の指摘するところである。この点に関
し原審は、検察官の求めにより当時の捜査員の一人であつた巡査部長F6を証人と
して取調べこれを同人の従前の証言等の各証拠や、「(二)a村強盗殺人事件捜査
書類捜査課」と題する綴中の捜査状況報告控等に対比し、なお、原審の証言は措信
できないとし、加えて、右捜査状況報告控等をもつて最高裁決定のいう請求人のい
わゆる二度突きの自白を犯人ならではの秘密の事実の自白とすることに対する疑惑
を更に決定的に深めるものであるとし、これをも刑訴法四三五条六号所定の無罪を
言い渡すべき新規かつ明白な証拠であるとしている。これに対し検察官は抗告理由
において厳しく原審のこの見解を非難したうえ、更に当審において、請求人のいわ
ゆる二度突きに関する事実は請求人の自白するまで捜査官の知らなかつたところで
あり、考え及ばなかつたところである、とする立証趣旨の書証を多数提出してき
た。しかし、これら書証を事実取調の対象にすることは弁護人らの強く異議をとな
えているところである。しかも、すべて、検察官に対する供述調書であり、公判に
なつてもこれらを証拠とすることの同意が相手側から得られる見通しも今のところ
立つておらず、証拠価値ばかりでなく、証拠能力の程も定かではない。もつと事実
の取調をしないと、いわゆる二度突きの自白が犯人ならではの秘密の事実の自白に
該当するか否か、にわかに決し難いものがある。
 しかし、飜つて考えると、強盗殺人とするには合理的疑いのあること前記のとお
りである。してみれば、殺人についても合理的疑いがあれば無罪を言い渡すべきこ
とが明らかであるとして再審を開始すべきだろうが、殺人のみが認まつたところ
で、確定判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき場合に該るというだけで、
同一事件について再審を開始すべきことに変りはない。もつとも、この点両者の法
定刑中最高刑がいずれも死刑であるので法律論上疑問が出ないわけではない。しか
し、刑訴法四三五条六号にいう原判決において認めた罪より軽い罪とは、その法定
刑の軽い犯罪類型をさすと解すべきところ、強盗殺人罪の法定刑は死刑又は無期懲
役刑であるに対し、殺人罪の法定刑は死刑又は無期若くは三年以上の懲役である。
この場合刑法施行法三条三項との関係や刑法五四条一項等における取扱との比較の
関係で、疑義がないわけではないが、刑訴法四三五条六号の前記の場合は、刑法五
四条一項の場合と異なつて、軽きを定めるのであり、重きを定めそれによつて処断
するのではない。また、刑訴法四三五条六号の場合は法定刑の比較だけの問題で、
刑法五四条一項の場合のように同法一〇条三項により犯情の軽重により決する、と
いうことも問題にならない。したがつて選択刑をも配慮して軽きものを適用する刑
法六条の新旧比照の場合の方が参考となる(大審院昭和五年一二月<要旨第二>八日
判決・大審院刑事判例集九巻八五八頁参照)。本件において、法定刑中死刑又は無
期懲役刑は両者同じであるが、殺人罪にはその他に選択刑として強盗殺
人罪にはない三年以上の有期懲役刑が定められているので、刑訴法四三五条六号で
「原判決で認めた罪より軽い罪を認めるべき」場合に再審を開始するとの趣旨及び
刑法一〇条の精神よりみて、刑法施行法三条三項にもかかわらず、強盗殺人罪より
も殺人罪の方が刑訴法四三五条六号にいう軽い罪であると考える。したがつて殺人
罪のみを認めるべき場合であるとしても、前記のように強盗殺人罪とするには合理
的疑いがある本件においては、再審を開始せねばならぬことには変りはない。いず
れにせよ、本件新証拠は再審を開始すべき明白性を有する証拠である。
 してみれば、これ以上当裁判所で殺人の点について考究を続ける要はない。これ
以上は、決定手続で再審を開始すべきか否かの決定をすべき責務を負う再審請求受
理裁判所が、ましてや抗告審である当裁判所が、せねばならぬところではない。当
裁判所としては既にその責務を終えたものと考える。
 六 結語
 してみれば、その余の検察官の抗告理由に対し判断するまでもなく、洗濯に関す
るA3鑑定は同A6鑑定、A1・A2回答書を総合すれば、刑訴法四三五条六号の
新規明白な証拠であつて、再審を開始すべきであり、原決定と相当理由を異にする
が、原審が再審開始決定をしたのは結局相当であつて、これを是認することができ
る。
 よつて、検察官の抗告はその理由がないのでこれを棄却することとし、刑訴法四
二六条一項後段により、主文のとおり決定する。
 (裁判長裁判官 伊東正七郎 裁判官 川上美明 裁判官 川波利明)
(別 紙)
<記載内容は末尾6添付>

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