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平成17年10月25日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成16年(行ウ)第370号(第1事件),同年(行ウ)第525号(第2事件),平成17年
(行ウ)第57号(第3事件)ハンセン病補償金不支給決定取消請求事件
口頭弁論終結日 平成17年7月19日
判決
第1事件原告       別紙原告目録(一)記載のとおり
第2事件原告       別紙原告目録(二)記載のとおり
第3事件原告       別紙原告目録(三)記載のとおり
(以下第1ないし第3事件原告らを併せて単に「原告ら」ともいう。)
原告ら訴訟代理人弁護士  別紙原告ら訴訟代理人目録記載のとおり
東京都千代田区霞が関一丁目2番2号
第1ないし第3事件被告(以下単に「被告」という。)
                  厚生労働大臣
                  尾辻秀久
被告指定代理人   別紙被告指定代理人目録記載のとおり
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請 求
(第1事件)
  被告が第1事件原告らに対し平成16年8月16日付けでしたハンセン病療養所入
所者等に対する補償金を支給しない旨の決定をいずれも取り消す。
(第2事件)
  被告が第2事件原告らに対し平成16年10月22日付けでしたハンセン病療養所
入所者等に対する補償金を支給しない旨の決定をいずれも取り消す。
(第3事件)
  被告が第3事件原告らに対し平成17年1月14日付けでしたハンセン病療養所入
所者等に対する補償金を支給しない旨の決定をいずれも取り消す。
第2 事案の概要
  本件は,戦前の日本統治下における朝鮮に設置されたハンセン病療養所である
「小鹿島更生園」(以下「本件療養所」という。)に入所していた原告らが,被告に対
し,「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」(平成13
年6月22日法律第63号。以下「ハンセン病補償法」という。)に基づく補償金の支
給を請求したところ,いずれも被告から,ハンセン病補償法の適用対象である同法
2条の「国立ハンセン病療養所等」への入所の事実が確認できないとして,補償金
を支給しない旨の決定(以下「本件不支給決定」という。)を受けたため,被告が本
件療養所を「国立ハンセン病療養所等」に該当しないとした判断は誤りであり,本
件不支給決定は違法であると主張して,その取消しを求める事案である。
1 法令等の定め
  ハンセン病補償法,これに基づいて制定された後記の厚生労働省告示及び同法
施行規則には次のような定めがある。
(1) ハンセン病補償法(6条ないし11条は省略)
 (前文)
  ハンセン病の患者は,これまで,偏見と差別の中で多大の苦痛と苦難を強いら
れてきた。我が国においては,昭和二十八年制定の「らい予防法」においても引
き続きハンセン病の患者に対する隔離政策がとられ,加えて,昭和三十年代に
至ってハンセン病に対するそれまでの認識の誤りが明白となったにもかかわら
ず,なお,依然としてハンセン病に対する誤った認識が改められることなく,隔離
政策の変更も行われることなく,ハンセン病の患者であった者等にいたずらに耐
え難い苦痛と苦難を継続せしめるままに経過し,ようやく「らい予防法の廃止に
関する法律」が施行されたのは平成八年であった。
  我らは,これらの悲惨な事実を悔悟と反省の念を込めて深刻に受け止め,深く
おわびするとともに,ハンセン病の患者であった者等に対するいわれのない偏見
を根絶する決意を新たにするものである。
  ここに,ハンセン病の患者であった者等のいやし難い心身の傷跡の回復と今後
の生活の平穏に資することを希求して,ハンセン病療養所入所者等がこれまで
に被った精神的苦痛を慰謝するとともに,ハンセン病の患者であった者等の名
誉の回復及び福祉の増進を図り,あわせて,死没者に対する追悼の意を表する
ため,この法律を制定する。
 (趣旨)
第一条 この法律は,ハンセン病療養所入所者等の被った精神的苦痛を慰謝す
るための補償金(以下「補償金」という。)の支給に関し必要な事項を定めると
ともに,ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復等について定めるもの
とする。
 (定義)
第二条 この法律において,「ハンセン病療養所入所者等」とは,らい予防法の
廃止に関する法律(平成八年法律第二十八号。以下「廃止法」という。)により
らい予防法(昭和二十八年法律第二百十四号)が廃止されるまでの間に,国
立ハンセン病療養所(廃止法第一条の規定による廃止前のらい予防法第十
一条の規定により国が設置したらい療養所をいう。)その他の厚生労働大臣
が定めるハンセン病療養所(以下「国立ハンセン病療養所等」という。)に入所
していた者であって,この法律の施行の日(以下「施行日」という。)において生
存しているものをいう。
 (補償金の支給)
第三条 国は,ハンセン病療養所入所者等に対し,その者の請求により,補償
金を支給する。
 (請求の期限)
第四条 補償金の支給の請求は,施行日から起算して五年以内に行わなけれ
ばならない。
2 前項の期間内に補償金の支給の請求をしなかった者には,補償金を支給し
ない。
 (補償金の額)
第五条 補償金の額は,次の各号に掲げるハンセン病療養所入所者等の区分
に従い,当該各号に掲げる額とする。
一 昭和三十五年十二月三十一日までに,初めて国立ハンセン病療養所等
に入所した者 千四百万円
二 昭和三十六年一月一日から昭和三十九年十二月三十一日までの間に,
初めて国立ハンセン病療養所等に入所した者 千二百万円
三 昭和四十年一月一日から昭和四十七年十二月三十一日までの間に,初
めて国立ハンセン病療養所等に入所した者 千万円
四 昭和四十八年一月一日から平成八年三月三十一日までの間に,初めて
国立ハンセン病療養所等に入所した者 八百万円
2 前項の規定にかかわらず,同項第一号から第三号までに掲げる者であって,
昭和三十五年一月一日から昭和四十九年十二月三十一日までの間に国立
ハンセン病療養所等から退所していたことがあるものに支給する補償金の額
は,次の表の上欄に掲げるハンセン病療養所入所者等の区分及び同表の中
欄に掲げる退所期間(昭和三十五年一月一日から昭和四十九年十二月三十
一日までの間に国立ハンセン病療養所等から退所していた期間を合計した期
間をいう。以下同じ。)に応じ,それぞれ,同表の下欄に掲げる額を同項第一
号から第三号までに掲げる額から控除した額とする。
ハンセン病療養所入所
者等の区分
退所期間額
前項第一号に掲げる者二十四月以上百二十月未満二百万円
百二十月以上二百十六月未満四百万円
二百十六月以上六百万円
前項第二号に掲げる者二十四月以上百二十月未満二百万円
百二十月以上四百万円
前項第三号に掲げる者二十四月以上二百万円
3 退所期間
の計算は,
退所した日
の属する月
の翌月から
改めて入所
した日の属
する月の前
月までの月
数による。
4 昭和三十五年一月一日から昭和三十九年十二月三十一日までの間の退所
期間の月数については,前項の規定により計算した退所期間の月数に二を乗
じて得た月数とする。
 (厚生労働省令への委任)
第十二条 この法律に定めるもののほか,補償金の支給の手続その他の必要
な事項は,厚生労働省令で定める。
   附 則
 この法律は,公布の日から施行する。
(2) 「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律第二条
の規定に基づき厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所」(平成13年6月22
日号外厚生労働省告示第224号。以下「厚労省告示」という。)
ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律第二
条の規定に基づき厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所
  ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律(平成十三
年法律第六十三号)第二条の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所は,次
のとおりとする。
一 明治四十年法(昭和二十八年法(らい予防法の廃止に関する法律(平成八
年法律第二十八号)第一条の規定による廃止前のらい予防法(昭和二十八年
法律第二百十四号)をいう。以下同じ。)附則第二項の規定による廃止前の癩
予防法(明治四十年法律第十一号)をいう。以下同じ。)第三条第一項の国立
癩療養所及び第四条第一項の規定により二以上の道府県が設置した療養所
二 前号の国立癩療養所と同視することが相当と認められる次に掲げるハンセ
ン病療養所
イ 明治四十年法律第十一号中改正法律(昭和六年法律第五十八号)が施
行されるまでの間における国立癩療養所長島愛生園
ロ 国に移管されるまでの間における沖縄県立国頭愛楽園及び沖縄県立宮
古保養院
ハ 千九百四十五年米国海軍軍政府布告第一号及び千九百四十五年米国
海軍軍政府布告第一のA号の規定により施行を持続することとされた明治
四十年法第三条第一項の国立癩療養所
三 昭和二十八年法第十一条の規定により国が設置したらい療養所
四 ハンセン氏病予防法(千九百六十一年立法第百十九号)第十四条の規定に
より琉球政府が設置したハンセン氏病療養所及び琉球政府が指定した政府
立病院
五 次の表に掲げる私立のハンセン病療養所(平成八年三月三十一日までの間
又は当該療養所を廃止するまでの間に名称の変更があった場合には当該変
更後の名称のもの及び当該ハンセン病療養所の事業を承継したハンセン病
療養所があった場合には当該事業を承継したものを含む。)
設置時の名称設置された都道府県
鈴蘭病院群馬県
聖バルナバ医院群馬県
慰廃園東京府
起廃病院東京府
衆済病院東京府
身延深敬病院山梨県
回天病院岐阜県
復生病院静岡県
明石叢生院兵庫県
深敬病院九州分院福岡県
回春病院熊本県
待労院熊本県
(3) 「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律施行規
則」(平成13年6月22日厚生労働省令第133号。以下「ハンセン病補償法施行
規則」という。)
  厚生労働大臣は,補償金の支給請求書を受理したときは,これを審査し,補償
金の支給の可否及び支給する場合における補償金の額を決定し,これらを請求
者に通知しなければならない(3条),などの規定がある。
2 前提となる事実(証拠の付記のない部分は当事者間に争いがない。)
(1) ハンセン病の概要
  ハンセン病は,抗酸菌の一種である「らい菌」によって引き起こされる慢性の細
菌感染症であり,かつて「癩(らい)」とも呼ばれてきた。主として末梢神経と皮膚
が侵される疾患で,慢性に経過する。
  らい菌の毒力は極めて弱く,ほとんどの人に対して病原性を持たないため,人
の体内にらい菌が侵入し感染しても,発病することは極めてまれである。
  ハンセン病の本格的な薬物療法は,昭和18年,アメリカでのプロミンの有効性
についての報告に始まる。その後,らい菌に対して強い殺菌力を持つ薬物が相
次いで発見され,現在では,ハンセン病は,早期発見と早期治療により,障害を
残すことなく,外来治療によって完治する病気となっている。
(2) 戦前の我が国におけるハンセン病に関する法制及び療養所設置の状況等
ア 内地における状況
(ア) 明治40年3月19日,「癩予防ニ関スル件」(法律第11号。以下昭和6年
法律第58号による改正前のものを「明治40年法」という。)が公布され(明
治42年4月1日施行),次のように規定された。(乙2)
3条1項 癩患者ニシテ療養ノ途ヲ有セス且救護者ナキモノハ行政官庁
ニ於テ命令ノ定ムル所ニ従ヒ療養所ニ入ラシメ之ヲ救護スヘシ但シ適
当ト認ムルトキハ扶養義務者ヲシテ患者ヲ引取ラシムヘシ
4条1項 主務大臣ハ二以上ノ道府県ヲ指定シ其ノ道府県内ニ於ケル前
条ノ患者ヲ収容スル為必要ナル療養所ノ設置ヲ命スルコトヲ得
(イ) 明治40年7月22日,内務省令第20号が発布され(明治42年4月1日
施行),道府県は,次の区域により,その区域内における癩患者を入所させ
るため必要な療養所を設置すべきこととされた。(甲23)
第一区域(療養所の設立地は東京府下)
 東京府(伊豆七島,小笠原島を除く。),神奈川県,新潟県,埼玉県,群
馬県,千葉県,茨城県,栃木県,愛知県,静岡県,山梨県,長野県
第二区域(療養所の設立地は青森県下)
 北海道,宮城県,岩手県,青森県,福島県,山形県,秋田県
第三区域(療養所の設立地は大阪府下)
 京都府,大阪府,兵庫県,奈良県,三重県,岐阜県,滋賀県,福井県,
石川県,富山県,鳥取県,和歌山県
第四区域(療養所の設立地は香川県下)
 島根県,岡山県,広島県,山口県,徳島県,香川県,愛媛県,高知県
第五区域(療養所の設立地は熊本県下)
 長崎県,福岡県,大分県,佐賀県,熊本県,宮崎県,鹿児島県(明治4
3年内務省令第1号により,沖縄県を追加。甲24)
(ウ) 明治40年内務省令第20号に基づき,次の5つの道府県連合立療養所
が設立された。(甲54)
 第一区全生病院(後の国立癩療養所多磨全生園)
 第二区北部保養院(後の国立癩療養所松丘保養園)
 第三区外島保養院(後の国立癩療養所邑久光明園)
 第四区大島療養所(後の国立癩療養所大島青松園)
 第五区九州療養所(後の国立癩療養所菊池恵楓園)
(エ) 昭和2年10月11日,「国立癩療養所官制」(勅令第308号)が公布され
(同日施行),次のように規定された。(甲13,乙13)
1条 国立癩療養所ハ内務大臣ノ管理ニ属シ癩患者ノ救護及療養ニ関ス
ルコトヲ掌ル
(オ) 昭和5年11月20日,岡山県邑久郡裳掛村長島に国立癩療養所が開設
された。(甲57)
(カ) 昭和6年2月24日,「国立癩療養所官制中改正ノ件」(勅令第11号)が
公布され(同日施行),国立癩療養所官制に次の規定が加えられた。(甲2
5,乙14)
9条 国立癩療養所ノ名称ハ内務大臣之ヲ定ム
(キ) 昭和6年3月3日,内務大臣は,内務省告示第29号をもって,「岡山県
邑久郡裳掛村ニ設置セル国立癩療養所ノ名称」を次のとおり定めた。(甲2
8,乙17)
 長島愛生園
(ク) 昭和6年3月9日,宮古群島の平良町島尻に沖縄県として最初のハンセ
ン病施設である次の施設が開設された。(甲54)
 沖縄県立宮古保養院(後の臨時国立癩療養所宮古療養所)
(ケ) 昭和6年4月2日,「明治四十年法律第十一号中改正法律」(法律第58
号)が公布され(昭和6年8月1日施行),明治40年法に「癩予防法」という
題名が付されるとともに,3条1項等が改正されて次のとおりの規定となっ
た(なお,4条1項は改正されなかった。)(以下昭和6年法律第58号による
改正後の「癩予防法」を「昭和6年法」という。)。(乙6)
3条1項 行政官庁ハ癩予防上必要ト認ムルトキハ命令ノ定ムル所ニ従
ヒ癩患者ニシテ病毒伝播ノ虞アルモノヲ国立癩療養所又ハ第四条ノ規
定ニ依リ設置スル療養所ニ入所セシムベシ
4条1項 主務大臣ハ二以上ノ道府県ヲ指定シ其ノ道府県内ニ於ケル前
条ノ患者ヲ収容スル為必要ナル療養所ノ設置ヲ命スルコトヲ得
(コ) 昭和7年10月6日,「国立癩療養所官制中改正ノ件」(勅令第301号)が
公布され(同日施行),国立癩療養所官制9条が改正されて次のとおりとな
った。(甲26)
9条 国立癩療養所ノ名称及位置ハ内務大臣之ヲ定ム
(サ) 昭和7年10月6日,内務大臣は,内務省告示第258号をもって,「群馬
県吾妻郡草津町ニ設置セル国立癩療養所ノ名称」を次のとおり定めた。(甲
29,乙18)
 栗生楽泉園
(シ) 昭和8年9月27日,「沖縄県振興事務ニ従事セシムル為沖縄県ニ臨時
職員増置ノ件」(勅令第253号)が公布され(同日施行),次のように規定さ
れた。(甲30,乙22)
2条1項 沖縄県管内ニ臨時ニ国立癩療養所ヲ置ク
2条2項 前項ノ療養所ハ沖縄県知事ノ管理ニ属シ癩患者ノ救護及療養
ニ関スルコトヲ掌ル
4条 第二条ノ療養所ノ名称及位置ハ沖縄県知事之ヲ定ム
(ス) 昭和8年10月6日,沖縄県知事は,沖縄県告示第251号をもって,「沖
縄県宮古郡平良町ニ設置セル臨時国立癩療養所ノ名称」を次のとおり定め
た。(甲79)
 宮古療養所(後の宮古南静園)
(セ) 昭和10年5月20日,内務大臣は,内務省告示第342号をもって,「鹿
児島県ニ設置セル国立癩療養所ノ名称及位置」を次のとおり定めた。(甲3
2,乙19)
 星塚敬愛園  鹿児島県肝属郡大姶良村
(ソ) 昭和11年8月29日,「庁府県臨時職員等設置制」(勅令第285号)が公
布され(同年9月1日施行),次のように規定された(昭和8年勅令第253号
は廃止された。)。(甲31)
3条2項 沖縄県管内ニ臨時ニ国立癩療養所ヲ置ク沖縄県知事ノ管理ニ
属シ癩患者ノ救護及療養ニ関スルコトヲ掌ル
3条3項 前項ノ療養所ノ名称及位置ハ沖縄県知事之ヲ定ム
(タ) 昭和13年1月11日,「厚生省官制」(勅令第7号)及び「厚生省官制及保
険院官制制定ニ際シ栄養研究所官制其ノ他ノ勅令中改正ノ件」(勅令第20
号)が公布され(いずれも同日施行),国立癩療養所官制の規定中の「内務
大臣」が「厚生大臣」に改められて,次のとおりとなった。(甲27,乙15,乙
16)。
1条 国立癩療養所ハ厚生大臣ノ管理ニ属シ癩患者ノ救護及療養ニ関ス
ルコトヲ掌ル
9条 国立癩療養所ノ名称及位置ハ厚生大臣之ヲ定ム
(チ) 昭和13年2月28日,沖縄県知事は,沖縄県告示第53号をもって,「沖
縄県国頭郡羽地村ニ国立癩療養所ヲ設置」し,その名称を次のとおり定め
た(同年11月10日開設)。(甲54,甲78,乙49)
 国頭愛楽園
(ツ) 昭和13年4月1日,厚生大臣は,厚生省告示第29号をもって,「宮城県
ニ設置スル国立癩療養所ノ名称及位置」を次のとおり定めた。(甲33,乙2
0)
 東北新生園  宮城県登米郡新田村
(テ) 昭和14年7月15日,「軍事保護院官制」(勅令第479号)が公布され
(同日施行),厚生大臣の管理に属する「軍事保護院」が創設されるとともに
(1条),同令中に次のとおりの規定が置かれた。(甲36,乙24)
5条1項 厚生大臣ハ傷痍軍人ノ療養又ハ職業保護ニ関スル院務ノ一部
ヲ分掌セシムル為療養所又ハ職業補導所ヲ設クルコトヲ得其ノ名称及
位置ハ厚生大臣之ヲ定ム
(ト) 昭和16年6月28日,厚生大臣は,厚生省告示第269号をもって,「国立
癩療養所ノ名称及位置」を次のとおりとし,同年7月1日からこれを施行する
ことを定めた。(甲34,乙21)
 多磨全生園  東京府北多摩郡東村山村
 松丘保養園  青森県東津軽郡新城村
 邑久光明園  岡山県邑久郡裳掛村
(昭和9年9月21日関西大風水害のため壊滅した第三区外島保養院が
岡山県邑久郡裳掛村長島に「邑久光明園」として復旧していた。甲5
7)
 大島青松園  香川県木田郡庵治村
 菊池恵楓園  熊本県菊池郡合志村
 国頭愛楽園  沖縄県国頭郡羽地村
 宮古南静園  沖縄県宮古郡平良町
(ナ) 昭和18年4月5日,厚生大臣は,厚生省告示第138号をもって,「国立
癩療養所官制第九条ノ規定ニ依ル国立癩療養所ノ名称及位置」を次のとお
り定めた。(甲35,乙23)
 奄美和光園  鹿児島県大島郡三方村
(ニ) 昭和19年12月15日,厚生大臣は,厚生省告示第111号をもって,「軍
事保護院官制第五条ノ規定ニ依ル療養所ノ名称及位置」を次のとおり定め
た。(甲37,乙25)
 傷痍軍人駿河療養所  静岡県駿東郡富士岡村
(ヌ) 傷痍軍人駿河療養所は,昭和20年6月10日,名古屋陸軍病院から傷
病兵であるハンセン病患者1名を転送して開所された。(乙27)
イ 日本統治下の台湾における状況
(ア) 台湾は,明治28年4月,日清戦争の講和条約により,清国から割譲を
受けて我が国の領有に帰したものであり,同年5月,政府は総督府仮条例
を発布して台湾総督を任命し,以後,昭和20年8月まで,台湾総督による
統治が行われた。(甲64)
(イ) 大正10年3月15日,「台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」(法律第3
号)が公布され(大正11年1月1日施行),次のように規定された。(乙30,
乙32)
1条1項 法律ノ全部又ハ一部ヲ台湾ニ施行スルヲ要スルモノハ勅令ヲ
以テ之ヲ定ム
1条2項 前項ノ場合ニ於テ官庁又ハ公署ノ職権,法律上ノ期間其ノ他ノ
事項ニ関シ台湾特殊ノ事情ニ因リ特例ヲ設クル必要アルモノニ付テハ
勅令ヲ以テ別段ノ規定ヲ為スコトヲ得
2条 台湾ニ於テ法律ヲ要スル事項ニシテ施行スヘキ法律ナキモノ又ハ
前条ノ規定ニ依リ難キモノニ関シテハ台湾特殊ノ事情ニ因リ必要アル
場合ニ限リ台湾総督ノ命令ヲ以テ之ヲ規定スルコトヲ得
3条 前条ノ命令ハ主務大臣ヲ経テ勅裁ヲ請フヘシ
5条 本法ニ依リ台湾総督ノ発シタル命令ハ台湾ニ行ハルル法律及勅令
ニ違反スルコトヲ得ス
(ウ) 大正11年12月29日,「質屋取締法外十六件施行ニ関スル件」(勅令第
521号。後に「行政諸法台湾施行令」という題名が付された。)が公布され
(大正12年1月1日施行),質屋取締法ほか16の法律が台湾に施行される
こととなった。(甲67)
(エ) 昭和5年9月29日,「台湾総督府癩療養所官制」(勅令第183号)が公
布され(同年10月1日施行),次のように規定された。(甲58,乙34)
1条 台湾総督府癩療養所ハ台湾総督ノ管理ニ属シ癩患者ノ救護及療
養ニ関スルコトヲ掌ル
9条 癩療養所ノ名称及位置ハ台湾総督之ヲ定ム
(オ) 昭和5年11月24日,台湾総督は,台湾総督府告示第102号をもって,
「台湾総督府癩療養所ノ名称及位置」を次のとおり定めた。(甲59,乙35)
 楽生院  台北州新荘郡新荘街頂坡角
(カ) 昭和9年6月16日,「行政諸法台湾施行令中改正ノ件」(勅令第164号)
が公布され(同年10月1日施行),台湾に施行される法律に「癩予防法」
(昭和6年法)が加えられるとともに,同令に次のとおりの規定が置かれた。
(甲66,乙36)
32条 癩予防法中道府県トア…(中略)…ルハ州…(中略)…ト(ス)
(キ) 昭和9年10月4日,「癩予防法施行規則」(台湾総督府令第66号)が公
布され(同年10月1日施行),次のように規定された。(甲68,乙37)
3条1項 癩患者ニシテ病毒伝播ノ虞アルモノアルトキハ郡守,支庁長,
警察署長又ハ警察分署長ハ患者ノ所在,環境及病状等ヲ具シ知事又
ハ庁長ニ報告スベシ
3条2項 知事又ハ庁長ハ前項ノ報告ヲ受ケタル場合ニ於テ癩予防上必
要アリト認ムルトキハ療養所ニ照会ヲ経タル上送致ノ手続ヲ為スベシ
4条 前条ノ規定ニ依リ癩患者ヲ入ラシムベキ療養所ハ患者所在地ノ州
庁ノ療養所又ハ国立癩療養所トス但シ療養所管理者ノ協議ニ依リ之ヲ
変更スルコトヲ得
5条1項 療養所ノ長ハ病毒伝播ノ虞アル癩患者ニシテ直接入所ヲ申出
デタルモノアルトキハ特ニ必要アリト認ムル場合ニ限リ第三条ノ規定ニ
拘ラズ之ヲ直ニ収容スルコトヲ得
5条2項 前項ノ規定ニ依リ収容シタル場合ニ於テハ療養所ノ長ハ国立
癩療養所ニ在リテハ台湾総督,州庁ノ療養所ニ在リテハ管理者タル知
事又ハ庁長ノ承認ヲ求ムルコトヲ要ス
ウ 日本統治下の朝鮮における状況
(ア) 日本は,明治39年の初めから韓国の京城に統監府を設置し,保護条約
に基づき韓国の内地外交を指揮し,韓国からその司法権・刑罰権及び次い
で警察権を委任されてからは,その委任の範囲内において韓国に代わって
その統治権を行使していたが,明治43年8月に韓国を併合し,その名称を
改めて「朝鮮」と称するようになってから後は,統監府を廃して新たに朝鮮
総督府を置き,以後,昭和20年8月まで,朝鮮総督による統治を行った。
(甲15,甲16,甲64)
(イ) 明治43年8月29日,「朝鮮総督府設置ニ関スル件」(勅令第319号)が
公布され(同日施行),次いで同年9月30日,「朝鮮総督府官制」(勅令第3
54号)が公布されたが(同年10月1日施行。勅令第319号は官立学校に
関するものを除き廃止された。),「朝鮮総督府官制」は,次のように規定し
ていた。(甲15,甲16)
1条1項 朝鮮総督府ニ朝鮮総督ヲ置ク
1条2項 総督ハ朝鮮ヲ管轄ス
3条1項 総督ハ天皇ニ直隷シ委任ノ範囲内ニ於テ陸海軍ヲ統率シ及朝
鮮防備ノ事ヲ掌ル
3条2項 総督ハ諸般ノ政務ヲ統括シ内閣総理大臣ヲ経テ上奏ヲ為シ及
裁可ヲ受ク
4条 総督ハ其ノ職権又ハ特別ノ委任ニ依リ朝鮮総督府令ヲ発…(中略)
…スルコトヲ得
(ウ) 明治43年8月29日,「朝鮮ニ施行スヘキ法令ニ関スル件」(勅令第324
号)が,次いで明治44年3月25日,「朝鮮ニ施行スヘキ法令ニ関スル法
律」(法律第30号)及び「明治四十三年勅令第三百二十四号ノ効力ヲ将来
ニ失ハシムルノ件」(勅令第30号)がそれぞれ公布されたが(いずれも公布
日施行),「朝鮮ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」は,次のように規定して
いた。(甲17,乙30)
1条 朝鮮ニ於テハ法律ヲ要スル事項ハ朝鮮総督ノ命令ヲ以テ之ヲ規定
スルコトヲ得
2条 前条ノ命令ハ内閣総理大臣ヲ経テ勅裁ヲ請フヘシ
4条 法律ノ全部又ハ一部ヲ朝鮮ニ施行スルヲ要スルモノハ勅令ヲ以テ
之ヲ定ム
5条 第一条ノ命令ハ第四条ニ依リ朝鮮ニ施行シタル法律及特ニ朝鮮ニ
施行スル目的ヲ以テ制定シタル法律及勅令ニ違背スルコトヲ得ス
6条 第一条ノ命令ハ制令ト称ス
(エ) 明治43年9月30日,「朝鮮総督府地方官官制」(勅令第357号)が公布
され(同年10月1日施行),朝鮮に13の道が置かれるとともに(1条),各道
に,疾病の診療に関することを掌り,兼ねて総督の指定により医師の養成
に関することを掌る機関として,慈恵医院が付置されることとなった(26
条)。(甲21)
(オ) 明治45年5月21日,朝鮮総督は,朝鮮総督府令第106号を公布し,朝
鮮総督府道慈恵医院の名称及び位置を定めた。(甲7)
(カ) 大正5年3月3日,朝鮮総督は,朝鮮総督府令第7号を公布し(同年2月
24日施行),明治45年朝鮮総督府令第106号中の朝鮮総督府道慈恵医
院の名称及び位置に,次の慈恵医院(本件療養所の前身)を加えた。(甲
7)
 全羅南道小鹿島慈恵医院  全羅南道小鹿島
(キ) 朝鮮総督府内務部長官が大正5年11月20日に各道警務部長に対して
発した「患者収容ニ関スル件」(内二第569号)には,次のとおりの記載が
ある。(甲9)
「癩患者療養ノ為新設ニ係ル全羅南道小鹿島慈恵医院ハ本年中落成シ明
春一月ヨリ患者ノ収容ヲ開始スヘキ見込ニ有之候処同院ハ経費ノ関係
上約百名内外ヲ収容シ得ルニ止マルヲ以テ全道ニ於ケル癩患者ヲ盡ク
収容スル能ハサル義ニ有之候ニ付先ツ重症患者ニシテ療養ノ途ヲ有セ
ス路傍又ハ市場等ヲ徘徊シ病毒伝播ノ虞アル者ニ限リ之ヲ収容致スコト
ト相成候」
(ク) 全羅南道小鹿島慈恵医院は,大正6年1月竣工し,同年4月から患者の
収容を開始した。同年末の収容者数は99名であったが,その後漸次増員
され,昭和4年末の収容者数は735名であった。(甲14)
  その後,昭和8年9月からは,3000人増収容計画のための第1期拡張事
業が開始され,同事業は,全羅南道小鹿島慈恵医院が朝鮮総督府癩療養
所小鹿島更生園(本件療養所)となった後の昭和10年9月に完成し,これ
により3770人の収容が可能となった。(甲72)
(ケ) 昭和9年9月15日,「朝鮮総督府癩療養所官制」(勅令第260号)が公
布され,次のように規定されるとともに,同日公布の「朝鮮総督府地方官官
制中改正ノ件」(勅令第261号)により,全羅南道小鹿島慈恵医院は廃止さ
れた(いずれも同年10月1日施行)。(乙3,乙4)
1条 朝鮮総督府癩療養所ハ朝鮮総督ノ管理ニ属シ癩患者ノ救護及療
養ニ関スルコトヲ掌ル
9条 癩療養所ノ名称及位置ハ朝鮮総督之ヲ定ム
(コ) 昭和9年10月16日,朝鮮総督は,朝鮮総督府令第98号を公布し(同年
10月1日施行),「朝鮮総督府癩療養所ノ名称及位置」を次のとおり定め
た。(乙5)
 小鹿島更生園  全羅南道高興郡錦山面小鹿里
(サ) 昭和10年5月9日,「朝鮮癩予防令」(制令第4号)が公布され(同年6月
1日施行),次のように規定された。(乙7)
5条 行政官庁ハ癩予防上必要アリト認ムルトキハ癩患者ヲ朝鮮総督府
癩療養所ニ入所セシムルコトヲ得
(シ) 昭和10年4月20日,「朝鮮癩予防令施行規則」(朝鮮総督府令第61
号)が公布された(同年6月1日施行)。(甲10)
(ス) 昭和11年以降,本件療養所では第2期,第3期の拡張工事が行われ,
昭和14年11月ころには,収容定員が5770人となった。(甲72)
(セ) 朝鮮総督府癩療養所としての本件療養所は,昭和20年8月の終戦時ま
で存続した。
(3) 戦後の我が国等におけるハンセン病に関する法制及び療養所設置の状況等
ア 日本復帰前の沖縄及び奄美群島における状況
(ア) 終戦後,沖縄及び奄美群島は米国の施政下に置かれたが,1945(昭
和20)年米国海軍軍政府布告第1号及び1945年米国海軍軍政府布告第
1のA号(以下これらを併せて「軍政府布告」という。)により,軍政府の職権
行使上必要を生じない限り,現行法規の施行を持続することとされたため,
昭和6年法が引き続き適用された。(甲4,甲5)
(イ) 昭和27年4月1日,琉球政府が発足したが,軍政府布告により引き続き
施行されていた昭和6年法は,琉球政府発足後も施行されていた。
(ウ) 昭和28年12月,奄美群島が日本に復帰した。
(エ) 昭和36(1961)年8月26日,琉球政府立法院が定めた「ハンセン氏病
予防法」(立法第119号)が公布され(同日施行),次のように規定されると
ともに,昭和6年法が廃止された。(甲81)
6条1項 行政主席は,ハンセン氏病を伝染させるおそれがある患者に
ついて,ハンセン氏病予防上必要があると認めるときは,当該患者又
はその保護者に対し,政府が設置するハンセン氏病療養所(以下「政
府立療養所」という。)又は行政主席が指定する政府立の病院(以下
「指定病院」という。)に入所若しくは入院し,又は入所若しくは入院さ
せるように勧奨することができる。
6条2項 行政主席は,前項の勧奨を受けた者がその勧奨に応じないと
きは,患者又はその保護者に対し,期限を定めて,政府立療養所又は
指定病院に入所若しくは入院し,又は入所若しくは入院させることを命
ずることができる。
6条3項 行政主席は,前項の命令を受けた者がその命令に従わないと
きは,その患者を政府立療養所又は指定病院に入所又は入院させる
ことができる。
7条1項 行政主席は,ハンセン氏病を伝染させるおそれがなくなつた患
者(以下「軽快者」という。)に対し,政府立療養所又は指定病院から退
所又は退院することを命ずることができる。
8条1項 行政主席は,ハンセン氏病を伝染させるおそれがない患者に
対し,予防上必要があると認めるときは,在宅のまま必要な措置を講
ずることができる。
14条 政府は,ハンセン氏病療養所を設置し,かつ,必要に応じ政府立
病院を指定し,患者に対して,必要な療養を行なう。
(オ) 昭和47年5月,沖縄が日本に復帰した。
イ 日本復帰前の沖縄及び奄美群島を除く我が国における状況
(ア) 我が国では,昭和20年8月の終戦後も,引き続き,昭和6年法が施行さ
れていた。
(イ) 昭和20年12月1日,「医療局官制」(勅令第691号)が公布され(同日
施行),厚生大臣の管理に属する「医療局」が創設されるとともに(1条),同
令中に次のとおりの規定が置かれ,傷痍軍人駿河療養所を含む51箇所の
傷痍軍人療養所が軍事保護院の所管から医療局の所管に移された。(甲4
0,乙26,乙27)
4条1項 厚生大臣ハ局務ノ一部ヲ分掌セシムル為病院,療養所又ハ保
育所ヲ設クルコトヲ得其ノ名称及位置ハ厚生大臣之ヲ定ム
(ウ) 昭和20年12月21日,厚生大臣は,厚生省告示第142号をもって,同
月1日に定めた「医療局官制第四条ノ規定ニ依ル療養所」51箇所の名称
及び位置を公示し,その中で傷痍軍人駿河療養所も次のとおりの名称及び
位置が指定された。(甲41,乙28)
 国立駿河療養所  静岡県駿東郡富士岡村
(エ) 昭和21年11月4日,「医療局官制の一部を改正する勅令」(勅令第51
4号)が公布され(同日施行),医療局官制4条1項が次のとおり改正される
とともに,国立癩療養所官制が廃止された。(甲42,乙29)
4条1項 厚生大臣ハ局務ノ一部ヲ分掌セシムル為病院又ハ療養所ヲ設
クルコトヲ得其ノ名称及位置ハ厚生大臣之ヲ定ム
(オ) 昭和21年11月5日,「厚生省官制等の一部を改正する勅令」(勅令第5
17号)が公布され(同日施行),厚生省官制に次のとおりの規定が置かれ
るとととに,医療局官制が廃止された。(甲43)
24条1項 厚生大臣ハ国ニ於テ医療ヲ為スヲ要スル患者ノ医療ニ関ス
ル事務ノ一部ヲ分掌セシムル為病院又ハ療養所ヲ設クルコトヲ得其ノ
名称及位置ハ厚生大臣之ヲ定ム
(カ) 昭和21年11月18日,厚生大臣は,厚生省告示第82号をもって,昭和
20年12月厚生省告示第142号(国立療養所の名称及び位置の件)に次
のように加え,昭和21年11月4日からこれを適用することを定め,また,昭
和21年11月18日,厚生大臣は,厚生省告示第83号をもって,昭和20年
12月厚生省告示第142号の本文中「医療局官制第四条」を「厚生省官制
第二十四条」に改め,昭和21年11月5日からこれを適用することを定め
た。(甲44,甲45)
 国立療養所長島愛生園  岡山県邑久郡裳掛村
 国立療養所栗生楽泉園  群馬県吾妻郡草津町
 国立療養所星塚敬愛園  鹿児島県鹿屋市
 国立療養所東北新生園  宮城県登米郡新田村
 国立療養所多摩全生園  東京都北多摩郡東村山町
 国立療養所松丘保養園  青森県東津軽郡新城村
 国立療養所邑久光明園  岡山県邑久郡裳掛村
 国立療養所大島青松園  香川県木田郡庵治村
 国立療養所菊池恵楓園  熊本県菊池郡合志村
(キ) 昭和24年5月31日,「厚生省設置法」(法律第151号)が公布され(同
年6月1日施行),厚生省の附属機関として国立療養所を置くことが定めら
れ(15条),次のとおり規定されるとともに,厚生省官制が廃止された。(甲
48)
22条1項 国立療養所は,特殊の療養を要する者に対して,医療を行
い,あわせて医療の向上に寄与する機関とする。
22条2項 国立療養所の名称,位置及び内部組織は,厚生省令で定め
る。
(ク) 昭和24年6月1日,「国家行政組織法(昭和二十三年法律第百二十号)
及び厚生省設置法(昭和二十四年法律第百五十一号)の施行に伴い本省
の内部部局,附属機関及び地方支分部局の内部組織等を定める省令」(厚
生省令第22号)が公布され(同日施行),次のように規定された。(甲49)
1条 この省令で定めるものの外,現に存する本省の内部部局,附属機
関及び地方支分部局の内部組織その他必要な事項については,当分
の間なお,従前の例による。
(ケ) 昭和24年10月25日,「厚生省組織規程」(厚生省令第38号)が公布さ
れ(同日施行),次のように規定されるとともに,昭和24年厚生省令第22
号は廃止された。(甲50)
122条 国立療養所の名称及び位置は,別表第五のとおりとする。
別表第五(二) 国立らい療養所
名  称位  置
国立療養所松丘保養園
国立療養所東北新生園
国立療養所栗生楽泉園
青森県東津軽郡新城村
宮城県登米郡新田村
群馬県吾妻郡草津町
国立療養所多磨全生園
国立駿河療養所
国立療養所長島愛生園
国立療養所邑久光明園
国立療養所大島青松園
国立療養所菊池恵楓園
国立療養所星塚敬愛園
東京都北多摩郡東村山町南秋津
静岡県駿東郡富士岡村
岡山県邑久郡裳掛村
岡山県邑久郡裳掛村
香川県木田郡庵治村
熊本県菊池郡合志村
鹿児島県鹿屋市西俣町
(コ) 昭和27年10月1日,「厚生省附属機関等組織規程」(厚生省令第41
号)が公布され(同日施行),次のように規定されるとともに,昭和24年厚生
省令第38号は廃止された。(甲51)
81条 国立療養所の名称及び位置は,別表第六の通りとする。
別表第六(二) 国立癩療養所
名  称位  置
国立療養所松丘保養園
国立療養所東北新生園
国立療養所栗生楽泉園
国立療養所多磨全生園
国立駿河療養所
国立療養所長島愛生園
国立療養所邑久光明園
国立療養所大島青松園
国立療養所菊池恵楓園
国立療養所星塚敬愛園
青森県東津軽郡新城村
宮城県登米郡新田村
群馬県吾妻郡草津町
東京都北多摩郡東村山町
静岡県駿東郡富士岡村
岡山県邑久郡裳掛村
岡山県邑久郡裳掛村
香川県木田郡庵治村
熊本県菊池郡合志村
鹿児島県鹿屋市星塚町
(サ) 昭和28年8月15日,「らい予防法」(法律第214号。以下「昭和28年
法」という。)が公布され(同日施行),次のように規定されるとともに,昭和6
年法は廃止された。(甲6)
6条1項 都道府県知事は,らいを伝染させるおそれがある患者につい
て,らい予防上必要があると認めるときは,当該患者又はその保護者
に対し,国が設置するらい療養所(以下「国立療養所」という。)に入所
し,又は入所させるように勧奨することができる。
6条2項 都道府県知事は,前項の勧奨を受けた者がその勧奨に応じな
いときは,患者又はその保護者に対し,期限を定めて,国立療養所に
入所し,又は入所させることを命ずることができる。
6条3項 都道府県知事は,前項の命令を受けた者がその命令に従わな
いとき,又は公衆衛生上らい療養所に入所させることが必要であると
認める患者について,第二項の手続をとるいとまがないときは,その患
者を国立療養所に入所させることができる。
11条 国は,らい療養所を設置し,患者に対して,必要な療養を行う。
(シ) 昭和28年12月28日,「厚生省附属機関等組織規程の一部を改正する
省令」(厚生省令第71号)が公布され(同日施行,同月25日から適用),厚
生省附属機関等組織規程別表第六(二)に次の国立癩療養所が追加され
た。(甲52)
名  称位  置
国立療養所奄美和光園鹿児島県大島郡三方村
(ス) 昭和47年5月15日,「沖縄の復帰に伴う厚生省令の改廃に関する省
令」(厚生省令第23号)が公布され(同日施行),厚生省附属機関等組織規
程別表第六(二)に次の国立癩療養所が追加された。(甲53)
名  称位  置
国立療養所沖縄愛楽園
国立療養所宮古南静園
沖縄県名護市字済井出
沖縄県平良市字島尻
(セ) 平成8年3月31日,「らい予防法の廃止に関する法律」(法律第28号。
以下「廃止法」という。)が公布され(同年4月1日施行),昭和28年法は廃
止された。
(4) ハンセン病補償法制定の経緯等
ア 熊本地裁判決(甲1)
(ア) 平成10年,昭和28年法の下で同法11条の国立療養所に入所していた
ハンセン病患者らが,国に対し,同法の下で厚生大臣(当時)が策定・遂行
したハンセン病患者の隔離政策の違法,国会議員が同法を制定した立法
行為又は同法を平成8年まで改廃しなかった立法不作為の違法などを理由
に,国家賠償法に基づく損害賠償を求める訴訟を,熊本地方裁判所に提起
した。
(イ) 平成13年5月11日,熊本地方裁判所は,前記(ア)の患者らの請求を一
部認容する判決(以下「熊本地裁判決」という。)を言い渡し,同判決は,当
事者双方が控訴せず,確定した。
(ウ) 熊本地裁判決は,遅くとも昭和35年以降においては,もはやハンセン病
は,隔離政策を用いなければならないほどの特別の疾患ではなくなってお
り,病型のいかんを問わず,すべての入所者及びハンセン病患者につい
て,隔離の必要性が失われたとして,隔離政策の抜本的な変換やそのため
に必要となる相当な措置を採らなかった厚生大臣(当時)の国家賠償法上
の責任を認めたほか,遅くとも昭和35年には,昭和28年法の隔離規定
は,その合理性を支える根拠を全く欠く状態に至っており,その違憲性は明
白となっていたとして,遅くとも昭和40年以降に昭和28年法の隔離規定を
改廃しなかった国会議員の立法上の不作為についても国家賠償法上の責
任を認め,その上で,隔離による被害と,社会から差別・偏見を受けたこと
による精神的損害につき,昭和50年以降における隔離による被害の著し
い後退と処遇改善等をも考慮して,まず,昭和35年以前から入所し昭和2
8年法廃止まで退所を経験していない者の慰謝料基準額を1400万円と
し,それより入所時期が遅い者は,昭和35年から入所時までの期間部分
の慰謝料を減額し,昭和35年から昭和49年までの15年間に退所してい
た期間(ただし,昭和35年から昭和39年までの5年間は2倍に換算する。
以下「換算退所期間」という。)がある者については,当該期間に係る隔離
による被害部分の慰謝料を減額するとして,①初回入所時期が昭和35年
以前の者のうち,換算退所期間が2年未満の者について1400万円,2年
以上10年未満の者について1200万円,10年以上18年未満の者につい
て1000万円,18年以上の者について800万円,②初回入所時期が昭和
36年から昭和37年までの者のうち,昭和49年以前に退所を経験していな
い者について1200万円,退所を経験している者について1000万円,③
初回入所時期が昭和43年から昭和45年までの者について1000万円,
④初回入所時期が昭和48年の者について800万円の各慰謝料を認める
ものであった。
  なお,昭和35年から昭和47年5月15日の沖縄の本土復帰までの間に,
米国統治下の沖縄に居住し,沖縄愛楽園又は宮古南静園に入所していた
経験を持つ者の本土復帰前の被害については,同時期の本土のそれと同
視することができるといえるだけの立証が尽くされていないとして,賠償の
対象とはされなかった。
イ 内閣総理大臣談話(乙8)
(ア) 平成13年5月25日,内閣総理大臣は,熊本地裁判決を受けて,談話
(以下「内閣総理大臣談話」という。)を公表した。
(イ) 内閣総理大臣談話は,次のような内容であった。
「我が国においてかつて採られたハンセン病患者に対する施設入所政策
が,多くの患者の人権に対する大きな制限,制約となったこと,また,一
般社会において極めて厳しい偏見,差別が存在してきた事実を深刻に受
け止め,患者・元患者が強いられてきた苦痛と苦難に対し,政府として深
く反省し,率直にお詫びを申し上げるとともに,多くの苦しみと無念の中で
亡くなられた方々に哀悼の念を捧げるものです。」
「ハンセン病問題については,できる限り早期に,そして全面的な解決を図
ることが,今最も必要なことであると判断するに至りました。」
「本件原告の方々のみならず,また各地の訴訟への参加・不参加を問わ
ず,全国の患者・元患者の方々全員を対象とした,以下のような統一的
な対応を行うことにより,ハンセン病問題の早期かつ全面的な解決を図
ることといたしました。
①今回の判決の認容額を基準として,訴訟への参加・不参加を問わず,
全国の患者・元患者全員を対象とした新たな補償を立法措置により講
じることとし,このための検討を早急に開始する。」
ウ ハンセン病補償法案提出に至る経緯
(ア) 平成13年5月24日,自民,公明,保守の与党3党幹事長,政調会長ら
の会談において,ハンセン病の患者,元患者への補償措置を行うための特
別立法についての協議が行われ,法案は,同年6月上旬をめどに議員立法
で提出し,今国会(第151回国会)中に成立させること,補償対象は四千数
百人となる見通しで,補償総額は最大で600億円をめどとすること,などが
合意された。(乙40ないし乙42)
(イ) 平成13年6月5日,与党案が野党関係者に提示され,協議の結果,同
月7日ころ,与野党間で合意が成立した。(甲60)
(ウ) その後,衆議院厚生労働委員会委員長がハンセン病補償法案の草案を
作成し(のち原案どおり可決成立),平成13年6月11日の同委員会の会議
において,同草案の審議が行われた。なお,同草案には,「本案施行に要
する経費としては,約七百億円の見込みである。」と明記されていた。(甲1
2,乙9)
エ ハンセン病補償法成立に至る経緯等
(ア) 平成13年6月11日の衆議院厚生労働委員会会議での審議において
は,次のような質疑応答が行われた。(甲12,乙9)
a 西川京子議員が,熊本地裁判決が賠償の対象にしなかった軍政下の沖
縄の問題について法案ではどのように扱われているかとの質問をしたの
に対し,福田孝雄衆議院法制局第5部長が,次のとおり答弁した。
「復帰前の沖縄の問題でございますけれども,この法案では,補償金支
給の対象となりますハンセン病療養所等は厚生労働大臣が定めること
とされておりますけれども,厚生労働省の方では,その中に,復帰前の
沖縄における療養所も対象とするという方針と聞いておりますので,熊
本地裁では対象としていない復帰前の沖縄における療養所入所期間
も,本土の場合と同様に,補償金の算定期間とするということとなるも
のと思います。」
  この答弁を受けて,西川京子議員は,次のような発言をした。
「本当に多大な精神的苦痛を伴ったらいの患者さんたちすべての方々を
救済するというのが目的ですので,当然の判断だったろうと思いま
す。」
b 川内博史議員が,質問の冒頭に,次のような発言をした。
「発言の前に,まず,国会に身を置く者の一人として,これまで国の誤っ
た強制隔離政策を許してきた国会の責任というものを重く受けとめ,筆
舌に尽くしがたい人権侵害を受けてこられたすべてのハンセン病の患
者,元患者の皆様方及び隔離の壁の中で無念の死をお遂げになられ
た二万三千七百余名の療養所入所者の皆様方,そしてその家族,御
親族に心より深くおわびを申し上げさせていただきたいと思います。」
c 中川智子議員が,法案2条の「その他の厚生労働大臣が定めるハンセ
ン病療養所」に旧法適用時のみの入所者,琉球政府時代のみの入所者
及び私立療養所の入所者が含まれるのかとの質問をしたのに対し,篠崎
英夫厚生労働省健康局長が,次のとおり答弁した。
「沖縄の問題につきましては,熊本地裁の判決ではそうでございませんで
したが,今回の補償法の中につきましては,国内と同じような対応をす
るということにいたしております。」
「私立のらい療養所につきましては,それも含めて同じ考え方で対応する
ということにいたしております。」
「新法というのが昭和28年にできたもの,旧法というのが今先生御指摘
の昭和6年にできたものだといたしますと,旧法も含まれるということで
ございます。」
d 中川智子議員が,第二次世界大戦中の占領下の朝鮮半島での隔離政
策による元患者の当時の実態を厚生労働省は把握しているのか,これ
から調査しなければならないと考えているのかとの質問をしたのに対し,
桝屋敬悟厚生労働副大臣が,次のとおり答弁した。
「韓国の状況もまたつまびらかにしてもらいたい,こういう御要請をいただ
いたわけであります。検証するための委員会,この活動の中で考えて
いくべきことだというふうに私は思っております。突然伺われまして,戦
時中における韓国でのハンセン病の実態というものはどういうものか,
私もつまびらかにはしておりません。」
  なお,この点に関しては,平成13年5月29日の衆議院厚生労働委員会
会議においても,韓国のハンセン病療養所の収容者について,事実を調
査した上,謝罪と補償を検討すべきではないかとの瀬古由起子議員の質
問に対し,坂口力厚生労働大臣が次のとおり答弁していた。(乙11)
「戦前の韓国におけるハンセン病対策につきましては,現在その具体的
内容を十分把握しておりません。今後,ハンセン病問題の歴史を検証
していく中で,御指摘の点につきましても取り扱いを検討してまいりた
いと思います。」
(イ) 前記(ア)の審議の結果,草案を成案とし,これを衆議院厚生労働委員会
提出の法律案とすることが,川田悦子議員を除く賛成多数をもって決定され
た。
  川田悦子議員の反対理由については,①療養所から出て差別と偏見の中
で社会生活を送った元患者は補償が減額される仕組みとなっていること,
②戦前から戦後にかけて朝鮮半島で隔離された人たちは補償の対象とな
っていないことなどが反対の理由に挙げられていることが報じられ(乙3
8),また,次のような同議員の談話が報じられた(乙12)。
「日本占領下の朝鮮半島のハンセン病療養所では,薬物などで患者を虐待
したとも聞いています。何が行われたかを検証し,補償から漏れる人がい
ないか調査すべきです。素早い立法はいいことですが,『熊本判決』だけ
が下敷きでは視野が狭い。国会は独自に中身の濃い法を打ち出す責任
があります。8月には韓国に調査に行くつもりです。」
(ウ) 平成13年6月14日,参議院厚生労働委員会の会議において,衆議院
提出のハンセン病補償法案についての審議が行われ,審議の結果,同法
案は,全会一致をもって,原案どおり可決すべきものと決定された。
  参議院厚生労働委員会会議における審議においては,大脇雅子議員が,
法案は熊本地裁判決を踏まえた立法と理解してよいのかとの質問をしたの
に対し,福田孝雄衆議院法制局第5部長が,次のとおり答弁するなどの質
疑応答が行われた。(乙10)
「この法案の補償金は熊本地裁判決の認容額を基準として,このようなハン
セン病療養所入所者等の方々がこうむった精神的苦痛を慰謝するため
に支給するものでございます。なお,同判決では賠償金の算定対象とし
ていない昭和35年より前の入所期間でございますとか,また復帰以前の
沖縄での入所期間もこの法案では対象としているところでございます。」
(エ) ハンセン病補償法は,平成13年6月22日,法律第63号として公布さ
れ,同日施行された。
オ ハンセン病補償法施行に伴う厚生労働省の措置
(ア) 被告は,ハンセン病補償法2条の規定に基づき,「厚生労働大臣が定め
るハンセン病療養所」を定め,これを平成13年6月22日に厚労省告示とし
て公示した。(乙1)
(イ) 被告は,ハンセン病補償法12条の規定に基づき,ハンセン病補償法施
行規則を定め,これを平成13年6月22日に公布,施行した。(甲3)
(ウ) 厚生労働省は,財務省に対し,ハンセン病療養所入所者等に対する補
償金に必要な経費として,682億9500万円の予備費の使用を求める旨
の「平成13年度一般会計予備費使用要求書」等を提出し,その中で,ハン
セン病療養所入所者等の人数を5467人,うち国立療養所入所者数(平成
13年3月31日現在)を4384人,平成7年までの退所者数及び平成8年以
降の国立療養所の退所者数を870人(平均死亡率を用いた推計値)と推計
した。(乙43ないし乙46)
(5) 本件訴訟に至る経緯等
ア 原告らは,いずれも,昭和20年8月に我が国が朝鮮の統治権を失うまでの
間に,初めて本件療養所に入所した者である。(甲1001ないし1004の各1,
1006ないし1014の各1,1016ないし1025の各1,1025の2,1026な
いし1037の各1,1039ないし1050の各1,1052ないし1055の各1,10
57の1,1058の1,1060の1,1061の1,1063ないし1069の各1,10
71の1,1072の1,1074の1,1077ないし1117の各1,1119ないし11
26の各1,原告番号4番及び25番の各本人尋問の結果,弁論の全趣旨)
イ 第1事件
(ア) 第1事件原告ら110名のうち,原告番号1番ないし28番(ただし,5番及
び15番は欠)は平成15年12月25日に,同29番ないし115番(ただし,5
1番,56番,62番,70番,73番,75番及び76番は欠)は平成16年2月
25日に,同116番ないし119番は同年3月22日に,それぞれ被告に対
し,ハンセン病補償法に基づく補償金の支給を請求した。
(イ) これに対し,被告は,平成16年8月16日付けで,第1事件原告らのいず
れについても,ハンセン病補償法2条に定める「国立ハンセン病療養所等」
への入所の事実が確認できないという理由で,本件不支給決定をした。
(ウ) そこで,第1事件原告らは,平成16年8月23日,本件訴訟(第1事件)を
提起した。
ウ 第2事件
(ア) 第2事件原告ら2名は,平成16年8月23日,被告に対し,ハンセン病補
償法に基づく補償金の支給を請求した。
(イ) これに対し,被告は,平成16年10月22日付けで,第2事件原告らのい
ずれについても,ハンセン病補償法2条に定める「国立ハンセン病療養所
等」への入所の事実が確認できないという理由で,本件不支給決定をした。
(ウ) そこで,第2事件原告らは,平成16年12月17日,本件訴訟(第2事件)
を提起した。
エ 第3事件
(ア) 第3事件原告ら5名は,平成16年10月26日,被告に対し,ハンセン病
補償法に基づく補償金の支給を請求した。
(イ) これに対し,被告は,平成17年1月14日付けで,第3事件原告らのいず
れについても,ハンセン病補償法2条に定める「国立ハンセン病療養所等」
への入所の事実が確認できないという理由で,本件不支給決定をした。
(ウ) そこで,第3事件原告らは,平成17年2月22日,本件訴訟(第3事件)を
提起した。
3 争点の概要
  本件の争点は,本件療養所の厚労省告示該当性であり,その前提として,ハンセ
ン病補償法の趣旨が問題となる。これらについての当事者の主張の要旨は,後記
4及び5のとおりである。
4 ハンセン病補償法の趣旨
(1) 被告の主張
  ハンセン病補償法2条の「国立ハンセン病療養所等」とは,昭和28年法11条
の規定により国が設置していた国立ハンセン病療養所を始めとして,その前身と
もいうべき各国公立のハンセン病療養所,これら国公立のハンセン病療養所の
代用を果たし,あるいはその閉鎖に伴ってその収容者がこれらの療養所に移転
した私立のハンセン病療養所をいい,本件療養所のように,第二次大戦以前の
日本の統治下にあった地域(終戦により日本の主権が及ばなくなった地域)に存
在していた施設は,これには当たらない。
ア 国会における審議の内容等
  ハンセン病補償法は,遅くとも昭和35年以降において隔離政策の抜本的な
転換やそのために必要となる措置を執らなかった厚生大臣(当時)の国家賠
償法上の責任を認めた熊本地裁判決を契機とし,「全国の患者・元患者」を対
象とする新たな補償の立法措置を明らかにした内閣総理大臣談話を受けて制
定されたものであり,同法前文の第2文は,昭和28年法における隔離政策を
念頭に置いた規定振りになっており,ハンセン病補償法2条においても,ま
ず,昭和28年法11条の規定により国が設置したらい療養所を「国立ハンセン
病療養所」と定義付けている。このことからすれば,ハンセン病補償法は,ま
ずもって昭和28年法下での「国立ハンセン病療養所」の入所者を補償の対象
としているというべきである。
  そして,このことを前提として,ハンセン病補償法の国会審議において,昭和
6年法適用時のみの入所者,琉球政府時代のみの入所者及び私立療養所の
みの入所者をも補償の対象にすることが明らかにされたことにより,ハンセン
病補償法は,昭和28年法適用時に限らず,「国立ハンセン病療養所」の前身
ともいうべき時点における入所者も補償の対象とし,さらに,その代用を果た
すなどした私立のハンセン病療養所の入所者も補償の対象とするものとして
成立したのである。
  他方,第二次大戦以前の日本の統治下にあった地域(終戦により日本の主
権が及ばなくなった地域)に存在していた施設は,昭和28年法下での隔離政
策とは無関係であり,国会の審議においても,厚生労働大臣及び同副大臣
は,戦前及び戦時中の本件療養所についての実態を把握していない旨の答
弁をしたのみで,その入所者につき,ハンセン病補償法によって補償されるべ
きものであるとの発言はなかったのである。したがって,ハンセン病補償法
は,本件療養所の入所者を対象に含めることなく成立したというほかなく,今
後の取扱いを検討したい旨の厚生労働大臣の発言も,現行のハンセン病補
償法が,本件療養所の入所者を補償の対象としていないことを前提にしたも
のと理解されるべきである。
  この点は,次の点からも明らかである。すなわち,仮に,ハンセン病補償法
が,終戦前に日本の統治下にあった朝鮮等の地域に存在したハンセン病療
養所の入所者をも対象とするというのであれば,国会においては,当然に,具
体的な対象者やその確認方法,対象者の本国政府に対する説明の要否,終
戦後日本の統治が及ばなくなった時点以降の期間について何らかの減額措
置を設けるべきか否か,財源をどのように確保するかなどといった点の検討
がされたはずであるが,そのような検討は全くされていない。また,特に本件
療養所の入所者の実態に関心を寄せていた川田悦子議員は,現行のハンセ
ン病補償法の成立に反対している。
イ 法案の裏付けとなる予算要求の経緯等
  ハンセン病補償法の立法段階の議論として,与党3党幹事長,政調会長らの
会談において,補償の対象を四千数百人,補償額を最大600億円とする見込
みであるとされた。そして,厚生労働省においても,このような議論を踏まえ
て,補償対象となる入所者の総数や補償総額の積算を更に進め,その結果,
最終的に,ハンセン病補償法の対象となるハンセン病療養所入所者等の人数
を5467人,補償金に必要な経費を682億9500万円とする予算要求をした
のである。ハンセン病補償法は,このように積算された数字を前提に,同法の
施行に要する経費の見込みを約700億円とし,これが法案にも明記された。
したがって,同法は,補償の対象を明確に定めて成立したものであり,その予
算上の積算は,内閣総理大臣談話でも指摘された「全国の患者・元患者」の
数が基礎にされていたのであって,そこには,第二次大戦以前の日本の統治
下にあった地域の施設である本件療養所の入所者は含まれていなかったの
である。
  そして,ハンセン病補償法は,過去の隔離政策の被害を受けた者に対する補
償を内容とするものであり,立法時に予定されていた補償の対象,範囲が拡
大することを予定していない。このことは,補償請求の期間を5年間と限定し
(4条),同法の施行日において生存している者のみを対象としている(2条)こ
とにも表れている。したがって,同法は,立法時に前提とされた補償の対象人
数と予算の範囲内においてのみ補償を行う趣旨であると理解すべきであり,
同法の拡張ないし類推等の解釈により同法の成立時に対象外とされていた本
件療養所の入所者を補償の対象とすることは,解釈論の域を超えるものとい
うべきである。
ウ 成立したハンセン病補償法の内容
  ハンセン病補償法の補償額の算定基準に関する規定をみると,5条1項にお
いて,国立ハンセン病療養所等への入所時期の区分に応じた補償金を支払う
こととしている一方で,同条2項において,熊本地裁判決を踏まえ,昭和35年
から昭和49年までに実際に入所していた者に対する補償が手厚くなるように
するため,昭和35年1月1日から昭和49年12月31日までの間に国立ハン
セン病療養所等から退所していたことがある者については,補償金の額を減
額することとしている。
  ところが,昭和35年12月31日までに初めて国立ハンセン病療養所等に入
所した者についてみると,それ以前に入所していない時期があることを考慮し
た減額規定を設けていない。これは,ハンセン病補償法に基づいて補償金の
支給を受けた者は,平成17年1月1日現在で3445人いるところ,そのうち請
求時の現住所が日本国内にない者の人数はわずかに13名にすぎないことか
らもうかがわれるように,戦前に国内の療養所に入所し,その後退所した者が
いるとしても,その大半は,退所後も引き続き国内に居住していたものと想定
され,我が国内において採られていたハンセン病隔離政策の下において,い
われのない偏見と差別の中で多大の苦痛と苦難を強いられてきたと考えられ
たことを考慮し,同法5条以外には,特に退所を考慮した減額規定を置くこと
はなかったのである。これに対し,本件療養所の入所者は,戦後,日本国内に
おいて生活していたとは考え難いため,事情を異にする。これらの者をも補償
の対象とするのであれば,当然,我が国の主権が及ばなくなった昭和20年以
降の扱いを考慮した何らかの減額規定が設けられるか,少なくともその点に
ついて何らかの議論が国会においてされたはずであるが,そのようなことはな
かったのであり,このことは,同法が本件療養所の入所者を補償の対象として
いないことを裏付ける事情の一つになるというべきである。
  そして,他にハンセン病補償法には,終戦により日本の主権が及ばなくなった
地域に存在するハンセン病療養所に入所していた者をも対象に含めることを
うかがわせる規定は見当たらない。
エ 原告らの主張に対する反論
  原告らは,自らの主張が依拠する「国立ハンセン病療養所等」の解釈論等に
ついて積極的な根拠を示しておらず,原告らの示す解釈論は,根拠が薄弱で
ある。
(ア) 原告らは,本件療養所における被害実態を主張するが,それのみをもっ
てハンセン病補償法2条の「国立ハンセン病療養所等」に本件療養所が含
まれるとの結論を導き得ないことはいうまでもない。このことは,厚労省告示
に列挙されている療養所の中には,米軍政権下の沖縄の療養所(2号ハ),
琉球政府が指定した療養所(4号),私立の療養所(5号)が含まれているこ
とからしても明らかであり,これらは我が国の隔離政策による被害を前提と
しないものである。
(イ) 原告らは,西川京子議員及び川内博史議員の発言を引用するが,発言
の全体や経緯を詳細にみていけば,原告らの主張の根拠となり得ないこと
は明らかである。
  すなわち,まず,西川京子議員の発言は,復帰前の沖縄における療養所
入所期間が本土の場合と同様に補償金の算定期間になる旨の福田衆議院
法制局第5部長の答弁を受けてされたものであるから,国内での事情を念
頭に置いた発言とみるべきであり,この発言が,本件療養所の入所者をも
念頭に置いたものとみることはできない。
  また,川内博史議員の発言中の「隔離の壁の中で無念の死をお遂げにな
られた二万三千七百余名の療養所入所者の皆様方」とは,平成13年5月2
9日衆議院厚生労働委員会における瀬古由起子議員の発言並びに同年6
月14日参議院厚生労働委員会における高瀬重二郎参考人(全国ハンセン
病療養所入所者協議会会長)及び神美知宏参考人(同協議会事務局長)
の発言からも明らかなように,国内の国立ハンセン病療養所において死亡
した者を指している。そうである以上,「筆舌に尽くしがたい人権侵害を受け
てこられたすべてのハンセン病の患者,元患者の皆様方」という部分は,前
後の文脈からみて,国内のハンセン病の患者・元患者を念頭にした発言と
考えるのが素直であり,原告らがいうような戦前の海外の日本統治下の地
域に存在したハンセン病療養所の入所者を含むものではない。
(ウ) 原告らは,ハンセン病補償法が申請者の国籍を日本国籍に限定したり,
申請者の現住所を日本国内に限定する定めを設けていないことを指摘する
が,それだけでは,同法が本件療養所のように終戦により日本の主権が及
ばなくなった朝鮮等に存在していたハンセン病療養所の入所者をも補償の
対象としているとする積極的な根拠とはなり得ない。
(エ) 原告らは,ハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所」を被告
の定める療養所の例示にすぎないと主張するが,同条のように下位規範へ
の委任を含む規定における委任の趣旨あるいは授権の範囲等に関する解
釈に当たっては,法文がどのような例示を挙げているかが,解釈の重要な
指針の一つになる。同条が「厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所」の
例示を規定しているということは,正に,被告に定めさせようとした療養所の
範囲を画する重要な指針を示しているというべきである。
(オ) 原告らは,ハンセン病補償法と熊本地裁判決とを対比した主張をする
が,結局のところ,同法が熊本地裁判決の賠償対象の範囲を超えて補償の
対象を広げているというにすぎないのであり,同法が熊本地裁判決の賠償
対象の範囲を超えて補償の対象としたことにより,直ちにすべての隔離政
策の被害者が対象とされたとか,終戦により我が国の主権の及ばなくなっ
た地域の療養所入所者が補償の対象とされたといえるわけではないから,
原告らの主張には論理の飛躍がある。
(カ) 原告らは,厚労省告示4号に琉球政府が指定した政府立病院が挙げら
れていることを指摘し,国会の審議過程では何らの言及もされておらず,被
告が独自に調査・検討して同告示に掲げたものであると主張するが,ハン
セン病補償法の国会審議の内容をみてみると,篠崎厚生労働省健康局長
によって,「琉球政府時代のみの入所者」をも補償の対象とすることが明ら
かにされており,琉球政府が指定した政府立病院の入所者もこれに当然含
まれている。一方,本件療養所のように終戦により日本の主権が及ばなくな
った朝鮮等の地域に存在していた療養所の入所者については,その被害
実態の事実を調査した上で謝罪と補償を検討すべきであるとの意見が述べ
られたが,政府当局者はハンセン病補償法によって補償されるべきもので
あるとの発言をしなかったのであるから,琉球政府が指定した政府立病院
が厚労省告示に掲げられているからといって,本件療養所入所者も当然に
同法による補償の対象となるということにはなり得ない。
(キ) 原告らは,内閣総理大臣談話について,ハンセン病補償法の立法者意
思を推認する根拠とはならない旨を主張するが,「全国の患者・元患者」を
同法による補償金の支給対象者にするとの内閣総理大臣談話も,支給対
象者を国内の療養所の入所者とし,大半の患者・元患者は,現在も国内に
居住しているであろうという理解に基づくものであるから,同法の立法者意
思を推認する根拠の一つになるべきものであり,原告らの主張は失当であ
る。
(2) 原告らの主張
  ハンセン病補償法は,我が国のハンセン病隔離政策により隔離被害を被ったす
べての被害者を補償金支給の対象とし,その入所していた療養所の具体的な特
定を被告の調査・検討に委任したものであり,本件療養所の入所者が,我が国
のハンセン病隔離政策の被害者である以上,その補償対象に含まれることを予
定ないし許容しているものというべきである。
ア 本件療養所の性格及び本件療養所における隔離被害の実態
  日本のハンセン病隔離政策は,明治40年法の制定に始まる。同法は,「療
養ノ途ヲ有セス且救護者ナキモノ」の収容を規定しており,当初我が国はすべ
てのハンセン病患者を収容する政策をとっていなかったが(相対隔離政策),
昭和5年,内務省衛生局は,「癩の根絶策」を公表し,国立癩療養所を設置し
てハンセン病患者を全員収容する20年計画等を国策として明らかにし,相対
隔離政策から絶対隔離政策への転換を図った。そして,これに基づき,同年,
初の国立癩療養所である長島愛生園が開設され,続いて昭和6年,明治40
年法を改正した昭和6年法が施行され,同法3条1項において我が国の絶対
隔離政策の法的根拠が明確にされた。
  他方,明治43年に日本に併合された韓国においても,朝鮮総督府の下で,
日本国内と同様のハンセン病患者に対する隔離政策が実施されることとなっ
た。大正5年創設の「全羅南道小鹿島慈恵医院」は,当時の日本国内におけ
る明治40年法に基づく隔離政策の一環として設立されたものであるが,その
後,日本本土における「癩の根絶策」の策定による絶対隔離政策への転換
と,国立療養所の設置,絶対隔離政策に法的根拠を与える昭和6年法の制定
という手順に連動し,昭和8年に朝鮮総督府が策定した癩根絶20年計画の
下,昭和9年制定の「朝鮮総督府癩療養所官制」によって,上記の道立慈恵
医院が朝鮮総督の管理する国立の癩療養所(本件療養所)となり,昭和10年
制定の「朝鮮癩予防令」により,ハンセン病患者に対する強制隔離政策の法
的根拠が整備された。
  すなわち,本件療養所は,「朝鮮総督府癩療養所官制」及び「朝鮮癩予防令」
によって,日本本土における強制隔離政策を朝鮮全土にも徹底するために,
日本本土に居住する朝鮮人ハンセン病患者及び朝鮮半島に在住するハンセ
ン病患者を強制収容すべき,朝鮮における唯一の国立のハンセン病療養所と
いう性格を与えられたのである。
  本件療養所においては,原告らの陳述書や,原告番号4番及び25番の本人
尋問における供述から明らかなとおり,日本本土におけるハンセン病政策と全
く同様に,強制収容,労働の強制,断種・堕胎の強制,懲戒検束等の絶対隔
離・絶滅政策が行われ,その人権蹂躙の実態は,日本本土の他の国立のハ
ンセン病療養所と同様であるどころか,それを遙かに上回る過酷なものであっ
た。
イ ハンセン病補償法の法案策定過程
  ハンセン病補償法案の具体的な中身は,平成13年6月7日,自民,民主両
党の国会対策委員長と長瀬甚遠議員(自民),江田五月議員(民主)の4者協
議で確定したものである。同法案作成の中心的役割を果たした江田五月議員
は,超党派の議員連盟「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談
会」の会長であるが,その陳述書(甲60)において,以下の各事実を明らかに
している。
  第1は,熊本地裁判決が明示していない被害や否定した被害についても適用
対象とすべきことについて,平成13年6月5日の与党案提示段階で合意され
ていたことである。
  第2は,ハンセン病補償法案が対象療養所を法文に明示しなかったのは,隔
離政策のすべての被害者が救済を受けられるという同法の趣旨が確認され,
後は漏れなく療養所を特定する技術的な作業が残るだけなので,それを厚生
労働省に委ねても問題ないと考えたためであるということである。
  第3は,法案起草段階では,本件療養所や台湾楽生院の入所者について
は,議論になっておらず,逆に言えば,これらを除外するという議論もされてい
なかったということである。
  第4は,法案では,日本国籍も本邦居住も要件とせず,入所の時期的限定も
していないから,適用対象を限定的に解釈する合理的理由はなく,実態として
同じか,むしろ国内よりも過酷な被害を受けた本件療養所及び台湾楽生院の
入所者に対しては,当然に同法の適用が受けられるべきだということである。
  したがって,ハンセン病補償法は,その草案起草段階において,補償金の支
給対象を我が国の隔離政策によるすべての被害者とすることが確認されてい
たのであり,本件療養所等の「外地」の療養所を対象外とする等というような
議論はされておらず,むしろ,我が国の隔離政策による被害といえる限りは補
償対象に含まれることが当然の前提とされていたことが明らかである。
ウ 国会での審議経過
  西川京子議員の発言は,江田五月議員の陳述書での説明と符合するもので
あり,ハンセン病補償法が,隔離政策の被害者すべてに適用される趣旨で制
定されたことを端的に裏付けるものである。
  川内博史議員は,前掲の「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇
談会」の事務局長であり,議員立法であるハンセン病補償法の草案作成に重
要な役割を果たした立場にあるが,同議員が質問に先立って行った発言は,
同法の対象が,すべてのハンセン病の患者・元患者に対する謝罪と慰謝にあ
ることを明らかにするものである。
  福田衆議院法制局第5部長の答弁は,ハンセン病補償法が,熊本地裁判決
を超えて,日本の施政権が及ばない時代の,日本の昭和28年法とは異質な
退所規定や在宅治療制度を規定した「ハンセン氏病予防法」による隔離被害
についても,補償の対象とすることを明らかにしたものである。
  篠崎厚生労働省健康局長の答弁は,ハンセン病補償法が,国家賠償訴訟で
あれば「国家無答責」や「除斥期間」が問題とされかねない,戦前のみの隔離
被害者をも対象とするものであること及び国によって設置されたものとはいえ
ず,入所の強制や退所制限,強制労働等がなかった私立の療養所のみの入
所者まで補償の対象とすることを明らかにしたものである。
  桝屋厚生労働副大臣の答弁は,ハンセン病補償法案の審理に先立つ平成1
3年5月29日の坂口厚生労働大臣の答弁と同旨であり,いずれの答弁も,戦
前の韓国等における療養所が同法の範囲外だとしているのではなく,調査・検
討が必要であることを明らかにしているにすぎない。
  以上のとおりであるから,答弁も含む国会での質疑を全体として眺めれば,
ハンセン病補償法は,我が国の隔離政策の被害を受けたすべての被害者を
補償金の支給対象とするものであり,本件療養所等の「外地」の療養所入所
者が同法の補償対象に含まれるかどうかは,これらの入所者が我が国の隔
離政策の被害者であるといえるか否かによって決せられるというのが,同法
制定時における立法者意思というべきものであることは明らかである。
エ ハンセン病補償法の前文及び各条項の規定振り
(ア) 前文
  ハンセン病補償法には前文が付されており,その記述は,同法の補償す
べき対象が,昭和28年法以前から一貫して継続された隔離「政策」による
被害であることを明らかにしたうえで,その「いやし難い心身の傷跡の回復
と今後の生活の平穏に資することを希求して,ハンセン病療養所入所者等
がこれまでに被った精神的苦痛を慰謝する」との同法の立法趣旨を明らか
にしたものというべきである。
  こうした前文の存在は,江田五月議員がその陳述書で明らかにした,同法
草案作成段階で合意された立法趣旨と符合するものである。
(イ) 2条
  ハンセン病補償法2条の特徴は,次の4点にある。
  第1は,入所時期についての特定(しばり)がないということである。その入
所時期は,我が国の隔離政策が廃止された平成8年3月の昭和28年法廃
止までの間であればいつでも対象になるとされているのであるから,戦前の
みの入所でも構わないということになる。これは,旧法時代のみの入所者を
含むとする国会での審議過程を反映したものである。
  第2は,入所の事実だけが要件とされ,国籍も現在の居住地についても制
限が付されていないということである。これは,ハンセン病補償法が,隔離
政策によるすべての隔離被害者を対象とする趣旨であることを鮮明に示す
ものである。
  第3は,療養所についての具体的な特定がされておらず,その特定が被告
に委任されているということである。その理由は江田五月議員の陳述書で
説明されているとおりであり,このことは,被告には,ハンセン病補償法の
趣旨に従って調査を尽くし,漏れなく療養所を特定する作業が義務付けら
れたということを意味することとなる。
  第4は,「国立ハンセン病療養所」が,被告の定める療養所の例示にすぎ
ないということである。「国立ハンセン病療養所」が厚労省告示3号に規定さ
れているのは,そのためである。仮に被告の主張するとおり,「国立ハンセ
ン病療養所」が,ハンセン病補償法2条によって,まずもって同法の対象療
養所として規定されたというのであれば,同条は,同法の対象として,まず
もって「国立ハンセン病療養所」,次に「厚生労働大臣が定めるハンセン病
療養所」という2つの類型の療養所を規定していることになるから,このうち
「厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所」を具体化するために設けられ
る厚労省告示に「国立ハンセン病療養所」を規定する必要はなく,むしろ同
告示に規定することは矛盾である。したがって,「国立ハンセン病療養所」
も,厚労省告示によって定められる他の療養所と対等であって,優越的地
位に立つものではない。
  以上からすれば,ハンセン病補償法2条は,我が国の89年間に及ぶハン
セン病隔離政策の遂行過程で設置されたすべての療養所の入所者を補償
金の支給対象とすることを明らかにしたうえで,その具体的な特定を被告の
調査・検討に委任したものと解すべきであり,少なくとも,同条が,特定の療
養所を除外する趣旨を含んでいないことは明らかである。
  また,厚労省告示の規定内容は,後記4(2)アのとおりであり,これによれ
ば,厚労省告示は,それに委任したハンセン病補償法2条の範囲が,我が
国の隔離政策下で設置されたすべてのハンセン病療養所に及ぶことを前
提として規定されたものであることを示しているというべきであり,本件療養
所が同条の「国立ハンセン病療養所等」に当然含まれるべきことを明らかに
しているというべきである。
(ウ) 5条
  ハンセン病補償法5条の補償金額の算定方法を,熊本地裁判決と対比す
ると,戦前に入所し,戦前に退所したまま,戦後は入所経験のない者に対
する取扱いが全く異なることとなる。
  すなわち,熊本地裁判決では,このような場合は,昭和35年以前の被害と
して共通損害の対象外であり,賠償額がいくらになるかは算定され得ないこ
ととなるのに対し,ハンセン病補償法では,まず,昭和35年以前の初回入
所であるから1400万円に該当し,そのうえで昭和35年から昭和49年まで
の退所期間が216月以上であるから600万円が控除されて,補償金の額
が800万円となる。
  したがって,ハンセン病補償法は,熊本地裁判決の算定基準を超えて,昭
和6年法時代のみあるいは戦前のみの入所経験しかない者への補償金の
支給を可能にしたものというべきである。
  そして,戦前にのみハンセン病療養所に入所経験を有する者という点で
は,原告らも同様ということになる。
  このようなハンセン病補償法5条の内容は,同法の制定趣旨に従って,原
告らを含めて,すべての隔離政策被害者を補償対象とする道を開いたとい
うべきものであり,こうした同法の趣旨を最も端的に示すものというべきであ
る。
オ 被告の主張に対する反論
(ア) 被告は,昭和28年法11条の規定により国が設置した「国立ハンセン病
療養所」以外の療養所がハンセン病補償法の対象とされる理由を,「国立
ハンセン病療養所」の「前身」であるからと説明するが,その主張は,特に
以下の点で破綻している。
a 第1は,このような「前身」の議論が,ハンセン病補償法の制定に至るま
での過程で,全くされていないということである。
  江田五月議員は,前掲の陳述書(甲60)の中で,法案作成過程で,被
告が主張するような「前身」という議論は全くされなかったと断言してい
る。また,法案を審議した国会議事録を精査しても,どこにも「前身」という
発言はない。そもそも,ハンセン病補償法は,その策定段階や,国会審
議過程において,すべての被害者を対象とすることを前提としていたので
あるから,被告が主張するような「前身」という理由付けをすること自体が
不要だったのである。したがって,被告のこうした主張は,特定の療養所
を除外するために,被告が事後的に作り出した理由付けにすぎないこと
が明らかである。
b 第2は,厚労省告示に掲げられた療養所の中に,「前身」では説明でき
ない療養所が含まれているということである。
  厚労省告示4号の琉球政府が指定した政府立病院がそれである。これ
はいかなる意味でも「国立ハンセン病療養所」の「前身」ではない。このよ
うな「政府立病院」までもが,ハンセン病補償法の対象とされたということ
は,被告自身が,同法の委任の趣旨が,隔離被害を受けたすべての被
害者を対象にするよう網羅して療養所を規定することにあると理解してい
たことを示すものにほかならず,被告の「前身」論の破綻は明らかであ
る。
c また,厚労省告示4号の「政府立病院」は,国会の審議過程では何らの
言及もされておらず,ハンセン病補償法の委任を受けて被告が独自に調
査・検討して同告示に掲げたものである。篠崎厚生労働省健康局長の答
弁において言及されているのは,熊本地裁判決が問題とした,琉球政府
時代の沖縄愛楽園と宮古南静園の入所者への対応であって,琉球政府
立病院のことは問題とされていない。
  このことは,「外地」に存在した療養所について,国会で言及されなかっ
たことを理由にして,ハンセン病補償法から除外されていたとする被告の
主張が説得力を持たないことを明らかにするものである。
  被告が,「政府立病院」の場合と同様に,厚労省告示制定までに「外地」
の療養所についての調査・検討を行っていれば,その補償対象該当性は
明らかになったはずであり,被告の「前身」論は,その怠慢を隠蔽するた
めに事後的に作り出されたものといわざるを得ない。
(イ) 被告が内閣総理大臣談話中の「全国の患者・元患者全員を対象とした新
たな補償を立法措置により講じる」との部分を,その「全国の患者・元患者」
が国内の患者・元患者あるいは国内の療養所に入所した患者・元患者を意
味するものであるという前提に立って,ハンセン病補償法の対象が限定さ
れていたとする被告の主張を根拠付ける趣旨で引用しているのであれば,
解釈を誤るものである。
  第1に,ハンセン病補償法は,内閣提出法案ではなく,議員立法であって,
その趣旨が内閣総理大臣談話に拘束されることはないはずである。
  第2に,内閣総理大臣談話の当該部分は,その前後を読めば明らかなと
おり,ハンセン病問題の全面的解決を図るために,訴訟に参加していない
者も含めてすべての患者・元患者を対象とすることを強調する文脈でなされ
た発言であって,補償の対象を特定の範囲に限定するとか,特定の範囲を
除外するといった趣旨を含んでいないというべきである。
  第3に,補償の対象として,国籍,現在の居住地による差別を設けていな
いことは,ハンセン病補償法自体に明らかであり,同法の対象は国内の患
者・元患者に限定されていないのであるから,内閣総理大臣談話から,同
法の対象が国内の患者・元患者に限定されるとの解釈を導き出すことは無
意味である。
  第4に,「全国の患者・元患者」を国内の療養所に入所した患者・元患者の
意味だと解釈するのは,国語解釈の問題としても,牽強付会である。
(ウ) 被告は,厚生労働大臣及び同副大臣の答弁について,戦前及び戦時中
の本件療養所の入所者につき,ハンセン病補償法によって補償されるべき
ものであるとの発言はなかったとしたうえで,このことを根拠として,戦前の
日本統治下にあった療養所は補償の対象に含めないというのが立法者の
意思であったと主張するが,失当である。
  第1に,これらの答弁は,調査・検討の必要性を認めたものであって,ハン
セン病補償法の対象外であるとの見解を示したものではない。
  第2に,ハンセン病補償法は議員立法であって政府提出法案ではないの
だから,その立法者意思は,議員による法案起草段階及び国会の審議全
体を通じて判断されるべきものであって,大臣・副大臣の答弁が,直接的に
立法者意思を構成したり,拘束することはない。
(エ) 被告は,川田悦子議員がハンセン病補償法の成立に反対したことを,同
法が本件療養所の入所者を補償の対象としていないことの根拠としている
が,同議員は,同法の国会審議において,旧植民地の療養所について補
償対象とすることが明確にされなかったことを批判しているにすぎないか
ら,被告の主張は失当である。
(オ) 被告は,ハンセン病補償法案の裏付けとなる予算要求の積算に,第二
次大戦以前の日本の統治下にあった地域の施設である本件療養所の入所
者は含まれていなかったとして,これを根拠に,同法は,本件療養所の入所
者を対象とすることを前提としていなかったと主張する。
  しかしながら,厚生労働省の積算は,支給対象から除外される国家賠償訴
訟の原告数を過少に見積もるなど,財務省に対する予算要求のための極
めて大雑把な試算にすぎず,その積算根拠から逆にハンセン病補償法の
趣旨・範囲を推測させるような性質のものではない。積算が如何に大雑把
なものであったかについては,同法の制定から現在まで4年間の総支給額
が,当初予算額の半額余の423億4000万円に留まっていることからも明
らかである。
  また,厚労省告示4号の琉球政府の指定した政府立病院や,同告示5号
の私立療養所のうち,慰廃園,起廃病院,衆済病院等は積算の根拠とされ
ていないのであるから,被告の論法によれば,これらの療養所が同告示に
掲記されたことの説明がつかないことになる。
  そもそも,ハンセン病補償法の成立は平成13年度予算が成立した後であ
って,補償金の支給に要する費用は予備費で対応したのであり,予算内容
が国会で議論されていたわけではない。しかも,予備費の承認,決算審査
においても特段の議論はなかったのであるから,予算内容は国会の意思を
示しているものではない。
  本件療養所等が予算要求に当たっての積算の根拠にされなかったのは,
被告が,ハンセン病補償法2条の委任に従って,本件療養所等についてな
すべき調査を怠っていた結果にすぎず,そのことが,同法の範囲を限定す
る根拠となることはあり得ない。
(カ) 被告は,ハンセン病補償法5条に,終戦により日本の主権が及ばなくな
った昭和20年以降の入所期間について,何らかの減額措置を定めた規定
がないことを,同法が「外地」の療養所を予定していないことの根拠として挙
げているが,このような主張は,同条の解釈を誤るものである。
  すなわち,ハンセン病補償法5条に,昭和20年以降の入所期間について
の何らかの減額措置の規定がないのは,減額対象を昭和35年から昭和4
9年までの間の退所期間に限定した結果そうなったものにすぎず,「外地」
の療養所を同法の対象外とするかどうかとは関係がないということである。
  原告らの場合には,戦前に入所し,終戦によって我が国の隔離政策から離
脱したのであるから,戦前のみの入所者と同一の取扱いをすれば足りるの
であり,特別に減額措置を必要とする余地はない。このことは,戦前に国内
の療養所に入所し,終戦までの間に,退所してアメリカや台湾,韓国等の外
国に移住した者が同様に800万円の支給を受けることを考えれば,容易に
理解できるはずである。被告は,国外在住者への補償金支給者数は13人
にすぎないとするが,これは法解釈の問題であって,現実に該当者が多い
か少ないかの問題ではない。
  したがって,ハンセン病補償法5条の減額措置を根拠に,「外地」に存在し
た療養所が同法の予定外であるとする被告の主張は,失当である。
5 本件療養所の厚労省告示該当性
(1) 被告の主張
  本件療養所は,厚労省告示の1号ないし5号のいずれにも該当しないから,ハ
ンセン病補償法2条に規定する「国立ハンセン病療養所等」に該当しない。
ア 厚労省告示の授権の範囲等
  厚労省告示は,ハンセン病補償法2条が,「国立ハンセン病療養所等」の範
囲に含まれる施設の具体的な特定を被告に委任していることを受けて定めた
ものである。
  このようにハンセン病補償法の委任を受けて定められている厚労省告示は,
授権した同法の委任の趣旨に反することはできないから,厚労省告示で定め
る「ハンセン病療養所」は,あくまで同法2条で予定している「国立ハンセン病
療養所等」である必要があり,同法で想定されていないものを厚労省告示で
定めることはできない。そして,前記4(1)で述べたとおり,同法2条にいう「国
立ハンセン病療養所等」の範囲には,戦前に日本統治下にあった朝鮮に存在
する本件療養所等が含まれないのであるから,本件療養所が厚労省告示所
定のハンセン病療養所に掲げられていないのはいわば当然であるし,また,
厚労省告示所定のハンセン病療養所に本件療養所が含まれるとする解釈を
加える余地もない。
  そもそも,厚生労働大臣及び同副大臣の国会審議における答弁や,厚生労
働省における予算要求の内容をみれば,同省においては,本件療養所の入
所者がハンセン病補償法の補償の対象とされていないとの認識であったこと
は明らかであり,同省において定めた厚労省告示において本件療養所がその
対象とされたなどということはあり得ないことである。
イ 厚労省告示の内容
  厚労省告示は,ハンセン病補償法の委任の趣旨に従い,同法が予定する施
設を網羅できるように,まず,我が国に存した国公立のハンセン病療養所につ
いて類型分けをし,それぞれの類型に属する療養所の中で,最も設立が早い
療養所が含まれる類型から1号ないし4号として規定し,さらに5号において私
立の療養所を規定したものである。
(ア) 1号
  1号は,明治40年法を改正した昭和6年法3条1項の「国立癩療養所」と,
明治40年法及び昭和6年法4条1項の規定により2以上の道府県が設置し
た療養所を挙げている。
a 昭和6年法3条1項の「国立癩療養所」とは,「国立癩療養所官制」に基
づき内務大臣(昭和13年以降は厚生大臣)の管理下にあった施設をい
い,次の13の国立癩療養所がこれに該当する。
① 国立癩療養所長島愛生園
  昭和5年11月に国立癩療養所として設立されたものであり,昭和6年
3月3日内務省告示第29号のとおり,内務大臣により名称指定がされ
たものである。なお,設立時から昭和6年法が施行されるまでの間は,
2号イに規定されている。
② 国立癩療養所栗生楽泉園
  昭和7年10月6日内務省告示第258号のとおり,内務大臣により名
称及び位置指定がされ,同年11月に国立癩療養所として設立された
ものである。
③ 国立癩療養所星塚敬愛園
  昭和10年5月20日内務省告示第342号のとおり,内務大臣により
名称及び位置指定がされ,同年10月に国立癩療養所として設立され
たものである。
④ 国立癩療養所東北新生園
  昭和13年4月1日厚生省告示第29号のとおり,厚生大臣により名称
及び位置指定がされ,昭和14年10月に国立癩療養所として設立され
たものである。
⑤ 国立癩療養所多磨全生園
  明治42年9月に第一区全生病院として創立され,昭和16年6月28
日厚生省告示第269号のとおり,厚生大臣により名称及び位置指定
がされ,同年7月1日に国立に移管されたものである。なお,創立時か
ら昭和16年に国立に移管されるまでの間は,明治40年法及び昭和6
年法4条1項の規定により2以上の道府県が設置した療養所として,1
号に該当する。
⑥ 国立癩療養所松丘保養園
  明治42年4月に第二区北部保養院として創立され,昭和16年6月2
8日厚生省告示第269号のとおり,厚生大臣により名称及び位置指定
がされ,同年7月1日に国立に移管されたものである。なお,創立時か
ら昭和16年に国立に移管されるまでの間は,明治40年法及び昭和6
年法4条1項の規定により2以上の道府県が設置した療養所として,1
号に該当する。
⑦ 国立癩療養所邑久光明園
  明治42年4月に第三区外島保養院として創立され,昭和16年6月2
8日厚生省告示第269号のとおり,厚生大臣により名称及び位置指定
がされ,同年7月1日に国立に移管されたものである。なお,創立時か
ら昭和16年に国立に移管されるまでの間は,明治40年法及び昭和6
年法4条1項の規定により2以上の道府県が設置した療養所として,1
号に該当する。
⑧ 国立癩療養所大島青松園
  明治42年4月に第四区大島療養所として創立され,昭和16年6月2
8日厚生省告示第269号のとおり,厚生大臣により名称及び位置指定
がされ,同年7月1日に国立に移管されたものである。なお,創立時か
ら昭和16年に国立に移管されるまでの間は,明治40年法及び昭和6
年法4条1項の規定により2以上の道府県が設置した療養所として,1
号に該当する。
⑨ 国立癩療養所菊池恵楓園
  明治42年4月に第五区九州療養所として創立され,昭和16年6月2
8日厚生省告示第269号のとおり,厚生大臣により名称及び位置指定
がされ,同年7月1日に国立に移管されたものである。なお,創立時か
ら昭和16年に国立に移管されるまでの間は,明治40年法及び昭和6
年法4条1項の規定により2以上の道府県が設置した療養所として,1
号に該当する。
⑩ 国立癩療養所宮古南静園
  昭和6年3月に沖縄県立宮古保養院として設立され,昭和8年10月
に同年勅令第253号2条1項の規定に基づき国立癩療養所となり,昭
和16年6月28日厚生省告示第269号のとおり,厚生大臣により名称
及び位置指定がされ,同年7月1日に国立癩療養所宮古南静園と名
称変更されたものである。なお,設立時から昭和8年に国立に移管さ
れるまでの間は,2号ロに規定されている。
⑪ 国立癩療養所国頭愛楽園
  昭和13年11月に設立され,昭和16年6月28日厚生省告示第269
号のとおり,厚生大臣により名称及び位置指定がされ,同年7月1日に
国立癩療養所国頭愛楽園と名称変更されたものである。なお,国頭愛
楽園(現在は沖縄愛楽園)の関係資料によれば,同園は,昭和13年
に沖縄県立国頭愛楽園として創設され,昭和16年に国に移管された
ともされており(乙49),設立時から昭和16年までの間は1号の対象と
ならないおそれもあったことから,この間については,2号ロに規定され
ている。
⑫ 国立癩療養所奄美和光園
  昭和18年4月5日厚生省告示第138号のとおり,厚生大臣により名
称及び位置指定がされ,同月に国立癩療養所として設立されたもので
ある。
⑬ 国立駿河療養所
  昭和19年12月15日厚生省告示第111号のとおり,厚生大臣により
名称及び位置指定がされ,同月に「軍事保護院官制」に基づく傷痍軍
人駿河療養所として設立され,その後,終戦を経て,昭和20年12月2
1日厚生省告示第142号のとおり,同月1日付けで,「医療局官制」に
基づく国立駿河療養所として名称及び位置指定がされたものである。
国立癩療養所官制は,昭和21年勅令第514号による医療局官制の
改正により廃止されてこれに集約されたことから,医療局官制に基づ
き厚生大臣が管理する国立駿河療養所も,昭和6年法3条1項の「国
立癩療養所」に当たる。
b 明治40年法及び昭和6年法4条1項の規定により2以上の道府県が設
置した療養所には,創設時から昭和16年に国立に移管されるまでの間
における次の5つの療養所が該当する。
① 第一区全生病院
② 第二区北部保養院
③ 第三区外島保養院(昭和9年9月室戸台風による流出後,昭和13年
4月岡山県に移転し邑久光明園として復興したものを含む。)
④ 第四区大島療養所
⑤ 第五区九州療養所
(イ) 2号
a 2号イは,昭和6年法が施行されるまでの間における国立癩療養所長島
愛生園である。
b 2号ロは,国に移管されるまでの間における沖縄県立宮古保養院及び
国頭愛楽園である。
c 2号ハは,軍政府布告の規定により施行を持続することとされた昭和6
年法3条1項の国立癩療養所であり,次の3つの施設が該当する。
① 国立癩療養所宮古南静園(昭和21年1月米軍政府管轄となる。)
② 国立癩療養所国頭愛楽園(昭和21年4月米軍政府管轄となる。)
③ 国立癩療養所奄美和光園(昭和21年2月米軍政府管轄となる。)
(ウ) 3号
  3号は,ハンセン病補償法が本来補償の対象としたというべき昭和28年法
11条の規定により国が設置したらい療養所である。前記(ア)aで挙げた国
立癩療養所のうち,沖縄及び奄美に存する3療養所を除く10の療養所が,
昭和28年法施行後も引き続き同法11条のらい療養所に該当し,沖縄及び
奄美に存する3療養所も,同地域が日本に返還された後,同法11条のらい
療養所に該当することとなった。具体的には,次の13の国立療養所であ
る。
① 国立療養所長島愛生園
② 国立療養所栗生楽泉園
③ 国立療養所星塚敬愛園
④ 国立療養所東北新生園
⑤ 国立療養所多磨全生園
⑥ 国立療養所松丘保養園
⑦ 国立療養所邑久光明園
⑧ 国立療養所大島青松園
⑨ 国立療養所菊池恵楓園
⑩ 国立療養所宮古南静園(昭和47年5月日本復帰)
⑪ 国立療養所沖縄愛楽園(昭和47年5月日本復帰)
⑫ 国立療養所奄美和光園(昭和28年12月日本復帰)
⑬ 国立駿河療養所
(エ) 4号
  沖縄では,琉球政府の下で昭和36年8月26日に「ハンセン氏病予防法」
が公布,施行され,同日,昭和6年法が廃止された。これにより,当時,琉
球政府が所管していた宮古南静園及び国頭愛楽園は,ハンセン氏病予防
法14条の規定により琉球政府が設置したハンセン氏病療養所及び琉球政
府が指定した政府立病院に該当することとなり,2号ハには該当しないこと
となったので,この時期の上記の2施設を対象とするために,本号が置かれ
た。したがって,本号に該当する療養所は,上記の2施設が名称を変更した
次のものとなる。
① 琉球政府立宮古南静園(昭和36年8月から沖縄が日本に復帰した
昭和47年5月までの間)
② 琉球政府立沖縄愛楽園(昭和36年8月から沖縄が日本に復帰した
昭和47年5月までの間)
(オ) 5号
  5号は,一部の宗教家らが設立した私立のハンセン病療養所である。
ウ 本件療養所の厚労省告示1号該当性
  昭和6年法及び「国立癩療養所官制」の各制定過程,法令の文言等に照らせ
ば,昭和6年法3条1項の規定は,昭和2年制定の「国立癩療養所官制」を前
提にするものであり,昭和6年法3条1項にいう「国立癩療養所」とは,「国立癩
療養所官制」に基づき内務大臣(昭和13年に「厚生省官制」及び「厚生省官
制及保険院官制制定ニ際シ栄養研究所官制其ノ他ノ勅令中改正ノ件」が施行
された以降は厚生大臣)が名称等を定めるなどその管理下にあった「国立癩
療養所」をいうことが明らかである。ところが,本件療養所は,「朝鮮総督府癩
療養所官制」に基づき設立された「朝鮮総督府癩療養所」であり,上記の「国
立癩療養所」には該当しない。
  また,第二次大戦以前の日本とその統治下にあった外地は,適用法令を異
にする異法地域とされ,美濃部達吉・日本行政法上巻(甲64)によれば,「朝
鮮・台湾・樺太・関東州・南洋群島は,行政法に関しては原則としてそれそれ
別個の法域を為し,其の各法域に於いて各々自己の特有な行政法を有つて
居るのである。」,「其の組織の実体に於いては内地と殖民地とは相分離せら
れて居り,内地の行政は天皇の下に各省大臣が其の各部を分担して居るに
反して,外交及び軍政を除き其の他の一般行政に関しては,各省大臣の権限
は直接には殖民地に及ばず,内地に於いては各省大臣に分属する一般行政
の権限が,包括的に総て殖民地の総督又は長官に委任せられて居る。」とさ
れている。そうすると,内地法である昭和6年法3条1項も内地の行政組織法
等との関連において解釈されるべきであり,同条項の「国立癩療養所」とは,
内地の行政組織法令というべき「国立癩療養所官制」に基づく「国立癩療養
所」であるのは当然であり,まして,内地のハンセン病予防法令である昭和6
年法が朝鮮に適用されることはなかったのであるから,外地の行政組織法令
である「朝鮮総督府癩療養所官制」に基づく朝鮮総督府癩療養所である本件
療養所が昭和6年法3条1項の「国立癩療養所」に当たらないことは明らかで
ある。
  このことは,昭和6年法の国会審議(昭和6年2月14日の貴族院衛生組合法
案特別委員会。乙47)をみても明らかである。すなわち,同法3条1項にいう
「国立癩療養所」が今現在どこにいくつあるかとの質問に対し,政府委員は,
国内にあった長島愛生園と栗生楽泉園に言及するにとどまり,当時,既に台
湾にあった台湾総督府癩療養所楽生院については何ら言及していない。この
ことは,当時の昭和6年法3条1項の「国立癩療養所」の解釈としても,「国立
癩療養所官制」に基づき設置された施設に限られ,外地に存在した療養所を
含むものでないことを明らかに示すものといえる。
  以上によれば,本件療養所は,昭和6年法3条1項の「国立癩療養所」に当た
らず,したがってまた,厚労省告示1号の「国立癩療養所」にも該当しない。
エ 原告らの主張に対する反論
(ア) 原告らは,厚労省告示1号における昭和6年法3条1項の「国立癩療養
所」とは,その設置根拠となった法令のいかんを問わず,昭和6年法施行当
時の我が国のハンセン病隔離政策に基づいて,ハンセン病患者を隔離する
ために,国が設置したハンセン病療養所をいうと主張するが,その根拠は
不明であって,失当である。
(イ) 原告らは,本件療養所について,厚労省告示1号又は2号が類推適用さ
れると主張するが,終戦により日本の主権が及ばなくなった朝鮮等の地域
に存在していたハンセン病療養所については,ハンセン病補償法の補償の
対象とはされておらず,同法2条の「国立ハンセン病療養所等」に当たるこ
とはないのであるから,同告示1号又は2号を本件療養所に類推適用する
余地もないことは明らかである。そして,そもそも同告示は,同法2条の「国
立ハンセン病療養所等」の範囲に疑義を生ずることのないように被告に同
法が委任した結果定められたものである上,同告示1号と2号ハは,昭和6
年法3条1項にいう国立癩療養所という明確な法律上の概念により定め,
同告示2号イ,ロは個別の療養所を定めているのであるから,これらに該当
しない本件療養所について,同告示1号又は2号を類推適用すべきもので
はない。
(ウ) 原告らは,厚労省告示2号ロが「国に移管されるまでの間における沖縄
県立国頭愛楽園」を挙げ,昭和13年から昭和16年までの同園を同告示1
号の対象外としていることを指摘し,実際には同園は昭和13年に沖縄振興
計画に基づく国立癩療養所として設立されており,このような調査不足の点
もあるのであるから,同告示2号に3類型を列挙したことが,同告示1号の
国立癩療養所と同視することが相当と認められる療養所をこれらに限定す
る趣旨とみることはできないと主張するが,国頭愛楽園を同号ロとして定め
た理由は前記のとおりであって,調査不足などと非難されるいわれはない
し,これをもって同告示2号に定められたもの以外に,同号を類推適用すべ
きものともいえない。しかも,この点をおいても,原告らの主張は,本件療養
所が同告示2号の類推適用を受けるべきとする根拠にはなり得ない。
(エ) 原告らは,昭和6年法3条1項にいう「国立癩療養所」に当たる機関とし
て,官制上「国立癩療養所」という名称でない機関が創設されることも予定
されているから,同法が「国立癩療養所」という文言を使用していることをも
って,これを国立癩療養所官制により設置されたものをいうとする形式文理
解釈は成り立たないと主張するが,仮に,原告らの主張どおりであれば,朝
鮮総督府癩療養所官制が制定されれば,朝鮮総督府癩療養所も昭和6年
法3条1項の「国立癩療養所」に該当し,朝鮮にも同法が適用されたことに
なるところ,同法が朝鮮に適用されなかったことは,原告らも争わないところ
であるから,原告らの主張することは,同法3条1項の「国立癩療養所」に朝
鮮総督府癩療養所が含まれる理由とはならない。原告らが引用する美濃
部・日本行政法上巻(甲80)も,本件のような場合を想定したものとは解さ
れない。
(オ) 原告らは,「国立癩療養所官制」は昭和21年に廃止されており,被告の
主張に従えば,その後昭和28年法が施行されるまでの間における国立癩
療養所はハンセン病補償法の対象外という結論となるから,被告の主張の
破綻は明らかであると主張するが,被告は,前記のとおり,国立駿河療養
所を例に挙げ,国立癩療養所官制は,昭和21年勅令第514号による医療
局官制の改正により廃止されてこれに集約されたことから,医療局官制に
基づき厚生大臣が管理する国立駿河療養所も,昭和6年法3条1項の「国
立癩療養所」に当たると主張しているところ,その後に制定された厚生省官
制に基づく療養所も同様であって,原告らの主張は,被告の主張を正解し
ないものである。
(カ) 原告らは,宮古療養所や駿河療養所に関する事実関係を個別に取り上
げ,被告が示す厚労省告示についての解釈論が破綻していると主張する
が,これらは同告示制定当時,昭和6年法3条1項の「国立癩療養所」に当
たると判断されたものである。この点をおいても,原告らの主張によって,被
告の「国立癩療養所」についての解釈全体が破綻しているということはでき
ないし,まして,それが,本件療養所も「国立癩療養所」に該当する,又は厚
労省告示を類推適用し得る根拠となるものではない。
(キ) 原告らは,昭和6年法が台湾に施行され,癩予防法施行規則に「国立癩
療養所」との文言が用いられていることなどを指摘して,昭和6年法3条1項
の「国立癩療養所」には台湾総督府癩療養所が含まれると主張するが,台
湾においては,行政諸法台湾施行令を改正する勅令の施行を介して,内地
法である昭和6年法が施行されることになったというにすぎず,内地法であ
る昭和6年法3条1項の「国立癩療養所」の概念自体が拡張し,変容したも
のではない。上記勅令中に,「国立癩療養所」を「台湾総督府癩療養所」と
読み替える規定がないからといって,それだけで,昭和6年法3条1項の「国
立癩療養所」がもともと台湾総督府癩療養所をも含む概念であると解するこ
とはできない。また,癩予防法施行規則は,癩患者を入らしむべき療養所は
州庁の療養所又は国立癩療養所とする旨を定めているが,これは,上記勅
令を介して内地法である昭和6年法が台湾にも施行されることになったこと
を踏まえたものであり,昭和6年法3条1項の「国立癩療養所」と同じ意味に
解することはできない。
(2) 原告らの主張
  本件療養所は,厚労省告示1号の「国立癩療養所」に該当し,仮にそうでないと
しても,同告示1号又は2号の類推適用を受けるから,ハンセン病補償法2条に
規定する「国立ハンセン病療養所等」に該当する。
ア 厚労省告示の意義とその特徴
(ア) 1号
  厚労省告示1号の「国立癩療養所」に関する定めの特徴は,単に「(昭和6
年法)第三条第一項の」とのみ規定している点にあり,同号の「二以上の道
府県が設置した療養所」に関する定めや3号及び4号の定めが,療養所設
置の根拠法令を明示しているのと対照的である。このことは,昭和6年法3
条1項の規定が,「国立癩療養所」の設置根拠となる法令を特定していない
ことと符合するものであり,厚労省告示1号の「(昭和6年法)第三条第一項
の国立癩療養所」は,その設置根拠となった法令の如何を問わないことを
意味している。
  厚労省告示1号の意義は,昭和6年法下の戦前に同号所定の療養所に入
所し,戦前の内に退所した者も,ハンセン病補償法の対象となることを明ら
かにしている点にある。その意味で,同号は,隔離自体の被害が戦前に特
定されている者をも対象とするという国会審議過程で明らかにされた同法
の趣旨を明示した規定であるということになる。
(イ) 2号
  厚労省告示2号は,厚労省告示全体の解釈基準,すなわちハンセン病補
償法2条の委任の趣旨を端的に示す最も特徴的な規定である。その特徴
は,次の3点にある。
a 第1の特徴は,「前号の国立癩療養所と同視することが相当と認められ
る次に掲げるハンセン病療養所」という規定振りにある。
  この規定は,まず,1号の国立癩療養所と同視することが相当と認めら
れる療養所であれば,ハンセン病補償法2条の「国立ハンセン病療養所
等」に該当し得ることを示している。
  そのうえで,イないしハの3つの類型を規定しているが,この3類型は,
被告が厚労省告示制定までの短期間に調査・検討し得た療養所を掲記
したものにすぎず,これ以外に1号の国立癩療養所と同視することが相
当と認められる療養所の存在を否定するものではない。
  実際,2号ロは,「国に移管されるまでの間における沖縄県立国頭愛楽
園」を規定しているが,国頭愛楽園は,昭和13年に沖縄振興計画に基づ
く国立癩療養所として設立されているから,規定自体正確性を欠いてい
る。このような調査不足の点もあるのであるから,2号に3類型を列挙し
たことが,1号の国立癩療養所と同視することが相当と認められる療養所
をこれらに限定する趣旨とみることはできない。
  したがって,3類型以上に1号の国立癩療養所と同視することが相当と
認められる療養所の存在が認められた場合には,2号の療養所以上に
ハンセン病補償法2条の「国立ハンセン病療養所等」に該当することにな
らざるを得ないということになる。
b 第2の特徴は,掲記された3類型の療養所が,「前号の国立癩療養所と
同視することが相当」と規定されながら,1号の国立癩療養所とは,規定
の文言上,形式上は,著しく相違しているということである。
  2号イの昭和6年法施行前の療養所及び2号ロの沖縄県立の療養所
は,1号の療養所に該当する余地はなく,本来なら,これと同視し得ない
はずである。また,2号ハは,米軍政下の沖縄の療養所であるところ,ハ
ンセン病補償法の前文は,我が国の隔離政策による被害を前提にしてい
るのであるから,その施政権が及ばない療養所のみへの入所被害は,
本来なら,同法の予定外となるはずである。
  にもかかわらず,このような療養所が1号の療養所と同視するのが相当
と認められる理由は,同一の療養所でありながら,その入所時期によっ
てハンセン病補償法の適用の有無が異なるのは不公平だという「平等原
則」以外にはあり得ない。
  このような2号の規定は,次の2つのことを意味することになる。
  その1は,このような規定の存在は,ハンセン病補償法の趣旨が,我が
国のハンセン病隔離政策による隔離被害を受けたものを残らず対象とす
るものであると解釈して初めて理解し得るということである。
  その2は,そうしたハンセン病補償法の趣旨を厚労省告示の規定に実現
するために,平等原則が同告示全体に通底する原則として機能している
ということである。
c 第3の特徴は,2号ハにおいて,昭和6年法が,日本の施政権外の地域
で施行されたことが,1号と同視することが相当と認められる根拠とされ
ていることである。
  日本の施政権が及ばない地域に施行された昭和6年法の療養所(その
意味で既に国立ではない)が,2号によりハンセン病補償法の対象とな
り,日本の統治時代に,昭和6年法が適用された時期に国が設置した韓
国の療養所がハンセン病補償法の対象外であるというような解釈が許さ
れるはずがない。その意味で,2号ハの存在は,我が国が植民地におい
て設立した療養所に同法の適用はないとする被告の主張の破綻を示し
ている。
(ウ) 4号
  4号は,ハンセン氏病予防法14条の規定により「琉球政府が設置したハン
セン氏病療養所」を規定する。
  ハンセン氏病予防法は,米軍施政権下の沖縄で,琉球立法院が制定した
法律であり,退所規定や在宅治療制度のような,我が国のハンセン病隔離
政策とは異質の規定や制度を内容としている。
  このような療養所がハンセン病補償法の対象として4号に規定されたの
は,国会審議の過程で対象とすべきことが明らかにされていたからである
が,その根拠は,2号と同様に,同じ療養所でありながら,その入所時期に
よって同法の適用の有無が異なるのは不公平だという理由に基づくものに
ほかならない。
  このことは,我が国のハンセン病隔離政策の法的根拠となった昭和6年法
及び昭和28年法とは異なる法令によって設置されたハンセン病療養所で
あっても,公平の原則によってハンセン病補償法の対象になり得ることを示
している。
  一方で,4号は,「琉球政府が指定した政府立病院」を規定し,これはハン
セン氏病予防法独自の制度であり,戦前あるいは本土復帰後の沖縄のハ
ンセン病療養所とは全く無関係な病院である。
  このような病院がハンセン病補償法の対象とされるのは,同じ時期に,同
じ法律の適用を受けて入所しながら,入所した病院が,療養所であるか指
定病院であるかによってハンセン病補償法の適用の有無が異なるのは公
平の原則に反するということ以外に説明のしようがない。
(エ) 5号
  私立の療養所では,入所は強制されず,退所制限もなく,労働の強制や断
種・堕胎も実施されていない。その意味で,これらの療養所入所者は,この
ような狭義の隔離被害は受けていない。
  このような私立療養所を厚労省告示に網羅したのは,法案起草段階や国
会審議で明らかにされた,我が国の隔離政策下に設置されたすべてのハン
セン病療養所を対象とするとのハンセン病補償法の趣旨に則ったものであ
り,やはり,同じ時期に,ハンセン病療養所に入所しながら,同法の適用の
有無が異なるのは不公平だという考えに基づくものというほかはない。
  被告は,私立の療養所にハンセン病補償法が適用される根拠を,国立ハ
ンセン病療養所の代用を果たし,あるいはその閉鎖に伴ってその収容者が
国立ハンセン病療養所に移転したことを挙げるが,何故に代用を果たした
り,閉鎖時に収容者が移転したことが理由になるのか不明であり,説明にな
っていない。代用を果たしたという事実が同法の適用を基礎付けるとすれ
ば,それは公平の原則によってしか説明がつかないところであり,閉鎖時の
収容者の移転に至っては,移転後の入所の事実によって同法の適用を受
けられるのであるから,理由にはなり得ない。しかも,5号列挙の療養所の
中には,その閉鎖時期すら不詳で,閉鎖時に収容患者が移転したかどうか
すら不明の療養所が少なからず存在しているのであって,被告の説明は事
実に反するものである。
  隔離被害とは無縁と思われる「回天病院」(明治7年開設,閉鎖時期不詳)
や「起廃病院」(明治8年開設,明治41年閉鎖)がハンセン病補償法の対象
とされ,一方で,国が過酷な隔離政策を強いた本件療養所が何故に補償対
象から除外されるのか,理解に苦しむというほかない。
イ 本件療養所の厚労省告示1号該当性
  厚労省告示1号に規定する「(昭和6年法)第三条第一項の国立癩療養所」と
は,昭和6年法施行当時の我が国のハンセン病隔離政策に基づいて,ハンセ
ン病患者を隔離するために,国が設置したハンセン病療養所をいい,その設
置根拠の如何を問わない。この解釈の結果は,我が国の隔離政策のすべて
の被害者を慰謝するというハンセン病補償法の制定趣旨にもかなうものであ
る。
  そして,本件療養所は,以下に列挙する理由から,昭和6年法施行当時の我
が国のハンセン病隔離政策に基づいて,ハンセン病患者を隔離するために,
国が設置したハンセン病療養所にほかならないから,厚労省告示1号の「国
立癩療養所」に該当する。
(ア) 第1は,本件療養所の設置に至る経緯である。
  韓国におけるハンセン病患者に対する隔離政策の進展は,前記のとおり
であるが,日本本土のそれと時期においても,根絶策と収容計画の策定→
国立療養所の設置→法整備という経過をたどる手順においても,連動して
いることは明らかであり,本件療養所の設置根拠である「朝鮮総督府癩療
養所官制」は,我が国の絶対隔離政策を日本の統治下にあった朝鮮全土
にも適用するため,国立の療養所を設置するところに,その主眼があった。
(イ) 第2は,「朝鮮癩予防令」が,天皇に直隷する日本国の機関である朝鮮
総督が勅裁を得て公布したものであって,その内容及び規定振りは,昭和
6年法を踏襲したものであり,昭和6年法と同視することができるということ
である。
(ウ) 第3は,本件療養所が,勅令によって設置された療養所であり,これを管
理する朝鮮総督も,天皇に直隷し,朝鮮における一切の政務を統括する日
本国の機関であり,朝鮮における諸般の政務は日本国の内閣総理大臣を
経て上奏し天皇の裁可を受けることが必要とされていたということである。
(エ) 第4は,運用上も,本件療養所は,我が国の国立癩療養所の一つとして
扱われていたという点である。このことは以下の事実から明らかである。
a 大阪府警察本部発行の「大阪府警察史」(甲69)によれば,昭和13年に
検挙した「らい患者窃盗団事件」において,被疑者10人を「岡山県長島ら
い療養所」へ,被疑者22人を「朝鮮小鹿島らい療養所」へそれぞれ送致
収容したと記述されている。この事実は,内地にいる朝鮮人ハンセン病
患者に対する昭和6年法3条1項の適用において,本件療養所が長島愛
生園と同等の国立癩療養所として運用されていたことを端的に示すもの
である。
b 昭和11年10月1,2日の両日,内務省は,「官公立癩療養所長会議」を
開催したが,同会議には,日本国内の長島愛生園等の国立癩療養所の
所長,九州療養所等の2以上の道府県立癩療養所の所長と並んで,本
件療養所,台湾楽生院の所長が正式メンバーとして出席している(甲7
0)。
c 本件療養所の人事は,日本国内の国立療養所との間で相互に交流され
ており,例えば昭和10年1月に本件療養所の医務課長に就任した者
が,昭和13年7月には宮古南静園長に転任している。
  本件療養所の人事・運営は,細部に至るまで,閣議決定された後に勅令
で公布されており(甲18ないし甲20),甲第18号証の療養所収容定員
及び職員定員比較表では,内地の各国立療養所と同列に本件療養所が
記載されている。
(オ) 以上のほか,前記のとおり,厚労省告示2号は,1号の「国立癩療養所」
と「同視することが相当」と認められるハンセン病療養所として,①昭和6年
法施行前の国立療養所(2号イ),②県立の療養所(2号ロ),③日本の施政
権外の療養所(2号ハ)を規定しているところ,これらの療養所が1号の「国
立癩療養所」と同視される療養所であるというのであれば,①昭和6年法施
行後に,②国によって,③日本の施政権の及ぶ地域内に設置された本件療
養所は,上記各療養所以上に1号の「国立癩療養所」と同視することが相
当であり,むしろ,1号の「国立癩療養所」そのものというべきである。
ウ 厚労省告示1号の類推適用
  本件療養所は,仮に厚労省告示1号該当性が認められない場合にも,同告
示2号に規定された3類型の療養所以上に,国立療養所と同視すべき療養所
として,同告示1号の類推適用が認められるべきである。
(ア) 前記のとおり,2号の3類型は,被告が厚労省告示制定までの短期間に
調査・検討し得た療養所を掲記したものにすぎず,3類型以外に,1号と同
視するのが相当と認められる療養所をハンセン病補償法の対象外とするの
が同法の趣旨ではない。そして,本件療養所が,2号の3類型の療養所以
上に国立療養所と同視すべき療養所であることは,前記に述べたとおりで
ある。
  本来であれば,2号に「その他前号の国立癩療養所と同視することが相当
と認められる療養所」といった包括規定が置かれるべきだったのであり,こ
の不備は,ハンセン病補償法の趣旨に照らし,厚労省告示1号の類推適用
によって補完されるべきである。
(イ) 加えて,本件療養所においては,日本本土の療養所の被害実態の特徴
として掲げられる強制隔離,終生隔離,労働の強制,断種・堕胎の強制等と
同質の被害実態があり,その被害は,植民地支配下における収容という要
素が加わり日本本土の療養所の入所者の被害以上に深刻で悲惨である。
  我が国の隔離政策のすべての被害者を慰謝するというハンセン病補償法
の趣旨に照らせば,本件療養所の入所者も,日本本土の療養所の入所者
と同様もしくはそれ以上に,慰謝されなければならない。
(ウ) さらに,厚労省告示を貫く平等原則(公平の原則)に照らしても,1号の類
推適用が認められるべきである。
  前記のとおり,厚労省告示を貫く平等原則は4号と5号に端的に表れてい
る。昭和6年法施行当時の我が国のハンセン病隔離政策に基づいて,国が
設置した,2号に規定された療養所以上に1号と同視し得る療養所におい
て,2号に規定された療養所の入所者以上に過酷な被害を受けながら,ハ
ンセン病補償法の対象とならないという結果はあまりに平等原則に反する。
エ 厚労省告示2号の類推適用
  仮に厚労省告示1号の類推適用が認められなくても,少なくとも2号に列挙さ
れた3類型の療養所以上に1号の国立癩療養所と同視することが相当と認め
られる療養所であることは争う余地がないから,本件療養所には,同告示2号
が類推適用されるべきである。
オ 被告の主張に対する反論
(ア) 被告は,昭和6年法3条1項の国立癩療養所の意義について,国立癩療
養所官制に基づき内務大臣等が名称等を定めるなどその管理下にあった
国立癩療養所をいうと主張するが,その主張は破綻している。
a 被告が根拠として挙げているのは,昭和2年に国立癩療養所官制がで
き,その後昭和6年法に「国立癩療養所」という文言が規定されたという
制定過程と法令の文言である。
  しかしながら,旧憲法下では,官制上の行政組織名と法律上の行政組
織名が一致しないことが予定されており,国立癩療養所官制制定後に制
定された昭和6年法が「国立癩療養所」という文言を使用していることをも
って,昭和6年法上の国立癩療養所は国立癩療養所官制により設置され
たものをいうとする形式文理解釈は成り立たない。
  すなわち,旧憲法下においては,行政組織を定めることは原則として大
権事項とされ,官制と称される勅令で定めるものとされる一方,権限は法
律で定めるということが行われていたところ,法律は帝国議会の協賛が
なければ改正することができないのに対し,勅令は天皇が自由に改正す
ることができるために,官制上の組織名と法律上の行政組織名に齟齬が
生じることがあり得,この場合には,法律はその形式的改正を待たずし
て,勅令によって自ずから変更されたものとなるとされていた(美濃部達
吉・日本行政法上巻,甲80)。
  したがって,昭和6年法3条1項にいう「国立癩療養所」に当たる機関とし
て,官制上「国立癩療養所」という名称でない機関が創設されることも予
定されていたのである。
b また,被告の「国立癩療養所官制論」は,被告が厚労省告示1号に該当
することを認める療養所の組織法上の根拠と次の2点において整合しな
い点において,決定的に破綻している。
  第1は,「国立癩療養所官制」は昭和21年11月4日に廃止されていると
いうことである。被告が厚労省告示1号に該当することを認める国立療養
所のうち,当時日本の施政権下になかった奄美和光園と沖縄2園を除く1
0園は,同年11月5日以降は「厚生省官制」に基づく「国立療養所」となっ
たのであって,被告の主張に従えば,これらの療養所については,同日
から昭和28年法が施行される昭和28年8月15日までの間は,ハンセン
病補償法の対象外という結論に行き着くことになる。
  第2は,設立当初の根拠法令としても「国立癩療養所官制」が妥当しな
い療養所が存在するということである。例えば,宮古療養所は,「沖縄県
振興事務ニ従事セシムル為沖縄県ニ臨時職員増置ノ件」(昭和8年勅令
第253号)に基づくものであり,昭和16年6月までは国立癩療養所官制
による国立癩療養所ではなかった。国頭愛楽園も,沖縄振興計画に基づ
き,昭和13年沖縄県告示第53号により国立癩療養所として設立された
ものであり,昭和16年6月までは国立癩療養所官制に基づかない国立
癩療養所であった。駿河療養所についても,昭和19年12月軍事保護院
官制に基づく傷痍軍人療養所として設立され,その後医療局官制に基づ
く国立療養所となっており,国立癩療養所官制上の国立癩療養所となっ
たことはない。
c さらに,被告の「国立癩療養所官制論」は,昭和6年法3条1項の療養所
には,国立癩療養所官制とは無縁の「外地」の台湾総督府癩療養所官制
に基づく療養所が含まれていることに照らしても破綻している。
  台湾では,「行政諸法台湾施行令中改正ノ件」(昭和9年勅令第164号)
によって,台湾に施行される法律に昭和6年法が加えられたが,その際,
台湾の事情を考慮して,「道府県」を「州」と読み替える等の規定が置か
れたものの,「国立癩療養所」を「台湾総督府癩療養所」と読み替える規
定は設けられなかった。また,これに伴って定められた「癩予防法施行規
則」には「国立癩療養所」との文言が用いられており,この「国立癩療養
所」の長は台湾総督の監督に服することが定められているから,当該「国
立癩療養所」とは,台湾総督府癩療養所官制によって設立された楽生院
以外にない。このことは,台湾総督府癩療養所が昭和6年法3条1項に
いう「国立癩療養所」に該当すると解釈されていたことを端的に示してい
る。
(イ) 被告は,昭和6年法3条1項は,内地の行政組織法との関連において解
釈されるべきであり,同条項の「国立癩療養所」とは,内地の行政組織法と
いうべき「国立癩療養所官制」に基づく「国立癩療養所」であるのは当然で
あって,外地の行政組織法である「朝鮮総督府癩療養所官制」に基づく本
件療養所がこれに当たらないのは当然というが,この主張は誤りである。
a 第1に,被告の主張の前提としての「国立癩療養所官制論」自体が破綻
しているということである。
b 第2に,被告の主張は,ハンセン病補償法2条の対象となる療養所をそ
の設置根拠となる法令によって限定しようとするものであり,隔離政策に
よる被害を補償せんとする同法の趣旨に反するということである。問題と
すべきは,隔離政策に基づいて設置された療養所であるかどうかであ
り,個々の根拠法令名が同一であるかどうかでないのであって,ましてや
当該法令が内地法であるか外地法であるか等ということが問題となる余
地はない。
c 第3に,被告が主張の前提としている内地と外地という概念が相対的で
あるということである。また,被告は朝鮮癩予防令を外地法,昭和6年法
を内地法とする前提で議論を組み立てているが,施行地域で内地法と外
地法を区別するのであれば,台湾に適用される昭和6年法は外地法でも
あり,また,当該法令を制定した機関で区別するのであれば,朝鮮癩予
防令は天皇が定めたものであるから内地法ということになり,内地法,外
地法という概念もまた自明のものではない。
d 第4に,昭和6年法3条1項は,内地の行政組織法との関連において解
釈されるべきだという立論自体が破綻しているということである。
  米軍占領下の沖縄では,「ハンセン氏病予防法」が制定されるまでの
間,昭和6年法が適用されている。しかし,その間の療養所の設置根拠
は,1947年米国軍政府特別布告第13号(甲77の1)である。つまり,
被告のいう「内地法」か「外地法」といった区別どころか,外国の布告との
関連で適用されているのである。厚労省告示2号ハは,このような療養所
にハンセン病補償法を適用することを認めているのであって,自国の最
高統治権者であった天皇の勅令によって組織形態が定められた本件療
養所に同告示1号の適用ができないなどということが許されるはずがな
い。
(ウ) 被告は,昭和6年法の国会審議では,同法3条1項にいう「国立癩療養
所」は,「国立癩療養所官制」に基づき設置された施設に限られ,外地に存
在した療養所は含まれていなかったと主張するが,このような主張は当該
国会審議における質疑応答の解釈を誤るものである。
  すなわち,質問者が質問したのは,「国立癩療養所」が「今現に何処に幾つ
あるのか」ということにすぎず,昭和6年法3条1項の「国立癩療養所」の意
義を質問したものではない。法案審議当時は,明治40年法の改正前であ
るから,同法3条1項には「国立癩療養所」の規定はなく,ここでは,一般的
な国立の癩療養所について質問されているにすぎない。しかも,質問者は,
その質問全体をみれば明らかなように,内地の国立の癩療養所について質
問したものであって,この質問に対する答弁に,台湾楽生院が含まれてい
ないことをもって,昭和6年法3条1項の「国立癩療養所」は「国立癩療養所
官制」に基づくものとの主張の根拠にするのは,牽強付会である。
第3 当裁判所の判断
1 はじめに
  前示のとおり,ハンセン病補償法2条は,補償の対象となる「ハンセン病療養所入
所者等」の具体的な定めを厚労省告示に委ねているから,原告らに対する補償金
の支給が認められるべきであるかどうかは,同告示の解釈によって決せられるべ
きこととなる。もっとも,同告示は,ハンセン病補償法に基づいて定められたものな
のであるから,その解釈に当たっては,ハンセン病補償法の趣旨が十分に踏まえ
られるべきことも当然の事柄であるといわなければならない。そこで,以下において
は,まず,ハンセン病補償法の趣旨を検討した上,その結果を踏まえて,同告示の
解釈の問題について検討をすることとする。
2 ハンセン病補償法の趣旨について
(1) ハンセン病補償法の規定内容等
ア ハンセン病補償法は,国が,「ハンセン病療養所入所者等」に対し,その者
の請求により,補償金を支給するものと定め(3条),支給対象者である「ハン
セン病療養所入所者等」に該当するための要件として,「厚生労働大臣が定
めるハンセン病療養所」に入所していた者であることを規定するとともに,その
療養所の例示として,昭和28年法11条の規定により国が設置したらい療養
所(同法はこれを「国立ハンセン病療養所」といい,厚生労働大臣がこれを例
として定めるハンセン病療養所を包括して「国立ハンセン病療養所等」とい
う。)を掲げている(2条)。
  そして,補償金支給の趣旨を「ハンセン病療養所入所者等」の被った精神的
苦痛を慰謝するためのものであると定め(1条),その精神的苦痛の原因につ
いて,ハンセン病の患者に対する偏見と差別(前文第1文),及び,我が国に
おいて,昭和28年法においても引き続きハンセン病の患者に対する隔離政
策がとられたことに加え,昭和30年代に至ってハンセン病に対するそれまで
の認識の誤りが明白となったにもかかわらず,なお,依然としてハンセン病に
対する誤った認識が改められることなく,隔離政策の変更も行われることなく,
平成8年の廃止法まで継続したこと(前文第2文)を指摘している。
イ 補償金の額については,5条に規定がある。その規定振りは,熊本地裁判決
が示した慰謝料の算定基準を踏まえたものであることが明らかであり,一見複
雑な規定となっているが,要するに,平成8年3月31日までに「国立ハンセン
病療養所等」に入所していた者には最低一律800万円の補償金を支給し,特
に昭和35年1月1日から昭和49年12月31日までの間に入所経験のある者
に対しては,その時期及び期間の長短に応じて,さらに200万円刻みで最高
1400万円までの加算を認めるものであるということができる。昭和35年1月
1日から昭和49年12月31日までの間に入所経験のある者に対する補償が
手厚くなっているのは,熊本地裁判決において,遅くとも昭和35年以降におい
ては,すべてのハンセン病患者について隔離の必要性が失われ,昭和28年
法の隔離規定の違憲性が明白になったが,昭和50年以降においては,隔離
による被害の著しい後退と処遇改善等が認められるとされたことを踏まえたも
のであると解される。
  そして,補償金の支給対象者は,「国立ハンセン病療養所等」に入所していた
者のうち,ハンセン病補償法の施行日(平成13年6月22日)において生存し
ている者に限られ(2条),補償金の支給の請求は,施行日から起算して5年
以内に行わなければならず,この期間内に補償金の支給の請求をしなかった
者には,補償金が支給されない(4条)。また,法文には規定がないが,国会
審議の際には,ハンセン病補償法の施行に要する経費が約700億円の見込
みであることが法案に明記されていた。
ウ ハンセン病補償法2条の規定振りによれば,同条にいう被告が定めるべき
「国立ハンセン病療養所等」の中に,「国立ハンセン病療養所」,すなわち,昭
和28年法11条の規定により国が設置したらい療養所が含まれることは明ら
かであり,この点は当事者間でも争いがない。
(2) 「国立ハンセン病療養所等」の意義について
  上記のとおり,ハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」に,昭
和28年法11条の規定により国が設置したらい療養所が含まれることは当事者
間に争いがないところ,その他にどのような療養所が含まれるのかについて,原
告らは,「同条は,我が国のハンセン病隔離政策によって隔離被害を受けた者
が入所していた施設すべてをハンセン病療養所として定める趣旨であるから,本
件療養所もハンセン病療養所に含まれる。」と主張するのに対し,被告は,「同条
にいう国立ハンセン病療養所等とは,国立ハンセン病療養所を始めとして,その
前身ともいうべき各国公立のハンセン病療養所,及びこれら国公立のハンセン
病療養所の代用としての機能を果たし,あるいはその閉鎖に伴ってその収容者
がこれらの療養所に移転した私立のハンセン病療養所をいうから,これらに該当
しない本件療養所は含まれない。」と主張する。
  ところで,この点について,ハンセン病補償法2条は,「その他の厚生労働大臣
が定めるハンセン病療養所」と定めるのみであって,少なくとも,その文言上は,
どのような施設がこれに含まれるのかが明らかではないというほかはないから,
同法の審議経過や,同法全体の規定振り,その趣旨,目的等に照らしてこれを
解釈していくほかはない。そこで,この点について検討してみると,以下のような
点を指摘することができる。
ア ハンセン病補償法の審議経過等からの検討
(ア) ハンセン病補償法の審議経過は,既に認定したとおりであるが,これに
よれば,昭和28年法11条の規定により国が設置したらい療養所入所者の
ほか,復帰前の沖縄の療養所に入所していた者(西川議員の質問に対する
衆議院法制局第5部長答弁)や,昭和6年法適用時のみの入所者,琉球政
府時代のみの入所者,私立療養所の入所者(中川議員の質問に対する厚
生労働省健康局長答弁)も補償の対象になる旨の答弁がされている。国会
においては,このような答弁を了とした上で,ハンセン病補償法を可決成立
させているのであるから,同法は,上記のような施設に入所していた者に対
しても補償を行うこと(したがって,これらの施設を厚労省告示において対象
施設として定めるべきこと)を当然の前提として成立したものということがで
き,このような理解については,当事者双方にも異論がないところである。
  そして,このような審議経過を敷衍すれば,ハンセン病補償法は,少なくと
も,同法制定時において,我が国の領域内に含まれる地域(沖縄のように
戦後の一時期に米国の施政下にあった地域も含む。)に存在し,あるいは
かつて存在したハンセン病療養所に入所していた者は,すべて補償の対象
とすること(したがって,上記のような施設をすべて厚労省告示において対
象施設として定めること。以下,これらの施設をまとめて「内地療養所」とい
うことがある。)を予定していたと解することも可能であると考えられる。
(イ) これに対し,本件療養所のように,終戦に伴って我が国の領土ではなくな
った地域に所在するハンセン病療養所(以下「外地療養所」という。)に関し
ては,「今後,ハンセン病問題の歴史を検証していく中で,御指摘の点(韓
国のハンセン病療養所収容者に対しても,謝罪と補償を検討すべきではな
いかとの点)につきましても取り扱いを検討してまいりたいと思います。」とい
う坂口厚生労働大臣の答弁があるのみであって,少なくとも,これらの療養
所入所者を補償の対象とすることを前提とした質疑応答は存在しない(江田
議員の陳述書である甲第60号証においても,外地療養所の被収容者につ
いては,法案起草段階では全く議論に上っていなかった旨の記述がされて
いる。)。
  そして,本件療養所の取扱いに関連する質疑としては,前認定のとおり,
瀬古議員,中川議員によるものがあるのみであるが,これらを子細に検討
していくと,①平成13年5月29日の衆議院厚生労働委員会において,瀬
古議員は,熊本地裁判決においては,沖縄の療養所入所者について,本
土復帰前の被害を賠償対象とはしていなかったという問題を提起した上で,
「沖縄では,ハンセン病に対する国の誤った政策に加えて,米軍占領による
さらに一層の苦難が加わっているわけですね。当然賠償で沖縄に差をつけ
るべきでないと考えますが,その点いかがでしょうか。」と質問し,桝屋副大
臣の「今委員から御指摘をいただいた点も含めて,今後の立法措置を踏ま
えて対応していきたいというふうに考えているところでございます。」との回
答を引き出す一方で,本件療養所に関しては,「韓国にはハンセン病の療
養所がございます。…(中略)…事実を調査した上,謝罪と補償を検討すべ
きであると思いますけれども,その点いかがでしょうか。」と質問し,前述の
坂口厚生労働大臣の答弁を引き出していること(乙11),②同年6月10日
の衆議院厚生労働委員会において,中川議員は,「本法案の中で第2条,
ここにおきます『その他の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所』に,旧
法適用時のみの入所者,琉球政府時代のみの入所者及び私立療養所の
入所者が含まれるかどうか,この点,はっきりと御答弁をお願いします。」
「今,旧法の御答弁がなかったんですが,31年のらい予防法適用時のみの
入所者,この分と,もう一度,あわせて,『厚生労働大臣が定める』というの
はいつどのような方法で定めるのか,この2点,お願いします。」と質問し,
篠崎政府参考人から,質問に係る施設入所者はいずれも補償の対象にな
ること,及び政令(後に告示と訂正)は,ハンセン病補償法の施行日までに
整備するという回答を引き出す一方で,本件療養所に関しては,「これは質
問通告をしておりませんので,私も細かい数字を問うつもりはございません
が,第二次世界大戦中,占領下の朝鮮半島での隔離政策による元患者に
対しても同等に扱うべきだと私は思いますが,その当時の実態を厚生労働
省は把握しているのか否か,これから調査しなければいけないとお考えか
どうか。」と質問し,桝屋副大臣から,「今,私の頭にあること以上のことを委
員はおっしゃいまして,韓国の状況もまたつまびらかにしてもらいたい,こう
いう御要請をいただいたわけであります。検証するための委員会,この活動
の中で考えていくべきことだというふうに私は思っております。突然伺われま
して,戦時中における韓国でのハンセン病の実態というものはどういうもの
か,私もつまびらかにはしておりません。」との回答を得,「ぜひともこれも真
相究明の大きな1つとして実態調査,そしてそれに対する対応を図っていた
だきたいと思います。」と発言していること(甲12)が認められる。これらの
質疑からすると,瀬古議員のいう沖縄の療養所入所者や,中川議員のいう
旧法適用時のみの入所者,琉球政府時代のみの入所者,私立療養所の入
所者については,それらがハンセン病補償法の補償の対象になるのかどう
かという明確な問題意識の下に,いずれも補償の対象になることを確認す
るための質問がされ,これを肯定する回答がされているのに対し,本件療
養所入所者に関しては,「事実を調査した上,謝罪と補償を検討すべきであ
ると思いますけれども」(瀬古議員),「その当時の実態を厚生労働省は把
握しているのか否か,これから調査しなければいけないとお考えかどうか」
(中川議員)といった,どちらかというと将来の検討課題としてどのように取り
扱うのかという問題意識に基づくと考えられる質問がされており,これらの
質問は,外地療養所の入所者が補償の対象になるとは意識せず,あるい
は,補償の対象にはならないことを前提とした上で,これらの者に対しても
今後対応が必要ではないかという点を指摘したものと理解するのが素直で
ある。そして,これらの質問に対する答弁も,上記質問の問題意識の域を出
るものではないし,上記各議員や他の議員らからこの点について更に突っ
込んだ質問がされた形跡も認めることはできないのであるから,ハンセン病
補償法の立案者やこれを審議した国会の問題意識も,上記の域を出るもの
ではなかったというほかはない。
(ウ) ハンセン病補償法の制定に当たり,自民,公明,保守の与党3党の協議
においては,補償対象者は四千数百人で,補償額は最大で600億円とな
ることが見込まれていたものであり(乙40ないし42),また,同法案の提出
に当たっては,同法施行に要する経費としては,約700億円の見込みであ
る旨が明記されていたものであるが(乙9),これらの補償対象者数の算定
や,経費の積算に当たって,外地療養所の入所者の存在が考慮されてい
たことをうかがわせる証拠は存在せず,むしろ,証拠(乙43ないし46等)に
よれば,補償事務を担当する厚生労働省においては,外地療養所の入所
者はその対象に含めないものと理解していたことが認められる。
(エ) 以上のようなハンセン病補償法の審議経過からすると,外地療養所の入
所者が,同法による補償の対象になるということが,明確に認識されていな
かったことは明らかであるし,むしろ,これらの者は,直ちに同法の適用対
象となるものではないとの認識が前提にあったものと考えるのが素直な理
解というべきである。
イ ハンセン病補償法の内容やその趣旨に基づく検討
  以上,前記アにおいて検討したハンセン病補償法の審議経過等からすると,
内地療養所の入所者に対しては,補償金の支給が予定されていた一方で,外
地療養所の入所者に対しては,必ずしも補償金の支給が予定されていたとい
うことはできず,両者で取扱いが異なることもあり得ることとなるが,このような
区別を,同法の解釈として導き出すことができるのかどうかは,法の解釈の問
題として,別個に検討すべきである。そして,同法2条の規定が,この点につ
いて明確な解決を与えるものではないことは既に指摘したとおりなのであるか
ら,結局,この問題については,同法全体の内容や,その趣旨,目的等に基
づいて判断するほかはないこととなるので,以下,この点について検討する。
(ア) ハンセン病補償法前文においては,「ハンセン病の患者は,これまで,偏
見と差別の中で多大の苦痛と苦難を強いられてきた。我が国においては,
昭和28年制定の『らい予防法』においても引き続きハンセン病の患者に対
する隔離政策がとられ,加えて,昭和30年代に至ってハンセン病に対する
それまでの認識の誤りが明白となったにもかかわらず,なお,依然としてハ
ンセン病に対する誤った認識が改められることなく,隔離政策の変更も行わ
れることなく,ハンセン病の患者であった者等にいたずらに耐え難い苦痛と
苦難を継続せしめるままに経過し,ようやく『らい予防法の廃止に関する法
律』が施行されたのは平成8年であった。」との認識が示された上で,これら
によって生じた「ハンセン病の患者であった者等のいやし難い心身の傷跡
の回復と今後の生活の平穏に資することを希求して,ハンセン病療養所入
所者等がこれまでに被った精神的苦痛を慰謝する」ことなどを目的として,
同法を制定する旨が定められている。
  また,ハンセン病補償法5条の内容は,既に指摘したとおりであるが,要す
るに,平成8年3月31日以前に国立ハンセン病療養所等に入所した者に対
しては,たとえ熊本地裁判決が違憲とした昭和35年以降の期間において
入所期間がないとしても,800万円の補償金を支給する旨を定めるもので
ある。
  これらの規定は,前文において,「昭和28年制定の『らい予防法』において
も引き続きハンセン病の患者に対する隔離政策がとられ,加えて,昭和30
年代に至ってハンセン病に対するそれまでの認識の誤りが明白となったに
もかかわらず,なお,依然としてハンセン病に対する誤った認識が改められ
ることなく,隔離政策の変更も行われることなく」とされていることや,5条の
定めからも明らかなとおり,熊本地裁判決が違憲とした昭和35年以降の隔
離政策に限らず,昭和28年法やそれ以前の法律に基づくハンセン病政策
によってハンセン病患者が被った苦痛や苦難をも補償の対象としたもので
ある。そして,補償の対象の中核は,隔離政策の実施(すなわち,国立ハン
セン病療養所等への収容)そのものによる精神的苦痛にあることは明らか
であるものの,前文において,「ハンセン病の患者は,これまで,偏見と差別
の中で多大の苦痛と苦難を強いられてきた。」「昭和30年代に至ってハンセ
ン病に対するそれまでの認識の誤りが明白となったにもかかわらず,なお,
依然としてハンセン病に対する誤った認識が改められることなく」といった指
摘がされていることからすれば,ハンセン病患者に対して,偏見や差別とい
った誤った認識を生じさせるような政策を実施したこと全般による精神的苦
痛もまた,補償をするための考慮要素の一つとして位置付けられているも
のと解される(なお,この点に関しては,熊本地裁判決においても,ハンセン
病療養所入所期間中の自由の制約による損害に加え,ハンセン病に対す
る偏見により,社会から様々な差別的扱いを受けるような地位に置かれて
きたことによる精神的損害もまた,国家賠償を基礎付ける損害としてとらえ
ることができる旨を判示しているところである。)。
(イ) ところで,これらの規定においては,内地療養所の入所者と外地療養所
の入所者とを区別する旨が定められているわけではなく,他にも,このよう
な区別を明確に予定した規定は存在しないことからすれば,法の文言上,
この両者を区別するための明確な根拠が存在しないことは明らかなのであ
るから,ハンセン病補償法が両者を区別することを予定しているとの解釈が
成り立つとすれば,法の実質解釈によるほかなく,そのためには,そのよう
な実質解釈を基礎付けるに足りる根拠が必要である。
  そこで,この点について検討してみると,両者を区別する根拠としては,次
の点を指摘することができると考えられる。すなわち,上記のとおり,ハンセ
ン病補償法は,昭和28年法や,それ以前の法律に基づくハンセン病政策
によって生じた苦痛や苦難をも補償の対象としているものではあるが,その
一方で,同法立法のきっかけとなった熊本地裁判決の存在や,前文におい
て,「我が国においては,昭和28年制定の『らい予防法』においても引き続
きハンセン病の患者に対する隔離政策がとられ,加えて,昭和30年代に至
ってハンセン病に対するそれまでの認識の誤りが明白となったにもかかわ
らず,なお,依然としてハンセン病に対する誤った認識が改められることな
く,隔離政策の変更も行われることなく,ハンセン病の患者であった者等に
いたずらに耐え難い苦痛と苦難を継続せしめるままに経過し」といった言及
がされ,また,同法5条において,昭和35年1月1日から昭和49年12月3
1日までの入所経験に対して手厚い補償がされるような定めが置かれてい
ることなどからすれば,同法は,熊本地裁判決が問題とした,昭和28年法
に基づく隔離政策(特に,それが昭和30年代以降も継続されたこと)に着眼
し,これによって苦痛や苦難を受けた者をまず補償の対象とするとともに,
それ以前の隔離政策によって国立ハンセン病療養所等に入所していた者
についても,隔離による苦痛や苦難に加え,昭和28年法に基づく政策がも
たらした偏見や差別によっても苦痛や苦難を受けたはずであることを理由と
して,補償をすることを定めたのではないかという点である。
  この観点からすると,内地療養所の入所者の場合には,たとえ,昭和28年
法施行前に退所するなどしていた者がいたとしても,そのほとんどは,我が
国の領域内に居住し続け,昭和28年法に基づく政策の実施に起因する偏
見や差別によって生じた苦痛や苦難を受け続けたものと考えられるのに対
し,外地療養所の入所者は,終戦に伴って我が国が当該地域の統治権を
喪失した結果,昭和28年法による影響を受けることはおよそあり得ない状
況にあったといわざるを得ないのであるから,両者の間には,この点におい
て類型的な違いが存在するものといわざるを得ないことになる(なお,原告
らが主張するとおり,内地療養所の入所者であっても,昭和28年法施行前
に国立ハンセン病療養所等から退所し,その後外国で居住するようになっ
た者も存在し得るのであって,このような者について見れば,昭和28年法
による影響を受けることはあり得なかったということができる。しかしながら,
内地療養所の入所者に関しては,このような事態は,個別的な事情に基づ
くものであって,しかも,例外的な事態であると考えられるのに対し,外地療
養所の入所者に関しては,我が国の統治権の喪失によって,このような事
態が一律に生じているものといわざるを得ないのであるから,この両者の間
に類型的な違いが存在することは否定し難いものというべきである。)。
  もちろん,外地療養所の入所者に関しても,元々は我が国が隔離政策を実
施して身柄の収容を行ったものであることを指摘することができるし,これら
の入所者がその後受け続けたと推測される「偏見と差別」についても,少な
くともその原因の一端が,戦前の我が国の隔離政策等にあったことは否定
し難いものというべきであるから,これらの者に対しても補償を行うべきであ
るという考え方は十分に成り立ち得るものであるということができる。しかし
ながら,仮にこれらの者に対する補償を行うとしても,上記のような類型的
な違いを考慮すると,補償の在り方やその内容を変える必要がないかどう
かという点は,検討されてしかるべきであるにもかかわらず,法文上,その
ような違いは何ら反映されていないし,ハンセン病補償法の審議過程にお
いても,この点を意識した審議は何らされていないのであって,この点には
疑問が残るものといわざるを得ない。
(ウ) 以上のように検討していくと,ハンセン病補償法が,内地療養所の入所
者と外地療養所の入所者とを区別するというのは,あり得る取扱いであると
いうことができるし,それにも一応の合理的な根拠があるということが可能
であるから,このような区別を前提とした実質解釈も成り立ち得るものという
ことはできる。
  もっとも,文言上このような区別を予定した明確な規定が存するわけでは
ないことは既に指摘したとおりであるし,上に指摘した内地療養所入所者と
外地療養所入所者との類型的な違いについても,これに配慮した立法がさ
れたことを明確にうかがわせるような規定は存在しないのであるから(補償
金の額の点は,一応問題とならないではないが,内地療養所の入所者に関
しては,その事情のいかんにかかわらず,最低800万円の補償金が支払
われることからすると,外地療養所の入所者に対して800万円の補償金を
支給する趣旨であると解することが不合理であるとまで断定することはでき
ず,結局,この点も,上記の区別の明確な根拠となり得るものではない。),
上記の解釈は,そのような解釈も成り立ち得るという程度にとどまるのであ
って,結局,ハンセン病補償法の規定や,趣旨,目的に基づく解釈といった
観点からは,断定的な結論を出すことは困難であるというほかはない。
ウ 以上のまとめ
  以上の検討結果によれば,ハンセン病補償法の審議経過等においては,外
地療養所の入所者が補償の対象になるべきことは認識されておらず,むしろ,
これらの者が当然には補償の対象になるものではないことが前提とされてい
たものと考えられ,また,このような取扱いにも,一応の合理的な根拠があると
認める余地はあり得るものというべきである。他方,同法の各条文の規定や,
その趣旨,目的から,同法が,外地療養所の入所者を補償の対象から除外す
る趣旨であったとまで断定することは困難であるといわざるを得ないものの,
逆に,これらの者を補償の対象に含める趣旨であったと解するに足りるだけの
条文上の根拠を見出すことはできないことも既に指摘した点から明らかなので
あるから,上記の審議経過等からうかがわれる立法者意思をも併せると,同
法は,取り敢えず内地療養所の入所者に対する補償を行うことを予定してい
るのであって,外地療養所の入所者への対応は,将来の課題にとどめられて
いたと解するのが素直である。そして,このように解すると,本件療養所のよう
な外地療養所の入所者は,同法が予定する補償の対象には含まれていない
のであるから,厚労省告示の内容について検討するまでもなく,その補償請求
を認める余地はないこととならざるを得ない。
  もっとも,ハンセン病補償法の文言上,このような結論が明らかであると断定
することはできないことは既に再三指摘しているとおりである以上,仮に,厚労
省告示において,外地療養所もその対象に含められていると解される場合
に,このような同告示の定めは同法の委任の範囲を超えるものであって無効
であると断定することには疑問が残らざるを得ないので,以下においては,厚
労省告示の解釈という観点から,本件療養所がその対象に含められているの
かどうかを更に検討することとする。
(3) 当事者双方の主張について
  以上が当裁判所の検討結果であるが,当事者双方は,それぞれ根拠を示して,
以上とは異なる主張をしているので,これらの主張についても検討しておくことと
する。
ア 被告の主張について
(ア) 被告は,ハンセン病補償法2条の「国立ハンセン病療養所等」とは,「国
立ハンセン病療養所」を始めとして,その前身ともいうべき各国公立のハン
セン病療養所,及び,これら国公立のハンセン病療養所の代用を果たし,
あるいはその閉鎖に伴ってその収容者がこれらの療養所に移転した私立
のハンセン病療養所をいうと主張し,その根拠として,①同法の国会審議に
おいて,昭和6年法適用時のみの入所者,琉球政府時代のみの入所者及
び私立療養所のみの入所者をも補償の対象にすることが明らかにされたこ
と,②ハンセン病補償法2条が「厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所」
の例示として「国立ハンセン病療養所」を規定していることが被告に定めさ
せようとした療養所の範囲を画する重要な指針となることを挙げる。
  しかしながら,まず①についていうと,国会審議の中で昭和6年法適用時
のみの入所者,琉球政府時代のみの入所者及び私立療養所のみの入所
者をも補償の対象にすることが明らかにされたことは前示のとおりであるも
のの,逆に,このことから,これら以外の施設の入所者が,補償の対象から
除外される旨が明らかにされたとはいえないことも前説示のとおりであっ
て,被告の主張を採用することはできない。
  また,②についても,ハンセン病補償法2条の規定は,例示として掲げた
「国立ハンセン病療養所」とこれ以外の「厚生労働大臣が定めるハンセン病
療養所」との類似性ないし関連性を示す「これに類する」等の文言を用いる
ことなく,単に「(国立ハンセン病療養所)その他の厚生労働大臣が定める
ハンセン病療養所」と規定しているにすぎないのであるから,このような規
定から被告が主張するような解釈の指針を導き出すことは困難であり,他
に同法2条の「国立ハンセン病療養所等」の意義について,これを「国立ハ
ンセン病療養所」の前身に当たる療養所やその代用等を果たした療養所に
限ることをうかがわせるような規定を同法中に見出すことはできない。
(イ) 被告はさらに,本件療養所のような外地療養所は,ハンセン病補償法2
条の「国立ハンセン病療養所等」に当たらないと主張し,その根拠として,前
記の主張のほか,①上記施設は,同法前文や2条が念頭に置く昭和28年
法下での隔離政策とは無関係であること,②国会審議において,終戦前に
日本の統治下にあった朝鮮等の地域に存在したハンセン病療養所の入所
者に対する補償については具体的な検討が全くされておらず,厚生労働大
臣及び同副大臣からも本件療養所の入所者が同法によって補償されるべ
きものであるとの発言がなかったこと,③本件療養所の入所者の実態に関
心を寄せていた川田悦子議員が同法の成立に反対したこと,④同法の施
行に要する経費の積算は,内閣総理大臣談話でも指摘された「全国の患
者・元患者」の数が基礎にされており,第二次大戦以前の日本の統治下に
あった地域の施設の入所者は含まれていなかったこと,⑤同法5条以外に
昭和34年以前の退所を考慮した減額規定が置かれなかったのは,国内の
療養所の退所者は,退所後も引き続き国内に居住し,我が国内において採
られていたハンセン病隔離政策の下において,いわれのない偏見と差別の
中で多大の苦痛と苦難を強いられてきたと考えられたためであるところ,本
件療養所の入所者は,戦後,日本国内において生活していたとは考え難い
ため,これらの者をも補償の対象とするのであれば,我が国の主権が及ば
なくなった昭和20年以降の扱いを考慮した何らかの減額規定を設ける等
の議論が国会においてされたはずであるが,そのようなことはなかったので
あるから,このことは,同法が本件療養所の入所者を補償の対象としてい
ないことを裏付ける事情の一つとなることを挙げる。
  しかしながら,被告が根拠とする諸点のうち,①,②,④,⑤の点について
は既に検討したとおりであって,①,⑤の点を考慮して,外地療養所を補償
の対象から除外し,あるいは,別個の基準に基づく補償を行うという立法政
策を採用することはあり得るものの,ハンセン病補償法においてこのような
立法政策が採用されたことを明確に裏付けるだけの条文上の根拠があるも
のとはいい難いし,②,④で指摘された審議経過等も,このような立法政策
が採用されたことを裏付けるに足りるものとはいい難い。更に,③の川田悦
子議員が法案に反対した点も,その理由として報じられた内容の限りでは,
同議員の真意は必ずしも明確ではなく,厚生労働省側の消極的な態度に
異を唱えなかった国会の姿勢を非難したものとも解されるところであるか
ら,被告の主張を支える有力な根拠とまではいえない。
イ 原告らの主張について
  他方,原告らは,ハンセン病補償法は,我が国のハンセン病隔離政策により
隔離被害を被ったすべての被害者を補償金支給の対象とし,その入所してい
た療養所の具体的な特定を被告の調査・検討に委任したものであり,本件療
養所の入所者が,我が国のハンセン病隔離政策の被害者である以上は,こ
れを積極的に補償対象に含ませる趣旨である旨の主張をし,その根拠とし
て,①同法が対象療養所を法文に明示しなかったのは,法案策定過程におい
て,隔離政策のすべての被害者が救済を受けられるという同法の趣旨が確認
され,後は漏れなく療養所を特定する技術的な作業が残るだけなので,それ
を被告に委ねても問題ないと考えたためであるなどとする江田五月議員の陳
述書(甲60),②西川京子議員,川内博史議員の発言,政府当局者の答弁な
ど同法案の国会での審議経過,③同法の補償すべき対象が昭和28年法以
前から一貫して継続された隔離政策による被害であることを明らかにした同法
前文の存在,④同法2条が補償対象者について,療養所への入所時期を特
定せず,国籍や現住所による制限も付さず,「国立ハンセン病療養所」を例示
するのみで療養所の具体的な特定もしていないこと,⑤厚労省告示の規定内
容からうかがわれる同法2条の委任の範囲,⑥同法5条が,熊本地裁判決の
算定基準を超えて,昭和6年法時代のみあるいは戦前のみの入所経験しかな
い者への補償金の支給を可能にしていることを挙げる。
  しかしながら,少なくとも,ハンセン病補償法の中に,我が国のハンセン病隔
離政策により隔離被害を被ったすべての被害者を補償金支給の対象とするこ
とを前提に,調査・検討の結果これに該当することが判明した隔離被害に係る
療養所を「国立ハンセン病療養所等」として定めるべきことを被告に義務付け
たことを明らかにうかがわせるような規定がないことは,既に指摘したとおりで
ある。
  また,①の江田五月議員の陳述書(甲60)によっても,法案起草段階では,
本件療養所や台湾楽生院の入所者について,全く議論になっていなかったと
いうのであるから,与野党間で合意されたとする「すべての被害者に対する補
償」という中に,我が国のハンセン病隔離政策の被害者であることが判明した
ときには本件療養所の入所者を補償の対象とするというような積極的な合意
が含まれていなかったことは明らかである。
  さらに,②の国会での審議経過から言えることは前記のとおりであり,西川京
子議員や川内博史議員の発言中における「すべての(ハンセン病患者・元患
者)」の具体的な範囲も不明確であるから,国会での審議経過を全体として眺
めても,我が国のハンセン病隔離政策の被害者であることが判明したときに
は本件療養所の入所者を補償の対象とするという国会の積極的な意思が示
されたとはいえない。
  ③については,ハンセン病補償法前文第2文において,昭和28年法「におい
ても引き続き」ハンセン病患者に対する隔離政策がとられたとの規定振りにな
っていることからすると,ハンセン病補償法が,昭和28年法以前の昭和6年
法等の下における隔離政策によってハンセン病患者を収容した療養所につい
ても補償の対象とすることを否定するものではないと解する余地は認められる
ものの,さらに進んで,このような規定のみから,我が国のハンセン病隔離政
策により隔離被害を被ったおよそすべての被害者を補償金支給の対象とする
という趣旨まで読み取ることは困難である。
  ④及び⑥についても,ハンセン病補償法が,補償対象者を療養所への入所
時期,国籍,現住所等で区別せず,「国立ハンセン病療養所」以外の対象療
養所の具体的な特定もせず,昭和35年より前の期間のみの療養所入所者に
対しても一律800万円の補償金の支給を可能にしていることは,同法がかな
り広範囲の療養所入所者を補償の対象とすることを許容する趣旨であること
を推認させるものではあるが,さらに進んで,これらのことから直ちに,我が国
のハンセン病隔離政策により隔離被害を被ったおよそすべての被害者を補償
の対象とするとか,これに該当することが判明したときには本件療養所の入所
者を積極的に補償の対象とするといった趣旨までを読み取ることは困難であ
る。
  ⑤の点も,厚労省告示は,内地療養所の入所者をすべて補償の対象とする
というハンセン病補償法の趣旨に基づくものと理解することも可能なのである
から,原告らの主張を根拠付けるに足りるものとはいい難い。
ウ まとめ
  以上の次第であって,原告ら及び被告の主張は,いずれもそのまま採用する
ことは困難であるというほかはない。
3 本件療養所の厚労省告示該当性について
(1) 厚労省告示1号該当性について
  原告らは,本件療養所は,厚労省告示1号に規定する昭和6年法3条1項の国
立癩療養所に該当すると主張し,①同号の「(昭和6年法)第三条第一項の国立
癩療養所」とは,昭和6年法施行当時の我が国のハンセン病隔離政策に基づい
て,ハンセン病患者を隔離するために,国が設置したハンセン病療養所をいい,
その設置根拠の如何を問わないものであるところ,本件療養所はこれに該当す
ること,②内地で検挙された朝鮮人ハンセン病患者に対する送致収容処分の実
情などからして,本件療養所が,我が国の国立癩療養所の一つとして扱われて
いたことがうかがわれること,③本件療養所は,厚労省告示2号に列記された各
療養所以上に同告示1号の「国立癩療養所」と同視することが相当であり,むし
ろ,同告示1号の「国立癩療養所」そのものというべきであることを,その主張の
根拠とするようである。
  まず①の点について,この点に関する被告の主張をも併せ検討すると,法律と
官制(勅令)とは制定権者を異にする別個独立の立法形式であること,前記事実
関係によると,被告の主張によっても,昭和6年法3条1項の「国立癩療養所」に
は,「国立癩療養所官制」に基づくもののほか,「沖縄県振興事務ニ従事セシム
ル為沖縄県ニ臨時職員増置ノ件」に基づくもの(宮古療養所),「庁府県臨時職
員等設置制」に基づくもの(国頭愛楽園),「軍事保護院官制」に基づくもの(駿河
療養所),「医療局官制」に基づくもの,「厚生省官制」に基づくもの,「厚生省設
置法」に基づくものと,各種の法令に基づいて設置されたものが含まれているこ
とが認められることからすれば,昭和6年法3条1項の「国立癩療養所」が「国立
癩療養所官制」に基づくものに限られるとする被告の主張は理由のないものとい
うべきである。しかしながら,昭和6年法3条1項は,行政官庁に「国立癩療養
所」への入所措置権限を付与した行政作用法であるから,同項にいう「国立癩療
養所」とは,当該入所措置権限に基づいて行政官庁が入所措置をとることのでき
る療養所を意味するのであり,それは事柄の性質上,昭和6年法の施行地域内
にある療養所に限られるものである。したがって,昭和6年法が施行されなかっ
た朝鮮に存在した本件療養所がこれに該当すると解釈する余地はない(なお,
上記に説示したところによると,昭和6年法が施行されていた台湾の楽生院につ
いては,厚労省告示1号所定の昭和6年法3条1項の「国立癩療養所」に該当す
ると解する余地がないでもなく,これが肯定されれば,原告らが主張する平等原
則等を理由とする厚労省告示の類推適用が問題となり得るところであるが,昭
和6年法は本来的に台湾に適用されるものではなく,勅令である「行政諸法台湾
施行令中改正ノ件」の施行を介して初めて台湾に施行されたものであること,台
湾の楽生院を厚労省告示に掲げるのであれば,同告示2号ハと同様に,「行政
諸法台湾施行令の規定により台湾に施行することとされた明治40年法(昭和6
年法)3条1項の国立癩療養所」といったような規定が置かれたであろうと考える
のが自然であることからすると,台湾の楽生院が明らかに同告示1号の「国立癩
療養所」に該当するものとは認められない。)。
  次に,②の点についていうと,原告らが指摘する「らい患者窃盗団事件」におい
て,被疑者22人を内地から朝鮮に送致した処分についての法的根拠は明らか
でないものの,少なくともこれらの者を本件療養所に収容した処分の法的根拠
は,当時朝鮮に施行されていた朝鮮癩予防令5条以外にあり得ず,朝鮮に施行
されていなかった昭和6年法3条1項を根拠とする処分でないことは明らかであ
る。また,療養所長会議,人事配置,人事運営等について,本件療養所が内地
の国立癩療養所と同列に扱われていたことも,これらの療養所がいずれも等しく
天皇の官制大権に基づいて設立されたものであることを考えれば,特に奇異と
するには当たらない。したがって,これらの事情から,本件療養所が昭和6年法
3条1項の「国立癩療養所」の一つとして扱われていたものと解することはできな
い。
  さらに,③の点は,厚労省告示1号の「国立癩療養所」と同視することが相当で
あることが,直ちに同号該当性を基礎付ける事情となるものではないし,内地療
養所の入所者と外地療養所の入所者との間には,類型的な違いがあるとみる考
え方もあり得ることは既に指摘したとおりであって,このことからすれば,原告ら
の主張の前提も,そのまま認めることは困難であるといわざるを得ず,いずれに
せよ,この主張を採用することはできない。
  以上のとおりであり,本件療養所を厚労省告示1号の「国立癩療養所」に該当
するものと解することはできないものというほかはない。
(2) 厚労省告示1号の類推適用について
  原告らは,仮に本件療養所が厚労省告示1号に該当しないとしても,同号の類
推適用が認められるべきであると主張し,その理由として,①本件療養所は,本
来であれば「前号の国立癩療養所と同視することが相当と認められる」療養所と
して同告示2号に規定されるべきところ,規定されていないから,この不備は,同
告示1号の類推適用によって補完されるべきであること,②本件療養所において
は,日本本土の療養所の被害実態と同質の被害実態があり,その被害は,植民
地支配下における収容という要素が加わり日本本土の療養所の入所者の被害
以上に深刻で悲惨であったのであるから,本件療養所の入所者も,日本本土の
療養所の入所者と同様もしくはそれ以上に,慰謝されなければならないこと,③
昭和6年法施行当時の我が国のハンセン病隔離政策に基づいて,国が設置し
た,同告示2号に規定された療養所以上に同告示1号と同視し得る療養所にお
いて,同告示2号に規定された療養所の入所者以上に過酷な被害を受けなが
ら,ハンセン病補償法の対象とならないという結果は,同告示を貫く平等原則(公
平の原則)に反することを挙げる。
  ところで,原告らが主張するとおり,ハンセン病補償法は,外地療養所の入所者
も含めたすべてのハンセン病療養所入所者を補償の対象とする趣旨なのである
とすれば,厚労省告示が外地療養所である本件療養所を対象施設に含めてい
ないのは,法の趣旨に違反するものということになるから,このような場合には,
同法の趣旨を実現すべく,告示の規定を柔軟に類推適用することに実質的な根
拠があるものというべきである。しかしながら,このような前提を認めることができ
ないことは既に説示したとおりなのであるから,厚労省告示1号の類推適用が認
められるべきであるかどうかは,専ら,同告示1号,2号所定の施設との比較とい
う観点から判断するほかはないものというべきである。
  そこで,この観点から検討するに,原告らの①の主張は,要するに,厚労省告
示2号列挙の各療養所を同告示に掲げながら,本件療養所を同告示に掲げない
のは合理的な理由がないというものであると解されるところ,被告の説明を総合
すれば,被告が同告示2号列挙の各療養所を同告示に掲げたのは,これらが
「国立ハンセン病療養所」の前身に当たる療養所であり,又はその退所者も,そ
のほとんどが引き続き国内に居住して,我が国のハンセン病政策の下で偏見と
差別による苦痛を強いられていたものと考えられることから,同告示1号の国立
癩療養所(昭和6年法3条1項の国立癩療養所)と同視することが相当と認めた
ことがその理由であると解されるところ,我が国の隔離政策と並んで,昭和28年
法下におけるハンセン病政策によって生じたハンセン病の患者に対する偏見と
差別もまた,補償金をもって慰謝すべき精神的苦痛の原因に掲げているハンセ
ン病補償法の趣旨を踏まえると,上記のような観点から厚労省告示2号所定の
各療養所入所者と同1号所定の国立癩療養所入所者とを同視することには実質
的な根拠があるといえるのに対し,本件療養所入所者については,上記のような
事情が認められないことは既に指摘したとおりであることや,国会審議におい
て,本件療養所の入所者に対する補償については具体的な検討が全くされなか
ったことなどを考慮すれば,被告が厚労省告示2号列挙の各療養所を同告示に
掲げ,本件療養所を同告示に掲げなかったことが明らかに不合理であり,平等
原則に違反するとまでいうことはできない。
  また,②の点も,補償を相当とする被害実態があるということのみで厚労省告示
の規定の類推適用を認めることはできない上,内地療養所の入所者と外地療養
所の入所者との類型的違いを考慮すると,本件療養所を同告示に掲げなかった
ことが明らかに不合理とはいえないことは既に指摘したとおりである。
  さらに,③の平等原則(公平の原則)違反の主張も,その実質は他の療養所と
の比較において本件療養所を厚労省告示に掲げないことの不合理性をいう①の
主張と同じであり,その主張に理由がないことは上記のとおりである。
  以上のとおりであるから,本件療養所について厚労省告示1号の類推適用を認
めることはできない。
(3) 厚労省告示2号の類推適用について
  原告らは,仮に厚労省告示1号の類推適用が認められなくても,本件療養所
は,同告示2号に列挙された3類型の療養所以上に同告示1号の国立癩療養所
と同視することが相当と認められる療養所であるから,同告示2号が類推適用さ
れるべきであると主張する。
  しかしながら,結局この主張も前記(2)の主張と実質的には同じ主張であるか
ら,理由がない。
(4) まとめ
  以上のとおり,本件療養所の厚労省告示該当性に関する原告らの主張はいず
れも理由がなく,本件療養所は厚労省告示に列記されたハンセン病療養所に該
当するものとは認められない。
4 本件不支給決定の適法性について
  以上によれば,原告らが入所していた本件療養所は,ハンセン病補償法2条の
「国立ハンセン病療養所等」に当たらず,原告らは,同条の「ハンセン病療養所入
所者等」に該当しないから,原告らの補償金の支給の請求を認めなかった本件不
支給決定は適法であり,その取消しを求める原告らの請求は理由がない。
第4 結 論
 以上の次第で,原告らの請求はいずれも理由がないから棄却することとし,訴訟
費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとお
り判決する。
東京地方裁判所民事第3部
裁判長裁判官     鶴岡稔彦 
裁判官     古田孝夫 
裁判官     進 藤 壮一郎 

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