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平成17年(ワ)第505号損害賠償請求事件
主文
1被告は,原告aに対し,495万円及びこれに対する平成14年8月30日
から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2被告は,原告bに対し,165万円及びこれに対する平成14年8月30日
から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3被告は,原告cに対し,165万円及びこれに対する平成14年8月30日
から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4被告は,原告dに対し,165万円及びこれに対する平成14年8月30日
から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
5原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
6訴訟費用は,これを6分し,その5を原告らの負担とし,その余を被告の負
担とする。
7この判決は,第1ないし第4項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
1被告は,原告aに対し,3241万3810円及びこれに対する平成14年
8月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2被告は,原告bに対し,1153万7936円及びこれに対する平成14年
8月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3被告は,原告cに対し,1153万7936円及びこれに対する平成14年
8月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4被告は,原告dに対し,1153万7936円及びこれに対する平成14年
8月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,e病院(以下「被告病院」という。)において,fが,麻酔をかけら
れた状態でガンマナイフ治療の前提となるMRI検査を受けたところ,検査終了
直後に呼吸停止状態に陥っていることが判明し,同検査から27日後に死亡した
ことにつき,fの遺族である原告らが,被告病院の医師らに,麻酔剤の使用及び
MRI検査中のモニタリング等につき過失があったとして,被告に対し,損害賠
償及びfが死亡した日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の遅延損害金の
支払を求めた事案である。
1争いのない事実等
以下の事実は,当事者間に争いがないか,当該箇所に掲記の証拠により認め
られる。
(1)当事者
ア原告ら
原告aは,fの妻であり,原告b,原告c及び原告dは,いずれもfの
子である。
イ被告
被告は,被告病院を開設,運営する地方公共団体である。
(2)診療経過
以下,平成14年については年の記載を原則として省略する。
アfは,昭和2年2月28日生まれであり,心筋梗塞及び糖尿病の既往を
有していた。
イfは,平成12年ころから左眼瞼下垂及び左眼筋麻痺などの症状を呈し
ていた。
平成14年6月には,g病院において,左海綿静脈洞髄膜腫の診断を受
けた。
ウfは,7月5日,g病院の紹介により,被告病院を受診し,医師から,
ガンマナイフ治療の適応がある旨の診断を受けた。
ガンマナイフ治療とは,放射線であるガンマ線を脳内の病変に照射し同
病変を消失させる治療法をいう。ガンマ線を病変に確実に照射するために,
患者の頭部をフレームで固定した上で,脳血管撮影・CT・MRIなどの
検査を行い病変の座標を決定する作業が必要になる(乙A19号証)。金
属製の上記フレームを頭部に装着する際に生じる痛みを緩和するために,
頭部に対し麻酔をかける(甲A1号証)。
エfは,8月1日,ガンマナイフ治療のため,被告病院に入院した。同月
2日に同治療を実施し,同月3日に退院する予定であった。
オ8月2日の経過の概要は以下のとおりである。
(ア)午前8時ころ,fは,麻酔前投薬である硫酸アトロピン0.5mg,ドロ
レプタン1ml(ドロペリドール2.5mg),フェノバール100mg及びデカド
ロン1mgの注射を受けた。
(イ)fは,ガンマナイフ室に搬送され,同室において,麻酔薬であるソセ
ゴン15mg,1%キシロカインの投与を受け,頭部に頭部金属フレームを
装着された。
(ウ)fは,MRI検査室に搬送され,同室において,MRI検査が実施さ
れた(以下「本件MRI撮影」という。)。同撮影の際,h放射線技師
(以下「h技師」という。)は検査室内をモニターする画面のあるMR
I操作室にいたが,少なくとも機械によるモニター及び医師による監視
は行われなかった。
(エ)本件MRI撮影中に,fは呼吸停止及び心停止に陥った(以下「本件
事故」という。なお,呼吸停止及び心停止が発生した各時刻,先後関係
等の機序については後述のとおり争いがある。)。同撮影終了後,放射
線技師が,上記呼吸停止に気づいた。医師及び看護師がfをガンマナイ
フ室に搬送し,心肺蘇生を行ったところ,心拍が再開した。
カ本件事故後,fは昏睡状態を続け,8月6日,呼吸確保のための気管切
開を施された。
キfは,昏睡状態を続け,8月17日,完全房室ブロックによる心停止を
起こし,蘇生措置を受けた。
クfは,昏睡状態のまま,8月29日,完全房室ブロックによる心停止を
起こし,死亡した。
2争点
(1)事前の検査検討を怠った過失の有無
ア心筋梗塞の既往の把握
イ心電図の読みとり
(2)麻酔剤過剰投与の過失の有無
(3)麻酔投与後のモニターに関する過失の有無
アMRI検査室搬送までの間の監視
イ生体監視モニター装置による監視
ウ医師による監視
(4)因果関係の存否
ア本件に至る機序
イ救命可能性
(5)損害
3争点に関する当事者の主張
(1)争点(1)ア(事前の検査検討を怠った過失の有無−心筋梗塞の既往の把
握)について
(原告らの主張)
ア被告病院の医師には,ガンマナイフ施術以前に,カンファレンスなどに
おいてfの状態について十分な検討を行い,fに心筋梗塞等の既往がある
ことを把握しておくべき注意義務があった。
イ被告病院の医師は,上記注意義務に反し,fが心筋梗塞の既往を有する
ことを本件事故が発生するまで把握していなかった。このことは,本件事
故発生直後に,原告dがi医師に対し,「心筋梗塞の再発ですか。」と尋
ねた際,同医師が「えっ。」と驚き,「心筋梗塞をやっていたの。」と発
言したことから明らかである。
(被告の主張)
被告は,ガンマナイフ施術以前に,fが心筋梗塞の既往を有していること
を把握していた。このことは,外来カルテ,g病院からの診療情報提供書及
び看護記録に,心筋梗塞の既往がある旨の記載があることなどから明らかで
ある。
原告らの主張イの会話については不知。
(2)争点(1)イ(事前の検査検討を怠った過失の有無−心電図の読みとり)に
ついて
(原告らの主張)
アfは,心筋梗塞及び糖尿病を既往症として有した高齢の患者であったの
であるから,被告病院の医師には,ガンマナイフ施術前に,十分な検査及
び症例検討をすべき注意義務があった。
イ具体的には,7月5日に12誘導心電図検査が実施されたが,同検査結
果からは,完全右脚ブロックと左軸偏位が認められる二枝ブロックに加え
て,第1度の房室ブロックが認められた。これらの状態からは,不安・緊
張・低酸素・麻酔などにより,容易に伝導障害を悪化させて完全房室ブロ
ックの出現を始めとした心疾患の急変を容易に予見し得る。被告病院の医
師には,fの上記状態を心電図検査結果から読みとり,容態が急変する危
険性を認識すべき注意義務があった。
ウ被告病院の医師は,上記注意義務に反し,術前に心電図の読みとりを行
わず,上記危険性を認識しなかった。
(被告の主張)
ア被告病院の医師らは,fについて神経学的所見のほか,心電図,胸部X
線撮影,頭蓋X線撮影,血液一般検査及び感染症検査を行ったものであり,
ガンマナイフ前の検査として必要かつ十分な検査を行った。また,脳神経
外科全体のカンファレンスでガンマナイフ治療の適応につき検討した。7
月5日に施行された12誘導心電図検査については,同日,被告病院循環
器内科医師により,読み取りと心電図診断が行われている。
イ第1度房室ブロックとは,PQ間隔(説明は後記第3の1(4))が成人
で0.22秒以上の場合をいうところ,心電図上,fのPQ間隔は0.2
0秒であったことから,fには第1度房室ブロックは認められなかった。
(3)争点(2)(麻酔剤過剰投与の過失の有無)について
(原告らの主張)
アドロレプタンは,深刻な心血管系の副作用を起こす危険があり,慎重な
投与を要求される薬剤である。ドロレプタンの添付文書には,心疾患のあ
る患者及び高齢者に対しては,慎重投与と明記されており,中でも高齢者
については,減量するなどして注意することと明記されている。また,米
国食品医薬品局(FDA)は,2001年12月に,ドロレプタンの使用
に際しては,事前の12誘導心電図検査でQT時間延長がないことを確認
した上,投与後には十分な心電図モニターが必要である旨の警告を発して
いた。これらのドロレプタンの危険については,平成14年2月25日の
時点で周知されており,被告病院においても認識し得た。
イまた,ドロレプタンは,フェノバール及びソセゴンと併用される場合,
呼吸機能を含めた中枢神経抑制効果が増幅されることになる。そのため,
上記3薬剤の使用により,fの完全右脚ブロック,左脚前上枝ブロック及
び第1度房室ブロックが完全房室ブロックに移行することは十分に予見で
きた。
ウしたがって,被告病院の医師は,高齢者,心疾患及び糖尿病という高リ
スクを有したfの場合,まずはドロレプタンの低用量から投与を開始して,
適宜患者の状態に適合した使用量を選ぶタイトレイション法を適用すべき
だった。具体的に麻酔科臨床医としての臨床経験に基づいて判断した場合,
被告病院の医師は,fに対し,フェノバール100mg,ソセゴン15mgを
併用投与するとした場合,ドロレプタンについては,成人初回投与の場合
の最大量である2.5mgを3分の1に減量した0.8mgから開始し,薬剤
効果と呼吸抑制その他副作用等が発生していないかを確認しながら追加投
与すべき注意義務があった。
エところが,被告病院の医師は,上記注意義務に反し,fに対し,当初か
らドロレプタン2.5mg,フェノバール100mg及びソセゴン15mgとい
う過量の薬剤を投与した。
(被告の主張)
アガンマナイフ治療を行う上で欠かすことのできない頭部金属フレーム装
着の際に生じる強い痛みを緩和し,患者の不安を除去するためには,ドロ
レプタンを始めとする麻酔剤の使用が必要不可欠である。そして,ドロレ
プタンの投与量2.5mgは極めて標準的な量である。すなわち,米国にお
ける同剤の能書では,用法及び用量として,麻酔前投薬の場合,通常成人
2.5ないし10mgを麻酔開始前30ないし60分前に筋注するとある。
我が国における同剤の添付文書では,用法及び用量として,麻酔前投薬の
場合,体重1kgあたり0.05ないし0.1mgを麻酔開始30ないし60
分前に筋注するとあり,fの体重46.3kgに照らすと,2.315ない
し4.63mgが適量であるといえる。
イ原告らがその主張の根拠としている米国FDAの警告に対しては,臨床
現場から猛反発が起こり,現在に至るまで議論が終結していないのであり,
その妥当性について大きな疑問が残されている。心筋梗塞の既往について
は,自身医師であるfから,15年以上前のことであり,以来極めて元気
に活動している旨を聴取しており,胸苦,動悸及び不整脈の訴えも一切な
かった。fは,あくまで心疾患の既往を有する者であり,心疾患を有する
患者ではない。
ウドロレプタンの能書には,フェノバールとの併用により「中枢神経抑制
作用が増強され覚醒が遅延することがある」との記載はあるが,呼吸機能
が抑制されるとの記載はない。また,ソセゴンの能書には,フェノバール
との併用により「本剤の作用が増強されることがある」との記述はあるが,
中枢神経抑制作用を増強することになるとの記述はない。
エフェノバールの通常用量は,成人1回50ないし200mgを1日1ない
し2回,すなわち1日50ないし400mgであるところ,本件における同
剤の投与量は100mgであり,十分に減量された量といえる。また,ソセ
ゴンは,麻酔補助として用いられており,その通常用量は30ないし60
mgであるところ,本件における同剤の投与量は15mgであり,十分に減量
された量であるといえる。
オしたがって,ドロレプタン,フェノバール及びソセゴンの本件における
併用は過量な投与ではない。
(4)争点(3)ア(麻酔投与後のモニターに関する過失の有無−MRI検査室搬
送までの間の監視)について
(原告らの主張)
ア麻酔剤を投与した患者に対しては,医師が付き添って,持続的に絶え間
なく,容態を監視すべきである。この注意義務は,麻酔剤投与後30分を
経過した以降も課せられるというべきである。
具体的には,(ア)血液酸素化のチェックとして,皮膚,粘膜及び血液の
色などを監視し,パルスオキシメーター等を装着すること,(イ)換気のチ
ェックとして,胸郭の動き及び呼吸音を監視すること,(ウ)心電図モニタ
ーを用いること,(エ)血圧測定を原則として5分間隔で測定し,必要なら
より頻回に測定すること,を行うべきである。
イ被告病院の医師は,上記注意義務に違反して,これらの監視や測定を行
わなかった。
(被告の主張)
アfは,ドロレプタンなどの麻酔前投薬を投与されて以降,MRI検査室
に入るまでの約40分間について,医師及び看護師の継続的な監視下にあ
った。
イガンマナイフ室において,fは,心電図モニター及び血圧測定装置の下
で,麻酔剤の投与及び頭部金属フレームの装着がなされた。その間の約1
5分間,fの呼吸状態は良好で,血圧にも大きな変動は見られなかった。
このように,全身状態に問題がないと判断されたからこそ,fはMRI検
査室に搬送されたのであり,麻酔剤投与後,MRI検査室へ搬送されるま
での間,麻酔後の病状監視として十分な監視・モニタリングが継続して行
われたといえる。
(5)争点(3)イ(麻酔投与後のモニターに関する過失の有無−生体監視モニタ
ー装置による監視)について
(原告らの主張)
ア(ア)fが,高齢で心筋梗塞及び糖尿病に罹患している患者であること,
(イ)麻酔剤投与による完全房室ブロックの発生が予見されること,(ウ)麻酔
後の状態であること,(エ)頭部金属フレームの装着により頭部が固定され
ていることから,容態が急変した場合,フレームの脱着に相当の時間を要
することにかんがみれば,本件において,MRI検査に際し,fには十分
な監視・モニターをつけるべき注意義務があった。
イ具体的には,MRI室内で使用可能なパルスオキシメーター(動脈血酸
素濃度を連続的に計測する装置)をfに装着して,MRI検査を行うべき
であった。この装置は,被告病院のように第三次救急指定病院で高次医療
を提供するレベルの病院にあっては,相当程度普及していた。
あるいは,心電図モニター,指尖容積脈波及び呼吸波形モニターの少な
くともいずれかをfに装着して,MRI検査を行うべきであった。被告病
院が使用していたMRI装置には,これらのモニター装置が標準装備され
ているので,装着して使用することは容易であった。
ウところが,被告病院は,上記注意義務に反し,パルスオキシメーターを
MRI検査室内に設置していなかったし,MRI装置から上記モニター装
置を外していた。
(被告の主張)
アMRI対応のパルスオキシメーターなどの監視装置は,本件事故当時,
全く普及していなかった。したがって,被告病院が,同装置を設置してい
なかったことは,本件事故当時の医療水準に照らし,過失とはいえない。
イ愛知県下主要10病院のうち,平成17年3月23日現在ですら,MR
I検査中のモニタリング状況は,心電図モニタリングが1件,酸素飽和度
モニタリングが1件であり,呼吸モニタリングを行った例はなかったので
あり,本件当時はもちろんのこと,現在でも,MRI検査中のモニタリン
グとしては,テレビモニターを通してのモニタリングが標準的な医療水準
である。したがって,原告の主張する各モニタリングを行っていなかった
ことについて,過失はない。
ウ本件で使用されたMRI装置には,指尖容積脈波モニター(装置及び脈
波計)は装備されていなかった。そもそも,指尖容積脈波装置は,動脈硬
化等の血管性疾患を診断するための検査に用いる装置であり,モニタリン
グ装置ではないし,脈波計はMRI検査中の使用が禁止されている。
(6)争点(3)ウ(麻酔投与後のモニターに関する過失の有無−医師による監
視)について
(原告らの主張)
アfのように麻酔による鎮静下にあり,しかも全身麻酔に準じた状態にあ
る患者については,医師の監視は不可欠である。さらに,fの場合には,
ガンマナイフを受けることから頭蓋フレームを装着しており,容態の急変
があった場合には,同フレームの取り外しに相当の時間を要することから
考えると,かかる点からも,医師が付き添っているべきであった。
イしたがって,MRI検査室内において生体監視モニター装置による監視
に加えて,医師には,同室内に入って付添い,監視をすべき注意義務があ
った。仮に機械と医師の両方による監視が必要でないとしても,少なくと
も医師の付添いによる監視をすべき注意義務があった。実際,鎮静中の患
者に対する医師による付添監視は各医療機関で行われている。
仮に,医師がMRI検査室内において,MRI装置の傍らに付き添えな
い特段の事情が存した場合,医師には,MRI操作室においてテレビモニ
ター画面を通じて監視すべき注意義務があった。
ウところが,被告病院の医師は,上記注意義務に反し,fがMRI検査を
行う間,MRI検査室内及び操作室内におらず,操作室から放射線技師一
人がfの様子を見ていたに過ぎない。放射線技師は,胸郭の動きから呼吸
状態を判断できる専門的知見ないし訓練を受けておらず,しかも撮影装置
の操作を行っているのであるから,十分に患者の胸郭の動きを監視できな
い。
(被告の主張)
ア放射線技師は,MRI操作室において,撮影のための操作だけでなく,
テレビモニターを通してfの呼吸状態を監視していた。
イfに施された麻酔は局所麻酔であり,全身麻酔ではないのであるから,
本件においては,MRI検査中の医師による付添監視義務が生じることは
ない。
ウh技師は,被告病院で行われたガンマナイフ検査前のMRI検査530
0例余りの約半数に立ち会っているベテラン技師であり,経験豊富である
だけでなく,患者の状態把握についても教育を受けていることから,患者
の状態を把握する能力は極めて高く,信頼し得る。
(7)争点(4)ア(因果関係の存否−本件に至る機序)について
(原告らの主張)
アfは,麻酔剤の使用による高度の鎮静効果から,意識喪失,舌根沈下,
上部気道閉塞状態を発現した結果,呼吸が抑制され,8時45分から8時
52分の間に呼吸停止の状態になり,これを原因として心停止が生じた。
このことは,(ア)8時45分の時点では画像上脳血流に異常が見られない
のに対し,8時52分の時点では画像上脳血流の異常が見られること,
(イ)8時46分ころ及び8時52分ころに撮影された画像がいずれもずれ
ており,体動があったと考えられることから両時刻に呼吸状態に変調を来
していたとみられること,(ウ)診療録(乙A1号証の2,142及び14
3頁)に,技師が呼吸停止を発見した後,気管内挿管までの間に心拍があ
ったとの記載があること,から明らかである。
fは,MRI検査中いびきをかいていたが,これは睡眠状態にあったの
ではなく,麻酔鎮静下のために意識がないか意識障害の状態にあったこと
を意味する。放射線技師が膝からももを軽くたたきながら声をかけても覚
醒しなかったことは,睡眠状態にはなかったことを示している。仮に8時
45分から8時52分の時点で自発呼吸があったとしても,係る呼吸は異
常な呼吸状態(努力性呼吸)であった。
イ被告の,心停止が先行したとの主張に対しては,以下のとおり反論する。
(ア)MRI検査中,8時52分には脳の血流異常が発生していたのである
から,被告が主張するように心停止が呼吸停止に先行していた場合,心
停止は8時52分以前に生じていたことになる。一方で,被告は8時5
2分,8時58分及び9時05分に呼吸を確認したとも主張している。
そうすると,心停止後13分以上も呼吸があったことになり,不合理で
ある。
(イ)8月17日及び同月29日の完全房室ブロック発生をもって,同月2
日にも完全房室ブロックが発生したと推測することはできない。なお,
8月17日及び同月29日に発生した完全房室ブロックは,被告の主張
する間歇性という特殊な房室ブロックではなく,一般的に見られる完全
房室ブロックである。
ウただし,仮に完全房室ブロック発生により心停止が生じたとしても,そ
れは本件麻酔剤投与によるものである。fには7月5日の心電図によれば
完全右脚ブロック,左脚前上肢ブロック及び第1度房室ブロックが認めら
れたところ,これらが存する場合には,麻酔時において完全房室ブロック
に移行することは極めて頻度が高く,周知の事実とされている。
(被告の主張)
アfの発見時の状況からは,心停止と呼吸停止の前後関係及び心停止の発
生時期を特定することはできない。
ただし,(ア)fが,本件事故後にも,わずか1か月弱の間に2度心臓の
伝導障害により心停止を起こしていること,(イ)8月17日の完全房室ブ
ロックの際には,呼吸のある状態で心電図上にP波のみ存在する状態が継
続したこと,(ウ)8時52分実施のMRI画像に見られる脳の血流異常は
心拍出量の異常を示すものではあるが,心停止があったとは必ずしもいえ
ないこと,並びに(エ)8時52分,8時58分及び9時5分の各時点で,
fの呼吸を放射線技師が確認していること,からすれば,fは,心臓の伝
導障害(間歇性完全房室ブロックの反復)により,徐々に心拍出量が低下
し,8時52分以降,9時8分ころまでの間のいずれかの時点で心停止の
状態になり,これが原因で呼吸停止に至ったものと推測される。
イ本件事故は,fの死亡の原因ではない。救命措置及び集中治療センター
における処置により,平成14年8月10日の時点では,fの状態は安定
し,しっかりと自発呼吸をするまでに回復していた。
ウ原告らの,麻酔剤による呼吸抑制から呼吸停止に至ったとの主張に対し
ては,以下のとおり反論する。
仮に麻酔剤投与により呼吸抑制が生じたのであれば,麻酔剤の投与から
間もない時間帯に生じるのが通常であるところ,fにおいては,麻酔剤が
投与された午前8時25分ころから少なくとも午前9時02分ころまでの
37分間,呼吸に異常は見られなかった。
エ完全右脚ブロック,左脚前上枝ブロック及び第1度房室ブロックが合併
した場合には,麻酔時において完全房室ブロックを生じる頻度が高い旨の
原告らの主張は,医学的知見による基礎付けのない見解であり,周知の事
実ではない。また,fは2枝ブロックではあったが,第1度房室ブロック
ではなかった。
(8)争点(4)イ(因果関係の存否−救命可能性)
(原告らの主張)
ア上記麻酔剤投与に係る過失がなければ,fは呼吸停止に陥ることはなく,
呼吸停止に陥っても,上記監視に係る各過失がなければ,直ちに呼吸停止
を確認して早期の救命措置が可能であったから,fが以後昏睡状態を継続
して死亡することはなかった。したがって,上記各過失とfの死亡という
結果の間には因果関係が認められる。
イモニターに関する上記注意義務が履行されていれば,遅くとも8時58
分の時点でfの急変を発見でき,直ちにMRI装置から運び出し,気道確
保をした上で,急変発見から3ないし4分以内に心肺蘇生措置に着手でき,
その結果低酸素脳症を来すことなく,重大な脳障害を回避し得たのであり,
その後の死亡にもつながらなかった。
ウ被告の,救命可能性がなかったとする主張には,以下のとおり反論する。
(ア)MRI装置の磁場を発生する装置は緊急停止が可能であり,直ちに磁
場を消滅させることは可能であった。
(イ)緊急時においては,MRI検査室内でアンビューバッグによる補助呼
吸が直ちに行われれば足りるのであり,かかる補助呼吸にスペースは要
しない。また,気管内挿管であっても,MRI検査室内で行うことは可
能である。よって,MRI検査室内における心肺蘇生は可能である。
(ウ)fに装着されていた金属フレームには,気道確保ができるようにする
開口部が設けられていたのであり,かかる開口部を用いれば容易に気管
内挿管は可能であった。仮に金属フレームを外す必要があったとしても,
金属フレームを引き抜けば直ちに脱着は可能であり,同フレームを外す
のに1ないし2分も時間を要することはない。
(被告の主張)
ア本件事故と死亡との因果関係については争う。救命措置及び集中治療セ
ンターでの処置により,8月10日の時点では,fの状態は安定し,しっ
かりと自発呼吸をするまでに回復していた。
イ睡眠と意識障害,あるいは,睡眠によるいびきと舌根沈下によるいびき
を判別することは時に困難である。本件のように,不規則呼吸やシーソー
呼吸が認められない場合には,たとえ医師ないし看護師が本件MRI撮影
に付き添っていたとしても,放射線技師より早く急変を発見する可能性は
なかった。
ウ高い磁場を有し,かつ十分なスペースの確保できないMRI検査室内で
心肺蘇生術を施すことは不可能であり,同術を施行するためには,fを隣
室のガンマナイフ室に移動させる必要があった。MRI装置を緊急停止さ
せても磁場はすぐに消滅するわけではない。
しかし,放射線技師がfの呼吸停止に気づいた時点では,同人の身体は,
MRI撮影用のテーブルに固定された状態であり,しかもマグネットルー
ム内にあった。さらに,同人の頭部には,外すのに1ないし2分を要する
金属フレームが装着されていたところ,このフレームを外さなければ気管
内挿管は不可能であった。なお,fに装着された金属フレームには,患者
の口を避けるように湾曲が付されているが,これは検査中の嘔吐ないし口
腔内の吸引に対応するためのものであり,気道確保のためのものではない。
以上より,呼吸停止にすぐ気づいて心マッサージによる心蘇生術は直ち
に開始できたとしても,気管内挿管による呼吸蘇生術が開始できるまでに
は早くても4ないし5分かかる。さらに,本件の場合,心停止が呼吸停止
に先行していたのであるから,心停止から3ないし4分以内に有効な呼吸
・循環が再開された可能性はない。なお,心肺停止状態における蘇生術と
してまず行われるべきは心臓マッサージであり,アンビューバッグによる
補助呼吸ではない。
したがって,本件においては,fの救命可能性はなかったといえるので
あり,因果関係はない。
(9)争点(5)(損害)について
(原告らの主張)
ア逸失利益2836万0991円
死亡前年の年収935万8272円を基礎に,平均余命年数11.07
年の2分の1である5年間就労可能であったから,対応するライプニッツ
係数(4.3294)を乗じた上で,生活費を30%控除すると,逸失利
益は上記金額となる。
イ慰謝料2600万円
fは,3日間の入院予定で治療を受けたにもかかわらず,突如帰らぬ人
となったのであり,本人の精神的苦痛は筆舌に尽くし難く,慰謝料として
は上記金額を下ることはない。
ウ葬儀費用366万6630円
エ弁護士費用460万円
オ相続
原告らは,fが有する上記合計6262万7621円の損害賠償請求権
を,原告aが2分の1,原告b,原告c及び原告dがそれぞれ6分の1の
割合で相続した。
カ原告ら固有の慰謝料各100万円
キ原告ら固有の弁護士費用各10万円
(被告の主張)
争う。
第3争点に対する判断
1当該箇所に掲記の証拠及び弁論の全趣旨から,以下の事実が認められる。
(1)前医における心臓の検査
fは,被告病院受診前,g病院において,心エコー検査を受けた。同検査
の結果,fの心臓は,左室前壁,中隔及び心突部の壁運動が低下し,左室駆
出率が24%と低下していた(甲A5及び同6号証)。左室駆出率とは,心
臓の収縮機能の指標であり,年間死亡率は駆出率35%以下で上昇し始め,
25%以下になると著明に上昇する(甲B32号証)。
このことは,fが本件事故に近接した時点で陳旧性前壁中隔心筋梗塞又は
心筋症を発症していたことを意味する(甲A6号証)。
ただし,上記検査を実施したこと及びその検査結果は,被告病院の医師ら
には知らされていなかった(j医師証言)。
(2)既往歴の把握
被告病院の診療録及びg病院からの診療情報提供書には心筋梗塞及び糖尿
病の既往の記載があり(乙A1号証5頁),j医師は,同提供書を見ながら
fに問診を行い,被告病院のカルテ既往歴欄に心筋梗塞及び糖尿病と記載し
た(j医師証言及び乙A1号証4頁)。
(3)被告病院における術前検査
7月5日,fは,被告病院において,一般血液検査,胸部X線写真,頭蓋
X線写真,心電図,スクリーニング,感染症検査の各検査を受けた(乙A1
号証6頁)。
(4)心疾患に関する医学的知見
ア房室ブロックとは,心房興奮が心室に伝導される過程の障害をいい,そ
の程度により第1度ないし第3度に分類されている。
最も軽度な第1度房室ブロックは,心房興奮が心室に伝導されるまでに
要する時間である房室伝導時間が延長するものをいう。房室伝導時間の心
電図による判断基準は,P波(心房の興奮により生じる波)が発生してか
らQRS波(心室の興奮により生じる波)が発生するまでの時間であるP
Q間隔で計測し,文献によって異なるが,PQ間隔が0.20秒から0.
22秒以上とされている(甲B16号証の2,3,乙B1号証)。第1度
房室ブロックの場合,それ自体に対する治療は特に必要ではなく,基礎心
疾患があればその治療を行う(甲B16号証の1,2)。
第2度房室ブロックは,房室伝導が間欠的に欠落したものをいい,第3
度房室ブロック(完全房室ブロック)は,房室伝導が完全に中断されたも
のをいう(甲B16号証の3)。第3度房室ブロックの場合,心電図上に
は,P波とQRS波が互いに無関係に,それぞれ独自の周期で出現すると
いう形で現れる(甲B16号証の3)。第3度房室ブロックに至ると,ア
ダムス・ストークス症候群(意識消失発作),急死,心不全出現の危険が
ある(甲B16号証の2)。
イ右脚ブロックとは,右脚の興奮伝導が障害された状態をいう。そのうち,
QRS時間(QRS波が発生して消滅するまでの時間)が0.12秒以上
のものを完全右脚ブロックという。
左脚ブロックは,左脚の興奮伝導が障害された状態をいい,左脚前枝ブ
ロックと左脚後枝ブロックに分類される(乙B1号証)。
(5)本件MRI撮影の経緯(甲A4号証の1ないし6,乙A8,9,10号証,
乙A11ないし13号証の各1,2,乙A18号証)
アfは,ガンマナイフ室に搬送された後,心電図モニター及び血圧監視装
置が装着された。
イ8時40分
fは,医師1名及び技師1名により,ガンマナイフ室からMRI検査室
へ搬送された。医師により,ガドリニウム造影剤が静脈注射された。
その際,ガンマナイフ室で装着されていた心電図モニター及び血圧監視
装置が外された。
ウ8時43分ころ
頭部造影MRI矢状断撮影が施行された(1分20秒)。
同MRI画像上は脳の血流に異常は見られない(甲A4号証の1)。
エ8時45分ころ
頭部造影MRI軸位撮影が施行された(6分06秒)。
同撮影の途中,fの体動により,画像がずれた。
同MRI画像上は脳の血流に異常は見られない(甲A4号証の2及び
3)。
オ8時52分ころ
頭部造影MRI冠状断撮影が施行された(6分06秒)。
同撮影中も,fの体動により画像がずれた。
同MRI画像上,脳の血流の低下が見られる(乙A11号証の2,甲A
4号証の4及び5)。
同撮影終了後,h技師が,fに対し,膝又は腿を軽くたたいて声をかけ
たが,fはいびきをかいており,返答がなかった。
カ8時58分ころ
頭部造影MRI軸位撮影が施行された(6分06秒)。
同撮影の途中である9時00分ころ,h技師は,別の患者に着替え場所
を指示するなどの対応をしていた。
同MRI画像上,脳の血流の更なる低下が見られる(甲A4号証の6)。
キ9時05分ころ
頭部造影MRI軸位撮影が施行された(3分20秒)。
ク9時08分ころ
上記頭部造影MRI軸位撮影が終了した。h技師がMRI室内に入ると,
fの呼吸が停止し,チアノーゼを起こしていた。
ケ9時10分ころ
fがガンマナイフ室に搬送され,心肺蘇生が開始された。心電図モニタ
ーを装着したが,心拍は認められなかった。
エピクイック(エピネフリン製剤)が投与され,頭部フレームが外され,
気管内挿管が行われた。さらに,エピクイックが再度使用され,メイロン
100mlが点滴静注された。しばらくして,心拍,血圧ともに戻った。
コ9時45分以降
脈拍及び血圧安定。集中治療室に搬送された。
自発呼吸再開するも,神経学的には昏睡状態。
2争点(1)ア(事前の検査検討を怠った過失の有無−心筋梗塞の既往の把握)
について
上記に認定したとおり,被告病院のカルテにはfが心筋梗塞の既往を有して
いることの記載があった。また,術前のカンファレンスにおいて,同既往の存
在は担当医に周知されていた(j医師証言)。
以上の事実からすれば,原告dの,i医師が心筋梗塞を把握していないかの
ような発言をしたとの供述(甲B40号証及び原告d本人尋問結果)は直ちに
信用することはできない。ほかに,被告病院の医師らがfの心筋梗塞の既往を
把握していなかったと認めるに足りる証拠はない。
よって,被告病院の医師らに心筋梗塞の既往を把握していなかった過失は認
められない。
3争点(1)イ(事前の検査検討を怠った過失の有無−心電図の読み取り)につ
いて
(1)7月5日に実施された心電図検査の結果によれば,fのPQ間隔は0.2
0秒であったと認められる(乙A2号証及び同B5号証)。
また,同心電図からは,fが右脚完全ブロックと左軸偏位の二枝ブロック
を発症していたことも認められる(争いのない事実)。
(2)被告病院では,循環器科の医師が上記心電図の読みとりを行い,右脚完全
ブロックと左軸偏位の二枝ブロックと判断した。なお,同循環器科医師及び
被告病院の他の医師も,fを第1度房室ブロックとは判断していない。
(3)上記に認定した医学的知見によれば,第1度房室ブロックの発生を判断す
るPQ間隔は,文献により0.20秒以上とするものから0.22秒以上と
するものまで分かれている。第1度房室ブロックの場合それ自体は特に治療
を要しないことからすれば,判断基準に上記程度の幅があっても特段問題は
ない。とすれば,被告病院の医師らが,第1度房室ブロックの有無について,
PQ間隔0.22秒以上を基準に判断することも合理的な裁量の範囲内であ
るといえる。したがって,fは第1度房室ブロックではなかったとする被告
病院の医師らの判断は誤りとはいえない。
(4)以上より,被告病院の医師らには,心電図の読みとりを怠った過失は認め
られない。
4争点(2)(麻酔剤過剰投与の過失の有無)について
(1)ドロレプタンは,1ml中にドロペリドール2.5mgを含有する注射液で
あり,麻酔前投薬のほか,局所麻酔の補助や導入麻酔剤として使用される薬
剤である。
通常の用法,用量は,単独で麻酔前投薬として使用する場合,成人0.0
2ないし0.04ml/kgを投与することとされている(甲B2号証)。fの
場合,本件当時の体重は46.3kgであったから(乙A1号証135頁),
0.926ないし1.852mlということになる。使用上の注意として,心
疾患のある患者及び高齢者については,慎重投与が求められている。高齢者
に対する投与については,加えて減量するなど注意することとされている。
重大な副作用として,循環器に関連する項目では,不整脈・期外収縮・QT
延長(心電図異常)・心室頻拍・心停止(いずれも頻度不明)が挙げられて
いる(乙B4号証)。
(2)ソセゴンは,1ml中にペンタゾジン15mgを含有する薬剤であり,麻酔前
投薬及び麻酔補助剤として使用される。
麻酔前投薬及び麻酔補助に用いられる場合の用法,用量は,通常ペンタゾ
ジン30ないし60mgを筋肉内,皮下又は静脈内に注射する。高齢者の場合,
薬剤の高い血中濃度が持続する傾向が認められていることから,低用量から
投与を開始するとともに,投与間隔を延長するなど慎重に投与することとさ
れている。また,重大な副作用として,呼吸抑制が挙げられている(以上甲
B6号証)。
(3)フェノバールは,1ml中にフェノバルビタール0.1gを含有する薬剤で,
不安緊張状態の鎮静作用などがある。
通常の用法,用量は,成人につき1回フェノバルビタール50ないし20
0mgを1日1ないし2回,皮下又は筋肉内注射する。高齢者の場合,呼吸抑
制,興奮,抑うつ,錯乱等が現れやすいので,少量から投与を開始するなど
慎重に投与することとされている。さらに,心障害のある患者に対しては,
血圧低下や心拍数の減少を起こすおそれがあるので,慎重に投与することと
されている。また,重大な副作用として,呼吸抑制が挙げられている(以上,
甲B3号証)。
(4)被告病院では,通常ガンマナイフ治療のための麻酔薬及び麻酔前投薬とし
て,本件当時,麻酔前投薬として,硫酸アトロピン0.5mg,ドロレプタン
1ml(2.5mg),フェノバール100mg及びデカドロン1mgを注射し,ガン
マナイフ室に移動後にソセゴン15mg,セルシン5mg(フェノバールと類似
の効能がある。)と,局所麻酔薬として1%キシロカインを注射するという
方法が基本になっていた(乙B18号証)。
そして,本件では,前提となる事実で認定したとおり,fに対し,硫酸ア
トロピン0.5mg,ドロレプタン2.5mg,フェノバール100mg及びデカド
ロン1mgの注射が行われ,その後,ソセゴン15mg,1%キシロカインの投
与がなされた。
(5)fは,本件当時75歳という高齢であった。また,上記認定のとおり,被
告病院医師らは,fが二枝ブロックという心臓の異常を有していることを把
握していた。さらに,ソセゴン及びフェノバールは,重大な副作用として呼
吸抑制を挙げている。とすれば,被告病院医師らはfに対し,ドロレプタン,
ソセゴン及びフェノバールを同時に投与する場合には,減量するなどして,
慎重に投与する必要があった。
ところで,fに投与されたドロレプタンは1mlであるところ,これは通常
投与量のほぼ下限量であり,フェノバールの投与量は100mgであり,これ
も通常投与量の下限に近い量である。一方,ソセゴンの投与量は15mgであ
り,通常投与量を大幅に下回るものであるし,セルシンは投与されていない。
これら薬剤は,高齢者に対しては慎重投与すべきとされているものの,どの
程度減量すべきであるとまで指示されていないので,減量の程度は,医師の
合理的裁量に委ねられる。本件でfに投与されたドロレプタン,ソセゴン及
びフェノバールについては,被告病院における通常の投与量であって,高齢
者で心臓に異常を有しているfを意識したものではなく,さらに減量するこ
とも考えられるものの,通常用量の下限に近い量かそれを下回る量であった
から,合理的裁量を超えて過量であったとまで認めることはできない。
(6)この点原告らは,fに投与されたドロレプタンは過量であったと主張し,
その根拠としてk医師の意見書(以下「k意見書」という。甲B1号証)を
挙げている。
k意見書が,本件におけるドロレプタンの投与量が過量であるとする根拠
のうち,厚生労働省による「麻酔薬及び麻酔関連薬使用ガイドライン」は,
本件以後である平成15年4月に出されたものであることから,これが本件
当時医療水準になっていたとは認められず,根拠とすることが適当でない。
また,米国FDAによる警告は,平成13年12月に出されているが,これ
を日本に紹介した日本麻酔科学会ニュースレター(平成14年2月発行,甲
B11号証)は,同学会員にのみ配布されるものであり(乙B7号証),被
告病院には存在しなかった(弁論の全趣旨)ことを考えると,これも根拠と
することが適当でない。そうすると,k意見書は,結局のところ,本件事故
当時の医療水準を基に書かれたものとはいい難く,これにより直ちに,本件
ドロレプタンの使用量につき過失があったと判断することはできない。
(7)以上のとおりであり,他にこの点についての過失を認めるに足りる証拠は
ないから,ドロレプタン,ソセゴン及びフェノバールの投与量につき過失は
認められない。
5争点(3)ア(麻酔投与後のモニターに関する過失の有無−MRI検査室搬送
までの間の監視)について
上記認定のとおり,fに上記各薬剤が投与されてから,MRI検査室に搬送
されるまでの間は,心電図モニターを装着した上で医師による監視が行われて
いた。また,この間,fは意識がはっきりしており,特段の異常はうかがわれ
なかった。これらの事実のほか,被告病院医師らによる麻酔後MRI検査室搬
送までの間の監視が不十分であったことを示す証拠はなく,この点に関する過
失は認められない。
6争点(3)イ(麻酔投与後のモニターに関する過失の有無−生体監視モニター
装置による監視)について
(1)パルスオキシメーターとは,手足の指に簡単に装着することで,動脈血の
ヘモグロビンの酸素飽和度を非侵襲的かつ連続的にモニターする装置である
(甲B10号証112頁)。通常のパルスオキシメーターは,そのままでは
MRI画像に対する干渉作用のためMRI検査室内では使用できない(同3
24及び325頁)が,MRI室内で使用可能なパルスオキシメーターも存
在する(甲A3号証)。
(2)被告が,本件で使用していたMRI検査装置はGE横河メディカルシステ
ム株式会社製のSIGNAAdvantagever5.7であり(争いのない事
実),同装置には,心電図モニター及び呼吸モニターが標準装備されていた。
上記心電図モニターは,心電図が捉えた心臓の電気的活動をトリガ信号とし
て使用するMR画像撮影のための装置であり,様々のフィルタ処理が行われ
ているため,患者の診断や治療に使用してはならないとされている。上記呼
吸モニターも,呼吸補正法(呼吸動作から生じるゴーストアーチファクトを
減少させる機能)を用いてMR画像を撮影するためのものであり,生理学的
なモニタリングに使用してはならないとされている(以上につき,乙B10
号証の2)。また,通常の脈波計測装置は,MRI装置との併用が禁止され
ている(乙B15ないし17号証)。
(3)原告らによる調査によれば,愛知県内の,被告病院と規模が同等かそれ以
上と考えられる病院に対するアンケートでは,平成16年末当時,MRI撮
影中のモニタリングにパルスオキシメーターを導入している病院はなく,心
電図モニターを装着している病院が3病院存在した(甲B12号証,原告d
本人尋問結果)。一方,被告が平成17年3月23日に調査した11病院で
は,MRI中に心電図モニター及び呼吸モニターを行っているのは被告病院
のみであった(乙B3号証)。
(4)以上の事実のほか,本件事故が発生した平成14年当時,MRI検査中に
同検査室内で使用可能なパルスオキシメーターを装備すること,心電図・呼
吸・酸素飽和度の各モニター装置を使用することが医療水準であったと認め
るに足りる証拠はない。したがって,本件でこれらのモニター装置が使用さ
れなかった点につき,被告に過失は認められない。
7争点(3)ウ(麻酔投与後のモニターに関する過失の有無−医師による監視)
について
(1)前記に認定したとおり,fは,高齢者であり,かつ心臓病の既往を有して
いた上,被告病院医師が把握していた範囲でも二枝ブロックという心臓の異
常を抱えていたから,被告病院医師は,ドロレプタン,ソセゴン及びフェノ
バール等の投与により,何らかの副作用が生じる可能性があることを予見し
て,fの経過を慎重に観察する必要があった。また,MRI検査技師に患者
急変に対応するための知識があったとしても,医師や看護師等のそれとは程
度が異なると考えられる上,同技師は画像を正確に撮影するため,モニター
と撮影中の画像を写す画面とを交互に見なければならない。さらに,本件M
RI撮影の最中に実際起きたように,同技師は,次の撮影患者に対応するた
めに短時間ながらも席を外すことがある。これらの事情に加え,ガンマナイ
フ治療前のMRI撮影では,患者の頭部にフレームがとりつけられており,
同撮影中に呼吸が停止した場合には,MRI撮影室の外に患者を搬出した上
で,金属製の器具を使用して同フレームを外してから気管内挿管をすること
になり(乙B22号証及びj医師証言),通常の救命作業よりも多く時間を
要することも併せ考えれば,本件においては,可及的速やかに急変を発見し,
これに対応できる態勢を整えておく必要があったものと認められる。
(2)MRI室内には強力な磁場が存在すること,モニターを通じて一定の監視
は可能であることから,通常の場合,被告病院において撮影中に医師が同室
内に入って監視することはない(乙B22号証)。愛知県下の他の病院にお
いても,麻酔下にある患者のMRI撮影の際,MRI検査室内に入っての監
視を行っている病院は2病院のみである(甲B12号証)。
これらの事実に加え,本件における麻酔は局所麻酔であり意識のある状態
でのMRI撮影が予定されていたこと,実際にもMRI検査室に入るまでは
fの意識があったこと(j医師証言)なども考えると,本件MRI撮影にお
いて,被告病院の医師がMRI検査室内に入ってfの容態を監視すべき義務
があったとまでは認められない。
(3)一方,被告病院では通常ガンマナイフ前のMRI検査には医師又は看護師
が立ち会っていたところ,本件では同時に2件のガンマナイフを実施する予
定であったために立ち会わなかったにすぎないこと(j医師証言),他の病
院でも麻酔をかけた患者のMRI検査には医師が操作室において付き添う病
院がほとんどであること(甲B12号証)が認められる。そうすると,被告
病院の医師は,MRIの操作室において,fの容態を監視すべき義務があっ
たと認められる。
(4)しかるに,被告病院医師らは,MRI検査中,操作室でfの容態を監視す
ることを怠ったから,この点につき過失が認められる。
8争点(4)ア(因果関係の存否−本件事故に至る機序)について
被告病院医師が本件MRI撮影の際,操作室からfの容態を監視することを
怠った過失(以下「本件過失」という。)とfの死亡との因果関係の存否の判
断の前提として,本件事故に至った機序について検討する。
(1)考え得る機序の一つは,fが本件MRI撮影中に,完全房室ブロックを起
こし,心停止に陥った結果,呼吸機能に異常が生じ,呼吸も停止したという
ものである。
この機序を裏付ける根拠としては,(ア)前記認定のとおり,8時52分か
らの撮影の最中にfの血流の低下すなわち心拍出量の低下が生じていたこと,
(イ)fは8月17日及び同月29日にも完全房室ブロックを起こしていると
ころ,これらのときには,心停止しながら呼吸はある状態であったこと(j
医師証言),(ウ)本件MRI撮影中,h技師が心肺停止のfを発見するまで
の間ずっと,同人に正常な呼吸があったと判断していること(乙A18号
証)が挙げられる。
しかし,心拍出量の低下は,呼吸機能の悪化によっても生じうるものであ
る。また,前記判断のとおり,放射線技師による急変の判断は,たとえ経験
の豊富な技師であっても,医師がMRI室内で監視するほどには正確に監視
することが難しいと思われ,本件MRI撮影開始から18分後という短時間
で膝又は腿をたたいても起きないほどの深い睡眠に陥ること(8時58分か
らの軸位撮影直前なので,そのころの時刻になる。)は不自然であり,上記
血流の低下が見られた8時58分の時点のいびきは異常な呼吸状態であった
可能性も高いこと,からすれば,h技師の判断が正しかったのか疑問が残る。
したがって,上記(ア)ないし(ウ)のみでは,本件において,完全房室ブロック
による心停止が呼吸停止に先行した可能性はあっても,高度の蓋然性がある
とまで認定するには証拠が足りない。
(2)考え得るもう一つの機序は,呼吸抑制が先に生じ,その結果心拍出量が低
下し,心停止に陥ったというものである。
この機序を裏付ける根拠としては,8時58分の時点のいびきは異常な呼
吸状態であった可能性が高いこと,fには,呼吸抑制の副作用があるソセゴ
ン及びフェノバールが投与されていたこと,が挙げられる。
しかし,いびきをかくよりも前の時点である8時52分には心拍出量の低
下が生じていること,及び,上記(1)でも検討したとおり完全房室ブロック
が発生した可能性も認められることなどを考慮すると,こちらの機序につい
ても,高度の蓋然性をもって認定するには証拠が足りない。
(3)上記検討の結果からすれば,結局のところ,本件事故に至る機序は不明と
いわざるを得ない。
9上記のとおり,本件事故に至る機序が不明なことを踏まえた上で,本件過失
とfに生じた死亡という結果との間に因果関係があるか検討する。
この点,死亡の直接の原因は,8月29日に起きた完全房室ブロックである
ところ(争いのない事実),fは,もともと二枝ブロックを有し,定義によっ
ては第1度房室ブロックを有していたともいえ,心駆出率が低下していた上,
本件事故時にも完全房室ブロックが発生していた可能性が否定できないことな
どの事情を考えると,本件事故がなくても,上記完全房室ブロックを起こした
可能性は十分考えられる。
したがって,上記過失とfの死亡との間に因果関係を認めるに足りる証拠は
ない。
10そこで,本件過失とfが昏睡状態に陥ったこととの因果関係について検討す
る。
(1)この点,確かに,睡眠によるいびきと異常な呼吸状態の区別は難しい場合
があること(原告d尋問結果),及び放射線科医でなければ脳血流の異常を
MRI検査中に判断するのは難しいこと(j医師証言)などを考えれば,医
師が監視していたとしても,8時58分時点のいびきをもって直ちに異常と
判断して救命措置を開始できたかは定かではない。しかし,上記いびきの時
点から9時08分にチアノーゼの状態で発見されるまでの間に,fの状態は
徐々に悪化していたはずである。そうであれば,本件MRI検査中,心停止
と呼吸停止のいずれが先に発生していたとしても,医師が監視していれば,
h技師が心肺停止を発見した9時08分よりは遅くとも数分早くfの異常に
気づき,その時点で撮影を中止して,救命措置を開始していたものと認めら
れる。
(2)そして,脳の機能を保持するためには,5分以内の血流再開が必要といわ
れているところ(乙B22号証),ガンマナイフ室への移動に10秒程度
(j医師証言),頭部金属フレームを外すのに1ないし2分を要するとして
も,心臓マッサージは先に開始できるのであり,少なくとも異変の発見から
5分以内に血流を再開させることは十分可能であると認められる。
(3)以上からすれば,医師が監視していたとしても,即時に異変を発見できた
とは限らないから,fが脳の機能を完全に回復したとは認められないが,よ
り早く救命措置を開始できれば,その後の障害の程度も軽くなるので,一定
の後遺障害は残ったとしても,昏睡状態には陥らずに済んだと認められる。
とすれば,本件過失がなければ,fが昏睡に陥らずに済んだといえるから,
本件過失とfの昏睡状態との間には因果関係が認められる。
11争点(5)(損害)について
(1)fの損害は,本来は一定の後遺障害が残る程度であったにもかかわらず,
昏睡状態に陥ったことによる損害である。もっとも,本来どの程度の後遺障
害が残ったかどうかを的確に認定することは困難であるが,少なくとも心停
止又は呼吸停止の一方が生じたのであるから,就労に著しい困難を生じさせ
る程度の後遺障害は残った可能性は高いものと考えられる。
なお,fは,本件事故の27日後に,本件過失とは因果関係の認められな
い完全房室ブロックにより死亡しているが,本件過失の時点で近い将来にお
ける同人の死亡が客観的に予測されていたとまでは認め難いので,fが昏睡
状態のまま,平均余命を全うすることを前提として,損害を算定するもので
ある。
(2)逸失利益
本件事故以前のfの収入は,医師としての活動に基づく給与と不動産収入
であると認められる(甲C2号証)。上記認定のとおり,本件過失がなくて
も,fは,医師として働き続けることは困難であると考えられる。また,不
動産収入については,fの状態のいかんにかかわらず発生するものと考えら
れる。
したがって,本件過失と相当因果関係のある逸失利益を認めるに足りる証
拠はない。
(3)慰謝料
本件過失がなければ,一定の後遺障害で済んだにもかかわらず,昏睡状態
に陥ったこと,そもそもは手術日も含めて3日間で退院できる予定であった
こと,その他本件訴訟に現れた一切の事情を考慮すれば,慰謝料は900万
円とするのが相当である。
(4)葬儀費用
上記に認定判断したとおり,上記過失と死亡との間に因果関係は認められ
ないから,葬儀費用は上記過失と因果関係のある損害とは認められない。
(5)そうすると,fの損害額は,900万円となるので,相続により,原告a
が450万円,原告b,原告c及び原告dが,それぞれ150万円の損害賠
償請求権を取得したことになる。
(6)また,本件過失がなくても,fには,一定の後遺障害が残ったのであるか
ら,fが昏睡状態に陥ったことについて,これにより原告らに,fが死亡し
た場合に比肩するほどの精神的損害が生じたということはできず,遺族固有
の慰謝料は認められない。
(7)弁護士費用
原告らの弁護士費用は,原告aについて45万円,原告b,原告c及び原
告dについてそれぞれ15万円と認めるのが相当である。
第4結論
以上のとおりであり,原告らの請求は主文の限度で理由があるからこれを認
容し,その余は棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条及
び64条を,仮執行の宣言につき同法259条をそれぞれ適用し,主文のとお
り判決する。
名古屋地方裁判所民事第4部
裁判長裁判官永野圧彦
裁判官寺本明広
裁判官大野千尋

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◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
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残り応募人数(2019年5月1日現在)
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連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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応募方法
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