弁護士法人ITJ法律事務所

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            主     文
    原判決を破棄する。
       本件を大阪高等裁判所に差し戻す。
            理     由
 上告代理人荒川英幸,同藤浦龍治の上告受理申立て理由について
 1 被上告人が開設した庚病院(以下「本件病院」という。)で食道がんの手術
を受けた患者である辛が,手術の際に経鼻気管内挿管がされた管を手術後に抜管さ
れた直後に,気道閉そくから呼吸停止,心停止の状態となり,命は取り留めたもの
の,いわゆる植物状態となり,その後,食道がんにより死亡した。本件は,辛の遺
族である上告人らが,辛が植物状態に陥ったのは,本件病院の担当医師の壬(以下
「壬医師」という。)が,上記抜管後に辛の呼吸状態の監視を十分に行わず,再挿
管等の気道確保のための適切な処置を採ることを怠った過失によるものであるなど
と主張して,被上告人に対し,債務不履行又は不法行為による損害賠償を求める事
案である。
 2 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
 (1) 辛は,平成6年11月14日,本件病院の内科で食道がんにり患している
との確定診断がされ,同月22日,本件病院の外科で担当の壬医師からがん細胞が
確認されたので早急に手術をする必要がある旨の説明を受けた。
 辛は,同年12月6日,本件病院に入院し,同月12日午前11時17分から翌
13日午前5時25分まで,約18時間にわたって,食道全摘術,いん頭胃ふん合
術の手術(以下「本件手術」という。)を受けた。本件手術は,食道の全摘術であ
り,こう頭,いん頭の周囲が広範囲に郭清されたため,術後のこう頭周囲の浮しゅ
の状態は,通常の食道胃ふん合術に比して,かなり高度のものであったと推測され
る。
 辛は,本件手術後,経鼻気管内挿管のまま,集中治療室に収容された。同日午前
8時,辛は呼吸苦を訴えたが,その際,辛には,努力性呼吸がみられ,呼吸数の増
加,換気努力により顔面に発汗もみられた。その後,辛の呼吸困難な状態は,自発
呼吸から人工呼吸器による調節呼吸に変更することにより改善された。
 同月14日午前0時40分ころ,辛は,全身けん怠感,呼吸苦を訴えたが,壬医
師が,酸素濃度を60%としたことで,呼吸困難な状態は改善された。
 同月15日から17日にかけて,辛が呼吸苦を訴えず,また,動脈血液ガス分析
の結果も問題がなく,酸素濃度も40%とされたことから,壬医師は,同月17日
午前9時には,人工呼吸器による調節呼吸から補助呼吸へと変更した。
 (2) 同月18日早朝,辛が呼吸苦を訴えなかったことから,壬医師は,同日午
前9時半ころ,補助呼吸から自発呼吸のみとした。辛は,壬医師に対し,気管内に
挿入されている管を抜くことを希望し,壬医師は,動脈血液ガス分析の結果が良好
であったことから,抜管可能と判断し,同日午前10時50分ころ,抜管の処置を
した。
 壬医師は,抜管後,こう頭鏡により辛のこう頭の状態を観察したところ,こう頭
浮しゅ(++)がみられた。同日午前10時55分ころ,辛の吸気困難な状態が高
度になったことを示す胸くうドレーンの逆流が生じたが,壬医師は,その際,再挿
管を直ちにする必要はないと判断し,吸引圧の上昇を図るとともに,逆流防止弁(
ハイムリッヒ弁)を装着して,様子をみることとした。このころ,辛には,軽度の
呼吸困難の訴えや努力性呼吸がみられた上,上気道の狭さくを示すしわがれ声によ
る発声もあった。
 (3) もっとも,同日午前11時ないし午前11時5分ころ,壬医師が,こう頭
鏡により辛の上気道の状況を観察したところ,こう頭が見え,呼吸困難な状態では
なく,また,聴診器により呼吸音(肺胞音)を聴取したところ,異常がないことが
確認された。このため,壬医師は,同日午前11時7,8分ころ,辛の換気は安定
したと判断し,隣室の看護婦詰所でカルテを記載しようと考え,辛から目を離し,
ドレーンの排出状態を観察するなどしていたが,同日午前11時10分ころ,辛を
見ると,四肢冷感,爪床色不良,冷汗,顔色及び口唇色不良等のチアノーゼが現れ
ており,呼びかけにも応答せず,呼吸音がほとんど聴取できない状態であった。
 壬医師は,直ちに吸たんをし,アンビューバッグとフェイスマスクで陽圧呼吸を
試みたが,換気をすることができず,また,経口再挿管を試みたが,辛は,筋強直
状態で開口することができなかった。そして,壬医師は,異常に気付いて駆けつけ
たD医師と共に,経鼻再挿管を試みたが成功せず,再度,経口再挿管を試みている
うちに,辛は心停止に至った。
 辛が呼吸停止,心停止に至った原因は,進行性のこう頭浮しゅにより,上気道狭
さくから閉そくを起こしたことによるものと推測される。
 (4) その後,壬医師らは,体外式マッサージを開始し,経口再挿管に成功した。
壬医師らは,再挿管後,人工呼吸,心マッサージを行い,救急薬であるボスミン(
抗心停止剤)やハイドロコートン(抗ショック剤)を投与したところ,同日午前1
1時15分ころ,辛は,心拍再開をするに至った。
 しかし,その後,辛は,いわゆる植物状態となり,平成8年7月4日,死亡した。
その死因は,食道がんが再発,進行したことによるものであった。
 (5) なお,上記抜管後心停止に至るまでの経緯について,看護記録には,「抜
管後,口腔,鼻腔より血性痰吸引」,「呼吸苦(+)吸気困難軽度訴う」,「嗄声
ながらもなんとか発声あり」,「呼吸促すと深呼吸もしようとするが,徐々に努力
性呼吸となり,四肢冷感,爪床色不良,冷汗(+),顔色口唇色不良」,「呼名反
応鈍くなり突然呼吸停止」,「心停止あり」等の記載があるが,上記の辛の呼吸状
態が安定したことに関する記載はない。
 また,食道がん根治術の場合,気管内に挿入された管の抜管後に上気道の閉そく
等が発生する危険性が高いことから,抜管後は,患者の呼吸状態を十分に観察して
再挿管等の気道確保の処置に備える必要があり,特に抜管後1時間は要注意である
とする医学的知見があり,本件訴訟の鑑定人E及び同Fは,抜管後に胸くうドレー
ンの逆流が生じた時点で,こう頭浮しゅの進行を考慮することができたし,考慮す
べきであったとした上で,壬医師がこの時点で再挿管等の気道確保の処置を採らな
かったことに疑問を呈している。
 そして,医学的知見によれば,急激な進行性のこう頭浮しゅの発生により呼吸困
難から呼吸停止に至ったとすれば,発症から少なくとも数分間の呼吸困難な状態が
持続する時間が必要であり,抜管後,全く呼吸困難もなく,突然,呼吸停止が生ず
るようなことは,ほとんど考えられないとされており,看護記録の記載等に徴する
と,辛は,進行性のこう頭浮しゅの発生により一定の時間呼吸困難な状態にあり,
その後,呼吸停止に至ったと推測される。
 3 原審は,上記事実関係の下において,次のとおり判断して,上告人らの請求
を棄却すべきものとした。
 (1) 本件手術の内容からみて,術後のこう頭周囲の浮しゅの状態は,かなり高
度のものであったと推測されること,抜管後胸くうドレーンの逆流がみられたが,
これは吸気困難な状態が高度になったことを示していること,しわがれ声による発
声があったこと等に照らすと,辛は,進行性のこう頭浮しゅにより,上気道狭さく
から閉そくを起こし,呼吸停止及び心停止に至ったものと推測するのが相当である。
 (2) 鑑定人E及び同Fの鑑定の結果,壬医師の証言,看護記録の記載等から,
辛は,進行性のこう頭浮しゅの発生により一定の時間呼吸困難な状態にあったと推
測し得る。
 (3) 壬医師が,平成6年12月18日午前10時50分ころに辛の気管内に挿
入してあった管を抜き,胸くうドレーンの逆流が生じたものの,その後,辛は,い
ったん呼吸が安定した状態になったのであるが,同日午前11時10分ころには呼
吸停止状態になったことからすると,呼吸困難な状態は相当短時間であったと考え
ることができる(壬医師がドレーンの排出状態の観察等をしている間に呼吸困難な
状態が急速に進行したものと思われる。)。
 そうすると,抜管後,こう頭浮しゅがあり,胸くうドレーンの逆流が生じたもの
の,いったん辛の呼吸が安定した状態になったのであるから,その後に辛が呼吸困
難な状態に陥ったことにつき壬医師が直ちに気付かなかったとしても,呼吸困難な
状態が相当短時間であったことからすると,これをあながち非難することはできず
,壬医師に過失があると認めることはできない。
 4 しかしながら,原審の上記3(1),(2)の判断は是認することができるが,同
(3)の判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
 前記の事実関係によれば,次のことが明らかである。(1) 本件手術は,食道の
全摘術であり,その手術内容からすると,術後のこう頭周囲の浮しゅの状態は,か
なり高度のものであったと推測されるのであり,現に,壬医師は,平成6年12月
18日午前10時50分ころに前記抜管をした後,こう頭鏡により辛のこう頭の状
態を観察し,こう頭浮しゅ(++)の存在を確認している。(2) 前記抜管の約5
分後(午前10時55分ころ)には,辛の吸気困難な状態が高度になったことを示
す胸くうドレーンの逆流が生じており,また,そのころ,辛には,軽度の呼吸困難
の訴えや努力性呼吸がみられた上,上気道の狭さくを示すしわがれ声による発声も
あったなど,辛のこう頭浮しゅの状態が相当程度進行しており,既に呼吸が相当困
難な状態にあって,これが更に進行すれば,上気道狭さくから閉そくに至ることを
うかがわせるのに十分な兆候があった。(3) 辛が呼吸停止,心停止に至った原因
は,進行性のこう頭浮しゅにより上気道狭さくから閉そくを起こしたものと推測さ
れるが,前記の医学的知見によれば,本件手術のような食道がん根治術の場合,気
管内に挿入された管の抜管後に,このような上気道の閉そく等が発生する危険性が
高いとされており,抜管後においては,患者の呼吸状態を十分に観察して再挿管等
の気道確保の処置に備える必要があり,特に抜管後1時間は要注意であるとされて
いる。
 【要旨】上記の諸点に照らすと,壬医師は,抜管後,辛の吸気困難な状態が高度
になったことを示す胸くうドレーンの逆流が生じた上記時点(前同日午前10時5
5分ころ)において,辛のこう頭浮しゅの状態が相当程度進行しており,既に呼吸
が相当困難な状態にあることを認識することが可能であり,これが更に進行すれば
,上気道狭さくから閉そくに至り,呼吸停止,ひいては心停止に至ることも十分予
測することができたものとみるべきであるから,壬医師には,その時点で,再挿管
等の気道確保のための適切な処置を採るべき注意義務があり,これを怠った過失が
あるというべきである。
 なお,前記のとおり,壬医師は,胸くうドレーンの逆流が生じた上記時点後の同
日午前11時ないし午前11時5分ころに辛の観察等をし,午前11時7,8分こ
ろにその呼吸状態が安定したとの判断をしているが,そのような状態はわずかな時
間継続した一時的なものにすぎず,辛が,その直後の午前11時10分ころには,
再び呼吸困難な状態に陥り,呼吸停止に至ったことからみて,こう頭浮しゅによる
呼吸困難という基本的な状況に変化があったものとは考えられない。したがって,
このような一時的な状態が存在したことが上記の判断を左右するものではない。
 5 以上によれば,胸くうドレーンの逆流が生じた上記時点において,壬医師に
は,再挿管等の気道確保のための適切な処置を採るべき注意義務を怠った過失があ
るというべきであり,これと異なる原審の判断には,法令の適用を誤った違法があ
るといわざるを得ず,この違法は,判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。
論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,本件については,損害等の
点について更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 滝井繁男 裁判官 福田 博 裁判官 北川弘治 裁判官 亀山
継夫 裁判官 梶谷 玄)

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