弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決を破棄する。
     被告人及び被告会社はいずれも無罪。
         理    由
 本件控訴の趣意は、記録に編綴の弁護人金井塚修作成の控訴趣意書に記載のとお
りであるから、これを引用する。
 控訴趣意第二点及び第三点について。
 論旨は、原判決の法令解釈適用の誤及び事実の誤認を主張するのである。
 原判決の認定した事実は、「被告会社は、京都市a区b町c番地に本店事務所及
び工場をおき、自動車車体部品製作販売等を事業目的とするもの、被告人Bは、同
会社代表取締役として同会社の業務一切を統轄掌理しているものであるが、被告人
Bは、被告会社の業務に関し、昭和三八年八月より同三九年一二月までの間、前記
会社において、社団法人C協会の行なう熔接技倆資格検定試験受験希望の労働者D
ほか三五名に、『右試験合格、不合格の如何にかかわらず、合格、不合格決定の日
から一年間は退職しない。もし右期間内に退職する場合は、右受験のための練習費
用等として三万円を支払う。』旨の誓約書を提出させ、もつて労働契約の不履行に
つき損害賠償額を予定する契約をしたものである。」というのである。
 <要旨>よつて案ずるに、労働基準法第一六条にいわゆる違約金とは、広く契約不
履行に対する制裁として違反者が相手方に支払う金員を指称し、労働契約に
おいては、主として契約期間の途中で転職、逃亡などした労働者やその親元などに
課せられるものであり、損害賠償額の予定とは、契約違反、不法行為の場合にその
相手方ないし被害者が蒙る損害をあらかじめ一定して置き契約違反ないし不法行為
の起つたときに、一々損害額を計算し証明する労を省くためのものであるが、同条
において労働契約の不履行につき、これらの違約金又は損害賠償額を予定する契約
を締結することを禁止するゆえんのものは、使用者が労働者に対して雇用関係の継
続を不当に強要するおそれがあるからであるところ、労働関係において、使用者が
被よう者の願出により技量資格検定試験受験のために社内技能者訓練を実施し、使
用者において、材料費を含む練習費用、部外講師並びに部内熟練工による指導費及
び検定試験に要する費用などを支弁し、その計算の範囲内において金額を定め、合
格又は不合格の決定後約定の期間内に退職するときは、右の金員を使用者に返済
し、約定の期間就労するときはこれを免除し、なお所定の報賞金を追加支給する旨
の特約をすることは、その費用の計算が合理的な実費であつて使用者側の立替金と
解され、かつ、短期間の就労であつて、全体としてみて労働者に対し雇よう関係の
継続を不当に強要するおそれがないと認められるときは、労働基準法第一六条の定
める違約金又は損害賠償額の予定とはいえないと解する。これを本件について見る
に、原審で取り調べた証拠に、当審における事実取り調べの結果を総合すると、被
告会社では、従来工員の福祉と会社の業務向上を図るため、工員に対してC協会が
行うガス、電気熔接工技量資格検定試験(JISZ三八〇一による)の受験を勧奨
し、試験官の出張試験を行つており、そのため希望者に対し約二ケ月間にわたる講
習を実施し、練習費用や受験費用などを会社が支弁していたが、合格した工員が程
なく退職するにおいては所期の目的を達成し得ないこともあつて、合否決定の日か
ら一年以内において退職する場合には、右経費三万円を会社に返済させる旨の誓約
書を受験希望者本人並びにその親権者から徴していたこと、誓約書(押収物当庁昭
和四一年第三六三号1―3)には、「今般熔接技量資格検定試験受験のための特別
教育及び練習に参加したくお願い申上げます。尚受験の結果が合格、不合格の如何
にかかわらず、合格、不合格決定の日より向後一年間は退職致しません。もし期間
内に如何なる事情によるとも退職致します際は、検定試験に要した費用、練習費
用、特別教育費用の一切の費用は会社へ返済致します。右の通り本人及び親権者連
名にて誓約致します。条件費用金額計金三万円也(実際は三万円以上の費用を要し
ますが万一の場合のため一応三万円と規定します)、合格証明書は本人の所有とな
ります」と記載され、被告会社取締役社長B宛に本人及び親権者連名で作成提出さ
れたものであつて、右誓約書は、会社と従業員組合との間に承認されており、な
お、会社と従業員組合との間では、特別報賞金支給規定を作つて、熔接技量報賞金
として毎月一級一、五〇〇円、二級一、〇〇〇円、三級五〇〇円を支出することと
し(同6)、熔接資格検定試験受験誓約書は毎年検定試験練習にはいる八月末又は
九月に会社へ提出するが、右の三万円は、会社と本人との間の貸借関係であり、退
社したい人は、いつでも自由に退社することができるが、三万円は返済する旨の申
合せをしていること(当審証人E、同F、同Gの各証言)がそれぞれ明らかであ
る。そこで、かような特約が労働基準法第一六条に違反するか否かということにな
るのであるが、当審証人Eは第二回公判期日において「私は、被告会社の従業員
で、H労働組合I地区J支部の組合長である。熔接技量資格検定試験を受けたい組
合員は申し出よというので、希望者はガス又は電気にわけて申込みをする。会社の
方では、材料をあてがい、酸素、ガス、熔接器具を貸与して三ケ月間受験の準備を
させる。毎日一時間から二時間程度で試験に合格した者が指導し、部外の先生例え
ば高校の先生のような専門家も、週に二、三回来て指導するが、費用は会社が出し
てくれる。受験のための費用は組合の方でやつた概算によると、三ケ月間一時間な
いし一時間半くらいの練習をすると、七、八万円かかると思つている。熔接は平板
のつなぎ合せだけでなく外曲げ、内曲げをして熔接面の痕の大きさが七ミリ以上で
あるときは不合格である。免許の種類は一級、二級、三級の種類がある。誓約書に
記載されている三万円は、費用の一切を会社が貸すのだから退社するときは返済し
なければならないという意味であり、一年間退職しないという意味は、一年間就労
すれば支払わなくてもよいという意味である。なお、右の誓約書に、一年間は退職
しませんという字句があり、従業員の中に、三万円払わなければやめられないと解
釈した者がいたので、会社と組合との間において、右の三万円は「会社と本人との
間の貸借関係であり、雇よう関係とは別であるから、退社したい者はいつでも自由
に退社してもよいが、貸金の立前である三万円は返金する。但し返金しないから退
社させないというわけではなく、従業員の誠意にまつだけのことである」旨の申合
せをし、その趣旨は誓約書を書く前に従業員に説明されている。従つて、誓約書が
あるために退職できないと不満をもらした人はない。五、六年の間に一年以内でや
めた者が五、六人いるが、三万円は強制的ではないので、返した者もあり、返さな
かつた者もある。やめたい者は会社に出て来ず、かつてにやめていく。この金を返
すのがいやだからやめられないということはない。私の方では、誓約書による拘束
というようなことは考えられない」旨証言し、当審証人Fは、「私は昭和三八年こ
ろから二年間被告会社の総務部長をしたことがある。工員は五〇名くらいであつた
が、中学校卒業者で、職業安定所を介して現地の学校へ行き採用試験をし年間一五
名くらいの新規採用をした。定着率はよく退職者はあつても少なかつた。入社後三
年間洛陽高校で使用した教科書で学科を教え、実技を指導し、年一回出張試験をし
てもらい、熔接技量資格検定試験を受験させていた。指導は作業が終了してから一
時間ずつ有資格者が一名ずつついて養成した。外部講師には会社から謝礼を出して
いた。試験に要した練習費用、特別教育費用等は実費で一人あて四万四円かかるの
である。誓約書は私が社長と相談して起案したものである。会社としては折角費用
をかけて技量資格検定試験に合格させても、他会社から引抜かれたりして、すぐや
められたのでは、会社の欠損になるところから、せめて一年間は退職しないと書い
た。それは、二年も三年もというと拘束することになるが、一年くらいは誰が考え
ても当然のことだと思つたからである。退社するなら会社が立替えた金のうち三万
円だけ返済してもらい、続けて勤務する人には報賞金を出すことにした。内容を誤
解されても困るので組合との申合せ事項としたが、会社に三万円返済するというの
は貸金を返済してもらうのであるから、違約金でもなければ、損害賠償額の予定で
もない。私は、悪いことだと思つていないから労働基準局の方にも職業安定所の方
にも学校の先生にも見せている」旨証言し、当審証人Kは、「私は宮津職業安定所
に勤務しているが、被告会社は昭和三七年ころから中学卒業者の求人申込みを受け
て知つている。昭和三九年九月頃、Aの従業員の父兄から会社に対し時間外労働そ
の他の事で苦情と改善方要望があり、京都七条の職業安定所のL事務官と同道しA
の社長と話し合い舞鶴から来ている従業員とも会つて激励した。その時、熔接訓練
に関する誓約書を見た。途中でやめると費用を返さねばならないということにして
いると社長から聞いた。実際費用を使つておるのだからやむをえないんぢやないか
ぐらいに考えた。私個人の考えだが、無茶苦茶にきついとか違反のようなことであ
ればその揚でやめてくれと言つたはずである。」旨証言し、当審証人Mは、「私は
被告会社の工員であるが、誓約書を書く前に社長から説明をうけた。熔接検定試験
を受けたいものは書いて出せということであつた。一年間退職したらいけないとい
うことではなく、一年間勤めれば三万円は会社からもらえるが一年以内にやめると
三万円返すということであつた。受験訓練は、作業が終了してから一時間くらい
で、班長、組長が教えてくれる。学科は外部から先生が来て教わつた。やめたくて
もやめられないという拘束はない。練習費用、教育費用、ガスその他器具の使用料
等の実費は、三万か四万くらいかかるんじやないかと思う。その練習は、会社の仕
事としての練習を兼ねているわけではなく、本当の練習だけである」旨証言し、鑑
定人N(社団法人C協会西日本事務局長)作成の鑑定書には、「熔接練習費用は、
鉄板一人当り二万四、三〇〇円、酸素一人当り二、三〇四円、アセチレン一人当り
五、〇五四円、熔接棒などの仕上費用三、二一三円、試験費用一、四〇〇円、受験
料八〇〇円、認定料五〇〇円、講師謝礼一、六〇〇円、受験に関する手数料一〇〇
円、実技指導料五、八二〇円、合計四五、〇九一円が妥当であるが、材料が新品を
使用せずスクラップその他余材を使用した場合は零と考える」旨記載があり、当審
証人Gは「私は、昭和三二年三月被告会社に入社し、三年くらいたつてC協会の熔
接技量資格検定試験を受け、アーク熔接の二級に合格した。受験勉強があつて、作
業終了後、学科は外部の先生が来て指導し、実地の練習は会社の援助で有資格者が
指導してくれた。誓約書は知つている。会社が受験について三万円費用がかかるの
を立替えてくれるから希望者があれば受験してよい。その三万円は一年以内に退社
するときは返済するということである。私は組合の役員であつたが、自由にやめて
もかまわないということに会社との話合いで決まつていた。金の返済は会社との話
合でどうにでもなると私は思つている。事実金を払わずにやめた者もあると聞いて
いる。私は三万円は会社から立替えてもらつているのだから貸借関係と雇用関係と
は別であると、社長や労務のFさんから聞いていた。人に借金しておれば払つてや
めるのが人道的であると考えていた。一年たてばご破算になるとの話も知つてい
た。やめるときでも三万円払つたらしまいやないかという気楽な気持で受けてい
た。会社に三万円立替えてもらつたのだからやめてはいけないとは考えなかつた。
三万円の金額は材料等を計算してそれくらいの費用が要ると思つた。」旨証言し、
当審証人Oは「被告会社に勤務していた昭和三八年一二月頃ガス熔接の試験を受
け、その講習を受けるため誓約書を出したが、免状が来てから一年以内に会社をや
めようと思い組合長に相談しそれから社長に会つた。社長は、もう一月たてば三万
円払わなくてもよいことになるからそれまで会社に居た方がとくだと言われ、一年
たつてからやめた」旨証言しているのであつて、以上に徴すると、近時、高度な産
業経済界の発展を見るに至つて、中小企業においては全体が従業員の確保に悩み、
自ら養成した優秀な従業員も大企業に引き抜かれるため、事業主は、あらゆる努力
を払い便宜を供与して従業員を優遇し、その足止めに努めている実情であるとこ
ろ、被告会社においても同様に、従業員の福祉と会社企業の伸展を期し、従業員の
優遇措置として希望者をつのり、熔接技量資格検定試験受験のための社内技能者訓
練を実施しその受験準備のために、約二ケ月にわたり学科については外部から講師
を招いて教育し、実地訓練については会社内部の有資格者を配して指導訓練をして
来たこと、その訓練費用、教育費用並びに受験費用はすべて会社において一応、支
払いをし、検定試験に合格した者が引き続き就労することを期待し、一年以内に退
職するときはその金員を返済するが、一年間の就労によりその金員の支払いを免除
し、なお毎月報賞金を追加支給するなどの優遇方法を講じていること、右の金額
は、鑑定書中材料の鉄板について新品の半額と見積れば金三二、四四一円となり、
金高において、合理的な実費の範囲内であつて相当であり、その性質は、会社が講
習を希望する従業員に対する訓練費用の立替金であると認められる。
 そして「一年間は退職致しません」という条項は、労働を強要する字句のように
解されるおそれがあり措辞妥当を欠くきらいがあるけれども、それは工員の誠実な
就労を期待する意味であつて、立替金を返済するときは、何時でも退職することが
できることは、工員に対し十分説明されており、その期間が短期間であることと総
合し、労働者に対し使用関係の継続を不当に強要するものとは考えられない。従つ
て、本件の誓約書は、労働契約の不履行につき違約金を定め、又は損害賠償額を予
定する契約をしたものとはいえない。原判決は返済金の性質について事実を誤認
し、ひいて法令の適用を誤つたものであつて、その誤は判決に影響を及ぼすことが
明らかであるから、破棄を免れない。論旨は理由がある。
 よつてその余の論旨を判断するまでもなく刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八
〇条、第三八二条により原判決を破棄し同法第四〇〇条但書により更に判決する。
 本件公訴事実は、被告会社は、京都市a区b町c番地に本店事務所及び工場をお
き(その後肩書地に移転)。自動車車体部品製作販売等を事業目的とするもの、被
告人Bは、同会社代表取締役として同会社の業務一切を統轄掌理しているものであ
るが、被告人Bは、被告会社の業務に関し昭和三八年八月より同三九年一二月まで
の間前記会社において、社団法人C協会の行なう熔接技倆資格検定試験受験希望の
労働者Dほか三五名に「右試験合格、不合格の如何にかかわらず、合格、不合格決
定の日から一年間は退職しない、もし右期間内に退職する場合は、右受験のための
練習費用等として三万円支払う。」旨の誓約書を提出させ、もつて労働契約の不履
行につき損害賠償額を予定する契約をしたものであるというのであるけれども、以
上の理由により本件は犯罪の証明がないから、刑事訴訟法第四〇四条、同第三三六
条により被告人及び被告会社に対しいずれも無罪の言渡しをなすべきものとし、主
文第二項のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 山崎薫 裁判官 竹沢喜代治 裁判官 大政正一)

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