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平成17年(行ケ)第10778号審決取消請求事件
口頭弁論終結日平成18年8月29日
判決
原告三星エスディアイ株式会社
訴訟代理人弁理士志賀正武
同渡辺隆
同村山靖彦
訴訟復代理人弁理士阿部達彦
同大島孝文
被告特許庁長官
中嶋誠
指定代理人江塚政弘
同末政清滋
同徳永英男
同大場義則
主文
1原告の請求を棄却する。
2訴訟費用は原告の負担とする。
3この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を3
0日と定める。
事実及び理由
第1請求
特許庁が不服2003−22560号事件について平成17年6月21日
にした審決を取り消す。
第2争いのない事実
1特許庁における手続の経緯
日本電気株式会社(以下「日本電気」という。)は,平成12年1月21
日,発明の名称を「表示装置」とする発明につき,特許出願(特願2000
−13431号。以下「本願」という。)をしたが,平成15年10月10
日に拒絶査定を受けたため,これを不服として審判請求をするとともに,同
年11月20日付け手続補正書をもって本願に係る明細書について特許請求
の範囲の補正(以下「本件補正」という。)をした(以下,本件補正後の明
細書及び願書に添付した図面を併せて「本願明細書」という。)。
その後,日本電気は,平成16年3月15日,本願に係る特許を受ける権
利を原告に譲渡し,原告は,同月16日,その旨の名義変更届をした。
そして,特許庁は,上記審判請求を不服2003−22560号事件とし
て審理した結果,平成17年6月21日,本件補正を却下した上,「本件審
判の請求は,成り立たない。」との審決(以下,単に「審決」という。)を
し,その謄本は,同年7月5日,原告に送達された。
2特許請求の範囲
(1)本願出願時の請求項1
本願出願時の特許請求の範囲の請求項1の記載は,次のとおりである(
以下,この発明を「本願発明」という。)。
「【請求項1】基板と,前記基板上にゲート電極,ゲート絶縁膜,半導体
層,ソース・ドレイン電極,保護絶縁膜がそれぞれ形成されることによ
り得られる薄膜トランジスタと,前記保護絶縁膜を含む前記基板の表面
を平坦化する平坦化膜と,前記平坦化膜及び前記保護絶縁膜を貫通し,
前記ソース・ドレイン電極表面に達するコンタクトホールと,前記コン
タクトホールを充填する金属及び前記金属を含む前記平坦化膜上に設け
られた電子注入層を陰極として含む有機エレクトロルミネッセンス素子
とからなる表示装置であって,前記電子注入層が,絶縁性電子注入層で
あることを特徴とする表示装置。」
(2)本件補正後の請求項1
本件補正後の特許請求の範囲の請求項1の記載は,次のとおりである(
下線部は本件補正による補正箇所。以下,この発明を「本願補正発明」と
いう。)。
「【請求項1】基板と,前記基板上にゲート電極,ゲート絶縁膜,半導
体層,ソース・ドレイン電極,保護絶縁膜がそれぞれ形成されることに
より得られる薄膜トランジスタと,前記保護絶縁膜を含む前記基板の表
面を平坦化する平坦化膜と,前記平坦化膜及び前記保護絶縁膜を貫通
し,前記ソース・ドレイン電極表面に達するコンタクトホールと,前記
コンタクトホールを充填する金属及び前記金属を含む前記平坦化膜上に
設けられた電子注入層を陰極とし,前記陰極の上に少なくともキノリン
系錯体よりなる電子輸送層を含む有機エレクトロルミネッセンス素子と
からなる表示装置であって,前記電子注入層が,弗化サマリウム又は弗
化マグネシウムより選ばれた材料よりなり0.5∼10nmの厚さに形
成される絶縁性電子注入層であることを特徴とする表示装置。」
3審決の内容
審決の内容は,別紙審決書写しのとおりである。要するに,本願補正発明
は,本願の出願日前の他の出願であって,本願の出願後に特許公報(特開平
2001−236027号公報)が発行されたもの(特願2000−381
101号(優先日・平成11年12月15日))の願書に最初に添付した明
細書及び図面(以下,これらを併せて「先願明細書」という。甲1)に記載
された発明(以下「先願発明」という。)と実質的に同一であり,本願補正
発明の発明者が先願発明の発明者と同一ではなく,また本願の出願の時にそ
の出願人と先願発明の出願人とが同一でもないので,本願補正発明は特許法
29条の2第1項の規定により特許出願の際独立して特許を受けることがで
きないものであるから,本件補正は却下すべきであり,さらに,本願発明
も,先願発明と実質的に同一であって,同様に,同項の規定により特許を受
けることができないものであるから,本願は拒絶すべきであるとしたもので
ある。
審決は,本願補正発明と先願発明との間には,次のとおりの一致点及び相
違点があると認定した。
(一致点)
「基板と,前記基板上にゲート電極,ゲート絶縁膜,半導体層,ソース・
ドレイン電極,保護絶縁膜がそれぞれ形成されることにより得られる薄膜ト
ランジスタと,前記保護絶縁膜を含む前記基板の表面を平坦化する平坦化膜
と,前記平坦化膜及び前記保護絶縁膜を貫通し,前記ソース・ドレイン電極
表面に達するコンタクトホールと,前記コンタクトホールを充填する金属及
び前記金属を含む前記平坦化膜上に設けられた電子注入層を陰極とし,前記
陰極の上に電子輸送層を含む有機エレクトロルミネッセンス素子とからなる
表示装置であって,前記電子注入層が絶縁性電子注入層であることを特徴と
する表示装置。」である点。
(相違点1)
本願補正発明では,電子輸送層が少なくともキノリン系錯体からなるのに
対し,先願発明ではそのような記載はない点。
(相違点2)
本願補正発明では,電子注入層が,弗化サマリウム又は弗化マグネシウム
より選ばれた材料よりなり0.5∼10nmの厚さに形成されているのに対
し,先願発明では電子注入層が膜厚が数nm程度(実施例では5∼10n
m)の絶縁性のアルカリ金属又はアルカリ土類金属化合物からなる点。
第3当事者の主張
1原告主張の審決の取消事由
審決がした本願補正発明と先願発明の一致点及び相違点1,2の認定並び
に相違点1についての判断は認める。
しかし,審決は,相違点2についての判断を誤った結果,本願補正発明と
先願発明とが実質的に同一であると誤って判断して,本件補正を却下したも
のであり,この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから,
違法として取消しを免れない。
(1)判断手法の誤り
審決は,相違点2について,「先願発明には絶縁性電子注入層としてア
ルカリ土類金属の化合物が用いられることが開示されているが,通常,絶
縁性の電子注入層に使用されるアルカリ土類金属の化合物として,フッ化
マグネシウム,フッ化カルシウム等のハロゲン化物が用いられることは当
該技術分野において周知である(周知例として,特開平10−32137
6号公報の段落[0059],特開平11−26167号公報の段落[0
029]を参照のこと。)から,本願補正発明のように電子注入層の材料
として弗化マグネシウムに限定することは,単なる周知の材料を特定した
もにすぎない。」,「また,本願補正発明では絶縁性注入層の厚みを0.
5∼10nmに特定しているが,先願発明に係る注入層も5∼10nmの
厚みであって,両者は重複するものであり,実質的に同一である。」,「
したがって,相違点2は,実質的な相違ではなく,両者は実質的に差異は
ない。」(審決書6頁27行∼39行)と判断している。
しかし,相違点2に係る本願補正発明の電子注入層の構成は,「弗化サ
マリウム又は弗化マグネシウムより選ばれた材料よりなり0.5∼10n
mの厚さに形成される」という一体不可分の構成であり,本願補正発明
は,上記構成を採用することにより,「アクティブマトリクス型逆積層型
有機EL素子において,有機EL素子の電子注入電極を絶縁材料とするこ
とで微細なマスク成膜を行うことなしに,基板全面に成膜が可能となり,
又,電子注入電極材料を陰極材料とすることで成膜中もしくは成膜後の拡
散が抑制され,TFTの誤動作やショートを低減化できる」という効果を
奏するものである(本願明細書(甲7)の段落【0044】。下線は原告
注記)から,相違点2の判断に際しては,上記構成を一体不可分なものと
して評価すべきであるのに,審決は,上記のとおり,これを「(i)電子
注入層が,弗化サマリウム又は弗化マグネシウムより選ばれた材料よりな
ること」,「(ii)電子注入層の厚さが0.5∼10nmの厚さに形成
されていること」の2つの構成に恣意的に分説して区々に評価するもので
あり,このような判断手法は,発明の本質を見誤るものとして許されな
い。
そうすると,先願明細書には,本願補正発明の「弗化サマリウム又は弗
化マグネシウム」に関する記載はなく,しかも審決が引用する周知例(特
開平10−321376号公報(甲5)及び特開平11−26167号公
報(甲6))には,本願補正発明で特定しているような「注入層の厚み」
に関する記載はないのに,上記判断手法をとることにより,先願明細書に
記載のない事項を甲5又は甲6に記載されている事項によって補って,相
違点2に係る本願補正発明と先願発明の電子注入層は実質的に同一である
とした審決の判断は不当である。
(2)先願発明の認定の誤り
ア先願明細書には,「注入層の厚み」について,①「画素電極105ま
で形成されたら,全ての画素電極の上にアルカリ金属もしくはアルカリ
土類金属を含む絶縁性化合物(以下,アルカリ化合物という)106が
形成される。」(段落【0012】),「また,アルカリ化合物として
は,フッ化リチウム(LiF),酸化リチウム(LiO),フッ化バリ2
ウム(BaF),酸化バリウム(BaO),フッ化カルシウム(CaF2
),酸化カルシウム(CaO),酸化ストロンチウム(SrO)または2
酸化セシウム(CsO)を用いることができる。これらは絶縁性である2
ため,層状に形成されたとしても画素電極間のショート(短絡)を招く
ようなことはない。」(段落【0013】),②「画素電極43の上に
はアルカリ化合物44として,5∼10nm厚のフッ化リチウム膜が蒸
着法により形成される。フッ化リチウム膜は絶縁膜なので膜厚が厚すぎ
るとEL層に電流を流すことができなくなってしまう。また,層状に形
成されずに島状に点在するように形成されても問題はない。」(段落【
0057】)と記載されている(下線は原告注記)。
①の記載によれば,先願発明は,画素電極間のショート(短絡)を防
止するため,画素電極の上に形成されるアルカリ化合物(「電子注入
層」に相当。以下同じ。)の絶縁性を確保する必要がある旨を認識して
いることが理解される。
また,②の記載によれば,先願発明は,EL(エレクトロルミネッセ
ンス)層に電流を流すことができるよう,絶縁性を有するアルカリ化合
物44の膜厚は10nmを超えるべきではない旨を認識していることが
理解される。
このように先願明細書には,先願発明のアルカリ化合物44は絶縁性
の確保のみを目的とすること,アルカリ化合物44の膜厚の上限が10
nmを超えるべきでないことが開示されているだけであり,本願補正発
明のように「成膜中もしくは成膜後の拡散を抑制する」ことを意図し
て「アルカリ化合物44の膜厚が0.5nm以上であっても差し支えな
い」とする思想は,何ら開示されていない。
そうすると,先願発明で開示されている電子注入層の厚みが5∼10
nmであるからといって,このことから「成膜中もしくは成膜後の拡散
を抑制する」ために,本願補正発明のように「電子注入層の厚さを0.
5∼10nm」に限定する構成を採択することまでもが,先願発明に実
質的に開示されているということはできない。
イまた,東京高裁平成7年7月4日判決(平成6年(行ケ)第30号事
件)は,公知発明に出願発明の数値範囲が開示されている場合であって
も,「当該発明における数値限定を伴う構成が容易に想到し得るもので
あるといえるためには,単に,公知技術として当該構成自体開示又は示
唆されているというだけでは足りず,当該構成の技術的意義,すなわち
目的,作用効果が周知であるとか,あるいは,公知技術における当該構
成の技術的意義が開示又は示唆されていることが必要であると解するの
が相当である。」と説示しているところ,この説示を本件に当てはめる
と,仮に先願発明が本願の出願前に公知であったとしても,先願明細書
に「成膜中もしくは成膜後の拡散を抑制する」ことの技術的意義につい
ての何らの開示も示唆もなく,当該事項の目的,作用効果が周知である
ともいえない以上,本願補正発明を容易に想到し得たということはでき
ないということになるから,先願発明における「5∼10nm」という
電子注入層の数値範囲をもって,本願補正発明の数値範囲と「実質的に
同一である」と認定することが許されるべきでないことは明白である。
(3)周知例の適格性の欠如
ア(ア)有機EL素子を形成態様に基づいて分類すると,基板−陽極層−
発光層(有機EL層)−陰極層の順に積層される「順積層型」と,基
板−トランジスタ部−陰極層−発光層(有機EL層)−陽極層の順に
積層される「逆積層型」とに大別される。
また,有機EL素子を発光態様に基づいて分類すると,有機EL素
子からの発光が駆動回路の方向に向けてなされる「ボトムエミッショ
ン型」と,有機EL素子からの発光が駆動回路とは逆の方向に向けて
なされる「トップエミッション型」とに大別される。
本願補正発明及び先願発明の有機EL素子は,いずれも「逆積層型
かつトップエミッション型」に属するものである。「逆積層型かつト
ップエミッション型」の利点は,発光方向に,陽極としての透明電極
が形成されるので,光透過率をほぼ100%とすることができ,マイ
クロキャビティ効果を防止し,視野角の問題を解決することができ,
さらに,光透過率をほぼ100%とすることができることにより各画
素からの発光量が低くても表示装置としての所望の輝度を得ることが
できるので,有機EL素子を低電圧で駆動することが可能となり,素
子の長寿命化及び消費電力の低減が可能となる。
(イ)本願補正発明は,相違点2に係る構成を採用することにより,上
記(1)記載の効果(本願明細書の段落【0044】)を奏するのみなら
ず,電子注入層の厚さを可能な限り小さくすることによって,いわゆ
るトンネリング効果(原子や電子などが,本来エネルギー不足で通り
抜けることができないはずの障壁を通り抜けてしまう量子力学的現
象)による有機EL層への電子注入を積極的に生じさせ,有機EL素
子駆動電圧の低減化を図り,ひいては有機EL素子の長寿命化を達成
できるものである。
(ウ)一方,審決が周知例として引用した甲2ないし6は,いずれも「
順積層型かつボトムエミッション型」に属する有機EL素子を開示し
ている。
順積層型においては,有機EL層を形成した後に陰極層を形成する
ので,有機EL層の膜形成温度よりも高温となる陰極層形成時の温度
上昇により,陰極材料が有機EL層に拡散されるのに対し,逆積層型
においては,陰極材料は,有機EL層には拡散せず,陰極層形成時の
温度上昇により駆動回路側に拡散されることから,必然的に「電子注
入層」の有する技術的意義も,順積層型と逆積層型とでは,全く相違
する。
そして,甲2ないし6の電子注入層の材料は,「順積層型かつボト
ムエミッション型」の有機EL素子において周知ではあるかもしれな
いが,少なくとも「逆積層型かつトップエミッション型」の有機EL
素子において周知であることはおろか公知であることも開示されてい
ないのであるから,甲2ないし6は,「逆積層型かつトップエミッシ
ョン型」の先願発明に適用することはできず,周知技術(周知例)と
しての適格性を欠くというべきである。
イしたがって,本願補正発明のように電子注入層の材料として弗化マグ
ネシウムに限定することは,単なる周知の材料を特定したにすぎないと
の審決の認定判断は誤りである。
2被告の反論
(1)判断手法の誤りの主張に対し
本願明細書(甲7)には,「本発明」の特徴について,「本発明の第一
の特徴は従来電子注入電極材料に用いていた電気導電性材料を,仕事関数
が小さな電気絶縁性材料に変えた点である。また第二の特徴は,従来電子
注入電極材料に用いていた拡散しやすい材料を拡散しにくい材料に変更し
た点にある。」(段落【0010】),その絶縁性電子注入層の材料につ
いて,「アルカリ金属の酸化物,或いは,アルカリ土類金属の酸化物から
なる場合,前記アルカリ金属の酸化物は,酸化リチウムであり,・・・ア
ルカリ金属の弗化物,或いは,アルカリ土類金属の弗化物からなる場合,
前記アルカリ金属の弗化物は,弗化リチウムであり,前記アルカリ土類金
属の弗化物は,弗化サマリウム又は弗化マグネシウムである」(段落【0
007】)とし,その絶縁性電子注入層の厚みにつき,「0.5∼10n
mの厚さに形成される」(段落【0008】)との記載があり,さら
に,「ソース電極110sを含む平坦化膜111上に弗化リチウム,弗化
サマリウム,弗化マグネシウム,酸化リチウムなどからなる絶縁性電子注
入層113を0.5∼10nmの膜厚でマスクを介することなく成膜す
る。」(段落【0022】)との記載(下線は被告注記)がある。
これらの記載によれば,「本発明」の特徴は,従来電子注入電極材料に
用いていた電気導電性材料を仕事関数が小さい電気絶縁性材料に,従来電
子注入電極材料に用いていた拡散しやすい材料を拡散しにくい材料に,そ
れぞれ変更した点にあるのであって,その材料からなる絶縁性電子注入層
の厚みを0.5∼10nmとするというものである。
そして,絶縁性電子注入層の厚みを0.5∼10nmとする点は,「弗
化リチウム,弗化サマリウム,弗化マグネシウム,酸化リチウムなど」(
段落【0022】)の記載からもわかるように,弗化サマリウム又は弗化
マグネシウムの材料を用いた場合にのみに特定されるものではなく,これ
らの材料のいずれにも適用することができる数値であって,弗化サマリウ
ム又は弗化マグネシウムの場合にのみその厚さが適用されるといった一体
不可分の関係にはないことがわかる。
したがって,相違点2を「(i)電子注入層が,弗化サマリウム又は弗
化マグネシウムより選ばれた材料よりなること」と「(ii)電子注入層
の厚さが0.5∼10nmの厚さに形成されていること」に分説して判断
したことは,発明の本質を見誤ったものではなく,かえって本願補正発明
の本質を正確に把握し,先願発明との相違点をより的確に判断するためで
あることは明らかである。仮に分説して判断することが一切許されないと
すれば,発明の本質を捉えた的確な判断が行えなくなり,その結果,本来
特許が付与されるべきではない発明に特許が付与されることにもなり,第
三者に著しい不利益を与えることになる。
(2)先願発明の認定の誤りの主張に対し
ア(ア)原告は,先願発明は,「成膜中もしくは成膜後の拡散を抑制す
る」ことを意図して「アルカリ化合物44の膜厚が0.5nm以上で
あっても差し支えない」とする思想が開示されていない点で本願補正
発明と異なる旨主張するが,本願明細書には,絶縁性電子注入層の膜
厚に関して,本願補正発明の「0.5∼10nm」のうち,1nmの
実施例(段落【0034】)しか記載されておらず,また,上記膜厚
を本願補正発明で0.5∼10nmに規定した臨界的な意義はもとよ
り,技術的な意義さえも何ら記載されていない。さらに,本願明細書
には,「また,第二の効果として,電子注入電極材料を本発明の材料
とすることで成膜中もしくは成膜後の拡散が抑制され,TFTの誤動
作やショートを低減化できる点にある。」(段落【0043】)との
記載があるが,この記載の趣旨は,「成膜中もしくは成膜後の拡散を
抑制する」ことを意図して,電子注入電極の材料が決められると理解
されるものの,上記意図のために電子注入電極の厚さが規定されるこ
とまでは意味しない。
したがって,原告がいう「成膜中もしくは成膜後の拡散を抑制す
る」ことと,絶縁性電子注入層の膜厚が0.5nm以上であっても差
し支えないこととの関連については本願明細書に記載されていないと
いうべきであるから,原告の主張は,本願明細書の記載に基づかない
主張として失当である。
(イ)先願発明の絶縁性電子注入層の厚みは5∼10nmであるのに対
し,本願補正発明の絶縁性電子注入層の厚みは0.5∼10nmであ
り,その厚みは5∼10nmの範囲で一致する。そして,本願明細書
には,本願補正発明で絶縁性電子注入層の厚みを0.5∼10nmに
規定した技術的意義,臨界的な意義が記載されておらず,本願補正発
明は,先願発明における絶縁性電子注入層の厚さの範囲(5∼10n
m)を0.5∼5nmの厚さを含むように単に拡張したにすぎないの
であるから,両発明は,絶縁性電子注入層の膜厚について,実質的に
同一である。
また,審決における[相違点2について]の項で周知例として引用
した甲6(特開平11−26167号公報)には,沸化マグネシウム
を用いて膜厚0.5nmとなるように陰極界面層(本願補正発明の「
絶縁性電子注入層」に相当する。)を蒸着した旨が記載されており(
段落【0049】),上記0.5nmは,本願補正発明の絶縁性電子
注入層の膜厚の下限値である0.5nmと一致する。したがって,こ
の点からみても,本願補正発明において上記膜厚の下限値を0.5n
mと規定した点は格別なものではない。
さらに,先願明細書には,絶縁性電子注入層として,弗化リチウ
ム,酸化リチウム,弗化バリウム,酸化バリウム,弗化カルシウム,
酸化カルシウムが記載され(段落【0013】),この中の弗化リチ
ウム及び酸化リチウムは,本願明細書において「成膜中もしくは成膜
後の拡散を抑制する」絶縁性電子注入層(段落【0043】)の材料
として記載されている材料(段落【0022】)でもある。
そして,先願発明において「成膜中もしくは成膜後の拡散を抑制す
る」効果が生じることを妨げる特段の事情もないので,先願発明も,
弗化リチウム,酸化リチウムを用いた絶縁性電子注入層により,本願
補正発明と同様に,「成膜中もしくは成膜後の拡散を抑制する」効果
が生じることは明らかである。
したがって,先願発明の絶縁性注入層は,本願補正発明の絶縁性注
入層と実質的に同一であるとした審決の判断に誤りはない。
イ次に,原告主張の裁判例は,特許法29条2項(進歩性)が適用され
る案件について判示するものであって,本件のような同法29条の2(
先願発明と後願発明の同一性)が適用される案件とは,事案が異なり,
また,適用条文も異なるものであるから,原告の主張はその前提におい
て誤りである。
(3)周知例の適格性の欠如の主張に対し
ア本願補正発明の特許請求の範囲(請求項1)には,有機EL素子の陽
極又は陽極層(本願明細書の発明の詳細な説明では「118正孔注入用
電極」と呼称されている。)が記載されておらず,原告がいう「逆積層
型かつトップエミッション型」の有機EL素子の構成が記載されている
とはいえないので,原告の主張は,特許請求の範囲の記載に基づかない
主張であるから失当である。
イまた,仮に本願補正発明の有機EL素子の構成が「逆積層型かつトッ
プエミッション型」であるとしても,審決が引用した周知例(甲2,
5)に示されているように,「逆積層型かつトップエミッション型」の
有機EL素子の絶縁性電子注入層の材料として弗化マグネシウムが用い
られることは周知である。
(ア)審決が[相違点2について]の項で周知例として引用した甲5(
特開平10−321376号公報)には,有機エレクトロルミネセン
ス素子について,①「上記有機発光層(4)上に上記した陰極を形成
する。以上,陽極(1)上に,正孔注入層(2),正孔輸送層(
3),有機発光層(4)および陰極(5)を順次形成したが,陰極(
5)上に各層を順次形成してもよい。」(段落【0053】),「本
発明においては,有機発光層(4)と陰極(5)の間に図2に示したごと
く,電子注入層(7)を形成してもよい。電子注入層は,電子輸送材料
と金属との混合物層または金属フッ化物層として形成されることが好
ましい。係る電子注入層を形成することにより,さらに発光素子の発
光輝度を上げることができ,駆動電圧を低くすることで,長寿命化で
きる等の効果がある。」(段落【0054】),②「電子輸送材料と
金属との混合比は1:0.05∼1:2,好ましくは1:0.5∼1:
1.2である。電子注入層を金属フッ化物で形成する場合,該金属フッ
化物としてはLiF,MgF,CaF等が使用でき,中でもLiF,22
MgF,CaFを使用することが好ましい。」(段落【005922
】),③「有機エレクトロルミネセンス素子においては,発光が見ら
れるように,少なくとも陽極(1)あるいは陰極(5)は透明電極に
する必要がある。この際,陰極を透明電極とすると透明電極が酸化劣
化しやすく透明性が損なわれやすいので,陽極を透明電極にすること
が好ましい。」(段落【0016】)との記載(下線は被告注記)が
ある。
これらの記載を総合すると,甲5には,陰極(5),電子注入層(
7),有機発光層(4),正孔輸送層(3),正孔注入層(2),陽
極(1)の順に積層された,有機エレクトロルミネセンス素子,すな
わち,トランジスタ部の有無は別として「逆積層型かつトップエミッ
ション型」の有機EL素子において,電子注入層(7)(本願補正発
明の「絶縁性電子注入層」に相当する。)の材料として弗化リチウ
ム,弗化マグネシウム,弗化カルシウムが用いられることが記載され
ていることは明らかである。
(イ)また,審決が[相違点1について]の項で周知例として引用した
甲2(特開平11−354284号公報)には,①「図1∼4は本発
明の有機電界発光素子の実施の形態を示す模式的な断面図であり,1
は基板,2は陽極,3は陽極バッファ層,4は正孔輸送層,5は正孔
阻止層,6は電子輸送層,7は陰極を各々表わす。」(段落【004
3】),②「更に,陰極と電子輸送層6の界面にLiF,MgF,L2
iO等の極薄絶縁膜(0.1∼5nm)を挿入することも,素子の効率2
を向上させる有効な方法である(Appl.Phys.Lett.,
70巻,152頁,1997年;特開平10−74586号公報;I
EEETrans.Electron.Devices,44巻,
1245頁,1997年)」(段落【0111】),「図1∼4は,
本発明で採用される素子構造の一例であって,本発明は何ら図示のも
のに限定されるものではない。例えば,図1とは逆の構造,即ち,基
板1上に陰極7,電子輸送層6,正孔輸送層4,陽極2の順に積層す
ることも可能であり,既述したように少なくとも一方が透明性の高い
2枚の基板の間に本発明の有機電界発光素子を設けることも可能であ
る。同様に,図2,図3及び図4に示したものについても,前記各層
構成を逆の構造に積層することも可能である。」(段落【0112
】),③「陽極2の厚みは,必要とする透明性により異なる。透明性
が必要とされる場合は,可視光の透過率を,通常60%以上,好まし
くは80%以上とすることが望ましく,この場合,厚みは,通常,5
∼1000nm,好ましくは10∼500nm程度である。」(段落
【0045】)との記載(下線は被告注記)がある。
これらの記載を総合すると,甲2には,基板上に,陰極7,極薄絶
縁膜(0.1∼5nm)(本願補正発明の「絶縁性電子注入層」に相当
する。),電子輸送層6,正孔輸送層4,陽極2を順に積層された,
有機電界発光素子,すなわち,トランジスタ部の有無は別として「逆
積層型かつトップエミッション型」の有機EL素子において,絶縁性
電子注入層の材料として弗化リチウム,弗化マグネシウム,酸化リチ
ウムが用いられることが記載されていることは明らかである。
(ウ)以上のとおり,「逆積層型かつトップエミッション型」の有機E
L素子に絶縁性電子注入層を設けることは,先願明細書のみならず,
甲2,5にも示されているので,「電子注入層」の有する技術的意義
が,少なくとも先願明細書と甲2,5とで,原告の主張するように全
く相違するものとはいえない。
第4当裁判所の判断
1相違点2についての判断の誤りについて
(1)判断手法の誤りについて
ア原告は,相違点2に係る本願補正発明の電子注入層の構成は,「弗化
サマリウム又は弗化マグネシウムより選ばれた材料よりなり0.5∼1
0nmの厚さに形成される」という一体不可分の構成であり,本願補正
発明は,上記構成を採用することにより,「アクティブマトリクス型逆
積層型有機EL素子において,有機EL素子の電子注入電極を絶縁材料
とすることで微細なマスク成膜を行うことなしに,基板全面に成膜が可
能となり,又,電子注入電極材料を陰極材料とすることで成膜中もしく
は成膜後の拡散が抑制され,TFTの誤動作やショートを低減化でき
る」という効果を奏するものである(本願明細書の段落【0044】)
から,相違点2の判断に際しては,上記構成を一体不可分なものとして
評価すべきであり,これを「(i)電子注入層が,弗化サマリウム又は
弗化マグネシウムより選ばれた材料よりなること」,「(ii)電子注
入層の厚さが0.5∼10nmの厚さに形成されていること」の2つの
構成に恣意的に分説して区々に評価し,相違点2に係る本願補正発明と
先願発明の電子注入層が実質的に同一であると判断した審決の判断手法
は,発明の本質を見誤るものとして許されないと主張する。
(ア)本願明細書(甲7)の【発明の詳細な説明】には,次のとおりの
記載がある。
①「図1は図2のトランジスタ部分のみを示す断面図であるが,実
際には1つの基板上に図2の回路図のような微細なトランジスタや
コンデンサなどを配置するために,有機EL画素からの発光は図1
のように基板と逆方向から取り出すことが開口率向上のためにも好
ましい(特開平11−251069号公報による)。」(段落【0
003】),「そのためには,図3に示す従来の有機EL素子構造
とは逆方向に,図1のように積層する必要があり,かつ有機EL素
子の陰極はTFT基板のドレイン電極もしくはソース電極のみに接
続されねばならない。従って,有機陰極用材料を成膜する際には蒸
発源と基板の間に,ドレイン電極もしくはソース電極のみに成膜さ
れるよう開口されたマスクを設置しなければならない。」(段落【
0004】)
②「【発明が解決しようとする課題】しかしながら,マスクの厚み
とマスクに開いた開口部との間には限界があり,微細なパターン加
工には限界がある。さらにマスク自体の自重による撓み等によるパ
ターンぼけがあるために目的とする領域以外にも陰極材料を成膜す
ることになりショートの要因となる。さらに,従来有機EL素子の
陰極材料として用いられているリチウムや銀などはその原子の大き
さが小さいゆえに成膜中もしくは成膜後に拡散してしまい,TFT
の特性を著しく貶めてしまう。」(段落【0005】),「本発明
の目的は,これらのことを鑑みて,薄膜トランジスタを含む有機E
Lアクティブマトリクス駆動表示装置において,マスクを使用する
ことなく,かつ,有機EL素子の陰極材料の拡散を抑制することの
できる表示装置を提供することにある。」(段落【0006】)
③「【課題を解決するための手段】本発明の表示装置は,・・・前
記電子注入層が,絶縁性電子注入層であることを特徴とし,前記絶
縁性電子注入層が,アルカリ金属の酸化物,或いは,アルカリ土類
金属の酸化物からなる場合,前記アルカリ金属の酸化物は,酸化リ
チウムであり,前記絶縁性電子注入層が,アルカリ金属の弗化物,
或いは,アルカリ土類金属の弗化物からなる場合,前記アルカリ金
属の弗化物は,弗化リチウムであり,前記アルカリ土類金属の弗化
物は,弗化サマリウム又は弗化マグネシウムである,というもので
ある。」(段落【0007】),「又,上記表示装置において,前
記絶縁性電子注入層は,0.5∼10nmの厚さに形成される,と
いうものである。」(段落【0008】)
④「【発明の実施の形態】本発明の実施形態を説明する前に,本発
明の特徴につき,簡記しておく。本発明の第一の特徴は従来電子注
入電極材料に用いていた電気導電性材料を,仕事関数が小さな電気
絶縁性材料に変えた点である。また第二の特徴は,従来電子注入電
極材料に用いていた拡散しやすい材料を拡散しにくい材料に変更し
た点にある。」(段落【0010】)
⑤「次に,TFT上に有機EL素子を形成する工程について説明す
る。上述のp−SiTFTの各電極110s,110d,層間絶縁
膜108上に平坦化膜111を形成する。・・・この平坦化膜11
1にコンタクトホール112を形成する。」(段落【0021
】),「次に,このコンタクトホール112及びその周辺部にアル
ミニウムなどの金属材料をパターニングしてソース電極110sを
形成し,ソース電極110sを含む平坦化膜111上に弗化リチウ
ム,弗化サマリウム,弗化マグネシウム,酸化リチウムなどからな
る絶縁性電子注入層113を0.5∼10nmの膜厚でマスクを介
することなく成膜する。成膜の手段は抵抗加熱法,電子ビーム蒸着
法などを挙げることができる。」(段落【0022】)
⑥「(有機EL製造工程)こうして作製されたTFT基板を,弗化
リチウムがセットされた真空蒸着装置にセットし,・・・蒸発源と
TFT基板の間にマスクを挿入することなくTFT基板全面に弗化
リチウムが成膜されるような配置関係にある弗化リチウムが0.0
1nm/secの成膜速度になるように温度をコントロールしなが
ら1nmの膜厚となるまで成膜した。このようにして,TFT基板
上に堆積したドレイン電極を有機EL素子の金属層とし,弗化リチ
ウムを電子注入電極とした。」(段落【0034】),「こうして
作製された有機EL素子の発光を確認するためプローバ装置で電源
に接続し,発光の有無を測定したところ,緑色発光をリーク電流な
しに観測することができた。」(段落【0038】)
⑦「第一の効果は,アクティブマトリクス型逆積層型有機EL素子
において,有機EL素子の電子注入電極を絶縁材料とすることで微
細なマスク成膜を行うことなしに,基板全面に成膜が可能となる点
にある。」(段落【0042】),「また,第二の効果として,電
子注入電極材料を本発明の材料とすることで成膜中もしくは成膜後
の拡散が抑制され,TFTの誤動作やショートを低減化できる点に
ある。」(段落【0043】),「【発明の効果】本発明の表示装
置によれば,アクティブマトリクス型逆積層型有機EL素子におい
て,有機EL素子の電子注入電極を絶縁材料とすることで微細なマ
スク成膜を行うことなしに,基板全面に成膜が可能となり,又,電
子注入電極材料を陰極材料とすることで成膜中もしくは成膜後の拡
散が抑制され,TFTの誤動作やショートを低減化できる,という
効果を有する。」(段落【0044】)
(イ)これらの記載によれば,①有機EL画素からの発光を基板と逆方
向から取り出すアクティブマトリクス型逆積層型の有機EL素子構造
とする表示装置においては,従来電子注入電極材料に用いていた電気
導電性材料を用いて陰極材料を成膜する際に,ドレイン電極又はソー
ス電極のみに成膜されるよう開口されたマスクを使用しなければなら
ないが,マスクを使用した微細なパターン加工には限界があり,マス
ク自体の自重による撓み等によるパターンぼけがあるため目的とする
領域以外にも陰極材料を成膜することになりショートの要因となり,
また,リチウムや銀などの陰極材料はその原子の大きさが小さいゆえ
に成膜中もしくは成膜後に拡散してしまい,TFTの特性を著しく貶
めてしまうという課題があったため,これを解決するため,本発明
は,マスクを使用することなく,かつ,有機EL素子の陰極材料の拡
散を抑制することのできる上記表示装置を提供することを目的とする
こと,②本発明の第1の特徴は従来電子注入電極材料に用いていた電
気導電性材料を,仕事関数が小さな電気絶縁性材料に変えた点,第2
の特徴は,従来電子注入電極材料に用いていた拡散しやすい材料を拡
散しにくい材料に変更した点にあり,その具体的な電気絶縁性材料と
して,アルカリ金属の酸化物である酸化リチウム,アルカリ金属の弗
化物である弗化リチウム,アルカリ土類金属の弗化物である弗化サマ
リウム,弗化マグネシウムを例示していること,③実施例として記載
されたものは,1nmの膜厚の弗化リチウムを電子注入電極(上記(ア
)⑥)とするものであること,④本発明の効果は,アクティブマトリク
ス型逆積層型有機EL素子において,有機EL素子の電子注入電極を
絶縁材料とすることで微細なマスク成膜を行うことなしに,基板全面
に成膜が可能となり,また,電子注入電極材料を陰極材料とすること
で成膜中もしくは成膜後の拡散が抑制され,TFTの誤動作やショー
トを低減化できることであることが認められる。
以上によれば,本願明細書には,アクティブマトリクス型逆積層型
有機EL素子において,有機EL素子の電子注入電極を弗化リチウ
ム,弗化サマリウム,弗化マグネシウム,酸化リチウムなどからなる
絶縁材料とすることにより,微細なマスク成膜を行うことなしに,基
板全面に成膜が可能となるとともに,成膜中もしくは成膜後の拡散が
抑制され,TFTの誤動作やショートを低減化できることの効果を奏
することの記載があることが認められるが,一方で,本願明細書に
は,上記効果と絶縁性電子注入層の厚さを「0.5∼10nm」とす
ることとの関係については何らの記載はなく,上記厚さの技術的意義
及びその数値限定による臨界的意義に関する記載も示唆もない。
のみならず,本願明細書には,電子注入層に使用する絶縁性材料を
弗化サマリウム又は弗化マグネシウムとし,かつ,その厚さを「0.
5∼10nm」とした場合に,弗化リチウム,酸化リチウムなど例示
された他の絶縁性材料を使用した場合と比較して特に優れた効果を奏
することの記載もない。
イそうすると,本願明細書記載の上記効果は,電子注入層に使用する絶
縁性材料を弗化サマリウム又は弗化マグネシウムとした場合に特有のも
のではなく,本願明細書に例示された他の絶縁材料を有機EL素子の電
子注入層に使用した場合にも奏されるものであり,しかも,上記効果は
電子注入層の厚さを「0.5∼10nm」に限定することと直接関連す
るものでもないから,電子注入層の材料として弗化サマリウム又は弗化
マグネシウムを用いることと,電子注入層の厚さを「0.5∼10n
m」とすることとは,上記効果を奏するための一体不可分の構成である
と認めることはできず,これが一体不可分の構成であることを前提に,
審決が,相違点2の判断に際し,上記構成を「(i)電子注入層が,弗化
サマリウム又は弗化マグネシウムより選ばれた材料よりなること」,「(
ii)電子注入層の厚さが0.5∼10nmの厚さに形成されているこ
と」の2つの構成に分説して判断したことの判断手法の誤りをいう原告
の主張は,その前提を欠くものとして採用することができない。
(2)先願発明の認定の誤りについて
ア原告は,先願明細書には,先願発明のアルカリ化合物44は絶縁性の
確保のみを目的とすること,アルカリ化合物44の膜厚の上限が10n
mを超えるべきでないことが開示されているだけであり,「成膜中もし
くは成膜後の拡散を抑制する」ことを意図して「アルカリ化合物44の
膜厚が0.5nm以上であっても差し支えない」とする思想は,何ら開
示されていないから,先願発明で開示されている電子注入層の厚みが5
∼10nmであるからといって,このことから「成膜中もしくは成膜後
の拡散を抑制する」ために,本願補正発明のように「電子注入層の厚さ
を0.5∼10nm」に限定する構成を採択することまでもが,先願発
明に実質的に開示されているということはできないと主張する。
しかしながら,先に説示したとおり,本願明細書には,絶縁性電子注
入層の厚さを「0.5∼10nm」とすることの技術的意義及びその数
値限定による臨界的意義に関する記載も示唆もなく,また,「成膜中も
しくは成膜後の拡散を抑制する」効果は,有機EL素子の電子注入電極
を弗化リチウム,弗化サマリウム,弗化マグネシウム,酸化リチウムな
どからなる絶縁材料とすることにより奏される効果であって,電子注入
層の厚さを「0.5∼10nm」に限定することと直接関連するもので
もないのであるから,本願補正発明が「成膜中もしくは成膜後の拡散を
抑制する」ために,「電子注入層の厚さを0.5∼10nm」に限定す
る構成を採択したものと認めることはできない。
したがって,原告の上記主張は,その前提を欠くものとして採用する
ことができない。
イそして,上記アに加えて,原告は相違点2の認定(「本願補正発明で
は,電子注入層が,弗化サマリウム又は弗化マグネシウムより選ばれた
材料よりなり0.5∼10nmの厚さに形成されているのに対し,先願
発明では電子注入層が膜厚が数nm程度(実施例では5∼10nm)の
絶縁性のアルカリ金属又はアルカリ土類金属化合物からなる点」)を争
っておらず,先願明細書(甲1)には,実施例として,「画素電極43
の上にはアルカリ化合物44として,5∼10nm厚のフッ化リチウム
膜が蒸着法により形成される。フッ化リチウム膜は絶縁膜なので・・
・」(段落【0057】)との記載があることによれば,先願発明と本
願補正発明は,絶縁性注入層の厚さが先願発明の「5∼10nm」の範
囲で重複し,しかも,本願補正発明が下限値を「0.5nm」に限定し
たことについての技術的意義は明確でなく,数値限定による臨界的意義
が認められないのであるから,「本願補正発明では絶縁性注入層の厚み
を0.5∼10nmに特定しているが,先願発明に係る注入層も5∼1
0nmの厚みであって,両者は重複するものであり,実質的に同一であ
る。」(審決書6頁35行∼37行)とした審決の判断は是認できると
いうべきである。
これに対し原告は,裁判例(東京高裁平成7年7月4日判決(平成6
年(行ケ)第30号事件))を引用した上で,先願発明が本願の出願前
に公知であったとしても,先願明細書に「成膜中もしくは成膜後の拡散
を抑制する」ことの技術的意義についての何らの開示も示唆もなく,当
該事項の目的,作用効果が周知であるともいえない以上,本願補正発明
を容易に想到し得たということはできないということになるから,先願
発明における「5∼10nm」という電子注入層の数値範囲をもって,
本願補正発明の数値範囲と「実質的に同一である」と認定することは許
されるべきでないと主張する。
しかしながら,先に説示したとおり,本願補正発明が「成膜中もしく
は成膜後の拡散を抑制する」ために,「電子注入層の厚さを0.5∼1
0nm」に限定する構成を採択したものと認めることはできないのであ
るから,先願明細書に「成膜中もしくは成膜後の拡散を抑制する」こと
の技術的意義についての開示や示唆があるかどうかの点は,先願発明と
本願補正発明の電子注入層の厚さの数値範囲が実質的に同一かどうかの
判断に影響を及ぼすものではなく,原告の上記主張は採用することがで
きない。
(3)周知例の適格性の欠如について
原告は,本願補正発明及び先願発明の有機EL素子は,いずれも「逆積
層型かつトップエミッション型」(「基板−トランジスタ部−陰極層−発
光層(有機EL層)−陽極層の順に積層され,かつ,有機EL素子からの
発光が駆動回路とは逆の方向に向けてなされるもの」)に属するのに対
し,審決が周知例として引用した甲2ないし6の有機EL素子は,いずれ
も「順積層型かつボトムエミッション型」(「基板−陽極層−発光層(有
機EL層)−陰極層の順に積層され,かつ,有機EL素子からの発光が駆
動回路の方向に向けてなされるもの」)に属することから,本願補正発明
及び先願発明と甲2ないし6とでは「電子注入層」の有する技術的意義が
全く相違しており,甲2ないし6の電子注入層の材料は,「順積層型かつ
ボトムエミッション型」の有機EL素子において周知ではあるかもしれな
いが,少なくとも「逆積層型かつトップエミッション型」の有機EL素子
において周知であることはおろか公知であることも開示されていないの
で,甲2ないし6は,先願発明に適用する周知技術(周知例)としての適
格性を欠くものであって,本願補正発明のように電子注入層の材料として
弗化マグネシウムに限定することは,単なる周知の材料を特定したにすぎ
ないとの審決の認定判断は誤りである旨主張する。
ア本願補正発明の特許請求の範囲(請求項1)の記載によれば,本願補
正発明は,「基板と,前記基板上に・・・得られる薄膜トランジスタ
と,・・・前記基板の表面を平坦化する平坦化膜と,・・・コンタクト
ホールと,前記コンタクトホールを充填する金属及び前記金属を含む前
記平坦化膜上に設けられた電子注入層を陰極とし,前記陰極の上に・・
・電子輸送層を含む有機エレクトロルミネッセンス素子とからなる表示
装置」であるから,「基板−トランジスタ部−陰極層−発光層(有機E
L層)」の順に積層される構成を有するものであり,上記構成によれ
ば,「発光層(有機EL層)」の上に「陽極層」が積層されることにな
ることは自明であるから,本願補正発明の有機EL素子は,原告がい
う「逆積層型かつトップエミッション型」に属するものと認められる。
また,審決認定の一致点を参酌すると,先願発明の有機EL素子も,「
逆積層型かつトップエミッション型」に属するものと認められる。
イ次に,原告は相違点2に係る先願発明の構成(「電子注入層が・・・
絶縁性のアルカリ金属又はアルカリ土類金属化合物」からなること)を
争っておらず,先願明細書(甲1)には,アルカリ金属又はアルカリ土
類金属を含む絶縁性化合物の具体例として,「フッ化リチウム(Li
F),酸化リチウム(LiO),フッ化バリウム(BaF),酸化バリ22
ウム(BaO),フッ化カルシウム(CaF),酸化カルシウム(Ca2
O),酸化ストロンチウム(SrO)または酸化セシウム(CsO)を2
用いることができる。」(段落【0013】)との記載がある。
ウ(ア)一方,甲5(特開平10−321376号公報)には,次の記載
がある。
①「上記有機発光層(4)上に上記した陰極を形成する。以上,陽
極(1)上に,・・・有機発光層(4)および陰極(5)を順次形
成したが,陰極(5)上に各層を順次形成してもよい。」(段落【
0053】)
②「本発明においては,有機発光層(4)と陰極(5)の間に図2に示
したごとく,電子注入層(7)を形成してもよい。電子注入層は,電
子輸送材料と金属との混合物層または金属フッ化物層として形成さ
れることが好ましい。係る電子注入層を形成することにより,さら
に発光素子の発光輝度を上げることができ,駆動電圧を低くするこ
とで,長寿命化できる等の効果がある。」(段落【0054】)
③「電子注入層を金属フッ化物で形成する場合,該金属フッ化物と
してはLiF,MgF,CaF等が使用でき,中でもLiF,Mg22
F,CaFを使用することが好ましい。」(段落【0059】)22
④「有機エレクトロルミネセンス素子においては,発光が見られる
ように,少なくとも陽極(1)あるいは陰極(5)は透明電極にす
る必要がある。この際,陰極を透明電極とすると透明電極が酸化劣
化しやすく透明性が損なわれやすいので,陽極を透明電極にするこ
とが好ましい。」(段落【0016】)
(イ)上記(ア)①,④の記載によれば,「陽極(1)上に,・・・有機
発光層(4)および陰極(5)を順次形成したが,陰極(5)上に各
層を順次形成してもよい。」のであるから,甲5には,基板の上に「
陽極層−発光層(有機EL層)−陰極層」の順に積層される「順積層
型かつボトムエミッション型」の有機EL素子とともに,基板の上
に「陰極層−発光層(有機EL層)−陽極層」の順に積層される「逆
積層型かつトップエミッション型」の有機EL素子が開示されている
ものと認められる。
そうすると,原告の主張のうち,少なくとも,甲5に「逆積層型か
つトップエミッション型」の有機EL素子が開示されていないことを
理由に,甲5が先願発明に適用する周知技術(周知例)としての適格
性を欠くとの主張は理由がない。
(ウ)また,上記(ア)②,③の記載によれば,有機発光層(4)と陰極(5
)の間に形成される電子注入層(7)としては,金属フッ化物を使用する
ことができ,中でもLiF(フッ化リチウム),MgF(フッ化マグ2
ネシウム),CaF(フッ化カルシウム)を使用することが好ましい2
ことを理解することができる。
エ(ア)さらに,甲2(特開平11−354284号公報)には,次の記
載がある。
①「図1∼4は本発明の有機電界発光素子の実施の形態を示す模式
的な断面図であり,1は基板,2は陽極,・・・6は電子輸送層,
7は陰極を各々表わす。」(段落【0043】),「図1∼4は,
本発明で採用される素子構造の一例であって,本発明は何ら図示の
ものに限定されるものではない。例えば,図1とは逆の構造,即
ち,基板1上に陰極7,電子輸送層6・・・陽極2の順に積層する
ことも可能であり,・・・同様に,図2,図3及び図4に示したも
のについても,前記各層構成を逆の構造に積層することも可能であ
る。」(段落【0112】)
②「更に,陰極と電子輸送層6の界面にLiF,MgF,LiO等22
の極薄絶縁膜(0.1∼5nm)を挿入することも,素子の効率を向
上させる有効な方法である(Appl.Phys.Lett.,7
0巻,152頁,1997年;特開平10−74586号公報;I
EEETrans.Electron.Devices,44
巻,1245頁,1997年)。」(段落【0111】)
③「陽極2の厚みは,必要とする透明性により異なる。透明性が必
要とされる場合は,可視光の透過率を,通常60%以上,好ましく
は80%以上とすることが望ましく,この場合,厚みは,通常,5
∼1000nm,好ましくは10∼500nm程度である。」(段
落【0045】)
(イ)これらの記載によれば,甲2には,「順積層型かつボトムエミッ
ション型」の有機EL素子とともに,「逆積層型かつトップエミッシ
ョン型」の有機EL素子が開示されていること(上記(ア)①,③),
陰極の上に積層される極薄絶縁膜(0.1∼5nm)(「絶縁性電子注
入層」に相当)の材料として,LiF(フッ化リチウム),MgF(2
フッ化マグネシウム),LiO(酸化リチウム)が用いられること(2
上記(ア)②)を理解することができる。
オ上記ウ及びエを総合すれば,先願発明の出願当時,「順積層型かつボ
トムエミッション型」の有機EL素子のみならず,「逆積層型かつトッ
プエミッション型」の有機EL素子においても,絶縁性電子注入層の材
料に使用されるアルカリ土類金属化合物として,MgF(フッ化マグネ2
シウム)は周知のものであったことが認められる。
そうすると,先願明細書に接した当業者であれば,先願発明において
電子注入層に使用される絶縁性のアルカリ土類金属化合物(上記イ)の
一つとして,フッ化マグネシウムが用いられることを理解することがで
きるから,本願補正発明のように電子注入層の材料として「弗化マグネ
シウム」に限定することは,単なる周知の材料を特定したにすぎず,相
違点2は,実質的な相違ではないとした審決の判断は是認できるという
べきである。
2結論
以上のとおり,原告主張の取消事由は理由がなく,他に審決を取り消すべ
き瑕疵は見当たらない。
よって,原告の本訴請求は理由がないから,これを棄却することとし,主
文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第3部
裁判長裁判官佐藤久夫
裁判官大鷹一郎
裁判官嶋末和秀

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激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
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