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○ 主文
一 原告らの本訴請求のうち、国費支出差止請求及び違憲確認請求については、い
ずれも訴えを却下する。
二 原告らその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告らの負担とする。
○ 事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 (一)(主位的請求)
被告は、一九九〇年一月一九日「即位の札委員会」(委員長・A首相)及び「大礼
委員会」(委員長・B宮内庁長官で決定した別表記載の即位の礼・大嘗祭諸儀式・
行事のうち、祝賀御列の儀、饗宴の儀、園遊会、内閣総理大臣主催晩餐会、一般参
賀、大饗の儀、茶会を除く一切の儀式・行事のために国費を支出してはならない。
(二) (予備的請求)
被告が、一九九〇年一月一九日「即位の礼委員会」(委員長・A首相)及び「大礼
委員会」(委員長・B宮内庁長官)で決定した別表記載の即位の礼・大嘗祭諸儀
式・行事のうち、祝賀御列の儀、饗宴の儀、園遊会、内閣総理大臣主催晩餐会、一
般参賀、大饗の儀、茶会を除く一切の儀式・行事を国費により執行することは違憲
であることを確認する。
2 被告は、原告ら各自に対し、それぞれ金一万円及びこれに対する本訴状送達の
日の翌日(平成二年(行ウ)第八一号事件については平成二年一〇月四日、同第九
四号事件については平成二年一一月二〇日、同第九七号事件については平成二年一
一月二八日)から支払ずみまでいずれも年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 本案前の答弁
(一) 主文一項と同旨
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。
2 本案の答弁
(一) 原告らの請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
(以下、一九九〇年一月一九日「即位の礼委員会」(委員長・A首相)及び「大礼
委員会」(委員長・B宮内庁長官)で決定した別表記載の即位の礼・大嘗祭諸儀
式・行事を「即位の礼・大嘗祭諸儀式・行事」といい、このうち、祝賀御列の儀、
饗宴の儀、園遊会、内閣総理大臣主催晩餐会、一般参賀、大饗の儀、茶会を除く一
切の儀式・行事を「本件諸儀式・行事」という。)
一 請求原因
1 当事者
原告らは、いずれも日本国の主権者であり、納税者である。
被告は、納税者の支払う税金を主要な財源とする国庫金の中から、憲法の定める諸
原則に基づいてのみ国費を支出し、国務を遂行する権限と義務を与えられたもので
ある。
2 即位の礼及び大嘗祭の儀式・行事の内容並びに八一億円の支出の決定
被告は、平成二年一月一九日、「即位の礼委員会」(委員長・A首相)において、
即位の礼を国事行為として同年一一月一二日に実施することを決定するとともに、
「大礼委員会」(委員長・B宮内庁長官)において、大嘗祭を公的な皇室行事とし
て同月二二、二三日の両日にわたって挙行することを正式に決定した。
そのための即位の礼・大嘗祭諸儀式・行事の詳細は別表のとおりである。
被告は、即位の礼・大嘗祭諸儀式・行事のために、総額八一億円の国費の支出を予
定した。
3 即位の礼・大嘗祭諸儀式・行事の内容
(一) 被告が今回国事行為あるいは公的性格のある皇室行事として、原告ら納税
者の支払った税金を用いて行った即位の礼と大嘗祭とは、決して平成二年一一月一
二日及び同月二二、二三日に、即位礼正殿の儀・悠紀殿供饌の儀・主基殿供饌の儀
として行われた儀式だけに限定され、あるいはそれらの儀式だけで成り立っていた
わけではない。別表記載のとおり、即位の礼と大嘗祭は、既に平成二年一月二三日
の賢所で期日奉告の儀が行われた時から進行を開始し、同年一二月六日再び賢所で
即位の礼及び大嘗祭後賢所御神楽の儀が行われ、次いで大嘗宮の撤去後地鎮祭が行
われてようやく終了したのである。この一一カ月余りの間に二〇を超える皇室神道
儀式が連綿と行われ、原告らは納税者としてその意に反して、それらの費用の一部
を負担させられたものである。
周知のとおり、被告は、即位礼正殿の儀の宗教儀式性は否定していたものの、悠紀
殿供饌の儀及び主基殿供饌の儀から成る大嘗宮の儀の宗教儀式性については、それ
が神道儀式であることを明確に認めてきた。そして、大嘗宮の儀の神道儀式性を認
めることは、これにつながる賢所に期日奉告の儀から即位の礼及び大嘗祭後賢所御
神楽の儀・大嘗祭後大嘗宮地鎮祭までの一連の儀式(行事を除く)の神道儀式性を
認めたことを意味し、だからこそ、それらを国事行為として行うことができなかっ
たものである。
そこで、以下、一連の「大礼関係諸儀式等」の実態を検討し、即位礼正殿の儀が同
じ教義に基づく神道儀式の一環であることを明らかにする。
(二) 斎田抜穂の儀
(1) 悠紀斎田抜穂の儀(平成二年九月二八日。以下、特に断わらない限り月日
は平成二年とする。)
九月二五日、宮内庁から、悠紀の国・秋田県の斎田は同県南秋田郡<地名略>の農
業・C氏所有の水田に決定した旨及び悠紀斎田抜穂の儀を同月二八日に行う旨の発
表があり、天皇はD掌典(内廷費で賄われている天皇の私的使用人)を抜穂使(勅
使)として派遣した。
抜穂の儀に先立って、前日の二七日斎田抜穂の儀前一日大祓の儀が同町の馬場目川
河川敷で行われた。すなわち、同日午後三時前、大田主(斎田所有者のC氏)と奉
耕者らが待つ中、大礼委員(E宮内庁皇室経済主管・国家公務員)の先導で前期抜
穂使と随員(掌典補・宮内庁職員で国家公務員)が所定の位置に着いた。随員が大
祓の詞を呼んだ後、大麻(おおぬさ)で抜穂使と大田主、奉耕者(民間人)らを祓
い清め、祓物(はらえつもの)を川岸から馬場目川に流した。
翌二八日午前一〇時前から、斎田に隣接して設けられた仮設祭場で悠紀斎田抜穂の
儀が行われた。祭場は、東西一五間、南北一三間、周囲に斎竹を立て、注連縄を張
り巡らせたつくりであった。祭場の中には、いずれもテントで神殿、稲実(いな
み)殿、神饌所、幄舎が設置され、そのそれぞれが黒白の鯨幕で覆われていた。悠
紀斎田抜穂の儀の実態は次のとおりであった。
まず、烏帽子に白張黄単(はくちようきひとえ)に身を包んだ大田主と、白張姿の
九人の奉耕者、続いてモーニング姿の大礼委員、F秋田県知事、G五城目町長、H
県農協中央会長らが祭場に入った。午前一〇時、衣冠単姿の抜穂使と四人の布衣
(ほい)姿の随員が幄舎に入り、祓詞奏上の後、随員が斎田、神殿、稲実殿、農具
などを祓った。抜穂使が祝詞を奏上した後、三方を捧げ持った大田主を先頭に鎌を
手にした奉耕者らが斎田に入り、鎌で四束の稲を刈り取った。稲束は大田主が三方
に乗せて祭場に持ち帰り、抜穂使が点検した上で、大田主が稲実殿に納めた。抜穂
の儀が終了した後、同日午後から斎田の収穫作業が行われ、収穫された稲籾は大田
主が乾燥、脱穀をし、玄米七・五キロ、精米二一〇キロとして東京に輸送され、宮
内庁大膳課の倉庫にいったん運び込まれた。
(2) 主基斎田抜穂の儀(一〇月一〇日)
一〇月六日、宮内庁から、主基の国・大分県の斎田は同県玖珠郡<地名略>の農
業・I氏所有の水田に決定した旨及び主基斎田抜穂の儀を同月一〇日に行う旨の発
表があり、
天皇はJ掌典を抜穂使として派遣した。
主基斎田で行われた斎田抜穂の儀前一日大祓の儀、及び斎田抜穂の儀の実態はいず
れも悠紀斎田のそれと全く同一であった。
(3) 新穀供納式(一〇月二五日)
同日、大嘗宮の北西隅に建てられた「斎庫」の前で、午前九時三〇分から悠紀地方
新穀供納の儀式が、次いで午前一一時から主基地方新穀供納の儀式がそれぞれ行わ
れた。すなわち、まず大礼委員、抜穂使、掌典補が所定の位置に着いた後、大田主
が斎田抜穂の儀の時と同じ白張黄単に身をまとい、白張装束の辛櫃奉昇者(新穀を
入れた櫃を担ぐ人)に付き添って、宮内庁の倉庫から出した新穀を斎庫前に運び込
んだ。大礼委員が新米を点検した後、掌典が榊で祓い清めの儀式をした上で、掌典
補がこれを斎庫内に納めた。
(三) 即位の礼
(1) 即位礼当日賢所大前の儀及び即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀(一一月一
二日)
即位礼正殿の儀の当日である一一月一二日、正殿の儀に先立って午前九時から、宮
中三殿において天照大神等の神々に即位礼を実施することを天皇自らが奉告する即
位礼当日賢所大前の儀及び即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀が行われた。その儀式
の実態は次のとおりであった。
神楽歌が奏される中、K掌典長以下が賢所の扉を開き、天照大神に神饌と幣物を供
えた後、掌典長が祝詞を奏上した。祝詞奏上の後、A首相、L衆議院議長、M参議
院議長、N最高裁判所長官ら三権の長、国務大臣など約六〇名が幄舎に入って待つ
うち、皇太子その他の皇族も幄舎の席に着いた。午前九時、黄櫨染御袍(こうろぜ
んのごほう)より更に格式の高い純白の束帯・帛の御袍(はくのごほう)に立櫻
(りゆうえい)の冠を着けた天皇が賢所に向かった。掌典長が天皇を先導し、剣を
捧げ持った侍従が掌典長に続き、天皇の後ろから璽を捧げ持った侍従が続いた。
天皇は賢所内陣の御座に着くと、拝礼をした後御告文(その具体的内容は公開され
ていない)を奏し、即位礼を行う旨を天照大神に奉告した。そして内掌典が奉仕す
る御鈴の儀の後、賢所を退出した。天皇が退出した後、純白の御五衣(おんいつつ
ぎぬ)・御唐衣・御裳(おんも)の十二単姿の皇后が同じく内陣の御座に着き拝礼
した。皇后が退出した後、皇太子その他の皇族が庭上で拝礼し、また首相以下の参
列者もそれぞれ拝礼した。
この後引き続いて、歴代天皇と皇族を祭った皇霊殿と、八百万の神々を祭った神殿
にも、天皇がそれぞれ即位礼を行うことを奉告し、次いで皇后が拝礼し、首相以下
の参列者もそれぞれ庭上で拝礼した。
(2) 即位礼正殿の儀
即位礼正殿の儀はこの日の午後一時から約三〇分かけて宮殿松の間で行われた。宗
教儀式ではないとして、国事行為として執行されたその儀式の実態は次のとおりで
あった。
玉石が敷き詰められた正殿前の中庭には、左右に萬歳旛などが色とりどりに立ち並
び、儀式に先立って束帯や鎧の古装束を着けた威儀者と呼ばれる宮内庁職員らが、
太刀、弓、盾、矛、雅楽器を持って控えた。内外の参列者約二二〇〇人が席につい
て待つうち、A首相とL衆院、M参院両議長、N最高裁判所長官が正殿松の間に登
場、続いて黄丹袍(おうにのほう)の束帯姿の皇太子、黒の束帯姿のその他男子皇
族が登場、高御座前面の壇下に並んだ。次いで、十二単姿の女子皇族がOを先頭に
登場、御帳台の前に並んだ。
以上の者が待ち構える中、黄櫨染御袍に身を包んだ天皇が、式部官長、宮内庁長官
の先導で、侍従の捧げ持つ剣と璽に前後を挟まれしずしずと登場、北側階段から高
御座に登って姿を隠した。剣璽が高御座内の案上に置かれ、併せて御璽・国璽も置
かれた。続いて、十二単の皇后が長い裾を引いて歩み入り、御帳台に登り姿を隠し
た。松の間中央の向かって左に高御座、右に御帳台が並び、それぞれの蓋上の鳳凰
像がライトに照らされ金色に映える。侍従、女官がそれぞれ所定の位置に着いた
後、鉦(しよう。かねのこと)の音を合図に参列者が起立し、侍従、女官が深紫の
とばりを外から開けた。天皇は高御座内の椅子の前に立ち上がった。皇后も御帳台
の中で立ち上がった。鼓の音を合図に参列者が最敬礼、A首相が高御座の壇下に進
み出た。
天皇がお言葉を述べ、即位を内外に宣明するとともに、「このときに当たり、改め
て、御父昭和天皇の…御心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を
遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓」った。
続いて同首相が、寿詞(よごと)を読み上げ、天皇の即位を祝うとともに、「私た
ち国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ、心を新たに、世
界に開かれ、活力に満ち、文化の薫り豊かな日本の建設と、世界の平和、人類福祉
の増進とを目指して、最善の努力を尽くすことをお誓い申し上げます」と述べた。
寿詞を述べた同首相は、数歩後退して「ご即位を祝して天皇陛下万歳」と発声・先
導し、参列者が万歳を三唱した。これに合わせて、皇居北の丸に陣取った陸上自衛
隊が礼砲二一発を撃ち鳴らした。
参列者が鉦の合図で着席した後、天皇と皇后は高御座・御帳台を降り、侍従の捧げ
持った剣璽、御璽・国璽とともに退出し、即位礼正殿の儀は終わった。
(四) 大嘗祭
(1) 神宮に勅使発遣の儀(一一月一六日)
大嘗祭当日の神宮(伊勢神宮)奉幣(ほうべい)に出向く勅使を発遣する神宮に勅
使発遣の儀は、一一月一六日午前、宮殿竹の間で行われた。その儀式の実態は次の
とおりであった。
大礼委員が着席した後、午前一〇時に、御引直衣(のうし)姿の天皇が式部官長、
宮内庁長官の先導で登場した。天皇は幣物を点検し、勅使・P掌典に対し宮内庁長
官を通じて御祭文をことづけ、「よく申して奉れ」と述べた。
掌典によって幣物が辛櫃に納められ、勅使が幣物を持って退出、次いで天皇も退出
し、儀式は終わった。
なお、勅使・P掌典は、大嘗祭前日の一一月二一日伊勢神宮に到着、外宮の河原祓
所で御祓の後、斎館に入った。同月二二日午前四時、豊受大神宮と多賀宮で大御饌
(おおみけ)供進の儀が行われた。午前七時、御下襲(おんしたがさね)の白い裾
が足首まで垂れた黒い束帯の勅使が太刀をつけて登場、Q祭主、R大宮司以下神宮
神職がこれに従った。幣物を捧げ持った勅使は、第二鳥居で修祓を受けた後、玉砂
利を踏みしめ豊受大神宮に向かい、外玉垣南御門前で腰の太刀を取り外し御垣内に
進んだ。幣帛が神前に奉られた後、勅使が御祭文を、大宮司が祝詞を各奏上し、外
宮の祭典は終了した。その後、勅使は多賀の宮に向かい、幣物を奉り御祭文を奏上
した。午前一一時からは、内宮でも外宮同様の儀式が行われた。
(2) 大嘗祭前二日御禊、大嘗祭前二日大祓(一一月二〇日)及び大嘗祭前一日
大嘗宮地鎮祭、大嘗祭前一日
鎮魂の儀(一一月二一日)
大嘗祭を目前に控えた一一月二〇日、宮中で大嘗祭前二日御楔と同大祓が行われ、
翌二一日には大嘗宮地鎮祭と鎮魂の儀があった。
右二〇日の御禊の儀式は、午後二時から宮殿で、御直衣姿の天皇が、掌典長らの奉
仕により行った。
大祓は午後三時から、皇居正門で行われた。掌典長が大祓詞を読み上げ、大麻をと
って親王及び大礼委員等を祓い清め、続いて祓物をもって退出し、
これを都内の川に流した。
右二一日の大嘗祭前一日の大嘗宮鎮祭の儀式は次のように行われた。まず悠紀殿、
主基殿に木綿を着けた賢木を立て、米・塩・切麻を散供した後、神饌を供して祝詞
を奏上した。各神門でも同様の儀式を行い、南面神前中央で献饌して祝詞を奏上し
た。廻立殿の中央の御間、御湯殿、東の御間にも賢木を立て散供した。
また、同日午後五時から、毎年の新嘗祭にも行われる大嘗祭前一日鎮魂の儀が行わ
れた。
(3) 大嘗宮の儀(一一月二二、二三日)
大嘗祭の大嘗宮の儀は、一一月二二日夕刻から翌二三日未明にかけて、皇居東御苑
に設けられた大嘗宮で行われた。大嘗宮の儀に先立ち、賢所に大御饌が供進され、
皇霊殿、神殿に大嘗祭を行う旨が奉告された。
悠紀殿供饌の儀及び主基殿供饌の儀の中核は、それぞれの内陣での儀式であるが、
今回も一切公開されなかった。そのため、国民が事実に則してその実態云々するこ
とはできない。その余の部分の儀式の実態は次のとおりであった。
大嘗宮の儀に先立ち、神門を守る衛門と威儀の者が所定の位置についた後、K掌典
長以下掌典職が悠紀・主基両殿に神座を設け、続いて絵服(にぎたえ・絹布)・麁
服(あらたえ・麻布)が各殿の神座に置かれ、かがり火が灯された。
天皇は剣璽とともに赤坂御所を出発し、東御苑に建てられた大嘗宮の脇の控の建物
で着替え、廻立殿に向かった。廻立殿に入った天皇は、侍従の奉仕により小忌御湯
(おみのおゆ)の儀式を行い(清めのために湯を使う)、その後純白生織りのまま
の絹地で作られた祭服に着替えた。次いで、皇后も廻立殿に入り、着替えをすませ
た。
一 方、儀式を司る宮内庁職員らが南面の幄舎に着いた後、楽師が悠紀の国の稲春
歌を歌うと、女官が稲春の儀を行った。同時に掌典が掌典補を率いて神饌を調理
し、この時本殿南庭の帳場に、各都道府県から納められた庭積机代物が置かれた。
これが終わると掌典長が悠紀殿に進み出て、祝詞を奏した。
天皇は、この祝詞の後、廻立殿から悠紀殿に登場した。その列は式部官長と宮内庁
長官が先導し、侍従が左右から脂燭を持って天皇の足下を照らす。葉薦(はこも)
と呼ばれる敷物の上を侍従が捧げ持った剣璽が進み、これに続いて侍従が差しかけ
る御菅蓋(おんすげがさ)のもと、天皇が進んだ。その後ろを侍従長・黄丹御袍姿
の皇太子・束帯姿の親王・大礼副委員長の列が続いた。
天皇が外陣の御座に到着し、皇太子以下親王が小忌の幄舎(おみのあくしや)に入
った後、皇后以下女子皇族が登場した。
国栖の古風(くずのこふう)、悠紀地方の風俗歌が奏された後、皇后が張殿の御座
で拝礼し、皇族が小忌の幄舎で拝礼をすませた。次いで柴垣の外(柴垣の中は神域
とされている)に設けられた幄舎の中で待機していた参列者が拝礼した。この後、
皇后は廻立殿に戻った。
次いで、神楽歌が奏される中、本殿南庭の回廊に神饌が用意された(神饌行立)。
削木(けずりき)を執った掌典が警蹕をとなえる中、采女と掌典らによって神饌な
どが悠紀殿へ運ばれた。侍従長、掌典長が外陣に控える中、天皇は内陣に入った。
ここから先の儀式の一切は非公開であり、事実を知ることはできない。
内陣での儀式が終わると神饌が下げられ、天皇は御手水をとってから、登場の時と
同じ列を組んで廻立殿に退出した。
この後、翌二三日午前〇時すぎから、主基殿供饌の儀が行われたが、その儀式の内
容は主基殿供饌の儀と全く同じであった。
翌二四日午前、大嘗祭後一日大嘗宮地鎮祭が行われた。
(五) 即位礼及び大嘗祭後神宮に親謁の儀(一一月二七、二八日)、即位礼及び
大嘗祭後神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に親謁の儀(一二月二ないし五日)、
即位の礼及び大嘗祭後賢所に親謁の儀、即位の礼及び大嘗祭後皇霊殿神殿に親謁の
儀、即位の礼及び大嘗祭後賢所御神楽の儀(いずれも一二月六日)
天皇と皇后は、一一月二七、二八日の両日、剣璽持参で伊勢神宮(豊受大神宮)と
内宮(皇太神宮)を参拝し、即位の礼及び大嘗祭を無事終えたことを天照大神等に
奉告した。一般参賀が禁止された中、天皇と皇后は黄櫨染御袍と十二単の装束で馬
車に乗って参道を進んだ。ここでも、外宮、内宮の正殿での拝礼の模様は非公開と
されたため、儀式の内容の詳細は不明である。
同様の趣旨で、一二月二日、天皇と皇后は神武天皇山陵(奈良県橿原市)を参拝。
引き続いて同日の孝明天皇(京都市東山区)、三日の明治天皇(京都市伏見区)、
五日の昭和天皇・大正天皇(ともに東京都八王子市)と、前四代の天皇山陵に親謁
の儀を行った。
そして、同月六日には最後の宮中三殿に親謁の儀と、賢所に神楽を奏する儀式も終
わり、一連の「大礼関係諸儀式等」がすべて終了した。
(六) 即位の礼の宗教儀式性
以上によって明らかなように、即位の礼といえども一連の「大礼関係諸儀式等」の
一環であり、特別に即位礼正殿の儀とその他の儀式とをはつきり分離して論じるだ
けの根拠は何もない。そして、「大札関係詣儀式等」のうちの儀式のすべてが、登
極令に定められた詳細な様式に従って行われたことは、以上述べた儀式の次第と、
同令およびその付式とを対照してみれば一目瞭然である。登極令は、国家神道の下
で、現人神天皇を国民に徹底的に印象づけるために編み出された宗教儀式の詳細で
あるから、これに従って即位の礼及び大嘗祭の諸儀式を執行したということは、今
日の日本国民に対し、これらの儀式を通じて、知らず知らずのうちに天皇神聖観を
育む効果をねらったものと評価される。
これは正に、日本国憲法の政教分離規定と信教の自由の規定が断固排除しようとし
たことそのものであり、その違憲性は明白である。
4 即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事の違憲・違法性
(一) 憲法二〇条三項、八九条前段との関係について
憲法二〇条三項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もし
てはならない。」と規定し、国家及びその機関に対し、具体的に宗教教育という例
を挙げて、一切の宗教的活動をすることを明確に禁止した。
これにより、国民は、国家が宗教教育その他一切の宗教的活動を行うことからの自
由を保障されていると解することができる。
また、憲法八九条前段は、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体
の使用、便益若しくは維持のため……これを支出し、又はその利用に供してはなら
ない。」と規定し、国家及びその機関に対し、宗教目的の公金支出等を明確に禁止
した。これにより、国民は、公金(国費)が国家によって宗教目的のために支出さ
れることからの自由を保障されていると解することができる。
右の意味において、これらの規定は、一般にいう政教分離原則を定めた規定である
と同時に、憲法二〇条一項前段及び同条二項で保障されている狭義の信教の自由に
当然には含まれていないより広い信教の自由を保障した人権規定でもある。
ところで、即位の礼を行うことは、天皇の国事行為の一つである儀式を行うこと
(憲法七条一〇号)に該当する。
そして、前記のように、より広い信教の自由を保障するため、国家と宗教の分離を
明記し、国とその機関の宗教活動を禁止した憲法の下においては、天皇の行う儀式
は、あらゆる宗教的色彩を除いたものでなくてはならず、神道その他の宗教的儀式
であることは許されない。
また、大嘗祭も、皇室行事として、憲法上の制約を受けることはいうまでもない。
しかるに、前記3のとおり即位の礼は、即位式正殿の儀そのものが、神道儀式であ
る一連の大礼関係諸儀式の一環であり、基本的に登極令に定められた詳細な神道式
行事として実施されたものであるし、大嘗祭諸儀式も、その全体が完全な神道行為
であり、これら諸儀式・行事は、まさしく万世一系の現人神天皇の即位と統治を宣
明する皇室神道行事であり、その服属儀礼的性格及び宗教色は明白である。
したがって、即位の礼の諸儀式・行事を国事行為として行い、大嘗祭諸儀式・行事
を公的な皇室行事として行うことは、憲法の根本原理である政教分離原則(憲法二
〇条三項、八九条前段)に違反した違憲、違法なものである。
さらに、即位の礼の諸儀式・行事を国事行為として行い、大嘗祭諸儀式・行事を公
的な皇室行事として行うことが、憲法の根本原理である国民主権原理(憲法前文、
一条後段)にも違反した違憲、違法なものであることについて、以下具体的に述べ
る。
(二) 現行憲法施行の昭和二二年五月三日をもって、旧皇室典範は廃止となり、
現行皇室典範が施行された。
ところで、旧新皇室典範には左記の本質的な相違点がみられる。すなわち、旧憲法
下の旧皇室典範は皇室の憲法であり、皇室の家長としての天皇の勅定するところと
なっており、議会はこれに全く関与しなかったのに反し、現行皇室典範は国会の議
決する法律である。したがって旧憲法では大日本帝国憲法と皇室典範の二つの法典
がいずれも並んで日本の成文憲法たる性質をもっていたが、現典範は全く通常の法
律であり、日本国憲法の下にあるのである。
具体的規定内容についてみると、旧典範一〇条は「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚
シ祖宗ノ神器ヲ承ク」、一一条は「即位ノ礼及大嘗祭ハ京都二於テ之ヲ行フ」とし
ているのに対し、現行典範四条は、「天皇が崩したときは、皇嗣が、直ちに即位す
る。」二四条は「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う。」としており、天
皇が死亡した場合、皇嗣が践祚し、祖宗の神器を受けることとされていたのが、単
に即位するとされたこと、即位の礼と大嘗祭を行うこととしていたのが、即位の礼
を行うこととされた点が異なる。なお、同時に施行された皇室経済法の七条は、皇
位とともに伝わるべき由緒ある物は、皇位とともに皇嗣が、これを受けると規定し
ている。
この事実から導かれる結論は、現行皇室典範は、天皇の神聖性を否定し、且つ天皇
を国家神道という国家宗教から切り離すものとして制定されたという事実である。
旧典範にいう祖宗の神器とは、天照大神が皇孫ににぎのみことに授けたとされる三
種の神器(鏡、玉、剣)を指すものであるが、三種の神器は天皇の神権を化体する
ものであり、文字どおり国家神道の教義に基づく宗教的聖物であるところから、こ
れを前天皇から受け継ぐ行為そのものを宗教的行事とみてこれを即位式の内容から
除外し、単に皇位とともに伝わる由緒ある物(歴史的・伝承的にみて価値ある財
産)とみて、これを承継すべきことを皇室財産法に規定したものである。
また同時に、現行皇室典範が即位に係る礼式として、即位の礼のみを掲げ、旧典範
に規定されていた大嘗祭を記載しなかったことは、大嘗祭のもつ国家神道儀式とし
ての強度の性格、特に天皇の神格化のための儀式であることに着眼して、これを現
憲法下において認められる天皇儀式から排除したものとみるべきである。
ところが、政府当局はこうした法的考察を完全に怠り、あえて旧憲法下と変わらぬ
即位式、大嘗祭を強行実施したのである。
(三) 現憲法下において、公的行事である即位式全体について神道形式を用いる
ことが政教分離原則に違反することは明らかであるが、このような国家神道に立脚
した儀式・行事を行うことは現行制度下の天皇には、当該行事が公的であるか私的
であるかを問わず許されないのではないかとの問題がある。
現行天皇の地位は、一般に公的地位と私的地位に区別されるが、私的地位について
憲法は何ら規定していない。しかし、天皇の私的な行為は、一般私人の行為と同様
な程度において自由なものではない。それは天皇が象徴としての法的地位を有して
いることからの当然の帰結である。人間としての天皇は、同時に象徴としての憲法
上の公的地位に立つことから、天皇の基本権享受の範囲も、かかる公的地位に基づ
き、その地位を保持するのに必要な一定の合理的な範囲内において、ある種の制約
を受けるのはやむを得ない。天皇が天皇たる地位において服さなければならない基
本権の事例としては、選挙権・被選挙権、政党加入の権利の制限、国籍離脱、居住
移転の自由の不存在、婚姻の要件としての皇室会議の議決(皇室典範一〇条)、養
子の禁止(同九条)、財産の授受の制限(憲法八条)等がある。もし天皇がこうし
た制限を受忍することができない場合は、天皇は天皇の地位を辞任することによっ
て人間としての基本権の回復を図るべきものである。
天皇は、憲法によって、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるとされ、
またこの地位は、主権の存する日本国民の総意に基づくとされているのであって、
天皇が国民主権や憲法の他の基本条項と矛盾する存在であることは憲法上否定され
ているのである。したがって、天皇は、公的行為のみならず天皇の私的行為もその
内容によっては憲法条項による制限を受ける場合がある。
例えば天皇が靖国神社へ参拝する行為は、形式上これを公的行事とせず私的行事と
して行ったとしても、天皇の持つ法的地位によって、公的と私的との間に明確な一
線を画することは困難であるから、天皇の憲法上の性格から許されないといわねば
ならない。
以上により、天皇が即位式から始まり、即位の礼並びに大嘗祭までの即位に伴う諸
儀式を旧憲法時代と同じ神権天皇制における即位儀式と同じやり方で、神道形式に
基づいて行ったことは、象徴天皇の法的地位と矛盾し、憲法の基本原則としての国
民主権を侵害する違憲行為であったことは明らかである。
(四) 憲法判断と裁判所の憲法秩序保障機能
近時、いわゆる憲法訴訟において、一般に裁判所は憲法上の争点については判断を
回避する傾向がある。憲法判断の回避は、憲法八一条が採用する違憲審査制がいわ
ゆる付随的審査制であることから導かれるものであるが、しかし付随的審査制であ
ることからすべての場合に憲法判断の回避が正当化されるものではない。裁判所は
いたずらに憲法判断に消極的になるのではなく、とりわけ多数決原理によっては救
済され得ない少数者の人権擁護や精神的自由にかかわる問題においては、積極かつ
果敢に違憲審査権を行使すべきであって、小手先の法技術に頼って目前に提起され
た重大な憲法問題を棚上げすることは、国民の司法に対する信頼に応えるゆえんで
はないばかりか、裁判所の任務放棄というべきである。
本件訴訟における最も重大な争点は、即位の礼、大嘗祭への国費の支出が憲法の政
教分離原則に反するのではないかということである。政教分離原則は、それが制度
的保障であれ、人権規定であれ、少数者の信教の自由の保障という目的と機能を持
つものであることは明らかなところである。それは国家と宗教の結びつきを禁じる
ことによって、その時々の多数者から少数者の信教の自由(信じない自由をも含
む)を守ろうとするものであるから、もともと多数決原理になじまないものであ
る。裁判所は、多数決原理が支配する政治部門たる国会や内閣とは異なり、多数者
の意思に逆らっても人権保障のために機能することが求められており、この意味で
裁判所は人権保障の砦であり、政教分離について憲法判断が求められるような時こ
そ違憲審査権の積極的な行使が求められるのである。
憲法判断回避を正当づける論拠として、しばしば統治行為論や、民主制の観点から
国会の判断の尊重などが唱えられているが、仮にこれらの論拠が是認されるとして
も、それらは、例えば条約締結の当否とか国会解散の適否とかあるいはある種の経
済立法の当否など、いずれも多数者意思若しくは多数決原理の下での政治支配原則
に委ねることが可能若しくは適切な場合に関するものである。ところが、本件訴訟
で争われているのは、本件国費の支出が政教分離原則に反するか否かであって、政
府の外交政策や経済政策の当否が争われているわけではなく、まして国会決議の当
否が争われているのでもない。したがって、本件においては司法の自己抑制、司法
消極主義を裏付けるなんらの合理的事情も存在しない。
政教分離原則が問われている本件は、むしろ違憲審査権行使に最適の事案というべ
きであろう。
5 請求の趣旨1に係る訴訟の納税者訴訟としての性格
(一) 原告ら納税者は、所得税や消費税、その他の普通税を支払うことによっ
て、国費の財源を分担しており、違憲の国費支出があった場合、納税者の負担した
金銭が憲法条項に反する目的に使われた結果、原告ら各自の、違反された憲法条項
に関連する何らかの権利ないし利益が侵害されたことになる。
納税者の有するこのような利害関係は単なる国民一般の地位とは根本的に異なって
おり、このような一人一人の具体的な利害関係に基づく訴えは主観訴訟といえる。
また、請求の趣旨1に係る差止及び違憲確認の請求は、国費の支出を原告らに向け
られた行政処分ととらえることを前提としておらず、この意味で請求の趣旨1に係
る請求は、通常の民事上の差止及び違憲確認の請求である。
以下、原告らが納税者としての立場で提起した本件訴訟が主観訴訟であり、裁判所
法三条の法律上の争訟に該当することを述べる。
(二) 納税者基本権の法的根拠
(1) 国による租税の課税徴収権限の淵源と納税者による財政監督権限
日本国憲法が財政民主主義の原則に立っていることについては異論がない。
右財政民主主義とは、国の財政は、国民に由来するものであり、国民の意志に基づ
いて処理され、国民全体の利益、幸福のために運用されなければならないというも
のであるが、右原則は単なる「財政議会(議決)主義」に矢矮化されてはならず、
主権者国民による財政コントロールの原則として理解されなければならない。
わが国は租税収入によって国政のための費用(国費)のほとんど全額を賄っている
という意味で、基本的に「租税国家」である。これは、国民の、国民による、国民
のための政治を行うために必要であるが故に、その費用の負担を国民に求めること
が許されているのである。国による国民に対する租税の賦課徴収権限の憲法的淵源
は正にこの点にあり、この点以外にはない。日本国憲法はこの原理を、「国政は…
国民の厳粛な信託によるもの」であるという表現で明確に述べている(憲法前文一
項)。
(2) 信託法の類推
原告ら国民による国に対する租税の支払いは、その根本的趣旨において、信託法で
いう「信託」(他人をして一定の目的に従って財産の管理又は処分をさせるため
に、その者に財産を移転することと極めて類似した性格を有している。したがっ
て、現実に国費を負担している納税者と国との権利義務の関係は、憲法条項そのも
のに規定がない部分については、信託法の法理を類推することによって理解するこ
とが適当である。
信託法上の信託にあっては、受託者(納税者による租税の支払の場合には国)は、
「信託行為の定むる所に従い信託財産の管理又は処分を為すことを要」し(信託法
四条)、かつ、信託の本旨に従ひ善良なる管理者の注意をもって信託事務を処理す
ることを要す」る(同法二〇条)とされている。原告ら納税者による国政の信託に
おける「信託行為の定むる所」ないし「信託の本旨」が、日本国憲法の諸規定、と
りわけその根本規範をなす国民主権主義、平和主義、基本的人権の尊重であること
は異論がない。
日本国憲法の下に組織される政府にあっては、いかなる違憲の目的のためであって
も租税を徴収できるとか、一旦徴収した租税はどのような使途に用いようが勝手で
あるというようなことは、到底容認されない。政府は、憲法によって指し示された
信託の本旨に従わなくてはならない。それは、納税者国民には、国による租税の課
税徴収と国費の使用が憲法条項にのつとってなされることを求める権利があること
を意味する。
(3) 国の財政権限に対する明確な制限条項の存在
憲法八九条前段は、公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、
便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業
に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」と定め、政教分離原則
に反する公金支出及び公の財産の利用等を一点の疑いもないまでに明確に禁止して
いる。
財政権を行使し、国政を運営するに当たって、少なくともこの明確な禁止命令に違
反することは、納税者国民の特定的明示的意思に真向から背く第一級の信託違反に
ほかならない。そのような明示的禁止命令違反の国費支出があったときには、納税
者は、自己もその一部を負担している租税収入が、信託の本旨に反して使用された
ものとして、その是正を裁判所に求めることができるのは当然のことである。
(4) 憲法三二条の「裁判を受ける権利」は納税者基本権の保障規定
違憲の国費支出の是正を求めて訴えを提起する納税者の右権利は、単に憲法構造の
解釈から導き出されるばかりではなく、憲法三二条の「裁判を受ける権利」に包含
され、同規定によって保障されている。
ア 憲法三二条は、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と
規定している。判例は、同規定の趣旨について、民事事件及び行政事件において
は、何人も自ら訴訟を提起し救済を求め得る、すなわち、訴訟法上適法な出訴がな
された場合に裁判所による裁判を拒絶されないことを保障しているにすぎないとい
う解釈をしてきた。
イ しかしながら、このような解釈は、憲法三二条をおおむね旧憲法第二四条の延
長線上のものにおとしめるものであり、不当である。
わが国においては、旧憲法二四条で初めて、「日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ
裁判ヲ受クル権ヲ奪ハルルコトナシ」として裁判を受ける権利が定められた。しか
し、同時に六一条に、「行政官庁ノ違法処分ニ由り権利ヲ傷害セラレタリトスルノ
訴訟ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判二属スルヘキモノハ司法裁判
所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラス」と定められていた関係上、右二四条は、もつぱら
民事訴訟を提起する権利(訴権)を定めたものにすぎないと解釈されていた。
これに対し、日本国憲法三二条においては、民事事件のみならず行政事件における
訴権が認められていることは明らかである。判例は日本国憲法三二条と旧憲法二四
条との間にあるその点の差異を認めてはいるものの、日本国憲法三二条の「裁判を
受ける権利」についても、相変わらず訴権という範囲での保障にすぎないとの解釈
にとどまっているようである。
しかし、日本国憲法三二条は、法治国における法の下の平等を確保するために、独
立の司法機関である裁判所のあることを前提として、すべての人に裁判所の裁判を
受ける権利を認めることによって、基本的人権の擁護について、平等かつ完全な手
段を保障したものである。
警察国家時代の君主や政府によって左右される、専断司法、内閣司法を排除し、司
法権を独立の裁判所に行わせることとし、人は平等に、法律によってあらかじめ組
織権限の定められた裁判所の裁判を受ける権利を享受することができるとすること
は、今や世界各国において普遍的な原理となっている。このような趣旨・目的から
すれば、憲法三二条は、いわゆる訴権を保障した規定というにとどまらず、基本的
人権の保障の完全を期するために、具体的事案に応じて、紛争解決のために有効と
考えられる内容の保護を求める権利をも保障したところの、具体的な内容を持つ条
項として解釈されなければならない。そのように解釈することこそが、基本的人権
の最大限度の尊重を使命とする日本国憲法の実効性を担保することに資するもので
ある。
したがって、憲法上の基本権が侵害され、あるいは侵害されようとしている国民が
裁判所に対して憲法訴訟を提起し、かつ、実効性ある判決を求めることも憲法三二
条によって具体的権利として保障されているというべきである。
ウ 納税者基本権について、憲法に明文の直接的な規定がないことは事実である。
しかしながら、国家による国民の重大な権利侵害が行われ、あるいは行われようと
している場合に、たまたま地方公共団体の場合の住民訴訟のような規定が存在しな
いというそれだけのために、国民が裁判による実効性ある救済を求められないとい
うのは、明らかに日本国憲法の根本原理に反する。国家による人権侵害に対して
も、当該侵害を受けた国民は、当然に憲法違反を理由として国家を訴えることがで
きなければならないのである。
しかも、この場合、権利侵害を被った者が特定の個人や団体、又は集団である場
合、当該個人、団体又は集団が国を訴えることができるのは当然であるが、本件の
国費支出行為のごとく、国による違憲な人権侵害が不特定多数の国民に向けられて
いる場合にも、侵害の対象が不特定であるという理由で、それらの不特定多数の国
民が各個に、あるいは集団としてまとまって、国を訴える権利が否定されるもので
はない。なぜなら、侵害の対象が不特定多数であっても、裁判に訴える国民一人ひ
とりは、まさしく自分の具体的権利を国によって現に侵害されたからそうしている
のであり、そのような国民一人ひとりに、裁判制度によって救済されるべき個別的
具体的権利が認められるのであり、それは、決して一般的抽象的権利などではない
からである。
エ 以上のとおり、納税者基本権は、国民一人ひとりに具体的権利として保障され
ている憲法三二条の「裁判を受ける権利」に含まれており、かつ同規定によって、
保障されているのである。
(5) 地方自治法上の住民訴訟の規定の存在
納税者基本権が単に理論上のものではなく、実定法によって保障された権利であ
り、現実に裁判規範として機能している権利であることは、地方自治法上の住民訴
訟制度の存在から推知できる。
住民訴訟は、日本国憲法制定後、地方自治法の第二次改正(昭和二三年)のとき、
旧地方自治法二四三条の二(昭和三八年法律第九号による改正前の規定)の中に、
初めて規定された。それは、国民主権を明確にした新憲法の下で、アメリカ法の納
税者訴訟の思想が移入されて、明文で制度化されたものである。この制度の背景に
は、納税者に憲法違反の国費支出に対する監督権限(納税者基本権)を認める法思
想がある。
わが国が戦後アメリカ法の納税者訴訟を地方自治法によって、住民訴訟として制度
化したことは、訴訟要件等を明確化し、これについての無用の紛争を未然に防止す
ると同時に、原告適格を本来の納税者の範囲から拡大して利用しやすくしたにすぎ
ない。アメリカ法の下で発達した納税者訴訟が地方自治体において、その原告適格
の範囲を拡大してまで認められるならば、国についての納税者訴訟の制度がいまだ
制度化されていないからといって、それが国を相手にした訴訟については認められ
ないとする法はない。
(三) 納税者基本権の定義と内容
(1) 定義
納税者が有している右のような権利を、原告らは納税者基本権と呼ぶ。納税者基本
権とは、「憲法に適合するように租税を徴収し、使用することを国に要求する権
利」、「憲法条項に従うのでなければ、租税を徴収され、あるいは自己の支払った
租税を使用されない権利」である。
すなわち、国費の使用に関して、すべての納税者は、租税の徴収者である国に対
し、自己の支払った租税が憲法条項に従ってのみ使用されることを期待し、要求す
る権利を有するのである。
(2) 具体的内容
信託法上の信託にあっては、受託者が信託の本旨に反して信託財産を処分したとき
は、「委託者、…受益者…は其の受託者に対し損失の填補又は信託財産の復旧を請
求することを得」る(同法二七条)ばかりでなく、「受益者は相手方又は転得者に
対し其の処分を取消すことを得」る(同法三一条)とされている。
民事上の信託にあってすら、委託者や受益者はこのような強力な権利を認められて
いるのであるから、憲法上の信託ともいうべき租税の支払の場合にあっても、租税
という金銭の委託者であり同時に受益者でもある原告ら納税者は、少なくとも憲法
八九条のごとき特定的で明確な憲法上の禁止規定に違反した国費支出については、
信託法の類推により、同法上の前記各権利に相当するものとして、
(1) 憲法違反の国費支出を差し止め、
(2) あるいは、支出後にあってもその支出の違憲確認を求めて出訴し、
(3) それが適当な場合には、責任ある者ないし受益者に対する損害賠償を請求
する。
等の権利を有しており、これによって憲法違反の国費支出の中止、再発防止、補填
等の方途を保障されていると考えるべきである。
(四) 法規範としての明確性
納税者基本権は、租税を国に支払う国民の期待する福利が正しく達成されることを
確保し、支払った租税があらぬことに浪費され、あるいはそれを超えて納税者の基
本的人権に脅威を与えるようなことのないことを確保するために、納税者に当然認
められた前記(1)ないし(3)の内容を有する基本的人権である。それはまた同
時に、日本国憲法による憲法秩序の維持のため、納税者である国民に付託された最
も重要な憲法上の権能としての性格をも有する。
参政権に法規範性があるのと同様に、このような性格を有する納税者基本権に法規
範性があると考えるべきは当然である。
また、既に見たとおり、その法規範としての内容も十分明確であって、その具体的
適用を不可能とすべき理由は全くない。
(五) 納税者訴訟は客観訴訟であるとの謬論
ところで、従来は一般に、納税者訴訟は客観訴訟であり、特別の法律規定がない限
り我が国に裁判制度上許容されないとされてきた。これは全くの謬論である。
以下では、納税者訴訟を、アメリカにおけるタックスペイヤーズスーツと同義に、
「国民が当該年度の具体的な納税者として、国又は公共団体の違憲ないし違法な行
為を是正するために提起する訴訟」と理解し、その趣旨で論を進める。これに対
し、民衆訴訟という用語は、講学上の客観訴訟と同義に、「国又は公共団体の機関
の、法規に適合しない行為の是正を求めるために、国民が自己の法律上の利益にか
かわらない資格で提起する訴訟」と定義しておく。
(1) 従来の学説・判例が、国に対する納税者訴訟は許されないとしてきた根拠
ドイツ蓋法学は、違憲の国費支出に対する納税者による直接のコントロールを伝統
的に否定する。わが国の憲法学説は、戦前からその強い影響下にあり、アメリカ憲
法の流れを直接に受け継ぐ新憲法が制定された後にあってもなお、その伝統的ドイ
ツ法的思考方法を脱却することができないでいる。
伝統的な憲法学説が、違憲の国費支出に対する納税者訴訟を否定する根拠は、税法
がとっている論理構成を前提に、国民による租税の支払いと政府による国費の支出
とは法的に何等関連がないから、たとえ違憲の国費支出があったとしても、それに
よる納税者の具体的権利侵害などそもそも存在せず、事件性がないというにある。
この論理は、税法上の論理のみを見て、国費は納税者によって負担されているとい
う厳然たる事実に眼を閉じた虚像にすぎない。このことは、格別の訴訟法の定めの
ないまま、納税者訴訟を当然のように認めているアメリカの裁判制度を検討するこ
とによって一層明らかになる。
(2) アメリカにおける納税者訴訟の背景になる思想
納税者訴訟は、英米において長い伝統をもつ訴訟類型である(日本国憲法は、アメ
リカ憲法の影響を強く受けて誕生したという憲法制定の経過に照らしても、これら
の国と我が国とで、司法権の本質・範囲、事件性・争訟性についての考え方は大き
く異なるところはない)。
アメリカの判例は、納税者基本権という概念を持ち出さないものの、納税者訴訟を
納税者の具体的権利に基づく訴訟、すなわち主観訴訟としてとらえている。その理
論的根拠としては、大きく分けて
(1) 株主訴訟類推説(株主は会社のために信託違反を理由として、役員等の違
法行為の差し止めや損害賠償請求ができるという法理を類推する説)
(2) 税負担増加説(公の基金の違法な支出は、納税者個々人に対して将来の税
の増加を来すから、これを阻止するために納税者に原告適格を認めるとする説)
の二種類が用いられている。
このような理論によってアメリカでは、行政事件訴訟の原告適格の要件たる「原告
の受けた損害が実質的であり個人的であること」という条件が充足されていると認
めてきたのである。
(3) 納税者訴訟と住民訴訟の共通点と相違点
旧地方自治法二四三条の二の中に、アメリカ法の納税者訴訟制度が規定化されたと
き、国会において、
政府委員は
「租税負担者として、自分の出した金の使い方について異存があります場合、直接
的になんらかの発言をする方法をもつということは、むしろこれは当然の欲求では
ないだろうかというところから、こういうような規定をもうけた次第である」と説
明しているが、これが納税者訴訟の本質である。
しかし、住民訴訟制度が納税という要件を外して規定されたことに引きずられ、そ
の後は納税者訴訟が納税者としての主観的権利に基づくものであることは忘れ去ら
れ、住民訴訟が民衆訴訟として規定されたことから、納税者訴訟までも民衆訴訟で
あるとの誤った理解が浸透して行った。そして、昭和三七年の行政事件訴訟改正に
よって、住民訴訟が法文上完全に「民衆訴訟」の範疇に組み込まれた結果、住民訴
訟とは本来別個の概念である納税者訴訟までもが、法律の定めがある場合に限り提
起できるとして制限的に理解する考えが支配するに至った。
納税者訴訟が客観訴訟であるという見解には、右のような歴史的経過があるが、そ
れが謬論であることはもはや明らかである。
(六) 結論
以上述べたとおり、原告ら納税者の地位は、租税の支払という事実によって単なる
国民一般からはつきりと区別されており、納税者基本権を保障された者として、憲
法違反の国費の支出に関し、裁判に訴えて、その差止、違憲確認、損害賠償請求等
の形態による救済を求めることができるのである。そのような訴訟が、自己の法律
上の利益にかかわる資格で提起する訴訟であることは明らかである。
よって、原告らの請求の趣旨1の訴えは、何ら客観訴訟でも民衆訴訟でもない。
6 請求の趣旨1(二)に係る訴訟の性格
(一) はじめに
被告国の明白な憲法違反の行為について、原告らが裁判所に対してその違憲確認を
求めることは、憲法第三二条の国民の裁判を受ける権利の行使にほかならないので
あり、憲法第八一条が司法審査制を定めていることからしても、被告国の明白な憲
法違反の行為は裁判所による司法判断を当然受けるべきである。この場合問題とな
るのは、国により権利ないし法益を侵害された原告らが、具体的にどのような形で
訴訟を提起し、違憲の主張を行い、裁判上の救済を受けることが出来るのかという
問題であり、以下、本件違憲確認訴訟の適法性について詳述する。
(二) いわゆる「訴訟法の留保」について
従来の司法審査に関する論議は、本案審理に関心を限定し、実体法令や処分と憲法
との適合性のみが論議されてきており、訴訟手続に対する憲法的要請には十分な考
慮が払われないできた。このため従来の司法審査の論議においては、実定訴訟法の
規定する訴訟要件をすべてパスした訴訟においてのみ、憲法と実体法令や処分との
適合性に関する司法審査が問題とされてきたのである。
司法審査制の導入によって、人権規定における「法律の留保」が克服されたとされ
るが、従来の論議ではこれはあくまで憲法の基本的人権規定が実定実体法令との関
係で「法律の留保」に服することなく、それ自体裁判規範性を有するに至ったこと
を意味するにすぎない。その反面として、司法審査を受ける前提として不可欠なは
ずの、訴訟要件、訴訟類型を巡る憲法論は脱落しがちとなり、訴訟要件、訴訟類型
は、専ら実定訴訟法の規定するがままに任されてしまった。すなわち、訴訟要件
(とりわけ抗告訴訟における原告適格)及び訴訟類型のレベルでは、厳然として
「法律の留保」が続いているといえるのであり、いわば「実体法の留保」は司法審
査制によって克服されたが、「訴訟法の留保」は手つかずのまま残っているのであ
る。
しかしながら、「基本的人権の侵害に対しては、たとえそれが立法による侵害であ
っても司法的救済が与えられるべきである。
」という司法審査制の理念からすれば、司法的救済のための手続規定である実定訴
訟法の規定する訴訟要件、訴訟類型それ自体も憲法に照らして司法審査に服さなけ
ればならないことは当然である。右の憲法上の要請からすれば、裁判所は、仮に実
定訴訟法に抵触する訴でも、さらに実定訴訟法に規定のない訴でも許容した上で本
案審理に入らねばならない場合があり、また実定訴訟法の解釈についても、基本的
人権の侵害に対する司法的救済の要請を最大限尊重して、弾力的にまた拡張的に解
釈を行う必要がある(最判昭和五一年四月一四日)民集三〇巻三号二二三頁)参
照)。
(三) 本件違憲確認訴訟の適法性について
(1) 憲法上の要請と訴訟手続
国民の憲法上の基本的権利が国の行為によって侵害された場合には、裁判上できる
だけその是正、救済の道が開かれるべきであるという憲法上の要請に照らせば、出
訴の形式や出訴要件を定めた実定訴訟法は、その憲法上の要請にかなうよう弾力
的、拡張的に解釈されねばならない。また、現行実定訴訟法が訴の類型を認めてい
ないという理由により、国民の基本的権利の侵害に対する裁判上の救済を拒否する
ことは許されず、裁判所は現行の実定法を手がかりとして、その救済を実効あらし
めるための手続を考案しなければならない。
(2) 法律上の争訟性
裁判所法第三条一項は、「裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一
切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する」と規定
しており、右の「法律上の争訟」とは、通説・判例によれば、「当事者間の具体的
な権利義務、又は法律関係の存否に関する紛争であって、法律の適用により終局的
に解決し得るべきものをいう」とされている。
これを本件についてみると、原告らの憲法で保障された基本的人権の具体的侵害が
あり、しかもその侵害は既に現実のものとして生じているのであるから本件争訟は
裁判的解決になじむ段階に達しており(事件としての成熟性)、裁判所法第三条一
項に定める「事件性・具体的争訟性」を具備していることは明らかである。
(3) 訴の類型としての確認訴訟の適法性
本件では、即位の礼・大嘗祭が国費により既に執行されている。したがって、現時
点においては、その憲法違反性が明白な国の右行為が違憲であることを確認する旨
の判決が、原告らと国との間の本件紛争を解決し、原告らの憲法上の基本権の侵害
に対する効率的救済方法の観点から、最も適切、有効なものであり、本件について
は確認の利益も当然認められる。
本件のような国による憲法違反が明白な事案においては、判決主文においてその違
憲性が宣言されなければならない。
(4) 当事者適格
原告らは、憲法上の基本権の侵害を受けたとして、その侵害に対する防御、回復を
求めているのであり、本件は主観訴訟で客観訴訟ではないのであるから、原告適格
は当然認められる。
本件の即位の礼・大嘗祭は、特定行政庁によって執行されたものではなく、国によ
って執行されたものであるから、原告らの権利侵害を行った主体である国が被告適
格を有していることもまた当然である。
(5) 結論
以上述べたとおり、憲法上の基本権侵害に対して、できる限りその救済のための裁
判上の保障が与えられねばならないという憲法上の要請に照らして訴訟手続きの解
釈・運用を行えば、本件違憲確認訴訟は訴訟類型や当事者適格、訴の利益などの訴
訟要件は十分に充足していると考えられるべきであり、司法的救済を裁判所が拒否
することは、憲法上許されないのである。
7 被告の違憲・違法な行為による原告らの法益侵害
(一) 請求の趣旨2に係る訴訟の性格
請求の趣旨2に係る請求は損害賠償請求であり、不法行為訴訟である。しかし、同
時に国民の行政に対する民主的コントロールの手段として国家機関の違憲・違法行
為の是正・抑止という機能をも担った訴訟である。国民が自らの信託に基づく行政
を監視し、そこに違憲と目される非があると考える場合、これを是正するための手
段を講ずることは国民主権から導かれる当然の要請であり、これに応えるために、
その司法的手段としての訴訟が認められていると考えなければならない。
我が国の訴訟制度は、地方公共団体の機関の法規に適合しない行為(例えば違法な
公金支出)の是正を求める訴訟として地方自治法において住民訴訟の制度を設けて
いるが、国の機関の違法行為是正のための訴訟については、公職選挙法上の選挙訴
訟のほかは何ら明文の規定を置いていない。そこで、このような不備を補完するも
のとして、国の機関の違憲行為の是正をも目的とした本件の如き不法行為訴訟のも
つ意義に着目しなければならない。そして、本件訴訟はいうまでもなく憲法訴訟と
して位置づけられるべきものである。
(二) 信教の自由の侵害
ところで、本件損害賠償請求訴訟を国の機関の違法行為是正のための憲法訴訟とし
て位置づけるとしても、それが主観訴訟(不法行為訴訟)である限り、そこには何
らかの特定の権利・利益の侵害があるという法的構成をとることになる。
そして、本件訴訟を前記のとおり民主的統制の原理に支えられた訴訟としてとらえ
る以上、そこでの権利・利益の概念は、伝統的な型の主観訴訟におけるそれよりも
可能な限り広く解釈すべきものである。このような権利概念の拡張的構成は、政教
分離等の憲法秩序の保障を司法によって確保することを目指す現代型憲法訴訟の要
求でもある。
原告らが主張する「宗教目的の公金支出からの自由」「国家の宗教活動からの自
由」は、このような要請に応じて構成されたものである。これらの自由や権利の概
念は、天皇家の宗教である神道への畏敬崇拝を当然視させようとする国家機関の企
みから、市民の精神の自由を守るという実に今日的要請に応えるものである。日本
国憲法の政教分離規定によっても担保されている信教の自由の侵害とは、本件に則
して言えば、天皇家の神道儀式に国費を支出することが、神道と国家との結び付き
の象徴若しくは明治憲法下の伝統復活の象徴としての意味を持ち、そのため市民の
中に皇室や皇室神道、神社神道を批判することを「自粛」せざるを得ない状況が作
り出されることなのである(裕仁天皇の死亡前後におけるあの異様な「自粛」現象
を想起されたい)。明治憲法下にあっては神社神道が事実上国教化されて特権的地
位を有し、神社に対する「崇敬」が神権天皇制下の「臣民の義務」として国民に強
要された。日本国憲法の政教分離規定が、このような明治憲法下の国家神道体制に
対する厳しい反省とそれに対する根本的批判に基づき定立されたものであることを
考えると、右のような信教の自由に対する侵害のとらえ方は、正に日本国憲法第二
〇条が保障する「信教の自由」に則したものというべきである。
(三) 主権者としての地位の侵害
即位の礼及び大嘗祭はその性格上、日本国憲法の基本である国民主権原則に反し違
憲であり、これが執行されたことによって、原告らはそれぞれが主権者である法的
地位の侵害による損害を被った。
日本国憲法は、前文において、主権が国民に存することを宣言し、第一条において
は、天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基づくことを明らかにしている。
日本国並びに日本国民統合の象徴としての天皇の地位は、旧憲法におけるように神
聖不可侵のものでないことはもとより、国の元首ないし統治権の総攬者であっては
ならないのであり、憲法六条、七条に規定する国事行為を内閣の助言と承認を得て
行うことにとどまるのである。したがって、天皇は、象徴としての意味において、
国の一機関であり、これに必要な限度において一定の国費が支出されることが認め
られ、また国家機関としての地位に伴う一定の配意を受けることが認められる地位
にあるものであるが、右の限度を超えて、国民に対し敬意の表明を強制し、あるい
はその機関としての行為につきこれに必要な一定限度以上の国費の支出がなされる
ことは、憲法上これを認めることはできない。
ところが、現実に実施された即位の礼、大嘗祭においては、天皇の即位に名をかり
て、天皇に対し国民を超越し国民に君臨する性格を付与し、かつ、国民に対しこの
ような天皇に対し、敬意を強制することが、儀式の形式において強行された。その
主要なものを記載すると、前記のとおり、即位の礼において、天皇は、神格化天皇
の即位の礼のために製作された歴史的遺物である高御座に上がり、内外の参列者を
見下ろす位置に立って、即位の言葉を述べ、天皇の位置より一・三メートル低い位
置で天皇と対面する内閣総理大臣から寿詞の奉答を受け、その後、内閣総理大臣の
発声による天皇陛下万歳の三唱を受けた。この儀式の形式は旧憲法時代の即位儀式
に関する登極令を範とするものであり、多少の修正はなされているものの、その本
質において、旧憲法下における即位の礼式を踏襲するものであって、到底現行憲法
下の即位儀式としては認められない。すなわち、日本国の主権者は国民であり、天
皇はその地位を国民の合意によって付与されるのであるから、即位式の形式は、右
の趣旨を明確にするものでなければならない。これを明確にするためには最小限
度、左記の点が儀式に導入されていなければならない。
第一に、天皇は国民の代表が列席する位置と同じ平面に立たねばならない。外国の
国王の即位の場合のように、少なくとも国民の代表中の代表である内閣総理大臣と
は同じ平面に立つべきである。これは国民がその総意に基づいて天皇の即位を承認
するのであるから、承認権を持つものが承認されるものと少なくとも対等以上でな
ければならないことから当然である。第二に、国民が天皇の即位を承認することに
対する感謝の意が天皇の言葉に含まれていなければならない。第三に、「天皇陛下
万歳」の三唱は、旧来、天皇への忠誠を示す臣下の礼とされており、これを国家儀
式である即位の式において行うことは甚だ非常識であり、国民主権的立脚点からみ
て認められない。仮に万歳三唱が必要であるなら、三唱の趣旨として、天皇だけで
なく、日本国民の健康と幸福を祈念する文言が明記され、天皇も三唱に合流するも
のでなければならない。
また、大嘗祭については皇室の公式行事とされ、多額の国費が支出され、また三権
の長を初めとする七〇〇名以上の国民の代表がこれに参列しているところである
が、その行事の内容は、公開をはばかる秘儀であり、天皇が先祖神である天照大神
と一体化を果たすという時代錯誤も甚だしい儀式であり、国民主権の下にある象徴
天皇制とは全く異質の、これと矛盾するものである。
このように顕著な違憲性を有する即位の礼、大嘗祭の儀式が、前者は天皇の国事行
為として、後者は皇室の公式行事として実施されたのであるが、この場合におい
て、天皇及び皇室が憲法上の制度であり、かつ右儀式が国の公式の行事であること
から、国民の代表である立法、行政、司法の各機関の長及び各機関を代表する地位
にある国家機関の構成員さらには、地方公共団体や各種の公共的団体の長らまで
も、これに出席することを義務づけられて出席したのである。
これらの出席者が、国民の代表であるという資格に基づき、即位の儀式に出席を義
務づけられて出席したということは、原告ら国民も、その代表を通じて、間接的に
ではあるが、これに出席することを義務づけられたことになる。また、現実には出
席しない国民も、即位式当日は休日にするとする法律により、即位式に参加するこ
とを要請された。
国民の即位式への出席又は参加が義務づけられているということは、誰が国民の代
表に選ばれたとしても、即位儀式への出席義務を回避できないということからも説
明が可能である。すなわち、国民各自は、その代表が即位儀式に出席することを義
務づけられる地位にあることを通じて、間接的に即位式への出席を義務づけられる
法的地位にあるということができる。したがって、即位儀式に出席した国民代表が
この中で経験した事柄は、国民代表を選出した母体である国民各自の経験に擬制す
ることができる。
換言すれば、国民代表の即位儀式への出席は国民にとって無関係の事柄ではなく、
自己体験につながるものであり、国民代表が即位儀式に出席することによって被っ
た違憲行為による侵害は、国民各自が被った侵害と考えることができる。
8 原告らの損害
前記のように原告らは、いずれも納税者であり、本件詣儀式・行事の費用が国費か
ら支出される限り、原告らが好むと好まざるとにかかわらず、その一部を負担させ
られることにより、本件諸儀式・行事が国事行為ないし公的性格を有する儀式・行
事として執行するのに加担させられることになるし、本件諸儀式・行事にそのよう
な意味づけがされることを承認したことになる。
さらに、原告らは主権者たる国民として、主権者の承認の下に即位する天皇に対
し、従属的、臣下的地位を強制された。
右体験がたとえ一回性の体験であったとしても、これを契機として、天皇に対して
主権者としての対等の法的地位を保持することが著しく困難なさしめられたのであ
るから、その侵害は継続的なものである。
原告らは納税者及び主権者として、このような被告の八一億円もの巨額の国費の支
出を伴う憲法違反の権利侵害行為によって、耐えがたい精神的苦痛を被っている。
右苦痛を金銭に評価すれば一人当たり一万円を下らない。
9 結論
よって、原告らは、被告に対し、憲法二〇条三項及び八九条前段によって保障され
た自由を侵害された納税者としての地位に基づき、主位的には本件諸儀式・行事に
対する国費の支出の差止めを、予備的には本件諸儀式・行事を国費により執行する
ことが違憲であることの確認を求めるとともに不法行為による損害賠償請求権に基
づき原告一人当たり一万円の損害金の支払を求める。
二 被告の本案前の主張
1 請求の趣旨1について
(一) 請求の趣旨1の請求原因として、原告らは、納税者としての地位を有する
者であり、かつ、憲法二〇条三項に基づく国家が宗教教育その他一切の宗教的活動
を行うことからの自由及び憲法八九条前段に基づく公金(国費)が国家によって宗
教目的のために支出されることからの自由を保障されているところ、本件諸儀式・
行事の国費による執行は、納税者である原告らが、本件諸儀式・行事に要する国費
の一部を負担させられることになり、その結果、違憲な本件諸儀式・行事に加担さ
せられ、承認したものと扱われることになり、原告らの右自由が侵害される旨主張
する。
要するに、原告らの右主張は、憲法二〇条三項及び八九条前段によって保障された
自由を侵害された納税者としての地位に基づくものであることに帰着する。
しかしながら、憲法二〇条三項及び八九条前段の各規定は、国家と宗教との分離を
制度として保障することにより、間接的に信教の自由を保障しようとするいわゆる
制度的保障規定であって、国民個人に対して直接信教の自由を保障する権利保障規
定ではなく、国及びその機関が行うことのできない行為の範囲を定めて国家と宗教
の分離を制度として保障したにすぎない。
それゆえ、仮に、右規定に違反する国又はその機関の宗教的活動があるからといっ
て、それが憲法二〇条一項前段に違反して国民の信教の自由を制限し、あるいは、
同条二項に違反して国民に対し宗教上の行為等への参加を強制するなどしない限
り、国民に対する関係において違法の問題を生ずることはない。
本件諸儀式・行事の執行により、原告らの信教の自由が侵害されたり、あるいは原
告らが宗教上の行為への参加等を強制されたりするわけではないことはいうまでも
ない。
したがって、原告らの憲法二〇条三項及び八九条前段の各規定によって保障された
自由が侵害されたとの主張は、原告ら個々人の権利、利益が侵害されたことに基づ
く主張とはいえず、請求の趣旨1に係る請求は、国民一般ないし納税者たる地位に
基づき、本件諸儀式・行事の国費による執行の憲法適合性の有無を争う訴訟と解す
るほかはない。
(二) 右(一)で述べたとおり、請求の趣旨1に係る請求は、国民一般ないし納
税者たる地位に基づき、本件諸儀式・行事の国費による執行の憲法適合性の有無を
争う訴訟であるから、客観訴訟であり、行政事件訴訟法五条にいう民衆訴訟に該当
する。
しかしながら、請求の趣旨1に係る請求のような訴訟を提起することができる旨定
めた法律の規定は、存在しないから、行政事件訴訟法四二条により、右訴訟は不適
法なものとして却下されるべきである。
すなわち、民衆訴訟は、違法な行政作用に対する国民の個人的な権利利益の保護救
済を直接の目的とする抗告訴訟等と異なり、国又は公共団体の機関の行為につい
て、行政法規の違法な適用を排除し、その正当な適用を確保するという客観的法秩
序を維持するために認められるものである。
したがって、民衆訴訟は、具体的権利義務に関する当事者間の紛争、すなわち、法
律上の争訟(裁判所法三条一項)をその対象とするものではないから、当然に司法
権の範囲に属するわけではない。
このような性質を有する民衆訴訟を裁判所の権限とするためには、「その他法律に
おいて特に定める権限」(裁判所法三条一項)に該当することが必要である。
このように、例外的に政策的見地から認められる民衆訴訟は、出訴を認める旨の特
別の法律の規定があり(例えば、公職選挙法二〇三条、二〇四条、二〇七条、地方
自治法二四二条の二等)、かつ、法律に定められた者のみがこれを提起することが
できるのである。
(三) 右(二)で述べたとおり、請求の趣旨1に係る請求は、客観訴訟である
が、仮に、右訴訟を原告らの主観的権利利益に係るものとして構成し得たとすれ
ば、それは無名抗告訴訟であると解するほかないが、このような訴訟も以下の理由
により不適法である。
(1) 無名抗告訴訟を含む抗告訴訟は行政庁を被告としなければならない(行政
事件訴訟法一一条一項、三八条一項)、しかしながら、原告らは被告を国としてい
る。
(2) 抗告訴訟の対象となる行政庁の処分とは、行政庁の法令に基づく行為のす
べてではなく、公権力の主体たる国又は公共団体が行う行為のうち、その行為によ
って直接国民の権利義務を形成し、又はその範囲を確定することが、法律上認めら
れているものをいう。
本件諸儀式・行事の国費の支出、支出された国費による執行は、原告らの権利義務
関係に何ら影響を及ぼさないものであり、少なくとも、これらの行為によって、法
律上直接国民の権利義務を形成し、又は、その範囲を確定するということはあり得
ない。
したがって、かかる訴訟は抗告訴訟の対象となり得ないものを対象とする点におい
て不適法である。
(3) さらに、無名抗告訴訟は、法律上、これを認めた規定がない上、行政機関
の第一次的な判断権を犯すものであるから、原則として不適法である。
また、本件諸儀式・行事の国費の支出、支出された国費による執行は、事後的に争
ったのでは、原告らが回復しがたい重大な損害を被るおそれがあるなどの特段の事
情があるとはいえず、例外的に無名抗告訴訟を認めなければならないような必要性
もない。
2 請求の趣旨1(二)について
(一) 請求の趣旨1(二)は、本件詣儀式・行事の国費による執行の違憲性の確
認を求めるものであるが、右執行の違憲性は一定の法律効果の存否それ自体ではな
く、一定の法律効果の発生と結びつけられた法律要件の一要素を構成し、これと関
係するにすぎないものである。このような法律要件の存否ないしその違憲性の確認
は、既に法律効果が発生している場合には、発生している法律効果それ自体の存否
を争う前提問題として判断すれば足り、かつ、その方が当該紛争の解決にとってよ
り直截かつ効果的であるから、これとは別に法律要件の存否ないし違憲性を争う利
益はない。
また、法律効果それ自体がいまだ発生していない場合には、紛争の発生それ自体が
将来の問題であるため、法律要件の存否を巡る争いは仮定的、未必的、抽象的性格
を帯びざるを得ないのであり、このことからすると、右段階において、法律要件の
存否ないし違憲性を巡る争いを独立の訴訟の対象として取り上げることは許されな
い。
(二) また、右訴えは、現在の権利又は法律関係に係る訴えではないから確認の
利益がなく、確認訴訟における対象適格性を欠くものである。
そもそも確認の訴えにおける確認の利益は、訴えの対象とする法律関係に関して当
事者間に法律上の紛争があり、これがためその訴えの原告の法律上の地位に不安、
危険があり、判決をもってその法律関係の存否を確定することが、右の不安、危険
を除去するために有効かつ適切である場合に認められるものである。
このような法律関係の存否の確定は、右目的のために最も直接的かつ効果的になさ
れることを要するのであるから、確認の訴えは、法律が特に認めている場合(例え
ば民事訴訟法二二五条)を除き、紛争の直接の対象である現在の権利又は法律関係
について個別の確認を求めるべきであって、その前提となる過去の法律関係に遡っ
てその存否の確認を求めることは原則として確認の利益を欠くものというべきであ
る。
もっとも、過去の法律関係の確認であっても、それが原告の権利又は法律関係につ
いての現在の危険ないし不安を除去するための直接かつ抜本的な紛争解決の手段と
して最も有効かつ適切と認められる場合であれば、ごく例外的に過去の法律関係に
ついて確認の利益が認められることもあり得る。
しかしながら、請求の趣旨1(二)の請求に係る訴えにおける本件諸儀式・行事
は、いずれも既に執行を終えたものであり、執行を終えた本件諸儀式・行事が違憲
か否かを確認することが、原告らの現在の権利又は法律関係に何らかの影響を及ぼ
すものではないことは明らかである。
(三) したがって、請求の趣旨1(二)に係る訴えは、訴えの利益を欠く不適法
なものである。
三 本案についての被告の主張
仮に、原告らの請求がすべて民事訴訟であるとした場合には、原告らの請求は、以
下のとおりいずれも主張自体理由がないから、速やかに棄却されるべきである。
なお、請求の趣旨1(二)に係る請求については、前記二2で述べたとおり、行政
事件訴訟又は民事訴訟のどちらに当たると解釈しようとも不適法であり、本案の判
断に入るべきものとは全く考えられないので、以下においては、請求の趣旨1
(一)及び2の各請求について論及する。
1 請求の趣旨1(一)について
原告らの請求の趣旨1(一)に係る差止請求が民事訴訟であるとするならば、原告
らは本件詣儀式・行事に係る国費の支出の差止めを求める私法上の権利(差止請求
権)を有することが不可欠の前提となる。
原告らは、憲法二〇条三項に基づく国家が宗教教育その他一切の宗教的活動を行う
ことからの自由及び憲法八九条前段に基づく公金(国費)が国家によって宗教目的
のために支出されることからの自由を主張しているので、かかる自由権が前記差止
請求権の根拠となり得るかについて検討する。
前述のとおり、憲法二〇条三項及び八九条前段の各規定は、国家と宗教との分離を
制度として保障することにより、間接的に信教の自由を保障しようとするいわゆる
制度的保障規定であって、国民個人に対する権利保障規定ではないから、憲法の右
規定はいずれも原告ら主張のような自由権を保障するものではない。
したがって、憲法二〇条三項及び八九条前段の各規定から、原告らに何らかの私法
上の権利が発生すると解することはできず、差止請求の根拠となるような排他的な
権利を導き出すことも不可能である。
また、他に原告らの請求の趣旨1(一)に係る差止請求の根拠となる私法上の権利
を想定することはできない。
よって、請求の趣旨1(一)に係る請求は理由がない。
2 請求の趣旨2について
(一) 原告らが請求の趣旨2に係る請求の原因として主張するところは、原告ら
は本件諸儀式・行事の国費による執行により、原告ら主張の各自由権を侵害され、
これにより精神的損害を受けたので、その賠償を求めるというもののようである。
しかしながら、憲法二〇条三項及び八九条前段の各規定は、国家と宗教との分離を
制度として保障することにより、間接的に信教の自由を保障しようとするいわゆる
制度的保障規定であって、国民個人に対する権利保障規定ではないから、憲法の右
規定はいずれも原告ら主張のような自由権を保障するものではない。
このことは確立した判例(津地鎮祭最高裁判決(最高裁判所昭和五二年七月一三日
大法廷判決、民集三一巻四号五三三頁)、自衛官合祀訴訟最高裁判決(最高裁判所
昭和六三年六月一日大法廷判決、民集四二巻五号二七七頁))であり、通説でもあ
る。
したがって、憲法二〇条三項及び八九条前段の各規定は、制度的保障としての意味
を超えて、直接原告らに対して、何らかの権利を保障するものではなく、仮に政教
分離規定違反の事実があったとしても、それは、直接的には憲法上保障された国家
制度違反の問題であるにすぎず、それを超えて当然に個人の権利を侵害することと
なるものではない。
結局のところ、憲法の右各規定が原告ら主張の各自由権を保障しているとの見解は
失当である。
(二) 原告らは、本件詣儀式・行事は、国民主権主義原則に反し違憲であり、こ
れが執行されたことにより、原告ら、一人一人が、主権者である法的地位の侵害に
よる損害を被った旨主張する。
ところで、国家の構成要素としての国民は、いくつかの側面を有しており、日本国
憲法の使用する「国民」概念も一様ではない。
第一に、国家を構成する個々人としての国民があり(憲法一〇条の「国民」)、第
二に国民主権主義を採る場合の主権者としての国民があり(憲法前文の「日本国民
は、……ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」、憲法
一条の「主権の存する日本国民」)、第三に国家機関としての国民がある(憲法改
正や選挙等において有権者団という一種の統治機関を構成し、国家意思を形成する
場合の国民)。
原告らが、本件訴訟において主張するところの国民主権主義にいう「国民」とは、
右第二の意味における「国民」を指すものといえるが、この場合の主権者としての
国民とは、一般には年令、行為能力などの如何を問わず、およそ一切の自然人を含
むところの全体としての国民、観念的統一体としての国民とされているのであっ
て、その内容は極めて抽象的、観念的なものであり、個々の具体的な国民が有する
主権の侵害を問題とすることができない性格のものである。
すなわち、国民主権といっても個々の国民に「国民主権」という具体的、主観的な
権利ないし法的利益が付与されているわけではなく、個々の国民がそれらを侵害さ
れたとして私法上の損害賠償請求をなし得るものではない。
原告らの主張は、「国民主権」の具体的な権利性、法的利益性を吟味せずに、被侵
害性のみを強調した失当なものである。
(三) 以上のように、本件において原告らが被侵害利益として掲げる原告ら主張
の各自由権は、不法行為法上保護されるべき権利ないし法的利益とは認められない
ものであって、これを被侵害利益とする原告らの損害賠償請求は、主張自体失当と
いうべきである。
このように原告らには被侵害利益が存在せず、そもそも不法行為の要件である損害
の発生という要件が明らかに欠如しているのであるから、請求の趣旨2の請求は理
由がない。
ちなみに、裁判所は、憲法問題が提起されていても、それをしなければ、裁判の結
論が出せないという場合にだけ憲法判断をなすべきであり、もし事件を処理するこ
とができる他の理由が存在する場合は、憲法判断をするに及ばないだけでなく、む
しろ憲法判断をすべきでない。
したがって、本件訴訟について本案の審理に入り憲法判断をしなければならないと
の原告らの主張は失当である。
(四) 原告らは、請求の趣旨2に係る請求は、損害賠償請求であり、不法行為訴
訟であるが、同時に国民の行政に対する民主的コントロールの手段として国家機関
の違憲・違法行為の是正・抑止という機能をも担った憲法訴訟として位置づけられ
るべきものであるとするが、右は原告ら独自の見解である。
すなわち、不法行為による損害賠償請求は、民事訴訟であり、民事訴訟は、あくま
で何らかの権利ないし法的利益の侵害を被った者が存在することを前提とした主観
的権利、利益に関する救済訴訟を念頭に置いているのであって、国又は公共団体の
機関の行為について、行政法規の違法な適用を排除し、あるいは、その正当な適用
を確保するという客観的法秩序を維持するという客観訴訟と同様の目的を有するも
のではない。
原告らの主張は、民事訴訟である不法行為による損害賠償請求に、国家機関に対す
る違憲・違法行為の是正・抑止という機能を持たせようとするものであり、あたか
も客観訴訟と同様の機能を導入しようとするものであって、本来個人が被った具体
的、主観的損害の填補を図ることを目的とする不法行為制度本来の目的、機能に背
くものである。
3 原告らは、本件訴訟の重大な争点は、本件諸儀式・行事への国費支出の違憲性
の有無にあるから、裁判所はこの点について憲法判断をすべきである旨主張する。
しかしながら、原告らの請求の趣旨1の請求に係る訴えが訴訟要件を欠く不適法な
ものであって、本案の問題について憲法上、あるいは法律上の判断をする余地がな
いことは、前述したとおりである。
もとより、憲法は、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」
と規定し(三二条)、国民の裁判を受ける権利を保障しており、ここにいう「裁
判」とは、司法権の作用としての裁判であり、憲法七六条一項にいう「司法権」を
前提とするものであるから、「裁判」の対象として、法令を適用することによって
解決し得べき当事者間の権利義務に関する具体的紛争が存在しなければならない。
すなわち、法律上の争訟について裁判所の判断を求めることを必要とする立場にあ
る者(当事者適格)が、法的判断を求めるに適した事件(権利保護の資格)につ
き、判決を求める必要の存在するとき(権利保護の必要)に、初めて裁判所へ訴訟
による救済を求める利益(訴えの利益)が認められるのである。
したがって、法律上の争訟として成立し得ない場合、例えば、当事者間に、法令を
適用することによって解決し得べき権利義務に関する具体的紛争が存在するかどう
か、裁判所が確認判決をすることによって当該具体的紛争が抜本的に解決し得るか
どうかという訴訟要件が具備されない以上、裁判所としては、本案の問題として憲
法判断をする必要がなく、また判断すべきではない。
4 まとめ
以上のとおり、仮に請求の趣旨1(一)の請求に係る訴えが適法であるとしても、
同請求及び請求の趣旨2の請求はいずれも主張自体失当である。
三 被告の主張に対する原告らの反論
1 「政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であり、信教の自由を間接的に
保障するにすぎない」とする被告の主張は誤っている。
被告は、憲法二〇条三項の定める国家と宗教の分離の原則、すなわち、政教分離の
原則をドイツ憲法学にいう「制度的保障」ととらえることによって、分離違反は直
ちに個人の信教の自由の侵害にはならないとする。これは、政教分離と信教の自由
とを形式論によって切離し、個人の信教の自由への侵害に対して司法的救済の道を
閉ざし、裁判を受ける権利(憲法三二条)をも奪うものである。被告の主張は、信
教の自由と裁判を受ける権利という憲法上保障された基本的人権を二重に抑止する
ものであり、許容されるものではない。
2 (一)制度的保障の理論は、ワイマール憲法時代に説かれたカール・シュミッ
トの学説にさかのぼる。シュミットの理論の特色は、第一に、私法的な制度(所有
権・相続権など)の保障と公的な制度、すなわち機能的・制度的に国家組織に間接
的または直接組み込まれた制度(自治行政・公務員制など)の保障の両者を含むも
のであること、第二に、制度化の目的は当該制度の核心(権利自由との関係では、
ワイマール憲法の定める基本権のように、「法律の留保」の下におかれた基本権の
本質的内容)を立法権の侵害から守ること、第三に、制度は個人の権利・自由の保
護に仕える補充的性格を持つこともあるが、原則として、権利・自由は制度の保障
に従属するものであることにある。特に、第三の点はシュミットの理論では、重要
なポイントになっている。
(二) 制度的保障の理論は、基本権との関連では、「法律の留保」を前提とし
て、その「法律の留保」の下におかれた基本権の本質的内容を立法権の侵害から守
るという特色を有していた。そこで、西ドイツ憲法(ボン基本法)や日本国憲法の
ように、あらゆる国家権力は基本権・人権に拘束され、いかなる基本権・人権もそ
の本質的内容を侵害されてはならないという法原理を採用する憲法下においては、
シュミット流の制度的保障の理論の働く余地は基本的に存在しないのである。基本
権・人権との関連で制度の保障が語られるとしても、その内容は制度が基本権・人
権を強化する目的を持つものであり、制度が個人の権利の保障に奉仕するためのも
ので、右権利を無価値にしてしまうことを目指すものであってはならないのであ
る。被告の主張は、「制度的保障」の内容を明らかにせず、政教分離原則は制度的
保障であるとして、個人の信教の自由と、裁判を受ける権利を奪うものであり、こ
れら基本的人権の実質を無価値にするものである。
また、「制度的保障」理論を安易に採用するならば、いわゆる「制度化」が各種の
基本権・人権について広汎に試みられることになったり、基本権・人権を制度によ
って抑止するような危険が存在する。
被告の制度的保障論は、原告らの政教分離違反と信教の自由の侵害を理由にした本
件裁判を受ける権利の行使に対して、原告らの原告適格を否定し、原告らの信教の
自由と裁判を受ける権利という基本的人権を抑止する論拠として用いられており、
正に「制度」によって基本的人権を抑止するという違法、不当な主張であって到底
許容することができないものである。
(三) 日本国憲法は、明治憲法下の「法律の留保」を否定し、自由権は、元来前
国家的権利であって、立法権をも拘束するものであると規定している(憲法一一
条、一三条、八一条)。したがって、以上の沿革と性格を有する「制度的保障」理
論は原則として不要であり、安易に採用されるべきではない。
仮に「制度的保障」理論を認めるとしても、第一に、立法によって奪うことのでき
ない「制度の核心」の内容が明確であり、第二に、制度と個人の基本権との関係も
論理的、合目的に密接であるものに限定して用いられなければならない。
3 政教分離の原則と個人の信教の自由とは、広く信教の自由を構成する両側面と
して、統一的に解されなければならない。
政教分離規定(憲法二〇条三項、同八九条)と信教の自由(憲法二〇条一項、二
項)の保障規定は、異なる観点から両々相まって広く信教の自由を直接保障するも
のであり、被告主張のごとく、両者を切断することによって、原告らの基本的人権
を抑止することは明らかに違法・不当な解釈であって許容されない。
4 被告は、津地鎮祭事件最高裁判決を引用し、「政教分離規定は、いわゆる制度
的保障規定であり、右規定に反する場合が生じたとしても、これにより私人の法的
利益が侵害されるものではない」と主張する。
しかしながら、被告の引用する右最高裁判決は、制度的保障とは何かについて何ら
説明せずに、単に「いわゆる制度的保障」という言葉を持ち出し、いきなり政教分
離規定による信教の自由の保障は間接的なものにすぎないという結論に結びつけて
いる。これでは全く政教分離規定の意義、内容を明らかにしているとはいえないこ
とは明白である。右判決以降も最高裁判決や下級審判決の中で「制度的保障」とい
う言葉が用いられているが、いずれもその内容を明らかにしないまま用いられてい
る。
右最高裁判決は、同裁判所藤林裁判官らの反対意見にも述べられているごとく、
「国家と宗教との結びつきを容易に許し、ひいては信教の自由そのものをゆるが
す」結果となっており、到底許容できる解釈とはいえないものである。
第三 証拠(省略)
○ 理由
一 国費支出差止請求について
本件口頭弁論終結時において、本件諸儀式・行事が既に執行を終え、そのための国
費の支出も終了していることは、当事者間に争いがない。
差止請求訴訟は、その性質上、行為の未了を要件としているのであり、原告らが差
止の対象としている国費支出行為が完了している以上、国費支出差止請求は不適法
なものとなる。
よって、原告らの本件諸儀式・行事の国費支出の差止を求める訴えは不適法なもの
として却下すべきである。
二 違憲確認請求について
原告らは、主権者たる国民の地位ないし納税者たる地位に基づき本件諸儀式・行事
が違憲であることの確認を求めている。
しかし、我が国においては、単に国民としての地位や納税者としての地位に基づい
て、国に対し、国の行う具体的な国政行為の是正等を求める訴訟を提起する方法は
制度として認められていないし、原告らは、そもそも具体的な紛争の前提として、
本件諸儀式・行事の違憲確認を求めているのではなく、抽象的、一般的に本件詣儀
式・行事の違憲確認を求めているにすぎない。
そして、わが現行の制度の下においては、特定の当事者間において、法令を適用す
ることにより解決することのできる具体的な権利関係ないし法律関係に関する紛争
がある場合においてのみ裁判所にその判断を求めることができるのであり、裁判所
もまた、このような具体的事件を離れて抽象的に法律命令等の合憲性を判断する権
限を有してはいない。
よって、原告らの本件諸儀式・行事が違憲であることの確認を求める訴えは不適法
である。
三 損害賠償請求について
本件諸儀式・行事の費用が国費から支出されたことについて、原告らは、いわゆる
信教の自由の見地から右諸儀式・行事は違憲のものであり、このような儀式等に国
民の代表として国権の三権の長らが出席させられたことは、間接的に原告ら国民も
右儀式等に出席を義務づけられたことになり、また右儀式等の費用が国費から支出
される限り、原告ら納税者はその費用の一部を負担し、本件諸儀式・行事の執行に
加担させられたことにもなり、主権者たる国民としての権利を侵害されたと主張す
る。
しかし、多数決原理の働く民主政の下において、国民を代表して三権の長らが右式
典に出席・参加したことをもって、これに反対する原告ら国民も自らの意思に反し
て参加を強いられたとするのは論理の飛躍があるばかりでなく、右国費も国会の議
決を経た上で支出使用されているのであり、仮に、そのことにより、原告らが、自
己の意に反して、本件諸儀式・行事が国事行為ないし公的性格を有する儀式・行事
として執行するのに加担させられ、本件詣儀式・行事にそのような意味づけがされ
ることを承認したことになると考えたとしても、また主権者たる国民が、そのこと
により従属的、臣下的地位を強制され、人格的尊厳を傷つけられたと考えたとして
も、それは自己の意見や見解と相反することに国費が支出されたり、国事行為や公
的な皇室行事が行われたことに対する憤怒の情や不快感、焦燥感、挫折感、屈辱感
といったものであって、少なくともこれらをもって、損害賠償により法的保護を与
えなければならない利益に当たるとすることはできない。
よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの被告に対する損害賠償
請求は理由がない。
四 結論
以上のとおり、原告らの本訴請求のうち、国費支出差止請求及び違憲確認請求の訴
えは不適法であるから、いずれもこれを却下し、原告らの被告に対する損害賠償請
求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、
民事訴訟法八九条、九三条一項を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 福富昌昭 小林元二 大藪和男)

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