弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決中被告人に対する有罪部分を破棄する。
     被告人は無罪。
         理    由
 本件控訴の趣意は弁護人加藤充作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これ
を引用する。
 論旨は要するに被告人は本件当時胃炎又は胃潰瘍を患い、現実に急性又は慢性の
胃痛に苦しんでいたので、その医療を求めて原判示各医師から原判示麻薬の注射施
用を受けたのであつて、疾病の治療以外の目的で麻薬の施用を受ける意思はなかつ
たし、又右各医師はいずれもその診察と判断に基づき被告人の右疾病の治療の目的
で前記麻薬の施用をしたものであるから、被告人に対し麻薬取締法二七条五項を適
用して処断した原判決には事実誤認ないし法令適用の誤りがあるというのである。
 <要旨>よつて案ずるに麻薬取締法二七条五項はその規定の文言並びにその立法趣
旨に照らし、同条一項、三項又は四項の規定により禁止される麻薬の施用行
為の相手方となつてその施用を受ける行為すなわち、麻薬施用者以外の者から麻薬
の施用を受ける行為、麻薬施用者から施用を受ける場合であつても麻薬施用者の麻
薬の施用が疾病の治療以外の目的である場合(同条三項ただし書の場合を除く。)
や麻薬又はあへんの中毒者の中毒症状を緩和するため、その他その中毒の治療の目
的である場合(同条四項ただし書の場合を除く。)にその施用を受ける行為を何人
についても禁止したもので、同条一項、三項又は四項の違反行為を前提とするもの
とみられるから、同条五項違反の罪が成立するためには麻薬を施用する側において
同条一項、三項又は四項違反の罪が成立する場合でなければならないと解せられ
る。もともと同条五項は昭和三八年法律第一〇八号麻薬取締法の一部を改正する法
律により新たに設けられたものであるが、右法律による改正前は同条一項にいう
「施用し」の意義について、他人に対し施用することのほかに自ら自己の身体に施
用することも含むと解されていた(旧麻薬取締法に関する昭和二五年六月六日最高
裁判所判決参照)が、他人から施用を受ける行為がこの「施用し」にあたるかどう
かは必ずしも明らかでなく、又施用者側について同法二七条一項、三項(改正前の
同条二項)又は四項(改正前の同条三項)に違反する罪が成立する場合でも違法に
その施用を受ける相手方についてはひとしく同条一項の「施用し」にあたるとみる
のか、又は施用者側についてそれぞれ成立する同条一項、三項(改正前の同条二
項)、又は四項(改正前の同条三項)違反の罪の共犯となるのかといら点において
解釈上の疑義があつたため、この点を明確にするため同条五項の規定が新設された
ものであつて、同項は施用者側に以上のような違反罪が成立する場合のみについ
て、その施用者から違法な麻薬の施用を受ける行為を規制したものとみられるので
ある。そして施用者側に以上のような違反罪が成立しない場合に情を知らざる施用
者側を利用してその施用者から違法な麻薬の施用を受ける場合には前記改正法律の
施行前においても間接正犯として同条一項が適用されるものと解され、右改正法律
により同条五項が新設されても、別異に解すべき理由はないというべきである。従
つて疾病の治療以外の目的で麻薬の施用を受けようとする者が麻薬施用者である医
師に対し虚偽の病状を訴え当該麻薬施用者をして真実疾病の治療の目的のために麻
薬の施用が必要であると誤り信じさせて自己に麻薬の注射施用をさせた場合には当
該麻薬施用者の側において麻薬取締法二七条三項又は四項違反の罪が成立しないか
ら被施用者は同条五項にいう麻薬の施用を受けたこととはならないのであつて、右
の如く麻薬施用者を欺罔して自己に麻薬を施用させた者については、間接正犯とし
て同条一項違反の罪に間擬されるのは格別、同条五項違反の罪は成立しないと解す
るのが相当である。
 これを本件についてみるのに原判決は罪となるべき事実として「被告人は昭和四
〇年三月二日から同年一〇月一日までの間、原判決添付の別紙一覧表記載のとお
り、前後六四回にわたり疾病の治療以外の目的で各医師をして自分の身体に麻薬を
注射させてその施用を受けたものである」との事実を判示認定し、これに麻薬取締
法二七条三項、五項、六六条一項を適用していることが明らかであるが、右判示に
よれば被告人が原判示麻薬の注射を自分の身体に受けるについて疾病の治療以外の
目的があつたことは明らかであるが、右麻薬を被告人に注射して施用した麻薬施用
者である原判示各医師の麻薬施用が疾病の治療以外の目的でなされたものかどうか
は判文上必ずしも明確ではない。
 そこで先ず、原判決が同法二七条五項違反の罪が成立するには麻薬施用者につい
て同条三項又は四項違反の罪が成立する場合でなければならないという前記法解釈
と同一見解に立つて、麻薬施用者である原判示各医師の側においてもその各麻薬施
用につき疾病の治療以外の目的があつた趣旨を右の如く判示したものと解して原判
決挙示の証拠を検討するのに、右挙示の証拠だけでは、医師A、同B、同C、同
D、同Eには原判示日時の麻薬施用につき、疾病の治療以外の目的があつたと認め
ることはできないのである。すなわち、右証拠中の証人A、同C、同D、同Eの原
審証言によれば、医師である右各証人はいずれも被告人を診察した結果被告人が胃
炎に罹つており、胃潰瘍の疑もあると認め当該医師の原判示麻薬施用時には被告人
の胃痛の訴えが真実であり、その苦痛を緩和するためそれぞれ原判示麻薬の施用が
必要であると判断してその施用をしたものであると供述しており、前記医師Bの原
判示麻薬施用については原判決挙示の司法巡査遠藤実作成の報告書中の昭和四〇年
九月二七日附の分により麻薬施用簿に基づく施用日時、回数と施用麻薬の種類、数
量が明らかにされているほか同医師も前記各証言と同趣旨の目的で被告人に麻薬を
施用したと供述していることが報告されているだけである。そして、本件以前や以
後に被告人を診察した医師である証人F、同Gの各証言、その他原判決挙示の証拠
を併せて検討しても、原判示の如く被告人に対し麻薬を施用した各医師にその各施
用当時疾病の治療以外の目的があつたことは毫も認めることはできない。されば原
判決はその判示する犯罪事実についてこれを証明するに足る証拠を挙示していない
こととなり、証拠の理由不備の違法があるから、原判決は破棄を免れない。
 次に、原判決が前記当裁判所の示した法解釈と異なり同法二七条五項違反の罪が
成立するには麻薬施用者側に同条三項の罪の成立を前提としていないという見解に
立つて前記の如く判示したものと解すれば、原判決には法令の解釈適用を誤つた違
法があることとなりこの誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この
点において原判決は破棄を免れないのである。
 以上の如く、原判決は事実誤認についての論旨に対する判断をまりまでもなく破
棄を免れないから、その判断を省賂し刑事訴訟法三九七条一項、三七八条四号又は
王八〇条により原判決中被告人に対する有罪部分を破棄し、同法四〇〇条但書によ
り、更に次のとおり判決する。
 原判決謬定の本公訴事実は「被告人は昭和四〇年三月二日から同年一〇月一日ま
での間原判決添付一覧表記載のとおり前後六四回にわたり疾病の治療以外の目的で
各医師をして自分の身体に麻薬を注射させてその施用を受けたものである」という
のであるが、原審及び当審で取調べたすべての証拠を検討するのに、被告人が本件
麻薬の施用を受けた当時麻薬施用者である原判示各医師の側に疾病の治療以外の目
的があつたことについては前記の如く原判決挙示の証拠だけでその証明がないのみ
ならず、他のすべての証拠によるもその証明が充分でないし、次に示すように被告
人自身が右各医師から疾病の治療以外の目的の麻薬施用行為を受けようとしたもの
とも認められないのである。
 すなわち、当審で取調べた鑑定人Hの鑑定書及び証人Hの当審証言に照らし、原
審で取調べた各証拠を検討するのに、被告人は捜査官に対する各供述調書において
は前に胃が痛んで麻薬の注射をして貰つた際よく効き調子がよかつたので原判示各
医師から麻薬の施用を受ける際には胃痛はあつたが大した痛みではなかつたのに少
し位の痛みでは麻薬の注射をして貰えないと思い、各医師にはいずれも胃部に激し
い痛みがあるとうそをいつたり、態度で大げさに示したりして疾病の治療以外の目
的で右各医師から麻薬の注射施用を受けたもののように供述しているが、右鑑定書
中に右鑑定人が被告人をレントゲン透視による胃部等の検査のほか、その身体や精
神状態等について診察し、心理学的検査をも加えて判断した結果として指摘するよ
うに被告人は本件各麻薬の施用を受けた当時軽症の胃及び十二指腸の潰瘍を伴う慢
性胃炎の常況にあつて、容易に胃痛を発症し得る状態であり、特に被告人が医師の
治療を受けながらも飲酒その他の不摂生を繰り返えしたことにより、たえ難きまで
の疼痛にまで達することもあつたことが充分に考えられ、右疾病に基づく苦痛につ
いて被告人の性格から多少大げさに振舞つたり、少しく誇張して訴えることはあつ
たのではないかとみられるにしても、原判示各医師に対し詐病的な訴えをして受診
を求め当該医師を欺いてまで麻薬の施用を受けようとしたことはないとみるのが相
当であり、原判示各医師の前記原審証言又はその供述に基づく前記警察官の報告書
に徴しても、被告人は胃部の痛みを訴えるだけで、特に麻薬を注射してくれとか、
あのよく効く薬を注射してくれとか明らかに又は暗に麻薬を指定してその施用を求
めたり、哀願したりした事実は認められないのである。そして被告人が本件麻薬の
施用を受けた回数は原判示一覧表記載の如く昭和四〇年三月二日から同年一〇月一
日まで六四回であり、施用者である医師はAほか四名であつて、その受診状況につ
きそのうちのある医師から診療を受けながら、他の医師に移り又元の医師に移つた
りする等麻薬施用を受ける医師を転々と変えていること等の事実も認められるから
被告人が麻薬中毒者ないし嗜癖者であつて疾病の治療以外の目的で違法に麻薬の施
用を受ける犯意があつたのではないかと疑われるけれども、前記鑑定書も指摘する
ように右各医師はいずれも近所の医師ばかりであり、被告人の司法巡査に対する昭
和四〇年一〇月六日附供述調書添付の麻薬施用一覧表により本件以前の分を含めて
昭和三八年七月二一日以降から約九〇回麻薬の施用を受けている状況をみてもその
施用は継続的な運用ではなく断続的であり、その間隔が相当あいていることしかも
施用を求めた医師は近隣の数名の限定された医師であり、時に麻薬でない鎮痛剤の
施用を受けてそのままにすませていることもあり、比較的たやすく頻繁に麻薬の施
用をし、やや不適切な治療行為をしたかにみえる医師について特に定着した傾向も
見えず、医師転換の事情もA医師やC医師に入院や手術をすすめられ、生活上の必
要や経済的理由でその都度承諾できなかつた不義理感から他の医師の診療を求め又
手術が真に必要か否かの診断を他の医師に求め、殊にE医師からはレントゲン透視
の結果胃炎のほかに胃潰瘍の疑いもあるが、現在の症状では手術する必要はなく内
服と食餌療法で治癒し得る見込であるとの診断を受けて同医師からは原判示一覧表
記載の如く一回麻薬の注射を受けたほかは非麻薬による内科的治療を受けているこ
と等の事実が認められるから、被告人が麻薬中毒者ないし嗜癖者でもなければ麻薬
を多数回にわたり施用を受けたために麻薬に対する欲求を生じたことから前記疾病
に基づく身体的苦痛もないのに麻薬の施用を求めたものとは認められず、被告人の
原審公判廷における被告人が胃痛のため原判示各医師に治療を求め、右各医師から
正当な治療行為として原判示各麻薬の注射施用を受けたものであるという弁疎を排
斥できない。されば右本件公訴事実については犯罪の証明が充分でないから刑事訴
訟法四〇四条、三三六条により無罪の言渡をなすべきものとして、主文のとおり判
決する。
 (裁判長裁判官 畠山成仲 裁判官 柳田俊雄 裁判官 八木直道)

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