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平成6年(ワ)第7116号 製造販売禁止等請求事件
口頭弁論終結日 平成13年1月25日
判      決
         原      告    株式会社サクラクレパス
           代表者代表取締役    【A】
           訴訟代理人弁護士    村  林   隆  一
           同           松  本      司
           補佐人弁理士      三  枝   英  二
           同           舘      泰  光
           同           藤  井      淳
         被      告    ゼブラ株式会社
           代表者代表取締役    【B】
           訴訟代理人弁護士    田  倉      整
           同           松  尾      翼
           同           奥  野   泰  久
           同           西  村   光  治
           奥野泰久復代理人弁護士 内  田   公  志
           補佐人弁理士      内  田      明
           同           萩  原   亮  一
           同           安  西   篤  夫
主      文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
 被告は、原告に対し、金5億5800万円及びこれに対する平成6年7月2
9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
(前提となる事実)
1 原告は次の実用新案権(以下「本件権利」といい、実用新案登録請求の範囲
記載の考案を「本件考案」という。)を有していた。
(1) 実用新案登録第1973840号
(2)考案の名称 筆記具のインキ筒
(3) 出願日 昭和58年1月25日(実願昭58-10576号)
(4) 公告日 平成3年11月26日(実公平3-53902号)
(5) 登録日 平成5年7月14日
(6) 存続期間満了日 平成10年1月25日
(7) 実用新案登録請求の範囲 
 材質がポリエチレン又はポリプロピレンよりなる透明又は半透明のインキ
筒であって、インキが水性インキであり、且つ、該水性インキの末端側に該水性イ
ンキと相溶しない逆流防止剤よりなる筆記具のインキ筒に於いて、該水性インキと
該逆流防止剤の接触面の中心部で、該水性インキが該逆流防止剤へ突入状に接触さ
せるために、該インキ筒に対する該水性インキの濡れの方が該インキ筒に対する該
逆流防止剤の濡れよりも濡れ難くなるよう、該逆流防止剤がポリブテンよりなり、
該インキ筒に対する該水性インキの濡れがポリブテンの該インキ筒に対する濡れよ
りも小さい水性インキよりなることを特徴とする筆記具のインキ筒。(実用新案公
報(甲2)の実用新案登録請求の範囲に「ポリブデン」とあるのは「ポリブテン」
の誤記と認める。)
2 本件考案は、次のとおり分説するのが相当である。
イ① 材質がポリエチレン又はポリプロピレンよりなる透明又は半透明のイン
キ筒であって、
② インキが水性インキであり、
③ 且つ、該水性インキの末端側に該水性インキと相溶しない逆流防止剤よ
りなる
④ 筆記具のインキ筒に於いて、
ロ① 該水性インキと該逆流防止剤の接触面の中心部で、該水性インキが該逆
流防止剤へ突入状に接触させるために、
② 該インキ筒に対する該水性インキの濡れの方が該インキ筒に対する該逆
流防止剤の濡れよりも濡れ難くなるよう、該逆流防止剤がポリブテンよりなり、該
インキ筒に対する該水性インキの濡れがポリブテンの該インキ筒に対する濡れより
も小さい水性インキよりなる
ハ ことを特徴とする筆記具のインキ筒。
3 被告は、遅くとも平成4年6月ころより、「JELL-BE」という商品名
の水性ボールペン(以下「イ号物件」という。)を、製造し、販売している。
 イ号物件は、本件考案の構成要件イ①を充足する。
4 原告の請求
 原告は、被告が上記3の行為によって本件権利を侵害したとして、被告に対
し、損害賠償を請求している。
(争点)
1 イ号物件は、構成要件イ②及び③の「水性インキ」の構成を具備するか。
2 イ号物件は、構成要件ロ①を充足するか。
3 イ号物件は、構成要件ロ②を充足するか。
4 原告の請求は権利濫用か。
5 自由技術の抗弁。
6 原告の損害額。
第3 争点に対する当事者の主張
1 争点1(構成要件イ②及び③)について
【原告の主張】
 ボールペンに使用されるインキは、その組成上、有機溶媒を主溶媒とする油
性インキと、水を主溶媒とする水性インキとに分かれるが、イ号物件に使用されて
いるインキは水が溶媒として約70重量%使用されたインキであり、水性インキで
ある。
【被告の主張】
 イ号物件のインキは、ジェルインキであって、水性インキではない。ジェル
インキは、着色剤である顔料を水に分散し、ゲル化剤によってゲル化してチキソト
ロピック性(単にかき混ぜたり振り混ぜたりすることによってゲルが流動性のゾル
に変わり、これを放置しておくと再びゲルに戻る性質で、揺変性ともいう。)を付
与したものであるから、水は顔料に対して溶媒として機能しておらず、その物性も
水性インキと異なる。
2 争点2(構成要件ロ①)について
【原告の主張】
 本件考案の願書に添付した明細書(以下「本件明細書」という。)の記載、
本件考案の目的、作用効果からすれば、「接触面の中心部で、該水性インキが該逆
流防止剤へ突入状に接触」しているとは、インキ筒の内壁部分で逆流防止剤がイン
キに向かって押し込むような形状、すなわち、接触面の周囲部分が中心部より下が
っている形状を意味する。そして、接触面が客観的にそのような形状を有していれ
ば、①逆流防止剤が透明でインキ筒内部を透視できる場合には、インキ筒内部の突
入状の接触面を、両者の境界線として目視でき、②逆流防止剤が不透明で内部を透
視できないときは、インキ筒内周面でのインキと逆流防止剤との境界線を目視でき
ることになるので、「インキと逆流防止剤の境界線が常にインキ筒の外より明瞭に
観察することができる」という作用により、「インキ筒内のインキ量を常に確実に
読みとることができる」という効果を奏するのである。なお、このことからする
と、インキ筒内での水性インキと逆流防止剤の「接触面」が、そのまま、インキ筒
の外から肉眼でインキと逆流防止剤の「境界線」として観察できることは、必ずし
も必要ではない。
 被告は、単体のポリブテンと水性インキが接触する際に生じる形状が完全な
球状のものに限られると主張し、「突入状」を限定的に主張する。しかし、単体の
ポリブテンには種々の分子量のものが含まれ、水性インキには水と各種着色剤の他
に、種々の添加剤が添加されたものが含まれ、その種類はきわめて多岐にわたる。
そして、本件考案の「中心部で突入状に接触」は、インキ筒に対する水性インキの
濡れがポリブテンのインキ筒に対する濡れよりも小さいことによって生ずるが、濡
れの関係は、ポリブテンと水性インキとの組合せにより決定され、ポリブテンの種
類及び水性インキの種類が多岐にわたるから、その組合せは無限にある。したがっ
て、被告の主張は、その前提を欠き失当である。
 イ号物件の水性インキと逆流防止剤の接触面は、接触面の周囲部分が中心部
より下がっている形状を呈しているから、構成要件ロ①を充足する。
【被告の主張】
 本件考案の出願経過における原告の主張からすれば、「突入状」とは、砲弾
若しくは半球を呈する形状でインキが逆流防止剤に接触していることを意味し、接
触面の周囲部分が中心部より下がっているというだけでは足りない。また、原告
は、後記のとおり、実用新案登録請求の範囲を減縮し、本件考案の「ポリブテン」に
はゲル化ポリブテンを除く単体のポリブテンを意味すると主張するに至った。した
がって、単体のポリブテンと水性インキが接触する際に生じ得ない形状が、「突入
状」の形状に含まれることがあってはならない。もしそのようなものを含むとすれ
ば、その部分は実施不能とならざるを得ないからである。したがって、「中心部で…
突入状に接触」の意味内容は厳格に解釈し、単体のポリブテンと水性インキが接触す
る際に生じる完全な球状のものに限定しなければならない。
 また、本件考案の目的、作用効果からすれば、その突入状であるか否かは、
目視によって確認できなければならない。
 イ号物件の製造においては、インキ筒にジェルインキ及びゲル化ポリブテン
よりなる逆流防止剤を注入した後、インキ筒に混入した空気を除くために、これら
を約140本程度輪ゴムで束ね、遠心分離器によって、遠心力を加える。この工程
によって、ジェルインキと逆流防止の接触面は、水平ないし最大約20度の傾斜面
を形成する。そして、このように形成される接触面は、これを構成するチキソトロ
ピック性のジェルインキとゲル化されて高粘度を維持する逆流防止剤の特性によ
り、実質的に固定される。その結果、イ号物件のインキと逆流防止剤の接触面は、
接触面の中心部で、インキは逆流防止剤へ突入状に接触していない。
3 争点3(構成要件ロ②)について
【原告の主張】
(1)ア原告は、本件明細書の考案の詳細な説明の「ポリブテン(これをゲル化
してもよい)」との記載を、単に「ポリブテン」とする旨の訂正審判請求(以下
「本件訂正請求」という。)をしたところ、この訂正を認める審決がされた(以下
「本件訂正審決」という。)。この訂正により、本件考案の「ポリブテン」は「ゲ
ル化したポリブテン」を除いたポリブテンとなった。
 これに対し、イ号物件の逆流防止材は「ゲル化剤を添加したポリブテ
ン」である。
 しかしながら、イ号物件の逆流防止剤にゲル化剤を添加しないポリブテ
ンを使用した場合は、水性インキと該逆流防止剤の接触面の中心部で、該水性イン
キが該逆流防止剤へ突入状に接触している。すなわち、イ号物件の逆流防止剤にゲ
ル化剤を添加しないポリブテンを使用した場合の構成は、本件考案の構成要件をす
べて充足し、その作用効果も前記の本件考案の作用効果と同じである。そして、逆
流防止剤にゲル化剤を添加したポリブテンを使用したイ号物件も、本件考案の作用
効果を奏している。
 すなわち、イ号物件は、本件考案の構成及び作用効果をそのまま含み、
本件考案の「ポリブテン」に「ゲル化剤の添加」という新たな技術的事項を付加し
たものである。付加された「ゲル化剤の添加」は、本件考案の「ポリブテン」なる
文言には含まれない。しかし、イ号物件は本件考案をそっくりそのまま含むから、
イ号物件を実施すると本件考案を実施することになる。したがって、イ号物件は本
件考案を利用するものであり、その技術的範囲に属する。
イ 被告は、原告が利用関係の主張をすることは信義則に反すると主張す
る。
 しかしながら、本件訂正請求の内容は、本件考案の出願頭書の願書に添
付した明細書(以下「当初明細書」という。)の記載に対する訂正ではなく、要旨
変更を回避するために、ポリブテンについて当初明細書に記載のなかつた「(ゲル
化してもよい。)」という括弧書を追加した補正後の本件明細書からその追加記載
を削除する訂正である。
 すなわち、本件訂正請求は、当初明細書の記載に戻しただけである。
 したがって、本件訂正請求及びそれを認めた本件訂正審決により、本件
考案の技術的範囲は出願当初の技術的範囲よりいささかも減縮されるものではな
く、これにより、被告が主張するようなゲル化剤を添加した構成に対して、利用発
明の主張もできないような技術的範囲に減縮されるものではない。
ウ 被告は、本件考案の実用新案登録出願時点において、ポリブテンにゲル
化剤を添加したゲル化ポリブテンを逆流防止剤とすることは公知となっていたか
ら、公知となっている分野にまで利用関係を主張して権利行使を行うことは許され
ないと主張する。
 しかし、イ号物件は、ゲル化剤を添加したポリブテンを逆流防止剤とす
る公知の構成のみでなく、ゲル化剤を添加したポリブテンを逆流防止剤として用い
て、ゲル化剤を添加しないポリブテンを逆流防止剤として用いる本件考案の構成要
件ロ①及び②の構成をそっくりそのまま含みつつ、本件考案の作用効果を奏してい
るのであるから、被告の主張は失当である。
(2) 被告は、イ号物件のポリブテンは逆流防止剤の添加により完全なゲルとな
り、流動性を失っているから、本件考案の明細書で説明されている「濡れ」の現象
を生ずる余地はなく、本件考案の作用効果は奏しないと主張する。
 しかしながら、イ号物件の逆流防止剤は、ゲル化剤の添加によりゲル化は
しているが、適度の流動性を保持し、その結果、本件考案の構成及び作用効果をそ
っくりそのまま含んでいるのである。
【被告の主張】
(1)ア 構成要件ロ②の「ポリブテン」の意味内容は、本件訂正審決の結果、(ゲ
ル化していない)単体のポリブテンとなった。
 しかしながら、イ号物件においては、ゲル化剤の添加によってゲル化し
たポリブテンが、逆流防止剤として使用されている。
 したがって、イ号物件においては、「該逆流防止剤が(ゲル化していない)
単体のポリブテンよりなり」の要件を充足していない。本件考案の構成要件を充足し
ないイ号物件について、本件考案の利用関係が成立するはずがない。
イ 原告は、イ号物件は、本件考案の作用効果を奏していると主張する。
 しかし、本件考案の実用新案登録請求の範囲において述べられている「濡
れ」るという物理現象は、流動性のよい液体である単体のポリブテンが、固体である
インキ筒に対して接する際に発生するものである。
 これに対し、イ号物件のポリブテンは、2.9%のゲル化剤が添加さ
れ、完全なゲル状態となっている。そして、ゲル化ポリブテンは、流動性の良い液
体である単体のポリブテンとは、ずり速度や粘度の観点からして、明らかに物性が
全く異なり、もはや本件明細書で述べられているようなインキ筒との間の「濡れ」現
象を生じない。
 本件考案の作用効果とされている、インキが逆流防止剤に突入する形状
を生成する、という現象のメカニズムが、本件明細書に述べるような流動性の良い
液体と固体との間の「濡れ」の関係に由来するのであれば、ゲル化剤の添加によって
流動性の良さを失い、もはや液体とはいえない完全なゲルとなっているイ号物件の
場合には、本件明細書で述べているような「濡れ」の現象が発生する余地はないか
ら、本件考案の作用効果が生じない。
 したがって、イ号物件において、本件考案が要旨とする接触状態が得ら
れることはないのである。
 このようにイ号物件における逆流防止剤は、本件考案の要旨とする接触
面の形状を生成するメカニズムを破壊する作用を持つ、ゲル化剤が添加されたもの
である。それゆえ、イ号物件においては、本件考案の作用効果が失われている。つ
まり、ゲル化剤の添加は、本件考案の「利用関係を遮断」するものである。
ウ原告は、補正手続において、当初明細書になかった「(これをゲル化して
もよい)」との文言を明細書に加えることにより、当初の実用新案登録請求の範囲に
含まれていなかった「ゲル化剤を添加したポリブテン」を本件考案の権利の範囲に加
えようと試みたものである。
 しかしながら、東京高等裁判所(平成8年(行ケ) 第208号審決取消
請求事件)の確定判決、及び、同判決を踏まえた特許庁の平成7年審決第7314
号の無効審決によって、「ゲル化剤を添加したポリブテン」を、本件考案の逆流防止
剤の範囲に含めることを内容とする上記補正は許されないとされ、かかる補正のな
された本件考案の実用新案登録は無効であるとされた。
 そこで、原告は本件訂正請求を行って、本件考案の権利の範囲から「ゲル
化したポリブテン」を逆流防止剤として使用することを断念し、その代わり本件考案
を無効とされることから逃れようとした。特許庁は、本件訂正審決によって、訂正
請求を認めた。
 かかる原告の対応は、「ゲル化剤を添加したポリブテン」を逆流防止剤と
したものについては、本件考案の権利の範囲から意識的に排除するかわりに、本件
考案を無効とされることから逃れたものである。それゆえ、原告が、今さら利用関
係を主張して「ゲル化剤を添加したポリブテン」までが権利範囲に属することを主張
することは、信義則上許されない。
エ また、特開昭57-200472号公開特許公報(乙20)及び米国特
許第3424537号明細書(乙21)によって、本件考案の実用新案登録出願時
点において、ポリブテンにゲル化剤を添加したゲル化ポリブテンを逆流防止剤とす
ることは、既に公知となっていた。
 そして、公知となっている分野にまで利用関係を主張して権利行使を行
うことは、許されるはずもないから、原告の主張は失当である。
(2) 「濡れ」の不該当
 また、構成要件ロ②では、「(ゲル化していない)単体のポリブテンのインキ
筒に対する濡れ」を予定している。「(ゲル化していない)単体のポリブテン」は、常温
において流動性の良い液体である。したがって、構成要件ロ②でいうところの「濡
れ」とは、流動性の良い液体であるポリブテンが、固体であるインキ筒と接する際の
態様を表現したものである。
 ところが、イ号物件のゲル化ポリブテンは、ゲル化剤が2.9%も添加さ
れたゲルである。ゲルとは、コロイド溶液の溶質の粒子が溶液中で強い相互作用を
及ぼしあって、その濃度がある程度以上に大きくなると、全体として相当に強固な
網状組織を作って固化するようなものをいう。イ号物件においては、このようなゲ
ル化したポリブテンがインキ筒に単に接しているにすぎず、本件考案で予定してい
るような流動性の良い液体のポリブテンとインキ筒との間で生じているような「濡
れ」と表現できるような現象は発生しないのである。
4 争点4(権利濫用)について
【被告の主張】
 本件考案の実用新案登録は、以下の理由により、無効であることが明らかで
あるから、原告の本件請求は権利濫用である。
(1) 要旨変更
 原告は、本件考案の出願公開後である平成3年7月23日付で手続の補正
を行い、実用新案登録請求の範囲に「該インキ筒に対する該水性インキの濡れがポ
リブテンの該インキ筒に対する濡れよりも小さい」という要件を追加しているが、
これは、本件考案の要旨を変更することが明らかである。
 したがって、本件考案の出願日は、平成3年7月23日とみなされるが、
そうすると、本件考案は、その出願日とみなされる以前に公開されている本件考案
の公開公報に記載された考案を包含し、これと同一考案となるから、実用新案法3
条1項3号の規定に該当するか、又は同公開公報記載の考案に基づいて当業者が極
めて容易に考案をすることができたものであるから、同条2項の規定に該当する。
(2) 実施不能
 被告は、本件考案の実用新案公報によって原告が開示した実施例を追試し
たところ、当初は、水性インキと逆流防止剤の接触面の中心部で、水性インキが逆
流防止剤へ突入状に接触していたものの、追試後7か月を経過した時点で、接触面
が平面状に変化したことを確認した。本件考案は、インキを使い切るまでの間は、
接触面が突入状を維持することを当然の前提としているのであるから、本件考案は
実施不能の考案である。
(3) 進歩性欠如
 本件考案は、本件考案の実用新案登録出願時点で公知であった仏国特許第
1199758号明細書(乙18)、英国特許第766695号明細書(乙1
9)、特開昭57-200472号公開特許公報(乙20)、米国特許第3424
537号明細書(乙21)の記載に基づいて、当業者が極めて容易に考案をするこ
とができたものである。
(4) 新規性欠如
 本件考案は、本件考案の実用新案登録出願時点で公知であった米国特許第
3424537号明細書(乙21)に記載された考案と同一である。
【原告の主張】
(1) 要旨変更の主張に対して
 当初明細書には、インキ筒内においてインキと逆流防止剤とが、中心部に
おいて該インキが該逆流防止剤へ突入状に接触することが明記され、その状態が第
1図に具体的に図示されていたが、このことは、インキ筒に対する濡れは、逆流防
止剤の方が大きくインキの方が小さいことを示しており、そのことは、当業者に明
らかである。
 したがって、実用新案登録請求の範囲に「該インキ筒に対する該水性イン
キの濡れがポリブテンの該インキ筒に対する濡れよりも小さい」という要件を追加
した手続の補正は、当初明細書及び第1図から当業者に自明な事項を記したにすぎ
ない補正であり、本件考案の要旨を変更するものではない。
(2) 実施不能の主張に対して
 実施不能の発明(考案)とは、例えば永久機関の発明のように、目的を達
成できる可能性が全くない発明(考案)をいうのであるところ、本件考案が、「イ
ンキと逆流防止剤の接触面の中心部で、インキが逆流防止剤に突入状に接触させ
る」という構成をとることにより、考案が解決しようとする課題を解決できること
は、実施例及び第1図から明らかである。また、本件考案は、格別長期にわたって
使用可能な筆記具を提供することを目的としていない。そのような要望があれば、
インキあるいは逆流防止剤に適当な添加剤を適宜添加する等により、それに応えれ
ば足りる。
 したがって、被告の主張は根拠がない。
(3) 進歩性欠如の主張に対して
 被告が指摘する公知文献のうち乙18、19及び21は、その出願当時の
技術水準からすれば、いずれも、油性インキを前提とする技術であって、本件考案
とは、解決課題及び解決手段を本質的に異にする。また、被告が指摘する公知文献
のうち乙20は、従来の逆流防止剤の欠点を解消することを目的として、炭化水素
類を特定のゲル化剤でゲル化するもので、本件考案とは課題及び解決手段を異にす
る。
 したがって、当業者が、これら公知文献から、本件考案を極めて容易に考
案することができたとする被告の主張は根拠がない。
(4) 新規性欠如の主張に対して
 被告が指摘する公知文献は、その出願当時の技術水準からすれば、油性イ
ンキを用いる油性ボールペンに関する発明であって、解決課題及び解決手段を本質
的に異にし、本件考案の構成要件ロ①及び②については一切記載されていない。
5 争点5(自由技術の抗弁)について
【被告の主張】
 イ号物件は、ポリプロピレン製インキ筒に水性インキと、ステアリン酸アル
ミニウムでゲル化したポリブテン逆流防止剤を充填したボールペンであるところ、
そのようなボールペンは、本件考案の実用新案登録出願時点で公知であった特開昭
57-200472号公開特許公報(乙20)及び米国特許第3424537号明
細書(乙21)の記載に基づいて、当業者が極めて容易に推考できたものであり、
本件考案の実用新案登録出願時点において、何人も自由に実施することができた技
術であったというべきである。
【原告の主張】
 そもそも自由技術の抗弁という理論自体が認められるものではないが、それ
を措くとしても、被告が指摘する公知文献によりイ号物件の構成は容易に想到でき
るものではないから、被告の主張は失当である。
6 争点6(損害額)について
【原告の主張】
 被告は、平成3年12月1日から平成10年1月25日までの間に、イ号物
件を製造、販売し、合計31億1000万円の売り上げを得、少なくとも9億33
00万円の利益を得た。
 よって、原告は、被告に対し、金9億3300万円の損害賠償請求権を有す
るが、本訴においては、その内金5億5800万円につき請求する。
【被告の主張】
 争う。
第4 争点に対する判断
1 争点3(構成要件ロ①)について
(1) イ号物件の逆流防止剤が、ゲル化剤の添加によりゲル化したポリブテンで
あることは、当事者間に争いがない。
(2) 本件考案の「逆流防止剤がポリブテンよりなり」の「ポリブテン」は、本
件訂正審決により、「ゲル化したポリブテン」を除いたポリブテンとなったこと
は、原告において自認するところである。そうすると、逆流防止剤として「ゲル化
したポリブテン」を使用するイ号物件は、本件考案の構成要件ロ②を充足しないも
のといわざるを得ない。
(3) 原告は、イ号物件の逆流防止剤にゲル化剤を添加しないポリブテンを使用
した場合の構成は、本件考案の構成要件をすべて充足し、逆流防止剤にゲル化剤を
添加したポリブテンを使用したイ号物件も、本件考案の作用効果をそっくりそのま
ま奏しているから、イ号物件は本件考案を利用するものであり、その技術的範囲に
属すると主張する。
 いわゆる利用関係が成立するためには、対象物件が、当該考案(発明)の
実用新案登録請求の範囲(特許請求の範囲)に記載された構成をすべて含み、更に
別の技術的要素を付加した構成を具備しているものであることを要するところ、原
告は、本件考案の構成である「ポリブテン」に「ゲル化したポリブテン」は含まれ
ないと自認しているのであるから、ゲル化剤によってゲル化したポリブテンをその
構成に持つイ号物件は、本件考案の構成のすべてを具備するものでないことを自認
しているのに等しく、もはや利用関係が成立する余地はないというべきである。
(4) イ号物件について、利用関係の存在を根拠として本件考案の技術的範
囲に属すると主張することが許されないことは、本件考案の出願経過及び本件訂正
請求の経過から見ても明らかである。
  すなわち、原告は、本件訂正請求により、本件訂正審決前の本件明細書の
考案の詳細な説明欄に、「逆流防止剤3をポリブテン(これをゲル化してもよい)
とした場合」(甲2の4欄5~6行)とあったのを、「逆流防止剤をポリブテンと
した場合」と訂正する訂正審判請求(本件訂正請求)をしたが、証拠(乙8の1、
後掲各証拠)及び弁論の全趣旨によれば、原告が、このような訂正請求を行うに至
った経緯は次のとおりであると認められる。
ア 原告は、昭和58年1月25日、本件考案の実用新案登録出願を行った
が、当初明細書には、次の記載があった(乙8の1添付の甲2)
(ア) 実用新案登録請求の範囲
 水性インキを填充し、該インキの末端側に水性インキと相溶しない逆
流防止剤を接触させ、該インキと該防止剤の接触面が平面を形成するかあるいは中
心部において該インキが該防止剤へ突入状に接触することを特徴とする透明又は半
透明の合成樹脂製インキ筒。
(イ) 考案の詳細な説明には、次の記載があった((4)14行~(5)11
行)。
 そして具体的にはインキ筒(1)の材質をポリエチレン、ポリプロピレ
ン、ポリ塩化ビニル等の合成樹脂とした場合、インキ(2)と逆流防止剤(3)との配合
によってこれら3者の関係が定り第1~3図の状態に区分されるが、第1~第3図
の状態を示す配合の組合わせは次の通りである。
イ 第1図の状態を示す組合わせ
インキ組成
 (省略)
逆流防止剤
 ポリブチン 3N(3,000cst)
(日本油脂㈱製ポリブチン)
イ 本件考案は、昭和59年8月3日、出願公開されたが、特許庁は、昭和
61年9月11日、本件考案に対し拒絶査定を行った。
 これに対し、原告は、同年11月27日、審判請求書を提出したが、特
許庁は、原告に対し、平成3年3月15日付で拒絶理由通知を発した。
 これを受けて、原告は、同年7月23日付で、手続の補正を行い(乙8
の1添付の甲3。以下「本件補正」という。)、その結果、本件考案は、平成3年
11月26日、出願公告された。
ウ 原告は、本件補正により、当初明細書の上記アの記載を次のとおり補正
した。 
(ア) 実用新案登録請求の範囲
 前示前提となる事実1(7)と同じ。 
(イ) 考案の詳細な説明((5)9行~(6)13行)
 そして具体的にはインキ筒(1)の材質をポリエチレン、ポリプロピレン
等の合成樹脂とした場合、インキ(2)と逆流防止剤(3)との配合によって3者の関係
が定り第1図または第2図の状態に区分される。逆流防止剤(3)をポリブテン(これ
をゲル化してもよい)とした場合、水性インキ(2)のインキ筒(1)に対する濡れがポ
リブテンのインキ筒(1)に対する濡れよりも小さいか大きいかによって、第1図また
は第2図の状態に区分される。即ち、インキ(2)のインキ筒(1)に対する濡れがポリ
ブテンのインキ筒(1)に対する濡れより小さい場合は第1図となり、大きい場合は第
2図となるが、第1図または第2図を示す配合の組合せの1例は次の通りである。
イ 第1図の状態を示す組合わせの例
インキ組成
 (省略)
逆流防止剤
 ポリブチン 3N(3,000cst)
(日本油脂㈱製ポリブチン)
エ 本件考案は、平成5年7月14日、実用新案登録された。
オ被告は、平成7年8月15日、特許庁に対し、本件考案の実用新案登録
について無効審判請求を行い(平成7年審判第17314号)、本件補正により上
記ア(イ)の記載をウ(イ)の記載に補正したこと、特に逆流防止剤としてのポリブテ
ンを「(これをゲル化してもよい)」と括弧書きを加えて説明している点が要旨変
更になるなどと主張したが、特許庁は、平成8年7月15日、当初明細書には、逆
流防止剤としてグリース状のポリブテンを使用することが記載されていると把握で
き、逆流防止剤として使用されるポリブテンをポリブテン(これをゲル化してもよ
い)と言い換えることは当初明細書に記載された範囲内の事項といえるから、上記
補正は本件考案の要旨を変更するものではないなどとして、「無効審判は成り立た
ない」との審決をした(甲18)。
 これに対し、被告は、東京高等裁判所に対し、審決取消訴訟(平成8年
(行ケ)第208号)を提起したところ、同裁判所は、平成10年9月10日、当
初明細書には、逆流防止剤としてグリース状のポリブテンを使用することが記載さ
れていると把握できるとする審決の判断は根拠がなく、本件補正は当初明細書に記
載された範囲内の事項であって本件考案の要旨を変更するものではないとする審決
の判断は誤りであるとして、上記審決を取り消す旨のと判決をした(甲33)。原
告は、同判決に対して上告申立てをしたが、平成11年3月25日、上告不受理決
定がなされた。
カ特許庁は、平成11年10月5日、本件補正は要旨変更であり、したが
って本件考案の実用新案登録出願は本件補正に係る手続補正書が提出されたときに
したものとみなされるところ、本件考案は、そのみなし出願時において公知である
本件考案の公開公報記載の考案と同一であるとして、「本件実用新案権を無効とす
る」との審決をした。
 これに対し、原告は、東京高等裁判所に審決取消訴訟を提起するととも
に、特許庁に対し、訂正審判請求(本件訂正請求)をした。
 特許庁は、平成12年2月28日、本件訂正請求を認めるとの審決をし
た(本件訂正審決、甲34)。
キ 特許庁が、本件訂正請求を認めた理由は、概要次のとおりである。
 「ポリブテン(これをゲル化してもよい)」とあるのを「ポリブテン」
と訂正することは、本件考案の実用新案登録請求の範囲に記載される「逆流防止剤
がポリブテンよりなり」というポリブテンにおいて、「ゲル化されたポリブテン」
を除くものと認められるから、実用新案登録請求範囲の減縮を目的とするものであ
り、かつ、新規事項の追加に該当せず、事実上実用新案登録請求の範囲を拡張し、
又は変更するものでもない。
(5) 上記(4)記載の事実(特にカ、キ記載のような原告が本件訂正請求を行っ
た経過及び本件訂正審決の判断)からすると、原告は、本件補正後の明細書の実用
新案登録請求の範囲の減縮を目的として、「ポリブテン(これをゲル化してもよ
い)」とあるのを「ポリブテン」に訂正する本件訂正請求を行い、それを認める本
件訂正審決がされたのであるから、本件考案の「逆流防止剤がポリブテンよりな
り」という構成から、逆流防止剤がゲル化したポリブテンよりなるものは、特に除
かれたものというべきである。
 また、原告は、本件訂正請求において、本件考案の技術的範囲から、逆流
防止剤がゲル化されたポリブテンよりなるものを、意識的に除外したというべきで
あるから、本件考案につき、そのような態度を表明をした原告が、本件訂正審決に
よって本件訂正請求が認められた後に、本訴において、逆流防止剤がゲル化剤によ
ってゲル化したポリブテンよりなるイ号物件も本件考案の技術的範囲に該当すると
主張することは、禁反言の法理に反し、信義則上許されないというべきである。
(6) なお、前記のような出願経過をひとまず措いて、本件訂正後の本件明細書
の記載のみに着目するとすれば、イ号物件が、実用新案登録請求の範囲の「逆流防
止剤がポリブテンよりなり」という構成を具備しているかどうかが問題となるが、
以下のとおり、イ号物件が、同構成を具備しているとも認められない。
 すなわち、本件明細書の記載(甲2の1欄21行~2欄7行)からすれ
ば、逆流防止剤は、インキがインキ筒を逆流したりインキ筒より飛散してしまうこ
とを防止するためのものであることが認められるから、その観点からすれば、逆流
防止剤の粘度は高い方が望ましいということができる。他方、本件考案が、筆記具
のインキ筒であることからすれば、逆流防止剤は、筆記によるインキの流出に応じ
て、インキに追従することが、その性質上当然要求されているということができる
が、逆流防止剤の粘度が高すぎるとその要求に応えることができなくなってしま
う。
 以上のとおり逆流防止剤には、相反する2つの性質が要求されることとな
るが、証拠(甲2)によれば、本件明細書には実施例として3,000cst
という特定の粘度のポリブテンが逆流防止剤として選択されていることが認
められるから、本件考案の「ポリブテン」は、適度な粘度のものを選択することに
よって、インキの逆流・飛散防止とインキに対する追従性という要求に応えている
と認められる。
 他方、証拠(乙5)によれば、ゲル化剤によってゲル化したポリブテン
は、単体のポリブテンには見られないチキソトロピック性(揺変性)が備わり、通
常時は、高い粘性を有しつつも、筆記によるインキの流出に従って、逆流防止剤の
ずり速度が大きくなり、粘性が低下して、インキに追従することになるものと認め
られる。
 そうすると、ゲル化剤によってゲル化したポリブテンが逆流防止剤として
用いられる場合には、単体のポリブテンにはない物性(チキソトロピック性)によ
って、インキの逆流・飛散防止とインキに対する追従性という2つの相反する要求
に対応していることが認められる。
 したがって、逆流防止剤として用いられるという観点から見た場合、ゲル
化剤によってゲル化したポリブテンを「ゲル化剤の添加」と「ポリブテン」とに分
け、「ゲル化剤の添加」は単なる付加であると見るのは相当でなく、単体のポリブ
テンとゲル化剤によってゲル化したポリブテンとは、異なる物質というべきであ
り、逆流防止剤がゲル化剤によってゲル化したポリブテンよりなるイ号物件は、本
件考案の「逆流防止剤がポリブテンよりなり」という構成を具備しないというべき
である。
2 よって、その余の争点について検討するまでもなく、原告の請求は理由がな
いから、主文のとおり判決する。
大阪地方裁判所第21民事部
             裁判長裁判官    小   松    一   雄
                裁判官    高   松    宏   之
                裁判官    安   永    武   央

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