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平成26年4月15日判決言渡
平成25年(行ウ)第33号難民不認定処分取消等請求事件
主文
1法務大臣が平成21年8月21日付けで原告に対してした難民の認定
をしない旨の処分を取り消す。
2東京入国管理局長が平成21年9月3日付けで原告に対してした出入
国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしな
い旨の処分は無効であることを確認する。
3東京入国管理局成田空港支局主任審査官が平成21年9月3日付けで
原告に対してした退去強制令書発付処分は無効であることを確認する。
4訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文1項から3項までと同旨
第2事案の概要
本件は,アンゴラ共和国(以下「アンゴラ」という。)の国籍を有する外国人
男性である原告が,出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)61
条の2第1項に基づき難民認定の申請(以下「本件難民認定申請」という。)を
したところ,法務大臣から,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件不認定処
分」という。)を受けるとともに,東京入国管理局長(以下「東京入管局長」と
いう。)から,入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない旨の処
分(以下「本件在特不許可処分」という。)を受け,さらに,東京入国管理局成
田空港支局(以下「成田空港支局」という。)主任審査官から,退去強制令書(以
下「本件退令書」という。)の発付処分(以下「本件退令処分」という。)を受
けたことから,本件不認定処分は原告の難民該当性の判断を誤ってされた違法な
ものであるなどとして,本件不認定処分の取消し並びに本件在特不許可処分及び
本件退令処分の無効確認を求めている事案である。
1関係法令の定め
本件の関係法令の定めは,別紙2関係法令の定め記載のとおりである(別紙
2で定義した略語は,本文においても用いることとする。)。
2前提事実(証拠等を掲げていない事実は,当事者間に争いのない事実である。)
(1)原告の身分関係
原告は,1963年(昭和38年)11月4日,アンゴラにおいて出生し
たアンゴラ国籍を有する外国人男性である。
(2)原告の入国及び在留状況
ア原告は,平成21年7月12日,成田国際空港(以下「成田空港」とい
う。)に到着し,成田空港支局において,渡航目的を「商用」として上陸
許可申請をしたが,同申請に疑義を持った成田空港支局入国審査官が口頭
審理を実施したところ,同入国審査官に対し,入管法18条の2第1項の
規定に基づき,一時庇護のための上陸許可申請(以下「本件許可申請」と
いう。)をした。(乙2,4ないし6)
イ成田空港支局入国審査官は,本件許可申請を不許可とする処分をし,平
成21年7月15日,原告に対し,これを通知するとともに,同日発の航
空便で本邦から出国するように求めたが,原告は,同航空便に搭乗するこ
となく本邦にとどまり,もって本邦に不法上陸するに至った。(乙7,弁
論の全趣旨)
ウ原告は,平成22年8月18日,居住地を「横浜市α×番地1○303」
とする外国人登録法(平成21年法律第79号による廃止前のもの。以下
「外登法」という。)3条1項に基づく新規登録の申請をし,平成22年
10月19日,その旨の登録を受けた。また,原告は,同年11月5日,
居住地を「東京都豊島区β×番9号○104号」とする外登法8条1項に
基づく変更登録を受けた。(乙3)
(3)原告の退去強制手続
ア成田空港支局入国警備官は,平成21年7月15日,原告が入管法24
条2号(不法上陸)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,
成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受け,同収容令書を執行し
て,原告を成田空港支局収容場に収容した上,原告に対し違反調査を実施
し,その結果,同月16日,原告を同号該当容疑者として,成田空港支局
入国審査官に引き渡した。(乙8ないし10)
イ成田空港支局入国審査官は,平成21年7月16日及び同月17日,原
告に対し違反審査を実施し,その結果,原告が入管法24条2号に該当す
る旨の認定をし,原告にその旨通知したところ,原告は,同日,特別審理
官に対し口頭審理の請求をした。(乙11ないし13)
ウ成田空港支局特別審理官は,平成21年7月23日,原告に対し口頭審
理を実施し,その結果,入国審査官による上記イの認定に誤りはない旨判
定し,原告にその旨通知したところ,原告は,同日,法務大臣に対し,入
管法49条1項の規定に基づく異議の申出をした。(乙14ないし16)
エ成田空港支局主任審査官は,平成21年7月31日,原告の収容場所を
入国者収容所東日本入国管理センター(以下「東日本センター」という。)
に変更し,成田空港支局入国警備官は,同日,収容令書を執行して,原告
を東日本センターに収容した。(乙8〔2枚目〕)
オ法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長は,平成21年9月2日,
原告の前記ウの異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」と
いう。)をし,成田空港支局主任審査官に対し,これを通知した。(乙1
7,18)
カ成田空港支局主任審査官は,平成21年9月3日,原告に対し本件裁決
を通知するとともに,アンゴラを送還先とする本件退令処分をし,成田空
港支局入国警備官は,同日,東日本センターにおいて,原告に対し,本件
退令書を示し,これを執行した。(乙19,20)
キ原告は,平成22年7月13日,東日本センター所長から仮放免の許可
を受けて,東日本センターを出所した。(乙20,21)
(4)原告の難民認定手続
ア1回目の難民認定申請(本件難民認定申請)
(ア)原告は,平成21年7月21日,法務大臣に対し本件難民認定申請
をした。(乙22)
(イ)成田空港支局難民調査官は,平成21年7月30日,原告から事情
の聴取(以下「本件事情聴取」という。)をした。(乙23)
(ウ)東京入管局長は,平成21年7月30日,入管法61条の2の4第
1項9号に該当することを理由として,本件難民認定申請に係る原告の
仮滞在を不許可とし,原告にその旨通知した。(乙24)
(エ)法務大臣は,平成21年8月21日,本件難民認定申請について,
難民の認定をしない旨の本件不認定処分をし,東京入管局長は,同年9
月3日,入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない旨の
本件在特不許可処分をし,同日,原告にこれらの各処分を通知したとこ
ろ,原告は,同月4日,法務大臣に対し,本件不認定処分について異議
申立て(以下「本件異議申立て」という。)をした。(乙25ないし2
7)
(オ)東京入国管理局(以下「東京入管」という。)難民調査官は,平成
23年11月15日,原告に対し,原告の口頭意見陳述手続(以下「本
件意見陳述」という。)及び難民審査参与員による審尋(以下「本件審
尋」という。)を実施した。(乙30)
(カ)法務大臣は,平成24年6月29日,本件異議申立てを棄却する旨
の決定をし,同年7月27日,原告にその旨通知した。(乙31)
イ2回目の難民認定申請(乙1)
(ア)原告は,平成24年7月30日,法務大臣に対し,再度,難民認定
申請をした。
(イ)東京入管局長は,平成24年8月22日,上記(ア)の難民認定申請
に係る原告の仮滞在を不許可とし,同日,原告にその旨を通知した。
(ウ)東京入管難民調査官は,平成25年1月22日,原告から事情の聴
取をした。
(エ)法務大臣は,平成25年2月25日,前記(ア)の難民認定申請につ
いて,難民の認定をしない旨の処分をし,東京入管局長は,同月28日,
入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない旨の処分をし,
同年3月19日,原告にこれらの処分を通知した。
(5)本件訴えの提起
原告は,平成25年1月23日,本件訴えを提起した。(顕著な事実)
3争点
(1)本件不認定処分の違法性(原告の難民該当性)
(2)本件在特不許可処分の無効事由の有無
(3)本件退令処分の無効事由の有無
4争点に関する当事者の主張
(1)争点(1)(本件不認定処分の違法性)について
(原告の主張)
ア難民の意義等
(ア)難民の要件の解釈や難民該当性に関する判断に当たっては,国連難
民高等弁務官事務所(以下「UNHCR」という。)が公表している「難
民認定基準ハンドブック」(以下「ハンドブック」という。)やガイド
ラインを解釈上の重要な指針として取り扱うべきである。
(イ)難民条約1条にいう「迫害」については,生命又は身体の自由の侵
害又は抑圧と狭義にのみ解するのは相当でなく,その他の自由権や社会
権が侵害され,出身国における生活が耐え難い状況をもたらす場合をも
含むものというべきである。
また,同条にいう「十分に理由のある恐怖」の判断に当たっては,主
観的事情と客観的事情の両方の要素を考慮しなければならないとされて
いるところ,この客観的事情があるというためには,出身国の状況と個
別事情を併せて考慮した結果,当該人が迫害を受ける合理的な可能性が
あることが必要であり,かつ,これをもって足りるものであり,当該政
府が特に当該人を迫害の対象としていることが明らかである事情までは
要しないというべきである。
(ウ)UNHCRにおいては,主に証拠の提出及び調査の在り方の場面に
おいて,原則として申請人に証拠を提出する責任があるとしながらも,
申請に関する事実,特に出身国の人権状況に関する証拠については,認
定機関も資料を収集すべきであるとする。また,上記「十分に理由のあ
る恐怖」の要件における客観的事情は,それが通常人が迫害の恐怖を抱
くかどうかという規範的要件であることからすれば,申請者がその評価
を基礎付ける評価根拠事実について,行政庁がその評価を妨げる評価障
害事実について,それぞれ立証責任を負うこととなるというべきである。
イ原告の難民該当性
(ア)アンゴラの一般情勢
aアンゴラの政治情勢
アンゴラは,1975年(昭和50年)11月にポルトガル共和国
(以下「ポルトガル」という。)から独立した。アンゴラでは,P1
が政権を奪取し,それ以降も,P1と反政府勢力であるP2との間で
内戦状態が継続したが,2002年(平成14年)4月にP1とP2
との間で停戦が合意されたことにより内戦が事実上終結し,2008
年(平成20年)9月には内戦終了後初の国政選挙が実施され,与党
であるP1が圧倒的な勝利を収めた。もっとも,この選挙においては,
深刻な不正行為が行われており,特にアンゴラの首都ルアンダにおい
て顕著であったとされている。
bカビンダの独立運動の情勢
アンゴラのカビンダ州(以下「カビンダ」という。)は,コンゴ川
の河口及びコンゴ民主共和国の国土の一部によりアンゴラ本土から切
り離された,いわゆる飛び地である。
カビンダにおいては,1960年(昭和35年)にポルトガルから
の独立を求める組織が結成されていたところ,1963年(昭和38
年)にP3が結成された。
P3は,P1が1975年(昭和50年)11月に政権を奪取した
後,カビンダのアンゴラからの独立を求めるようになったが,197
0年代後半から1980年代前半にかけて分裂し,武装部門であるP
4や,P5が率いるP6が結成された。1996年(平成8年)には
P1とP4との間で停戦が合意されたが,すぐに破棄され,その後も
武力衝突が継続し,その後,P1が,P2との間で停戦合意を成立さ
せた2002年(平成14年)以降,カビンダにアンゴラ共和国軍(以
下「FAA」という。)を増派して掃討作戦を強化したことから,P
4は弱体化することになった。その後,2004年(平成16年)に
P3とP4が合併するとともに,2006年(平成18年)には,P
7の議長であるP5により,P1との間で停戦合意が締結されたが,
この合意は,P5以外の他のP3各派が協議から除外され,カビンダ
の住民の支持も得られず,カビンダにおける信頼性を欠いたため,同
年以降も,FAAとP3との武力衝突が散発的に継続している。
なお,被告は,P3の組織の勢力について約600人であると主張
するが,その勢力については,数百人から数千人という情報があるの
であり,その人数を特定することは困難である。また,停戦合意後の
P3の活動については,上記のとおり,アンゴラ政府に対する反政府
活動又はFAAとの戦闘とみるのが相当であり,P3がテロ活動を展
開している旨の被告の主張は,出身国情報に反する。
cアンゴラにおけるP3のメンバーの状況等
アンゴラの治安当局である国家警察,国家情報局及びFAAは,2
002年(平成14年)以降,P3のメンバーや市民に対する広範な
人権侵害,すなわち,P3のメンバーや支援者と疑われた者に対する
処刑,女性や少女に対する強姦や強制結婚,恣意的な拘禁,拷問やそ
の他の虐待,強制労働,農地,河川又は狩猟地の利用の過剰な制限を
行ってきたものであり,このような人権侵害は,2006年(平成1
8年)にP7とP1との間で停戦合意が締結されてからも継続してい
る。アンゴラの収容施設の状況は過酷であり,生命に危険が及ぶこと
もあり,収容施設の職員が日常的に被収容者を殴打したり拷問したり
しているとされており,また,過剰収容や,医療体制,衛生,飲料水,
食事等がないことにより,2008年(平成20年)には収容施設で
相当数の被収容者が死亡したとされている。
(イ)原告の個別事情
a原告は,アンゴラのウイジェ州マケラ・ゾンボで出生した後,2歳
の時に,両親の出生地であるカビンダに移り,カビンダにおいて成育
した。原告の両親は既に死亡し,現在,実弟2人,内妻及び実子2人
がルアンダに居住している。
b原告の父は,カビンダで出生し,食料雑貨販売の会社を営むカビン
ダの有力な実業家であったが,P3に多額の財政的支援をするなどの
活動も行い,P3の有力な支援者としての立場にもあったところ,1
990年(平成2年)頃,P3に協力していたことを理由にカビンダ
で逮捕されて刑務所に収監され,1994年(平成6年)に刑務所内
で死亡した(遺体に外傷はないものの膨張していたため,毒殺された
のではないかと疑われている。)。
c原告は,15歳の時からP3の活動に参加するようになり,198
2年(昭和57年)に高等学校を卒業した後,父の経営する会社を手
伝いながら,P3のγ地区の青年部で活動し,1995年(平成7年)
には同青年部の責任者となり,1997年(平成9年)には同地区全
体の責任者となり,スポーツイベントなどの形式で集会を開催してカ
ビンダの独立の必要性を訴えるプロパガンダ活動を行ったり,同地区
内の情報を中央委員会のカビンダのコーディネータに報告したり,コー
ディネータからの指示を同地区の他のメンバーに伝達したりしていた。
原告は,2003年(平成15年),カビンダからルアンダに移り,
コンピュータ関係の会社を設立して経営するとともに,同年から20
07年(平成19年)にかけて,P3の中央委員会のルアンダのコー
ディネータの指示を受けながら,集会を開催してカビンダの独立の必
要性を訴えるプロパガンダ活動を行い,2008年(平成20年)に
は,コーディネータの指示を受けながら,同年9月の国政選挙におい
て野党であるP2を支援するため,その選挙活動に協力していた。
d原告は,2009年(平成21年)2月14日,自宅において,突
然,逮捕状を示されることも逮捕の理由を告げられることもないまま,
警察官に逮捕され,国家犯罪捜査庁に連行された。原告は,国家安全
保障罪の容疑をかけられ,P3のメンバーであるかどうかなどについ
て取調べを受け,その際,数回にわたり殴られるなどの暴力を受け,
引き続き,2日間,食料だけでなく水すら与えられないまま留置され
た。その後,原告は,ルアンダの刑務所に移され,独房に収監された
が,そこにはベッドもトイレもなく,あてがわれたバケツに用を足す
ように指示され,当初の5日間は食事を与えられず,5日目になって
初めてトウモロコシの粉と豆の煮込みが少量与えられたが,その後も
不定期にしか食事を与えられなかった。そのような環境の中で,原告
は,腸チフスを発病したため,同年5月18日,P8病院に移され,
その後,P3の支援を受けて同病院から逃走し,P3のメンバーの自
宅に匿われながら看護師の治療を受けた。
e原告は,P3のメンバーに,アンゴラから空路で出国するように勧
められてこれを決意し,P3のメンバーが2009年(平成21年)
6月3日に日本大使館から取得した原告の査証を用いて,同年7月1
0日,ルアンダ空港から出国し,南アフリカ共和国及びシンガポール
共和国を経由し,同月12日,本邦に到着した。
f上記各事情を裏付ける原告の供述については,その相当部分が出身
国の状況などの客観的な事実と符合し,また,その根幹部分において,
本件許可申請時点から本件意見陳述及び本件審尋の時点に至るまで一
貫しており,具体的かつ詳細な内容であり,自然かつ合理的なもので
あるから,信用性が高いというべきである。
gこれに対し,被告は,原告の供述が疑わしい旨主張するが,以下の
⒜ないし⒞のとおり理由がないというべきである。
⒜原告がP3のメンバーであることに関し,①原告は,アンゴラ
政府との間の停戦合意から除外されているP9が率いるP3に属し
ていた旨供述しているのであるから,アンゴラ政府との間で停戦合
意がされたことを前提とする回答がないことをもって,原告がP3
の組織についての説明をしていないということはできない。②P
9が率いるP3の内部においても,アンゴラ政府に対する武力闘争
を継続する立場と政治的な解決を目指す立場とが存在していること
などからすれば,P3のメンバーである原告が武力闘争を拒否して
交渉を望む旨の主張を有すること自体は,何ら不自然なことではな
く,P3の組織の本質と整合しないということはできない。③原
告の父は,P3の軍事活動などには従事していなかったものの,カ
ビンダだけでなくルアンダにおいても雑貨店を営む有力な実業家と
してP3を経済的に支援し,P3が結成された当初又は間もない頃
からP3のメンバーとしての活動をしていたものであり,原告が,
このようなP3における原告の父の地位に関する供述を変遷させた
ことはない。④P3は,近時は,独立ということを強調するため,
国家を意味する「○」を含める名称を使用するなどしており,原告
がP3の正式な名称と異なる名称を供述しているということもでき
ない。⑤P3の発行した信任状(乙30別紙2。以下「本件信任
状」という。)は,本件異議申立て手続における代理人弁護士がP
3のメンバーから電子メールで送付を受けたものであり,その入手
経過に不自然なところもない。
⒝原告の逮捕に関し,①原告は,身柄を拘束されるに至った理由
として,当初から,P3の内部における立場の違いが発端となって
誰かに密告されたのではないかと考えている旨述べていたものであ
るし,また,一般に,治安当局が,非合法組織のメンバーとして逮
捕した者に対し,逮捕に至った端緒を明らかにすることは考え難い
ことからすれば,原告が逮捕された具体的な根拠を述べていないこ
とをもって,その供述に疑義があるということはできない。②ア
ンゴラの治安当局は,2009年(平成21年)以前には,原告が
P3に係る活動を公然と行っていたわけではないため,原告がP3
のメンバーであり,P3の活動を行っていたことを認識していなかっ
たものと考えられる。③官憲からの取調べの状況についても,原
告は,国家犯罪捜査庁に身柄を拘束された後,殴られるなどの暴行
を受けながらP3のメンバーであるかどうかなどについて尋ねられ
たが,刑務所に移送されてからは取調べが行われていなかった旨,
一貫した供述をしていたものである。
⒞その余の事情に関し,原告は,本邦に上陸しようとした経緯につ
いて,P3のメンバーから,UNHCRの人を探して連絡をとるよ
うに指示されていた旨一貫して供述していることに加え,上陸時に
直ちに難民認定申請等をしなかったからといって,そのことにより
その者が迫害の恐怖を抱いているという事情が存在しないことが事
実上推認される旨の経験則は,一般的なものではない。
また,上記⒝のとおり,アンゴラの治安当局が,2009年(平
成21年)以前には,原告がP3のメンバーであることを認識して
いなかったと考えられることからすれば,原告が同年以前に正規の
旅券の発行を受けてコンゴ民主共和国に出入国していたからといっ
て,そのことを理由に本国からの迫害のおそれを否定すべきことに
はならない。
そして,原告は,P3のメンバーであることを理由として身体の
自由を奪われていたものであるから,本国からの迫害のおそれがあ
ることは明らかである。
(ウ)まとめ
以上のアンゴラの一般情勢及び原告の個別事情のとおり,アンゴラの
治安当局は,P3のメンバー若しくは支援者又はこれらに当たると疑わ
れた者を弾圧し,恣意的に長期間にわたり拘禁したり,虐待,拷問,非
人道的な取扱いをしたりするなど,上記の者らを取り締まる強固な意志
を有しており,原告は,P3のメンバーとして,カビンダの独立を訴え
るプロパガンダ活動などの反政府活動をしていたところ,国家安全保障
罪の容疑により国家犯罪捜査庁に逮捕されたものである。そうすると,
原告は,P3のメンバーであることを理由に,これを弾圧する目的で逮
捕されたものであるということができる。
このような状況において,原告がアンゴラに帰国した場合,不当に拘
禁されたり,虐待,拷問,非人道的な取扱いを受けたりするなどの迫害
を受けるおそれがあることから,原告は,P3のメンバーとして反政府
活動をしていたことを理由として,アンゴラ政府から迫害を受けるおそ
れがあるという十分に理由のある恐怖を有しているということができる。
ウよって,原告は,難民に該当するものであるから,原告を難民と認定し
なかった本件不認定処分は,違法である。
(被告の主張)
ア難民の意義等
難民条約1条にいう「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛を
もたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を
意味するものというべきである。難民条約及び難民議定書の基本趣旨は,
生命や身体の自由が,人間の生存にとって根源的なものであるが故に,こ
れらが危険にさらされている者に対して超国家的な庇護を与えることにあ
るのであって,それ以外の法益等は,国籍国の経済政策又は社会政策によっ
て保護されるべき範囲や程度が異なるものであるから,我が国が国籍国に
代わってこれを保護することは想定されていないというべきである。
また,難民条約1条にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理
由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれが
あるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人
の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在して
いることが必要であると解されるところ,客観的事情は,単に迫害を受け
るおそれがあるという抽象的な可能性が存するにすぎないといった事情で
は足りず,当該申請者について迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱
くような個別的かつ具体的な事情,すなわち,当該政府が特に当該人を迫
害の対象としていることが明らかになるような個別的で具体的な事情があ
ることを要するものというべきである。
さらに,いかなる手続を経て難民の認定手続がされるべきかについては,
難民条約には規定がなく,難民条約を締結した各国の立法政策に委ねられ
ているところ,入管法61条の2第1項等の文理や,難民認定処分が,本
質的には事実の確認ではあるものの,法務大臣により難民認定を受けてい
ることが他の利益的取扱いを受けるための法律上の要件となっており(入
管法61条の2の3,61条の2の11,61条の2の12),授益処分
とみるべきものであることなどからすれば,申請者が,自らが難民に該当
することについて主張立証責任を負うものというべきである。また,その
立証の程度については,申請者である原告において,自己が難民であるこ
とについて「合理的な疑いを容れない程度の証明」をしなければならない
ものと解される。
なお,UNHCRのハンドブックやガイドラインは,締約国が難民条約
を解釈するための補足的手段には該当しないというべきである。
イ原告の難民該当性
以下の事情を総合すれば,原告が,アンゴラにおいて,人種,宗教,国
籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に
迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような客観的事情が存すると
は認められないから,原告が難民に該当するとは認められない。
(ア)アンゴラの一般情勢
aアンゴラにおいては,1975年(昭和50年)11月11日にポ
ルトガルから独立した後,P1とP2が対立し,内戦が断続的に続い
ていたが,両者が2002年(平成14年)4月4日に停戦協定を締
結し,これにより27年にわたる内戦が終結したことから,反政府勢
力の武装解除等も進み,国民和解・国家再建のプロセスが進展し,2
003年(平成15年)6月,約21万人のアンゴラ難民の帰還事業
が始まり,2008年(平成20年)9月には,P1が議会の選挙で
最大多数の議席を獲得した。
bアンゴラ北部の飛び地であるカビンダにおいては,1960年代,
カビンダの分離独立を目的とするP3が設立され,様々な派閥分裂を
経て,P4及びP6の主要2派が存在することとなったところ,20
03年(平成15年)にP4の主要幹部8名が政府側に投降したほか,
2006年(平成18年)にはP6が政府との和平合意に応じたこと
から,カビンダにおける反政府活動はおおむね終結し,これらの組織
は次第に弱体化の方向にあるが,組織の勢力は約600人であり,同
年以後も約200人とされる残存勢力がテロ活動を展開している。
(イ)原告の個別事情
a原告は,原告の難民該当性を基礎付ける個別事情として,原告がア
ンゴラ政府当局による取締りの対象となっているP3に所属しており,
2009年(平成21年)2月,P3に所属して反政府活動を行って
いたことを理由にアンゴラ政府の警察官に逮捕され,2日間留置され
た後,刑務所に収容された旨主張する。
b⒜しかし,原告は,①P3の組織について十分な説明ができてお
らず,②武力闘争を否定する立場に立ち,P3の本質と整合しな
いなど,P3の地区の責任者であった者の供述としては不自然とい
わざるを得ない。また,③P3の地区の責任者となった経緯の前
提となる原告の父についての供述も信用できず,④P3の正式名
称についても明確な供述ができなかった。さらに,⑤原告が提出
したP3身分証明書の真正にも疑義があることなどからすると,原
告が,P3に所属し,地区の責任者として積極的な活動をしていた
とは認め難い。
⒝原告は,①逮捕された具体的な理由を述べるに至っておらず,
②逮捕前の生活状況等に鑑みると,原告がP3において5000
人ものメンバーを束ねる地区責任者の地位にある者であることを理
由に突然身柄拘束を受けるのも不自然である。また,③原告が,
官憲から受けた尋問の内容についても具体性に乏しい曖昧な供述に
終始していることなどからすると,原告が逮捕された旨の供述は到
底信用できず,これを前提とする刑務所に収容された旨の供述もま
た信用できない。
⒞また,原告の行動には切迫感,緊張感が見受けられない上,上陸
審査手続及びそれに引き続いて行われたセカンダリ審査では,一貫
して,商用目的で本邦に入国した旨を述べており,本国政府から迫
害を受けるおそれがあったことについては何ら供述していなかった
ことからすれば,原告が,本国での迫害を逃れるため本国から出国
したものであるということはできない。
さらに,原告が,2006年(平成18年)に,ルアンダにおい
て,自ら手続をして正規の旅券の発行を受け,2007年(平成1
9年)にはこの旅券を使用してコンゴ民主共和国に渡航したことか
らすれば,原告が迫害のおそれを感じていたとは認められず,また,
本国政府から反政府活動家として注視されていたということもでき
ない。
仮に,原告がP3のメンバーであり,逮捕されたことが事実であっ
たとしても,原告の供述する取調べ状況,尋問内容,P8病院への
移送状況,移送後の面会状況によれば,原告が本国政府から殊更注
視される状況に置かれていたとは認められない。
ウまとめ
したがって,原告を難民と認めることはできない以上,原告の難民認定
申請を不許可とした本件不認定処分は適法である。
(2)争点(2)(本件在特不許可処分の無効事由の有無)について
(原告の主張)
原告は,前記(1)(原告の主張)のとおり難民に該当するから,原告が難民
でないことを前提としてされた本件在特不許可処分は,重大かつ明白な瑕疵
があり,無効である。
(被告の主張)
原告は,前記(1)(被告の主張)のとおり難民に該当せず,かつ,本邦に上
陸するまで我が国と何らの関わりもなかった者であり,稼働能力を有する成
人であることに鑑みても,原告について在留を特別に認めるべき積極的な理
由は存しないというべきである。
よって,原告に対し在留特別許可を付与しない旨の東京入管局長の判断に
裁量権の範囲の逸脱又は濫用はなく,本件在特不許可処分は,適法である。
(3)争点(3)(本件退令処分の無効事由の有無)について
(原告の主張)
原告は,前記(1)(原告の主張)のとおり難民に該当するから,原告が難民
でないことを前提としてされた本件退令処分は,重大かつ明白な瑕疵があり,
無効である。
(被告の主張)
退去強制手続において,法務大臣又は法務大臣から権限の委任を受けた地
方入国管理局長(以下,併せて「法務大臣等」という。)から「異議の申出
には理由がない」との裁決をした旨の通知を受けた場合,主任審査官は,速
やかに退去強制令書を発付しなければならないのであって(入管法49条6
項),退去強制令書を発付することについて全く裁量の余地はないところ,
原告は,入管法24条2号に該当するものであるから,法務大臣に対する異
議の申出に理由がなく,本件裁決が適法であることは明らかであり,そうで
ある以上,本件退令処分も当然に適法であるというべきである。
また,原告は,前記(1)(被告の主張)のとおり難民に該当しないのである
から,原告をアンゴラに送還したとしても,難民条約33条1項の定めるノ
ン・ルフールマン原則に反する余地はなく,送還先をアンゴラと指定してい
る点についても何ら瑕疵はない。
第3当裁判所の判断
1争点(1)(本件不認定処分の違法性)について
(1)難民の意義等
ア入管法2条3号の2は,入管法における「難民」の意義について,難民
条約1条の規定又は難民議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける
難民をいうものと規定しているところ,難民条約及び難民議定書の上記規
定によれば,入管法にいう「難民」とは,「人種,宗教,国籍若しくは特
定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受ける
おそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外に
いる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はその
ような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」
をいうこととなる。
そして,上記にいう「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛を
もたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を
意味するものと解するのが相当である(これに加え,その他の自由権や社
会権が侵害され,出身国における生活が耐え難い状況をもたらす場合をも
含む旨の原告の主張は理由がなく,採用することができない。)。また,
上記にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有
する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を
抱いているという主観的事情があるだけでは足りず,通常人が当該人の立
場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在している
ことが必要であると解するのが相当である。
イ難民の認定における立証責任の帰属については,入管法61条の2第1
項が,法務大臣は,難民認定申請者が提出した資料に基づき,その者が難
民である旨の認定を行うことができる旨規定しており,難民認定について
難民認定申請者が資料を提出することを前提としている。また,難民認定
を受けた者は,入管法61条の2の2第1項に基づき定住者の在留資格を
取得できるなど,有利な法的地位が与えられることになるから,難民認定
は,いわゆる授益処分に当たるものであるところ,一般に,授益処分につ
いては,その処分を受ける者が,根拠法令の定める処分要件が充足されて
いることについて立証責任を負担するものと解される。以上によれば,難
民該当性の立証責任は,難民認定申請者にあると解するのが相当である。
以上の説示に反する原告の主張は,理由がなく,採用することができない
し,また,原告の主張を踏まえても,その立証の程度を通常の場合と比較
して緩和すべき理由はないといわざるを得ない。
ウ以上の見地から,以下では,アンゴラの一般情勢及び原告の個別事情を
踏まえ,原告の難民該当性について検討する。
(2)アンゴラの一般情勢
ア証拠(甲1,2,乙33,34)及び弁論の全趣旨によれば,アンゴラ
の情勢について,次の事実が認められる。
(ア)アンゴラは,南部アフリカに位置し,ナミビアとコンゴ民主共和国
に挟まれ,南太西洋に面している。アンゴラの公用語は,ポルトガル語
である。
(イ)アンゴラは,1975年(昭和50年)11月にポルトガルから独
立し,P1が政権を奪取したが,それ以降も,P2がゲリラ戦を継続す
るなど,P1政権と反政府勢力のP2との内戦が継続し,2002年(平
成14年)4月4日,P1とP2との間で停戦合意に関する覚書が署名
され,27年にわたる内戦が事実上終結した。アンゴラでは,その後,
反政府勢力の武装解除,動員解除も進み,国民和解,国家再建のプロセ
スが進展しており,2008年(平成20年)9月には,内戦終了後初
の国政選挙として,史上2度目の国会議員選挙が実施され,与党のP1
が圧倒的勝利を収め,1979年以来大統領に就任するジョゼ・エドゥ
アルド・ドス・サントス大統領が再任された。
(ウ)アンゴラ国内の経済は,長期にわたる内戦により極度に疲弊したも
のの,石油,ダイヤモンド等の鉱物資源に恵まれているほか,農業,漁
業等の潜在能力も高く,高い経済成長率を維持している。アンゴラ政府
は,石油依存型経済からの脱却を図るため,農林水産業,製造業の振興
等の産業多角化も図っている。
イまた,証拠(甲2,4ないし6,乙32,33,35)及び弁論の全趣
旨によれば,カビンダの情勢及びアンゴラにおけるP3のメンバーに関わ
る状況について,次の事実が認められる。
(ア)アンゴラの州の一つであるカビンダは,コンゴ川の河口とコンゴ民
主共和国の国土の一部によって本土から切り離されており,いわゆる飛
び地となっている。カビンダ人が話す言語について,カビンダに関する
グローバルセキュリティーレポートによれば,カビンダ語がカビンダの
公用語であるが,少なくとも,読み書きのできるカビンダ人の90%が
フランス語を話し,ポルトガル語を話すのはわずか10%であるとされ
ている。
(イ)カビンダにおいては,1963年(昭和38年)にポルトガルから
の独立を主張する3つの主要な運動が合併してP3が結成された。P3
は,P1が1975年(昭和50年)11月に政権を奪取した後,カビ
ンダのアンゴラからの独立を求める活動をするようになったが,197
0年代後半から1980年代前半にかけて分裂し,武装部門であるP4
や,P5が率いるP6が結成された。P1は,P2との間で停戦合意が
成立した2002年(平成14年)以降,カビンダでの掃討作戦を強化
してP4を弱体化させ,2003年(平成15年)にはP4の幹部が複
数名政府側に投降した。その後,2004年(平成16年)にP3とP
4が合併するとともに,2006年(平成18年)には,P6の前指導
者でありP7の議長でもあるP5により,P1との間で停戦合意が締結
されたが,この合意は,P5以外の他のP3各派が協議から除外され,
カビンダの住民の支持も得られず,カビンダにおける信頼性を欠いたた
め,同年以降も,FAAとP3との武力衝突が散発的に継続している。
P9率いるP3は,カビンダの分離,独立を目指して反政府活動を続
けており,2010年1月,カビンダを通過中のトーゴ代表サッカーチー
ムの車列を襲撃して死傷者を出し,アンゴラ治安当局を狙ったものであ
る旨表明した。同年7月には,P3の一部の幹部がアンゴラ政府に和平
交渉を申し入れたものの,P9がアンゴラ政府との和平交渉を拒否した
とされている。
(ウ)英国国境局が2009年(平成21年)6月1日に公表した「オペ
レーショナル・ガイダンス・ノート・アンゴラ」によれば,アンゴラ政
府の治安当局である国家警察,国家情報局及びFAAは,2002年(平
成14年)以降も,P3のメンバーや市民に対する広範な人権侵害,す
なわち,P3のメンバーやその支援者と疑われた者に対する処刑,女性
や少女に対する強姦や強制結婚,恣意的な拘禁,拷問やその他の虐待,
強制労働,農地,河川又は狩猟地の利用の過剰な制限を行ってきたもの
とされている。このような人権侵害は,2006年(平成18年)にP
7とP1との間で停戦合意が締結されてからも継続しており,米国国務
省の2010年(平成22年)3月11日付け「人権状況報告2009・
アンゴラ」によれば,治安部隊は,P3の活動をし,又はこれに協力し
ていると疑われる者をカビンダやルアンダの軍や監獄に隔離して拘束し
たとされている。そして,人権団体であるヒューマン・ライツ・ウォッ
チが,2009年(平成21年)6月22日に発表した「カビンダにお
ける軍事拘禁,拷問及び適正手続の欠如」と題するレポート及び201
0年(平成22年)1月に発表した「2010年ワールドレポート」に
よれば,カビンダにおいて,2007年(平成19年)9月から200
9年(平成21年)3月までにかけて,アンゴラ軍部及び諜報員により
逮捕された少なくとも38名の者が,軍部の留置所内で拷問及び残虐又
は非人間的な扱いを受け,公正な裁判を受ける権利だけでなく,適正手
続の基本的な権利さえも否定され,拘留者は,当局により,分離派反対
運動と関係したカビンダの武装対立グループに関与した罪で告訴された
とされたり,2007年(平成19年)9月以降,軍部が40名を超え
る反政府運動の容疑者を恣意的に逮捕し,容疑者のほとんどが,長期間
の隔離拘禁中に,自白の強要を目的とした拷問と虐待を受けたと主張し,
容疑者は最終的に一般刑務所に移送され,「国家の安全に対する犯罪」
と関連するその他の犯罪で起訴され,複数の訴訟で適正手続の権利が拒
否されたものとされたりしている。
上記米国国務省の報告書によれば,アンゴラの収容施設の状況は過酷
であり,生命に危険が及ぶこともあり,収容施設の職員が日常的に被収
容者を殴打したり拷問したりしているとされており,また,過剰収容や,
医療体制,衛生,飲料水,食事等がないことにより,収容施設で相当数
の被収容者が死亡したとされている。
(エ)なお,アンゴラの経済は石油分野に大きく依存し,アンゴラ国内総
生産のおよそ半分に当たり,輸出高の90%以上を占めるところ,カビ
ンダは,アンゴラの石油の半分以上を生産し,外国為替収入の大半を占
めている。
ウ以上の事実によれば,アンゴラは,独立以来27年間にわたり,P1政
権と反政府勢力のP2との間で内戦が続き,国内経済も疲弊していたもの
の,2002年(平成14年)に内戦が事実上終結し,反政府勢力の武装
解除等が進み,国民和解,国家・経済再建に向けた努力が続けられていた
ところ,本件不認定処分がされた2009年(平成21年)8月には,そ
の前年に議会の選挙が実施されるなど,国家運営が安定しつつあったとい
うことができる。
しかし,そのようなアンゴラの一般情勢の下でも,カビンダにおいては,
P1が,2002年(平成14年)の内戦終結後,掃討作戦を強化し,2
006年(平成18年)にP5とP1との間で停戦合意が締結された後も,
同合意がカビンダにおける信頼性を欠いていたため,FAAとP3との武
力衝突が散発的に継続しているところ,アンゴラ政府の治安当局が,20
02年(平成14年)以降も,P3のメンバーやその支援者と疑われた者
に対する恣意的な拘禁,拷問等の人権侵害をし,2009年(平成21年)
の人権状況としては,治安部隊が,P3の活動をし,又はこれに協力して
いると疑われる者をカビンダやルアンダの軍や監獄に隔離して拘束したと
され,2007年(平成19年)から2009年(平成21年)3月まで
においても,数十名の者が,軍部等に恣意的に逮捕され,留置所内で,拷
問及び残虐又は非人道的な扱いを受け,最終的に一般刑務所に移送され,
「国家の安全に対する犯罪」と関連するその他の犯罪で起訴され,適正手
続の基本的な権利さえ否定される状況にあったなど,いまだP3に対する
アンゴラ政府の人権侵害を伴う弾圧が継続しているということができる。
そうすると,アンゴラにおいては,少なくとも本件不認定処分がされた
平成21年8月当時,P3に所属して活動している者について,アンゴラ
政府の治安当局から迫害を受けるおそれがあったというべきである。
(3)原告の個別事情
前提事実並びに証拠(甲15,乙1,5,6,9,12,14,22,2
3,27ないし30,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,原告の個別事
情について,次の事実が認められる。
アアンゴラでの生活状況(P3との関係及びP3のメンバーとしての活動
状況を含む。)
(ア)原告は,1963年(昭和38年)11月4日,アンゴラのウイジェ
州マケラ・ゾンボで出生し,2歳の時に,両親の出身地であるカビンダ
に移った。原告は,アンゴラの公用語であるポルトガル語のほか,初等
学校及び中等学校において教育を受けたフランス語も,読み書きや会話
を不自由なくすることができる。
(イ)原告の父は,カビンダ,ルアンダなどに店を構える食料雑貨販売会
社を経営する実業家であったが,それと同時に,P3に多額の経済的な
支援をするなどしており,カビンダの地域社会において影響力を有する
者であった。原告の父は,1990年(平成2年)に身柄を拘束され,
正式な訴追や裁判を受けることもなく刑務所に収監され続け,1994
年(平成6年)に獄死した。また,原告の母親は,1992年(平成4
年)に死亡した。
(ウ)原告は,原告の父から,カビンダの歴史や現実,カビンダの独立に
対する思いを聞かされながら成長し,1982年(昭和57年)に中等
学校を卒業してからは,父の経営する会社の仕事を手伝いながら,カビ
ンダのγ地区において,P3の活動の目的を理解してもらい,P3の支
援者を拡大するための若者向けの活動に参加していた。そして,原告は,
1992年(平成4年)から通っていたコンピュータ専門学校を199
5年(平成7年)に卒業した後,原告の父が経営していた会社の仕事を
しながら,P3のγ地区における若者向けの活動の責任者として活動す
るようになり,1997年(平成9年)には,P3の正式なメンバーに
なるとともに,P3の同地区における責任者となり,情報の収集,伝達
活動や,カビンダの独立の必要性を訴えながら,P3の活動目的を人々
に伝えたり,P3への支援や協力を求めたりするなどの政治的な活動を
していた。原告は,P9が率いるP3に所属していたところ,そのP3
が武装集団を配置するカビンダ東部の密林において開かれた集会にも参
加していた(なお,原告は,この密林のことを「森の中」と呼んでいた。)。
(エ)原告は,父方の叔父との間で原告の父の会社の経営権などの遺産の
承継をめぐって争いになり,同社の仕事を続けられなくなったため,2
003年(平成15年)にカビンダからルアンダに移った。原告は,同
年以降,ルアンダのζ地区において,コンピュータ会社を経営して生活
するとともに,P3の中央委員会のルアンダのコーディネータの指示を
受けながら,アンゴラの各地にあるカビンダ人のコミュニティを訪ね,
密かに集会を開催してカビンダの独立の必要性を訴える活動をしたり,
2008年(平成20年)9月にアンゴラで実施された国会議員選挙で
は,ルアンダにおいて,与党であるP1に対抗する野党であるP2の選
挙活動に協力する活動を行ったりしていた。また,原告は,同選挙にお
いてP1が勝利を収めた後には,P3の集会に参加し,武装活動ではな
く政治活動によってカビンダの独立を勝ち取るべきである旨の自らの意
見を述べたこともあった。
イアンゴラにおいて身柄拘束を受けた状況
(ア)原告は,2009年(平成21年)2月14日の明け方,自宅を訪
れた3名の警察官により身柄を拘束され,δ地区にある国家警察の新庁
舎の中に一時的に置かれていた国家犯罪捜査庁に連行された。警察官ら
は,その際,原告の自宅及び経営する会社の事務所を捜索し,事務所に
コンピュータなどの電子機器があるのを確認すると,原告に対して事務
所の鍵を渡すように指示してこれを受け取るなどした。なお,原告は,
当時,自宅において,事実婚の状態にあった内妻及び2人の子と一緒に
生活していた。
(イ)原告は,国家犯罪捜査庁の取調室において,複数の警察官から,原
告がP3のメンバーであるという密告があったことを告げた上で,P3
のメンバーであるかどうかを問われ,当初は否定していたものの,警棒
やタオルを水で濡らしたもので殴られるなどしながら追及を受けたこと
から,P3のメンバーであることを認めた。そうすると,原告は,警察
官から,P3が国家の安全を脅かす分離主義者である旨責め立てられた。
また,原告は,他のP3の戦闘員がどこにいるのかを聞かれたのに対し,
「森の中」にいるとのみ答え,それ以上の質問に対しては何も答えなかっ
た。
(ウ)原告は,国家犯罪捜査庁の独房に2日間収容され,水も食事も与え
られないまま放置された。原告は,その後,コマルカ・デ・ペトランゴー
ル刑務所の独房に収監され,5日目になって初めてトウモロコシの粉と
豆の煮込みが少量与えられ,それ以降も週に3日程度の食事が不定期に
与えられるのみであり,また,ベッドもトイレもなく,バケツをあてが
われて用を足すという不衛生で劣悪な環境の下で収容されていたため,
健康状態を悪化させた。そうしたところ,原告は,2009年(平成2
1年)5月18日,ルアンダのP8病院に入院することになり,検査の
結果,腸チフスと急性期のマラリアにかかっていることが判明し,その
後,原告の弟やP3のメンバー数人が,P8病院の医師からの連絡を受
けて,原告の見舞いに訪れた。
(エ)原告は,2009年(平成21年)5月24日,原告の見舞いに訪
れたふりをしたカビンダ人の知人2人と共に,正門の裏側出口から病院
を出て,近くに止められていた車に乗って逃走し,そのままP3のメン
バーであるP10の家に連れて行かれ,その後,その家で看護師の治療
を受けながら匿われていた。
ウ本邦に入国するに至った経緯等
(ア)原告は,他のP3のメンバーから,アンゴラにいると身の危険があ
るためアンゴラから空路で出国することを勧められたことを受けて,ア
ンゴラから出国することを決意した。そこで,原告は,弟に頼んで,2
006年(平成18年)9月にルアンダの旅券事務所で取得し,自宅に
置いていた原告の旅券をP10の家まで持ってきてもらい,P3のメン
バーであるP11に出国の手配を依頼し,2009年(平成21年)6
月5日頃,P11から,同月3日に発行された本邦の査証が貼付された
旅券を受け取り,その後,ヨハネスブルク及びシンガポールを経由する
本邦行きの航空券を受け取った。
(イ)原告は,2009年(平成21年)7月10日,P11と共に車で
ルアンダ空港に向かい,空港到着後,P11が原告の代わりに空港で出
国手続を行っている間,車の中で待機しており,その後,P11と共に
車にやって来た空港の職員に出国待合室に連れて行かれ,ヨハネスブル
ク行きの飛行機に搭乗した。
(ウ)原告は,ヨハネスブルク及びシンガポールを経由して,平成21年
7月12日,成田空港に到着し,成田空港支局において,渡航目的を「商
用」として上陸許可の申請をした。しかし,成田空港支局入国審査官は,
原告について,訪問予定会社の連絡先が不明であり,活動内容に疑義が
認められる上,挙動も不審であったことから,セカンダリ審査に引き渡
し,セカンダリ審査においても,ホテルの予約が確認できず,訪問先の
会社についても依然として不明であったことから,口頭審理を実施した。
そうしたところ,原告は,渡航目的は仕事とは全く関係がないとして,
一時庇護のための上陸許可申請(本件許可申請)をした。本件許可申請
に係る申告書には,①原告は,3か月間,ペトランゴールの牢獄に入っ
ており,逮捕された後体調不良になったため,警察により病院に連れて
行かれ,P3のメンバーに病院から逃がしてもらい,P3のメンバーか
ら,とにかく本国を出る必要があり,出国するように指示されたため出
国し,そのための手続は全てP3が行ったこと,②原告は,特定の社
会的集団の構成員であり,政治的意見を有するため,本国に戻れば迫害
を受ける理由があること,③原告は,P3という本国政府に敵対する
組織に属し,アンゴラ政府にカビンダの完全な独立を要求していること,
④原告の父は,P3のメンバーであったため4年間投獄され,199
4年(平成6年)に獄中で死亡したことなどが記載されている。
(エ)成田空港支局入国審査官は,本件許可申請を不許可とする処分をし,
平成21年7月15日,原告に対し,これを通知するとともに,同日発
の航空便で本邦から出国するように求めたが,原告は,同航空便に搭乗
することなく本邦にとどまり,もって本邦に不法上陸するに至った。
エ退去強制手続及び難民認定手続における原告の供述内容等
(ア)原告は,平成21年7月21日,法務大臣に対し本件難民認定申請
をした。本件難民認定申請に係る申請書には,①原告は,特定の社会
的集団の構成員であること(具体的には,P3のメンバーであり,アン
ゴラによる軍事占拠のカビンダの独立の要求をすること)という迫害を
受ける理由を有すること,②原告は,2009年(平成21年)2月
14日に国家犯罪捜査庁により身柄を拘束されたこと,③原告の父は,
1990年(平成2年)から1994年(平成6年)までの間,上記①
の迫害を受ける理由により身柄を拘束されたこと,④原告は,199
7年(平成9年)から,本国政府に敵対する組織であるP3のγ地区の
組織長として情報活動をしていること,⑤原告は,カビンダがアンゴ
ラの一部ではなく,カビンダ国の自由と独立を望む旨の本国政府に敵対
する政治的意見を表明したり,行動をとったりしたことがあること,⑥
原告は,上記①の迫害を受ける理由により,政府への反抗の罪で国家犯
罪捜査庁及び政府に逮捕,勾留され,牢から脱走したことなどが記載さ
れている。
(イ)原告は,前提事実(3)記載の退去強制手続における違反調査,違反審
査及び口頭審理並びに前提事実(4)ア記載の難民認定手続における本件事
情聴取,本件異議申立て手続中の本件意見陳述及び本件審尋において,
アンゴラにおける生活状況,P3との関係及びP3のメンバーとしての
活動状況,2009年(平成21年)2月に身柄拘束を受けた状況,本
邦に入国するに至った経緯等について,おおむね一貫して,前記アない
しウのとおりの内容を供述した。
(4)事実認定の補足説明
ア原告がP3のメンバーであったかどうかについて
被告は,上記(3)の認定に反し,原告がP3に所属し,地区の責任者とし
て積極的な活動をしていたとは認め難い旨主張するので,以下では,被告
の指摘する事情について順に検討する。
(ア)被告は,原告がP3の組織について十分な説明ができていない旨主
張し,これを裏付ける事情として,①原告がP3とアンゴラ政府との
間の一時和平プロセスに関する合意について承知していなかったこと,
②P3に政治部門と軍事部門がある旨の原告の本人尋問における供述
内容が,本件審尋における供述内容と整合していないことを指摘する。
しかし,上記①について,被告が指摘する本件事情聴取に係る供述調
書(乙23〔6,7頁〕)には,原告が,「一般の資料によると,P3
とアンゴラ政府の間には一時和平プロセスに関する合意がなされたよう
ですが,説明できますか。」との質問に対し,「アンゴラ政府は常にP
3を買収しようとしています。最近の大きな動きは2002年でしたが
失敗しました。」と供述した旨記載されているものの,その質問内容が
必ずしも明確なものであったとはいえない上,それが2006年(平成
18年)のP5とP1との間の停戦合意(前記(2)イ(イ))を念頭に置い
た質問であったとしても,原告が属するP9が率いるP3は同合意に係
る協議から除外されていたものであるから,同合意について言及しなかっ
たことが必ずしも不自然であるということはできない。また,上記②に
ついて,証拠(乙30〔9頁〕)によれば,原告は,本件審尋において,
原告の所属するP3が武力行動をとっている旨供述するとともに,政治
P3と武装P3があり,自分の選択が戦争ではなく話合いで解決すると
いう考えである旨供述していることが認められるのであり,本人尋問と
本件審尋において,P3の組織に関する供述内容に齟齬があるとは認め
られない。
(イ)被告は,原告が,武力闘争を否定する立場に立ち,P3のメンバー
の本質と整合しないなど,P3の地区の責任者であった旨の供述として
は不自然である旨主張する。
しかし,上記(ア)で認定,説示したとおり,原告は,自らが所属する
P3には政治部門と軍事部門があり,原告自身は武力闘争を否定する立
場を採っていた旨一貫して供述し,証拠(乙35,36)によれば,P
3の中にも交渉により解決をしようとした者がいたことが客観的資料の
記載中にもうかがわれるのであるから,原告が武力闘争を否定する立場
をとっているからといって,P3のメンバーの本質と整合せず,P3の
一地区における責任者であったことが不自然であると直ちにいうことは
できない。
(ウ)被告は,原告が,①P3の地区の責任者となった経緯の前提とな
る原告の父に関する供述について,当初は「一般メンバーの一人」であ
ると述べていたのに,後に「幹部」と述べたり「重要な地位にあり,影
響力があった」と述べたりするなど変遷させており,また,②弟2人
についても,当初はP3のメンバーであった旨述べていたのに後にこれ
を否定するなど,供述を変遷させている旨主張する。
しかし,上記①について,証拠(乙23〔3,7頁〕,30〔12頁〕)
によれば,原告は,原告の父について,本件事情聴取においては,食料
雑貨店を経営していたこと,P3の一般メンバーの一人であったことを
述べているのに対し,本件審尋においては,自分の住んでいた地区にお
いて影響力があった旨を述べていることが認められるが,これらの供述
内容は,P3の役職に就いた立場の者ではなかったという内容として共
通しており,齟齬があるということはできない。また,証拠(乙30〔1
2頁〕)によれば,原告は,本件審尋において,原告の父がP3の幹部
であったと述べる一方,その直後の質問に対し,原告の父が自分の住ん
でいた地区で影響力があった旨述べていることが認められ,P3の幹部
であった旨の供述は,本件審尋における供述経過を考え合わせると,実
質的には原告の父が影響力のある人物であった旨の意味でされたものと
いうことができ,その供述内容に矛盾はないということができる。
また,上記②について,原告の弟がP3のメンバーであるかどうかに
関し,証拠(乙12〔5頁〕,30〔12頁〕,原告本人〔31頁〕)
によれば,原告は,2人の弟について,退去強制手続における違反調査
において,P3のメンバーであると述べたが,本件審尋及び本人尋問に
おいてはP3のメンバーではない旨供述していることが認められるとこ
ろ,原告の弟がP3のメンバーであるかどうかという事実自体が原告の
難民認定該当性に影響する度合いはごく小さいものであるし,少なくと
も本件審尋及び本人尋問における供述内容に齟齬がない以上,原告が弟
について当初P3のメンバーであると述べていたことが,原告の供述の
信用性を失わせるものであるとまでいうことはできない。
(エ)被告は,原告がP3の正式名称についても明確な供述ができなかっ
た旨主張し,具体的には,原告が,P3の正式名称について,ポルトガ
ル語により,本件難民認定申請の申請書には「○」と記載し,本件事情
聴取においても同じように述べたが,他方で,P3のウェブサイトなど
に表示されている正式名称は,「○」ではなく「○」という用語が用い
られ,「○」とされている旨指摘する。
しかし,証拠(甲14,乙30,36,37)及び弁論の全趣旨によ
れば,P3は,その名称について,ポルトガル語による表記において,
飛び地を意味する用語(「○」)を用いて,「○」と記載されることが
ある一方,フランス語による表記において,国家を意味する用語(「○」)
を用いて「○」と記載される例もあることが認められ,上記のいずれを
意味する用語も用いられていること(このことは,飛び地という人もい
るが,国という人もいる旨の原告の本件審尋における供述内容〔乙30・
16頁〕にも沿うものである。)からすれば,原告がポルトガル語で記
載又は供述したP3の正式名称に国家を意味する「○」という用語が用
いられていたとしても,その名称がP3の客観的な正式名称と異なるも
のであるということはできない。
(オ)被告は,①本件信任状について,その入手経過に不自然さが残る
上,表題部に記載された組織名が「○」と綴られているが,このうち「○」
の部分が,原告の供述ともP3のウェブサイトに表示された名称とも異
なることからすれば,その真正に疑義があるといえ,その他,原告がP
3に所属することを裏付ける客観的な証拠はないし,また,②原告が,
P3の身分証の所在について,難民認定手続においては自宅に置いてき
た旨を述べていたのに対し,本人尋問においてはある人物に預けてきた
旨を述べ,その供述を変遷させている旨主張する。
しかし,まず,上記①について,証拠(乙28〔訳文2頁〕,30〔1
6頁,別紙2〕,原告本人〔19ないし21頁〕)によれば,㋐本件
信任状は,P3の発行した2008年信任状16号との表題の下に,名
前及び生年月日欄には原告の氏名及び生年月日,カテゴリーと担当欄に
は情報,宣伝及び組織化,職業欄には情報技術士とそれぞれ記載される
とともに,本件信任状を所有するP3の闘士に対し,必要な際には保護
を与えるように要請する旨記載されたものであること,㋑原告は,平
成21年9月4日の本件異議申立ての際に提出した異議申立てに係る申
述書において,アンゴラを出る際に,原告の任務を証明する信用状(本
件信任状と同種の書類を指すものと推認される。)及びP3のメンバー
カードを持ち出すことができず,それらの書類がP3のメンバーから送
られてくるのを待っている旨記載していたこと,㋒本件信任状は,ル
アンダのεにあったものであるが,本件異議申立てにおける原告(異議
申立人)の代理人弁護士が,原告から聞いたルアンダにいるP3のメン
バーのメールアドレス宛てに,原告の身分を証する書類を送るように依
頼したところ,その相手方から送付を受け,同弁護士において同年10
月15日に翻訳書を作成し,同年11月2日に東京入管に提出したもの
であること,㋓本件信任状の表題にある「2008年信任状16号」
というのは,P3においてその年に与えられた16番目の役割,仕事を
意味するものであることが認められる。以上の認定事実によれば,本件
信任状に記載された原告の身分事項は客観的事実及び原告の供述内容に
沿うものである上,原告が本件信任状を入手し,これを東京入管に提出
するに至った経過にも特段不自然なところはないということができる。
さらに,本件信任状の表題にあるP3の表記についても,少なくとも「○」
という用語は,被告の指摘するP3のウェブサイト(乙36)における
表記と一致しているし,また,「○」の「○」が正しくは「○」である
ことや,「○」が正しくは「○」であることは,いずれも軽微な誤りに
すぎず,本件信任状が真正なものであることを否定するまでの事情には
当たらないというべきである。
また,上記②について,証拠(乙23〔10頁〕,原告本人〔29,
30頁〕)によれば,確かに,原告は,P3の身分証について,本件事
情聴取においては自宅に置いてきたため見せることができない旨供述し
ていたのに対し,本人尋問においてはある人物に預けていた旨供述して
いることは認められるものの,これらの供述内容は,いずれもP3の身
分証については本国に置いてきたため提出することができない趣旨を述
べるものとしては共通しているということができるのであるから,原告
がP3のメンバーであることを否定するまでの供述の不一致には当たら
ないというべきである。
(カ)したがって,被告の上記各主張を検討しても,原告の供述の信用性
に疑問を生じさせるような事情は見当たらず,原告が,1997年(平
成9年)にはP3のメンバーとなり,2003年(平成15年)にカビ
ンダからルアンダに移ってからも,アンゴラの各地にあるカビンダ人の
コミュニティを訪ね,密かに集会を開催してカビンダの独立の必要性を
訴える活動をしたり,2008年(平成20年)9月に実施された国会
議員選挙において,野党であるP2の選挙活動に協力する活動を行った
りするとともに,P3の集会に参加して意見を述べるなどの活動をして
いた旨の上記(3)の認定は左右されないというべきである。
イ原告が身柄拘束を受けたかどうかについて
被告は,上記(3)の認定に反し,身柄拘束を受けた旨の原告の供述は信用
ができない旨主張するので,以下では,その根拠として被告が指摘する事
情について検討する。
(ア)被告は,原告が逮捕された具体的な理由を述べるに至っていない旨
主張する。
しかし,原告は,身柄を拘束された後に,警察官らの追及を受けてP
3のメンバーであることを認めたところ,P3が国家の安全を脅かすた
め取り締まっていると言われた旨を供述しており(甲15〔8頁〕,乙
23〔10,11頁〕,30〔3頁〕,原告本人〔9頁〕),原告が逮
捕された理由について,P3のメンバーであったためであることを明ら
かにしている。そして,前記(2)イ(ウ)の認定事実のとおり,アンゴラに
おいては,P3の活動をしている者が治安当局により拘束され,「国家
の安全に対する犯罪」に問われている事例が見られるとされているとこ
ろ,原告の上記供述は,このようなアンゴラの一般情勢に沿うものであ
ることからすれば,原告が,逮捕された具体的な理由について述べてい
ないなどと評価することはできない。
(イ)被告は,原告の逮捕前の生活状況等に鑑みると,原告が突然身柄拘
束を受けたのは不自然である旨主張する。
しかし,上記(3)及び(4)アで認定,説示したとおり,原告は,P3の
メンバーとして活動していた者である以上,原告がアンゴラ政府により
身柄拘束を受けたこと自体には何ら不自然なところはない。また,上記
(3)ア(エ)で認定したとおり,原告は,カビンダからルアンダに移った2
003年(平成15年)以降,コンピュータ会社を経営しながら,アン
ゴラの各地にあるカビンダ人のコミュニティを訪ね,密かに集会を開催
してカビンダの独立の必要性を訴える活動をするなどしていたものであ
るが,P3の活動を公然と行っていたものではない以上,身柄を拘束さ
れる以前にはアンゴラ政府から監視されていなかったとも考えられる。
そして,原告が,身柄を拘束されたきっかけについて,他のP3のメン
バーから,武装活動ではなく政治活動によってカビンダの独立を勝ち取
るべきである旨の原告の意見に反発したことなどを理由として密告され
た可能性を指摘している(甲15〔9頁〕,乙23〔10頁〕,30〔9
頁〕,原告本人〔9,10頁〕)ことを考え合わせると,原告が200
9年(平成21年)2月に突然身柄拘束を受けたことが不自然であると
いうこともできない。
(ウ)被告は,身柄拘束をされた際に自宅等を捜索された状況に関する原
告の供述には変遷がある旨主張する。
しかし,原告が身柄拘束された際の警察の捜索の状況に関し,原告は,
本件事情聴取において,警察官が,家宅捜索を始め,武器の有無を確認
し,武器がないことがわかると,縄で後ろ手に縛って原告を連行した旨
供述する(乙23〔10頁〕)一方で,本件意見陳述においては,警察
官が,武器を持っていないかを調べるため家の中を探し,家の横にある
事務室に入り,パソコンを見て,その後に手を後ろにつかんで原告を連
行した旨を供述した(乙30〔3頁〕)ものと認められ,原告代理人作
成の聴取書や本人尋問においてもこれと同様の供述をしている(甲15
〔7,8頁〕,原告本人〔7,8,18頁〕)ことからすれば,原告は,
警察官が,原告の自宅において武器の有無を確認するとともに,自宅に
併設する事務室を捜索してパソコンを調べた旨の一貫した供述をしてい
ることが認められるのであるから,供述内容に変遷があるということは
できない。
(エ)被告は,原告が,官憲から受けた尋問の内容についても具体性に乏
しい旨主張する。
しかし,原告は,身柄を拘束された後の取調べの状況について,上記
(3)イ(イ)のとおりの内容を一貫して供述しているのであり,その内容に
具体性を欠くところがあるということはできない。
(オ)したがって,被告の上記各主張を検討しても,原告の供述の信用性
に疑問を生じさせるような事情は見当たらず,原告が,P3のメンバー
であることにより身柄を拘束され,暴行を伴う取調べを受けた上で,そ
の後国家犯罪捜査庁及び刑務所において,3か月以上にわたり,食事も
満足に与えられず,不衛生で劣悪な環境の下で収容され続けたとの上記
(3)の認定は左右されないというべきである。
(5)原告の難民該当性
ア以上の認定事実を踏まえて原告の難民該当性を検討するに,前記(2)ウの
とおり,アンゴラにおいては,少なくとも本件不認定処分がされた平成2
1年8月当時,P3に所属して活動している者については,治安当局から
迫害を受けるおそれがあったというべきである上,前記(3)の認定事実のと
おり,原告は,1997年(平成9年)にはP3のメンバーとなり,20
03年(平成15年)にカビンダからルアンダに移ってからも,アンゴラ
の各地にあるカビンダ人のコミュニティを訪ね,密かに集会を開催してカ
ビンダの独立の必要性を訴える活動をしたり,2008年(平成20年)
9月に実施された国会議員選挙において,野党であるP2の選挙活動に協
力する活動を行ったりするとともに,P3の集会に参加して意見を述べる
などの活動をしていたところ,2009年(平成21年)2月に,突然警
察官に身柄を拘束され,暴行を受けながら,P3のメンバーであるかどう
かや,他のP3の戦闘員の所在などを問うための取調べを受け,P3が国
家の安全を脅かす分離主義者である旨責め立てられ,その後,3か月以上
にわたり,国家犯罪捜査庁及び刑務所において,何らの手続を受けないま
ま,食事も満足に与えられず,不衛生で劣悪な収容環境の中で収容され続
けていたものである。以上によれば,原告は,アンゴラ政府当局から,反
政府組織であるP3に所属して活動していると把握され,迫害を受けたも
のであると認められる。
そうすると,原告がアンゴラに強制送還された場合,政府当局から迫害
を加えられるおそれがあり,通常人が原告の立場に置かれた場合に迫害の
恐怖を抱くような客観的事情が存在しているということができる。
したがって,原告は,入管法にいう難民に該当すると認められる。
イ(ア)これに対し,被告は,原告の行動には切迫感,緊張感が見受けられ
ない上,上陸審査手続及びそれに引き続いて行われたセカンダリ審査で
は,一貫して,商用目的で本邦に入国した旨を述べており,本国政府か
ら迫害を受けるおそれがあったことについては何ら供述していなかった
ことからすれば,原告が,本国での迫害を逃れるため本国から出国した
ものであるということはできない旨主張する。
しかし,証拠(乙5,原告本人〔21頁〕)によれば,原告は,本国
を出国したいと思ったのではなく,自分の命を守りたいという気持ちを
持っていたところ,他のP3のメンバーから身の危険を考えると本国を
出国するしかないと勧められて出国を決意したことが認められ,家族も
いる本国を離れることに対する率直な心情を踏まえた経過を述べる原告
の供述内容に不自然なところがあるということはできない。また,前記
(3)ウ(ウ)で認定したとおり,原告は,本邦に入国した日に本件許可申請
をしている上,証拠(甲15〔12頁〕,乙6,原告本人〔23頁〕)
によれば,入国審査の当初,商用目的で入国すると申請した理由につい
て,P11から受けた助言に従い,本邦に一旦入国した上で,その後に
UNHCRに連絡して難民申請をする予定であったためであると認めら
れ,実際にも,本邦に上陸してからわずか9日後には本件難民認定申請
をしていることからすれば,本邦における上陸審査の経過からしても,
原告が難民としての庇護を求めて本邦に上陸したものであることは明ら
かであるということができる。
(イ)被告は,原告が,2006年(平成18年)に,ルアンダにおいて,
自ら手続をして正規の旅券の発行を受け,2007年(平成19年)に
はこの旅券を使用してコンゴ民主共和国に渡航したことからすれば,原
告が迫害のおそれを感じていたとは認められず,また,本国政府から反
政府活動家として注視されていたということもできない旨主張する。
しかし,証拠(乙2〔5,18枚目〕)及び弁論の全趣旨によれば,
原告がアンゴラ政府から旅券の発給を受けたのは,原告が身柄を拘束さ
れる前の2006年(平成18年)9月21日であり,これを用いてコ
ンゴ民主共和国に渡航したのは2007年(平成19年)7月のことで
あると認められ,上記(4)イ(イ)のとおり,原告が,P3の活動を公然と
行っていたものではなく,その当時アンゴラ政府から監視されていたわ
けではないとも考えられることからすれば,原告が旅券の発給を受け,
海外への渡航歴があるからといって,本件不認定処分がされた平成21
年8月当時,迫害のおそれがないと感じていたわけではないとも,本国
政府から反政府活動家として注視されていたわけではないともいうこと
はできない。なお,証拠(乙39)によれば,原告の旅券はアンゴラの
財産であり,いつでも回収できるものとされていることが認められるも
のの,原告がP8病院から脱走した後に原告の旅券を用いて本邦まで渡
航できたからといって,そのことから直ちにアンゴラ政府が原告を監視
していないことにはならないというべきである。
(ウ)被告は,仮に,原告がP3のメンバーであり,逮捕されたことが事
実であったとしても,原告の供述する取調べ状況,尋問内容,P8病院
への移送状況,移送後の面会状況によれば,原告が本国政府から殊更注
視される状況に置かれていたとは認められない旨主張する。
しかし,前記認定,説示したとおり,アンゴラにおいては,少なくと
も本件不認定処分がされた平成21年8月当時,P3に所属して活動し
ている者については,治安当局から迫害を受けるおそれがあったという
べきである上,原告は,1997年(平成9年)にはP3のメンバーと
なり,カビンダのアンゴラからの独立を目指してP3の支援者を拡大す
るための政治活動をしていたところ,2009年(平成21年)2月に,
突然警察官に身柄を拘束され,暴行を受けながら取調べを受け,その後,
3か月以上にわたり,国家犯罪捜査庁及び刑務所において,食事も満足
に与えられず,不衛生で劣悪な収容環境の中で収容され続けていたので
ある。このような事情の下では,原告はP3という特定の社会的集団の
構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあると
いう十分に理由のある恐怖を有する者であると優に認められるのであっ
て,原告が本国政府から殊更注視される状況に置かれていたかどうかと
いうことは,原告の難民該当性を左右しないというべきである。
(エ)したがって,被告の上記(ア)ないし(ウ)の各主張をいずれも採用す
ることはできない。
ウ以上検討したとおり,原告は,入管法にいう難民に該当すると認められ
ることから,原告を難民と認めなかった本件不認定処分は,違法であると
いうべきである。
2争点(2)(本件在特不許可処分の無効事由の有無)について
(1)入管法61条の2の2第2項は,法務大臣は,難民認定申請をした在留資
格未取得外国人について,難民の認定をしない旨の処分をするとき,又は難
民の認定をする場合であって,定住者の在留資格の取得を許可しないときは,
当該在留資格未取得外国人の在留を特別に許可すべき事情があるか否かを審
査し,当該事情があると認めるときは,その在留を特別に許可することがで
きる旨規定しているところ,前記1のとおり,原告は,入管法上の難民に当
たるのであるから,これに当たらないことを前提としてされた本件在特不許
可処分は,当然に違法であるというべきである。
(2)ところで,行政処分が法定の処分要件を欠き違法である場合に,当該処分
の取消しを求める司法上の救済手続においては,法定の出訴期間の遵守が要
求され,その所定の期間を経過した後は,原則としてもはや当該処分の瑕疵
を理由としてその効力を争うことはできないものとされているが,その瑕疵
が重大かつ明白で当該処分が無効と評価される場合には,このような出訴期
間による制約は課されないものとされている。このような無効事由として瑕
疵の明白性が要求される理由は,重大な瑕疵による処分によって侵害された
国民の権利保護の要請と,これに対するものとしての法的安定及び第三者の
信頼保護の要請との調和を図る必要性にあるということができる。そうであ
るとすると,一般に,入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をし
ない旨の処分が当該外国人に対してのみ効力を有するものであり,当該処分
の存在を信頼する第三者の保護を考慮する必要が乏しいことなどを考慮すれ
ば,当該処分の瑕疵が入管法の根幹についてのものであり,かつ,出入国管
理行政の安定とその円滑な運営が要請されることを考慮してもなお出訴期間
の経過による不可争的効果の発生を理由として当該外国人に処分による重大
な不利益を甘受させることが著しく不当と認められるような例外的な事情の
ある場合には,上記の過誤による瑕疵が必ずしも明白なものでなくても,当
該処分は当然無効であると解するのが相当である(最高裁昭和42年(行ツ)
第57号同48年4月26日第一小法廷判決・民集27巻3号629頁参照)。
(3)これを本件についてみると,本件在特不許可処分は,難民である原告につ
いて入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしないというもので
あり,その結果,原告を,これを迫害するおそれのあるアンゴラに送還する
こととなるものである。しかし,我が国が難民条約及び「拷問及び他の残虐
な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約」(以下「拷
問等禁止条約」という。)を批准し,難民条約33条1項を前提に入管法5
3条3項が規定されていること,入管法上の難民の意義,性質等に照らせば,
難民である外国人を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還してはな
らないことは,入管法上明らかである。そうすると,本件在特不許可処分は,
難民である原告について入管法61条の2の2第2項による在留特別許可を
せず,その結果,原告を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還しよ
うとする点において,入管法の根幹に関わる重大な瑕疵を有するものという
べきである。
そうすると,本件在特不許可処分には,出入国管理行政の安定とその円滑
な運営の要請を考慮してもなお,出訴期間の経過による不可争的効果の発生
を理由として,難民である原告について入管法61条の2の2第2項による
在留特別許可をせず,その結果,原告に迫害を受けるおそれのある国に送還
されるという不利益を甘受させることが,著しく不当と認められるような例
外的な事情があるというべきである。
したがって,本件在特不許可処分は当然無効と解するのが相当である。
3争点(3)(本件退令処分の無効事由の有無)について
(1)主任審査官は,法務大臣等から異議の申出には理由がないと裁決した旨の
通知を受けたときは,速やかに当該外国人に対し,その旨を知らせるととも
に,退去強制令書を発付しなければならないが(入管法49条6項),当該
外国人が難民条約に定める難民であるときは,当該外国人を,これを迫害す
るおそれのある国に向けて送還することはできない(入管法53条3項,難
民条約33条1項,拷問等禁止条約3条)。したがって,当該外国人が難民
であるにもかかわらず,その者を,これを迫害するおそれのある国に向けて
送還する退去強制令書発付処分は違法であるというべきである。
(2)これを本件についてみると,前記1で判示したとおり,原告は難民に当た
るということができるから,原告を,これを迫害するおそれのあるアンゴラ
へ向けて送還する本件退令処分は違法であるというべきである。
そして,本件退令処分は,原告を迫害のおそれのあるアンゴラに送還する
ことになるものであり,前記2のとおり,入管法の根幹に関わる重大な瑕疵
を有するものといわざるを得ない。したがって,本件退令処分は当然無効と
解するのが相当である。
第4結論
よって,原告の請求は,いずれも理由があるからこれらを認容することとし,
主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第2部
裁判長裁判官増田稔
裁判官村田一広
裁判官不破大輔
(別紙2)
関係法令の定め
1入管法2条(定義)
入管法及びこれに基づく命令において,次の各号に掲げる用語の意義は,そ
れぞれ当該各号に定めるところによる。
(1)1ないし3号[略]
(2)3号の2
難民難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条の規定
又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定
により難民条約の適用を受ける難民をいう。
2難民条約1条(「難民」の定義)
(1)A
この条約の適用上,「難民」とは,次の者をいう。
ア(1)[略]
イ(2)
1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,人種,宗教,
国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由
に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,
国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができない
もの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを
望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外に
いる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができない
もの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰る
ことを望まないもの
[以下略]
(2)BないしF[略]
3難民議定書1条(一般規定)
(1)1
この議定書の締約国は,2に定義する難民に対し,難民条約2条から34
条までの規定を適用することを約束する。
(2)2
この議定書の適用上,「難民」とは,3の規定の適用があることを条件と
して,難民条約1条を同条A(2)の「1951年1月1日前に生じた事件の結
果として,かつ,」及び「これらの事件の結果として」という文言が除かれ
ているものとみなした場合に同条の定義に該当するすべての者をいう。
(3)3[略]
以上

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