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裁判例


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       主   文
 当裁判所が、昭和四五年(ヨ)第二、五四六号特許権仮処分命令申請事件につ
き、昭和四六年一二月一七日にした決定は、これを認可する。
 訴訟費用は、債務者の負担とする。
       事   実
第一 当事者の求めた裁判
一 債権者
 主文と同旨の判決
二 債務者
1 当裁判所が、昭和四五年(ヨ)第二、五四六号特許権仮処分命令申請事件につ
き、昭和四六年一二月一七日にした決定は、これを取り消す。
2 本件仮処分申請を却下する。
3 訴訟費用は、債権者の負担とする。
との判決
第二 当事者の主張
一 申請の理由
1 債権者は、次の特許権(以下、「本件特許権」といい、その発明を「本件特許
発明」という。)を有する。
 発明の名称 抗生物質テトラサイクリンの製法
特許出願 昭和二九年九月二八日(昭和二九年特許願第二〇、九〇一号)
 優先権主張 アメリカ合衆国出願、一九五三年九月二八日および同年一〇月一五

 出願公告 昭和三三年四月三日(昭和三三年公告第二、二四九号)
 特許登録 昭和三三年七月一〇日
 登録番号 第二四三、六六五号
2 本件特許発明の明細書の特許請求の範囲の記載は、次のとおりである。
 ストレプトマイセスに属しストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属す
るか、またはストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種の特徴的性状の大部分
を保有する菌株を使用し、放線菌の培養に利用しうる培養基またはクロルテトラサ
イクリンの生産を抑制するがごとき制御条件の下にある培養基中で好気的醗酵を行
わしめ、主たる生産物として抗生物質テトラサイクリンを生産させこのようにして
得た培養物より抗生物質テトラサイクリンを採取することを特徴とする抗生物質テ
トラサイクリンの製造方法。
3 本件特許発明の経過
 抗生物質とは、典型的には、細菌、放線菌、かび、酵母その他の微生物が生産す
る化学的物質であつて、他の微生物その他生活細胞の機能を阻止または抑制するも
のをいう。本件特許発明は、これら抗生物質のうちで、テトラサイクリンを製造す
る方法に関するものである。
 テトラサイクリンは、次の化学構造を有する物質である。
<11728-001>
右構造式の中の七位の水素が塩素に置換された構造の物質をクロルテトラサイクリ
ン(商品名を「オーレオマイシン」という。)、五位の水素の一つがヒドロキシ基
に変つた構造の物質をオキシテトラサイクリン(商品名を「テラマイシン」とい
う。)といい、三者は、いずれもグラム陽性菌、グラム陰性菌、リケツチアおよび
一部のウイルスに有効であつて、広範囲抗生物質として広く用いられる。かよう
に、テトラサイクリンは、クロルテトラサイクリンやオキシテトラサイクリンと同
一の母核を有する広範囲抗生物質であるが、これらに較べてより安定であり、特に
クロルテトラサイクリンに較べて溶解度が高いという特徴を有している。
 ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスは、債権者の研究者である訴外
【A】らの発見にもとづくストレプトマイセス属の菌種である。同訴外人らは、一
九四八年、アメリカ合衆国ミズーリ州の土壌から一つの菌株を分離し、このストレ
プトマイセス属の菌株が従来公知の菌種に属せしめることのできない多くの性状を
有するところから、これにストレプトマイセス・オーレオフアシエンスの種名を与
え、後にこれが学界に認められたものである。同訴外人らは、このストレプトマイ
セス・オーレオフアシエンスを培養することによつて、クロルテトラサイクリンと
命名された抗生物質を生産採取する発明を成し遂げた。右訴外人らのこの発明後、
訴外【B】を中心とする債権者の研究者一〇名は、さらにこの分野の研究を進め、
ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスまたはストレプトマイセス・オーレオ
フアシエンス種の特微的性状の大部分を保有する菌株を培養することによるテトラ
サイクリンの生産方法を発明した。これが本件特許発明である。
4 本件特許発明の技術的範囲は、次のとおりである。
(一) 本件特許発明は、ストレプトマイセスに属し、ストレプトマイセス・オー
レオフアシエンス種に属するか、またはストレプトマイセス・オーレオフアシエン
ス種の特徴的性状の大部分を保有する菌株を使用して、醗酵を行なわしめ、主たる
生産物として抗生物質テトラサイクリンを生産させ、このようにして得た培養物よ
り抗生物質テトラサイクリンを採取する方法である。すなわち、その使用菌として
次の二つの菌株を用いる場合が含まれる。
(1) ストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属する菌株。
(2) ストレプトマイセス属に属し、ストレプトマイセス・オーレオフアシエン
ス種の特徴的性状の大部分を保有する菌株。
(二) 次に、右菌株の培養法としては、放線菌の培養に利用しうる培養基または
クロルテトラサイクリンの生産を抑制するがごとき制御条件の下にある培養基中で
好気的醗酵を行なわせる方法である。
 したがつて、本件特許発明には、培養法として次の二つの方法がある。
(1) 放線菌の培養に利用しうる培養基を用いる好気的醗酵。
(2) クロルテトラサイクリンの生産を抑制するが如き制御条件の下にある培養
基を用いる好気的醗酵。
 本件特許発明の明細書は、このことを説明して、「本発明の実施に於て発明者
は、ストレプトマイセスに属しストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属
するか又はストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種の特徴的性状の大部分を
保有する菌を適当な条件で培養する時は培地中に従来知られたものとは異なる。殊
に上記の種から従来生成された抗生物質クロルテトラサイクリンとは異なる抗生物
質が高濃度に於て生成されることを発見した。」と記載している。右にいう「抗生
物質クロルテトラサイクリンとは異なる抗生物質」がテトラサイクリンを指すこと
はいうまでもない。したがつて、前記の使用菌と培養法との組合せによつて抗生物
質テトラサイクリンを生産させ、得られた培養物より抗生物質テトラサイクリンを
採取する方法は本件特許発明の技術的範囲に属する。
5 債務者は、訴外アメリカ合衆国ラツシエル・ラボラトリーズ社から、本件特許
発明の目的物質であるテトラサイクリンおよびその塩の原末を輸入して販売するこ
とを企て、厚生省に対して、右物質三・五トンの輸入申請をし、昭和四五年四月一
五日その承認をうけた。債務者が近くこれを輸入し、日本国内において、抗生物質
として販売するのみならず、その輸入および販売を継続するであろうことは疑の余
地がない。
6 ところで、本件特許発明の目的物質であるテトラサイクリンは、本件特許出願
についての優先権主張の日である昭和二八年一〇月一五日以前において、日本国内
で公然知られた物ではなかつたから、右テトラサイクリンの生産は、本件特許発明
の方法により生産したものと推定され、債務者がテトラサイクリンを輸入すること
は、本件特許権の侵害となる。けだし、物を生産する方法の発明について特許がさ
れている場合に、特許法第一〇四条にもとづいて、その物と同一の物がその生産方
法により生産されたものと推定されるためには、その物が、特許出願前に日本国内
において公然知られた物でないことが必要であるが、この際の特許出願前とは、当
該特許権について、工業所有権の保護に関するパリ条約第四条にもとずく優先権の
主張がされている場合には、右優先権の主張の基礎となつた第一国出願の日と解す
ることが、わが特許法およびパリ条約上肯認さるべきである。また、右優先権主張
日以前にわが国に受け入れられたテトラサイクリンに関する文献としては、昭和二
七年一一月一四日に国立国会図書館に受け入れられたジャーナル・オブ・ジ・アメ
リカン・ケミカル・ソサイエテイ七四巻一九号がある。しかし、この文献には、オ
ーレオマイシンすなわち、クロルテトラサイクリンと、テラマイシンすなわち、オ
キシテトラサイクリンについての記載はあるが、本件特許発明の目的物たるテトラ
サイクリンについては、それが公然知られたといえるまでの記載はない。なるほ
ど、同誌には、オーレオマイシンとテラマイシンとの構造を比較して、その共通す
る構造を考え、この共通構造に対して、テトラサイクリンなる名を付けてはいるけ
れども、これは、テトラサイクリンなる化合物そのものについての記述ではない。
いくつかの化合物に共通する化学構造を頭の中で考えることと、その共通する化学
構造そのものをもつ化合物が、公然知られることとは、全く異質のことである。
 また、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスに属する菌株は、通常の培養
条件で培養すると、主たる生産物としてクロルテトラサイクリンを生産するほか、
若干のテトラサイクリンをも生産するものであるから、テトラサイクリンは、クロ
ルテトラサイクリンが生産された昭和二三年以来若干は結果的には生産され続けて
きたかもしれない。しかし、第一に、本件特許発明以前においては、ストレプトマ
イセス・オーレオフアシエンスを培養してクロルテトラサイクリンを生産するに当
つて、培養液中にテトラサイクリンが含まれているということは、何人も知るとこ
ろではなかつた。第二に、この培養液からクロルテトラサイクリンを分離する場
合、残部は不要の不純物として廃棄されていた。第三に、その残部には現在の知見
からすれば、場合に応じて種々の割合のテトラサイクリンが含まれていたわけであ
るが、その残部はその他種々の不純物、夾雑物を含み、テトラサイクリンという特
定物質とは全く同一視できないものであつた。さらに第四に、かような技術水準に
あつたから、テトラサイクリンがどのような物理的、化学的性質を有し、どのよう
な方法で得られるかは、本件特許発明の優先権主張日前には全く未知であつた。
 特許法第一〇四条における物の新規性ないし公然知られた物でないという要件の
存在は、その物と同一の物が、既に知られていることによつて否定される。しか
し、前記のように、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスを培養した培養液
やそこからクロルテトラサイクリンを分離した残部は、本件特許発明の目的物とは
明白に異なるものであるから、右文献が存在したとしても、本件発明の目的物が新
規性を失うことにはならない。
7 以上のとおり、債務者のテトラサイクリンの輸入は、本件特許権の侵害となる
わけであるが、いまもし、右輸入の差止の仮処分を得ておかないと、債権者は、次
のとおり回復しうべからざる損害を被ることになる。すなわち、
 債権者は、本件特許権をはじめとして抗生物質テトラサイクリンの製法に関する
特許権を世界の各国において有することにより、世界のテトラサイクリン市場の殆
ど全部を掌握しているものであるが、わが国においても、そのテトラサイクリンの
総生産量は、何らかの形で債権者の有する本件特許権その他の特許権につき債権者
から実施権ないし再実施権の許諾を受けて生産されている実状にある。しかも、抗
生物質テトラサイクリンは、債権者の営業品目のうちのもつとも重要なものの一つ
である。したがつて、債務者によるテトラサイクリン・バルクの輸入行為を放任す
ることは、直ちに侵害品が市場に氾濫する結果、既存業者の生産販売量の減少を招
来する。この場合、債権者の被る損害は、債務者のテトラサイクリン・バルクの輸
入行為を放任し、それが債務者またはその依頼をうけた第三者により製剤され、国
内のテトラサイクリン市場に出まわるという一連の侵害行為が行なわれることにな
れば、債権者がその出資した会社を通じて取得しうべき利益の減少および実施料の
減少という形で直接負担することになる損害であつて、その間の因果関係は、前に
主張したテトラサイクリンに関する国内市場における特殊な事情に鑑みれば、客観
的に相当な範囲内にあるというべきである。けだし、債権者から本件特許発明その
他の特許発明の実施権または再実施権を許諾されている既存業者のテトラサイクリ
ンの生産販売量が、債務者の輸入したバルクから製剤された侵害品の国内市場進出
に伴い、その攻勢に押されて減少を来たすという関係にあれば、それは、債権者の
受くべき利益および実施料の減少という損害に直接つながるからである。ここで
は、これら既存業者が製造しているテトラサイクリンが、本件特許発明のうちいか
なる方法に従つて製造されたものであるかは問題ではない。要は、債務者の侵害行
為を放任し、本案訴訟において侵害禁止の判決を受けるまでに要するであろう数年
の歳月のたつ間中、債務者の侵害行為が反覆継続されることによつて、国内の既存
の業者によるテトラサイクリンの生産販売量が減少し、その結果、債権者が本来う
くべき利益および実施料その他の給付の著しい減少を来たし、その他回復できない
損害を被るという情況にあれば足りるのである。本件においても、国内市場におけ
るテトラサイクリンは、本件特許発明の方法を実施して製造されたものであろう
と、あるいはまたその他の方法に従つて製造されたものであるとを問わず、同一の
侵害行為により、全く同じように、販売数量が減少するという因果の関係にあるの
であるから、いずれの方法により製造されたテトラサイクリンであつても、その販
売数量の減少がそのまま債権者に等しく損失を及ぼす以上、侵害行為との間の因果
の関係は等価的であつて、しかも、この両者の因果関係はいずれも相当性の範囲内
にあるというべきである。このようにして、債務者の三・五トンのテトラサイクリ
ンの輸入行為を放任すれば、債権者が被るべき損害は、債権者から本件特許発明の
実施権ないし再実施権を許諾されている国内のテトラサイクリン業者から支払わる
べき実施料が減額することによる損害いかんにより大幅に影響を受けるのであつ
て、その損害は、一概に算出することができない。このような状態において、も
し、債務者の侵害行為が放任されるならば、債務者は、第一回の輸入にひき続い
て、テトラサイクリンの輸入を行なうことは必至であり、しかもそのたびごとに輸
入は増大するであろうことは目に見えて明らかである。かかる損害は、もはや金銭
的補償をもつてしては償うことのできない回復不能の損害というべきである。
 これに対し、仮処分命令をうけ、輸入行為を差し止められることにより債務者が
被る損害はさほどではなく、ある程度の金銭的保証をもつて充分に填補できる程度
のものである。いま、債務者の事業構成をみると、医薬品部門は全体からすれば、
僅少な率を占めているにすぎない。したがつて、新たにテトラサイクリンのバルク
を輸入して、この抗生物質の製剤や販売の計画を立て始めたとはいつても、右の僅
かな医薬品部門の内部でのことである以上、全体の事業構成中のごく一部である。
したがつて、債務者としては、このテトラサイクリンの輸入業務、製剤の発注とい
う新規部門のために、すでに人員を投入し、多少の組織変更をしたことはあつて
も、今の時期において、この部門のみを撤収して、他の部門に吸収することは、さ
ほど問題ではないはずである。のみならず、債務者の実施行為が今日において開始
されると、特許権の残存期間が僅少になつてきた現在、いたずらに手続に多くの時
日を費すことは、債務者に乗ずる隙を与えることになりかねない。このような事態
を防止するためには、本案訴訟手続によるよりも、仮処分手続によつて手続を早急
に進め、緊急性の要請に応えるようにするほかはない。
 以上の諸点からみても、今にして仮処分命令を得なければ、債権者のもつ本件特
許権の実効性の確保は期し難いばかりでなく、債権者の被る損害は日を追つて増大
するばかりであり、債務者の事業が拡大すればするだけ、将来、本案訴訟において
債権者の請求が認容され、債務者の行為の差止を命ずる判決が効力を有するにいた
つた場合における債務者の被る損害も増大することになるのみならず、債務者の事
業規模が大きくなるに任せると債権者の被るべき損害額の立証もまたそれだけ困難
の度を加えてくることになるのである。
8 よつて、債権者は、債務者に対し、債務者は、本件特許権の存続期間満了の日
である昭和四八年四月三日までの間、アメリカ合衆国ラツシエル・ラボラトリーズ
社から抗生物質テトラサイクリンおよびその塩を輸入してはならない旨の本件仮処
分決定の認可を求める。
二 申請の理由に対する債務者の認否
1 債権者が、申請の理由1において主張する本件特許権を有することは認める。
2 本件特許発明の特許請求の範囲は、債権者が申請の理由2において主張すると
おりであることを認める。
3 債権者が、本件特許発明の経過として主張する申請の理由3の事実のうち、債
権者の研究者である訴外【B】らが、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンス
またはストレプトマイセスオーレオフアシエンス種の特徴的性状の大部分を有する
菌株を培養することによりテトラサイクリンの生産方法を発明したことを否認し、
その余を認める。
4 債権者が、申請の理由4において、本件特許発明の技術的範囲として主張する
点は、いずれも否認する。すなわち、
(一) 使用菌
 本件特許発明の特許請求の範囲における使用菌に関する記載は、「ストレプトマ
イセスに属し、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属するか、または
ストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種の特徴的性状の大部分を保有する菌
株」である。したがつて、文言上は、使用菌の中に「ストレプトマイセスに属しス
トレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属する菌株」と「ストレプトマイセ
スに属しストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種の特徴的性状の大部分を保
有する菌株」とが含まれる。
(1) そこで先ず、右のストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属する
との意味について検討するに、債権者は、右の種に属する菌を特定する何らの手段
もとつていない。すなわち、微生物分類学上のストレプトマイセス・オーレオフア
シエンスとは何かということは全く明らかにされていないのである。権利の内容と
なるべき菌の分類学上の性質を明らかにしないで、対象となるべき菌が、当該発明
において開示されている菌と同一の種類に属するか否かを判断することはできな
い。ところで、菌株の性状を明らかにする方法としては、先ず分類書、検索表を参
考とし、必要に応じて菌株を発表した原報を調べることになる。そして、次に右の
文献に瞹昧なところがあつた場合、あるいはそうでなくても念のために標準菌株を
用いるべきである。「国際細菌命名規約」(一九六六年)によれば、その第三章
「規則ならびに勧告」の第二節「命名上の標準の指定」中に「規則の9aー二の規
則の下にある各taxonに対して標準を指定しなくてはならない。命名上の標準
とは、あるtaxonの構成員であつて、そのtaxonの名が永久につけられて
いるものをいう。種または亜種の標準は、できれば指定された標準菌株であること
が望ましいが、特別の場合には記載、保存標本または標品、または描写であつても
よい。」との定めがあり、また「規則9d(1)ー種または亜種の標準は、できれ
ば細菌学研究室、さらに限定していえば恒久的に設置されている菌株保存機関に保
存されている生きた菌株であつて、そこから研究のために入手可能であることが望
ましい。」「規則9d(2)ーもしも命名者が、種名または亜種名の原著公表にお
いてはつきりと標準菌株を指定していたか、または単一菌株を記載していたなら
ば、他の考慮に関係なく、その菌株が標準菌株となる。」という定めもある。右規
則9a中のtaxonとは、分類学的群の意味で、科、属、種のようなグループを
一々区別せず、すべて包括させたい場合に用いる。いまこれを本件についてみる
に、本件でストレプトマイセス・オーレオフアシエンスの標準菌株としなければな
らないのは、右ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスの命名者である訴外
【A】が、その原報であるアナルス・オブ・ザ・ニユーヨーク・アカデミー・オ
ブ・サイエンシズにおいて、その性状を開示し、これをもつてストレプトマイセ
ス・オーレオフアシエンスであるとしたAー三七七と名付けられた菌株でなければ
ならない。また、本件特許明細書に記載されているUVー八は標準菌株として用い
らるべきではない。けだし、UVー八なる菌株は、テキサスの土壌からの分離菌の
人工突然異株であつて、Aー三七七菌株からの突然変異株ではないからである。
(2) 次に、ストレプトマイセスに属し、ストレプトマイセス・オーレオフアシ
エンス種の特徴的性状の大部分を保有する菌株なる本件特許発明の特許請求の範囲
における表現は、細菌分類学上は、全く学問的でないのみならず、本件特許発明の
明細書にも、これが如何なるものであるかについては全く説明がされていない。ま
た、その実施例においても、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスといつて
いるだけで、その特徴の大部分を有する他種の菌を用いたとの例はない。このよう
に説明も、例もまたその内容を示唆するものが全くない表現は、たとえそれが特許
請求の範囲に記載されていてもこれを無視することができるものといわなければな
らない。
(二) 使用培地
 債権者は、本件特許発明の技術的範囲には「放線菌の培養に利用しうる培養基を
用いる好気的醗酵」を行なう場合が含まれると主張する。しかし、本件特許発明に
は、培地中の塩素イオンの制御を行なわないで、工業的にテトラサイクリンを製造
しうるような技術は開示されていない。これは、次の各点からいずれも明らかであ
る。
(1) 先行技術による解釈
 本件特許発明の先行技術としては、クロルテトラサイクリンの製法に関するいわ
ゆる【A】特許がある。同特許の特許明細書の特許請求の範囲は、「水性培養基に
ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスに属する菌株を接種し好気性醗酵を行
わしめることを特徴とする抗菌性物質クロルテトラサイクリンの製造方法」であつ
て、本件特許発明と同じく、その使用菌はストレプトマイセス・オーレオフアシエ
ンスであり、その培養条件は好気性醗酵である。水性培養基は、放線菌の培養に通
常用いられるものであり、本件特許発明においても水性培養基を用いることは、そ
の特許明細書からも明らかである。そうとすれば、本件特許発明において、その培
養条件になんらの限定もないならば、【A】特許と同一発明となつてしまうのであ
る。
 すなわち、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属する菌株を培養す
ればクロルテトラサイクリンが得られるというのが【A】特許発明の与えた知見で
あつた。このクロルテトラサイクリンを使つて、これを還元して塩素原子を除きテ
トラサイクリンを得ようとするのが、訴外フアイザー社の【C】特許であり、債権
者の【D】と【E】の発明である。訴外ヘイデン社の【B】らは、これに対し、は
じめから培養基に塩素を含ましめず、したがつて、菌が抗生物質をつくる時に塩素
原子をもつ可能性をなくしておくという仕方でテトラサイクリンを得た。それが本
件特許発明である。この発明の特徴はここにあるのであり、この技術的範囲もこれ
に沿つて解釈されなければならない。
(2) 本件特許発明出願の審査経過による解釈
最初の本件特許発明の明細書に記載された特許請求の範囲は次のとおりである。
「テトラサイクリン生成微生物を栄養媒体内で実質的抗生活性が生成されるまで成
長させ必要に応じテトラサイクリンを得ることを特徴とする抗生物質テトラサイク
リンの製法」
 それに対しては、昭和三〇年一二月一九日付で拒絶理由通知書が発せられた。そ
の理由は次のとおりである。
「従つて本願はストレプトマイセス・オーレオフアシエンスに属する菌を栄養媒体
内で培養してテトラサイクリンを生成させる点に要旨があるものと認められる。然
るにストレプトマイセス・オーレオフアシエンスに属する菌を栄養媒体内で培養す
ればクロールテトラサイクリンが生成されるから本願方法ではテトラサイクリンと
共に当然クロールテトラサイクリンが生成される……。依つて本願は本願出願人が
先に出願した昭和二四年特許願第一〇七三号(昭和二九年特許出願公告四一九七
号)のものと同一発明と認める。」
 そこで、本件特許出願人である債権者は、昭和三一年三月三〇日付の訂正書にお
いて、特許請求の範囲を次のように訂正した。
「同化可能の炭素源、窒素源及鉱物塩源を含有し、而も調節且制限された量の塩化
物イオンを含有する水性培養基にストレプトマイセス・オーレオフアシエンス及そ
の天然並に人工変異株なる菌を接種し好気性醗酵せしめてテトラサイクリンが培養
基中に於ける主たる抗生物質となるに至らしめることを特徴とするテトラサイクリ
ンの製造方法。」
 この特許請求の範囲の記載は、最初のものに比べれば、使用菌もストレプトマイ
セス・オーレオフアシエンスと特定されているが、結局本件特許発明の本質が、使
用菌ではなく培養条件に特徴を有するものであることを明らかにしたものであると
いうことができる。
 すなわち、その培養基は、同化可能の炭素源、窒素源および鉱物塩源を含有しか
つ塩素イオンをあまり含有しないものでなければならないというのである。そし
て、放線菌の培養基が同化可能の炭素源、窒素源および鉱物塩源を含有するという
のは、それ以前においても極く普通のことであり、殊にいわゆる【A】特許との間
に差異を生ぜしめるものではないから、結局右訂正の意味は、塩素イオンを殆ど含
有しないことを明らかにした点にある。次いで、本件特許出願は、昭和三一年九月
七日付訂正明細書において再度訂正されている。その特許請求の範囲は、次のとお
りである。
「ストレプトマイセスに属しストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属す
るか、またはストレプトマイセスオーレオフアシエンス種の特徴的性状の大部分を
保有し、クロルを制御した好ましき条件の下に於てテトラサイクリンを培養液一C
C中に五〇〇τ以上を生産し得る菌株を使用し、放線菌の培養に利用し得る培養
基、但し、もしそれらの菌株がストレプトマイセス属の菌株の培養に使用する任意
の培養基に於てテトラサイクリンを主たる生産物として若しくは培養液一CC中五
〇〇τ(又は三〇〇τ)以上生産しない場合には特にクロルテトラサイクリンの生
産を抑制するが如き制御条件の下にある培養基中で好気的醗酵を行なわしめ、主た
る生産物としてテトラサイクリンを生産させることを特徴とするテトラサイクリン
の生産方法。」
 これによつて、使用菌が塩素イオンをあまり含有しない培養条件下においてのみ
テトラサイクリンを多量に生産しうる菌株であることが明確にされた。すなわち、
使用菌そのものが、塩素イオンを実質的に含有する培養条件下ではむしろクロルテ
トラサイクリンを生産するが、塩素イオンを殆ど含有しない培養条件下においては
テトラサイクリンを生産するというのである。
 右特許請求の範囲は、昭和三一年九月一〇日付の訂正書において再び先の昭和三
一年三月三〇日付の第一次訂正と同文に改められている。その理由は、本件出願審
査経過書類からは明らかではないが、その培養条件としては塩素イオンを殆ど含有
しないものでなければならないことは既に主張したとおりである。
 ところが、右特許請求の範囲は、再び昭和三二年二月一四日付の訂正書により、
前示昭和三一年九月七日付訂正明細書における表現と殆ど同じになり、さらに、昭
和三二年一二月二九日付訂正書で現在の表現に改められたのである。
 以上のように、本件特許の出願の過程においては本件特許発明の本質が、培養条
件として塩素イオンを実質的に含有しない培養基を用いるところにあること、すな
わち、培地組成物として元来塩素イオンを生ずべき物質を用いない培養基はそのま
ま利用しうるが、そうでない培養基はクロルテトラサイクリンの生産を抑制するよ
うな人為的手段を施して使用するというところにあることが、表現の差こそあれ再
三明らかにされてきている。およそ特許出願の内容をなす発明は、遅くとも特許出
願の時点までには完成し、その実体が確定しているはずのものである。その内容
は、出願の過程で特許獲得のための技術的要請から狭められることはあつても、拡
張されることはありえない。まして、発明の実体は終始不変のはずである。したが
つて、本件特許発明の現在の特許請求の範囲も、それ以前の変遷した表現のものと
相互に矛盾なく解釈されなければならないのである。このような客観的情況の下
で、本件特許発明の現在の特許明細書を読めば、その文言の如何にかかわらず、こ
れがストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属する菌を使用し、塩素イオ
ンを相当量含む培養基で培養することをその範囲に含むとは到底理解することはで
きない。
(3) 本件特許明細書による解釈
 なるほど、本件特許明細書には、「テトラサイクリンの生成に適する培地は従来
ストレプトマイセス属その他の培養に使用されている通常のものが使用可能であ
る。即ち、炭素源例えば同化可能の炭水化物、同化可能の窒素源、燐酸塩、マグネ
シウム塩等の如き無機塩及普通の微量元素源を含む。緩術剤が一般に含まれる。」
との部分がある。そして、この冒頭の文章は軽卒に読むと、債権者の主張の裏付の
ように即断されるかも知れないが、「即ち」という接続詞が示すように、一般的に
菌の培養に必要な栄養源を備えている普通のものが用いられるということを述べた
のに過ぎないのである。つまりここは、代謝産物に関係なしに、そもそも菌の生育
に必要な事項を説明しているのである。また、同明細書中には、一個所だけ、塩素
イオンの存在下でテトラサイクリンを生成することも本件特許発明に含まれること
を示唆するかのような記載がある。すなわち、「此微生物の変種は相当量の塩化物
イオンを含む培地中に於て高濃度に於いて本抗生物質を生成する。」という部分で
ある。しかしながら、そのような変種は、本明細書中全く何の具体的開示もなく、
実施例でも示されていない。しかも、本件特許発明の優先権主張の基礎たるアメリ
カ特許第二、七三四、〇一八号の特許明細書での右の対応する部分には、「この微
生物あるいは他の微生物のより一層の突然変異株は、塩化物が相当量ある培地でも
テトラサイクリンを多量つくりうると信ずる理由がある。」と記載されているので
あつて、単なる予測を述べたにすぎないのである。
 そして、本件特許発明の明細書には、塩素イオンを制御しない培地において、テ
トラサイクリンを生産する方法が開示されたとみられる記載もなければ、そのよう
な実施例も示されていない反面、塩素イオンを制御する点については繰返し強調さ
れている。
 さらに、最も重大なことは、このような明細書の解釈ではなく、本件特許発明の
明細書においては、使用菌としてUVー八しか示されておらず、この菌は、その培
地において塩素イオンを制御しないではテトラサイクリンを工業的に生産しないと
いうことである。
 なお、本件特許発明が塩素イオンを制御しない培地による培養を含まないことは
明細書の付記の記載の仕方からも明らかである。付記とは発明実施の態様の記載で
あり(旧特許法施行規則第三八条第五項但書)、通常サブ・クレームのように解
し、特許請求の範囲の限定を一層しぼつた限定条件を記載する。そして、通常、付
記の範囲が実質上発明の好ましい態様となつている。
 本件特許明細書の付記の一は、次のとおりである。
 「培地が有効塩化物イオン一Ppm以下を含む特許請求の範囲記載の方法」
 また、付記二は、次のとおりである。
 「通常有効塩化物イオンを含む培地の成分がその塩化物イオンを除くためにイオ
ン交換樹脂を以て処理される特許請求の範囲並に前記付記第一項記載の方法」
 このような付記は、ただ、特許請求の範囲記載の方法が、塩素イオンを制御する
培地を用いるものである場合のみ意味をもつ。すなわち、特許請求の範囲が一般
的、抽象的に塩素イオンを制御するものである場合に、更にその範囲を限り、塩素
イオンを一ppm以内にするとか、その制御の仕方をイオン交換樹脂でするとかい
う限定が生きてくるのである。
(4) 一発明一出願の原則による解釈
 本件特許発明が通常のストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属する菌
株を用いて、塩素イオンの制御された培地での培養方法の発明を、少くともその中
に含んでいることは争いの余地がない。ところで、もしこれが、更にストレプトマ
イセス・オーレオフアシエンス種に属する菌株を用いる塩素イオンを制御をしない
培地での培養方法をも含むとすれば、両者は明らかに異質のものであり、本件特許
出願は、二発明を含むことになる。しかし、原則は、一発明一出願であり、出願人
もそれを知つて出願し、また審査官もそれに基いて審査した以上は、先ず素直に一
つの出願明細書は一発明から成ると考えて解釈すべきが当然であり、二発明を含む
ことがありのままの実体であるという評価は、どうしても一発明としては解釈でき
ない場合に初めてされることである。いわんや、本件特許発明の明細書は、一発明
とも解釈できるどころか、もともと一発明と解すべきものである。そのような場合
に強いてこれを二発明とする必要はない。また、明細書作成技術から考えても、少
し違つた発明実施の態様があれば、必ず当該態様についての実施例を要求されるも
のである。いわんや二発明を含む場合、その一方につき全然実施例がないというこ
とはありえない。実施例が一つもなければ、その発明については発明未完成とみな
さざるをえないのである。
 この点に関し、パリ条約第四条F第一項は、次のとおり規定する。
「いずれかの同盟国も、特許出願人が二以上の優先権(二以上の国においてされた
出願に基づくものを含む。)を主張することを理由として、又は優先権を主張して
行なつた特許出願が優先権の主張の基礎となる出願に含まれていなかつた構成部分
を含むことを理由として、当該優先権を否認し、又は当該特許出願について拒絶の
処分をすることができない。ただし、当該同盟国の法令上発明の単一性がある場合
に限る。」
 本件特許出願は、優先権を主張してされている。したがつて、もし債権者の主張
するように、明細書が二発明を包含するならば、発明の単一性を欠き、本来優先権
を否認されてもやむをえなかつたものである。
(5) 本件特許発明に対応する外国特許発明による解釈
 本件特許発明においては、出願人は、一九五三年九月二八日と同年一〇月一五日
の二つの米国特許出願にもとづく優先権を主張している。このうち九月二八日の出
願明細書は明らかに培地中の塩素イオンの制御を特徴としているのである。また、
一〇月一五日の出願明細書も、クレームこそ広く書かれていたが、発明の内容にお
いては、決して債権者の主張するような塩素イオンに富む培地におけるテトラサイ
クリンの生産法などを開示しているのではない。この明細書が具体的に開示したも
のは、Aー九六三五という菌が、制御された培地中でテトラサイクリンをつくると
いうことに過ぎないのである。ここで、「制御された培地」とは、他に制御するも
のもない以上、塩素イオンの制御であることは明白である。そして、右明細書にお
ける実施例一および二は、いずれも塩素化抑制剤である臭化カリウムが加えられて
おり、実施例三には、塩化物は加えられず、実施例四には、食塩が入つているが、
量は少なく、塩素イオンの少ない培地に該当するし、全体として、その記述が甚だ
簡単で信用できない。
 本件特許発明の出願人は、右以外にも、イギリス、フランス、ベルギー、スイ
ス、オランダおよびドイツの諸国にも同様の出願をしている。これらの出願のう
ち、フランスとベルギーを除く諸外国の明細書においては、塩素イオンの存在下で
はクロルテトラサイクリンを生成する菌株を使用しながら、塩素イオンを実質的に
含有しない培養条件下で、これを培養することによつてテトラサイクリンを生成さ
せるという方法であることが明瞭に示されている。ただ、フランスおよびベルギー
の両国の明細書では必ずしも右の趣旨が明確に示されていないが、これは両国がい
ずれも無審査国であるという特別な事情によるものであつて、これをもつて、わが
国の特許の解釈に資することはできない。
5 債権者が、申請の理由5において主張する事実は認める。
6 債権者が、申請の理由6において主張する事実は否認する。すなわち、
(一) テトラサイクリンは、本件特許発明出願についての優先権主張日前におい
て、わが国で公然知られたものであつた。
 債権者の主張するように、テトラサイクリンは、訴外【B】らによつて、ストレ
プトマイセス・オーレオフアシエンス種に属する菌株の培養により得られることが
見出された。しかしながら、この菌株に関しては、それより以前に、訴外【A】
が、その培養によりクロルテトラサイクリンを得ることができることを見出してお
り、現にその目的のために培養が行なわれていた。ところが、ストレプトマイセ
ス・オーレオフアシエンス種に属する菌株は、通常の培養条件で培養すると、主な
生産物たるクロルテトラサイクリンの外に、若干のテトラサイクリンを生産する。
このことは客観的事実であり、またつとに意識されていたことでもある。ただ、本
件特許発明の頃より以前には、それが今日でいうテトラサイクリンであるというこ
とが知られていなかつたにすぎない。すなわち、この物質は、一九四八年以来、人
の手により生産され続けてきたのである。この点に関し、アメリカ合衆国における
債権者およびチヤールズ・フアイザー・アンド・カンパニー・インコーポレーテツ
ド対連邦取引委員会事件において、連邦控訴裁判所は、インターフエアランスを宣
言されていた一九五二年一〇月二三日付、右フアイザー社のテトラサイクリンに関
する特許出願と、一九五二年三月一六日付、債権者のテトラサイクリンに関する特
許出願との審査過程において、右両出願人は、一九四九年九月一三日に債権者が取
得したオーレオマイシンの特許および一九五二年九月二日に取得したオーレオマイ
シンの製法に関する改良の特許でも、テトラサイクリンが生成するという事実を知
りながら隠蔽したとの事実を認定している。また、訴外【F】らは、オーレオマイ
シンの化学構造とテラマイシンのそれとに共通する構造部分を発見し、その共通の
構造に対し、テトラサイクリンと命名し、これを発表したジャーナル・オブ・ジ・
アメリカン・ケミカル・ソサイエテイ七四巻一九号は、アメリカ合衆国のみなら
ず、わが国においても、前記優先権主張日より以前の昭和二七年一一月一四日に
は、既に国立国会図書館に受け入れられ、一般に閲覧可能な状態におかれていたの
である。もちろん、物の構造式と物自体とは異るけれども、化学にあつては、物の
特定を構造式をもつてすることが多いし、また構造式さえ知られればその物を容易
に合成しうることも多いから、しばしば構造式の開示をもつて物の開示とみなすこ
とがある。とくに、本件の場合のように、テトラサイクリンが客親的に生産され、
また意識もされていたという状況の下にあつて、これに加えてその構造式までも知
られていれば、もはやその物は新規ではないといわなければならない。
(二) テトラサイクリンは、本件特許発明の出願前にわが国において公然知られ
ていた。
 特許法第一〇四条は、その適用のための要件の一つである、発明の目的物質が公
知であつたか否かの基準時を「特許出願前」というところにおく。債権者は、本件
につき同条の適用があるとする根拠として、右「特許出願前」を優先権主張日前と
している。しかしながら、特許法一〇四条は明文をもつて出願時を基準としている
のであるから、これを優先権主張日と読み替えるためには、相当の合理的根拠を必
要とするものといわなければならない。そして、少なくとも本件においては、以下
の事情に鑑み、特許法第一〇四条の適用は排除されるべきである。すなわち、優先
権の制度は、特許権が本質的に属地性を有し、出願は各国でされることを前提とし
つつ、しかし、同時に世界各国に出願することは事実上不可能であるから、一定の
期間を定め、その間に出願すれば、第一国における出願日以降に生じた事実によつ
ては何の不利も及ぼさせないようにしたものである。それゆえにパリ条約第四条B
は、その期間内に他の同盟国にされた出願は「その間に行なわれた他の出願、当該
発明の公表又は実施、……その他の行為により不利な取扱いを受けないものとし、
また、これらの行為は、第三者のいかなる権利も生じさせない。
」と規定する。これは、いわば当然のことであつて、優先権の制度は、審査の基準
時を確保し、それにより原出願後生じる自己ないし第三者の行為による影響を排除
させれば足りる。原出願前に起つたことをどう評価するかは各国特許法の問題であ
つて、優先権制度の関知するところではない。ところで、特許法第一〇四条の立法
趣旨として、物を生産する方法の発明の特許権の侵害の場合の、侵害者の実施方法
の立証の困難さがあげられるが、立証の困難なことは新規な物の生産方法に限つた
ことではないから、立法理由をここに求めるべきではない。また、新規な物の生産
方法は一つしかないから、相手方の製法もそれによつている蓋然性が強いというこ
とに根拠を求める考え方もある。しかし、このような事実上の蓋然性を法律上の推
定にまで高めた理由が明瞭でない。したがつて、この規定の存在理由は、新規物質
の発明者に対し、物質特許を認めないかわり、手続面において優遇しようとの趣旨
であると解するほかはない。いま本件の事実関係を右の立法趣旨にもとづいて検討
してみるに、本件特許出願について債権者が優先権を主張したのは一九五三年九月
二八日および同年一〇月一五日の両アメリカ合衆国出願にもとづくものである。そ
して、わが国における出願日は、昭和二九年九月二八日である。これに対して、一
九五三年九月二〇日に発行されたジヤーナル・オブ・ジ・アメリカン・ケミカル・
ソサイエテイ七五巻一八号四六二一頁以下において、債権者の研究者【D】ほか四
名は、クロルテトラサイクリンを還元することによりテトラサイクリンを得たこと
を報告している。さらに、同じ七五巻一八号四六二二頁以下において、訴外チヤー
ルズ・フアイザー・アンド・カンパニー・インコーポレーテツドの【C】ほか四名
の研究者が、別個の論文を発表し、その中でテトラサイクリンの構造を示し、具体
的な反応条件のもとに、クロルテトラサイクリンを還元してテトラサイクリンを得
たことを明らかにしている。このように、テトラサイクリンは、本件特許発明出願
について優先権主張の基となつたアメリカ合衆国出願の前に、同国において公然知
られた物質となつているのである。そして、本件特許発明の優先権主張の基礎とな
つているアメリカ合衆国特許発明は、テトラサイクリンの製法についてのものであ
つて、テトラサイクリンを新規物質として生産する方法ではない。したがつて、右
優先権主張の基礎たるアメリカ合衆国特許出願の時点では、債権者は、そもそもテ
トラサイクリンを新規物質であると主張しえなかつたのみならず、テトラサイクリ
ンが新規物質であるとすれば、享受しえたであろう利益は全く認められていなかつ
たのである。また、本件特許発明は、かりにわが国において物質特許が許されたと
しても、物質特許はとりえなかつたものである。これは、前記フアイザー社が、本
件特許発明出願の優先権主張日に先立つ昭和二七年一〇月二三日を優先権主張日と
して、テトラサイクリンの製法の特許出願をしているからである。かように、原出
願国であるアメリカ合衆国においてそもそも享受しえないような利益を、本件債権
者に対し、わが国において、特許法第一〇四条につき優先権主張日を基準として物
の新規性を判断することにより、格別の特典を授けることは、工業所有権の保護に
関するパリ条約の基調とする内外人平等保護の建前を逸脱し、かえつて結果的に内
国人の有する前記の共通の知的資産を剥奪して内国人の犠牲において外国人を優遇
することになるのである。かような結果を特許法第一〇四条が肯認するとは到底考
えられない。のみならず、このように特許法第一〇四条の適用を排斥しても、債権
者が、わが国における特許出願日の時点で、右パリ条約の規定にのつとり期待した
主観的期待利益に反することにもならない。けだし、前記のようにアメリカ合衆国
の【B】特許出願時には、テトラサイクリンはアメリカ合衆国において公知であつ
たのであるから、債権者は新規物質の発明者としての利益を享受しうるとは考えて
もいなかつたことは明瞭である。
 以上のとおり、少なくとも本件の事情の下においては、特許法第一〇四条の「出
願前」という用語を「優先権主張日前」と読みかえるべき理由がないのみならず、
むしろ読みかえない方が、新規物質の発明者に特典を与えるという同条の立法趣旨
にも合致するし、また原出願後第二国出願前に生じた事実による影響を排除すると
いう右パリ条約の精神にも沿うものである。
(三) かりに、本件特許発明の目的物質が、その特許出願にわが国において公然
知られていなかつたとしても、後に主張するように、債権者は、本件において、そ
の輸入するテトラサイクリンの製法を開示しているので、本件仮処分事件において
は、特許法第一〇四条が適用される場合ではない。けだし、特許法第一〇四条は、
単に物の製法に関する特許権の侵害者とされる者の実施方法を推定するにとどま
り、その方法が開示された後は、それが特許発明の技術的範囲に属するとの立証責
任は、同条の適用のない場合と同じく、特許権者が負担すると解すべきだからであ
る。かく解しなければ、本件のような場合、債務者は主張されている製造方法が、
特許発明の技術範囲に属しないことを立証しなければならず、それは債務者にとつ
て過当な負担である。
7 債権者が、申請の理由7において、本件仮処分の必要性について主張する事実
は、いずれも否認する。すなわち、
(一) 債権者が本件において侵害されたと主張する特許権は、いわゆる【B】特
許なのであるから、債権者が本案訴訟において請求しうる損害賠償額も、右特許発
明の実施に関して被つた損害に限られるべきである。また、わが国におけるテトラ
サイクリンの消費量は着実にのびており、債務者の本件テトラサイクリンの輸入に
より販売量が減少することはありえないし、債権者の特許網は完全なものではない
から、かりに本件特許権の侵害が認められても、それが直ちに本件特許権の実施権
者の売上にひびくという因果関係はない。
(二) 債権者は、わが国におけるテトラサイクリン業者で、債権者の特許権を実
施している訴外日本レダリー株式会社の被るべき販売利益の減少を損害として考慮
するもののようである。しかし、右訴外会社は、債権者と訴外武田薬品工業株式会
社との平等出資による、いわゆる子会社で、別法人である。したがつて、かりに右
訴外日本レダリー株式会社に販売利益の減少という事実があつたとしても、それは
債権者に対し配当の減少という形で間接的にしか影響しないのである。法律上、株
主が、会社の利益減少を自己の損害として第三者に直接請求することのできないこ
とはいうまでもない。また、実質的にも、右訴外会社の販売利益一グラム当り金五
七円という数字もその根拠が不明である。
(三) 債権者の営業品目は、化学薬品のあらゆる分野において多岐にわたり、そ
の取り扱い品目は総数約五五〇におよぶ。一九六九年度のアニユアル・レポートに
よれば、債権者の売上高は、金三九一三億二〇〇〇万円、利益は金三二三億五〇〇
〇万円にのぼる。したがつて、債権者の損害額をその疎明にあらわれているとおり
金六二〇〇万円であるとしても、この利益減は、〇・一九パーセントにしかあたら
ず、殆ど無視しうるといつてよい。
(四) 債権者は、債権者の本件侵害行為により被る損害は算定不能であると主張
するが、債権者とわが国のテトラサイクリン業者との間に実施料支払の取決めがあ
るものならば、算定不能ということはない。
(五) 債権者は、また、その損害は金銭的補償をもつてしては償うことのできな
い回復不能のものであると主張する。その理由は、債務者の輸入量が回を追つて増
大し、債権者の被る損害が幾何級数的に増大するということのようである。しかし
ながら、かりに債務者の輸入量が増大したとしても、債権者の損害を問題とすべき
期間は、本件特許権の存続期間満了時である昭和四八年四月三日までである。一方
テトラサイクリンのバルク製造業者である訴外台糖フアイザー株式会社、同万有製
薬株式会社の年間生産実績は共に約四トン余、訴外明治製薬株式会社のそれは約二
トンである。新参者である債務者が如何に努力をしても、第一回の輸入量の三・五
トンを大幅に上回る年間実績をあげることが困難であることは、この事実よりして
明らかである。また、債務者は、資本金二一九億円、年間売上金一二六三億円の企
業である。したがつて、かりに債務者の輸入行為によつて債権者が何らかの損害を
被るとしても、債務者はこれを支払う能力を有する。
(六) 次に、比較さるべき債務者側の事情を考えてみるに、なるほど、現在のと
ころ、債務者の医薬品関係の取扱量は微々たるものである。医薬品部を独立させ別
会社としたのも昭和四五年一〇月のことにすぎない。しかし、問題は、債務者が何
故テトラサイクリンの輸入を決意したかということである。債務者は、旧三井化学
工業株式会社と旧東洋高圧工業株式会社が合併した会社であり、両社は共に業界の
雄であつた。しかし、近時は、もろもろの事情により、その発展は、急速とはいえ
なかつたのである。ここにおいて、債務者は、精密化学への指向を企て、特に医薬
品分野への進出をはかつて、企業発展の道を切り開こうとしたのである。今医薬品
分野におけるこの企てが、特許権侵害でないのに仮処分命令によつて中止のやむな
きにいたつたならば、債務者の経営にとつて如何に甚大な打撃であるか、思い半ば
にすぎるものがある。これまでに費した一切の調査、その結果としての計画が無に
なるばかりでなく、将来の展望は失われ、信用は失墜し、士気は喪失し、その損害
たるや実に金銭をもつてしては代え難いのである。なお、債務者は、単にテトラサ
イクリンのバルクの輸入を続けることを考えておらず、これを第一段階として将来
その自社生産を企図し、目下そのための工場の建設、設備の取得、人員の配置を計
画中である。もし仮処分命令が出されれば、これらの計画はすべて挫折し、本件特
許権の存続期間満了後再び着手するとしても、その間の損害は甚しく、一旦失われ
た時機を取りもどすのは容易なことではない。また金銭的にいつても、債務者自身
の予定販売利益の喪失額が、実施料収入の減少による債権者の損害額より、はるか
に巨額であるのは明白であるばかりでなく、債務者はその取引先である製剤業者に
対しバルクの長期供給を保証し、製剤業者は既に機械設備、必要資材の発注、入荷
を完了し、病院その他の消費者から注文を受けているのである。この供給が杜絶せ
んか、債務者は契約上製剤業者の損失を負担すべき立場にあるのである。以上のよ
うな次第で、債権者は、債務者の行為により、微々たる割合の金銭的損害しか受け
ず、かつ仮処分によらなくても、その回復が可能であるのに対し、債務者が本件処
分によつて被る打撃は甚しい。したがつて、本件は仮処分によつて解決をはかるに
は不適当であり、必要性の要件を欠いている。
8 債権者は、申請の理由8において、テトラサイクリンのみならず、その塩の輸
入の差止を求めているが、それは次の理由から不当である。すなわち、
 本件特許発明の目的物はテトラサイクリンであり、その塩でないことは特許請求
の範囲の記載からして極めて明らかである。なるほど、本件特許明細書の発明の詳
細なる説明中には塩の記載があるが、発明の詳細なる説明に記載があつても、特許
請求の範囲に記載のない物質は特許請求されていないのである。ある物質とその塩
とは化学的に異なる物質である。本件特許発明において、目的物をテトラサイクリ
ンに限定し、その塩を請求しなかつたのは、決してテトラサイクリンの中に塩が入
ると思つていたからであるとか、あるいは過失で落したものであるとは考えられな
い。出願人は、その必要性がないと考えたからに相違ないのである。何故なら、事
を日本国内に限定する限り、テトラサイクリンの塩を製造する者は必ずテトラサイ
クリンを製造するか、あるいは製造しないまでも使用しているから、その点で本件
特許権の侵害となるからである。しかしながら、本件において、債務者が輸入する
テトラサイクリンの塩については、日本国内でテトラサイクリンの製造行為も使用
行為も行なわれていないのである。したがつて、かりにテトラサイクリンの製法が
本件特許発明の技術的範囲に属するとしても、その故をもつて直ちに債務者のテト
ラサイクリンの塩の輸入行為を侵害であるということはできない。けだし、債務者
のテトラサイクリンの輸入先である訴外ラツシュル・ラボラトリーズは、アメリカ
合衆国内では適法に債権者の承諾のもとにテトラサイクリンを製造しているからで
ある。
三 債務者の抗弁
 かりに、本件につき、特許法第一〇四条が適用され、かつ、同条が、特許権を侵
害するとされる者に対し、その実施する方法が当該特許権の技術的範囲に属さない
ことについて立証責任を負わせる趣旨であると解されるとしても、本件仮処分には
次の理由から、その被保全権利がない。すなわち、
1 債務者が輸入するテトラサイクリンの製造方法は、次のとおりである。
 「ストレプトマイセス・ルシタヌス・バール・テトラサイクリニ 一〇六ーT
(NCIB九五〇〇)に属する菌株を九〇〇ppm以上の濃度の塩素イオンを含む
培地で好気的培養を行ない、専らテトラサイクリンを生産させ、これを採取する方
法。」
2 右製法に用いられる菌ストレプトマイセス・ルシタヌス・バール・テトラサイ
クリニ 一〇六ーT(NCIB九五〇〇)は、ポルトガルの訴外【G】が、フラン
スのミグールという土地の土壌から分離し、ストレプトマイセス・ルシタヌス・バ
ール・テトラサイクリニと名付けた菌(NCIB九七〇〇)をもとにし、これを変
異せしめることにより得られたものである。
3 右製法における培地は、何らの調節もせず、多量の塩素イオンを含んでいる。
4 本件特許発明における使用菌ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスの標
準菌株であるAー三七七と債務者の輸入品の生産に用いられた使用菌一〇六ーTと
を微生物分類学的に比較するとき、特に酵母エキス麦芽寒天、オートミール寒天、
塩澱粉寒天、グリセロール・アスパラギン寒天における気生菌糸および栄養菌糸の
色、リンゴ酸カルシウム寒天、ポテトプラグにおける栄養菌糸の色、酵母エキス麦
芽エキス寒天、塩澱粉寒天、リンゴ酸カルシウム寒天、ポテト人参寒天における培
地中の色素の色、チロシンに対する挙動やアラビノース、キシロースの利用能等に
おいて差異がみられ、菌株一〇六ーTの性状とストレプトマイセス・オーレオフア
シエンス種の性状との差が大きいのみならず、本件特許発明の明細書に記載されて
いるUVー八菌株と比較してみても差がみられるのである。また、突然変異株の比
較には、その親株を比較対照することが国際的な約束であるが、右一〇六ーT株の
親株であるNCIB九七〇〇がストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属
しないことも明らかである。したがつて、菌株一〇六ーTは、ストレプトマイセ
ス・オーレオフアシエンス種に属しないし、ストレプトマイセス・オーレオフアシ
エンス種の特徴的性状の大部分を保有する菌株でもない。
5 既に主張したとおり、本件特許発明の方法における培地は、塩素イオンを制御
したものに限られるのに対し、債務者方法における培地では、何らかかる制御はさ
れていないから、債務者方法の培地も本件特許発明の培地には属しない。
四 特別事情にもとづく仮処分の取消
 かりに、本件仮処分申請が理由ありとしても、本件仮処分については、債務者側
に次の事情があるので、民事訴訟法第七五九条により、債務者に相当と認められる
保証を立てさせて、取り消されるべきである。すなわち、
1 本件におけるような輸入差止の仮処分により、債務者が通常被る損害は、その
輸入品を販売ないし使用することによつて受ける利益を喪失することであるが、本
件における債務者の受ける損害は、次のとおり、むしろ右以外の損害が大きいので
ある。
(一) 債務者は、その医薬部門を独立させて、債務者が全額出資の訴外三井製薬
工業株式会社を設立したのであるが、同訴外会社の事業計画が、テトラサイクリン
の輸入、販売を基調としたため、もし本件仮処分が取り消されなければ、その設立
前から設立後にかけての調査、開発、研究、販売に要した諸経費約金一億五〇〇〇
万円の回収が殆んど不可能となる。
(二) 現在、右訴外会社のあげている利益の大半が、テトラサイクリンの販売に
よるものであるため、もしこの販売ができないこととなると、これによつて同訴外
会社の受ける損害は、まさにその根底をゆるがす致命的な性質を有するものであ
る。
(三) のみならず、債務者からの輸入テトラサイクリンを購入する流通機構全般
と、前記訴外会社にとつての将来の顧客、提携先との関係上受ける信用失墜による
損害は計り知れないものがある。
2 しかも、本件仮処分によつて債務者側が被る損害は、債務者が直接被るものに
限られない。
債務者からテトラサイクリンの供給を受けている業者の被る損害はまことに大きな
ものがあり、この損害も結局は債務者が、テトラサイクリンの供給契約上の義務者
として、その責に任ぜざるをえない関係にある。ちなみに、債務者が供給契約をし
た相手方がこれまでにテトラサイクリン事業に投じた資金は、合計金五億一五〇〇
万円に上るのみならず、漸く軌道に乗りかけた矢先に、本件仮処分のために、その
原料の取得ができず、テトラサイクリン事業の放棄をせざるをえないとすれば、未
だ殆ど未回収のこれら諸経費だけでも、右契約の相手方としてはまことに大きな損
失であるとともに、その信用上も、償い難い損害を受けることになる。
3 これに対し、本件仮処分の取消により、債権者の被るおそれのある損害額につ
いてみるに、特許権侵害により特許権者の被る損害は、原則として、その実施料相
当額と解されるところ、債権者が本件特許権を他に実施させることにより受ける実
施料は、一グラム当り金一〇円程度であつて、債務者が今後輸入する可能性のある
数量は従来の実績からみて、大体一か月一、〇〇〇キログラムであり、本件特許権
の存続期間満了まで約一時間に輸入する数量は、一二、〇〇〇キログラムとみられ
るから、その実施料相当額は一億二〇〇〇万円である。
4 以上のとおり、本件仮処分は、その被保全権利が金銭補償によつて仮処分の目
的を達しうるものであるとの見地からしても、債権者の受ける損害の異常度からい
つても、また、本件仮処分の取消によつて、債権者の被る損害額と前示本件仮処分
によつて債務者の被る損害額およびその性質との対比からする当事者保護の公平の
見地からしても、本件は、債務者に相当の保証を立てさせることによつて仮処分を
取り消すべき特別事情の存することは明らかである。
四 債務者の抗弁に対する債権者の認否
1 債務者が、その抗弁1において、債務者が輸入するテトラサイクリンの生産方
法として主張する事実は認める。
2 同2において、債務者が、使用菌について主張する点は否認する。
3 同3の、債務者が、培地について主張する点は認める。
4 同4および5において主張する点は、いずれも否認する。すなわち、債務者が
輸入するテトラサイクリンの生産に使用される、一〇六ーTなる菌株は、本件特許
発明の方法にいうストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属するととも
に、本件特許発明の方法における培地には、塩素イオンを制御しないものも含まれ
るべきであるから、右生産方法は、本件特許発明の技術的範囲に属する。
五 債務者の特別事情の主張に対する認否
 債務者が特別事情による本件仮処分取消申立の理由として主張する事実のうち、
債務者が医薬部門に進出したことは認めるが、その余は否認する。すなわち、右の
事実は、本件申立とは如何なる関連も有せず、また、本件仮処分が、債務者の経営
状況に追いうちをかけるものでもない。
第三 証拠関係(省略)
       理   由
一 本件特許発明の技術的範囲
 債権者が、申請の理由1において主張する特許権を有すること、その特許明細書
の特許請求の範囲の項の記載が申請の理由2において債権者の主張するとおりであ
ることおよび債権者が申請の理由3において、本件発明の経過として主張する事実
のうち、本件特許発明の技術的範囲として主張する事実を除くその余の事実は、い
ずれも当事者間に争いがない。
 そこで、まず、本件特許発明の技術的範囲について判断する。
1 まず、本件特許発明において用いられる菌についてみる。成立に争いのない疎
甲第二号証、同第一三号証、同第八号証、同第二九号証および同第三四号証の一な
いし三を総合すると、本件特許発明における使用菌株として記載されている「スト
レプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属するか、またはストレプトマイセ
ス・オーレオフアシエンス種の特徴的性状の大部分を保有する菌株」なる表現は、
原則として、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属する自然分離菌株
とその自然および人工変異株を意味するが、微生物学者において、あるいはストレ
プトマイセス・オーレオフアシエンス種として分類しない菌株であつても、ストレ
プトマイセス・オーレオフアシエンス種の菌株が有する形態、性状の大部分を示す
菌株をも使用菌に含ましめる趣旨であることが認められる。けだし、本件特許発明
の明細書における特許請求の範囲には、右のように使用菌としてストレプトマイセ
ス・オーレオフアシエンス種に属する菌株とならんで、その特徴的性状の大部分を
有する菌株を掲記してあり、同明細書中の発明の詳細な説明中にも、その使用菌に
ついて同様の記載があつて、これを無視することができないのみならず、同特許明
細書中には、菌学者の間でも、微生物の分類はしばしば困難な問題であつて、菌学
者が異なれば、同一微生物についても異なる分類となることがあるうえ、特にスト
レプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属する菌株は、その培養の特徴におい
て広い範囲にわたつて変化する旨が述べられている点からみて、右本件特許請求の
範囲の表現は、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種の性状の変化の大き
さに着目して、菌学者が、その性状の異なつていることを理由として、同種の菌と
同定しない場合のあることを慮つて用いられたものといわなければならないからで
ある。右の点は、本件特許出願についての優先権主張の基礎となつた一九五三年一
〇月一五日アメリカ合衆国特許出願のための書類にも、本件特許発明の明細書にお
ける前示記載と同様の記載があるうえ、今までのところ、一七にわたるストレプト
マイセス・オーレオフアシエンス種に属する自然分離菌株がテトラサイクリンを生
産してきたが、これらの一七の菌株は、全体的な形態や、詳細な検査結果が大きく
異なつており、誘導突然変異の研究によれば、ストレプトマイセス・オーレオフア
シエンスは非常に異なつた形態学的状況において存在しうることが明らかにされた
ことが記載され、また、債権者が特許権者となつているテトラサイクリンの製法に
関するカナダ特許の特許明細書にも右と同様の記載があることによつても、裏付け
られるであろう。成立に争いのない疎乙第四八号証によれば、山梨大学助教授
【H】は、本件特許発明の特許請求の範囲における「ストレプトマイセス・オーレ
オフアシエンス種の特徴的性状の大部分を保有する菌株」とは、ストレプトマイセ
ス・オーレオフアシエンスの変種と判断するのが、常識的な解釈であるとの意見を
有することが明らかであるが、右意見は、前示認定と矛盾するものでもなければ、
右認定を覆えす根拠ともなりえない。すなわち、本件特許発明の特許請求の範囲に
おける右表現が如何なる意味を有するかは、前示認定のとおり、その特許明細書か
ら明らかであつて、あえて常識的解釈を用いる余地がないからである。
 被告は、右使用菌の範囲につき、(一)本件特許発明における使用菌として示さ
れるストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種は、それを発見した訴外【A】
がその性状を開示したAー三七七菌株をもつて標準菌株としてその同定が行なわれ
なければならない。(二)本件特許発明の特許請求の範囲におけるストレプトマイ
セス・オーレオフアシエンス種の特徴的性状の大部分を有する菌株なる表現は、不
明確であるから、これは無視さるべきであると主張する。まず、右(一)の点につ
いては、なるほど成立に争いのない乙第五八号証の一ないし三によれば、国際菌命
名委員会その他により承認された国際菌命名規約によれば、菌の命名者が原著にお
いて、単一菌株を記載していた場合は、それを標準菌株とする旨が定められている
ことが認められ、また、特許請求の範囲の記載に基いて特許発明の技術的範囲を判
断するにつき、普通に用いられる一般的基準を参照しうることはいうまでもない
が、当該特許明細書において、かかる一般的基準によらないことが明らかにされて
いる場合にもなお、すべてその記載を排除して右一般的基準によらなければならな
いものとは到底解することはできない。いまこれを本件についてみるに、前叙のと
おり、本件特許発明の明細書には、明確に、ストレプトマイセス・オーレオフアシ
エンス種の菌株とならべて「ストレプトマイセス属に属し、ストレプトマイセス・
オーレオフアシエンス種の特徴的性状の大部分を有する菌株」と記載し、その発明
の詳細な説明中にも、菌の分類が、菌学者間では困難な問題であり、菌学者が異な
れば同一微生物について異なる分類をすることがあり、同じストレプトマイセス・
オーレオフアシエンスに属する菌株であつても外観および詳細な検査の結果がかな
り不同である旨が記載されているのみならず、本件特許発明の特許出願にあたり優
先権主張の基礎となつた一九五三年一〇月一五日アメリカ合衆国出願の出願書類に
も、出願人が、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスなる種に属する菌株を
広い範囲に求める意見であつたことが明らかに看取される限り、掲げられた単一菌
株を標準菌株とすべきものとする右菌の分類基準の適用を除外するに妨げがないも
のといわなければならない。また、右(二)の点については、「ストレプトマイセ
ス・オーレオフアシエンス種の特徴的性状の大部分を有する菌株」という記載内容
について、かりに微生物分類学上は明確な定義を下せないとしても、前示認定の事
実からみれば、本件特許発明の明細書さらにはその優先権主張の基礎たるアメリカ
合衆国特許出願書類においては、むしろ右菌株の特定には、必ずしも微生物分類学
上の菌種の区分にはよらない趣旨であることが認められ、また、その特定の方法
も、前示認定のとおり、不明確でもないから、直ちにその記載を無視することはで
きない。
2 次に、本件特許発明における培養法の技術的範囲についてみるに、前示疎甲第
二号証によれば、右培養法は、明かに、本件特許発明の特許請求の範囲に明示のと
おり、(一)放線菌の培養に利用しうる培養基を用いる好気的醗酵、すなわち、通
常培地における培養と(二)クロルテトラサイクリンの生産を抑制するがごとき制
御条件の下にある培養基を用いる好気的醗酵、すなわち、主として塩素イオンを制
御した条件下での培養であることが認められる。債務者は、これに対し、本件特許
発明の培地に関する技術的範囲としては、塩素イオンの制御された条件下にある培
養基を用いるものに限られると主張し、その理由として、(一)先行技術との関
係、(二)本件特許出願手続における審査経過、(三)本件特許明細書の記載、
(四)一発明一出願の原則、(五)本件特許発明に対応する外国特許発明の内容を
あげている。
 そこで、右各理由を逐次検討してみるに、先ず、右(一)については、なるほど
成立に争いのない疎甲第六号証によれば、クロルテトラサイクリンの製法に関す
る、いわゆる【A】特許は、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスに属する
菌株を通常の培地に培養する方法をその特許請求の範囲としていることが認められ
るけれども、右事実が直ちに本件特許発明における培地如何を決定せしめる根拠と
はなりえない。けだし、前示認定の事実および前掲疎甲第二号証、第六号証、第二
八号証、同第二九号証を総合すれば、本件特許発明においては、いわゆる【A】特
許で使用されたAー三七七以外の菌株を積極的に使用しようとしていることが認め
られるから、従来用いられてきた培地に、右Aー三七七以外の菌株を培養するとい
う組合わせは、当然考えられるところであるからである。なお、本件特許発明の優
先権主張にかかる出願日は、右のいわゆる【A】特許の出願公告日に先立つもので
ある。債務者の右主張は、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスに属するい
かなる菌株も塩素イオンの存在する培地においてはテトラサイクリンを生産しない
ということを前提とするものであるが、本件全疎明をもつてしても、かかる事実は
認められないのみならず、前示認定のように、本件特許発明においては、菌学者
が、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスに分類しない場合もあるような天
然および人工変異株をもその使用菌に含ましめようとするものであるから、なおさ
ら右主張はその前提を失うものといわなければならない。また、成立に争いのない
疎乙第一七号証によれば、債権者は、本件特許発明の出願と同時に、ストレプトマ
イセス・オーレオフアシエンスの培養液から塩素イオンの含量を減少させる方法の
特許出願をし(本件特許発明に対する特許出願の分割出願)、これが審査されたこ
と、成立に争いのない疎乙第一八号証によれば、債権者は、本件特許発明の特許出
願後の昭和三二年一一月二日に、塩素イオンを含む培地に特定の塩素化抑制剤を加
えることによつてストレプトマイセス層の微生物を使用し、テトラサイクリンを生
産する方法の特許出願をしたこと、成立に争いのない疎乙第一九号証によれば、債
権者は、昭和三二年一一月二日、前記出願と異なつた塩素化抑制剤を用いてストレ
プトマイセス属の微生物を使用しテトラサイクリンを生産する方法の特許出願をし
たこと、成立に争いのない疎乙第二〇号証によれば、債権者は、昭和三一年三月七
日に、臭素イオンを塩素化抑制剤として用いてテトラサイクリンを生産する方法の
特許出願をし、その特許明細書には、「クロルテトラサイクリン及びテトラサイク
リンは共に醗酵条件に応じてストレプトマイセス・オーレオフアシエンス菌株によ
る醗酵で作られることは周知である。特に、クロルテトラサイクリンは栄養培養基
に充分同化しうる塩素イオンを含む場合に主として生産される抗生物質である。」
との記載があることおよび成立に争いのない疎甲第二一号証によれば、債権者は、
昭和三七年三月二九日、塩素イオンに無関心なストレプトマイセス・オーレオフア
シエンス菌株を使用してテトラサイクリンを生産する方法の特許出願をし、その特
許明細書には、「現在まで塩素イオンを除去したり塩素化阻害剤を添加してクロル
テトラサイクリンの生産を抑制していた。」との記載があることがそれぞれ認めら
れる。しかし、右各認定の事実は、本件特許発明の内容を左右する直接の関係をも
つものではないうえ、前示認定のように、本件特許請求の範囲には、培地について
明文をもつて、普通放線菌の培養に用いられる培地を使用する旨記載されている点
からみれば、右のような内容をもつ債権者の他の特許出願があることをもつて、直
ちに右特許請求の範囲の記載部分を除外して解することはできないのみならず、む
しろ、右各証拠を総合すれば、債権者は、テトラサイクリンの生産方法に関して
は、使用菌の面からもまたその培地の面からも、その可能な限りのものの特許を得
ておこうという意図がみられ、本件特許発明は、その基本的特許発明として出願さ
れていると推認されるので、かえつて、右各証拠が債権者の主張を裏付けることと
なるということさえできる。次に(二)の点についてみるに、成立に争いのない疎
乙第一一号証の一ないし三二によれば、債務者が主張するとおり、本件特許発明の
特許出願における最初の特許請求の範囲は、「テトラサイクリン生成微生物を栄養
媒体内で実質的抗生活性が生成されるまで成長させ必要に応じ、テトラサイクリン
を得ることを特徴とする抗生物質テトラサイクリンの製法。」とされ、これに対し
て、右範囲は、結局クロルテトラサイクリンの生成法についての先願と同一である
として拒絶理由通知を受けた。このため、債権者は、最初に、右請求の範囲につい
て、調節かつ制限された量の塩化物イオンを含有する水性培養基にストレプトマイ
セス・オーレオフアシエンスおよびその変異株を培養する旨変更し、次いで
「・・・クロルを制御した好ましき条件の下に於いてテトラサイクリンを培養液一
CC中に五〇〇τ以上を生産しうる菌株を使用し・・・」と変更し、その後さら
に、右第一回目の変更と同じ特許請求の範囲とした後、再び第二回目の変更とほと
んど同じものとし、最後に、特許明細書における特許請求の範囲のとおりのもの
(冒頭掲記)としたことが認められる。本件特許出願の審査手続の過程において、
出願人が行なつた申立てその他が、特許発明の技術的範囲の解釈上もつ意義につい
て考えるに、前示認定事実と前掲疎乙第一一号証の一九ないし三二によれば、債権
者は、出願公告前の本件特許発明の出願審査の過程において、各審査官から拒絶理
由の通知があつた後の第一回の訂正申立書を提出した後に、上申書を提出して、審
査を留保されたい旨を申し立て、その後に、前記のとおり四回にわたつて次々と訂
正書を差し出しており、その間に審査官から特段の指示ないし意思の表示があつた
ことを認めるに足りる証拠は存しない。このような場合、むしろ第一回の訂正書の
提出後、次々とその訂正は撤回されたものと解すことができる。そうとすれば、他
に特段の事情の認められない本件においては、債権者は、本件特許発明の出願審査
の過程において、テトラサイクリン生成微生物を栄養媒体内で培養しテトラサイク
リンを製造するとした最初の明細書の広い特許請求の範囲の記載を、前記拒絶理由
の通知にこたえて、限定し明確にした最後の右訂正書以外に、その権利範囲につい
て訂正等の意思を表示したものではないと解するのが相当であるから、かかる撤回
された訂正書をもつて本件特許発明の技術的範囲の解釈の根拠とし、これを塩素イ
オンをほとんど含有しない培養基で培養するもののみに限定すべきものとすること
は相当でないものといわなければならない。右(三)の点については、なるほど、
前示疎甲第二号証によれば、本件特許発明の明細書には、債務者主張の表現がある
ことは認められるが、右表現にもとづいて債務者が行なつた解釈は、日本の用語に
おける通常の表現方法とは考えられず、これを肯認することはできない。また、本
件特許発明の明細書には、UVー八菌株しか開示されておらず、同菌株は塩素イオ
ンの存在下では、クロルテトラサイクリンしか生産しないとの債務者の主張に関し
て債務者が提出した成立に争いのない疎乙第三六号証によれば、なるほど、債権者
の技術者が、一九五四年(昭和二九年)二月一七日に、ストレプトマイセス・オー
レオフアシエンスSー七七なる菌株が、塩素を除いたコーンステイーブ培地で高率
のテトラサイクリンを生産するとの報告を行なつたことは認められるが、同号証に
おいて、UVー八菌株が、塩素イオンを制御した条件下においてのみテトラサイク
リンを生産する旨が明らかにされているとは認められない。けだし、同号証におい
て、UVー八菌株の培養に使用される培地として記載されている合成培地の組成に
ついては、同号証中に何の説明もなく、これのみをもつてこの場合の培地が直ちに
塩素イオンを制御された培地であると解することはできないからである。成立につ
いて争いのない甲第二号証、同乙第一七号証中における合成培地についての記載等
も、にわかに右判断を左右させるに足りない。さらに、本件特許発明の明細書にお
ける特許請求の範囲の付記は、サブクレームとして解されるという主張について
は、わが国の特許発明の明細書における特許請求の範囲についての単項式記載方法
が、適当であるか否かの立法論はさておき、何ら法律上の根拠はないのであるか
ら、これを肯認することができず、また、本件特許発明の明細書中の実施例には塩
素イオンを制御した培地のみしか示されていないが、通常培地における菌の培養
は、これを実施例に示さなくても、当業者ならば充分に実施しうるところであるの
で、これをもつて債務者の主張を肯認する根拠とすることはできない。特に、本件
特許発明の明細書のごとく、その特許請求の範囲において、殆ど疑を容れることな
く、明瞭に培地の種類が記載されている場合には、債務者の右主張をもつてして
は、到底そのうち塩素イオンを制御しない培地について、これを記載がないものと
して除外して解することはできない。右(四)の点については、先ず、前示認定の
とおり、本件特許発明は、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属する
かもしくはストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種の特徴的性状の大部分を
有する菌株を使用してテトラサイクリンを生産する方法であつて、その培地には塩
素イオンを含む場合と含まない場合とがあること、すなわち、培地については、そ
の制限をしないということであるから、これを特に別発明とする必要もないわけで
ある。また、パリ条約第四条F第一項ただし書の規定は、一つの出願について一発
明しか含ましめない国のために、優先権を主張して特許出願された発明が、その国
の法律によれば単一でない場合であれば、その特許出願を拒絶しうるとしたもので
あるから、右条約の規定をもつて本件特許発明が一発明であるかどうかの根拠とす
ることはできない。最後に右(五)の点についてみる。前掲疎甲第二号証、成立に
争いのない疎乙第九号証、同第一〇号証によれば、本件特許発明について優先権主
張の基礎となつた一九五三年九月二八日出願のアメリカ合衆国特許が塩素イオン含
有量を制御した培地を用いるものであることおよび成立に争いのない疎乙第一二号
証ないし同第一四号証、同第二五号証、同第三三号証ないし第三五号証、前掲疎甲
第二八号証によれば、本件特許発明についての出願がその優先権主張の基礎として
いる一九五三年九月二八日および同年一〇月一五日の各アメリカ合衆国特許出願を
同様に優先権主張の基礎とした英国特許出願、ドイツ特許出願、スイス特許出願と
右一九五三年九月二八日出願のアメリカ合衆国特許出願を優先権主張の基礎とした
オランダ特許出願は、いずれもテトラサイクリン生産のための培地は、塩素イオン
の含有量を制御するものであること、右オランダ特許出願の発明については、同国
裁判所において、塩素イオンを制御してテトラサイクリンを生産することは、新規
ではあるが、特許を受けうる発明ではないと判断されたこと、前記一九五三年一〇
月一五日アメリカ合衆国特許出願は、拒絶理由の通知をされたこと、その出願書類
中の実施例Ⅱでは、培地に塩化アンモニウム、塩化マグネシウム等が加えられるけ
れども、同時に臭化カリウムが加えられ、これが塩素化抑制剤の働きをしているで
あろうことがそれぞれ認められる。しかしながら、前掲疎甲第二八号証によれば、
本件特許発明の特許出願について優先権主張の基礎となつた右一九五三年一〇月一
五日アメリカ合衆国特許出願の出願書類中には、その特許請求の範囲1ないし7に
おいて、塩素イオン含有量に制御を加えない培地を用いることが記載されているこ
とおよび実施例Ⅲにおいては、塩化カルシウムを含有する培地を使用する一方、塩
素化抑制剤を用いることが示されていないことが認められ、これらの点からみて、
右出願書類中の他の実施例が塩素イオンを制御するものであつたとしても、債務者
の、本件特許発明の特許出願について優先権主張の基礎となつたアメリカ合衆国特
許出願は、塩素イオンを制御した培地のみを用いることをその技術的範囲としてい
るものであるとの主張を肯認することはできず、また、前掲疎甲第二号証によれ
ば、本件特許発明の明細書には、その培地の組成につき、疑義を許さないほど明瞭
に記載されており、このような場合、前記のような外国特許を特に参照するまでも
ないから、この点についても債務者の主張は採りえない。
二 特許法第一〇四条適用の有無
 債務者が、申請の理由5において主張する、債務者が、テトラサイクリンを訴外
ラツシエル・ラボラトリーズ社から輸入し、販売しようとしていることは当事者間
に争いがない。
 そこで、右債務者の輸入するテトラサイクリンの製法について特許法第一〇四条
が適用され、本件特許発明の方法を用いていると推定されうるか否かについて判断
する。
1 先ず、特許出願につき優先権の主張がされている場合、特許法第一〇四条適用
の基準となる特許出願の日とは、優先権主張の基礎となつた第一国出願の日とすべ
きか、それとも、実際にわが国において出願された日を指すかについては、両論が
あるけれども、当裁判所は、右の第一国出願日をもつて特許法第一〇四条に定める
特許出願の日と解する。けだし、パリ条約第四条B項は、「……他の同盟国におい
てされた後の出願は、その間に行なわれた他の出願、当該発明の公表又は実施……
その他の行為により不利な取扱いを受けないものとし、また、これらの行為は、第
三者のいかなる権利も生じさせない。」と規定しており、この規定上、優先権主張
にかかる特許発明ひいてその構成に欠くことができない事項の新規性は、優先権主
張期間中の第三者の行為により喪失したものとされないこと、すなわち、その新規
性は第一国出願の時において判断されるべきものであり、一方、特許法第一〇四条
の規定における「日本国内において公然知られた物でない…………」とは、その立
法の経緯からして、新規なものを意味すると解されるから、同条の物を生産する方
法の特許発明における、その物の新規性の判断についても、パリ条約第四条B項の
規定の適用があり、その判断の基準日は、優先権主張の基礎となつた第一国出願日
と解するのが相当であり、なおまた、同条約第四条B項後段の「優先権の基礎とな
る最初の出願の日の前に第三者が取得した権利に関しては、各同盟国の国内法令の
定めるところによる。」との規定を反対解釈しても、右第一国出願日以降に生じた
事実については、国内法令をもつて、優先権主張者に不利に取り扱いえないと解す
るのが相当であるからである。したがつて、本件についても、債務者が輸入するテ
トラサイクリンの製法が権利方法によるとの推定を受けるため、わが国内において
公然知られていたか否かの判断がされる基準時は、本件特許発明の出願について優
先権主張の基礎となつたアメリカ合衆国特許出願の日である一九五三年九月二五日
および同年一〇月一五日であるといわなければならない。これに対して、債務者
は、かりに一般的には、パリ条約にもとづく優先権の主張のある場合において、特
許法第一〇四条の規定する出願前とは、第一国出願の日の意味すると解されるとし
ても、本件においては、次の特殊事情が存するから、わが国における特許出願の日
をもって、特許法第一〇四条における出願の日とされるべきであると主張する。す
なわち、(一)本件特許発明の出願について優先権主張の基礎となつたアメリカ合
衆国出願の日には、既にアメリカ合衆国では、テトラサイクリンは公然知られてい
た。(二)本件特許発明は、わが国においてかりに物質特許が許されたとしても、
物質特許はとりえなかつたものであるというのである。そこで先ず、右(一)につ
いてみるに、なるほど成立に争いのない疎乙第二号証、同第四号証の一、二および
同第五号証の一、二によれば、債権者のレダリー・ラボラトリーズに属する訴外
【D】外四名は、一九五三年九月二〇日発行のジヤーナル・オブ・ジ・アメリカ
ン・ケミカル・ソサイエテイ七五巻一八号に、クロルテトラサイクリンからテトラ
サイクリンを還元する方法を開示し、また、同雑誌において、訴外チヤールス・フ
アイザー・アンド・カンパニー・インコーポレーテツドのリサーチ・ラボラトリー
ズに属する訴外【C】外四名は、テトラサイクリンの抗菌活性および製法を開示
し、なお、一九五二年一〇月九日発行の同誌七四巻一九号においては、訴外チヤー
ルズ・フアイザー・アンド・カンパニー・インコーポレーテツドのリサーチ・ラポ
ラトリーズに属する訴外【F】外六名は、オーレオマイシンとテラマイシンの双方
に共通の構造式を発表し、これにテトラサイクリンと名付けたことが認められる。
したがつて、右のうち後者の発表はともかくとして、前者の発表により、本件特許
発明の目的物は、その優先権主張の日には、第一の出願国であるアメリカ合衆国に
おいて公然知られたものとなつていたことが明らかである。しかしながら、右事実
をもつて直ちに本件について特許法第一〇四条が適用されるべきではないとか、そ
の新規性の判断の基準時をわが国での出願のときにするとかの根拠とすることはで
きない。けだし、特許法第一〇四条は、「・・・・日本国内において公然知られ
た・・・・」と規定し、新規性判断のための場所の範囲は、わが国内に限られるこ
とを明示しているのであるから、かかる明文の存するにもかかわらず、これを排
し、他国において公然知られた事実をもつて同条の適用を排斥すべきものとする十
分な理由がなく、また、同条は、わが国において新規な物質についての生産方法の
特許発明を保護しようというのであるから、他国において、その物質が新規であつ
たか否か、わが国において、その物質が公然知られうべき物であったか否かは同条
の関知するところではないからである。出願発明が公然知られたものである場合だ
けでなく、公然知られうべきものに該当するときも、特許を受けえないと解されて
いるのは、そこでは、特許性判断のための客観的技術水準如何が基本的には問願と
されているからであり、それは、ある物が、わが国において特定の状態にあるがゆ
えに、その生産方法が推定され、これにより特許権者を保護せんとする特許法第一
〇四条の場合とは、見地を異にする。次に右(二)についてみるに、成立に争いの
ない疎乙第五五号証によれば、訴外チャールス・フアイザー・アンド・カンパニ
ー・インコーポレーテツドは、昭和二八年一〇月二二日、わが国に、クロルテトラ
サイクリン抗生物質を触媒の存在下に水素と接触させることによりテトラサイクリ
ンを製造する方法につき特許出願(昭和三一年三月一六日出願公告)をし、これに
ついて一九五二年一〇月二三日のアメリカ合衆国出願を基礎として優先権の主張を
していることが明らかである。この場合、本件特許発明の出願については、かり
に、これをテトラサイクリンについての物質特許として出願することが許されたと
すれば、右訴外会社の出願が先行するため特許されないであろう。しかしながら、
右事実をもつてしても、いまだ本件について、特許法第一〇四条の適用に関し、そ
の新規性の判断の基準時をわが国における特許出願のときと解することはできな
い。なるほど同条が制定された理由および優先権の主張されている特許出願につい
て、同条に規定する新規性の判断の基準時を、第一国出願の日とする根拠の一つと
して、わが国においては、化学方法により製造されるべき物質の発明については、
特許を与えられず、その生産方法の発明についてしか特許を受けることができない
ので、第三者の権利侵害に対して、その生産方法の立証が困難であることから、特
許権者を保護するためであることがあげられ、本件のように同一の目的物の生産方
法について先願発明がある場合まで、新規性判断の基準時を第一国出願のときとし
て保護する必要がないとの考え方も成り立ちうるであろう。しかし、特許法第一〇
四条の規定は、必ずしも化学方法により製造されるべき物質について特許が与えら
れない代償としてのみ適用されるのではなく、一般に方法の特許発明については、
その侵害に際して、侵害者の実施方法の立証が困難であることから設けられている
ことは、同条が単に「物を生産する方法の発明について・・・・・・」と規定して
いて、それ以上に特に限定を付していないことからも明らかであり、また、優先権
の主張がされている方法の特許出願について、同条における新規性判断の基準時を
第一国出願のときとする理由も、前叙のとおり単に化学方法により製造される物質
の特許発明の保護につきるものでもないから、右債務者主張の事実をもつて、本件
について、目的物質の新規性判断の基準時を、わが国における出願のときと解すべ
き根拠とはなしえない。しかもなお、本件においては、本件特許発明の方法と右フ
アイザー社の先願にかかる発明の方法とは、異なるものであることが右認定の事実
から明らかである。
2 そこで次に、本件特許発明の目的物質が特許法第一〇四条の適用については、
出願の日と解すべき優先権主張の日である一九五三年九月二八日および同年一〇月
一五日に、日本国内において公然知られたものでなかつたかについてみる。前掲疎
甲第二号証、疎乙第三号証および同第四、同第五号証の各一、二ならびに成立に争
いのない疎乙第六号証、弁論の全趣旨により真正な成立の認められる疎乙第七、第
八号証によれば、右優先権主張日の前である昭和二七年一一月一四日に国立国会図
書館に受け入れられたジヤーナル・オブ・ジ・アメリカン・ケミカル・ソサイエテ
イ七四巻一九号に記載された論文には、オーレオマイシンとテラマイシンに共通な
化学構造式が示され、これにテトラサイクリンなる名称を与えることが示唆されて
いて、その構造式は本件特許発明の目的物質と同一であることおよび昭和二八年一
〇月一八日に訴外松下電器産業株式会社図書室で受け付けられたジヤーナル・オ
ブ・ジ・アメリカン・ケミカル・ソサイエテイ七五巻一八号には、クロルテトラサ
イクリンをパラジウムとトリエチルアミンの存在下に脱塩素化して、テトラサイク
リンを生産する方法を記載した論文と、クロルテトラサイクリンをパラジウムカー
ボンの存在下で、テトラサイクリンとする方法を記載した論文と掲載されており、
右訴外会社図書室では、一週間に入荷した図書をその週末までに受付処理している
ことが認められる。そこでまず、右ジヤーナル・オブ・ジ・アメリカン・ケミカ
ル・ソサイエテイ七四巻一九号記載の論文の受入れの意味するところについてみる
に、同論文は、たしかに、本件特許発明の優先権主張日以前にわが国に受け入れら
れてはいるが、その論文の趣旨とするところは、前示認定のとおり、オーレオマイ
シンとテラマイシンの双方に共通の部分がAなる構造であつて、そのAをテトラサ
イクリンと名付けたいということである。ところで、特許法第一〇四条にいう「そ
の物が・・・・日本国内において公然知られた物」の意味につき、当裁判所は、そ
の物が必ずしも現実に存在することは必要ではないが、少なくとも当該技術分野に
おける通常の知識を有する者においてその物を製造する手がかりが得られる程度に
知られた事実が存することをいうものと解するところ、右論文においては、単に理
論上かかる構造部分が考えられることを示したのみであつて、その製造に関する手
がかりは何ら示されてはいないから、いまだ右論文の受入れをもつて、直ちにその
物が、日本国内において、公然知られたということはできない。また、明示認定の
事実によれば、ジヤーナル・オブ・ジ・アメリカン・ケミカル・ソサイエテイ七五
巻一八号記載の論文が受け入れられたのは昭和二八年一〇月一八日であるから、同
論文は、本件特許発明の特許出願についての優先権主張日である同年九月二八日お
よび同年一〇月一五日以前に、わが国に受け入れられたものではなく、したがつ
て、これをもつて同論文記載の物質が本件特許発明の特許出願についての優先権主
張以前に、わが国において公然知られたものではないとはいえなくなつたとするこ
とはできない。債務者は、これに対し、テトラサイクリンは、クロルテトラサイク
リンの生産が開始された一九四八年以来、人の手によつて生産されてきたものであ
るから、かかる状況の下でテトラサイクリンの構造式が明らかにされたならば、そ
れは公然知られたことになると主張する。なるほど、成立に争いのない疎乙第一号
証および同第三号証によれば、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属
する菌株を用いてクロルテトラサイクリンを生産する際に、テトラサイクリンも生
成されたことは認められるが、かかる場合にテトラサイクリンの生成が意識されて
いたと認めるに足る証拠はなく、もともと、発明とは、人の意識的な創作であるべ
きものであるから、たとえ、人の手によつて生産されていたとしても、かかる人の
意識外にある物質は天然物と何ら異なるところはなく、これをもつてその存在が公
然知られたということもできなければ、また前示認定のように、その構造式が理論
上考えられていたとしても、右の実物の存在と構造式を結合すべき何らの資料もな
い本件においては、単に右二つの事実があることをもつて、テトラサイクリンが当
時公然知られていたとすることもできない。
 以上認定の諸事実からすれば、本件特許発明についての優先権主張日である一九
五三年一〇月一五日以前においては、テトラサイクリンは日本国内において公然知
られたものではなかつたと認められるから、本件特許発明の目的物質であるテトラ
サイクリンを生産する者は、特許法第一〇四条により、本件特許発明の方法によつ
て生産したものと推定される。
 ところで、特許法第一〇四条にもとづいて生産方法が推定されるということは、
同条に該当する事案の場合においては、特許権者は、同条所定の要件を主張、立証
すればよく、その要件がみたされる限り、その相手方において、実施している方法
を開示するのみならず、その実施方法が、侵実されたとする特許権の技術的範囲に
属しないことまでをも主張、立証しなければならないと解すべきものである。けだ
し、特許法第一〇四条のように法文上「・・・・推定する。」と規定される場合に
は、その法文について特段の事情の認められない限り、一般にいわゆる法律上の推
定として、前提事項の証明があれば、法文の定める効果が認められ、相手方におい
て、その推定命題が誤であることを立証しなければならないと解すべきであり、ま
た、かく解することが右特許法第一〇四条の立法趣旨である物の生産方法について
特許権を有する者の保護の目的にも添うものだからである。債務者は、この点につ
き、特許法第一〇四条における立証責任の分配を右のように解釈することは、特許
権を侵害したと主張される者にとつては耐えられないところであると主張するけれ
ども、右第一〇四条に定められた要件である特許発明の目的とする物が日本国内に
おいて公然知られたものでないことおよび相手方の生産する物が特許権の目的物と
同一であるとの点の立証責任は、特許権者がこれを負担しなければならないことを
考慮すれば、必ずしも相手方が一方的に重い立証責任を負わされるということはで
きない。
 したがつて、本件においては、債務者は抗弁をもつて、そのテトラサイクリンの
生産方法およびそれが本件特許発明の技術的範囲に属さないことを主張し、かつ立
証しなければならないものと解する。
三 本件仮処分の必要性
1 成立に争いのない疎甲第七号証の一、二、同第八号証の一ないし三、同第九号
証の一ないし三、同第一〇号証の一ないし五、同第一一号証の一、二、同第二三号
証、同第二四号証、第二五号証の一ないし三、同第二六号証の一ないし三および疎
乙第七三号証の一ないし五を総合すると、債権者は、訴外日本レダリー株式会社、
同台糖フアイザー株式会社、同萬有製薬株式会社、同明治製菓株式会社、同日本ア
ツプジヨン株式会社、同第一製薬株式会社および同田辺製薬株式会社に対し、それ
ぞれ本件特許権を含むテトラサイクリンの製法に関する特許権について実施あるい
は再実施を許諾し、また、右訴外日本レダリー株式会社は、債権者と訴外武田薬品
工業株式会社の出資によつて設立された会社であつて、わが国におけるテトラサイ
クリンの製造、販売は、債務者が本件輸入に着手するまでは、殆ど右債権者から実
施もしくは、再実施の許諾をうけた訴外会社がその市場を占有するところであり、
債務者の本件行為によつて、その販売量が減少するかあるいは増加すべき販売量が
増加しない結果となることが認められる。しかし、右認定においても明らかなよう
に、右訴外各社が製造および販売するテトラサイクリンは、必ずしも本件特許発明
の方法によつて製造されたものに限らない。債権者は、この点につき、たとえ本件
特許発明の方法によらないで生産されたテトラサイクリンであつても、債務者が本
件特許権を侵害してテトラサイクリンを輸入、販売し、よつて右訴外各社の販売量
が減少し、その結果債権者の受ける実施料あるいは出資に対する配当が減少した場
合には、右債務者の特許権侵害行為と相当因果関係にある損害とみるべきであると
主張する。しかし、当裁判所としては、債権者の右主張は、これを肯認することが
できない。けだし、本件において、債権者が侵害されたと主張する権利は、本件特
許発明の明細書に記載された範囲の特許権であつて、かかる権利が侵害されたから
といつて、本件において侵害されたと主張されていない権利に関して生じた損害に
ついてまで、その賠償を求めることはできないといわなければならないからであ
る。
2 ところで、前掲疎甲第二四号証によれば、債権者は、訴外日本レダリー株式会
社との間で、本件特許発明の方法により、同訴外会社が製造するテトラサイクリン
については、債権者が一グラムあたり金一〇円の実施料の支払を受けうべきもので
あることが一応認められる。そして、前示認定のとおり、同訴外会社は、債権者の
出資になる会社であるから、もし債権者が他に本件特許権の実施を許諾するとして
も、その実施料は右の額を下らないことは容易に推認される。一方、前掲甲第一〇
号証の一ないし五および成立に争いのない疎乙第七〇号証、同第七一号証の一ない
し四によれば、債務者は、テトラサイクリン三・五トンの輸入につき、昭和四五年
四月から九月の外貨の割当を受け、同年中に右輸入したバルクを訴外富山化学工業
株式会社ほか三社に販売しはじめ、昭和四六年に入つて、その販売量は急激に増加
し、現在はバルクに換算して、一か月約一トンを販売するまでになつている。ま
た、債務者は、その出資になる訴外三井製薬株式会社をして、右輸入したテトラサ
イクリンの製剤、販売を行なわせる準備をしているほか、前記販売先とともに販売
流通機構の確立に努力している。
 以上認定の事実によれば、債務者が訴外ラツシエル・ラボラトリーズ社から輸入
し、わが国の市場に流入するテトラサイクリンの量は現在よりもかなり増加するで
あろうし、右販売機構を通じてわが国におけるテトラサイクリン市場での地盤を確
保することになるであろうことが認められる。したがつて、債務者は、今後、少く
とも一か月約一トンの割合でテトラサイクリンを輸入するとみられるから、債権者
は、本件特許権の残存期間中、一ケ月につきテトラサイクリン一トンあたりの実施
料相当額金一、〇〇〇万円の割合で損害を被るだけでなく、債務者が、本件特許権
の存続期間満了前に本件侵害行為を行なつて、その市場における販売流通機構を確
立してしまうことにより、その存続期間満了時までには、著しく不利な立場に立た
されることになる。すなわち、本来ならば、特許権について実施許諾を受けていな
い者は、その特許権の存続期間満了後にはじめてその実施品の製造、販売をはじ
め、市場に出て行き、そのときを出発点として漸次市場での活動の地盤を築いて行
かなければならないのに対し、その満了前に、特許権を侵害して実施品を製造、販
売し、市場での地歩を占めてしまえば、その特許権の存続期間満了のときには、既
にかなりの市場占有率を保持することができ、しかもこれに対しては、特許権者で
あつた者は、かかる事情の下に生じた損害の賠償を請求することはかなり困難であ
り、ことに、その損害額を立証することは殆ど不可能であるから、まず損害の賠償
請求もできないことになり、実際には特許権の存続期間を短縮されたものと同じ結
果となつてしまうであろう。
3 以上の諸点からみると、本件での債務者のテトラサイクリンの輸入行為が、本
件特許権の侵害になるとすれば、債権者にとつては、その損害は相当多額となるの
みならず、金銭をもつて回復し難い損害も生じることになるから、仮処分によつて
その侵害行為の差止を求める必要性があるといわなければならない。債務者は、こ
れに対し、本件テトラサイクリンの輸入行為を差し止められることは、債権者にと
つて損害が大きく、今までに行なつた多額の投資が回収不能となる旨主張する。し
かしながら、右のようにその賠償を請求し難い損害が生ずるおそれがあるのみなら
ず、債務者において多額の投資を行なつて、特許権の存続期間中に市場を席巻する
ことが明らかであれば、それだけ、その侵害行為差止の必要性は大きいものといわ
なければならない。
四 債務者の抗弁についての判断
債務者が輸入するテトラサイクリンの製造方法が、債務者主張のとおりであること
は当事者間に争いがない。
1 そこで先ず、右債務者の輸入品の生産に使用されている菌であるストレプトマ
イセス・ルシタヌス・バール・テトラサイクリニ一〇六ーT(NCIB九五〇〇)
が本件特許発明における使用菌の種類に属しないかについて判断する。
 既に本件特許発明の技術的範囲について判断したとおり、本件特許発明における
使用菌は、(一)ストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属する菌株と
(二)ストレプトマイセスに属し、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種
の種の特徴的性状の大部分を保有する菌株とであつて、右(二)の菌株が加えられ
たのは、同じストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属する菌株であつて
も、その外観において、互に非常に異なるものがあり、菌学者によつては、ストレ
プトマイセス・オーレオフアシエンス種として分類されない場合があることをおそ
れて、かかる菌株をも含ましめることを考慮したためのものである。債務者は、こ
れに対し、菌の分類、同定については、その親株によるべきであることを主張する
けれども、かかる主張の微生物分類学上の当否はさておき、本件特許発明における
使用菌の範囲については、前掲疎甲第二号証によれば、本件特許発明の明細書中に
は、「テトラサイクリンは例えばストレプトマイセス・オーレオフアシエンスの多
くの天然分離菌の成長によつて生成された。」との記載があり、また前示本件特許
発明の技術的範囲についての判断において認定したとおり、本件特許発明の特許出
願について優先権主張の基礎となつた一九五三年一〇月一五日アメリカ合衆国特許
出願書類には、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスに属する天然分離菌に
ついて詳細な説明がなされている点からみて、本件特許発明の使用菌の中には、天
然分離菌株をも含ましめる意図が明らかであるところ、天然分離菌株について親株
を比較することは不可能であり、また、その変異株についても、右明細書のなかに
おいては、専ら、その形態的な面からのみその特徴的性状が記述されている点から
みて、本件特許発明においては、その使用菌の範囲の確定のために親株を用いてい
ないことが明らかであるといえる。
 債務者は、その輸入テトラサイクリンの生産に用いられたストレプトマイセス・
バール・テトラサイクリニ一〇六ーT菌株が、本件特許発明の使用菌に属しないこ
とにつき、多数の疎明を提出しているので、これを前示認定したところにもとづき
逐次検討することとする。
(一) 成立に争いのない疎乙第三九号証によれば、広島大学教授である訴外
【I】は、「菌株一〇六ーTは、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に
属する菌株でもなければ、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種の特徴的
性状の大部分を保有する菌株でもない。」との結論をもつ意見書を作成しているこ
とが認められる。しかし、同意見書は、訴外【J】および訴外【G】の各宣誓供述
書を検討した結果によつて作成されたものであつて、右意見書の作成者自らがした
右菌株についての実験の結果を報告したものではないのみならず、成立に争いのな
い疎甲第二一号証の一ないし三によれば、右宣誓供述書の作成者訴外【J】は、結
局、債務者の輸入テトラサイクリンの生産に使用された一〇六ーT菌株は、ストレ
プトマイセス・オーレオフアシエンス種に属するとの意見であつたことが明らかで
あつて、右訴外【I】の意見そのものが、この意見に対する意見という間接的なも
のであるといわざるをえない。ことに同意見書には、「放線菌の或る菌株が、どの
種に属するかを決定するにさいして、それが突然変異株の場合は、その原株である
自然分離菌株について検討しなければならない。」との記載があり、なるほど、こ
のような立場は、微生物分類学上一つの考え方であろうし、また、特許明細書にも
何らの限定もない場合は、その技術分野における通常の知識にしたがつて、その特
許の技術的範囲が解釈されるべきであるが、本件のように、その親株を問題として
いないことが特許明細書から明らかである場合には、右記載の趣旨にしたがつて考
究するのが相当であり、したがつて、右意見書は、にわかにこれを判断の資料とし
て採用することができない。
(二) 成立に争いのない疎乙第四二号証によれば、ブラドフオード大学の微生物
学先任講師である訴外【K】は、宣誓供述書において、ストレプトマイセス・オー
レオフアシエンスと、債務者が輸入するテトラサイクリンの生産に使用される一〇
六ーT菌株を比較し、結論として、工業用突然変異株である一〇六ーT(NCIB
九五〇〇)は、ストレプトマイセス・ルシタヌス・バール・テトラサイクリニに同
定されねばならず、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスには同定されない
と述べていることが認められる。しかしながら、同宣誓供述書には、右結論に到達
する前に、「プリツダム等により提案された分類体系を用いれば、NCIB九五〇
〇は、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスと同一の形態学的区分および系
統に属するが、この分類体系は種の段階でストレプトマイセスを同定するにあたつ
ては適用されえない。」「エトリンガー等により提案された分類体系を用いれば、
NCIB九五〇〇は、気菌系の形態において差異はあるけれども、ストレプトマイ
セス・オーレオフアシエンスとして分類される。」「国際ストレプトマイセス・プ
ロジエクトで現在使用されている基準を用いれば、菌株NCIB九五〇〇は、スト
レプトマイセス・オーレオフアシエンスの記載に類似の性質を示すことになろ
う。」という記載がある。そして、既に前示認定のとおり、本件特許発明の明細書
において使用菌につきとられた記載は、まさにこのような微生物分類学者によつて
は、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスに属するとされたりされなかつた
りする菌株をも含ましめるためであるから、右宣誓供述書の記載は、むしろ、一〇
六ーT菌株が、本件特許発明における使用菌に属することを裏付けたものというこ
とができる。
(三) 成立に争いのない疎乙第四六号証によれば、カリフオルニア大学の細菌学
の準教授である訴外【L】は、その宣誓供述書において、バージーズ・マニユアル
第七版の分類にしたがい判断をして、ストレプトマイセス・ルシタヌス・バール・
テトラサイクリニ一〇六ーT菌株は、ストレプトマイセス・オレオフアシエンス種
とは別のストレプトマイセス属に属する種であるとの結論を出している。しかし右
結論にいたる実験は、同宣誓供述書においては、きわめて簡単に記載があるだけ
で、その過半の部分は、前記訴外【J】の宣誓供述書記載の実験結果の検討がされ
ている。そして、右訴外【L】準教授の実験結果では、ポテトプラグ、ツアベツク
寒天およびチロシン各培地における一〇六ーT菌株、ストレプトマイセス・オーレ
オフアシエンス種に属する菌株(NRRLー二二〇九ほか三菌株)のそれぞれの生
育状況は、右訴外【J】の実験結果と殆ど一致しており、この点は同訴外【L】も
認めるところである。したがつて、同訴外人の前示結論と、前示訴外【J】が前掲
疎甲第二一号証の一ないし三において示す結論が異なるのは、まさに、微生物分類
学者間における実験結果に対する見解の相違に帰せられるものというべきである。
そうとすれば、既に、本件特許発明の技術的範囲について判断したとおり、本件特
許発明において使用菌の範囲に、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスの特
徴的性状の大部分を存する菌株を含ましめたのは、ストレプトマイセス・オーレオ
フアシエンス種が非常に異なつた形態学的状況において存在しうるため、微生物分
類学者によつては、右ストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属する菌株
の範囲を狭く解し、本件特許発明の技術的範囲に属すべき使用菌が除外されること
をおそれたものであるから、まさに、右訴外【L】と訴外【J】の右両実験結果の
ごとき場合を予想したものというべく、訴外【L】作成の右宣誓供述書は、これを
訴外【J】の前掲宣誓供述書と総合して考察するとき、債務者が輸入するテトラサ
イクリンの生産に使用される一〇六ーT菌株が本件特許発明における使用菌でない
との立証資料としては採用するに足りないといわなければならない。
(四) 成立に争いのない疎乙第四七号証によれば、ホーエンハイム農科大学の微
生物学および植物病理学の教授である訴外【M】は、その宣誓供述書において、バ
ージーズ・マニユアル第七版にしたがつて分類をした結果として、一〇六ーT菌株
は、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスとは異つた別の生物であるとの結
論をだしていることが認められる。しかしながら、同宣誓供述書には、一〇六ーT
菌株についての実験の結果のみしか記載がなく、ストレプトマイセス・オーレオフ
アシエンスに属するどの菌株が如何なる生成の形態を示したかの通常の比較分類実
験の結果報告にみられる記載はないのであつて、右の異つた別の生物であるとの結
論も、一〇六ーT菌株が、実験に供したストレプトマイセス・オーレオフアシエン
スの特定の菌株と異なるというのかあるいは種を異にするとまでいうのか不明であ
り、にわかに判断の資料となしえないのみならず前認定の本件特許発明における使
用菌についての技術的範囲を考慮するとき、右宣誓供述書におけるごとく、一種類
のみの分類によつて菌の同定を行なつた実験結果は、直ちに本件における判断の資
料として採用することはできない。
(五) 成立に争いのない疎乙第四九号証によれば、訴外ラツシエル・ラボラトリ
ーズ・インコーボレーテツドの製造部長である訴外【N】は、その宣誓供述書の中
で、一〇六ーT菌株とUVー八菌株とを二つの異つた培地で培養し、クロルテトラ
サイクリンとテトラサイクリンの生成量を測定し、その結果として、UVー八菌株
は一〇六ーT菌株と根本的に異つているとの結論をだしている。しかし、UVー八
菌株は、本件特許発明の明細書の実施例において用いられる菌にすぎず、本件特許
請求の範囲における使用菌の特定の仕方は、特定の培地におけるクロルテトラサイ
クリンもしくはテトラサイクリンの生成能力というがごときものによつているわけ
ではないのであるから、かかる明細書と異つた見地より菌の比較を行なつても、こ
れを直ちに本件特許発明の技術的範囲に属するか否かの判断の根拠とすることはで
きない。
(六) 成立に争いのない疎乙第六六号証によれば、訴外社団法人北里研究所勤務
の訴外【O】および同【P】は、その実験報告書において、ストレプトマイセス・
ルシタヌス・バール・テトラサイクリニに属するNCIB九七〇〇と九五〇〇(一
〇六ーT)、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスに属するATCC一二四
一六C(UVー八)とNRRL二二〇九(Aー三七七)とを比較し、前二者と後二
者とは異なる菌種であるとの判断に到達している。しかしながら、本件特許発明に
おける使用菌は、微生物分類学上の厳密な区分にしたがつて特定されることを趣旨
としたものでないことは既に判断したとおりである。したがつて、右結論をもつ
て、直ちに、債務者使用菌一〇六ーTが本件特許発明の使用菌に属さないとするこ
とはできない。いま、本件特許発明の使用菌の範囲の特定につき、その明細書の前
認定の趣旨にしたがい、ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスを微生物分類
学におけるよりも広く解する立場にたち、右実験報告書を検討すると、まず、炭素
源の利用能をみるとき、NCIB九五〇〇は他の三菌株に較べて、その利用の幅が
狭く、他のストレプトマイセス・オーレオフアシエンスとストレプトマイセス・ル
シタヌスとの三菌株の間には大きい差異はなく、生化学的培養性状においては、N
CIB九七〇〇のみミルクをペプトン化し、硫化水素を生産し硝酸塩を還元等する
が、他の三菌株は何の変化も示さず、血液寒天ではATCC一二四一六Cのみ他の
三菌株と異なり接種一日後に溶血を示し、澱粉では四菌株ともこれを分解し、合成
培地上の栄養菌糸の色調は、NCIB九五〇〇のみがやや他の菌株と異なるだけで
あり、四菌株ともあまり特徴的な色調を示さず、非合成培地のポテト・デキストロ
ース寒天上では、NCIB九五〇〇の栄養菌糸のみが濃茶の色調を示す点で他と異
なり、他の菌株のそれは明るい黄糸の色調であり、コーン・ステイーブ・リカー寒
天上では、NCIB九五〇〇とNRRL二二〇九は成育しない。血清培地上ではN
CIB九五〇〇のみ成長しない。非合成培地上の胞子の色調では、NRRL二二〇
九が他と異なるが、キヤロツト・プラグ・ポテト・プラグ上では、ATCC一二四
一六Cが他と異なる。以上のように、右実験中でも、かなりの場合にストレプトマ
イセス・ルシタヌス・バール・テトラサイクリニに属する二者とストレプトマイセ
ス・オーレオフアシエンスに属する二者とを区別しえない結果となつているばかり
でなく、右実験全体を通じてみても、右両者を画然と区別する性状は、前二者がク
ロモゲネシテイ・タイプであるのに対し、後二者が非クロモゲネシテイ・タイプで
あるぐらいであり、その他は必ずしも明暸な差を生じていないともいえる。右実験
の結論は、実験全体を総合的に判断し、菌学者としての立場と知識経験から導き出
されたものと考えられるが、本件特許発明の明細書における菌の特定についてのよ
うに、菌学者によつては、その同定の結果が異なるものでもその使用菌範囲に含ま
せるという立場をとつた場合も、結論が同一となるかは疑問であつて、直ちに右の
結論を本件債務者の主張に認定に用いることはできないものといわなければならな
い。
(七) 証人【G】の証言およびこれにより真正な成立の認められる疎乙第三八号
証の一、二によると、本件において債務者が輸入するテトラサイクリンの生産に用
いられている一〇六ーT菌株の親株は、同証人がフランスのミグールの実験農場の
土壌から分離したもので、ストレプトマイセス・ルシタヌス・バール・テトラサイ
クリニと命名し、その後これに紫外線を照射して変異処理した菌株をT菌株とし、
これを訴外フエルメントフアルマ社に譲渡し、同所で、同証人の監督下に一〇回に
わたつて紫外線照射を行なつて一〇六ーT菌株をえたことが明らかである。ところ
で、同証人は、右土壌分離菌にストレプトマイセス・ルシタヌス・バール・テトラ
サイクリニと命名したのは、右菌株がストレプトマイセス・ルシタヌスと厳密な関
係にあると考えていたからであつたが、その後電子顕微鏡写真によつて、右土壌分
離株は、とげ状の胞子表面をもつていることが判り、なめらかな胞子表面をもつて
いるストレプトマイセス・ルシタヌスと異なつたものであることが明らかとなつた
旨陳述している。しかし、成立に争いのない疎甲第三三号証によれば、同証人の論
文(アンタイマイクロビアル・アンド・エイジエンツ・ケモセラピー一九六二年所
載)の電子顕微鏡写真に関する説明においては、ストレプトマイセス・オーレオフ
アシエンスNRRL二二〇九、ストレプトマイセス・ルシタヌスCBSAー一〇一
およびストレプトマイセス・ビリデイフアシエンスATCC一一九八九の三菌株の
胞子柄の電子顕微鏡写真について三者ともに僅かのちがいが認められると記したの
みであるが、右Aー一〇一菌株は、同論文からは、前示ミグールの実験農場から得
られた土壌分離菌株であることが明らかであるから、もし右論文作成当時、同証人
が前記証言の点について意識していたとしたならば、何故にこのような記述しかさ
れなかつたのかが疑問となる。また、同論文中には「ストレプトマイセス属につい
ての現在の分類法の下でのストレプトマイセス・ルシタヌスの位置に関し、一方に
おいては、これを細かく分類して区別すべしとする者と大きく分類して統合すべし
とする者とがある傾向と、他方においては、ストレプトマイセスの分類についても
ろもろの専門家の意見が相対立しているということとの現時の論議を考慮のうえ、
我々は全く異なつた方法でこの分類の問題ととりくもうとする実験研究を行なつて
きた。」との部分があり、むしろここでは、ストレプトマイセス・ルシタヌスのス
トレプトマイセス属における位置付けを如何にするかが問題とされており、前示土
壌分離菌株がストレプトマイセス・ルシタヌスとは別異の菌株であることについて
は全く触れられていない。そしてもし、同証人が右論文作成のときに、前示分離菌
株がストレプトマイセス・ルシタヌスと全く別異のものであると考えていたなら
ば、右論文においてはわざわざその分類を試みることは全く無意味なものとなって
しまうわけであるから、少なくとも同証人は、右論文の作成にあたつては、前示分
離菌株は、ストレプトマイセス・ルシタヌスに属するとの前提に立つていたものと
解せざるをえず、これは、前示証言と矛盾していることになる。さらに、同論文に
は「ストレプトマイセス・ルシタヌスは可溶性の黄色色素を生産するが、ストレプ
トマイセス・オーレオフアシエンスおよびストレプトマイセス・ビリデイフアシエ
ンスは色素を生産しない。」との記載があるけれども、成立に争いのない疎甲第一
六号証の一および二によれば、バージーズ・マニユアルにおいては、ストレプトマ
イセス・オーレオフアシエンスは、黄金色の可溶性色素を出すことが明らかであ
り、また、じやがいも切片上でも、右論文では、ストレプトマイセス・オーレオフ
アシエンスは典型的な黄金色であるのに、前示バージーズ・マニユアルではオレン
ジ黄色の発育となつている。そして何故に、右バージーズ・マニユアル記載の発育
形態と異なつているのかは明らかにされておらず、同論文における実験結果の正確
性については説明が不足であるといわなければならない。さらに、前掲疎乙第三八
号証の一、二によれば、同証人の宣誓供述書には、一〇六ーT菌株の性質につい
て、突然変異を繰り返すことにより、「胞子柄のらせん形は失われ鉤形およびルー
プ形になつていること、エトリンガーのチロシン寒天をも含めて多くの合成培地で
の成育能の喪失、多くの炭素源利用能ならびに成熟コロニーの胞子の顕著な暗色化
能の喪失を受けている。しかしながら、その他の性質のうち、次の性質によつて、
ストレプトマイセス・オーレオフアシエンスと区別される。すなわち、ベンネツト
寒天、エマーソン寒天、人参馬鈴薯寒天、信夫のチロシン寒天等の種々有機培地上
でのクロモゲニシテイである。これらの種々の培地では原土壌単離菌ストレプトマ
イセス・ルシタヌス・パール・テトラサイクリニもメラノイド色素を生産する。」
との記載があるが、前認定のとおり、本件特許発明において、その使用菌株として
ストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種の特徴的性状の大部分を有する菌株
が含まれる限り、右クロモゲニシテイに関する観察以外に如何なる種類の実験が行
なわれ、その結果示された性状に相違があつたのか、さもなくば、クロモゲニシテ
イにおける相違のみをもつてしてもその特徴的性状の大部分が異なるという結論を
引きだせるという理論的根拠が示されない以上、これをもつて、右一〇六ーT菌株
が、本件特許発明の権利範囲に属す使用菌株ではないとの認定の資料とすることは
できない。
 したがつて、右の諸事実からみれば、【G】の証言、論文および宣誓供述書に
は、それぞれその重要な部分に相互の矛盾あるいは不充分な点があつて、これらを
もつて、一〇六ーT菌株が本件特許発明における使用菌株に属しないということは
できない。
 以上に判断を示した諸証拠のほかに、本件において、債務者の使用菌ストレプト
マイセス・ルシタヌス・バール・テトラサイクリニ一〇六ーTが本件特許発明の技
術的範囲に属しないことを立証するに足りる証拠はない。
 したがつて、ここに右各証拠に対する反証について論及するまでもないわけであ
るが、成立に争いのない疎甲第二七号証の一、二、同第三〇号証、同第三一号証、
同第三二号証の一ないし三、同第三七号証、同第三八号証、同第一九号証、同第二
〇号証および同第二一号証の一ないし三によれば、外国の国家機関あるいはかなり
の数の菌学者が、債務者の輸入するテトラサイクリンの生産に使用される一〇六ー
T菌株がストレプトマイセス・オーレオフアシエンス種に属するかあるいはストレ
プトマイセス・オーレオフアシエンス種と類似の性状を有するものとの判断をして
いることが明らかであり、これらは十分な反証となりうるものといわなければなら
ない。してみれば、本件においては、債務者が輸入するテトラサイクリンの生産に
使用されるストレプトマイセス・ルシタヌス・バール・テトラサイクリニ一〇六ー
T菌株が本件特許発明における使用菌株に属しないとの疎明はされなかつたことに
なり、結局、債務者が輸入するテトラサイクリンは、本件特許発明の範囲に定める
使用菌株を使用して生産されたものと推定される。
2 次に、債務者が輸入するテトラサイクリンの生産に使用される培地についてみ
るに、既に認定のとおり、本件特許発明においては、その技術的範囲に塩素イオン
を制御しない、通常、放線菌の培養に用いられる培地の使用を含むことが明らかで
あり、右輸入テトラサイクリンの生産において、かかる培地が使用されていること
は当事者間に争いがないから、債務者主張のその生産方法は、本件特許権の権利範
囲に属することになる。
六 特別事情の存在についての判断
 成立に争いのない疎乙第七〇号証、同第七一号証の一ないし四、同第七二号証、
同第七三号証の一ないし五および同第七五号証によれば、債務者が本件仮処分を取
り消すべき特別の事情ありとして主張する事実はいずれもこれを認めることができ
る。
 しかしながら、右主張の事実をもつてしては、いまだ本件仮処分を取り消すべき
特別事情とはなりえないものといわなければならない。けだし、仮処分を取り消し
うべき特別の事情とは、(一)被保全権利が金銭的補償によつても満足しうる可能
性があると客観的に認められ、したがつて、それによりほぼ仮処分の目的を達しう
る事情にあることと(二)債務者が仮処分を維持することによつて異常な損害を被
る場合であることとを指すものと解するところ、右(一)の点については、既に本
件仮処分の必要性について判断したとおり、本件特許権侵害に伴う損害は、多面的
に広範囲かつ継続的に生じ、その額の把握、立証がきわめて困難であることが明ら
かであり、結局、債権者の被保全権利は、金銭的補償をもってしては、これを満足
しうべきものとは認めえないものといわなければならない。
 また、右(二)の点については、確かに、債務者が現在置かれている経済的諸状
況は債務者にとつて好ましいものではなく、本件仮処分によつても打撃を受けるで
あろうことは推認できるところであるけれども、その主張するような事態の由来す
るところは、むしろ、本件仮処分によるというよりも、債務者がこれまでにとつて
きた企業施策およびつくり出した経済環境によるものとするのが妥当である。すな
わち、成立に争いのない甲第九号証の一ないし三によれば、債務者の売上高は、既
に三年前の昭和四四年で半年間に金五七、八四四、〇〇〇、〇〇〇円であり、その
営業種目はあらゆる化学製品にわたつており、この中において、本件テトラサイク
リンの占める比率は、もし、債務者が通常の営業状況にあるならば、とるに足りな
いものであることは容易に推認されるところであり、これによつても、右の次第を
うかがうことができる。
 かかる、本件仮処分の目的と直接関係のない事情によつて本件仮処分を取り消
し、その負担を債務者に負わせることは公平に反するといわなければならない。し
たがつて、債務者の特別事情による本件仮処分の取消の申立はこれを認めることが
できない。
六 結論
 以上のとおり、債務者が、訴外ラツシエル・ラボラトリーズ社から輸入するテト
ラサイクリンは、その生産方法が、本件特許発明の技術的範囲に属するものと推定
され、かつ、その輸入を差し止める仮処分の必要性もあり、一方、債務者の抗弁は
いずれも理由がないところ、本作仮処分において、債権者は、右テトラサイクリン
とともにその塩の輸入の差止をも求めているので、この点についてみる。
 前掲疎甲第二号証によれば、本件特許発明の明細書には、「遊離塩基としてのテ
トラサイクリンは、両性物質の特性を有し、酸及塩基の双方と塩を形成する。例え
ば、テトラサイクリンは、有機及無機酸と共に付加塩を形成し、該付加塩は、塩酸
塩、臭化水素酸塩、硫酸塩、硼酸塩、硝酸塩、燐酸塩、アスコルビン酸塩、くえん
酸塩、こはく酸塩、酢酸塩、スルフアミン酸塩及他の類似性質の酸付加塩の形に於
て得られる。……上記の型の塩は、分離及精製に有用である。……試験管内試験に
依て発見された所に依れば、之等の酸塩及塩基塩は、等電物質或は遊離塩基と同様
にグラム陽性菌及グラム陰性菌双方を含む多数の細菌に対して有効である。」との
記載があり、この点からみて、本件特許発明の目的物質には、テトラサイクリンと
その酸塩したがつて塩酸塩等を含まれるものといわなければならない。また、前掲
疎甲第二号証によれば、テトラサイクリンは、その酸塩および塩基塩と相互に容易
に変りうるものであるのみならず、その塩は、実質的に特段の別異な化合物とは化
学常識上解されていないといえるから、テトラサイクリンとその塩とを、本件特許
発明において、同一の目的物質の範囲に属するものと解して差支えがない。さら
に、その目的物質の特定の方法も、本件の事案においては、「訴外ラツシエル・ラ
ボラトリーズ社からのテートラサイクリンの輸入」とし、その構造式を示せば足り
るものといえる。
 したがつて、当裁判所が、昭和四六年一二月一七日「債務者は、申請外アメリカ
合衆国ラツシエル・ラボラトリーズ社から、別紙目標記載の物品を輸入してはなら
ない。」とし、別紙目標にテトラサイクリンなる物品名とその構造式(本件申請の
理由3記載の構造式に同じ)およびテトラサイクリンの塩を記載して発した仮処分
命令は正当であり、かつ、債務者の主張する本件仮処分を取り消すべき特別の事情
も認められないから、これを認可することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法
第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 荒木秀一 高林克己 元木伸)
<11728-002>

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