弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     本件各上告を棄却する。
         理    由
 被告人Aの上告趣意について。
 論旨は事実誤認、単なる訴訟法違反及び量刑不当の主張に帰し、適法な上告理由
にあたらない。
 被告人Bの上告趣意について。
 論旨もまた事実誤認及び量刑不当の主張に帰し、上告適法の理由とならない。
 被告人Aの弁護人天野敬一の上告趣意第一点について。
 論旨は絞首によつて執行される死刑が憲法三六条に違反すると主張するのである
が、その理由なきことは当裁判所の判例(昭和二六年(れ)第二五一八号同三〇年
四月六日大法廷判決)に照らして明らかである。
 同第二点は事実誤認の主張、同第三点は量刑不当の主張に帰し、いずれも適法な
上告理由とならない。
 同第四点について。
 原判決はその判文自体でわかるように、死刑にならないなら重罪を犯してもかま
わない、という考え方を、法秩序を無視する思想とし、かかる動機を犯情の一つと
して量刑に参酌したに外ならぬ。所論違憲の主張は原判決の誤解に出たものである
から採用することができない。
 第四点中のその余の論旨は事実誤認の主張であつて適法な上告理由とならない。
 同第五点は事実誤認ないし量刑不当の主張に帰し上告適法の理由とならない。
 同第六点について。
 論旨は、死刑の執行方法について法律の定めがないに拘らず、その方法を特定す
ることなく敢えて絞首刑たる死刑を宣告したことは、憲法三一条、三六条に違反す
ると主張する。
 しかし死刑の執行方法に関する事項を定めた所論明治六年太政官布告六五号は、
同布告の制定後今日に至るまで廃止されまたは失効したと認むべき法的根拠は何ら
存在しない。そして同布告の定めた死刑の執行方法に関する事項のすべてが、旧憲
法下また新憲法下において、法律をもつて規定することを要する所謂法律事項であ
るとはいえないとしても、同布告は、死刑の執行方法に関し重要な事項(例えば、
「凡絞刑ヲ行フニハ……両手ヲ背ニ縛シ……面ヲ掩ヒ……絞架ニ登セ踏板上ニ立シ
メ……絞縄ヲ首領ニ施シ……踏板忽チ開落シテ囚身……空ニ懸ル」等)を定めてお
り、このような事項は、死刑の執行方法の基本的事項であつて、死刑のような重大
な刑の執行方法に関する基本的事項は、旧憲法下においても法律事項に該当すると
解するを相当とし(旧憲法二三条)、その限度においては同布告は旧憲法下におい
て既に法律として遵由の効力を有していたものと解するを相当とする。けだし、旧
憲法前の法令は、その名称の如何を問わず、旧憲法下において法律をもつて定むべ
き事項を定めたものは、法律として遵由の効力を有していたからである。(旧憲法
七六条一項。この理は、同布告自体が旧憲法下において一回も改正される機会がな
かつたことによつても、何ら異なるところはない。)更に新憲法下においても、同
布告に定められたような死刑の執行方法に関する基本的事項は、法律事項に該当す
るものというべきであつて(憲法三一条)、検察官はその答弁書において、右布告
の内容は法律事項ではなく、死刑執行者の執行上の準則を定めたものに過ぎないか
ら、現行法制からみれば法務省令をもつて規定しうるものであるというが、当裁判
所は、かかる見解には賛成できない。将来右布告の中その基本的事項に関する部分
を改廃する場合には、当然法律をもつてなすべきものである。なお、昭和二二年法
律七二号「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」
は、新憲法下において法律をもつて規定することを要するとされている事項を定め
た従前の命令の規定につき、その新憲法下における効力を定めたものであつて、旧
憲法下において既に法律としての効力の認められた法令(例えば本件明治六年太政
官布告六五号のごとく旧憲法七六条により法律として遵由の効力を認められたと解
されるもの、または旧憲法八条による緊急勅令であつて帝国議会の承諾を得たもの
等)については、触れるところはない。それ故、右布告は、右法律によつて昭和二
二年一二月三一日限り効力を失つたものであると解する余地はなく、新憲法下にお
いても、法律と同一の効力を有するものとして存続しているのである。そして、現
行死刑の執行方法が憲法三六条の「残虐な刑罰」に当らないことは、上記論旨第一
点についての説明中に引用した当裁判所の判例の示すとおりであるから、右布告は
新憲法下において、法律と同一の効力を有するものとして有効に存続しているとい
わなければならない(憲法九八条一項)。
 しからば、死刑に関する現行法制としては、刑法一一条、監獄法七一条一項、七
二条、刑訴法四七五条ないし四七八条等の法律の規定があるほか、憲法上法律と同
一の効力を有すると認められる明治六年太政官布告六五号の規定が有効に存在し、
これらの諸規定に基づきなされた本件死刑の宣告は、憲法三一条にいう法律の定め
る手続によつてなされたものであることは明らかである。また、現在の死刑の執行
方法が所論のように右太政官布告の規定どおりに行われていない点があるとしても、
それは右布告で規定した死刑の執行方法の基本的事項に反しているものとは認めら
れず、この一事をもつて憲法三一条に違反するものとはいえない。それ故、右布告
が既に失効したものであることを前提とする憲法三一条、三六条違反の主張は採る
を得ない。
 被告人Bの弁護人伊藤静男の上告趣意について。
 論旨中には、被告人を死刑に処するのは憲法一三条に違反し、また被告人Bと共
犯者Aと量刑を同じくするのは憲法一四条に違反するとの主張がある。しかしこれ
らの論旨はその余の論旨をも含めてすべて結局実質は量刑不当の主張に帰するから
採用することができない。
 被告人Bの弁護人野本俊の上告趣意について。
 論旨第一は、原判決は憲法三八条三項に違反すると主張するが、原判決は被告人
Bの自白を唯一の証拠として同被告人の有罪を認定したのではなく、その自白の真
実性を保障するに足る補強証拠を列挙していること判文上明白であるから論旨は理
由がない。
 論旨第二は事実誤認の主張、同第三は量刑不当の主張であつて、いずれも上告適
法の理由とならない。
 なお記録を調べてみても刑訴四一一条を適用すべき事由は認められない。
 よつて刑訴四一四条、三九六条、一八一条一項但書により主文のとおり判決する。
 この判決は、被告人Aの弁護人天野敬一の上告趣意第六点につき裁判官斎藤悠輔、
同藤田八郎、同奥野健一の補足意見及び裁判官島保、同河村又介、同池田克、同石
坂修一の意見あるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。
 被告人Aの弁護人天野敬一の上告趣意第六点についての裁判官斎藤悠輔の補足意
見は、次のとおりである。
 論旨は、死刑の執行方法については法律の定めがないに拘らず、その方法を特定
することなく敢えて絞首刑たる死刑を宣告したことは、憲法三一条、三六条に違反
すると主張する。
 しかし、原判決は、被告事件につき証明あつたものと認め、刑法二四〇条後段を
適用して所定刑中死刑を選択した上これを言渡したに過ぎないものであること記録
上明白である。そして、刑訴法は、被告事件について犯罪の証明があつたときは刑
訴三三五条所定の要件を示して刑の言渡をしなければならない旨規定するに止り、
所論のごとくその執行方法を特定しなければならないことを規定していない。死刑
の執行方法については、刑法一一条、刑訴法四七五条以下、監獄法七一条、七二条
等において別に規定しており、判決の作成、言渡等の関するところでないこという
までもない。されば、所論は、原判決に何ら影響を及ぼさない刑の執行方法につき
独自の見解を述べるに過ぎないものというべく、上告適法の理由と認め難い。
 弁護人天野敬一の上告趣意第六点に関する裁判官藤田八郎の補足意見は次のとお
りである。
 憲法三六条は「残虐な刑罰は絶対にこれを禁ずる」と規定する。刑法の規定する
死刑は、今日の社会環境、国民感情から見て、一般に、直ちに憲法三六条にいわゆ
る残虐な刑罰に該当するものと云えないことは、つとに当裁判所大法廷判決(昭和
二三年三月一二日大法廷判決―刑集二巻三号一九一頁)の判示するところであるけ
れども、「死刑といえども、他の刑罰の場合におけると同様に、その執行の方法等
がその時代と環境とにおいて、人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認め
られる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬ」ことは、また右大法廷
判決の判示するところである。されば残虐な方法による死刑の執行は憲法の絶対に
禁ずるところであり、残虐な方法による死刑の執行を受けないことは憲法の保障す
る国民の権利というべきであつて、死刑の執行の残虐にわたらないことの担保に関
する事項は、少くとも新憲法上、法律をもつて規定すべきいわゆる法律事項に該当
するものといわなければならない。
 刑法は死刑は絞首して之を執行することを規定している(一一条一項)けれども、
絞首といつても、その方法のいかんによつては残虐にわたるおそれのあることは勿
論であつて、(往年、満州国において行われた絞柱式による絞首刑執行の方法のご
ときは、今日の国民感情から見て、これを「残虐な刑罰」と称してあやまりないで
あろう。)刑法の外、刑訴法、監獄法にも死刑の執行方法に関する規定があるけれ
ども、これら諸規定は未だもつて残虐にわたらないことを担保するものとして十分
であるとは云えない。
 本件において問題となつている太政官布告六五号は、死刑の執行方法に関する精
細な規定であつて、死刑の執行方法が残虐にわたらないことを担保する内容を有す
るものである。そして同布告がいわゆる法律事項に関するものであり、しかも旧憲
法下において法律と同一の効力をもつものとせられたことは多数意見の説くとおり
である。なお、同布告中、絞縄解除の時間に関する点は、当初同布告に二分間と定
められていたのであるが、後、旧監獄則三七条二項により五分間に改められ、さら
にこれを法律に改めたのが現行監獄法七二条である。現行監獄法は明治四一年に制
定施行された法律で、主として自由刑の執行の方法に関するものであるが、当時、
囚人の権利保障に関する事項は命令に委ねるべきでなく、法律をもつて規定せよと
の要望に応えたものであつた。(自由刑執行の方法が法律をもつて規定されたのは、
わが監獄法が世界最初のものであるという。)しかも、同法は死刑執行の方法に関
してはほとんど規定するところなく、七条に「死刑の執行は監獄内の刑場に於て之
を為す」と規定するの外、七二条に前記絞縄解除の時間に関する規定あるのみであ
る。そして、同七二条は太政官布告六五号の二分を五分と改めたものであることは
前叙のごとくであつて、即ち監獄法の右の規定は死刑の執行方法に関し、同布告の
規定を補足するものであり、同布告は監獄法と一体を為して、刑の執行の方法に関
し、行刑法体系を形成していたものというべきであつて、この点から見ても同布告
は旧憲法下において法律と同一の効力をもつものとして取扱われていたことはあき
らかである。従つて昭和二二年法律第七二号一条の適用とは無関係であつて、現在
法律として有効に存続しているものと解すべきことは多数意見の説くとおりである。
(昭和二四年四月六日大法廷判決―刑集三巻四号四五六頁。同三四年七月三日第二
∼小法廷判決―刑集一三巻七号一〇七五頁参照)
 弁護人天野敬一の上告趣意第六点についての裁判官奥野健一の補足意見は次のと
おりである。
 一、死刑(絞首刑)といえどもその執行方法は多種多様であり、絞首の方法如何
では残虐な刑となる可能性がある(例えばかつて満州で行われたという一本の小棒
と一本の縄により首をしめ上げる絞首の執行方法の如きは或は残虐な刑ということ
になろうか)のみならず、苟も生命を奪う方法は基本的人権の最も重要な生命に関
する重大事項であるからその手続は憲法三一条の「法律の定める手続」に該当する
ものであつて、同条は単に判決を言渡すまでの手続のみならず刑罰の執行手続をも
包含するものと解すべきである。そして死刑の執行手続が法律事項であることは新
憲法のみならず、旧憲法の下においても同様であり、広い意味において旧憲法二三
条の「処罰」に包含せられるものと解するから死刑の執行方法の大綱は「法律」に
依つて定められるべきものと考えるのであつて、単に執行官の自由裁量に委ねたり、
行政府の単なる規則に委ねることは許されないところであるというべきである。す
なわち、絞首刑の執行方法に関する刑具の構造、使用方法、被執行者の取扱方法等
の基本的事項は旧憲法の下でも、新憲法の下でも共に法律事項であるといわねばな
らない。
 二、太政官布告六五号は明治三年一二月二日頒布の新律綱領に定められた絞首刑
の執行方法である絞柱式を改め、絞架式とするため、その刑具とその使用方法を図
解し、また、絞縄解除の時間を定めたものであるが、新律綱領および改定律令が明
治一五年旧刑法の施行により廃止されたものと解すべきものとしても、右布告はこ
れに附随して当然に失効することなく旧刑法の死刑(絞首刑)の執行方法を定めた
ものとしてなおその効力を有し、更に旧刑法が廃止され、新刑法が施行された後も
その死刑の執行方法を定めたものとして有効に存続していたものと解すべきことは、
その間同布告を廃止する旨の何らの法令も発せられず、また、これに代わるべき法
令の制定もなかつたことによつても明白である。
 三、元来太政官布告は法令の形式からいえば法律、命令等あらゆる形式の法令に
該当するものを含み、実質的内容からいえば法律事項であるものと法律事項でない
ものとを含むものであるから、単に形式からいつて太政官布告六五号が法律として
効力を有するのであるか、法律以外の法令として効力を有するものであるかは必ず
しも明白でないのであるが、前記布告の内容が生命を剥奪する絞首刑の執行方法で
あつて基本的人権に重大な関係を有する事項を規定したものであるから、その名称
の如何を問わず旧憲法下においても法律を以つて定むべき事項を定めたものである
と解すべきことは前記のとおりであり、従つて旧憲法七六条一項により法律として
遵由の効力を有していたものと解すべく、また、新憲法の下においても、右布告六
五号の内容は憲法の条規に反しないものであり、同法九八条により法律として効力
を有しているものと解すべきであるから、昭和二二年法律七二号一条の適用を受け
ないものというべきである。従つて右布告は現に法律と同一の効力を有するものと
して有効に存続しているものと解する。
 四、現に行われている地下絞架式の執行方法は前記布告六五号の図解するところ
に比し、むしろ被執行者の精神的苦痛を軽減し、執行の公開主義から密行主義への
推移に沿う合理性を備えているものであつて、右布告六五号に準拠していないとは
言いえない。
 果して然らば、死刑(絞首刑)の執行方法について現に何ら法律の定がないから
憲法三一条、三六条に違反するとの論旨は理由がない。
 弁護人天野敬一の上告趣意第六点についての裁判官島保の意見は次のとおりであ
る。
 死刑の執行は、適正に行われ不当に人権を害することのないよう、その手続は、
法律によつて定められなければならないことはいうまでもない。ところでわが法律
によれば、死刑の執行は監獄内の刑場において絞首によつて行われ(刑法一一条、
監獄法七一条)その執行は法務大臣の命令がなければ行われず、その執行には検察
官、検察事務官及び監獄の長又はその代理者が立ち会い、死刑の執行に立ち会つた
検察事務官は執行始末書を作り検察官及び監獄の長又はその代理者とともにこれに
署名押印しなければならず(刑訴四七五条、四七七条、四七八条)、死刑の言渡を
受けた者の心身の状態によつては法務大巨の命令によつてその執行を停止すべきこ
とが定められており(刑訴四七九条)、その手続が残虐であつてはならないことは
憲法三六条の保障するところである。以上のように法律によつて死刑執行の手続の
基本的事項が定められており憲法によつて保障されている以上、憲法三一条の要請
は満たされているものと解すべきであるから、死刑執行手続の細部を定めた明治六
年太政官布告六五号が今日においても法律としての効力を有するか否かを問うまで
もなく所論のような憲法三一条、三六条の違反は存しないものというべきである。
 弁護人天野敬一の上告趣意第六点についての裁判官河村又介の意見は次のとおり
である。
 憲法三一条の違反を主張する論旨は採用し難いとする点において、私は多数説と
結論を同じくするけれども、その理由については見解を異にし、島裁判官及び池田
裁判官と大体において同じ意見である。すなわち死刑の執行方法については、現行
の刑法、刑訴法、監獄法等における諸規定をもつて、憲法三一条の要請は充たされ
ており、それ以上の細目は法律によつて定めることを必要としないものと信ずる。
従つて明治六年太政官布告六五号の規定は、本来法律を以て規定することを要する
法律事項を規定したものとは考えない。多数説は、それが法律事項を規定したもの
であつて、明治憲法下において法律として遵由の効力を有するものとされていたの
であるから、昭和二二年法律七二号にかかわりなく現に法律と同一の効力を有する
ものとして存続している、というが、私はかかる見解には承服しかねる。
  私の信ずるところによれば、明治六年太政官布告六五号に規定するような死刑
執行方法の細目は、明治憲法下において法律事項とは認められていなかつたもので
あり、従つて右の布告は命令として効力を有していたものであつた。そしてそれは
新憲法においても法律事項とされたものではないから、右の布告は昭和二二年法律
七二号にかかわりなく命令としての効力が存続するものと認めるべきである。若し
右の布告が多数説のいうように法律事項を規定したものであるとするならば、右の
法律七二号一条の文理から考えても、その立法精神に照らしてみても、同法律によ
つて昭和二二年一二月三一日限り失効したものと解するの外なく、論旨は理由ある
に帰するであらう。
  なお藤田裁判官の補足意見においては、右太政官布告中、絞縄解除時間を二分
間とした規定が、監獄法によつて五分間と改められたことをもつて、右の布告が法
律と同一に取扱われていたと認める一つの理由とされているが、右の意見中にも述
べられてあるとおり、この改正は、最初明治二二年勅令九三号をもつて改正された
監獄則三七条二項によつてなされたものである。明治二二年は明治憲法施行前であ
つて、国会の議決を経たか否かによつて法律と命令との区別をすることはできなか
つたけれども、近く憲法が施行されることを予想し、憲法上国会の議決を必要とす
る事項の規定には、「法律」という名称がつけられた時期である。そのような時期
に、法律でなくて勅令たる監獄則をもつて所論の改正がなされたことは、むしろそ
れが立法事項でないと認められていたことの証左となるものではなかうか。問題は、
その事項に関する法規の制定改廃に憲法が国会の議決を必要条件としているか否か
であつて、国会の議決を経ることが妥当か否かにあるのではない。国会の議決を経
ることが政策上どんなに望ましいことであろうとも、それを憲法が法規成立の必須
条件として要請しているのでない限り法律事項ではないことを銘記すべきである。
 弁護人天野敬一の上告趣意第六点についての裁判官池田克の意見は次のとおりで
ある。
 憲法三一条は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、刑罰を科せられな
い」と規定する。その趣旨が、単に刑罰を科する裁判を言い渡すまでの手続にとど
まらず、刑罰を科する裁判の執行についても、これを法律事項とすべきものとする
に在ることは、いうをまたないところであり、その必要は、極刑たる死刑の執行に
ついて特にしかりということができる。そして、法律において、その手続が慎重且
つ公正に行われるように、また、就中執行の中心をなす生命を奪う方法が残虐にわ
たることのないように担保されなければならないものと解釈されるのも、右の意味
から理解されるところである。
 しかし、それだからといつて、死刑の言渡を受けた者を死に至らしめる方法を定
めた規定が法律事項としての要件をそなえているかどうかの問題を重視して事を論
ずるに急なるの余り、刑法、刑訴法、監獄法が死刑の言渡を受けた者の処遇並びに
死刑執行に関する重要事項を定めている諸規定を過少評価すべきではなく、これら
一連の諸規定と併せて全体的綜合的に解釈をした上、右に述べた手続の慎重、公正、
残虐にわたらないことの諸点が確保されている限り、右憲法の要請を充足している
ものと解するのを相当とする。
 そこで、この見地に立つて右法律の定める一連の諸規定を通観すると、左記のと
おりである。
 (一)死刑の言渡を受けた者は、その執行に至るまでこれを拘置監に拘置するも
のとして(刑法一一条二項、監獄法一条一項四号)、刑事被告人に準ずるの処遇を
認めている。
 (二)死刑の執行は、特に法務大臣の命令によるものとして(刑訴四七五条一項)、
手続が慎重に行われることを期している。
 (三)法務大巨の執行命令は、判決確定の日から六ケ月以内にこれをしなければ
ならないのであるが、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若
しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対す
る判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しないものとして(刑訴四
七五条二項)、一方においては、不当に長く死の恐怖を与えないための配慮をする
と共に、他方においては、生命を尊重する趣旨を明らかにしている。
 (四)死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態にあるときは、法務大臣の命令に
よつて執行を停止すべきものとし、死刑の言渡を受けた女子が懐胎しているときも
同様であるとして(刑訴四七九条)、一面においては、死刑の執行が単にその者の
社会からの除去を意味するにとどまらず倫理的意義をも内包するものであることを
明らかにすると共に、他面においては、死刑の執行がその者の生命を絶つことによ
つて、やがて出産する罪のない胎児の生命を奪うことまで許容するものでないこと
を明示している。
 (五)死刑の執行は、監獄内の刑場において絞縄を用い絞首して行なうものとし
(刑法一一条一項、監獄法七一条一項、同七二条)、且つ、その執行には、検察官、
検察事務官及び監獄の長又はその代理者が立ち会い、検察事務官は、執行始末書を
作り、検察官及び監獄の長又はその代理者と共にこれに署名押印しなければならな
いものとして(刑訴四七七条一項、同四七八条)、簡潔ではあるが、死刑の言渡を
受けた者の生命を直接に奪う方法が斬殺、銃殺その他の手段と異なる所以の本義を
明規し、且つ、その方法の実施が公正になされることを担保している。
 (六)そして、なお刑場には、検察官又は監獄の長の許可を受けた者でなければ、
入ることができないとして(刑訴四七七条二項)、ヒユウマニズムの立場から死刑
執行が厳に非公開の下に行われるべきものとしている。
 以上の記述を要するに死刑執行に関する現行法律制度としてみると、現行法制に
力強く脈をうつているものは、人権・生命尊重の大趣旨であり、死刑執行の手続が
慎重に公正に行われ、且つ残虐にわたることのないようにするための法的規制が整
えられているということができる。執行の命令者、時期、場所、方法、立会者及び
記録作成等に関する規定は、まさに相互に作用し合つて全体として憲法三一条の要
請を充足しているものというべきであつて、所論の如く、また、多数意見及び補足
意見の如く、明治六年太政官布告六五号が現在法律として有効に存続しているもの
と解すべきか否については、論議を要しないものといわなければならない。論旨は
理由がない。
 なお、「現在わが国の採用している絞首方法が他の方法(斬殺、銃殺、電気殺、
瓦斯殺等)に比して特に人道上残虐であるとする理由は認められない」ことは、す
でに当裁判所大法廷判決(昭和二六年(れ)二五一八号、同三〇年四月六日大法廷
判決―刑集九巻四号六六三頁)の判示するところであることを附記しておく。
 裁判官石坂修一は、池田裁判官の右意見に同調する。
 検察官 村上朝一、同山内繁雄公判出席
  昭和三六年七月一九日
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    横   田   喜 三 郎
            裁判官    島           保
            裁判官    斎   藤   悠   輔
            裁判官    藤   田   八   郎
            裁判官    河   村   又   介
            裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    池   田       克
            裁判官    垂   水   克   己
            裁判官    河   村   大   助
            裁判官    下 飯 坂   潤   夫
            裁判官    奥   野   健   一
            裁判官    高   橋       潔
            裁判官    高   木   常   七
            裁判官    石   坂   修   一

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