弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原決定を取り消す。
     本件について熊本地方裁判所甲支部の再審を開始する。
     請求人に対する死刑の執行を停止する。
         理    由
 本件抗告の理由は、記録に編綴の弁護人尾崎陞、同手代木進、同佐伯仁、同倉田
哲治、同真部勉、同川坂二郎、同古原進、同荒木哲也連名の「即時抗告の申立」と
題する書面及び「申立補充書」と題する書面記載のとおりであり、これに対する答
弁は、検察官疋田慶隆名義の昭和五三年五月一二日付意見書記載のとおりであるか
ら、ここにこれらを引用する。
 第一 本件抗告理由
 本件抗告理由は要するに、(1)原決定は、熊本地方裁判所甲支部裁判官三名か
らなる合議体でなさるべきであるところ、裁判官丙3は関与せず、裁判官丙1、同
丙2の両名によりなされたものであるから、無効である。(2)原決定が、請求人
の自白調書の信用性に関し、その逃走経路部分につき原審検証調書の、その犯行の
態様につき乙1鑑定、乙1証言の、熊本県警の鑑定結果回答書の信用性に関し乙2
鑑定の明白性をそれぞれ否定したのは失当であり、また、人吉測候所長作成の気象
照会回答書につき、刑事訴訟法四四七条二項を適用したのは誤りである、というの
である。
 第二 原決定は無効であるとの論旨について。
 所論は要するに、本件再審請求事件は法定合議事件であるところ、原決定は昭和
五一年四月三〇日付でなされ、該決定書には裁判官として丙1、丙2及び丙3の署
名押印が存するが、牧裁判官は昭和五一年四月一日付で東京簡易裁判所判事兼東京
地方裁判所判事補に転補され、熊本地方裁判所甲支部裁判官の地位を失つたもので
あつて、しかも同月三〇日には東京地方裁判所民事九部で執務していたものである
から、同日に右裁判をなしうる筈がなく、また裁判書に署名押印をすることもでき
なかつた筈である。したがつて、原決定は丙3を除く他の二名の裁判官によつてな
されたものであり、合議体の員数を三人と定めた裁判所法の規定に違反し無効であ
るというのである。
 しかし、右丙3は昭和五一年四月一日付で東京簡易裁判所判事兼東京地方裁判所
判事補に転補されたものであるところ、最高裁判所事務総局人事局長より福岡高等
裁判所長官あての同月八日付書面によれば、同月一日から同月三〇日まで熊本地方
裁判所甲支部判事補の職務代行を命じられたものであることが認められる。
 してみれば、同人は同月三〇日までは裁判事務に関して同支部裁判官としての職
務権限を有し、右決定及び決定書の作成に関与できる地位にあつたことは明らかで
ある。原決定書は同月三〇日付で作成されているが、同日までの間に丙3が右裁判
及び裁判書の署名押印をなせば十分であつて、現実に同日同裁判所で執務すること
を要するものではなく、右決定書の署名押印も同日中になされる必要は毫も存しな
い。
 以上の次第で、原決定の効力は否定できないので、所論は採用することができな
い。
 第三 本件再審請求に至るまでの経緯
 本件再審請求事件記録及び従前の再審請求各記録、原第一、二審及び原上告審各
記録並びに各判決書、決定書の謄本によると、以下のとおり認められる。
 一 原第一審判決(熊本地方裁判所甲支部昭和二五年三月二三日言い渡しの有罪
判決。なお後記第三の事実のほかに、第一、第二各窃盗の事実がある。)に対し
て、請求人から控訴の申立がなされたが、昭和二六年三月一九日福岡高等裁判所に
おいて控訴棄却の判決があり、更に請求人から上告の申立がなされた結果、同年一
二月二五日最高裁判所において上告棄却の判決があつて確定するに至つた。
 二 右確定有罪判決に関しては、これまで五回にわたり請求人から再審請求がな
されたのであるが、
 1 (第一次再審)昭和二七年六月一〇日福岡高等裁判所に再審請求がなされた
が、昭和二八年一月二四日不適法であるとして棄却決定がなされて確定し、
 2 (第二次再審)昭和二八年二月一一日熊本地方裁判所甲支部に再審請求がな
されたが、同年七月二二日不適法であるとして棄却決定がなされ、即時抗告した
が、同年八月七日福岡高等裁判所で棄却されて確定し、
 3 (第三次再審)昭和二九年五月一八日熊本地方裁判所甲支部に対し、後記第
三の事実に関して再審請求がなされ、同裁判所は昭和三一年八月一〇日再審開始決
定をしたが、同月一六日検察官から即時抗告の申立があり、昭和三四年四月一五日
福岡高等裁判所で右決定を取り消し、再審請求を棄却する旨の決定がなされ、請求
人は特別抗告をしたが、昭和三六年一二月六日最高裁判所で棄却されて確定し、
 4 (第四次再審)昭和三六年一二月一六日熊本地方裁判所甲支部に対し後記第
三の事実に関して再審請求がなされたが、昭和三九年三月二六日右再審請求は理由
がないとして棄却決定がなされ、即時抗告たが、同年五月四日福岡高等裁判所で棄
却され、特別抗告したが、同年七月七日最高裁判所で棄却されて確定し、
 5 (第五次再審)昭和三九年一〇月二八日熊本地方裁判所甲支部に対し後記第
三の事実に関して再審請求がなされたが、熊本地方裁判所に回付され、昭和四一年
一〇月一四日同裁判所で理由がないとして棄却決定がなされ、即時抗告したが、同
年一二月一九日福岡高等裁判所で棄却され、特別抗告したが、昭和四二年一月二〇
日最高裁判所で棄却されて確定し、
 6 本件再審請求は、昭和四七年四月一七日熊本地方裁判所甲支部に対し後記第
三の事実に関して刑事訴訟法四三五条六号にいわゆる有罪の言い渡しを受けた者に
対して無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したときに該当するとして
なされたが、昭和五一年四月三〇日同裁判所で理由がないとして棄却決定がなされ
た。
 第四 証拠の明白性、新規性について。
 一 まず、所論にかんがみ証拠の明白性について述べれば、証拠の明白性とは、
当の証拠が有罪の確定判決における事実認定につき合理的な疑いを抱かせ、その認
定を覆すに足りる蓋然性を有することであり、換言すれば、もし当の証拠が有罪の
確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたならば、合理的な疑いを生ぜし
めることなくその確定判決における事実認定に到達したか否かの観点から、当の証
拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきであり、この判断に際しても、再
審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足
りる意味において、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判における鉄則が
適用されるものと解すべきである(最高裁判所第一小法廷昭和五〇年五月二〇日決
定、刑集二九巻五号一七七頁以下参照)。したがつて、本件再審請求は熊本地方裁
判所甲支部がなした原第一審判決に対するものであるから、まず、原第一審判決の
有罪判断の基礎となつた認定事実と挙示の証拠を検討し、あわせて弁護人らによつ
て新証拠として提出された証拠のみならず、本件再審請求の理由の存否に関連し
て、原審及び当審に提出されたすべての証拠を検討しつつ、原決定の説示の当否を
判断すべきである。
 なお右証拠に関し、再審請求が数次に及ぶような場合において、新たに発見され
た証拠が数度に亘る場合とそうでない場合と対比して著しい不均衡を生ぜしめるよ
うなことは相当でなく、刑事訴訟法四三五条六号の明白性の判断は総合的なもので
あるから、原確定裁判の全訴訟資料のほか、従前の再審請求において新証拠として
提出された資料もその証拠価値の肯認されるようなものである限り、新証拠との関
係で再度全体的心証形成の素材として右判断の資料となしうるものと解するのが相
当であり、また、刑事訴訟法四四七条二項は再審請求に対する棄却決定があつたと
きは、同一の理由によつて再び再審請求できないと規定しているが、同法四三五条
六号により原確定判決の有罪認定を攻撃しようとすれば、多くの場合、その問題と
すべき争点(要証事実)は限られているから、新たに発見された証拠で明確にしょ
うとする要証事実が従前主張された事実と同一のものであつても、その証拠の種別
が、単に証拠方法を異にするにとどまらず、実質的にも別異のものと評価されるも
のであるかぎり、その発見の都度、別異の理由として再審請求しうるものと解すべ
きである(広島高等裁判所昭和五一年九月一八日決定参照)。
 二 1 次に、証拠の新規性について述べれば、証拠の新規性とは、証拠の発見
があらたなことをいうのであつて、それが原判決以前に既に存在していたか、又は
その後に存在するに至つたかを問わないが、あらたにと言いうるためには裁判所に
とつてのみならず、再審請求権者にとつてもあらたに発見したものでなければなら
ない。
 また、「証拠」には証拠方法と証拠資料の両者を含むと解すべきであるから、証
拠方法として同一であつても、証拠資料としてその内容に変化のある場合には、そ
の新規性は肯定すべきであり、逆に証拠方法を異にしても、同一供述主体てその内
容が同一趣旨のものであれば、新規性を欠くことになる。なお、鑑定についても、
その鑑定内容が前の鑑定と結論を異にするか、又は結論が同旨であつても、鑑定の
方法や鑑定に用いた基礎資料が異なるなど、証拠資料としての意義内容が異なると
きは証拠の新規性を認めるべきである。
 2 右の見地からして、請求人提出の証拠のうち、原決定が証拠の新規性を有す
ると解したものについては、当審においてもこれを是認することができる。
 第五 原第一審判決
 一 原第一審認定の罪となるべき事実第三(以下丁1事件という)の要旨は、
 請求人は妻乙3と正式に離婚となつた後、山林伐採人夫として稼働しようと思い
立ち、昭和二三年一二月二九日実父の馬代金四〇〇〇円を無断で取り立てて使用し
た残金二四〇〇円位及び衣類若干、鉈を携え、実父に無断で家出し、知人を頼つて
熊本県球磨郡a村方面に向う途次、同県人吉市に下車したが、途中列車内で旅館丁
2の女中丁3に出会い、同女から飲食代金一四〇〇円の請求を受けたので、止むな
く右所持金の中から一〇〇〇円を支払つたため、残金が僅少となつたところから、
辻強盗を思い立ち、右鉈を携え、同日午後一〇時ころから人通りの少い通称中学校
通りに至り通行人を物色したが、適当な人に行き会わなかつたので、たまたま同市
b町c番地戊1(当時七六年)が祈祷師として流行つている旨かねて聞知していた
のを思い起し、同人方から金員を窃取しようと決意し、同夜一一時三〇分ころ、右
戊1方住家の表雨戸を所携の鉈でこじ開けて不法に同家屋内に侵入し、家人就寝中
を奇貨として金品を物色中、戊1の妻戊2(当時五二年。原第一審判決中戊2とあ
るのは誤記と認める。以下同じ。第三次再審における取寄記録中の戸籍謄本参照)
が物音にめざめ、「泥棒」と叫び、その声に戊1が起き上ろうとしたので、事発覚
して逮捕されることをおそれ、これを免れるため、咄嵯に家人全部を殺害しようと
決意し、右鉈を振つて、先ず戊1の頭部を滅多斬りに斬りつけ、続いて右戊2及び
同人等の長女戊3(当時一四年)、次女戊4(当時一二年)の頭部を前同様滅多斬
りに斬りつけたうえ、その場に有合せの刺身包丁をもつて戊1の咽喉部に止めを刺
し、よつて右戊1に対しその頭部に一〇個の割創を、その頸部に刺創等を負わせ、
その頭部割創に基く脳挫滅並びに失血のため、その場に即死させ、右戊2に対しそ
の頭部に七個の割創等を負わせ、その頭部割創に基く脳挫滅並びに失血のため、翌
三〇日午前八時三〇分ころ同市丁4病院において死亡させたが、戊3に対してはそ
の頭頂部に入院治療一三日間の切創三個を、戊4に対しては入院治療二九日間、通
院治療約一か月の割創二個を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかつたもの
である。
 というのである。
 二 原第一審判決挙示の第三の事実に関する証拠の標目は次のとおりである(な
お、括弧内に証拠説明等を略記する)。
 1 請求人の原第一審公判廷における供述、但し第三回公判期日における犯行否
認部分を除く(殺意を否認し、傷害の部位程度は分らないというが、その余の部分
は原第一審判示認定事実に副うものである)
 2 請求人の司法警察員(昭和二四年一月一七日付、同月一八日付)及び検察官
に対する各供述調書(原第一審判示認定事実の自白)
 3 請求人の裁判官に対する陳述調書(右同)
 4 証人乙4(二回共。被害者戊1、戊2の成傷原因につき、本件鉈でも可能で
あること等を供述)、同乙5(被害者戊3、戊4の傷害状況を供述)、同乙6(請
求人を取り調べた経緯と状況を供述)、同乙7(同上)、同乙8(同上)及び同乙
9(本件鉈を埋めた場所を請求人が指示した状況等を供述)の原第一審公判廷にお
ける各供述
 5 原第一審における乙10(請求人を取り調べた経緯及び取り調べ状況を供
述)、戊3(本件犯行の状況、但し犯人の姿は見ていないと供述)、戊4(本件犯
行の状況、とりわけ犯人は無帽、長髪、中背の若い男であると供述)、乙11(犯
行日時前後の請求人の行動、服装等を供述)、乙12(犯行日後の請求人の行動、
服装等を供述)、丁3(犯行日の夕方ころの請求人の行動、服装等を供述)、乙1
3(請求人の性格及び犯行日前後の行動等を供述)及び乙3(請求人との離婚状況
を供述)に対する各証人尋問調書
 6 司法警察員作成の検証調書、添付の図面及び写真共(犯行現場の状況を示す
もの)
 7 原第一審裁判所の検証調書、二回共(犯行現場の状況を示すもの。但し、昭
和二四年三月四日付検証調書附録見取図入一葉二図在中とあるが、現時点では存在
せず、同年六月二三日付検証調書附録見取図入三葉在中とあるうち、第一葉は現時
点では存在しない)
 8 現場写真一四葉(犯行現場の状況を示すものと思われるが、現時点では存在
しない)
 9 医師乙4作成の昭和二四年一月二七日付鑑定書(以下、乙4第一次鑑定とい
う。被害者戊1は重量ある刃器により生じた割創一〇個と細長鋭利な刃器により生
じた刺創一個等を負つていて、その死因は頭部割創に基づく脳挫滅並びに失血で、
頸部刺創は死の止めをさしたものと思われ、同人の血液型はO型である。被害者戊
2は鉈様の重量ある刃器により生じた割創等を負つており、その死因は頭部割創に
基づく脳挫滅並びに失血であつて、その血液型はO型であることを鑑定)
 10 医師乙5作成の戊2、戊3、戊4に対する各診断書(各被害者の受傷状
況)及び鑑定書(被害者戊3の血液型はB型、戊4の血液型はO型であることを鑑
定)
 11 国家地方警察熊本県本部警察隊長より人吉市警察署長あての鑑定結果回答
書(本件鉈の柄部に付着している血痕の血液型はO型である旨鑑定。なお、請求人
の絆天、上衣、チヨツキ、マフラー、ズボン、手袋、地下足袋については血痕付着
が証明されず、また、請求人の唾液よりその血液型はA型であることを鑑定)
 12 領置されている刺身包丁一本及び鉈一挺(現時点ではいずれも所在不明で
ある)
 三 したがつて、原第一審判決の判示第三の事実認定、とりわけ請求人が犯人で
ある旨の認定の基礎は、乙4第一次鑑定や乙9の証言もさることながら、請求人の
自白及び国家地方警察熊本県本部警察隊長よりの鑑定結果回答書にあると思われ
る。
 四 そこで、本件事案においては、先ず右鉈の付着血痕の血液型判定について検
討し、次いで請求人の自白調書について検討することとする。
 第六 本件鉈の付着血痕の血液型について。
 一 先ず、本件鉈に付着していた血痕の血液型が被害者戊1らの血液の血液型と
同じO型であるとの国家地方警察熊本県本部警察隊長より人吉市警察署長あての鑑
定結果回答書(以下、単に鑑定結果回答書という)の信用性について検討する。
 原第一審判決挙示の乙4第一次鑑定によれば、本件被害者中最も大きな打撃を受
けた戊1及び戊2の各血液型はいずれもO型であり、医師乙5作成の鑑定書によれ
ば、戊3の血液型はB型、戊4の血液型はO型であることが認められる。
 ところで、前記鑑定結果回答書によれば、警察の鑑定結果として、本件鉈の柄部
には血痕が付着し、その血液型はO型である旨判定されていることが認められる。
 弁護人らは、右血痕の血液型がO型である旨の判定は信用できないと主張するも
のである。
 二 この点に関する新証拠の乙2外一名作成の昭和四七年七月二九日付鑑定書
(以下乙2鑑定という)、東京高等裁判所の乙9に対する証人尋問調書謄本、原審
における乙7、乙8、乙10及び乙1の各証人尋問調書の明白性を否定した原決定
の要旨は次のとおりである。すなわち、
 1 右乙9の証人尋問調書謄本によれば、右鑑定結果回答に要した時間は昭和二
四年一月一八日の午前九時ころから午後三時ないし四時ころまでの六~七時間であ
ることが認められる。
 2 一方、乙2鑑定によれば、血液型を検査するためには、血痕予備試験、血痕
本試験、人血試験、血液型検査を実施することを要し、なかでも人血試験の浸出液
を作成するのに最低二四時間、血液型検査として当時一般的に行われていた凝集素
吸収法の吸収操作時間として最低二六~七時間を必要とするので、右各試験ないし
検査のうえ血痕の血液型を判定するためには、少くとも一~二日を要するのであ
り、僅か六~七時間の所要時間で鉈の付着血痕の血液型を〇型であると判定してい
る鑑定結果は、検体浸出操作時間、吸収操作時間が十分でないので、誤判の可能性
が高く、信用性がかなり少いというのである。
 3 しかし、右乙2鑑定を検討しても、人血試験の浸出時間は被検斑痕の性状に
よつて短縮もありうるとし、更に、人血と判定するには積極的な白濁輪反応による
のであるから、右反応があれば浸出時間は十分であつたことになることや、被検斑
痕を直接採取する方法によると、間接的な採取方法による場合に比べて浸出液作成
時間が省略できることから、人血の検査時間を短縮することは可能であり、本件で
は直接採取がなされた可能性が考えられることに徴し、人血試験が不完全に実施さ
れたものとはいえず、また、血液型検査における吸収操作時間についても、血痕の
状態によつてかなりの差があるというのであり、原審における乙1の証人尋問調書
(以下乙1証言という)、を加えて検討しても、被検斑痕の量、その陳旧度、変質
度合い等により短縮されることが窺知されるのであつて、血痕量については、証人
乙7は米粒大、同乙8は米粒の半分大で粟粒大とそれぞれ供述しているが、これら
は要するに肉眼によつて血痕と判別できるものが鉈にこびりついていたというので
あるから、それが四分の一平方センチメートル以下であつたとも認定しがたく、ま
た、乙1証言によれば、鉈が土中に埋められた場合、水分、バクテリヤ等により変
質されると思うというのであるが、本件当時は冬の厳寒期であり、請求人の自供に
よつても埋められた期間は約一二日間にすぎず、場所も畑の一隅で深さ五寸位のと
ころというのであるから、被検血痕の保存状態も比較的良好であつたと推認される
ことに徴すると、吸収操作時間として乙2鑑定の指摘する時間が必要であつたとは
直ちに断定し難い。なお、乙1証人も、右鑑定結果回答書の作成者が唾液の血液型
を正確に判定しているとしてその技術を否定せず、右回答の判断について断定を避
けでいるのである。したがつて、これらの証拠は、鑑定結果回答書の証明力を左右
することはできないから、明白性を有しないというのである。
 三 そこで考察するに、
 1 東京高等裁判所の乙9に対する証人尋問調書謄本によれば、同人は当時人吉
署警察官で鑑識係をしていたものであるが、昭和二四年一月一八日鉈等を持つて汽
車(午前六時すぎ人吉駅発、午前九時ころ熊本駅着)で熊本市へ行き、これをその
日のうちに鑑定してくれるよう依頼して熊本県警の鑑識に渡したところ、同日午後
三時ころに鑑識結果回答書を受け取つたので、これを同日夕方人吉署に持ち帰つた
ことが認められる。
 右事実によれば、本鑑定結果回答(本件鉈に付着していた血痕の血液型の鑑定)
に要した時間は約六時間ということになる。
 2 乙2は主に血液の検査を研究してきた法医学教授であるところ、同人作成の
前記鑑定書及び当審取り調べの乙2作成の昭和五二年二月四日付意見書(弁護人尾
崎陞作成の昭和五一年一二月三日付意見嘱託書に対応するもの)によれば、血痕の
血液型の鑑定方法としては、血痕予備試験、血痕本試験、人血試験、血液型検査を
実施することが必要であるところ、人血試験においては、検体(被検斑痕)の採取
はすべて直接法によるのであつて、間接法が用いられることはないから、直接法に
よたからといつて試験時間を短縮できるということはありえないことであつて(因
みに、直接法、間接法というのは検体の採取方法であつて、前者は検体をけずり取
るなど直接採取する方法であり、後者は濾紙或いは脱脂綿などに検体を浸出させる
方法である。なお原決定は、決定書六二丁表六行目から八行目にかけての括弧書き
からも明らかなように、検体の採取方法としての間接法と浸出液の作成とを混合し
ているものと認められる。)、もとより乙2鑑定は検体の間接採取を前提とするも
のではないから、検体を直接採取する方法をとることにより浸出液作成時間が省略
できる旨の原決定の説示部分は誤りであるうえ、右証拠によれば、浸出時間(採取
した検体を浸出液に入れてからその内容が浸出液に溶解し終わるまでの時間)は、
一般に二四時間位であるところ、検体の量や性状により短縮したり延長したりする
けれども、短縮できるのは血痕が新しいとか量的に多い場合であつて、本件の場合
にはきわめて微量であるうえ、新鮮血でもないので浸出液を作るには十分時間をか
けなければならないから、最低二四時間位は必要であると認められるので(したが
つて、浸出時間が七時間以下でも白濁輪反応があると仮定することは妥当であると
はいえない。)、右鑑定結果回答書においては、人血試験の浸出時間が不十分であ
ることは否定しがたいところである。
 尤も、当審証人乙14の供述中には人血試験の浸出時間はせいぜい一〇分位で足
りる旨の供述部分が存するが、乙2鑑定に対比するとき科学的根拠に乏しい。
 3 次に、乙2鑑定及び当審における乙2の証人尋問調書(以下乙2証言とい
う)によれが、血液型検査として行われる凝集素吸収法において、当時警察では抗
O抗体やアイスラー加賀谷抗体は使用されておらず、抗A抗体及び抗B抗体だけを
使つて、いずれにも吸収がみられないときにO型と判定されるのであるから(当時
態本県警察本部においても、血液型検査として凝集素吸収法が用いられ、かつ抗O
抗体やアイスラー加賀谷抗体は使用されていなかつたことは、当審における受命裁
判官による乙15の証人尋問調書《以下、乙15証言という》によつても明らかで
ある)、検体の量及び吸収時間(吸収操作時間)が最も大切であつて、吸収時間は
一般に三七度数時間、氷室一二ないし二四時間位であり、血痕量の多少及び陳旧度
により異なるが、本件の場合血痕量が少ないことから最低二六~七時間、できれば
四八時間位必要であるというのである。更に、乙1証言によつても、同人は法医学
専攻の大学教授であるが、血痕の血液型がO型との判定にあたつては、吸収時間が
一夜間以下であること、血痕量が四分の一平方センチメートル以下であること、血
痕が古すぎて変質していることのどれかひとつにでも該当すれば、その検査結果で
あるO型との判定は信用できないというのである。これら専門学者の見解は信を措
くに足るものというべきである。
 そこで先ず、本件血痕の量についてみるに、乙7証人は米粒大、乙8証人は米粒
大の半分位で粟粒大、乙10証人は鉛筆の芯大とそれぞれ供述していて一様でない
ばかりでなく、米粒大であつたとしても四分の一平方センチメートルにとうてい満
たないことは明らかであるから、右各証言をもつて本件血痕の量が四分の一平方セ
ンチメートル以下であつたと断定しがたい旨の原決定の説示は相当でなく、更に、
乙2証言によれば、血痕の血液型を鑑定するのに必要な諸試験を行なうためには最
低二ないし三ミリグラムの血痕が必要であり、しかもそのうち半分にあたる一ない
し一・五、ミリグラムはいわゆる血液型検査だけに必要であるところ(検体の量が
少いところから、一個の試験管に検体をとりこれにO型血清を入れ、その後検体を
除いて残つた液が凝集能力を有するかどうか検査する場合においてである。
 元来凝集素吸収法においては、試験管二個を使うのが普通であり、これに抗A血
清、抗B血清を別々に入れたものにそれぞれ検体を入れて吸収操作するので、この
やり方に従えば前者の場合に比べて倍の量の検体が必要である。そして、乙15証
言によれば、昭和二四年当時熊本県警では後者のやり方がとられていたことが認め
られるので、必要量は前者の二倍ということになる。)、米粒大でもせいぜい〇・
八ないし一ミリグラムしかないので、いかに吸収時間をかけても正確な判定は不可
能であるというのである。
 次に、本件血痕の陳旧度や変質度合いについても、犯行後既に約二〇日間経過し
ており、しかもそのうち約一二日間は土中に埋められていたというのであるから、
ある程度の汚染は避けられないばかりでなく(したがつて、汚染処理のために余分
な時間が必要であり、かつこれにより検体量の減少も免れない)、乙1証言によれ
ば、腐敗変質も十分考えられるところであつて、いずれの点からも吸収時間として
一般に必要とされる最低一夜間を短縮しうる理由とはなりえないというべきであ
る。
 なお、乙15証言によれば、昭和二四年当時のやり方として、非常に急ぐ場合に
は三七度二時間、氷室二時間、室温二時間の計六時間の吸収時間でやつていたが
(当時でも急がない場合や、現在では一夜間以上おいてやつている。)、これに基
く鑑定結果回答書は中間結果であつて、その後、継続的に反応状態を観察したうえ
右中間結果と対比して不都合があれば訂正し、なければそのままにしておく取り扱
いであり、かつ訂正の必要が生じたことはなかつた旨供述するけれども、乙2作成
の昭和五三年一一月二七日付意見書及び乙2証書を加えて検討するに、右に継続観
察というのは、試験管内での吸収操作が終了したとして、そのあとの血清をホール
グラスに取り出したのち、血球を加えて反応をみるために二、三時間放置して観察
することをいうものであるから、吸収時間とは無関係であること、また乙15証言
によれば、検査の正確を期するために対照試験を行なつたというのであるが、対照
試験とは血液型の分つている血痕(既知血痕)を使つて検体(疑問血痕)と並行し
て検査を行なうものであるが、前記意見書によれば、対照試験は特別のものではな
くて常に実施されるものであるところ、用いられた既知血痕が疑問血痕と陳旧度や
量など類似(同等、もしくは既知血痕の方が疑問血痕よりも劣悪な条件であるこ
と)していなければあまり意味はなく、本鑑定結果回答において、この点につき考
慮を払つた形跡は窺えないので、右継続観察や対照試験を実施したことを以て本鑑
定結果回答書の信用性を高めるものとはいいがたい。
 ところで、当審証人乙14は、吸収時間は法医学教科書等に記載されている三七
度(フラン器)二時間、室温二時間、氷室一夜間が原則である(条件の悪い場合に
はこれだけの時間が必要である)ことを認めながらも、警察実務の上ではほとんど
三ないし五時間の吸収時間で足りる旨供述するのであるが、同人か血液型検査に従
事したのは昭和二七年以降のことであつて、本鑑定時よりも後のことであるうえ、
同人が昭和二七年に右作業に従事したころ、同人に対し、先輩(法輝雄)が一時間
の吸収時間で血液型検査をしてみせながら、君はまだこういうことをしてはいけな
い、まず腕を磨きなさいと言つたというのであり、右乙14自身それから三年位腕
を磨いてようやく三ないし五時間の吸収時間で血液型検査ができるようになつたと
述べており、右の時間は警察実務の上のことであつて学理上のことではないうえ、
乙15証言によつても、鑑定結果回答書の作成にあたつた丁5は、かつて医科大学
で法医学を学んだことがあるとはいえ、警察に入つて血液型検査を担当したのは昭
和三二年一〇月からであることが認められ、本鑑定結果回答書の作成は昭和二四年
一月一八日であるから、その間僅か三か月あまりの実務経験しかなかつたものであ
ることに照らすと、乙14証人のいう技術的なものを右丁12が会得していたとも
考え難いこと、また乙14証人は技術的なものがあることを強調して、凝集素吸収
法は抗原抗体反応であるから、大切なことは抗原と抗体の状態を的確に把握するこ
とであり、まず抗原の状態が重要であるというのであるところ、本件血痕は新鮮な
ものでないばかりか、その量もきわめて少いうえに、請求人の自白調書によると、
約一二日間も土中に埋められていたことになるので、腐敗変質汚染も考えられ、抗
原の条件はきわめて劣悪であるというべきであることに徴すると、抗体としては凝
集素価の高いものが低いものよりも同じ倍数に調整した場合でも吸収能力が高いと
いうことを考慮して、仮に凝集素価の高い抗体が使用されたとしても、本件血痕の
血液型検査(凝集素吸収法)においては、原則とされている吸収時間を短縮できる
ものとは認めがたいところである。
 なお、乙1証人は鑑定結果回答書の作成者が唾液の血液型を正確に判定している
ことを挙げて、同人には血液型の素養があることを認めていることは原決定の説示
するとおりであるけれども、乙1証言によつても、唾液は水によく溶けるので、そ
うでない血液に比べて血液型の判定がきわめて容易であると認められることに徴
し、これを以て乙1証人が右結果回答に信頼を寄せたものとは認められず、また、
同人が右結果回答書の判断につき断定的な言い方を避けているとしても、右結果回
答の信用性を否定していることは証言全体から明らかなところであつて、この点に
関する原決定の説示は相当でない。
 四 そうしてみると、本件鉈に付着していた血痕が被害者戊1らの血液型と同じ
O型であるとの鑑定結果回答書は信用性のきわめて乏しいものであつて、右被害者
らの血液が右鉈に付着したと認めることは困難であるから、乙2鑑定と東京高等裁
判所の乙9に対する証人尋問調書謄本及び原審における乙7、乙8、乙10、乙1
の各証人尋問調書は、請求人と本件犯行との結びつきに疑問を投げかける新証拠と
してその明白性は否定しがたいところである。
 第七 請求人の自白調書の信用性について
 一 犯行後の足どりについて。
 1 原決定は、原審検証調書二通(昭和四八年一二月二五日実施の分及び同月二
六日実施の分)、写真六五葉(第一〇四号証の一ないし六三、第一〇五号証、第一
〇七号証)の明白性を否定しているが、右判断は是認することができない。
 2 原決定の右判断の要旨は次のとおりである。
 弁護人らは、犯行後三十数キロメートルに及ぶ周回行動をすること及びその所要
時間に不合理な点が存するばかりでなく、当時の寒気、暗闇、疲労、空腹、孤独感
からして、請求人が昭和二三年一二月二九日深夜の犯行後三四キロメートルの道程
を踏破して、翌朝午前九時半ころに再び人吉城趾に回帰することは、物理的に不可
能であるというのであるが、しかし三十数キロメートルの周回行動は犯行後の狼狽
から出た逃走であることに徴し不合理とはいえず、更に右検証調書(昭和四八年一
二月二六日実施の分)によれば、右検証において要した時間と請求人が自白する時
間とは往路、帰路で若干の差があり、また仮装犯人として請求人の自白調書記載の
道程を踏破した丁6は、人吉城趾到着後疲労や寒気を理由にこれ以上歩けない旨述
べたことが認められるけれども、少くとも同人が請求人供述の時間内でその道程を
踏破できたことは明らかであるうえ、逃走者としての心理状況、歩行状況、土地勘
などの諸条件において原審検証時と異なるものがあるから、右検証結果を理由に、
自白調書にある逃走経路を歩行することが不合理ないし物理的に不可能であるとは
いえず、なお鉈を埋めた場所についても、乙9の証言や写真(原第一審証第一四
号)によつて鉈を埋めた場所の存在を疑う余地はなく、また、右検証調書(同月二
五日実施の分)によつても、d、e、fの三村境付近において六江川なる河川の存
在を確認するに至らなかつたが、原審における乙10の証人尋問調書によれば、六
江川は請求人の口から出た河川の名称であつて、格別これを確認しないまま調書に
記載したにすぎないと認められるので、右河川の存在が確認できないからといつて
自白調書に不合理性があるとはいえないというのである。
 3 よつて按ずるに、右検証調書(昭和四八年一二月二六日実施の分)によれ
ば、仮装犯人丁6を先頭にして、請求人の自白調書記載の逃走経路に従い、昭和四
八年一二月二六日の午前零時二分熊本県人吉市消防団第五分団ガソリンポンプ格納
庫(同月二五日実施の検証調書によると、犯行現場から道路伝いに約九〇メートル
の地点である)を出発し、おおむね同市内を東進して柳瀬橋、旧県道、新県道を通
り、午前三時七分古町橋に達したが、ここで一時間二三分休憩し、午前四時三〇分
ころ南進して湯前線路に至り、これを西進したうえ、人吉城趾、相良神社前を経て
水の手橋に午前八時四〇分に到着したものであるところ、当夜は晴天無風、月はな
く星あかりがある程度で、しばしば暗闇のため懐中電灯の使用を余儀なくされ、ま
た非舗装道路も多く、砂利や路面の凹凸、氷の張つた水溜り等があり、特に線路上
には砕石と霜の降りた枕木のため足許が不安定で歩行自体かなり困難であつたこ
と、折り返し地点である古町橋付近では午前四時ころ衣類に付着した血痕の識別は
出来ないほど暗く、そのうえ寒気がきびしくて、気温は零下八度(午前三時三〇
分)であつたこと、歩行の途中数回に亘つて休憩をとり、その際自動車内に入つて
一時の暖をとり、また飲食をなしたこと、右丁6は全道程を歩行したものの、両足
のくるぶし、踵、腰が痛く、寒さが身に泌みて、これ以上歩けない状態であつたこ
とが認められる。
 右の如く、寒気、暗闇、悪路の中を三十数キロメートル(昭和四八年一二月二五
日実施の検証調書によれば、折り返し点を古町橋より先の明廿橋とした場合約三
六・五キロメートルであり、古町橋が折り返し点の場合にはそれより若干短くなる
が、それでも三〇キロメートル以上であることは明らかである。)もの距離を歩行
することはきわめて容易ならざることであるうえ、犯行当時は、人吉測候所作成の
気象記録及び同測候所長作成の気象照会回答書に徴し気温こそ検証時より若干高い
ことが推認されるものの、一人きりで暗闇の中を懐中電灯もなく(請求人が懐中電
灯を携帯したとの証拠は存しない。)、途中暖をとつたり飲食をするすべもなく、
そのうえ被害者四名を殺傷する兇行で体力を使つたあとの歩行であり、途中の河川
では自己着用のハツピやズボンに付着していた血を洗い落したというのであるか
ら、右道程を踏破するに当つては、その肉体的精神的な苦痛は著しいものが存し、
右検証時における仮想犯人の場合と比較しても、より一層困難であつたことが推認
できるのである。
 したがつて、右道程を踏破したとすれば、請求人が人吉城趾に到着した昭和二三
年一二月三〇日午前九時三〇分ころには、極度の疲労により半病人の状態となり、
肉体的精神的な憔悴、衣類の汚れ、言動の鈍麻など通常とは異なる顕著な様子が現
われる筈である(原決定は、この点について何ら言及していない)。しかるに、原
第一審における乙11の証人尋問調書によれば、請求人は同日午前一〇時には丁7
食堂に姿を現わしたが、乙11が見たところ、請求人には何ら変つたところはなか
つたというのであつて、前日会つたばかりの請求人の服装や態度に別段の変化を認
めていないのであり、このことは請求人が右道程を踏破したことと矛盾するという
べきである。のみならず、その所要時間についても、右検証時においては往路約三
時間、帰路約四時間であつて(ほかに折り返し地点での休憩約一時間半)、往復で
若干の差がみられるが、これは帰路が距離的にやや長く、また歩行者にとつて距離
が長くなるにしたがい疲労がたまることを考慮すると、帰路の時間の長いのは当然
と考えられる。ところで原第一審判決は、犯人が被害者方に侵入したのが昭和二三
年一二月二九日午後一一時三〇分ころと認定しているので、これに従えば逃走開始
時刻は早くても同月三〇日午前零時ころとみられるところ、請求人は自白調書の中
で、「dとe、fの境の六江川でハツピについていた血を洗い落した。そのときの
時間は朝方五時ころと思う。それから湯前線の線路伝いに西村方向に出た。人吉城
趾に九時半ころ着いた。」旨供述しているのである。しかし、右検証調書(昭和四
八年一二月二六日実施の分)によれば、周囲が明るくなつたのは午前六時四五分こ
ろであり、それ以前には衣類の付着血痕を識別することが困難であつたと認められ
るので、請求人が付着血痕を洗い落とすために衣類を洗つたとすれば、その時刻は
早くとも午前六時四五分ころでなければならず、衣類を洗つた時刻、場所が午前六
時四五分ころ折り返し地点であつたとすると、請求人は往路に約六時間四五分、帰
路に約二時間四五分かかつたということになる(原第一審における乙16の証人尋
問調書によれば、昭和二三年一二月三〇日午前三時には騒ぎが起つたことが認めら
れるので、本件犯行がその以前に敢行されたことは明らかなところであり、逃走開
始時刻を仮に午前二時半ころとしても、往路は約四時間一五分、帰路は約二時間四
五分となる。)。
 してみれば、往路と帰路の差があまりにも大きいばかりでなく、帰路の方が往路
よりも所要時間が短いうえに、帰路時間が二時間四五分というのは、検証の結果
(帰路約四時間)と比較して短時間にすぎ、きわめて不自然である。
 なお、三村境付近の六江川については、当審における受命裁判官による検証調書
(昭和五三年九月八日施行)によつても、古町橋付近にぬつごう(のづごう)とい
う河川が存在することは認められるけれども、六江川という名称の河川の存在は確
認することができなかつた。尤も、弁護人らは、仮に右ぬつごうが六江川に当ると
しても、右河川には冬期に水がなく、したがつて右河川で衣類に付着した血を洗う
ことは不可能であつたことを立証しようとして、昭和五四年五月一日付証拠提出書
にかかる空中写真四枚及びその鑑定書(丁8作成)を新証拠として提出するが、右
証拠によつては所論の如き状況であつたことを確認することはできないので、これ
らは明白性を有するとはいえない。
 4 以上のとおり、原審における検証の結果により明らかになつた諸点に照らす
と、請求人が前記道程を踏破したことには疑念を抱かざるをえないところであるか
ら、右検証調書及び写真六五葉(第一〇四号証の一ないし六三、第一〇五号証、第
一〇七号証)は、請求人の自白調書中犯行後の足どりに関する供述部分の信用性に
疑問を投ずる新証拠として、その明白性を否定することができない。
 二 犯行の態様について。
 1 この点に関する鑑定人乙1作成の昭和四九年八月二三日付及び昭和五〇年六
月一一日付各鑑定書並びに原審における乙1の証人尋問調書(これらを総称して乙
1鑑定という)の明白性を否定した原決定の要旨は次のとおりである。
 2 乙1鑑定によれば、被害者戊1の頸部刺創は、その頭部割創後に止めとして
加えられたものとは考えられず、むしろ最初に加えられたものと推定されるという
のである。
 なるほど、頸部刺創は上肢防禦創の存在から同人の意識のあるときに受けたもの
と考えられるところ、頭部割創の多くは著明に頭骨を切創し、脳震盪や脳の意識中
枢の一次障害を惹起させる程度のものと認められるので、最後に加えられたと推定
される後頭部割創により意識を消失した後において、手を用いて刺身包丁の刃を握
るという合目的行動はとれなかつたとみるのが合理的であり、かつ後頭部にある流
下痕の形状からみて、最後に戊1を抱き起して右包丁でその頸部を突き刺したと推
察できる余地は少いというべきであつて、これらによれば、戊1の受けた頸部刺創
は、請求人が自白調書で供述しているように、最後に止めとして加えられた創傷で
あるとする可能性は少いものといわなければならない。次に、乙1鑑定は、右刺創
が最初に加えられたと推定する理由として、(1)頸部刺創の創洞の向き、(2)
頭部付近の畳の血痕の浸潤の工合、(3)頭部割創は重大なものが多く、これによ
り被害者の意識を早期に失わせることが推察されること、(4)攻撃中に鉈を一時
刺身包丁に持ち替えるとは考えにくいことを挙げている。しかし、右(1)の点に
ついては、被害者が寝ていたところに限らず、上半身起き上つたところを刺された
場合にも生ずるとしていること、(2)の点については、頭部割創による多量の出
血もあつたこと、(3)の点については、現実に戊1が意識を失つた時期には幅を
もたせていること、(4)の点については、刺身包丁から鉈の持ち替えにも同様の
問題があり、犯罪者の異常心理からくる非合理的行動に注目すると、これらはいず
れも頸部刺創が最初に加えられたと断ずる根拠に乏しい。
 したがつて、乙1鑑定は、請求人の自白調書中止めとして刺身包丁で刺した旨の
供述部分の信用性に影響を与えることは否定できないが、請求人は鉈による攻撃中
に戊1が苦しまぎれに起き上がろうとするのを見て咄嵯に目についた刺身包丁で止
めのつもりでその咽喉部を刺し、そう信じて捜査官に供述したことも考えられるの
で、請求人の戊1に対する第一打が頸部刺創であるとされるのならともかく、乙1
鑑定はそこまで結論づけてはいないというべきであつて、第一打が鉈による斬りつ
けであるとしても、乙1鑑定に矛盾するとはいえず、したがつて、乙1鑑定により
頸部刺創が止めでないことが証明されたとしても、それだけでは請求人の自白調書
全体の信用性を否定するに足りないので、明白性を欠くというのである。
 3 よつて検討するに、乙1鑑定(犯行の態様については、既に乙1鑑定と結論
を同じくする乙4作成の昭和三一年八月七日付鑑定書《以下、乙4第二次鑑定とい
う》が第三次再審において取り調べられ、第四次再審においても同鑑定書に基いて
本件と同様の主張がなされたが、新証拠にあたらないとして、右再審申立は棄却さ
れている。しかし、右乙4鑑定書は防禦創の存在と兇器の点からのみ頸部刺創が止
めであることを否定するのに対し、乙1鑑定はこれに加えて被害者の体位や後頭部
流下痕の形状等多岐の点から検討を加えて結論を下したものであるから、乙1鑑定
に基づいて犯行の態様についてその主張をすることは、刑事訴訟法四四七条二項に
いう同一の理由に該当しない旨、及び乙1鑑定は証拠としての新規性を有する旨の
原決定の判断は相当である。)によれば、戊1の上肢切創は頸部刺創を生じた際の
防禦創と認められるので、刺身包丁による刺創を受ける際には戊1はいまだ意識が
あつたとみるべきであり、一方、頭部割創は重大なものが多く、脳震盪等により被
害者の意識を早期に失わせるものであること、及び最後に戊1を抱き起して包丁で
その頸部を刺したとすれば、同人の後頭部にみられるきれいな流下痕がつく筈はな
いことから、鉈による全部の頭部割創を受けた後に、刺身包丁による頸部刺創を受
けたとは考えられず、したがつて、請求人の自白調書中、止めとして頸部を刺した
旨の供述部分は客観的事実に適合しないものである。
 次に、前示乙1鑑定が、戊1の頸部刺創が最初に加えられたと推定する理由とし
て挙げる(1)の点につき、頸部刺創は創洞の向きが上向きであることから、被害
者は寝ていたところか、上半身起き上つていたところを刺されたものと考えられる
というのであるから、仮に前者とすれば、最初に包丁で頸部刺創を受けたというべ
きであるが、後者だとすれば、先にいくつかの比較的軽い割創を受けながら、まだ
意識を喪失する前に右刺創を受けたとも考えられるのである。そして、乙1鑑定が
右理由として挙げる(2)の点については、原決定も説示する如く、頭部割創によ
る多量の出血もあつたこと、また(3)の点については、当審における受命裁判官
による乙1の証人尋問調書を加えて検討するに、頭部割創のうち重大なものは脳震
盪や意識中枢の障害を生じるが、比較的軽いものについては、意識喪失を生じない
こともあることが認められることに徴し、頸部刺創が最初であるとは断じ難い。右
(4)の点につき、乙1鑑定は、兇器を鉈から刺身包丁に一時持ち替えることは考
えにくく、鉈による頭部割創はすべて引き続き生起したものとみるべきであるか
ら、頸部刺創はそれより前すなわち最初に加えられたものであるとし、更に乙4第
一次、第二次鑑定や司法警察員作成の昭和二三年一二月三一日付検証調書等によつ
て推認できる現場の状況、被害者の損傷の部位、形状をもとに加害者と被害者の体
位等を想定したうえで最も可能性が高いものとして導き出した結論であつて、もと
より傾聴すべき見解であるが、被害者戊3は原第一審及び原第二審の各証人尋問調
書及び司法巡査に対する昭和二三年一二月三〇日付供述調書において、母戊2が泥
棒と叫び、まず父、次いで母がそれぞれ叩かれ、父が苦しんでいるのをまた叩かれ
た旨供述していること、乙4第一次鑑定や医師乙5作成の診断書、原第一審におけ
る証人乙5の供述から明らかな如く、戊1以外の被害者はすべて鉈による損傷のみ
を受けていること、鉈は犯人が外部より持ち込んだものであること等を併せ考える
と、犯人において先ず所携の鉈で戊1はじめ被害者を次々に殴打し、その後一たん
倒れた戊1が苦悶の中に起き上るのをみて、その場にあつた刺身包丁を手に取つて
同人の頸部を刺したが絶命させるに至らず、再び蛇を振つてその頭部を強打して死
亡させたということも十分考えうるところである。
 尤も当審における受命裁判官による乙1の証人尋問調書によれば、創洞の向きか
ら、犯人が被害者よりも高い位置だと上半身起き上つた被害者の頸部を刺すことは
困難であるというのであるが、刺身包丁を取るためには犯人もかがみこまなければ
ならないから、必ずしも犯人の方が被害者よりも高い位置にあつたとは限らないの
で、被害者が上半身起き上つたところを刺すことも決して困難とはいえない
 そうしてみれば、戊1に対する第一打が鉈による頭部割創であることを肯認した
原決定の判断は必ずしも首肯できないものではない。
 しかしながら、刺身包丁による頸部刺創が止めでないことは動かしがたい事実で
あり(この点につき、乙4第一次鑑定が誤りであることは、乙4第二次鑑定及び乙
1鑑定に徴し、明らかである)、請求人の自白はこれと相容れないものであつて、
犯人が犯行時周章狼狽のあまり異常な心理状態にあつたことを考慮しても、軽視し
がたいところであつて、右乙1鑑定は請求人の自白調書の信用性に疑問を投げかけ
る新証拠として明白性を否定しがたい。
 三 思うに、原第一審判決及びこれを支持した原第二審判決は、関係記録から認
められる当時の証拠資料を前提として、請求人の自白につきその信用性を肯定して
いることは明らかである。
 しかし、その後前記新証拠が提出された本件において、請求人の自白の信用性を
検討した結果、その信用性に動揺がみられたことは前示のとおりである。
 第八 結 論
 <要旨>一 以上のとおり、原第一審判決が請求人を有罪とした最も主要な証拠
は、請求人の自白と鑑定結果回答書であり、乙2鑑定は、東京高等裁判所の
乙9に対する証人尋問調書謄本、原審における乙7、乙8、乙10及び乙1の各証
人尋問調書と相俟つて、右鑑定結果回答書中、本件鉈に付着してい血痕の血液型が
O型であるとする点につき、その信用性に多大の疑念のあることを明らかにしたも
のであり、それ自体、請求人の自白調書の信用性に影響を与えるほか、右自白調書
には犯行の態様や犯行後の足どりの点につき疑問が存し、自白調書の信用性、ひい
ては原第一審判決の第三の事実の有罪認定に重大な影響を有するものであることは
否定しがたいというべきであり、右判決当時、かりに乙2鑑定や乙1鑑定、原審に
おける検証調書等が提出されたとした場合、後記二の4のとおり、請求人が鉈を高
原の土中に埋めたとの講求人の供述部分が信用し難いことと相俟つて、請求人の着
衣に付着血痕がみられないことや、逃走口に関する請求人の自白調書の信用性につ
いての疑念等を加味するまでもなく、原第一審判決の請求人に対する有罪認定には
多大の合理的な疑いを生じ、遂にこれを払拭しがたく、有罪言い渡しにはとうてい
到達しえなかつたものと断ぜざるをえない。
 しからば、請求人があらたな証拠として提出援用する証拠のうち、乙2鑑定、乙
1鑑定、原審検証調書等は刑事訴訟法四三五条六号所定の無罪を言い渡すべき明白
かつ新たに発見した証拠にあたるというべきである。したがつて、本件再審請求を
認容するのが相当と認められるから、これら証拠の明白性を否定し、右請求を排斥
した原決定は、その余の点について判断するまでもなく取り消しを免れない。論旨
は理がある。
 二 なお所論にかんがみ、以下数点につき付加して判断を示す。
 1 自白調書の証拠能力、任意性について。
 (一) (捜査の経過)原決定挙示の関係証拠によれば、次の事実が認められ
る。
 昭和二四年一月四~五日ころ八代署巡査部長庚1は、熊本県八代郡g村の駐在巡
査庚2より、同月一日午前九時ころg村に一人の男が現われて近所の者に対し、
「人吉で殺人事件があり犯人がg村に賍品を売りに来たことを聞知したので捜査に
来た。人吉の丁9に働く女の家を訪ねに行く。」と申し向けた旨連絡を受けたの
で、署長に報告のうえ聞き込み捜査にあたつたところ、その男は人吉署の刑事と名
乗つたことが分り、特殊飲食店「丁9」で働く女の母親である丁10方を訪れたと
ころ、同女から、その男が、自分は刑事だが、丁9に一泊してあなたの娘に事情を
聞いたところ、かわいそうな境遇なので請け出したい等と語つたことを聞き、か
つ、その男は丁1事件についての手配犯人に服装、人相、体格、年齢等がよく似て
おり、右事件当時人吉市内に居たことが窺われたので、同事件の犯人が自己の不安
な心理を隠し切れずに刑事と名乗つたのではないかとの疑いを抱き、更に丁10の
話を手掛りにg村の丁11組で尋ねたところ、丁10方を訪れたのは請求人である
ことが判明した。そこで、庚1巡査部長は同月一二日ころ人吉方面に赴き、h町の
請求人方、免田町警察署、人吉市内等で請求人の素行等を捜査したところ、請求人
は昭和二三年一二月二七日ころから家を出ており、人吉市内の旅館「丁2」で稼働
している丁3が丁1事件の犯行当日である同月二九日の夕方、国鉄免田駅から人吉
駅まで請求人と汽車で同道しており、しかも請求人は昭和二四年一月六~七日ころ
から夜具を持つて同県球磨郡a村iの山奥に行つていることなどを聞き込み、前記
情報と合わせて、請求人に対し丁1事件の犯人との疑いを深め、同月一二日ころ人
吉署に赴いて同署の警察官に捜査状況を通報した。人吉署では請求人の丁1事件前
後の動向等を捜査し、請求人が同事件の犯人であるとの嫌疑を抱き、同月一三日の
夕刻、右庚1巡査部長及び人吉署の警察官四名が拳銃や手錠を携帯して自動車で同
署を出発し、午後七時ころ前記iに到着後、歩いて山道を登り、午後九時すぎころ
a村jの丁12方に至つたが、その時請求人は寝床に入つて右丁12の子供と雑談
していたので、警察官二人が室内に入り、昭和二三年一二月末ころ人吉を訪れたこ
とはないかと尋ねたところ、請求人は同月二六日ころ山に登つて来て以来一度も人
吉方面に下りたことはないと答え、溝辺らの供述と全くくい違つていることから、
警察官は請求人に対する嫌疑を深め、請求人に対し人吉署まで同行を求め、請求人
を取り囲むようにして約二時間かかつて山道を下り、iからは人吉署まで自動車に
乗り昭和二四年一月一四日午前二時三〇分ころ同署に到着した。そして、同署警察
官が請求人に対し昭和二三年末の動向について尋問したところ、請求人は右警察官
の予期しなかつたh町の丁13方の玄米窃盗事件(以下別件窃盗事件という)及び
同町の丁14方での籾窃盗事件を自白したので、別件窃盗事件についての盗難届を
確認のうえ、同事件で請求人を緊急逮捕し、逮捕状請求書には同月一三日午後九時
三〇分に丁12方で逮捕した旨記載し、同月一四日午前三時に人吉簡易裁判所に逮
捕状を請求し、同裁判所裁判官より逮捕状が発付されたが、警察官は同日午後三時
三〇分に別件窃盗事件について請求人の弁解録取書を作成し、次いで翌一五日、丁
13の盗難届の送付を受け、丁14に盗難始末書を作成させてこれを受理し、右各
窃盗事件についての請求人の自白調書を作成したうえ、起訴猶予相当の意見を付し
て同日午前一一時三〇分人吉区検察庁検察官に事件送致の手続をとり、同検察庁は
これを受理した。更に、人吉署警察官は同月一四日から請求人に対し、昭和二三年
一二月二九日丁2を出た後の請求人の行動について尋問したが、請求人は同日夜は
乙12方に泊つたなとど弁解したので、裏付捜査をしたところ、同人方には同月三
一日に来たことが判明した。昭和二四年一月一五日になつて請求人は丁1事件につ
いての犯行を一部認め、兇器は斧で高原の滑走路付近に捨てた(又は埋めた)旨自
白したので、二度に亘つて捜索したが発見できなかつたところ、請求人は右自白を
翻した。そして、警察では同月一六日正午ころ請求人を別件窃盗事件については釈
放したが、丁1事件については請求人の犯行と断定し、同日午後二時ころ丁1事件
の嫌疑により請求人を緊急逮捕し、同日午後五時逮捕状を請求して発付された。右
再逮捕後、同日夕刻から司法巡査乙7が請求人を取り調べたところ、請求人は丁1
事件について全面的に自白し、兇器は鉈で丁12方に置いてあること、犯行状況、
逃走経路について供述したので、司法警察員乙10において弁解録取書を作成する
とともに、同月一六日付の自白調書を作成し、同月一七日捜索差押状の発付を受け
て鉈、マフラー等を押収し、同日付及び同月一八日付の自白調書がそれぞれ作成さ
れた。同月一九日には検察官において請求人の自白調書を作成し、勾留請求をした
が、請求人は勾留尋問の際丁1事件についての犯行をすべて認め、勾留状が発付さ
れた。
 (二) 右に明らかな如く、警察官は丁1事件について取り調べる意図の下に、
令状はもとよりこれといつた証拠もないのに、請求人をa村jの丁12方から人吉
警察署まで同行したものであつて、日も暮れたあと、既に床に就いていた請求人に
同行を求め、深夜きびしい寒気の中を警察官五名の看視下に約二時間ばかり山道を
歩行させた後、自動車に乗せて人吉警察署に連行したものであることを考えると、
右同行は、任意同行として許される範囲を超え、逮捕と同視すべきものというべき
である。したがつて、右は違法拘束といわざるを得ず、かかる違法拘束の許されな
いことは勿論である。
 次に、別件窃盗事件の逮捕につき、事案の内容は深夜h町で敢行された丁13方
の玄米一俵の窃盗事件であるが、被害は軽微とはいえず、同じくh町で深夜犯した
丁14方の籾七俵の窃盗事件もあつて、請求人の犯罪性向はたやすく看過しがたい
ものであり、しかも請求人は当時家出して定まつた住居も有していなかつたもので
あることから、身柄確保の必要性も存したことが認められるので、請求人を別件窃
盗事件で緊急逮捕したことは違法不当であるとはいえない。もつとも、警察官とし
ては丁1事件についての取り調べの意図を有していたもので、別件逮捕中に丁1事
件についても請求人を取調べたこと(請求人は犯行の一部を自白した後これを翻し
た)は認められるけれども、この間に別件窃盗事件につき請求人を取り調べてその
自白調書を徴し、自白の翌々日には請求人を釈放していること、右窃盗事件につい
ては逮捕だけで勾留には至つておらず、しかも丁1事件については請求人の供述調
書が作成されていないこどなと取り調べ状況をみても、主として丁1事件のため取
り調べが行われたものとは認められず、熊本地方検察庁甲支部の最高検察庁公判事
務課あての電信文を参酌しても、別件窃盗事件の逮捕が不適法であるとは断じがた
い。
 そして、請求人は右別件窃盗事件で釈放後に本件丁1事件で逮捕勾留され、初め
て同事件に対する請求人の自白調書が作成されたのであるが、請求人に対する前記
取り調べの経過に徴し、かつ、請求人に対し捜査官による無理な取り調べがなされ
たとして弁護人らによつて提出された証拠を参酌しても、請求人の右自白調書の証
拠能力ないし任意性については、もとより一抹の疑念がないわけではないが、再審
理由の有無を決すべき段階においては、いまだこれらを否定すべきものと断定する
ことはできないので、結局、これらの点に関して提出された各証拠の新規性ないし
明白性を否定した原決定の判断は誤りなきに帰する。
 次に、丁1事件の逮捕につき、その昭和二四年一月一六日付緊急逮捕手続書に
は、証拠資料として鉈や絆天等が記載され、引致の日として昭和二四年一月一七日
午後一時と記載されているけれども、右鉈等は同月一七日に捜索差押されたもので
あることに徴し、同月一六日には証拠資料として記載できる筈はないので、この部
分に限り証拠物押収後に記載されたとみるべきであり、なお、引致の日時について
も、逮捕状記載のとおり同月一六日午後二時三〇分ころであるのを、同月一七日午
後一時と誤記したものと認められ、また、右事件の送致手続の日時も右逮捕状記載
のとおり同月一八日午前一一時であつて、丁1事件の送致書に同月一九日とあるの
は誤記と認められ、更に、別件窃盗事件の逮捕についても、請求人の弁解録取書が
逮捕直後ではなく、同月一四日午後三時三〇分に作成されたことが認められるが、
右の違法ないし瑕疵はいずれも重大とはいいがたいから、右逮捕後の勾留中に作成
された請求人の自白調書の証拠能力を否定すべき事由とはいえないので、これらに
関して提出された各証拠はいずれも明白性を有するものではない。
 2 犯行の動機について。
 この点に関し、弁護人らが新証拠として提出する第五九ないし第六二号証(航空
写真及び地図)第八四号証(写真)、原審検証調書、第一一二号証(戊3の司法巡
査に対する供述調書)、第一〇六号証(鑑定人乙1作成の昭和四九年八月二三日付
鑑定書)、第一一三号証(同鑑定人作成の昭和五〇年六月一一日付鑑定書)及び原
審における乙1の証人尋問調書については、戊1家の位置及び付近の地理的状況に
つき既に原第一審で検証か行われていること、被害者戊3は原第一審で証人として
犯行時の状況を供述していること、乙1作成の鑑定書や同人の証人尋問調書は、本
件犯行が計画的犯行であることまで立証する趣旨のものとはいえないことに徴し、
これらの証拠の新規性ないし明白性を否定した原決定の判断は肯認しうるところで
ある。
 3 請求人のアリバイについて。
 この点に関し、請求人が昭和二三年一二月二九日h町より人吉市に出て来たこと
(原第一審における丁3、乙11の各証人尋問調書)、同月三一日には乙12方に
宿泊したこと(同じく乙12の証人尋問調書)、及び同月二九日か三〇日に丁9に
登楼したこと(同じく乙17の証人尋問調書)は、いずれも証拠上動かすことので
きない事実であるところから、焦点は、(イ)同月二九日夜犯行、同月三〇日夜丁
9宿泊であるか(アリバイ不成立)、(ロ)同月二九日夜丁9宿泊、同月三〇日夜
丁15方宿泊であるか(アリバイ成立)であるところ、全証拠を検討しても、右
(イ)(ロ)各事実にそれぞれ副ういくつかの証拠が散見されるものの、殆どが供
述証拠であつて決定的なものは見出せず、そのいずれとも確定することは困難とい
うべきであるから、請求人にアリバイが成立するとの所論はたやすく採用しがた
く、この点に関する各証拠の新規性ないし明白性を肯認することはできない。もつ
とも、弁護人らは原審における検証調書によつて、請求人の犯行後の足どりが否定
されたので、右検証調書は請求人のアリバイにつき新規性を有すると主張するとこ
ろ、先に犯行後の足どり(第七の一)について判示したとおり、右検証の結果によ
り、請求人の逃走経路については所要時間その他にっき数々の疑点が生じたことか
ら、請求人が果して右道程を踏破したかどうかに疑問が存し、ひいては同月二九日
夜丁9宿泊という可能性も考えられうる事情にあることから、右検証調書の新規性
を否定するのは相当でなく、この点に関する限り原決定の判断は是認し難いもので
ある。
 4 本件において留意すべきその他の点
 (一) 犯人の決め手となるべき指紋の有無については、請求人の自白調書によ
ると、請求人は戊1家の雨戸より屋内に侵入して、タンスの引出しを開けて金品を
物色し、その場にあつた刺身包丁を振つて戊1の頸部を刺したというのであるが、
全記録を精査しても、請求人において手袋を使用したり指紋を残さないように配慮
した形跡は全く窺われないのに拘らず、原審における乙10の証人尋問調書、当審
取り調べにかかる熊本地方検察庁検事丁16作成の報告書によると、指紋採取作業
の結果は、戊1家のタンスや雨戸からはもとより、現場に遺留されていた刺身包丁
からも、重複したり紋様形状が不鮮明な指紋ばかりで、請求人の指紋を検出するこ
とができなかつたことが認められる。
 (二) 次に血痕について、犯人は被害者四名を次々に殺傷し、与えた傷害もき
わめて重いものであり、司法警察員作成の検証調書によれば、現場の畳には多量の
血液が浸潤し、屏風にも飛抹血痕が付着していたことが認められ、更に、請求人の
自白調書によると、請求人は逃走の途中河川でハツピ(絆天)やズボンに付着した
血液を洗い落したと供述しているのであつて、犯人も返り血を浴びてその着衣には
かなりの血液が付着したと考えられるのに、鑑定結果回答書によると、押収された
請求人の衣類等(絆天、上衣、チヨツキ、マフラー、地下足袋、軍手、ズボン)に
は何ら血痕の付着を証明できないというのであり(鑑定人乙2作成の昭和三八年五
月二五日付鑑定書によれば、着衣に微量でない人血痕が付着した場合にはかなり綿
密な洗濯を行なつても血痕予備試験成績が陰性化することはないと認められ
る。)、不自然であるといわなければならない。
 (三) 更に、犯人の逃走口につき、請求人の自白調書によると、請求人は戊1
家の裏口の戸を押し開いて外に出た旨供述するのであるところ、原第二審検証調書
によると、犯行現場となつた家屋には裏の出入口はなく、右裏口とは、炊事場横の
窓以外には考えられないが、その大きさは縦一・九尺、横三・二尺であり、下辺
(地面より一・九尺の高さである)には幅二・一尺の棚が取り付けられ、棚の上に
は摺鉢、茶碗、井、鍋等が置かれていたことが認められるので、右窓から外へ脱出
すること自体は可能であるけれども、あらかじめ摺鉢等を取り除けておかない限り
脱出の際身体が当つて落したり割つたりする筈であるのに、犯行直後の現場にはそ
のような形跡は少しも認められないこと、犯人脱出に関する原第一審証人戊3及び
同戊4の「犯人は床下の方に音をさせて出て行つたと思う」旨の各供述部分と相容
れないこと等に照らすと、講求人の自白調書中逃走口に関する部分も疑問なきを得
ないところである。
 (四) なお、請求人の自白調書中には、請求人が、犯行後間もなく本件鉈を高
原の土中に埋めたあと、後日これを取り出した旨の供述部分が存するが、本件鉈は
土中から発見されたわけではなく、原第一審における証人乙9の供述によつても、
凹凸のある畑地から鉈を埋めたような痕跡が請求人の指示によつて発見されたにす
ぎないのであつて、鉈を埋めた場所の存在を疑う余地はない旨の原決定の説示は相
当でない。また、原審検証調書(昭和四八年一二月二五日実施の分)によると、鉈
を埋めたとされる地点は、原野で畑、雑草地がひろがり、広漠として別段特定でき
るような目印もない地形であることが認められるうえ、請求人の自白調書によれ
ば、鉈を埋めたという時間も、深夜で周囲が暗く、請求人が後日再びこれを探し出
すことは地形上至難の業と考えられる。
 更に、請求人は、その自白調書において、本件犯行を自白するとともに、請求人
は昭和二三年一二月二九日h町の家を出るときに本件鉈を持ち出し、汽車の中でも
人吉市に着いてから丁7食堂でもずっと腰にさして携帯し(丁2に入るときだけ、
筋向いの木炭倉庫の隅に隠した)、なお、右車内や人吉市丁2で溝辺ウキヱと、同
市丁7食堂で乙11と会つた後、戊1家に押し入り、右鉈を使つて本件兇行に及ん
だ旨、及び犯行後間もなく鉈を高原の土中に埋め、昭和二四年一月一〇日ころこれ
を掘り出してh町の家に帰り、鉈は家に入る前に近くの山中に隠し、同月一一日こ
ろ家を出るときに義母(丁17)からふとんや毛布を貰い、免田駅から那良口駅へ
送り、鉈はゴザに包んで携帯し、iへ出かけた旨供述しているが、原第一審第三回
公判期日において、右自白を翻し、請求人は、昭和二三年一二月二九日家を出ると
きには、黒い風呂敷包み(作業服、絆夫、米在中)を所持していただけで、鉈は持
たず、車内や人吉市内で鉈を持ち歩いたこともない旨、及び昭和二四年一月九日こ
ろh町の家に帰り、ふとんと鉈を持つて出たが、丁18方でふとんの中に米を入れ
てゴザで包み、鉈もゴザで包んで二個の荷物にし、翌一〇日ころ一勝地へ出かけた
旨供述している。そこで按ずるに、前記溝辺ウキヱは、司法巡査に対する昭和二四
年一月一六日付供述調書において、昭和二三年一二月二九日汽車内と丁2で請求人
に出会つたが、同車両では請求人は黒色の布で包んだ角ばつた物を所持していた旨
供述し、検察官に対する昭和二四年一月二四日付供述調書において、昭和二三年一
二月二九日請求人は同車内では黒い布で包んだ物を所持していたが、丁2で会つた
ときには所持品はなかつた旨供述し、更に、原第一審における証人尋問調書におい
ては、右司法巡査に対する供述調書と同旨の供述をし、前記乙11は、司法巡査に
対する昭和二四年一月一七日付供述調書において、請求人は昭和二三年一二月二九
日午後七時すぎころ、丁7食堂に立ち寄り、黒の風呂敷包みを預けたが、他に所持
品があつたかどうか記憶しない旨供述し、司法巡査に対する昭和二四年六月二一日
付供述調書において、請求人は昭和二三年一二月二九日午後七時ころ丁7食堂に黒
い風呂敷に包んだ物を預けたが、他には何も持つていなかつたようで、鉈を持つて
いたようにも思われず、腰にさしていたようにも思われない旨供述し、検察官に対
する昭和二四年一月二四日付供述調書において、請求人は昭和二三年一二月二九日
丁7食堂に黒い布で包んだ物を預けたが、鉈を持つていることは全然気づかなかつ
た旨供述し、原第一審における証人尋問調書において、請求人は同日の夕方、丁7
食堂に立ち寄り、黒い布で包んだ物等を預けたが、別に変つた様子は見受けなかつ
た旨供述し、更に、第三次再審における証人尋問調書においては、司法巡査に対す
る昭和二四年六月二一日付供述調書と同旨の供述をしているのである。一方、前記
丁17は、原第一審における証人尋問調書において、請求人が昭和二三年一二月二
九日に家を出た際、鉈を持つて出たかどうかは知らないが、昭和二四年一月八、九
日ころ家に戻り夜具と米を持つて出た旨供述し、第三次再審における証人尋問調書
において、請求人は同月七、八日以前に鉈を持ち出したことはなく、同日ころ鉈と
夜具を取りに来た旨供述している。右各供述は、請求人の自白を翻した後の供述に
適合することが明らかである。
 以上の諸点に照らすと、請求人の自白調書中、本件鉈を高原の土中に埋めた旨の
供述部分もたやすく措信できないところである。
 5 請求人に不利な事実
 もつとも、請求人にとつて不利と思われる事実もないわけではない。例えば、請
求人の逮捕前の言動、すなわち、先に捜査の経過(前示第八の二1(一))におい
て説示したとおり、丁1事件発生の数日後、g村において、請求人は人吉署の刑事
であると名乗り、人吉の殺人事件で捜査に来たと申し向けたことや、a村の丁12
方において、昭和二三年一二月末ころ人吉を訪れたことはないかとの警察官の問い
に対し、同月二六日ころ山に登つて以来一度も人吉方面に下りたことはないと虚偽
の事実を答えたこと等である。しかし、これら請求人にとつて不利とみられる事実
を考慮しても、前示の如き請求人の自白内容の疑点が解消されるものではない。
 三 よつて、本件抗告は理由があるので、刑事訴訟法四二六条二項を適用して原
決定を取り消し、同法四四八条一項により本件について原第一審判決をした熊本地
方裁判所甲支部において再審を開始すべきものとし、なお、同条二項に従い原第一
審確定判決による死刑の執行を停止することとして、主文のとおり決定する。
 (裁判長裁判官 山本茂 裁判官 川崎貞夫 裁判官 矢野清美)

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