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平成17年9月8日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成16年(行ウ)第46号 難民不認定処分取消請求事件
口頭弁論終結日 平成17年7月14日
判決
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 原告の請求
  被告が,原告に対し,平成16年7月5日付けでした難民不認定処分を取り消す。
第2 事案の概要(以下,年号については,本邦において生じた事実は元号を先に,本
邦外において生じた事実は西暦を先に表記する。)
本件は,イラン・イスラム共和国(以下「イラン」という。)国籍のクルド人である原告が,イ
ラン国内でのクルド人の民族運動を支援する活動に従事したことを理由に,本国におい
て逮捕され,拷問を受けたことがあり,今後も本国において迫害を受ける危険性が高い
などと主張して,出入国管理及び難民認定法(平成16年法律第73号による改正前の
もの。以下,条文を示すときは「法」といい,法律名を示すときは「入管難民法」という。)
61条の2第1項に基づいて難民認定申請をしたところ,被告から難民不認定処分を受
けたため,同処分の取消しを求めた抗告訴訟である。
1 前提となる事実(争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実等)
(1) 当事者等
ア 原告は,1963年(昭和38年)4月12日,イランのクルディスタン州ゴルベにおいて
出生したイラン国籍を有するクルド人である。
イ 被告は,法61条の2に規定する難民の認定をすることができる権限を有する者であ
る。
(2) 本邦への入国の経緯及び不法残留等の状況
ア 原告による最初の不法残留
原告は,平成3年(1991年)12月18日,成田空港から「短期滞在(90日)」の在留資
格で本邦入国後,在留期限である平成4年(1992年)3月25日を超えて本邦に不法残
留した。その後,原告は,東京入国管理局に出頭し,平成5年(1993年)12月11日,
成田空港からイランに向けて自費出国した(乙2,7)。
イ 原告による今回の不法残留
原告は,平成12年(2000年)3月9日,イラン人妻子3人とともに関西国際空港におい
て上陸許可期限を上陸許可後72時間とする寄港地上陸許可(法14条1項)を受けて2
回目の本邦上陸をしたものの,同月12日午後4時16分までの上記期限を超えて本邦
に不法残留した(乙2)。
(3) 入管難民法に基づく手続
ア 強制退去手続関係
(ア) 原告は,平成15年(2003年)11月18日,法23条1項違反(旅券不携帯)容疑で
愛知県千種警察署により現行犯逮捕された(乙2)。
(イ) 原告は,平成16年(2004年)1月30日(以下,特に表記しない限り,年次につい
ては「平成16年(2004年)」を指す。),名古屋地方裁判所において,法70条1項7号
違反の罪で禁錮1年2月,執行猶予3年の判決を受け,名古屋入国管理局(以下「名古
屋入管」という。)入国警備官は,同日,法24条6号違反容疑で名古屋入管主任審査官
から発付された1月28日付けの収容令書を執行して,原告を名古屋入管収容場に収容
した(甲C19,乙3)。
(ウ) 名古屋入管入国警備官は,1月30日,原告について法27条に基づく違反調査を
実施し,原告を法24条6号該当容疑者として,名古屋入管入国審査官に引き渡した(乙
5)。
(エ) 名古屋入管入国審査官は,1月30日及び2月13日,原告に対して法45条1項に
基づく違反調査を実施し,その結果,同日,原告が法24条6号に該当する旨認定し,原
告にこれを通知したところ,原告は,同日,認定に服し,法48条1項に規定される口頭
審理の請求を放棄し,口頭審理の請求をしない旨記載された文書に署名した(乙6ない
し10)。
(オ) 名古屋入管主任審査官は,同月16日,原告について退去強制令書を発付した
(乙11)。
(カ) 原告は,同月2日,帰国準備等を理由として仮放免許可申請を行ったところ,名古
屋入管主任審査官は,同月19日,法54条2項に基づき,原告に対して,仮放免を許可
した(乙12,13)。
(キ) 原告は,自費出国予定であったものの,3月24日の自費出国予定日に出国せ
ず,同月26日,仮放免期間満了となったため,同月30日,名古屋入管収容場に再収
容されたが,10月8日,再度の仮放免を許可された(甲C25,乙11,14,15)。
イ 難民認定申請手続
(ア) 原告は,仮放免期間中の3月22日,被告に対し,難民認定申請をした(以下「本件
申請」という。乙17ないし19)。
(イ) 名古屋入管難民調査官は,4月8日,同月9日及び6月10日,法61条の2の3第
2項に基づき,原告から事情を聴取するなどの事実の調査を行った(乙20ないし22)。
(ウ) 被告は,7月5日,本件難民申請に対し,不認定処分(以下「本件不認定処分」とい
う。)をし,同月13日,これを原告に告知した(甲C34,乙23)。
(エ) 原告は,同月15日,本件不認定処分を不服として,法61条の2の4に基づき,被
告に対し,異議の申出をした。
2 本件の争点
(1) 法61条の2第2項本文の申請期間(いわゆる60日ルール。以下「60日ルール」と
いう。)が,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)及び憲法98条2項に違
反し無効か否か。
(2) 原告に,法61条の2第2項ただし書の「やむを得ない事情」があるか否か。
(3) 原告が難民条約上の難民であると認められるか否か。
(4) 本件不認定処分において理由付記義務違反があるか否か。
(5) 本件不認定処分において調査義務懈怠があるか否か。
3 争点に対する当事者の主張
(1) 争点(1)(60日ルールが難民条約及び憲法98条2項に違反し無効か否か。)につい

(原告の主張)
ア 60日ルールが難民条約等に違反するものであることについて
60日ルールは,「難民」の実体要件の一つと解される以上,難民条約に反して無効であ
る。すなわち,我が国の入管実務においては,60日ルールは,難民であっても申請期
間を経過した者は,原則として難民と取り扱わないとするものであるから,実体上の難
民性について,難民条約には存在しない要件を独自に加重するものであり,難民概念
の変更を一切禁止する難民条約42条,条約の遵守を定める憲法98条2項に反し,無
効である。
イ 60日ルールの不合理性について
(ア) 60日ルールが難民条約の目的に反すること
60日ルールを手続要件と解し,手続要件をどのように定めるかについては,難民条約
上,各批准国に一定の裁量が認められるとしても,国際法の一般原則上,上記裁量は
無制約なものではなく,難民条約の目的に照らし,合理的なものでなければならない。
そして,難民を保護すること及び難民に可能な限り権利と自由を保障することという難民
条約の目的からみて,背理となるような手続要件は,それだけで合理的ではないとの推
定が働く。この点,60日ルールは,難民条約上の難民を難民と認めず,国籍国への送
還を許容するものであるから,難民条約の目的からみて背理であって,合理的なものと
はいえない。
(イ) 60日ルールの合理性を支える根拠がないこと
この点について,被告は,60日ルールの趣旨として,①難民となる事実が生じてから長
期間経過後に難民認定申請がされるとその当時の事実関係を把握することが著しく困
難になり,適正かつ公正な難民認定ができなくなること,②迫害を受けるおそれがあると
して我が国に庇護を求める者は,速やかにその旨を申し出るべきであること,③我が国
の国土面積,交通・通信機関,地方入国管理官署の所在地等の地理的,社会的実情か
らすれば,60日という期間は申請に十分な期間と考えられることなどを主張する。
しかし,以下のとおり,これらの事情は,60日ルールの合理性を支える理由とはならな
い。
a まず,①については,時の経過とともに過去の事実についての調査等が困難になる
との一般論は肯定するとしても,難民は一朝一夕に難民となるわけではなく,国籍国に
おける政治活動の積み重ねや,歴史的経緯と治安悪化の結合などにより難民となるの
が通常であって,我が国に入国後,数年内に申請がされている限り,申請の遅れによ
り,当時の事実関係を把握することが著しく困難になるという事態が生じることは想定で
きない。したがって,申請に60日という極めて短期間の期限を設ける理由はない。
また,難民性の認定は,過去の事実を評価する作業ではなく,申請者が国籍国あるい
は常居所国に戻った場合に迫害を受けるおそれがどの程度あるかを予測する作業であ
る。したがって,過去の事実の調査が困難になることは,60日ルールを支える合理的根
拠とならない。
b また,②については,難民は,速やかに難民認定申請すべき義務を負うものではな
い。すなわち,申請者は,我が国の言語,文化及び難民認定制度の実情に通じておら
ず,難民認定申請の準備も不十分なまま逃亡してきたのであり,仮に我が国が申請者
の生活保障に配慮し,その身柄を拘束することを一切せず,そのような運用が周知徹底
されればともかく,そうでない限り,身柄拘束や強制送還の危険を冒してまで,入国後速
やかに難民認定申請することを期待することはできない。
c さらに,③については,我が国の国土面積や交通,通信機関などの条件にかんがみ
れば,60日以内に申請すること自体は可能であろうが,申請者の準備不足や心情,我
が国の難民認定申請者に対する過酷な対応,難民認定申請に通じた専門家が限られ
ていることなどの諸条件に照らせば,60日という期間制限は短期にすぎ,非現実的で
ある。
d なお,入管難民法は,今般の改正(平成16年法律第73号による改正)によって60
日ルールを廃止することになったが,これが合理的なものであると主張するならば,何
故に廃止されるに至ったかを考えるべきである。
(ウ) 以上から,60日ルールは,難民条約の目的達成のため合理的な制度であるとは
いえず,難民条約上,我が国に認められた手続要件の制定に関する裁量権を逸脱する
ものであり,無効である。
(被告の主張)
原告の主張は争う。
60日ルールは,以下のとおり,難民条約,憲法98条2項(以下「難民条約等」という。)
に違反するものではない。
ア 60日ルールが難民条約等に違反しないことについて
(ア) 難民認定手続をどのように定めるかは締約国の裁量事項であること
難民条約及び難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)は,難民の定義
及び締約国が採るべき保護措置の概要についての規定を置くものの,難民認定手続を
定めるか否か,また,定めるとした場合にどのように定めるかについては,各締約国の
裁量に委ねている。そして,国家はその国の事情に応じた法律を制定し得るのと同様,
難民認定手続をどのように定めるかについても,難民条約締約国の立法政策上の問題
であり,そもそも条約違反の問題が生じる余地はない。
各締約国において定められた難民認定手続が,難民条約及び難民議定書の規定や趣
旨及び各締約国の実情を勘案して定められた合理的な制度である限りは,仮に当該締
約国の難民認定制度によって,難民として認定されない難民条約上の難民が生じ得る
としても,そのこと自体から,直ちに当該締約国の難民認定制度が難民条約及び難民
議定書に違反するものではない。
(イ) 被迫害者の庇護権
また,国家の権利としての庇護権,すなわち,本国から迫害を受け,又は受ける明白な
危険があるために外国に逃れ,又は外国政府の庇護を求める者がいる場合に,かかる
被迫害者を受け入れて保護することを内容とする国の権利は,国際慣習法上確立して
いるといわれているものの,被迫害者の庇護権,すなわち,被迫害者が,国家に対して
庇護を求める権利は,いまだ国際慣習法上確立した概念とはなっておらず,これについ
ての一般条約も存在しない。難民条約及び難民議定書も被迫害者の庇護権に関する規
定を置いておらず,難民に庇護を求める権利までは保障していない。
(ウ) 難民の滞在の合法性
さらに,難民条約は,難民が一定の保護措置を享受する前提条件として,難民の滞在
が合法的であることを求めており(難民条約第3章参照),締約国に対し,不法に在留す
る難民の滞在を認めることを義務づける条文もない。
このことは,難民条約も,外国人の入国及び在留については,国の主権的権限に基づ
いて決せられるべきであるという国際法上確立した考えに何ら変更を加えていないこと
の表れである。すなわち,国際慣習法上,外国人の入国及び滞在の許否は,当該国家
が自由に決し得るものであり,条約等の特別の取り決めがない限り,国家は外国人の
入国又は在留を許可する義務を負うものではないのであり(最高裁判所昭和53年10
月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁),難民条約もかかる国際慣習法を何ら変更
していないのである。
したがって,難民であっても,自分の希望する国に入国することが当然に認められるわ
けではなく,また,在留することが当然に認められるものではないから,難民を受け入
れ,難民条約上の保護を与えるかどうかは,結局,各締約国が主権的判断に基づいて
決定すべき事項であり,難民条約も,結果として,締約国に入国できず,難民認定申請
もできないという事態が発生することを認めているのである。
(エ) 小括
以上から,難民条約は,難民認定申請に期間制限を設けることを絶対的に禁止してい
るとはおよそ考えられず,したがって,我が国が難民認定申請に申請期間の制限を設け
たとしても,それ自体が,難民条約等に違反するものとはいえない。
なお,難民条約42条及び難民議定書7条は,締約国が,条約上の難民の定義(難民条
約1条,難民議定書1条)に対して留保を付することを認めていないところ,「留保」とは,
条約法に関するウィーン条約2条1項(d)において,「国が,条約の特定の規定の自国へ
の適用上その法的効果を排除し又は変更することを意図して,条約への署名,条約の
批准,受諾若しくは承認又は条約への加入の際に単独に行う声明(用いられる文言及
び名称の如何を問わない。)をいう。」と定義されているものであって,我が国は,難民条
約及び難民議定書を締結するに当たり,難民の定義について,かかる留保をしていない
のであるから,難民条約及び難民議定書に違反すると解する余地はない。
イ 60日ルールの合理性について
法61条の2第2項本文が,60日以内に難民認定申請をしなければならないと定めてい
るのは,①難民となる事実が生じてから長期間経過後に難民認定申請がされると,その
当時の事実関係を把握するのが著しく困難となり,適正かつ公正な難民認定ができなく
なること,②迫害を受けるおそれがあるとして我が国に庇護を求める者は,速やかにそ
の旨を申し出るべきであること,③我が国の国土面積,交通・通信機関,地方入国管理
官署の所在地等の地理的,社会的実情からすれば,60日という期間は申請に十分な
期間と考えられることなどを理由とする。しかも,同条項ただし書は,申請期間の例外と
して,申請期間の経過に「やむを得ない事情」があるときは,60日の申請期間経過後の
申請を認めており,法務大臣は,申請期間経過後の申請に対しては,「やむを得ない事
情」の有無について判断することとなっている。
ところで,難民は,難民条約上,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐
怖を有する」者とされ,ここにいう「迫害」とは,「通常人において受忍し得ない苦痛をもた
らす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧」を意味し,また,
「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,
「当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほか
に,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が
存在していることが必要である。」と解されている。
したがって,難民に該当する者は,その恐怖から早期に逃れるため,速やかに他国の庇
護を求めるのが通常であり,我が国の地理的,社会的実情に照らせば,このような者
が,難民認定申請をすべきか否かについての意思を決定し,入国管理官署に出向いて
手続を行うには,60日という申請期間は十分であると考えられる。そうすると,速やかに
難民認定申請をしなかったという事実自体,その者の難民非該当性を物語っているとい
うべきであり,実際上は,難民条約に該当する難民でありながら,申請期間内に難民認
定申請をしないというケースはほとんど考えられない。
ウ 小括
以上から,法61条の2第2項の規定は,難民条約及び難民議定書の規定や趣旨に照
らして合理的な制度であり,同項の規定の適用によって法務大臣による難民認定を受
けられない条約上の難民が理論上生じ得ることは,難民条約等に違反するものではな
い。
(2) 争点(2)(原告に,法61条の2第2項ただし書の「やむを得ない事情」があるか否
か。)について
(原告の主張)
仮に,60日ルールが難民条約等に違反する無効なものではないとしても,原告には,
以下のとおり,法61条の2第2項ただし書にいう「やむを得ない事情」が認められるか
ら,原告のした本件申請は適法である。
ア やむを得ない事情の判断基準について
難民認定申請をすることは,日本語を解さず,また,通常,難民認定申請のための支援
を受けられない者にとって,知識面及び情報面において困難を伴う上,難民認定申請を
することが,国籍国との決別を意味すること,難民不認定処分を受けた場合には,本邦
から強制送還される事態を招くことといった事情から,難民にとって容易には決断し難い
ものである。それどころか,難民であれば,まず異国における平穏な生活を確保すること
に精一杯となり,強制送還などの副作用をもたらしかねない難民認定申請を速やかに
行うことは通常期待し難い。
法61条の2第2項ただし書の「やむを得ない事情」は,このような現状を基に合理的に
緩やかに解釈すべきであり,病気,交通の途絶等の客観的な事情により物理的に入国
管理官署に出向くことができなかった場合に限らず,本邦において難民認定の申請をす
るか否かの意思を決定することが,出国の経緯,我が国の難民認定制度に対する情報
面や心理面における障害の内容と程度,証明書類等の所持の有無及び内容,外国人
の解する言語,申請までの期間等を総合的に検討し,期間を経過したことに合理的理
由があり,入国後速やかに難民としての庇護を求めなかったことが必ずしも難民でない
ことを事実上推認させるものではない場合をいうと解すべきである(東京高等裁判所平
成15年2月18日判決・判時1833号41頁)。
イ やむを得ない事情の存在について
(ア) 原告は,身に危険が迫り,急遽家族と共にイランを出国したものであり,日本での
難民認定申請を準備することなどできようはずもなかった。また,原告は,かつて日本に
2年間滞在しただけで,日本語をほとんど解さず,今回の入国以降,難民認定申請をす
るための適切な情報提供や支援は一切受けられなかった。そして,原告は,入国後約1
年が経過した時点で,通訳業を営む知人のAから60日ルールについて教えられ,来日
後60日を経過しての難民申請が困難であることを知った。このように,原告が60日ル
ールを知りながらこれを無視したという事情は存在しておらず,言語面,情報面におい
て,60日以内に難民認定申請することは不可能であった。
(イ) 原告は,難民認定申請することによって強制送還が誘発されることをおそれるとと
もに,障害者の妻と未成年子2名から成る家族の養育を先決と考え,生活費や子供の
教育費を捻出するため働くことを余儀なくされた。原告にとって,入国後の数年間は,家
族に平穏で安定的な生活を確保するために必要な期間であり,ある程度生活が安定す
ると今度は,どうしても難民認定申請を急ぐ必要はなくなっていたのである。
したがって,原告が入国後60日以内に難民認定申請をすることは,原告の心理状態か
らしても期待し難いものであった。
(ウ) 原告が,初めて真剣に難民認定申請を検討したのは,逮捕された平成15年(200
3年)11月以降である。原告は,その前年の冬,B行政書士を紹介され,オーバーステ
イが長期に及んで不安定な地位を憂えたことから,在留特別許可について相談したが,
難民認定申請については,相談すらしていない。
原告は,家族のため長期の身柄拘束は避けなければならなかったところ,原告代理人
から,難民認定申請をした場合,10か月以上の身柄拘束につながる場合があることを
説明されたため,同申請には消極的となった。また,原告には,仮に日本に残れなくとも
ドバイへのビザを取得すれば,イランへの強制送還を免れることができるとの考えもあっ
て,長期の身柄拘束の危険を冒してまで難民認定申請することはできなかった。
原告は,刑事事件の裁判の後,入国管理局に収容されたが,帰国準備のためであるこ
とを理由に仮放免を得た。このとき,原告は,これ以上の長期間の収容を回避し,名古
屋空港発ドバイ経由テヘラン空港行きの航空機を利用することで,事前に入手していた
ドバイへの入国ビザを利用してドバイに入国し,イランへの強制送還を回避しようと考え
ていたからである。
しかし,入国管理局が,ドバイ経由の航空機の予約では仮放免は認められないとして,
原告の家族に対し,シンガポール経由の航空機を予約し直すよう指示したため,これに
従って航空券の予約が変更された。原告は,平成16年(2004年)2月19日に仮放免
された後になって,上記経緯からドバイへの入国が不可能になっていたことを知り,イラ
ンへの強制送還を免れるためには,長期の収容の危険を冒してでも難民認定申請をす
るしかないと決意するに至った。
(エ) 以上から,原告が,本邦に入国後難民認定申請をするまで約4年を要したことには
合理的な理由があり,入国後速やかに難民としての庇護を求めなかったことは,難民で
はないことを推認させるものではない。
したがって,原告の難民認定申請は,「やむを得ない事情」が存するものとして適法であ
る。
(被告の主張)
原告の主張は争う。
ア 「やむを得ない事情」の意義について
法61条の2第2項が,60日以内に難民認定申請を行わなければならないとする理由
は前述したとおりであるところ,同条項ただし書にいう「やむを得ない事情」とは,我が国
に上陸した日又は我が国にある間に難民となる事由が生じた場合にあってはその事実
を知った日から60日以内に難民認定申請をする意思を有していた者が,病気,交通の
途絶等の客観的事情により物理的に入国管理官署に出向くことができなかった場合の
ほか,本邦において難民認定の申請をするか否かを意思決定するのが客観的にも困難
と認められる特段の事情がある場合をいうと解すべきである。
したがって,「やむを得ない事情」に,手続の不知や恐怖,申請の準備といった申請者の
主観的・客観的事情を含めるような緩やかな解釈は,法が難民認定申請について期間
制限を設けた趣旨を没却するというべきである。
イ やむを得ない事情の不存在について
(ア) 60日ルールについて知らなかったとの主張について
原告の主張する「やむを得ない事情」とは,①原告が,日本に来た時点では60日以内
に申請する必要があることを知らなかったこと,②迫害を逃れて安定した生活が確保で
きたので,それでよいと思っていたこと,③60日ルールがあると知っていれば直ちに申
請していたことなどであるが,これらは要するに,原告が難民認定申請制度の詳細を知
らなかったというものであり,このような法律の不知という主観的事情をもって,申請期
間内に難民認定申請することが客観的に困難と認められる特段の事情があるとはいえ
ないことは明らかである。また,生活が安定するまでは難民認定申請をしないとの考え
は,難民認定申請をすることが客観的に困難と認められる特段の事情ということはでき
ない。
(イ) 日本語を解さなかったとの主張について
原告は,過去に2年間日本に滞在し,自ら入国管理官署に出頭し,退去強制手続を受
けていること,今回,日本に上陸する前に日本の社会や文化についていろいろと勉強し
ていたと供述し,上陸した後逮捕されるまでの間,日本社会で何ら支障なく生活していた
ことなどに照らせば,本件申請当時,原告が日本語を全く解さなかったとは認め難いとこ
ろであるが,仮に,原告に日本語で会話する能力がなかったとしても,入国後速やかに
何らかの手段で日本政府当局に庇護を求めようとするのが通常であるし,また,何らか
の意思疎通の手段により,それを行うことが十分に可能であると認められるから,原告
が主張する言語面の問題も,申請期間内に申請することが客観的に困難であると認め
られる特段の事情とは認められない。
(ウ) 原告の判断能力について
原告は,自らの刑事手続において,イランでの秘密警察による追及により判断能力が低
下していたと供述しているが,仮に秘密警察によって追及された経験があるとしても,そ
れは日本上陸の半年前のことであり,これによって我が国において難民認定申請がで
きなかったとは認められない。
(エ) 小括
以上のとおり,原告には「やむを得ない事情」が存在するとは認められない。
(3) 争点(3)(原告が難民であると認められるか否か。)について
ア 難民の意義(「迫害」の解釈について)
(原告の主張)
難民とは,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的
意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,
国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はその
ような恐怖を有するため,その国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を
有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所
を有していた国に帰ることを望まないものをいう。
そして,ここにいう「迫害」とは,単に生命・身体への危害のみならず,精神的危害をも含
むと理解すべきであるし,教育的差別等の差別であっても含まれ得ると解すべきであ
る。このことは,国際連合難民高等弁務官事務所(以下「UNHCR」という。)の難民認定
基準ハンドブックに記載されているほか,実質的にも,難民条約が「世界人権宣言が,
人間は基本的な権利及び自由を差別を受けることなく享有するとの原則を確認している
ことを考慮し」(前文)て協定されたものであり,迫害概念から精神的危害を除去する理
由はないこと,心理的支配の手段である恐怖感や威圧感にさらされながらの生活を強
いられる者に対し,国際的庇護を与えることは「難民問題の…人道的性格」(前文)に適
することからも根拠づけられる。
また,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」とは,迫害を受けるお
それがあると考えることについて相当の客観的な根拠があることをいうところ,難民条約
が,難民性を「迫害を受けるおそれ」によって定義づけせず,「迫害を受けるおそれがあ
るという……恐怖」によって定義づけしていることに照らすと,その判断は,申請者の主
観的事情を中心に吟味すべきである。確かに,迫害のおそれが全くなければ,「十分に
理由のある恐怖」が認定されることもないであろうが,それはあくまで主観的事情におい
て要件を満たさないというだけであって,客観的事情の不存在故に不認定とされるので
はない。通常人が,申請人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的
事情については,独立に検討すべき必要性はあるとしても,それは,「十分に理由のあ
る恐怖」という主観的事情が,申請者の内心領域にあり直接認定することが困難である
からにすぎず,最終的には主観的事情に収れんしていくべき要件である。
(被告の主張)
原告の主張は争う。
入管難民法の定める難民とは,難民条約1条又は難民議定書1条により難民条約の適
用を受ける者をいう(2条3号の2)ところ,これらの規定によれば,難民とは,人種,宗
教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害
を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる
者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有す
るため,その国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国に帰
ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に
帰ることを望まないものをいうとされている。
そして,ここにいう「迫害」とは,「通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ない
し圧迫であって,生命又は身体ないしその自由の侵害又は抑圧」を意味し,「迫害を受
けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,申請人が「迫
害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が
申請人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在している
ことが必要」と解すべきである(東京地方裁判所平成元年7月5日判決・行裁集40巻7
号913頁,東京高等裁判所平成2年3月26日判決・行裁集41巻3号757頁)。
イ 難民であることの立証責任について
(原告の主張)
難民性の立証責任の所在については,申請者である原告が一定の主張責任を尽くすこ
とを条件に,難民非該当性の立証責任が被告に転嫁されると解すべきである。
(ア) 判断の誤りによる重大な結果
迫害を受け,あるいは受けるおそれがあることによって,母国を出国した者については,
経験則上,十分な客観的証明資料を所持していることを期待できず,出国してからも,こ
れらの資料を収集するための協力を得ることが困難であることが多いと考えられる。そう
すると,難民性が真偽不明の場合が想定されるところ,かかる場合にその不利益を申
請者に課して国籍国へ強制送還することは,仮に不認定処分・強制送還が誤っていた
場合,重大な人権侵害を引き起こすことが容易に予想できるから,上記のような考えを
正当化することができない。
(イ) 証拠との距離
難民性の認定に必要な証拠資料の一部については,被告が収集することに困難を伴う
ことがあるのは否定しないが,申請者にとっても客観的資料の収集が困難であることは
同様である。申請者の体験に係る具体的事実や心情などの主観的資料については,申
請者の供述が基本的かつ唯一の資料となろうが,これは被告が容易に入手し得る。そ
の他,申請者の国籍国の一般的人権状況や海外の同種事案に関する難民認定の実情
に関する資料については,被告の収集能力が申請者のそれをはるかに上回る。
このように,難民性の認定に必要な資料は,複数の類型に分けられ,そのうち,申請者
の証拠収集能力が,被告である法務大臣のそれを上回っているものは存在しないとい
ってよい。したがって,被告にとって,資料の収集が困難であることを必要以上に強調す
るのは誤った見方である。
(ウ) 灰色の利益の法理と受益者負担原則
一般論として,利益を受ける者がその要件を立証すべきものであることは否定しない
が,刑事被告人が無罪という利益を受けるためにその立証責任を負うということがあり
得ないのと同様,難民認定制度の性質に応じた立証責任の負担を考慮すべきである。
しかるところ,難民を誤って難民と認定しないことは,難民を迫害国へ強制送還すること
を意味し,取り返しのつかない結果をもたらすことになるから,誤った不認定とすること
のないよう万全を期すべきである。また,申請者は,根拠資料を収集する能力が乏しい
など,難民性を立証することが困難な状況に置かれている。さらに,日本は,難民条約
を批准し,難民庇護義務を負っており,難民性を適切に認定することは,日本の国際的
な義務でもある。
以上によると,誤った難民不認定を回避するため,「疑わしきは申請者の利益に」という
原則を導入し,難民性が真偽不明の場合は申請者に有利に難民と判断すべきであり,
難民非該当性の立証責任は被告にあると解すべきである。
(エ) 難民認定ハンドブックの解釈
UNHCRの難民認定基準ハンドブックによれば,難民性の立証責任について,①原則と
して申請人の側にあるが,②関連するすべての事実を確認して評価する義務は,申請
人と審査官との間で分かち合うことになるとされていることからも,申請者が一定の主張
責任を尽くすことによって,難民非該当性の立証責任が被告に転嫁されると解すべきで
ある。
(オ) 難民条約31条1項ただし書
被告は,難民条約31条1項ただし書が,難民性の立証責任が申請者にあることの根拠
となる旨主張する。
しかし,同項ただし書は,「不法に入国し又は不法にいることの相当な理由を示すことを
条件とする。」としているにとどまるから,主張責任について定めたものと解すのが相当
であり,そうでないとしても「相当な理由」とある以上,これが難民性の立証責任の所在
まで定めたものとは解されない。
(カ) 小括
以上のとおり,申請者が一定の主張責任を尽くすことを条件として,難民非該当性の立
証責任は被告に転嫁されると解すべきである。
(被告の主張)
原告の主張は争う。
ある者が難民に該当するか否かを確認する難民の認定は,難民条約上の「難民」の定
義に照らし,申請人各人について,その申請内容の信ぴょう性を吟味し,各人の抱える
個別の事情に基づいてなされるべきものであるところ,いかなる手続を経て難民の認定
がなされるべきかという点については,難民条約又は難民議定書には規定がないから,
難民条約又は難民議定書を締結した各国の立法政策にゆだねられており,我が国にお
いては,入管難民法がこれを規定している。
そして,法61条の2第1項は,申請者の提出した資料に基づいて法務大臣がその者を
認定することができる旨規定し,法61条の2の3第1項は,申請者の提出した資料のみ
では適正な難民の認定ができないおそれがある場合その他必要がある場合に,法務大
臣が,難民調査官に事実の調査をさせることができる旨規定している。これらの規定か
らすると,我が国においては,難民認定申請者が,まず,自ら宗教等を理由に迫害を受
けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有すること,すなわち宗教等を理由に
申請者が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いている主観的事情があり,かつ,
通常人が申請者の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情も存在
していることを認めるに足りるだけの資料を提出することが必要であるとするのが,入管
難民法の趣旨であるというべきである。
このように,入管難民法は,申請者に対し,難民であることを立証する責任を負わせて
いるということができるが,そもそも,難民認定申請は,申請者が,自己の便益を受けよ
うとする行為なのであるから,申請者において,かかる有利な結果を得るために,難民
該当性を積極的に立証しなければならない立場に置かれるのは当然のことであり,難
民条約31条1項ただし書もかかる法理を明らかにしているところである。
また,実質的に考えても,およそ難民該当性の判断に必要な出来事は,外国において,
しかも秘密裏になされたものであることが多いから,これらの事実の有無及びその内容
については,それを直接体験した申請人がもっともよく主張し得る立場にあるのに対し,
被告である法務大臣は,それらの事実について資料を収集することがそもそも困難であ
る。
したがって,法61条の2第1項が,申請人自身において,迫害を受けるおそれがあると
いう十分に理由のある恐怖を有することを証明すべきものとしたのは,合理的な方法と
いうべきである(東京高等裁判所平成14年10月30日判決・公刊物未搭載。乙24)。
ウ 原告の難民性について
(原告の主張)
(ア) イランにおけるクルド人の状況について
a クルド人は,中東地域の3大先住民族の一つであり,その祖先と考えられているメデ
ィア人がアッシリア帝国の首都を陥落させた紀元前612年は,クルド暦元年とされてい
る。その後,クルド人の居住するクルディスタン地域は,他民族によって相次いで征服さ
れたが,やがてトルコ人王朝であるオスマン帝国と,ペルシャ帝国によって分断支配を
受けるようになった。19世紀に入ると,オスマン帝国の中央集権強化に反発するクルド
人は反乱を起こすようになり,ペルシャ帝国内でもクルド人国家樹立を目指す民族運動
が活発化した。第一次世界大戦後の1920年(大正9年),戦勝国と敗戦国オスマン帝
国との間で締結されたセーブル条約では,クルド人の自治が規定されたが,ケマル・パ
シャの率いる青年トルコ党がオスマン帝国を倒したことを受けて新たに締結されたロー
ザンヌ条約では,セーブル条約が無効とされ,その結果,北クルディスタンはトルコ共和
国に,西クルディスタンはフランス統治下のシリアに,東クルディスタンはペルシャ帝国
に,南クルディスタンはイギリス統治下のイラクに,それぞれ併合あるいは残置され,現
在に引き継がれている。
b 東クルディスタン,すなわち現在のイラン北西部においては,1920年(大正9年)か
ら1925年(大正14年)にかけて,イスマイル・アー・スィムコが反乱を起こしたが,193
0年(昭和5年),パーレビ王朝によって,暗殺された。その後も,クルド人らの抗議行動
は継続したが,1942年(昭和17年),イランクルド人はクルド復興委員会を結成して民
族運動を展開し,1945年(昭和20年)には,イランクルディスタン民主党(KDP-I)を
結成した。同党は,1946年(昭和21年),ソ連軍の進駐を利用してマハバド共和国(ク
ルディスタン人民共和国)を樹立したが,イラン軍の侵攻によって崩壊し,大統領と閣僚
らは処刑された。
c パーレビ王朝は,1979年(昭和54年),アヤトラ・ホメイニによって打倒され,イラン
イスラム共和国が樹立されたが,その際,クルド人は,ホメイニの行動に協力し,自治権
の確立を目指したところ,ホメイニは,このような動きを「イスラム革命に対する反革命」
とするファトワを出し,KDP-Iを非合法化するとともに,イラン軍を使ってクルディスタン
への総攻撃を開始した。
このような情勢を見て,イラクのフセイン大統領は,1980年(昭和55年),イランへの侵
攻を開始し,イラン・イラク戦争が始まった。この戦争中,クルド人らは,複雑な情勢に置
かれたが,イランのクルド人たちは,イラン政府との戦闘を継続した。1988年(昭和63
年)に同戦争が終結した後も,イラン政府によってKDP-Iの指導者らが暗殺されてい
る。
d 現在,クルド人は,イランにおける宗教的少数者(スンニ派)であるとともに,民族全
体の悲願として固有の自立した国家を樹立したいという志向が強く,イランにおいては,
クルド人であることだけで罪とされる傾向があり,さらに反政府活動に従事する者は,法
的な手続を経ないまま長期間の身柄拘束や拷問,刑罰を科されることもある。
(イ) KOMALA(以下「コマラ」という。)について
コマラは,正式名称をイランクルディスタン革命的労働者機構といい,1967年(昭和42
年)ころに設立された後,イラン政府に対する軍事活動を展開した。コマラは,1981年
(昭和56年)に他の政治組織と統合してイラン共産党を結成し,クルディスタン支部を形
成したが,やがて,元のコマラを復活させた派,イラン共産党にとどまった派,イラン労働
者共産党を結成した派などに分裂した。
コマラは,サナンダジュを中心に活動するゲリラ部隊を擁する政治組織であり,①自由,
②国家的迫害の根絶,③中央政府による抑圧的官僚的支配の根絶,④クルド人による
固有の独立国家の設立,⑤クルディスタンにおける政治的権利と社会正義の拡大,⑥
イラン国民の意思によって統治し,イランクルド人労働者の利益を反映・保障する民主
的政府の創設を最終目標としているが,他の反政府組織よりはるかに過激であり,KD
P-Iの革命委員会が妥協に転じた後も,イラン政府との戦闘継続を主張した。また,コ
マラは,その思想に親和的なマルクス主義が無神論を唱えているため,イスラムの一体
化の理念を掲げる12イマーム派のシーア派を基盤とするイラン政府に敵視されたこと
から,特に迫害の対象となった。コマラの活動家については,多くの逮捕・死刑の報告が
あるし,コマラの支援者についても一斉摘発され,場合によっては死刑に処せられ,そう
でなくとも相当数の不当逮捕,拷問,投獄が報告されている。
以上のように,コマラ支援者は,イラン国内にあっては,一度政府に疑いをかけられる
や,不当な逮捕や拷問さらには恣意的な裁判手続による刑事罰を受けるおそれがある
のであり,これらはいずれも迫害というに十分である。
(ウ) 原告とコマラの関わりについて
原告は,1回目の日本滞在からイランに帰国した1993年(平成5年)12月,イラン政府
がシーア派を仕事や地位の面で優遇したり,コマラ党員がイラン政府に拘束された後に
消息不明になったことなどに憤りを覚え,コマラを支援することを決意し,ゴルベにおい
て,山岳地帯でゲリラ戦を展開していたコマラのために,2年間にわたって毎月1回程
度,食料を調達し,ゲリラ部隊の輸送役に渡していた。
このように原告は,コマラの一支援者にすぎないが,イランにあっては,クルド人の独立
運動に関連して,コマラの一般党員や支援者はもとより,学生やマスメディアまでが身柄
を拘束されて尋問や拷問にさらされていたことは明らかであるし,同国では司法と行政
が一体化しており,司法が独立して有効に機能する状況にないから,コマラの支援者で
ある原告の難民性を論じるに当たって,イラン政府によって原告がコマラ支援者として個
別に把握されていることまでをも必要とするものではない。
(エ) 原告の迫害歴について
原告は,仕事の関係でイランと韓国との間を行き来していたが,1999年(平成11年)
秋ころ,韓国からテヘラン空港に戻った際,イランの情報機関に逮捕され,情報機関の
施設内において,クルド人の反政府活動との関わりについて厳しく追及された。この逮
捕は7日間程度のものであったが,手錠をかけられて逆さ吊りにされたり,殴られたり,
強い光を目に照射されるなどといった拷問を受けた。
原告は,イラン人の知人が自宅を担保にして保証金を支払ってくれたために釈放され,
裁判を待つ身となったが,裁判をおそれ,所在不明とするために引っ越しをした。しか
し,その後,原告と活動が近接していたコマラ支援者が逮捕され,コマラとの関係や構成
員の情報を自白したとの情報を受け,さらに長女の通学先に原告の住所を調べようとす
る不審人物が現れるに至ったため,原告は,逮捕が迫っていることを知り,出国を決意
した。原告は,テヘラン空港からトルコとの国境にあるレザイヤという町に行き,陸路トル
コ入りして航空券を入手し,韓国を経て日本に入国した。
なお,原告は,難民認定手続における事実の調査の過程等で,自己の迫害歴として,
情報機関による家宅捜索の後,エヴィン刑務所に9か月間拘束されたと供述し,本件に
おいてもその旨主張していたが,これは,自己の難民性を強調するための虚偽のもので
ある。しかし,これも難民特有の心理状態等から出たものであり,その余の原告の供述
の信用性を低下させるものではない。
(オ) 旅券の所持と難民性とは無関係であることについて
難民認定申請者が,真正な旅券を所持していようとも,かかる事実は難民性とは何ら関
係のないことである。このことは,難民法理及び国際難民裁判例,さらに国内の難民認
定実務及び裁判例に照らして明らかである。
(カ) 小括
以上のとおり,コマラ支援者は,イランにおいて反政府活動を行っており,その関係者
は,クルド人という人種,特定の社会的集団であること,クルド人の独立国家の樹立を
目指して政府と対決するという政治的意見を有していることを理由に,身柄拘束や死刑
などの人権侵害を受ける常況にある。
そして,原告は,現にコマラの支援活動を行っていたところ,イラン政府の情報機関によ
りそれが原因と見られる逮捕を受け,拷問も加えられていること,再度逮捕される可能
性があることから,原告がコマラ支援者であることは,イラン政府の把握するところとなっ
ている可能性が高い。このような現状では,原告が,イランに戻るや,イラン政府に逮捕
され,その身柄拘束が長期に及び,再度拷問を受け,革命裁判所による無法な裁判に
より刑務所に収容されることも容易に想定されるところである。
したがって,原告が,「人種,宗教,特定の社会的集団の構成員であること又は政治的
意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」者であ
ることは明らかである。
(被告の主張)
原告の主張のうち,イランクルド人の多くがスンニ派のイスラム教徒であること,イランク
ルド人の中にはイランからの独立を求めて反政府活動を行う者がいること,イラン政府
がイスラムの一体化の理念を掲げる12イマーム派のシーア派を基盤としていること,コ
マラが軍事能力を持つ組織として現在もイラン国内で反政府活動を継続していること,コ
マラの指導的メンバーの中には,身柄を拘束されたり死刑に処せられた者がいること,
以上の事実は認めるが,その余は争う。
原告は,以下で主張するとおり,「難民」には該当しない。
(ア) クルド人及びイスラム教スンニ派であることを理由とする迫害を受けるおそれがな
いこと
a イラン憲法の規定について
イラン憲法19条によれば,イランでは民族,種族,人種,言語等による差別は禁止され
ている。また,同憲法12条によれば,宗教についても,イランの国教は,イスラム教・12
イマーム派のジャアファル学派であるが,イスラム教の他の学派であるハナフィー学派,
シャーフィイー学派,マーリク学派,ハンバル学派,ザイド派は完全に尊重され,これら
の宗派の信徒が行う宗教活動は有効とされており,特にスンニ派については国教でこそ
ないものの,同じイスラム教の学派として完全に尊重され,信教の自由が保障されてい
る。
b イランにおけるスンニ派ムスリムへの迫害がないこと
米国国務省レポート(2004年(平成16年)2月25日)によれば,国民は,ほぼ99パー
セントがイスラム教徒で,その89パーセントがシーア派,10パーセントがスンニ派(その
大部分がトルコマン人,アラブ人,バルーチー人,クルド人)であるとされており,イラン
においてスンニ派ムスリムはシーア派ムスリムより少数ではあるが,国民の10人に1人
はスンニ派ムスリムであるといえ,その宗教人口はイランにおいて2番目である。
また,上記レポートによれば,スンニ派の中には,政府からの差別を主張するものもあ
るが,少なくともイランにおいて,スンニ派ムスリムが,そのことを理由として迫害を受け
る状況にあるとは認められない。
c イランにおけるクルド人の迫害はないこと
確かに,クルド人の自治を求める反政府組織の指導者や,これを支持する武装勢力の
メンバーであれば,政府当局から逮捕・勾留され,場合によっては死刑になる等の危険
性があることは否定できないと思われる。しかし,イランにおいて単にクルド人であること
を理由として迫害を受けるおそれはない。
すなわち,イランにおいては,クルド人は,ペルシャ人,トルコ系イラン人に次ぐ人口を有
し,全国民の9パーセントを占めているところ,英国内務省移民局の報告(2003年(平
成15年)10月)によれば,イスラム政権は,自治を求めるクルド人反体制派指導者(特
にイランのクルド人民主派であるKDP-Ⅰとマルクス主義のコマラ),並びにこれを支持
する武装勢力に対しては極めて強硬な態度で臨んでおり,イラン軍はクルド人居住地域
に常駐し,地域のイラク・クルド民主党メンバーの活動を監視しているものの,クルド人
はイランの民間及び公共の経済分野や,軍及び民間施設など,国民生活のあらゆる場
で見かけられるとされている。
また,上記報告書によれば,イランにおいて,クルド語による公教育はまだ行われてい
ないものの,政府は,クルドの文化表現を奨励しており,クルド語による授業に助成金を
提供しているとの国連特別報告者からの報告もあるとのことであり,クルド語による出版
物の数は増加し,クルド語によるテレビ放送制限の見直しについても話合いが始まって
いる。さらに,親クルド政党を結成することはできないものの,独立候補として議席を保
有するクルド人国会議員も何人かいる。
米国国務省レポート(2004年(平成16年)2月25日)によっても,クルド人は中央政府
に対して自治権の拡大を求め,相変わらず政府の差別を受けているとはされているもの
の,近年では,クルド文化の表現の拡大が認められ,いまなお公立学校ではクルド語で
の教育は行われていないものの,クルド語の出版物や放送が拡大されてきたと報告さ
れている。
さらにデンマーク移民局の派遣した(2000年(平成12年)9月9日から同月17日)調査
団の報告書によっても,イランにおいては,たとえば,学校においてクルド語が使用され
ていないといった政府当局による差別は存在するものの,イランのクルド人が政府当局
によって迫害される状況にはないとされている。
d 以上のとおり,イランにおいて,イスラム教スンニ派であること,クルド人であることを
理由として迫害を受けるおそれを認めることはできない。
(イ) 原告がイランにおいて迫害を受けるおそれがないこと
a 原告のイランにおける生活状況について
原告の供述によれば,クルド人は,公職への登用,仕事での採用,大学への入学等に
ついて差別を受けるものの,運転免許の取得,高校までの教育などでは差別はなく,迫
害も受けないなど,イランにおいて平穏に,むしろかなり裕福な生活を送っていたことが
うかがわれる。
さらに,原告の両親や兄弟などの家族についても,イランにおいて何ら差別を受けること
なく,平穏に生活していると認められる。
b 原告によるコマラ支援活動について
原告は,今回の本邦入国後,一般のイラン人に対しクルド人であることや自己の有する
政治的な見解を明かしたことはなく,クルド人としての政治活動を行ったこともないので
あり,原告が本国出国後の出来事を理由に,本国政府から反政府活動者として個別具
体的に把握されているとは認められない。
また,原告は,今回の本邦入国以前のコマラに対する支援活動についてるる供述する
が,支援活動についての供述内容が非常に漠然としており,コマラのメンバーであった
のか,韓国からの送金を何回行っていたのかなどといった重要な部分において齟齬が
生じており,これについての合理的な理由はなく,そもそも原告が,コマラに対して支援
を行っていたかについてもはなはだ疑わしい。
仮に,原告の供述に一部真実が含まれていたとしても,原告の行ったとされるコマラへ
の支援活動は,山岳地帯にいたゲリラに対する食料の差し入れや韓国からコマラに対
して送金したという程度のものであり,原告のような,コマラに対する一支援者にすぎな
い者に対してまで迫害を行っているとの国際的な報告も見当たらないのであって,原告
が,イラン政府からコマラに対する支援活動を理由に個別に把握され,イラン当局から
迫害を受けるおそれがあるということはできない。
c 原告のイラン本国において受けた迫害について
原告は,当初,イランにおいて,政府の情報機関により家宅捜索を受けた上,約9か月
間,エヴィン刑務所に収容され,原告の行動やコマラとの関係を問い質された旨供述
し,本件においてもその旨主張していたが,後にこれを虚偽であったとして撤回してい
る。
この点について,たとえ難民申請者特有の心理的要因があったとしても,原告が主張す
る迫害事実の核心部分について明らかに意図的な虚偽の供述を行うことについて合理
的な理由は見い出せない。結局,原告が本国において受けたとする迫害に関する供述
は全体として信用できない。
また,原告は,今回本邦へ入国する以前に本国政府から受けた迫害についてるる供述
するが,その供述内容は,そもそも刑務所において1年近くもの間拘束されたことにある
のか,空港で逮捕され,その後6日間にわたって拷問を受けたことにあるのかなど,非
常に重要な部分において,その時々で齟齬があり,また,一方で原告は刑務所に約11
か月間拘束され,その後1年間出国禁止になったと述べているにもかかわらず,他方
で,1998年(平成10年)に入りしばらくして釈放されたが,尾行されていると感じたた
め,イランを出る計画を立て,そのための資金を韓国で稼ぐべく,韓国との往復をしばら
く続けていたと述べるなど,相互に矛盾する供述を繰り返しているのであり,このような
供述の変遷や供述相互間の矛盾については何ら合理的な説明がつかず,そもそも原告
が本国において迫害を受けたとの供述には信ぴょう性が認められない。
d 本件難民認定申請に至る経緯等について
原告は,本邦への入国以前に韓国やトルコへの渡航歴を有しながら,これらの国におい
ては,何ら難民認定申請を行っていないばかりか,今回の本邦入国後も不法就労を続
け,原告名義の自動車が事故を起こしたことがきっかけで退去強制手続を受けることと
なったところ,ここにおいても,当初,本国に帰国する意思を表明していたのであり,原
告が主張するような過酷な迫害体験を有する者が,退去強制手続において帰国意思を
表明することは経験則上信じ難く,原告が,真に本国での迫害体験を有していたとは思
われない。
e 原告がイラン本国において,何度も旅券の発給を受けていること
原告は,本国において,迫害を受けたと称する時期以降も含め,今回本邦に入国するま
でに10冊もの旅券の発給を受け,観光旅行も含め,約70回も外国との出入国を繰り返
し,今回の本邦入国後には,在日イラン大使館において旅券の更新まで受けている。
ところで,米国国務省レポート(2004年(平成16年)2月25日)によれば,イラン政府
は,徴兵年齢の男性と,政治的に疑わしい市民に対しては,外国旅行に出国許可を要
求し,海外から帰国する市民は,時に海外での反政府活動の証拠を見つけようとする政
府当局の検査や尋問の対象とされ,デンマーク移民局の派遣した調査団の報告書によ
れば,イランにおいて政府当局との間に何らかの問題を有する者が旅券の発給や更新
を受けたり,合法的に出入国することは非常に困難であることが明らかである。
したがって,多数回の出入国を繰り返していた原告が,イラン政府との間に何らかの問
題を抱えていたとは到底思われず,原告が難民でないことが明らかである。
(ウ) 小括
以上のとおり,原告が本国において迫害を受けるおそれがあるとは認められず,原告が
難民に該当しないことは明らかである。
(4) 争点(4)(本件不認定処分における理由付記義務違反の有無)について
(被告の主張)
ア 本件不認定処分の理由について
本件不認定処分は,原告の申請に対し,「1 あなたは,本国において反政府活動を行
ったとされる日以降,あなた自身名義の旅券で合法的に本国を出国し,また,本邦にお
いて旅券の有効期間の延長を受けていること」,「2 あなたの提出した資料及び供述か
らは,帰国した場合迫害を受けるおそれがあるとは認められないこと」等からすれば,原
告の申立てを裏付けるに足りる十分な証拠があるとは認め難く,原告が難民であるとは
認められないこと,及び,原告の難民認定申請は,法61条の2第2項所定の期間を経
過してなされたものであり,かつ,同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められな
いことを理由としてなされたものであることが明確である。
イ 理由付記として十分であること
一般に,法律が行政処分に理由付記を要求している趣旨は,「処分庁の判断の慎重・
合理性を担保してその恣意を抑制するとともに,処分の理由を相手方に知らせて不服
の申立に便宜を与える趣旨に出たもの」であり,理由付記に当たりどの程度の記載をす
べきかは,「処分の性質と理由付記を命じた各法律の趣旨・目的に照らしてこれを決定
すべき」であるとされている(最高裁判所昭和38年5月31日第二小法廷判決・民集17
巻4号617頁)。
本件不認定処分は,原告の申立てを裏付けるに足りる十分な証拠があるとは認め難く,
原告には難民該当性が認められないこと,及び,原告の難民認定申請が法61条の2第
2項所定の期間を経過してされたものであり,かつ,同項ただし書の規定を適用すべき
事情も認められなかったことを理由としてされたものであるところ,上記のとおり,原告に
交付した通知書の理由欄にはそのとおり記載されているのであるから,処分の理由は
明白である。したがって,処分庁の恣意が抑制され,原告に対して不服申立てについて
の便宜が図られていると認められるので,理由付記の程度としては十分であり,何ら違
法はない。
(原告の主張)
被告の主張は争う。
ア 法律上要求される理由付記の程度について
行政処分に付すべき理由の程度については,処分の性質と理由付記を命じた各法律の
趣旨・目的に照らしてこれを決すべきであるところ,難民不認定処分において誤りがある
場合には,申請者が,強制送還後,迫害を受け重大な人権侵害に直面することとなり,
取り返しのつかないこととなるため,単に財産的損害をもたらす違法な行政処分の場合
とは比べものにならないほど,処分庁の判断の慎重・合理性を担保し,その恣意を抑制
する必要性が高い。
したがって,処分庁には,より具体的な判断過程を明らかにする義務があるというべき
であり,最低限,難民認定申請者が難民性を基礎づけるものとして主張する具体的事
由に対応して,その結論に到達した過程を明らかにすることが求められているというべ
きである。
イ 本件における理由付記の在り方について
(ア) 本件申請が,難民性及び法61条の2第2項ただし書のやむを得ない事情があるこ
とにつき,相当具体的かつ詳細な内容を有していたこと
原告は,難民認定申請において,申立書のほか,陳述書等の複数の資料を提出してお
り,これらによれば,反政府活動や迫害体験のほか,迫害を受けるおそれが存すること
につき合理的根拠が記載されており,難民性を推認させるだけの基本的事実が示され
ていた。
また,60日ルールの不知や安定した生活の確保など,法61条の2第2項ただし書にい
うやむを得ない事情をうかがわせる事情についても示されていた。
(イ) 処分庁が付すべき理由
a 被告としては,上記のように,反政府組織であるコマラを支援したことで逮捕等の迫
害を受けたと主張している原告につき,難民ではないと結論づけるためには,①コマラ
支援者には迫害がないとするか,②原告がコマラ支援者であるとは信用できないとする
ことが必要である。しかし,本件不認定処分においては,コマラについて何ら言及されて
おらず,これでは,コマラがイランにおいて迫害されている実態を無視して難民不認定処
分をすることができる結果ともなり,処分庁の恣意を抑制することはできなくなる。
したがって,本件では,本件不認定処分の理由として,コマラのイランにおける立場とコ
マラへの支援を主張する原告への迫害のおそれについて,具体的にどのように判断し
たのかを明示することが必要であり,入管難民法が要求する理由付記の水準であると
いうべきである。
b また,被告は,本件不認定処分の理由として,原告が,旅券を取得し合法的に出国し
ていることを挙げているが,前述のとおり,真正な旅券を所持すること自体は,難民性を
否定する理由にはならないと解すべきである。本件不認定処分の理由としては,抽象的
な旅券の所持等ではなく,具体的な難民性に関する判断過程を示さなければならない。
ウ 小括
以上から,本件不認定処分には理由が付記されておらず,取り消すべき違法事由が存
在するというべきである。
(5) 争点(5)(本件不認定処分における調査義務懈怠の有無)について
(被告の主張)
ア 難民性の主張立証責任の所在について
前述のとおり,法61条の2第1項及び法施行規則55条1項の文理解釈,難民認定処
分は,本質的には事実の確認の性質を有するが,難民認定を受けることが他の利益的
取扱いを受けるための法律上の要件となっていること(法61条の2の5,同条の2の6,
同条の2の8),さらに,難民認定のための資料との距離という観点からみても,これを
直接体験した申請者がもっともよく知る立場にあることなどの事情によれば,申請者に,
自らが難民であることの資料の提出義務と立証責任が課されていることは明らかであ
る。
このように難民不認定処分は,申請者が自ら難民であることを立証できなかったため行
われる処分であることから,その提出した資料等から難民ではないと確認される場合と
難民であるとも難民でないとも確定的には確認できない(真偽不明)場合との双方を含
む概念である。
イ 法61条の2の3第1項の事実の調査について
法61条の2の3第1項は,当該外国人から「提出された資料のみでは適正な難民の認
定ができないおそれがある場合その他難民の認定又はその取消に関する処分を行うた
め必要がある場合には,難民調査官に事実の調査をさせることができる」と規定し,難
民認定処分を適正に行うための事実の調査権限を被告に付与している。
同項の趣旨は,申請者が迫害のおそれから逃れて庇護を求めるについて客観的資料
を十分に所持していないことが少なくないことにかんがみ,難民であるか否かの認定に
供される資料の不足を補うために,申請者から提出された資料のみによって認定するの
ではなく,「事実の調査」をすることができるものとし,これを被告自らが行うのではなく,
難民についての専門的知識を有する難民調査官に調査させることができることとして,
被告によるより適正な認定を可能にしようとしたものであって,個々の申請者の利益保
護を目的として設けられているものではない。このように,同項は,難民認定の調査権
限を被告に付与したもので,被告に難民認定の調査義務を課したものではないことは,
同項が「調査をさせることができる」と規定していることからも明らかである。
仮に,法61条の2の3第1項を根拠として,被告である法務大臣に難民認定に関する事
実の調査義務があることを肯定し,その結果,被告が調査していない事項について,調
査義務を果たしておらず,調査が不十分であるとして法務大臣の職務上の法的義務違
反を肯定するとすれば,立証責任を,事実上,被告に転嫁するに等しい結果となり,同
項の解釈を誤るものといわざるを得ない。 
以上のとおり,被告には難民性に関し一定の調査義務が課せられているものではない
から,被告がこれを懈怠したとの原告の主張は,その前提を欠くというべきである。
(原告の主張)
被告の主張は争う。
ア 難民性の立証責任の所在について
前述のとおり,誤った難民不認定処分が重大な人権侵害をもたらすことに照らすと,難
民性の主張立証責任に関しては,申請者が一定の主張責任を尽くすことで被告に転嫁
されると解すべきである。
イ 被告の調査義務とその懈怠について
このような理解を前提とすると,被告において,申請者自身の供述やその提出資料に照
らし,必要な範囲での調査を行う義務があると解すべきである。
被告としては,まず,申請者の供述や提出資料の内容を評価し,その信用性について
の検討をするとともに,補充調査の必要性やその範囲を判断すべきこととなるが,その
際,調査の対象となっているものが,日本人とは異なる言語的,社会的,政治的,文化
的背景を有する外国人であることや国籍国における迫害から逃れ,見ず知らずの国に
おいて難民認定申請をする者の特殊な心理状態に照らし,通常の人間と同様の合理的
行動を行うとは限らないことに十分留意すべきである。すなわち,申請者の供述等を評
価し,吟味するに当たっては,表面的,形式的な検討の結果生じた矛盾点や疑問点を
基に供述等の信用性を排斥するのではなく,これら矛盾点等が通訳の過程,言語感覚
や常識の相違,難民特有の記憶の混乱などによって生じた可能性にも配慮し,慎重に
検討しなければならないというべきである。したがって,被告としては,申請者のおかれ
た特殊な状況に正当な配慮をした上で,その供述や提出資料について公正かつ慎重な
評価,吟味を加え必要があれば補充的な調査を遂げた上で,難民該当性についての判
断を行うべき義務がある。
この点,被告は,法務大臣に難民認定のための資料を収集する義務を負わせると,難
民認定手続上,法務大臣に過重な負担を課すこととなるなどと主張する。しかし,わが
国の難民認定申請数は諸外国と比較しても圧倒的に少なく,被告が憂慮するような事
態は生じ得ない。仮に法務大臣の負担が重くなったとしても,それは,難民条約批准国
の合理的負担である。
しかるところ,被告は,原告からの事情聴取により判明した原告に有利と思われる事項
について何ら裏付け調査を行わないまま,本件不認定処分を行ったものであって,上記
調査義務を懈怠した違法が存するというべきである。
第3 当裁判所の判断
1 争点(1)(60日ルールが難民条約及び憲法98条2項に違反し無効か否か)について
前記前提事実によれば,本件申請は,原告が本邦に入国してから約4年経過した後に
されたものであり,これが,法61条の2第2項本文の定める60日の難民認定申請期間
を経過してされたものであることは明らかであるところ,原告は,この60日ルールが難
民条約等に違反する無効なものであると主張するので,この点について判断する。
(1) 難民の概念について
難民条約及び難民議定書によれば,難民とは,難民条約1条A(1)に規定する者のほ
か,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見
を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍
国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのよう
な恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」及び同様の立場
にある無国籍者をいうとされている(難民条約1条A(2),難民議定書1条2項)ところ,わ
が国の入管難民法は,難民につき,難民条約1条の規定又は難民議定書1条の規定に
より難民条約の適用を受ける難民をいうと定義し(法2条3号の2),難民条約及び難民
議定書と難民概念の一致を図っている。
(2) 難民認定手続の設定に関する締約国の裁量について
ところで,難民条約等の締約国が,ある者を難民として扱うためには,その論理的前提
として,その者が実体的に上記の難民に当たるとの判断が先行するはずであり,したが
って,その認定のために何らかの手続を設ける必要があることはいうまでもない。しかる
ところ,難民条約等は,難民の定義,法的地位,締約国による好意的待遇等について規
定するものの,各締約国において,いかなる手続によって難民を認定するかについて
は,何ら規定していない。
その趣旨は,主権国家は,国際慣習法上,外国人の自由な入国,滞在を許容すべき一
般的義務を負うものとはされておらず,むしろ,難民条約が,前文において宣言している
とおり,「難民に対する庇護の付与が特定の国にとって不当に重い負担となる可能性の
あること」を考慮し,締約国がその主権の行使として,当該締約国の国情に応じた難民
認定手続を定めることを許容したものと解される。そして,難民条約上も,同じ難民であ
っても,その滞在,居留が合法であるか否か等によって,その保護の程度に差が設けら
れているのも,国際社会において,外国に不法に入国,在留することは一般的に許容さ
れていないとの共通認識に基づいて,難民に対しても,この規範の遵守を要求すること
は,決して不当ではない(難民条約2条参照)との考慮に基づくと考えられるのであっ
て,以上のことからすれば,実体的には難民である者からの難民認定申請について,締
約国により,手続要件の不遵守を理由に,その滞在等が合法的なものではないと判断
される可能性は,難民条約等上も当然に予定されていると考えられる。したがって,どの
ような難民認定手続を設けるかは,基本的には当該締約国の立法裁量の問題であると
解される。
もっとも,手続はあくまで実体的要件の存否の的確な判断に資するためのものであるか
ら,難民該当性を認定するための手続要件が実質的に不可能を強いるものであり,手
続要件にかこつけて実体要件を備える難民の認定を不当に排除するようなものであっ
た場合は,難民の実体要件を定義した上でこれに該当する者に対して適切な保護を与
えようとする難民条約等の趣旨を没却する結果を招くことになるから,かかる立法が裁
量権を逸脱,濫用するものとして許されないことも明らかである。
(3) 60日ルールの趣旨及び合理性について
そこで,60日ルールが,難民条約等の趣旨を没却する不合理なものであるか否かにつ
いて判断する。
まず,入管難民法による難民認定の意義については,同法の規定(18条の2,61条の
2の5,同条の2の6,同条の2の8,70条の2)と難民条約のそれ(28条,31条1項)と
を対照すると,難民条約及び難民議定書上の難民が合法的に日本に滞在するための
手続にほかならず,これ以上でもこれ以下でもないから,難民認定申請が認められなか
ったからといって,合法的に日本に滞在すること以外の保護が受けられないというもの
ではなく,その意味で,当該外国人が実体的に「難民」でないことまで確定するものとは
解されない(それ故に,実体上の難民は,難民認定手続と別個の手続とされている退去
強制手続の一段階である法務大臣に対する異議の申出(法49条)において,自己が難
民に該当する旨を主張することができ,法務大臣は,その主張を判断した上で,申請者
が難民に該当するとの判断に至った場合には,在留特別許可の付与(法50条1項3
号)を検討しなければならないと解される。)。
次に,法61条の2第2項本文は,申請者が,我が国に合法的に入国したか否かにかか
わらず,本邦に上陸した日又は難民となる事由が生じたことを知った日のうち,いずれ
か遅い時期から60日以内に難民認定を申請すべきとしているところ,入管難民法がこ
のような申請期間を設けた趣旨は,迫害から逃れてきた者は速やかに庇護を求めるの
が多いと考えられるし,我が国における適切な出入国管理の確保という観点からは,特
に不法に上陸,滞在している難民について,その不法状態を速やかに解消すべく,一定
期間内に難民であることの申告を要求することは酷ではないというべきである。また,我
が国の地理的状況,交通手段の発達状況等からすれば,かかる申告を行うために一般
的に必要と考えられる準備期間を考慮しても,60日という期間が不当に短期間にすぎ
るとはいえず,さらには,難民となる事情が生じてから長期間が経過すると事実の把握
が困難となり,適正な難民認定ができなくなるおそれも否定できない。
加えて,同項ただし書によって,申請期間を遵守できなかったことにつき,「やむを得な
い事情」が認められる場合には,申請期間を経過した後でも難民認定申請を行い,実体
的な難民性の判断を受けることが認められている。
以上を総合すれば,60日ルールは,難民認定手続の手続要件としても,相応の合理性
を有し,難民認定申請者に対して実質的に不可能を強いるなど,難民条約等の趣旨を
没却する違法なものであると判断することはできない。
(4) 原告の主張について
この点について,原告は,①難民認定手続における60日ルールの運用実態に照らす
と,同ルールは,入管難民法上,難民条約上の難民の定義にさらに実体要件を付加す
るものと解するほかなく,難民条約1条につき締約国の留保権を排除した難民条約42
条,条約の遵守を定めた憲法98条2項に違反する,②難民は,国籍国における政治活
動や歴史的経緯などにより難民となるのであって,難民認定申請の遅れにより,国籍国
での事実関係を把握することが著しく困難になるという事態が生じることは想定できな
い,③難民性の認定は,過去の事実を評価する作業ではなく,申請者が国籍国に戻っ
た場合に迫害を受けるおそれがどの程度あるかを予測する作業であり,過去の事実の
調査が困難になることとは無関係である,④申請者は,我が国における身柄拘束や強
制送還の危険を冒してまで,入国後速やかに申請すべき義務などない,⑤申請者の準
備不足や心情,我が国の難民申請者に対する過酷な対応,難民申請に通じた専門家
が限られていることなどの諸条件によれば,60日という期間制限は非現実的である,⑥
入管難民法の改正の趣旨からみても,60日ルールの不当性は明らかであるなどと主
張する。
なるほど,①については,証拠(甲A10,11,14)によれば,被告は,難民認定申請が
60日ルールに反することのみを理由として,難民不認定処分をした事案があることが認
められる。しかしながら,前記のとおり,入管難民法上の難民の定義は,難民条約及び
難民議定書における定義と同一のものであり,60日ルールが,かかる定義とは無関係
に難民認定申請をすることができる期間を定めたもの,すなわち,難民認定手続におけ
る手続要件として設けられていることは自明である。また,そもそも難民条約42条は,
「いずれの国も,署名,批准又は加入の際に,第1条……の規定を除くほか,この条約
の規定について留保を付することができる。」と規定し,難民条約1条に対する締約国の
留保を禁止しているところ,ここにいう「留保」とは,国が,条約の特定の規定の自国へ
の適用上その法的効果を排除し,又は変更することを意図して,条約への署名,条約の
批准,受諾若しくは承認又は条約への加入の際に単独で行う声明(略)をいうものと解さ
れ(条約法に関するウィーン条約2条1項(d)参照。なお,我が国は,難民条約の締結に
際して,この意味での留保を何ら付していない。),難民認定手続上の要件がこれに含
まれないことは明らかである。
また,②ないし⑤についても,難民認定手続が,申請者の提出した資料を基本として,
難民条約上の難民の定義に該当するか否かを認定するものであり,申請者の境遇,あ
るいは迫害という行為自体の性質から,認定に資する客観的な資料に乏しく,時の経過
とともに希薄化し,風化しやすい申請者自身の記憶や,迫害によって負った傷などをも,
その認定の資料として重視せざるを得ないなどの特質を有すること,難民とはいえ,我
が国への自由な入国,滞在が許容されない以上,入国,滞在に関して生じている違法
状態を解消すべき義務を有していると考えられることなどを考慮すると,60日ルールが
相応の合理性を有しているとの前記判断を覆すものとはいえない。
さらに,⑥については,確かに,平成16年法律第73号により,難民認定申請期限等に
ついて大幅な改正が加えられており,また,証拠(乙33)によれば,締約国の中には難
民認定申請に期限を設けていない例が少なからず存在することが認められる。しかし,
前記のとおり,難民条約等は,その基本的な趣旨を損なわない限り,認定手続の仕組
みを各締約国にゆだねていると解されるところ,60日という期限設定は,我が国の諸条
件に照らすと,不当に短期間であるとはいえず,現に,上記証拠によれば,我が国と同
程度の期限を設定し(韓国),あるいは不法入国の場合は,我が国よりも短期間の期限
を設定している例(ベルギー,スペイン)が存在することが認められるから,改正がなさ
れたからといって,60日ルールが締約国の立法裁量を逸脱,濫用するものとはいえな
い。
よって,原告の上記主張は採用できない。
2 争点(2)(原告に,法61条の2第2項ただし書の「やむを得ない事情」があるか否か)
について
(1) やむを得ない事情の意義について
まず,同項ただし書にいうやむを得ない事情の意義につき検討するに,前述した60日
ルールの趣旨や法律用語としての通常の意味等からすれば,この期間内に難民認定
申請をすることが期待できない客観的な事情が存すること,具体的には,病気や災害に
よる交通途絶等の理由により,そもそも難民認定を申請することが物理的に不可能であ
ったと認められる場合のほか,我が国において合法的に在留する資格を有し,難民認
定を申請すべき何らの動機付けも存しない場合,さらには難民認定を申請することによ
り,その者の家族等に対して危難が及ぶことが予想される場合など,難民認定の申請を
するか否かの意思決定を行うことが客観的に困難であると認められる事情を指すと解
するのが相当であり,かかる場合には,これらの障害が解消した後相当な期間内に難
民認定申請をすることにより,同項ただし書の「やむを得ない事情」が存したと評価され
るべきである。
(2) 本件におけるやむを得ない事情の有無について
前記前提事実に証拠(甲C8,37,乙7,30,32,原告本人)及び弁論の全趣旨を総合
すると,原告は,第一回目の不法滞在中,我が国が難民条約を批准し,難民認定制度
を設けていることを知ったこと,原告は,平成12年(2000年)3月9日,当初から上陸許
可期限を遵守する意思もないのに,妻及び子2人と共に,関西国際空港において上陸
許可期限を上陸許可後72時間とする寄港地上陸許可を受けて本邦に入国し,その翌
日,名古屋市在住の知人を頼って同市に行き,以来同市において,アルバイトをしたり,
外国人相手の弁当販売業を営むなどして生計を立てていたこと,今回の本邦入国後約
1年を経過したころ,知人から,入国後60日を経過していることから,原告が難民認定
を受けることは困難であると言われたこと,平成14年(2002年)の冬ころ,知人から紹
介を受けたB行政書士に対し,在留特別許可の取得について相談したが,難民認定申
請については話を切り出さなかったこと,原告名義の自動車を運転していた者が交通事
故を起こしたことをきっかけとして,原告の不法残留が発覚し,平成15年(2003年)11
月18日,逮捕されたこと,刑事裁判を受けている間も,弁護人(原告代理人)から,身柄
拘束期間が長期にわたる可能性のあることを示唆されて,難民認定申請をする意思の
ないことを表明していたこと,この間,原告が難民認定申請をすることが困難となるよう
な病気をしたり,交通機関が途絶したなどの事情はなかったこと,以上の各事実が認め
られ,他方,本件全証拠によっても,原告が難民認定申請をすることにより,イラン国内
に居住する母親や兄弟に対する迫害等を誘発するなどの危険があると認めることはで
きない。
上記認定事実によれば,本件においては,難民認定を申請することが物理的に(のみな
らず知識の上でも)不可能であったと認められないことはもちろんのこと,原告は我が国
において不法残留していたものであるから,難民認定を申請するにつき何らの動機付け
も存しないとはいえず,さらには難民認定を申請することにより,その者の家族等に対し
て危難が及ぶことが予想されるなど,難民認定の申請をするか否かの意思決定を行う
ことが客観的に困難であると認められる事情も認められないから,原告につき,やむを
得ない事情があったとは判断できない。
(3) 原告の主張について
これに対し,原告は,やむを得ない事情とは,上記認定に係る客観的に困難な事情に
限ることなく,申請者の出国の経緯,我が国の難民認定制度に対する情報面や心情面
における障害の程度,証明書類の所持の有無,言語の理解度,申請までの期間等を総
合的に検討し,本邦において難民認定申請をするか否かの意思決定をすることが困難
であって,期間を経過したことに合理的な理由がある場合をも含むべきであり,原告に
ついては,この意味でのやむを得ない事情が認められるべきであると主張する。
なるほど,我が国への入国,滞在が合法的になされた外国人については,適法に在留
し得る期間,迫害等から逃れた安堵感などから,難民認定申請期間を徒過してしまうこ
ともあり得るところであり,原告が上記のとおり主張する事情を考慮すべき場合がないと
はいえない。しかし,適正な出入国管理を確保するとの観点からは,我が国への入国,
滞在が違法となっている外国人については,かかる違法状態を解消することが先決で
あるし,また,迫害等から逃れてきた難民にとっても,早期の難民認定を望むのが通常
であると考えられることからすると,原告の主張する各事情は,同項ただし書のやむを
得ない事情を根拠づけるものであるということはできない。
したがって,原告の上記主張は採用できない。
3 争点4(本件不認定処分において理由付記義務違反があるか否か)について
(1) 理由付記の趣旨と程度について
法61条の2第3項は,法務大臣が,難民である旨の「認定をしないときは,当該外国人
に対し,理由を付した書面をもって,その旨を通知する。」と規定しているところ,一般
に,法律が行政処分に理由を付記すべきものとしているのは,処分庁の判断の慎重・合
理性を担保してその恣意を抑制するとともに,処分の理由を相手方に知らせて不服の
申立てに便宜を与える趣旨に出たものであると解され,どの程度の記載をなすべきか
は,処分の性質と理由付記を命じた各法律の規定の趣旨・目的に照らしてこれを決定す
べきものである(最高裁判所昭和38年5月31日第二小法廷判決・民集17巻4号617
頁,同昭和49年4月25日第一小法廷判決・民集28巻3号405頁,同昭和60年1月2
2日第三小法廷判決・民集39巻1号1頁等参照)。
これを難民認定手続についてみるに,難民不認定処分をする場合に理由を付した書面
による通知を必要としたのは,難民である外国人について難民の認定をしないものとす
れば,難民の地位を保障する難民条約に反する結果となるため,被告の判断の慎重と
公正妥当を担保してその恣意を抑制するとともに,不認定の理由を当該申請者に知ら
せることによって,その不服申立ての便宜を与える趣旨に出たものと解される。
この趣旨にかんがみれば,難民不認定処分に付記すべき理由としては,法61条の2第
1項又は第2項のいずれかの要件を欠くと判断したのかを明らかにしなければならない
というべきであるが,これを超えてどの程度の詳細な理由を示さなければならないかに
ついては,難民認定申請者が難民性を基礎づけるものとして主張する具体的事由,資
料に対応して,その結論に到達した過程を明らかにすることが求められるというべきで
ある。しかるところ,前記のとおり,難民認定手続においては,難民性についての立証責
任は基本的に申請者が負担するものであり,実際にも,その審査は,まず申請者が自
己の難民性を基礎づける理由と資料を提出することによって始まり,その資料の信ぴょ
う性に疑問があるとき,あるいは提出された資料によっても難民性の有無を決し難いと
きには,難民調査官による事実の調査(後記のとおり,どのような場合にこれを行うか,
どのような調査をどの程度行うかについては,基本的に被告の手続裁量に属すると解さ
れる。)の結果をも併せ考慮して,申請者が難民性を具備するか否かを認定するもので
あり,このような審査の構造に照らすと,難民認定申請者が提出した資料が,通常は難
民性を基礎づけるのに十分と考えられる客観性を有するにもかかわらず,これを排斥す
る場合には,その根拠を示すことが必要と考えられるが,そうでない場合には,司法機
関による最終的判断に先立つ行政処分の段階で,判決に要求される程度あるいはそれ
以上の具体的心証形成過程の付記を必要とするものではないと解するのが相当であ
る。
(2) 本件不認定処分の理由付記について
証拠(乙18,20ないし22)によれば,本件申請は,原告が,イランにおける民族的,宗
教的少数派として差別の対象とされてきたクルド系イラン人であること,原告は,反政府
組織としてイラン政府による弾圧を受けてきたコマラの活動を支援してきたこと,現に,
原告は,治安組織による逮捕・拷問を受けた経験を有することなどを理由としてなされた
が,資料としては,専ら原告の供述のみであったこと,以上の事実が認められ,また,前
記認定のとおり,本件申請は,法61条の2第2項本文の申請期間を経過してされたも
のであり,同項ただし書のやむを得ない事情も認められないものであるところ,本件不
認定処分(乙23)には,まず,「あなたは,『人種』『宗教』『特定の社会的集団の構成員
であること』及び『政治的意見』を理由とした迫害を受けるおそれがあると申し立ててい
ます。」と原告の申請理由を要約した上,難民不認定の理由として,「しかしながら,1 
あなたは,本国において反政府活動を行ったとされる日以降,あなた自身名義の旅券で
合法的に本国を出国し,また,本邦において旅券の有効期間の延長を受けていること,
2 あなたの提出した資料及び供述からは,帰国した場合迫害を受けるおそれがあると
は認められないこと等からすると,申立てを裏付けるに足りる十分な証拠があるとは認
め難く,難民の地位に関する条約1条A(2)及び難民の地位に関する議定書1条2に規
定する難民とは認められません。」と,旅券の交付・延長の事実と原告の提出した資料
等に信ぴょう性がないことを指摘して,法61条の2第1項の要件を欠くことを明らかに
し,さらに,「また,あなたの難民認定申請は,出入国管理及び難民認定法61条の2第
2項所定の期間を経過してなされたものであり,かつ,同項ただし書の規定を適用すべ
き事情も認められません。」として,同条の2第2項の要件を欠くことを明らかにしてい
る。
そうすると,被告が原告を難民として認定しなかった理由の概略が明確にされ,原告とし
ては,その後の手続においてこの処分を争うためには,どのような活動が求められるか
について判断することが可能というべきであるから,本件不認定処分の理由付記が不
十分であるとはいえないと判断するのが相当である。
(3) 原告の主張について
この点につき,原告は,本件不認定処分には,①コマラ支援者には迫害がないこと又は
②原告がコマラ支援者であるとは信用できないとすることのいずれかを記載すべきであ
ったことなど,具体的な難民性の判断過程を示さなければならないと主張し,かかる記
載のない本件不認定処分は,理由付記義務の違反があると主張する。
しかしながら,前記のとおり,本件不認定処分には,原告主張に係る個々の事実に関す
る具体的な心証形成過程までも示さなければならないものではなく,さらに,本件申請に
おける理由と,本件不認定処分で付された理由とを対照すれば,原告の供述する原告
自身によるコマラの支援や迫害の事実が信用できないと判断されたことは明らかという
べきであるから,いずれの観点からも,原告の主張は採用できない。
4 争点(5)(本件不認定処分において調査義務懈怠があるか否か)について
原告は,難民性に関する立証責任は,難民認定申請者が一定の主張責任を果たすこと
によって被告に転嫁されるとの見解を前提とした上で,被告には,申請者の置かれた特
殊な状況を配慮し,申請者の供述等に表面的な矛盾点,疑問点があるからといって直
ちにこれらを排斥することなく,補充的な事実の調査を命ずる義務がある旨主張する。
もっとも,原告の上記主張は,本件において,被告がどのような事実の調査を命ずるべ
きであったか,どのような事実の調査を懈怠したのかについて具体的に指摘するもので
はない上,そもそも,法61条の2の3第1項の文言に照らせば,同項は被告に事実の調
査を命ずる権限を与えたものであって,それを命ずる義務を負わせたものとは解されな
い上,難民性の立証責任が難民認定申請者にあると解される以上,被告が難民認定申
請者の提出した資料だけでは難民性を認定するのに十分ではないとの心証を抱いた場
合に,これを補充すべく後見的に調査を命じなければならないとまではいえない。
結局,事実の調査を命ずるか否か,命ずるとしてどのような調査をどの程度まで遂げる
かは,当該事案に照らして被告が判断すべきものであり,その意味で,被告の手続裁量
にゆだねられているというほかない。
しかるところ,証拠(乙20ないし22)からうかがうことのできる平成16年4月8日,同月
9日及び6月10日の3回にわたって行われた難民調査官による調査の内容に照らす
と,被告の命じた事実の調査が,その裁量権を逸脱,濫用するものであったとは認めら
れず,原告の上記主張は採用できない。
5 結論
以上の次第で,その余について判断するまでもなく,本件不認定処分は適法であり,原
告の本訴請求は理由がないから棄却し,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7
条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
    名古屋地方裁判所民事第9部
          裁判長裁判官   加藤幸雄
             裁判官   舟橋恭子
             裁判官   片山博仁

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