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H16.5.31東京地方裁判所平成14年(ワ)第21942号損害賠償請求事件
主文
    原告らの請求をいずれも棄却する。
    訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
   被告は,原告Aに対し,4000万円,原告B,原告C及び原告Dに対し,各1000万
円並びにこれらに対する平成12年7月30日から各支払済みまで年5分の割合に
よる金員を支払え。
第2 事案の概要
   本件は,E(昭和28年9月16日生まれ。)が,被告の開設するF病院(以下「被告病
院」という。)において,平成12年7月6日に肝細胞癌の治療のために肝右葉切除
手術(以下「本件手術」という。)を受けたものの,同月30日に死亡したことについ
て,Eの相続人である原告らが,Eには本件手術の手術適応がなかったにもかか
わらず,被告病院の担当医師らはこれを実施したなどと主張して,被告に対し,不
法行為(使用者責任)又は診療契約の債務不履行に基づき,逸失利益等の損害金
の一部を請求する事案である。
 1 前提事実(証拠を掲げない事実は,当事者間に争いがない。)
  (1) 当事者等
   ア 原告ら
     原告Aは,Eの妻であり,原告Bは,Eの養子(Aの実子)であり,原告C及び原告
Dは,EとAとの間に生まれた子である。
   イ 被告等
    (ア) 被告は,川崎市内に総合病院である被告病院を開設,経営する法人であ
る。
    (イ) 被告病院においてEの診察・診療を担当したのは,内科のG医師,外科のH
医師,I医師らであり,H医師,I医師らが本件手術を担当した(以下,「被告
病院の担当医師ら」というときは,これらの医師及びEの診察・診療に加わ
った被告病院の他の医師も含む。)。
  (2) 診療経過
   ア Eは,従前から慢性肝炎等を患っていたところ,平成12年6月5日の被告病院
内科における初診の際に肝腫瘍の疑いがあると診断されたことから,肝腫瘍
の治療について,被告との間で診療契約を締結し(以下「本件診療契約」とい
う。),同月16日に被告病院に入院し,同年7月6日に本件手術を受けたが,
同年7月30日に死亡した(以下,特に記載のない限り,年については平成12
年である。)。
   イ Eに対するその余の診療経過は,別紙「診療経過一覧表記載」のとおりである
(当事者の主張の相違する部分を除き,争いがない。)。
     また,被告病院におけるEに対する投薬経過は,別紙「投薬一覧表」記載のとお
りである。
  (3) 専門用語
    本件における医学専門用語の意味は,別紙「医学専門用語集」記載のとおりであ
る。
 2 争点
(1) 本件手術の手術適応の有無(手術適応のない手術を行ったことによる不法行
為又は債務不履行の成否)
   (原告らの主張)
   ア(ア) 肝細胞癌は,背景にウイルス性慢性肝疾患が存在し,種々の程度の肝機
能障害がみられることから,肝切除術の安全性を確保し,侵襲度を低下さ
せるためには,適切な術前肝機能評価,予測残肝機能評価に基づく肝切
除量,肝切除術式の決定が不可欠であるところ,手術適応を判断するため
の基準としては,一般に,日本肝癌研究会が定めた「原発性肝癌取扱い規
約」の肝障害度が用いられており,手術適応が認められるのは,基本的に
は,肝障害度Aの場合のみとされている。
      本件では,Eの検査数値をこの基準に当てはめた場合,肝障害度はBとなる
から,Eについては,本件手術の手術適応はなかったというべきである。
(イ) そして,肝癌摘出手術に代替すべき治療方法として,TAE(肝動脈塞栓
術)がある。TAEは,手術に比して患者への侵襲の少ない療法であり,今
日,治療としての信頼性や確実性が増し,肝切除術に比して遜色のない効
果が期待されているのであるから,Eに対しても,TAEを選択すべきであっ
た。
    (ウ) なお,被告病院の担当医師らは,手術適応を判断するための基準として,
兵庫医大方式を簡易化した計算式を用いたとするが,兵庫医大方式は,過
大な肝切除を容認するものであって,肝切除術の手術適応を判断するのに
適切なものではない。
      また,兵庫医大方式は,年齢のほかにはICG15値だけを指標とするものであ
るから,ICG15値が肝機能を正確に反映していることが大前提であるが,
本件では,ICG検査には誤差が内在するにもかかわらず,被告病院の担
当医師らは1度しかICG検査を行っておらず,しかも,その検査も,直前に
体重を測定するなどせずに試薬量を定めて行われたものであるから,ICG
検査数値がEの肝機能を正確に反映していない可能性が高い。
      さらに,被告病院の担当医師らは,兵庫医大方式を簡易化した計算式を用い
たとするが,実際には全く医学的根拠のない独自方式を用いたのであっ
て,本件訴訟が提起された後に,たまたま本件で当てはまりそうな兵庫医
大方式を持ち出して,自己の独自方式に医学的根拠があるかのように振る
舞っている疑いは否定できない。
   イ 仮に,肝切除術の手術適応を判断するための一般的な基準によれば本件手術
に手術適応が認められるとしても,Eが糖尿病を罹患していた事情をも考慮す
れば,本件手術の手術適応は否定されるというべきである。
     すなわち,一般に,糖尿病患者の術前管理としては,グリコヘモグロビンの値を
7パーセント以下,空腹時血糖値を150以下,2時間血糖値を200以下とす
べきとされているところ,本件では,被告病院の担当医師らは,6月19日のE
のグリコヘモグロビンの値が9.6パーセントであったにもかかわらず,それ以
降,グリコヘモグロビンを測定しておらず,Eの血糖値については,外科に転
科した6月28日以降,2時間血糖値が200を大幅に上回っている。
     このことからすると,本件手術当日のEの血糖コントロール状態は安定していな
かった可能性が高く,かかる状態のもとでは,本件手術の手術適応はなかっ
たというべきである。
ウ さらに,Eは,高血圧であったし,慢性肝炎に罹患しており,各種肝機能検査
の数値も悪く,6月21日のカルテにも「肝予備能悪いかも」との記載があった
のであるから,本件手術の手術適応はなかったというべきである。
エ Eについて本件手術の手術適応がなかったことは,後記(4)の原告らの主張
記載のとおり,Eの死亡原因が術後急性肝不全の発症又は術後急性肝不全
の発症に加えて,MRSA感染症が併発したためであることからも推認される。
オ したがって,被告病院の担当医師らは,手術適応のないEに対して本件手術
を行い,Eの死亡という結果を招いたものであるから,Eの死亡によって生じた
損害について不法行為責任を負い,被告は,その使用者として使用者責任を
負うとともに,本件診療契約の債務不履行責任を負う。
   (被告の主張)
    原告らの主張は争う。
   ア(ア) 被告病院の担当医師らは,兵庫医大方式を簡易化した計算式によって,本
件手術の手術適応を判断し,これを肯定したものであるが,兵庫医大方式
は,多くの医療機関において採用されている基準であり,現在最も信頼性
があるとされているものであるから,被告病院の担当医師らが,兵庫医大
方式に従って本件手術の手術適応を判断したことには何らの不適切な点も
ない。
      また,兵庫医大方式が指標としているICG検査については,ショック等の副作
用の危険が伴うため,通常は1回の検査で足りるものとされており,本件に
おいて,被告病院の担当医師らがICG検査を1回しか行わなかったことが
適切を欠くということはない。
      しかも,本件では,ICG検査が特に重要であることを十分認識した上で,G医
師自らが慎重を期してICG検査を行っており,誤検査を惹起するような事情
は何もない。
    (イ) また,原発性肝癌取扱い規約の肝障害度を用いても,血清アルブミン値とプ
ロトロンビン値は肝障害度Bであるが,腹水,血清ビリルビン値,血清アル
ブミン値,ICG15値はいずれも肝障害度Aであり,これらを総合すると,E
の肝障害度は,ほとんどAに近いBであったということができる。
(ウ) TAEについては,Eの肝細胞癌の大きさは10センチメートル前後であ
り,このような巨大な肝細胞癌の場合は,肝動脈の血流のみならず,門脈
血流も十分に受けているため,TAEが十分な効果を上げられる対象ではな
い。TAEは,5センチメートルを越える大きな肝細胞癌の場合は,生命予後
の改善が認められていないので,不適切である。
   イ また,一般に,糖尿病であっても術前に血糖コントロールを行った上で手術を行
うことに支障はない。
     術前の血糖コントロールについては様々な指標が出されているが,特に重要な
のは空腹時血糖,そして血糖日内変動であるとされており,本件におけるEの
血糖値については,6月23日には,全ての血糖値が200以下となり,空腹時
血糖値も昼食前を除いて120以下となっており,外来時の300を超える血糖
値と比べても,非常に良好な状態になっていたといえる。
     なお,グリコヘモグロビンの値は,過去60日から120日の間の血糖値の平均を
あらわすものであるため,入院後の血糖コントロール状態を評価するために
測定する必要はない。
ウ Eは,高血圧ではあったが,状態が悪くなかったため,適正なコントロールが
されれば,高血圧であるがゆえに手術適応が失われるようなものではなかっ
た。そして,高血圧については,投薬等によって治療され,コントロールがされ
ていた。
また,Eは慢性肝炎(B・C型肝炎)に罹患していたが,兵庫医大方式は,肝
細胞癌で背景に慢性肝炎や肝硬変がある場合に肝予備能評価のために用
いられるものであり,兵庫医大方式で肝切除可能と評価されれば,慢性肝炎
であっても手術適応はある。 
   エ Eの死亡原因は,後記(4)の被告の主張記載のとおり,MRSA感染症    を
発症したことによる多臓器不全であり,術後急性肝不全ではない。 
  (2) 説明義務違反の有無(説明が不十分であったためにEが本件手術を受け,死亡
する結果となったことについての不法行為又は債務不履行の成否)
   (原告らの主張)
   ア およそ患者に手術を実施する医師は,患者に対し,当該手術の危険性(手術に
よる合併症及び後遺障害発生の有無とその発生頻度),代替治療法の有無,
手術をしない場合の予後などを事前に説明し,患者自らが治療法を選択しう
るよう具体的な説明をしなくてはならず,そうした説明を尽くさないまま医療行
為をしてはならないというべきである。
   イ ところが,本件では,被告病院の担当医師らは,自分から積極的に説明の機会
を設けようとはせず,原告Aから説明の要求を受けても検査未了と断り,さら
に手術2日前の面会予約をすっぽかし,手術前日のわずか3分間しか術前説
明をしなかった。
     そして,その説明は,手術時間は4時間程度,肝臓の60パーセント程度を切除
する,切除しても肝臓は増殖するので大丈夫,術後観察室に5日間入るという
だけのものであり,原告らは手術の危険性や余命等については一切説明を受
けていない。
   ウ 被告病院においてEに対する正確で詳細な説明義務の履行があれば,Eや原
告らは,セカンドオピニオンを得る機会を有することとなって,重篤な症状にふ
さわしい設備が充実し,より経験も豊富な他院での診療を選択する余地があ
ったし,また,継続して被告病院の担当医師らの診療を受けるにしても,TAE
など他の治療法の選択の機会を得ることによって,本件のごとき最悪の結果
を回避することが可能であった。
エ したがって,被告病院の担当医師らは,不十分な説明でEに本件手術を受け
ることを承諾させ,Eの死亡という結果を招いたものであるから,Eの死亡によ
って生じた損害について不法行為責任を負い,被告は,その使用者として使
用者責任を負うとともに,本件診療契約の債務不履行責任を負う。
   (被告の主張)
    原告らの主張は争う。
   ア 被告病院においては,Eに対して,各時点における検査の結果,内科的治療と
外科的治療を行った場合の予後,各治療法の内容等につき,G医師が図を書
いた上で詳細かつ具体的に説明を行っていた。
     また,H医師は,毎日朝の回診の際に,Eと会話を交わし,手術の内容等につい
て説明を行っていたし,手術承諾書を受領する際には,手術内容や予後につ
いて十分に説明の上,E及び原告Aから署名・捺印をもらっていた。
     以上のような経過からすれば,説明は十分になされていたといえる。
   イ 原告らは,十分な説明を受けていれば,セカンド・オピニオンを得るなどして,本
件手術以外の治療法や他院での診療等を選択する余地があったなどと主張
するが,Eのような巨大腫瘍の場合には,肝切除術が圧倒的に予後が良いこ
とが明らかであり,いかなる事態であろうと,肝予備能が許す限り肝切除術が
選択されることに疑いの余地はない。
     仮に,Eから肝切除術以外の選択肢の可能性について問われた場合でも,被告
病院の担当医師らとしては,肝切除術を受けるように説得したであろうことは
明らかであって,その他の方法を選択する余地があったなどとは到底いえな
い。
  (3) 本件手術における手技上の過失の有無
   (原告らの主張)
   ア 右肝静脈の先行処理をしなかった過失の有無
    (ア) 肝右葉切除術においては,出血量を減少させるために,右肝静脈根部を十
分に剥離・露出し,右肝静脈根部を結紮して右肝静脈からの血流を遮断し
た上で,肝実質の切離を始めるべきとされているから,被告病院の担当医
師らは,本件手術においても,このような右肝静脈の先行処理をしてから肝
切離を始めるべきであった。
      ところが,被告病院の担当医師らは,本件手術において,右肝静脈の先行処
理をしないまま肝切離を始めたため,術中出血量が3889ミリリットルという
大量なものとなったのであるから,この点に同医師らの過失がある。
(イ) この点について,被告は,本件手術では,腫瘍と右肝静脈が近接してい
たため,無理に右肝静脈の先行処理をすると,大出血の危険があったと主
張する。
      しかし,仮に腫瘍と右肝静脈が近接していたために右肝静脈の処理が困難で
あったとすれば,後記のとおり,それは被告病院の担当医師らの選択した
当初の皮膚切開法が不適切であったために,本件手術において十分な術
野が得られなかったことに原因がある。
   イ 術前検査を十分に行わず,その結果,開胸開腹切開法を選択しなかった過失
の有無
     被告病院の担当医師らは,術前にCT,超音波検査(US)等によりEの癌の部
位を十分認識できたのであるから,皮膚切開法の選択にあたっては事前に癌
の部位,大きさを十分に考慮検討し,当初から開胸開腹切開法を選択し,良
好な術野を確保した上で手術を施行すべきであった。
     それにもかかわらず,被告病院の担当医師らは,術前にCTや超音波検査によ
る十分な検査をすることを怠り,開胸開腹切開法を選択せずに肋骨弓下切開
法によって本件手術を行ったため,良好な術野を得られず,右肝静脈の先行
処理ができず,前記のとおり,大量出血を生じさせたものであるから,この点
に被告病院の担当医師らの過失がある。
   (被告の主張)
    原告らの主張は争う。
   ア 右肝静脈の先行処理をしなかった過失の有無について
本件手術では,腫瘍が右肝静脈根部に覆い被さるように存在していたことから,
右肝静脈の処理を先行させると下大静脈損傷を引き起こして出血死に至る危
険があり,右肝静脈を先行処理することはできなかった。
   イ 術前検査を十分に行わず,その結果,開胸開腹切開法を選択しなかった過失
の有無について
     術前にCTによって腫瘍と右肝静脈の位置関係を正確に診断することは困難で
あるし,Eは,比較的体格がよく,脂肪の層が厚かったため,超音波検査によ
っても腫瘍と右肝静脈の位置関係を推測することは困難であった。
また,本件手術において採用された皮膚切開法は,両肋弓下切開に上腹
部正中切開を加えた,いわゆるベンツ型切開法(開胸開腹切開法に比べて手
術侵襲が小さい。)であり,視野不良を補うために右胸肋骨関節を外す処理も
行っており,視野は不良ではなかった。右肝静脈を先行処理できなかったの
は,腫瘍が右肝静脈根部に覆い被さるように存在していたためであって,視
野が悪かったためではない。
(4) 本件手術における手技上の過失とEの死亡との因果関係の有無(本件手術の
手技上の過失による不法行為又は債務不履行の成否)
   (原告らの主張)
ア Eの死亡原因は,術後急性肝不全の発症によるものである。
(ア) すなわち,術後急性肝不全は,その臨床症状として,黄疸,精神神経症
状(譫妄等),腹水,浮腫,出血傾向などが挙げられ,その診断基準は,総
ビリルビン値が5以上であることなどとされているところ,Eには,黄疸,精
神神経症状(譫妄等),腹水,浮腫,出血傾向のすべての症状が認めら
れ,また,総ビリルビン値についても,本件手術翌日である7月7日に5.0
3にまで上昇し,同月8日,同月10日と正常値に向かいかけたが,7月11
日には6.59にまで再上昇し,その後も5を下ることはなかった。
  このことからすると,Eが術後急性肝不全を発症していたことは明らかであ
り,これに連続して腎不全を併発するなどし,多臓器不全となったものとい
える。
  したがって,Eの真の死亡原因は,死亡診断書記載の多臓器不全ではな
く,術後急性肝不全であって,多臓器不全はその因果の流れに過ぎない。
    (イ) MRSA感染症の発症がEの死亡の一因となったとしても,術後急性肝不全
の発症に加えて,MRSA感染症が併発したことによって多臓器不全となっ
たものである。
イ Eが術後急性肝不全を発症したのは,前記(3)原告らの主張記載の被告病院
の担当医師らの本件手術の手技上の過失により大量出血が生じたためであ
るから,被告病院の担当医師らは,Eの死亡によって生じた損害について不
法行為責任を負い,被告は,その使用者として使用者責任を負うとともに,本
件診療契約の債務不履行責任を負う。
   (被告の主張)
    原告らの主張は争う。
   ア Eの死亡原因は,MRSA感染症を発症したことによる多臓器不全というべきで
あって,術後急性肝不全ではない。
(ア) すなわち,術後急性肝不全の機序については未だに不明な点が多く,そ
の診断基準についても統一的な見解は存在しないものの,肝切除術後に
おける術後急性肝不全の診断については,総ビリルビン値が10以上であ
ることや,GOT,GPTが200以上であることが指標とされている。
(イ) Eについては,総ビリルビン値は,7月21日に10を超えたが,それまで
は有意な上昇を示していないし,GOT,GPTは,7月27日に急上昇し,翌
28日にGOT2550,GPT482という状態となったが,それまでは通常の経
過を辿っており,術後急性肝不全の指標となるような上昇は全くみられてい
ない。
(ウ) このように,Eの症状を総ビリルビン及びGOT,GPTを中心に総合的に
評価すると,EがMRSAに感染したと思われる7月16日以前において術後
急性肝不全であったとみることは,医学的に不可能である。
   イ 右肝静脈の先行処理がされなかったため,出血は通常の肝切離に比較すれば
多かったが,肝切除術においては,大量とはいえず,輸血量は許容範囲内で
あり,血圧低下は認められず,残存肝の血流も保たれていた。したがって,大
量出血によって術後急性肝不全を発症したということはない。
  (5) 感染症に対して適切な対処を行わなかった過失による不法行為又は債務不履
行の成否(感染症が死亡原因である場合の予備的主張1)
   (原告らの主張)
   ア 発熱は最も重要でかつ頻度の高い感染症の兆候であるところ,Eには,7月10
日には38度台という高熱がみられたのであるから,被告病院の担当医師らと
しては,遅くともこの時点で,Eに感染症が発症したことを疑うべきであった。
     そして,感染症が疑われる場合には,血液培養等による起因菌の同定を速や
かに行い,起因菌に効果のある抗生物質を選択投与すべきであるから,被告
病院の担当医師らとしては,この時点で,Eに対して血液培養等を行って感染
症の起因菌の同定を行い,起因菌に効果のある抗生物質を選択投与すべき
であった。
     ところが,被告病院の担当医師らは,本件手術直後から予防的に投与していた
抗生剤を7月12日まで投与し続けるのみで,7月17日になるまでEの血液培
養検査を行わなかった。
   イ 被告病院の担当医師らが感染症に対して適切に対処しなかったためにEの死
亡という結果が生じたのであるから,同医師らは,Eの死亡によって生じた損
害について不法行為責任を負い,被告は,その使用者として使用者責任を負
うとともに,本件診療契約の債務不履行責任を負う。 
   (被告の主張)
    原告らの主張は争う。
   ア Eは,7月16日午前0時に点滴用チューブを引きちぎって病室から失踪し,廊
下を歩いて階段まで行き,6階の病室から4階まで降りて,さらに入院病棟か
ら外来病棟まで渡り廊下をわたったところで浴衣着の状態で発見されている
が,EがMRSAに感染した時期は,この時点であると思われる。
     そうすると,7月15日以前の時点においては,客観的にMRSAによる術後感染
症を発症していなかったと考えられるから,この時点までに早期に術後感染
症を発見すべきであったとする原告らの主張は,そもそもの前提を欠く。
   イ なお,Eの7月10日の症状については,体温は,深夜に一時的に38.8度とな
っているが,その後速やかに36度台の平熱に戻って推移しているし,白血球
数は,前日の1万5000から7400へと大幅に低下して正常範囲となってお
り,CRPも8.4から7.9と低下がみられている。
   ウ したがって,7月10日の時点で,Eには特に感染症を疑わせるような所見はな
く,被告病院の担当医師らの措置に不適切な点はない。
  (6) MRSAに対して適切な投薬をしなかった過失による不法行為又は債務不履行
の成否(感染症が死亡原因である場合の予備的主張2)
   (原告らの主張)
   ア 本件では,7月19日に,EのMRSA感染症が判明したのであるから,被告病院
の担当医師らとしては,確実に薬剤感受性試験を行い,当該MRSA分離菌
に対して有効・適切な抗菌薬(バンコマイシン)を選択・投与し,MRSA感染に
よる容態悪化を可及的に防止すべきであった。
     ところが,被告病院の担当医師らは,これを怠り,感受性の認められないテイコ
プラニンを漫然と投与するのみであり,感受性の認められたバンコマイシンが
投与されたのは,7月26日になってからであった。
イ 被告病院の担当医師らが適時にバンコマイシンを投与しなかったかったため
にEの死亡という結果が生じたのであるから,同医師らは,Eの死亡によって
生じた損害について不法行為責任を負い,被告は,その使用者として使用者
責任を負うとともに,本件診療契約の債務不履行責任を負う。
   (被告の主張)
    原告らの主張は争う。
   ア テイコプラニンもバンコマイシンもMRSA感染症に対する治療薬であるが,テイ
コプラニンとバンコマイシンを比較した場合,腎毒性の発現率は,テイコプラニ
ンよりもバンコマイシンのほうが優位に高いとされている。
イ 本件では,Eは,7月19日にMRSA感染症が判明した際,腎障害が生じて
いたのであるから,被告病院の担当医師らが,腎毒性の点から問題のあるバ
ンコマイシンではなく,テイコプラニンの投与したことは,適切であった。
  (7) 横隔膜下膿瘍に対して適切な処理をしなかった過失による不法行為又は債務
不履行の成否(感染症が死亡原因である場合の予備的主張3)
   (原告らの主張)
ア 感染症が発症した場合,膿があればドレナージをしなければならないが,そ
の前提として,感染が疑われる場合は,画像診断等を駆使して感染巣(特に
膿瘍)を検索することが不可欠である。
  したがって,被告病院の担当医師らは,Eの感染症が疑われた7月10日に,
超音波検査やCT検査を駆使して感染巣を検索し,膿があれば直ちにドレナ
ージを行うべきであった。
  ところが,被告病院の担当医師らは,これを怠り,横隔膜下膿瘍の具体的な
症状も見逃したまま,7月17日までレントゲンを撮影するだけで超音波検査
やCT検査を行わなかった。
  しかも,7月17日にようやく超音波検査及びCT検査を施行し,画像上横隔膜
下膿瘍を疑うべき所見が得られたのであるから,直ちに超音波検査ガイド下
に穿刺ドレナージを行うか,開腹してドレナージを行い,膿瘍を排出すべき注
意義務があったにもかかわらず,これを怠り,創を抜糸して皮下膿瘍の処置を
行うだけに留めた。
イ 被告病院の担当医師らが適時にドレナージを行わなかったためにEの死亡
という結果が生じたのであるから,同医師らは,Eの死亡によって生じた損害
について不法行為責任を負い,被告は,その使用者として使用者責任を負う
とともに,本件診療契約の債務不履行責任を負う。
   (被告の主張)
    原告らの主張は争う。
   ア 本件では,被告病院の担当医師らは,7月17日にEに対する超音波検査を行
ったところ,点状高エコーがみられ,CT検査にて斑点上のものがみられたこと
から,横隔膜下膿瘍の可能性も考えて,正中創を抜糸する形でドレナージを
行ったが,濁った腹水は排出されなかった。
イ このドレナージにおいては,合計1400ミリリットルもの排液が得られている
のであるから,仮にこの時点で横隔膜下膿瘍が存在したのであれば当然に膿
性排液がみられるはずであるが,濁った腹水は排出されなかったことからする
と,同時点以前の段階で横隔膜下膿瘍であったことは否定される。
ウ したがって,7月16日までの時点においてEに横隔膜下膿瘍が存在したこと
を前提とする原告らの主張は,前提において誤りがある。
  (8) 損害
   (原告らの主張)
   ア Eに生じた損害
    (ア) 逸失利益               5047万3209円
      Eは,昭和28年9月16日生まれ(本件当時46歳)の男子であり,本件医療事
故に遭遇しなければ,67歳まで21年間にわたって就労可能であった。
      本件医療事故によって死亡したことによるEの逸失利益は,平成11年賃金セ
ンサス男子労働者学歴計から生計費を控除してライプニッツ方式により計
算すると,562万3900円×0.7×12.8211=5047万3209円とな
る。
    (イ) 慰謝料                    3000万円
      本件死亡の精神的苦痛を慰謝するための相当額は,3000万円を下らない。
    (ウ) 葬儀費用                    150万円
   イ 相続
     原告らは,Eの死亡により,Eの被告に対する前記アの損害賠償請求権(合計8
197万3209円)を,原告Aが2分の1,原告B,原告C及び原告Dがそれぞ
れ6分の1の割合で,それぞれ相続した。
   ウ 弁護士費用
    原告らは,原告ら訴訟代理人弁護士らに対し,本件訴訟の追行を委任したが,
その弁護士費用としては,原告Aについては409万8660円,原告B,原告C
及び原告Dについては各136万6220円が相当である。
   エ 一部請求
     本件では,原告Aは,Eから相続した損害賠償請求権のうち3590万1340円と
弁護士費用の409万8660円との合計4000万円について,原告B,原告C
及び原告Dは,Eから相続した損害賠償請求権のうち863万3780円と弁護
士費用の136万6220円との合計1000万円について,それぞれ被告に対し
てその支払を請求する。
   オ よって,原告らは,被告に対し,不法行為(使用者責任)又は本件診療契約の
債務不履行に基づき,原告Aについては4000万円,原告B,原告C及び原
告Dについては1000万円及びこれらに対するEの死亡の日である平成12
年7月30日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の
支払を求める。
   (被告の主張)
    原告らの主張は争う。
第3 判断
 1 認定事実
   前記前提事実,証拠(各認定事実の後に掲げる。)及び弁論の全趣旨によれば,E
の診療経過に関して,以下の各事実が認められる。
  (1) 入院に至る経緯について
   ア Eは,平成元年ころから,慢性肝炎(B・C型肝炎),高血圧,糖尿病を患ってお
り,川崎市内の石原内科医院に通院して,治療を受けていた(甲A8,乙A1・
3頁,147頁,A2・3頁,6頁,12頁,A3・1頁,A9)。
   イ Eは,平成12年4月末ころ,倦怠感を覚えるようになり,同年5月末ころ,右季
肋部から背部にかけて違和感を感じるようになったことから,同年6月ころに
石原内科医院で腹部超音波検査を受けたところ,肝右葉の占拠性病変の疑
いがあるとされ,さらなる精査のために,被告病院を受診することを勧められ
た(診療経過一覧表,甲A8,乙A1・3頁,147頁,A2・3頁,6頁。以下,年に
ついては特に記載のない限り,すべて平成12年である。)。
   ウ そこで,Eは,6月5日に被告病院内科で診察(初診)を受け,被告との間で本
件診療契約を締結し,同月14日にCT検査(以下「本件CT検査①」という。)を
受けた(診療経過一覧表,甲A8,乙A1・1頁,A2・2頁,A11)。
本件CT検査①の結果,肝右葉に長径約10センチメートルの巨大な腫瘍
(以下「本件腫瘍」という。)が肝外に突出するような形で発育していることが判
明し,Eの担当医であるG医師は,本件腫瘍は肝細胞癌である可能性が高い
と診断し,Eは,同月16日,精査目的で被告病院内科に入院した(診療経過
一覧表,甲A8,乙A1・1頁,108頁,乙A3・4頁,A11,証人G)。
  (2) 被告病院内科入院後の診療経過について
   ア G医師は,Eの入院当日である同月16日,E及び原告Aに対して,肝臓に10セ
ンチメートルほどの腫瘍ができていること,血管造影検査が必要であること,
血管造影剤等を用いた内科的治療法(TAI,TAE)やアルコールを注入する
治療法(PEI)があるが,腫瘍が大きいために治療効果が得られにくいので,
治療法として第1の選択肢は手術であることなどを説明した上で,血管造影検
査の実施について承諾を得た(診療経過一覧表,甲A8,乙A1・144頁,14
5頁,A9,証人G,原告A本人)。
     さらに,G医師は,原告Aのみをその場に残して,本件腫瘍が進行癌であること
を説明した(診療経過一覧表,甲A8,A14,原告A本人)。原告Aは,Eの肝
臓癌がかなり大きくなっていたので,早晩,苦しい思いや辛い思いをするだろ
うと考えると,かわいそうで癌とは言えないと思い,G医師に,Eには癌である
ことは言わないように依頼した(甲A8,証人G,原告A本人)。
   イ 同月20日,Eに対して腹部血管造影検査が行われ,本件腫瘍は,肝細胞癌と
診断された(診療経過一覧表,乙A1・10頁,107頁)。
そこで,G医師は,原告Aに対し,上記診断結果を伝え,①本件CT検査①
の結果や超音波検査の結果等を総合すると,肝細胞癌は,原発性肝癌であ
る可能性が高く,右葉に限局していると考えられるので,手術適応がある,②
リピオドールを注入して2週間後にCT検査(以下「本件CT検査②」という。)を
行う予定であり,その結果,もし肝左葉にも癌があれば,肝切除はできないの
で,エタノール注入療法(PEI)等の内科的治療法を選択せざるを得ない,③し
かし,肝左葉に癌がない場合は,本件腫瘍は内科的治療法を行うにはあまり
にも巨大で,内科的治療の適用外とは言わないが,治療効果が得られないこ
とが十分に予想され,本件腫瘍のように腫瘍が巨大なケースでは,切除例の
方が内科的治療に比べて明らかに長期的予後がよいので,Eの年齢が若い
ことも考慮すると,肝切除を勧める,④Eには癌とは言わないと説明し,原告A
はこれを了承した(甲A8,乙A1・12頁,A9,証人G,原告A本人)。
なお,当日,Eの左肝動脈から,造影剤リピオドールが注入された(乙A1・
10頁,107頁)。
   ウ 同月21日,Eのプロトロンビン時間(PT)は40パーセント,活性化部分トロンボ
プラスチン時間(APTT)は152.6,血清アルブミン値(ALB)は3.1g/dlで
あったが(なお,同月19日のEのプロトロンビン時間は62パーセント,活性化
部分トロンボプラスチン時間は45.5,血清アルブミン値は3.5g/dlであっ
た。),このような検査数値の推移をみたG医師は,Eにはリピオドールの注入
による一時的な肝機能障害が生じているとは考えられるものの,それを考慮
してもなおEの肝予備能が悪いかもしれないという印象を持った(乙A1・13
頁,52頁,67頁,証人G)。
     そこで,G医師は,Eに対するICG検査(インドシアニングリーン検査)を間違いな
く行わなくてはならないと考えた(乙A1・13頁,証人G)。
   エ 同月22日,G医師は,Eに対してICG検査を実施した(診療経過一覧表,乙A
1・15頁,85頁,A9,証人G)。
     このICG検査の結果,EのICG15値が8.8パーセントであるとの検査結果が出
た(乙A1・15頁,85頁)。
     G医師は,この8.8パーセントという数値をもとに,肝切除術の手術適応を判断
する際の計算式の一つである兵庫医大方式の計算式を簡易化した「-80+
46+8.8+x<45」という不等式を計算し,「x<72」という計算結果から,E
の肝臓について,右葉から拡大右葉まで切除可能と判断した(乙A1・15頁,
A9,証人G)。
   オ 同月23日,Eの日内血糖値は,朝食前が107mg/dl,朝食後が189mg/d
l,昼食前が169mg/dl,昼食後が184mg/dl,夕食前が116mg/dl,夕
食後が183mg/dl,午後9時が190mg/dlであった(乙A1・85頁,証人
G)。
     G医師は,この数値とEの同月19日の日内血糖値(朝食前が78mg/dl,朝食
後が254mg/dl,昼食前が230mg/dl,昼食後が267mg/dl,夕食前が
165mg/dl,夕食後が226mg/dl,午後9時が217mg/dl)とを比較する
などして,Eの血糖コントロールが良好に行われ,手術に差し支えない状態に
なったものと判断した(乙A1・85頁,A9,証人G)。
カ G医師は,Eが被告病院内科に入院してから,被告病院外科のH医師やI医
師らとも連絡を取り合い,本件腫瘍についての手術適応の有無について相談
し,適応の有無を判断するための検査についても外科の医師らと相談しなが
ら進めたが,ICG検査の結果に基づいて計算すると,右葉から拡大右葉まで
切除可能であること,血液データは,リピオドールの注入によって一時的な肝
機能障害が生じたが,回復したことを示していること,血糖コントロールも良好
であることなどから,手術適応があると判断し,本件腫瘍は巨大な肝細胞癌で
あり,手術適応があればTAEやPEIのような内科的治療法は選択しないのが
常識であると考えていたので,Eを外科に転科させ,さらに外科で手術適応の
判断をした上で手術を実施すべきものと考えた(乙A7からA9まで,証人G)。
   キ そして,同月28日,Eは外科へ転科となった(乙A1・20頁)。
  (3) 被告病院外科転科後本件手術までの診療経過について
   ア 被告病院外科におけるEの担当医師は,H医師,I医師,J医師らであった(乙A
1・1頁,A7,A8,証人G)。
イ 6月30日,本件CT検査②が行われたが,肝左葉に腫瘍性病変は認められ
なかった(診療経過一覧表,乙A1・111頁,205頁)。
   ウ 被告病院外科における本件手術までのEの血糖値の測定結果は,以下のとお
りであった(乙A1・157頁から159頁まで)。
    (ア) 6月29日  午前7時    82mg/dl
             午前11時  209mg/dl
             午後5時   149mg/dl
    (イ) 6月30日  午前7時   101mg/dl
    (ウ) 7月1日   午前7時    92mg/dl
             午前11時  241mg/dl
    (エ) 7月4日   午前7時   128mg/dl
             午前11時  273mg/dl
             午後5時   178mg/dl
    (オ) 7月5日   午前7時   117mg/dl
             午前11時  273mg/dl
             午後5時   189mg/dl
   エ 被告病院外科の医師らは,Eが内科に入院しているときから,G医師と本件手
術の手術適応について相談してきたが,外科においても,兵庫医大方式で手
術適応があることを確認し,各肝機能数値等も参考にして本件手術の実施を
決定した(乙A8,証人I)。
オ 本件手術の前日である7月5日午後5時半すぎころ,H医師は,Eと原告Aに
対し,翌日の本件手術の説明をし,本件手術についての承諾を得たが,その
際,H医師は,本件腫瘍は肝臓癌であること,肝臓を60パーセント切除するこ
と,切除しても肝臓は増殖するから大丈夫であること,手術は4時間くらいであ
ることを告げ,「切れば治ります。」と言った(甲A8,乙A7,証人H,原告A本
人)。
カ そして,7月6日,Eに対して本件手術が行われた(甲A8,乙A1・7頁,9頁,
21頁,163頁)。
  (4) 本件手術(7月6日施術)について
   ア 午後1時3分に,Eに対して麻酔が施され,午後1時49分から,本件手術が開
始された(乙A1・7頁,9頁,163頁)。
     本件手術の術者はI医師,助手はH医師,J医師,麻酔医はK医師であった(乙A
1・7頁,9頁,163頁)。
     I医師が肝右葉切除術を執刀するのは,本件手術が2例目であった(乙A8,証
人I)。
   イ(ア) I医師らは,Eに対して,まず,両肋弓下切開による開腹を行い,午後3時20
分には,より広い術野を得るために,正中切開を追加し,さらに,その後,
胸肋関節を離断した(いわゆるベンツ型切開法を採用したもの。乙A1・9
頁,21頁,163頁,A8,証人H)。
    (イ) 開腹後,I医師らは,Eの腫瘍が10センチメートルを超える大きさであること
を確認した(乙A8)。
    (ウ) そして,I医師らは,Eの肝臓を周囲から剥離する作業を進めたが,肝静脈周
囲を剥離したところ,肝腫瘍が肝静脈の根部に膨張するように被さっていた
ために,右肝静脈と中肝静脈の分岐部分が確認できず,また,肝実質内へ
向かう部分を剥離しようとしたところ,腫瘍を露出しそうになった(乙A8,証
人I)。
      このため,I医師らは,このまま肝静脈の処理を進めると,肝静脈を損傷して大
出血を招く危険があると考え,肝静脈の処理を断念し,肝実質の切離を先
行させることとした(乙A1・9頁,21頁,A8,証人H)。
      肝実質の切離は,午後4時40分から開始され,午後6時30分に終了した(乙
A1・163頁)。
      切除された肝右葉の重量は,1080グラムであり,これはEの肝臓の約6割に
相当するものであった(乙A1・163頁,証人H,同I)。
    (エ) 肝実質の切離を行っている間に,Eの出血量が増えてきたことからH医師ら
は,K医師の判断に従って,午後6時からEに対する輸血を開始した(乙A
1・163頁,A8,証人H)。
    (オ) その後,Eに対しては,ドレーンの挿入や閉腹が行われ,午後8時7分,本
件手術は終了した(乙A1・7頁,9頁,21頁,163頁,A8)。
    (カ) 本件手術におけるEの出血量は,3889グラムであり,輸血量は,2340ミリ
リットルであった(乙A1・7頁,9頁,21頁,163頁)。
  (5) 被告病院外科における本件手術後の診療経過について
   ア(ア) 7月8日午後10時ころ,Eは,看護師に対して,頭がおかしくなった,現実と
夢がごちゃごちゃで気が狂いそうだ,自殺でもしそうな勢いだ,などと話しか
けた(乙A1・166頁)。
    (イ) 同月10日午前2時ころ,Eは,看護師に対して,もう俺いいよ,意気地なしだ
から,この管全部抜いて終わりでいい,などと話しかけた(乙A1・167頁)。
      同日,I医師がEの診察を行ったところ,手術創はきれいであった(乙A1・22
頁,証人I)。
      同日午後6時ころから,Eの体温が38度を超えるようになったため,Eに対し
て,メチロン1A(解熱剤)が投与された(乙A1・168頁,証人I)。
    (ウ) 同月11日午前6時ころ,Eに不穏な症状が認められた(乙A1・22頁,168
頁)。
    (エ) 同月12日,Eについて,手術創がきれいであること,ドレーンからの排液が
さらさらの透明な液体であること,排便があったことが確認された(乙A1・2
4頁,証人I)。
      同日,I医師は,Eの体温が37度台半ばを推移し,白血球数が1万1900,C
反応性蛋白(CRP)が11.7mg/dlとなったことから,明らかな感染巣は
不明であったものの,腸管から細菌が入り込むなどして何らかの感染が生
じている可能性を考慮し,Eに対して,それまで投与されていたセフメタゾン
(抗生剤)に代えて,予防的に,カルベニン(抗生剤),ダラシン(抗生剤)の
投与を開始した(乙A1・24頁,277頁,281頁,288頁,294頁,A8,証
人I)。
    (オ) 同月13日午後4時ころ,Eは,看護師に対して,天井にどうしてもテレビが見
える,などと話しかけた(乙A1・174頁)。
    (カ) 同月14日午前0時ころ,Eは,看護師に対して,興奮気味に,だましやがっ
て,などと話しかけ,また,午前2時には,天井に何か見える,ここから降ろ
してくれ,などと独り言を発し,午前6時ころには,誰かがダイヤモンドを探
せって言う,などと話した(甲A8,乙A1・174頁)。
      また,同日未明には,Eは,前日に挿入された経鼻胃管を自ら引き抜いた(乙
A1・26頁,証人I)。
    (キ) 同月16日午前零時ころ,Eは,点滴用チューブを引きちぎって病室から抜け
出し,浴衣着のまま,手術創に当てていたガーゼや紙おむつ等を散乱させ
ながら,入院病棟から外来病棟へ向かう渡り廊下まで脱走した(乙A1・27
頁,176頁,証人H,同I)。
    (ク) 同月17日午前中に,Eに頻呼吸が現れ,酸素分圧(PaO2 )が64.2mm
Hgとなり,呼吸不全が認められたことから,I医師らは,Eに対して,気管内
創管を行った(甲A8,乙A1・28頁,56頁,208頁,証人I)。
      そして,I医師らは,上記頻呼吸の症状に加えて,Eの白血球数が2万を超えた
こと,Eの手術創が少し汚れていたことから,これまで投与していた抗生剤
では効果がない真菌による感染症が発症していることを疑って,Eの手術
創部膿,腹水,血液,喀痰などの培養検査を行うこととし,また,ジフルカン
(抗生剤)の投与を開始した(乙A1・95頁から100頁,263頁,A8,証人
H,同I)。
      さらに,I医師は,Eに対して,腹腔内の感染,膿瘍を疑って,CT検査及び超音
波検査を実施した(乙A1・109頁,112頁,証人I)。
      加えて,I医師らは,Eに対して,正中創ドレナージを行ったが,1400グラム近
い腹水が排出されたものの,膿性腹水は認められなかった(乙A1・178
頁,208頁,A8,証人I)。
      また,同日,I医師は,Eの腎障害が進んでいるとの認識を持った(乙A1・28
頁)。
    (ケ) 同月19日,Eの手術創部膿の培養検査の結果,MRSAが検出された(3
+)ことから,I医師らは,Eに対して,テイコプラニン(タゴシッド,抗生剤)の
投与を開始した(甲B94,乙A1・29頁,95頁,254頁,A8,B13,証人
I)。
      このとき,I医師らが,抗生剤としてテイコプラニンを選択したのは,Eに腎障害
がみられていたことから,腎毒性が少ないとされるテイコプラニンが有効と
考えたためであった(乙A8,証人I)。
    (コ) 同月21日,Eの喀痰の培養検査の結果,MRSAが検出された(1+)ことか
ら,I医師らは,Eに対して,バンコマイシンの吸入を開始した(乙A1・99
頁,250頁,証人I)。
      このころ,I医師は,Eが,肝機能,腎機能悪化のために多臓器不全になりつつ
あるとの認識を持った(乙A8)。
    (サ) 同月25日,I医師は,Eが多臓器不全に陥ったものと考え,Eに対して,持続
援助式血液ろ過透析(CHDF)を開始した(乙A1・32頁,A8,証人I)。
    (シ) 同月26日,前日から持続援助式血液ろ過透析が開始されたことから,腎毒
性を考慮する必要がなくなったため,Eに対して,バンコマイシン(抗生剤)
の投与が開始された(乙A1・32頁,232頁,A8,証人I)。
    (ス) 同月30日午後7時30分,Eは死亡した(甲A2,乙A1・37頁,146頁)。
      なお,死亡診断書には,Eの直接の死因については,多臓器不全と記載され,
その原因については,肺炎,MRSA感染と記載されている(甲A2,乙A1・
146頁)。
   イ(ア) 被告病院外科における7月7日から同月17日までのEの活性化部分トロン
ボプラスチン時間の測定結果は,以下のとおりであった(乙A1・54頁から5
6頁まで)。
     a 7月7日   39.2
     b 7月8日   54.2
     c 7月10日  40.5
     d 7月11日  37.9
     e 7月12日  41.0
     f 7月13日  42.9
     g 7月14日  40.3
     h 7月15日  44.4
     i 7月17日  55.8
    (イ) 被告病院外科における7月7日から同月29日までのEの総ビリルビン値の
測定結果は,以下のとおりであった(乙A1・68頁から74頁まで,213
頁)。
     a 7月7日    5.03mg/dl
     b 7月8日    4.69mg/dl
     c 7月10日   3.76mg/dl
     d 7月11日   6.59mg/dl
     e 7月12日   5.98mg/dl
     f 7月13日   6.57mg/dl
     g 7月14日   7.34mg/dl
     h 7月15日   7.15mg/dl
     i 7月16日   7.92mg/dl
     j 7月17日   8.69mg/dl
     k 7月18日   7.88mg/dl
               7.70mg/dl
     l 7月19日   8.54mg/dl
               8.47mg/dl
     m 7月21日  10.72mg/dl
              10.12mg/dl
               9.56mg/dl
     n 7月22日  10.86mg/dl
     o 7月24日  11.69mg/dl
     p 7月25日  13.40mg/dl
              13.01mg/dl
     q 7月26日  13.81mg/dl
     r 7月27日  12.79mg/dl
     s 7月28日  14.76mg/dl
     t 7月29日  17.23mg/dl
    (ウ) 被告病院外科における7月7日から同月17日までのEの白血球数(WBC)
の測定結果は,以下のとおりであった(乙A1・164頁から168頁まで,17
2頁から178頁まで,213頁)。
     a 7月7日   1万4800
     b 7月8日   1万5000
     c 7月10日   7400
     d 7月11日  1万1600
     e 7月12日  1万1900
     f 7月13日  1万3000
     g 7月14日  1万7700
     h 7月15日  1万7700
     i 7月16日  1万9900
     j 7月17日  2万0100
    (エ) 被告病院外科における7月7日から同月17日までのEのC反応性蛋白(CR
P)の測定結果は,以下のとおりであった(乙A1・78頁から80頁まで,21
3頁)
     a 7月7日    2.1mg/dl
     b 7月8日    8.4mg/dl
     c 7月10日   7.9mg/dl
     d 7月11日   8.4mg/dl
     e 7月12日  11.7mg/dl
     f 7月13日  12.8mg/dl
     g 7月14日  11.9mg/dl
     h 7月15日  10.8mg/dl
     i 7月16日   9.8mg/dl
     j 7月17日  10.4mg/dl
 2 争点(1)-本件手術の手術適応の有無(手術適応のない手術を行ったことによ   
 る不法行為又は債務不履行の成否)について
(1) 兵庫医大方式について
 ア さきに認定したとおり,被告病院の担当医師らは,本件手術の手術適応につ
いて,兵庫医大方式の計算式を用いて判断したものであるが,原告らは,肝
切除術の手術適応を判断するための基準としては,日本肝癌研究所が定め
た原発性肝癌取扱い規約(以下「規約」という。)の肝障害度が用いられてお
り,手術適応が認められるのは,基本的には障害度Aの場合のみとされてい
るところ,Eは障害度Bになるから,本件手術の手術適応はなかった旨主張
し,被告も,規約の障害度でみると,EはAに近いBであったことを認めてい
る。
しかし,文献(甲B4,B6からB8まで,B20,B21,B31からB34まで,乙
B1からB4まで,B23)によれば,肝切除術の手術適応を判断するための基
準としては,規約の肝障害度を用いるもののほかに,兵庫医大方式や,東京
大学幕内教授らのフローチャート(国立がんセンターのフローチャート)による
ものなどがあることが認められ,さらに,①横浜市立大学医学部附属病院に
対する調査嘱託の結果によれば,同病院第二外科では,平成4年から兵庫
医大方式を用いており,東京大学幕内教授らのフローチャートなどを参考とす
ることもあるが,兵庫医大の式を最も重視していることが,②大阪市立大学医
学部附属病院に対する調査嘱託の結果によれば,同病院第二外科では,昭
和56年から兵庫医大方式を用いており,小範囲肝切除の手術適応の判断に
は規約による基準も用いるものの,広範囲肝切除では兵庫医大方式を重視し
ていることが,③防衛医科大学校病院に対する調査嘱託の結果によれば,同
病院外科では,昭和58年から兵庫医大方式を用いており,東京大学幕内教
授らのフローチャートで切除対象となった場合に,切除可能域を判断するため
に兵庫医大方式を用いていることが,それぞれ認められるので,Eが規約の
障害度ではBに該当するからといって直ちに肝切除術の手術適応がなかった
とはいえず,被告病院の担当医師らが兵庫医大方式を用いて肝切除術の手
術適応を判断したことが不適切であったと認めることはできない。
イ そこで,兵庫医大方式の計算式によれば,Eについて,本件手術の手術適応
が認められるかどうかを検討する。
(ア) G医師は,EのICG15値8.8パーセントをもとに,「-80+46+8.8+
x<45」という不等式(以下「本件不等式」という。)を計算し,「x<72」とい
う計算結果から,Eの肝臓について,右葉から拡大右葉まで切除可能(60
パーセントの肝切除は許される)と考え,本件手術の手術適応を肯定して
いる(前記認定事実)。
      そして,G医師は,本件不等式は,肝切除術の手術適応に関する兵庫医大方
式を簡易化したものであると述べている(乙A9,証人G)。
    (イ) 文献(乙B1,B4)によれば,兵庫医大方式とは,「Y=-84.6+0.933X
1 +1.11X2 +0.999X3 」のX1 に肝切除率を,X2 にICG15値
を,X3 に年齢をそれぞれ代入して,Yが50以下であれば切除安全域であ
るとするものであることが認められる。
    (ウ) この兵庫医大方式中の「-84.6」を「-85」に,「0.933」,「1.11」,
「0.999」をそれぞれ「1」に置き換えると,「Y=-85+X1 +X2 +X3
 」となるが,これにEのICG15値(8.8パーセント),年齢(46歳)を代入す
ると,「Y=-85+X1 +8.8+46」となり,本来であればYは50以下が
基準となるところ,これをより厳格に40未満に置き換えると,「-85+46
+8.8+X1 <40」という不等式が導かれる。
      そして,この不等式の両辺に5を加えると,「-80+46+8.8+X1<45」と
なり,本件不等式に一致する。
      このことからすると,本件不等式は,G医師の供述するとおり,兵庫医大方式
を簡易化した(係数を整数に置き換えることによって計算しやすいものとし
た)もので,本件不等式の結論と兵庫医大方式の計算式の結論はほぼ一
致するものと認められる。
    (エ) そして,正式な兵庫医大方式に,Eの肝切除率(60パーセント),ICG15値
(8.8パーセント),年齢(46歳)を代入すると,「Y=-84.6+0.933×
60+1.11×8.8+0.999×46」となり,Yは,27.102となるので,本
件不等式と同じく,本件手術の手術適応は肯定される。
ウ もっとも,原告らは,G医師が行ったICG検査は不正確であり,Eの肝機能を
正確に反映していない可能性が高いと主張するので,これについて検討す
る。
    (ア) 文献(甲B12,B13,B28,B35)によれば,ICG検査は,体重1キログラ
ム当たり0.5ミリグラムのICGを静注し,15分後に採血して,血清中のIC
G濃度を測定するというものであるところ,ICGは光に対して不安定である
ため,完全に溶解した後,速やかに使用しないと誤差が生じうるし,また,
静注の際に血管外に漏れたり,注射後正確に15分後に採血しなかったり
しても,誤差が生じうるとされていることが認められる。
    (イ) G医師は,6月22日にEに対してICG検査を実施した際,Eの内科入院時の
体重をもとにICGの量を計算している(乙A1,証人G)し,上記のとおり,IC
G検査が誤差の生じやすい検査であることからすると,検査結果に誤りが
生じている可能性が全くないとはいえない。
      しかし,Eの体重が,内科入院時からICG検査の実施に至るまでの6日間に有
意に変化したことを窺わせる証拠もなく,また,G医師がICGが完全に溶解
した後に速やかに使用しなかったり,静注の際にICGを注射外に漏らしたり
したことを窺わせる証拠もない(G医師は,静注の際にICGを注射外に漏ら
すこともなかったし,時間も正確であったと述べており(証人G),これに反す
る証拠はない。)。
    (ウ) 原告らは,G医師がICG検査を1回しか行っていないことを問題としている
が,ICG検査には重篤なショック症状を起こす危険性もあり(証人G),横浜
市立大学医学部附属病院及び大阪市立大学医学部附属病院に対する各
調査嘱託の結果によれば,いずれの附属病院でも,ICG検査は,通常は1
回しか実施していないことが認められ,G医師がICG検査を複数回実施し
なかったことをもって不適切であったということもできない。
(エ) したがって,G医師が行ったICG検査が不適切であったとも,その検査結
果が不正確なものであったとも認めることはできない。
エ 以上によれば,被告病院の担当医師らが兵庫医大方式の計算式を用いて
本件手術の手術適応があると判断したことについて,不適切であったあるい
は過失があったと認めることはできない。
(2) TAEについて
原告らは,Eについては,本件手術ではなく,TAEを選択すべきであったと主
張するが,本件腫瘍は,長径約10センチメートルの巨大な原発性肝細胞癌であ
り(前記認定事実),一般に,このような大きさの肝細胞癌については,TAE等の
内科的治療よりも,肝切除術の方が,予後が有意に良好であるとされており(乙
B4,B6,B8,B26),G医師も,本来は内科医として内科的治療の有効性を支
持する立場にあるが,本件腫瘍のような巨大肝細胞癌については,手術適応が
あれば内科的治療法は選択しないのが常識と考えて本件手術を勧めたもので
あり(前記認定事実,乙A9,証人G),前記のとおり,本件手術の手術適応が認
められる以上,TAEを選択すべきであったと認めることはできない。 
  (3) 糖尿病の罹患について
原告らは,Eは糖尿病に罹患しており,血糖値コントロール状態も安定してい
なかったので,本件手術の手術適応はなかったと主張し,文献(甲B11,B22,
B36,B37,B58,B61,乙B29,B30)によれば,糖尿病患者は感染症にか
かりやすいので,手術を行う場合は,空腹時血糖が概ね130mg/dl以下,食
後2時間血糖値が概ね200mg/dl以下にコントロールすべきものとされている
ことが認められる。
そして,Eは糖尿病を患っており,その血糖値は,被告病院内科に来院した当
初は高値を示し,6月19日のグリコヘモグロビン値は9.6パーセントであった
(乙A1・67頁。糖尿病患者の術前管理としては,一般にグリコヘモグロビン値を
7パーセント以下にコントロールすべきものとされている(甲B8,乙B3)。)が,
適切な血糖値コントロールが行われ,6月23日には,朝食前が107mg/dl,
朝食後が189mg/dl,昼食前が169mg/dl,昼食後が184mg/dl,夕食前
が116mg/dl,夕食後が183mg/dl,午後9時が190mg/dlとなり(前記認
定事実),上記の基準を満たし,手術に差し支えないものとなっていたことが認
められる。
もっとも,被告病院外科に転科して以降は,7月1日午前11時に241mg/d
l,同月4日午前11時に273mg/dl,7月5日午前11時に273mg/dlという
数値を示しており(前記認定事実),上記の基準を越えるときもあったことが認め
られるが,継続して上記基準を越える状態が生じていたわけではない。
そして,本件腫瘍は,肝外に突出するような形で発育している巨大腫瘍であり
(前記認定事実),肝臓は非常に大きくなって破裂してもおかしくないという状態
であった(証人H)のであるから,血糖値が上記基準を越えることがあったからと
いって,本件手術の適応がなかった,本件手術を差し控えるべきであったと認め
ることはできない。
(4) 高血圧等について
原告らは,Eは高血圧であったし,慢性肝炎に罹患しており,各種肝機能検査
の数値も悪く,6月21日のカルテにも「肝予備能悪いかも」との記載があったの
であるから,本件手術の手術適応はなかったと主張するが,①Eが本件手術の
適応を失わせるほどの高血圧状態にあったと認めるに足りる証拠はなく(診療経
過一覧表によれば,7月4日午前10時の血圧は130/82,午後2時の血圧は
120/78,7月5日午前10時の血圧は150/88,午後2時の血圧は128/7
6である。),②慢性肝炎については,兵庫医大方式は,慢性肝炎に罹患してい
ることを考慮した計算式であり(乙B1・158頁),兵庫医大方式で手術適応が認
められる以上,慢性肝炎に罹患しているからといって,手術適応を失うものでは
なく,③G医師が6月21日のカルテに「肝予備能悪いかも」と記載したのは,リピ
オドールの注入による一過性の肝障害を見て,そのような印象を持ったにすぎ
ず,各種肝機能検査の数値はその後回復しており,本件手術の適応を失わせる
ような数値は認められない(前記認定事実,証人G)から,原告らの上記主張は
採用できない。
(5) 以上のとおりであるから,本件手術の手術適応がなかった旨の原告らの主張
は理由がなく,むしろ,本件腫瘍が巨大な肝細胞癌であったことや,Eにその症
状が現れていたことから判断すると,被告病院の担当医師らが速やかに本件手
術の適応を判断するための検査を実施し,本件手術を行ったことは適切な治療
行為であったと認められる。
なお,原告らは,Eの死亡原因は,術後急性肝不全の発症によると主張し,術
後急性肝不全を発症したことは,本件手術の手術適応がなかったことを推認さ
せる旨の主張をしているが,仮にEが術後急性肝不全を発症したとしても,術後
急性肝不全は,手術適応のある肝切除術が行われた場合にも発症するもので
ある(甲B1,B3,乙B1)から,本件手術の手術適応がなかったことを推認させ
るものとはならない。
したがって,被告には,手術適応のない手術を行ったことによる不法行為も債
務不履行も成立しない。
 3 争点(2)-説明義務違反の有無(説明が不十分であったためにEが本件手術    
  を受け,死亡する結果となったことについての不法行為又は債務不履      行の
成否)について 
 原告らは,被告病院の担当医師らは不十分な説明でEに本件手術を受けることを
承諾させ,Eの死亡という結果を招いたと主張するので,これについて検討する。
  (1) G医師が6月16日にEと原告Aに対して,6月20日に原告Aに対して説明した内
容及びH医師が7月5日にEと原告Aに対して説明した内容は,さきに認定したと
おりである。
(2) さらに,証拠(各認定事実の後に掲げる)によれば,次の事実も認められる。
ア 原告Aは,6月20日にG医師から本件腫瘍は肝細胞癌であると知らされ,肝
切除を勧められた(前記認定事実)後,同月24日に,Eの姉であるLとともにG
医師と面談し,再度Eの病状について説明を受けるとともに,Eの余命につい
て,手術をしなければ3か月程度であり,手術をすれば1年以上であるとの説
明を受けた(甲A8,A9,乙A9)。
イ 7月3日,原告Aは,被告病院の看護師を通じて,翌4日午後5時にH医師と
面談をする約束を取り付けた(甲A8,A9)。
   ウ ところが,7月4日午後4時45分ころに原告AとLが被告病院へ行ったところ,H
医師は手術中であると告げられ,午後7時ころまで待っていたが,H医師は原
告Aらとの面談をせずに,すでに病院から退出していた(甲A8,A9,乙A7,
原告A本人)。
   エ そして,H医師は,本件手術の前日である7月5日に,Eと原告Aにさきに認定し
たとおりの説明をし,G医師は原告Aからの依頼を受けてEには本件腫瘍が癌
であることは告げなかったのに,Eに癌であることを告げた(前記認定事実)。
(3) 以上の事実によれば,被告病院の担当医師らは,本件手術をした場合としな
かった場合との予後の差や他の治療法の有効性については原告A又はEに説
明をしており,Eが本件手術を選択するかしないかを決するために必要最小限
度の情報は与えたものと認められる。仮に,原告A又はEに対して,本件腫瘍や
本件手術に関して,より多くの情報が与えられたとしても,前記のとおり,本件腫
瘍については,TAE等の内科的治療よりも,本件手術の方が適していたものと
認められるので,Eが本件手術を選択せずに内科的治療を選択した可能性は低
いものというべきである。
もっとも,H医師が原告Aらに何も告げずに7月4日の面談約束を破ったこと
や,Eへの癌の告知について,事前に原告Aの了解を得る,あるいは,Eの心の
整理がつくようにもっと前に十分な時間をとって告知するなどの配慮をすることな
く,手術の前日に突如として癌の告知をしたことは,医師として患者あるいは患
者の家族に対する配慮を著しく欠くものであったというべきであるが,本件手術
が60パーセントの肝切除という患者に重大な影響を与える手術であることを考
えると,医師として,患者の自己決定権を無視することができず,原告AがEに癌
であることを告知することに反対であったとしても,患者であるEに癌であること
を告知すべきものと判断してこれを告知したことが違法性を有すると解すること
はできない(患者や患者の家族に対する配慮を欠いた点も,違法性を有すると
までは解することができない。)。
したがって,被告には,説明義務違反による不法行為も債務不履行も成立し
ない。
 4 争点(3)-本件手術における手技上の過失の有無について
(1) 右肝静脈の先行処理をしなかった過失の有無について
原告らは,被告病院の担当医師らが,本件手術において,右肝静脈の先行
処理をしてから肝切離を始めるべきであったのに,これを怠ったため,Eに大量
出血を生じさせたと主張するので,これについて検討する。
   ア 文献(甲B2,B8,B15,B77,乙B16)によれば,肝右葉切除術においては,
肝実質の切離の前に右肝静脈を処理することが手順とされていることが認め
られる。
     もっとも,肝右葉切除術において,右肝静脈の先行処理が一般的な手順とされ
ているとしても,いかなる場合にも右肝静脈の先行処理を実施しなければなら
ないとは解されない。
   イ 本件手術においては,I医師らは,Eの肝臓を周囲から剥離する作業を進めた
が,肝静脈周囲を剥離したところ,肝腫瘍が肝静脈の根部に膨張するように
被さっていたために,右肝静脈と中肝静脈の分岐部分が確認できず,また,
肝実質内へ向かう部分を剥離しようとしたところ,腫瘍を露出しそうになったた
め,このまま肝静脈の処理を進めると,肝静脈を損傷して大出血を招く危険が
あると考え,肝静脈の処理を断念して,肝実質の切離を先行させたものと認
められる(前記認定事実)。
     I医師らは,右肝静脈の先行処理を予定していながらも,実際にその作業を進め
る中で,無理に右肝静脈の先行処理をすると,大出血の危険があると判断
し,右肝静脈の先行処理を断念したものであるが,このように,執刀医が大出
血の危険があると判断した場合にまで,右肝静脈の先行処理をしなければな
らないと解することはできない。
ウ したがって,I医師らが右肝静脈の先行処理を行わなかったことをもって,I医
師らに本件手術における手技上の過失があったと認めることはできない。
エ なお,原告らは,Eの死亡原因は,術後急性肝不全の発症によると主張し,
Eが術後急性肝不全を発症したのは,被告病院の担当医師らが右肝静脈の
先行処理を行わなかったために大量出血を生じさせたからであると主張して
いる(争点(4)についての原告らの主張)が,本件手術における出血量は,38
89グラムであった(前記認定事実)ところ,文献(乙B1,B33)には,肝切除
術における術中術後の大量出血の例として,5000ミリリットル以上あるいは
1万ミリリットル以上の出血が挙げられており,また,術中出血量が3万ミリリッ
トルであっても肝不全に至らずに退院に至った例も指摘されていることからす
ると,本件手術における出血量が,必然的に術後急性肝不全を引き起こす量
ということはできないのであって,仮にEが術後急性肝不全を発症したとして
も,本件手術における出血量と術後急性肝不全との間に因果関係があると認
めることはできない。
(2) 術前検査を十分に行わず,その結果,開胸開腹切開法を選択しなかった過失の
有無について
原告らは,右肝静脈の先行処理ができなかったのは,術前検査を十分に実施
して癌の部位,大きさを十分に考慮検討し,良好な視野が確保できる開胸開腹
切開法を選択すべきであったのに,これを怠り,良好な視野の得られない肋骨
弓下切開法を採用したからであると主張し,本件手術においていわゆるベンツ
型切開法が採用されたことはさきに認定したとおりであるが,肝腫瘍が肝静脈の
根部に膨張するように被さっていることが術前検査で確認できると認めるに足り
る証拠はないし,文献(甲B8,B16,乙B15,B16)によれば,ベンツ型切開法
は,肝右葉切除術において用いられる皮膚切開法の一つであることが認めら
れ,本件手術において,ベンツ型切開法ではなく,開胸開腹切開法を採用すれ
ば,右肝静脈の先行処理が可能であったと認めるに足りる証拠もないので,開
胸開腹切開法を選択しなかったことをもって,I医師らに本件手術における手技
上の過失があったと認めることはできない。
なお,いずれにせよ,本件手術における出血量と術後急性肝不全との間に因
果関係があると認めることはできないことは前記のとおりである。
(3) 以上のとおりであるから,本件手術において手技上の過失があったと認めるこ
とはできず,また,本件手術による出血と術後急性肝不全の発症との間の因果
関係も認めることができないので,争点(4)について判断するまでもなく,被告に
は,本件手術の手技上の過失による不法行為も債務不履行も成立しない。
 5 争点(5)-感染症に対して適切な対処を行わなかった過失による不法行為又は  
    債務不履行の成否(感染症が死亡原因である場合の予備的主張1)に      
ついて
(1) Eの死亡原因について
    原告らは,主位的には,Eの死亡原因を術後急性肝不全の発症によるものと主
張しているが,仮にEの死亡原因が術後急性肝不全の発症によるものであれ
ば,これまで判示してきたとおり,その発症について被告の不法行為責任も債務
不履行責任も認められないので,被告は,Eの死亡について法的責任を負うこと
はない。
もっとも,原告らは,Eの死亡原因について,予備的には,術後急性肝不全に
加えて感染症を発症したためである旨主張しており,被告は,Eの死亡原因はM
RSA感染症を発症したことによる多臓器不全であると認めているので,感染症
の発症の限度では当事者の主張が合致することにはなる。
そこで,Eの死亡原因について検討する。
ア 文献(乙B1)によれば,肝切除術後急性肝不全の診断基準は,意識障害に加
えて,総ビリルビン値10ml/dl以上,活性化部分トロンボプラスチン時間40
以上又は動脈血中ケトン体比0.4以下のいずれかが認められるとされている
ことが認められる(なお,甲B1号証,甲B3号証,甲B25号証,甲B26号証,
甲B29号証,甲B76号証及び乙B31号証においても,術後肝不全の診断基
準等についての記載がある。しかし,これらの文献に記載された診断基準は,
肝切除術以外の手術も含めた術後肝不全の診断基準又は手術後に限らない
一般的な急性肝不全の診断基準であり,肝切除術後とそれ以外の手術後とで
は,肝機能に有意な差が生じうるとも考えられる(証人H,同I)以上,本件手術
(肝切除術)後のEの急性肝不全の発症の有無を判断する基準として有効であ
るのかどうかは,明らかでない。これに対し,乙B1号証は,明らかに肝切除術
後の急性肝不全の診断基準を記載している。)。
   イ そこで,本件手術後のEの症状が,上記診断基準に該当するか否かを 検討す
る。
    (ア) まず,本件手術後のEの意識障害の有無について検討する。
      Eには,7月8日午後10時ころ,看護師に対して,頭がおかしくなった,現実と
夢がごちゃごちゃで気が狂いそうだ,自殺でもしそうな勢いだ,などと話しか
けたり,同月10日午前2時ころ,看護師に対して,もう俺いいよ,意気地な
しだから,この管全部抜いて終わりでいい,などと話しかけたり,同月11日
午前6時ころ,不穏な症状が認められたり,同月13日午後4時ころ,看護
師に対して,天井にどうしてもテレビが見える,などと話しかけたり,同月14
日午前0時ころ,看護師に対して,興奮気味に,だましやがって,などと話し
かけたり,同日午前2時には,天井に何か見える,ここから降ろしてくれ,な
どと独り言を発したり,同日午前6時ころには,誰かがダイヤモンドを探せっ
て言う,などと話したり,同日未明には,前日に挿入された経鼻胃管を自ら
引き抜いたり,同月16日午前零時ころ,Eは,点滴用チューブを引きちぎっ
て病室から抜け出したりする(前記認定事実)など,譫妄を窺わせる症状が
現れており,意識障害はあったものと推認される(なお,被告は,この譫妄
症状について,肝性昏睡や肝性脳症の症状ではなく,一般的な術後譫妄
によるものであると主張するが,乙B1号証には,意識障害について,特に
肝性昏睡や肝性脳症に限定する旨の記載はない。)。
    (イ) 次に,本件手術後のEの活性化部分トロンボプラスチン時間について検討す
る。
      7月7日から同月17日までの間,Eの活性化部分トロンボプラスチン時間は,
同月11日を除いて,連日40を超えており(前記認定事実),活性化部分ト
ロンボプラスチン時間40以上という上記診断基準に該当するものといえ
る。
    (ウ) したがって,本件手術後のEについては,意識障害に加えて,総ビリルビン
値10ml/dl以上,活性化部分トロンボプラスチン時間40以上又は動脈血
中ケトン体比0.4以下のいずれかが認められるとの上記診断基準に該当
するのであるから,術後急性肝不全(以下「本件術後肝不全」という。)に陥
っていたものと認められる。
   ウ もっとも,本件では,7月17日にEから採取された手術創部膿,喀痰などからM
RSAが検出されており(前記認定事実),Eは遅くとも同日ころにはMRSAに
感染していたものと推認される。
     そして,7月21日以降,Eの総ビリルビン値は10mg/dlを超えた値を維持して
おり(前記認定事実),また,7月25日には,I医師は,Eが多臓器不全に陥っ
たものと考えるに至っている(前記認定事実)が,このころには既にEはMRS
Aに感染しており,このような肝臓を始めとする臓器の不全が生じた原因が,
本件術後肝不全にあるのか,MRSA感染症にあるのか,あるいはこの両者
が相乗したことにあるのかは,明らかでない。
   エ したがって,Eの死亡原因については,本件術後肝不全であるとも,MRSA感
染症であるとも,本件術後肝不全に加えてMRSA感染症を発症したためであ
るとも認定できない。
  (2) Eの死亡原因についての原告らの予備的主張と被告の主張が感染症の発症の
限度では合致するとしても,原告らの主張は,基本的に本件術後肝不全の発症
がEの死亡原因であることを前提とするものであり,MRSA感染症が少なくとも
死亡原因の一部であることについて自白が成立したものとは認めることはできな
い。
そうすると,証拠上,Eの死亡原因がMRSA感染症であると認められない以
上,被告に感染症に対して適切な対処を行わなかった過失による不法行為又は
債務不履行が成立する余地はない。
(3) なお,次のとおり,被告病院の担当医師らには,感染症に対して適切な対処を
行わなかった過失も認められない。
   ア 原告らの主張は,Eが7月10日に感染症に罹患していることを前提とするもの
と認められるので,まず,Eが7月10日の時点で感染症に罹患していたか否
かについて検討する。
    (ア) Eの体温は,7月10日に38度台に達しており,この数値だけからすると,何
らかの感染症に罹患していることが窺えないとはいえない(発熱は感染症
の兆候とされている(甲B24,B46)。)ものの,その後,MRSAに感染して
いることが明らかな17日に至るまで,38度台に達することなく推移してい
る(診療経過一覧表)。
      この点,開腹術後6日間中の発熱(38.5度以上の直腸温が8時間以上持
続)の発生頻度が15パーセントとされている(乙B35)ことからしても,Eの
体温の推移から直ちにEの感染症罹患を推認することは困難といわざるを
えない。
    (イ) また,感染症に罹患するなどして生体に異常が生じた場合には,C反応性蛋
白が短時間に増量するとされている(甲B23,証人I)ところ,EのC反応性
蛋白については,7月8日以降7月17日に至るまで,概ね10mg/dl前後
の数値を維持している(前記認定事実)。
    (ウ) 感染症に罹患した場合,白血球数も上昇すると考えられる(証人I)ところ,E
の白血球数は,7月8日に1万5000であったものが,同月10日には740
0となっており,同月11日には1万1600,同月12日には1万1900であっ
た(前記認定事実)。
    (エ) これらの検査結果からすると,Eが7月10日の時点で感染症に罹患してい
たと断定することはできないというべきである。
   イ 次に,7月10日にEに対して感染症が発症したことを疑って適切な処置を行っ
ていれば,EのMRSA感染症の発見が早まったといえるのかどうかを検討す
る。
    (ア) Eは,7月16日午前零時ころ,点滴用チューブを引きちぎって病室から抜け
出し,浴衣着のまま,手術創に当てていたガーゼや紙おむつ等を散乱させ
ながら,入院病棟から外来病棟へ向かう渡り廊下まで脱走したところ,翌1
7日には,Eの手術創が少し汚れていることが確認され,また,同日Eから
採取された手術創部膿,喀痰などからMRSAが検出された(前記認定事
実)。
    (イ) この点,本件では,Eに発症したMRSA感染症の感染源は明らかでないが,
上記事実からすると,7月16日午前零時ころの脱走の際にEがMRSAに
感染した可能性は十分に考えられる(証人H,同I)。
   ウ そうすると,7月10日の時点では,EはいまだMRSAに感染していなかった可
能性を否定することはできないというべきであって,7月10日にEに対して感
染症が発症したことを疑って適切な処置を行っていたとしても,必ずしもEのM
RSA感染症の発見が早まったとは言い切れない。
   エ したがって,Eが7月10日の時点で感染症に罹患しているとも認められないし,
被告病院の担当医師らが7月10日にEに対して感染症が発症したことを疑っ
て適切な処置を行っていたとしても,EのMRSA感染症の発見が早まったとも
認められない。
 6 争点(6)-MRSAに対して適切な投薬をしなかった過失による不法行為又は債務
不履行の成否(感染症が死亡原因である場合の予備的主張2)について
   原告らは,被告病院の担当医師らとしては,7月19日に,EのMRSA感染症が判
明したのであるから,バンコマイシンの投与を行うべきであったと主張する。
  (1) Eの死亡原因がMRSA感染症であると認められない以上,被告にMRSAに対
して適切な投薬をしなかった過失による不法行為又は債務不履行が成立する余
地はないことは5で判示したとおりである。
  (2) なお,次のとおり,被告病院の担当医師らには,MRSAに対して適切な投薬をし
なかった過失も認められない。
   ア 文献(甲B55,B57,B59からB61まで,乙B10,B11,B13,B18,B19)
によれば,バンコマイシンもテイコプラニンも,いずれもMRSAに対する抗菌
剤として認可されていること,バンコマイシンとテイコプラニンのMRSAに対す
る抗菌力は類似しているものの,テイコプラニンの方が耐性菌が出現しやす
いこと,腎毒性の発現率はテイコプラニンよりもバンコマイシンの方が有意に
高いことが認められる。
   イ この点,本件では,7月19日からEに対してテイコプラニンの投与が行われてい
る(前記認定事実)が,I医師らは,同月18日にEの腎機能障害が進んでいる
と認識していた(実際にも,血中クレアチンが2mg/dl以上であることが腎不
全の基準とされているところ(甲B71),7月18日,同月19日のEの血中クレ
アチンの数値は,両日とも4.1mg/dlであった(乙A1・70頁,71頁)。)こと
からすると,I医師らがEに対してバンコマイシンではなく,テイコプラニンを投
与したことが不適切な行為であったとは認められない(乙B19号証には,腎
機能障害が存在する場合には,明らかにテイコプラニンが有利であると記載
されている。)。
     なお,M医師も,その鑑定意見書(甲B64からB64の3まで)において,バンコ
マイシンを使うことが望ましいと述べるにとどまっており,テイコプラニンを使用
してはならないであるとか,バンコマイシンを使用しなくてはならないとまでは
述べていない。
   ウ したがって,被告病院の担当医師らとしては,7月19日に,EのMRSA感染症
が判明したのであるから,バンコマイシンの投与を行うべきであったとまでは
認めることはできない。
 7 争点(7)-横隔膜下膿瘍に対して適切な処理をしなかった過失による不法行為又
は債務不履行の成否(感染症が死亡原因である場合の予備的主張3)
について
   原告らは,被告病院の担当医師らは,Eの感染症が疑われた7月10日に,超音波
検査やCT検査を駆使して感染巣を検索し,横隔膜下に膿があれば直ちにドレナー
ジを行うべきであったと主張し,また,7月17日には,開腹してドレナージを行い,
膿瘍を排出すべき注意義務があったと主張する。
  (1) Eの死亡原因がMRSA感染症であると認められない以上,被告に横隔膜下膿
瘍に対して適切な処理をしなかった過失による不法行為又は債務不履行が成
立する余地はないことは5で判示したとおりである。
  (2) なお,次のとおり,被告病院の担当医師らには,横隔膜下膿瘍に対して適切な
処理をしなかった過失も認められない。
   ア 原告らの主張は,まず,7月10日にEの横隔膜下に膿瘍があったことを前提と
しているから,7月10日にEの横隔膜下に膿瘍があったと認められるかどうか
を検討すると,同月12日,Eに挿入されているドレーンからの排液が,さらさら
の透明な液体であることが確認されていること(前記認定事実)からすると,7
月10日の時点では,Eの横隔膜下に膿瘍はなかった可能性が高い。
     したがって,7月10日にEの横隔膜下に膿瘍があったと認めることはできず,原
告らの,被告病院の担当医師らはEの感染症が疑われた7月10日に超音波
検査やCT検査を駆使して感染巣を検索し,横隔膜下に膿があれば直ちにド
レナージを行うべきであったとの主張は,その前提を欠いているといわざるを
えない。
   イ 次に,原告らは,被告病院の担当医師らは,7月17日には,Eに対して開腹し
てドレナージを行い,膿瘍を排出すべき注意義務があったと主張するが,この
主張は,7月17日にEの横隔膜下に膿瘍があったことを前提としているから,
7月17日にEの横隔膜下に膿瘍があったと認められるかどうかを検討する。
     本件では,I医師らは,7月17日,Eに対して,正中創ドレナージを行ったところ,
1400グラム近い腹水が排出されたものの,膿性腹水は認められなかった
(前記認定事実)。
     これについて,M医師は,その鑑定意見書(甲B64からB64の3まで)におい
て,このような正中創ドレナージは,皮膚の下だけの確認を行ったに過ぎず,
これだけでは横隔膜下に膿がないとはいえないこと,横隔膜は隔離された場
所であるから,腹水が濁っていないからといって横隔膜下にも膿がないとはい
えないことを指摘している。
     しかし,このときの正中創ドレナージでは,1400グラム近い腹水が排出されて
いることからすると,皮膚の下だけの確認にとどまるものではないと考えられ,
また,Eは,肝臓の約60パーセントを切除されたこと(前記認定事実)によっ
て,横隔膜下を隔絶するものが存在しなくなったとも考えられる(証人I。それで
もなお横隔膜下が隔絶されていることを窺わせる証拠は存在しない。)。
     そうすると,仮に横隔膜下に膿瘍が存在した場合には,正中創ドレナージから
膿性腹水が排出される可能性が高いものと考えられ,本件において,正中創
ドレナージから膿性腹水が排出されていないことからすると,Eの横隔膜下に
は膿瘍が存在しなかった可能性が高い。
     したがって,7月17日にEの横隔膜下に膿瘍があったと認めることはできず,原
告らの,被告病院の担当医師らは7月17日には開腹してドレナージを行い,
膿瘍を排出すべき注意義務があったとの主張は,その前提を欠いているとい
わざるをえない。
第4 結論
   よって,原告らの請求はいずれも理由がないから,これを棄却することとし,主文の
とおり判決する。
         東京地方裁判所民事第30部
              裁判長裁判官  福田剛久
                  裁判官  川嶋知正
         裁判官村主幸子は,転任のため署名押印することができない。
              裁判長裁判官  福田剛久
 

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