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判決言渡平成22年2月24日
平成21年(ネ)第10017号特許を受ける権利の確認等請求控訴事件(原審
・東京地裁平成19年(ワ)第12655号)
口頭弁論終結日平成21年12月24日
判決
控訴人カトウ工機株式会社
訴訟代理人弁護士飯島歩
同生沼寿彦
同谷口明史
同栗山貴行
補佐人弁理士横井知理
被控訴人司工機株式会社
訴訟代理人弁護士江川勝
同池田和司
補佐人弁理士秋山修
主文
1原判決を取り消す。
2控訴人と被控訴人との間において,控訴人が別紙発明目録記載の
発明について特許を受ける権利を有することを確認する。
3訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
主文同旨
第2事案の概要
【略称は原判決の例による。】
1控訴人は,各種機械工具や機械部品の設計,製造,販売等を業とする株式会
社である。別紙発明目録記載の発明(以下「本件発明」という。)は,平成1
5年8月23日に控訴人の名古屋工場においてその従業員であるAが中心とな
ってこれを完成させたが,その後同工場は閉鎖され,平成16年6月神奈川県
平塚市に移転した。
被控訴人は,工作機械その他各種機械器具の設計,製作,販売等を業とする
株式会社であり,その活動拠点は愛知県である。
Aは,平成16年1月15日までは控訴人の,平成16年4月から被控訴人
の従業員である。
2本件は,被控訴人が出願し特許庁において審査中の本件発明について,一審
原告たる控訴人が一審被告たる被控訴人に対し,同発明は控訴人の従業者であ
るB等がその職務として発明したものであり,使用者たる控訴人が就業規則等
に基づき上記従業者から特許を受ける権利の譲渡を受けたとして,控訴人が同
権利を有することの確認を求めた事案である。
3原審における争点は,原判決6頁記載のとおりであるが,原審の東京地裁
は,平成21年1月29日,①本件発明の発明者は,平成16年1月15日に
控訴人を退職してその後被控訴人に入社したA(A)のみであり,被控訴人は,
Aから本件発明について特許を受ける権利の譲渡を受けて平成16年6月14
日に特許出願(以下,「本件特許出願」といい,その特許請求の範囲を「本件
特許請求の範囲」,その明細書を「本件明細書」という。)をした,②特許を
受ける権利の譲渡の対抗要件は出願である(特許法34条1項)ところ,被控
訴人は対抗要件を具備しており,かつ,被控訴人は背信的悪意者とはいえない
などとして,控訴人の本訴請求を棄却した。
そこで,これに不服の控訴人(一審原告)が本件控訴を提起した。
4本件訴訟の争点を改めて整理すると,次のとおりである。
①争点(1)〔本件特許を受ける権利につきその帰属者の確認を求める訴え
の利益はあるか〕
②争点(2)〔本件発明の発明者は誰か〕
③争点(3)〔本件特許を受ける権利は発明者から控訴人に承継されたか〕
④争点(4)〔控訴人は本件特許を受ける権利を放棄したか又はAに返還し
たか〕
⑤争点(5)〔被控訴人は背信的悪意者であるので本件特許を受ける権利の
取得を控訴人に対抗できないか〕
⑥争点(6)〔控訴人が本件特許を受ける権利を有する旨主張することは,
信義則に違反し又は権利の濫用であるか〕
第3当事者の主張
当事者双方の主張は,次のとおり付加するほか,原判決「事実及び理由」中
の「第2事案の概要」,「第3争点に関する当事者の主張」のとおりであ
るから,これを引用する。
1控訴人
(1)争点(2)〔本件発明の発明者は誰か〕について
ア原判決は,「…これらの自在継手は,従来からよく知られた形式のもの
であり,…周知の存在と認められる(なお,等速ジョイントについては,
本件発明の請求項5及び請求項6に言及があるものの,ユニバーサルジョ
イントとスプリングジョイントについては,本件発明のいずれの請求項に
も言及されていない。)。」と認定している(37頁17行∼22行)。
しかし,第1に,本件特許請求の範囲「請求項1」,「請求項5」,
「請求項6」には「自在継手」との記載はあるが,当該継手を「等速ジョ
イント」に限定する記載はないから,等速ジョイントについて言及がある
との上記認定は誤りである。本件明細書(甲1)には,「等速」という表
現は一切存しない。
第2に,「ユニバーサルジョイント(universaljoint)」は「自在継
手」に対応する英単語であり(甲30[松村明監修「大辞泉」1995年
12月1日株式会社小学館発行1162頁,2706頁],甲31[新村
出編「広辞苑第2版補訂版」昭和55年9月10日株式会社岩波書店発
行962頁]),かつ,「自在継手」の文言は,本件特許請求の範囲「請
求項1」に2箇所,「請求項5」に5箇所,「請求項6」に3箇所言及さ
れているから,「ユニバーサルジョイント…は,本件発明のいずれの請求
項にも言及されていない」との上記認定も誤りである。
第3に,原判決は「…これらの自在継手は,従来からよく知られた形式
のもの…」と認定しているが,本件で問題とされるべきことは,自在継手
が周知かどうかではなく,自在継手を2段に組みあわせて使用することで
回転ムラを良好に緩和する構成と,このような構成を本件発明の構成中に
適用することの技術的意味である。本件特許請求の範囲「請求項5」は,
自在継手を第1自在継手部と第2自在継手部の上下に2段に設けて構成
し,これにより回転ムラを緩和する点に特徴がある。しかるところ,原判
決が,この点を全く取り上げていないのは,看過しがたい誤りである。
イ原判決は,「…そもそも,本件発明の要点は,本件公報の記載にあると
おり,これらの自在継手を使用した上で,回転する刃具の傾動動作等を加
工面の角度などにかかわらず,いかにスムーズに行うかの工夫にある…」
と判示する(37頁22行∼24行)。
ここで原判決が本件発明の要点として言わんとするところは,加工作業
中,回転している治具の先端は,加工対象物(ワーク)の3次元の形状に
追従しながら接していくことが求められており,そのために本件発明では
傾動軸の傾動角度を変化させながらも高速回転する加工工具であることが
必要であったということであって,これらの角度変化をいかにスムーズに
行うかの工夫が重要になるということである。
以下に述べるとおり,2段に組み合わせた自在継手の構成は,スムーズ
な角度変化に大きく貢献するものであり,かつ,この構成を本件発明に取
り込むことを着想し,Aに対し具体的な指示をしたのはBである。
(ア)傾動動作の円滑性を阻害する要因及び2段の自在継手の効果
本件発明のような構造を有する機械において傾動動作がスムーズに行
なわれるためには,回転ムラによる振動を解消することが重要である。
自在継手(ユニバーサルジョイント)の角速度は1回転(360度)す
るたびに速くなったり遅くなったりを2回繰り返す(したがって,合計
4回の速度変化を生じる。)ので,回転ムラが生じるところ(甲22[
大西清編著「機械工学一般第2版」理工学社2004年10月25日
発行61頁],甲26の1・2[wikipediaの記事「Universaljoint」
]),バリ取りホルダーにおいては,この回転ムラによって生じる振
動がスムーズな傾動動作を阻害する。この回転ムラは,大きく傾動すれ
ばするほど激しくなり,また,傾動角度(軸継手の角度)によって速度
変化の変動幅が変わるため,この問題は,バリ取りホルダーのように傾
動角度が変化していく状況下において特に深刻になる。また,振動は,
特定の角度ではときに共振という増幅作用により顕著に現れることもあ
る。自在継手を2段同位相に組み合わせたのは,この回転ムラを緩和,
解消することを目的としたものである。
(イ)本件明細書の記載
上記(ア)の技術的思想は,本件明細書(甲1)中にも現れている。ま
ず,自在継手による回転ムラが「振動」につながることは,本件明細書
の段落【0015】,【0016】,【0027】,【0038】,【
0042】,【0052】に繰り返し記述されている。
そして,この振動の原因となる回転ムラを解消する手段として,自在
継手を同位相に2段に組み合わせ,これを本件発明の他の構成と組み合
わせることとしている。この点は,本件特許請求の範囲「請求項5」に
具体的に示されており,「発明を実施するための最良の形態」の構成に
含まれている(本件明細書,段落【0031】)。
(ウ)Bが発明者であること
自在継手を2段同位相に組み合わせる構成をバリ取りホルダーに応用
することによって,回転ムラを解消し,高速回転する加工具の傾斜運動
をスムーズにすることは,BがAに提案したものである。バリ取りホルダ
ーのような加工具の分野において高速回転する加工具の傾斜運動をスム
ーズにするためにこの技術を応用した例はなく,ここに新規性,進歩性
が認められる。
ところで,上記のとおり,本件特許請求の範囲「請求項5」に自在継
手を2段に用いる構成がクレームされており,本件明細書には,これら
の構成によってスムーズな傾動動作が得られるという効果が記載されて
いるものの,この構成の作用に関する詳細な説明はない。自在継手を2
段同位相に組み合わせるという複雑な構成をわざわざ採用しながら,そ
の技術的意義に関する説明がわずかしかなされていないのは,被控訴人
側にこの発明の趣旨を正確に理解している者がいないことを示すもので
あり,このことは,とりもなおさず,被控訴人にいない者,すなわち,
Bが発明者であることを意味する。
ウ以上検討してきたところによれば,原判決の事実認定には誤謬があり,
Bは,本件発明の発明者の1人であると認められる。そして,Bは,被控訴
人に対する発明の譲渡に同意していないから,被控訴人に対する本件発明
に係る特許を受ける権利の譲渡は無効である(特許法33条3項)。
(2)争点(3)〔本件特許を受ける権利は発明者から控訴人に承継された
か〕について
本件発明は,職務発明であるから,平成15年8月23日に完成したのと
同時に,細則5条1項により控訴人に対して本件特許を受ける権利が承継さ
れた。
控訴人においては,発明者が発明をしたときはまず届出がなされ,その届
出を受けて社内の発明・考案・意匠審査会が発明の譲受けについて決定をす
るのであるが,発明は,完成により当然に控訴人に承継されており,社内の
発明・考案・意匠審査会の決定は,既に承継された権利を確定的に承継する
か発明者に返還するかという判断をするにすぎないから,控訴人が本件特許
を受ける権利を有することが否定されるものではない。
(3)争点(4)〔控訴人は本件特許を受ける権利を放棄したか又はAに返還さ
れたか〕について
本件特許を受ける権利が控訴人により放棄されたり,発明者Aに返還され
た事実はない。
(4)争点(5)〔被控訴人は背信的悪意者であるので本件特許を受ける権利
の取得を控訴人に対抗できないか〕について
ア原判決の認定の誤り
原判決は,背信的悪意の認定に関連し,以下の諸点において誤りがあ
る。
(ア)「C,D又はAによる情報の持出し」につき
a原判決は,本件発明に係る資料をAらが持ち出したことを示す証拠
はなく,そうであるから,本件特許出願は,「…A自身が持ち合わせ
ていた技術情報に基づくものと認めることができる。」と判示する
(44頁17行∼18行)。
そもそも,「持出しの証拠がない」ということから,積極的にAが
どのような資料に基づいて特許出願したかということまで認定するこ
とができるとは思えず,この点において原判決には事実誤認がある。
この点は措くとしても,本件発明の開発作業は,すべて控訴人の設
備・機器類を用いて行われており,また,機密保持の合意もしている
から,開発資料にAの私物が含まれていることはありえず,Aが控訴人
の資料を持ち出していないのであれば,「A自身が持ち合わせていた
技術情報」は一般に公開されている情報以外にない。
そこで,一般の公開情報から本件特許出願をすることが可能である
かが問題となるところ,いかに発明者自身とはいえ,微細かつ複雑な
機械的構造を有する本件発明を記憶のみによって正確に再現するのは
不可能である。
b上記の再現可能性に関し,甲32の1∼4は,本件特許出願に際し
て願書に添付された図面(青)と,控訴人の開発図面(黒)とを,縮
尺を合わせて重ね合わせたものである。これを見ると,両者の構造
は,特許発明の内容たる技術的思想の同一性を超え,ねじの位置その
他,構造の非常に細かな部分や設計事項にわたるような箇所に至るま
で重なり合うことが認められる。これは人間の記憶で再現できる領域
を凌駕しており,控訴人の開発図面又はCADデータをもとに,願書
に添付する図面を起こさなければ実現できない符合である。このよう
に図面の微細な構成に至るまで同一の発明について特許出願している
という事実そのものが,Aらによる資料の持出しの事実を認定するの
に十分な証拠となる。
c本件は,バリ取りホルダーの開発に従事し,情報を管理する立場に
あった者ら(D,A,C)が資料を持ち出した事例である上,工場の移
転を経て訴訟提起までに資料が散逸しているため,いつ,どのように
資料を複製して持ち出したかを具体的に追跡し,立証するのは困難で
ある。
しかし,被控訴人は,原審において,控訴人の社内書類である乙2
∼7,13∼16,23,24の各文書を書証として提出していると
ころ,その内容は,乙5∼7のような形式書類や乙13∼16のよう
な内部報告書にとどまらず,乙2∼4のような控訴人と他社との契約
文書や通信文書も含まれ,さらには,乙23,24のように,バリ取
りホルダーの開発資料まで含まれている。これらの文書は,持出しを
目的として悪意で複製され,持ち出されたものである。そうであれ
ば,Aらにとって職務上の関連性や心理的な愛着が最も強く,手元に
あって持出しが容易であり,かつ,経済的・技術的価値の高い資料,
すなわち,本件発明にかかる設計図書等は当然に複製され,持ち出さ
れていると考えるのが自然である。
d発明者の1人であるAが被控訴人に入社したのは,平成16年4月
上旬である。また,Dが控訴人を退職したのは平成16年3月末であ
るから,被控訴人に入社したのも早くとも同年4月上旬である。これ
に対し,被控訴人が本件特許出願をしたのは,A,Dの入社から約2か
月後の平成16年6月14日である。
一般的な特許出願実務に照らし,被控訴人がその出願代理人である
「いいだ特許事務所」に出願の依頼をしたのは,遅くとも出願日であ
る平成16年6月14日の1∼2か月前,場合によってはそれ以前で
あったと考えられる。技術内容を詳細に聴取して明細書等の起案を
し,また,設計図面等をもとに願書に添付する図面を作成するために
は通常その程度の時間を要するからである。
また,当時Aは入社直後の新入社員だったのであるから,その発明
を出願するに際して,通常の企業であれば,社内で発明の内容を聴取
し,出願するかどうかの意思決定をするのに相当の時間が必要であっ
たはずである。
そうすると,Aは,入社直後に直ちに図面を作成し,社内の調整を
し,入社の数日後かせいぜい1ヶ月程度のうちには「いいだ特許事務
所」に出願の依頼をしたこととなるが,入社直後の会社でこのように
短期間で出願準備をすることは,Aが,転職後に一般の公開情報のみ
に依拠して,一からしかも控訴人に残されている図面と設計事項に属
する部分まで同一の設計図面を起こしていたのでは,不可能である。
被控訴人は,元来工場用の設備をアセンブルして据え付けることを
主たる業務とし,バリ取りホルダーなどの加工工具を製造したことが
ないことも併せ考えると,なおさら難しい。
さらに,被控訴人は,バリ取りホルダーの開発のために,立型マシ
ニングセンター,真円度測定器,表面粗さ測定機などを導入したと主
張しているが,その時期はいずれも本件特許出願の後であり,出願の
時点で開発に必要な機器類すら保有していなかったことが認められ
る。
Aは,控訴人退職後被控訴人に就職するまでの間の約2か月間,他
の会社に就職していたため,控訴人退職時に被控訴人に発明を持ち込
む確定的な意思まではなかったかもしれないが,C,Dに関しては明確
な意思を有していたと考えるのが素直な事実認定である。
そうであれば,C又はDが退職時に,本件発明に係る設計図書等を複
製して持ち出したと考えるのが素直である。
eC,D又はAによる資料の直接の持ち出しを否定しつつ,上記出願経
緯を合理的に説明することを可能にする唯一の可能性は,被控訴人が
その出願代理人である「いいだ特許事務所」を経由して資料を取得し
た,というものである。
被控訴人の主張によれば,Dが,控訴人の従業員であったときに
「いいだ特許事務所」に本件発明の出願の相談をしたのは平成15年
10月であるところ,本件発明はこれに先立つ同年8月23日には完
成しているから,「いいだ特許事務所」への相談時に,特許出願に必
要な書類,すなわち本件発明の図面その他の資料一式が「いいだ特許
事務所」に渡っていたと認められる(甲8の1∼3[Dと「いいだ特
許事務所」のEとの間におけるメールの文書],乙18[D作成に係る
平成20年3月31日付け陳述書]8頁)。また,乙18の8頁によ
れば,平成15年11月時点で出願準備も整っていたのであるから,
願書に添付する図面もすでに作成されていたと考えられる。
その後,「いいだ特許事務所」は被控訴人の代理人として本件特許
出願をしているが,その際に,仮に控訴人が持ち込んだものと同一の
資料を新たに被控訴人が持ち込めば,「いいだ特許事務所」は,受任
について利害相反の観点から疑義を持ったはずである。したがって,
「いいだ特許事務所」に出願を委任するに際し,被控訴人は,同特許
事務所に対し,特許を受ける権利が控訴人から譲渡されたとの虚偽の
説明をするなどして,Dが持ち込んだ資料をそのまま利用させたと考
えられる。
また,仮に,乙18の9頁にあるとおり,Dが「いいだ特許事務
所」から資料の返還を受けたとしても,同特許事務所が作成した願書
添付用の図面はそのまま同特許事務所に残されていた可能性が高く,
その場合には,当該図面が流用されたものと推認される。これは,実
質的に,「いいだ特許事務所」の占有下にあった控訴人の秘密情報を
騙取したことと等価である。
以上の事実経緯のもとで,C,D又はAが,被控訴人の従業員とし
て,本件発明に係る情報を控訴人から不法に取得したことが認められ
る。
f以上のとおり,C,D又はAによって,本件発明に係る設計図書等が
持ち出されたことは明白であるが,仮に,C,D,Aによる情報媒体の
持出しが存在しなかったと仮定しても,そのことは,本件訴訟の結論
に影響しない。なぜなら,本件訴訟で問題となっているのは特許を受
ける権利の帰属であって,権利の対象は技術的思想という情報そのも
のであるから,被控訴人の背信性を認めるには当該情報そのものを被
控訴人に移転することで十分であり,その手段が何らかの媒体に記録
された情報の持出しによるか,残留記憶によるかを問わないからであ
る。
(イ)「開発中止及び特許出願の取止めに関する被控訴人の認識」につき
a原判決は,「被告は,Aらから,原告における開発過程を聞き及ん
でいたものと容易に推測されるものの,他方で,…本件発明に係る商
品開発が中止され,特許出願が取り止めになった経緯についても,詳
しく説明を受けていたものと推認できる。」と述べ(44頁下6行∼
下2行),Aらから本件発明の開発経緯を聞かされ,本件発明に係る
商品開発が中止され,特許出願が取止めになったことを認識してい
た,ということを被控訴人の背信性を否定する理由として判示する。
b「開発中止」
(a)原審では,被控訴人は,控訴人がバリ取りホルダーの「開発」
を確定的に中止し特許を受ける権利を放棄した旨主張していたのに
対し,控訴人は,中止したのはバリ取りホルダーの「発売」であっ
て開発そのものではない旨主張していた。
この争点について判断をするに当たり,原判決は,平成15年8
月に発せられた中止命令の対象が平成16年1月に予定されていた
バリ取りホルダーの「発売」であったこと,そして,上記命令後も
「開発」そのものは継続されていたことを認定している(41頁1
6行∼20行)。これらの事実から認められるのは,控訴人は「発
売」を中止したに過ぎない,ということである。ところが,原判決
は,控訴人による特許を受ける権利の放棄は否定したものの,中止
の対象については,「上記の事実関係を踏まえてみると,…その発
売のみならず,これに向けた開発が業務命令によって中止されたも
のと認められる。」(42頁20行∼22行)と結論付けている。
(b)上記の原判決の理由と結論との間には齟齬がある。乙13∼1
6には「開発中止」という文言があるものの,同じ文書の中に同時
に開発が進められている様子が記載されており,また,上記のとお
り開発は発売中止命令後も継続されている。エンシュウ株式会社向
けの説明にも「開発」の語は現れるが,原判決が認定する(42頁
4行∼8行)とおり,その内容はあくまで開発の「延期」である。
当該説明に際して,控訴人は,工場が平塚に移転することとなった
こと,それに伴ってバリ取りホルダーの開発をいったん中断し,移
転完了後に改めて商品化せざるを得ないことを説明し,了解を得て
いるが,これは「開発」の延期と呼ぶにしても,「開発中止」では
なく,その実体は控訴人が主張する「発売の中止」にほかならな
い。
原判決は,控訴人が特許出願をしなかったことを非常に重く見て
いるのかもしれないが,控訴人が本件発明を出願するに至らなかっ
たのは,開発の中心となっていたAが平成16年1月に,Dが同年3
月にそれぞれ退職したこと,工場移転に際して開発人員の減少が生
じたため,その後作業再開のための人員を割り当てることができな
いまま時間が経過したこと,これらの事情に加えて工場の移転に要
する労力が多大であることも考慮し,当面発明を秘匿し,人員確保
の目処が経ってから開発資源を割り当て,製品として発売しようと
考えたことによる。
本件において中止されたのはあくまで平成16年1月時点に予定
されていたバリ取りホルダーの「発売」に過ぎないと認められるか
ら,原判決の事実認定には誤りがある。
(c)本来,発売の中止か開発の中止かなどという観念的議論は経営
的に無意味であり,本件訴訟の結論に影響するものではない。開発
をするかどうかに関する業務命令は,第三者との契約や従業員の解
雇などの意思表示とは異なり,そこで法律関係を形成し又は確認す
ることを目的とするものではない。あくまで自社単独の経営判断事
項であって,諸般の事情で「開発」を中断しても,その後事情が変
われば開発を再開する可能性があることを当然の前提とする。確か
に,控訴人が工場移転後直ちにバリ取りホルダーの開発要員を確保
するのが容易でなかったことに鑑みれば,これをもって開発の中止
と呼ぶことも不可能ではなかったであろう。しかし,例えば,技術
的な限界によって開発を中止した場合には,技術革新により障壁が
除去されれば開発が再開されることがあろうし,市場の状況を見据
えての中止であれば,市場環境の変化により再開することがありう
る。本件のように,人手不足が理由の中止であれば,人手がまかな
われれば開発の再開が可能になる。
発売の中止も開発の中止もそのときどきにおける経営判断であっ
て相対的なものであり,環境の変化によって後に異なる経営判断が
なされる可能性を残す点において本質的な差異はなく,開発過程に
おいて生れた技術そのものを放棄し,他社に独占させることを容認
するようなことは,企業の合理的行動としてあり得ない。
(d)なお,被控訴人は,開発中止に関する事情として,Dが,引越
しに際し,Lから不要なものを廃棄するよう指示されたため,バリ
取りホルダーに関する資料も廃棄したと主張する。
しかし,廃棄の際,Dは,Lから,不要なものを廃棄するように命
じられたのみで,具体的にバリ取りホルダーに関する資料等を廃棄
せよとの指示は受けておらず,基本的にD自身の判断で廃棄対象が
選択され,Dの証言によっても,Lには簡単な口頭確認がなされたの
みである。また,資料廃棄の際,Dは,自ら開発に携わり,強い愛
着を持っていた技術についても,ごく簡単な確認だけで廃棄してい
る。さらに,Dによる廃棄作業は,引越しに際して荷物にもならな
いCAD図面の電子ファイルの抹消にまで及んでいる。Dは,この
時点において,すでに転職予定先の被控訴人から出願することを想
定し,バリ取りホルダー市場においてライバルとなる控訴人が引っ
越し後すぐには出願できないように,故意に開発に有益な資料等を
処分したと考えるのが素直である。
c「特許出願の取止め」
原判決は,控訴人において特許出願が取止めになったことを被控訴
人が認識していた,ということも問題とする。
しかし,Dが本件発明の出願を依頼した「いいだ特許事務所」は,
従来控訴人と全く取引のなかった特許事務所であり,控訴人がその存
在を知ったのは,本件特許出願の公開公報を見たときである。その
後,Dが使用していた電子メールのアカウントを調査したところ,Dと
「いいだ特許事務所」との間の甲8の1∼3のメールが発見され,社
内から無断で技術資料が持ち出されていたことが明るみに出た,とい
うのが本事件発覚の経緯である。
被控訴人は,DがLの承諾を得て「いいだ特許事務所」に出願を依頼
しに行ったと主張するが,そのような事実はなく,また,Lには,特
許事務所を選択する権限も発明を出願するか否かを決定する権限もな
かったから,そのような手順を踏むこと自体あり得ない。
控訴人においては,細則(甲5)に従い,発明者が発明をしたとき
はまず届出がなされ(4条1項),その届出を受けて社内の発明・考
案・意匠審査会が発明の譲受けについて決定をし(8条),その後に
会社として出願をするかどうかを決定することとなっている。ところ
が,バリ取りホルダーの開発に関与していたC,D,Aは,これらの手
続きを一切履践していない。このことは,これらの者が,控訴人の社
内の資料をきわめて広く複製し,持ち出していながら,そして,持ち
出した資料の中には発明の届出書等の書式(乙5∼7)が含まれてい
ながら,Aによって提出されたはずの届出書が書証として提出されて
いないことから明らかである。
したがって,控訴人が法人として本件発明の出願をしようとしたこ
とはなく,控訴人が出願を取り止めたこともない。
d被控訴人の主観的認識
(a)原判決は,被控訴人の認識に関する評価に際し,被控訴人が,
あたかもCやD,Aとは独立した第三者であるかのように捉えてい
る。
しかし,これら3名は,被控訴人が特許出願をした時点では,い
ずれも被控訴人の従業員である。また,二重譲渡が行われた日,す
なわち,Aから被控訴人に特許を受ける権利が譲渡された日も,Aは
被控訴人の従業員である。これら3名は,被控訴人の従業員として
被控訴人に権利を譲渡しているのであるから,被控訴人は,これら
の者との関係において,特許を受ける権利の譲渡に関して第三者と
は評価しがたく,これらの者の認識をもってそのまま被控訴人の認
識と考えなければならないのである。そして,これら3名は,本件
発明が完成し,発売中止命令がなされた時点では控訴人の従業員な
いし役員であったのであるから,控訴人のもとで発明から発売中止
に至る経緯をすべて熟知していたことに疑いはない。
そうであれば,被控訴人は,上記の発売中止の経緯についても,
本件発明が盗取された経緯についても,完全に悪意であるといわな
ければならないし,むしろ,この考え方によれば,被控訴人は実質
的に発明を盗取した当の本人であるから,控訴人以上に盗取の経緯
を熟知していたと評価できる。
ところが,原判決は,被控訴人の主観的認識とC,D,Aの認識を
別個のものと考えて背信性を否定していると考えられる。
不動産についての背信的悪意に関する裁判例においても,譲渡人
と譲受人が実質的に同一の場合には広く背信性を認めているところ
であり,これに反する原判決の評価は,社会常識にも法常識にも反
する。
(b)加えて,仮に,原判決が認定するように,被控訴人が「特許出
願が取り止めになった経緯についても,詳しく説明を受けていたも
のと推認できる」のであれば,さらにもう一歩進んで,被控訴人が
Aらに対してその発明が機密保持の対象となっていないかというこ
とを尋ねたであろうこと,その結果本件発明が控訴人において秘匿
されていることを知るに至ったであろうこと,そして,開発中止の
原因が工場の移転にあったことを知っていたことも推認できるはず
である。被控訴人は,従来バリ取りホルダーなどの加工工具を製造
したこともないのに,Aらの転職後直ちに特許出願し,その後現に
これを製品化して発売しているから,控訴人のもとで,技術的な面
でも商業的な面でも相当程度開発が進んでいたことを十分に認識し
ていたと認められる。
このような場合,背信性のない者が被控訴人の立場に立てば,
「ここまで開発を進めておきながら,なぜ控訴人は開発を中止した
のか」という疑問を当然に抱いたはずであり,その背景について確
認するのが通常の行動であろう。
したがって,被控訴人が,バリ取りホルダーについて,真実控訴
人が開発を断念した製品であると信じていたとは考え難い。
(ウ)「Aに対する報奨金の支払」につき
a原判決は,被控訴人の背信性を否定する理由の中で,控訴人が職務
発明の承継の対価を支払っていないことを指摘している(44頁下1
行∼45頁1行)。
しかし,Aは,控訴人に対し,本件発明の届出をしておらず,ま
た,少なくとも,本件発明につき控訴人による特許出願にも製品の発
売にも至っていないから,独占の利益を生じることはおろか,形式的
な報奨金である出願補償金についてすら,これを支払う法律上の原因
がなかった。
したがって,報奨金の支払がないことを控訴人に不利な事情として
指摘し,しかも,その事実が結論にどのように影響するのか明示しな
い原判決の判断は,法的に不明確であるのみならず,誤解によるもの
といわざるを得ない。
bまた,仮に控訴人が本件発明について特許出願をし,出願補償金を
支払っていたとしても,その支給額は5000円にとどまり,かつこ
れについて利害を有するのは被控訴人でなくA個人であるから,その
不払が,被控訴人の控訴人に対する背信性を左右するような事情とな
るとも思われない。
(エ)「被控訴人による妨害意図の存在」につき
a原判決は,被控訴人において,控訴人が製品開発を中断したことを
認識していたこと,現に控訴人が特許出願をしていないことを主たる
理由に,控訴人の権利取得を積極的に妨害する意思はなかったと認定
している(45頁7行∼12行)。
しかし,被控訴人が特許出願すれば原則として控訴人が特許を取得
できなくなるのは当然であるから,被控訴人に控訴人の権利取得を妨
害する意思があったのは当然である。控訴人は権利を放棄したわけで
はなく,また,市場の動向如何で出願をする可能性は十分に残されて
いたのであり,かつ,被控訴人は,C,D,Aを通じてこのことを認識
していた。この控訴人による出願の可能性を被控訴人が出願すること
によって封じるのは権利取得の妨害にほかならず,また,自ら積極的
に出願という作為行為をしているのであるから,「積極的」な妨害行
為であることにも疑いはない。
bまた,仮に被控訴人の代表者(F)が,従業員であるAから本件発明
は控訴人が放棄した技術であると聞かされ,これを真に受けるような
誤解があったとしても,それはあくまで社員と代表者との間の意思の
不疎通という被控訴人の内部的事情に過ぎず,代表者の主観をもって
被控訴人の認識と考えることはできない。
cさらに,控訴人は,被控訴人による出願が発覚した後の平成18年
3月31日(甲34)及び同年4月27日(甲35の1,2)に,被
控訴人に対し,出願の事実に関してごく穏健な問合せをしているが,
被控訴人は,これに対し,一切応答していない。これは,被控訴人が
当初から確信犯的に控訴人の発明を盗み取ることを意図して出願した
ことを示すものである。
d本件訴訟の審理対象は「特許権」ではない。問題とされなければな
らないのは「特許を受ける権利」の帰属である。そして,特許権と特
許を受ける権利の大きな相違点の一つとして,特許権は性質上公知の
情報を目的とするのに対し,特許を受ける権利は,出願しない限り非
公知性を維持する必要がある。このように,特許を受ける権利は性質
上その存在自体が非公知であり,かつ,いつ出願し権利化するかは経
営判断の問題であるから,秘匿することも正当な権利保全の手段とさ
れている。したがって,第一譲受人たる控訴人が秘匿という選択をし
ている場合には,第二譲受人たる被控訴人の背信性の認定に当たって
特許権の取得を妨害したか否かを問題とするのは,無意味である。第
一譲受人は特許権を取得しようとしていないからである。仮に,この
場合にも特許権取得の妨害を問題にしなければならないとすると,発
明を秘匿した場合には,常にこれを盗取した者の背信性が否定される
こととなりかねず,むしろ不当な結果となる。
そして,特許法上,出願後遅くとも1年6か月の経過によって出願
情報は公開されるから,他社が秘匿する技術情報を出願することは,
その非公知性を喪失させることによって特許を受ける権利を消滅させ
る行為にほかならない。そうであれば,本件で問題とされるべき特許
を受ける権利との関係においては,被控訴人の行為は,控訴人の権利
を意図的に危殆に陥れるものであるということができ,権利保全に対
する深刻な妨害行為を構成するものである。殊に,単純な冒認を理由
とする「特許権」の取戻請求を否定する現在の実務(東京地判平成1
4年7月17日判時1799号155頁等)のもとでは,特許審査が
進行し,査定が確定したときには,控訴人が救済を受ける途は,背信
的悪意者排除論などを論じるまでもなく事実上すべて閉ざされること
になる可能性が高いから,この妨害行為の悪質性は不動産の二重譲渡
の比ではない。
さらに,企業が開発を中断する場合,特殊な事情がある場合には別
段,通常その意図するところは,市場の動向如何により,開発を再開
する可能性を残すことをも含み,現に,世上いったん開発を中断しな
がら,市場の動向を見ながら開発を再開する案件は珍しくない。本件
においても,顧客からの要望により,控訴人が製品開発を再開しよう
としたことをきっかけに,被控訴人による出願を知ることとなったの
である。開発の中断が,他社による技術利用を容認すること,まして
や,独占権の取得を容認することを意味しないのは当然である。これ
は,技術開発に携わる企業にとっては常識に属する事実であるとこ
ろ,それにもかかわらず,出願しないことをもって控訴人の本件発明
に対する消極的態度と捉え,実質的に特許を受ける権利を放棄したよ
うに取り扱った原判決の認定は誤りである。
e被控訴人は,本件において中止されたのがバリ取りホルダーの「発
売」にすぎないことを認識していたと認められ,また,仮に本件発明
について控訴人が製品開発を中断していたと認識していたとしても,
同時に,控訴人が技術情報を公開していないことも,退職者から機密
保持の誓約を得るなどしてこれを秘匿していたことも認識していたと
認められる。また,Cは控訴人の取締役まで務めていたのであるか
ら,被控訴人は,本件における開発中止が工場の移転に伴うものであ
って,技術的な限界や商業的な見通しの困難さに基づくものでないこ
と,そして,将来控訴人がバリ取りホルダーの開発を再開し,製品化
する可能性を残していたことも認識していたと認められる。さらに,
仮に被控訴人が具体的な開発再開の可能性を意識していなかったとし
ても,少なくとも社会常識として,単なる開発の中止が恒久的な権利
放棄を意味しないこと,社内で情報を秘匿する以上,市場の動向によ
り開発再開がありうること,そして,一般的に開発の中止が他社によ
る技術利用や独占権の取得を容認する意思を含むものでないことを理
解していたことに疑いはない。それにもかかわらず,たまたま自社の
従業員となったC,D,Aが盗み出した技術情報を入手したことを奇貨
として,Aから特許を受ける権利を譲り受け,本件特許出願をした被
控訴人の行為は,控訴人が出願をしたか否かにかかわりなく,控訴人
の特許を受ける権利を消滅の危機に陥れる行為であり,権利保全に対
する「妨害意思」の明確な徴表である。
また,これは,秘匿された情報を不法に持ち出したことを認識しつ
つ権利の譲渡を受けることによって実現され,かつ,妨害行為の態様
も特許出願という積極的作為であるから,「積極的」な妨害意図があ
ることも明白である。
したがって,被控訴人の行為には高度の背信性が認められる。
イ特許法34条1項における背信的悪意の考え方に関する誤謬
(ア)原判決が本件において背信的悪意を否定した主要な理由は,出願の
目的となった発明が控訴人において開発を中止した技術であると認識し
ており,ことさら控訴人の権利取得を妨害するなどの意図は有していな
かったと認められる,ということにあるから,「開発が中止されさえす
れば,他社が社内で秘匿している技術を盗取するのは自由競争の範囲内
の行為である」と判断したこととなる。
仮に,このような考え方が通用するのであれば,各社とも他社から移
籍してくる従業員に対して前職における開発中止案件の盗取を期待する
ようになるであろうが,このような状態が健全な技術開発競争であると
は思われない。
また,原判決の考え方を採用すると,企業は,開発中止案件につい
て,実質的にその権利を保全する手段がなくなる。開発中止を決定する
と同時に出願をすれば,権利を保全することは可能になるが,これは審
査に要する労力や出願・登録維持に要する費用等の社会資源の無駄遣い
にほかならず,現実的ではない。開発中止案件について権利を保全する
ために一般的に採用されている方策としては,社内の営業秘密保護制度
を確立し,従業員から機密保持の誓約を受けることなどであるが,原判
決の考え方によれば,開発を中止していれば他者の有する発明を出願す
る行為が自由競争の範囲内となるというのであるから,このような制度
は無力であることとなる。そうすると,企業が取れる途としては,極端
なセキュリティの強化や研究者の退職を困難にするような制度の導入以
外になくなってしまうこととなる。他の対処としては,開発中止の判断
を遅らせることが考えられるが,これは根本的対策とならないのみなら
ず,柔軟な経営判断を阻害して投資効率を悪化させ,国際競争力を低下
させる以外の効用を生まない。
結局のところ,原判決は,「背信的悪意」という語の持つ強い響きに
捉われて硬直的な誤った判断をしたものである。
(イ)さらに対抗要件制度の根本に立ち返って考えると,本件のように,
社内に秘匿されている職務発明を盗み出したような事例においては,対
抗関係において悪意の第二譲受人を保護する前提的事情もないといえ
る。そもそも,対抗要件制度は市場における正常な取引秩序の維持を目
的とするものであり,正常な取引秩序の維持という目的の中で悪意者が
なお原則的に保護を受けるのは,市場で流通する財については自由競争
が働くことを理由とする。ここにいう「自由競争」とは,平易にいえば
対抗要件具備についての早い者勝ちである。この「自由競争」思想を正
当化するのは,譲受人としては,通常の場合,第二譲受人の出現を予測
し,かつ,速やかな対抗要件取得に努めることで危険を回避することが
できるという,競争条件の存在である。換言すれば,そのような前提条
件が整っていながら対抗要件の具備を怠った場合には,その落ち度に対
するサンクションとして悪意者に劣後させることを辛うじて正当化でき
ると考えられているのである。このようなサンクションを認める背景に
は,公示に対する信頼を保護し,取引の安全を確保するため,公示を怠
った者を不利益に扱うという思想もある。
以上の考え方を本件に当てはめるに,特許を受ける権利については,
以下のとおり,第二譲受人の出現に関する予測可能性の点においても,
そして,公示による対抗要件の具備の可能性の点においても,上記前提
が成り立たない。
a特許を受ける権利は,その性質上非公知性が要求され,それが職務
発明である場合には発明完成時から一貫して社内で秘匿されているの
が通常である。このような情報は,何者かの不正が介在しなければ保
有者の意思に反して自由競争の場である市場に出ることがなく,第三
者はその存在すら察知できないから,適法に第三者によって取得され
ることは論理的にあり得ない。
そのため,情報の第一譲受人,特に本件のように職務発明を承継し
た使用者として予測できるのは,せいぜい何らかの違法行為の結果と
しての情報漏えいであって,自由競争の結果として第三者に譲渡され
る可能性を予測することを求めるのは論理的に不可能である。
このように自由競争原理が作用する余地のない権利について,出願
しなかったことを落ち度として第一譲受人を自由競争における敗者と
することは不当であるし,むしろ,違法行為が介在した結果第一譲受
人が出願で劣後した場合において,第二譲受人が悪意である場合に
は,背信的悪意者排除論による法的保護を期待することが許されるべ
きである。
bまた,仮に,何らかの事情により,職務発明について特許を受ける
権利を承継した使用者が,自由競争の枠内の行為によって当該権利が
第三者に移転される可能性があることを予測すべきであるとしても,
特許を受ける権利については,秘匿が正当な選択肢であるため,「対
抗要件の具備が可能であった」という条件を一般化することができな
い。
特許を受ける権利は,不動産などの有体物と異なり,その性質上公
示になじまず,たとえ特許性のある発明であっても,秘匿という情報
利用ないし権利保全の形態が法的に正当なものとして認められてい
る。したがって,本来的に,どのような発明について特許出願をし,
どのような発明について社内で秘匿するかは,各事業主体の任意の判
断に委ねられるべき事項である。そして,発明を秘匿することと出願
することとは矛盾する行動であるから,秘匿を選択した場合には出願
は不可能であることとなり,「権利を取得すれば速やかに出願し,対
抗要件を具備すべきであった」という前提命題が成り立たないことと
なる。
次に,法制的観点から考えると,特許発明は,出願公開に至れば非
公知性が喪失されるものの,通常であれば特許出願から1年6か月後
の出願公開に至るまで公開されることはないから,二重譲渡が最も問
題となると思われる出願前後の時期には,公示によって取引の安全を
保障することができない。
以上に照らせば,特許を受ける権利に関しては,そもそも公示をし
ないことによるサンクションとしての悪意者保護を考える必要はな
く,むしろ,発明を秘匿して出願をしない,すなわち,特許を受ける
権利としては対抗要件を具備しないという選択肢が自由競争の観点か
らも正当なものであることを前提に据えた上で,許容される第二譲受
人の行為の範囲を考えなければならない。このような観点からは,他
社が秘匿している情報を悪意で取得し,出願する行為は,それ自体他
社が出願によって対抗要件を具備しないという選択をしたことに付け
込んだ不法性の高い行為であって,技術情報に関する競争秩序に対す
る脅威といえる。
したがって,この点においても,被控訴人は,自由競争の範囲を逸
脱した行動をした者ということができ,背信的悪意者に該当すると認
められる。
(ウ)以上述べたところからと,特許法においては,他社が秘匿している
情報について悪意で二重譲渡を受け,出願する行為は,本質的に背信的
であって,特段の事情がない限り自由競争の範囲を逸脱するものと評価
すべきである。
本件において,被控訴人は,控訴人が秘匿する情報を盗取して特許出
願しているところ,その背信性を否定する特段の理由もないから,被控
訴人は背信的悪意者に該当する。
原判決には,特許法34条1項における背信的悪意の考え方に関する
誤謬がある。
ウコスト負担から見た被控訴人の要保護性の欠如
前記のとおり,対抗要件制度は正常な取引秩序の維持を目的とするので
あるから,本来的にその恩恵を受けるべきは,正常な取引によって権利を
取得した者,すなわち本件についていえば,本件発明を正当な対価を負担
して取得した者に限られるべきである。逆に,正当な対価を負担せずに本
件発明を取得したのでなければ,その者は,たとえ出願を経由したとして
も,他者の対抗要件の欠缺を主張する正当な利益を有しないといえるか
ら,保護を享受すべき「第三者」には該当しないというべきである。
この点,まず,控訴人は,バリ取りホルダーの開発のため,概要以下の
投資をした。
①森精機NV5000A1958万0400円
②CAD追加266万4900円
③マイクロスコープ91万円
④真円度測定器817万1000円
⑤試作費686万4112円(甲39)
⑥Aの給与733万3925円
⑦Gの給与242万8919円
⑧Dの給与210万0890円
⑨Lの給与85万4141円
⑩Cの給与150万5593円
ただし,給与は,開発期間の給料,賞与,法定福利費,福利厚生費,退
職引当金の合計であり,Aについては平成14年12月から平成16年1
月までの全額,Gについては平成14年7月から同年11月までの全額,D
については平成14年7月から平成16年1月までの総額のうち2割,L
については同期間の総額のうち1割,Cについては平成14年7月から平
成15年9月までの総額の1割を算入している。
また,これらの明確な投資以外にも,平成14年7月から平成16年1
月までの控訴人の開発費合計1142万3323円の1割ないし2割はバ
リ取りホルダーに充てられたものと考えられるし,このような体制を維持
するための間接費を含めると,約6000万円の投資となる。
これに対し,被控訴人は,本件発明完成後にAを雇用し,何らの対価も
支払わずに特許を受ける権利を承継しているのであるから,一切の投資を
していない。
したがって,被控訴人は正当な対価を負担して本件発明を取得した者と
はいいがたく,要保護性に欠けるから,被控訴人は,控訴人の対抗要件の
欠缺を主張することができる「第三者」には該当しない。
エ小括
以上に照らせば,被控訴人は特許法34条1項に基づいて控訴人の対抗
要件の欠缺を主張する正当な利益を有する「第三者」とはいえないから,
本件発明に係る特許を受ける権利は控訴人に属する。
(5)争点(6)〔控訴人が本件特許を受ける権利を有する旨主張すること
は,信義則に違反し又は権利の濫用であるか〕について
被控訴人は,控訴人の有する特許を受ける権利は,権利の不行使により失
効しため,その行使は許されないとの主張をする。
しかし,本件で問題とされているのは権利の帰属であって,権利行使の可
否ではないから,失効を問題とする余地はない。
また,発明は,特許要件が充足される限り,いつにても特許出願をするこ
とが可能であり,特許権は出願から20年間存続するから,特許出願が可能
である限り特許を受ける権利が消滅すると解する理由はない。
したがって,被控訴人の主張は失当である。
2被控訴人
(1)争点(2)〔本件発明の発明者は誰か〕について
ア原判決が「…また,B及びGについては,Aに対し,ユニバーサルジョイ
ント,スプリングジョイント,等速ジョイントなどの実例をアドバイスし
たことがあること,本件の公報の図12,図8,図9の示す本件発明の実
施形態として,それらのジョイントが説明されていることが認められるも
のの,これらの自在継手は,従来からよく知られた形式のものであり,B
らが実例やカタログによってこれらを示したとおり,周知の存在と認めら
れる。」(37頁13行∼19行)と認定したことに誤りはない。ただ
し,この認定の後に,括弧書きで,「(なお,等速ジョイントについては
本件発明の請求項5及び請求項6に言及があるものの,ユニバーサルジョ
イントとスプリングジョイントについては,本件発明のいずれの請求項に
も言及されていない。)」(37頁19行∼22行)と認定している点に
は,下記イの疑問点が存する。
イ本件特許請求の範囲「請求項1」,「請求項5」及び「請求項6」には
「等速」という文言はないが,「請求項5」及び「請求項6」において
は,具体的な構成として第1自在継手部と第2自在継手部と記載されてい
て,この記載は「等速ジョイント」を示しているのであるから,言及がな
いとの控訴人の主張は誤りであり,この点で原判決に事実誤認はない。
次に,ユニバーサルジョイントとスプリングジョイントについては,本
件特許請求の範囲には,形式的には言及がないが,「自在継手」の表現の
なかに全てのジョイントが含まれており,言及があるとするのが正しい。
しかし,原判決が,「ユニバーサルジョイント」と明示されていない点を
捉えて言及されていないと述べたとすれば,それは表現上の問題であり,
特に誤りという程ではない。
ウ自在継手はそれ自体形式として,従来からよく知られた周知のものであ
り,なおかつ,自在継手を2段に組み合わせて使用するか否かということ
についても,従来から知られていることであって,そのことも周知であ
る。甲22(大西清編著「機械工学一般第2版」61頁)の「3.自在
継手」に「4・41図のように中間軸を置いて2個の自在継手を用い
る。」と記載されており,甲24(山崎健太「ステアリング用等速ジョイ
ント(CSJ)」NTNTECHNICALREVIEWNo.7
3[2005]84頁)には,「ステアリング用等速ジョイント」につい
て,「2個のジョイントを設定角度が等しくなるように組み合わせ」,
「クロスジョイントを2個組合わせ」なる構成が示され,さらに甲25
(特開平11−13781)には「ダブルカルダン式等速ジョイント」が
示されていることから明らかなように,2個の自在継手を用いる構成も周
知である。
エ本件発明の要点は,これらの自在継手を使用した上で,回転する刃具の
傾動動作等を加工面の角度などにかかわらず,いかにスムーズに行うかの
工夫にあるものであって,「…Bらのアドバイスによっては,何ら課題の
解決にならない…」との原判決の判断(37頁下3行∼下2行)は正し
い。
控訴人は,「本件発明のような構造を有する機械において傾動動作がス
ムーズに行なわれるためには,回転ムラによる振動を解消することが重要
である。」と主張するが,これは従来公知の問題点とされたものである。
「自在継手を2段同位相に組み合わせたのは,この回転ムラを緩和,解消
することを目的としたものである。」との控訴人の主張は誤りというほか
はなく,本件発明の構成要件のすべてにより回転ムラによる振動を解消す
ることができるものである。
本件明細書(甲1)の段落【0015】には「また,このようなホルダ
ーの傾動時,自在継手による吸収ロッドとホルダーとの連結長さの微妙な
変化や振動によってそこに軸方向の衝撃力が生じることがあるが,吸収ロ
ッドに設けた吸収ばねと,ホルダー内に設けた摺動ホルダー用のばね部材
によりそれが良好に吸収される。」との記載があり,段落【0016】に
は「しかし,本加工工具では,傾動支持ピン装置の多数の傾動支持ピンが
ばね部材を介してその先端を傾動ケース上部の受圧板を押えるように作用
し,またこの傾動支持ピン装置が回動自在で且つフリー状態でケース内に
配設され,さらに傾動支持ピン装置の上側にボールベアリングをフリー状
態で回転自在に配設しているため,刃具の回転負荷が変化しホルダーが直
線姿勢に戻る際,傾動支持ピン装置の円周方向への動きをスムーズにし
て,ホルダーや刃具の暴れを防止することができる。」と記載されている
から,「自在継手を同位相に2段に組み合わせ,これを本件発明の他の構
成と組み合わせることにより,よりスムーズな動作を実現することが可能
となっているのである。」との控訴人の主張は誤った主張である。
オ以上のとおり自在継手が周知の構成であるから,Bが本件発明の発明者
であると認めることはできない。
(2)争点(3)〔本件特許を受ける権利は発明者から控訴人に承継された
か〕について
本件特許を受ける権利は,いまだ控訴人に移転しておらず,発明者Aが有
していた。その理由は,原判決14頁7行∼15頁2行のほか,以下のとお
りである。
ア「権利の承継」の法的根拠は,一般承継は別として,譲渡という法律行
為である。それは譲渡人と譲受人間における権利移転に関する意思表示の
合致である。しかも当該譲渡の意思表示には,当事者とその権利の対象が
具体的に特定していなければならない。
イ細則5条1項における「…工業所有権を受ける権利は,会社がこれを承
継する。」との定めは,職務発明において将来創作される発明に関するも
のを指しており,特許を受ける権利の対象が具体的に特定されていない。
しかも細則では,承継の当事者である譲受人は控訴人であるものの,発明
者・譲渡人が誰であるかは特定されていない。
したがって,細則5条1項の定めをもって権利承継(移転)の意思表示
の合致を推定することはできず,せいぜい譲渡の予約を定めたと見ること
ができるものである。具体的に発明が完成された場合に,発明者と使用者
の間で当該発明を対象とした特許を受ける権利の移転を目的とした譲渡行
為としての意思表示の合致を経て,初めて権利は承継されるものである。
ウこのように解釈することが細則5条1項の正しい解釈であり,そう解す
ることにより,細則4条1項・2項,8条,10条2項との整合性が保た
れ,併せて規則62条あるいは特許法35条(発明者主義の原則)の趣旨
にも合致し得る。
エなお,控訴人は,「控訴人においては,細則(甲5)に従い,発明者が
発明をしたときはまず届出がなされ(4条1項),その届出を受けて社内
の発明・考案・意匠審査会が発明の譲受けについて決定をし(8条),そ
の後に会社として出願をするかどうかを決定することとなっている。」と
主張する。
上記控訴人主張は,発明者の発明届出を受けた後に社内(控訴人)の発
明・考案・意匠審議会が発明の譲受けについて決定をすることになってい
る,という社内システムを述べたものであるが,この主張は,発明の完成
と同時に特許を受ける権利が控訴人に承継されるという従前の控訴人主張
を撤回したものであり,被控訴人はこの控訴人の主張を援用する。
したがって,本件発明についての特許を受ける権利は,控訴人において
「Aから届出がなされておらず」かつ「譲受けについての決定を行ってお
らず」,これに基づく発明者Aとの間の譲渡行為も履行されていないか
ら,控訴人に承継されていない。
(3)争点(4)〔控訴人は本件特許を受ける権利を放棄したか又はAに返還さ
れたか〕について
仮に,控訴人に本件特許を受ける権利が承継されていたとしても,以下の
理由により,細則10条2項によって,それは発明者Aに返還された。
ア細則8条(1)によれば,発明の届出がなされた工業所有権を取得する
権利(特許を受ける権利)の譲り受けの決定に関する事項は,審査会が審
査する。細則10条1項は,細則8条によって工業所有権を受ける権利を
取得した場合には審査の上,必要と認められるものについて工業所有権の
出願を行うことを定めているところ,本件発明に係るバリ取りホルダー
は,特許出願をしておらず,しかも出願の必要なしとされた。細則10条
2項は,「第8条の工業所有権の出願を行わないものについては,会社が
なお承継の必要を認めたものを除いて,その工業所有権を受ける権利を発
明・考案・意匠の創作者に返還する。」と定めている。
イ本件発明に係るバリ取りホルダーに関しては,開発・販売中止の業務命
令が出されたことを理由にLより特許出願の必要なしの指示とこれに関す
る関係書類の返却がなされたことから,その旨の審査会決定があったもの
と推認できる。控訴人が「なお承継の必要がある」と認め得るような決定
を下した可能性はない。
ウそうすると,細則10条2項に基づいて本件発明に係るバリ取りホルダ
ーの「特許を受ける権利」は発明者Aに返還されなければならないもので
あり,相当期間を経過した現在発明者Aに特段の手続を要せず返還された
ものである。
(4)争点(5)〔被控訴人は背信的悪意者であるので本件特許を受ける権利
の取得を控訴人に対抗できないか〕について
ア控訴人の「原判決の認定の誤り」の主張につき
(ア)「C,D又はAによる情報の持出し」
a本件発明の開発作業については,ハード面においては主として控訴
人の設備などを用いて行われたが,ソフト面については,例えば各種
文献やその文献から推理されたノウハウあるいは関連する過去の知識
と新しいノウハウの連携,またそこから誕生する次の新ノウハウ等は
A自身が持ち合わせていた情報といえるものである。これはAが技術者
として長年に亘って積み重ねた知識の総合体であり,一般の公開情報
とは全くの別物である。
b職務発明の図面と,出願の図面とは全く同一ではない。発明とは技
術的思想の創作であり,この創作行為はAの頭の中に存在しており,
同一に近い図面を再生させることは容易であり,不可能ではなく,発
明者であるが故にできる行為である。
また,本件発明の構想図再現性について述べると,①ホルダシャン
ク部はJIS規格により寸法が決まっている。②ボディケースの内径
については,内部に使用するベアリングサイズ(B7906:NTN
(株)製)で必然的に決まってくる。③ボディケースの外径について
は,一般的な機械の軸間(BT40シャンクサイズの工作機械では6
5mm)により決まってくる。④ボディケース先端部にある摺動ホル
は,使用する刃具(ツール径一般最大径6mm)により,使うスプ
リングコレット(ER11−UP:レゴフィックス製)及びコレット
用ナット(HI−Q−ER11:レゴフィックス製)のサイズが必然
的に決まる。⑤先端軸の外径と傾斜ケースの内径は,ニードルベアリ
ングのサイズ(K18×22×13:NTN(株)製)で必然的に決
まり,傾斜ケースの外径は球面すべり軸受のサイズ(G30EC:I
KO製)で必然的に決まる。⑥ホルダシャンクの規格,機械の工具交
換干渉範囲により回り止めの軸間寸法,全長,ボディ外径は決まり,
外径より肉厚,強度より内径が決まり,外径の肉厚より傾動支持ピン
の位置・径,ネジ位置・径も決まってくる。このように,必然的に決
まるので,発明者にとって,ほぼ正確な再生が可能であった。まし
て,一次試作品,二次試作品,二次試作品改良型と構想作図を繰り返
したものであるから,再生は尚更可能なものである。
c控訴人が開発資料を持ち出したことを示す証拠と主張する点につい
ては,次のとおりである。
(a)乙4(製造,販売提携契約書解除に関する覚書)は,Cが,
今回の裁判に使用するため,株式会社竹沢精機の社長に依頼して,
FAXにて送付を受けた書類である。
(b)乙2(製造,販売提携契約書),乙3(製造,販売提携契約書
の解約申し入れについて)及び乙5∼7(控訴人における発明に関
する書式)は,Cが控訴人でのアルバイト期間中に個人として入手
した資料又は個人としてDから入手した資料を所持していたもので
ある。
(c)乙13∼16(打合せ報告書の控え)は,Cが控訴人でのアル
バイト期間中に打合せ内容の控えとして配布を受けて保持していた
ものである。
(d)乙23,24(バリ取りに関する参考資料)は,バリ取りに関
する参考資料の抜粋であり,一般的に販売されている書類中にあ
る。新商品開発プロジェクト会議のメンバー全員に配布された公開
資料であって,持ち出した物ではない。
(e)したがって,被控訴人がこれらの書類を提出したことが,本件
発明に係る設計図書等が複製されて持ち出されたことを推認させる
ものではない。
dAに限らず,過去に数年間もその技術開発に携ってきた技術者であ
れば,2か月ほどの期間があれば,既に発明として完成された技術を
再現して出願可能の状態に持ち込むことが可能である。被控訴人の下
において,バリ取りホルダーの加工工具を製造したことがあるかない
かは,本件特許出願とは関係ない。
控訴人を退職した事情とその時期は,C,D,Aにおいてそれぞれ別
個のもので,何の関連性もない。
(イ)「被控訴人による開発中止及び特許出願の取止めの認識」
a被控訴人の主張は,本件発明に係るバリ取りホルダーについては,
開発中止の業務命令が発せられ,本件特許を受ける権利が事実上放棄
されたというものである。したがって,原判決が本件特許を受ける権
利が放棄された点を否定したのは判断を誤ったものといわなければな
らない。
b控訴人は,工場移転に際して開発人員の減少が生じ,人員を割り当
てることが出来ないまま時間が経過したとか,当面本件発明を秘匿し
人員確保の目処が経ってから開発資源を割り当て製品として発売しよ
うと考えた等と主張しているが,そのような事実は全く無く,後から
考えついた理由にほかならない。
c控訴人は,「しかし,例えば,技術的な限界によって開発を中止し
た場合には,技術革新により障壁が除去されれば開発が再開されるこ
とがあろうし,市場の状況を見据えての中止であれば,市場環境の変
化により再開することがありうる。本件のように,人手不足が理由の
中止であれば,人手がまかなわれれば開発の再開が可能になる。」と
主張している。
しかし,技術的な限界によって開発を中止した場合とは開発を諦め
たということであり,技術的な限界によって発明が完成しなかったこ
とを意味する。また,技術革新により障壁除去されれば,新たな発明
が多数発生することになり,市場環境の変化は特許の問題ではなく,
経営判断の問題である。さらに,人手不足が理由など先願主義を採用
する特許制度では開発の名に値しないし,競争社会では通用しないも
のである。
dDは,控訴人が具体的にどのような手順で特許出願を決定するのか
は知らないものの,特許出願する場合の従来からの控訴人の手順に則
って,その直属の上司であるLに本件発明の特許出願を上申し,その
了承を得て,出願準備を「いいだ特許事務所」に依頼した。これは,
Lに対し,控訴人が許容した権限内の行為であるから,控訴人の了承
の下に進められたと同様である。なお,Dが,「いいだ特許事務所」
に本件発明の特許出願の準備を依頼したのは,「いいだ特許事務所」
への依頼は初めてであるものの,控訴人の経費削減の意向に沿って控
訴人の名古屋工場から近い距離に位置し,打合せに出向く時間や交通
費の大幅な節約に資することから,控訴人の取引先である,東海狭範
株式会社のH社長の紹介で,依頼することにしたものである。
Dは,上記のように本件発明の特許出願の準備を「いいだ特許事務
所」に依頼して行っていたところ,平成15年11月に入って,Lか
ら,バリ取りホルダーの開発は,業務命令で中止となっているので,
特許出願の必要もないと言われ,先に提出した書類が返却されたこと
から,平成15年12月29日に「いいだ特許事務所」に赴き,上記
事情を説明して,それまでに「いいだ特許事務所」に預託していた本
件発明の特許出願に必要な設計図等の返却を受けた。そして,それら
の図面等はその後Lの業務命令によりDにおいて廃棄処分された。
e被控訴人のF社長は,平成16年4月9日Aから三者面談の席上で,
バリ取りホルダーの開発の提案を受けた際に,同人よりバリ取りホル
ダーについては,かつて控訴人に在職中,その開発・商品化に向けた
開発行為を手掛けてきたことを聞かされ,その事実を知った。しか
し,バリ取りホルダーに関するそれ以上の詳細な事実については,特
に説明を受けておらず,聞かされてはいない。Fが認識していたの
は,単にバリ取りホルダーがかつて控訴人の元でAがその開発行為を
手掛けたことがあるとの事実のみである。それ以外の事実,例えば,
バリ取りホルダーの開発の内容やどの部分が研究の中心部分か,従来
控訴人においては,どれ位まで開発が進んでいたのか,その期間はい
つ頃からどれ位の期間を要したとか,それにつぎ込んだ人的・物的費
用はどれ位のものか,開発の結果はどれ位に達していたのかとか,こ
れに対する特許出願手続はどうなっていたのか等の諸事実は全く認識
をしていない。
f控訴人は,A,C,Dはいずれも被控訴人の従業員であるから,被控
訴人と同一人であると解されるべきであるので,被控訴人は「第三
者」でないと主張する。
しかし,Aらは,いずれも被控訴人の従業員とはいえ,控訴人の主
張立証するところからは,CやDが被控訴人の譲受けにどのように係わ
ったのか不明であるのみならず,上記3名は,いずれも被控訴人の意
思決定を行う立場にあるわけでないので,被控訴人と同一視すること
はできない。
「特許を受ける権利」を中心に,当事者の関係を見ると,Aと被控
訴人は,その権利の譲渡をめぐり,譲渡人と譲受人の関係にあって,
両者は利害対立のある関係を持っているから,両者を実質上同一視す
ることは不可能である。
職務発明の関係において見た場合においても,発明者たるAと会社
たる被控訴人の関係は,明白に対立する関係になっており,両者を同
一視することは困難である。
しかも会社内における地位は,他方が使用者であるのに対し,Aは
従業員たる地位にあり,雇用関係においても対立した立場を基本とし
ている。
gAは控訴人が本件特許を受ける権利を有していた旨の認識は有して
おらず,また諸資料の複製や持ち出しをしておらず,またCとの共謀
の事実も無く,いずれも違法行為の認識がなかったことは明白であ
る。
誓約書(甲10)については,当時のAの認識では,控訴人におけ
るバリ取りホルダーの開発は,全体としてすでに非公知とはいえない
程に各関係者間で知れ渡っていたものであるから,これ自体誓約の対
象外にあると考えていた。したがって,当時のAには誓約書違反の認
識はなく,いわゆる悪意ではなかった。
(ウ)「被控訴人による妨害意図の存在」
特許を受ける権利について,秘匿することも正当な権利保全の手段で
ある等と主張することは,技術の進歩が日進月歩のものであり,発明が
完成された場合,直ちにそれを出願することによりその発明技術を確保
するという実務の慣行を全く無視したものといわなければならない。ノ
ウハウや特許を受ける権利の秘匿は,特許法上の法的保護を自ら放棄し
たものでそれ自体大きなリスクを覚悟の上での経営判断である。
イ控訴人の「特許法34条1項における背信的悪意の考え方に関する誤
謬」の主張につき
(ア)原判決は,「開発が中止されさえすれば,他社が社内で秘匿してい
る技術を盗取するのは自由競争の範囲内である」と判断したものではな
いし,「各社とも他社から移籍している従業員に対して前職における開
発中止案件の盗取を期待するようになる」ものではない。
(イ)控訴人は,「原判決の考え方を採用すると,企業は開発中止案件に
ついて,実質的にその権利を保全する手段がなくなる」と主張するが,
開発中止案件が特許を受け得る発明であれば,特許出願をして,特許権
を取得することが特許法が発明者及びその承継者に求める行動態様であ
って,このような行動をとらない発明者及びその承継者は発明を秘匿す
る権利があったとしても,自らの判断で特許権の取得を放棄したもので
あるから,特許法の保護を受けないとしても,やむを得ないことであ
る。
(ウ)本件は,社内に秘匿されている職務発明を盗み出した事例ではない
のであるから,控訴人の主張はその前提条件の設定において誤ってい
るし,控訴人は特許法34条1項の特許出願を経ていないから,本件
特許を受ける権利について被控訴人に対抗しえない。
ウ控訴人の「コスト負担から見た被控訴人の要保護性の欠如」の主張につ

控訴人主張のコストは,仮にその全てが認められたとしても,控訴人
は,そのようにコストを掛けて完成した本件発明につき,Dがその出願の
準備をしていたにもかかわらず,控訴人の経営判断でその出願を取り止め
させて,「いいだ特許事務所」に預けていた出願のための資料等の返却を
受け,廃棄処分をさせたのであるから,被控訴人のコストと対比して控訴
人に掛かったコストを主張することは,控訴人の経営判断による自己責任
を否定することになり,失当である。
被控訴人は,本件発明の開発・商品化には設備投資約1億6500万
円,開発費用約3240万円,計2億円弱を投資している。
エ後記(5)のとおり,発明者及びこの者より特許を受ける権利を譲り受け
た譲受人(被控訴人)の信頼は,保護されなければならないから,控訴人
の本件特許を受ける権利の主張は,その信頼を著しく裏切るものである。
このことは,被控訴人が背信的悪意者でないことの事情となる。
(5)争点(6)〔控訴人が本件特許を受ける権利を有する旨主張すること
は,信義則に違反し又は権利の濫用であるか〕について
ア特許出願前における特許を受ける権利とは,発明によって完成された新
技術について特許出願をなそうとする地位あるいは利益である。したがっ
て,特許の対象たる新技術と密接ではあるがそれ自体ではない点におい
て,営業秘密あるいはノウハウと区別されなければならない。また特許を
受ける権利の行使の結果として得られるであろう特許権そのものでもない
ことは明白である。
特許出願前における特許を受ける権利は,特許出願によって目的を達成
し,特許出願後は「特許出願後の特許を受ける権利」に変わる。特許出願
された新技術は,その後公開・補正・審査などの手続を経て拒絶又は特許
査定へと至るが,特許権設定の登録・拒絶査定等の処分の確定により特許
を受ける権利は,その時点で存在価値を失って自然消滅する。
このように特許を受ける権利は,その対象たる新技術自体と切り離して
観察してみると,弱々しい内容の権利であって,その意味では,特許権そ
の他の知的財産権あるいは民法上の物権などと比較して異質な内容を持っ
た権利といえる。さらに敷衍すると,性質上占有ということもないし,公
示手段もないし,質権の目的とすることもできない(特許法33条2
項)。
我が国の特許法は,特許権の存続期間を特許出願の日から20年と定め
ている(特許法67条1項)。また特許出願についての審査は,審査請求
を待って行うところ,その期間は3年以内と定められており(特許法48
条の2,3)。しかもこの期間内に審査請求を行わない時は,特許出願は
取り下げたものとみなされる(特許法48条の3第4項)。また民法や商
法その他の法令においては,消滅時効や除斥期間の制度が設けられてい
る。
以上述べたところからすると,一定の期間,一定の事由が発生した場合
あるいは一定条件の下で相当期間を経過した後においては,特許を受ける
権利は,消滅するか又は消滅しないまでもその権利の行使やその権利の主
張を失わせることが認められておかしくない。
なお,権利失効の原則は,最判昭和30年11月22日民集9巻12号
1781頁,大阪高判昭和41年4月22日(昭和38年(ネ)第138
0号)などで認められている。
イ本件特許を受ける権利については,次のような事実関係がある。
(ア)控訴人においては,平成15年8月9日の営業所長会議において,
I社長から「タッパー関連以外の商品の開発・販売中止」が発表され
て,「バリ取りホルダー」と「ミクロンホルダー」についての開発・販
売中止の業務命令が発せられた。しかも,平成15年8月26日の連絡
会議及び開発の打合せ会議(開発関係の担当者による会議)において,
控訴人における今後の新商品の開発は,タッパー関連以外は中止の業務
命令が出されたことの報告がなされて,全社内的に周知が計られた。
このように控訴人においては,遅くとも平成15年8月26日(すな
わち,本件発明が完成した平成15年8月23日の3日後)の時点にお
いて,発明者Aが完成させた本件発明を放棄した。
(イ)控訴人の担当者であるDは,平成15年10月ころ,本件発明につ
いて特許出願に向けて「いいだ特許事務所」と種々の接触を持って,そ
のための準備手続を進めつつ,控訴人に対して「特許出願」の上申を行
ったが,後日バリ取りホルダーの開発中止の業務命令が既に発せられた
由をもって,上申は「必要なし」と拒否された。平成15年12月29
日,Dは依頼先の「いいだ特許事務所」に出向き,正式に特許出願の依
頼を断り,準備中の必要書類の返却を受けた。
これに先立って,平成15年9月末,Dは,控訴人会社の利益を守る
意図で,本件発明に関して,細則の定めに則り,発明者Aより「発明・
考案報告書」・「譲渡証書」・「発明考案説明書」などの必要書類を記
入・提出させて,そのころ控訴人の上司であるLを介して控訴人に提出
したが,平成15年11月下旬ころバリ取りホルダーは開発中止の業務
命令が発せられている旨の理由により,正式受理が拒否されて書類一式
が返された。
このようにして本件発明は,「特許出願」という重要な場面におい
て,極めて容易に本件特許を受ける権利を行使して特許出願手続が可能
であったのにもかかわらず,これを行わず,逆に控訴人自ら積極的に
「特許の権利化」を求めない行動を繰り返した。
(ウ)神奈川県平塚市へ工場移転の具体的行動が開始された平成16年2
月∼3月ころに,本件発明の「特許出願用書類一式」を「いいだ特許事
務所」から返却を受けて,Dの下で廃棄処分がされた。続いて同じく平
成16年2月∼3月ころにLの命により,Dの手によって,本件発明に係
るバリ取りホルダーの各種図面や試作品までもが廃棄処分された。
(エ)控訴人は名古屋から平塚に工場移転を実施する際に,本件発明の発
明者であるA及びその上司であるDさらには役員であるCについて,控訴
人を退社させあるいは退社にまかせて慰留行為を一切行わなかった。今
日に至って,本件特許を受ける権利が自社に存するなどと主張するので
あれば,その新技術の発明やこの開発に関与した社員らの確保は,何は
さて措いても必要なことであり,退社を止めるべき強い慰留行為があっ
ても不思議ではなかった。
(オ)控訴人は,平塚への工場移転後において,本件特許を受ける権利に
ついて,特にノウハウとしてこれを引き続き保有し,保全すべき行為を
行った形跡は見当らず,しかも3年8か月という長期間放置したままの
状態に置いていた。控訴人がもし本件特許を受ける権利について,その
保有の意識があったとすれば,何らかの権利保全あるいは権利の管理が
なされていなければならないし,開発・販売再開に向けた動きがあって
も不思議ではない。しかるに,控訴人には,このような行動は一切見ら
れない。
しかも,得意先から,バリ取りホルダーについての被控訴人における
商品販売活動を知らされて,急遽思いつき,「ぶっつぶしてやる」と怒
り,単にそれを阻止するだけの目的で本訴を提起した。
(カ)発明者Aは,控訴人の一連の行動から判断して,控訴人が本件特許
を受ける権利を放棄したものと確信し,今後再びこの件の開発や商品化
の意向が無いものと確信的に信じていた。
被控訴人のF社長は,平成16年4月9日A・C・Fの三者面談で,Aよ
りバリ取りホルダーの開発をやらせて欲しいと提案を受けた際に,かつ
てAが控訴人在職中,バリ取りホルダーの開発を手掛けていた事実を初
めて聞いた。Fは,その時に発明者自身であるAから,控訴人は既にタッ
パー専業メーカーに戻ることになって,開発途中のバリ取りホルダーは
中止となり,このことを社内外に示したこと,平塚に工場移転するに伴
い,技術者を退職させていたことなどを聞かされた。その結果としてF
自身も,控訴人ではバリ取りホルダーの開発・商品化は将来的にも取り
扱うことはないであろう,すなわち,控訴人における本件特許を受ける
権利の行使はあり得ないであろうと確信した。
こうした確信の上に立って被控訴人としての開発が開始され,その過
程でも,何一つ問題が発生しないまま順調にすすんだ。職務発明として
の本件発明が完成した段階において,発明者Aより被控訴人が本件特許
を受ける権利の譲渡を受けて特許出願する際にも,控訴人にはバリ取り
ホルダーの営業秘密など存在しえず,特許出願によって控訴人の権利を
侵害するおそれなどあり得ないと確信し,特許出願手続に至ったもので
ある。しかも,その後開発・商品化に向けて多額の資金を投入し,2年
余りの期間をかけてようやく商品化にこぎつけたものである。
ウ以上のような事実経過の下で,発明者及びこの者より特許を受ける権利
を譲り受けた譲受人(被控訴人)の信頼は,保護されなければならないか
ら,控訴人の本件特許を受ける権利の主張は,その信頼を著しく裏切るも
のであって,その行使は信義誠実の原則上認めるべきでなく,被控訴人に
その権利の確認を求めることは,権利の濫用に当り失当である。
第4当裁判所の判断
当裁判所の判断は,以下に述べるとおりであって,控訴人の本訴請求は認容
すべきものである。
なお,原判決の引用部分は,「原告」を「控訴人」,「被告」を「被控訴
人」と読み替える。
1争点(1)〔本件特許を受ける権利につきその帰属者の確認を求める訴えの
利益はあるか〕について
原判決24頁下7行∼25頁13行記載のとおりであるから,これを引用す
る。
2争点(2)〔本件発明の発明者は誰か〕について
原判決25頁15行∼38頁20行を以下のとおり改める。
(1)原判決第2,1記載の事実(前提となる事実)に,証拠(甲1,3,6
の4,13の1・8・16・17,19,20,42,乙19,24,2
5,29,証人B,同A)及び弁論の全趣旨を総合すれば,次の事実が認めら
れる。
ア先行発明と本件発明
控訴人において,平成14年7月ころから,「可変軸を有する工具」
(マルチフィニッシャー)の名称で,マシニングセンター等の工作機械に
取り付け,被加工物に対して,面取り,バリ取り,ラッピング等の加工を
行う加工工具の開発が行なわれ,平成14年10月25日,この先行発明
が控訴人によって特許出願された(特願2002−311711。発明の
名称「加工工具」,出願人カトウ工機株式会社,発明者G。公開公報は
特開2004−142064号,公開日平成16年5月20日,甲
3)。先行発明の開発担当者は,Gであった。しかし,先行発明には,回
転むらやトルク変動が作業軸に生じ,傾斜軸を元に戻そうとする力が大き
く発生するなどの難点があった。
このため,控訴人において,平成15年1月ころから先行発明に改良を
施した工具「バリ取りホルダー」の開発が開始され,平成15年8月23
日,この開発に係る本件発明が完成した。本件発明の開発担当者は,Aで
あった。
イ後に平成16年6月14日に司工機株式会社(被控訴人)から出願され
(特願2004−175707),平成17年12月22日に公開された
本件公報(甲1,発明の名称「加工工具」,発明者FA)の記載は,次の
とおりである。
・【特許請求の範囲】
別紙発明目録記載のとおり
・【発明の詳細な説明】にいう【技術分野】
【0001】
本発明は,マシニングセンター等の工作機械の主軸に着脱可能に取り
付けられ,主軸により刃具を回転させて,ワークの面取り,バリ取り,
ラッピングなどの加工を行う加工工具に関する。
・【背景技術】
【0002】
従来,マシニングセンター等の工作機械の主軸に着脱可能に取り付け
られ,バリ取りなどの加工を行う加工工具として,下記の特許文献1に
記載されるようなバリ取り装置が知られている。このバリ取り装置は,
本体ユニットを工作機械の主軸に装着可能に形成され,本体ユニットの
下部にエアーモータを斜め下方に傾斜した状態で取り付け,その駆動軸
の先端にバリ取り工具を取り付けて構成され,エアーモータによってバ
リ取り工具を回転駆動して,ワークの加工面に工具を押し当て,ワーク
のバリ取りを行うものである。
【特許文献1】特開平8−57758号公報
・【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0003】
しかし,上記のバリ取り装置は,エアーモータによりバリ取り工具を
回転駆動するため,エアーモータに供給する圧力空気の供給源を必要と
する問題があり,さらに,本体ユニットに対しエアーモータが上下方向
に傾斜して装着され,そのエアーモータの傾斜角度により,その回転軸
に装着されたバリ取り工具の傾斜方向が決まるため,各種の方向を向く
ワークの加工面に対し,バリ取り工具の刃先の方向を,常に適正な方向
とするように,本体ユニットの角度(向き)を制御する必要があり,そ
のための制御機構や制御プログラムが複雑化する問題があった。
・【0004】
また,エアーモータとその回転軸先端のバリ取り工具が予め傾斜して
装着されるため,各種の傾斜角度を持ったワークの加工面に対し,工具
を円滑に傾動制御することができない場合があり,加工面の角度によっ
ては,ワークのエッジ部のバリ取りなどの加工を良好に且つ円滑に行う
ことが難しいという問題があった。
・【0005】
本発明は,上述の課題を解決するものであり,回転する刃具の傾動動
作を常にスムーズに行って,ワークの各種加工面の加工を良好に行うこ
とができる加工工具を提供することを目的とする。
・【発明の効果】
【0013】
上記構成の加工工具では,工作機械の主軸の回転により,シャンクと
吸収ロッドが回転し,その吸収ロッドの回転が自在継手を介してホルダ
ーに伝達され,ホルダーの先端に取り付けられた刃具が高速回転して,
その刃具がワークに接触することにより,バリ取りなどの加工が行われ
る。
・【0014】
高速回転する刃具の先端側面が例えばワークのエッジ部に接触し,刃
具が側方からの荷重を受けると,傾動ケースがその外側のケースに対し
軸線上から傾動する。このとき,この傾動により傾斜した傾動ケース内
のホルダーは,主軸の回転力をシャンク,吸収ロッド,及び自在継手を
介して受け,自在継手が吸収ロッドに対しホルダーを傾斜させた状態で
回転駆動し,ホルダーに設けられた摺動ホルダー先端の刃具が高速で回
転駆動され,ワークのエッジ部などに生じたバリが除去される。このと
きの,刃具がワークの加工面を押圧する押圧力は,傾動支持ピン装置の
多数の傾動支持ピンが傾動ケースの上部の受圧板を押す力によって生
じ,高速回転する刃具のワーク加工面への押圧を安定して行って,バリ
取りなどの加工を良好に行うことができる。
・【0015】
また,このようなホルダーの傾動時,自在継手による吸収ロッドとホ
ルダーとの連結長さの微妙な変化や振動によってそこに軸方向の衝撃力
が生じることがあるが,吸収ロッドに設けた吸収ばねと,ホルダー内に
設けた摺動ホルダー用のばね部材によりそれが良好に吸収される。ま
た,刃具がワークから受ける押上力を受ける場合があるが,このような
刃具の押上力は摺動ホルダー用のばね部材により吸収され,高速回転す
る刃具を非常に安定して動作させることができる。
・【0016】
さらに,刃具がワークから離れて刃具の回転負荷が急激に減少し,自
在継手およびホルダーが傾動状態から直線状態に戻るとき,自在継手の
振動や傾動ケースの反動などにより,ホルダーや刃具が暴れる(ランダ
ムに振られる)現象が生じやすい。しかし,本加工工具では,傾動支持
ピン装置の多数の傾動支持ピンがばね部材を介してその先端を傾動ケー
ス上部の受圧板を押えるように作用し,またこの傾動支持ピン装置が回
動自在で且つフリー状態でケース内に配設され,さらに傾動支持ピン装
置の上側にボールベアリングをフリー状態で回転自在に配設しているた
め,刃具の回転負荷が変化しホルダーが直線姿勢に戻る際,傾動支持ピ
ン装置の円周方向への動きをスムーズにして,ホルダーや刃具の暴れを
防止することができる。
・【発明を実施するための最良の形態】
【0017】
以下,本発明の一実施形態を図面に基づいて説明する。図1は第1実
施形態の加工工具の正面図を示し,図2はその縦断面図を示している。
この加工工具1は,概略的には,マシニングセンターなどの工作機械の
主軸に,そのシャンク2を嵌着して装着され,シャンク2の下部に装着
された円筒形のケース3内に自在継手ロッド5と傾動ケース4が配設さ
れ,傾動ケース4内に回転可能に配設された刃具用のホルダー6が自在
継手ロッド5を介してシャンク2に連結された構造を持つ。そして,ケ
ース3は,位置決め係合部7を介して工作機械の一部の固定部分に係止
されて静止し,傾動ケース4内で回転可能に保持されたホルダー6が主
軸により回転駆動され,ホルダー6の先端に装着した刃具9が回転して
バリ取り加工などを行うように構成される。
・【図1】【図2】
・【0027】
これらのガイドピン35と溝47との係合により,傾動ケース4の傾
動はガイドされるが,それらの係合には僅かではあるが隙間があるた
め,高速回転する自在継手ロッド5の連結角度が変化し或はその回転負
荷が変化した場合には,傾動ケース4がその際の反動や振動を受けて円
周方向などに僅かにがたつくことがある。このとき,その傾動ケース4
の動きは傾動支持ピン装置30に伝わるが,上記のように傾動支持ピン
装置30とその上の第2ベアリング26が,フリー状態で配設されてい
るので,その傾動ケース4の円周方向のがたつきなどに起因したホルダ
ー6の傾動時或は復帰時の振動や暴れは,第2ベアリング26などの作
用により,効果的に防止される。
・【0031】
自在継手ロッド5は,中間軸の上部に第1自在継手部51を形成する
と共に,中間軸の下部に第2自在継手部52を設けて形成され,ピンケ
ース31の中央空間を貫通し,その上部の第1自在継手部51を吸収ロ
ッド22の継手凹部24内に嵌入し,その下部の第2自在継手部52を
ホルダー本体61の上部の継手凹部63内に嵌入して取り付けられてい
る。第1自在継手部51は自在継手ロッド5の上端半球部の外周に,球
状先端を有したピンを90°の間隔でその球状先端を突き出して嵌着し
て形成され,第2自在継手部52も同様に,自在継手ロッド5の下端半
球部の外周に,球状先端を有したピンを90°の間隔でその球状先端を
突き出すように嵌着して形成されている。また,自在継手ロッド5は,
第1,第2自在継手部51,52の上端と下端に突き出して嵌着される
球状先端の位置を,相互に45度ずらすことにより,よりスムーズな傾
動が可能となる。
・【0037】
高速回転する刃具9の先端側面がワークWのエッジ部に接触し,刃具
9が側方からの荷重を受けると,図5,図6に示すように,傾動ケース
4がその外側のケース3に対しその荷重に応じた角度,例えば最大傾斜
角度で5度程度の角度範囲で,主軸の軸心から傾動する。このとき,傾
動ケース4はケース3に対し球面滑り軸受け43,34を介してその球
面の中心点の周りで回動するが,この回動により傾斜した傾動ケース4
内のホルダー6は,主軸10の回転力をシャンク2,吸収ロッド22,
及び自在継手ロッド5を介して受け,回転駆動される。傾動ケース4と
共にホルダー6が図5,図6のように傾斜したとき,ホルダー6はその
上端の自在継手ロッド5との連結部より下側の球面滑り軸受け34,4
3の中心点を軸に傾動し,自在継手ロッド5はその中間点近傍を軸に傾
動する。
・【図5】【図6】
・【0038】
このため,自在継手ロッド5とホルダー6が傾動する際には,吸収ロ
ッド22と自在継手ロッド5の連結長さ及び自在継手ロッド5とホルダ
ー6の連結長さの微妙な変化により軸方向の振動などが発生する。この
ときの吸収ロッド22や自在継手ロッド5の軸方向の振動や衝撃力は,
吸収ロッド22内の吸収ばね23により良好に吸収される。このよう
に,ホルダー6が傾動する際の吸収ロッド22や自在継手ロッド5の軸
方向の振動は,吸収ばね23により吸収されるため,刃具9がワークW
に接触してホルダー6が傾動する際,刃具9の高速回転を安定して保持
しながら,スムーズにホルダー6を傾動させることができる。
・【0039】
また,高速回転する刃具9の先端側部にワークWの縁部に接触したと
き,刃具9がワークから受ける軸方向の押上力などは,摺動ホルダー6
2のばね部材67により吸収され,安定して加工を行うことができる。
さらに,図5のように,刃具9がホルダー6と共に傾動し,刃具9の先
端側部が適度な接触荷重をワークWのバリの部分に付与しながら,バリ
を除去するが,このワークWを刃具9の先端側部が押圧する際の押圧荷
重は,ホルダー6の上端の受圧板41に印加される,傾動支持ピン装置
30内のばね部材33を有する多数の傾動支持ピン32によって付与さ
れる。これらの傾動支持ピン32は円周上に多数本が配置されるため,
何れの方向に刃具9とホルダー6が傾動した際にも,同様な荷重を安定
して付与することができ,ワークWのバリ取りを良好に行うことができ
る。
・【0040】
このように,傾動支持ピン32のばね部材33のばね力が,刃具9の
ワークWに対する押圧荷重として作用するが,このワークWの押圧荷重
を作用させる力は,上記のようにホルダー6や自在継手ロッド5の軸方
向の力を吸収する吸収ばね23やばね部材67とは別個のばねで,円周
上に配置された多数のばね部材33によって付与されるため,刃具9が
ワークWを押圧する力を安定して生じさせることができる。
・【0041】
さらに,刃具9がワークWから離れた際には,刃具9とホルダー6の
傾動状態を直線姿勢までスムーズに戻すことができる。特に,ホルダー
6がその回転負荷を急激に低下させ且つその傾動荷重を外されて直線姿
勢に戻る際,高速回転するホルダー6の戻り動作が不安定となってホル
ダー6が暴れやすい,つまりホルダー6がランダムに振れるように動作
して直線姿勢に戻りにくい状態が発生しやすい。
・【0042】
しかし,本加工工具では,上記のように,吸収ロッド22や自在継手
ロッド5に生じる軸方向の衝撃力や振動は吸収ばね23により吸収さ
れ,刃具9がワークから受ける荷重は,ホルダー本体61内のばね部材
67により吸収され,さらに,ホルダー6が傾動状態から直線状態に復
帰する力は,独立した傾動支持ピン装置30内のばね部材33によって
吸収されるため,刃具9がワークWから離れる際,ホルダー6や刃具9
が暴れることなく極めてスムーズに直線状に戻ることができる。また,
傾動支持ピン装置30がフリー状態で配設され,且つフリー状態の第2
ベアリング26を介して装着されているため,傾動時に傾動支持ピン装
置30が円周方向に動いて傾動ケース4の反動などを吸収し,ホルダー
6や刃具9をスムーズに直線状態に戻すことができる。
・【0043】
なお,上記実施形態では,吸収ロッド22とホルダー6の連結に自在
継手ロッド5を使用したが,自在継手ロッド5に代えて図8に示すよう
なベローズ型自在継手8を使用することもできる。このベローズ型自在
継手8は,蛇腹形のベローズの上部と下部に設けた連結軸56,58
を介して,吸収ロッド22とホルダー本体61間に連結される。
・【0046】
図9は第2実施形態の加工工具の断面図を示している。この例では,
第2ベアリング86およびピンケース31の高さ位置を調整するための
高さ調整ナット87を設け,吸収ロッドの回止めとなる上記回止めピン
28を係合溝88と係合球(金属球)89に変更し,自在継手ロッド9
0の中間部に安定化のために円盤部93を設けている。
・【図8】【図9】
・【0052】
このため,自在継手ロッド5とホルダー6が傾動する際には,吸収ロ
ッド82と自在継手ロッド90の連結長さ及び自在継手ロッド90とホ
ルダー6の連結長さが微妙に変化し,軸方向の振動や衝撃力などが生じ
やすいが,軸方向の振動や衝撃力は,吸収ロッド82内の吸収ばね83
により吸収され,また,刃具9がワークから受ける押上力などは,ホル
ダー本体61内のばね部材67により吸収される。」
・【0055】
なお,上記実施形態では,吸収ロッド82とホルダー6の連結に自在
継手ロッド90を使用したが,自在継手ロッド90に代えて図12に示
すような2軸の軸継手を上部と下部に使用した構造の自在継手96を使
用することもできる。この自在継手96は,その上部に2軸の軸継手部
97が設けられ,中間軸を介した下部に同様の2軸の軸継手部98が設
けられる。
・【図12】
・【0058】
以上説明したように,本発明の加工工具によれば,ホルダーや自在継
手の生じる軸方向の衝撃力は吸収ロッドに設けた吸収ばねにより吸収
し,刃具がワークから受ける押上力などは摺動ホルダーに設けたばね部
材により吸収し,さらに,刃具がワークから傾動力を受けてホルダーが
傾動した際,その反力は傾斜支持ピン装置の円周上に配置した多数の傾
動支持ピンが傾動ケースの上部の受圧板を押す力によって生じるように
し,各々の動きを別個のばね部材により吸収し或は荷重をかける構造と
しているから,刃具などの傾動時或は直線状態への復帰時に暴れを生じ
させず,高速回転する刃具のワーク加工面への押圧をスムーズに安定し
て行って,バリ取りなどの加工を良好に行うことができる。
ウAの関与
Aは,昭和58年に控訴人に入社後,平成12年9月まで17年間,製
造課研削係で研削業務に従事し,平成12年10月から技術課に配属さ
れ,平成14年1月から開発業務を担当し,平成15年1月ころ,前任者
から本件発明に係るバリ取りホルダーの開発を引き継いだ。
Aは,開発を進めるに当たり,バリ取りとして,3次元的な動きをする
のに必要な機能や機構について分析を行い,平成15年1月21日にバリ
取りホルダーの第1次試作品の構想図が完成した。これは,ボディと傾斜
軸(傾斜時)を固定して非回転体とし,回転による遠心力が生じないよう
にし,その傾斜軸内部に軸受(ベアリング)を設け,その内部で縮み機構
を備えた回転軸が回転するというものであった。
平成15年3月17日には,第1次試作品の組立てが完了した(甲13
の1)。もっとも,傾斜軸を固定し,内部に回転軸を設けただけでは,不
十分であったため,その後,各種の改良を行った。
さらに,Aは,平成15年5月6日までに,「切削分力の解析」を行っ
た結果を一覧説明図(乙24)にまとめ,第2次試作品の構想図が完成し
た(甲13の8)。第2次試作品では,押しバネと可変圧力バネを別バネ
にし,ジョイントを独自に考案するとともに,第1次試作品で深溝ボール
ベアリングの使用によって微振動とこれによる発熱があったため,アンギ
ュラボールベアリングに変更して再設計し,最高使用回転数を刃具の使用
回転に近い1万回転とした。平成15年7月中旬には,第2次試作品の組
立てが完成し,各機能や動作の確認が行われた(甲13の16・17)。
そして,平成15年8月23日,バリ取りホルダーの第2次試作品の改
良(内部バネケースの位置の微調整ができるように改良,甲6の4)がさ
れるなどして,本件発明が完成した。
エBとGの関与
Bは,控訴人において,平成14年10月まで,製造部長を務め,平成
15年当時,営業部長兼任で技術課長,貿易課長を務めていた。
Gは,控訴人において,平成15年当時,営業部カスタマーソリューシ
ョンサービスに所属し,商品の営業戦略の立案,新商品の発案,新規顧客
の開拓等を担当していた。
Gは,平成15年初めころ,本件発明に関し,Aに対し,第1次試作品に
おける加工の問題点について指摘した。
Bは,平成15年初めころ,本件発明に関し,Aに対し,ユニバーサルジ
ョイントの2段階接続を使うことをアドバイスした。
(2)上記(1)の事実を踏まえて,本件発明の発明者が誰かであるかを検討す
る。
アLにつき
Lについては,本件発明の開発過程において,その技術的思想の創作行
為に現実に関与したことを裏付ける証拠がなく,発明者であると認めるこ
とができない。
イBにつき
(ア)本件特許請求の範囲の「請求項1」には,吸収ロッドの下端部とホ
ルダーの上端部が「自在継手」により連結されていることが記載され,
「請求項5」には,上記「自在継手」について「吸収ロッドの下部と連
結された第1自在継手部と,ホルダーの上部と連結される第2自在継手
部とを中間軸の上部と下部に設けて構成され,第1自在継手部は吸収ロ
ッドに対し円周全方向に傾動可能でかつ軸方向に摺動可能に連結され,
第2自在継手部はホルダーに対し円周全方向に傾動可能でかつ軸方向に
摺動可能に連結されていること」が記載されており,「請求項6」に
は,「自在継手の中間軸に円盤部が形成され,第1自在継手部と第2自
在継手部には鋼球が嵌合する半球状の凹部が形成されると共に,吸収ロ
ッドとホルダーの継手凹部内には鋼球が嵌合する溝部が軸方向に形成さ
れていること」が記載されており,本件明細書の「発明の詳細な説明」
にも,「自在継手」について記載されている。
(イ)甲30(松村明監修「大辞泉」1995年[平成7年]12月1日
株式会社小学館発行1162頁,2706頁)及び甲31(新村出編
「広辞苑第2版補訂版」昭和55年9月10日株式会社岩波書店発行
962頁)によれば,「自在継手」とは,「回転する2軸がある角度で
交わるなど1直線上にない場合に連結することができる構造の継ぎ手」
のことをいい,「ユニバーサルジョイント」と同義であると認められ
る。そして,甲22(大西清編著「機械工学一般第2版」理工学社2
004年[平成16年]10月25日発行61頁),甲23(芦葉清三
郎著「機械運動機構」1990年[平成2年]6月15日発行),甲2
4(山崎健太「ステアリング用等速ジョイント(CSJ)」NTNT
ECHNICALREVIEWNo.73[2005]84頁),
甲25(特開平11−13781,発明の名称「ダブルカルダン式等速
ジョイント」,出願人日本精工株式会社,公開日平成11年1月22
日)及び甲26の1・2(wikipediaの記事「Universaljoint」)並び
に弁論の全趣旨によれば,①「自在継手」は,駆動軸が1回転(360
度)するときに従動軸は速くなったり遅くなったりを2回繰り返すこ
と,②2軸が交差する角度が大きいほど,上記速度変化が激しくなるこ
と,③中間軸を置いて2個の「自在継手」を用い,その設定角度を一致
させると,従動軸は一定速度で回転すること,④以上の①∼③の事実
は,本件発明がなされた当時(平成15年8月当時)には,広く知られ
ていた(周知技術であった)ことが認められる。
(ウ)本件明細書(甲1)の段落【0015】には「また,このようなホ
ルダーの傾動時,自在継手による吸収ロッドとホルダーとの連結長さの
微妙な変化や振動によってそこに軸方向の衝撃力が生じることがある
が,吸収ロッドに設けた吸収ばねと,ホルダー内に設けた摺動ホルダー
用のばね部材によりそれが良好に吸収される。」と記載され,段落【0
016】には「さらに,刃具がワークから離れて刃具の回転負荷が急激
に減少し,自在継手およびホルダーが傾動状態から直線状態に戻ると
き,自在継手の振動や傾動ケースの反動などにより,ホルダーや刃具が
暴れる(ランダムに振られる)現象が生じやすい。しかし,本加工工具
では,傾動支持ピン装置の多数の傾動支持ピンがばね部材を介してその
先端を傾動ケース上部の受圧板を押えるように作用し,またこの傾動支
持ピン装置が回動自在で且つフリー状態でケース内に配設され,さらに
傾動支持ピン装置の上側にボールベアリングをフリー状態で回転自在に
配設しているため,刃具の回転負荷が変化しホルダーが直線姿勢に戻る
際,傾動支持ピン装置の円周方向への動きをスムーズにして,ホルダー
や刃具の暴れを防止することができる。」と記載され,段落【0038
】には「このため,自在継手ロッド5とホルダー6が傾動する際には,
吸収ロッド22と自在継手ロッド5の連結長さ及び自在継手ロッド5と
ホルダー6の連結長さの微妙な変化により軸方向の振動などが発生す
る。このときの吸収ロッド22や自在継手ロッド5の軸方向の振動や衝
撃力は,吸収ロッド22内の吸収ばね23により良好に吸収される。」
と記載され,段落【0042】には「しかし,本加工工具では,上記の
ように,吸収ロッド22や自在継手ロッド5に生じる軸方向の衝撃力や
振動は吸収ばね23により吸収され,…さらに,ホルダー6が傾動状態
から直線状態に復帰する力は,独立した傾動支持ピン装置30内のばね
部材33によって吸収されるため,刃具9がワークWから離れる際,ホ
ルダー6や刃具9が暴れることなく極めてスムーズに直線状に戻ること
ができる。」と記載され,段落【0052】には「このため,自在継手
ロッド5とホルダー6が傾動する際には,吸収ロッド82と自在継手ロ
ッド90の連結長さ及び自在継手ロッド90とホルダー6の連結長さが
微妙に変化し,軸方向の振動や衝撃力などが生じやすいが,軸方向の振
動や衝撃力は,吸収ロッド82内の吸収ばね83により吸収され…」と
記載されている。
これらの記載に,本件明細書に自在継手を2段同位相に組み合わせた
ことの技術的意義が記載されているとは認められない(控訴人が指摘す
る段落【0031】にも記載されているとはいえない)ことを総合する
と,本件発明は,上記(イ)の周知技術を前提として,自在継手から生ず
る振動を,吸収ロッドに設けた吸収ばねとホルダー内に設けた摺動ホル
ダー用のばね部材により吸収するものであって,この点が本件発明の特
徴的な部分であると認められるのであり,本件特許請求の範囲「請求項
5」及び「請求項6」の各発明は,以上のような本件発明において「自
在継手」の構成を特定したものにすぎず,これらの各請求項における
「自在継手」の構成が,本件発明の特徴的な部分であるとは認められな
い。
(エ)上記(1)のとおり,Bは,平成15年初めころ,Aに対し,本件発明
に関し,ユニバーサルジョイントの2段階接続を使うことをアドバイス
したことがあると認められるが,そうであるとしても,本件発明の前提
たる上記(イ)の周知技術についてアドバイスしたにすぎず,本件発明の
特徴的な部分についてアドバイスしたとは認められない。また,それを
超えてBが本件発明に関与したことを認めるに足りる証拠はない。
(オ)したがって,Bを本件発明の発明者であると認めることはできな
い。
ウGにつき
上記(1)のとおり,Gは,平成15年初めころ,Aに対し,本件発明に関
し,第1次試作品における加工の問題点について指摘したことがあると認
められるものの,それのみでは,Gが本件発明の発明者であると認めるこ
とはできない。
甲20(Gの平成20年7月28日付け陳述書)には,Gは,Aに対し,
本件発明に関し,等速ジョイント,ユニバーサルジョイント,スプリング
ジョイントについてアドバイスしたことがある旨の記載があり,甲19
(Bの平成20年7月28日付け陳述書)にも同旨の記載があるが,証人B
は,Gが上記アドバイスをしたことを否定する趣旨の証言をしている(証
人Bの証人尋問調書8頁∼9頁)から,上記の各陳述書の記載は直ちに採
用することができないし,仮にGがAに対し,本件発明に関し,等速ジョイ
ント等についてアドバイスしたことがあったとしても,前記イのとおり,
これらの点は本件発明の特徴的な部分であるとは認められないから,Gを
本件発明の発明者であると認めることはできない。
エAにつき
上記(1)のとおり,本件発明は,Aにおいて,平成15年1月ころに開発
担当者となり,前任者からその開発を引き継いだものの,構想を練り直
し,試行錯誤を繰り返して,平成15年8月23日に本件発明を完成させ
たのであるから,Aは,本件発明における技術的思想の創作行為に現実に
関与したものと認めることができる。
オ以上によれば,本件発明の発明者は,A1名であり,B,G及びLは発明者
ではないものと認められる。
3争点(3)〔本件特許を受ける権利は発明者から控訴人に承継されたか〕に
ついて
(1),(2)は,原判決38頁下5行∼41頁4行記載のとおりであるから,こ
れを引用する。
原判決41頁5行∼6行の(3)を,以下のとおり改める。
(3)被控訴人は,細則5条1項の定めをもって権利承継(移転)の意思表示
の合致を推定することはできず,せいぜい譲渡の予約を定めたと見ることが
できるものであり,このように解釈することにより細則4条1項・2項,8
条,10条2項との整合性が保たれ,併せて規則62条あるいは特許法35
条(発明者主義の原則)の趣旨にも合致すると主張するが,この主張が採用
できないことは,上記(1)(2)で判示したとおりである。
また,被控訴人は,控訴人の「控訴人においては,細則(甲5)に従い,
発明者が発明をしたときはまず届出がなされ(4条1項),その届出を受け
て社内の発明・考案・意匠審査会が発明の譲受けについて決定をし(8
条),その後に会社として出願をするかどうかを決定することとなってい
る。」との主張について,この主張は,発明の完成と同時に特許を受ける権
利が控訴人に承継されるという従前の控訴人主張を撤回したものであり,被
控訴人はこの控訴人の主張を援用する,と主張する。
しかし,控訴人の上記主張は,「控訴人においては,従業員の職務発明は
発明と同時に控訴人に承継されるが,社内の発明・考案・意匠審査会におい
て,発明者の届出に基づき,発明をそのまま控訴人において保持するか,従
業員に返還するかを決定し,その後,控訴人において出願するかどうかを決
定する。」との趣旨に理解できるから,発明の完成と同時に特許を受ける権
利が控訴人に承継されるという従前の控訴人の主張を撤回したということは
できない。
したがって,本件特許を受ける権利は,本件発明の完成と同時に控訴人に
承継されたものと認められる。
4争点(4)〔控訴人は本件特許を受ける権利を放棄したか又はAに返還した
か〕について
原判決41頁8行∼43頁16行を,以下のとおり改める。
(1)原判決第2,1(前提となる事実)に,証拠(甲6の1∼5,8の1∼
3,13の1∼31,14の1∼5,15,17,18,33,41の1∼
6,42,56,乙5∼7,8の1∼12,9の1∼7,10,13∼1
9,28,29,証人B,同A,同C,同D,同J[書面尋問],同E[書面尋問
])及び弁論の全趣旨を総合すれば,次の事実が認められる。
ア控訴人においては,本件発明に係るバリ取りホルダーについて,当初,
発売日を平成15年5月16日と設定したものの,同年4月14日にはこ
れを同年5月末に,同年5月6日にはこれを同年7月1日に,同年7月7
日にはこれを平成16年1月にそれぞれ変更し,平成15年8月には,平
成16年1月の発売を社長の業務命令により中止した。平成15年8月2
6日の連絡会議(控訴人名古屋工場の係長以上の会議)の議事録(乙2
8)には,控訴人名古屋工場統括部長であったCの発言として,「カトウ
工機はじまって以来2期連続赤字である。」,「新商品についてはエコカ
ラーとミクロンタッパー以外は,中止する。」と記載されている。
他方,控訴人においては,その後も,バリ取りホルダーについて,平成
15年12月25日まで,「商品開発を早急に終息させる」としながら
も,Aを担当者として,改良,組立て,テスト等を継続した。
イ本件発明に係るバリ取りホルダーの組立図5枚(甲6の1∼5)のう
ち,一番古い日付は平成15年5月5日(甲6の1)であり,一番新しい
日付は同年11月15日(甲6の5)である。
そして,控訴人において,Aにより,少なくとも,平成15年5月28
日,同年9月18日,同年10月10日,同年12月12日,同月18日
の5回にわたり,テスト加工が行われ,「試験速報」(甲14の1∼5)
としてまとめられた。また,平成15年9月22日には,Aにより,「バ
リ取リツール(二次試作品)可変用バネ再計算表」(甲15)が作成され
ている。
ウ平成15年12月24日に,本件発明に係るバリ取りホルダーの開発に
ついて協力を得ていたエンシュウ株式会社に,Aの上司であった名古屋工
場技術部技術課長のDらが赴き,エンシュウ株式会社の担当者に対し,バ
リ取りホルダーの開発を延期する旨を説明した。
Dが控訴人の社長に宛てた平成15年11月25日付け,同月28日付
け,同年12月17日付け,平成16年1月21日付けの「C氏との打合
せ報告書」(乙13∼16)には,本件発明に係るバリ取りホルダーを
「開発中止品」と記載している。
エDは,平成15年9月ころ,本件発明について,控訴人の細則に従い,
「発明・考案報告書」,「発明・考案説明書」,「譲渡証書」を作成し
て,Dの上司であったL技術部長に提出したが,同年11月ころ,LからDに
これらの書類は返された。
また,Dは,平成15年10月2日,控訴人の「名古屋工場技術部技術
課D」として,名古屋市所在の「いいだ特許事務所」に対し,本件発明に
係るバリ取りホルダーの特許出願を依頼し,同事務所の担当者に対し資料
を送付するなどした。「いいだ特許事務所」では,明細書の案の作成に取
りかかったが,平成15年12月にDから出願を中止する旨の連絡を受け
たので,特許出願を中止し,Dから送付を受けた資料は廃棄した。ただ
し,特許出願用に作製した図面に関するデータは廃棄せず,後日,被控訴
人から本件特許出願を依頼された際にこれを利用した(後述)。
その後も,控訴人から本件発明の特許出願はされていない。
オ控訴人においては,名古屋工場を閉鎖して,神奈川県平塚市に移転する
ことを決定し,平成15年2月に発表した。
Aは,工場移転に伴う住所移転は家庭の事情から困難であること等を理
由に,平成16年1月15日付けで控訴人を退職し,通勤可能な東海挟範
株式会社に入社したが,同年4月1日から同じく通勤可能な被控訴人に勤
務するようになった。Dは,平成16年3月31日付けで控訴人を退職
し,その後被控訴人に勤務するようになった。AやDの退職は,平塚市に転
居できないことがその原因となっている。
Cは,平成15年9月12日に任期満了により控訴人の取締役を退任
し,その後被控訴人に入社した。
カ控訴人においては,平成16年6月に名古屋工場を閉鎖して平塚市に移
転した後も,今日までバリ取りホルダーを製品として製造販売していな
い。
(2)上記の事実関係を踏まえて検討すると,控訴人のもとで完成した本件発
明は,バリ取りホルダーとして製品化される前に,その発売のみならず,こ
れに向けた開発が業務命令によって中止されたものと認められる。
しかし,本件発明の完成によって発生した本件特許を受ける権利につい
て,控訴人が放棄したものと推認するに足りる事実関係は,これを認めるこ
とができない。
製品の発売や開発を中止する業務命令は,会社の経営判断としてされるも
のであり,その時々の経営者の判断を示すものであるということはできて
も,製品に関わる特許を受ける権利の主体として,当該権利を放棄したこと
までも示すものであるということはできず,また,その権利について,実際
に特許出願をしなかったとしても,同様に,権利の放棄を示すものであると
いうことはできない。そして,このような事実関係以外に,仮に,本件発明
に係るバリ取りホルダーに関し,その後,控訴人が工場移転の引越しに際し
て図面等を廃棄処分するなどし,開発現場の技術者であったAらが退職し,
控訴人が現にタッパー専業メーカーとして事業を展開している事実があった
としても,これらの事実から,個々の特定の権利に向けられた控訴人の意思
までも読み取ることは困難であるというほかないから,控訴人による本件特
許を受ける権利の放棄を裏付けることにはならないというべきである。
このほか,控訴人による本件特許を受ける権利の放棄があったことを認め
るに足りる証拠はない。
以上のとおりであるから,本件特許を受ける権利は,控訴人によって放棄
されたと認めることはできない。
(3)控訴人の細則10条2項は,「第8条の工業所有権の出願を行わないも
のについては,会社がなお承継の必要を認めたものを除いて,その工業所有
権を受ける権利を発明・考案・意匠の創作者に返還する。」と定めている
が,原判決38頁下5行∼40頁3行のとおり,控訴人においては,職務発
明に関する特許を受ける権利は,発明の完成と同時に格別の譲渡行為を要せ
ずして控訴人に承継されると認められるものである。そして,上記細則10
条2項は,その場合に,特許出願を行わないときは,会社がなお承継の必要
を認めたものを除いて,その権利を創作者に返還することを定めたものと解
されるが,単に特許出願を行わないだけではなく,控訴人が承継の必要を認
めず,創作者に返還する行為を行って初めて特許を受ける権利が創作者に返
還されるものと解される。
しかるところ,上記(1)認定のとおり,Dは,平成15年9月ころ,本件発
明について,「発明・考案報告書」等を作成して,Lに提出したが,同年1
1月ころ,LからDにこれらの書類が返されたことが認められるものの,これ
のみで,創作者に返還する行為がされたと認めることはできず,他に控訴人
から本件特許を受ける権利が発明者であるAに返還されたものと認めるに足
りる証拠はない。
以上のとおりであるから,本件特許を受ける権利は,控訴人によって発明
者であるAに返還されたものと認めることはできない。
5争点(5)〔被控訴人は背信的悪意者であるので本件特許を受ける権利の取
得を控訴人に対抗できないか〕について
(1)は,原判決43頁下9行∼44頁2行記載のとおりであるから,これを
引用する。
原判決44頁3行∼45頁15行を,以下のとおり改める。
(2)被控訴人は,控訴人において,本件特許を受ける権利につき特許出願を
経ていないから,本件特許を受ける権利の承継を被控訴人に対抗することが
できない(特許法34条1項)旨を抗弁するのに対し,控訴人は,被控訴人
において,Aからの本件特許を受ける権利の譲受けにつき背信的悪意者であ
る旨主張するので,この点を検討する。
ア原判決第2,1(前提となる事実)に,証拠(甲1,6の1∼5,9,
10の2,32の1∼4,39,40の1∼13,41の1∼6,44の
1∼5,45の1・2,乙19∼22,29,34,証人B,同A,同C,
同D,同J[書面尋問],同K[書面尋問],同E[書面尋問])及び弁論の
全趣旨を総合すれば,次の事実が認められる。
(ア)控訴人の就業規則24条には,社員の遵守事項として,「会社の機
密を他に洩らさないこと」と記載されており(甲9),Aは,平成16
年1月15日に控訴人を退社するに際しても,控訴人に対し,下記のと
おり在職中に知り得た秘密を第三者に漏洩することは退社後といえども
一切しない旨の誓約書(甲10の2)を提出している。

「誓約書
私は,貴社を退職するに当り,貴社に在職中,知り得たものに関し
て,以下のとおり誓約致します。
1秘密に関する文書,図面,磁気ディスクなど一切の資料につき,
原本はもとよりコピー等を含め,すべて貴社に返還いたします。
2秘密に関する一切の権利が貴社に帰属することを確認し,秘密の
権利帰属について固有の権利主張は,一切いたしません。
3秘密が公知のものとなるか,あるいは,秘密を適法に第三者から
入手しない限り,秘密を第三者に漏洩したり,自己で使用したりす
ることは,退社後といえども一切いたしません。

・製造開発,製造技術,設計等に関する一切の情報
・原材料,製造原価,製造開発等に関する一切の情報
・仕入先,顧客等に関する一切の情報
・財務・経営に関する一切の情報
・その他,秘密と指定・管理されていた一切の情報
以上
平成16年1月15日
(住所)
印A○
カトウ工機株式会社
代表取締役I殿」○印
(イ)Aは,被控訴人への入社直後に被控訴人のF社長から新しい商品を生
み出したいと言われたことなどから,バリ取りホルダーの開発を被控訴
人において行えないかと考え,Cに相談し,平成16年4月9日,Cと共
にFのところへ行き,控訴人において,機構を考え試作品を製作した
が,未だ製品化していないバリ取りホルダーがあるので,それを被控訴
人において製品化したい旨を述べた。Fは,これを了承し,被控訴人に
おいてバリ取りホルダーを製品化することとなった。
(ウ)Aは,控訴人に在職しているときに作成した,機構を分析したノー
トなどを参考に,図面を作成し,平成16年5月11日にバリ取りホル
ダーの図面を完成させた。
(エ)Dは,平成16年5月12日に「いいだ特許事務所」と連絡を取っ
て,特許出願のための打合せを始め,平成16年6月14日に,被控訴
人は,「いいだ特許事務所」の弁理士を代理人として,発明者をFのみ
とする本件発明についての特許出願をした。その後,被控訴人は,平成
17年9月7日に,特許庁に手続補足書と宣誓書を提出して,Aを発明
者に追加した。なお,本件発明の発明者は,前記のとおりAのみである
ので,Fを発明者とする出願は事実に反するものである。
「いいだ特許事務所」では,前記のとおり被控訴人による上記特許出
願の図面については,前記の平成15年10月2日にDから依頼を受け
た際に作成した図面データを利用した。
被控訴人による上記特許出願の図面(甲1)を,Aが控訴人において
作成した図面(甲6の1∼5)と重ねると,それらは,ほぼ重なり合
う。
(オ)前記のとおり,被控訴人が本件特許出願をしたのは,平成16年6
月14日であり,その公開特許公報(特開2005−349549号)
が公開されたのは,平成17年12月22日であるが,控訴人が本件発
明につき被控訴人が特許出願をしていることを知ったのは,平成18年
1月ころ,控訴人の下請け会社である「鈴木アンドアソシエイツ」の社
長から被控訴人のバリ取りホルダーのカタログを見せられ,そこに「特
許出願中」と記載されていたことから,特許出願の検索をして知ったも
のである。
そこで,控訴人(代表取締役I)は,被控訴人(代表取締役F)宛て
に,平成18年3月31日付けで下記(1)の(甲34),平成18年4
月27日付けで下記(2)(甲35の1・2)の内容の書簡((2)は配達証
明付)を送付したが,平成19年5月21日の本訴提起まで被控訴人が
回答することはなかった。
記(1)
「特許申請について
拝啓貴社益々ご発展のこととお喜び申し上げます。
さて,貴社で特許申請され,昨年の12月22日に公開されました
「加工工具」の特許出願(特開2005−349549)に関しまし
てご連絡申し上げます。
ご承知とは存じますが,今回貴社が発明者の一人として登録されて
おられます「A氏」につきましては,以前に弊社の在職者であり,ま
た本件発明考案につきましても当該者による弊社在職中の考案と酷似
しており,いささか困惑しております。
今回の考案事項に関して弊社で開発期間・費用が発生していること
をご存知でしょうか。御社のお考えおよび御社の今後のご対応につい
てお聞かせ願いたいと思います。つきましては,一度お会いしたく,
ご都合をお聞かせいただけますか?よろしくお願い申し上げます。」
記(2)
「特許申請についての再確認
拝啓貴社益々ご発展のこととお喜び申し上げます。
さて,平成18年3月31日付けの書面にてお伺い申し上げまし
た,貴社の特許出願(特開2005−349549)に関する件でご
ざいますが,既に1ケ月近く経過致しました本日に措きましても,ご
都合などのご回答を頂いておりません。
再度,前回の書面も同封致しますのでご多忙中とは存じますが,ご
検討頂きまして何らかのご回答を頂きますよう,お願い申し上げま
す。
なお,この文書と行き違いにご回答を頂いている場合は,何卒ご容
赦ください。」
(カ)控訴人は,本件発明の完成までの間及びその後の製品化に向けて
の開発に当たって,設備投資として3100万円余りを支出したほ
か,試作関連費用として680万円余りを支出し,更に,開発担当者
の給与を負担するなどした。
他方,被控訴人は,バリ取りホルダーの製品化に当たって,本件特
許出願後約2年を要し,設備投資として1億6500万円余りを支出
したほか,開発担当者の給与を負担するなどした。
イ上記の事実関係を踏まえて検討すると,控訴人のもとで平成15年8月
23日に完成した本件発明は,被控訴人においてそのままの形で平成16
年6月14日に特許出願がされたということができる。
Aは,平成21年12月16日付け陳述書(乙36)において,本件発
明は秘密ではなかったと述べる。しかし,本件発明が公に知られていたと
すれば,特許出願の要件が欠けるのであるから,前記のとおり本件発明を
平成15年10月に特許出願しようとし,更に被控訴人においても本件発
明を平成16年6月に出願したことと矛盾することは明らかである。ま
た,開発の協力会社であったエンシュウ株式会社には本件発明が知られる
ことがあったとしても,証拠(甲54)によれば,控訴人は,エンシュ
ウ株式会社との間では,バリ取りホルダーの開発に当たって平成15年7
月1日付けで秘密保持契約を締結していたことが認められる。そして,そ
の他上記乙36の記載によるも,本件発明が,Aが被控訴人に入社した平
成16年4月当時,公に知られていたとまで認めることはできず,本件発
明は,上記ア(ア)認定の誓約書に記載された秘密保持義務の対象であった
と認められる。
そうすると,Aは,控訴人との秘密保持契約に違反して,本件発明に関
する秘密を被控訴人に開示したということができる。
そして,上記アの事実からすると,被控訴人の代表者であるFは,平成
16年6月14日までの間に(ただし,Aから被控訴人への譲渡証書[乙
21]は平成16年7月2日付け)被控訴人がAから本件発明の特許を受
ける権利の譲渡を受けた際,同発明について特許出願がされていないこと
及び本件発明はAが控訴人の従業員としてなしたものであることを知った
というべきである。そして,Fは,Aから本件発明について開示を受けてそ
のまま特許出願しかつ製品化することは,控訴人の秘密を取得して被控訴
人がそれを営業に用いることになると認識していたというべきであり,さ
らに,本件発明はAが控訴人の従業員としてなしたものであることからす
ると,通常は,控訴人に承継されているであろうことも認識していたとい
うべきである。
このように,被控訴人の特許出願は,控訴人において職務発明としてさ
れた控訴人の秘密である本件発明を取得して,そのことを知りながらその
まま出願したものと評価することができるから,被控訴人は「背信的悪意
者」に当たるというべきであり,被控訴人が先に特許出願したからといっ
て,それをもって控訴人に対抗することができるとするのは,信義誠実の
原則に反して許されず,控訴人は,本件特許を受ける権利の承継を被控訴
人に対抗することができるというべきである。
ウ被控訴人は,Aらは,本件発明に係る設計図書等を複製して持ち出して
いないと主張するが,上記ア認定のとおり,Aは,控訴人に在職している
ときに作成した,機構を分析したノートなどは持ち出しており,全く書類
を持ち出していないとはいえないのみならず,Dによって平成15年10
月にされた特許出願の依頼において作製された本件発明の図面データが
「いいだ特許事務所」を通じて被控訴人による本件特許出願にそのまま利
用されており,仮に,Aが本件発明についての記憶とJIS規格等(乙3
0∼32)に基づいて本件発明を再現としたとしても,それを被控訴人に
開示することは秘密保持契約に違反することとなるのであって,上記イの
判断を左右するものではない。
また,被控訴人は,①控訴人においては,バリ取りホルダーの開発は中
止され,特許出願はされず,バリ取りホルダーの図面等も廃棄処分された
のであり,その開発要員の社員らは慰留されることなく退職し,控訴人に
おいてノウハウとして本件発明を引き続き保有し,保全すべき行為を行っ
た形跡は見当らず,3年8か月という長期間放置したままの状態に置いて
いた,②被控訴人のF社長は,控訴人ではバリ取りホルダーの開発・商品
化は将来的にも取り扱うことはないであろう,すなわち,控訴人における
本件特許を受ける権利の行使はあり得ないであろうと確信し,被控訴人と
しての開発が開始されたとの主張をする。しかし,控訴人において,バリ
取りホルダーの開発が中止され,特許出願がされず,バリ取りホルダーの
図面等が廃棄処分されたとしても,それらが本件特許を受ける権利の放棄
ということができないことは,前記のとおりであり,その開発要員の社員
らが退職し(AとDにつき全く慰留しなかったとの点については,これに反
する証人Bの証言及びBの平成20年2月25日付け陳述書[甲18]の記
載に照らし,採用できない),控訴人においてバリ取りホルダーの製品の
製造販売が行われていないことも,同様に,本件特許を受ける権利の放棄
ということはできない。また,被控訴人のF社長が,控訴人ではバリ取り
ホルダーの開発・商品化は将来的にも取り扱うことはないであろうと仮に
確信したからといって,本件特許を受ける権利が放棄されておらず,控訴
人が本件発明に係る秘密を保持しているのであるから,被控訴人において
自らが出願することができると考えたとしても,その信頼を保護すべき理
由はないといわなければならない。したがって,これらも上記イの判断を
左右するものではない。
さらに,上記ア(カ)認定のとおり,被控訴人は,バリ取りホルダーの製
品化に当たって,約2年を要し,設備投資として1億6500万円余りを
支出したほか,開発担当者の給与を負担するなどしたと認められるが,こ
れらは,本件発明がなされた後の製品化に要した費用であって,そのこと
が上記イの判断を左右するものではない。
エ以上のとおり,被控訴人が先に特許出願したからといって,それをもっ
て控訴人に対抗することができるとするのは,信義誠実の原則に反し許さ
れないというべきであり,控訴人は,自ら特許出願をしなくとも,本件特
許を受ける権利の承継を被控訴人に対抗することができるというべきであ
る。
6争点(6)〔控訴人が本件特許を受ける権利を有する旨主張することは,信
義則に違反し又は権利の濫用であるか〕について
前示のとおり,被控訴人が「控訴人が本件特許を受ける権利を有する旨主張
することは,信義則に違反し又は権利の濫用である」ことの根拠として主張す
る事実は,いずれも本件特許を受ける権利の放棄と評価することができないも
のであり,被控訴人において自らが出願することができると考えたとしても,
その信頼を保護すべき理由はないといわなければならないから,控訴人が本件
特許を受ける権利を有する旨主張することが信義則に違反し又は権利の濫用で
あるということはできない。
被控訴人は,控訴人が,得意先から,バリ取りホルダーについての被控訴人
における商品販売活動を知らされて,急遽思いつき,「ぶっつぶしてやる」と
怒り,単にそれを阻止するだけの目的で本訴を提起したと主張し,Cの平成2
1年12月9日付け陳述書(乙35)には,Bが東海岡谷機材株式会社の従業
員に対し「裁判所に訴えて,絶対にぶっつぶしてやる。」と述べた旨の記載が
ある(Cの平成20年3月31日付け陳述書[乙17]も同旨)が,伝聞によ
るものであって,直ちに採用することができないのみならず,仮にそのような
事実があったとしても,本訴は既に判示したとおり理由があるものであって,
嫌がらせの目的で提起されたと認めることはできない。
その他,控訴人が本件特許を受ける権利を有する旨主張することが信義則に
違反し又は権利の濫用であるというべき事情があるとは認められない。
7結論
以上のとおりであるから,別紙発明目録記載の発明について控訴人が特許を
受ける権利を有することの確認を求める控訴人の本訴請求は理由がある。よっ
て,結論を異にする原判決を取り消し,控訴人の請求を認容することとして,
主文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第2部
裁判長裁判官中野哲弘
裁判官森義之
裁判官澁谷勝海
(別紙)
発明目録
1発明の名称加工工具
2出願番号特願2004−175707
3出願日平成16年6月14日
4公開番号特開2005−349549
5公開日平成17年12月22日
6発明者F,A
7出願人司工機株式会社
8特許請求の範囲
「【請求項1】
工作機械の主軸にシャンクを着脱自在に取り付け,該主軸の回転により該シ
ャンクおよびホルダーに装着した刃具を回転駆動すると共に,該シャンクに対
し該ホルダーおよび刃具を傾動させて加工を行う加工工具であって,
該シャンクの下端部外側にベアリングを介してケースが取り付けられ,該ケ
ースには該主軸に装着された際,該工作機械の固定部に係合して該ケースを位
置決めして静止させる位置決め係合部が設けられ,該シャンクの下端軸心部に
設けた軸孔に吸収ロッドが軸方向に摺動可能に配設され,該吸収ロッドと該シ
ャンク間には該吸収ロッドを軸方向に付勢する吸収ばねが配設され,該ケース
内の下部には傾動ケースが軸線に対し傾動可能に配設され,該傾動ケース内に
はホルダーがベアリングを介して回転自在に配設され,該ホルダー内には先端
に工具用のチャック部を設けた摺動ホルダーが軸方向に摺動可能に配設され,
該ホルダーと該摺動ホルダー間には該摺動ホルダーを軸方向に付勢するばね部
材が配設され,前記吸収ロッドの下端部と該ホルダーの上端部は相互に自在継
手により連結され,該自在継手の外周部の該ケース内に,多数の傾動支持ピン
を下方に向けて且つばね部材により付勢して突出させてなる傾動支持ピン装置
が配設され,該傾動支持ピン装置の傾動支持ピンの先端が該傾動ケースの上部
に設けた受圧板に当接することを特徴とする加工工具。
【請求項2】
前記傾動支持ピン装置は,円環状に形成されたピンケース内に多数の傾動支
持ピンがその先端を下方に突出させて円周上に配設されると共に,各傾動支持
ピンがばね部材により下方に付勢されて構成され,該傾動支持ピン装置が回動
自在のフリー状態で前記ケース内に配設されたことを特徴とする請求項1記載
の加工工具。
【請求項3】
前記傾動支持ピン装置の上側に,ボールベアリングがフリー状態で回転自在
に配設されていることを特徴とする請求項2記載の加工工具。
【請求項4】
前記ケース内の前記ボールベアリングの上側に高さ調整用の調整ナットが螺
合され,調整ナットのねじ込みにより該ボールベアリングの上側空間の隙間幅
を調整可能とした請求項3記載の加工工具。
【請求項5】
前記自在継手は,前記吸収ロッドの下部と連結された第1自在継手部と,前
記ホルダーの上部と連結される第2自在継手部とを中間軸の上部と下部に設け
て構成され,該第1自在継手部は該吸収ロッドに対し円周全方向に傾動可能で
且つ軸方向に摺動可能に連結され,該第2自在継手部は該ホルダーに対し円周
全方向に傾動可能で且つ軸方向に摺動可能に連結されていることを特徴とする
請求項1記載の加工工具。
【請求項6】
前記自在継手の中間軸に円盤部が形成され,前記第1自在継手部と第2自在
継手部には鋼球が嵌合する半球状の凹部が形成されると共に,前記吸収ロッド
とホルダーの継手凹部内には該鋼球が嵌合する溝部が軸方向に形成されている
請求項5記載の加工工具。
【請求項7】
前記傾動ケースは前記ケース内で球面滑り軸受を介して所定の角度範囲内で
傾動可能に配設されていることを特徴とする請求項1記載の加工工具。
【請求項8】
前記ホルダーは,前記傾動ケース内で少なくとも2個のニードルベアリング
を含む複数のベアリングを介して回転自在に配設されていることを特徴とする
請求項1記載の加工工具。」
発明の詳細な説明,図1∼12は省略

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