弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決を破棄する。
     本件を福岡高等裁判所に差し戻す。
         理    由
 弁護人神代宗衛、同田中萬一、同古賀野茂見の各上告趣意について。
 所論にかんがみ、職権をもつて調査すると、原判決には、以下説明する理由によ
り、判決に影響を及ぼすべき法令違反、ひいては重大な事実誤認のあることの顕著
な疑いがあるので、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものと認める。
一、本件公訴事実の要旨は、
  「被告人は、福江市a町b番地所在のA株式会社B支店の倉庫労務員であるが、
昭和三七年九月二五日午後六時ごろから右倉庫の宿直勤務につき、午後一〇時ごろ
就寝し、翌二六日午前〇時五分ないし一時ごろまでの間にいつたん起きて、たばこ
を吸いながら右倉庫を見まわつた際、その吸がらを完全に消火しないで倉庫内に投
げ捨てれば、同所にはわらくずなどが散乱し、かつ、こも包みやケースなどが集積
されているため、右吸がらの火がこれらに引火する危険性があるにもかかわらず、
不注意にも完全に消火しない吸がらを、右倉庫内のc、dなどの方面の荷物置場付
近に投げ捨て、そのまま就寝した過失により、同日午前二時ごろ右吸がらから付近
の荷物に燃え移り、現に人の住居に使用する右倉庫およびこれに隣接した付近の住
家など三九七戸を焼燬するに至らしめた。」というのであり、第一審は、被告人の
司法警察員および検察官に対する各自白調書の任意性に疑いがあるとして、これら
の各調書の証拠能力を否定し、その余の証拠をもつてしては犯罪の証明が十分でな
いとして被告人に対し無罪の言渡しをしたが、原審は、右各自白調書の任意性およ
び真実性になんらの欠陥もなく、これらの調書とその余の証拠を総合すれば本件公
訴事実は優にこれを認めることができるとして一審判決を破棄し、右公訴事実どお
りの事実を認定したうえ、被告人を罰金五万円に処しているのである。
  そこで、以下この点について検討を加えることにする。
二、本件記録によると、被告人が起訴状記載の日時場所において倉庫の宿直勤務に
つき、午後一〇時ごろ就寝し、昭和三七年九月二六日午前〇時五分ごろか午前一時
ごろいつたん起きて倉庫内を見まわつたこと、および同日午前二時ごろ同倉庫付近
から出火し、右倉庫およびこれに隣接した付近の住家など三九七戸が焼けたことに
ついては争いがないが、右見まわりの際被告人がたばこを吸い、その吸がらを倉庫
内に投げ捨てたため、右吸がらから引火したとの点については、被告人は、同日の
司法警察員の取調べにおいて否認しており、翌二七日付および一〇月一日付の司法
警察員に対する各供述調書、同日付の裁判官の質問調書、同月三日付の検察官に対
する供述調書等ではそれぞれ自白をしているが、同月一七日付の検察官に対する供
述調書では再び否認し、同年一二月五日付で起訴された後も、第一審公判の冒頭か
ら一貫して否認していることが明らかである。そして、記録によれば、これらの供
述調書は、次のような経過および事情のもとに作成されたものであることがわかる。
 被告人は、同年九月二六日午前二時ごろ火災に気づき目をさましたが、すでに手
の施しようのない状態であつたので、とりあえず電話局に電話をかけて急報し、表
にとび出して近隣に大声で火災を知らせ、同市eの前記会社B支店に行つた。そし
て、午前三時ごろ福江署員から任意同行を求められ、承諾して同署におもむいたが、
同署にも延焼の危険が迫つたので、署員同伴でC中学校に行き、簡単な取調べを受
けたうえ、さらに、署員同伴で捜査本部となつたキリスト教会におもむき、待機さ
せられていた。
 本件火災の捜査のため、長崎県警察本部から警部Dが船で正午ごろfに到着し、
被告人の供述によれば午後一時ごろから、右Dの証言によれば午後三時ごろから、
同人による被告人の取調べが始まり、途中一時間ぐらいずつの食事時間を除いて、
午後一〇時すぎごろまで取調べが継続されたという。この日は、被告人は、失火の
事実を認めていないし、供述調書も作成されていない。同夜被告人は、自宅に帰ら
ず、警察署が焼けたため署員の臨時宿泊所にあてられていたE寺に多数の署員とと
もに宿泊した。そのいきさつは、被告人の供述によれば、「D警部が、君は今日帰
らん方がいいじやないか、署員と行つて寝なさいというので、おかしいとは思つた
が、いうことをきかなければ怒られると思い従つた。」というのであり、Dの証言
によれば、「被告人は非常に興奮しており、自分はあれだけの大火を起こし町の人
々の顔を見れないし、家族にも会いたくないというので、それならば、われわれも
寺に泊るから、いつしよに泊りなさいとすすめたにすぎない。」というのである。
 翌二七日被告人は署員に連れられて前記キリスト教会におもむき、被告人の供述
によれば午前八時ごろから、Dの証言によれば午前九時ごろから、同人による取調
べが始まり、午後おそくなつて被告人の自白が始まつた(この日も前日と同様一時
間ずつぐらいの食事時間のほかは取調べが継続された。)。その経過は、被告人の
供述によると、前日に引き続き取調べは被告人の失火の一点に終始し、「たばこを
すう人間が九時ごろすうてからずつとすわんということがあるか。」「君がひとり
いたんじやないか。君は責任感がないじやないか。」「白状せろ、思い出せ、考え
方が足らない、警察をなめるな、君がいうまで絶対に思い出すまではやめない。」
「思い出さんというなら、君の調書は放火でとる、いいかね。」「放火で調書をと
つたら一〇年の懲役にいくぞ、それでもよいか。」等々その他第一審判決に判示し
てあるような問答をもつてD警部から自白を強制され、当夜宿直であつたから、責
任を感じ、身におぼえのない自白をするに至つたというのであり、Dの証言による
と、「被告人は非常に正直な人で素直であつた。たばこをすつたろうとそのことだ
けを追及したことはない。二七日の夜になつて、被告人が、よく考えてみると自分
がたばこをすつたような気がするという話が出たので、調書をとつた。」(第一審)、
「二六日は、とおり一ぺんのことを聞いただけで、たばこの不始末については追及
していない。被告人から否認の供述を聞いていない。二七日の午後三時か四時ごろ
たまたまたばこをすつたかどうかの点に話が進んだとき、急に被告人の態度がかわ
り、私のたばこの不始末ではないかと思うといつて、机に伏せ泣いて自供した。」
(原審)というのである。
 しかし、記録にあらわれている本件捜査の端緒に照らし、D警部の取調べの焦点
が、最初から、被告人が当夜たばこをすつたかどうかの一点にしぼられていたこと
は明らかであり、九月二六、二七日両日の前記長時間の取調べが、主として「たば
こをすつたろう」「すわない」の押問答に終始したであろうことは推察にかたくな
い。のみならず、同警部の取調状況に関する被告人の供述(第一審)は、その描写
が詳細をきわめており、実際に体験した者でなければ表現しがたいような迫真性を
帯びているのに対し、他方、事実を掲げての被告人からの反対尋問に対するD証人
の応答(第一審)はあいまいな点が多く、取調べの実態はある程度被告人の主張す
る状況に近いものがあつたのではないかという疑惑をぬぐい去ることができない。
 かくして、右自白に基づき、被告人の司法警察員に対する昭和三七年九月二七日
付供述調書(以下甲調書と略称する。)が作成され、当日被告人の妻が急病で倒れ
たという事情もあつて、被告人は同夜一〇時ごろ署員同伴で自宅に帰された。その
際、被告人宅に居合わせたF、G、H、Iの一致した証言によれば、被告人はこれ
らの人々に対し「無実の罪に陥し入れられ残念でならん。孫子の代まで警察官には
なさん。たばこをすつていないといつても警察はきかんで無実の罪をきらにやなら
んようになつた。」といつて涙を流したという。
 翌二八日午前八時ごろ被告人は任意同行を求められ、承諾して再びキリスト教会
におもむき、D警部の取調べを受け、午後七時五五分逮捕状の執行を受けた。そし
て、一〇月一四日釈放されるまでの間に、被告人は、司法警察員に対する同年一〇
月一日付供述調書(以下乙調書と略称する。)同日付の裁判官の質問調書、検察官
に対する一〇月三日付の供述調書(以下丙調書と略称する。)等の自白調書を作成
された。被告人の供述によると、検察官に送致される直前、被告人はD警部から、
「この調書にないようなことをいつて、判検事の腹を立てさせたら、軽い罪でも重
くなる。いまは、罰金一〇〇円から五万円までで大したことはない。よく考えて、
判検事の前でもまちがいないといつておればよい。」旨の誘導を受けたというので
あるが、Dの証言によれば、検察官のところへ行つたらありのままのことを正直に
話しなさいと助言しただけであるという。いずれにしても、被告人としては、もう
警察でうその自白をして無実の罪をきてしまつた以上今さらどうしょうもないとい
う心境から、裁判官の勾留質問および検察官の取調べの際も同様の自白をしたと述
べているのである。
  ところが、被告人は、釈放されたのちの一〇月一七日fからgにおもむき、前
回被告人を取り調べた検察官羽田辰男に依頼し、同日付の否認調書を作成してもら
つた。その要旨は、次のとおりである。
  「私はたばこを夜中にすつた記憶がないので、二六日午後一時から午後一〇時
近くまでのD警部の調べでは、その点は強く否定しておいた。調べはJ教会で行な
われたが、Dだけに調べられた。乱暴されたこともないし、おどかされてもいない。
二七日は、朝八時すぎから夜七時ごろまでDからJ教会で調べられた。食事はいず
れもすませてある。このときは、『倉庫内の電気や危険物からの火ではない。おま
えのたばこの火だろう。』と何回も何回も追及されるので、午後七時ごろこれを認
めてしまい、夜中にたばこのすいがらを捨てたという調書ができた。調書をとり終
つたのは夜の一〇時ごろだつたと思う。」
  以上が、本件記録にあらわれた本件各自白調書作成のいきさつに関する諸事情
であるが、進んで、各自白調書の内容について検討を加えることにする。
三、前記甲、乙、丙の各調書を比較してみると、被告人が目をさました時刻と倉庫
内の見まわり方については、特段のくいちがいがみられないが、たばこのすい方に
ついては、甲によれば「土間に腰をおろしてすつた。」、乙によれば「寝たままで
すつた。」、丙によれば「寝たままで半分ぐらいすい、そのあとで土間に足をおろ
して一、二服すつた。」と、かなりのくいちがいがみられる。また、たばこの火の
消し方、すいがらの捨て方については、根本的なくいちがいとはいえないまでも、
甲、乙、丙間にそれぞれ微妙な差異がみられる。
  さらに、出火のあとたばこの火の不始末のあつたことを思い出した時期につい
ては、結果発生後の事情であるから、被告人としてことさら作為を弄する必要のな
いことがらであるのに、次のような顕著なくいちがいがみられる。
 甲調書「荷物の炎上を見たとき、私は瞬間的に、これは一時ごろ自分が起きて、
タバコのすいがらをそのまま捨てた記憶があつたので、そのタバコの火から発火し、
荷物に燃え移つたものと直感しました。」
 乙調書「火事を知つた瞬間何から火が出たのかふしぎに思つた。だれかが『何の
火か』と聞いたので、『火のないところから出たから電気だろう』と言つたと思う。
事実自分は、電気か自然発火ではないかと思つていた。しかし、よく落ちついて考
えたら、その前にタバコをすつて、火をもみ消し、すいがらを捨てたことを思い出
したのである。」
 丙調書「警察に調べられた夜、寝ながら色々考えてみて、夜中にタバコをすつた
こと、その火をはつきり確認せずに捨てたこと、しかもその捨てた場所が燃えてい
たことを思い出し、はつとした。」
四、以上要するに、未曾有の大火直後の混乱した状況下に行なわれた捜査として、
ある程度異例の処置をとることもやむをえなかつたであろうが、任意捜査のかたち
をとりながら、前記のとおり九月二六日、二七日の両日長時間の取調べが継続され、
その間警察官の臨時宿泊所に警察官とともに宿泊させられるなど、強制捜査に近い
状況のもとに被告人の取調べが行なわれたこと、D警部の取調べ状況については前
記のような疑惑があること、各自白調書の内容についても前記のようなくいちがい
がみられることなど、これまでに検討を加えてきた諸事情を総合すれば、前記の各
自白調書につき、いまだ供述の任意性を否定するまでにはいたらないにしても、そ
の信用性はかなり乏しいものとみるのが相当であり、他の補強証拠の証明度が高く
ないかぎり、これらの自白調書の記載を重視して被告人の過失を認定することは、
いちじるしく合理性を欠くものといわなければならない。
五、また、原判決は、当時本件倉庫にわらくず等がまつたく土間に残つていなかつ
たという保証はないし、当時の風速などから燃焼を助長する状況にあつたことがう
かがわれるから、被告人が各自白調書に述べたようなたばこのすい残りの捨て方に
よつて、在庫の荷物に燃え移る蓋然性がないとは到底考えられないと判示している
ので、この点について検討を加えてみることにする。
 本件記録中には、たばこのすいがらによるわらくず等への着火の可能性について、
実験の結果を記載した証拠資料が二つ存在する。その一は、原判決が証拠の標目に
掲げたK大学教授L作成の鑑定書、その二は、科学警察研究所技官M作成の「火災
原因等の調査についての回答」と題する書面である。
 L作成の鑑定書によると、たばこのすいがらの残り火、またはねじ切つた着火部
分の残り火が、わら類等による「ごみ」に接して着火するかどうかについて、五通
りの態様につきそれぞれ三回ずつ、すなわち合計一五回の実験が試みられたが、そ
のうち着火したのはわずか一態様だけで、しかも、その態様というのは、たばこの
すいがらをわらの中に倒立させ、その周囲を糸くず状にしたわらくずで包み、空気
を適当に供給した場合にようやく成功した、というのである。次に、M作成の前記
書面によると、実験試料を十分に乾燥させたうえで、たばこのすいがらがこもと段
ボールへ着火するかどうかについて多数回の実験が試みられたが、第一に、こもに
対しては、無風の場合には一回も着火せず、微風の場合には、新生が三〇回のうち
一回、いこいが二〇回のうち一回着火したが、これはすいがらをこもの合わせ目に
さしこむようにおいた場合であり、ハイライトとピースは一回も着火しなかつた、
第二に、段ボールのパツキングケースに対しては、無風の場合には一回も着火せず、
微風の場合には、新生が二〇回のうち一回、ハイライトが一五回のうち一回着火し
たが、これはすいがらを段ボールの合わせ目にさしこむようにおいた場合であり、
いこいとピースは一回も着火しなかつた、第三に、こもと段ボールの合わせ目にす
いがらをおいた場合は一回も着火しなかつた、というのである。
 以上の各実験によると、最適の条件下においてさえ、たばこのすいがらによるわ
ら、こもまたは段ボールヘの着火はきわめて困難であつて、たばこのすいがらを倒
立させ周囲を糸くず状にしたわらくずで囲んで適当な空気を供給するとか、こもま
たは段ボールの合わせ目の中にすいがらをさしこむなどの慎重な人工的、技巧的手
段を講じた場合にだけわずかに着火の可能性があるとされたことが明らかである。
 してみれば、前記被告人の各自白調書の記載内容が仮に真実であつたとしても、
被告人は当夜、たばこのすいがらの火をもみ消し(乙調書)、または、ねじ切るよ
うにしてむぞうさに捨てた(丙調書)というのであるから、そのような態様におい
ては、すいがらによる着火の可能性がほとんどなかつたのではないかという疑いが
濃厚であり、少なくとも、被告人の自白どおりの態様による実験を試みることなし
に、原審が本件において着火の蓋然性があつたと即断したのは、なすべき審理をつ
くさず、証拠の証明力の評価を誤つた違法があるものといわざるをえない。
 その他、本件記録をつぶさに調べてみると、被告人の喫煙以外の発火原因の存在
を積極的に推測させる資料は見あたらないが、同時に、本件火災が他の発火原因に
よるものであることの可能性を否定し去る資料も見あたらず、むしろ、被告人は平
素まじめな性格であつて、当夜も特に火気に注意を払つていた事実がうかがわれる
ので、本件において被告人に原判決認定のような失火があつたと断ずるにはなお合
理的な疑いをさしはさむ余地があり、原判決が補強証拠に採用した全証拠をもつて
しても、なお前記各自白調書の乏しい証明力を補うに足りないものといわなければ
ならない。
 したがつて、これらの諸点につき十分検討を加えることなく、前記各自白調書の
信用性をたやすく認めて被告人の本件失火事実を認定した原判決には、判決に影響
を及ぼすべき法令の違反があり、ひいては重大な事実誤認のあることの顕著な疑い
があつて、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものと認める。よつて、
論旨に対する判断をするまでもなく、刑訴法四一一条一号、三号により原判決を破
棄し、同法四一三条本文により本件を原裁判所である福岡高等裁判所に差し戻すこ
ととし、主文のとおり判決する。
 この判決は、裁判官下村三郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によ
るものである。
 裁判官下村三郎の反対意見は、次のとおりである。
 本件各上告趣意のうち、憲法三三条、三四条違反をいう点は、本件記録に徴して
も、被告人が違法に身柄を拘束されたと認めることはできないから、所論はその前
提を欠き、その余は、すべて単なる法令違反および事実誤認の主張であつて、いず
れも、適法な上告理由にあたらない。
 多数意見は、職権で調査をした上、原判決には判決に影響を及ぼすべき法令の違
反があり、ひいては重大な事実誤認のあることの顕著な疑いがあり、破棄しなけれ
ばいちじるしく正義に反するものとして、破棄の上原審へ差し戻すべきものとした
が、検察官の控訴趣意およびこれに対する原判決の判断は、いずれも、正当として
首肯するに足り、また、第一審判決を破棄の上自判した場合における原判決の事実
の認定は、挙示の証拠に照らし、多数意見のいうような違法は認められないから、
本件上告は、棄却すべきものと考える。
 わたくしの意見は、以上をもつて尽きるのであるが、多数意見が原判決には判決
に影響を及ぼすべき法令の違反があり、ひいては重大な事実誤認のあることの顕著
な疑いがあるとする具体的内容は、被告人の司法警察員および検察官に対する各自
白調書(甲、乙、および丙の各調書)中の供述は、いまだ供述の任意性を否定する
までにはいたらないが、その信用性はかなり乏しいものとみるのが相当であり、他
の補強証拠の証明度が高くないかぎり、これらの自白調書中の供述を重視して被告
人の過失を認定することはいちじるしく合理性を欠くものといわなければならない、
としているので、被告人の供述の任意性および補強証拠につき、多少の意見を付け
加えておきたいと思う。
第一 被告人の供述の任意性について。
  多数意見も、右のとおり、被告人の供述の任意性を否定するまでにはいたつて
いないので、この点については多くを論ずる必要を認めないが、左記(一)および
(二)の点を併せ考えれば、被告人の供述の任意性は十分であつて、決して乏しい
ものということはできないと考える。
 (一) 第一審で証拠調をした証拠のうちに、昭和三七年一〇月一日付裁判官の
被告人に対する勾留尋問調書(第一審判決にいう丁調書) (記録第三冊八五九丁)
がある。この調書は、被告人に対し勾留請求がなされた際、被告人が裁判官から勾
留請求書に記載された被疑事実を告げられ、「その晩私が宿直の当番で六時過ぎ頃
その任につきました、午後一〇時頃一旦寝ましたが、一一時頃目がさめて、あたり
を見廻しましたが別に異状なく、又寝ました、それから一二時頃から午前一時頃に
かけて目ざめ、その時も確めたが別に異状なく、只この時「いこい」一本をすつて、
つめさきで消して土間へ捨てました、しかし、私が午前二時過ぎ頃日がさめたら宿
直室と事務室の間にあつた荷物がもえ上り、とうてい手をつけられなかつたので、
直ぐ電話交換手に火事と伝えてくれと云いました、失火場所は私が見廻つた時も何
ん等異状がなかつたので、私が指先で消したと思つて捨てた煙草の火が消えておら
ず、それが土間にあつたちり等にもえ移つて、この度の大火になつたものと思いま
す。誠に申訳けないことを致しました」と陳述した旨の記載があり、その内容は、
被告人が犯罪事実を自白した調書である。被告人に対しこの供述を求めた際には、
裁判官は、終始沈黙し、また個々の質問に対して陳述を拒むことができる旨、すな
わち、いわゆる供述拒否権があることを告げるなど、刑訴法の要求する方式はすべ
てこれを履践しており、さらに、この調書は、証拠調をするとき、被告人側におい
て証拠とすることに同意している(記録第三冊八〇一丁)のであつて、右丁調書に
ついては、その作成された経過からみて、その内容をなす被告人の供述の任意性は
十分にあるものといわなければならない。第一審判決においては、前記甲ないし丙
調書はその任意性に重大な疑いを懐かざるをえないとして、証拠能力がないものと
して排除したが、右丁調書については、一たんはその内容を引用しながら、証拠能
力については何ら触れるところがない。
 (二)多数意見は、「同(D)警部の取調状況に関する被告人の供述(第一審)
は、その描写が詳細をきわめており、実際に体験した者でなければ表現しがたいよ
うな迫真性を帯びているのに対し、他方、事実を掲げての被告人からの反対尋問に
対するD証人の応答(第一審)はあいまいな点が多く、取調べの実態はある程度被
告人の主張する状況に近いものがあつたのではないかという疑惑をぬぐいさること
ができない。」といつている。被告人の右供述と証人の右証言といずれを信用すべ
きかは、結局裁判官の自由な心証によつて決せられることはいうまでもないが、多
数意見は、被告人の右供述や証人の右証言のうち、どの部分を捕えて右のようにい
うのか必ずしも明らかでなく、全般的にみて、被告人の右供述の方がより迫真性を
帯びているとは思われない。
第二 補強証拠について。
  一般的にいつて、放火または失火の場合、ことに、それが既遂となり、犯行の
対象となつた建造物が焼失したような場合、また失火のように格別の動機がない場
合には、犯行を目撃した者がないかぎり、犯行に直接関係がある補強証拠を収集す
ることはきわめて困難であり、各種の状況を補強証拠として判断を下すことも、ま
たやむをえないところである。
  多数意見は、補強証拠の証明度が高くないかぎり、被告人の自白を重視するこ
とはできないといつているものの、多くを後記L作成の鑑定書およびM作成の「火
災原因等の調査についての回答」と題する書面の内容の解明にあて、本件について
補強証拠としていかなる程度のいかなる証拠を必要とするのか、詳説していないが、
わたくしは、前記のように、被告人の自白の任意性は十分であるし、以下の(一)
ないし(七)の状況をもつて、十分な補強証拠となしうるものと考える。
 (一)原審第一回公判における被告人の供述(記録第五冊一七二〇丁)によれば、
被告人は、本件火災が発生した前日の九月二五日午後六時ごろA株式会社B支店の
倉庫(以下本件倉庫という。)の宿直勤務につき、午後一〇時ごろ就寝したのちは、
同倉庫内には被告人一人のみおり、就寝前施錠をし、たやすく外部から倉庫内に入
ることができない状況にあつたことおよび被告人は、右宿直勤務をするにあたり、
自宅からたばこ、新生か憩の二〇本入りの新しいものを持参したことが明らかであ
る。
 (二)右公判における被告人の供述および第一審第三回公判における証人Nの供
述(記録第三冊五〇三丁)によれば、本件火災の火元は、本件倉庫内であることが
明らかである。
 (三)第一審第四回公判における証人Oの供述(記録第三冊五四六丁)および同
人の検察官に対する供述(記録第三冊八二一丁)によれば、本件倉庫内のごみ屑は、
常時あまり掃除されず、縄の切れはしや屑、紙切れ、菰包みの屑等が散乱しており、
九月二五日の夕方も、中二階の下の荷物置場附近には、いつものとおり、藁屑、縄
の切れはし等が散乱していたことが明らかである。
  原判決は、「当裁判所における事実取調べの結果に徴しても、前記A倉庫には
菰包或はケース入等の諸荷物が集積されており、その入出庫に際し藁屑等が散乱し
て、夕方掃除することがあつても、これが全く土間に残つていないとは保証し難い」
と判示しているが、自判した場合に右各証拠を証拠の標目に掲げていることからみ
ても、決して右のようにごみ屑の散乱していた事実を否定しているわけではなく、
控訴審における事実取調べの結果によつても、本件倉庫内に藁屑等が残存していな
かつたと断定できないということを明らかにしたに止まるものと考える。
 (四)右Oの検察官に対する供述によれば、本件倉庫にはカーテンはなく、宿直
室の裏は海で風当りが強いため、倉庫内には隙間風がかなりあり、雨戸を閉めても
入つてくる状況にあつたことが明らかである。
 (五)福江測候所長代理からA株式会社B支店支店長Pに宛てた昭和三八年三月
二七日付「気象証明の交付について」と題する書面(記録第四冊一六一七丁)およ
び添付の福江測候所作成の証明書並びにK大学教授L作成の鑑定書(記録第三冊九
七九丁)によれば、福江市地方は、昭和三七年八月一日以降本件火災発生の日であ
る九月二六日までの間、八月九日、一六日、二一日に時々小雨があつたほか降雨は
なく、連日平均秒速2mないし9mの風が吹いており、特に、九月二三日ごろから
最大風速11m以上の風が吹きつけ、九月初旬90%ぐらいであつた実効湿度が急
に80%以下にさがり、九月二五日、二六日の両日には、最小湿度52%、実効湿
度72%となり、八月一日以降の最乾燥期であつたことが認められる。
 (六)長崎県警察本部刑事部鑑識課長から福江警察署長に宛てた昭和三七年一〇
月三一日付および同年一一月一三日付各鑑定書送付書(記録第一冊六五丁および九
六丁)並びに各添付の鑑定書の鑑定の結果によれば、本件火災の原因は洩電、シヨ
ート、白熱電球の接触など電気を原因とするものではなく、また自然発火によるも
のではないと認めるのが相当である。
 (七)多数意見は、右K大学教授L作成の鑑定書および科学警察研究所技官M作
成の「火災原因等の調査についての回答」と題する書面(記録第四冊一六二五丁)
につきその内容を検討し、これらの書面に記載された実験の結果によると、「被告
人の各自白調書の記載内容が仮に真実であつたとしても、被告人は当夜、たばこの
すいがらの火をもみ消し(乙調書)、または、ねじ切るようにしてむぞうさに捨て
た(丙調書)というのであるから、そのような態様においては、すいがらによる着
火の可能性がほとんどなかつたのではないかという疑いが濃厚であり、少なくとも、
被告人の自白どおりの態様による実験を試みることなしに、原審が本件において着
火の蓋然性があつたと即断したのは、なすべき審理をつくさず、証拠の証明力の評
価を誤つた違法があるものといわざるをえない。」としている。
  右各書面に記載された実験の経過および結果は、多数意見のいうとおりであり、
実験の結果着火した場合の割合が低度であつたことは、否定することができないが、
右L作成の鑑定書のうち(記録第三冊九七〇丁)には、「自然燻焦の煙草でわらに
着火する実験をしてもなかなか着火しないものである。ねじ切り煙草の残火や落下
火塊による着火は一層困難である。しかし同様の原因から過去幾多の火災が発生し
ている。一見消えたと思われる残火より着火、火災が生ずることは、強風にさらさ
れ乾燥した器物により、実効湿度の低い大気中ではしばしば起ることである。」と
の記載があるから、右各書面記載の実験の結果によつて全く着火の可能性がなかつ
たとはいいえないと思う。多数意見は、少なくとも、被告人の自白どおりの態様に
よる実験を試みるのでなければ審理不尽の違法があるというが、審理の対象とされ
ている被告人の行為は過失犯であつて、その行為の内容は、たばこのすいがらある
いはたばこをねじきつた部分に火が着いていたにかからわらず、不注意にも火が着
いていないものと思つてその着火部分を捨てた結果火災となつたというのであつて、
本件火災が被告人の行為によるものとしても、被告人といえども、着火の程度およ
び着火した部分の落下した場所の詳細な状況は認識していなかつたわけであるから、
被告人の自白どおりの態様による実験を試みることなしに、着火の蓋然性があつた
と即断するのは審理不尽であるというのは、当事者の立証に難きを強いるものとい
わざるをえないであろう。
検察官勝田成治 公判出席
  昭和四六年四月二〇日
     最高裁判所第三小法廷
         裁判長裁判官    松   本   正   雄
            裁判官    田   中   二   郎
            裁判官    下   村   三   郎
            裁判官    飯   村   義   美

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