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裁判例


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交通死傷事故直後に,アーケード商店街をトラックで暴走するなどして,3名を
死亡させ,4名に重傷を負わせるなどした被告人につき,完全責任能力を認めた上
で,懲役28年に処した事例
平成17年(わ)第602号,第643号
主文
被告人を懲役28年に処する。
未決勾留日数中400日をその刑に算入する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,
第1平成17年4月2日午前9時4分ころ,業務として普通貨物自動車を運転し,
仙台市a区bc丁目d番e号先の信号機により交通整理の行われている交差点
を,f方面からg方面に向かい時速約40キロメートルで直進するに当たり,
対面信号機の表示に留意し,これに従って進行すべき業務上の注意義務がある
のにこれを怠り,対面信号機が赤色信号を表示しているのを看過して漫然と前
記速度で進行した過失により,同交差点手前で,同交差点に設置された横断歩
道上を青色信号表示に従い横断歩行中の歩行者の存在に気付いて急制動の措置
を講じたが及ばず,自車を同交差点内に進入させ,折から青色信号表示に従い
同横断歩道上を右方から左方に向かい横断歩行中のA女(当時42歳)及びB
女(当時48歳)に自車前部を衝突させ,さらに,その衝撃でA女を,同横断
歩道上を横断歩行中のC女(当時69歳)に衝突させて同人らを路上に転倒さ
せ,よって,A女に頭蓋骨骨折,内頚動脈損傷及び脾破裂等の傷害を負わせ,
同日午後9時5分ころ,同市h区ij丁目k番l号所在のP医療センターにお
いて,A女を上記傷害により死亡させるとともに,B女に加療約3か月間を要
する急性硬膜外血腫及び左右多発肋骨骨折等の傷害を,C女に加療約3か月間
を要する左肘頭骨折及び左下腿骨折の傷害を,それぞれ負わせた
第2同日午前9時4分ころ,同市a区bc丁目d番e号先道路において,前記自
動車を運転中,前記のとおりA女らに傷害を負わせる交通事故を起こしたのに,
直ちに車両の運転を停止して同人らを救護する等必要な措置を講ぜず,かつ,
その事故発生の日時及び場所等法律の定める事項を,直ちに最寄りの警察署の
警察官に報告しなかった
第3同日午前9時4分ころ,同区bc丁目m番n号先の車両通行禁止道路に指定
されたアーケード商店街内の道路に前記自動車を運転して乗り入れ,同所にお
いて,同所を通行中のD女(当時44歳)及びE男(当時42歳)に対し,同
人らが死亡する危険があることを認識しながら,あえて,前記自動車を時速約
60キロメートルで走行させてその前部を同人らに衝突させていずれも路上に
転倒させ,よって,E男に対しては101日間の入院加療を要する外傷性クモ
膜下出血及び脳挫傷等の傷害を負わせたにとどまり,殺害するに至らなかった
が,D女に対しては左肋骨骨折,下顎骨折,頭蓋底骨折等の傷害を負わせ,同
日午前10時20分ころ,同区o町p番q号所在のO病院において,頭蓋底骨
折により死亡させて殺害した
第4同日午前9時4分ころ,同区bs丁目t番u号先の車両通行禁止道路に指定
されたアーケード商店街内の道路に前記自動車を運転して乗り入れ,同所にお
いて,同所を通行中のF男(当時28歳)及びG男(当時24歳)に対し,同
人らが死亡する危険があることを認識しながら,あえて,時速約50キロメー
トルで走行中の自車前部を同人らに衝突させていずれも路上に転倒させた上,
路上に転倒したG男の背部等を轢過し,よって,F男に対しては全治約2か月
間を要する頭蓋骨・上顎骨骨折等の傷害を負わせたにとどまり,殺害するに至
らなかったが,G男に対しては多発外傷の傷害を負わせ,同日午前9時8分こ
ろ,同所において,同傷害に基づく出血性ショックにより死亡させて殺害した
第5自己が賃借したQ株式会社(代表取締役H男)所有の普通貨物自動車内で焼
身自殺をして同車を焼損しようと企て,同日午前9時5分ころ,同区bs丁目
t番v号先路上に停車中の同車内において,被告人が着ていたトレーナーに軽
油約370ミリリットルを掛け,所携の発炎筒(自動車用緊急保安炎筒)で同
トレーナーに点火して燃え上がらせ,引き続き,同車を約17メートル東進さ
せて同区bs丁目t番w号先路上に駐車中のI男所有の普通特種自動車に衝突
させ,同車に接して前記普通貨物自動車を停車させた上,同車内において,ト
レーナーをダッシュボード上のメーターパネル付近に脱ぎ捨て,その炎をダッ
シュボードに燃え移らせて放火し,よって,ダッシュボード等を燃え上がらせ
て同車を焼損し,そのまま放置すれば,前記普通特種自動車及び同所付近建物
等に延焼するおそれのある状態を発生させ,もって,公共の危険を生じさせた
ものである。
(事実認定の補足説明及び弁護人の主張に対する判断)
弁護人は,判示第1ないし第5の外形的事実や判示第1の過失は争わないものの,
被告人には殺人や建造物等以外放火の故意はなかったとして,判示第3及び第4の
各殺人・殺人未遂及び判示第5の建造物等以外放火について無罪を主張するととも
に,本件各犯行当時,被告人は統合失調症による幻聴等を生じていたため,心神喪
失あるいは心神耗弱の状態にあった旨主張するので,以下,これらの点について検
討する(なお,以下において,医師J及び同K共同作成の精神鑑定書を「J・K鑑
定」,医師L及び同M共同作成の精神鑑定書を「L・M鑑定」という。)。
第1関係証拠により認められる事実
1被告人は,平成17年4月2日午前9時4分ころ,普通貨物自動車(登録番
号○○***○****号,車両重量3620キログラム,幅2.24メート
ル,高さ2.48メートル,長さ8.49メートル。以下「本件トラック」と
いう。)を運転して,R通りの片側4車線の第3車線付近をg方面に向けて走
行し,S通りとの交差点にさしかかり,同交差点内の横断歩道手前で,ハンド
ルを右転把しながら急制動の措置を講じたが及ばず,本件トラックを判示第1
の横断歩道上(以下「第1現場」という。)に進入させ,本件トラックが同所
を青色信号に従って横断していた歩行者らに衝突した後,対向車線に進出し,
対向右折車用の第5車線の停止線付近で停止した。被告人は,ハンドルを左に
切りながら,本件トラックを横断歩道の中央部付近まで後退させて再度停止し,
更に右にハンドルを切って前進し,歩行者専用道路であるS通り内に進入した。
S通りは,幅約11メートルで,両側にビルが建ち並び,天井部分にアーケ
ードが設置され,車両通行禁止の交通規制が行われている歩行者専用の直線道
路である。被告人は,第1現場からS通りをV駅方面に向かい,時速約58キ
ロメートルないし66キロメートルで約150メートル直進し,同日午前9時
4分ころ,判示第3の犯行現場(以下「第2現場」という。)において,同所
を徒歩で通行していた被害者らに本件トラック前部が衝突して,被害者らを路
上に転倒させた。さらに,被告人は,本件トラックを停止することなく,第2
現場からT通りの交差点を越えて,時速約55キロメートルで約250メート
ル直進し,同日午前9時4分ころ,判示第4の犯行現場(以下「第3現場」と
いう。)において,同所を徒歩で通行していた被害者らに本件トラック前部が
衝突して被害者らを路上に転倒させ,被害者1名の背部を本件トラックの右前
輪で轢過した。
被告人は,本件トラックを停止することなく,第3現場からS通りを更に約
100メートル直進し,U通りの交差点のS通り側出口に停車した冷蔵冷凍車
の約17.6メートル手前の判示第5の犯行現場(以下「第4現場」とい
う。)において,ブレーキを踏んで本件トラックを停止し,同日午前9時5分
ころ,同所において,用意していたペットボトル入り軽油約370ミリリット
ルを身に着けていたトレーナーの上から振り掛け,発炎筒を用いて点火した上,
本件トラックを再発進させ,上記冷蔵冷凍車に衝突させて焼身自殺を図ったが,
熱さに耐え切れなくなり,火の点いたトレーナーを脱いで,ダッシュボード上
のメーターパネルの脇に置き,運転席側ドアを開けて本件トラックから降りた。
2被告人は,本件トラックを降りた後,第4現場付近で,上半身裸の状態で暫
くうろうろしていたが,その後歩き出し,V駅西口のペデストリアンデッキに
通じる階段を上り,同日午前9時10分ころ,デッキ2階に面した入口からV
駅交番に入った。被告人は,同交番内のカウンター前に立ち,警察官から「ど
うしましたか。」と質問されると,小さい声で「車をぶつけた。」と答えた。
そして,警察官から,中に入るように促されて交番内の長いすに座り,警察官
の質問に対し,氏名,本籍,以前の住所を自分でメモに記載した上,運転免許
の有無,生年月日,職業について説明した。さらに,警察官から,本件につい
て確認されると「ぶつかったけれども,何にぶつかったか覚えていない。」,
「目の前に白い車が見えてぶつかった。」と答え,さらに,警察官に促されて,
焼身自殺するつもりで火を点けたなどと放火の状況を具体的に説明した。さら
に,別の警察官に対し,本件トラックを1人で運転していたこと,精神病院へ
の通院歴はないことを話した後,第1現場の状況を尋ねられると,最初は「い
やー」などと視線を逸らしてうつむいていたが,再度確認されると,「そっち
に曲がっときになにかさにぶつかったんだ。最初分かんねかったんだけど,ぶ
つかった後に止まったっけ,人だと分かったんです。」,「頭の中で,声がし
てたから止まんねかったんだ。」,「いろいろな人がぶつぶつ言ってんだ。頭
の中で声がすんだ。」などと説明した。
被告人は,同日午前9時37分ころ,W署へ任意同行された後,病院に行っ
て火傷等の治療を受けたが,医師の質問に対し,興奮もなく落ち着いていたが,
3か月前から体調が悪くなった,1か月前からは4から5人の男女から死ね,
俺を批判する声が聞こえる,俺を殺そうと話している声がする,俺を殺せば1
00万円もらえるなどと応答していた。被告人は,同日午後2時33分ころ,
第1ないし第3現場における各業務上過失致死傷及び道路交通法違反(救護義
務違反,報告義務違反)の容疑で緊急逮捕された。
3被告人は,同日,警察官から歩行者と何回衝突した記憶があるのかと問われ
て,「何回ぶつかったかについてははっきりしませんが,何人かとはぶつかっ
ています。私は,歩行者と最初にぶつかった後,急いで事故現場から逃げたの
ですが,その時に何人かの歩行者とぶつかったのです。」(乙26)と供述し,
翌3日には,警察官に対し,「X公園で一晩過ごし,翌朝早くになってから車
を走らせてr方面に出て,それから市内中心部に車を走らせた。人を跳ねたと
きの状況は,前方が交差点になっていて,歩行者が横断しており,私の方の信
号が赤になっていたことは覚えているが,この直後に次々と人を跳ね飛ばして
しまった。救急車を呼んだり,警察に110番しなければならないことは分か
っていたが,この時の私は逃げたくなって逃げた。この逃げる途中にも,次々
と人を跳ねたが,最後に止まっているトラックにぶつかって止まった。ここで
死のうと思い用意していたペットボトルの軽油を自分の上着にかけ,車の発煙
筒で火をつけたのですが,火があまり燃え上がらずチョロチョロとしか燃えな
かったので,ガソリンにすればよかったと思った。」(乙9)と供述し,翌4
日には,検察官に対し,「長年の間,色々な人に馬鹿にされたり,酷いことを
言われ続け,つくづく生きていくのが嫌になりました。少し前まで千葉にいま
したが,今回人を跳ねたりする3日位前に,故郷の仙台で死のうと思い,普通
電車で仙台まで来ました。死ぬ前にトラックを運転したくなり,4月1日の朝,
レンタカー会社に行きトラックを借り,行く当てもないままV新港の方に行っ
て死ぬつもりでしたが,実行できませんでした。そのうち,X公園に行きなさ
いというような声が聞こえたので,その公園に行きました。朝になって,また
トラックを運転し,特に何処に行くという目的はありませんでしたが,V駅方
面に来てR通りを走り,次々に人を跳ねました。最後は,用意したペットボト
ルに入れた軽油を自分の服にかけて発煙筒を使って火を点けましたが,一気に
火が大きくなると思っていたのに,そうならずに我慢できなくなったことで,
服を脱いで車を降り,とにかく警察に行かなければならないと思って歩いて交
番まで行きました。」(乙28)と供述した。
しかし,同月12日の検察官の取調べで,事件のことで覚えているのは,白
い車があったために止まったところからである(甲83)などと供述し,同月
18日には,警察官の「4月2日あなたは何をしましたか。」との質問に対し,
「黙秘します。」と答えた(乙39)。さらに,同月20日には,検察官に対
し,「何か急いでブレーキを踏んだこと,何かがあって逃げたことを思い出し
た。これらについては,そもそも2つの出来事の間に関係があるのか,そのと
き直前に何があってブレーキを踏んだのか,何があってどうして逃げたのかと
いうことまでは,まだ思い出せない。」(乙41)などと記憶の減退を訴え,
さらに,鑑定留置後の同年9月になると,「X公園を出発して,rの方に行っ
た記憶が残っているが,気付いた時に,R通りを北に向かって走り,クリスロ
ードとの交差点で人をはねる事故を起こしてしまった。その後,訳が分からず
何処をどのように走ったのか覚えていないが,気がつくと目の前にトラック1
台,白色パネルが見えたので,ブレーキをかけて止まった。」(乙13)など
と一層記憶が減退し,公判廷では,ペットボトルに軽油を入れたこと,事件後
に交番にいたこと,逮捕後に病院へ行ったことなどは覚えているが,犯行状況
や取調状況についてほとんど記憶がないとの供述に終始している。
第2殺意の有無
1第1において認定した事実及び関係証拠によると,S通りは,見通しのよ
い歩行者専用の直線道路であり,本件犯行時刻ころ,同所を通行中の歩行者の
動きがはっきり確認できる状況であったこと,被告人は視力が1.0で,本
件トラックの運転席からの視界を妨げるものはなかったこと,S通りの第1
現場から第4現場までの間には,一定間隔でアーケードの支柱が設置され,そ
の内側に,第1現場からT通りの手前までの間に21本の植栽が設けられてい
たこと,S通りとT通りの交差点の東西出入口付近の中央部分2箇所に,幅
1.03メートル,高さ1.09メートルの車止めが設置されていたこと,
被告人は,本件トラックを時速55ないし66キロメートルで約500メート
ル走行させたが,上記支柱,植栽及び車止めには接触していないこと(尤も,
検察官が主張するような,2つの車止めと直近の支柱の間の幅が狭い南側部分
を通過したことを認めるに足りる証拠はない。),本件当時,S通りには,
少なくとも数十名の歩行者が通行していたところ,本件トラックは,第2,第
3現場で,4名の歩行者と衝突し,被害者らを前方に撥ね飛ばした上,衝突の
衝撃により,フロントガラスの左右が大きく蜘蛛の巣状に割れて凹損し,さら
に,路上に倒れた第3現場の被害者1名を右前輪で轢過したこと,被告人は,
本件直後に自ら警察に出頭し,少なくとも同月4日ころまでの間は,第1から
第4現場までの間に,本件トラックで通行人を撥ねたことを認める供述をして
いたこと,被告人は,仙台市内で生まれ育ち,同市内で数年間に亘りトラッ
ク運転手や配送業に従事したことがあり,また,本件直前の3月28日から4
月1日まで,S通り近くのホテルに宿泊したり,付近で飲食するなどして,S
通りが歩行者専用のアーケード街であることを認識していたこと,被告人は,
第1現場の横断歩道の手前で,赤色信号を見て急制動の措置を講じた上,適宜
ハンドルを切り返しながら本件トラックを後退,前進させ,また,第4現場に
停止した冷凍冷蔵車の手前で,ブレーキを踏んで本件トラックを停止している
ところ,第2,第3現場における犯行は,第1現場から第4現場までの約1分
余の間における一連の出来事であることが認められる。
2以上の事実を総合すると,被告人は,第1現場における事故の後,第4現場
に至って停止するまでの間,進路前方の状況を認識し,これに応じて本件トラ
ックの運転操作を行っていたもので,被告人が,その間の第2,第3現場にお
いて,本件トラックの進路前方を通行している被害者らを認識していなかった
ことを窺わせるような事情は見出し難い。そして,本件トラックの前記走行状
況や,被告人がこの間ブレーキを踏んだり警笛を鳴らすなどの回避措置を全く
講じていないことを併せ考慮すると,特段の事情がない限り,被告人が被害者
らに対して殺意を有していたものと推認される。
弁護人は,L・M鑑定において,「被告人が,人を轢いてしまうとか,その
結果としてけがを負わせたり死亡させるかもしれないというほどの具体的認識
を持ち得ていたかについては,鑑定人としては高い蓋然性をもって推測ないし
判断することはできなかった」旨,また,J証人が,公判廷で,「精神医学的
立場で,明確に殺意があったという根拠がつかめなかった」旨述べた部分を指
摘して,被告人の殺意の存在を否定している。しかし,各鑑定において,殺意
の有無は鑑定事項となっておらず,この点に関する問診等は十分には行われて
いないこと(M証言),被告人は,各鑑定人の問診でも,第2,第3現場の犯
行状況のみならず,アーケード街を暴走した目的や当時の認識について,ほと
んど記憶がない旨の供述に終始していることを総合すると,各鑑定人の上記指
摘は,その前後の文脈を見れば,精神医学者としての立場から,通行人を積極
的に殺害するといった明確な殺意があった旨の被告人の供述等が得られなかっ
たことを述べているに過ぎないもので,前記殺意の認定に疑問を生じさせる事
情とはいえない。
3もっとも,本件では,殺人の犯行は,歩行者専用道路であるアーケード街を
本件トラックで暴走して次々に通行人に衝突させるという特異な態様で行われ
ていること,被告人から殺意の有無に関する供述が得られないばかりでなく,
犯行の動機や当時の心理状態及び見当識等についても,覚えていないという理
由で,被告人がほとんど供述しないことから,前記推認を妨げるような特段の
事情が存するか否かについては,責任能力に関する考察を踏まえて慎重に検討
する必要がある。そして,後記第4で説明するとおり,被告人は,もともと有
していた自殺念慮や幻聴に加え,判示第1の事故を起こしたことに驚いて咄嗟
に逃走を図ったため,認識能力や注意力が相当程度障害されていたことは認め
られるものの,なおその程度が著しいとはいえないのであって,殺意の推認を
覆すような特段の事情があるとは認められない。
他方,第2現場,第3現場の被害者らは,S通りのほぼ中央部分に設けられ
た視覚障害者用モール付近をV駅方面に向けて歩行中に,後方から暴走してき
た本件トラックに衝突されたもので,これに対して,被告人が道路の端を歩行
中の通行人や逃げようとした通行人を狙って,殊更に本件トラックを走行させ
るなどした状況は認められないこと,被告人と各被害者との間には,全く面識
がなく,何らの利害関係もないこと,当時被告人に自殺念慮はあったものの,
不特定多数の通行人を自殺の道連れにして殺害する動機があったとまでは,証
拠上認められず,各鑑定によっても否定されていることなどを総合すると,被
告人が被害者らに対する確定的殺意まで有していたと認めることはできず,殺
意の程度は,未必的なものに止まるというべきである。
第3建造物等以外放火の故意
第1で認定したとおり,被告人は,本件トラックの運転席に座った状態で,
焼身自殺を企て,着ていたトレーナーに,ペットボトル入り軽油約370ミリ
リットルを振りかけ,発炎筒を用いて火を点けた上,熱さに耐え切れなくなる
と,トレーナーをダッシュボード上のメーターパネルの脇に脱ぎ捨てて同所付
近を焼損させたもので,また,少なくとも,J・K鑑定の問診を受けた平成1
7年6月ころまでは,火を点けた具体的な状況に関する記憶を一応保持してい
たのであって,トレーナーに火を点けた時点で,本件トラックに放火する故意
があったことが優に認められる。
弁護人は,被告人が自殺しようとしてトレーナーに火を点けただけであって,
本件トラックを燃やそうとする意図はなかったと主張し,被告人の捜査段階の
供述にもこれに沿う部分があるが,前記の火を点けた状況に照らし,極めて不
自然かつ不合理な主張内容であって採用できない。
第4責任能力
1被告人の責任能力に関する証拠として,捜査段階におけるJ・K鑑定,公判
段階におけるL・M鑑定及びJ,L,M医師の各公判供述が存する。そこで,
まず,各鑑定の前提となる被告人の精神疾患の有無,犯行に至る経緯,犯行当
時の精神状態等について検討する。
2各鑑定によると,被告人は,事件直後には,幻聴があったと述べていたが,
同月12日に,J医師が簡易鑑定のために問診を行った際には,絶望感や自殺
念慮は残存しているものの,幻聴や被害関係妄想は消失しており,その後の各
鑑定人の問診時には,統合失調症等精神障害の症状は認められず,幻聴幻覚や
自殺念慮は消失している,被告人に遺伝的負因や発達上の問題はなく,知能は
平均的な水準であり,精神科の受診歴や治療歴もない,さらに,犯行状況等に
関する記憶の著しい減退があるものの,詐病や意図的な虚偽の陳述をしている
可能性はないという点で,意見が一致しており,これらの点は十分信用するこ
とができる。
3関係証拠によれば,本件に至る経緯や被告人の精神状態について,以下の事
実が認められる。
被告人は,仙台市内で出生し,両親に養育され,高校卒業後,宮城県内で
機械整備工,トラック運転手等として働き,平成8年9月に婚姻したが,当
時勤務していた仙台市内の運送会社で,職場の人間関係を巡るトラブル等か
ら年上の社員に殴りかかるなどして,同月に退職した。被告人は,平成10
年4月,新潟県内の観光船を運行する会社に就職し,妻と平成9年2月に生
まれた長男と3人で同県内に移り住んだ。ところが,被告人は,平成12年
夏ころ,可愛がっていた長男が自閉症と診断されたことに衝撃を受け,同年
12月ころ,上記会社を辞めて気仙沼市内の妻の実家で同居するようになっ
たが,妻に対して長男の養育方法について文句を言うなどし,同居生活に嫌
気がさすようになった。
被告人は,平成13年4月に単身仙台に出て来て,兄の紹介により運送会
社に運転手として勤務するようになったが,その場にいないはずの様々な人
の「声」が,「これを取って」,「その菓子おいしいか。」,「風呂の水を
取り替えないなんて汚い。」などと被告人の行動に干渉,批判,指図してく
る内容の幻聴が出現した。被告人は,幻聴が続いたため,仕事関係者が自分
を監視し,声を聞かせて嫌がらせをしていると思い込み,さらに,上司に相
談しても取り合ってもらえなかったことから,会社ぐるみで嘘をついている
として被害妄想を強め,「ストーカーみたいなことをされるのではやってい
られない。」と訴えて数か月で退職した。また,事情を尋ねた兄に対し,
「兄貴とは思ってないからいいよ。何言ったってわかんねえから。」などと
言った。被告人は,その後,ほとんど実家に寄りつかなくなり,平成14年
2月には,突然妻を訪ねて離婚を申し入れ,妻から離婚したら子供には会わ
せないなどと言われても翻意せず,離婚届を提出して,平成15年ころから
は,妻や子供とも連絡を取らなくなった。
被告人は,離婚後しばらくすると単身で上京し,千葉県内で,線路補修や
土木工事の会社に就職し,仕事は真面目にしていたものの幻聴が続いていた。
被告人は,周囲の人に「何か聞こえませんか。」と尋ねても,そんなの聞こ
えないなどと否定されて人間不信を募らせ,短期間で仕事を変えていた。平
成16年になると,幻聴が激しくなり,被告人は,アパートの部屋の中でイ
ライラして大声で叫んだり,壁の中から「声」が聞こえると思って壁に穴を
開けるなどの異常行動を示した。さらに,同年8月には,被告人は,古書店
を通りかかったが,その中にいた人が自分を見て馬鹿にしているように感じ,
同店のガラスを蹴って壊す事件を起こして逮捕された。この事件で勾留され
ている間,被告人は,幻聴が消失していたか,気にならなくなっていたが,
警察官には幻聴について話さないまま,罰金刑を受けた。
被告人は,同年11月から線路補修工事の会社に勤務し,年上の同僚と会
社の寮の2人部屋で生活を始め,周囲からは,真面目な仕事振りで礼儀正し
く落ち着いた人物として評価されていたが,他方で,ぶり返した幻聴に再び
悩まされるようになった。被告人は,身の上話を打ち明けるなどしていた上
記同僚に対し,同年3月ころ,「人が呼んでいる声が聞こえる。声聞こえま
せんか。」などと幻聴を訴えたが,同僚には取り合ってもらえず,かえって
病院へ行くように勧められたため裏切られた気持ちになった。
被告人は,同月11日,無断で寮を出て仕事を辞め,手持ちの現金10万
円くらいを持って,Z駅近辺の漫画喫茶やカプセルホテルで寝泊まりし,同
月26日には就職面接を受けたが断られてしまい,当てにしていた2月分の
給料も銀行口座に振り込まれていなかった。被告人は,同月28日,再度確
認しても給料が振り込まれていなかったことから,「会社も社長もグル
か。」と思い,頭に来て同口座の通帳を道路に捨てた。被告人は,「俺に病
院へ行けとか,どこまで馬鹿にすれば気が済むんだ。どうせ又仕事をしても,
同じことを言われるだけだ。俺の人生,何もいいことがない。誰も自分のこ
とを信用してくれない,信用できない。いつまでもこんな苦労するなら,い
っそのこと死んでしまおう。」などと考えて自殺することを決意した。そし
て,「自分が人生を踏み外したのは,仙台の運送会社でいじめられたのが発
端だ。仙台を嫌いになって新潟に行かなければ,子供が自閉症になることも
女房と離婚することもなかった。子供の病気のことで心が痛んだころから,
変な声が聞こえるようになり,そのころからみんながグルになって私を騙す
ようになった。どうせ死ぬなら自分の人生を狂わせた仙台で死のう。仙台の
運送会社でいじめに遭ったときに運転していた憎き4トンラックの平ボディ
の運転席で火を点けて焼身自殺し,車ごと燃やしてやれ。俺の人生それで終
わり。」などと考え,仙台に行ってトラック内で焼身自殺することを決意し
た。
被告人は,O1線の各駅停車の電車に乗って仙台に向かい,同日から31
日までa区bs丁目所在の第4現場の裏手通りにあるホテルに宿泊した。被
告人は,同月29日,レンタカー会社に行ってトラックを借りようとしたが,
その日は適当な車両がなかったため借りることができず,同年4月1日に平
ボディのトラックを借りる予約をした。被告人は,3月31日は,アーケー
ド街をぶらぶらして時間をつぶし,青葉区x所在の漫画喫茶で夜を明かし,
翌4月1日午前10時ころ,前記レンタカー会社で,本件トラックを借り受
けた。被告人は,本件トラックを運転してV新港に赴き,空き地に停めると,
持っていたダウンジャケット,携帯電話,小銭を車外に捨て,ペットボトル
を拾ってこれに本件トラックの燃料タンクから軽油を移し替えるなどして焼
身自殺の準備をしたが,夕方近くなって,おかしな声が「X公園に行きなさ
い。」と何回も言ってきたため,同公園に行けば何かがあるかもしれないと
思い,y区所在の同公園まで行ったが,何もなかったので同公園内に本件ト
ラックを停め,車内で一夜を明かした。被告人は,翌2日早朝,本件トラッ
クを発進させ,仙台市r区方面に出て,その後詳しい経路は不明であるが,
市内中心部に戻って来て,z通りから左折してR通りに入った。
4まず,本件前の被告人の精神疾患の有無について検討すると,J・K鑑定に
よれば,遅くとも平成13年7月以降に出現した前記注釈性幻聴が世界保健機
構(WHO)監修の国際疾病分類第10版(ICD−10)の「幻聴が1か月
以上継続すること」という診断基準を満たすとして,本件当時,被告人は統合
失調症に罹患していたというのであるが,他方,L・M鑑定によれば,前記幻
聴について,その当時,専門家が被告人から聴取して診断したことはなく,幻
聴が消失した後から情報を得て判断せざるをえないので,診断の確定は困難で
ある,上記ICD−10の診断基準を満たす可能性は高いが,明確な結論を下
すことはできない,幻聴はあっても,幻覚,妄想,まとまりのない会話,緊張
病症状,陰性症状が認められないため,P1学会編纂の診断と統計のためのマ
ニュアル第4版(DSM−Ⅳ)の診断基準を満たすとはいえないが,詳細な情
報が得られればその診断基準を満たす可能性はあるというのである。
両鑑定を比較すると,前記幻聴が1か月以上継続したか否か,また,前記幻
聴による被害妄想が生じていたか,あるいは妄想様観念にとどまるのかという
点で差異がある。この点について,検察官は,被告人の幻聴が1か月以上継続
したと認める証拠はないから,被告人が統合失調症に罹患していたとする上記
J・K鑑定は,その前提を欠いていると主張する。
確かに,前記幻聴について,被告人は,平成17年4月,検察官,警察官の
取調べに対し,前記3ののように供述し,同年6月のJ・K鑑定の問診で
も,ずっと「声」が聞こえていた,闘いみたいになるなどと答えているものの,
被告人の説明は,全体としてみると具体性に乏しく,特に平成17年2,3月
ころの幻聴の内容は極めて漠然としていて,曖昧な内容である。これに加えて,
両鑑定が被告人の幻聴が状況依存的に出現,消失するという点で一致している
こと,前記認定のとおり,被告人が,同年3月上旬まで,線路補修作業の会社
で勤務し,同僚との寮生活でも自活していたこと,仙台に来てから,ホテルに
宿泊し,レンタカーを借りるなど目的に沿って合理的に行動し,特段異常な言
動は現れていないことを考慮すると,被告人の訴える幻聴が1か月以上継続し
ていたかについては,証拠上,これを確定するのは困難といわざるを得ない。
しかしながら,被告人は,前記のとおり,警察官や検察官に対し,幻聴をきっ
かけにして,職場の人間に不信感を抱き,幻聴を訴えても周囲の人間に理解さ
れなかったことから,孤独感や人間不信を募らせていたと述べているところ,
平成13年以降,被告人が,短期間で転職を繰り返していること,妻子や親族
と離れて単身で上京して生活するようになったこと,最後に勤務した会社でも,
会社の同僚に「声が聞こえないか」などと繰り返し訴えていたこと,その後に
突然会社を辞めて自殺を決意したことなどの犯行に至る経緯は,被告人の供述
を裏付けている。そして,L・M鑑定においても,診断名としては統合失調症
がもっとも疑われるとされていることに照らすと,本件当時,被告人が幻聴を
主な症状とする統合失調症に罹患していた可能性があり,少なくともその疑い
を否定することはできないというべきである。
一方,被告人の場合,幻聴が圧倒的に優位で,幻聴以外の症状が乏しいこ
と,統合失調症でしばしば見られる連合弛緩が少なく,思考のまとまりや会
話の脈絡は保たれ,人格水準の低下も目立たないこと,幻聴が状況依存的に
出現,消失する特異な特徴があること,身柄拘束により,何らの服薬,治療
がなされないのに,幻聴が消失しているが,この現象は珍しいという点で,両
鑑定が一致しており,この判断は関係証拠によっても十分に裏付けられた合理
的なものであり,被告人の場合には,統合失調症に罹患していたとしても,そ
の辺縁,境界に位置する症例であると認められる。
5自殺を決意した動機
次に,被告人が自殺を決意した動機について検討すると,被告人は,捜査段
階では,前記3のように供述し,この点は,L・M鑑定が,幻聴を苦痛に感
じて逃れようと考えていた,(同僚から)幻聴の存在を否定されて,病院に行
くように言われた,給与の振込みがなかった,再就職できなかったなどという
総合的な要因から自殺を決意したのであって,幻聴そのものが絶望感を煽り自
殺を教唆したわけではないと指摘しているのも,上記供述に即した合理的判断
であり,十分信用できる。他方,J・K鑑定では,正体不明の「声」に苦しめ
続けられるのは耐え切れないとの気持ちを募らせ,「死んだ方が楽だ」との観
念が浮かんだと説明し,幻聴が自殺を決意した直接の原因であるかのように述
べられ,これは被告人との問診の結果(同鑑定書37頁,46頁)に基づくも
のと考えられるが,この点は前記捜査段階の供述といささか趣旨を異にするも
ので,直ちに採用できない。
6第1現場までの精神状態
3で認定したとおり,被告人は,仙台に到着した翌日の3月29日,焼身自
殺をするためレンタカー会社でトラックを借りる予約をし,4月1日に本件ト
ラックを借り受けると,V新港に向かい,その燃料タンク内の軽油をペットボ
トルに移し替え,ダウンジャケット,小銭,携帯電話を捨てるなどした。被告
人は,本件犯行までの間に,具体的な自傷行為に出たことはなかったものの,
自殺念慮は一貫して持続していたと認められ,4月1日に,X公園に行くよう
に「声」に言われたと述べているのも,自殺念慮の影響によるものと考えられ
る。
J・K鑑定は,「被告人が,X公園を出発した後,r方面から南下途中まで
の状態は朧気ながら想起できるものの,z通りに入って第1現場に至るまでの
出来事については,どこを走ったかすらも想起できない点が,それ以前の状態
と大きく異なる」,「この変化の理由として,急な意識障害の出現,あるいは
幻聴の活発化や自殺念慮が増大し,これにとらわれて周囲の事柄に注意を向け,
認知する機能が著しく低下したというべきレベルに達していたため,当時の行
動が記憶として定着せず,後に想起が困難となったものと考えるべきである」
としている。
検察官は,被告人が,検察官調書(乙8)において,「この日,公園を出発
するころは,誰かが話す声が聞こえていましたが,途中からは声が聞こえてこ
なくなりました。」と述べていることを指摘し,第1現場の直前まで幻聴が続
いていたことを前提とするJ・K鑑定の判断を誤りであると主張する。しかし,
この供述は,声が聞こえなくなった時期や理由が具体的に説明されていないこ
と,被告人が,本件当日,交番に出頭した直後から,「いろいろな人がぶつぶ
つ言ってんだ。頭の中で声がすんだ。」などと幻聴の存在を訴えていたこと,
被告人の幻聴は内心の葛藤に大きく左右される性質のもので,当時被告人が自
殺を思い詰めて相当に切羽詰まった状態であったと考えられることに照らすと,
前記供述のみから幻聴が消失していたとまで認めることはできず,検察官の前
記主張を直ちに採用することはできない。
なるほど,関係証拠によれば,被告人の犯行前日までの行動に関する供述が
相当に具体的であるのに較べて,犯行当日の行動に関する供述は甚だ曖昧であ
って,両鑑定が指摘するとおり,被告人が自殺を巡る葛藤の中で精神的に疲弊
し,幻聴が増大するなどして注意力が障害されていたことが認められる。しか
しながら,被告人は,z通りに入ってから第1現場に至る直前までの運転経路
のみならず,X公園を出発後,r方面へ北上し,更に市内へ南下したと言うが,
その経路についてもほとんど記憶しておらず,説明できていないのであって,
両者の間に,J・K鑑定が指摘するような明白な認知・記憶の差異は見出し難
い。したがって,この点を主な根拠として急な意識障害が生じたとする前記判
断部分は直ちに採用できない。
そして,被告人が,X公園から第1現場まで運転を継続中,交通事故を起こ
したことがなく,信号無視等の異常な走行をしたような状況は,証拠上窺われ
ないこと,第1現場の直前で急ブレーキをかけたこと,その理由について,被
告人が,「前方が交差点になっていて,歩行者が横断しており,私の方の信号
が赤になっていたことは覚えている。」(乙9,警察官調書)旨供述している
ことを総合すると,L・M鑑定が指摘するとおり,第1現場の直前で,被告人
の判断能力や行動に影響を与える新たな精神症状が発生したとは考えられず,
自殺を思い詰めて本件トラックを走行中,注意力・集中力が障害されていたた
め,注意力が散漫となって赤色信号を看過したものと認められる。
7第1現場後の精神状態
まず,被告人は,判示第1の犯行により人を轢いたことを認識し,現場から
逃げなければならないと思った旨本件直後からJ・K鑑定の問診を受けるまで
一貫して供述しており,第1現場から逃走する意図があったことは明らかであ
る。そして,逃走することについて,幻聴に指示されたりしたことはないとい
う点でも供述が一貫し,両鑑定においても,第1現場から逃走したことに加え,
第2,第3現場における各殺人行為,第4現場における放火行為は,いずれも
被告人が抱えていた幻聴との間に直接の因果関係はないと判断されている。
J・K鑑定は,第1現場から第4現場に至るまでの間,被告人が,人を轢い
てしまったこと,逃げなければと考えたことを除き,ほとんど記憶がないと述
べていることを指摘し,「驚愕反応」という概念が当てはまると判断している。
「驚愕反応」は,人間が爆撃,大地震,火事,大事故などの驚異的な出来事に
突然遭遇した際に生じる特殊な心身の反応であり,意識野の狭窄,注意の狭小
化,失見当識,まとまりを欠いた暴発的行動,顔面蒼白,心悸亢進,呼吸困難
感,発汗等の自律神経徴候がよく見られるところ,その特徴が,被告人の記憶
が欠落していることやアーケード街を暴走するという暴発行動に合致するとい
うのである。
しかしながら,L・M鑑定によれば,被告人が,「驚愕反応」に陥ったとす
れば,何らかの目的をもった行動やまとまりを持った行動は不可能になるので,
運転席でパニックを起こし,運転不能となるか,建物に車を衝突させたり,そ
の場にいた人を次々に轢くなどの現象が生じたはずであること,事故直後の被
告人の言動を見ても,自律神経系の興奮による動悸,呼吸困難,発汗,切迫し
た不安が窺われないこと,被告人は現場から逃走するために,アーケード街を
直進し,進路を塞いだ車両を見て車を停めるなど目的に従った行為をしている
ことから,「驚愕反応」という独立の概念には当てはまらないというのであり,
この結論は,これまで認定した各事実に照らし,十分に首肯することができる。
したがって,J・K鑑定のいう「驚愕反応」という概念のみで,被告人の精神
状態を説明するのは困難であるといわざるを得ない。
そして,L・M鑑定によれば,第1現場以降の被告人の精神状態は,「自殺
を思い詰めて精神的に疲弊していた者が,不注意で事故を起こしたことに対し
て,普通の意味で驚愕し,狼狽し,焦って現場から逃げ出そうとしたと考える
のが適切である。第1現場で対向車線側に自車の先頭を向けた形に停車した後,
これを切り返すと必然的に前方にはアーケード入口が見えることから,被告人
が熟考せずに焦燥感,切迫感などから逃走を行うとすれば,その目前のアーケ
ードにむけて進行していくのはおおよそ自然なことであると思われる。」とい
うのであり,J・K鑑定が,驚愕反応という診断は措くとして,「第1現場で
誤って人を轢いてしまったことでハッと我に返り,気が動転して茫然自失とな
り,とっさに逃げなければという気持ちが生じ,目に入ったSに向かってハン
ドルを切り,無我夢中で逃走し,第2現場及び第3現場で人を轢いたことすら
も意に介することができなかったが,前方に車が停まっていて進路を塞いでい
るのを見て,それ以上の逃走をあきらめた。」としているのと概ね合致して,
合理的な判断であると認められる。
最後に,判示第5の犯行時における被告人の精神状態を検討すると,被告人
は,もともと自殺念慮があった上,進路前方が停止車両に塞がれて,それ以上
の逃走が不可能になり,追い詰められた結果,焼身自殺を図ったものと推認さ
れる。そして,被告人が予め用意した軽油を上半身に振りかけるなどして短時
間で火を点けていること,犯行直後に自ら警察に出頭し,その後,J・K鑑定
の問診を受けたころまでの間は,火を点けた状況を記憶し,具体的に説明して
いたことに照らすと,第2,第3の犯行時よりも,意識状態や注意力は保持さ
れていたと認められる。
8責任能力
以上認定した事実に基づいて,被告人の責任能力について判断する。
判示第1の犯行は,被告人が,自殺を思い詰めて本件トラックを運転中,
注意力・集中力が障害されていたため,注意力が散漫となって,赤色信号を
看過した過失によるものである。赤色信号看過の過失は,通常の運転者でも
起こり得るものであって,特段異常な態様の過失とは認められず,また,被
告人は,交差点の直前で,横断歩行者との衝突を避けるため,ハンドルを右
に切りながら急制動の措置を講じるなど状況に応じた合理的な回避措置を講
じている。被告人は,犯行前日に本件トラックを借り受けて以降,数時間に
亘り,約98キロメートルの距離を走行している(甲59,捜査報告書)と
ころ,第1現場に至るまでに,交通規制に違反したり,交通事故を起こすな
どの異常な走行をした形跡は窺われない。被告人は,幻聴が出現していた平
成13年以降,自動車運転手としてトラックを運転し,平成17年3月まで
勤務した会社でも,仕事で車を運転する機会があり,同乗していた同僚に幻
聴を訴えたこともあったが,それでも事故を起こしたことはない。
L・M鑑定は,被告人が,第1現場では,病的体験による切迫感や焦燥感
を主因として,自動車の安全な運行に必要な程度に注意を働かせるに十分な
事理弁識能力及び行動制御能力が相当程度障害されていたものの,失うに至
る程度ではなかったとしている。同鑑定書には,その程度について,「著し
く障害されていたとはいいうる(25頁)」という記載もあるが,L医師の
当公判廷における証言によれば,被告人の場合,幻聴によって命令されてや
ったという意味での直接の因果関係が欠如しているとして,鑑定主文のとお
り,相当程度に止まると修正されている。他方,J・K鑑定では,是非弁別
能力及び行動制御能力が「著しく減弱していた」と結論づけられているが,
同鑑定は,本件直前に急な意識障害や認知機能の低下が生じたことを前提と
しているもので,その前提が採り得ないことは前記のとおりである。
以上の事実を総合すると,被告人が,判示第1の犯行当時,対面信号機や
横断歩道等の道路状況に関する認識を欠いたり,その意味を理解して運転を
行う能力を欠いていたとは認められない。そして,被告人の場合,幻聴とい
う精神症状と赤色信号を看過した過失との間に一定の関連性があることは否
定できないが,それは幻聴に指示・命令されるといった直接的なものではな
く,被告人は,自殺を思い詰めて精神的に疲弊し,さらに幻聴が増大したこ
とによって一層注意力が散漫な状態になったものであること,赤色信号に従
って交差点手前で停止するのは,自動車運転者としては最も基本的な注意義
務であり,それほど高度な判断力を要するとはいえないことを考慮すると,
被告人は,判示第1の犯行当時,是非弁別能力及び行動制御能力を相当程度
障害されていたものの,著しく障害されていたとまではいえず,なお完全責
任能力を有していたと認めるのが相当である。
判示第2の犯行は,被告人が,判示第1の事故を起こして一旦停止した際,
人を轢く重大事故を起こしたことを認識し,現場から逃げようとして,被害
者の救護や警察への報告をすることなく,第1現場から逃走したものである。
また,判示第3,第4の犯行は,判示第2の犯行に引き続いて逃走を続け,
歩行者専用道路であるアーケード街を本件トラックで暴走する最中に,2か
所で次々に歩行者を撥ね飛ばしたものである。重大な人身事故を起こしたこ
とを認識して,咄嗟に逃走しようとした心情は,通常人にあっても起こり得
るもので,十分に了解可能である。他方,これに引き続く第2現場,第3現
場の各殺人の犯行は,歩行者専用道路に本件トラックを乗り入れて高速度で
暴走し,自車の進路前方を歩行していた被害者らに次々と衝突したという特
異な態様であるが,重大事故に驚愕し,咄嗟に逃走を図るなどして,冷静な
判断力,注意力を失うことはあり得ることであり,当時被告人が,自殺を思
い詰めて相当に憔悴していた状態であったこと,本件トラックが第4現場で
停止するまで約1分間余の連続した犯行であることを考慮すると,その動機
や経緯が了解不可能であるとはいえない。そして,被告人の場合,幻聴その
ものが逃走,殺人を命令したものではなく,判示第2から第4の犯行では,
幻聴や自殺念慮との関連は間接的なものにとどまる。
L・M鑑定は,第2,第3現場では,判示第1の犯行の結果を自覚したこ
とに由来する精神的負荷を主因とする切迫感や焦燥感から,事理弁識能力及
び行動制御能力が相当程度障害されていたものの,失うに至る程度ではなか
ったとし,L医師は,「驚いたという正常人にも見られる心理が主たる要因
としてかかわったという意味で,心神耗弱とは判断しがたいと考えた。」旨
供述している。また,J・K鑑定においても,「驚愕反応」という判断が採
り得ないとしても,一般論としては,驚愕反応が極めて一過性の反応であり,
「気が動転して」,あるいは「無我夢中で」といった正常心理の延長線上で
も十分理解可能であることは一致している。
弁護人は,L・M鑑定における「被告人は,遠方から継続して視認してい
る位置から移動をしない車止めや樹木を避けることは可能であったが,比較
的小さく,まばらにしか存在せず,かつ移動しつづける,つまり,進路を大
きくふさぐような存在とは認識されないであろう人間をよけるほどの注意力
を働かせるほどではなかった。」という指摘を取り上げ,この点はJ・K鑑
定が被告人の意識野の狭窄を指摘するのと一致しているとして,被告人の注
意力が著しく障害されていたと主張する。しかし,L・M鑑定では,被告人
の心理状態について,上記のような推測をした上で,注意力が障害されてい
た程度を検討した結果,心神耗弱には当たらないと判断されているのであっ
て,同鑑定の結論を左右するものではない。
判示第5の犯行は,被告人が,もともと有していた自殺念慮に加え,それ
以上の逃走が不可能になり,追い詰められた結果,焼身自殺を図ったもので
ある。犯行方法は,進路を塞いだ車両の手前で本件トラックを停止し,運転
席に座ったまま,予め準備した燃料を自己の着衣に振りかけて点火するとい
う目的に従った合理的なものであり,また,犯行後警察に自ら出頭して,具
体的な犯行状況を説明するなど判示第1ないし第4の犯行と比較して,注意
力や記憶力が保持されていたと認められる。
L・M鑑定では,被告人は,もともとの病的体験による影響により,当初
から計画していた自殺を決行したもので,事理弁識能力及び行動制御能力は
著しく障害されていたとされているが,他方,M医師は,公判廷において,
判示第2から第4の犯行の延長線上で,もはや逃げ切れないと観念して自殺
を図ったもので,判示第2から第5の犯行で責任能力の程度は変わらないと
証言している。
以上の事実を総合すると,被告人は,判示第2ないし第5の犯行当時につ
いても,それぞれ是非弁別能力及び行動制御能力を相当程度障害されていた
ものの,なお完全責任能力を有していたと認めるのが相当であって,弁護人
の責任能力に関する主張は採用できない。
(量刑の理由)
本件は,被告人がいわゆる4トントラックを運転中,仙台市中心部の繁華街の交
差点で,赤色信号を看過して進行した過失により,横断歩行者1名を死亡させ,2
名を負傷させた業務上過失致死傷(判示第1),その事故現場から逃走して救護・
報告義務を怠った道路交通法違反(同第2),歩行者専用道路であるアーケード街
を同トラックで暴走し,歩行者に次々と衝突させた2名に対する殺人,2名に対す
る殺人未遂(同第3,第4),アーケード街に停めた同トラック内で焼身自殺を図
り,同車両を焼損した建造物等以外放火(同第5)から成る事案である。
業務上過失致死傷の犯行についてみると,被告人は,かねてより幻聴等に悩まさ
れ,本件当時は自殺を思い詰めて本件トラックを運転していたところ,注意力が散
漫となって赤色信号を看過したもので,信号機の表示に留意し,赤色信号に従って
停止するという最も基本的な注意義務に違反した過失は重大である。本件により,
青色信号に従って道路を横断していた被害者3名が,本件トラックに衝突されたり,
被衝突者に衝突されて転倒し,1名が死亡し,2名がそれぞれ加療約3か月間を要
する重傷を負い,多大な肉体的,精神的苦痛を被ったもので,結果も重大である。
死亡した被害者は,夫と2人で,幸福で平和な人生を送っていたのに,本件により
突然その生命を絶たれたもので,肉体的精神的苦痛は甚大であり,その悔しさ,無
念さは察するに余りある。夫は,伴侶の突然の死に強い精神的衝撃を受け,今なお
癒えることのない心の傷に苦しみ続けており,その処罰感情は厳しい。
道路交通法違反の犯行は,被告人が第1の事故後,重大な人身事故を起こしたこ
とに狼狽し,咄嗟に逃走しようと決意して敢行したものと認められ,被告人が前記
のような精神状態にあったことを考慮しても,身勝手で卑劣な犯行であるといわざ
るを得ない。
殺人,殺人未遂の各犯行は,被告人の記憶の減退が著しいため,犯行動機の詳細
は明らかではないが,被告人は,前記の経緯から,逃走の目的で咄嗟に目の前のア
ーケード街に進入して,本件トラックを暴走させたものと認められ,自己保身のみ
を優先し,多数の歩行者等の存在を全く無視した卑劣で身勝手かつ短慮な犯行動機
に酌むべき事情は微塵もない。犯行態様は,歩行者専用道路であるアーケード街に
おいて,4トントラックを時速約50ないし60キロメートルもの高速度で走行し,
回避措置を全く講じることがないまま,背後から被害者らに衝突し,うち1名の被
害者を轢過したもので,甚だ危険で残虐な犯行である。各犯行により,何の落ち度
もない被害者2名が生命を奪われ,また,被害者2名がそれぞれ入院加療101日
間と全治約2か月間の重傷を負ったもので,その結果は誠に重大である。死亡した
女性は,良き妻良き母であり,地域社会の世話役を積極的に務めるなど生き甲斐に
溢れた人生を送っていたのに,本件犯行によって,突然その生命を絶たれたもので,
遺された家族の喪失感,絶望感は深刻である。死亡した男性は,親しく交際してい
た女性がおり,社会人になって間もなく,将来を嘱望されて充実した日々を送って
いたのに,未だ24歳の若さで,突然その生命を奪われたもので,その悔しさ,無
念さは察するに余りあるものがある。遺された親兄弟の悲痛な言葉を聞いても,誠
に惨く,無慈悲であるとしか言いようがない。遺族らが一様に深い憤りと峻烈な処
罰感情を露わにしているのも当然というべきであり,重傷を負った被害者らも,今
なお事件による後遺症や社会復帰の困難さに苦しみ続け,被告人に対する厳しい処
罰感情を訴えている。
建造物等以外放火の犯行についてみると,被告人は,逃げ道を塞がれて追い詰め
られ,かねて準備していたペットボトル入り軽油を用いて焼身自殺を図ったもので
あるが,当時被告人が憔悴して追い詰められた精神状態にあったことを考慮しても,
身勝手で独善的な動機に酌むべき点は存しない。犯行態様は,V駅近くの繁華街で
あるアーケード街に停車したトラックの運転席内で火を点け,熱さに耐え切れなく
なると,燃えているトレーナーをダッシュボード上のメーターパネル脇に脱ぎ捨て
てその場を立ち去ったもので,一歩間違えば,自車や冷凍冷蔵車の燃料タンクに引
火したり,周囲の建物に延焼するなどしてアーケード内の火災に発展するおそれが
あったもので,危険性の高い犯行である。本件により,レンタカーであるトラック
の運転席やダッシュボード付近が焼損しており,財産的被害も軽視できない。
このように,本件による被害は甚大であるにも拘わらず,被告人は,いずれの被
害者及び遺族に対しても,何ら見るべき慰謝の措置を講じておらず,今後ともその
具体的見通しはない。
加えて,本件は,暴走してきたトラックに横断歩道やアーケード街を歩いていた
歩行者が,撥ねられたり,轢かれたりして3名が死亡し,そのトラックがアーケー
ド街で炎上,焼損した重大事件であり,全国に衝撃を与えたばかりでなく,その後,
アーケード街に自動車で突っ込む同種の事犯が発生しており,社会に及ぼした影響
も看過することができない。
以上によれば,被告人の刑事責任は誠に重大であり,検察官が主張するように,
被告人を無期懲役刑に処して,終生に亘ってその罪を償わせることも考慮されると
ころである。
しかしながら,他方,被告人については,前記のとおり,本件各犯行当時,幻聴
に苛まれ,自殺しようと思い詰める中で,注意力や判断力が相当程度阻害されてお
り,その程度は必ずしも軽いとはいえないこと,長年に亘って幻聴に悩まされ,統
合失調症に罹患していた可能性があり,その故もあって,離婚したり転職を繰り返
す中で,治療を受ける機会もないまま,人間不信や孤独感を募らせ,ついには自殺
を決意して故郷である仙台市に舞い戻り,本件に至ったもので,その経緯には,す
べてを被告人の責任として責めるには酷な点も存すること,アーケード街の歩行者
に対する殺意は,判示第1の事故に触発されて偶発的に生じたものであり,しかも
未必的なものに止まること,放火の犯行は,幸いにして,付近に居合わせた人々の
迅速な消火活動により大事に至らなかったこと,懲役刑や禁錮刑に処された前科は
なく,仕事は転々と変えながらも比較的真面目にしていたことなどの酌むべき事情
も認められる。
そこで,以上の諸事情を総合考慮し,被告人に対しては,有期懲役刑を選択した
上,主文掲記の刑に処するのが相当と判断した。
よって,主文のとおり判決する。
(求刑無期懲役)
平成19年3月15日
仙台地方裁判所第2刑事部
山内昭善裁判長裁判官
齊藤啓昭裁判官
岸田航裁判官

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