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平成10年(行ケ)第28号 審決取消請求事件
平成13年3月27日口頭弁論終結
          判      決
     原      告   パイオニア ハイブレッド インターナ
ショナル インコーポレイテッド
     訴訟代理人弁理士山本秀策
     被      告    特許庁長官 及川耕造
    指定代理人    佐伯裕子
    同           田中倫子
    同           森 田 ひとみ
    同           大橋良三
          主      文
    1 原告の請求を棄却する。
    2 訴訟費用は原告の負担とする。
    3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30
日と定める。
          事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
 特許庁が平成7年審判第14416号事件について平成9年8月29日にし
た審決を取り消す。
 訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
  主文1,2項と同旨
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
 原告は,1990年6月12日にアメリカ合衆国においてした特許出願に基
づく優先権を主張して,発明の名称を「外部から誘導し得るプロモーター配列を用
いた小胞子形成の制御」とする発明(以下「本願発明」という。)について平成3
年6月12日に特許出願(平成3年特許願第140379号)をしたところ,平成
7年4月3日を送達日とする拒絶査定を受けたので,拒絶査定不服の審判を請求し
た。特許庁は,この請求を平成7年審判第14416号事件として審理した結果,
平成9年8月29日に「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,同年
10月2日,その謄本を原告に送達した。なお,出訴期間として90日が付加され
た。
2 特許請求の範囲
(1) 請求項1(以下,この発明を「本願第1発明」といい,各工程を,その符
号により「工程a)」のようにいう。)
 植物に,外部から制御し得る遺伝性の雄性不稔を提供する方法であって,
以下のa,b,c,d,およびeの工程を包含する方法:
a)該植物の小胞子形成が依存する遺伝子産物をコードする遺伝子を選択す
る工程;
b)該選択された遺伝子をクローニングする工程;
c)外部の制御に応答する誘導可能なプロモーターを有する発現配列に該ク
ローン化した遺伝子をつなぐ工程;
d)該クローン化した遺伝子の遺伝子産物をコードする遺伝子を,該植物の
本来の核ゲノムから取り除く工程; および
e)該植物の核ゲノムに発現配列を挿入する工程。
(2) 請求項2
 外部から制御し得る遺伝性の雄性不稔を有する植物を再生産する方法であ
って,
 該雄性不稔が,小胞子形成が依存する遺伝子産物をコードする遺伝子を,
同じ遺伝子産物をコードするが,外部の制御に応答する誘導可能なプロモーターを
有する発現配列に連結された遺伝子に置き換えた結果生じ,
 該方法が以下のa,b,c,およびdの工程を包含する,方法:
a)成長する雄性不稔植物を提供するために該植物の種子を植える工程;
b)該ブロモーターを誘導する条件下で該植物を育てることによって,小胞
子形成が依存している遺伝子産物を生産する遺伝子を発現させ,該成長する植物が
雄性稔性へ変換するのを誘導する工程;
c)種子を生産するために,隔離したところで該成長する植物を自然受粉さ
せる工程; および
d)種子を収穫する工程。
(3) 請求項3
 雑種種子を製造する方法であって,以下のa,b,c,およびdの工程を
包含する方法:
a)選択した雄性稔性の雄の親の系からの第1種子と,選択した雄性不稔の
雌の親の系からの第2種子とを他家受粉できるように並列に植える工程,ここで該
雄性不稔は,小胞子形成が依存している遺伝子産物をコードする遺伝子を,同じ遺
伝子産物をコードし,外部の制御に応答する誘導可能なプロモーターを有する発現
配列に連結された遺伝子に置き換えた結果生じる:
b)該遺伝子の発現を誘導しない条件下で,該種子を成熟植物に成長させる
工程;
c)雄性不稔の植物体を雄性稔性の植物体からの花粉で他家受粉させる工
程;および
d)該雄性不稔の雌の植物体から雑種の種子を収穫する工程。
3 審決の理由
 別紙審決書の理由の写しのとおり,本願明細書には,本願第1発明につい
て,当業者が容易に実施することができる程度に記載されておらず,本願第1発明
自体が,本願明細書に実質的に記載されていたとすることもできないから,特許法
36条4項,又は5項及び6項(平成6年法律第116号による改正前のもの)に
規定する要件を満たしておらず,特許を受けることができない,と認定判断した。
第3 原告主張の審決取消事由の要点
 審決の理由Ⅰ,Ⅱは認める。同Ⅲ(1)及び(2)(工程a)について)(イ)は認
める。同Ⅲ(2)(ロ)(トランスポゾン標識法)は,「トランスポゾン標識法は未知有
用遺伝子の分離同定のためには最も有望視される方法の一つであるとはいえ,目的
遺伝子の配座がトランスポゾンの標的となる頻度は一般的には10-5
から10-6

での範囲である」(6頁17行~7頁3行)こと及び「トウモロコシでは変異遺伝
子のコレクションとして雄性不稔(ms)遺伝子が知られていることが明細書中に
記載されている」(7頁9行~11行)ことを認め,その余は争う。同Ⅲ(2)(ハ)
(その他の選択するための手法)は,「明細書中の【0030】には,トランスポ
ゾン標識法以外の雄性稔性遺伝子選択法として,花粉の発達の時にのみ存在するm
RNAを分離してそのcDNAを構築してプローブとして用い,ゲノムライブラリ
ーから花粉の発達に必要な遺伝子を同定することができる旨が記載されている」
(8頁19行~9頁5行)こと,「本出願前にこの手法を用いて得られる具体的な
雄性稔性遺伝子に関する記載はな(い)」(9頁7行~8行)ことを認め,その余
は争う。同Ⅲ(2)(ニ)は争う。同Ⅲ(3)(工程b)について)は,「『選択された遺
伝子をクローニングする』とは,次の工程c)で誘導可能なプロモーターを有する発
現配列に直接繋ぐことができるような,雄性稔性遺伝子自体を取得することを表現
するものであり,本件発明の目的からみて,雄性稔性遺伝子本来のプロモーターが
働いては困るので,雄性稔性遺伝子の本来のプロモーターの活性を有する部分は除
去されている必要がある」(10頁9行~16行)こと及び「本出願前には,植物
遺伝子のプロモーターについて,その位置もプロモーター活性を呈するための必須
の配列も明らかであったとはいえず,また,雄性稔性遺伝子の発現産物が得られて
いない」(10頁17行~11頁3行)ことを認め,その余は争う。同Ⅲ(4)(工程
c)について)は,「工程c)を実施するためには,『外部の制御に応答する誘導
可能なプロモーター(以下,誘導プロモーターという。)』を取得することが必要
であるが,当該誘導プロモーターとしては,本件発明の目的からみて,誘導物質を
添加することなどにより,雄性稔性遺伝子を発現させ,植物体に雄性稔性を取戻す
ことができるものでなくてはならないことは明らかである」(12頁9行~16
行)こと,本願明細書に「トウモロコシのグルタチオン-S-トランスフェラーゼ
(GST)システムを利用することができ,GST反応性遺伝子からプロモーター
を取出すことができること,及びN,N-ジアリル-2-2-ジクロロアセトアミ
ドなどGST-誘導性化合物を用いればGSTプロモーターを誘導できることは記
載されている」(13頁1行~7行)こと,「しかしながら,そもそもGSTは発
芽前除草剤に対する解毒作用が知られている除草剤耐性に直接関連した酵素である
ことからみて,GST反応性遺伝子のプロモーターに雄蘂細胞特異性があるとは考
えられないから,たとえGST反応性遺伝子からプロモーターを取出すことがで
き,雄性稔性遺伝子に結合できたとしても,該プロモーターが雄蘂細胞中で選択的
に働くことはない」(13頁8行~15行)こと,及び,「GSTプロモーター以
外の誘導プロモーターについては,どのような遺伝子のプロモーター領域が誘導プ
ロモーターとなる可能性があるか,また,どのように取得できるかに関する一般的
な記載すらない」(14頁10行~14行)ことを認め,その余は争う。同Ⅲ(5)
(工程d)について)は,「この工程に関し,明細書中には,目的とする遺伝子を
植物核ゲノムからいかなる手法で取除くことができるのかについての一般的な記載
もない」(15頁2行~3行)こと,及び,原告が「平成7年8月2日付意見書に
おいて,工程d)として「相同的組換え」法を用いることができる旨主張してい
る」(15頁8行~10行)こと(ただし,原告が上記主張をしたのは,平成6年
12月13日付け意見書(甲第4号証の1)においてである。)を認め,その余は
争う。同Ⅲ(6)(工程e)について)は,「本件明細書中には,植物のゲノム中に発
現配列を挿入する手法としてエレクトロポーレーション,ポリエチレングリコール
処理,微小発射体による注入法(パーティクルガン法)について記載されている」
(17頁2行~6行)こと,及び,「これらDNA導入法を適用できる植物とし
て,トウモロコシについては,明細書の【0026】にこれら各技術を用いてトウ
モロコシ中に外来DNAを導入する方法が文献を挙げて記載されており,双子葉植
物についても多数の成功例が知られていたとはいえる」(17頁15行~18頁1
行)ことを認め,その余は争う。同Ⅲ(7)は争う。同Ⅳは争う。
  工程a)ないしe)に用いられる各技術は,いずれも,当業者にとって,周
知の事項であり,したがって,あえてその具体的な実施態様を本願明細書に記載す
るまでもなく,容易に実施可能である。また,本願第1発明は,発明の詳細な説明
に記載されている。審決は,これらのことを看過するという誤りを犯し,これらの
誤りがあいまって審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから,違法として
取り消されるべきである。
1 工程a)について
  審決は,本願明細書には,「トランスポゾン標識法を用いた植物の雄性稔性
遺伝子を選択する工程が当業者にとって容易に実施できる程度に記載されていると
はいえない」(8頁14行~17行)と認定したが,誤りである。
(1) トランスポゾン標識法について
ア トウモロコシの雄性稔性遺伝子は,トランスポゾン標識法を用いて単離
できた。これに用いられたトランスポゾン因子は,本願優先権主張日当時において
既に公知であったAc(アクチベーター)又はMutater(ミューテーター)
である。
 また,1989(平成元)年当時には,トランスポゾン標識法を用いて
遺伝子を単離する技術が確立されていた。
 トウモロコシに用いられるトランスポゾン因子は,所望の遺伝子に対し
て特異性を有しておらず,これによる変異頻度は,10-4
~10-3
である。
 これらのことは,Aの宣誓書(以下「甲第7号証宣誓書」という。)に
示されている。
イ 雄性稔性遺伝子の単離方法において用いられるトランスポゾン標識法
は,本願優先権主張日当時,当業者に周知であった。
 Maydica34(1989):73-88(以下「甲第8号証刊行
物」という。)には,12個のトウモロコシ遺伝子が,トウモロコシ単独における
トランスポゾン標識法によりクローン化されたこと,これらのうちのいくつかは,
一つより多いトランスポゾンによってクローニングされていること,これらの因子
のどれも,特定の遺伝子のクラスへの挿入のために用いられるわけではなく,ある
因子システムが,目的の遺伝子への挿入のために別の因子システムよりもより良好
に用いられるというわけではないことが記載されている。同号証刊行物に示される
ようなトランスポゾンの標的となる前記頻度は,過度の実験を必要とするような値
ではなく,目的を達するに十分な10万個体のトウモロコシ植物は,5エーカー
(2ヘクタール)未満の土地で容易に生育させることができる。この程度の規模で
トランスポゾン因子により標識された植物をスクリーニングすることは,本願発明
に係る技術分野では慣用的な過程の一部である。
 また,米国特許第4732856号明細書(以下「甲第9号証刊行物」
という。)には,トウモロコシにおいて,トランスポゾン標識を用いて,植物由来
の遺伝子を単離できたことが記載されている。
ウ トウモロコシ以外の植物からの雄性稔性遺伝子の単離は,トランスポゾ
ン標識法で取得できたトウモロコシ遺伝子とのハイブリダイゼーションで実施可能
である。
 すなわち,本願優先権主張日当時,当業者は,種々の植物の遺伝子間に
おいて,その遺伝子が類似の機能を有していれば,高い相同性があることを予期す
ることができた。実際にも,Bの1997年2月18日付け宣誓書(以下「甲第1
0号証宣誓書」という。)に記載されているとおり,高い相同性が確認されてい
る。
(2) 審決は「本件の明細書中には,植物の雄性稔性遺伝子を選択するためのト
ランスポゾン標識法以外の手法に関しても,当業者にとって容易に実施できる程度
に記載されているとはいえない」(10頁1行~10頁4行)と認定したが,誤り
である。
 本願明細書【0030】には,花粉の発達に必要な遺伝子を同定するため
に,花粉の発達のときにのみ存在するmRNAを分離することが記載されている。
 雄性稔性遺伝子のmRNAは,花粉形成の特定の時期に顕著に発現する。
Aが1995年に作成したグラフ(以下「甲第11号証グラフ」という。)によ
り,花粉の発達の間に独特に存在するmRNAを入手することが,雄性稔性遺伝子
の単離に関する別の方法であると結論付けられる。このような技術は,本願発明に
係る技術分野では一般的である。
2 工程b)について
(1) 審決は,「たとえ工程a)で雄性稔性遺伝子を含むフラグメントを選択で
きたとしても,本願明細書の記載からでは当業者が容易に雄性稔性遺伝子をクロー
ンニングすることも,本来のプロモーターを除去することもできないから,本件明
細書は,当業者が工程b)を容易に実施できるように記載されていない」(12頁
1行~7行)と認定したが,誤りである。
 工程a)で雄性稔性遺伝子が選択できれば,その遺伝子を選択するために
用いられたトランスポゾン因子を,転移因子が存在する遺伝子のクローニングに用
い得ることが,本願明細書【0025】に記載されている。このようなトランスポ
ゾン因子をプローブとして用いて,目的遺伝子をクローニングすることは,本願優
先権主張日当時における分子生物学的手法を用いることにより実施可能であった。
(2) 審決の認定した「『選択された遺伝子をクローニングする』とは,次の工
程c)で誘導可能なプロモーターを有する発現配列に直接繋ぐことができるよう
な,雄性稔性遺伝子自体を取得することを表現するものであり,本件発明の目的か
らみて,雄性稔性遺伝子本来のプロモーターが働いては困るので,雄性稔性遺伝子
の本来のプロモーターの活性を有する部分は除去されている必要がある」(10頁
9行~16行)ことは,そのとおりである。しかし,審決の「本件発明の目的を達
成するために,・・・少なくとも雄性稔性遺伝子本来のプロモーター部分は確実に
除去され,かつ雄性稔性遺伝子は無傷で残っていなくてはならない」(11頁12
行~17行)という認定は,誤りである。
 工程b)において,雄性稔性遺伝子は,プロモーターを完全に除去する必
要はなく,もとのプロモーターの活性を有する部分が除去できればよい。そして,
このようなプロモーターの活性を有する部分を除去することは,本願優先権主張日
当時,当業者に慣用的に実施されたことである。
 本願優先権主張日当時,与えられた任意の遺伝子についてどこから転写が
開始するかを正確に知ることは可能であった。TATAボックスの後のATGコド
ンが非常に明確な指標となるからである。プロモーター領域の決定は,「プロモー
ターバッシング(promoterbashing)」と通常呼ばれる実験に従う方法により,適切
な遺伝子発現にとって重要な制御領域を正確に決定することができる。
 このようにして,遺伝子発現を生じさせないために,プロモーターのどの
セグメントを除去すべきかを決定できるのである。
3 工程c)について
  本願明細書には,本願第1発明の実施に用い得るプロモーターシステムの一
例として,グルタチオン-S-トランスフェラーゼ(GST)の適用により誘導さ
れるGSTプロモーターが記載されている。GSTプロモーターは,審決が認定す
るとおり,雄蘂細胞に特異的ではない。しかし,化学薬品などの適用により誘導さ
れる雄性稔性遺伝子の発現は,雄蕊細胞に特異的である必要はない。毒性遺伝子の
発現ではないため,植物全体におけるその発現は植物に悪影響を及ぼさないからで
ある。
  この誘導可能なプロモーターに,プロモーター活性を欠失させた雄性稔性遺
伝子を連結することで,工程c)は達成され,このような遺伝子操作は,本願優先
権主張日当時周知となっていた技術により行われ得るのである。
4 工程d)について
  植物ゲノムから目的の遺伝子を取り出す一つの方法は,いったんクローニン
グされ再操作された雄性稔性遺伝子の劣性変異を発見することである。
  工程d)において用いられ得る一般的な手法として「相同組換え」法があ
る。「TheEMBOJournalvol.7no.13:4021-4026」(1988年発行)(以下「甲第
15号証刊行物」という。)には,相同組換えによる外来DNAの組み込みが,宿主染
色体において活性な遺伝子の形成を生じさせたことが記載されており,このことか
ら,1990年当時に,植物において相同組換えの技術が確立していたことが証明
される。
5 工程e)について
 審決は,エレクトロポーレーション,ポリエチレングリコール処理,微小発
射体による注入法について,「いずれの手法を用いてもその染色体の位置を特定す
ることはできない」(17頁6行~7行)として,「できるだけ多くの個体を取扱
ってその中から選抜するという過度な実験的負担を強いるものである。」(17頁
12行~14行)と認定判断したが,誤りである。
  染色体上の発現配列の挿入位置を決定することは,全く必要でない。なぜな
ら,クローニングした雄性稔性遺伝子を改変して(すなわち,誘導可能なプロモー
ターを本来のプロモーターを欠失させた雄性稔性遺伝子に連結させて),雄性不稔
植物に戻し導入することにより,目的とする雄性不稔変異体が完成されるからであ
る。
  本願出願人により改変された雄性稔性遺伝子がゲノムのどの部位に組み込ま
れたかは分からないが,非常に高い割合で雄性稔性が得られているのである。
第4 被告の反論の要点
1 本件優先権主張日(1990年6月12日)当時は,遺伝子組換え技術を利
用して有用物質を生産する技術がようやく実用化してきた時期である。すなわち,
インシュリンなどのように従来から広く医薬品として用いられていた有用なタンパ
ク質をコードする遺伝子を,ヒトの染色体DNAや,ヒト細胞が産生するmRNA
を用いたライブラリー等からクローニングし,大腸菌,哺乳動物細胞などの宿主細
胞を形質転換して大量に産生させるという有用物質の大量生産技術は,本件優先権
主張日前でもかなり成熟してきていた技術であるとはいうことができる。しかしな
がら,遺伝子組換え技術のうちで最も進んだ上記技術においてすら,机上の理論が
裏切られることが多いというのが現実であって,遺伝子組換え技術は,典型的な
「やってみなければわからない」分野といわざるを得ない技術なのである。
  そのうえ,本願第1発明は,上記有用物質の生産という単純な遺伝子操作で
はなく,生命体としての植物自身の生殖行為に関わる生命活動そのものの操作を目
的とする技術であるから,人為的に管理することは更に困難であり,細胞レベルで
の有用物質の大量生産技術よりも「やってみなければわからない」度合いが一層大
きい技術であるということができる。
  そうであるから,植物育種分野の雄性稔性関連技術においては,たとい,理
論上は公知技術を寄せ集めれば容易にできると推測され,各々の工程を一般的方法
として記載することができる場合であっても,各々の一般的方法についてすら,実
際の実験例がなければ,果たしてそれが適用できるものか否かは,「やってみなけ
ればわからない」ものとならざるを得ないのである。したがって,本願第1発明に
おいて発明の詳細な説明の欄に「当業者が容易に実施できるように記載されてい
る」といえるためには,少なくとも一つの実施例が必要であることは明白である。
ところが,本願明細書の発明の詳細な説明の欄には,工程a)ないしe)の全工程
により「外部から制御し得る遺伝性の雄性不稔を有する植物」を作成する実施例が
ないにとどまらず,その個々の工程についての実施例すら全くないから,本願第1
発明を当業者が容易に実施できる程度に記載されているといえないことは,その点
だけからでも明らかである。
2 工程a)について
(1)トランスポゾン標識法について
ア 本願優先権主張日前には,「トランスポゾン標識法」を用いて分子クロ
ーニングをする手法自身は周知となっていたとはいえても,「トランスポゾン標識
法」を用いて植物ゲノムの雄性稔性遺伝子を選択した例は全く知られていない。し
たがって,植物ゲノムの雄性稔性遺伝子を「トランスポゾン標識法」を用いて選択
することが技術常識であったというわけではない。
 「現代化学増刊20 植物バイオテクノロジーⅡ」(株式会社東京化学
同人1991年9月20日発行,以下「乙第1号証刊行物」という。)の238頁
の図25・2の説明文に「高等植物のゲノムは大きくかつ反復配列も多いので,図
のように,遺伝形質が容易に現れうる遺伝子から遺伝子へとトランスポゾンが転移
することは,実際にはきわめて低頻度でしか起こらない。」と記載されているとお
り,「トランスポゾン標識法」は,本願優先権主張日前において,当業者がその技
術を適用しさえすればほぼ確実に雄性稔性遺伝子が取得できるといえるほどに確立
していた技術ではない。
 なお,本願明細書には,トウモロコシで変異遺伝子のコレクションとし
て雄性不稔(ms)遺伝子が知られていると記載されているが,これは,単に染色
体上の遺伝子座での変異と,雄性不稔となる雄蕊細胞などの細胞レベルでの変異と
の間の関連性が知られていただけのことである。したがって,このことをもって,
次のb)工程以下に続く各工程で用いることができるトウモロコシの「雄性稔性遺
伝子」が開示されているとしてよいことになるものではない。
イ 原告は,トウモロコシ以外の植物からの雄性稔性遺伝子の単離は,トラ
ンスポゾン標識法で取得できたトウモロコシ遺伝子とのハイブリダイゼーションで
実施可能であると主張する。
 しかし,前述のとおり,本願優先権主張日前には,トウモロコシ自体,
ms遺伝子すら単離されていたわけではなく,まして,それについての塩基配列の
情報は全くない状態にあったから,トウモロコシに関して知られていたことは,ト
ウモロコシ以外の植物の雄性稔性遺伝子を当業者が容易に選択するための助けには
ならない。
 前述の乙第1号証刊行物では,異種植物に対するトランスポゾン標識法
については,希望的予測が感想として述べられているのみである。
(2) トランスポゾン標識法以外の雄性稔性遺伝子選択法について
 甲第11号証のグラフは,本願優先権主張日後のものであって,雄性稔性
遺伝子が単離された後の1995年7月に,これらの単離された遺伝子を用い,そ
れぞれの遺伝子につき花粉形成のどの時期にmRNA量が増えているかを絵画的に
示しているにすぎないものである。したがって,この結果をもって,本願優先権主
張日前に,当業者が,雄蕊細胞中のmRNA量を調べさえすれば花粉の発達の特定
の時期のみで蓄積するmRNAを容易に見出し得たということはできない。
3 工程b)について
(1) 原告は,本願優先権主張日当時,与えられた任意の遺伝子についてどこか
ら転写が開始するかを正確に知ることは可能であったと主張する。しかし,既に単
離されて塩基配列が知られている遺伝子であれば,その転写開始位置及びその周辺
配列を推定することは可能であるといえるとしても,本願優先権主張日当時,雄性
稔性遺伝子は,単離もされておらず,塩基配列情報も知られていなかったのである
から,当業者が本願明細書の記載から雄性稔性遺伝子の転写開始位置を知ることが
できたとすることはできない。
(2) 原告は,工程b)に適用できる周知技術として,「プロモーターバッシン
グ法」と名付けた技術があたかも本願優先権主張日前に確立していたかのように主
張し,甲第12ないし第14号証を提出する。しかし,これらのうちで本願優先権
主張日前の文献は甲第12号証の「DEVELOPMENTAL GENETIC
S 10:112-122」だけである。そして,同証は,任意の遺伝子のプロモ
ーターに適用できる「プロモーターバッシング」法についての総説ではないばかり
か,むしろ,既に単離されて全配列どころか転写開始部位も,TATAボックス位
置も知られている大豆由来の特定プロモーター領域であった場合についてさえ,そ
の配列中の活性部分を特定するためには試行錯誤的に様々な位置の配列部分を欠失
させた変異体を作成し,それぞれの変異体の活性を調べる必要があったことを間接
的に示している。
 したがって,単離もされておらず,塩基配列の情報もない雄性稔性遺伝子
のプロモーター活性部分は,その位置すら容易に確定できず,到底簡単に除去でき
るものではなかったのである。
4 工程c)について
  原告は,工程c)はGSTプロモーターにより達成される旨が本願明細書に
記載されているという。確かに,本願明細書には,工程c)の達成のためにGST
システムを利用することができる可能性は記載されている。ところが,本願優先権
主張日当時,GST遺伝子は単離されていたとしても,「GSTプロモーター」自
身が単離されていたわけではなく,ましてGSTプロモーターが他の構造遺伝子に
結合されて植物に導入され,誘導物質に反応して物質を生産することが確認できた
わけではないから,それが実際に有効な「誘導プロモーター」として用いることが
できるものであるか否かすら不明であった。
  しかも,雄性稔性を誘導する場合は,少なくとも雄蕊細胞において花粉を形
成できる程度の有効量が発現してくれなくてはならないから,より有効なプロモー
ターであることが要求され,実験的な確認は必須である。選択したプロモーターの
発現力の強弱が,非常に重要であることは当業界において広く知られるところであ
る。そして,GST遺伝子は,原理的には優れているが,植物に導入してもうまく
発現せずに良い除草剤無毒化効果が得られていないことが,乙第1号証刊行物に記
載されている。このことからみても,実際には,むしろGSTプロモーターが優れ
た誘導プロモーターである可能性は低いものということができる。
  そして,GSTプロモーターが単離されていないのと並んで,もとのプロモ
ーター活性を欠失させた雄性稔性遺伝子も単離されていないから,当業者は追試を
することもできない。
 このようなとき,本願明細書の記載を,工程c)を当業者が容易に実施できる程度
になされたものとすることは,できないというしかないのである。
5 工程d)について
 本願優先権主張日当時,甲第15号証刊行物により,相同組換え法の一つの
成功例が知られていたからといって,これを根拠に,相同組換え法を,植物核ゲノ
ム中への遺伝子挿入法としてそのころ既に十分確立した技術であったとすること
は,およそ許されることではない。本願出願後の刊行物である乙1号証刊行物にお
いて,甲第15号証刊行物をも引用しつつ,なおかつ「植物では,・・・相同組換
えを利用したターゲッティングの技法の開発はなかなか難しそうである。」(24
8頁右欄下から10行~6行)」,「相同組換え機構を積極的に活用した形質転換
系は近い将来に開発されるかも知れない。」(249頁左欄下から12行~10
行)」と結論されていることからも分かるとおり,相同組換え法は,単に将来用い
られる可能性のある技術として認識されていたにすぎない。
  本願明細書には,相同組換え法を用いること自体,開示がない。
  しかも,「相同組換え」法は,染色体上のターゲットとなる遺伝子の両端部
分を相同性領域として使用するために,それらと共通な配列を作成する必要がある
から,少なくとも上記両端部分の配列を含む遺伝子が取得されているか,もしくは
配列が決定されているかして,初めて適用できる技術である。したがって,雄性稔
性遺伝子もその本来のプロモーターも取得されておらず,かつそれらについての塩
基配列に関する情報が何もないのに,「相同組換え」法を適用しようとすること自
体に,そもそも無理があるのである。
6 工程e)について
  特に単子葉植物については,本願優先権主張日前に,形質転換植物の成功例
が「多数」存在したわけではなく,わずかな成功例が知られている程度であった。
このような形質転換技術を,単子葉植物までも含めた全植物における慣用の技術と
いうことはできない。
  しかも,本願第1発明では,植物が本来有しているプロモーターが活性を保
持した雄性稔性遺伝子が雄蕊細胞中に存在していてはいけないから,誘導プロモー
ターに連結した雄性稔性遺伝子を導入するためにどのような導入手段を選ぶとして
も,本来のプロモーターを有した雄性稔性遺伝子自身若しくは本来のプロモーター
活性を除去する工程は,プロトプラストなどで操作すると考えられる。そうする
と,このプロトプラストを植物体として再生する工程が必要であるのに,本願優先
権主張日前には,プロトプラストの植物体への再生は限られた植物でしか成功して
いない。まして,そのように操作したプロトプラスト中にさらに新たな形質を導入
する場合,若しくは再分化した植物に他の形質転換法を適用する場合に,果たして
所望の組織中で適切に発現させることができるか否かは,やってみなくては到底分
からないものであるから,当業者が追試することができるというためには,実際に
成功した手順が具体的に記載された実施例が少なくとも一つ必要であることは明白
である。ところが,本願明細書には,実施例が全く記載されていないから,工程
e)は,当業者が容易に実施できる程度に記載されていないという以外にないので
ある。
第5 当裁判所の判断
1甲第2号証(本願明細書)によれば,本願明細書の発明の詳細な説明の欄に
は,本願第1発明についての実施例が全く記載されていないことが認められる。そ
うである以上,発明の詳細な説明の欄に,当業者が容易に本願第1発明の実施をす
ることができる程度に同発明の構成が記載されているというためには,本願優先権
主張日当時,その各工程のいずれについても,それが周知技術であって,あえて実
施例の一段階となるべき具体的な実施態様を記載するまでもなく,当業者が容易に
実施することが可能である状態が生まれていたことを要するものというべきであ
る。
  ところが,まず,本願優先権主張日当時,本願発明に係る技術分野である遺
伝子組換え技術において,特定の生物の特定の遺伝子について成功した技術が,そ
のまま当然にその生物の他のあらゆる遺伝子,あるいは,あらゆる他の生物の遺伝
子に当然に適用できるという技術常識が存在したとは,本件全証拠によっても認め
ることができない。かえって,乙第1号証によれば,同号証刊行物(株式会社東京
化学同人1991年9月20日発行の「現代化学増刊20 植物バイオテクノロジ
ーⅡ」)には,例えば,以下の各記載のように,同定や形質転換に成功した例は,
どの手法についてどの生物のどの遺伝子ないし形質についての例であるのかを特定
して記載されていることが認められる。
「Tiプラスミドの発見以来,少なくとも双子葉植物にあっては,多くの有
用なトランスジェニック植物の作製に成功した。そしてエレクトロポレーションな
どの新しい技法の開発によって,従来難しいといわれていた単子葉植物への外来遺
伝子の導入も可能になりつつある。・・・単子葉植物での研究は,これからがいよ
いよ展開期という段階であろう。」(233頁右欄下から13行~5行),「数多
くの遺伝子群により支配されている形質を,植物育種の対象とすることは現在でも
なお依然として困難」(234頁左欄下から6行~4行),「高等植物のゲノムは
大きくかつ反復配列も多いので,・・・遺伝形質が容易に表われうる遺伝子から遺
伝子へとトランスポゾンが転移することは,実際には極めて低頻度でしか起こらな
い。」(238頁の図25・2の説明文),「今までに分離された有用遺伝子の大
部分は,・・・生理・生化学的なアプローチによって単離されている。・・・この
ような状況は,植物遺伝子ばかりでなく,動物遺伝子でも同様であり,実際はむし
ろ,動物遺伝子の分離のために開発された手法を植物遺伝子の分離にも応用してい
るのが実情である。」(239頁左欄12行~29行),「以上に述べてきた種々
の手法を組合わせて,未知有用遺伝子の分離同定が現在最も盛んに試みられている
のは,・・・有用植物としてはトマトのようである。・・・いずれにせよ,未知有
用遺伝子の同定と分離は,今まで研究者達の創意と工夫と協力にゆだねられてきた
し,今後もゆだねられるであろう。」(242頁右欄下から12行~末行),「T
iプラスミドを利用した遺伝子導入・・・タバコなどの双子葉植物に対する外来遺
伝子の導入法としては,すでに日常的な技法として確立されている」(245頁左
欄2行~9行),「Tiプラスミド法が将来単子葉植物へも応用可能かどうかは,
非常に重要な問題であり,その線に沿った研究がいくつか報告され始めている。最
初に単子葉植物へのアグロバクテリウムの感染が報告されたのはChloroph
ytum caperse・・・スイセン・・・アスパラガス・・トウモロコ
シ・・・グラジオラス・・・イネ・・・。しかしこれらの実験は,すべてまだ単発
的な結果であり,あとに同様な実験結果が続いて報告されている状態ではないの
で,将来ベクターとして実際に利用できるかどうか,現段階では不明である。」
(247頁右欄下から22行~8行),「外来遺伝子の植物染色体への導入
は,・・・その挿入される染色体上の位置を特定することができない。・・・外来
遺伝子の発現パターンとレベルは,一つ一つで異なる結果となり,目的にかなう有
用な植物が得られるか否かは運任せとなる。そのため,できるだけ多くの個体を取
扱って,その中から有用な物を選抜しなければならないから,時間も労力もかかる
ことになる。」(248頁右欄9行~18行),「特に,植物における除草剤の無
毒化の反応過程が,まだ分子レベルではほとんどわかっていないこともあって,ト
ウモロコシから分離されたグルタチオン-S-トランスフェラーゼ遺伝子(アトラ
ジンを無毒化する)を導入した例などがあるが,良い結果は得られていない。」
(254頁左欄18行~24行)
 上記認定の各記載によれば,本願優先権主張日当時において,遺伝子組換え
技術においては,特定の範囲の生物については日常的な技法となっている技術であ
ってもそれを他の生物に適用し得るか否かが不明であったり,机上の理論が裏切ら
れたりすることが多く,特定の生物の特定の遺伝子ないし形質について単発的に成
功した技術が,そのまま当然にその生物の他の遺伝子ないし形質,あるいは,他の
生物の遺伝子ないし形質に当然に適用できるというものではなく,適用できるか否
かは時間と労力をかけて試みてみなければ分からないことであって,それが成功す
るか否かは具体的な手法にもよるものであると認識されていたこと,単子葉植物に
ついての遺伝子組換え技術の応用は,高等真核生物の中でも難しいものとされ,動
物よりも双子葉植物よりも遅れていたこと,複雑な機構によって発生する形質を対
象とする遺伝子組換え技術の応用は,困難であるとされていたことが認められる。
  そうである以上,単子葉植物を含む植物の生命体としての生殖行為に関わる
生命活動という複雑な機構を持つ活動の操作を目的とする遺伝子組換え技術である
本願第1発明については,本願明細書の発明の詳細な説明の欄に,各工程につき,
抽象的な手法が記載されていたとしても,それをもって直ちに当業者が容易にその
実施をすることができる程度に発明が記載されているということはできないものと
いうべきである。なぜなら,各工程につき,具体的な手法としてではなく,抽象的
な手法として成功の可能性がある方法が存在するとしても,現実の成功例が知られ
ていない以上,当業者は,成功するか否かも分からない工程について,本願明細書
に具体的な手法が開示されないままの状態で試行錯誤を繰り返さなければならない
ことになり,このようなとき,本願明細書に特許権という独占権を与えるに値する
開示がなされているとすることは,明らかに不合理であるというべきであるからで
ある。
 以下,このことを前提に検討する。
2 工程a)について
(1) トランスポゾン標識法について
ア 本件全証拠によっても,本願優先権主張日前にトランスポゾン標識法を
用いて植物ゲノムの雄性稔性遺伝子を選択することが周知技術であったと認めるこ
とはできない。かえって,弁論の全趣旨によれば,本願優先権主張日前には,トラ
ンスポゾン標識法を用いて植物ゲノムの雄性稔性遺伝子を選択した例は,知られて
いなかったことが認められる。
イ 原告は,平成元年当時には,トランスポゾン標識法を用いて遺伝子を単
離することが確立されていたと主張する。
  甲第7号証によれば,同号証宣誓書には,トランスポゾン標識による分
子クローニングが,1987年以来「公知」であり,トウモロコシ由来の12の遺
伝子がクローニングされていたことを示す記載があることが認められる。しかし,
前記1認定の事実に照らせば,上記記載によっても,雄性稔性遺伝子を含めた遺伝
子一般について,トランスポゾン標識法を用いて単離する方法が確立していたとい
うことはできない。まして,それが技術常識であったということは,到底,できな
い。他に,これが技術常識であったと認めるに足りる証拠はない。
ウ 原告は,トウモロコシに用いられるトランスポゾン因子は,所望の遺伝
子に対して特異性を有しておらず,それによる変異頻度は,10-4
~10-3
である
と主張する。しかし,トウモロコシに用いられるいかなるトランスポゾン因子も,
所望の遺伝子に対して,機能や特性が同じであるとか,それによる変異頻度は,1
0-4
~10-3
であるとか,ということを認めるに足りる証拠はない。かえって,甲
第8号証,乙第1号証及び弁論の全趣旨によれば,高等植物のゲノムは大きく,か
つ反復配列も多いので,遺伝形質が容易に現れ得る遺伝子から遺伝子へとトランス
ポゾンが転移することは,実際には極めて低頻度でしか起こらないこと,及び,本
願優先権主張日当時知られていたトランスポゾン因子は,その機能,性質が同じで
はなく,どのような植物において働くか,どのような機構でどの程度機能するかが
異なるため,どのトランスポゾン因子を選択し,どのように用いるのかによって,
成功頻度が異なるものであること,が認められる。そうである以上,仮に,特定の
トランスポゾン因子を,特定の方法で用いた場合には,これによる変異頻度が10-

~10-3
であったとしても,本願明細書には,どのトランスポゾン因子をどのよう
に用いるのかが全く記載されていないのであるから,そのことをもって,トランス
ポゾン標識法を用いて植物ゲノムの雄性稔性遺伝子を選択することが技術常識であ
ったということはできない。
エ 原告は,①トウモロコシの雄性稔性遺伝子は,トランスポゾン標識法を
用いて単離でき,②これに用いられたトランスポゾン因子は,本願出願当時既に公
知であったと主張し,甲第7号証によれば同号証宣誓書には,これに沿う記載があ
ることが認められる。しかし,本件全証拠によっても,トウモロコシの雄性稔性遺
伝子をトランスポゾン標識法を用いて単離することに成功したのが,本願優先権主
張日より前であったとも,これが何年にもわたる試行錯誤なしにされたものとも,
認めることができない。また,結果的に本願優先権主張日より前に知られていたト
ランスポゾン因子を用いたとしても,本願明細書にどのトランスポゾン因子をどの
ように用いるのかが記載されていない以上,当業者は,やはり過重な試行錯誤をし
なければならず,これが技術常識であったとすることはできない。
オ また,乙第1号証及び弁論の全趣旨によれば,本願優先権主張日当時,
内在性の転移因子が発見されていない植物においては,トランスポゾン標識法を用
いて未知有用遺伝子が分離同定された例は1例もなかったこと,トウモロコシのm
s遺伝子は単離されておらず,塩基配列の情報は知られていなかったこと,異種植
物に対するトランスポゾン標識法については,本願優先権主張日後の刊行物におい
てさえ,「これらの異種植物で,トランスポゾンにより未知有用遺伝子が分離同定
された例はまだない。・・・異種植物の有用遺伝子が,これらのトランスポゾンを
用いたタッギングにより単離される日も近いと思われる。」(乙第1号証刊行物2
42頁右欄下から21行~13行)という希望的予測がされている程度であったこ
とが認められ,上記事実によれば,トウモロコシ以外の,内在性の転移因子が発見
されていない植物については,当業者が工程a)を実施することは,一層困難であ
ったことが認められる。
 この点に関して,原告は,トウモロコシ以外の植物の雄性稔性遺伝子は
トウモロコシのms遺伝子と相同性が高く,トウモロコシ以外の雄性稔性遺伝子を
トウモロコシに用いられるトランスポゾン遺伝子を用いて取得することが実施可能
であったと主張する。甲第10号証によれば,同号証宣誓書には,トウモロコシ以
外の植物の雄性稔性遺伝子はトウモロコシのms遺伝子と相同性が高い旨の記載が
あることが認められるけれども,同証は1997年に作成されたものであって,同
証記載の事実が,本願優先権主張日当時,技術常識であったと認めることはでき
ず,他にも,これを認めるに足りる証拠はない。かえって,本願優先権主張日当
時,トウモロコシのms遺伝子は単離されておらず,その塩基配列の情報も知られ
ていなかったという前認定の事実によれば,その時点では,これと他の植物の雄性
稔性遺伝子との相同性が高いことは技術常識ではなかったものと認められる。
(2) トランスポゾン標識法以外の手法について
ア本願明細書(甲第2号証)には,トランスポゾン標識法以外の雄性稔性
遺伝子選択法として,「花粉の発達に必要な遺伝子を同定することもできる。その
際,花粉の発達の時にのみ存在するmRNAを分離し,そして対応する遺伝子のゲ
ノムライブラリーのプローブとして用い得るcDNAを構築する」(【003
0】)との記載がある。
 しかし,本件全証拠によっても,上記手法が,本願優先権主張日当時,
雄性稔性遺伝子を同定するための技術常識であったと認めることはできない。
 ところが,本願明細書には,雄性稔性遺伝子につき,花粉の発達時にの
みmRNAが存在するとして,その産生量がどの程度であるのか,花粉の発達時に
のみ存在するmRNAがすべて雄性稔性遺伝子に対応するものであるのか,どのよ
うにして目的とする雄性稔性遺伝子に対応するmRNAであるかを確認し,分離す
るのかについての記載も,上記手法を用いて得られた具体的な雄性稔性遺伝子に関
する記載もない。そうである以上,本願優先権主張日当時,当業者が,上記手法に
よって,容易に工程a)を実施できたものと認めることはできない。
イ 甲第11号証によれば,同号証グラフ(A作成)には,雄性稔性遺伝子
につき,それぞれの遺伝子において花粉形成のどの時期でmRNA量が増えるかを
絵画的に示した記載があるけれども,同証は,原告の主張によっても,1995年
7月に作成されたものであって,本願優先権主張日当時,これが技術常識であった
と認めることはできない。のみならず,上記記載は,数値的データすら示されてい
ないものでもある。したがって,同証をもって,前記認定に反する証左とすること
はできない。
ウ 甲第72号証(C作成の1999年10月25日付け鑑定書)には,
「小胞子形成期に含量が上昇しているmRNAを元にした選択」が常法であった旨
の記載がある。しかし,同鑑定書において挙げられているのは,特定の種の特定の
遺伝子を取得するのに成功したという例にすぎず,このことから,直ちにそれが
「小胞子形成期に含量が上昇しているmRNAを元にした選択」一般においても確
立した方法であったということはできないから,同証をもって,前記認定に反する
証左とすることはできない。
3 工程c)について
(1) 本件全証拠によっても,本願優先権主張日当時,工程c)が周知技術であ
ったと認めることはできない。
(2) 本願明細書(甲第2号証)には,トウモロコシのGSTシステムを利用す
ることができ,GST反応性遺伝子からプロモーターを取り出すことができること
(【0032】),及びN,N-ジアリル-2-2-ジクロロアセトアミドなどの
ようなGST-誘導性化合物を用いればGSTプロモーターを誘導できること
(【0033】)が記載されている。しかし,本件全証拠によっても,本願優先権
主張日当時の技術水準において,「GSTプロモーター」を,外部から制御し得る
雄性稔性を誘導可能なプロモーターとすることが容易であったと認めることはでき
ない。
 甲第7号証によれば,同号証宣誓書には,「外部制御に応答する誘導可能
プロモーターによる植物全体における雄性稔性遺伝子の発現が,植物に悪影響を及
ぼさないことを実証しました。私は,化学薬品の適用により誘導可能なプロモータ
ーを雄性稔性遺伝子MS45に連結した実験において,このことを確認しまし
た。」(6項)との記載があることが認められる。しかし,上記記載は,「化学薬
品の適用により誘導可能なプロモーター」がGSTプロモーターであることも,そ
のプロモーターによって植物の雄性稔性が誘導されたことも述べていないから(雄
性稔性遺伝子が発現しても,直ちに花粉が形成されるとは限らない。),同号証宣
誓書を,「GSTプロモーター」を,外部から制御し得る雄性稔性を誘導可能なプ
ロモーターとすることが容易であったことの証左とすることはできない。
(3) 甲第28号証(D1999年4月15日作成の宣誓書)によれば,同宣誓
書には,「別の実験において,誘導可能なプロモーターを作製しました。このプロ
モーターを,エクジソンレセプターリガンド結合ドメインであるGal4結合ドメイ
ンおよびVP16アクチベーターに連結しました。このプロモーターを,決定的な
雄性稔性遺伝子であるMS45遺伝子に連結しました。・・・エクジソンアゴニストに
曝露したとき,雄性稔性が回復しました。」との記載があることが認められるもの
の,同号証によれば,これは,1999年ころの実験であること,及び,この実験
に用いられたエクジソンアゴニストは特定のものであるにもかかわらず,同宣誓書
作成者は,その具体的な名称を明らかにしないこともまた認めることができる。し
たがって,同号証から,本願優先権主張日当時,同宣誓書に記載された実験を他の
当業者が容易になし得たと認めることはできない(具体的なエクジソンアゴニスト
の名称すら明らかにしない以上,現時点においても,上記実験の追試すらできな
い。)。そして,本件全証拠によっても,本願優先権主張日当時,「エクジソンレ
セプターリガンド結合ドメインであるGal4結合ドメインおよびVP16アクチベ
ーター」というものと上記特定の「エクジソンアゴニスト」からなる誘導システム
を誘導プロモーターに用いることが技術常識であったと認めることはできない。ま
た,本願明細書に,そのような誘導システムを用いることの開示があるとも認めら
れない。
 したがって,同号証宣誓書を,本願優先権主張日当時,当業者が工程c)
を容易に実施することができたことの証左とすることはできない。
(4) 他にも,本願優先権主張日当時,当業者が工程c)を容易に実施すること
ができたと認めるに足りる証拠はない。
4 工程d)について
(1) 本件全証拠によっても,本願優先権主張日当時,工程d)が周知技術であ
ったと認めることはできない。
(2) 原告は,工程d)において用いられ得る一般的な手法として「相同組換
え」法があり,甲第15号証刊行物に,相同組換えによる外来DNAの組み込み
が,宿主染色体において活性な遺伝子の形成を生じたことが記載されているから,
1990年当時には,植物において相同組換えの技術が確立していたと主張する。
 しかし,本件全証拠によっても,本願優先権主張日当時,植物について,
相同組換え法によって,特定の「遺伝子を,該植物の本来の核ゲノムから取り除
く」ことに成功した例があったことすら認めることができず,まして,それが技術
常識であったことを認めることは,到底できない。かえって,乙第1号証によれ
ば,同号証刊行物には,「植物では,非相同組換えによって外来遺伝子が高頻度に
染色体に組込まれることが報告されているので,相同組換えを利用したターゲッテ
ィングの技法の開発はなかなか難しそうである。しかしまったく希望がないわけで
はない。」(248頁右欄下から10行~5行)として,甲第15号証刊行物の相
同組換えによる外来DNAの組み込みの例を挙げたうえ,「相同組換え機構を積極
的に活用した形質転換系は近い将来に開発されるかも知れない。」(249頁左欄
下から12行~10行)との記載があることが認められ,この記載によれば,本願
優先権主張日の後である1991年ころにおいても,植物に対する相同組換え法
は,困難であるけれども希望がないわけではないという程度のものであったことが
認められる。
(3) また,乙第1号証及び弁論の全趣旨によれば,相同組換え法を利用するに
は,遺伝子が取得されるか,又は塩基配列情報が知られるかしただけでなく,染色
体上におけるその遺伝子の周辺領域の配列情報も知られていることが必要であるこ
とが認められる。ところが,本件全証拠によっても,本願優先権主張日当時,これ
らのいずれもが取得されたり,知られたりしていたことを認めることはできない。
そうである以上,工程d)について,相同組換え法を適用することが技術常識であ
ったといえないことは,この点からも明らかというべきである。
(4) 甲第74号証(Eの1999年11月18日付けの鑑定書)には,工程
d)について,遺伝子を破壊して小胞子形成遺伝子の機能を喪失させればいいか
ら,小胞子形成遺伝子を物理的に除去することは必要不可欠ではない旨の記載があ
る。しかし,工程d)についての特許請求の範囲の記載は,「該クローン化した遺
伝子の遺伝子産物をコードする遺伝子を,該植物の本来の核ゲノムから取り除く工
程」というものであるから,小胞子形成遺伝子を本来の核ゲノムから「取り除く」
ことが必要不可欠であることは明らかである。したがって,甲第74号証をもっ
て,本願優先権主張日当時,当業者が工程d)を容易に実施することができたこと
の証左とすることはできない。
(5) 他に,本願優先権主張日当時,当業者が工程d)を容易に実施することが
できたと認めるに足りる証拠はない。
5 以上のとおり,本願明細書の発明の詳細な説明には,少なくとも,工程
a),c),d)について,当業者が容易にその実施をすることができる程度に,
本願第1発明が記載されているということができない。そして,同発明が特許法3
6条4項に規定する要件を満たすためには,a)ないしd)の各工程のいずれにつ
いても,本願明細書の発明の詳細な説明に,当業者が容易にその実施をすることが
できる程度に記載されている必要があることは,論ずるまでもないところである。
また,特許法36条4項に規定する要件を満たさない発明は,同条5項,6項の要
件を満たすか否かにかかわらず,特許を受けることができないことは,これまた当
然である。
 そうである以上,原告主張の審決取消事由は,結局のところ理由がないことが,
その余について判断するまでもなく明らかである。その他審決にはこれを取り消す
べき瑕疵は見当たらない。
第6 よって,本訴請求を棄却することとし,訴訟費用の負担並びに上告及び上告
受理の申立てのための付加期間の付与について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法6
1条,96条2項を適用して,主文のとおり判決する。
 東京高等裁判所第6民事部
      裁判長裁判官山  下  和  明
         裁判官宍  戸     充
 裁判官山田知司は、転勤のため、署名押印することができない。
  裁判長裁判官山  下  和  明

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