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H16.5.13東京地方裁判所平成15年(ワ)第2581号損害賠償請求事件
主文
    原告らの請求をいずれも棄却する。
    訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1被告は,原告Aに対し,3302万3250円及びこれに対する平成13年3月19日か
ら支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 2 被告は,原告Bに対し,1701万1625円及びこれに対する平成13年3月19日か
ら支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 3 被告は,原告Cに対し,1701万1625円及びこれに対する平成13年3月19日か
ら支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
   本件は,D(昭和20年8月18日生まれ。)が,大動脈弁狭窄症等のため,被告が
開設するE病院(以下「被告病院」という。)において,平成13年3月14日,大動脈
弁置換術を受けたところ,同月19日に死亡したことについて,Dの相続人である原
告らが,被告に対し,主位的に,①被告担当医師らは,大動脈弁置換術中,体外
循環中の心停止状態から心拍動を再開させる際に,心臓内の空気抜きを十分に
すべきであったのに,これを怠ったため,Dは右冠動脈空気塞栓によって急性心筋
梗塞を発症して死亡に至ったと主張し,予備的に,②被告担当医師らが,大動脈
弁置換術中に,手術器具の操作を誤って心臓の血管を傷つけたため,Dは大量出
血により死亡した,③被告担当医師らは,遅くとも平成13年3月16日午前11時1
0分までに,Dの右大腿動脈閉塞を発見して,手術等の適切な処置をすべきであっ
たのに,これを怠ったため,Dは死亡したと主張して,不法行為(使用者責任)に基
づき,逸失利益,慰謝料等の損害賠償を求める事案である。
 1 前提事実(証拠を掲げない事実は当事者間に争いがない。)
  (1) 当事者等
   ア 原告ら
     原告Aは,Dの夫であり,原告B及び原告Cは,Dの子である(甲C3からC5ま
で)。
   イ 被告等
     被告は,被告病院を開設する学校法人である。
     F医師は,被告病院胸部心臓血管外科に勤務する医師であり,Dに対する大動
脈弁置換術,再開胸手術,血栓除去術,筋膜切開術を担当した(乙A7)。
  (2) 診療経過
   ア 入院に至る経緯
     Dは,40歳ころから高血圧を患い,さらに48歳ころから僧帽弁不全,不整脈を
患っており,その治療のために,広島市所在のG胃腸科に通院していた(乙A
1・15頁,A4・342頁裏面)が,横浜市青葉区に転居したことに伴い,平成1
1年4月6日以降は,被告病院内科に通院するようになった。
     被告病院内科に通院していた当時のDは,軽作業をすると動悸,息切れがあ
り,平成11年6月8日に行われた心臓超音波検査では,強度(大動脈左室圧
較差96mmHg)の大動脈弁狭窄症と軽度から中等度の僧帽弁閉鎖不全症
が認められた(乙A1・58頁,A7)。
     Dは,平成13年2月23日,失神発作を生じたため,同日,被告病院内科を受診
したところ,同月27日に大動脈弁狭窄症評価目的で被告病院循環器内科に
入院することとなった(以下,特に年を示さない場合は,すべて平成13年であ
る。)。
   イ 入院後の経過
     そこで,Dは,2月27日,被告病院循環器内科に入院した。
     その余の被告病院におけるDの診療経過は,別紙「診療経過一覧表」記載のと
おりである(当事者の主張の相違する部分を除き,争いがない。)。
     なお,Dは,3月14日に,大動脈弁置換術(以下「本件第1回手術」という。)を
受け,同月16日に,再開胸手術(以下「本件第2回手術」という。)を受け,同
月17日に,血栓除去術(以下「本件第3回手術」という。),筋膜切開術(以下
「本件第4回手術」という。)を受けるなどしたが,同月19日,多臓器不全とな
り,死亡した。
  (3) 医学専門用語
    本件における医学専門用語の意味は,別紙「専門用語表」のとおりである。
 2 争点
  (1) 空気抜きが不十分であった過失による不法行為(原告らの主位的主張)の成否
   (原告らの主張)
    F医師を含む被告担当医師ら(以下「F医師ら」という。)は,本件第1回手術の際,
Dの大動脈の遮断を解除させる前に,心臓内の空気抜きを十分に行うべきであ
ったにもかかわらず,これを怠った。
    このため,大動脈遮断解除時に,Dの心臓内に残存していた空気が冠動脈へ流
れ,それによって右冠動脈が閉塞されて急性心筋梗塞が発症し,Dは死亡した。
   ア 心筋は低酸素に弱いため,冠動脈に空気塞栓が生じると,心筋梗塞が引き起
こされ,重篤になりやすい。したがって,心臓外科手術においては,冠動脈へ
の空気塞栓の発生は可及的に防止しなければならない。
     本件第1回手術のような大動脈弁置換術における空気抜きについては,「空気
がすべて排除されてから大動脈縫合糸を結び,大動脈遮断かん子を外す」
(乙B2・72頁),「処置が全て完了して空気塞栓のおそれがほとんどなくなっ
た段階で,大動脈遮断かん子が外される」(乙B2・56頁),「大動脈遮断を解
除する前に左心系を血液で充満させ,大動脈基部ベントから十分に空気抜き
を行うこと」(乙B3・84頁)などといわれており,大動脈の遮断を解除する前に
十分に空気抜きをしなければならないとされている。
   イ ところが,F医師らは,本件第1回手術の際,午後1時30分に大動脈の閉鎖が
終了した段階で,左房ベントと大動脈ベントを用いて空気抜き操作を行いつつ
大動脈の遮断を解除したのであって,大動脈遮断解除前における空気抜きの
作業はほとんど行われなかったものと考えられる。
   ウ そして,F医師は,大動脈の遮断解除後に,右冠動脈の右室枝内に移動速度
の遅い泡粒を1,2個ほど視認しているが,これらの泡粒は,上記のとおり大
動脈遮断解除前の空気抜きが不十分であったことによるものであり,その後
に急性心筋梗塞を生じていることからすると,冠動脈の空気塞栓を広範囲に
生じさせるものであったと推認される。
   エ なお,本件第1回手術後に生じた急性心筋梗塞の原因が,右冠動脈空気塞栓
によるものであることは,胸部心臓血管外科入院カルテ(乙A4)に,「原因とし
ては右室梗塞(air emboli(空気塞栓))が考えやすい。」(4頁),「右室の動
き悪く,air emboli(空気塞栓)によるものと思われる」(14頁表面),「RV b
rにair認め(右室肢に空気を認め)」(15頁裏面),「RCA air emboli susp
(右冠動脈空気塞栓の疑い)」(15頁裏面),「術中,RCA air emboli(右冠
動脈空気塞栓)によるものと思われる心不全(右心不全)を発生し」(21頁),
「Past op LOS due to RV dysfusion」(術後,右室機能低下による低
拍出量症候群)」(29頁),「may be air emboli to the RCA(おそらく
右冠動脈空気塞栓による)」(29頁)「RCA(右冠動脈)へのair emboli(空
気塞栓)もRretro CP infusion(薬効性心筋保護液注入)で予防はしてい
た」(29頁),「air emboli to the RCA(右冠動脈空気塞栓」(39頁裏
面),「術中右室梗塞合併 右冠動脈に空気閉塞が疑われる」(359頁表面)
などの記載があることから明らかである。
    したがって,被告は,Dの死亡について,不法行為責任(使用者責任)を負う。
    (被告の主張)
    原告らの主張は争う。
   ア Dの死亡原因
     Dは,次のとおり,スパスムによって下肢循環不全となり,それが原因で急性腎
不全から多臓器不全となって死亡したのであって,被告は,不法行為(使用者
責任)に基づく損害賠償責任を負わない。
    (ア) Dは,本件第1回手術後,心不全を起こしたが,IABP及びPCPSなどの補
助により,3月15日には軽快していた。
    (イ) ところが,3月16日,Dの血圧が突然低下したことを受けて,F医師らは,心
タンポナーデ症状を疑い,同日午前6時40分から本件第2回手術を行っ
た。
      しかし,同手術によっても十分な血圧の上昇は得られなかったため,左下肢に
PCPSを再装着して,同日午前11時10分にICUに帰室させた。
    (ウ) そして,同日午後10時の時点で,Dの右下肢に腫脹がみられ,それまでに
ドップラーにより聴取可能であった膝窩動脈の拍動が消失ないし弱くなった
ため,F医師らは,右大腿動脈閉塞を疑い,本件第3回手術を開始した。
      本件第3回手術においては,IABP挿入部には血栓は認められなかったが,
右大腿動脈から腸骨動脈にかけての著しいスパスムが確認された。
    (エ) そこで,F医師らは,IABPを左下肢からの挿入に変更したが,Dの左下肢に
もスパスムが生じたため,Dは下肢循環不全から急性腎不全を起こし,最
終的には多臓器不全に陥り,死亡するに至った。
    (オ) 以上のとおり,本件第1回手術後に生じた心不全は,IABP及びPCPSなど
の補助により3月15日には,軽快していたが,Dは,3月16日に確認され
たスパスムにより,右大腿動脈閉塞等を発症して死亡したのであって,空
気抜きが不十分であったために死亡したものではない。
    (カ) なお,スパスムについては,非常に稀な病態である上,発生機序も正確に解
明されていないので,F医師らが予見することは不可能であり,これを防止
することも不可能であった。
   イ 空気抜き
    (ア) F医師らは,本件第1回手術時,空気抜きをしている際,少量の空気の泡粒
を視認したが,大動脈弁置換術においては,異常なことではない。
      なぜなら,同術では,脳に空気塞栓が生じることだけは絶対に避けなければな
らないことから,頭低位にするところ,頭低位にすると心臓において大動脈
基部が垂直上に一番上となり,同部位に冠動脈口が存在するため,大動
脈ベントを用いたとしても,少量の空気が冠動脈に入ることは避けられない
からである。
    (イ) そして,通常であれば,前記(ア)のような空気の泡粒があったとしても,その
後の空気抜きを十分に行うことにより,心機能の改善ができる。
      本件においても,F医師らは,大動脈遮断を解除して,血流を再開させる前
に,心臓内に血液を満たし,十分に空気が抜けたことを確認した。
      すなわち,F医師らは,大動脈ベント及び左房ベントを用い,ベッドの向きを変
え,さらに肺を膨らませたり,左心を圧迫したりして,十分に空気抜き操作を
行い,経食道エコーを用いて画像上で確認しながら,空気が完全になくなる
まで空気抜き操作を続け,血流再開後も血圧が戻るまでは空気抜きを継続
した。
    (ウ) なお,F医師らは,本件第1回手術においては,術中の心筋保護液注入につ
いては,空気塞栓を予防する効果も期待して,左右冠動脈口への選択的
心筋保護液注入と冠静脈洞への逆行性心筋保護液注入を併用した。
   ウ 原告らの主張に対する反論(本件第1回手術後の説明について)
     F医師らは,本件第1回手術後,心臓手術中,体外循環から切り替える際に冠
動脈へ空気が入り込んだなどと説明したが,これは,本件第1回手術では,空
気抜きは十分行っていたが,大動脈切開が必要な全ての手術においては,必
ず,最前方に位置する右冠動脈に僅かな空気が流れること(通常は少量の空
気は血中に溶けるため問題とならないことが多いが,低い確率で冠動脈閉塞
を起こすことが分かっている。),F医師らが,右冠動脈の分枝である右室枝に
極少量の空気の泡粒があるのを認めたこと,説明当時は本件第1回手術後
に生じた心不全の原因が判明していなかったことなどから,通常は考えにくい
が,可能性のあるものとして,おそらくは右冠動脈空気塞栓による右室機能障
害を原因とする低拍出量症候群であると家族に説明したに過ぎない。
     Dのその後の診療経過(左右の下肢に著しいスパスムが生じていること)からす
れば,本件第1回手術後に生じた心不全の原因は,冠動脈のスパスムによる
ものと考えられる。
    したがって,被告は,Dの死亡について,不法行為責任(使用者責任)を負わな
い。
  (2) 手技上の過失による不法行為(原告らの予備的主張の1)の成否
   (原告らの主張)
    F医師らは,本件第1回手術の際,メスその他の手術器具の操作を誤って,Dの
心臓の血管を傷つけたものであり,これにより,Dは,大量出血となり死亡したの
であるから,被告は,Dの死亡について,不法行為責任(使用者責任)を負う。
   (被告の主張)
    原告らの主張は争う。
    本件第1回手術では,手技上の過失はなく,Dの出血量もごく少量であった。
    したがって,被告は,Dの死亡について,不法行為責任(使用者責任)を負わな
い。
  (3) 右大腿動脈閉塞の発見義務違反による不法行為(原告らの予備的主張の2)の
成否
   (原告らの主張)
    F医師らは,以下の事実からすれば,遅くとも3月16日午前11時10分までに,D
の右大腿動脈閉塞を発見して,手術をするなど適切な処置をすべきであったの
に,これを怠ったため,Dを死亡させた。
   ア 人工弁置換術後の動脈塞栓についての注意
     動脈塞栓は,人工弁置換術後の合併症として発生することが多く(甲B4・4
頁),また,IABPは,大腿部から挿入するため,その部位の動脈硬化が高度
であったり,挿入部より末梢の下肢に動脈の狭窄が存在すると,下肢の動脈
阻血や壊死を起こしてくる可能性があるので,人工弁置換術後の大動脈塞栓
には十分な注意が必要である。
   イ 本件における経過等
    (ア) Dについては,3月14日午後8時55分,本件第2回手術後帰室した時点で
は,ドップラーにより,足背動脈の血流が確認されており,下肢の阻血につ
いては,問題はなく,翌15日にも,足背動脈を手で触知でき,下肢の血流
には問題はなかった。
    (イ) しかし,同月16日午前4時の時点で,右足が既に冷たくなっており,本件第
2回手術後,同日午前11時10分に帰室した時点では,右足背動脈を触知
できなくなっており,同月17日午前0時10分には,右下肢に対する本件第
3回手術が行われた(乙A4・312頁から324頁まで)。
    (ウ) また,F医師は,原告Aに対し,同月16日午前9時30分ころ,「右膝から下
の体温が下がっている。」と話し,同日午後5時ころ,本件第2回手術につ
いて説明した際,「術後から右足の脈動がなくなり,脈動は膝までしか出て
いない。」などと話した。
   ウ 以上からすれば,Dについては同日午前4時ころまでに,右大腿動脈閉塞を発
症していたと考えられるところ,F医師らは,同日午前11時10分に右足背動
脈を触知できなかったのであるから,遅くとも,同時点には右大腿動脈閉塞を
発見し,手術等適切な処置をすべきであった。
    したがって,被告は,Dの死亡について,不法行為責任(使用者責任)を負う。
   (被告の主張)
    原告らの主張は争う。
    Dについては,以下の事実からすれば,3月16日午前11時10分の時点では,
右大腿動脈閉塞は発生しておらず,前記(1)(被告の主張)記載のとおり,その後
に,著しいスパスムによる右大腿動脈閉塞を生じたものである。
    なお,被告病院においては,本件第1回手術後,一貫して,Dについて,下肢の冷
感,チアノーゼの有無を確認し,随時ドップラーにより足背,膝窩動脈等の拍動
を確認しており,Dの大動脈閉塞の発症に対する監視は十分に行っていた。
    また,DがICUに帰室した時点で右足背動脈の血流を触知できなかったことにつ
いて,F医師らは,血液流量の低下によって生じたと判断したが,この判断は,
以下のとおり相当なものである。
   ア 本件第2回手術前の状況
     Dについては,本件第2回手術直前には,右足背動脈の血流がドップラーにより
確認されていることからすれば,同時点においては,右大腿動脈閉塞は発症
していなかった。
   イ 本件第2回手術後の状況
    (ア) 右足背・右膝窩動脈の拍動
      3月16日午前11時10分ICU帰室後,同日午前11時40分の時点では,右
足背動脈の血流は触知できなくなっていたが,ドップラーにより右膝窩動脈
の拍動が聴取されていた。
    (イ) IABP及びPCPSと下肢末梢血流の低下
      IABPを下肢大腿動脈から挿入してパンピングを行う場合,動脈よりも細いカ
テーテルを挿入することにより挿入部から末梢への血流が維持されるが,
動脈が細くなったり,流量が十分に出せないなどの理由で,カテーテルと動
脈の隙間から下肢への血流が不足すると,下肢の阻血を生じるとされてい
る(乙B7)。
    (ウ) 本件第2回手術後のDの状態についての判断
      前記(イ)のとおりIABP等を使用した場合,血液の流量が十分に出せないこと
により,末梢血流の低下が生じるところ,3月16日午前4時の段階で突然
の血圧低下があり,同日午前11時10分にも血圧が60から70程度で心
機能が低下している状態であったこと,前記(ア)のとおり,右膝窩動脈の拍
動が聴取されており,同部位より中枢側においては血流が確保されている
ことが確認されていることなどからすれば,DがICUに帰室した時点で右足
背動脈の血流を触知できなかったことについて,血液流量の低下によっ
て,右膝窩部より末梢側に虚血が生じたと判断したことは,相当である。
    したがって,被告は,Dの死亡について,不法行為責任(使用者責任)を負わな
い。
  (4) 損害
   (原告らの主張)
   ア(ア) Dの損害
      Dは,F医師らの前記(1),(2)または(3)の不法行為(以下「本件不法行為」とい
う。)により,次のとおり合計5804万6500円の損害を被った。
     a 葬儀費用                   150万円
     b 逸失利益
      (a) 主婦分              2300万3464円
        Dは主婦であったところ,その逸失利益(主婦分)については,基礎収入に
ついては,賃金センサス平成12年女性労働者学歴計全年齢平均収
入349万8200円とし,生活費控除率を30パーセント,死亡時の年
齢が55歳であったことから就労可能年数13年(ライプニッツ係数9.
394)として計算し,2300万3464円(1円未満切り上げ)が相当であ
る。
      (b) 年金分               334万1889円
        Dには,本件不法行為がなければ,65歳から平均余命である84歳まで1
9年間毎年64万3500円の年金収入があったと考えられるので,そ
の逸失利益(年金分)については,生活費控除率30パーセントとし
て,ライプニッツ係数(7.419)を用いて計算し,334万1889円(1円
未満切り上げ)が相当である。
      (c) 被爆者手当分            620万1148円
        Dは,死亡するまで,被爆者手当として月額3万4130円を受領していたと
ころ,本件不法行為がなければ平均余命である84歳まで受領できた
と考えられるので,その逸失利益(被爆者手当分)については,ライプ
ニッツ係数(15.141)を用いて計算し,620万1148円(1円未満切
り上げ)が相当である。
     c 死亡慰謝料                 2400万円
    (イ) 相続
      原告らは,Dの死亡により,Dの被告に対する前記(ア)の損害賠償請求権を,
原告Aが2分の1,同B及び同Cがそれぞれ4分の1の割合で相続した。
   イ 原告ら固有の慰謝料
     原告らに対する固有の慰謝料については,各々100万円が相当である。
   ウ 弁護士費用
     原告らは,原告ら訴訟代理人弁護士らに対し,本件訴訟の追行を委任したが,
その弁護士費用に相当する損害としては,原告Aについては300万円,同B
及び同Cについてはそれぞれ150万円が相当である。
   エ よって,原告らは,被告に対し,不法行為(使用者責任)に基づき,損害金(原
告Aについては3302万3250円,原告B及び原告Cについては各々1701
万1625円)及びこれらに対する不法行為の日(Dが死亡した日)である平成
13年3月19日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害
金の支払を求める。
   (被告の主張)
    原告らの主張は争う。
第3 判断
 1 認定事実
   前記前提事実,証拠(各認定事実の後に掲げる。)及び弁論の全趣旨によれば,D
の被告病院における診療経過に関して,以下の各事実が認められる。
  (1) 入院に至る経緯
   ア Dは,40歳ころから高血圧を患い,さらに48歳ころから僧帽弁不全,不整脈を
患っており,その治療のために,広島市所在のG胃腸科に通院していたが,
横浜市青葉区に転居したことに伴い,平成11年4月6日以降は,被告病院内
科に通院するようになった(前記前提事実)。
   イ 被告病院内科に通院していた当時のDは,軽作業をすると動悸,息切れがあ
り,平成11年6月8日に行われた心臓超音波検査では,強度(大動脈左室圧
較差96mmHg)の大動脈弁狭窄症と軽度から中等度の僧帽弁閉鎖不全症
が認められた(前記前提事実)。
   ウ 被告病院内科では,Dが,平成12年6月12日の診察の際に,動悸,ふらつき
を訴え,また,同年11月22日の診察の際に,就眠時の動悸を訴えたことか
ら,Dの大動脈弁狭窄症評価目的の入院を予定していた(乙A1・25頁,27
頁,乙A7,原告A本人)。
   エ Dは,2月23日,就寝しようとしたところに動悸が現れ,冷汗,呼吸回数上昇,
失禁,失便,約10分間にわたる意識消失といった症状を呈したことから,原
告Aに連れられて,被告病院内科の救急外来に来院した(前記前提事実,甲
A4,A9,乙A1・28頁,A7)。
     Dは,被告病院内科の救急外来で診察を受けたときには,既に上記症状を消失
していたが,大動脈弁狭窄症の精査のために,2月27日に被告病院循環器
内科に入院することになった(前記前提事実,乙A1・28頁,A7)。
   オ そして,Dは,2月27日,被告病院循環器内科に入院した(前記前提事実)。
  (2) 本件第1回手術に至る経緯
   ア 3月2日,Dは,心臓カテーテル検査を受け,大動脈左室圧較差104mmHg,
大動脈弁口面積0.5平方センチメートルの重症大動脈弁狭窄症と診断され
た(診療経過一覧表,乙A2・18頁,33頁,A7)。
   イ この検査結果を受けて,3月6日,Dは被告病院胸部外科で診察を受け,3月2
8日に本件第1回手術を受けることが予定された(診療経過一覧表,乙A2・1
9頁,A7)。
     3月7日には,本件第1回手術の施術予定日が,3月22日に変更された(乙A
2・25頁,A7)。
     3月12日には,本件第1回手術のための術前検査がすべて終了し,また,本件
第1回手術の施術予定日が,3月14日に変更された(診療経過一覧表,乙A
2・30頁,A7)。
   ウ なお,Dは,本件第1回手術以降のために,自己血を1200ミリリットル(400ミ
リリットルずつ3回)貯血することが予定されていたが,実際に貯血できたの
は,3月8日に貯血した400ミリリットルのみであった(乙A2・18頁,25頁。3
月13日にも貯血が予定されていたが,Dの血圧が低かったため,中止となっ
た(乙A2・30頁)。)。
   エ 3月14日,Dは,本件第1回手術を受けるため,3月14日,被告病院胸部外科
へ転科した(診療経過一覧表)。
  (3) 本件第1回手術(3月14日)
   ア 午前9時,Dに対し,本件第1回手術のための全身麻酔が開始され(乙A4・35
0頁,乙A7),午前10時11分,本件第1回手術が開始された(診療経過一覧
表)。
   イ まず,胸骨正中切開を経て心臓が露出され,大動脈遮断部より末梢側の上行
大動脈に人工心肺の送血カニューレが,上大静脈と下大静脈に人工心肺の
脱血カニューレが接続され,抗凝固薬であるヘパリンの投与が開始された(乙
A4・14頁表面,16頁,A7,証人F)。
   ウ 午前11時27分,人工心肺の作動が開始され,そのころ,右上肺動脈から左房
ベントが挿入された(乙A4・16頁,証人F)。
   エ 午前11時37分,大動脈が遮断され,心筋保護液を左冠動脈口と右冠動脈口
から血流と同じ方向に注入(順行性心筋保護液注入法)するとともに,冠静脈
洞から血流と逆方向にも心筋保護液が注入(逆行性心筋保護液注入法)され
た(診療経過一覧表,乙A4・14頁表面,16頁,A7,証人F)。
     F医師らが,このように順行性心筋保護液注入法に加えて,逆行性心筋保護液
注入法を併用したのは,順行性心筋保護液注入法のみでは,心筋保護液の
投与が間欠的になってしまい,心筋が虚血状態にさらされてしまうところ,逆
行性心筋保護液注入法では,心筋保護液を持続的に投与できるため,空気
がたまりにくくなることから,空気塞栓の予防効果があると考えてのことであっ
た(乙A7,証人F)。
   オ 午前11時44分,心停止が確認され,大動脈弁の置換が開始された(診療経
過一覧表,乙A4・16頁,A7)。
     この際,術野に血液が流れ込まないように,左房ベントから血液の吸入が行わ
れた(証人F)。
   カ 午後1時,大動脈弁の縫着が終了した(診療経過一覧表)。
   キ そして,午後1時15分,大動脈切開部の閉鎖が開始された(診療経過一覧
表)。
     F医師らは,左房ベントによる血液の吸入を中断して,血液が左房から左室,大
動脈へと少しずつ満たされていくようにし,大動脈切開部の閉鎖を行った(診
療経過一覧表,乙A7,証人F)。
     大動脈切開部の閉鎖がほぼ終了した段階で,大動脈の空気抜きのために大動
脈ベントが挿入され,大動脈ベントから血液を吸入しつつ,脳に空気が流れな
いように,頭低位とされた(診療経過一覧表,乙A7,証人F)。
     午後1時30分,大動脈切開部から血液が溢れるようにしながら,大動脈切開部
の閉鎖が終了した(診療経過一覧表,乙A7,証人F)。
   ク 大動脈切開部閉鎖後,左房ベントと大動脈ベントを用いて空気抜きを行いなが
ら,大動脈の遮断が解除された(診療経過一覧表,乙A7,証人F)。
     午後1時31分には,自拍動が再開したが,右室の収縮が弱い状態であった(診
療経過一覧表,乙A4・16頁,A7,証人F)。
     このころ,F医師は,右冠動脈の枝(右室枝)に移動速度の遅い泡粒が1,2個
あることを視認した(診療経過一覧表,乙A7,証人F)。
     自拍動が再開した後も,経食道エコーによって心臓内の空気の抜け具合を随時
確認しつつ,左房ベントと大動脈ベントによる空気抜きや,ベッドを左右に振っ
たり,肺を膨らませたり,左心を圧迫するなどによる空気抜きが行われた(診
療経過一覧表,乙A7,証人F)。
   ケ 右室の収縮が弱い状態であったことから,午後1時36分に心室ペーシング(心
拍動を補助するための電気刺激)が行われ,また,昇圧剤(ノルアド,ボスミ
ン,イソプロ等),冠拡張剤(ニトロ等)が投与されたが,心臓の回復は得られ
ず,人工心肺を離脱できる状態には至らなかった(診療経過一覧表,乙A4・1
6頁,A7,証人F)。
     そこで,午後3時30分,右大腿動脈からIABPのバルーンカテーテルが挿入さ
れた(診療経過一覧表,乙A4・16頁,A7,A8,証人F)。
     IABPは,大腿動脈等からバルーンカテーテルを挿入して,その先端を下大動
脈に留置する補助循環方法であり,心臓が拡張する時期にバルーンを膨らま
せて,冠動脈への血流を増やす効果と,心臓が収縮する直前にバルーンを急
激に萎ませて,心臓からの血液の流出を容易にする効果がある(専門用語
表,甲B2,B7)。
   コ しかし,午後6時30分ころになっても心臓の回復が得られなかったため,IABP
を用いていても人工心肺の離脱は困難であると判断し,午後6時37分,本件
第1回手術に用いられた人工心肺からPCPS(左大腿動脈に送血カニューレ
が挿入され,左大腿静脈に脱血カニューレが挿入された。)への移行が行わ
れた(診療経過一覧表,乙A4・17頁,A7,A8,証人F)。
     PCPSは,超小型人工肺と血液ポンプ等から構成される経皮的心肺補助装置
である(専門用語表,乙B6)。
   サ 午後8時21分,閉胸が行われ,本件第1回手術は終了した(乙A4・350頁)。
   シ なお,本件第1回手術中の出血量は,295ミリリットルであった(診療経過一覧
表,乙A4・350頁,A7,証人F)。
  (4) 本件第2回手術に至る経緯
   ア Dは,3月14日午後9時にICUに移された(診療経過一覧表,乙A7)。
     ICUに入室したころのDの血圧は,80/50mmHgであり,ドレーン出血量(総
量)は,450ミリリットルであった(診療経過一覧表,証人F)。
     同日午後9時35分には,Dのドレーン出血量(総量)は,1130ミリリットルであ
った(乙A4・313頁,証人F)。
   イ 3月15日午前1時ころから,Dの血圧の上昇と循環動態の改善が確認され,ド
レーン出血量も減少するようになり,同日午前8時の時点では,Dの血圧は概
ね144/55mmHg,直前1時間のドレーン出血量は約100ミリリットルであ
った(診療経過一覧表,乙A4・30頁裏面,316頁,A7)。
   ウ その後もDの血圧の上昇と循環動態の改善が確認され,同日午後2時には,P
CPSの離脱を試みたところ,収縮期血圧が150mmHgを超えるまでに上昇
していることも確認された(診療経過一覧表,乙A4・31頁表面,A7,証人
F)。
     そこで,同日午後3時,PCPSの抜去が開始され,同日午後4時には,PCPSが
抜去され,PCPS挿入部である左大腿動脈,左大腿静脈の修復も終了した
(診療経過一覧表,乙A4・31頁表面,A7,A8)。
     PCPS抜去後も,Dの血圧は,120mmHgを超える値を維持していた(乙A4・3
15頁,318頁,証人F)。
   エ しかし,3月16日午前4時,突然にDの血圧が低下し,その値は48/24mm
Hgにまで落ち込んだ(診療経過一覧表,乙A4・318頁,A7,証人F)。
     同日午前4時47分には,高カリウム血症と軽度アシドーシスが認められ,投薬
治療が開始されたが,同日午前5時34分になっても,高カリウム血症の改善
が見られなかった(診療経過一覧表,乙A4・32頁表面,A7)。
     F医師らは,Dのこのような症状を見て,心タンポナーデから急性心不全となり,
さらに急性腎不全を発症したことを疑い,Dに対し,本件第2回手術を行う必
要があると判断した(診療経過一覧表,乙A4・32頁表面,A7)。
   オ なお,本件第2回手術前の時点では,右足背動脈の拍動はドップラーによって
聴取されていた(乙A4・319頁,証人F)。
  (5) 本件第2回手術(3月16日)
   ア 午前7時15分,Dに対して本件第2回手術が開始された(診療経過一覧表,乙
A4・354頁)。
   イ 本件第1回手術の際の切開部から開胸したところ,心膜内には,心タンポナー
デの原因となるような血腫は存在しないことが確認された(診療経過一覧表,
乙A4・21頁表面,A7,証人F)。
   ウ 本件第2回手術によっても血圧の上昇が得られなかったことから,再度PCPS
を装着し,また,カリウム除去のために,透析用カテーテルが挿入された(診
療経過一覧表,乙A4・21頁,A7,A8)。
   エ 午前10時20分,本件第2回手術は終了した(診療経過一覧表,乙A4・354
頁)。
  (6) 本件第3回手術に至る経緯
   ア Dは,3月16日午前11時10分にICUに帰室したが,そのときには,右足背動
脈の拍動は触知されなくなっていたが,右膝窩動脈の拍動はドップラーで聴
取されていた(診療経過一覧表,甲A4,A9,乙A4・24頁表面,319頁,A
7,証人F)。
   イ しかし,同日午後10時には,Dの右下肢に腫脹がみられ,右膝窩動脈の拍動
が極めて微弱若しくは聴取不能という状態になった(診療経過一覧表,乙A4・
24頁表面,34頁裏面,A7,証人F)。
     そこで,F医師は,右大腿動脈のIABP挿入部に血栓が形成されて動脈閉塞が
発症していることを疑い,血栓除去のために本件第3回手術を行うこととした
(診療経過一覧表,乙A4・34頁裏面,A7,証人F)。
  (7) 本件第3回手術(3月17日)
   ア 午前零時10分,Dに対して本件第3回手術が開始された(診療経過一覧表,乙
A4・355頁)。
   イ 本件第3回手術においては,Dの右大腿動脈には血栓は認められなかったが,
IABP挿入部のシースと右大腿動脈がぴったりと張り付いていて,右大腿動脈
の血流が途絶している状態が確認された(乙A4・24頁,A7,証人F)。
     F医師は,シースと右大腿動脈とがぴったりと張り付いていた原因が,シースの
曲がりにあるのではないかと疑い,シースを外してみたが,シースに曲がりは
見られなかった(乙A4・24頁表面,A7,証人F)。
   ウ F医師は,右大腿動脈の血流を回復するために,右大腿動脈からIABPを抜去
し,左大腿動脈に人工血管を立ててからシースなしでIABPを挿入し,また,
右大腿動脈に人工血管を立ててPCPSの送血カニューレを挿入した(診療経
過一覧表,乙A4・24頁,A7,A8,証人F)。
   エ 午前2時40分,本件第3回手術は終了した(診療経過一覧表,乙A4・355
頁)。
     本件第3回手術後,右足背動脈の拍動は触知されなかったが,右膝窩動脈の
拍動はドップラーによって聴取されるようになった(乙A4・24頁裏面,327
頁,A7)。
  (8) 死亡に至る経緯
   ア その後,Dの右下肢末梢にチアノーゼが認められたため,3月17日午前10時
から,右下肢の血流の改善を図るため,本件第4回手術が行われた(診療経
過一覧表,乙A4・25頁表面,35頁,A7)。
   イ 本件第4回手術の結果,Dの右下肢末梢のチアノーゼは足底にまで軽減し,右
後脛骨動脈の拍動がドップラーで確認されるようになった(診療経過一覧表,
乙A4・25頁表面,35頁,A7)。
   ウ しかし,第4回手術後,Dの下肢筋肉崩壊物質の再潅流を窺わせる症状が現
れ,3月18日には,右下肢の腫脹に加え,左下肢の虚血も認められるように
なり,左下肢の血流を保つためにIABPが抜去されたものの,下肢の筋組織
の崩壊や横紋筋の融解が生じるなどして多臓器不全を発症し,3月19日午
後8時24分,Dは死亡した(診療経過一覧表,甲A1,乙A4・37頁裏面,38
頁表面,A7)。
 2 争点(1)(空気抜きが不十分であった過失による不法行為(原告らの主位的主張)の
成否)について
   原告らは,本件第1回手術の際,Dの大動脈の遮断を解除させる前に,被告病院
が心臓内の空気抜きを十分に行わなかったために,心臓内に残存していた空気が
大動脈遮断解除時に冠動脈へ流れ,それにより右冠動脈が閉塞されて急性心筋
梗塞が発症し,Dが死亡に至ったと主張するので,これについて検討する。
  (1) 本件第1回手術後に生じた心不全の原因について
   ア 前記のとおり,Dは,本件第1回手術の際,午後1時31分に自拍動が再開した
ものの,右室の収縮が弱い状態が続き,その後もIABPを離脱することができ
ないままであったことが認められる。
     したがって,Dの心臓は,本件第1回手術の際,何らかの原因によって心不全
(以下「本件心不全」という。)に陥ったものと認められる。
   イ 本件心不全の原因について,F医師らは,当初,右冠動脈に空気塞栓が生じた
ためではないかと考え(乙A4号証には,「原因としては右室梗塞(air emboli
(空気塞栓))が考えやすい。」(4頁),「右室の動き悪く,air emboli(空気塞
栓)によるものと思われる」(14頁表面),「術中,RCA air emboli(右冠動
脈空気塞栓)によるものと思われる心不全(右心不全)を発生し」(21頁)等の
記載がある。),原告らに対しても,その趣旨の説明をしていた(甲A4,A5,
乙A4・39頁裏面,A7,証人F,原告A本人)。
   ウ しかし,本件第3回手術において,シースと右大腿動脈がぴったりと張り付いて
いて,右大腿動脈の血流が途絶している状態が確認され,しかも,その原因
がシースの曲がりにあるのではなく,強いスパスムを起こしたためであること
が確認されたこと(前記認定事実,証人F)や,左大腿動脈においても虚血を
生じたが,その原因もスパスムを起こしたためと考えられたこと(前記認定事
実,証人F)から,Dの死亡後2,3箇月経過した後に開かれた循環器内科と
胸部外科との合同カンファレンスにおいて,循環器内科の医師から,本件心
不全の原因についても,右冠動脈にスパスムが起こったと考える方が理解し
やすいのではないかとの意見が出て,F医師らもこの意見のとおりではないか
と考えるようになった(乙A7,証人F)。
   エ 手術の際に起きる冠動脈のスパスムについては,麻酔や手術侵襲に伴って生
じる自律神経系の不均衡や,使用される血管作動薬の冠動脈に与える直接
作用などが関与して起きる可能性があるとされている(乙B8)が,はっきりと
その機序が解明されているわけではないし,まれにしか発生しないものでもあ
る(乙A7,B8)。そして,機序については,冠れん縮性狭心症患者に対する
調査結果から,遺伝的因子がスパスムの発生機序に関わっていることが明ら
かになったという報告もある(乙B8)。
     したがって,第1回手術後にF医師らが本件心不全の原因として,空気塞栓しか
思い付かず,スパスムは念頭になかったとしても,不自然とはいえない。
   オ なお,本件第1回手術の際,F医師は,大動脈遮断解除後に,右冠動脈の枝
(右室枝)に移動速度の遅い小さな空気の泡粒が1,2個あることを視認して
いる(前記認定事実,証人F)が,乙B3号証には,「心拍動が再開し血液の駆
出が始まる前に,上記の空気抜きを2~3度繰り返し行うこともある。その場
合,食道心エコーで気泡バブルが心腔内にほぼ認められなくなるまで十分な
空気抜きを行う。」(85頁)と記載されており,大動脈遮断解除前に100パー
セントすべての空気を抜くことまでが要求されているわけではないと認められ
るし,小さな空気の泡粒によって空気塞栓が生じると認めることもできない(証
人F)。普通なら見えないはずの小さな空気の泡粒が見えたのは,右冠動脈
の血流が遅くなっていたためと認められる(証人F)が,その原因が,空気塞栓
によるのかスパスムによるのかが問題である。
   カ そして,スパスムについては,右大腿動脈のスパスムは確認されているが,右
冠動脈のスパスムは確認されているわけではないし,右大腿動脈にスパスム
が起きたことは,右冠動脈にもスパスムが起きた可能性があることを示すもの
であるとしても,どの程度関連性が高いのか(Dはどの血管であろうと,スパス
ムを起こしやすい状態にあったと考えてよいのか)は明らかではない。
     しかし,空気塞栓についても,その存在が確認されているわけではなく,F医師
らが行った空気抜きの方法は,さきに認定したとおりであり(前記認定事実),
その方法が不適切なものであったことを窺わせる証拠は存在しない。また,F
医師は,空気塞栓が生じることはまれであるし,仮に空気塞栓が生じても,一
般には,人工心肺を起動させたり,昇圧剤や冠拡張剤の投与をしたりしてい
れば,空気が血液に溶けて流れ出し,空気塞栓が解消されるとも供述してお
り(証人F),この供述内容に抵触する証拠も存しない。
   キ 以上によれば,本件心不全の原因は右冠動脈に空気塞栓が生じたためである
可能性をまったく否定することはできないが,スパスムである可能性も否定で
きず,本件心不全の原因を空気塞栓であると認定することはできない。
  (2) 原告らは,右冠動脈に空気塞栓が生じたことを前提に,F医師らに空気抜きが不
十分であった過失があると主張するが,以上のとおり,この前提が認められない
ので,原告らの主位的主張は,その余の点について判断するまでもなく理由が
ない。
 3 争点(2)(手技上の過失による不法行為(原告らの予備的主張の1)の成否)につい

   原告らは,本件第1回手術の際,F医師らが,メス等の手術器具の操作を誤ってD
の心臓の血管を傷つけ,大量出血を招き,そのためにDは死亡したと主張する。
   そして,確かに,本件第1回手術(3月14日午後8時21分閉胸)後,同日午後9時
35分までのドレーンからの総出血量が1130ミリリットルとかなり多かったことは認
められる(前記認定事実,証人F)が,さきに認定したとおり,その後,翌3月15日
午前1時ころから血圧の上昇と循環動態の改善が確認され,ドレーンからの出血
量は減少していき,同日午後4時にはPCPSが抜去され,PCPS抜去後も血圧(収
縮期)は120mmHgを超える値を維持していたところ,翌16日午前4時になって
突然に血圧が低下したものであり,しかも,本件第2回手術によって心タンポナー
デの原因となるような血腫は存在しないことが確認された(前記認定事実)のであ
るから,本件第1回手術の後の出血がDの死亡の原因となったと認めることはでき
ないし,F医師らが手技上の過失によってDの心臓の血管を傷つけ,大量出血を招
いたと認めることもできない。
   したがって,原告らの予備的主張の1は,その余の点について判断するまでもなく
理由がない。
 4 争点(3)(右大腿動脈閉塞の発見義務違反による不法行為(原告らの予備的主張
の2)の成否)について
   原告らは,F医師らは,遅くとも3月16日午前11時10分までに,Dの右大腿動脈
閉塞を発見して,手術をするなど適切な処置をすべきであったのにこれをしなかっ
たためにDは死亡したと主張する。
   しかし,さきに認定したとおり,本件第3回手術において,右大腿動脈には血栓は
認められず,強いスパスムによってIABP挿入部のシースと右大腿動脈がぴったり
と張り付き,右大腿動脈の血流が途絶している状態が確認され,その後,右下肢
の血流の改善を図るために行われた本件第4回手術後も,右下肢の腫脹に加え,
スパスムによって生じた考えられる左下肢の虚血が認められるようになり,最終的
には,下肢の筋組織の崩壊や横紋筋の融解が生じるなどして,Dの死亡という結
果が生じたものであり(前記認定事実,証人F),このようなスパスムの発生状況か
ら判断すると,仮に原告らが主張するように3月16日午前11時10分の時点で第
3回手術を実施していたとしても,Dの死亡という結果は回避できなかった可能性
が高い(証人F)し,さきに認定したとおり,3月16日午前11時10分の時点では,
右足背動脈の拍動は触知されなくなっていたが,右膝窩動脈の拍動はドップラーで
聴取されていたところ,同日午後10時になって右膝窩動脈の拍動が極めて微弱若
しくは聴取不能という状態になったのであるから,午前11時10分の時点で本件第
3回手術を実施しなかったことをもってF医師らに過失があると認めることもできな
い。
   したがって,原告らの予備的主張の2は,その余の点について判断するまでもなく
理由がない。
 5 結論
   よって,原告らの請求はいずれも理由がないから,これを棄却することとし,主文の
とおり判決する。 
         東京地方裁判所民事第30部
             裁判長裁判官  福田剛久
                 裁判官  川嶋知正
         裁判官新谷晋司は,転任のため署名押印することができない。
              裁判長裁判官  福田剛久

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