平成16年6月25日判決言渡
平成12年(ワ)第4390号 損害賠償請求事件(医療事件)
主文
1 被告は,原告Aに対し,金2579万2869円及びこれに対する平成10年1
月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告B,同C及び同Dに対し,それぞれ金719万7623円及びこ
れに対する平成10年1月18日から支払済みまで年5分の割合による金員
を支払え。
3 原告らのその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は,これを5分し,その4を被告の負担とし,その余は原告らの負
担とする。
5 この判決は,1項及び2項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 原告らの請求
1 被告は,原告A(以下「原告A」という。)に対し,金3302万4843円及びこれに対
する平成10年1月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告B(以下「原告B」という。),原告C(以下「原告C」という。)及び原告
D(以下「原告D」という。)に対し,それぞれ金894万1614円及びこれに対する平
成10年1月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,平成10年1月18日に死亡したE(以下「E」という。)の相続人である原
告らが,Eが死亡したのは,被告が開設するF病院(以下「F病院」という。)の担当
医が大動脈解離の鑑別診断を怠り,専門医のもとに転医させなかったためである
として,被告に対し,診療契約上の債務不履行ないし不法行為(使用者責任)に基
づく損害賠償金及びEが死亡した日から支払済みまでの遅延損害金の支払を求め
た事案である。
1 前提事実(当事者間に争いのない事実及び関係証拠により明らかな事実)
(1) 当事者
ア E(昭和6年7月1日生)は,昭和29年,J銀行に入行し,昭和60年5月に同
行を退職後,K信用金庫の常務取締役,株式会社Lの代表取締役会長を経
て,平成7年6月から株式会社M(以下「M」という。)の取締役相談役として勤
務していたが(甲4,原告A),平成10年1月18日,F病院において66歳で死
亡した。
イ 原告A(昭和13年4月10日生)はEの妻であり,原告B(昭和35年9月11日
生),原告C(昭和37年6月24日生)及び原告D(昭和44年12月16日生)は
いずれもE夫婦の子供である(甲1の1・2)。
ウ 被告は,F病院の設置者である。
(2) 事実経過の概要
ア Eは,平成10年1月11日(日曜日)午前中,咽頭部付近に痛みを覚え,次
第に胸痛,胸苦しさが増強したため,同日昼ころ,F病院の救急外来を受診
し,F病院との間にEの疾病に関する診療契約が成立した。Eは,F病院でG医
師(以下「G医師」という。)の診察を受け,「狭心症」の診断名のもと,そのまま
入院したが,同日夕方ころまでに症状が軽減した。(なお,以下における日付
の表示は,特に断りがない限り,いずれも「平成10年1月」である。)
同日,Eに対して胸部腹部超音波検査など諸検査が実施され,同日夜には
胸部造影CTスキャン検査が実施された。
G医師は,E及び原告Aに対して,検査の結果特に異常がない旨説明し,1
5日,Eは退院した。
イ 17日(土曜日),Eは,G医師の外来診療を受けた後,帰宅途中に,駐車場
で停車中の乗用車に接触する事故を起こした。
同事故について相手と話合い中,Eは,胸内苦悶感及び右下肢痛を来して
F病院を再受診した。Eは,G医師に対して,右下腿から腰部にかけての痛み
と右足のしびれ感を訴え,右足部は蒼白であった。同日午後8時30分ころま
でに,Eの右下腿から右足部の血行障害はほぼ消失したが,Eは,同日,F病
院に再入院した。
18日(日曜日)午後1時50分ころ,Eの容態が急変し,同日午後6時45
分,Eは死亡した。
2 争点
(1) 被告の責任
ア 11日から15日の間における転医義務違反の有無
(原告らの主張)
11日,突然の咽頭部痛ないし胸部痛を訴えて受診してきた救急外来患者
であるEについて,胸部超音波検査の結果「解離性動脈瘤の検索必要あり」と
の所見を得,かつ,造影CTスキャン検査を実施して同日夜までに急性大動脈
解離と診断可能な画像を得ておきながら,G医師は,急性大動脈解離を見逃
し,さらに,かかる自己の誤った判断をもとにF病院の放射線科専門医である
H医師(以下「H医師」という。)の正しい所見を無視して,同日あるいは遅くと
も15日の退院日までに,Eを急性大動脈解離の手術を実施できる心臓外科
ないし血管外科の専門医のもとに転医させなかった。
(被告の主張)
G医師は,Eについて,急性大動脈解離を念頭において造影CTスキャン検
査を行っており,同医師が行った鑑別診断のための検査は適切であった。
すなわち,G医師は,Eに胸痛症状があり,基礎疾患として糖尿病があった
ことから,心筋梗塞や肺梗塞,急性大動脈解離などを疑ってそれらの疾患の
鑑別にあたり,胸部レントゲン検査,心電図検査,胸部腹部超音波検査,胸
部単純CTスキャン検査,血液検査などを実施し,さらに胸部造影CTスキャン
検査を実施したが,Eの臨床所見及び上記諸検査の結果からは,急性大動
脈解離と診断すべき診察所見が認められなかったものである。
胸部腹部超音波検査の結果は,左室肥大,左房拡大,大動脈フラップ(解
離膜)及び心嚢水がいずれも認められず,総合所見として脂肪肝,胆石症,
前立腺肥大症などとされており,かかる所見から急性大動脈解離と直ちに判
断されるものではない。
また,胸部造影CTスキャン検査の結果は,大動脈壁の軽度の肥大,少量
の心嚢水の貯留との所見であり,かかる所見及びEの臨床所見等に照らし
て,急性大動脈解離と直ちに判断されるものではない。なお,鑑定において,
単純及び造影CTスキャン検査の結果,大動脈内に細い三日月状で白く濃く
写っている部分が大動脈解離の像である旨の指摘があるが,一般外科医に
かかる診断を要求することはできない。
イ 17日における転医義務違反の有無
(原告らの主張)
17日,Eが突然の胸部痛及び背部痛,右下肢のしびれを訴え,さらに右下
肢に「蒼白」という血行障害の所見が認められたことから,Eについて,解離性
大動脈瘤が当然に疑われ,しかもEには,わずか1週間足らず前に突然の胸
部痛という同様の主訴のもと入院までした現病歴があるにもかかわらず,G医
師は,Eに対して,即時,改めて造影CTスキャン検査,血管造影検査等を行う
などして解離性大動脈瘤の鑑別判断をせず,これを怠り放置し,Eを心臓外
科ないし血管外科の専門医のもとに転医させなかった。
(被告の主張)
17日の2回目の診察時の所見から,一般外科医が大動脈解離と診断する
ことはできない。すなわち,17日の2回目の来院時に,Eには胸部痛及び右
下肢の蒼白が認められているが,その後痛みが治まり血行障害が改善され
ているもので,かかる症状の推移からは,大動脈解離を疑うことは困難であ
る。特に本件では,17日の1回目の診察時に特段症状の悪化をうかがわせ
る事情がなかった上,同日の2回目の診断時にG医師は,Eから交通事故に
遭ったことを聞いており,胸部痛及び右下肢の蒼白などの症状の変化を,交
通事故によって何らかのショック症状を来したものと捉えて,経過観察とした
のである。
G医師は,11日のCTスキャン検査についてのH医師の診断結果を18日
朝に知ったが,その後も,Eの臨床経過を総体的に評価した結果,H医師の
大動脈解離との診断を否定し,Eを転医させなければならないとは判断しなか
った。18日朝のEの状態からは,その後の急変を予測することはできない。
(2) 因果関係
(原告らの主張)
Eの突然死は,急性大動脈解離によるものである。すなわち,大動脈解離が
腹部大動脈,右腸骨動脈,次いで右大腿動脈に向かって進行し,Eは,大動脈
解離に合併した心タンポナーデ等により突然死に至ったのである。
G医師が11日以降,Eについて大動脈解離と診断し,適切な施設で手術が行
われていれば,大動脈弁逆流からの心不全,心タンポナーデなどの合併症がな
く,解離の進行が停止していたのであるから,Eが救命された可能性は90パー
セントを超えていたと考えられる。
(被告の主張)
Eの死因は,解剖がなされていないため不明であり,臨床的にみて急性心不
全としかいえないから,仮にG医師に何らかの過失があったとしても,当該過失
とEの死亡との間に因果関係が認められない。
なお,G医師がH医師の読影結果を見たのは18日午前中であるから,仮に,
その後G医師がEを大動脈解離の患者として転医等必要な医療措置をとってい
たとしても,Eが救命される高度の蓋然性があったか否かは証拠上不明である。
したがって,仮にG医師に過失があったとしても,当該過失とEの死亡との間に
因果関係は認められない。
(3) 損害
(原告らの主張)
ア Eの逸失利益 2664万9687円
(ア) Eの平成9年度の年収は,以下のaないしdのとおり合計891万8888円
であった。
a Mからの給与及び賞与 248万円
b 老齢基礎年金及び老齢厚生年金 271万3296円
c J銀行厚生年金基金 282万1512円
d 全国信用金庫厚生年金基金 90万4080円
(イ) aについて,Eは,定年である70歳まで4年間受領することができたの
で,生活費控除割合を30パーセントとして,上記4年間の逸失利益を算出
すると,以下のとおり615万5770円になる。
計算式 2,480,000×(1-0.3)×3.54595050=6,155,770
(ウ) bないしdについて,原告Aは,遺族一時金として1124万3100円,遺
族厚生年金として年額225万5500円を受領している。
Eは,bないしdの合計額から遺族厚生年金額を差し引いた418万338
8円を,平均余命16年間受領することができたもので,生活費控除割合を
30パーセントとして,上記16年間の逸失利益を算出すると,以下のとおり
2049万3917円になる。
計算式 2,713,296+2,821,512+904,080-2,255,500=4,183,388
4,183,388×(1-0.3)×10.83776956-11,243,100
=20,493,917
(エ) Eの死亡による逸失利益は,上記(イ),(ウ)の合計2664万9687円であ
る。
イ E本人の慰謝料 2700万円
本件医療事故に伴うEの精神的苦痛は,あえて金銭で評価するとすれば2
700万円を下回らない。
ウ 原告らは,Eの逸失利益及び慰謝料請求権を法定相続分(原告Aが2分の
1,その余の原告が各6分の1)に従って取得した。
エ 葬儀費用 原告Aにつき120万円
オ 弁護士費用 原告Aにつき500万円
被告が任意の損害賠償に応じないため,原告らは,弁護士に依頼して訴訟
を提起せざるを得なかった。本件訴訟に必要な弁護士費用は700万5600
円であるところ,内金500万円を原告Aの損害として計上する。
(被告の主張)
ア 原告ら主張の損害は争う。
イ 仮に,被告になんらかの損害賠償責任が認められるとしても,Eは,以前から高
血圧で大動脈弓部の部分的拡張もあったもので,Eの血管その他の循環器
官に被害の拡大を誘引する病的素因が存在していたから,被告が負担すべ
き損害については,過失相殺の法理を類推適用して相当の減額がなされるべ
きである。
第3 当裁判所の判断
1 診療経過
第2の1の事実,証拠(甲4,5,18,乙1の1,2ないし19,21,証人H,同G,
原告A,同D,鑑定の結果)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めること
ができ,この認定を覆すに足りる証拠はない。
(1) 11日の診療経過
ア Eは,11日午前9時30分ころ,入浴中に,咽頭部から下顎部にかけて及び
胸部にちくちくした痛みを感じ,次第に息苦しさや胸痛も出てきたため,午後0
時30分ころ,F病院の救急外来を受診し,G医師の診察を受けた。
初診時,Eの意識は清明だったが,顔色は不良で冷や汗があり,血圧が高
かった。G医師は,Eについて,血液検査,胸部レントゲン検査,胸部単純CT
スキャン検査,心電図検査,胸部腹部超音波検査などを指示して実施した。
Eは,同日午後2時ころ,狭心症との診断を受けてF病院に入院したが,冠
血管拡張剤や鎮痛剤の処方等を受け,夕方ころまでに症状が軽減した。
なお,胸部レントゲン検査,心電図検査などの結果,格別な所見は認められ
なかったが,胸部腹部超音波検査の結果,I技師から,総合所見として以下の
ような報告がなされた(乙3の27頁)。
「ⅰ)脂肪肝
ⅱ)前立腺肥大
ⅲ)胆石症
ⅳ)解離性動脈瘤検索は必要。造影CT。」
G医師は,かかる報告を受けて,Eについて胸部造影CTスキャン検査の実
施を指示した。
イ 同日実施された胸部の単純CTスキャン検査(乙5ないし8)及び造影CTスキ
ャン検査(乙9,10)の結果,剥離内膜像は認めず,ごく少量の心嚢液の貯留
と大動脈弓部の部分的拡張をわずかに認め,下行大動脈の壁肥厚像を認め
たが,G医師は,大動脈内に細い三日月状で白く濃く写っている像(乙7の下
段中央及び右端,乙8の上段左端。鑑定の結果によれば,これらの像が早期
血栓閉塞型大動脈解離の比較的わかりやすい像とされる。)が大動脈解離を
示唆する像であることは読影できなかった。
G医師は,上記CTスキャン検査の結果や臨床症状を考え,Eについて,大
動脈解離である可能性は低いと判断した。
(2) 12日以降15日までの入院診療経過
ア 12日,Eに胸痛はなく,格別自覚症状の訴えもなかった。
イ 12日,13日の午後から発熱が認められたが,抗生物質の投与などにより
両日とも夜には熱が下がった。13日には,胸部レントゲン検査の結果,少量
の胸水が認められ,血液検査の結果,CRP検査値が高く炎症所見が認めら
れた。
ウ 14日,Eから格別自覚症状の訴えはなく,G医師は,E及び原告Aらに対し
て,「検査の結果,特に異常はない。肋膜に水が溜まっており,そのせいで胸
が痛むのではないかと思われる。水は日が経てば自然に抜ける。」旨説明し
た。
エ Eは,15日に退院し,今後は,通院治療によって経過観察をすると共に糖尿
病を中心とした内科的治療を受けることになった。
(3) 17日の外来受診経過
ア 17日午後3時15分ころ,Eは,G医師の外来診療を受けた。
Eは,血圧が高かったが,自覚症状は特になかった。G医師は,Eに,糖尿
病に対する内服薬の服用の再開と次回の内科受診を指示した。
イ Eは,その後F病院から帰宅する途中,同病院の駐車場で,停車していた乗
用車に自車を接触させる事故を起こした。事故の相手方と話していた際,E
は,激しい胸内苦悶感,右下肢痛を来したため,病院に戻り,午後5時ころ,
再度外来を受診した。
ウ G医師が診察したところ,Eは,右足部が血行障害のため蒼白で,右下腿か
ら腰部にかけての痛みと右足のしびれ感を訴えていた。G医師は,心電図検
査,血液検査,胸部レントゲン検査などを指示して実施し,酸素吸入,輸液等
の処置をした。連絡を受けた原告D,同AがF病院に行くと,Eは,激しい胸痛
などのため,ほとんど言葉を発することができないような状態であった。
同日午後6時20分ころには右足部の血行がやや改善し,同日午後8時30
分ころまでに,右下腿から右足部の血行障害はほぼ消失した。しかし,胸苦し
さがなお続いており,同日午後9時30分ころ,Eは再入院した。
(4) 17日から18日の入院診療経過
ア Eは,17日の入院時にも,左背部から右胸部にかけての突き刺すような痛
み,四肢冷感,四肢しびれ感などを訴え,その後,胸痛に加えて腰部痛も訴え
たが,G医師が鎮痛剤を処方すると,症状は治まった。
18日朝,G医師がEを診察したところ,胸痛などの訴えはなかった。
イ F病院においては,非常勤の放射線科医師であるH医師が2週間に一回程
度の割合で来院し,同病院で撮影されたレントゲン検査ないしCTスキャン検
査の画像を読影し,その結果を報告していた。H医師は,17日に来院した
際,11日に実施されたEの胸部単純及び造影CTスキャン検査の画像を読影
し,「上行大動脈から下行大動脈(胸部)の造影されない壁肥厚像がみられる
(下行に目立つ。)。内腔の剥離内膜像は示さず。心嚢水がわずかにある。大
動脈弓部に拡張が部分的にある。大動脈解離。ディべーキーⅠ型を考える。」
旨放射線科検査報告書に記載した(乙3の33頁)。
G医師は,18日朝,H医師による上記報告書を見て,再度,11日に実施さ
れたEの胸部CTスキャン検査の画像を読影したが,大動脈解離との診断に
与することができず,同CTスキャン検査の結果及び18日朝に下肢の血行障
害や胸痛が治まっていたことなどEの臨床所見に照らして,Eについて大動脈
解離と診断することは困難であると判断した。
ウ 18日午前10時ころ,Eが胸が締めつけられるような感じを訴え,F病院から
の連絡により,原告A,同Dらが同病院に駆けつけた。同日午後0時ころ,Eが
胸痛を訴え,Eに付き添っていた原告Aらが看護婦に訴えた。看護婦はG医師
に,Eから胸苦しさの訴えがある旨連絡したが,同医師は,そのまま経過をみ
るように指示した。
同日午後1時50分ころ,Eが白目をむき,いびきをかき始めるなど容態が
急変した。原告Aらがすぐに看護婦を呼んだが,看護婦が駆けつけた時には
Eの呼吸は停止しており,両上肢に痙攣様の動きが認められた。G医師らは,
Eに対して蘇生措置を講じたが,同日午後6時45分,Eは死亡した。Eの死因
について,G医師は,何らかの原因によって急性心不全になったものと考え
た。
2 大動脈解離について
証拠(甲2,乙19,鑑定)及び弁論の全趣旨によれば,大動脈解離に関する医
学的知見として,以下の事実が認められる。
大動脈解離とは,大動脈壁の中膜部分に解離が生じて内膜と外膜に分離される
病態を指し,解離により形成された偽腔が大動脈壁及び大動脈分枝に伸展,波及
することにより,種々の臓器虚血,出血,機能障害が引き起こされる。急性大動脈
解離の典型的な初発症状は,突然生じる激烈な胸痛及び背部痛である。
大動脈解離は,突然発症して急速に死に至ることがまれではない疾患である
が,適切な内科的,外科的治療が実施されれば,良好な予後が期待できる。
大動脈解離の代表的な病型分類として,エントリー(内膜亀裂)の部位を重要視
するディべーキー分類と,上行大動脈に解離病変があるか否かで分類するスタン
フォード分類とがある。ディべーキーⅠ型は,エントリーが上行大動脈にあって,解
離病変(偽腔)が上行大動脈から下行大動脈にまで及ぶものをいい,スタンフォー
ドA型は,上行大動脈に解離病変があるものをいう。
大動脈解離のうち,ディべーキーⅠ型及びスタンフォードA型については,原則
として,手術治療を要する。
ただし,スタンフォードA型であっても,解離病変がすべて早期に血栓で閉塞し
(早期血栓閉塞型),上行大動脈の拡大が軽度である大動脈解離については,降
圧療法すなわち血圧のコントロールと絶対安静による内科的治療だけで,手術治
療を要せずに治癒するものも多い。
3 11日から15日の間における転医義務違反の有無(争点(1)ア)について
(1) 原告らは,CTスキャン検査の結果,急性大動脈解離と診断可能な画像を得て
おきながら,G医師が急性大動脈解離を見逃した旨主張する。
この点,前記1(1)認定の診療経過及び鑑定の結果によれば,Eは,11日のF
病院の受診時に,既に急性大動脈解離を発症していたものと推認でき,G医師
は,客観的には,11日のEの診察時に,急性大動脈解離を見逃していたものと
いうべきである。
しかし,かかるG医師の診断が過失であるか否かについては,当該医師が属
する専門領域における医師として,当時の医療水準に照らして通常要求される
診療上の注意義務に違反したと認められるか否かが判断されなければならな
い。
そこで検討すると,鑑定の結果においても,11日に実施された胸部の単純及
び造影CTスキャン検査の結果(乙5ないし10)について「このCT所見は典型的
な所見ではなく,心臓血管の専門家でない一般外科医の場合,見逃す可能性は
かなり高いと思われる。」との結論が示されているところ,G医師は,昭和45年
に医師資格を取得した腹部外科の医師であって心臓血管の専門家ではない(乙
21,証人G)。また,鑑定によれば,大動脈解離を示唆する像としては大動脈内
に細い三日月状で白く濃く写っている部分(前記1(1)イで言及した像)がある他
には,大動脈解離と判断できる明確な所見はないものと判断できるところ,放射
線科医師であるH医師も,鑑定が指摘するような上記「大動脈解離を示唆する
像」を読影していたとは認められない(乙3の33頁,19,証人H)。
そうすると,G医師がCTスキャン検査の結果,急性大動脈解離であると診断
しなかったことに,心臓血管の専門家でない外科医として,当時の医療水準に照
らして医師としての注意義務違反があったということはできない。
よって,原告らの上記主張は採用できない。
また,原告らは,G医師がH医師による胸部CTスキャン検査の読影結果を無
視したとも主張する。しかし,前記1(4)で認定したとおり,H医師が読影結果を報
告したのは17日のことであり,G医師はその報告を18日朝に見たのであるか
ら,少なくとも,11日から15日におけるG医師の注意義務違反の有無に関し
て,H医師の読影結果を考慮することはできないというべきである。よって,原告
らの上記主張は採用できない。
以上の検討に加えて,突然,咽頭部痛及び胸痛を来した旨の主訴からは,大
動脈解離のほかに,心筋梗塞,肺梗塞,狭心症,急性心膜炎などの疾患も疑わ
れること(証人H調書18頁)等も考え合わせると,11日から15日の間におい
て,G医師がEを急性大動脈解離の手術が可能な医療機関に転送すべき注意
義務があったということはできない。
(2) 以上のとおり,争点(1)アについての原告らの主張は採用できない。
4 17日における転医義務違反の有無(争点(1)イ)について
前記1(3)ウの認定事実によれば,Eは,17日午後5時ころに外来を再受診した
際,右足部が血行障害のため蒼白で,右下腿から腰部にかけての痛みと右足のし
びれ感を訴えており,その後もしばらくの間,激しい胸痛などのためにほとんど言
葉を発することができないような状態であったのである。そして,前記2で認定した
とおり,急性大動脈解離の典型的な初発症状が突然生じる激烈な胸痛などであ
り,解離の伸展により臓器虚血などが引き起こされること等からすると,17日午後
5時ころの外来受診時に,Eは,急性大動脈解離の典型的な症状を示していたもの
と認められる。
そうすると,F病院においては,大動脈解離の疑いがあると診断した患者は他の
病院に転送していたというのであるから(証人G),G医師は,遅くとも17日中には,
Eを急性大動脈解離の手術が可能である医療機関に転送すべき注意義務があっ
たというべきである。
よって,本件においてEを転送しなかったG医師には,上記の診療上の注意義務
を怠った過失があるといわざるを得ない。
この点,被告は,17日午後5時ころの外来受診の後,Eは胸部痛などが治まり
血行障害が改善されており,かかる症状の変化から一般外科医が大動脈解離と
診断することはできず,かえってG医師は,Eが交通事故によって何らかのショック
症状を来したものと考えた旨主張する。しかし,上記外来受診時のEの症状につい
ては,鑑定においても,「再解離(解離の伸展)が生じた場合の典型的な症状があ
った。」「17日から18日にかけての症状の変化で急性解離を疑わなかったことは,
初歩的なミスと言われても仕方ないであろう。」などの指摘がなされているところで
あり,被告が主張するような事実経過等を考慮してもなお,G医師の上記過失を否
定することはできない。
5 因果関係(争点(2))について
鑑定の結果及び弁論の全趣旨によれば,Eは,大動脈解離の急激な伸展によっ
て死亡したものと認められ,鑑定において,「心タンポナーデや冠動脈閉塞その他
の致命的な症状が出現する前の全身状態が良好なうちに手術が施行できたなら
ば,救命率は少なくとも80パーセント以上であったと考える。」との見解が示されて
いる。
前記1(4)ア,ウで認定した17日から18日の入院診療経過及び鑑定の結果によ
れば,Eは,18日朝には胸痛などの訴えがなく小康状態であったところ,同日午前
10時ころに胸が締めつけられるような感じを訴え,その後胸痛を訴えていることか
ら,Eの大動脈解離は,18日午前10時ころ,心臓側に伸展し,心タンポナーデな
どの致命的な合併症を併発したものと推認できる。
そうすると,本件において,遅くとも17日中に,Eを急性大動脈解離の手術が可
能な医療機関に転送すべきであったことは前記4のとおりであるから,Eが17日中
に転送されていたとすれば,18日午前10時ころには,転送先の医療機関におい
て急性大動脈解離に対する緊急手術が実施されて,Eが救命される蓋然性が高か
ったものと推認することができ,この推認を覆すに足りる証拠はない。
したがって,前記4認定のG医師の診療上の過失とEの死亡との間には相当因
果関係があるというべきであり,G医師の使用者である被告は,不法行為(民法71
5条の使用者責任)に基づき,G医師の過失と相当因果関係のある原告らの損害
を賠償する義務がある。
6 損害(争点(3))について
(1) Eの逸失利益 1818万5738円
ア 就労分について
証拠(甲3の1,4,原告A)によれば,Eは,死亡当時66歳であり,Mに勤
務して年間248万円の給与及び賞与の支払を受けていたもので,Mには70
歳まで在職できることになっていたと認められるから,就労可能年数を70歳
までの4年間とするのが相当である。そして,証拠(甲5)及び弁論の全趣旨に
よれば,原告A及び本件当時E夫婦と同居していた原告Dの生活は,主として
Eの収入によって支えられていたと評価できるので,生活費控除を4割として,
ライプニッツ方式により中間利息を控除すると,上記4年間のEの就労不能に
よる逸失利益(4年に対応する係数は3.5459)は,次の計算式のとおり52
7万6299円となる(1円未満切り捨て)。
計算式 2,480,000×(1-0.4)×3.5459=5,276,299
イ 年金分について
証拠(甲3の2ないし4)によれば,Eは,平成9年度に,老齢基礎年金及び
老齢厚生年金として年額271万3296円,J銀行厚生年金基金として年額28
2万1512円並びに全国信用金庫厚生年金基金として年額90万4080円の
合計643万8888円の支給を受けていたものと認められる。また,Eの死亡
により,原告Aが遺族一時金として1124万3100円,遺族厚生年金として年
額225万5500円を受領していることは,原告らが自認するところである。
Eは,平均余命までの16年間は上記年金等の支給を受けることができたと
認められるところ,Eの生活費として,就労可能と認められる70歳までの4年
間は4割を,その後は5割を控除し,ライプニッツ方式により中間利息を控除
すると,上記16年間のEの年金等受給権の喪失による逸失利益(4年に対応
する係数は3.5459,16年に対応する係数は10.8377)は,次の計算式
のとおり1290万9439円となる(1円未満切り捨て)。
計算式 (6,438,888-2,255,500)×{(1-0.4)×3.5459+(1-0.5)×(10.8377-
3.5459)}-11,243,100=12,909,439
ウ 上記アとイの合計は,1818万5738円となる。
(2) E本人の慰謝料 2500万円
Eの年齢,職業,家族構成,診療経過等本件に現れた一切の事情を考慮する
と,Eの精神的苦痛に対する慰謝料は,2500万円と認めるのが相当である。
(3) Eの損害賠償請求権の相続による承継
そうすると,被告は,Eに対し,不法行為(民法715条の使用者責任)に基づく
損害賠償として,上記(1),(2)の合計4318万5738円の支払義務があることに
なる。原告らは,Eの相続人としてその相続分に応じ,上記4318万5738円の
請求権を,原告Aはその2分の1である2159万2869円,原告B,同C及び同D
はそれぞれその6分の1である719万7623円ずつ相続したものということがで
きる。
(4) 葬儀費用 原告Aにつき120万円
原告らが行ったEの葬儀について,G医師の過失と相当因果関係のある葬儀
費用としては,原告ら主張のとおり,原告Aにつき120万円と認める。
(5) 過失相殺法理の類推適用について
この点,被告は,Eが以前から高血圧で大動脈弓部の部分的拡張もあったも
ので,Eの血管その他の循環器官に被害の拡大を誘引する病的素因が存在し
ていたから,過失相殺の法理が類推適用されるべきである旨主張する。しかし,
「病的素因」の具体的な内容や程度は明らかでなく,それがEの死亡に何らかの
影響を及ぼしたことを認めるに足りる証拠もないし,一般に医師は医療の専門家
として,患者がなんらかの病的素因を有していることを前提として医療行為をす
ることが予定されているのであるから,本件において過失相殺をするのは相当
でなく,被告の上記主張は採用できない。
(6) 弁護士費用 原告Aにつき300万円
本件事案の性質,審理の経過,認容額等諸般の事情を考慮すると,G医師の
過失と相当因果関係のある弁護士費用の額を,原告Aにつき300万円と認める
のが相当である。
7 まとめ
以上によれば,被告は,原告Aに対して上記6(3)の2159万2869円,同(4)の1
20万円及び同(6)の300万円の合計2579万2869円,原告B,同C及び同Dに
対してそれぞれ上記6(3)の719万7623円並びに上記各金員に対するEが死亡し
た平成10年1月18日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害
金の支払義務があることになる。
第4 結論
よって,原告らの本訴請求は,被告に対し前項記載の金員の支払を求める限度
で理由があるからこれを認容し,その余の請求はいずれも理由がないからこれを
棄却し,訴訟費用の負担につき民訴法61条,64条を,仮執行の宣言につき同法
259条1項を適用して,主文のとおり判決する。
名古屋地方裁判所民事第6部
裁判長裁判官 氣賀澤 耕 一
裁判官 岡 田 治
裁判官東 千香子
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