弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決中、上告人敗訴の部分を破棄する。
     前項の部分につき、本件を東京高等裁判所に差し戻す。
         理    由
 上告代理人柏崎正一の上告理由第一点について
 原審の確定した事実関係の下においては、上告人が、自ら申告、納付すべき相続
税額につき、被上告人の出捐により法律上の原因なく利得をしたとの原審の判断は、
結論において是認するに足りる。論旨は採用することができない。
 同第二点の一について
 預金債権その他の金銭債権は、相続開始とともに法律上当然に分割され、各相続
人がその相続分に応じて権利を承継するものと解される(最高裁昭和二七年(オ)
第一一九号同二九年四月八日第一小法廷判決・民集八巻四号八一九頁参照)。これ
に対し、金銭は、相続開始と同時に当然に分割されるものではなく、相続人は、遺
産分割までの間は、相続開始時に存した金銭を相続財産として保管している他の相
続人に対して、自己の相続分に相当する金銭の支払を求めることはできないものと
解される(最高裁平成元年(オ)第四三三号、第六〇二号同四年四月一〇日第二小
法廷判決・裁判集民事一六四号二八五頁参照)。
 上告人は、被上告人が亡父Dの遺産である預金及び現金を保管しているとして、
その法定相続分相当額の支払請求権を自働債権とする相殺を主張するものであるが、
右のとおり、預金については、銀行に対し、自己の相続分に相当する金額の払戻し
を請求すれば足り、また、現金については、いまだ相続人間で遺産分割が成立して
いないというのであるから、被上告人に対してその支払を求めることはできず、右
相殺の主張はいずれも失当である。したがって、これと結論を同じくする原審の判
断は、是認するに足り、審理不尽をいう論旨はその前提を欠く。
 同第二点の二について
 一 記録によれば、本件訴訟の経過は次のとおりであると認められる。
 1 上告人は、平成二年六月五日、被上告人の申請した違法な仮処分により本件
土地及び建物の持分各二分の一を通常の取引価格より低い価格で売却することを余
儀なくされ、その差額二億五二六〇万円相当の損害を被ったと主張して、被上告人
に対し、不法行為を理由として、内金四〇〇〇万円の支払を求める別件訴訟(最高
裁平成六年(オ)第六九七号損害賠償請求事件)を提起した。
 2 一方、被上告人は、同年八月二七日、上告人が支払うべき相続税、固定資産
税、水道料金等を立て替えて支払ったとして、上告人に対し、一二九六万円余の不
当利得返還を求める本件訴訟を提起した。
 3 本件訴訟の第一審において、上告人は、相続税立替分についての不当利得返
還義務の存在を争うとともに(上告理由第一点参照)、予備的に、前記違法仮処分
による損害賠償請求権のうち四〇〇〇万円を超える部分を自働債権とする相殺を主
張した。
 4 また、上告人は、本件訴訟の第二審において、右3の相殺の主張に加えて、
預金及び現金の支払請求権を自働債権とする相殺を主張し(上告理由第二点の一参
照)、また、前記違法仮処分に対する異議申立手続の弁護士報酬として支払った二
〇〇〇万円及びこれに対する遅延損害金の合計二四七八万円余の損害賠償請求権を
自働債権とする相殺を主張した。
 二 原審は、右事実経過の下において、係属中の別訴において訴訟物となってい
る債権を自働債権として他の訴訟において相殺の抗弁を主張することは許されない
とした最高裁昭和六二年(オ)第一三八五号平成三年一二月一七日第三小法廷判決・
民集四五巻九号一四三五頁の趣旨に照らし、(1)前記違法仮処分により売買代金
が低落したことによる損害賠償請求権のうち四〇〇〇万円を超える部分を自働債権
とする相殺の主張、及び、(2)弁護士報酬相当額の損害賠償請求権を自働債権と
する相殺の主張は、いずれも許されないものと判断した。
 三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次の
とおりである。
 1 民訴法一四二条(旧民訴法二三一条)が係属中の事件について重複して訴え
を提起することを禁じているのは、審理の重複による無駄を避けるとともに、同一
の請求について異なる判決がされ、既判力の矛盾抵触が生ずることを防止する点に
ある。そうすると、自働債権の成立又は不成立の判断が相殺をもって対抗した額に
ついて既判力を有する相殺の抗弁についても、その趣旨を及ぼすべきことは当然で
あって、既に係属中の別訴において訴訟物となっている債権を自働債権として他の
訴訟において相殺の抗弁を主張することが許されないことは、原審の判示するとお
りである(前記平成三年一二月一七日第三小法廷判決参照)。
 2 しかしながら、他面、一個の債権の一部であっても、そのことを明示して訴
えが提起された場合には、訴訟物となるのは右債権のうち当該一部のみに限られ、
その確定判決の既判力も右一部のみについて生じ、残部の債権に及ばないことは、
当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和三五年(オ)第三五九号同三七年
八月一〇日第二小法廷判決・民集一六巻八号一七二〇頁参照)。この理は相殺の抗
弁についても同様に当てはまるところであって、一個の債権の一部をもってする相
殺の主張も、それ自体は当然に許容されるところである。
 3 もっとも、一個の債権が訴訟上分割して行使された場合には、実質的な争点
が共通であるため、ある程度審理の重複が生ずることは避け難く、応訴を強いられ
る被告や裁判所に少なからぬ負担をかける上、債権の一部と残部とで異なる判決が
され、事実上の判断の抵触が生ずる可能性もないではない。そうすると、右2のよ
うに一個の債権の一部について訴えの提起ないし相殺の主張を許容した場合に、そ
の残部について、訴えを提起し、あるいは、これをもって他の債権との相殺を主張
することができるかについては、別途に検討を要するところであり、残部請求等が
当然に許容されることになるものとはいえない。
 しかし、こと相殺の抗弁に関しては、訴えの提起と異なり、相手方の提訴を契機
として防御の手段として提出されるものであり、相手方の訴求する債権と簡易迅速
かつ確実な決済を図るという機能を有するものであるから、一個の債権の残部をも
って他の債権との相殺を主張することは、債権の発生事由、一部請求がされるに至
った経緯、その後の審理経過等にかんがみ、債権の分割行使による相殺の主張が訴
訟上の権利の濫用に当たるなど特段の事情の存する場合を除いて、正当な防御権の
行使として許容されるものと解すべきである。
 したがって、一個の債権の一部についてのみ判決を求める旨を明示して訴えが提
起された場合において、当該債権の残部を自働債権として他の訴訟において相殺の
抗弁を主張することは、債権の分割行使をすることが訴訟上の権利の濫用に当たる
など特段の事情の存しない限り、許されるものと解するのが相当である。
 4 そこで、本件について右特段の事情が存するか否かを見ると、前記のとおり、
上告人は、係属中の別件訴訟において一部請求をしている債権の残部を自働債権と
して、本件訴訟において相殺の抗弁を主張するものである。しかるところ、論旨の
指摘する前記二(2)の相殺の主張の自働債権である弁護士報酬相当額の損害賠償
請求権は、別件訴訟において訴求している債権とはいずれも違法仮処分に基づく損
害賠償請求権という一個の債権の一部を構成するものではあるが、単に数量的な一
部ではなく、実質的な発生事由を異にする別種の損害というべきものである。そし
て、他に、本件において、右弁護士報酬相当額の損害賠償請求権を自働債権とする
相殺の主張が訴訟上の権利の濫用に当たるなど特段の事情も存しないから、右相殺
の抗弁を主張することは許されるものと解するのが相当である。
 そうすると、重複起訴の禁止の趣旨に反するものとして上告人の右相殺の抗弁を
排斥した原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、その違法は原判決
の結論に影響を及ぼすことが明らかである。右相殺の抗弁について審理不尽の違法
があるとする論旨は、前提として右の趣旨をいうものと解されるから理由があり、
原判決中、上告人敗訴の部分は破棄を免れない。そして、本件については、右相殺
の抗弁の成否について更に審理を尽くさせる必要があるから、これを原審に差し戻
すこととする。
 よって、裁判官園部逸夫の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文
のとおり判決する。
 裁判官園部逸夫の補足意見は、次のとおりである。
 私は、法廷意見に同調するものであるが、論旨で取り上げられていない前記二(
1)の売買代金低落分に関する相殺の主張の許否の問題と、この種事案の実務上の
取扱いについて、若干意見を述べておくこととしたい。
 一 第一は、前記違法仮処分により売買代金が低落したことによる損害賠償請求
権のうち、四〇〇〇万円を超える部分を自働債権とする相殺の主張の許否に関する
問題である。前記のとおり、上告人は、被上告人の違法仮処分により本件土地及び
建物の持分各二分の一を通常の取引価格より低い価格で売却することを余儀なくさ
れ、その差額二億五二六〇万円相当の損害を被ったと主張して、被上告人に対し、
不法行為を理由として、内金四〇〇〇万円の支払を求める別件訴訟を提起するとと
もに、本件訴訟において、右損害賠償請求権のうち四〇〇〇万円を超える部分を自
働債権とする相殺を主張している。法廷意見の述べる一般論からすれば、右相殺の
主張も訴訟上の権利の濫用に当たるなど特段の事情の存しない限り許容されること
になるが、本件においては、別の手続上の理由から、もはや差戻審において右相殺
の抗弁の成否について審理判断をする余地はない。
 すなわち、金銭債権の数量的一部請求訴訟で敗訴した原告が残部請求の訴えを提
起することは、特段の事情がない限り、信義則に反して許されないと解するのが相
当である(最高裁平成九年(オ)第八四九号同一〇年六月一二日第二小法廷判決参
照)。これを本件について見ると、別件訴訟については、本判決の言渡しの日と同
日、当裁判所において上告棄却の判決が言い渡され、右損害賠償請求権の数量的一
部請求(四〇〇〇万円)を棄却した判決が確定した。その結果、特段の事情の存し
ない本件において、上告人としては、もはや残債権について訴えを提起することが
できないこととなり、したがって、これを自働債権とする相殺の主張も当然に不適
法となったものというべきである。
 二 第二は、この種事案の実務上の取扱いである。前記のとおり、本件において
は、上告人が平成二年六月五日に別件訴訟を提起した後、被上告人が同年八月二七
日に本件訴訟を提起したところ、上告人が右相殺の主張をするに至ったものである。
そして、別件訴訟と本件訴訟とは、その後も別々の裁判体で審理され、売買代金低
落を理由とする損害賠償請求権については、別件訴訟の第一審判決がこれを認めな
かったのに対し、本件訴訟の第一審判決はその一部を認めて被上告人の請求を棄却
しており、裁判所の判断が異なる事態が生じている。
 法廷意見も述べるように、一個の債権の一部について訴えが提起され、その残部
をもって相殺の主張がされた場合には、原則としてこれらは重複起訴の関係に立た
ないが、民事訴訟の理想からすれば、裁判所としては、可及的に両事件を併合審理
するか、少なくとも同一の裁判体で並行審理することが強く望まれる。このことに
よって、審理の重複と事実上の判断の抵触を避けることができるとともに、当事者、
裁判所の負担の軽減にもつながることになるからである。もっとも、実務において
は、様々な理由から裁判体相互間における関連事件の割替えが行われず、本件のよ
うに、これが別々の裁判体において審理裁判されることが少なくない。そのために、
しばしば、審理の重複と事実上の判断の抵触が生じたり、訴訟経済に反する事態が
生じている。しかし、必要とあれば適切な司法行政上の措置を講じて関連事件の円
滑な割替えがされるよう配慮すべきであり、本件のような問題に対しては、そのこ
とによって根本的な解決を図る必要があることを強調しておきたい。
     最高裁判所第三小法廷
         裁判長裁判官    園   部   逸   夫
            裁判官    千   種   秀   夫
            裁判官    尾   崎   行   信
            裁判官    元   原   利   文
            裁判官    金   谷   利   廣

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