弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     本件控訴は、いずれもこれを棄却する。
     控訴費用は控訴人らの負担とする。
         事    実
 控訴人両名は、「原判決中、控訴人ら敗訴部分を取り消す。被控訴人らの請求を
棄却する。訴訟費用は、第一二審を通じ被控訴人両名の負担とする。」との判決を
求め、被控訴人両名は、主文第一項同旨の判決を求めた。
 一 当事者双方の主張は、次に訂正・付加するほか、原判決の事実摘示のとおり
であるから、これを引用する。
 1 原判決九丁表六行目の「兄A」と「現在」との間に「は」を挿入する。一一
丁裏四行目の「専功」を「専攻」と改める。
 2 原判決一二丁裏九行目の「以来二週間」を「により」と改める。一三丁裏一
一行目の「同被告が」を「同被告は」と改める。
 3 原判決一七丁表三・四行目を次のとおり改める。
 「八 同第八項中、原告両名がBの両親であることは認める。控除すべき養育費
の額について、大学在学中の分について否認する。東京での下宿生活による大学生
の一年間の養育費は、少なくとも、年間平均一〇〇万円を要するから、大学四年間
を通じて、少なくとも合計金四〇〇万円を控除すべきである。
 その余は知らない。」
 二 控訴人らの当審における附加主張
 (一) 控訴人千葉県は、亡Bの柔道練習中における本件事故について、国家賠
償法第一条による賠償義務はない。すなわち、
 1 高等学校教諭は公権力の行使にあたる公務員ではない。
 (1) 義務教育過程における教育と高等学校における教育との本質的相違
 近時の裁判例は、公立の小・中・高校の教員の行為について、その行為のいかん
を問わず、また、その勤務時間の内外を問わず、国家賠償法にいう「公権力の行
使」に当ると判断したものが多いが、いずれも、義務教育たる小・中学校と高校と
の教育活動の本質的相違を吟味せず、外形的に学校教育の過程において発生したと
みられる事故については、同法の適用を一律に肯定している。しかし、義務教育と
高校教育とは、教育理念において、現行法制上本質的な相違が存する。したがつ
て、生徒の在学中の法律関係を論ずるに当つては、この点を見落すことはできな
い。
 両者の本質的相違は、現行法上義務教育にあつては、保護者(親権者等)に対
し、子女を就学させる義務を、地方公共団体に対し、保護者の義務の履行を担保す
べく入学等諸手続をなすべき義務をそれぞれ課しており、入学については許可制度
はとつていない(教育基本法四条、学校教育法二二、三九、九一条、同法施行令
五、六、一四条等参照)のに反し、高校教育にあつては、高校教育を受けるにふさ
わしい者を選ぶ目的から、志願者に対して入学者選抜を行い、その入学の許可は校
長が行うこととしている(学校教育法施行規則五九条)。しかして、両者の教育理
念は、義務教育においては、心神の発達に応じて初等及び中等教育を施すことを目
的とし、高校教育においては中学校教育の基礎の上に、心身の発達に応じて高等普
通教育及び専門教育を施すことを目的としており(学校教育法一七条、三五条、四
一条)、右各目的に応じた各教育過程が編成される。したがつて、教育を受ける児
童・生徒からみれば、後者に「離脱の自由」が存し、前者に存しないということ
に、右本質的相違が現われている。
 これを詳述すれば、高校教育においては、義務教育と異り、生徒に「学校選択の
自由」、「入、退学の自由」、「コース・課程の選択の自由」、「教科選択の自
由」及びこれに伴う「教師選択の自由」等々、各種の青年中・後期の発達段階の生
徒の意思に応じうる選択的教育課程が編成されている。このような選択権の行使の
結果構成される教師と生徒との関係は、義務教育過程における保護者に対す就学義
務に基礎づけられた教育業務執行上の支配と被支配の関係とは明かに相異する。
 (2) 教育の場における「優越的意思」
 裁判例は、義務教育段階の教育行為に国家賠償法第一条を適用するに当つて、教
育実施の対象となる児童・生徒に就学義務からの自由のないことを理由として、教
員による公権力の行使性を肯定しているが、これは、公権力の行使についての一定
の枠を作つたものといえよう。
 もし、仮に、かかる枠のないまま、「優越的な意思」の存否を論じ、更に、これ
がある場合に、具体的事実関係を無視して一律抽象的に国家賠償法の適用を図るな
らば、およそ教育は一方の他方に対する教授関係である以上、教授する側は常にあ
る種の優越的立場に立つことは、論理必然的であり、これをもつて、「優越的な意
思」の発動とするならば、公の設置にかかる学校においては、いかなる場合にあつ
ても(例えば専門・研究的学芸の教授・研究を目的とする大学教育にあつても)右
「公権力による支配・被支配関係」に該当するという帰結にいたるものであつて、
妥当ではない。
 これは、教育実施の場面における人的構成関係と、教育なる社会的行為の事象と
を混同するものである。本来教育なるものは、権力関係ではないが(国家賠償法成
立過程における「公権力」の想定した「優越的な意思」に当る内容に、教育が含ま
れていなかつたことは当然である。)、しいて公権力の行使の該当性を論ずるなら
ば、まず、教育関係の内容をその目的に応じて具体的に考察することが必要であつ
て、かかる考察を施せば、高校教育は、前記(1)記載のとおり、義務教育と異な
り、「優越的な意思」の内在する公権力の行使とはいい難い。
 (3) 国家賠償法の拡大解釈の傾向とその誤謬
 ところが、最近の下級審の判決は、高校において発生した事故について、多く国
家賠償法の適用を認めるが、これは、従来、わが国の一般的社会保障制度充実の不
備とあわせて、学校内における事故の発生に伴う児童・生徒ひいてはその子女を託
した保護者に対する損害補償制度の不備を補充するための被害者救済の必要性に出
たもので、その際教員の地位ないし任用関係が人民を支配する公権力の行使に当る
公務員のそれと同視しうるところから、包括的・機械的にその該当性を結論づけた
ものである。公立病院における医療行為の事故の関係と高校教諭の事故の関係とは
パラレルに考えられるべきところ、下級裁判所の裁判例の結論は全く対照的に逆で
ある。次第に各種保険制度、補償制度が発達しつゝある今日、被害者救済のあま
り、法の不当な拡大解釈をするような誤りを改め、医療行為に関する判例等を斟酌
して教育の場における公権力行使の要件を厳格に解すべきである。
 (4) 教育活動と国家賠償法適用の当否
 ところで、教育が、国家的事務とされるのは、近代国家における国民的要請に基
き漸次国家的課題として認識されてきた結果であり、そり本質は、行政的権能の事
務処理ではなく、また国家賠償法施行当初想定されたごとき権力作用の発動ではな
い。教育の目的は、人間形成の未来における創設であり、そこには、未来を孕んで
成長発達をとげていくものに対する期待ないしは可能性追求の要素が不可欠であ
り、かかる要素が存しなければ、教育はその本質を喪う。
 このような教育の場に発生する事故に対しては、本来、これに適わしい別個の保
険制度等の措置が予定されなければならず、たとい保険制度の不備のため、やむな
く、国家賠償法の適用により、被害者救済を図るという場合においても、右教育の
本質的性格に充分な配慮がなされなければならない。
 したがつて、国家賠償法の適用に当つては、可能な限り厳密、明確な要件を定立
して行われるべきで、被害者救済を急ぐあまり不明確な要件をもつてこれを適用す
るようなことは許さるべきでない。
 このような配慮を欠く場合には、本件の如く、発生した結果につき、想定される
限りのすべての責任を追求するとの結果を招来し、わけても結果発生の場に偶々居
合わせた者の過失を殊更に問責するということになり、かかる傾向が顕著となれ
ば、勢い些細な事故に関しても殊更に教諭の責任を問い、その結果教育に従事する
者の消極化、退えい化を招来し、未来の人格創造を理念とする教育を、いたずらに
低下させる結果となるのであつて、その損失は、真に測り知れないものである。
 2 クラブ活動の指導・監督は教諭の職務行為ではない。
 (1) クラブ活動の沿革
 高校の「クラブ活動」は、学校教育制度の施行とともに自然発生的に行なわれそ
の発祥は古い。旧制度下では、旧制中等学校、高等専門学校の段階で、教育課程の
実施とは別個に発展し、現行の高校のクラブ活動もその活動を引継いでいる。現
在、「教育はあらゆる機会を生かして行われるべきである」という一般教育理念に
基いて(教育基本法二条)、なお従来どおりのクラブ活動を学校教育課程の中で実
施しているが、これを現行の学校教育課程においてしいて位置づけるならば、学校
教育法施行規則(本件事故当時施行のものによる)五七条、七五条の二にいうとこ
ろの「特別教育活動及び学校行事等」の「等」に含ましめるべき「特別教育活動」
の一種である。
 (2) クラブ活動の特徴
 そして、その特徴を、正課としての教育活動と比較すると次のとおりである。
 (イ) クラブの設置・運営・活動内容及び予算の編成並びに同配分等は、生徒
の自主的決定ないし管理(生徒会が掌握するのが普通)にゆだねられ、顧問教諭
は、一般的には、生徒から助言を求められた場合に、高校生のクラブ活動として逸
脱しないようにその助言を与える程度である。
 (ロ) 生徒が、クラブ活動に参加するか否かは、生徒個人の自由意思による。
クラブ活動においては、教諭によつて、教育の場にふさわしい配慮がされ、教諭か
ら一般的指導がされるが、これによつてその自主性が左右されるものではない。
又、取得すべき単位数や教科の指導とも無関係である。学校の指導としては、いず
れかのクラブに所属することは、高校生活を豊かに送るうえから望ましいとしなが
らも、加入を強制することはない。
 (ハ) クラブ活動における生徒の活動状況は、生徒の自治活動たる生徒会活動
と同じく、生活記録として、その所属クラブ名、役員名等が生徒の個人票に記録さ
れるに止まり、授業の学習活動の成績評価には一切含まれない。
 (ニ) 各クラブには、通常、少くとも一名の教諭が顧問としており、生徒の相
談に与るのが普通であるが、顧問を得られない場合には、顧問なしで活動するか、
または名目上の顧問にとどまることもある。
 だれがクラブの顧問教諭になるかは、各年度当初ごとに教諭の希望をとるか、直
接、生徒会の依頼に応じて承諾するか、その決定の態様はさまざまで、体育科関係
の教諭が運動会所属の各クラブの、また、芸術科関係の教諭が文化会所属の各クラ
ブの顧問としてつくのが一般的である。
 (ホ) 校長は、教諭がクラブの顧問教諭を引受けることを了承した場合には、
当該学校備付の「クラブ顧問委嘱簿」等にその教諭の氏名を記載して当該教諭個人
に対して当該クラブの顧問を『委嘱』するという手続をとることがある(本件長生
高校の場合はその例であつた。)が右手続は、事実行為の単なる記録にすぎず、当
該教諭にとつては、これによつて、履歴上も、勤務成績にも、また、給与上も変更
をみるものではない。しいていえば、校長が当該学校の後援会ないしはPTA団体
関係の委任をうけて右事実行為をなし、年度末等右団体の意思により、右『委嘱』
に伴う年間の苦労に対して団費から謝礼を支出するさいの根拠とされるにすぎな
い。教諭にはクラブの顧問を引受ける義務はなく、校長の右委嘱行為は上司の職務
命令ではない。
 したがつて、教諭が顧問を引受けても、教諭の職務上の上司たる校長は、これに
対して職務としての指導監督の権限を有するものではなく、顧問教諭もまた、その
命令服従の義務を有しない。また、任命権者もこれに特別の給与上の措置を義務づ
けられない。
 以上のような性格を有するクラブ活動は、明かに正規の教育課程に則つて実施さ
れる学校教育活動そのものとは本質において異なる。
 (3) クラブ活動は社会教育の分野に属する。
 このようなことは、本来クラブ活動そのものが、その名称のごとく人間の年令、
能力、発達段階など等質的な要素を基準として構成される集団を対象として行う学
校教育の範畴に属するものではなく、同一の社会的活動ないし行為を目的として集
まる任意の異質な対象の集合体である社会的集団(グループ)に対して、その異質
性ゆえに相互に教化、育成しあうことを目的とする社会教育の範疇に属すべきもの
である所以である。
 先進諸国にくらべ、社会教育の発達が遅れていたわが国では、青少年に対する社
会教育施設及び指導者の不備の補填策として、学校の有する人的物的構成要素の利
用、協力を仰がねばならず、わが国独自の歴史的事情と近代教育の全てを学校教育
に期待してきた社会的国家的要請に応えてきたものにすぎない。
 学校が本来社会教育の範疇に属する教育迄担つてきたごとく、人的面においては
学校教諭がその要請に応えてきたものであるが、本来、社会教育の指導育成にあた
るべきは、社会教育指導員等であるべきであり、学校教育に当る教諭の本務ではな
い。
 近い将来、社会教育の本質を有するクラブ活動は、その変則的取扱いを脱し、完
全に社会体育として独立するであろうが、現在たまたま顧問教諭の教育的熱意の表
われである奉仕的活動に依拠して行われている実情を把えて、もつて安易に、教諭
の職務であるとし、ないしは職務関連行為と評価してはならない。また、永年にわ
たる営造物たる学校の物的、人的要素に依拠してきた点を把えて、これをあえて職
務ないし職務関連行為の要素となして安易に職務執行に伴う注意義務を負担させる
ことも、許されない。
 (二) 亡Bの自己管理の問題
 1 本件事故は亡B自身の自己管理の欠如により発生した。けだし柔道は、レス
リング、ボクシング等の他のスポーツと同様に、相手方の身体に対する攻撃を内容
とする。その稽古にあたつては、その相手方の身体生命を害する(場合により傷
害、死亡等の危険を孕んでいる)スポーツであることを、当時高校一年生になつて
いた亡Bは十分了知していたはずであり、敢てこのスポーツを選んで自発的にその
クラブ活動に参加したのである。高校一年生といえば、自己の健康・疲労状態等に
ついては成人並の判断能力があつたものというべきである。
 そして、事故日の稽古の状況を見るに、上級生の稽古を見学していた者もあり
(亡B自身当初は見学していた)、又五分交替で取組みの相手を代えることもで
き、更に取組みの途中で苦しければ手で合図をして技を中止させることも可能であ
り(現に亡Bは一回合図をして控訴人最首に技を中止させている)、自己の疲労の
度合に応じて随時休憩することができたのである。もし亡B自身からかかる申出が
あれば、取組み相手の控訴人最首は勿論、顧問教諭のC(一審共同被告)、D
(同)においても亡Bの意思を尊重したはずである。
 ところが、亡Bは、かかる申出をせず、本件事故発生に至つたのは、亡Bが自己
管理の責任を放棄した結果であり、控訴人らにおいて賠償責任を負ういわれはな
い。
 2 過失相殺
 かりに本件事故の発生について、控訴人最首または顧問教諭のC、Dらに、過失
があるとしても、本件事故発生に至つた経過をみると、本件事故は亡B自身が自己
管理を怠つたことにその原因の大半が存するから、損害額については過失相殺をす
べきである。
 三 控訴人らの当審における主張に対する被控訴人らの反論
 (一) 国家賠償法第一条の適用の問題
 1 国家賠償法第一条の「公権力の行使」とは権力作用に限らず、非権力作用を
も包含すると解するのが相当であり、この立場が多数説である。
 福祉国家においては、国家による教育の占める比重は大きく、教育活動に同条を
適用することは、時代のすう勢に合致するものであり、右の考方に立つならば、本
件において義務教育(中学)と高校における教育を区別する理由はない。
 本件被害者Bは当時一六歳であつて、高校教育はかゝる未成年者を対象とするも
のであり、教育が、先ず肉体的危険(例えば化学の実験、海水浴、柔道等)から生
徒を保護し、正しい方法を教えることによつてかゝる危険を積極的に克服すること
を重要な内容とする以上、義務教育とそうでない教育と区別する理由はない。
 控訴人らは公立病院の医療行為と公立高校における教育とをパラレルに考えるべ
きことを前提とする主張をしているが、教育にあつては国家賠償法は、被害者を救
済することを第一の目的とし、教師個人の過失を認めることは救済のための法的手
段とされており教師個人の責任(少くとも故意又は重過失のある場合を除いては)
を追及することに主目的があるわけではない。
 ところが、公立病院の医師にあつては、いやしくも人の生命を管理する業務に従
事し、一般公務員よりも強度の、最善の注意義務を要求される。したがつて又、医
師個人の責任の追及を通じて被害者の保護が図られるのであつて、教員とは自ら業
務の内容性質を異にするから同一に論じては却つて不合理を生じる。
 以上のように、国家賠償法一条による控訴人千葉県の責任は免れない。
 2 クラブ活動の指導・監督と教諭の職務行為性
 控訴人らの主張は現時点においては抽象的な理想論に過ぎない。クラブ活動は特
別教育活動である。
 特に本件の如く、未成年の高校生が、柔道という、生命を失つたり廃人になつた
りするおそれのあるスポーツに、初めてかゝわるというような場合、これを自主的
な運営に委ねることはむしろ高校教育の趣旨・目的に反する。教師が積極的に指導
しなければ自主的運営の基礎が出来ない場合(本件がその適例)には、教師の関与
を職務行為であると解しなければ指導の目的が達成されない。
 また正規の授業においても、生徒の自主性は尊重されるべきであるから、自主性
の濃淡のみによつて区別すべきでなく、指導・保護の必要性の観点から判断するの
が妥当である。
 (二) 亡Bの自己管理の関係
 否認する。亡Bは、一年生で初心者であつたから、自己のペースで練習すること
は困難であり、自己管理を怠つた過失はない。
         理    由
 当裁判所は、当審における新たな証拠調の結果に徴しても、被控訴人ら両名の本
訴請求は、控訴人両名に対する関係において原判決の認容の限度において正当とし
て認容し、その余の請求は失当としてこれを棄却すべきものと判断するが、その理
由は、次に付加、訂正するほかは、原判決が理由で説示するとおりであるから、こ
れを引用する。
 1 原判決二四丁表六行目の「E」のあとに、「同F」を加える。
 2 原判決二四丁裏二行目の「活」のあとに「(もつとも、被告(控訴人)最首
は見様見真似でかけたもので正式な活ではなかつた。)」を加える。
 3 原判決二五丁表五行目のあとに、次の文言を加える。
 「(乙第二五号証の二の記載も、証人Fの証言によると、右認定に反するもので
はない。)」
 4 原判決二七丁裏一〇行目の「C」のあとに「(原審および当審、ただし当審
は証人)を、「最首」のあとに「(原審および当審)」を、それぞれ加える。
 5 原判決三〇丁表七行目の「活」のあとに、「(もつとも、その活は、見様見
真似の活であつて、正式のそれではなかつた。)」を加える。
 6 原判決三一丁表五行目の「更に」から同九行目の「あるところ、」までを、
次のとおり、改める。
 「また、押え技などから絞めがかかつて相手方が意識を失いかけるなど通常と異
なる状態が起きた場合には、とくに相手方が柔道の初心者またはこれに準ずる者で
あるときには相手方に問いただすにとどまらず、相手方の状態に留意し、受身など
を完全に行なえるよう、一たん休憩を与える等細心の注意を払うべき注意義務が柔
道の経験者に存することは、柔道が危険を伴うスポーツであることから条理上当然
認められるところである。ところが、被告(控訴人)最首は、」
 7 原判決三一丁裏二、三行目の「首をしめる」を「押え技等から相手方の首が
しめられる」と、同三行目の「意識を失う」を「意識を失いかける」と、それぞれ
改める。三三丁表一〇行目の「みうけられることが」を削る。
 8 原判決三三丁裏一、二行目の「被告最首」のあとに「(原審)」を、同二行
目の「被告C」のあとに「(原審および当審。ただし当審は証人)」を、それぞれ
加える。
 9 原判決三四丁表九行目と一〇行目との間に、次の文言を入れる。
 「控訴人千葉県は、高校教諭は、国家賠償法第一条にいう「公権力の行使」に当
る公務員でないと争うから、まずこの点について判断する。
 <要旨>国家賠償法第一条にいう「公権力の行使」という要件には、国または地方
公共団体がその権限に基づく統治作用としての優越的意思の発動として行う
権力作用のみならず、国または地方公共団体の非権力的作用(ただし、国または地
方公共団体の純然たる私経済作用と、同法第二条に規定する公の営造物の設置管理
作用を除く。)もまた、包含されるものと解するのが相当である。
 けだし、旧憲法下においては、国または地方公共団体の職員が、公権力の行使に
より、違法に住民に損害を加えた場合においては、被害者は国または地方公共団体
に対し損害賠償を請求することができないとされていたが、日本国憲法第一七条が
これを認めたのに伴い、国家賠償法が制定施行され、このような場合でも、被害者
は、国または地方公共団体に対し損害賠償を請求することができる旨を定めて(同
法第一条第一項)被害者の救済をはかるとともに、当該公務員をして、安んじて公
共の目的のため職務の遂行に当らしめるべく、当該公務員は、被害者に対し直接損
害賠償責任を負うことはなく、かつその賠償責任を履行した国または地方公共団体
は、故意または重大な過失がないかぎり、当該公務員に対し求債権を行使すること
ができない旨を定めた(同法第一条第二項)のであつて、この規定の趣旨に鑑みれ
ば、国または地方公共団体の違法行為に、それが広義の行政作用について生じたも
のであるかぎり、広く同法第一条の適用を認めるのが相当であり、単に狭義の統治
作用としての優越的地位にもとづく公権力の行使による損害の賠償の請求について
のみ、同条の適用を限定するいわれはないからである。
 したがつて、生徒の公立学校の利用関係についても、国家賠償法第一条第一項が
適用されると解すべきところ(公立学校は教育を目的とする営造物であつて、その
活動は広義の行政作用に属するばかりでなく、教師と生徒との関係は一般に教育目
的の達成のために、かつその限度で対等の関係になくむしろ教師が生徒に包括的に
指導、監督する関係にあることに留意さるべきである)、本件のようなクラブ活動
は、たとい任意のものであつても、高等学校の教育活動の一環としてされる(この
点については後記参照)ものであるから、生徒の公立学校の利用関係の範囲内にあ
ることは、明らかであつて、これに従事する教諭は、同法第一条第一項にいう「公
権力の行使」に当る公務員というべきである。そして、右の如く解する以上、公立
学校が、義務教育たる小中学校であろうと、そうでない高等学校であろうと、区別
して考える必要がないというべきである。
 控訴人千葉県は、クラブ活動の指導、監督は、教諭の職務行為ではない、と主張
する。
 しかし、クラブ活動が本来社会教育の分野に属すべきものとしても、現実には、
本件のような柔道部のクラブ活動は、高校教育の一環として(特別教育活動とし
て)高校の諸施設を利用して行なわれていることは、後記認定のとおりであり、教
育目的の達成のために、児童、生徒に対し、心身の発達に応じ、各種のクラブ活動
を通じて、人格の完成を図ること(教育基本法第一条参照)は、学校教育上、相当
なことであり、かかるクラブ活動をすべて社会教育とし、社会教育指導員等に委ね
るべきであるという見解は、学校が教育基本法第一条にいう教育目的達成のために
与えられた機会を積極的に利用せず、みずから教育活動の範囲を狭めるものであつ
て、却つて妥当でない。成立に争いのない乙第二二号証(在学青少年に対する社会
教育の在り方について)も、必ずしも、右と異なることを述べるものではない。高
校生は、概ね満一五歳から満一八歳に至るまでの者であり、成人に近い判断能力を
有するものがあるとはいえ、いまだ一般にその判断は未熟であり、クラブ活動のす
べてをこれら生徒に一任することは相当でなく、その企画、実施について生徒の自
主的判断、活動を尊重するにしても、おのずから限度があり、とくに柔道などのよ
うな生命身体の危険を伴うクラブ活動については、その企画、実施について熟練者
による厳しい検討と指導、監督が必要であるというべく、クラブ活動の指導教諭な
いし顧問教諭にとつては、その指導、監督がその職務範囲内にあるものというべき
である。乙第二三号証の記載も、右認定を左右するに足りない。
 したがつて、かりにクラブ活動の本質が社会教育の分野に属すべきものとして
も、現に学校教育の一環としてされているクラブ活動と、その指導教諭ないし顧問
教諭の指導、監督責任を否定することは、その限度で学校当局ないし県教育委員会
がみずからその学校教育の権利、義務を放棄するに等しく、是認しがたい見解であ
る。
 この点の控訴人千葉県の主張は採るを得ない。」
 10 原判決三四丁表一〇行目の「被告C」のあとに「(原審および当審、ただ
し当審は証人)」を加える。
 11 原判決三五丁裏四行目の「優越的な意思を内在する公的な活動であり、」
を次のとおり改める。
 「前記のとおり、学校教育の一環として、教育目的達成のためにされたもので、
教諭としての職務を遂行するものであつて、」
 12 原判決三六丁表一二行目の「失つた」を「失いかけた」と改める。
 13 原判決三九丁表一二行目のあとに、次の文言を加える。
 「控訴人らは、亡Bの大学在学中の養育費は、被控訴人ら主張の金額月二万円よ
り高額であり、在学四年間は年間一〇〇万円の割合で控除すべきであると主張す
る。しかし、養育費は、被害者たる亡Bがその逸失利益から支出するものではない
から、逸失利益のための必要経費ということはできず、また養育費の支出を逸れる
のは、亡Bの父母たる控訴人らであつて、亡Bではないから、被害者本人に生ずべ
き利得をその損害より控除する損益相殺の法理は、この場合は適用することができ
ない(最判昭和三九年六月二四日民集一八巻五号八七四頁参照)。もつとも、控訴
人らは、亡Bの死亡により、同人の逸失利益による損害賠償請求権(大学卒を基準
として逸失利益が算出されている)を相続しながら、養育費ー大学在学のための高
額の養育費ーの支出を逸れているから、公平の見地上、右支出を逸れたことによる
利得を逸失利益から控除すべきであるとの考えも十分あり得ようが、本件では、大
学卒の労働者の平均賃金を基準として、逸失利益を算出しているが、被控訴人両名
自身本訴請求において、本件事故時から予測される亡Bの大学卒業時までの七年間
の養育費を(月二万円の割合で)控除していること、亡Bの生活費として、稼働期
間を通じて収入の五割を控除していること、成立に争いのない乙第二六号証による
と、昭和四五年度の学生生活費の年平均は学寮で金三四万一、三〇〇円、下宿で金
四一万九、〇〇〇円にとどまることが認められることなどを考慮すると、本件では
未だ、大学在学中の養育費のみを特に高額にして本件逸失利益から控除しなけれ
ば、公平の見地から妥当を欠くとまでいえないから、この点の控訴人らの主張は、
採用しがたい。」
 14 原判決四〇丁裏七行目のあとに、次の文言を加える。
 「最後に、控訴人らの亡Bの自己管理の欠如の主張(当審附加主張二(二))に
ついて判断を加える。
 柔道等の身体・生命等に危険が及ぶ虞れのある運動をする者は、一般的に、まず
自分の身体・健康の状況を把握し自ら管理すべき責任のあることは、否定し得ない
が、本件のように、亡Bは、高校一年生(満一六歳)であつて、高校に入学しては
じめて柔道を習い、僅か一六日ぐらいの練習を経験したにすぎない初心者であるか
ら、柔道の何たるかを十分に理解しているとはいえず、たとい抽象的・観念的に柔
道が危険な運動に属することは知つていても、具体的に、自分の身体・健康の状況
を把握し、その状況に応じて柔道をしまたは続けることが適当かどうかの的確な判
断を亡Bに期待するのは難きを求めるものというべきである。したがつて、亡Bが
自己の身体についての自己管理を怠つたものと断ずることはできない。
 この点の控訴人らの主張は、採用しがたい。」
 以上のとおり、控訴人らの本件控訴は、いずれも理由がないから、これを棄却す
ることとし、控訴費用の負担については民事訴訟法第八九条第九三条第九五条を適
用し、主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 瀬戸正二 裁判官 小堀勇 裁判官 奈良次郎)

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弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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