弁護士法人ITJ法律事務所

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         主    文
     原判決中上告人敗訴部分を破棄し、第一審判決中右部分を取り消す。
     前項の部分に関する被上告人の請求を棄却する。
     訴訟の総費用は被上告人の負担とする。
         理    由
 上告代理人増井和男、同都築弘、同小磯武男、同稲葉一人、同田村厚夫、同新庄
一郎、同都築政則、同垂石善次、同小林勝敏、同増田与一郎、同寒川功一の上告理
由について
 一 本件は、公証人が違法な内容の公正証書を作成したことにより損害を被った
と主張する被上告人が、上告人に対して、国家賠償法一条に基づき損害賠償を請求
する事案である。
 二 原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
 1 釧路地方法務局所属公証人Dは、昭和六二年五月二〇日、債権者の代理人E
並びに債務者及び連帯保証人らの代理人Fの嘱託に基づき、次の内容の準消費貸借
契約公正証書(同年第七八七号、以下「本件公正証書」という。)を作成した。な
お、Eは、司法書士であるFの事務所の事務長であった。
 (一) 債権者協同組合G専門店会(以下「組合」という。)
 (二) 債務者H
 (三) 連帯保証人被上告人及びI
 (四) 債務者は債権者に対し、昭和六二年三月二四日現在において、債権者の加
盟店から買い受けた衣類等の買掛代金二六八万二〇四〇円の債務を負担しているこ
とを承認し、同日、当事者はこれを同額の消費貸借の目的とすることを合意した。
 (五) 元金は、昭和六二年四月から同六四年四月まで毎月三〇日限り(二月は二
八日)一〇万〇四三〇円、同年五月三〇日七万〇四三〇円、同年六月から同年七月
まで毎月三〇日限り五万〇四三〇円を支払う。利息は年一割五分とし、元金と同時
に支払う。遅延損害金は年三割とする。割賦金の支払を一回でも怠ったときは期限
の利益を失う。
 (六) 債務者及び保証人は、本証書記載の金銭債務を履行しないときは直ちに強
制執行に服する。
 2 本件公正証書に記載された準消費貸借契約の旧債務は、立替払債務と貸金債
務から成るものであったが、(一) 立替払契約に基づく債務の一部二一〇万三一九
五円は割賦販売法三〇条の三の適用があるものであり、(二) 貸金債務二七万二八
〇〇円は元本債務のほか年四五パーセント程度の割合による利息債務を含むもので
あった。
 3 本件公正証書が作成された経緯は、次のとおりである。
 (一) 組合は、組合員の経営する加盟店の商品販売に係る顧客のための立替払業
務などを行っていたが、昭和六〇年ころ、顧客が支払を遅滞した場合につき、従来
の債務承認弁済契約に代えて準消費貸借契約を内容とする公正証書の作成を嘱託す
ることとし、そのために組合に常備して使用する公正証書作成嘱託委任状の定型用
紙の案を作成した。組合は、従来から公正証書の作成嘱託に関する事務を依頼して
きたF司法書士に対し、右定型用紙案について公証人とも相談して検討することを
依頼した。D公証人は、F司法書士から相談を受けて、右定型用紙案の内容につい
て意見を述べた。組合は、F司法書士及びD公証人の意見による修正を加えて定型
用紙を完成させ、これを使用して公正証書の作成嘱託を行うようになった。右定型
用紙には、準消費貸借契約の日付、債務者名、準消費貸借の目的となる債務の額、
元金弁済期限並びに利息及び損害金の割合の欄を空白とするほかは、組合の加盟店
から買い受けた衣類等の買掛代金を準消費貸借の目的とするなど公正証書の内容と
なるべき事項がすべて記載され、債権者である組合はEを、債務者及び連帯保証人
はF司法書士を各代理人と定め公正証書作成を委嘱する一切の権限を委任する旨の
記載のあるものであった。
 また、D公証人は、そのころ、右委任状定型用紙と同じ内容が記載された公正証
書の定型用紙を作成した。
 (二) D公証人は、右委任状定型用紙案についての相談を受けた際、組合が割賦
購入あっせんを業としていることは説明されていたが、組合が貸金業務を行ってい
るとの説明は受けておらず、衣類等の買掛代金と記載された準消費貸借の旧債務の
中に貸金債務が含まれることがある旨の説明も受けたことはなかった。
 なお、当時、組合が作成していた加盟店の顧客向けの入会案内書には、組合の会
員になると分割支払によるショッピングをすること及びキャッシングサービスを受
けることができ、キャッシングサービスの実質利率は年四五パーセント程度である
ことが記載されていたが、D公証人が右相談を受けた際に右入会案内書を見たとは
認められない。
 (三) 被上告人の子であるHは、組合に加入し加盟店での買物などをしていたが、
昭和六二年一月ころから組合に対する債務を履行期限までに支払うことができなく
なった。同人は、同年三月二四日ころ、組合との間で連帯保証人を立てて公正証書
を作成することを合意し、被上告人に無断で右委任状定型用紙の連帯保証人欄に被
上告人の住所氏名を記載した上被上告人の実印を押捺して本件公正証書作成嘱託委
任状のうち被上告人作成名義に係る部分を偽造し、右委任状及び被上告人の印鑑登
録証明書を組合に交付した。被上告人は、本件公正証書の作成嘱託の代理権をF司
法書士に授与したことはなかった。
 (四) 組合は、昭和六二年五月二〇日前ころ、本件公正証書作成嘱託委任状並び
にH、被上告人及びIの印鑑登録証明書を持参してF司法書士らに対して公正証書
の作成嘱託を依頼した。この時点において、右委任状には執行認諾条項を含めて公
正証書の内容となるべき右1の(一)ないし(六)の各事項がすべて記載されており、
委任状中の被上告人の住所の記載は「a町b町」から「紋別郡a町字ac番地d」
(印鑑登録証明書記載の住所のとおり)に訂正されていた。F司法書士らは、その
ころ、債権者、債務者及び連帯保証人の各代理人として、D公証人に対して右各書
類を提出して本件公正証書の作成を嘱託した。D公証人は、右委任状及び印鑑登録
証明書を審査し、問題がないものと判断し、代理人及び当事者に対して説明を促す
などの調査をせず、右(一)の公正証書の定型用紙を用いて本件公正証書を作成した。
 三 被上告人は、本件訴訟において、D公証人には、(一) 委任状の被上告人の
住所が訂正されていたのであるから、被上告人に対して公正証書作成嘱託の代理権
をF司法書士に授与したかどうかを確認すべき義務があるのにこれを怠った、(二)
 対立当事者の一方の代理人がF司法書士、他方の代理人がその事務長であり、実
質的に双方代理に当たる場合であるから、双方代理の点について問題がないかどう
かをF司法書士に対して確認すべき義務があるのにこれを怠った、(三) 準消費貸
借契約についての公正証書を作成するのであるから、旧債務の内容を代理人又は当
事者に確認すべき義務があるのにこれを怠った、(四) 組合が割賦購入あっせん及
び貸金を業務として行っていることを知っていたか、又は知るべき義務があったか
ら、買掛代金と表示された旧債務の中に割賦販売法及び利息制限法の規制を受ける
ものが含まれないかどうかを代理人又は当事者に確認すべき義務があるのにこれを
怠ったという過失があると主張した。
 四 原審は、前記事実関係に基づき次のとおり判断して、被上告人の本件請求を
四万円の限度で認容すべきものとした。
 1 公証人は、提出された委任状その他の書類、当該公証事務処理及びそれ以前
の事務処理の過程で知った事実、事例によってはこの過程において知るべき義務の
あった事実等により審査し、法令違反の存在、法律行為の無効等の疑いが生じた場
合には、当事者等に必要な説明を求めるなどして、違法な公正証書を作成しないよ
うにすべき義務がある。
 2(一) 被上告人は本件公正証書の作成嘱託をF司法書士に委任していないから、
本件公正証書のうち被上告人に関する部分は無効である。
 (二) 割賦販売法三〇条の三の適用のある債務を旧債務とする準消費貸借契約に
ついても同条は適用されると解すべきであるから、本件公正証書のうち旧債務を前
記二2(一)の立替払契約に基づく債務とする部分についての利息年一割五分、遅延
損害金年三割の約定は、同条に違反する。
 (三) 本件公正証書のうち旧債務を前記二2(二)の貸金債務とする部分について、
既払利息のうち利息制限法に違反する部分の元本充当計算を行わずに準消費貸借契
約における元本とした点には、存在しない債務を消費貸借の目的とした違法がある。
  3(一) 委任状における被上告人の住所が訂正されていたからといってD公証
人に被上告人に対して公正証書作成嘱託意思を確認すべき義務があったとはいえな
い。
 (二) D公証人に提出された本件公正証書作成嘱託委任状には執行認諾条項を含
めて公正証書の内容となるべき事項がすべて記載されていたのであるから、双方代
理の点について問題がないかをF司法書士に対して確認すべき義務があったとはい
えない。
 (三) 準消費貸借契約公正証書は旧債務が他の債務と識別できる程度に具体的に
特定されて表示されることが必要であるから、D公証人は、委任状の定型用紙の内
容について相談を受けた際、組合から前記二3(二)の入会案内書等の資料を提出さ
せるなどして組合と顧客間の取引の形態を把握する義務があり、右義務を履行して
いればその過程で組合の割賦購入あっせん業務の内容を把握することができ、さら
に、本件公正証書の作成嘱託を受けた際には委任状に記載された「組合の加盟店か
ら買受けた衣類等の買掛代金」に割賦販売法三〇条の三の規制を受ける立替払契約
に基づく債務が含まれているかを確認することにより同条に違反する公正証書を作
成することを避けることができたものであって、この点において過失を免れない。
 (四) D公証人は、組合が貸金業務を行っていることを知らず、委任状の定型用
紙案の相談を受けた際に「組合の加盟店から買受けた衣類等の買掛代金」に貸金債
権も入る旨の明示的説明を受けたこともないことからすると、公証人の審査権限に
照らし、委任状の定型用紙案の相談を受けた際にも本件公正証書の作成嘱託を受け
た際にも、買掛代金の中に貸金債権が含まれていないかどうかを積極的に確認すべ
き義務があったとはいえない。
 4 よって、上告人は、被上告人に対し、右3(三)のD公証人の過失により被上
告人が被った損害(組合に対する請求異議訴訟等の弁護士費用のうち三万円及び慰
謝料一万円)を賠償すべきである。
 五 しかしながら、原審の右四の2並びに3の(一)、(二)及び(四)の判断は是認
することができるが、その余の判断は是認することができない。その理由は次のと
おりである。
 1 公証人法(以下「法」という。)は、公証人は法令に違反した事項、無効の
法律行為及び無能力により取り消すことのできる法律行為について公正証書を作成
することはできない(二六条)としており、公証人が公正証書の作成の嘱託を受け
た場合における審査の対象は、嘱託手続の適法性にとどまるものではなく、公正証
書に記載されるべき法律行為等の内容の適法性についても及ぶものと解せられる。
しかし、他方、法は、公証人は正当な理由がなければ嘱託を拒むことができない(
同法三条)とする反面、公証人に事実調査のための権能を付与する規定も、関係人
に公証人の事実調査に協力すべきことを義務付ける規定も置くことなく、公証人法
施行規則(昭和二四年法務府令第九号)において、公証人は、法律行為につき証書
を作成し、又は認証を与える場合に、その法律行為が有効であるかどうか、当事者
が相当の考慮をしたかどうか又はその法律行為をする能力があるかどうかについて
疑いがあるときは、関係人に注意をし、かつ、その者に必要な説明をさせなければ
ならない(一三条一項)と規定するにとどめており、このような法の構造にかんが
みると、法は、原則的には、公証人に対し、嘱託された法律行為の適法性などを積
極的に調査することを要請するものではなく、その職務執行に当たり、具体的疑い
が生じた場合にのみ調査義務を課しているものと解するのが相当である。したがっ
て、公証人は、公正証書を作成するに当たり、聴取した陳述(書面による陳述の場
合はその書面の記載)によって知り得た事実など自ら実際に経験した事実及び当該
嘱託と関連する過去の職務執行の過程において実際に経験した事実を資料として審
査をすれば足り、その結果、法律行為の法令違反、無効及び無能力による取消し等
の事由が存在することについて具体的な疑いが生じた場合に限って嘱託人などの関
係人に対して必要な説明を促すなどの調査をすべきものであって、そのような具体
的な疑いがない場合についてまで関係人に説明を求めるなどの積極的な調査をすべ
き義務を負うものではないと解するのが相当である。
 そうすると、原審の判断のうち、(一) 公証人の知らない事実についてその職務
執行の過程で知るべきであったとした上、右事実に基づき法令違反等の疑いが生じ
る場合にも当事者に必要な説明を求める注意義務があるとした点(前記四1)、(
二) D公証人が委任状の定型用紙案の相談を受けた際に前記入会案内書等の資料
により組合の割賦購入あっせん業務の内容を知るべきであり、かつ、知ることがで
きたことを前提に、同公証人には本件公正証書の作成嘱託を受けた際に旧債務に割
賦販売法三〇条の三の規制を受ける債務が含まれているか否かを確認する義務があ
るとした点(前記四3(三))は、是認することができない。
 2 そこで、本件におけるD公証人の過失の有無について判断するに、前記事実
関係の下においては、本件公正証書作成嘱託委任状における準消費貸借の旧債務の
記載が債務の特定として不十分であるとはいえないからD公証人が旧債務の内容に
ついて調査を尽くすべきであったとはいえないし、また、右委任状の「組合の加盟
店から買受けた衣類等の買掛代金」の記載から本件準消費貸借の旧債務の中に割賦
販売法三〇条の三の規定の適用を受ける立替払契約に基づく債務が含まれていると
いう具体的な疑いが生じるとまではいえないから、法定利率を超える割合による遅
延損害金等の定めが記載されているからといって本件準消費貸借契約が同条に違反
するという具体的な疑いが生じたということもできないのであって、他に同条違反
の具体的な疑いが生じるような事情も認められない本件においては、同公証人に同
条違反の点について関係人に必要な説明を促すなどの調査をすべき注意義務があっ
たということはできない。
 原審の判断には法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は判決に影響を及ぼ
すことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、
以上の説示によれば、本件公正証書作成に関してD公証人に被上告人主張の過失が
あったとは認められないから、被上告人の請求は全部棄却すべきである。
 よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官
全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
     最高裁判所第一小法廷
         裁判長裁判官    井   嶋   一   友
            裁判官    小   野   幹   雄
            裁判官    高   橋   久   子
            裁判官    遠   藤   光   男

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