弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主         文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事 実 及 び 理 由
第1 請求
 被告は,原告Aに対し,金4446万9458円,原告B及び原告Cに対し,各1111
万7365円及びこれらに対する平成13年1月7日(訴状送達の日の翌日)から支
払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は,被告が経営する歯科医院において,歯科医師から麻酔薬を投薬されたX
が死亡したことから,同人の遺族である原告らが被告に対し,同歯科医師等に診
療契約上の債務不履行(医療過誤)があるとして損害賠償を請求する事案である。
2 争いのない事実
(1) 当事者
 原告Aは,亡X(昭和47年4月10日生)の夫(平成8年5月14日婚姻),原告B
は,Xの実父,原告Cは,Xの実母であり,被告は,Y歯科医院(以下「被告医院」
という。)を開設をしている者である。
(2) 本件の経過
 Xは,平成8年8月28日午前10時ころ,被告医院において,D歯科医師(以下
「D医師」という。)による歯科治療を受け,局所麻酔剤キシロカインを投与された
後,意識を失った。
 被告医院は,被告医院隣にあるEクリニックのF医師を呼んだが,対応すること
ができず,Xは,同日午前11時30分ころ,G町国民健康保険H病院(以下「H病
院」という。)へ搬送され,同病院において,同日午後零時30分,死亡した。
3 争点及び争点に対する当事者の主張
 争点は,(1)D医師に,診療契約上の債務不履行があり,これとXの死亡という結
果との間に因果関係があったかどうか,(2)損害額であり,当事者双方の主張は,
次のとおりである。
(原告らの主張)
(1) D医師及び被告は,以下のような診療契約上の債務不履行をし,このような
債務不履行がなければXの死亡という結果を生じることはなかった。
① 問診義務違反
 麻酔剤の投与による抗原抗体反応であるアナフィラキシーショックは,麻酔
剤を2度目,3度目に投与した場合に生じやすいものであり,歯科医師として
も,歯科治療の際に麻酔剤を投与する際には,特異体質があるかどうか等事
前に十分な問診をする義務を有し,医師資格を有する歯科医師が,アナフィラ
キシーショックを想定して,直接患者から過去の病歴,麻酔の使用回数,近時
の体調等を詳細に聞き取りをしたり,皮内テストを実施した上で治療を開始す
る注意義務がある。
 ところが,被告医院は,過去にアナフィラキシーショックが起こったことがある
にもかかわらず,歯科医師の資格を有さず,アナフィラキシーショックの名前す
ら知らない歯科助手に,特段の指導もしないまま,漫然と問診行為を任せ,D
医師は,患者の現時点での体調を確認する程度で実質的な問診を行わない
など,十分な問診を行ったとは言えず,上記問診すべき注意義務を怠った。
 そして,そのような問診義務が尽くされていれば,本件のアナフィラキシーシ
ョックの発症を避けることが可能であった。
② 局所麻酔剤キシロカイン注射時の手法違反
 問診の結果,麻酔投与を可能と判断して,局所麻酔剤を投与する場合,特
に,血管が多い人の口腔内に局所注射する場合(血管内に注射することは,
局所麻酔中毒やアナフィラキシー反応の原因となる。)には,歯科医師として
は,局所麻酔剤を慎重に選定した適正な場所に注射する注意義務を負う。
 ところが,D医師は,Xの口腔内(上口唇膜)に直径2ミリ大の皮下出血部位
が認められることから分かるように,この注意義務を怠り,誤ってXの口内血
管に,キシロカインを注射し,Xの死亡を引き起こした。
③ 救護義務違反
 歯科医師においては,局所麻酔薬を常時使用するのであるから,麻酔によ
るアナフィラキシーショックが起きた場合に備えて,心肺蘇生器具を常備し,抗
ヒスタミン薬,ステロイド剤を常備すべきであるし,設備の整った大病院等への
緊急連絡体制を備えるべき注意義務を負っていたし,麻酔によるショックが生
じたときには,直ちに酸素吸入,人工呼吸等の事後処置を行うべき注意義務
を負っていた。
 ところが,被告医院では,酸素ボンベ以外に上記薬剤や装置を全く備えてお
らず,かつ,他の病院への連絡体制を整えておらず,また,Xがショック状態に
なったのに,D医師はじめ被告医院では何ら適切な処置を行わず,上記注意
義務を怠った。
 そして,このような注意義務が尽くされていれば,Xの死亡という結果を回避
することは可能であった。
(2) 損害額   合計6670万4188円
① 逸失利益   3450万4188円
(計算式)
 280万9300円×17.5459(ライプニッツ係数)×0.7(生活費控除)
② 慰謝料    2500万円
③ 葬儀費用    120万円
④ 弁護士費用   600万円
 以上合計6670万4188円につき,原告Aが3分の2(4446万9458円),原
告B及び原告Cが各6分の1(1111万7365円)を相続した。
(被告の主張)
(1)D医師及び被告には,以下のとおり,診療契約上の債務不履行はない。
① 問診義務違反
 D医師は,歯科助手であるKをしてXに対する問診を行わせ,同問診結果を
踏まえて,自ら「体の具合が悪いところはないですか」と質問している。また,D
医師は,Xの診察をして,既に数回にわたってキシロカインの投与を受けてい
ることを把握していた。
 D医師は,自らの診断の結果及び問診の結果から,Xはキシロカインに対し
て異常体質を有していないと考えて,キシロカインを投与したものであり,落ち
度はない。
② 局所麻酔剤キシロカイン注射時の手法違反
 キシロカインは歯科用局部麻酔剤として広く使用されている薬品であり,D医
師がXに局部麻酔薬としてキシロカインを選択したことは誤りではない。
 歯科における麻酔注射は,血管内ではなく,組織内に打つのであり,かつ,
本件での注入部位には,大きな血管もなく,血管内に注射できるはずがない。
なお,口腔内には,毛細血管が多数存在するから,麻酔時に直径2ミリ程度
の内出血が生じることに,何らの問題はない。D医師は,キシロカインアンプル
の液を徐々に放出し,深層部に針を進めながら注射した。このように,D医師
の手法に注意義務違反はない。
③ 救護義務違反
 D医師が,Xに対し,アンプル1本を注射し終え,もう1本のアンプルを注射し
ているとき,Xが,頭部に手をあてるような不穏な行動を取り,表情も苦しそう
になったため,D医師は,注射を途中でやめ,診療台を起こし,Xにうがいや深
呼吸を勧めたが,Xの呼吸は,だんだん弱くなっていき,意識を消失するに至
った。このとき,D医師は,過換気症候群による症状を疑った。
 D医師は,歯科助手に酸素呼吸器を持ってくるよう指示し,受付にいた歯科
助手は,隣の「Eクリニック」のF医師に,応援を求めに行った。
 F医師は,Xの救命措置(このとき,D医師は,酸素吸入器をつけようとしてい
た。)を講じようとしたが,手の施しようがなかった。
 午前11時14分,救急車の派遣が要請され,救急車は,午前11時18分,
被告医院に到着した。救急車到着時,Xの呼吸,脈拍は,ともに0回/分で,瞳
孔は,散大していた。
 以上のように,被告医院には,歯科に属しない疾病に関わる医行為を行う資
格を有する者がいないため,従前から隣で開業しているF医師に救急治療を
お願いしており,本件でもいち早くF医師が駆けつけ,救急車の要請もしたの
であるから,D医師及び被告医院において,救護義務違反はない。
④ Xの死因及び被告の責任
 キシロカインには,メチルパラベンが含まれ,これによってアレルギー反応が
まれに起きると言われており,その反応として,即時型と遅発型があるところ,
即時型は,抗原と接触後数分から30分以内に発症し,1時間以内に死亡する
と言われている。即時型アレルギーの発生を予知するには,適切かつ細心の
免疫学的検査が必要であるが,現段階では,信頼性の高い検査法は,確立さ
れていない。
 Xの死因は,即時型反応に基づくキシロカインショックと考えられ,D医師に
は,Xの死亡について,予見可能性及び結果回避可能性のいずれもなかっ
た。
(2) 損害額
 否認する。
第3 当裁判所の判断
1 被告医院受診前の事情
 証拠(各掲記のとおり)及び弁論の全趣旨によれば,Xが被告医院を受診する前
の事情として,次のような各事実を認めることができる。
(1) Xは,平成4年1月18日からIクリニック歯科で歯科治療を受け,局所麻酔薬
としてキシロカインを使用しての抜髄処理を施された(乙9,11)。
(2) Xは,平成7年3月20日から同年4月19日までJ歯科医院で歯科治療を受
け,左上顎第1歯慢性歯根膜炎う■症3度,歯周疾患2度,右上顎第4,5歯う
■症2度,左下顎第6歯う■症3度の虫歯と診断され,右上顎第4,5歯にインレ
ーを装着され,左下顎第6歯にFCK(全部鋳造冠)を装着されているが,その
際,局所麻酔薬としてキシロカインを使用されたものの,特に異常な反応を示す
ことはなかった(甲3の1と2,乙10)。
2 被告医院における診療の経過等
 前記争いのない事実に加え,証拠(各掲記のほか,証人D,証人K,証人F)及び
弁論の全趣旨によれば,平成8年8月28日の診療の経過として,次のような各事
実を認めることができる。
(1) Xは,同日午前10時過ぎ,前歯をきれいにしてもらうため,被告医院を訪れ
た。被告医院では,当時,歯科医師が被告とD医師の2名で,歯科助手がKを含
め6名,歯科技工士が2名であったところ,同日被告は不在で,歯科医師はD医
師のみであった。
(2) Xは,被告医院では初診であり,まず受付をした。その後,歯科助手であるK
が,Xに「歯を抜いたことはありますか。」「そのときの状態で血が止まらないとか
特別治り悪いことはなかったですか。」「特別薬なんか副作用起こされたことはあ
りますか。」「注射で合わない注射なんか指示されたことはありますか。」「ペニシ
リン注射なんかで副作用起こされたことはありますか。」「血圧は基本的に高い
方ですか。低い方ですか。」「今まで,歯抜いたときなんか,例えば傷がついたと
きでも出血は止まらないようですか。」「貧血はありますか。」「妊娠してますか。」
「変わった症状なんかは最近ないですか。」等の質問をして,その結果をカルテ
(甲1)の表紙の右下部分に,「1抜歯や手術の経験・有,その時の状態・良,2注
射・内服薬の副作用・無,ペニシリンの注射・無,3血圧・普通,4出血時間・普
通,5貧血・無」と記載した。
(3) その後,D医師による診療が始まった。Xは,D医師に対し,前歯をきれいにし
て欲しいと言い,D医師は,Xの口内を検査した。Xの歯は,生活歯にインレー及
びCR(コンポジットレジンという物質)がされていた。これは局所麻酔をして行うこ
とが通常であったので,D医師は,この治療の状態からして,Xが以前に局所麻
酔を施術されたことがあると認識し,Xに対し,前歯4本に前装冠術(歯牙を削
り,12%パラジウム合金と歯の表面をCRで覆う治療方法)を施すことを提案し,
Xはこれを承諾した。
(4) D医師は,局所麻酔を実施する前に,前記(2)のカルテの問診結果を確認
し,体の具合で悪いところはないかという質問をXにしたが,特に問題はないとの
回答であった。そこで,D医師は,表面麻酔として,上顎歯内粘膜に脱脂綿でキ
シロカイン軟膏(5%)を塗布して5分くらい様子をみた。同塗布部分に何らの異
状な変化がみられなかったため,D医師は,Kにキシロカイン(2%)アンプル(1.
8ミリグラム)を歯科用注射器に装着させ,カートリッジ用歯科用浸潤麻酔針によ
って0.2ないし0.3ミリグラムをXの上顎歯内粘膜から上口唇粘膜の移行部付
近2箇所に浅く,豆粒大のふくれができる程度に注入し,表層部を麻痺させると
ともに,異状反応が起こらないかどうかの様子を見た。
 なお,被告医院では,局所麻酔剤としてキシロカインが常時使用されていた。
(5) 同キシロカイン注入後10分以上経っても何らの異状もみられなかったので,
D医師は,キシロカインアンプルを上顎歯内粘膜から上口唇粘膜の移行部付近
2箇所に徐々に液を放出しつつ,深層部に針を進めながら注射した。 なお,注
射部位は,太い血管は存在しない場所であった。
(6) D医師が,同キシロカインアンプル1本を注射し終え,もう一本のアンプルを
注射している最中,Xは突然,自分の頭部に手を当てようとする不穏な行動をと
った。Xの表情が苦しそうであったので,D医師は,2本目のアンプルの注入を途
中で止め,Xの状態に気付いたKがXの診療台を起こした。D医師は,Xが過換
気症候群(緊張のため過換気となり呼吸困難に陥る状態)による症状を呈したの
ではないかと考え,Xに対し深呼吸を勧めたり,歯科助手に二酸化炭素を体内に
取り込ませるための紙袋を用意させるなどの指示をした。しかし,Xの呼吸はだ
んだん弱くなっていった。
(7) D医師は,アナフィラキシーショックの可能性も考え,歯科助手に対し,酸素ボ
ンベを持ってくるよう指示した。なお,当時,被告医院に酸素ボンベ(酸素吸入
器)はあったが,心肺蘇生器具はなかった。
 このころ,受付の歯科助手が,被告医院の隣にある内科・小児科専門医のF医
師のところに応援を求めに行った。なお,本件以前にも,被告医院で患者が軽度
のアナフィラキシーショックと思われる症状を発症したことがあり,その際にもF医
師が駆けつけて措置をした。
(8) 連絡を受けたF医師は,1分もかからないくらいで被告医院に急行し(なお,こ
の時点で,Xの具合が悪くなってから約10分前後が経過していた。),Xの静脈を
確保するなどの救命措置を講じようとしたが,すでに意識はなく,失禁もしてお
り,危険な状態にあったため,救急車を呼ぶように指示し,午前11時14分,救
急車の派遣が要請された(乙8)。そして,F医師は,Xに対して心臓マッサージを
したり,持参したアンビューバッグを被告医院の酸素ボンベに接続して人工呼吸
をするなどの蘇生措置を試みた。
(9) 救急車は,午前11時18分,被告医院に到着し(乙8),Xは,午前11時32
分,H病院に搬送されたが,同日午後零時30分,死亡した(甲2の2)。死亡を確
認したN医師は,死因を麻酔によるショック死と診断した(甲2の1,2)。
3 Xの死因とキシロカインによるアナフィラキシーショック
(1) 乙7(鑑定書)によれば,Xの死体は,平成8年8月30日,L大学医学部法医
学講座・M医師により解剖されているところ,その鑑定書である同号証によれ
ば,同人の死斑形成が極めて強く,心臓血は暗赤色流動性で,肺臓,腎臓,肝
臓の血量が多いなど急死の所見があること,同人は歯科治療のための浸潤麻
酔として局所麻酔剤キシロカイン(リドカイン)を歯内粘膜に注射中意識消失し,
間もなく呼吸が停止し死亡したこと,血中から中毒症状発現濃度よりはるかに少
ない濃度のリドカインが検出されたこと,キシロカイン(リドカイン)の能書にまれ
にショックを起こすことがある旨の記載があること,死因となるべき疾病や損傷が
全くないこと等を併せ考え,同医師がXの死因をキシロカイン(リドカイン)ショック
と診断したことが認められる。
 また,Xの死亡を確認したN医師が,Xの死因を麻酔によるショック死と診断し
たことは前記2(9)のとおりである。
(2) ところで,アナフィラキシーショックとは,抗原抗体反応の一種であり,生命が
危険にさらされるような急激かつ重篤な全身症状を起こすアレルギー反応をいう
が,抗原と接触後30分以内に発症し,初期にはじんましん様発疹,眼瞼,声門,
気管支の浮腫,アレルギー性鼻炎症状が,これに続いて嘔気,失禁,胸痛,喘
息様発作が生じ,重篤な場合には,頻脈,不整脈,意識喪失を来たし,ついに死
亡するに至る。
 また,キシロカインは,歯科用では,歯科領域における浸潤麻酔又は伝達麻酔
に適応があるが,副作用として,まれにアナフィラキシーショックを起こしたとの報
告があるとされている。
 キシロカインによるアナフィラキシーショックの場合,キシロカインの成分である
メチルパラベンが抗原となって,体内にこれに対する抗体(免疫グロブリンIgE。
好塩基球(白血球の一種)や肥満細胞と結合しやすい。)が形成され,そのよう
にして結合した抗体が再び抗原にさらされると,好塩基球や肥満細胞中のヒスタ
ミン等の炎症物質が放出されてアレルギーを引き起こすものである。したがっ
て,キシロカインを2度目に投与された以降に発症する可能性が高くなるものと
考えられている(以上,甲11ないし14,乙15ないし19,鑑定の結果)。
(3) このような事情に,Xに対して歯科治療が行われ,その後死亡するに至った
一連の経過を考えあわせれば,Xの死因は,D医師がXに施術した浸潤麻酔で
あるキシロカインによるアナフィラキシーショックであると認めるのが相当である。
4 問診義務違反について
(1) 原告らは,D医師が,歯科医師として,麻酔剤を投与する際に,事前に十分な
問診をする注意義務を負うとし,具体的には,歯科医師資格を有するD医師が,
アナフィラキシーショックを想定して,直接患者から過去の病歴,麻酔の使用回
数,近時の体調等について具体的かつ詳細に聞き取りをしたり,皮内テストを実
施した上で治療を開始する注意義務を負うと主張するとともに,このような詳細
な問診をしていれば,本件のアナフィラキシーショックの発症を避けることができ
たと主張する。
(2) しかし,鑑定の結果によれば,問診をすることは診療の基本であるものの,歯
科用局所麻酔剤を投与されて異状を生じたことがあるというような特段の訴えが
ない限り,アナフィラキシーショックに関する詳細な問診を行う必要はなく,過去
に歯科用局所麻酔剤によるアナフィラキシーショックを発症した事実がない限り,
本件のアナフィラキシーショックの発症を避けることはできなかったことが認めら
れる。
(3) そして,前記2(2)ないし(4)によれば,D医師は,Xに対し,歯科助手である
Kをして,抜歯や手術の経験の有無とその時の状態,注射や内服薬による副作
用の有無,ペニシリン注射の有無,高血圧かどうか,出血時間等について問診
をさせ,その結果を前提として,自らXの体の具合を確認するとともに,過去の歯
の治療痕からキシロカインの使用歴を把握したものであるが,Xから,過去にキ
シロカイン等を投与された際に異状がみられたというような申出はなかったし,D
医師にそのような疑いを抱かせるような事情はなかったと認めることができる。
 しかも,前記1(1),(2)によれば,平成4年と平成7年にキシロカインを使用す
る歯科診療を受けた際に,Xに何らの異状を生じたということはないし,これ以外
の機会に,Xがキシロカイン等を投与されて異状を生じたことをうかがわせる証
拠は全くない。
(4) なお,原告らは,本件で行われた問診では不十分であったとし,アナフィラキ
シーショックを想定してさらに具体的かつ詳細な問診をすべきであったと主張す
るが,その具体的内容は明らかではない。
 また,原告らは,皮内テストを実施すべきであったとも主張しているが,鑑定の
結果によれば,皮内テストは,使用可能な薬剤を選択する方法ではなく,使用を
控えるべき薬剤・物質を選別する方法であり,Xがキシロカイン等を投与されて異
状を生じたことがあるとは認められない本件においては,キシロカインが使用を
避けなければならない薬剤とみなされることはなく,したがって,本件において,
皮内テストを実施する必要はなかったと認めることができる。
(5) 以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,D医師及び被告医
院に問診義務違反があり,問診を十分に行っていれば本件アナフィラキシーショ
ックの発症を避けることができたとする原告らの主張は理由がない。
5 局所麻酔剤キシロカイン注射時の手法違反について
(1) 原告らは,D医師に局所麻酔剤を投与するに適正な場所に注射する注意義
務違反があると主張する。
(2) たしかに,乙6によれば,死亡時のXの口腔内(上口唇膜)に直径2ミリ大の
皮下出血部位が認められる。
(3) しかしながら,前記3(1)の解剖医の鑑定書(乙7)においては,この部分の
出血を問題とはしていない。しかも,本件での注入部位には太い血管もないか
ら,原告らが主張するように,Xの口内血管にキシロカインが直接注射されたとも
考えられないし,口腔内には毛細血管が多数存在するから,麻酔時に直径2ミリ
程度の内出血が生じたとしても,それほど問題があるものとも思われない上,D
医師がキシロカインを注射した場所に問題があったことをうかがわせる証拠は全
くない。
(4) したがって,D医師の手法に注意義務違反があったと主張する原告らの主張
に理由はない。
6 救護義務違反について
(1) 原告らは,歯科医においては,局所麻酔薬を常時使用するのであるから,麻
酔によるアナフィラキシーショックが起きた場合に備えて,心肺蘇生器具を常備
し,抗ヒスタミン薬,ステロイド剤を常備すべきであるし,設備の整った大病院等
への緊急連絡体制を備えるべき注意義務を負うのみならず,麻酔によるショック
が生じたときには直ちに酸素吸入,人工呼吸等の事後措置を行うべき注意義務
を負うと主張する。
(2) 鑑定の結果によれば,アナフィラキシーショックは急性呼吸循環不全であり,
ある程度収縮していた血管が発症と共に急激に弛緩して末梢の血管内容量が
相対的に増加してしまうことによって,心臓に戻ってくる血液が少なくなってしまう
現象であり,これにより,心臓から身体に送り出す血液も少なくなり,心臓自体に
加え,脳や肝臓・腎臓への血液供給が行われなくなることで悪循環を招くことに
なるものであることから,アナフィラキシーショックが発症した場合に備えて歯科
医院で常備しておくべき設備及び薬としては,血圧測定器や聴診器等のモニタ
ー及び酸素吸入器(酸素も含む)が必須であり,その他に,輸液セット,昇圧系薬
剤,抗アレルギー剤,人工呼吸補助器具等が必要とされること,また,アナフィラ
キシーショックが発症した場合には,歯科医師は,脳に対しての血液と酸素の供
給を図るため,診断を中止し,直ちに患者を水平位にしたり,患者の頭部を低く
して,スタッフに緊急事態が発生したことを周知させ,応援医の来院や救急車を
要請することとともに,第1次救命処置(心臓あるいは呼吸停止が起こったときに
その場に居合わせた人によって開始されるべき,観察と認識,気道確保,人工
呼吸法,心臓マッサージから構成されるもの)を開始し,できれば薬剤などを使
用して第2次救命処置(第1次救命処置に器材・器具や薬剤を使用して行う心肺
蘇生法)を開始すべきであるとされている。
 そして,被告医院では,前記2(4)のとおり局所麻酔剤としてキシロカインを常
時使用しており,まれにではあるとしても,キシロカインの使用によりアナフィラキ
シーショックが起きることも予見可能であるばかりか,被告医院で過去に麻酔に
より軽度のアナフィラキシーショックと思われる症状が発症したこともあるという
のであるから,アナフィラキシーショックが発症した場合に救急措置をとるべく,
少なくとも血圧測定器や聴診器等のモニター及び酸素吸入器(酸素も含む)を常
備するとともに,アナフィラキシーが発症した場合には,歯科医師は,診断を中
止し,直ちに患者を水平位にしたり,患者の頭部を低くし,スタッフに緊急事態が
発生したことを周知させ,応援医師の来院や救急車を要請するとともに,第1次
救命処置を開始すべき注意義務を負うというべきである。
(3) 本件についてみると,前記2(6)及び(7)に認定したとおり,被告医院では,
酸素ボンベは備えられていたものの,血圧測定器や聴診器等のモニターを備え
ていたと認めるに足る証拠はないし,Xがアナフィラキシーショックを発症した後,
D医師は,直ちにキシロカインの投与を中止してはいるものの,直ちにXを水平
位にしたり,Xの頭部を低くしたりせず,過換気症候群ではないかと疑って,歯科
助手に紙袋を用意させるなどしてF医師への応援依頼や救急車の要請をせず,
その後酸素ボンベを用意するように指示したり,歯科助手によってF医師への応
援依頼がされたりしたものの,F医師が到着する以前に酸素ボンベを使用するこ
とはなかったと認めることができる。
 この事実によれば,被告医院でのモニターの常備が十分であったとはいえない
し,D医師がアナフィラキシーショックの発症に混乱するなどして,Xに対する十
分な救命処置を行い得なかったことは明らかである。
(4) しかしながら,前記2(8),(9)のとおり,本件では,Xがアナフィラキシーショ
ックを発症した後10分前後という短時間でF医師が駆けつけ,救急車を要請す
るとともに自ら救急措置を講じているが,F医師が駆けつけたときには,Xはすで
に失禁して意識を消失していたのであって,F医師及びその後の対応に問題が
あったことをうかがわせる証拠はないから,本件のアナフィラキシーショックは,F
医師が駆けつけた時点で蘇生することが困難な,極めて重篤なものであったこと
が認められる。
(5) しかも,鑑定の結果によれば,アナフィラキシーショックは,アレルギー反応の
一つで,発現する症状や程度は様々であること,一般に,ショック状態の場合に
は点滴のための血管の確保が困難であるところ,点滴が困難となれば,薬剤の
投与を筋肉内注射や皮下注射に頼らざるを得ないこととなるが,これらの場合に
は薬剤の奏効が遅くなる上,もともと薬剤が期待通りの効果をもたらすかはどう
かは判然としないことが指摘され,仮に,設備及び薬が十分にあり,これらが適
切に使用されるなどXに対する十分な措置が採られたとしても,同人の死亡の結
果を避けることができたかどうかを判断することはできないとしている。
(6) とすると,仮に,被告医院にモニターが常備され,D医師が,モニターや酸素
ボンベを適切に使用するなどしたり,F医師に対する応援依頼や救急車の要請
をより早い時点で行っていたとしても,本件アナフィラキシーショック発症からわ
ずか10分前後くらいの時間内にXの死亡という結果を避けることが可能であっ
たかどうかについては疑問があるといわざるを得ない。
(7) よって,D医師及び被告医院(被告自身)に救護義務違反があり,救護義務
が尽くされていればXの死亡という結果を避けることができたとする原告らの主
張は理由がない。
7 まとめ
 以上によれば,その余を判断するまでもなく,原告らの請求はいずれも理由がな
い。
    青森地方裁判所弘前支部
        裁判長裁判官       土    田    昭    彦
            裁判官       佐    藤    哲    治
                  裁判官       加    藤         靖

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司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
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