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平成16年9月30日判決言渡
平成12年(行ウ)第181号 難民の認定をしない処分取消請求事件
口頭弁論終結日 平成16年7月1日
判決
原告   A 
被告   法務大臣
主文
1 被告が原告に対し平成11年5月24日付けでした難民の認定をしな
い処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
  主文同旨
第2 事案の概要及び争点
  本件は,ミャンマー国籍を有する外国人である原告が,被告に対し,出入国管理及
び難民認定法(以下「法」という。)による難民の認定の申請をしたところ,被告から,
原告の申立てに係る難民性を立証する具体的な証拠がないとして,難民の認定をし
ない旨の処分を受けたことから,この処分には,原告の難民性の判断を誤るなどした
違法があると主張し,その取消しを求めたものである。
1 前提となる事実
  次の事実は,当事者間に争いがない。
(1) 原告は,1953年(昭和28年)2月25日,現在のミャンマー連邦(以下「ミャン
マー」という。)シャン州において出生した外国人で,同国の国籍を有している。
(2) 原告は,平成10年6月17日,当時の新東京国際空港に到着し,東京入国管
理局成田空港支局入国審査官の許可を受けて本邦に上陸した。上陸許可に係
る在留資格は短期滞在,在留期間は90日間であった。
(3) 原告は,平成10年8月11日,東京入国管理局において,被告に対する難民
認定申請をしたところ,被告は,同年10月14日及び同月21日の2回にわたる
東京入国管理局難民調査官の事情聴取などを経て,平成11年5月24日,原告
について,難民の認定をしない旨の処分(前記第1記載のもの。以下「本件処
分」という。)をした。本件処分の理由は,国民民主連盟の一員であることを理由
に迫害を受けるおそれがあるという原告の申立てについては,これを立証する
具体的な証拠がないので,原告が政治的意見又は特定の社会的集団の構成員
であることを理由とする迫害のおそれは認められず,原告は難民とは認められ
ないというものである。
(4) 原告は,平成11年6月23日,本件処分に対する異議の申出をしたところ,被
告は,同年9月1日の東京入国管理局難民調査官による事情聴取などを経て,
平成12年3月9日,この異議の申出は理由がない旨の裁決をし,同年4月13
日にこれを原告に告知した。そこで,原告は,同年7月11日,本訴を提起した。
(5) なお,原告の本邦における滞在状況等は,次のとおりである。
ア 原告は,平成10年6月23日,栃木県a郡b町長に対し,外国人登録をした。
登録に係る居住地は,同町cd番地eである。
イ 原告は,前記(2)の上陸許可に係る在留期間について,平成10年9月8日,
同年12月7日及び平成11年3月9日の3回にわたり,東京入国管理局にお
いて,在留期間更新許可申請をし,いずれの申請についても在留期間更新許
可を受けたが,その後の同年6月8日に更なる在留期間更新許可申請をした
ところ,同月22日に不許可処分を受けた。
2 争点
(1) 原告は,本件処分には次の二つの違法があり,これらは本件処分の取消原因
となると主張し,被告は,これらの主張をいずれも争っている。
ア 原告の難民該当性についての判断を誤った違法
  本件処分には,原告がその当時において難民に当たっていたにもかかわら
ず,これを看過し,原告に難民性がないと判断した違法がある。
イ 理由附記の不備の違法
  原告の難民性が立証されていないことを理由として難民の認定をしない処分
においては,被告において難民性の立証がないと判断した具体的な理由を明
示しなければならないというべきところ,本件処分に附記された理由は,結局
のところ,原告の難民性を立証する具体的な証拠がないというものに尽きて
おり,理由の附記として十分ではない。
(2) 本件の争点は,前記(1)のア及びイの各違法があるかどうかであるが,このう
ち,前者(原告の難民該当性)について,原告の主張は後述3のとおりであり,被
告の主張は後述4のとおりである。
3 原告の難民性についての原告の主張
(1) 難民性の判断の在り方
ア 難民条約の解釈基準
(ア) 難民認定手続を正しく運用するためには,「難民」の定義,立証基準,立
証責任,信憑性などの諸原理について正しい解釈を得なければならない。
しかし,我が国の難民認定手続を定める法には,これらの諸原理に関する
明文の規定がなく,これらの諸原理を解明するためには法の解釈を要する
ところであるが,法の難民認定制度に関する諸規定は,我が国が難民条約
及び難民議定書を批准したことによりこれらを国内法化するために制定さ
れたものであり,その解釈は全面的に難民条約及び難民議定書の解釈に
依拠するものである。
 ことに,難民の意義については,法上の「難民」と難民条約及び難民議定
書が定める「難民」とは全くの同義であり,かつ,難民の意義について締約
国は何らの留保を付することも認められていない(難民条約42条1項)か
ら,我が国は難民条約及び難民議定書の定める難民をそのまま「難民」と
して認定する義務を負っている。したがって,「難民」の意義の解釈や,いか
なるものを難民として認定すべきかの基準については,すべて難民条約及
び難民議定書の解釈によって導かれなければならない。
 以上の理由から,難民条約の解釈は不可欠な作業となる。
(イ) 難民条約解釈のルール
 条約を含む国際法規は,これを批准した締約国間に共通の法規であっ
て,締約国間に客観的に存在し,締約国を等しく拘束する法秩序となる。し
たがって,国際法規は締約国ごとの区々の解釈がされるべきではなく,個
々の締約国の政策や思惑を超えた国際的に統一された解釈がされる必要
がある。
 このような観点からすれば,難民認定手続における諸原理を難民条約の
解釈によって導出するに際しても,その解釈が締約国ごとに独自なもので
あることは許されず,各締約国において共通に運用される,統一的かつ普
遍的な解釈がされることが難民条約それ自体の要請であることは明らかで
ある。
 「条約法に関するウィーン条約」(以下「条約法条約」という。)31条及び3
2条は,条約その他の国際法の解釈基準を定めているが,同条約はそれ
まで国際慣習法として成立した解釈基準を確認したものであるから,難民
条約もそれにより定められる解釈基準により解釈されるべきものである。そ
して,条約法条約31条は,文言解釈ないし文理解釈と称される原則に依
拠し,条約の文言が明らかに不合理な結果や条約の他の部分との整合性
を有しない結果を来したり,締約国の意図するところを明らかに逸脱する場
合を除いては,用語の通常の意味に解釈しなければならないものとし,同3
2条では,31条の規定による解釈では意味があいまい又は不明瞭である
場合,明らかに常識に反した不合理な結果がもたらされる場合には,条約
の準備作業段階の事情や条約に基づく判例法,同種の他の条約又は類似
の条項に関する裁判例を補足的手段として,解釈を行うべきであると定め
る。
 以上によれば,難民条約は,その条約文や締約国間でされた難民条約
の関係合意である「最終文書の規定」さらには,難民の人権の広範な保障
という難民条約の趣旨・目的に照らし,国連難民高等弁務官事務所(UNH
CR)の見解や難民条約を実施する各国の先例等をも解釈の準則として解
釈を行うべきである。
イ 難民認定の要件
(ア) 難民の定義
 難民として認定され,保護されるための該当条項に係る要件は,①本国
の外にあること,②十分に理由のある恐怖,③迫害,④理由であり,これら
すべての要件を合わせ満たす必要があるが,以下,本件で問題となる「国
外にいること」以外の3要件につき検討する。
(イ) 十分に理由のある恐怖
 この要件は,「恐怖」という主観的要素と,「十分に理由のある」という客観
的要素の双方を明示的に求めており,当事者の内心及びこれを合理的に
裏付ける客観的な事情の両方の要素が考慮されなければならないが,難
民の認定が覊束的なものであることからすれば,客観的な要素を確定し,
その内容をあらかじめ明確にすることが必要であり,その指標として,申請
者の個別的状況,出身国の人権状況,過去の迫害,同様の状況におかれ
ている者の事情などが考慮されるべきである。
(ウ) 迫害
 迫害とは「国家の保護の欠如を伴う基本的人権に対する持続的若しくは
系統的危害」であり,迫害の認定をするに当たって,広く経済的・社会的・精
神的自由に対する抑圧や侵害も検討されなければならず,そのように迫害
を広く捉える解釈が,条約法条約の解釈手法,難民条約「前文」との間での
整合性を有するものといえる。
(エ) 理由
 迫害の理由として列挙されている,人種,宗教,国籍,特定の社会的集団
の構成員であること,政治的意見は,これらのうちいずれか一つ以上があ
れば足り,このうちの一つであるのかいくつの理由を組み合わせるのか,ど
の一つに該当するのかといったことは申請者において特定する必要はな
い。
ウ 立証責任・立証基準
(ア) 難民認定手続は,申請者の難民該当性に関する事実認定及びあては
め作業を内容とする手続であるから,証明に関するルールが明らかにされ
る必要がある。そして,難民認定申請を行ったものが本国を捨て,保護の
確証のない外国で手続を行うものであること,本来,対立当事者間の武器
対等を前提とした対審構造が予定されたものではなく,非対審構造が予定
されていること,訴訟が過去の事実を認定する手続であるのに対し,難民
認定手続は将来予測的な事実の証明を行うものであること,難民認定機関
は,認定者であると同時に申請者に対する協力者であることが求められて
いることによれば,訴訟手続における証明のルールをそのまま導入するこ
とは妥当なものではないというべきである。そして,その証明のルールを検
討する際には,締約国各国の判例や先例が重要な参考資料となり,それら
を重視して,検討を行うべきである。
(イ) 立証責任
 難民認定手続における立証責任の問題は,訴訟手続における立証手続
とは異質のものであり,訴訟手続における立証責任の概念は妥当しない。
そして,我が国の難民認定制度立法過程での国会の審議における当時の
法務省入国管理局長の答弁や法61条の2の3の規定によれば,同条は,
難民認定申請者には身分事項,経歴,迫害の根拠とされる事由について
の説明,活動歴,自己又は同じ集団に属する他人若しくは集団自体に対す
る過去の迫害の事実,出国から入国の経過,入国後申請に至るまでの経
過,入国後の活動状況について事実を提供する義務を負わせているが,
一方で,難民認定機関においても,出身国情報や,申請者が記憶する過去
の事件の有無・内容,同種の理由による我が国への難民認定申請の有
無,同種の理由による他国への難民認定申請事例の有無,申請者の活動
を裏付ける資料の収集や申請者の知人・親族等からの事情聴取などを積
極的に行うべきである。
(ウ) 立証基準
 我が国の難民認定制度は,条約上の難民をそのまま難民として認定する
ことが義務付けられており,いかなるものが難民として認定されるべきか
は,難民条約に従って,その規定及び解釈により決せられるべきものであ
り,難民認定の目的は,紛争の解決や法的安定性の確保ではないから,そ
れらを目的とする訴訟制度のルールを導入する合理的基盤はないし,その
証明対象は,主観的要素を含み,将来予測を含むものであり,訴訟手続と
異なっており,また,判断の誤りにより侵される法益は重大であり,事後的
な回復は不可能であるから,難民認定手続の立証基準は,訴訟手続との
対比からではなく,難民条約の文言に基づき決せられるべきものであり,難
民条約の内容や難民保護の目的,各締約国の運用実務からみれば,難民
性の立証基準としての「十分に理由のある恐怖」とは,客観的な迫害の可
能性ではなく,主観的な「恐怖」に十分な理由があることであり,その「十分
な理由」とは,当該申請者がおかれた状況に,合理的な勇気を有するもの
が立ったときに,「帰国したら迫害を受けるかもしれない」と感じ,国籍国へ
の帰国をためらうであろうと評価し得る場合に,その恐怖に「十分な理由」
があるということができる。
エ 信憑性判断
(ア) 難民認定手続は,難民であることを有権的に確定する行為であるから,
認定機関は,個々の外国人が難民に該当する事実を具備しているか否か
を誤りなく判断することが要求される。そして,この事実の確定作業におい
て,申請者の申請・供述の信憑性の判断は決定的な要素となるものであ
る。そして,申請者が証言のすべてを裏付ける物証や書証を提出し得るこ
とがむしろ例外的であるという難民認定手続の特殊性をかんがみれば,信
憑性評価の重要性は一層増すこととなる。
(イ) このような難民認定手続が取り扱う保護法益の重要性,難民認定におけ
る信憑性判断のもつ重要性から,難民認定機関においては信憑性判断を
誤りなく行うことが求められ,難民認定における信憑性判断の有する,①申
請者及び難民認定機関の双方で証拠収集が制限されているという物理的
要因の特殊性,②申請者が本国において現実に迫害を受けてきたか,ある
いは潜在的に迫害の危険を有していることから,しばしば申請者の心的作
用に障害が認められることがあり,また,官憲に対する不信感・警戒心,出
身国に残る家族や知人に危害が及ぶことを避けようとする意識等が存する
という心理的要因の特殊性,③申請者が言語的障害・文化的相違をもち,
申請者の言語や概念について審査官の解釈が常に合致しているとは限ら
ないという文化的要因の特殊性,④難民認定手続について対審構造が採
られていないという構造的特殊性といった特殊性により,信憑性判断は困
難で専門的な作業となっており,これらの特殊性を十分念頭におかねばな
らず,信憑性判断が無原則なものとなれば,難民認定行為の拘束性は無
に帰することとなる。
(ウ) そして,各締約国の信憑性判断の経験上,注意すべき点の共通点をま
とめると,次のとおりである。
① 疑わしきは申請者の利益にという原則が働き(灰色の利益の原則),こ
の原則は,主張の実質的本案審議と申請者の信憑性評価の両方に適
用される。
② 信憑性についての懸念を申請者や証人に提示し,釈明の機会を与え
なければならない。
③ 信憑性についての否定的な判定には,証拠中に適当な根拠がなけれ
ばならず,申請者の供述は,単なる憶測や推測により排除されるべきで
はない。理由を説明せずに申請者の話を「あり得ない」とするだけでは不
十分であり,なぜその証言が合理的にあり得ることと明らかに矛盾する
か説明できなければならない。特に矛盾しない証言を排除する際には注
意を払うべきである。
④ 信憑性についての否定的な判定は,申請の重要な面に基づいて行わ
れるべきである。ただし,主要でないことに関する矛盾でも,それが重な
ると申請者の信憑性に疑問を投げかけることになる。
⑤ 証拠を全体として,また客観的で偏見のない目で考慮することが重要
である。
⑥ 矛盾のない,信憑性のある説明については独立した裏付けは必要では
ない。
⑦ 信憑性の欠如が理由で認めらない証拠があっても,必ずしも申請の却
下につながるとは限らない。
⑧ 矛盾を見つけるのに過度の熱意を示してはならない。認定者は矛盾点
や信憑性がない証拠などを探し,結果として申請者の信憑性を攻撃する
ために証拠を調べてはならない。
⑨ 信憑性を評価する際には事情に通じていなければならない。証言の信
憑性と価値は申請者の出身国の状況や法等について一般的に知られて
いる事実に照らし合わせて評価されなければならない。
⑩ 信憑性について明確な判定をし,それについて適切な理由が付されな
ければならない。認定者は供述の中で信憑性がないようにみえる部分を
明確に指摘し,その結論に至った理由も明確に伝える義務を負う。
⑪ 不真実表示・事実隠ぺいや証言内容の変遷は,信憑性評価に影響を
及ぼすものであるが,人が嘘をつく背景には様々な動機があり得,それ
自体は申請の却下を意味しないし,逆に,申請者の主張の信憑性を裏
付ける証拠にもなり得る。
⑫ 常識とは,歴史的に構築されたものであり,文化によって決定され,そ
れゆえ普遍的でないから,その評価は重視されるべきではない。
⑬ 手続の特徴を考慮に入れるべきである。難民認定手続はしばしば迅速
で形式張らず,本質的に探求的であり,口頭の証拠のほとんどは通訳と
いうフィルターを通している結果,認定過程は誤解の可能性に満ちてい
る。申請者の緊張,トラウマや文化的相違も混乱や誤解を作り出すこと
がある。
⑭ 信憑性判断の要素として証人の様子に頼るのは避けるべきである。
⑮ 申請の遅延は,そのこと自体決定的な要素とはならず,申請が遅れた
背景事情を追求しなければならない。
オ 難民認定手続と適正手続
 行政手続においても憲法上,適正手続の保障があることが認められており,
難民認定手続においても適正手続の保障が及ぶというべきであるところ,我
が国の難民認定手続においては,事後手続としての異議申立ては認められ
るものの,難民不認定処分を出す前に申請者に釈明の機会が与えられてい
ない点,処分書に要求されるべき理由が明記されていない点,判断の主体が
直接手続に関与していない点(直接主義違背)において,適正手続を欠くもの
といわざるを得ない。
(2) 原告の難民該当性
  次のaからdまでのとおり,原告は難民としてのすべての要件を充足してお
り,その難民該当性は明らかである。
a 出身国の外にあること
  原告はビルマ出身であり,現在日本に駐留し,当該国の外にある。
b 迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖
  原告は1973年以来,本国で反政府活動に参加し,NLDにも参加したこと
によって取調べを受け,また,学習塾や貸しビデオ屋を閉鎖させられ,その
際に,原告に関するデータが本国政府によって記録されていること,来日
後,原告が,日本において反政府活動を率先し行ってきたこと,原告が参
加した沖縄デモがビルマ国営新聞に掲載され批判されていることから本国
政府当局に把握されている危険が高いこと。
  以上の事実を,本国の政府が民主化勢力に対する徹底的な弾圧を加えて
いる状況に照らせば,原告がおかれた状況に合理的な勇気を有する者が
立ち向かったときに,「帰国すれば迫害を受けるかもしれない」と感じ,国籍
国への帰国をためらうであろう,と評価しうることは明白である。
c 迫害
  原告に及ぶ危害の内容について,生命及び身体の自由への脅威を含ん
でいることは,ビルマにおける民主化に対する弾圧の内容を見るとき明ら
かである。
d 理由
  原告には,その政治的意見を,迫害を受ける理由とする根拠がある。
4 原告の難民性についての被告の主張
(1) 難民の認定の在り方
ア 難民・迫害の意義
(ア) 法に定める「難民」とは,難民条約1条又は難民議定書1条の規定により
難民条約の適用を受ける難民をいうところ(法2条3号の2),同規定によれ
ば,難民とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であ
ること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理
由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国
の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するために国
籍国の保護を受けることを望まないもの及び(中略)常居所を有していた国
の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることがで
きないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国
に帰ることを望まないもの」とされている。そして,その「迫害」とは,「通常人
において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は
身体の自由の侵害又は抑圧」を意味し,また,上記のように「迫害を受ける
おそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,「当
該人が迫害を受ける恐れがあるという恐怖を抱いていたという主観的な事
情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱
くような客観的な事情が存在していること」が必要である。
(イ) そして,ここにいう客観的な事情があるというためには,単に迫害を受け
る恐れがあるという抽象的な可能性が存するにすぎないといった事情では
足りず,当該申請者について迫害を受ける恐れがあるという恐怖を抱くよう
な個別的かつ具体的な事情が存することが必要である。すなわち,ある国
の政府によって民族浄化が図られていることが明らかな場合はともかく,そ
うでなければ,当該政府が特に当該難民認定申請者を迫害の対象としたこ
とが明らかになる事情が存在しなければならないのである。そのことは,難
民条約及び議定書が集団全体を一個の難民として認定する手法を採用し
ていないこと,原告が頻繁に引用するUNHCR作成の難民認定ハンドブッ
クにおいても「各個人の状況はそれぞれの事案ごとに評価されなければな
らない」(43項),「ある特定の人種的集団に属するという事実のみでは,通
常,難民の地位の申請を裏付けるのに十分とはいえない」(70項),「ある
特定の宗教的社会に属するという事実のみでは,通常,難民の地位の申
請を裏付けるのに十分とはいえない」(73項),「特定の社会的集団に属す
るという事実のみでは,通常,難民の地位の申請を裏付けるのに十分とは
いえない」(79項),「政治犯罪人が難民に該当するか否かを決定するに当
たっては次のような要素が考慮に入れられなければならない。即ち,申請
人の人格,政治的意見,犯罪の動機,犯された行為の性質,訴追の性質
及び動機,そして最後に訴追がなされる基礎となっている法律の性質がこ
れである」(86項)とされていることからも明らかである。
イ 難民であることの立証責任は原告にあり,真偽不明な場合は難民とは認定
されないこと
(ア) いかなる手続を経て難民の認定手続がされるべきかについては,難民
条約に規定がなく,難民条約を締結した各国の立法政策にゆだねられてい
るところ,我が国において法61条の2第1項は,「法務大臣は,本邦にある
外国人から法務省令で定める手続により申請があったときは,その提出し
た資料に基づき,その者が難民である旨の認定(以下「難民の認定」とい
う。)を行うことができる。」と定め,申請者に対し申請資料として「難民に該
当することを証する資料」の提出を求めている(法施行規則55条1項)。こ
の法令の文理からすれば,難民であることの資料の提出義務と立証責任
が申請者に課されていることは明らかである。
 このように,難民不認定処分は,申請者が自ら難民であることを立証でき
なかったために行われる処分であることから,その提出した資料等からも
難民ではないと確認される場合と,難民であるとも難民でないとも確定的に
は確認できない(真偽不明)場合との双方を含む概念である。
(イ) このことは,難民認定処分の性質からも明らかである。
 すなわち,難民認定処分は,当該難民認定申請者(以下単に「申請者」と
いう。)が難民条約所定の「難民」であるか否かを申請者から提出された資
料に基づいて確認し,処分時において難民であることを認定する行為であ
る。このように難民認定処分は本質的には事実の確認であるが,法務大臣
により難民認定を受けていることが,他の利益的取扱いを受けるための法
律上の要件となっており(法61条の2の5,61条の2の6,61条の2の8),
この点からすると,難民認定処分は,その処分自体が申請者に対して直ち
に何らかの権利を付与するものではないものの,授益処分とみるべきであ
る。
 授益処分については,一般に,申請者側に処分の基礎となる資料の提出
義務と立証責任があると解されているのであって,このような難民認定処
分の性質からみても,難民認定の資料は,授益者となるべき申請者が提出
すべきものである。
(ウ) さらに,このことは,難民認定のための資料との距離という観点からみて
も,合理的である。
 すなわち,難民であると認められるためには,前記のとおり,「人権,宗
教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を
理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」
ことが立証される必要があり,このような難民該当性の判断の対象とされる
諸事情は,事柄の性質上,外国でしかも秘密裏にされたものであることが
多い。このような事実の有無及びその内容は,それを直接体験した申請者
こそが最もよく知ることができる立場にあって,申請者においてこれを正確
に申告することは容易である。しかも,これらの事実は難民認定を受けるた
めの積極的な事実であって申請者に有利な事実である。
 これに対し,法務大臣は,それらの事実につき資料を収集することがそも
そも困難であり,ましてや,難民該当性を基礎付ける事実の不存在を立証
する資料の収集は不可能に近い。
 仮に,法務大臣にこうした資料収集の義務を負わせるとすると,法務大臣
に難民認定手続上の過重な負担を負わせ,適正な難民認定ができなくなる
恐れが生じる。このような観点からも,法は,申請者に自らが難民であるこ
とを証明する資料を提出する義務を負わせ,真偽不明な場合には難民不
認定処分を行うことができるとしたものと解される。 
ウ 難民認定されるための立証の程度
(ア) 原告は,難民認定されるための立証の程度は,争訟手続と同様に解す
ることができず,我が国の訴訟制度において採用されている「合理的疑い
を容れない程度の証明」である必要はない旨を主張するところ,原告の同
主張が,難民認定手続において,行政庁である法務大臣が難民認定申請
者の難民該当性を判断する際に当該申請者が尽くすべき立証の程度を指
すものか,不認定処分の取消しを求めた訴訟手続において,原告として尽
くすべき立証の程度を指しているのかは必ずしも明らかではない。
 しかしながら,本件においては,原告を難民と認定しなかった被告の判断
の適否,すなわち,原告が本件処分当時において難民と認められるに必
要な「十分に理由のある迫害の恐怖」を有していたかが訴訟の場において
争われているのであるから,原告がこの点について「合理的な疑いを容れ
ない程度の証明」をしなければならないのは当然である。
 すなわち,民事訴訟における「証明」とは,裁判官が事実の存否について
確信を得た状態をいい,合理的な疑いを容れることができないほど高度の
蓋然性があるものでなければならないが,通常人なら誰でも疑いを差し挟
まない程度に真実らしいとの確信で足りる。行政事件について行政事件訴
訟法に定めがない事項については民事訴訟の例によるから,上記の民事
訴訟法の原則は,特段の定めがない限り,行政訴訟における実体上の要
件に該当する事実の証明についても当然当てはまるものである。
 以上のような民事訴訟における事実の証明は,実体法の定める全ての
要件に共通するものであり,特別の定めがないにもかかわらず,特定の類
型の事件若しくは特定の事件の特定の要件に該当する事実に限って証明
の程度を軽減することは許されない。しかるところ,難民認定手続につい
て,難民条約及び難民議定書には,難民認定に関する立証責任や立証の
程度についての規定は設けられておらず,難民認定に関しいかなる制度
及び手続を設けるか否かについては,締約国の立法政策にゆだねられて
いるが,我が国の法には,難民認定手続やその後の訴訟手続について,
立証責任を緩和する旨の規定は存しない。そうである以上,難民認定され
るための立証の程度は,難民認定手続においても,その後の訴訟手続に
おいても,通常の民事訴訟における原則に従うべきであり,難民認定申請
者は,自己が難民であることについて,「合理的な疑いを容れない程度の
証明」をしなければならない。
(イ) この点に関し,原告は,いわゆる灰色の利益論を主張するが,原告の主
張が独自の法解釈に基づくもので到底現行法の解釈とし採り得ないことは
明らかである。原告の主張する難民認定手続の特殊性については,いず
れも各事案において自由心証の枠内で当該裁判所が考慮すべきかどうか
検討すれば足りるものであり,法解釈として難民認定の立証基準や立証責
任を原告側に緩和すべき理由はない。現に裁判例をみても,一般の民事
訴訟と同様の立証責任と立証の程度を求めている。
(2) 原告の難民性
  少なくとも本件処分がされた平成11年(1999年)5月24日当時,ミャンマー政
府が原告を迫害の対象としていたなどとはおよそ考え難く,「迫害を受けるおそ
れがあるという十分に理由のある恐怖」を原告が有していたとは到底認め難いと
いうべきである。
  そのことは,次の(ア)から(オ)までの諸点から明らかである。
(ア) ミャンマー政府が原告を迫害の対象としているとはおよそ考え難いこと
  原告は,弟がSSAのメンバーとして活動していたこと,原告も大学時代から
民主化運動に参加し,NLDのメンバーであったことから,軍情報部に連行さ
れ尋問を受け,大学卒業後は塾の講師をしていたが,原告が反政府意見を
述べたことから,塾は閉鎖されたこと,その後,レンタルビデオ店を経営してい
たものの,同店に係る営業許可を,原告が行ったNLDに関係した活動が違法
であるとして取り消されたこと,その後,原告は貿易会社に勤務していたが,
平成10年(1998年)5月27日にSSAの者が政府批判のビラを配布したた
めに逮捕されたことから,政府に身柄を拘束される危険を感じ,出国したこと
をるる主張する。
  しかしながら,原告が主張する出来事は,いずれもにわかに信じ難いものば
かりである。のみならず,原告は,昭和53年(1978年)には,国立大学であ
るマンダレー大学を無事卒業している上,大学卒業後には軍の役所から許可
を得て学習塾を開き,また,昭和60年(1985年)以降においては,すべての
ビデオが政府の検閲下にある状況にもかかわらず,政府からレンタルビデオ
店の営業許可を受け,その後10年以上にわたり営業していた。そればかり
か,平成9年7月25日,原告名義の有効な旅券の発給を本国政府から受け,
平成12年4月27日には旅券に渡航先国の追加を行い,同年5月20日には
旅券に渡航目的の追加を行うといった旅券に係る各手続に関し,政府から問
題なく許可を受け,さらに,平成10年6月16日には何の問題もなく正規に本
国を出国するなど,少なくとも本件処分がされた平成11年(1999年)5月24
日当時,ミャンマー政府が原告を迫害の対象としていたなどとはおよそ考え難
い。したがって,軍の関係者が原告を逮捕しようとしているなどという原告の供
述も信用することはできず,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由の
ある恐怖」を原告が有していていたとは到底認め難いというべきである。
  そもそも,旅券とは,外国への渡航を希望する自国民に対し当該政府が発給
する文書であり,その所持人の国籍及び身分を公証し,かつ,渡航先の外国
官憲にその所持人に対する保護を依頼し,その者の引取りを保証する文書で
あるところ,原告が本国において旅券を取得し,同旅券を行使して来日したこ
とは,原告が自発的にミャンマー政府の保護を望み,かつ,これを享受したこ
とにほかならない。また,原告が,反政府活動をしていて,ミャンマー政府が原
告の身柄を拘束しようとしていたことが事実であるならば,旅券の取得も出国
自体も容易でなかったと考えられる。しかし,実際は,上記のとおり問題なく旅
券の取得に至る各手続及び出国手続を行うことができたもので,そうであると
すると,ミャンマー政府が原告を迫害の対象としていたとは到底考え難く,原
告が反政府活動に参加したことから,ミャンマー政府が原告の身柄を拘束し
ようとしていたという原告の供述自体,信用し難いといわざるを得ない。
(イ) 原告の供述は信用することができないこと
a 原告は,学生時代には反政府運動に参加し,大学卒業後,fにて子ども相
手の学習塾を開いたが,子どもたちに対し軍事政権を批判する話を行った
ことから,軍情報部から呼び出されて学習塾を閉鎖するよう命令された旨
主張し,原告本人も同旨の供述をする。
  しかし,原告が学生時代に反政府活動に参加したことを証明する客観的
資料の提出はない上,国立大学を無事に卒業するに至っていることから,
学生時代に反政府活動を行った旨の原告の供述は信用し難い。また,原
告の学習塾が閉鎖に追い込まれた旨主張するが,そもそも,反政府活動
家が政府の許可を得て学習塾を経営することは不自然である上,原告は,
自らの学習塾に軍の司令官の子供が通っているにもかかわらず,子供らに
政府批判の話をしていた旨供述している。このような原告の行動は不自然
であるばかりか,そもそも,元々反政府活動をしたことがあり,政府批判の
話を子供らにするような学習塾に軍の司令官が自らの子供を通わせること
自体通常考え難く,原告の供述は信用することができない。
b 原告は,昭和63年(1988年)ころ,学生などに民主化運動の参加を呼び
かける等の活動をしていたことから,同年9月18日に軍が全権を掌握した
後,軍情報部に呼び出されて取調べを受け,今後は政治活動を行わない
旨の誓約書に署名を強要されたこと,同月27日にNLDが結成されるとこ
れに加入し,シャン州北部支部の青年部長として活動し,平成2年(1990
年)5月の選挙の際,積極的な活動を行った旨を主張し,原告本人も同旨
の供述をする。
  しかし,他方,原告は,ミャンマーにおいて,すべてのビデオが政府の検閲
下にある状況にもかかわらず,学習塾が閉鎖された昭和60年(1985年)
から平成9年(1997年)までの10年以上の長期間にわたりレンタルビデオ
店を営業していたと供述しているのであり,このような政府の厳しい統制下
におかれた職業に,反政府活動を積極的に行っていた者が就くこと及び長
期間営業することは到底考えられず,原告が反政府活動家として軍部から
取調べを受けた旨の供述は信用することができない。また,仮に原告の主
張が事実であったとしても,原告が政府から迫害の対象とするような重要な
反政府活動家として認識されていないことは明らかである。
  また,原告は,政治に関わるビデオの複製や貸出しをしたことから,平成9
年(1997年),政府によりビデオ店の営業許可を取り消され,ビデオカセッ
トやレコーダー等を没収されたことから,店を閉めることとなった旨主張し,
原告本人も同旨の供述をする。
  しかし,当時のミャンマーにおいては,すべての輸入され,又は国内で制作
されたビデオはビデオ検閲委員会の承認を受けなければならず,これに違
反した場合,禁固刑又は罰金の適用を受けることとされていた。にもかか
わらず,原告は,難民認定申請手続及び裁判手続において,ビデオ店の閉
鎖に伴い身柄を拘束されたこと,あるいは罰金を払ったことについて全く供
述していない。したがって,原告のビデオ店を政府により閉鎖に追い込まれ
た旨の供述は信用することができない。
c 原告は,平成10年(1998年)5月27日,政府批判のビラを配布したSSA
の者が逮捕されており,同月28日か29日には,妹から軍情報部が原告を
探している旨の連絡を受けたため,本国からの出国を決意した旨主張し,
原告本人も同旨の供述をする。
  しかし,原告は,本邦入国後,間もなく行われた同年10月21日の難民調
査官の調査の際には,SSAの者が逮捕されたことを知り身の危険を感じ,
出国のために同月20日に商用目的に旅券を変更した旨述べていた。上記
の事柄は,近時の事柄であってその記憶も鮮明であるはずであり,また,
身の危険を感じ出国したとする原告にとって極めて重要な事柄と考えられ
るにもかかわらず,その供述に齟齬をきたすことは考え難いばかりか,その
後,問題なく本国を出国していることは,政府が原告を拘束すべき反政府
活動家として認識しているとすれば不自然であることから,この点に係る原
告の供述は信用することができない。
d 以上のとおり,原告が本国において反政府活動をしていたことから,政府
から何らかの危害等を受けたこと及び危害を受けるおそれがある旨の原告
の供述は,信用することができない。
  そればかりか,原告のその余の供述から,原告は,本国において,問題な
く大学等に通い卒業し,その後,学習塾,ビデオ店,輸出業に就き,一般の
会社員よりも高い収入を得て生活していたことが認められる。
(ウ) 原告の本邦における活動について
  原告は,本邦入国後において,民主化運動に参加し,ミャンマー大使館前や
都内の公園などでデモや集会を行っていたことから,本国政府から迫害を受
けるおそれがある旨供述する。
  しかしながら,在日ビルマ人協会(BAIJ),NLD-LA日本支部に所属し,デ
モに参加するなどして反政府活動を行い,帰国すれば迫害を受ける旨申し立
てていた某ミャンマー人男性は,不法残留中の妻の体調不良等を理由に自ら
も早期帰国を希望し,その際,帰国した際の自身の危険について,何ら心配
はない旨明言し,このことは在東京ミャンマー大使館においても確認した旨供
述している。このことからすると,大使館への抗議行動,民主化組織への所属
など本邦における民主化運動の事実などをもって,直ちに迫害のおそれがあ
るともいい難いことは明らかである。
(エ) 原告の家族も本国で平穏に生活していること
  原告の妻子,弟及び妹も本国で特に問題なく生活しており,原告によれば,
現在も弟や妹はタクシーの運転手,化粧品店を経営し,妻も塾の講師として
働いているのであるから,この点も,ミャンマー政府が原告を迫害の対象とし
ていないことを裏付ける一事情であるというべきである。
(オ) 原告の本邦への入国の目的が本邦における不法就労であること
  原告は,本邦入国後,南武線武蔵新城駅付近所在の「びっくり寿司」に勤務
し,1日13時間,週休1日の稼働により,月額約15万円の収入を得ていた。
その後,建設現場等において稼働した後,ハタ紙業株式会社に勤務し,1日9
時間,週休2日の稼働により,月額約16万円の収入を得る等の不法就労を
行い,2,3か月に1回,本国の家族に5万円程度の送金を行った。被告も,難
民認定の申請人が就労活動をしたからといって直ちに難民性を失うとまで主
張するものではないが,ミャンマーにおける会社の一般職の給与が25米ドル
であり,企業管理職でさえ250米ドルであることなどからすると,原告の送金
額は数か月分の給与に当たる高額なものである。このような原告の行動から
すると,原告の本邦への真の入国目的は,不法就労にあったものと推認せざ
るを得ない。
第3 争点に対する判断
1 本件の争点は,前記第2の2のとおり,①原告の難民該当性の有無,②本件処分
に附記された理由の不備の有無の2点であるところ,まず,①の点について判断す
る。
2 原告の出身国情報
(1) 歴史的沿革
  証拠(甲13~20。枝番を含む。),弁論の全趣旨及び顕著な事実(外務省ホー
ムページ各国・地域情勢,ミャンマー政府/在日ミャンマー大使館公式ホームペ
ージビジネス情報・ミャンマーの歴史参照)によれば,原告の出身国であるミャン
マー(ビルマ)の状況等については,以下の事実が認められる。
ア ミャンマーにおいては,ネウィン将軍が1962年(昭和37年)のクーデターで
民主的に選出された政権を覆し,ビルマ社会主義計画党を設立し,社会主義政
権を維持してきた。その後,1988年(昭和63年)3月上旬に学生の先導によっ
て大衆民主化運動が起こったが,この運動は当時の政権により激しい弾圧が加
えられ,政治囚への拷問や虐待はエスカレートし,治安部隊によって約3000人
が殺害されたと推定されている。この民主化運動によって26年間続いた社会主
義政権が崩壊したが,国軍は,同年9月にデモを鎮圧するとともに国家秩序回
復評議会(SLORC)を組織し政権を掌握し,民主化運動を暴力的に弾圧した。
これにより,何百人もの学生が反政府的な行動に加わったとして逮捕され,少な
くとも43人の政治囚(実際の数はこれよりかなり多いと考えられている。)が,拷
問や虐待,刑務所内の厳しい状態,不十分な医療,衛生,栄養状態により身柄
拘束中に命を落としている。また,多数の若い活動家が近隣国に逃れた一方
で,国内で闘争を続けようとした者もいたが,その多くが逮捕されることとなっ
た。政権は国軍司令官タン・シェ将軍を頂点とし,国軍高官により編成され,同
政権による支配は現在も続いている。
イ SLORCは,政権樹立と同時に,1990年(平成2年)に選挙を行うことを表明
したものの,選挙の準備段階として政党の活動が活発化するにつれ,取締りを
強化し,1989年(平成元年)7月には大規模な取締りに至り,国民民主連盟(N
LD)の指導者であるスー・チー女史をはじめ,何百人もの逮捕者が出た。学生
たちも逮捕・投獄の標的とされた。
ウ 1990年(平成2年)5月に選挙が実施され,スー・チー女史率いるNLDが圧
勝したものの,SLORCは,民政移管のためには堅固な憲法が必要であるなど
として,国会を召集せず,政権委譲も行わないまま,1995年(平成7年)に至る
までスー・チー女史に対し国家防御法違反により自宅軟禁措置を課した。
  1996年(平成8年)末には,5年ぶりに学生デモがヤンゴン,マンダレー及び
その他の主要な都市で連続して発生した。デモは,ヤンゴン工科大学の3人の
学生に対する警察による暴行への抗議として10月に始まり,12月はじめまで
にはヤンゴン大学の本キャンパスにまで広がって,2000人の学生及び少なくと
もそれと同じくらいの数の一般市民にまで膨れ上がった。最終的には武装した
警察と兵士が群衆を襲撃し,何百人も逮捕した。12月4日,政府は609人が拘
留され,そのうちの487名は学生で122人は「煽動者」であるとする声明を発表
した(1997年(平成9年)末の時点で,そのうちほぼ100人は拘留されていると
考えられている。)。デモの間,SLORCは,ヤンゴン,マンダレーなどの主要都
市において大学から小学校までの全ての学校を閉鎖し,学生を強制的に帰省さ
せた。初等学校及び一部の中等学校は翌年7月ないし8月に再開されたが,ほ
とんどの高等学校,単科大学及び総合大学は,1998年(平成10年)1月時点
ではまだ閉鎖されたままであった。SLORCは,その際の抗議集会等に関係し
た34名に対し,翌11年(1997年)1月に判決を下し,最短で7年の禁固刑が
科された。
エ SLORCは,NLDが1990年(平成2年)選挙の7周年記念を迎えるために平
成11年(1999年)5月27日に党大会を開催しようとしたのに対し,同党の300
名を超える選出議員及びヤンゴン以外から参加した党員を拘束し,又は出席を
阻止するために脅迫した。そして,1998年(平成10年)後半から自宅へ続く道
路に軍事バリケードが設置されるなど,自宅外に出る自由や訪問を受ける自由
を制限されていたスー・チー女史に対する自由の制限をさらに強化した。
(2) 1998年(平成10年)9月10日付けの国連総会における「ミャンマーに関する
特別報告官」による報告(甲18)には,ミャンマーにおけるNLD選出議員やNLD
党員の状況について,次のような記述がある。
ア 多くの報告書が指し示す通り,ミャンマーの反政府派は,政府により,集中的
かつ継続的に監視されている。政府の目的は,政治活動の制限及び議員の
移動の禁止である。SLORCは,1961年(昭和36年)の常習犯取締法をは
じめとし,政党議員が,当局からの事前承認なしに地元地域及び自宅から移
動することを不可能にしている。許可を受けずに移動すると,警察又は国軍情
報局によって逮捕又は尋問されるおそれがある。
イ 特別報告官などに寄せられた報告の中には,NLD選出議員は,1年間地元
自治体内に留まらなけらばならないという制限命令を発せられ,少なくとも日
に2回は地元警察への報告に赴くように言われ,これらを拒否した議員は逮
捕すると脅迫されるというものや,地元警察のNLD選出議員に対する連行,
留置の方法はいままでと同じパターンであり,留置は1晩(場合によっては2
晩)行われるというもの,制限命令に従わない者は1年の懲役に処せられると
いうものなどがあり,NLDの指導者は,同党選出議員がその制限命令を拒否
し,結果として,当局による多くの逮捕者を出したと主張している。ミャンマー
国内全域で,事実上拘束を受けたNLD選出議員の合計は,現在のところ50
人を超えているものの,正確な値は不明である。
ウ 特別報道官は,殴打などの拷問及び虐待が刑務所及び尋問センター内で
慣例となっていることを指摘する報告を受け続けている。さらに,それら施設
の衛生状況は酷く,医療の不足が起こっている。その上,当局は,赤十字国
際委員会(ICRC)による刑務所及び拘留場所への立入りの拒否を続けてい
る。このような状況の下,特別報告官が,NLDの党員又は支持者を含む数人
の受刑者が,刑務所内で死亡したという情報を受け取り続けていることは意
外なことでない。
エ 1996年(平成8年)6月以来,拷問及び虐待が原因で,数人のNLD党員又
は支持者が,獄中で死亡している。
  同年6月22日に獄中で死亡したジェームス・リーンダー・ニコルスについて,
ミャンマー当局は,拷問の事実を否定し,心臓発作による自然死であったと述
べていたが,特別報道官が近くの監房に収容されていた元拘留者から得た情
報によれば,ニコルスは,係官に6日間連続の尋問を受けていたという。同人
は,刑務所に着くやすぐに,ポンサン・ポジション(膝の上に手を置き床の上で
足を交差させ,背中を伸ばし,頭をうつむかせた格好)で座らせられ,拷問の
間は何時間も立たされており,毎回,頭にフードをかぶせられ,係官に連れて
いかれたのであって,一度,4日間連続の拷問を受けた後,足を腫れ上がら
せ,顔をむくませ,インセイン刑務所の自分の監房へ帰ってきたという。また,
重い赤痢と糖尿病を患っているにもかかわらず,しっかりとした食事や薬は与
えられておらず,足を腫れ上がらせ,しっかりとも歩くことができず,また,赤
痢,嘔吐,めまいに苦しんでいたそうである。
  1998年(平成10年)2月18日に死亡したウ・テインティンについて,国家平
和開発評議会(SPDC)は,同人は白血病で死亡したと主張しているが,他の
情報によると,拷問を受けており,病院への移送許可が下りた時には,健康
状態はかなり悪化し,病院に着いた時には,危篤状態であったという。
  このほか,学生運動の指導者が,1990年9月からインセイン刑務所に収容
された際,常時,強い明かりがつけられている小さな監獄に入れられ,質問に
答えないと明かりを強く,一度に60から70時間にわたって睡眠を奪われ,殴
打され,蹴られ,一度に何時間もつま先立ち(足首の周りに錠をし脚の間に鉄
の棒を挟まれ,足かせをはめられ,背伸びをするような格好)をさせられたりし
た例なども報告されている。
3 原告の供述等の内容及びその信憑性評価
(1) 原告の供述等の内容
  原告の本人尋問及び録取書(甲2)における供述の要旨は,次のとおりである。
ア 原告は,1953年(昭和28年)2月25日に当時のビルマのシャン州で生ま
れた。原告の実家は,同州のfにある。
イ 原告は,ビルマ(現在のミャンマー連邦)の国籍を有していたものの,父や母
方祖父がパキスタン出身で,いわゆるインド系に属し,肌の色が褐色であった
ことから,ビルマ人(ミャンマー人)を優先するビルマ社会の中にあって,嫌が
らせを受けて育ち,大学進学に際しても,希望する医科への進学を許されず,
動物学を専攻することとなった。このような事情から,原告は,大学進学の前
から,反政府的な気持ちを抱いていた。
  なお,原告の弟は,シャン州軍(SSA)に参加した。
ウ 原告は,1973年(昭和48年)にタウンジー大学に進学し,同大学に在学中
の同年6月,ヤンゴンにおいて労働者による反政府運動を発端とする運動に
参加し,デモに参加したり,翌1974年(昭和49年)12月のウ・タントの葬儀
をめぐる抗議行動に参加したりした。
エ 原告は,1976年(昭和51年)にマンダレー大学に進学し,同大学に在学
中,大学の寮ごとに置かれた反政府運動組織のリーダー(大学全体に7人の
リーダーが置かれた中の1人)となり,学生に呼びかけて大学内のデモ活動を
した。デモ活動の後,大学は閉鎖となり,学生は寮に住むことができなくなっ
て,警察官から帰郷を命ぜられるなどしたが,原告はマンダレーにとどまった
ことから,警察官に呼び止められて質問を受けた。また,翌1977年(昭和52
年)にも,大学のストライキに参加した。
オ 原告は,1978年(昭和53年)に大学を卒業した後,実家のあるシャン州fに
帰郷し,自宅において学習塾を開業した。その当時は,大学卒業者は軍又は
官庁に就職するのが通例であったが,原告は人種的な差別の故に,これらの
職場ではなく,自営の学習塾を開くこととなったものである。
  開業に際しては,軍の役所において教育関係を担当する部署の免許を得て
いる。
  この学習塾は,子供たちに英語と数学を教えていたが,原告は,1985年(昭
和60年)に軍情報部に呼び出され,この学習塾を閉鎖するように命ぜられ
た。塾の閉鎖を命ぜられたのは原告だけであったが,原告が塾の閉鎖を命ぜ
られたのは,原告が,学習塾の生徒・学生を前にして,政府を批判する発言を
していたからであると考えている。この学習塾には,シャン州北部軍管区司令
官の息子も通ってきていた。
  なお,このような場合には,原告のようなインド系の者は身柄を拘束され,投
獄されるのが普通であるが,原告の場合は身柄の拘束等には至らなかった。
これは,学習塾の生徒の父である軍司令官が情けをかけてくれたおかげであ
ると思っている。
カ 原告は,学習塾の廃業後,fにおいて貸しビデオ屋を開業した。開業に際して
は,f地区の役所の許可を得たが,その際には,担当の役人にわいろを渡し
た。
  原告は,この貸しビデオ屋の開業当時は,この店において欧米,インド,ビル
マの映画などを扱っており,反政府活動は差し控え,親しい顧客に対して反政
府言動を言うくらいにとどめていた。
キ 1988年(昭和63年)8月8日の全国的なデモに際し,fでもデモが行われ,
原告も参加した。
  原告は,その当時,fにおける青年グループのリーダーを努め,各地区を回っ
て民主化運動への支持を訴えるなどし,ストライキ委員会にも加わっていた
が,そのころ,軍情報部の尋問を受けた。その際には,原告は,呼出しを受け
て,f郊外にある第41歩兵連隊の駐屯地に出頭し,大尉クラスの軍人から,ス
トライキ委員会の構成等について尋問され,今後政治活動はしない旨の誓約
書を書かされた。
ク 原告が駐屯地で尋問を受けた1988年(昭和63年)の9月27日にNLDが結
成され,翌10月の第1週にはfにもその下部組織が結成された。原告はこれ
に参加し,青年部の組織部長(組織担当者)に就任した。その職務は,若者に
NLDの方針を話し,加入を促すというもので,原告の活動によって100人か2
00人の若者を組織に加入させることができたと思っている。
  原告は,NLDの活動を始めた後にも,軍の情報部の尋問を受けた。その時
期は,アウンサンスーチーが自宅軟禁となった後の1989年(平成元年)のこ
とであると思う。その際には,原告の自宅に兵士がやってきて同行を求め,原
告はやはり第41歩兵連隊駐屯地において,アウンサンスーチーをNLDのリ
ーダーとして認めているかどうかなどの点について尋問を受けた。同様の尋
問を受けた者は,青年部の中に2,3人いたと思う。
ケ 1990年(平成2年)5月27日に投票が行われた総選挙に際し,原告は,特
定の区の投票所におけるNLDの責任者に任命された。これは,投票所の周
辺でNLDのための投票活動を支援するものであり,その人数は,4,5人から
6人くらいであったと思う。
  なお,この選挙でfの二つの選挙区から当選したNLDのB,Cは,いずれも,
その後いわゆる自宅軟禁に近い状態に置かれたが,現在では原告と連絡を
取っておらず,現状は分からない。このBの自宅は,1997年(平成9年)当時
はNLD事務所としても使用されていたが,同年,原告を含むNLD関係者がB
の自宅前で,NLDの看板を付け替える式典をしていたところ,政府の意向を
受けた組織であるUSDAの妨害を受け,看板に石をぶつけられたり,殺すな
どと脅迫されたこともある。
コ ところで,原告の経営する貸しビデオ店については,1997年(平成9年),店
舗内の営業用機器やビデオテープ100本以上が押収されたことから,廃業に
至った。このような押収を受けた理由は,公式には明らかにされていないが,
原告としては,原告が,1988年(昭和63年)ころから,アウンサンスーチーの
演説を収録したビデオを複製し,貸し出すなどしていたことが原因であると考
えている。
サ 原告は,貸しビデオ店を廃業した1997年(平成9年)の8月ころ,家族をfに
残してヤンゴンに転居し,自動車部品会社に就職した。これに伴い,政治活動
も休止した。
  ところが,翌1998年(平成10年)年5月27日,シャン州軍(SSA)の関係者
2名がアウンサンスーチーの自宅前でビラを配布していて逮捕される事件が
あり,これに関連して,翌28日か29日には,fにある原告の自宅を軍情報部
の関係者が訪問し,原告の所在を調べたことがあって,そのころ,原告はこの
ことを妹から知らされた。このような事情から,原告は,原告が軍に逮捕され
るかもしれないと思うようになった。
  ちょうどそのころ,就職先の会社が,原告を日本に派遣したいと言ってきたた
め,原告も,このままミャンマーにいるよりも日本に行った方が安全であると考
え,逃げる決心を固め,同年6月16日に本国を出国し,翌17日に来日した。
シ 原告は,1998年(平成10年)6月17日に本邦に上陸した後,NLD-LAの
メンバーとなり,同月28日の年次総会には新入会員として紹介され,翌年か
らほぼ毎年にわたってワーキングコミッティーのメンバー(ワーキング委員)に
就任し,現在では副会計責任者を努めている。
  本件処分後の2000年(平成12年)7月には,沖縄サミットに際して行われた
デモに参加したが,その際に共に参加した同胞には,被告から難民認定を受
けている者が多数いる。
(2) 原告供述の信憑性
ア 客観的事実との符合の有無
  前記(1)の原告の供述内容と前記1で認定した出身国情報とは,ビルマにお
いてはかねてから政府に不満を抱く学生を中心とする民主化運動が存在した
こと,この運動が1988年(昭和63年)に大きくなったが,激しい弾圧を受ける
こととなり,同年9月の国軍による政権掌握後,多くの民主化運動家がその対
象とされたこと,その後,選挙の準備のためにNLDその他の政党の活動が許
容されたが,選挙の前に大きな取締りがあり,仲間が逮捕されたこと,選挙後
にも民主化を望む活動家に弾圧が加えられ,NLD関係者を中心とする多くの
者が逮捕されたことなどの諸点においておおむねね一致している。
  原告が書証として提出した出身国情報は,ビルマ(ミャンマー)における民主
化運動に関心を持つ者であれば容易に知り得る内容で,また,海外において
も広く入手が可能であり,供述録取書の作成日や当裁判所における他の同
種事件の書証の提出状況にかんがみれば,原告の供述録取書の作成や証
人尋問の実施前に原告代理人において入手はされていたものと推認されるも
のであるから,原告の供述の信憑性評価において決定的な裏付け(例えば秘
密の暴露が存在するといったようなもの)となるものということはできないが,
客観的情報との不一致という消極的な評価を受けることはないという点にお
いて,原告の供述の信憑性を裏付ける上で有意な事項であるといえる。
イ 客観的証拠との符合の有無
  原告の提出する書証の中には,NLDシャン州北部支部の内部文書として,
原告を1990年(平成2年)7月の総選挙における投票所の責任者に任命す
るための手続に関するもの(甲3),総選挙後の同月15日にfにおいて開かれ
た幹部の会合(各地区・村の代表との協議)に原告を招く内容のもの(甲4),
同月11日のシャン州北部支部青年活動部の会員党15名の名簿として,原
告の名を掲げているもの(甲5)が存在する。
  これらの資料の中には,例えば,原告とともに投票所の責任者に任命された
者の数について,原告の前記供述においては,4,5人から6人くらいとされて
いるのに対し,甲3においては,2名であることが予定されているというように,
原告の供述と細目において整合しない点がないわけではない。しかしながら,
少なくとも原告自身に関する基本的な部分においては,これらの資料は原告
の前記供述とよく符合しており,特に,原告がその当時NLDシャン州支部青
年部(青年活動部)において比較的重要な地位を占め,NLDのために活動し
ていたという点においては,原告の供述を裏付けているということができる。
  また,原告が,我が国への入国後まもなくNLD-LA日本支部に入会し,本
件処分が行われた平成11年5月24日以前から,その中心的なメンバーとし
て,公然と各種会合への参加,ミャンマー政府への抗議活動等を行っている
ことについては,甲7,10,乙4の6等の証拠によって裏付けられるところであ
る。
ウ 内容の自然さ・合理性の有無
  原告の供述は,全体を通じ,その内容においておおむね自然で合理性を有し
ているということができる。例えば,原告が大学卒業後,故郷のfにおける学習
塾・貸しビデオ屋の経営を経て,ヤンゴンに出て就職するに至ったことに関す
る供述は,原告が人種・政治的理由による差別を受けつつも,生計を維持す
るために職場を転々とし,事情によっては政治的意見を鮮明にすることを避け
るなどしてきた経過として自然であるということができる。
  また,原告の供述の中には,SSA関係者の逮捕と,NLD関係者である原告
の留守宅が軍情報部の訪問を受けたこととを結びつけて,原告が逮捕されか
ねないものと考えたと述べている点のように,こと原告の行動の動機・心情に
かかわる部分においては,客観的な事実関係から合理的に説明することが困
難な部分がないわけではない。しかしながら,これらの点も,原告の弟がSSA
に参加していることを考え併せれば,不合理と断ずることができるものではな
く,むしろ,SSA,NLDを問わず,各種の反政府運動に対する軍情報部の統
制が厳しくなっていることを察し,これらの区別を冷静に考える余裕もないまま
出国を決意したものと理解することもできるのであって,このような混乱を取り
つくろうことなく率直に述べている供述態度は,真摯なものということができ
る。
エ 供述内容の一貫性
  原告は,例えば,原告の経営する貸しビデオ店の営業用機器,ビデオテープ
が押収された理由について,甲2においては,軍情報部から,違法なビデオを
取り扱っていることが理由であると説明された旨の供述をし,原告本人尋問に
おいては,公式には何の説明もなかったが,アウンサンスーチーのビデオの
複製,貸出しをしたものと疑われたと受け取ってよい旨の供述をするなど,必
ずしもすべての点において一貫した供述をしているわけではない。しかしなが
ら,原告が貸しビデオ店を経営し,少なくとも1988年(昭和63年)ころからは
アウンサンスーチーの演説を内容とするビデオの複製・貸出しなどをするよう
になり,やがて営業用財産の押収を受けて廃業のやむなきに至ったことや,
その理由について公式の説明があったかどうかはさておき,原告の主観的判
断としても,当時の客観的情勢からの判断としても,この押収の目的が反政
府活動のためのビデオの頒布の抑止にあったとしか考えられないという一点
においては,原告の供述は一貫しており,その他の点においても,原告の供
述について,その信用性を疑うべき自己矛盾があるということはできない。
  これに対し,被告は,①国立大学を無事に卒業した者が学生時代に反政府
活動をしていたという供述は信用し難い,②反政府活動家が政府の許可を受
けて学習塾を経営することは不自然である,③軍の司令官が,反政府活動歴
のある者が経営し,子供らに政府批判の話をするような学習塾に子供を通わ
せるのは不自然である,④学習塾において,軍の司令官の子供の面前で政
府批判の話をすることは不自然である,⑤反政府活動を積極的に行う者が貸
しビデオ店経営という職業に就き,これを長期間続けていたという供述は信用
し難い,⑥ビデオ店を廃業に追い込まれるような違法行為をした者が,その行
為について何らの身柄拘束も罰金その他の刑罰も受けたことを供述しないの
は不自然である,⑦原告が有効な旅券の発給や,その書替えなどを受けた
上,何の問題もなく出国していることも不自然である,⑧原告は,我が国に入
国後直ちに就労を始め,母国にいる家族に多額の送金をしているのであっ
て,入国目的は,むしろ不法就労をすることにあったと推認すべきであるなど
と主張する。
  しかしながら,反政府活動の中心人物としてデモ等に参加し,逮捕された学
生が,解放された後も学籍を失わなかった例や,反政府活動家が営業活動に
従事していた例などがあることは,他の同種事件に現れた事情からも明らか
であって,当裁判所に顕著な事実である上,原告が学習塾を開業したのは1
978年(昭和58年)という比較的古い時期のことであり(前述のとおり,民主
化運動が拡大し,これに対する弾圧が激しくなったのは,1988年(昭和63
年)以降のことである。),その場所も地方都市であったことからすれば,原告
が国立大学を卒業し,学習塾や貸しビデオ屋を開業していたことなどが不自
然であるとはいえない。また,反政府思想を有する者が,教育活動や啓蒙活
動を通じてその思想を広めようとすることや,その際,可能であれば有力者の
子弟等の中に同調者を得ようとすることは十分にあり得ることであり,歴史上
もそのような例はいくらでも存在するのであるから,学習塾で軍の司令官の子
供に政府批判の話をしたということが不自然であるとはいえない(そして,原
告は,結局,その事実が発覚し,学習塾廃業に追い込まれたというのである
から,公然の政府批判の話をしながら何の処分も受けなかったというような不
自然な主張をしているものではない。)。更に,反政府活動家が,有効な旅券
を取得し,それを利用して出国を果たした例が少なからず存在することも当裁
判所に顕著な事実であるから,この点のみを理由として,原告が反政府活動
を行っていたとの主張や供述が不自然であると断定することもできないところ
である。そして,本国での迫害を逃れて我が国に入国した者が,生活の必要
から就労することや,そうして得た収入の一部を母国に残した家族に送金する
ことは何ら不自然な事柄ではなく,むしろ,原告の行動を見ると,我が国に入
国した後,直ちにNLD-LAの関係者に連絡を取り,その援助を受けて間もな
く難民認定申請を行っている(入国は平成10年6月,難民認定申請は同年8
月である。)のであって,その行動は,難民としての庇護を目的とした行動であ
ると評価する方が素直である。以上のような点を考慮すると,被告の主張をそ
のまま採用することは到底困難であるといわざるを得ない。
  もっとも,原告が自ら行った行動として主張ないし供述する内容や,被告が指
摘する上記諸点(特に,①,②,⑤,⑦)を併せ考えると,原告が,ミャンマー
国内において,反政府運動の中心人物として特別に注目され,警戒されるほ
どの存在であったかは疑問というべきであるが,この点については原告の難
民該当性の判断において,改めて検討することとする。
オ 小括
  以上によれば,原告の前記供述には十分な信憑性があり,少なくともその基
本的な部分については,その供述するとおりの事実を認めることできる。
4 原告の難民該当性
  前記3のとおり,原告には前記2記載の事情が認められるところ,それによれば,
原告は,ミャンマー出身で,現在日本に在留し出身国の外にあるものであるとこ
ろ,1974年(昭和49年)ころから政府に反対する学生運動グループのメンバーで
あり,1988(昭和63年)からは民主化グループのメンバーとして,故郷であるシャ
ン州fにおけるNLDシャン州北部支部の構成員として活動をしていたものであって,
同党設立の前後を通じて軍情報部の尋問を受けたことがあり,更に,1990年(平
成2年)の総選挙に際しては,同党への投票を確保するための党務に当たったこと
があるほか,職業として学習塾,貸しビデオ店を経営したものの,学習塾において
は生徒の面前で政府批判発言をしたことから,貸しビデオ店においてはNLD関係
者の演説を内容とするビデオを取り扱ったことから,いずれも廃業に追い込まれた
ことがあるものである。そして,先に指摘したとおり,これらの原告の活動は,ミャン
マー政府当局から反政府運動の中心人物として特別に注目され,警戒されるほど
のものであったといえるかどうかは疑問であるが,ミャンマー国内においては,NL
Dの活動家等に対する迫害が行われているという一般的状況に加え,原告自身
も,反政府活動や反政府的言動を理由に,学習塾,貸しビデオ屋の廃業に追い込
まれたり,軍情報部の尋問を受ける等の迫害に類する処遇を受け,ミャンマーを出
国する直前の1998年5月末には,軍情報部が原告の所在を調べようとする動き
もあったものであるから,原告が,反政府活動家として,政府当局の忌避の対象と
なり得る存在であったことは否定し難いところである。そして,原告は,我が国に入
国後,我が国における反政府活動組織であるNLD-LAの中心メンバーの一人と
なり,公然とその集会や反政府デモ等に参加しているものであって,このような事
情はミャンマー政府においても十分に知り,あるいは知り得るものであることをも併
せ考えれば,仮に原告が帰国した場合には,我が国に入国する前の活動あるいは
我が国における活動を理由に,身柄を拘束され,不当な処遇を受けたり,不当な処
罰を受ける可能性があることは否定し難いものというべきである。したがって,原告
が,その政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという恐怖を有することに
は,十分な理由があるものというべきである。
5 小括
  以上によれば,原告は,難民条約及び難民議定書所定の難民に該当するものと
認められるところ,被告が,原告は難民に該当しないことを理由としてした本件処
分は違法なものといわざるを得ない。そうすると,本件処分の取消しを求める原告
の請求は,理由附記の不備の点について判断するまでもなく,理由があるというべ
きである。
第4 結論
  よって,原告の請求は理由があるからこれを認容することとし,訴訟費用の負担につ
いて行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第3部
裁判長裁判官     鶴岡稔彦 
裁判官     金子直史 
裁判官     潮海二郎 

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