弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

平成27年(う)第1872号窃盗,建造物侵入被告事件
平成28年8月23日東京高等裁判所第4刑事部判決
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役1年10月に処する。
原審における未決勾留日数中120日をその刑に算入する。
本件公訴事実中,平成27年3月4日付起訴に係る窃盗の事実に
ついては,被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は,弁護人大西秀範作成の控訴趣意書及び弁論要旨に,これ
に対する答弁は,検察官小峯尚士作成の答弁書及び同岡崎真尚作成の弁論要旨
に,それぞれ記載されたとおりであるから,これらを引用する。
論旨は,訴訟手続の法令違反,事実誤認及び量刑不当の各主張である。
第1原判示第1の事実に関する訴訟手続の法令違反の主張について
1論旨は,要するに,原判決は,鑑定書(原審甲13,以下「本件鑑定書」
という。)を原判示第1の窃盗の事実の証拠として挙示して,被告人に原判示
第1の事実を認定したが,本件鑑定書は,違法収集証拠であり証拠能力がない
から,その証拠能力を認めた原判決には,訴訟手続の法令違反があり,原判決
が挙示するその余の証拠によっては,被告人に原判示第1の事実を認めること
はできず,被告人は無罪であるから,原審の訴訟手続には,判決に影響を及ぼ
すことが明らかな訴訟手続の法令違反がある,というものと解される。
2そこで,原審記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検
討すると,本件鑑定書の証拠能力を認めて証拠として採用し,事実認定の用に
供した原審の訴訟手続には,判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法
令違反があるといわざるを得ない。以下,その理由を説明する。
3原判決の認定判断
⒧原判決は,まず,当事者間に実質的に争いがなく,証拠上も明らかな事
実として,次の事実が認められる旨説示する。原判決のこの説示に誤りはない。
平成27年1月28日,荒川河川敷沿いの甲の曝気施設付近にテントを張っ
て生活していた被告人のところに,埼玉県警察本部所属の警察官であるA(以
下「A」という。)及び同B(以下「B」という。)が赴き,被告人から話を聞
きたいと述べた上,荒川河川事務所から入手した資料を見せるなどしながら,
周辺のホームレスについての話をし,その際,被告人に持参した紙コップで温
かいお茶を勧め,被告人が飲んだ後,DNA採取目的を秘し,そのコップを廃
棄するとしてAが回収したこと,その様子をBが撮影していたこと,被告人が
使用した上記紙コップからDNAを採取し,その資料を基に原判示第1の事実
にかかる被告人の逮捕状が請求されたこと,その逮捕後の平成27年2月12
日に被告人が口腔内細胞を任意提出し,それについてDNA鑑定をした鑑定書
が本件鑑定書である。
⑵次いで,原判決は,原審公判におけるAの供述を,以下のとおり要約摘
示する。
ア平成27年1月28日の段階で,原判示第1の事実についての犯人が遺
留したと思われるDNAが採取されており,DNAデータベースに一致するも
のがなかったことから,埼玉県警察本部第3課の手口係が,平成17年のDN
Aデータベース化後にDNAの鑑定対象になっていない者で,埼玉県の南部方
面を中心に建設中の仮設事務所から現金やお菓子等を盗み,現場で食べ物を食
べるといった犯行の手口等を基に犯人を絞り込んだ結果,原判示第1の犯行に
つき,その犯人が被告人であろうという目星はついていた。
イ被告人からDNAを採取する方法を検討するに当たり,被告人が河川敷
の曝気施設にホームレスとして住んでおり,被告人に気付かれず被告人のテン
ト付近に近づくことは困難であること,猫を多数飼っていたため,本人と猫が
使用したものの区別がつかず,特定できないことから,ごみ等からDNAを採
取することは断念した,長年偽名でホームレスとして生活していることから,
任意でのサンプル提出の了承を得ることも困難であろうと判断し,令状による
場合には,鑑定結果が出るまでの数日の間に本人がいなくなる可能性があるた
め不相当であると判断した,一方で,当時窃盗現場に遺留された飲食物からD
NAが採取されている同じような犯行が次々と時効にかかっており,時効が切
迫していたという時間的な事情もあった,そこで,上司とも相談の上,被告人
に直接接触し,DNAの採取目的を秘して,紙コップでお茶を飲むよう勧め,
飲んだ紙コップを回収し,DNAを採取することにした。同行したBに対し,
被告人と接触している状況,お茶を飲むための紙コップを被告人が使っている
状況,そしてその紙コップを回収する状況に加えて,付近の居住状況,テント
の様子や曝気施設の周りのごみの様子などを写真に収めるようにと話した。
ウ警察官であることは,曝気施設付近にいる被告人に近づく段階で,警察
手帳を見せながら説明した,Bが写真撮影するに当たり,被告人には,住んで
いる様子,周りの様子,今話している様子も写真に撮ると説明した。そして,
被告人と接触している間,被告人の生活状況や気候の話,食事の話,生活費や
猫の世話の話など生活実態の話や,周辺に居住するホームレスの話などを河川
事務所から入手した資料を見せるなどしながらした。両警察官はいずれも黒っ
ぽい帽子,ジャンパー,ズボンをそれぞれ着用していた。
⑶続いて,原判決は,原審公判における被告人の供述を,以下のとおり要
約摘示する。
相手は警察官だと名乗らなかった,名乗っていたらお茶を飲んだりはしてい
なかった,自分が河川敷でホームレスとして生活していることから,従前2月
と6月の年に2回,国交省から警告書を渡されており,本件のやりとりは,そ
の事前調査のようなものだと思っていた,実際にその後の2月5日には警告書
が置かれていた,ホームレスの話しかしなかったので,相手は国交省の人間だ
と思った,写真を撮られていたことは知らなかった。
⑷その上で,原判決は,Aの原審公判供述の信用性について検討し,以下
のとおり説示する。
ア平成27年1月28日のDNAサンプル採取に至るまでの捜査の状況や
経緯については,Aの供述に不合理な点はなく,その供述するとおり,当時の
被告人の生活状況等に照らせば,DNAサンプルの任意の提供,令状による場
合,ごみ等による採取のいずれの手段においても難点があったことが認められ,
時間的にも時効切迫しつつあるという状況にあったと認められる。
イ一方で,上記のとおりA及びBが目的を秘してDNAのサンプル採取を
する必要があったこと,当日の服装が警察官と一見明白なものでなかったこと,
被告人とのやりとりが,国土交通省が例年警告書を発する時期に,河川事務所
から入手した資料を示しながらなされ,話題も他のホームレスについての話な
どであったこと,被告人が前科等の存在から警察官に対して強い警戒心を有し
ていたことがうかがわれ,Aらも当然これを予測していたからこそ採取目的を
秘すという手段を選択したものであることからすれば,むしろ警察官と名乗ら
なかったという被告人の供述の方が当時の客観的状況と符合して自然であり,
Aらが被告人に対して警察官であると名乗ったという点及び写真撮影の同意を
得たという点については認めることができない。原審甲24号証の写真も特段
Aらが警察官であると名乗ったことをうかがわせるような状況が撮影されてい
るとはいえない。
⑸そして,原判決は,結論として,次のとおり説示する。
アDNA採取目的を秘して被告人に使用したコップの管理を放棄させ,そ
こからDNAサンプル採取をすること自体は,なんら被告人の身体に傷害を負
わせるようなものではなく,強制力を用いたりしたわけではないのであるから
高度の必要性と緊急性,相当性が認められる限りは,令状によらなくても違法
であるとはいえない。
イそして,以上の事実経過に照らせば,上述のとおり,本件においては,
DNAサンプルの採取についての高度の必要性,緊急性が認められ,Aらが警
察官であることを明らかにせず,採取目的を秘したとしても,積極的に虚偽の
事実を述べたわけでもなく,相当性を欠いて違法であるとまではいえない。し
たがって,平成27年1月28日のDNAサンプルの採取手続に違法はなく,
これを疎明資料として請求された逮捕状に基づく逮捕も違法とはいえないか
ら,本件鑑定書が違法収集証拠として排除されることはない。
4当裁判所の事実取調べの結果明らかとなった事実
当裁判所による事実取調べの結果,次の事実が明らかとなっている。
⒧平成27年1月28日被告人から回収した紙コップについては,同日,
領置の手続が行われ,同日付A作成名義の領置調書(当審検2)が作成されて
いる。ただし,押収品目録は誰に対しても交付されていない(当審検5)。そ
して,翌同月29日埼玉県浦和警察署司法警察員作成名義の,埼玉県警察本部
刑事部科学捜査研究所長に対する,鑑定事項を,鑑定資料(紙コップ)に唾液
付着の有無,付着していればそのDNA型とする鑑定嘱託が行われ(当審検3),
その後,同年4月21日付で同科学捜査研究所技術職員名義の,鑑定資料に唾
液の付着が認められること及びそのDNA型を示す鑑定書(当審検4)が作成
されている。
⑵DNA型記録確認通知書(当審検1)によると,遺留鑑定資料(割り箸
に付着した唾液等)から判明したDNA型が,本件鑑定書に記載された被告人
のDNA型と一致する窃盗被疑事件は合計11件あり,最も古いものは,平成
19年12月6日から翌日の間に発生した事件であり,次に古いものは,平成
20年11月23日から翌日の間に発生した事件であると認められる。また,
11件の中には,原判示第1及び第2の各事実に対応する窃盗被疑事件が含ま
れている。
5当裁判所の判断-本件捜査方法の適法性について
⒧原判決が前記3⒧で説示するとおり,本件において警察官らが用いた捜
査方法は,DNA採取目的を秘した上,コップにそそいだお茶を飲むよう被告
人に勧め,被告人に使用したコップの管理を放棄させて回収し,そこからDN
Aサンプルを採取するというものである。そこで,まず,本件捜査方法が,任
意捜査の範疇にとどまり,任意捜査の要件を充足すれば許されるのか,それと
も,このような捜査方法は,強制処分に該当し,これを令状によらずに行った
本件捜査は違法であるのかが問題となる。
⑵この点について,原判決は,前記3⑸アのとおり説示しているから,本
件捜査方法は任意捜査の範疇にとどまると判断していることが明らかである。
そして,原判決は,その理由を,本件捜査方法は「なんら被告人の身体に傷害
を負わせるようなものではなく,強制力を用いたりしたわけではない」という
点に求めているものと解される。
⑶そこで検討すると,捜査において強制手段を用いることは,法律の根拠
規定がある場合に限り許容されるものであるが,ここにいう強制手段とは,有
形力の行使を伴う手段を意味するものではなく,個人の意思を制圧し,身体,
住居,財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など,特別の根
拠規定がなければ許容することが相当でない手段を意味するものであると解さ
れる(最高裁判所昭和51年3月16日第3小法廷決定)。
これを本件についてみると,まず,前記3⑶のとおり,被告人は,原審公判
において,相手は警察官だと名乗らなかった,名乗っていたらお茶を飲んだり
はしていなかった,と供述しているところ,原判決が前記3⑷イにおいて認定
判断しているとおり,「相手が警察官だと名乗らなかった」ことは,関係証拠
により優に認定できるところである。そして,更に原判決が前記3⑷イにおい
て認定判断しているとおり,本件当日のAらの服装が警察官と一見明白なもの
でなかったこと,被告人とのやりとりが,国土交通省が例年警告書を発する時
期に,河川事務所から入手した資料を示しながらなされ,話題も他のホームレ
スについての話などであったことからすれば,被告人は,前記3⑶のとおり,
相手がホームレスの話しかしなかったので,国交省の人間だと思い込み,勧め
られるままに紙コップを手にしてお茶を飲み,被告人が飲んだ後,DNA採取
目的を秘し,そのコップを廃棄するとしてAが回収したものと認められる。そ
うすると,本件においては,Aらは,Aらが警察官であると認識していたとす
れば,そもそもお茶を飲んだりしなかった被告人にお茶を飲ませ,使用した紙
コップはAらによってそのまま廃棄されるものと思い込んでいたと認められる
被告人の錯誤に基づいて,紙コップを回収したことが明らかである。
ここで,強制処分であるか否かの基準となる個人の意思の制圧が,文字どお
り,現実に相手方の反対意思を制圧することまで要求するものなのかどうかが
問題となるが,当事者が認識しない間に行う捜査について,本人が知れば当然
拒否すると考えられる場合に,そのように合理的に推認される当事者の意思に
反してその人の重要な権利・利益を奪うのも,現実に表明された当事者の反対
意思を制圧して同様のことを行うのと,価値的には何ら変わらないというべき
であるから,合理的に推認される当事者の意思に反する場合も個人の意思を制
圧する場合に該当するというべきである(最高裁判所平成21年9月28日第
3小法廷決定参照)。したがって,本件警察官らの行為は,被告人の意思を制
圧して行われたものと認めるのが相当である。
次に,本件では,警察官らが被告人の黙示の意思に反して占有を取得したの
は,紙コップに付着した唾液である。原判決は,前記3⑸アのとおり,本件警
察官らの行為が任意処分の範疇にとどまることを前提とした上で,任意処分の
要件を充足しているか否かを決する場合のメルクマールである,相手方の身体,
住居,財産等に加える制約の程度に関して,「DNA採取目的を秘して被告人
に使用したコップの管理を放棄させ,そこからDNAサンプル採取をすること
自体は,なんら被告人の身体に傷害を負わせるようなものではなく,強制力を
用いたりしたわけではない」と評価している。確かに,相手方の意思に反する
というだけでは,直ちに強制処分であるとまではいえず,法定の強制処分を要
求する必要があると評価すべき重要な権利・利益に対する侵害ないし制約を伴
う場合にはじめて,強制処分に該当するというべきであると解される。本件に
おいては,警察官らが被告人から唾液を採取しようとしたのは,唾液に含まれ
るDNAを入手し鑑定することによって被告人のDNA型を明らかにし,これ
を,前記4⑵のDNA型記録確認通知書に記載された,合計11件の窃盗被疑
事件の遺留鑑定資料から検出されたDNA型と比較することにより,被告人が
これら窃盗被疑事件の犯人であるかどうかを見極める決定的な証拠を入手する
ためである。警察官らの捜査目的がこのような個人識別のためのDNAの採取
にある場合には,本件警察官らが行った行為は,なんら被告人の身体に傷害を
負わせるようなものではなく,強制力を用いたりしたわけではなかったといっ
ても,DNAを含む唾液を警察官らによってむやみに採取されない利益(個人
識別情報であるDNA型をむやみに捜査機関によって認識されない利益)は,
強制処分を要求して保護すべき重要な利益であると解するのが相当である。
以上の検討によれば,前記のとおりの強制処分のメルクマールに照らすと,
本件警察官らの行為が任意処分の範疇にとどまるとした原判決の判断は是認す
ることができず,本件捜査方法は,強制処分に当たるというべきであり,令状
によることなく身柄を拘束されていない被告人からその黙示の意思に反して唾
液を取得した本件警察官らの行為は,違法といわざるを得ない。
なお,検察官は,弁論要旨において,種々の観点から本件警察官らの行為が
適法である旨主張しているが,本件警察官らの行為が任意処分の範疇にとどま
ることを前提として,任意処分の要件である必要性,緊急性,相当性等を備え
ているとする部分については,その前提を欠くものといわざるを得ないし,本
件警察官らの行為には令状を要しないとする部分については,唾液を紙コップ
に付着させた場合,その唾液は,人の身体の廃棄物として,一般的には財産権
の対象ともならない無価値かつ無用の物であるなどとしているのであるが,本
件警察官らの捜査目的は唾液に含まれるDNAの採取にあるのであるから,検
察官の見解は相当とはいえない。
また,本件においては,前記4⒧のとおり,平成27年1月28日被告人か
ら回収した紙コップについて,同日,領置の手続が行われ,同日付A作成名義
の領置調書(当審検2)が作成されている。ところで,捜査機関が行う領置に
ついて,刑訴法221条は,「検察官,検察事務官又は司法警察職員は,被疑
者その他の者が遺留した物又は所有者,所持者若しくは保管者が任意に提出し
た物は,これを領置することができる。」と規定している。本件唾液は,使用
した紙コップはAらによってそのまま廃棄されるものと思い込んでいたと認め
られる被告人が占有を警察官らに委ねた物であり,後者の「所有者,所持者若
しくは保管者が(捜査機関に対して)任意に提出した物」に当たらないことは
明らかである。さらに,前者の遺留とは,「占有者の意思に基づかないでその
所持を離れた物のほか,占有者が自ら置き去りにした物」であると解され,例
えば,占有者の意思に基づいて,不要物として公道上のごみ集積所に排出され
たごみについて,捜査の必要がある場合には,遺留物として領置することがで
きると解される(最高裁判所平成20年4月15日第2小法廷決定)。しかし
ながら,本件唾液は,上記のとおり,使用した紙コップはAらによってそのま
ま廃棄されるものと思い込んでいたと認められる被告人が,錯誤に基づいて占
有を警察官らに委ねた物であり,前者の遺留にも当たらないと解される。そう
すると,本件においては,警察官らは,外形上被告人の意思に基づいて占有を
取得したことから,領置の手続を取ったものであると解されるところ,この手
続は,法が許容する領置の類型とはいえず,本件領置手続自体も違法と解する
のが相当である。
6当裁判所の判断-本件鑑定書の証拠能力について
⒧前記3⒧,4⒧,⑵のとおり,警察官らの違法な行為によって採取され
た被告人の唾液が鑑定嘱託されてDNA鑑定が行われた結果判明した被告人の
DNA型と,原判示第1の事実において犯人が遺留した割り箸に付着した唾液
から検出されたDNA型との一致が明らかとなり,これらの事実を基に原判示
第1の事実を被疑事実とする被告人に対する逮捕状が請求されて発付され,逮
捕後の平成27年2月12日に被告人が口腔内細胞を任意提出し,それについ
てDNA鑑定をした結果を記載したものが本件鑑定書である。
そこで,次に,①本件鑑定書は,上記逮捕状によって逮捕された被告人が任
意提出した口腔内細胞を鑑定した結果を記載した書面であるところ,本件警察
官らの行為の違法性は,被告人の口腔内細胞の採取手続の適法違法の判断には
影響を及ぼさないこととなるのかどうか,②被告人の口腔内細胞の採取手続が
違法を帯びると認められる場合,本件警察官らの行為及びこれに引き続く一連
の手続に,令状主義の精神を没却する重大な違法があり,本件鑑定書を証拠と
して許容することが将来における違法捜査抑制の見地から相当でないとして,
違法収集証拠としてその証拠能力を否定すべきかどうか,が問題となる。
⑵まず,⒧①の問題を検討する。前記のとおり,本件鑑定書は,逮捕後被
告人が任意提出した口腔内細胞についてDNA鑑定を行い,その結果明らかと
なった被告人のDNA型を記載したものである。任意処分による鑑定資料の採
取という経過をたどっているとはいっても,本件口腔内細胞の採取手続は,本
件警察官らによる違法な唾液の採取に基づく違法な逮捕状の発付,その執行に
よる違法な身柄の拘束下において行われたものであって,被告人のDNA型を
明らかにするという同一の捜査目的のために,違法な身柄の拘束を直接利用し
て行われたものであるから,本件口腔内細胞の採取手続も違法を帯びるものと
解するのが相当である(そもそも,原判示第1の事実について公訴を提起し,
これを維持するための証拠を収集するという観点からいえば,逮捕後にあらた
めて被告人から任意に口腔内細胞を採取し,DNA鑑定を行って新たな鑑定書
を整える必要はなく,平成27年1月28日被告人から採取した唾液を鑑定し
た結果についての鑑定書を作成し,これを用いれば足りるのであって,本件鑑
定書の作成については,捜査の違法を遮断する意図のもとで作成された疑いを
払拭することができないというべきである。なお,平成27年1月28日被告
人から採取した唾液を鑑定した結果についての鑑定書(当審検4)は,原判示
第1の事実について公訴が提起された同年3月4日を経過した後である,同年
4月21日付で作成されている。)。
⑶次に,⒧②の問題を検討する。
ア本件捜査方法は,警察官であることを告げず,被告人に紙コップの使用
を勧めた上,捜査目的を知らない被告人に,錯誤に基づいて使用した紙コップ
の管理を放棄させ,採取した唾液から被告人の個人識別情報であるDNA型を
明らかにする,というものである。
イ本件捜査方法を選択した理由についてのAの説明は,原判決がAの原審
公判供述を要約摘示した前記3⑵イのとおりである。
ウこれによれば,本件捜査方法は,上司とも相談の上,令状を取得した上
で被告人から唾液を採取するという令状主義に則った方法を回避する目的で採
用されたもの,すなわち令状主義を潜脱する目的で採用されたものであること
が明らかである。
エAらが,令状取得を回避した理由は,前記3⑵イのとおり,「令状によ
る場合には,鑑定結果が出るまでの数日の間に本人がいなくなる可能性がある
ため不相当であると判断した」というものである。しかしながら,Aが鑑定結
果が出るまでの期間として供述する「数日」が具体的に何日をいうのか判然と
しないものの(DNA型鑑定そのものに数日を要するとは思われない。),捜
査機関において,その間の被告人の所在の把握が可能でないとはいえず,鑑定
結果が判明すれば,その情報を得て,被告人を緊急逮捕することも可能であっ
たといえるから,Aが供述する理由は,令状取得を回避したことを許容する事
情とはいえない。
オ次に,Aは,本件捜査方法を採用した事情として,前記3⑵イのとおり,
「一方で,当時窃盗現場に遺留された飲食物からDNAが採取されている同じ
ような犯行が次々と時効にかかっており,時効が切迫していたという時間的な
事情もあった」と供述する。しかしながら,前記4⑵のとおり,当審で取り調
べたDNA型記録確認通知書によると,遺留鑑定資料(割り箸に付着した唾液
等)から判明したDNA型が,本件鑑定書に記載された被告人のDNA型と一
致する窃盗被疑事件は合計11件あり,最も古いものは,平成19年12月6
日から翌日の間に発生した事件であり,次に古いものは,平成20年11月2
3日から翌日の間に発生した事件であると認められるから,最も古い事件につ
いて平成26年12月に時効が完成したことは上記DNA型記録確認通知書の
記載内容に合致しているものの,次に時効が完成するのは平成27年11月で
あり,「当時同じような犯行が次々と時効にかかっており,時効が切迫してい
たという時間的な事情もあった」というAの前記原審公判供述は,上記DNA
型記録確認通知書の記載内容に反しているというほかない。
カさらに,Aは,前記3⑵ウのとおり,「警察官であることは,曝気施設
付近にいる被告人に近づく段階で,警察手帳を見せながら説明した。Bが写真
撮影するに当たり,被告人には,住んでいる様子,周りの様子,今話している
様子も写真に撮ると説明した」と供述するのであるが,この供述が信用できな
いことについては,原判決が,前記3⑷イのとおり正当に指摘している。付言
すると,Aは,被告人に対し,警察手帳を見せながら警察官であることを説明
した,話している様子などもBが写真撮影することを説明した,と供述する。
しかし,真実そうであるならば,あらかじめ写真撮影をする者としてBを同行
したのであるから,将来の紛議に備えて,Aが被告人に対して警察手帳を示す
場面を撮影し,また,写真撮影されていることを被告人が認識していることが
写真自体から明らかになるような写真を撮影することが,警察官として当然の
行動であると考えられるにもかかわらず,関係証拠によれば,そのような写真
は撮影されていない。Aの上記供述は,到底信用することができない。
キ以上検討したところによれば,本件捜査方法は,DNA型という個人識
別情報を明らかにするため,身柄を拘束されておらずAらが警察官であること
も認識していない被告人に対し,紙コップを手渡してお茶を飲むように勧め,
そのまま廃棄されるものと考えた被告人から同コップを回収し,唾液を採取す
るというものであるところ,本件捜査方法は,上司とも相談の上,最初から令
状主義を潜脱する目的で採用されたものであることが明らかである上,上記オ
及びカのとおり,Aにおいて,本件捜査方法を採用したことを合理化するため,
原審公判において真実に反する供述,信用することのできない供述を重ねてい
るという事情も認められる。したがって,本件警察官らの行為は,原判決が指
摘するように,なんら被告人の身体に傷害を負わせるようなものではなく,強
制力を用いたりしたわけではないといっても,本件警察官らの行為及びこれに
引き続く一連の手続には,令状主義の精神を没却する重大な違法があり,本件
鑑定書を証拠として許容することは将来における違法捜査抑制の見地から相当
でないというべきであるから,本件鑑定書については,違法収集証拠としてそ
の証拠能力を否定すべきである。
7以上のとおりであるから,本件鑑定書の証拠能力を認めて証拠として採
用し,事実認定の用に供した原審の訴訟手続には,訴訟手続の法令違反がある
といわざるを得ない。そこで,続いて,この訴訟手続の法令違反が,判決に影
響を及ぼすことが明らかであるか否か,具体的には,原判示第1の事実につい
て,本件鑑定書を除く原判決が証拠の標目の項で挙示する証拠等によって,被
告人を犯人であると認定することができるかどうか,について検討する。
本件鑑定書を除くと,原判示第1の事実について,被告人が犯人であること
を認定することができるかどうかに関係する証拠は,原判決が原判示第1の事
実の関係で挙示する証拠のうちの,被告人の原審公判供述及び被告人の警察官
調書7通(原審乙2,4ないし9)である。
まず,被告人の原審公判供述であるが,被告人は,原審第1回公判期日にお
いて,原判示第1の事実に対応する平成27年3月4日付起訴状記載の公訴事
実について,「5年も前の事件なので,よく覚えていません」と供述し(なお,
原審弁護人は,「被告人と同様です。被告人は事件をよく覚えていないため,
公訴事実については認めません」と陳述している。),原審第4回公判期日に
おいて,原判示第1の現場には,2回行ったことがあり,うち1回は平成21
年12月頃である,今回の事件で警察官を現場に案内できたのは,平成21年
12月頃現場に行ったからである,と解される供述をするほかは,記憶があい
まいである旨の供述に終始している。また,被告人の警察官調書における供述
も,窃取したとされる現金についての具体的供述を欠いている上,全体として
あいまいである。したがって,原判示第1の事実については,本件鑑定書を除
く原判決が証拠の標目の項で挙示する証拠等によっては,被告人が原判示第1
の事実の犯人であることについて,合理的な疑いを超えるまでの立証が尽くさ
れているとはいえないというほかない。したがって,上記訴訟手続の法令違反
が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
論旨は理由がある。
8以上検討したところによれば,その余の論旨について判断するまでもな
く,原判示第1及び原判示第2の各罪が併合罪であるとして1個の刑を科して
いる原判決は,全部の破棄を免れない。
第2破棄自判
よって,刑訴法397条1項,379条により原判決を破棄し,同法400
条ただし書を適用して,被告事件について更に判決することとする。
1法令の適用等
原判決が認定した原判示第1の事実を除く罪となるべき事実(累犯前科と
なる事実を含む。)に法令を適用すると,原判示第2の所為のうち,建造物侵
入の点は,刑法130条前段に,窃盗の点は同法235条に,それぞれ該当す
るところ,この建造物侵入と窃盗との間には手段結果の関係があるので,同法
54条1項後段,10条により,1罪として重い窃盗罪の刑で処断することと
し,所定刑中懲役刑を選択し,被告人には,原判決が認定した累犯前科がある
ので,同法56条1項,57条により再犯の加重をした刑期の範囲内で,被告
人を懲役1年10月に処し,同法21条を適用して原審における未決勾留日数
中120日をその刑に算入し,原審及び当審における訴訟費用は,刑訴法18
1条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととし,本件公訴事実中,
平成27年3月4日付起訴に係る窃盗の事実については,既に検討したとおり,
犯罪の証明がないことに帰するので,同法336条により被告人に対し無罪の
言渡しをする。
2量刑の理由
本件は,被告人が,平成25年6月,工事現場の仮設休憩所内に侵入した
上,現金約1000円及びカップスープ1個等約11点(時価合計約250円
相当)を窃取した事案であるが,被害弁償はなされていない上,被告人は,平
成17年3月に前刑を仮釈放されると,規則に縛られるのが嫌だなどという理
由で保護会に入所せず,その数か月後には生活費が尽きたため,もっぱら盗み
をして生活していた旨述べているのであって,本件犯行に至る経緯に酌むべき
点はない。また,被告人は,累犯前科となる前科を含め,4件の同種服役前科
を有しており,この種事犯についての規範意識に問題があるといわざるを得な
い。
そうすると,被告人の刑事責任は軽いとはいえず,被告人が事実を認め,反
省の態度を示していること,猫のえさやりを通じて知り合った知人の好意によ
り,本件犯行以降,食事等の提供を受けて盗みをしなくても生活を維持できる
ようになり,この状況を維持すべく生活保護受給を検討するなど,将来に向け
て生活改善に対する意欲が認められることなど,被告人のために斟酌しうる事
情も十分考慮した上,主文の刑を量定することとした。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官植村稔裁判官成川洋司裁判官杉山正明)

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛