弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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○ 主文
原判決を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
○ 事実
一 当事者の求めた裁判
1 控訴人
主文と同旨
2 被控訴人
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
二 当事者の主張
当事者の主張は、原判決事実摘示のとおりである。ただし、原判決四四枚目裏一行
目の「始め」を「初め」に、同四六枚目裏九行目の「隠密理」を「隠密裡」に改め
る。
三 証拠関係(省略)
○ 理由
第一 本件拒否処分及び異議申立て
被控訴人は、昭和五七年九月当時シリアに在留していたが、同月一日、在シリア日
本大使館を経由して、控訴人に対し、数次往復用一般旅券の発給の申請(本件申
請)をしたところ、控訴人は、昭和五八年二月一七日付けで、一般旅券の発給をし
ない旨の本件拒否処分をし、同年三月二日、「貴殿の従前からのいわゆる日本赤軍
との密接なる関係にかんがみ、貴殿は旅券法一三条一項五号にいう著しくかつ直接
に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由
がある者に該当する。」との処分理由を付記して、本件拒否処分を被控訴人に通知
した。
被控訴人は、同年四月二〇日、本件拒否処分につき控訴人に対し異議申立てをした
ところ、控訴人は、同年六月二〇日付けで、異議申立てを棄却する旨の決定をし、
同月二二日に被控訴人に通知した。
以上の事実は、当事者間に争いがない。
第二 旅券法一三条一項五号の規定が憲法に違反するとの被控訴人の主張について
当裁判所も、右主張は失当であると判断する。その理由は、原判決理由第二(六〇
枚目表三行目から同裏五行目まで)に記載のとおりである。
第三 そこで、本件拒否処分が適法であるかどうかについて検討する。
一 理由付記不備の主張について
当裁判所も、被控訴人の右主張は採用できないと判断する。その理由は、原判決理
由第三の二(六二枚目裏九行目から六六枚目裏一行目まで)に記載のとおりであ
る。
二 旅券法一三条一項五号該当性の有無について
控訴人は、被控訴人が日本赤軍と密接な関係、すなわち、日本赤軍に対して有形無
形の支援活動をするなどしてその破壊活動を援助助長するような関係(以下「密接
な関係」というときは、このような関係を指す。)にあったとした上で、被控訴人
は旅券法一三条一項五号の「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為
を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」に当たると主張するので、
判断する。
1 日本赤軍の組織実態及びその破壊活動等
この点についての認定判断は、原判決理由第三の三1(六六枚目裏末行から七一枚
目表九行目まで)に記載のとおりである。ただし、原判決六七枚目裏一〇行目の
「オないしク」の次に「及びサ」を加え、同六八枚目表一行目の「ケないしシ」を
「ケ、コ、シ」に改め、同四、五行目の「窺い得ないではない。」を「認めること
ができる。」に改める。
2 被控訴人と日本赤軍との関係について
(一) 被控訴人の出入国及び中東における移動の状況について
(1) 控訴人の主張3の(二)の(1)のア及びウないしオの事実は、当事者間
に争いがない。
そして、甲第八号証、第四〇号証の二及び被控訴人本人尋問の結果によると、被控
訴人が関係した赤三日月社は、PLOの機関で、多数の病院、診療所、医院等を開
設し、医療を中心とする社会事業を行うほか、アラブの赤十字社連盟及び赤三日月
社連盟に加盟し、また、赤十字国際委員会、世界保健機構(WHO)等にオブザー
バーの資格で参加するもので、おおむね我国の日本赤十字社に相当する活動を行う
機関であると認められる。
(2) aとの関係について
前記争いのない事実と乙第三七号証の一、二及び被控訴人本人尋問の結果による
と、昭和四六年四月にパレスチナ難民支援センター等の後援により、ボランティア
医師として、看護婦のaとともに日本を出国した被控訴人は、昭和四六年冬ころ、
それまでaとともに稼働していたベイルート市内にある赤三日月社のアルコッツ
(英語名ジェルサレム)病院から、被控訴人のみがレバノン南部スールのラシャデ
イーエキャンプ内にある同じ赤三日月社の療養所に移籍して、同療養所の診療所で
稼働するようになったが、同時に週のうち何日かは定期的に同キャンプ内にあった
PFLPの診療所で診療を行うことになったこと、aは、右のころから被控訴人の
行動を政治的であると考えるようになり、a自身は人道的立場から診療活動に参加
したいとして、被控訴人と行動をともにせずベイルートにとどまり、右以降は、被
控訴人とaは別個に行動するようになったこと、被控訴人とaは、昭和四七年五月
のテルアビブ・ロッド空港事件についても議論をし、その評価について意見が分か
れたことが認められる。
(二) bとの交際関係について
甲第三二号証、乙第三七号証の一、第三八ないし第四〇号証、第九二、第九三号
証、証人cの証言及び被控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人は、昭和四六年
四月にaとともにベイルートに渡航した後、ベイルート市内においてbと知り合っ
て何回か会ったこと、同年五月末ないし六月ころ、映画監督d(本名c)及び当時
dとともに映画製作に携わっていたeが映画撮影のためにベイルートを訪れた際
に、b、aとともにdらに会ったこと、同年夏ころbを診察したことがあったこと
が認められる。
しかし、乙第七号証、第一一一、第一一二号証、証人fの証言及び被控訴人本人尋
問の結果によると、当時は日本赤軍がまだ結成されていないか、少なくとも表立っ
た活動を開始していなかった時期であり(日本赤軍が共産同赤軍派から分派したの
は同年一一月ころである。)、bもPFLPと接触をもっていたものの、その所在
を明らかにしてベイルート在留の報道関係者その他の邦人と公然と交際に、在レバ
ノン日本大使館員とも接触をもっていたものであること(bが所在をくらましたの
は、昭和四七年四月ころのことである。)を認めることができる。
被控訴人とbのその後の関係については、後に検討する。
(三) gの供述について
(1) 乙第四七ないし第五三号証、証人g、同f、同hの各証言及び被控訴人本
人尋問の結果によると、次の事実が認められる。
gは、昭和四九年二月ころストックホルムに滞在していたが、日本赤軍構成員であ
るiの誘いによって翻訳作戦(西ドイツのデュッセルドルフの日本商社員誘拐・身
代金強奪作戦)に参加し、主に西ドイツのケルンに住んでデュッセルドルフの日本
商社員の行動調査に当たっていたところ、同年七月二六日に日本赤軍の構成員であ
るjがパリで逮捕された(パリ事件)ことから、危険を感じて同年八月末にベイル
ートに逃走し、同年一〇月初めからはバクダッドに滞在し、同年一一月末又は一二
月初めにいったんベイルートに戻った後、同年末にストックホルムに帰った。
そして、昭和五〇年八月アメリカに密入国するため、偽造の選挙人登録カード等を
アメリカとカナダの国境の検問所で示した際に発覚し、日本に送還されて、同年九
月一日に偽造有印私文書行使の被疑事実により逮捕勾留されて取調べを受け、同事
実により起訴されて有罪判決を受けた。
(2) 右取調べの際に作成されたgの警察官に対する供述調書の中に、次の二通
の調書が存在する。
(1) 昭和五〇年九月八日付け供述調書(乙第五二号証)
これは、gが昭和四九年八月末にベイルートに逃走した当時、ベイルートに残って
いた人物としてb、k、l、m、e、痩身の二〇歳くらいの日本人女性、nと並ん
で「o(日本人女性三〇歳くらい)」を挙げ、警察官の示した一三〇葉の写真の中
から被控訴人の写真を選んで「o、三〇歳くらい女」と特定した旨の供述調書であ
る。
右の被控訴人の写真は、被控訴人が昭和四四年ころ日本でデモ行進に参加して検挙
された際に撮影されたもので、被控訴人が常時使用していた眼鏡をかけない状態で
写されているものである。
なお、右調書において、gは、ベイルートでbらが「なみだ橋」と呼んでいたハム
ラ地区にあるアパート(三部屋)に出入りしたと供述している。
(2) 昭和五〇年九月一五日付け供述調書(乙第五三号証)
これは、ベイルートに逃走したgが、ベイルート滞在中のこととして「この期間は
ハーグ事件の発生があり、ベイルートの日本赤軍は緊張に包まれておりまし
た。・・・・・・・・・b、k、私、e、lらは、拠点の『なみだ橋』に集まり、
ラジオ、新聞などに注意深く関心を払い焦慮のときを過しました。この拠点には、
主としてb、k、私、遅くなってnらがつめ、時々e、二〇歳くらいの日本人女
性、o、lらが来て、コマンドがいつどこで動くか待っていたわけです。」と供述
をした旨の調書である。
(3) そこで、右gの各供述調書の信用性について検討する。
gは、本件における証人尋問において、当時ベイルートで被控訴人と会った記憶は
ない、前記(1)(2)の供述及び写真の特定は警察官からpの供述を告知されて
したものであって警察官の誘導によるものである、前記の供述部分は自分と直接関
係がなかったので警察官の言うことをそのまま追認したものであるなどと述べるけ
れども、右の証言は、記憶がないとか言いたくないなどとして明確な証言を避けた
部分も少なくない上、全体として相当曖昧なものであって、右証言から、前記供述
が警察官の誘導によるもので信用できないものとみることはできないというべきで
ある。また、警察当局は、gの取調べ以前にp、nを逮捕して、その供述を得てい
たものであり、「o」なる者の存在についても情報を得ていたことが認められるが
(証人f、同hの各証言)、gの取調べ当時、右「o」が具体的な捜査の対象にな
っていたとの形跡はうかがわれないのであるから、gの取調べに当たった警察官が
「o」に関して右pらの供述や情報に基づいてgを誘導し、虚偽の供述を得たもの
と疑うのは合理的でない。gの「o」に関する供述は、前記のように比較的簡単な
もので、コマンドの動きに注目していたという以上にその具体的行動に言及してい
ないのであるが、この点も、右の供述が警察官の誘導に基づく虚偽のものであるこ
とを疑わせるに足りるものとはいいがたい。さらに、gの証言によると、gは、特
に逮捕当初は朝早くから夜も比較的遅くまで相当長時間にわたって取り調べを受け
たこと、g自身の容疑事実については早い段階で自白したので、その後は主として
日本赤軍について供述を求められたことが認められるが、gの証言によっても、取
調べが特に苛酷なものであったとの事実は認められず、かえって、証人hは、取調
べは無理なく行われ、ときにはgから冗談も出るほどであったと供述しているので
ある。
そして、前掲(1)の供述調書において、gは、供述を始めるに当たり警察官から
供述拒否権の告知を受けて、「もうそういうことはいいですよ。九九パーセントま
で言っていますよ。」と答えた上で前記の供述をしたものであり、(1)(2)の
調書は、翻訳作戦をめぐる状況等について自らの経験した事実を詳細かつ明確に供
述し、知らないことは知らないと述べるなど供述がごく自然であること、(2)の
供述調書については、途中で削除を求めたり、署名指印するに当たって調書を読み
聞かされた上で自ら補足の供述をして追加記載を求めたりしており、また自らなみ
だ橋の位置や内部の状況を図面に書いていること、さらに、gは、逮捕当座は救援
対策本部の弁護士を弁護人に選任していたが、その後同弁護士を解任し、救援対策
本部の物品の差入れも断ったこと(gの証言)が認められる。これらの事情にかん
がみると、gが前記供述調書において虚偽の供述をしたとは認めがたい。
次に、被控訴人は、gの供述調書にある「o」が被控訴人を意味するとはいえない
と主張するが、当時レバノンには被控訴人以外に日本人女性の医師はいなかったこ
とは被控訴人自身が認めるところであり、また、甲第二六号証、乙第八一、第八二
号証、証人qの証言によっても、被控訴人が、「r」(「「幸せ」を意味する現地
語で被控訴人の現地名)を付して「s」などと呼ばれていたことが認められるか
ら、被控訴人が「o」と呼ばれていたことは明らかというべきである。
被控訴人は、gが選んだ写真と昭和四九年当時の被控訴人との同一性や、被控訴人
の年齢を三〇歳くらいとしたことを疑問として提起するところ、たしかに、gの選
んだ写真は昭和四九年よりも数年前のものであり、眼鏡をかけていないものである
のに対し、昭和四九年当時被控訴人は黒ぶちの眼鏡をかけていたことが認められ
(被控訴人の供述)、また、被控訴人によると、栄養状態がよくなかったので写真
の当時よりもやせていたというのであるが、このことをもって、gが被控訴人の写
真を選んでなみだ橋で見かけたとしたことを誤りであるとするのは根拠不十分とい
うべきである。
さらに、前記認定のとおり、被控訴人は昭和四六年冬にレバノン南部のスール地区
に赴き、昭和四九年当時も同地区に居住して診療活動に当たっていたものと認めら
れるところ、被控訴人は、gが見かけたと供述した昭和四九年九月当時被控訴人は
同地区における診療活動のため多忙であり、また当時のレバノンの危険な情勢から
してベイルートに赴くことは不可能に近かったと主張するので、検討する。甲第四
六、第四七号証の各一、二、第四八ないし第六一号証、第六三ないし第六五号証、
第六七ないし第七五号証、証人qの証言及び被控訴人本人尋問の結果を総合する
と、スールとベイルートとの距離は約七五キロメートルで幹線道路が設けられてお
り、その間の主な交通手段はバス又は乗合いタクシーであったこと、レバノンにお
いては、昭和五〇年から内戦状態になったが、前年の昭和四九年もイスラエルから
の攻撃に加え、レバノン国内各派の抗争も激しくなり、このような当時の情勢か
ら、スールとベイルートの往来は危険であったとは認められるが、昭和四九年九月
当時、その往来が不可能あるいは著しく困難であったとは認めがたい(被控訴人
は、スールヘ行ってからも、時折ベイルートに出掛けて英字新聞を購入したりその
折にaと会ったりしていたが、昭和四九年春ないし七月ころからは多忙と往来に困
難が伴ったことからベイルートへ行く回数が減り、昭和五〇年に入ってからは内戦
状態でベイルートへ行ける状態ではなかったと供述するが、昭和四九年九月当時ベ
イルートへの往来が不可能であったとまでは供述していない。)。また、前記のと
おり被控訴人は当時スール地区で医療活動に従事していたと認められるものの、昭
和四九年当時の被控訴人の具体的な行動は明らかでないのであって、同年九月前後
に被控訴人がベイルートに滞在していた可能性も否定できない。このようにしてみ
ると、当時のレバノンの情勢等から、被控訴人がベイルートにいた可能性がないと
いうことはできない。
(4) 以上のとおり、前記gの供述調書の被控訴人に関する部分についてその信
用性を否定すべき事情は認められず、右調書によると、被控訴人は、昭和四九年九
月当時、ベイルートにいて、時々日本赤軍の拠点に来て日本赤軍の構成員とともに
ハーグ事件のコマンドの動きに注目していた事実があると認めることができる。
(四) pの供述について
(1) 1において認定した日本赤軍の破壊活動等に関する事実及び乙第二八号
証、第五二号証、第一二六号証によると、pは日本赤軍の構成員であり、昭和四八
年五月に出国してベイルートで日本赤軍に合流した後、翻訳作戦に参加して、昭和
四九年五月末ないし六月初めころから同年八月ころまでデュッセルドルフに滞在し
たが、翻訳作戦の失敗後、同年九月のハーグ事件に参加し、その後昭和五〇年三月
にストックホルム事件で逮捕されたが、同年八月のクアラルンプール事件の際に日
本赤軍に奪還され、昭和五二年九月のダッカ空港事件に参加したことが認められ
る。
(2) そして、甲第六二号証、乙第一一一号証、一六八号証及び証人fの証言に
よると、pは、ストックホルム事件で逮捕され日本へ送還されて取調べを受けた
が、この際に作成された警察官に対する昭和五〇年五月二日付け供述調書(乙第一
六八号証)において、「いままで話してきた人物について写真を見ながら説明す
る」として、警察官の示した五一葉の写真の中から、t、bらの写真合計二一葉と
ともに、被控訴人の写真一葉を抽出し、これについて「名前は知りませんが、ベイ
ルートで見たことがあります。アジトで偶然見かけたことがあります。この人がu
であることは今はじめて知りました。」との供述をしていること、右の被控訴人の
写真は、右(三)のgに示された写真と同じく被控訴人が昭和四四年ころ日本でデ
モ行進に参加して検挙された際に撮影されたものであり、gが前記乙第五二号証の
調書で選んだ写真と同一人物が写っていることは明らかであるが、pが抽出したも
のは被控訴人が眼鏡をかけて写っているものであること、pの検察官に対する昭和
五〇年五月六日付け供述調書(甲第六二号証)にも、乙第一六八号証と同一内容の
供述が記載されていることが認められる。
(3) そこで、右pの供述調書の信用性について検討する。
前記認定の事実からすると、pが被控訴人の写真で特定した人物を見かけた時期
は、被控訴人の写真が撮影された時期よりも四年ないし六年くらい後であると考え
られるので、当時の被控訴人の容貌が写真のとおりであったかに疑問がないではな
く、また、pの供述調書の内容にかんがみると、pはそれまでにほとんど接触のな
かった人物をたまたまベイルートのアジトで見かけただけで話をしたわけでもない
ものとうかがえるのであるから、その人物について正確な認識・記憶ができたかに
も疑問が生じないではない。しかしながら、pの供述調書は、写真の人物を特定で
きるものは特定し、断定できないものについては似ているとしながらも名前を断定
せず、忘れたものはそのように述べるなど、全体として明確かつ自然であって誇張
などはない。また、証人fも、pは当初否認していたが、その後事実を自ら自供す
るようになり、その取調べに無理な点などはなかったと供述しているのであるか
ら、これらに照らすと、pが被控訴人の写真を選んでアジトで見かけたことがある
人物であるとした供述を信用できないものとすることはできないし、他にpの供述
の信用性を疑わせるような証拠はない。
(4) 右pの供述調書によると、被控訴人がベイルートの日本赤軍のアジトに出
入りしていたことがあるものと認定することができる。
(五) vの手紙文について
(1) 乙第七九号証、第一一一号証、第一五二、第一五三号証及び証人fの証言
によると、次の事実が認められる。
警察官が昭和四九年二月五日に、eを中心として結成された日本赤軍の国内支援組
織であるIRF・ICの事務所を捜索した際、用箋三枚に書かれた中途までの手紙
文のコピー(乙第一五三号証)を発見押収したが、右手紙文の原本は、dとeが製
作した映画「赤軍―PFLP・世界戦争宣言」の上映運動をフランスで行うために
昭和四八年一〇月一二日に出国したvが、PFLP及びbと連絡をとるために立ち
寄ったベイルートからeにあてて出したものであり、右手紙文の中に、次の三つの
記載部分がある。
「(ベイルートで)w君とまず会い、その時彼女が私と会う必要はないと言ってい
たと聞かされ、愕然とした。彼女は、私と会うためには、私がパリでまず上映運動
をやってみる、それで何か月か成果が上がってから、相互の経験を交流しようとい
うのだそうである。・・・・・・・・・それも結構と諦めていたところに、oと
三、四日後に会い、oもまた彼女の見解として、私がパリで自活するといってい
る、どこまでやれるか頑張らせたところで、それから会ってみようということを伝
えた。」
「xとyがやって来、いろいろ経過があって、彼女と会う羽目になったとき、さい
わいz氏を含めて四人がつるんでいたときだから、彼女もついに私と会うこととな
り、結局、テープどりが終わる二日間さらに待たされ、話した。」
「翌日、テープに収録しつつ行われたz氏を含めた三者会談で、例によって連絡が
悪く、私が遅参していた最初の三〇分間に行われた彼女の問題提起
が・・・・・・」
(2) 他方、乙第七九号証、第九四号証、第一一一号証、第一五四、第一五五号
証、証人f、同cの各証言及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。
dとシナリオライターp1は、bの著書出版のため、昭和四八年一〇月二〇日にベ
イルートに渡航し、同年九月一〇日に出国したzとベイルートで会った。d及びp
1とzとは、それぞれ同年一〇月二八日ころまでの間にbと会見し、d及びp1は
その結果をb著「わが愛わが革命」という書物として出版し、zは雑誌「流動」
(昭和四九年二月号)にbとの会見記を掲載した。p1は、右「わが愛わが革命」
の後書きにbとの会見について「丸二日かかって、収録したテープが一二時間分」
と書いており、また、雑誌「流動」の右会見記には、zとbとの会見に途中から
「M氏」なる人物が参加したものとされている。
このように、前記vの手紙文の内容は、右事実と符合する点があるので、vの手紙
文には一応信用性を認めることができる。そして、手紙文中の「彼女」はbを、
「x」はp1を、「y」はdを、それぞれ指すものと認められるから、右手紙文に
よって、vが昭和四八年一〇月一二日ころから同月二八日ころまでの間に、ベイル
ートで「w君」及び「o」を通じてbからの連絡を受けた後、p1、d及びzと合
流してbと会見した事実をうかがうことができる。
(3) そこで、vの手紙文中の「o」が被控訴人を指すものかどうかが問題とな
る。
先に(三)で検討したところからすると、被控訴人はレバノンにおいて「o」ない
し「p2」と呼ばれており、また、当時レバノンに滞在していた日本人で被控訴人
以外に「o」と呼ばれていた者がいたとは認められないから、右の「o」とは被控
訴人を指すものと認めるのが自然である。
そして、先に(二)で被控訴人とbとの交際関係に関して認定したとおり、eは既
に昭和四六年にベイルートで被控訴人と会っていたのであり、vとeの間で被控訴
人を「o」と呼んでいたとしても何ら不合理はない。
なお、後に検討するeが作成したと認められる換字表では、被控訴人を指称するの
に「p3」という現地名が使用されていて、「o」の語は用いられていないけれど
も、前記のとおりgは被控訴人が「o」と呼ばれていたと供述しているのであるか
ら、前記手紙文の「o」が被控訴人を指すことを否定することはできない。
(4) そうすると、昭和四八年一〇月当時、被控訴人がベイルートにいてbの意
向をvに伝えるという行動をとったことがあると認められる。
(六) eのノートについて
(1) 乙第四〇ないし第四六号証、第七七号証、第一一一、第一一二号証、第一
五六号証及び証人fの証言によると、次の事実が認められる。
eは、dとともに映画の製作に当たっていたが、その後日本赤軍と合流して、日航
機ハイジャック事件の直後の昭和四八年八月一三日にパリで同事件に関する日本赤
軍の声明を発表するなど、日本赤軍のスポークスマン的な役割を果たすようになっ
た者であるが、警察官が日本に帰国していたeを昭和四九年二月四日東京駅で発見
して警視庁に同行を求め、シンガポール事件に関してeの着衣及び携帯品を捜索し
た際、表紙の中央上部に「I・R・F」と、その下部に「p4」と記載されたeの
ノート(乙第一五六号証)を発見押収した(右の際同時に、(七)で検討する第一
及び第二の換字表も押収された。なお、eは、その後同年八月までに日本を出国し
てベイルートの日本赤軍に合流し、その後も昭和五二年一〇月にニコシアでダッカ
空港事件について記者会見するなど、日本赤軍のスポークスマンとしての活動を続
けた。)。
(2) 乙第一五六号証によると、右ノート中に次の記載部分があることが認めら
れる。
「日本人戦士奪還闘争
1 H・J闘争の国内評価醸成と陳情攻セ
A I・R・F、パレ解、パレ人支、パレ研等を通して、リビア大使館への陳情
(東京5・30行動実委)
B リビア政府への陳情電文攻セ(東京5・30行実委)
C リビア政府(トリポリ)への直接陳情(抗ギ)代表派遣(アラブ赤軍=p2、
東京から=p5)」
(3) ところで、乙第一五七号証によると、昭和四八年一一月発行のパレスチナ
人民支援センター機関誌「支援センターニュース」に、日航機ハイジャック事件に
関し「われわれはリビア政府が四人のハイジャッカーを解放戦士として取り扱うよ
う大使館を通して要請してきた」との記事が掲載されていることが認められ、右記
事は、eのノートのIAの記載と符合する。
そうすると、前記ノートの記載のICの部分は、日航機ハイジャック事件に関して
リビア政府に対する直接陳情のため、アラブ赤軍から「p2」を、東京から「p
5」をそれぞれ派遣する計画を記載したものとみることができる。
(4) そして、当時ベイルートの日本赤軍ないしその周辺にいた者の中で「p2
(o)」と呼ばれていたのは、医師である被控訴人以外にはないと考えられる。も
っとも、本件の証拠全体に照らしてみたとき、被控訴人が日本赤軍を代表してリビ
ア政府と交渉するほどの地位にあったかについては、疑問の余地があるので、右の
計画がどれほど具体的に検討されたものであるのかについて疑問があり、また、右
の計画のとおりの交渉が行われたと認めるべき証拠は見当たらないが、少なくと
も、eがそのようなことを考えた可能性があることは否定しがたい。なお、被控訴
人は、eのノートの「p2」はベイルートでハイジャッカーの釈放交渉をした庄司
弁護士を指すものであると主張するが、その裏付けはない。
(七) 換字表について
(1) 乙第三号証の一、第七七号証、第七八号証の一、二、第七九号証、第八〇
号証の一、二、第一一一号証、第一五二号証、第一五六号証、第一五八号証、第一
六七号証、証人fの証言及び被控訴人本人尋問の結果によると、次の事実が認めら
れる。
警察官は、前記のとおり昭和四九年二月四日にeの着衣及び携帯品を捜索した際、
第一の換字表(乙第七八号証の二)及び第二の換字表(乙第八〇号証の二)を発見
押収し、また、同月五日にIRF・ICの事務所を捜索した際、第三の換字表(乙
第一五八号証)を発見押収した。
第一の換字表は、三葉のメモからなり、各葉の両面を用いて、「1 p6」に始ま
り、「191p7(上記別紙)」で終わる人名・地名その他の名詞を1から191
までの数字に対応させた手書きの記載があり、その二番目に「2p3」との記載が
ある。また、右「191p7(上記別紙)」の記載のある三葉目の裏の上部に、
「同封のp8さんあての手紙を下記に転送して下さい。至急(住所は秘にひかえと
いて)」として、特定人の住所氏名の記載のあるbの筆跡のメモが貼付してあっ
た。
第二の換字表は、二葉のメモからなり、各葉の表を用いて「1 t」から始まり、
「183p9」で終わる人名・地名その他の名詞を1から183までの数字に対応
させた手書き記載があり、その二番目に「2u」との記載がある。また、一葉目の
裏に0から9までの数字を平仮名に、また1から12までの数字を他の数字に対応
させた記載もある。
第三の換字表は、押収当時切り裂かれていたが、これを復元すると、「1 t」か
ら始まり、「253p10」、「「254p11」に終わる人名・地名その他の名
詞を1から254までの数字に対応させた記載があり、その九番目に「9u」との
手書き記載がある。また、一月から一二月までを他の月に対応させた記載がある。
そして、これらの記載はいずれもeの筆跡によるものと認められる(証人fの証
言)。
各換字表に記載されている名詞は、(1)p6(bの現地名)、p8ら日本赤軍構
成員の本名又は現地名、(2)v、dら日本赤軍と何らかの接触をもった者の名
前、(3)p12女史(p12参議院議員を指すものと推測される。)、p13、
p14、庄司ら日本赤軍にとって何らかの意義を有すると思われる者の名前、
(4)東京、成田、ベイルート、ダマスカス、フランス、モスクワ等の日本及び世
界各地の地名、(5)「H・J(ハイジャック)」、「声明」、「作戦」、「カン
パ」、「資金」、「旅券」等日本赤軍の活動内容、活動時の携帯品等に関係するも
のなどに大別することができる。
(2) そして、eは、警察官に対し、第一及び第二の換字表について、「メモに
記載された暗号は、ある人間から自分あてに来た手紙を読ものに必要なものであ
る。この暗号は自分が決めたものでなく、向こうから言ってきたものである。ある
人間の名前は言えない。」と供述した(乙第七九号証)。また、前記(六)で検討
したeのノート(乙第一五六号証)には、第一の換字表によって解読しうる暗号文
が記載されている。
右の事実によると、各換字表は日本赤軍関係者との通信用暗号文の解読に用いられ
るものであると認められる。被控訴人は、記載の順序などから、eの心覚え等を記
載したにすぎないものと主張するが、そのようには認めがたい。
(3) そして、甲第二六号証、乙第八一、第八二号証、被控訴人本人尋問の結果
によると、被控訴人はレバノン在住当時から「r」という現地名を使用し、現地の
患者らからそのように呼ばれていたことが認められるから、第一の換字表の「p
3」は被控訴人の現地名を記載したものと認めることができる。
このように、各換字表には、いずれにも被控訴人の本名及び現地名が前記のとおり
二番目、二番目、九番目の位置に記載されている。
換字表には前記のように大別される名詞が記載されているが、そのいずれも上位に
日本赤軍の幹部の名前とともに被控訴人の名前及び現地名が記載されているのであ
って、被控訴人が日本赤軍に相当近い関係にある者とされていたことがうかがわれ
る。
(八) 被控訴人の発した声明文について
(1) 乙第四号証及び証人fの証言によると、IRF・ICが、査証編集委員会
なる組織と共同で編集して昭和五〇年六月三〇日に出版した「隊伍を整えよ―日本
赤軍宣言」と題する出版物に、アラブ赤軍(日本赤軍)及びPFLP国際局やPF
LP・GC政治局等のPLO内急進派組織などの声明文と並んで、控訴人の主張す
る内容の「PFLP日本人医療隊」の声明文が三通、「日本PFLP医療委員会」
の声明文が一通掲載されていることが認められる。右声明文の内容には、テルアビ
ブ・ロッド空港事件等の日本赤軍の活動を称えるものなどのほか、日本赤軍の主張
と共通する部分がある。
(2) ところで、前記記定のとおり、当時レバノンに在住していた日本人の医療
関係者としては、被控訴人とaのみであったところ、前記認定のとおり、aは、昭
和四六年末ころから、被控訴人と行動を別にするようになり、乙第三七号証の一、
二によると、aはベイルート周辺の医療機関に勤務したのみで、レバノン南部の医
療機関に勤務したことはないことが認められるのに対し、前記声明文からうかがわ
れる声明者の所在及び時期は前記(一)で認定した被控訴人の移動状況と合致し、
また、被控訴人は、前記のとおりレバノン南部において赤三日月社の医療機関で働
く一方、PFLPの医療機関でも医療活動に携わっていたのであるから、前記声明
文の作成、発表には、被控訴人がかかわっているものと推認することができる。
右声明文は、「医療隊」などと組織の名前を用いたり、「我々」、「私たち」など
と複数形が用いられたりしているが、そのことが前記推認を妨げるものとは考えら
れない。
(3) そして、右声明文によると、テルアビブ・ロッド空港事件等の日本赤軍の
活動を称えるなどのほか、日本赤軍の主張と共通する主張が述べられており、ま
た、PFLP日本人医療隊と称しているのであるから、これらからすると、被控訴
人が日本赤軍の活動を支援していたものということができる。
(九) 新聞報道によるPFLP幹部の発言について
(1) ア 乙第八三号証によると、昭和四七年六月二日付け東京新聞に、次の二
つの記事が掲載されたことが認められる。
(1) PFLPのp15・スポークスマンが同月一日に共同通信記者と会見し、
PFLPに協力している日本人として赤軍派幹部のbと医師「p16」(被控訴人
を指すものと推測される。)を挙げ、「二人とも実によい人で働いてもらって助か
っている。」とした上、「p16さんはレバノン南部にある難民キャンプで働いて
おり、bさんは最近日本から医療機械などの救援物資が到着したので、それの使い
方を教えるため現在同じ難民の病院で働いている」と述べた旨の記事。
(2) レバノンの新聞デイリー・スターが、同日、テルアビブ空港を襲撃した日
本人はPFLPに加わっている赤軍(ジャパニーズ・レッド・アーミー)グループ
の一部である旨、同グループには女性を含む日本人医師からなる医療隊があり、赤
軍は医師、看護婦、器材からなる完全な野戦病院の提供を約束したが、これは「交
流計画の」 一部として取り決められたものである旨を報じたとの記事。
イ 右(1)の記事のうち、bに関するものは、信憑性に疑問の余地があるが、被
控訴人に関するものは、当時被控訴人がスール地区のPFLPの医療機関で働いて
いた事実と符合する。そして、少なくも、PFLPが被控訴人を右のように認識し
ていたことが明らかである。また、(2)の記事は、日本赤軍が完全な野戦病院の
提供を約束したとするなど、にわかには信じがたい内容が含まれている。
(2) ア 乙第八五、第八六号証によると、昭和五七年一二月二一日付けサンケ
イ新聞及び同日付け朝日新聞に次のような記事が掲載されたことが認められる。
日本赤軍に近いPFLP幹部が同月一九日にレバノンで時事通信記者と会見して、
最近の日本赤軍の動向を明らかにし、その中で、日本赤軍は現在一七、八人で、最
高幹部のbら少なくとも四人はシリア国内にいること、このうち、bはp17とい
うシリア人名で自分の子供といること、他の三人のうち一人は女医、もう一人は歌
が上手な女性、残りは男性で、ダマスカス市内のPFLP事務所近くに住み、外国
からの資金援助が豊富なため不自由のない生活ぶりであることを伝えた旨の記事。
イ しかし、他方、甲第六号証によると、PFLP政治局メンバーであるp18
が、被控訴人代理人に対し、PFLP幹部が日本の通信員に対してこのような内容
の情報を与えたことはない旨の書面を提出していることが明らかであり、右アの新
聞報道の信頼性には疑問がある。
(一〇) レバノン国防当局からの情報について
(1) 証人p19の証言によると、レバノン国防当局から在レバノン日本大使館
にもたらされた情報として、昭和五七年八月のPLOのベイルート撤退後にレバノ
ン国防軍がベイルート市内のブルジュ・バラジュネキャンプ内を調査した際、同年
六月まで同キャンプ内で三人の日本赤軍の女性兵士が活動しており、そのうちの一
人は「p20」という名前であったことを把握した、との情報があったことが認め
られる。
(2) 前記のとおり、被控訴人はレバノンにおいて「r」と呼ばれており、ま
た、昭和五七年六月当時ベイルートに滞在していたものであるから、右情報におけ
る「p20」は被控訴人を指すものと考えられるが、右情報の正確性、殊に「日本
赤軍の女性兵士」の具体的意味内容を明らかにする資料が他にないので、右情報の
みによって、被控訴人が日本赤軍の女性兵士として活動していたものと認めること
は困難である。
(一一) 被控訴人と日本赤軍コマンドの出入国時期の一致について
(1) 乙第一一一、第一一二号証、第一七三号証、第一七四号証及び証人fの証
言によると、次の事実が認められる。
(1) 被控訴人が初めてベイルートに向けて出国したのが昭和四六年四月二一日
であるところ、その少し前の同年二月二六日にはテルアビブ・ロッド空港事件に参
加したp21が、また、同月二八日にはbが、それぞれベイルートに向けて出国し
た。
(2) 被控訴人が昭和四七年三月にいったん帰国して、再度ベイルートに向けて
出国したのが同年五月一四日であるところ、その少し前の同年二月二九日にはテル
アビブ・ロッド空港事件に参加したp22が、また同年四月一三日にはkが、それ
ぞれベイルートに向けて出国している。
(3) 本件訴訟提起後のことではあるが、被控訴人は昭和六二年一一月二〇日こ
ろシリアから帰国したものであるところ、同月二一日にはkが帰国した。
(2) 控訴人は、右のように、被控訴人の出入国の時期と日本赤軍コマンドの出
入国の時期とが近いことを根拠に、被控訴人が日本国内において、コマンドの「一
本釣り」又は外国送り出しに何らかの役割を担っていたことが推測されると主張す
る。
しかし、証人fが自ら認めているように、右の程度の時期の近さだけで右のように
推測することは、根拠がうすいといわざるをえない。
(一二) 被控訴人のシリアにおける居住地とPFLP及び日本赤軍の勢力範囲の
一致について
被控訴人がベイルート撤退後、シリアのダマスカスに移住し、ヤルムークキャンプ
の診療所等で稼働していたことは前記(一)に認定のとおりである。
控訴人は、ダマスカスから日本赤軍がいるとされるベカー高原までがPFLPの勢
力下にあり、ダマスカスで被控訴人と日本赤軍との交流が可能であったと主張し、
その根拠として、いくつかの点を挙げるので、検討する。
(1) 乙第一〇二号証によると、昭和四九年一一月一〇日付け夕刊フジに、外国
人記者が同年一〇月三一日にダマスカス郊外の難民キャンプでハーグ事件の主犯と
されるtと会見した旨の記事が掲載されたことが認められる。
もっとも、同じ紙面に、tのシリア滞在を疑問視する日本の警察関係者の談話も掲
載されていて、同記者がシリアでtと会見したとの記事の信用性には疑問がある。
仮に右記事が真実であったとしても、それは被控訴人がシリアに移住した時期より
も八年前のことであるから、被控訴人がダマスカスに在住していたころに、日本赤
軍がダマスカス付近を勢力範囲としていたことの根拠としてはいささか弱いものと
いわざるをえない。
(2) 乙第九六号証、第一一一号証によると、本件拒否処分後に、ダマスカス経
由で日本赤軍のbらと接触したジャーナリストが存在することが認められる。
したがって、ダマスカスに在住する者は、日本赤軍と連絡をとることが不可能では
ないと考えられるが、そのことだけで、ベイルート撤退後ダマスカスに在留する被
控訴人が日本赤軍と頻繁に連絡をとっているものと認定するには根拠かうすいとい
わざるをえない。
(3) 乙第一二二号証によると、日本赤軍構成員p22を始めイスラエルの捕虜
となっていたパレスチナ・ゲリラが、捕虜交換により釈放された後、昭和六〇年七
月にダマスカスに入り、次いでダマスカス近郊にあるPFLP・GCのキャンプに
運ばれ、同キャンプからさらにレバノン東部のベカー高原にあるパレスチナ・ゲリ
ラの基地に移動したことが認められる。
(4) 以上の事実からすると、日本赤軍が根拠地としているといわれるダカー高
原とダマスカスとは比較的近く、ダマスカスからの交流も可能であると認められる
が、右(1)ないし(3)の事実のみから、被控訴人がダマスカスにあって日本赤
軍と交流をもっていたと認めるには根拠が不十分であるといわざるをえない。
(一三) 被控訴人及び日本勢力と人民新聞社との関係について
この点についての認定判断は、原判決理由第三の三2(一三)の項(一一六枚目裏
二行目から一二〇枚目表三行目までに記載のとおりであり、被控訴人が人民新聞に
投稿したことがあるからといって、そのことのみによって、被控訴人と日本赤軍と
の間に密接な関係があると認定することは困難である。
(一四) まとめ
(1) 以上の認定事実によって被控訴人と日本赤軍との関係についてみると、被
控訴人は、昭和四六年にレバノンに渡ってから、主としては、レバノン南部の赤三
日月社やPFLPの医療機関において、パレスチナ難民の病気の治療、健康に関す
る相談、さらには衛生に関する啓蒙等のいわば地道な難民救済のための医療活動に
従事してきたものであって、日本赤軍の破壊活動に直接加わったものでないことは
もとより、控訴人のみるように日本赤軍の連絡担当役を常時果たしてきたものとも
認めがたいというべきであるが、他方、昭和四八年一〇月ころbと会おうとする者
に対する連絡役を果たしたことがあること、昭和四九年九月のハーグ事件のころに
はベイルートの日本赤軍の拠点に時々赴いて日本赤軍の最高幹部を含も構成員とと
もに破壊活動の進行状況を見守っていたこと、その後もPFLP医療隊などの名で
日本赤軍やPFLPの思想行動に共鳴し、これを支持する声明文を発表していたこ
と、日本赤軍の関係者eのノートや構成員間の暗号解読のための換字表に日本赤軍
の構成員らの表示とともに被控訴人を示す記載があり、PFLPからも日本赤軍の
協力者とみなされていたこと、等の事実が認められる。
(2) そうすると、被控訴人は、日本赤軍の構成員とはいえないが、単にその共
感者、あるいは構成員とたまたま接触した者というにとどまらず、積極的に日本赤
軍の活動を支持し、これに寄与し、行動を共にしたことがあるものであって、これ
らを通じて日本赤軍の破壊活動を援助助長するような関係にあったものと認めるべ
きである。
したがって、被控訴人が従前から日本赤軍と密接な関係があったことを前提として
行われた本件拒否処分は、事実を誤認したものということはできない。
3 本件拒否処分の適否について
(一) 旅券法一三条一項五号の規定は、憲法二二条二項で保障された国民の海外
渡航の自由に対し公共の福祉の観点から合理的な制約を課したものであり、同号自
体も「著しく且つ直接に」との限定を付しているのであるから、同号に基づいて旅
券の発給を拒否するには慎重でなければならないことはもとよりであるが、同条の
趣旨、文言等に照らして考えると、同号該当性の判断については、国際情勢に精通
し、高度の専門的知識と判断力を有する控訴人に一定の裁量権が与えられているも
のと解すべきである。
(二) 日本赤軍の組織実態及びその破壊活動等は前記認定のとおりであり、本件
拒否処分当時破壊活動を継続し、今後も武装闘争を辞さない旨を言明しているもの
であるから、日本赤軍が本件拒否処分後も破壊活動を行う危険性があったことは、
明らかである。
また、乙第一八三号証、第二一四ないし第二一七号証及び弁論の全趣旨によると、
右のような日本赤軍の破壊活動に対しては、本件処分以前から国際的にも厳しい非
難が浴びせられ、世界各国は一致して自国の出入国管理を強化するなどその防止に
努め、国連総会、サミット等で繰り返しその防止のための努力と決意が表明されて
いたものであるが、各国は右破壊活動の中心的人物の所属国である我が国に対して
も出入国管理の強化及び破壊活動再発の防止に努めるよう強く期待し、我が国もこ
れに応えるべき立場にあったことが認められる。
そして、前記認定のとおり、被控訴人は日本赤軍と従前から密接な関係を有してき
たところ、本件拒否処分当時において、被控訴人と日本赤軍とのこのような関係が
以後断ち切られるとうかがわせる資料があったとは認められない。
(三) そうすると、従前の行為にかんがみ日本赤軍の破壊活動を援助助長するよ
うな関係にあると認められる被控訴人について、「著しく且つ直接に日本国の利益
又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当な理由がある者」に該
当するとした本件拒否処分の判断は、右の諸事情に照らして不合理なものではな
く、控訴人に与えられた裁量権を逸脱又は濫用した違法があるということはできな
い。
甲第一ないし第四号証、第五号証の一ないし一七、第七号証、第一〇ないし第一三
号証、第四一号証及び被控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人は、レバノンあ
るいはシリアにおいて長期間難民のために医療活動に献身してきたものであり、今
後も同地域における医療活動を継続したいとの熱意を有していることが認められる
けれども、このような事情を考慮しても、控訴人のした本件拒否処分を違法とする
ことはできない。
第四 結論
以上の次第で、本件拒否処分の取消しを求める被控訴人の請求は失当というべきで
ある。
本件控訴は理由があるから、原判決を取り消して被控訴人の請求を棄却することと
し、主文のとおり判決する。
(裁判官 佐藤 繁 岩井 俊 坂井 満)

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