弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主          文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求(1,2及び4が45号事件,3が47号事件に係る請求である。)
1 被告法務大臣が,原告に対して平成14年3月11日付けでした難民の認定をしな
いとの処分を取り消す。
2 被告法務大臣が,原告に対して平成14年6月4日付けでした出入国管理及び難
民認定法61条の2の4に基づく異議の申出は理由がないとの裁決を取り消す。
3 被告法務大臣が,原告に対して平成14年6月5日付けでした出入国管理及び難
民認定法49条1項に基づく異議の申出は理由がないとの裁決を取り消す。
4 被告名古屋入国管理局主任審査官が,原告に対して平成14年6月5日にした退
去強制令書の発付を取り消す。
第2 事案の概要(以下,年号は,本邦において生じた事実については元号を先に,本
邦外において生じた事実については西暦を先に表記し,日付については現地時間
に基づく。また,国名は,慣用例により適宜略記する。)
 本件は,アフガニスタン国籍を有する原告が,被告法務大臣(以下「被告大臣」とい
う。)に対して難民認定申請をしたところ,同被告が難民の認定をしない処分をした
上,これに対する異議の申出も理由がないとの裁決をし,次いで,原告に不法入国
の退去強制事由がある旨の入国審査官の認定に誤りがないとの特別審理官の判
定に対してした異議の申出も理由がないとの裁決をしたため,同被告に対してこれ
らの取消しを求め,さらに,後者の裁決に基づいて,被告名古屋入国管理局主任
審査官(以下「被告主任審査官」という。)が原告に対する退去強制令書を発付した
ため,同被告に対してその取消しを求めた事案である。
1 争いのない事実等(証拠等による認定事実の場合は,末尾にその根拠となった当
該証拠等を掲記する。)
(1) アフガニスタンの国情
ア 1990年代の内戦までの経緯
 アフガニスタンは,パシュトゥン人,タジク人,ハザラ人,ウズベク人その他の少
数民族から成る多民族国家であり,1919(大正8)年に英国保護領から独立
した後,1973(昭和48)年に王制から共和制に移行し,さらに共産主義政権
が成立したが,政局は安定せず,1979(昭和54)年の旧ソ連軍の軍事介入
とこれに反発するイスラム教徒から成るムジャヒディーン(イスラム聖戦士た
ち)各派によるゲリラ戦,1989(平成元)年の旧ソ連軍の撤退を経て,1992
(平成4)年,ムジャヒディーンが同政権を打倒し,ブルハヌディン・ラバニ(以
下「ラバニ」という。)が大統領に就任した。しかし,ほどなくして,ムジャヒディ
ーン各派が覇権を巡って抗争を繰り返すようになり,内戦状態となった。
イ タリバーンの台頭と国土制圧
 混乱の中,相対的多数派民族であるパシュトゥン人によって主に構成され,ム
ッラー・ムハマド・オマル(以下「オマル」という。)の指導の下でスンニ派イスラ
ム原理主義政権の樹立を目指すタリバーン(「求道者たち」あるいは「神学生
たち」を意味する。)が,1994(平成6)年ころから台頭し,1996(平成8)年9
月末には首都カブルを制圧して暫定政権の樹立を宣言し,その後も軍事攻勢
によって勢力拡大を続けた。
 これに対し,ラバニ派(タジク人中心),カリリ派(ハザラ人中心),ドスタム派(ウ
ズベク人中心)などの反タリバーン勢力は,北部の都市マザリ・シャリフを拠点
に北部同盟を結成して抵抗したが,タリバーンは,1998(平成10)年8月こ
ろ,同市に大攻勢をかけて陥落させ(その直後にハザラ人を中心に多数の者
が虐殺された。),その後も攻勢に出て1999(平成11)年までに国土の大半
を支配するに至った。
ウ タリバーン政権の崩壊と新政権の樹立
 2001(平成13)年9月11日,米国でいわゆる同時多発テロ事件が発生した
のを契機に,米英軍は,同年10月7日,その首謀者と目されたウサマ・ビンラ
ディンの引渡しを拒否したタリバーン政権に対して,軍事攻撃を開始し,北部
同盟も米国の支援を受けて攻勢に転じた。
 タリバーン政権は,同年11月13日には首都カブルを放棄して組織としては事
実上崩壊し,これを受けて,国連主導により同月27日から同年12月5日にか
けてドイツのボンで開催されたアフガニスタン代表者会合の結果,同月22
日,ハミド・カルザイ(以下「カルザイ」という。)を議長とするアフガニスタン暫
定行政機構が発足し,さらに,2002(平成14)年6月に開催された緊急ロ
ヤ・ジルガにおいて,カルザイ暫定政権議長が国家元首である大統領に選出
されて,ハザラ人の閣僚を含むアフガニスタン・イスラム移行政権(以下「カル
ザイ政権」という。)が樹立された。
(2) 原告の身上と本邦への入国
 原告は,1974(昭和49)年1月4日,カブルで出生したアフガニスタン国籍を有
する外国人で,平成13(2001)年10月14日,旅券を所持することなく東京付
近の港に到着し,本邦に入った。
(3) 本邦における原告の行政関係等の手続
ア 難民認定申請と不法入国容疑事件の立件
 原告は,平成13(2001)年11月7日,大阪入国管理局(以下「大阪入管」とい
う。)において,同人がハザラ人であるために,アフガニスタンを実効支配して
いたタリバーン政権によって迫害を受けるおそれがあることを理由として,被
告大臣に対し,出入国管理及び難民認定法(以下,法律名を示すときは「入
管難民法」と,章名又は条文を示すときは単に「法」という。)61条の2第1項
に基づく難民の認定を申請した(甲1,2の1・2,乙13,16。以下「本件難民
申請」という。)。
 他方,大阪入管入国警備官は,同月12日,原告を法24条1号(不法入国)該
当容疑で立件した(乙13)。
イ 難民調査官による調査と難民不認定処分
 被告大臣は,平成13(2001)年11月16日,同年12月13日及び平成14(2
002)年1月8日の大阪入管難民調査官による3度の調査(乙1ないし3)を経
て,同年3月11日付けで,原告に対して難民の認定をしないとの処分をした
(甲5,乙13,17。以下「本件不認定処分」という。)。
ウ 大阪入管による退去強制事由の調査と名古屋入国管理局(以下「名古屋入
管」という。)への移管
 大阪入管入国警備官は,平成14(2002)年1月28日及び同年2月26日,同
入管茨木分室において不法入国容疑で原告の違反調査をした(乙6,7,13)
が,原告は,前後する同月21日,居住地を大阪府堺市から愛知県安城市に
移して,同市に外国人登録の申請をした(乙14,15)。
 大阪入管は,同年3月8日,原告に対する上記容疑事件を名古屋入管に移管
した(乙13)。
エ 退去強制容疑に基づく収容と退去強制事由の認定
 名古屋入管入国警備官は,平成14(2002)年4月10日,法39条1項に基づ
き,原告が法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当な理由があ
るとして,被告主任審査官から発付を受けた同月9日付け収容令書を執行し
て,原告を名古屋入管収容場に収容する(乙20)とともに,違反調査を実施し
(乙8),翌11日,法44条に基づき,調書及び証拠物とともに原告を名古屋入
管入国審査官に引き渡した(乙21)。
 名古屋入管入国審査官は,同月12日及び同月25日,上記容疑事実につい
て審査した(乙9,10)結果,同日付けで原告が法24条1号に該当する旨認
定し,そのころ,これを原告に通知した(乙13,22)。
オ 原告の不服申立て等と被告大臣の裁決
(ア) 本件不認定処分は,前後する平成14(2002)年4月10日,原告に通
知されたが,原告は,これを不服として,同日,法61条の2の4に基づき,
被告大臣に対して異議を申し出た(甲5,乙13,17,18。以下「本件難民
異議申出」という。)。
(イ) また,原告は,同月25日付けの法24条1号に該当する旨の名古屋入
管入国審査官の認定を不服として,同日,法48条1項に基づき,名古屋入
管特別審理官に対し口頭審理を請求した(乙10)ので,同特別審理官は,
同年5月10日,口頭審理を行い(乙11),その結果,上記認定は誤りがな
い旨判定し,これを原告に通知した(乙23)ところ,原告は,同日,法49条
1項に基づき,被告大臣に対して異議を申し出た(乙13,24。以下「本件
退去異議申出」という。)。
(ウ) 被告大臣は,本件難民異議申出について,同年5月9日及び同月21日
に行われた名古屋入管難民調査官による調査(乙4,5)を受けて,同年6
月4日付けで理由がない旨裁決し(甲7,乙19。以下「本件不認定裁決」と
いい,本件不認定処分と併せて「本件不認定処分等」という。),同月5日,
これを原告に通知した(乙13)。
(エ) また,被告大臣は,本件退去異議申出について,前後する同年5月21
日の名古屋入管特別審理官による口頭審理の補充調査(乙12)の結果,
法49条3項に基づき,同年6月5日付けで理由がない旨裁決した(以下「本
件退去裁決」という。)上,法務省入国管理局長,名古屋入国管理局長を経
由してこれを被告主任審査官に通知した(乙13,25)。
カ 退去強制令書の発付と執行
 被告主任審査官は,平成14(2002)年6月5日,本件退去裁決を原告に通知
する(甲8,乙13,26)とともに,原告に対して,送還先をアフガニスタンとする
退去強制令書を発付し(以下「本件発付処分」といい,本件不認定処分等及
び本件退去裁決と併せて「本件各処分」という。),名古屋入管入国警備官
が,同日,これを執行して原告を収容し,同年7月3日,入国者収容所西日本
入国管理センターに移収した(乙13,27)。
キ 仮放免
 原告は,平成14(2002)年8月ころを含め,数度にわたり仮放免を申請した
(甲9ないし14,弁論の全趣旨)ところ,同年9月3日の45号事件の提起及び
同月5日の47号事件に係る請求の追加的併合(当裁判所に顕著な事実)後
である同年10月29日,これを許可された。
2 本件の争点及びその前提問題
(前提問題)
判決自体の条約適合性の要否(本件各処分の適否の判断基準時)
(争点)
(1) 本件不認定処分等の手続的適否
(2) 本件不認定処分等の実体的適否
ア 「迫害を受けるおそれ」の意義
イ 原告の難民性の有無
(3) 本件退去裁決の適否
(4) 本件発付処分の適否
3 争点及び前提問題に関する当事者の主張
(1) 前提問題-判決自体の条約適合性の要否(本件各処分の適否の判断基準
時)について
(原告の主張)
 訴訟の口頭弁論終結時において,難民が送還先において迫害を受けるおそれ
があるという十分に理由のある恐怖を有する客観的状況がある場合,退去強制
令書発付の適法性を追認し,当該難民を送還させることになる判決は,それ自
体がいわゆるノン・ルフルマン原則を定めた難民の地位に関する条約(以下「難
民条約」という。)33条1項に違反するものとして違法である。
 したがって,仮に本件各処分時においてそれらが適法であったとしても,アフガ
ニスタンにおいては,2003(平成15)年8月ころからタリバーンによる事件が相
次いでおり,国連難民高等弁務官事務所(以下「UNHCR」という。)等の非武装
中立の組織に対しても攻撃を拡大させるなど,タリバーンが組織として復活を遂
げたのが確実であるほか,カルザイ政権もその懐柔に動いているような不安定
な状況にある口頭弁論終結時にあって,本件各処分を追認し,原告を同国に送
還させることになる判決は違法である。
 このような場合,事情判決との対比において,主文においては本件各処分の
適法性を確認しつつ,請求を認容してこれらを取り消すことも可能というべきであ
る。
(2) 本件不認定処分等の手続的適否(争点(1))について
(原告の主張)
ア 難民性の立証責任の所在
 難民認定手続において,難民であることの立証責任は,難民性を主張する者
が全面的に負うとされているが,難民認定申請者は,命をかけて着の身着の
ままで逃れ来る者で,生きることそれ自体の確保を優先させなければならず,
また,国籍国との決別の表明である難民認定申請は最後の最後まで遅らせ
るのが通常であるから,転々とする間にも生活必需品以外はほとんど喪失す
るなり処分するなりしてしまい,難民性立証のための資料としては本人の窮状
そのもの以外にはないことが常態である。被告らは,我が国が資料を収集す
ることの困難性を主張するが,そのような事情は申請者としても同様であり,
むしろ,行政側が発達した通信機構を利用したり,国際機構を通じたり,多数
の職員を動員して情報を収集し分析できることと比較すれば,申請者の方が
より困難というべきである。
 また,申請者は,異国の法制度や行政手続に関する知識を持たず,高度の立
証活動に対応できるはずもなく,特に我が国の難民認定申請期間が60日に
制限されている下では十分な立証資料を収集することが期待できないこと,
難民認定官(被告ら及び難民調査官)は,難民の国籍国(無国籍者の場合に
は常居所国。以下併せて「国籍国等」という。)にまず行ったことがなく,その国
の事情に疎いのが通常で,迫害を実感してもらうのが非常に困難であること
からすれば,申請者に対して難民該当性を完全に証明する証拠の提出を求
めるのは,結局ほとんど不可能を強いるものである。
 申請者は,資料収集能力,法律その他の知識,立証活動能力のあらゆる点に
おいて,行政側と比べて圧倒的に劣っているのであり,弾劾的当事者構造を
強調するのは実質的には難民を保護しないに等しいから,難民性の立証責
任は,難民認定手続の構造に沿った形で,通常の裁判におけるそれよりも緩
和されるべきである。
 したがって,申請者の陳述により,申請者がその主観において迫害の下にある
と一応うなずけるだけの立証がされれば,これを覆すに足りる明白な根拠が
示されない限り,難民性を否定することは許されず,疑わしきは申請者の利益
に帰せしめるのが相当である。仮に申請者の陳述以外の資料の不足により
真偽不明の状態が生じた場合,これを申請者の不利益に帰せしめることは許
されない。
 なお,本来難民でない者まで難民扱いすることになる可能性は,難民条約及び
難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」といい,難民条約と併せて
「難民条約等」という。)を締結したことの合理的コストとして甘受すべきもので
ある。
イ 原告の言語能力と通訳の不適正
 ハザラギ語は,一般にはアフガニスタンの公用語であるダリ語の方言とされる
が,類似点は5割程度ともいわれており,文字表記はなく口伝のみで継承され
ていることから,部族単位でも多種多様に異なる。原告は,ハザラギ語を母語
とし,他民族の者との会話による実用を通じてダリ語も話すことはできるが,
教育を受けていないため敬語表現のダリ語は話せず,ペルシア語は,話し方
にもよるものの,ある程度聞いて理解することはできても,発話能力はほとん
ど無い。
 本件難民申請に係る原告に対する調査は,すべてペルシア語で発問され,原
告がダリ語で回答する方式で行われたものであるが,ペルシア語通訳人が仕
事欲しさにダリ語も通訳可能と述べる場合も見受けられるといわれているとこ
ろ,本件でも通訳人が原告の発するダリ語を理解し得たかは疑問が残り,供
述内容に照らしても誤訳したとしか考えられない部分も多く,原告の供述を録
取したものとはいえない。
 また,本件難民異議申出に係る調査においては,ペルシア語より若干原告が
理解しやすいといえるダリ語が使用されたこともあったが,その際に通訳人と
して充てられたaはパシュトゥン人であるところ,原告を迫害してきたタリバーン
を構成する民族の通訳人を付ければ,原告としては話すべきことを話せない
のは当然である。しかるに,被告らは,同氏がパシュトゥン人であることを告知
した上で通訳人としてよいかを原告に尋ねておらず,通訳人の排除請求権も
告知しなかったため,原告は,平成14(2002)年5月10日の特別審理官に
よる口頭審理の際にaがパシュトゥン人に偏した発言をし,原告に賄賂を要求
するまで,同人がパシュトゥン人であることに気付かなかった。これらの事実
は,正しい通訳が行われなかったとの疑いを抱かせ,難民認定手続全体の信
頼性を疑わしめるものである。
 本件難民申請に係る手続は,行政手続の性質に応じて適正手続の保障を及
ぼす憲法31条に明らかに反し,違法であるから,本件不認定処分等は取り
消されるべきである。仮に,同条に違反しないとしても,その際の供述の信用
性や証拠価値は著しく減殺され,調書類はすべて証拠として採用すべきでな
く,殊に原告に不利に用いることは許されない。
ウ 合理的調査の欠如
 被告大臣は,迫害を受けるおそれについて「立証する具体的な証拠がない」な
どと説明するが,日本国政府は,難民認定申請者に証拠収集する機会を与え
ることもなく,いたずらに長期にわたる拘禁を続けている現状について,UNH
CRから懸念を表明されているほどである。法61条の2の3によれば,国家
は,その後見的作用によって難民性の立証を緩和すべきであるところ,原告
は,本件難民申請時から,一貫してハザラ人であると供述し,証拠として提出
できるものはすべて提出しているにもかかわらず,被告らは,原告の難民該
当性の判断に際していかなる合理的調査を尽くしたかについて明らかにする
ことを拒んでおり,被告大臣が合理的な調査を行ったことの立証はない(本件
不認定処分等の後に作成された証拠を,本件不認定処分等の適法性を基礎
付けるために援用することは許されない。)から,本件不認定処分等は違法で
ある。
エ 理由付記の欠如
 難民条約等に基づく国の義務を履行するための難民認定手続において,行政
庁の判断の慎重・合理性を担保し,申請者の争訟提起の便宜を図るという目
的の理由付記の程度については,被告大臣に裁量判断の余地はなく,その
判断を誤った場合には申請者の生命,身体,自由に重大な危険を生じさせ,
言わば死刑判決を下すような結果を生じさせるから,種々の行政処分の中で
も刑事手続に準じた慎重な判断が必要であり,これを担保するために手続的
保障が要請され,具体的な理由が明示されるべきである。
 しかして,その程度としては,特段の事情がない限り,判断の根拠となった法
条及び具体的事実を示し,さらに,当該具体的事実を裏付ける証拠資料の有
無,証拠資料がある場合はそこから事実を導いた評価手法や推論の過程,
証拠資料がない場合は証拠資料を獲得すべく行った調査の具体的内容(目
的,期間,程度その他)を明らかにすべきである。
 したがって,単に「迫害を受けるおそれがあるという申立ては証明され」ないと
した本件不認定処分や,「難民の認定をしないとした原処分の判断に誤りは
認められず,他に,貴殿が難民条約上の難民に該当することを認定するに足
りるいかなる資料も見出し得なかった」とする本件不認定裁決には,「難民条
約上の難民に該当しない」と判断された具体的理由が実質的に何ら明示され
ていないから,憲法13条,31条の要請する程度の理由の付記がされていな
い違法がある。
(被告らの主張)
ア 難民性の立証責任の所在
 原告の主張アのうち,難民認定手続において,法61条の2第1項の申請の立
証責任が難民認定申請者にあることは認めるが,その余は争う。
 いかなる手続を経て難民の認定がされるべきかについては,難民条約等にも
規定がないことから,これらを締結した各国の立法政策に委ねられていると解
されるところ,我が国の難民認定手続を規定する法61条の2第1項が,被告
大臣は,申請者の「提出した資料に基づき」難民認定を行うことができると定
め,法61条の2の3第1項が,被告大臣は,申請者より「提出された資料のみ
では適正な難民の認定ができないおそれがある場合その他……必要がある
場合には,難民調査官に事実の調査をさせることができる。」と定めているこ
とから明らかなとおり,難民認定申請者は,まず,自ら難民条約等に列挙され
た事由を理由として,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐
怖を有する」ことを認めるに足りるだけの資料を提出することが必要である。こ
のことは,難民認定を受けていることが他の利益的取扱いを受けるための要
件となっていて(法61条の2の5,61条の2の6,61条の2の8),難民認定
処分は授益処分とみるのが相当であること,難民該当性の判断の対象とされ
る諸事情が,事柄の性質上,外国でしかも秘密裡にされたものであることが
多く,その事情を我が国が有権的かつ当然に把握できるものではなく,その資
料の収集は不可能に近いことからも明らかである。
イ 通訳の適正
 原告の主張イは争う。
 難民認定に係る事実の調査を行うために通訳人が必要とされる場合,名古屋
入管においては,能力及び人物評価をして選んだ名簿等の中から,過去数年
間の実績を調査し,申請者と利害関係のない者等適当な通訳人を選定した
上,申請者から当該通訳人を忌避する旨の申立てがない限り通訳人として使
用することとしており,本件難民異議申出に係る事実調査に際しても,同様の
手続により選定したアフガニスタン人の通訳人aについて,調査日の10日以
上前に原告に確認して問題ない旨の回答を得たし,その後も忌避する旨の申
立てがなかったことから,同人を通訳人としたものである。したがって,名古屋
入管難民調査官は,通訳人の選定につき適正な手続を踏んでいる。
 しかも,aは,純粋のパシュトゥン人ではなく,パシュトゥン人と他の民族を親に
持つ混血のアフガニスタン人で,また,既に20年以上も我が国に在留してい
てタリバーンと関係があるとは考えられない上,調査を実施した平成14(200
2)年5月9日当時のアフガニスタンは,後述のとおりタリバーンが崩壊してい
る状況でもあったから,このような状況の下で,タリバーンと無関係のパシュト
ゥン人を通訳人として使用しても,本件難民異議申出に係る事実の調査手続
に何の問題も生じない。
 原告は,aが原告に金品まで要求している旨主張するが,同人による各調査当
日に原告がその旨を申し立てなかったことからすれば,かかる金品要求の事
実があったとは認められないし,後日にされた要求であるとすれば,通訳の適
正とは無関係であって,何ら調査手続の適法性を損なうものではない。
 本件難民異議申出に係る事実調査は,aと別の日本人通訳人を介して2回行
っており,供述内容も同一であるから,aを通訳としたことによる本件不認定裁
決の結果への影響も全くなかったことは明らかであって,通訳人の選定につ
いて,何ら手続的違法はない。
ウ 調査実施の裁量性
 原告の主張ウのうち,UNHCRから庇護希望者の拘禁に関する懸念が表明さ
れたことは認めるが,その余は争う。
 そもそもUNHCRの懸念の表明には法的拘束力がなく,我が国が庇護希望者
を収容したからといって難民条約等に違反することにはならない(原告の場合
については,国際法及び国内法に従った適切な措置であった。)。
 申請者の立証が十分でないとして難民の認定をしないこととなるのは,合理的
な調査を十分に尽くしても難民該当性が判然としないような場合であるが,法
61条の2の3が事実の調査権限を被告大臣に付与しているのは,無資格者
を誤って難民と認定すれば,事実確認を基礎とする制度の意義を失わせるこ
とになりかねないため,一定の限度で実体的真実を解明することが適正な処
分を行うために必要と考えられるところ,申請者が自己に不利益な資料を進
んで提出することは想定できないことから,専門的知識を有する難民調査官
において,申請書や提出資料について申請者に説明を求めるなどし,その供
述態度をも直接確認して心証を得るための権限を法的に明確にしたものであ
って,難民調査官に調査をさせる職務上の法的義務を被告大臣に課したもの
ではない。
 原告についても,以上の意味において十分に合理的な調査を尽くした結果,難
民該当性が認められなかったものである。
エ 理由付記の十分性
 原告の主張エのうち,法律が行政処分に理由付記を要求しているのは,処分
庁の判断の慎重・合理性を担保してその恣意を抑制するとともに,処分の理
由を相手方に知らせて不服の申立てに便宜を与える趣旨に出たものであるこ
とは認めるが,その余は争う。
 理由付記に当たり,どの程度の記載をすべきかは,処分の性質と理由付記を
命じた各法律の趣旨・目的に照らしてこれを決定すべきものであるところ,難
民不認定処分の場合,難民性の立証責任は申請者が負うと解されるから,処
分の前提として明らかにすべき一定の事実関係が存在せず,申請者の申立
てを立証する具体的な証拠がないとの理由付記しかできない場合もあり得る
のであり,事実関係を認定する心証形成経過まで付記することを法が要求し
ているとは解されない。
 しかして,本件不認定処分の理由は,原告に交付された通知書の理由欄の記
載を見れば,難民該当性について立証する具体的証拠がないというものであ
ったことが明白であり,何ら不明確なものではなく,処分庁の恣意を抑制し,
原告に対して不服申立ての便宜を提供するという要請を満たしていると認め
られるから,理由付記の程度としては十分であって,何らの違法もない。本件
不認定裁決についても,その理由中で,被告大臣が,原告から本件難民異議
申出を受けて,本件難民申請について再検討し,本件不認定処分における判
断に誤りがないと認定し,さらに異議申出以後に提出されたその他の資料に
ついて検討しても,原告の主張する難民該当性を立証するいかなる資料もな
かった旨判断しており,その結論に達した過程を明らかにしているから,違法
はない。
(3) 「迫害を受けるおそれ」の意義(争点(2)ア)について
(原告の主張)
 国籍制度が世界全体で認められたのは,人はその国籍国においてこそ最もよ
く保護され,人権等の保障を受けられるという思想に合理性があったからであ
り,難民としても,「迫害」がなくなれば国籍国等に帰りたいと望む者がほとんど
である。にもかかわらず,難民は「迫害」ゆえに国籍国等にいたくともいられなく
なり,難民認定申請という形で国籍国等との決別を表明せざるを得なかったこと
に照らすと,難民条約上の「迫害」の判断に際しては,まずもって当該申請者の
主観に重きを置くことが肝要であって,このことは,同条約が「恐怖」という極めて
主観的な概念を用いていることからも裏付けられる。人種等を理由とする生命又
は自由に対する脅威が常に「迫害」に当たると推論されるのみならず,それ自体
としては(辞書にあるような意味での)「迫害」といえないような様々な事情(差
別,一般的な不安定な雰囲気)を総合考慮した結果,申請者の内心に累積され
た根拠により迫害の存在を正当化できることも十分にある。
 したがって,「迫害」の定義を論ずるに当たって,被告らの主張するように,「通
常人が申請者の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情」
は不必要であり,その受忍限度内の人権抑圧であるとのそれ自体あいまいな一
事をもって,難民の救済を否定するのは明らかに非人道的であって,申請者なり
に合理的な根拠をもって迫害の恐怖を感じているにもかかわらず,かかる客観
的事情がないとして難民として扱わず,国籍国等に送還するのは新たな人権侵
害である。
 また,難民不認定処分は,その判断を誤った場合,被処分者の生命,身体,自
由への侵害を招く特質を有するから,迫害の「おそれ」は,現実的な危険性まで
は要求されず,抽象的なもので足りると理解すべきであって,具体的なおそれを
要求するのは,本来難民とされるべき者を国籍国等へ送還する結果となりかね
ない危険な解釈であることは明白である。
(被告らの主張)
 原告の主張は争う。
 入管難民法に定める「難民」とは,難民条約等上の難民をいう(法2条3号の
2)ところ,難民条約にいう「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもた
らす攻撃ないし圧迫であって,生命,身体,自由への侵害又は抑圧を国家機関
が行う場合をいい,私人によるこれらの行為を国家が容認又は黙認する場合を
も含むが,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」
というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いていると
いう主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の
恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要と解すべきである。
 原告の主張によれば,客観的に全く迫害を受けるおそれがないような場合であ
っても,申請者が主観的に迫害を受けるおそれがあると思いさえすれば当該申
請者を難民と認めなければならないという不合理な事態が生じることとなるか
ら,その主張は全く不当である。
(4) 原告の難民性の有無(争点(2)イ)について
(原告の主張)
ア アフガニスタンにおけるハザラ人迫害の歴史
 19世紀末に現れたパシュトゥン人の王アブドゥル・ラフマンは,当時の人口の
約2パーセントに当たる12万人の他民族を殺害したところ,中でも最大の抵
抗勢力であり,シーア派に属するハザラ人への敵視は際立ち,その残虐な行
為によって同民族の自治と産業は壊滅的な打撃を受けた。そのため,ハザラ
人は,地位的,経済的に劣位に置かれ,その反乱と抵抗が失敗するたびにパ
シュトゥン人の王の怒りを買う結果となって,劣位は決定的なものとなった。さ
らに,この時代に引き続く1929(昭和4)年から1978(昭和53)年にかけ
て,ハザラ人に対する政治的抑圧が行われ,完全に二流市民扱いされた結
果,ハザラ人はロバの代わりに荷物を運搬するような仕事しかできない状態
に陥った。かかる扱いが長く続くことにより,民間にまで差別意識が浸透して
定着するに至るのは歴史が教えるところであり,こうした経緯は,アフガニスタ
ンで「ハザラ」の語が広くおとしめや否定的な意味で使われることにも見ること
ができる。
 その後,ハザラ人は,イスラム統一党を指導したマザリ師が精神的支柱となっ
て一時中興したが,同師は,1995(平成7)年にタリバーンとの融和を企図す
る過程で捕らえられ,処刑された。
 上記のようなハザラ人に対する蔑視,差別感は,長年にわたり既成事実化した
もので,アフガニスタンの諸民族の脳裏に焼き付いており,特に同民族がシー
ア派を捨てないことが,スンニ派に属する他の諸民族の怒り,敵意,差別感を
醸成している。
イ 原告の民族性と体験
 原告は,ハザラ人集住地域であるカブル西部のプレスオフタ地区で出生したハ
ザラギ語を話すシーア派のハザラ人で,10歳のころから父の手伝いをしてい
たが,2年後の1986(昭和61)年ころ,父がムジャヒディーンと疑われたた
め,ハザラ人集落のあるダレ・トルクマンに退避していたところ,翌年,父は旧
ソ連軍の空爆により死亡した。原告は,1988(昭和63)年,プレスオフタに戻
り,ハザラ人を守るために結成されたイスラム統一党に対して資金面で協力
するなどしていたが,1992(平成4)年ころ,同党への攻撃が行われた際,銃
撃戦に巻き込まれて左脇腹を貫通する銃創を負って入院し,翌年には母も空
爆で死亡した。原告は,1995(平成7)年,タリバーンの攻撃によりイスラム
統一党が西カブルから敗走したことに恐怖を感じて家を出た末,イランのテヘ
ランに行ったが,兵役に服するか国外退去するかを迫られたため,同所のア
フガニスタン大使館で旅券を入手した上,トルクメニスタン,ロシア,タジキスタ
ンを経由して,イスラム統一党が支配するアフガニスタン国内のマザリ・シャリ
フに赴き,そこで自動車部品を販売して過ごしていたところ,1997(平成9)年
5月にタリバーン軍が来襲した。このときは,同軍の敗退に終わったものの,
原告は恐怖でホテルから一歩も出られなかったし,報復があるとの噂も信じて
恐怖を抱いたため,街を出ることを決意し,店を捨ててパキスタンのペシャワ
ールに渡った。
 原告がハザラ人であるとは認められないとの被告らの主張のうち,原告の相
貌がモンゴル系ハザラ人と相違していることは認めるが,ハザラ人も純血主
義を採っていたわけではなく,トルクメン系,シンハリ系などタジク人に近い相
貌である者や,ガズティス系,ベセス系といった者もいるから,これを理由に原
告のハザラ人性を否定する被告らの主張は失当である。なお,原告が,調査
段階において,カブルで生まれ育ったために,背も高くなったと思うとか,ハザ
ラギ語でなくダリ語を話していたなどと供述したとの事実は否認する。調査段
階における原告の供述の変遷は,専ら調査の際に使用された言語に係る言
語能力に起因するものであるし,それゆえにまた,その変遷を理由に原告の
供述全体の信ぴょう性を否定すべきでもない。
 また,被告らの主張のうち,原告がハザラ人性を証明する身分証明書等を所
持していないことは認めるが,ハザラ人内部で生活してきた原告にそうした証
明書を取得し携帯することは必要でなかったばかりでなく,かえってこれを携
帯することは迫害を呼び寄せるものでしかないのであるから,証明書の提出
を要求する被告らの主張も失当である。
ウ 原告の抱く迫害の恐怖
 確かにタリバーン政権は,米軍の爆撃等によって組織としては崩壊したが,至
るところにその残党と思われるものがいまだに多く残存している上,タリバーン
政権崩壊を機に亀裂の深まった各軍閥は,これらタリバーンの残党を利用,
吸収して抗争,内戦を続けると考えられる。すべてのハザラ人がパシュトゥン
人から殺害される状況にあったとはいえないとしても,ハザラ人の迫害の歴史
からも明らかなように,アフガニスタンにおいては,民族と宗教とは強固に結
び付いており,ハザラ人であれば,シーア派であると当然視されるところ,近
い将来においてアフガニスタンから同民族に敵対するタリバーンの影響がぬ
ぐい去られることは想定し難い。原告の母は,確かに内戦に巻き込まれて死
亡したが,この内戦は,民族間の対立を原因として起こったのであり,サヤフ
派などがハザラ人に対して攻勢に出ている時にその戦闘で母を亡くした以
上,原告が,その死はハザラ人ゆえであったと考えるのは当然である。また,
原告の家族は,タジク人男性とハザラ人女性との結婚に原告の父と親戚が反
対してから,タジク人家族との仲が悪くなっている(小規模の部族対立に発展
する可能性もあった。)ほか,タジク人がタジク人捕虜とハザラ人の遺体との
交換を押し付けたり,タジク人に捕らわれたハザラ人捕虜が奴隷扱いを受け
たり,タジク人地区に入ると捕まって拷問を受けるなどの体験等から,タジク
人に対しても迫害される恐怖を抱いている。そして,パシュトゥン人でありなが
ら諸民族の融和を唱えていたカディル副大統領が暗殺されたり,カルザイ大
統領自身の暗殺未遂事件が発生するなどの状況の下では,原告がアフガニ
スタンで際立った宗教活動をしていなかったことが事実であるとしても,それ
が迫害を受けるおそれを否定する資料とはなり得ない。
 このことは,西欧諸国がタリバーン政権崩壊後も,少なくなっているとはいえ数
多くの難民認定申請を認めていることや,日本の外務省が,邦人に対し,首
都カブル等のいくつかの都市については渡航延期勧告を,それ以外の場所
は退避勧告を継続していることからも明らかである。
 以上のとおり,原告が,再びパシュトゥン人がばっこしてハザラ人を迫害し始め
るとの懸念を抱いたとしても無理はなく,また,アフガニスタン北部,西部にお
けるドスタム将軍とイスマイル・カーンによる人権弾圧,南部におけるあへん
栽培とそれを巡る利権争い,南東部における反政府武装闘争などの現状に
照らすと,タリバーンの残党又は軍閥による原告に対する報復,略奪その他
の迫害は十分に考えることができるから,原告は,迫害を受けるおそれがあ
るという十分に理由のある恐怖を有するというべきである。
エ その余の被告らの主張に対する反論
(ア) 不法就労目的の不存在
 被告らは,原告の本邦入国の目的が不法就労活動にあった旨主張するとこ
ろ,確かに原告は,ペシャワールでパキスタンの査証を取った後,生計を立
てるべく,同所におけるシーア派の拠点であるパークホテルで知り合ったハ
ザラ人に紹介され,2000(平成12)年までに5回,査証を取得した上で日
本に赴いたことはある。しかし,原告は,同年11月に6回目の日本の査証
を申請して拒否されたのと同じころに,ハザラ人と外貌の似たウズベク人が
20名ほど逮捕されたのを目撃して,タリバーン政権への引渡しを想起し,
また,同ホテルから出ない生活を6か月以上続け,限界に近付くうちに,20
01(平成13)年5月ころ,韓国経由での日本への入国を援助してくれる者
がいるのを友人から聞き付けたため,同年6月末にパークホテルを出て,
難民認定申請を行うべく,来日したのである。
 被告らは,実際に迫害の対象となっていれば,可及的速やかに本国を出国
し,他国において難民認定申請するのが当然の行動である旨主張するが,
難民の立場になって考えると,自らが難民であると表明することは,故国と
の絶縁という重大な結果をもたらすばかりか,それ自体に危険を伴う行為
であるから,平穏に在留できている限りは難民であることを秘匿しておい
て,これを維持できなくなって初めて,言わば最後の手段として難民である
ことを理由に保護を求めるのも無理からぬものと考えられるところ,原告が
当初逃亡していたイランでは,アフガニスタンからの難民は認定しておら
ず,その方法も分からなかった上,当面の安全も確保できており,いったん
アフガニスタンに帰国した後,入国したパキスタンのパークホテルでも当面
の安全を確保していて,そのころ初めて,生計の立てやすい日本で難民認
定申請するよりほか迫害の危険を避ける手段のない状態に追い込まれた
のであるから,原告は,期待される最も早い時期に難民認定申請をしたも
のである。
 また,被告らは,原告が密入国船で不法入国したことを不法就労目的の根
拠の一つとするところ,なるほど,原告は,6000米ドルを支払ってポハン
港から船に乗り,平成13(2001)年10月14日に日本に上陸したが,単に
不法就労目的ならば,その先行投資のリスクに見合うだけの成果が得られ
るとは限らないことからして,これだけの金員を払うほど迫害を受ける恐怖
を抱いていたとみるべき性質のものである。
 以上のとおり,原告に不法就労目的がなかったことは明らかである。
(イ) 難民帰還の状況との整合性
 被告らは,タリバーン政権崩壊後に国連を中心として難民帰還政策が推進
されている旨主張するが,同政策については,もともとパキスタンがタリバ
ーン政権崩壊をこれ幸いとして難民を追い返している事実があるなど,どれ
ほどの難民が自主的に帰還したのか定かではない上,我が国において難
民認定申請を取り下げた者は,被告ら提出の証拠を見る限り,わずか1名
で,その理由も,アフガニスタンが安全になったと考えたからにすぎないの
であり,こうした個人の見方を尊重するなら,原告の見方も尊重すべきであ
る。
オ 小括
 前記のハザラ人弾圧の歴史に照らせば,カルザイ政権が全民族を平等に扱う
と突如宣言したとしてもアフガニスタン国民の完全な理解と納得を得られるも
のではなく,タリバーンの残党や,それを吸収した軍閥間の抗争等の内戦状
態が収まるはずもない。カルザイ政権の基盤は盤石とはほど遠く,アフガニス
タンの国土を実効支配しているどころか,カブル周辺を除いてその支配力は
極めて微弱であって,さらに,同政権がタリバーンの政権内への取り込みを図
っていることが,政権内のタジク人勢力の反発を招くとともに,ハザラ人にとっ
ては,かつてハザラ人を虐殺したタジク人が政権の中枢にいることとも比べも
のにならないほど不信と恐怖の対象となっているのである。本件不認定処分
等の時において,カルザイ政権に,前述したような境遇にある原告を保護する
能力はなかったし,原告も,国籍国の保護を決して望んでいない。
 なお,本件不認定処分等の時点において,国際治安支援部隊(以下「ISAF」と
いう。)の駐留していたカブルについては,ハザラ人に対して直ちに積極的な
攻撃が行われる状態であったとまではいえないと思われるが,カブルのみに
閉じこもって生活することなどできないし,また,周辺の地域情勢が悪化した
場合,まずカブルが狙われるところ,その安全性はアフガニスタン全体を見渡
して初めて判断できるのであるから,迫害のおそれを論じるに当たって,カブ
ルだけを切り離して考えることは失当である。
 以上のとおり,原告は,難民条約1条A(2)及び難民議定書1条の規定により同
条約の適用を受ける難民(以下「議定書難民」という。)に当たり,入管難民法
に定める難民に該当するから,本件不認定処分は明らかに違法であり,ま
た,本件難民異議申出に理由があるのに同処分を取り消さず,難民には原則
的に日本での在留を認めるべき旨を規定したものと解するのが相当な法61
条の2の8を,単なる確認規定の意味しかないものにおとしめ,原告に在留特
別許可を与える根拠とならなかった本件不認定裁決も,違法である。
(被告らの主張)
 原告の主張のうち,原告が民族的にハザラ人であることは知らない。その余は
否認ないし争う。
ア 原告のハザラ人性を証明する資料の不十分
 原告の相貌は,モンゴル系といわれるハザラ人のものとは相違しており,ハザ
ラ人であることを証明する身分証明書等の客観的証拠も何ら存在しない。原
告は,ハザラ人のような顔をしていない理由として,カブルで生まれ育ったた
めハザラ人の通常生活している地とは食物も生活環境も随分違っており,顔
つきも変わり背も高くなったと思われる旨供述しているが,これは余りに説得
力がなく,その主張の信ぴょう性を疑わせるものである。
 原告がハザラ人であることを裏付ける主張は,使用言語がハザラギ語であるこ
とのみであるが,原告がこれを使用しているか否かも不明であって,本件難民
異議申出についての調査においても,原告は,カブルで生まれ育ったためハ
ザラギ語でなくダリ語を話していた旨供述している。仮にハザラギ語を使用し
ていたとしても,他民族がこれを使用している可能性も払拭することができ
ず,原告がこれまで民族性を理由に迫害を受けたことがないと供述しているこ
とに照らしても,原告をハザラ人と確認することはできない。
イ タリバーン政権下において原告の抱いた迫害の恐怖の不存在
 仮に原告がシーア派のハザラ人であったとしても,ハザラ人はアフガニスタン
で3番目に多く,人口の約2割を占める民族であり,国際機関等からも,ハザ
ラ人でシーア派であれば迫害される旨の報告がされていないことにも裏付け
られるとおり,すべてのハザラ人又はシーア派がタリバーン(パシュトゥン人)
やタジク人によって殺害される状況にあったとまでいえないことは明らかであ
る。タリバーン台頭以前のアフガニスタンにおける内戦状態は,ハザラ人を基
盤とする勢力も複数存在していて,民族間の紛争などと評価できるものでは
なく,各グループが,複雑な対立構造の下に抗争を繰り返していたものである
上,民族間の対立を原因として内戦が起こった際に,その一方当事者の民族
の者のみが「迫害」を受け,「難民」となるかのごとき原告の主張は全く失当で
ある。
 原告の母が殺されたのも,内戦に巻き込まれた結果であって,シーア派のハ
ザラ人という人種又は宗教を理由としたものとは考えられないし,原告の家族
とタジク人家族との不仲は,そもそも個人間のトラブルにすぎない上,そのき
っかけとなったのは,原告の幼いころに亡くなった原告の父の生存中の相当
前の事件であって,その事件の後,原告がアフガニスタンにおいてタジク人か
ら何ら暴力等を受けず,通常の生活をしていたことからしても,原告が人種を
理由として迫害を受けていたとは認められない。
 そして,原告は,ハザラ人という理由だけで殺されるのではないとも,シーア派
として宗教的活動をしたことはなく,宗教的に迫害を受けていたことはないとも
供述しており,シーア派のハザラ人の若い男性であるとの理由だけで迫害を
受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するとは認められな
い。
ウ タリバーン政権崩壊後の国情の変化
 しかも,タリバーンは,2001(平成13)年12月7日ころには組織としても完全
に崩壊し,日本政府も,新政府の権力が当該国家の領域の大半に及び,実
効的な支配が一般的に確立されているという政府承認の要件を満たすとし
て,2001(平成13)年12月20日,暫定行政機構を政府として正式に承認す
ることを閣議決定した(同機構は,同月22日,カルザイ氏を議長として正式に
発足した。)。そして,2002(平成14)年1月に東京で開催されたアフガニスタ
ン復興支援会議等の結果,同月には同国からの民間航空機の国際便運航が
再開し,同年2月には,機能麻痺に陥っていた郵便局が次々と再開され,カン
ダハル市に23年間布告されていた夜間外出禁止令が解除されるなど,社会
生活の回復が見られ,同月19日には,我が国も在カブル日本大使館を再開
した。
 同年3月には,国外難民と国内避難民の国連帰還プログラムが開始され,パ
キスタン,イラン及び中央アジア諸国から,約153万人のアフガニスタン人が
同年8月10日までに帰還したところ,同年9月10日付けのデンマーク移民局
の報告書によれば,カブル市内,バミアン州,ガズニ市内及びジャゴリにおい
て,民族的背景に基づく治安関連等の問題を抱えていないという状況であり,
イスラム教シーア派のハザラ人が,パシュトゥン人,タジク人などの他民族か
ら迫害を受けているとの報道,国連機関等からの報告もない。諸外国政府に
おいても,およそハザラ人であることのみをもって難民認定を行うといった取
扱いはしておらず,申請者の迫害に係る個別の具体的事情等を考慮した上で
難民認定の可否が判断されており,我が国からも,ハザラ人が迫害を受ける
おそれはなくなったとして難民認定申請を取り下げ,アフガニスタンに出国して
いる者もいるほどである。
 同年6月に開催された緊急ロヤ・ジルガにおいて,国家元首に選出されたカル
ザイ大統領は,就任演説で,民族の違いを超えた「アフガニスタンの統一と平
和」の重要性を強調し「実現できなければ辞任する覚悟はある」と述べている
ほどで,現在のアフガニスタンにおいて,国際社会の支援を受けて成立したハ
ザラ人閣僚5名を含むカルザイ政権が,ハザラ人に対して迫害を開始するよう
な状況は全く考えられない上,同政権の国土に対する実効的支配の状況を考
慮すると,タリバーンの残党による報復が行われるとも考えられず,仮にハザ
ラ人に対する何らかの迫害行動が行われたとしても,カルザイ政権がそれを
放任することは考えられない。
 原告の主張は,最近の情勢とは根本的に異なっており,アフガニスタンの統一
と平和に向けて努力するカルザイ政権の取組み等を何ら理解せずに,日本に
滞在したいがために身勝手に政府批判をしているにすぎず,本件不認定処分
等をした時点において,アフガニスタンの内戦は終結し,原告が迫害を受ける
おそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するとは認められない。
エ 不法就労の目的
 近年,原告と同様の手口により,バングラデシュ,イラン及びトルコ等の各国籍
の外国人による不法就労目的の不法入国(集団密航)事案が急増しており,
原告が乗船したとする船舶の同乗者の国籍別内訳に関する供述からしても,
原告の密航が,組織的背景を有する同一又は類似の手段による継続的な不
法密入国事案の1つであった可能性が高い。
 原告の場合,過去5回にわたり我が国への渡航証明書が発給され,中古自動
車の解体をするなどしていたのが,今回は同証明書が発給されなかったため
に,渡航証明書の代わりに難民認定申請をした可能性があり,真に迫害を受
けるおそれがあると考えるのであれば,渡航証明書が付与されるか否かにか
かわらず,そのおそれを感じたときに可及的速やかに本国を出国し,他国(例
えば過去の来日の際)において難民認定申請をするのが当然の行動であるこ
と,原告は,その理由について,当時の稼働先であったd商事の社長から難
民認定申請を止められたからであるかのような供述をしているところ,このよう
な理由は到底難民認定申請を行わなかったことを合理的に説明するものでは
ないこと,原告は,イラン,トルクメニスタン,ロシア,ウズベキスタン,タイ,シ
ンガポール及び台湾に行ったことがあり,パキスタンからアラブ首長国連邦
(以下「UAE」という。)に赴いた後,韓国を経由して日本に不法入国したと供
述しているにもかかわらず,我が国に来る前に立ち寄った国で難民認定申請
をしていないこと(特にロシア及び韓国は難民条約等の当事国である。),60
00米ドルという大金まで支払って来日していること,過去5回来日した際,短
期滞在の在留資格でありながら,この資格では認められていない中古車解体
の仕事に在留期間ぎりぎりまで従事していたこと,d商事において働いていた
多数のアフガニスタン人が難民認定申請を行っている事実が認められること
等を考慮すると,原告の入国は,我が国での不法就労活動をすることが主目
的であったと考えるのが合理的である。
オ 小括
 原告の供述については,難民認定手続時や退去強制手続時においても重要
な部分の変遷が著しく,全体の信ぴょう性を疑わせるに十分なものである上,
仮に原告の供述のとおりの事実があったとしても,前記(3)の意味での「迫害」
に当たるとはいえず,原告が議定書難民に該当しないことは明らかである。
 よって,本件不認定処分等は適法である。
(5) 本件退去裁決の適否(争点(3))について
(原告の主張)
ア 通訳の不適正
 aは,原告の不法入国容疑事件に係る違反調査,及び入国審査官による認定
に対する特別審理官による平成14年5月10日の口頭審理に際しても,通訳
をしているところ,その手続が違法であるのは前同様である。
 また,本件退去異議申出後の補充調査は,b通訳人を介して行っているが,当
該期日の調書は誤脱字まで前記口頭審理に係る調書の全くの引き写しで,
名古屋入管が原告の言い分を真剣に取り合わなかったことを示し,このこと
は,申請者の供述が極めて大きな意味を持つ難民の事案においてはあって
はならない重大な違法であるから,当然に手続的違法を構成する。
 よって,本件退去裁決は取り消されるべきである。
イ 本件退去異議申出の理由の存在
 原告は,難民条約等上の難民として締約国において庇護され,滞留する権利
を有するにもかかわらず,難民である原告に対して退去強制事由を認定した
本件退去裁決は違法である。
 被告らは,難民認定申請をしていること又は難民認定を受けていること自体
は,在留特別許可をするか否かを判断する上での考慮要素の1つにすぎない
と主張するが,難民と認定された者を国籍国等に強制送還することを容認し
たのでは,難民条約等への加入自体が無意味となる以上,締約国としては,
難民条約等の趣旨に則った難民認定手続とこれに整合的な強制退去手続の
運用をすべきである。そして,国内法で規定されるにすぎない強制退去手続を
行うことが難民条約の趣旨に反する場合,当然,前者より上位にあると一般
的に解されている後者を優先させることによって整合性を保つべきである。
 また,仮に原告が難民条約等上の難民に当たらないとしても,今日におけるア
フガニスタンの現状は,前述のとおり,少数民族のハザラ人である原告にとっ
て,なお生命,身体又は自由に相当大きな脅威があることは明らかである。各
国政府に裁量の認められる外国人の出入国管理に関する処分であっても,
当該処分が憲法又は国際条約により保障された何らかの人権を侵害する結
果となる場合には,当該処分が違法となることは広く国際的に認められるとこ
ろ,帰国した場合に明らかに生命,身体及び自由への侵害の危険が予想され
る原告に日本での在留を認めず,アフガニスタンへの帰還を強制するのは,
単に人道上問題があるにとどまらず,憲法13条,14条,市民的及び政治的
権利に関する国際規約(以下「自由権規約」という。)6条,7条,9条及び26
条の規定に違反するもので,本件退去異議申出を理由がないとした本件退去
裁決は違法である。
ウ 在留特別許可事由の存在
 さらに,被告大臣は,法49条1項に基づく異議の申出についての判断に当た
り,仮に異議の申出に理由がないと認める場合でも,法50条に基づき在留を
特別に許可する権限を有しているところ,被告大臣は,明らかに在留特別許
可をすべきであった原告について,憲法及び自由権規約の前記各規定に違
反し,又はこれらの条項の趣旨に照らして重大な裁量権の逸脱をして,在留
特別許可をしなかった違法がある。
 被告らは,裁量権逸脱ないし濫用があるというために,在留特別許可の制度
趣旨に「明らかに」反することを要求し,「極めて特別な事情」の存在を要求す
るが,行政判断は法の支配の下に行わなければならないから,これは厳格に
過ぎる。難民条約上,締約国の受入義務等の規定が欠如しているのは,それ
が自明の理であることや,締約国間に主として経済的な意味での国力の差が
あることをそんたくしたためにすぎず,このことから,締約国による難民の積極
的受入義務,庇護供与義務が否定されるものではない。難民と認定された以
上は,当該難民は国際的に保護される権利を取得するのであり,難民条約等
の締約国たる我が国が,独りその権利を無視することは許されないし,この理
は難民認定申請中の者(不服申立て中の者も含む。)にも妥当する。
 また,被告らは,原告の過去における不法就労行為等,遵法精神の欠如を在
留特別許可を与えない理由の一つとして主張するが,アフガニスタンの安定
を待つ間の生活費を稼ぐために,迫害のおそれにさらされずに働くことのでき
る日本で5回にわたって不法就労したとしても,同情に値するものであり,今
回の入国後直ちに本件難民申請に踏み切っていることからも,原告の遵法精
神に格別の問題があるとはいえない。
 そして,原告の在留を認めることが,国際人道的な見地から日本外交の評価
を上げることはあっても,政治,外交,治安などに対する弊害は全くない。
(被告らの主張)
ア 通訳の適正
 名古屋入管において,能力及び人物評価をして選んだ名簿等の中から,過去
数年間の実績を調査し,申請者と利害関係のない者等適当な通訳人を選定
した上,申請者から当該通訳人を忌避する旨の申立てがない限り通訳人とし
て使用することとしているのは,退去強制手続についても,前記(2)イの難民
認定手続におけるのと同様であり,本件退去裁決までの通訳人の選定につ
いて,何ら手続的違法はない。
イ 本件退去異議申出の理由の不存在
 原告の主張イは争う。
 原告は,平成13(2001)年10月14日ころ,有効な旅券を所持せず,船名船
籍不詳の船舶で東京付近の港に到着し,本邦に不法入国しており,法24条1
号の要件を満たすことは明らかである。
 難民条約は,難民に庇護を受ける権利を保障しておらず,難民として受け入
れ,難民条約上の保護を与えるかどうかは,締約国が主権的判断に基づいて
決定すべき事項としているところ,法61条の2の8の規定は,難民認定を受け
ている者についても法24条1項各号の一に該当する限り退去強制手続を進
め得ることを前提としていると解すべきであり,このように難民認定手続と退
去強制手続とが全く別個の手続であることに照らすと,難民認定申請をしてい
ること又は難民認定を受けていること自体は,退去強制手続を当然に停止さ
せるものではなく,単に被告大臣が在留特別許可をするか否かを判断する
際,考慮することとなる事情の1つにすぎないというべきである。
ウ 在留特別許可の裁量の逸脱ないし濫用の不存在
 原告の主張ウは争う。
 国際慣習法上,国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく,当該国
家は,特別の条約ないし取決めがない限り,外国人を自国内に受け入れるか
否か,また,これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを自由に決す
ることができるのであり,我が国の憲法においても,外国人は,本邦に入国す
る自由を保障されているものではない。そして,在留特別許可は,法律上退去
強制事由が認められ退去させられるべき外国人を対象に,恩恵的に与え得る
にすぎず,申請権は認められていない上,その要件も何ら具体的に定められ
ていないことなどを勘案すると,これを与えるか否かは被告大臣の自由裁量
に属する。
 その判断に当たっては,当該外国人の在留中の行状等の個人的な事情のみ
ならず,出入国の管理及び在留の規制目的である国内の治安と善良な風俗
の維持,保健・衛生の確保,労働事情の安定などの国益保持の見地に立っ
て,国内の政治・経済・社会等の諸事情,国際情勢,外交関係,国際礼譲な
ど諸般の事情を総合的に考慮した上での,時宜に応じての的確性が要求され
るところであって,国内及び国外の情勢に通暁し,出入国管理の衝に当たる
者の裁量に任せるのでなければ到底適切な結果を期待することができないか
ら,被告大臣は,在留期間更新の許否等とは質的に異なる格段に広範な裁
量権を有すると解すべきである。したがって,その判断について当不当の問
題を生じることはあり得ても,違法となる事態は容易には考え難い。
 例外的にその判断が違法となり得る場合があるとしても,それは在留特別許
可の制度を設けた入管難民法の趣旨に明らかに反するなど極めて特別な事
情が認められる場合に限られ,この特別な事情としては,法律上当然に退去
強制されるべき外国人であっても,なおかつ本邦に在留することを認めなけれ
ばならない積極的な理由が必要というべきところ,原告は,前記のとおり,本
国に送還された場合にも迫害のおそれがあるとは認められず,また,本国ア
フガニスタンで出生・成育していて,本邦に扶養を要する配偶者,父母,子等
の係累を有するわけでもなく,さらに,過去来日するまで我が国とは何ら関わ
りを持っていなかった。しかも,今回の不法入国のみならず,過去の来日時に
も,資格外活動の許可を受けずに中古車解体の仕事を行うなど不法就労活
動を行った旨を供述しており,進んで我が国の在留を認めるべき特別な事情
があるとは認められない。
 以上のとおり,本件退去裁決をした被告大臣の裁量権の行使に逸脱ないし濫
用を認める余地はないというべきである。
(6) 本件発付処分の適否(争点(4))について
(原告の主張)
ア 本件不認定処分等に係る違法の承継
 本件発付処分は,取り消されるべき違法な本件不認定処分等を前提とするも
のであるから,当然にその違法性は承継され,本件発付処分も取り消される
べきである。
イ 本件発付処分に固有の違法
(ア) 難民条約違反
 難民条約33条1項は,「締約国は,難民を,いかなる方法によっても,人
種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的
意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の
国境へ追放し又は送還してはならない。」と定め,これを受けて法53条3項
は,「法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認める場合を除
き,前2項の国には難民条約第33条第1項に規定する領域の属する国を
含まないものとする。」と規定しているから,ハザラ人であることを理由とし
てその生命が脅威にさらされるおそれのある原告をアフガニスタンに強制
送還することは許されない。
(イ) 拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰
に関する条約(以下「拷問等禁止条約」という。)違反
 拷問等禁止条約3条1項は,「締約国は,いずれの者をも,その者に対する
拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の
国へ追放し,送還し又は引き渡してはならない。」と定め,同条2項は,「権
限のある当局は,1の根拠の有無を決定するに当たり,すべての関連する
事情(該当する場合には,関係する国における一貫した形態の重大な,明
らかな又は大規模な人権侵害の存在を含む。)を考慮する。」と規定すると
ころ,前記のとおり,タリバーンの残党又は軍閥によってハザラ人が迫害を
受けるおそれは客観的にみて相当大きいにもかかわらず,カルザイ政権に
はそれを止める力はなく,放任せざるを得ない状態であり,場合によっては
軍閥の懐柔を図る過程でそれらを黙認することも考えられる。したがって,
ハザラ人である原告をアフガニスタンに強制送還すべきでないことは明白
であって,原告を同国に強制送還するのは,それこそが非人道的な処分で
あるから,本件発付処分は拷問等禁止条約に違反する。
(ウ) 裁量権の逸脱
 そもそも行政法の解釈においては,一般に権力発動要件が充足されている
場合にもこれを行使しないことができるとされているから,被告主任審査官
は,退去強制令書を発付するか否かの裁量を有し,被告大臣が在留特別
許可をしないのが相当と判断したとしても,自ら在留特別許可を相当と判断
した場合,退去強制令書を発付することはできない。こうした解釈は,警察
比例の原則と極めて整合的であって,法49条5項の文言にいたずらに拘
泥し,必要でも相当でもない人権侵害を放置することを認める結果を導く被
告主任審査官の主張は失当である。
 しかして,前述のとおり,被告主任審査官は,原告に対して在留特別許可を
付与しないのが相当であると判断しており,それには裁量権の逸脱,濫用
がある。
(エ) 退去先選択権の侵害
 法53条1項が,原則的に国籍国に送還すべきものとする趣旨は,人は国籍
国と最も密接な関係を有すると推定されることから,国籍国への送還が被
送還者の利益にかなうと考えられるところにあると解されるところ,国籍国
による保護を望まない者については,そのことに合理的な理由があれば,
上記の推定は破られ,上記原則の理が当てはまらないから,そのような被
送還者に対しては,送還先を選択する権利を認め,被告主任審査官もこれ
を尊重しなければならない。
 原告は,アフガニスタンへの送還を望んでいないところ,同国の現状,同人
の身上経歴,迫害体験その他の事情を考慮すると,原告には送還先を選
択する権利があると解すべきであり,被告主任審査官が,かかる権利を侵
害して送還先をアフガニスタンと判断した本件発付処分は違法である。
(被告主任審査官の主張)
ア 難民条約違反の不存在
 原告の主張ア及びイ(ア)は争う。
 原告が難民条約等上の難民に該当するとは認められないことは前述したとお
りであるから,法53条3項を根拠とする原告の主張は理由がない。
イ 拷問等禁止条約違反の不存在
 原告の主張イ(イ)は争う。
 拷問等禁止条約が対象としている「拷問」とは,公務員その他の公的資格で行
動する者により,あるいはその扇動,同意又は黙認の下に,ある者から情報
若しくは自白を得る目的で,ある者が行ったか若しくは行った疑いがある行為
について罰する目的で,ある者を脅迫し若しくは強制する目的で,若しくはこ
れらに類する目的で,又は何らかの差別に基づく理由により,当該者あるい
は第三者に,重い苦痛を故意に与えるような行為をいうところ,原告がアフガ
ニスタンに帰国した場合に拷問を受ける原因として挙げる事実は,迫害を受
ける原因として挙げる事実と同じであり,前記のとおり,原告が帰国した場合
に迫害といえる程度の取扱いを受けるおそれがあるとは認められないから,
上記のような「拷問」を受けるおそれもない。
 よって,本件発付処分が拷問等禁止条約に違反する余地はない。
ウ 退去強制令書発付に関する裁量の不存在
 原告の主張イ(ウ)は争う。
 被告主任審査官は,被告大臣から「異議の申出は理由がない」との裁決をした
旨の通知を受けた場合,退去強制令書を発付するにつき裁量の余地はない
から,本件退去裁決を前提としてされた本件発付処分に何ら違法はない。
エ 送還先の適法性
 原告の主張イ(エ)は争う。
 送還先に関する被告主任審査官の判断に誤りは認められない。
第3 当裁判所の判断
1 本件各処分の適否の判断基準時(前提問題)について
(1) 位置付け
 原告は,仮に本件各処分がそれぞれの処分時において適法であったとしても,そ
の後の状況の変化によって,口頭弁論終結時において同人が「難民」に当たる
こととなった場合には,本件各処分を追認する内容の判決が,それ自体難民条
約33条1項に違反するから,このような場合,主文において本件各処分の適法
性を確認しつつ,請求を認容してこれらを取り消すことができる旨主張する(前記
第2の3(1))ところ,その趣旨は必ずしも明確ではないが,原告の難民性の判断
基準時,ひいては本件各処分の違法性判断の基準時に関する主張を含むとも
考えられるから,まずこの点から検討する。
(2) 抗告訴訟における行政処分の適否の判断基準時
 一般に,抗告訴訟の審理の対象となる訴訟物は,当該取消しないし無効確認を
求める処分の違法性一般であると解される(最高裁判所昭和49年7月19日第
二小法廷判決・民集28巻5号897頁,同平成4年2月18日第三小法廷判決・
民集46巻2号77頁等参照)ところ,抗告訴訟の本質は,行政処分として表れた
行政庁の判断の適否を事後的に審査することにあり,その後の事情の変化を考
慮に入れることは,行政庁による第一次的判断権を侵すことになると考えられる
ことに照らすと,行政処分が適法であるためには,当該処分の時において根拠
法規に規定された処分要件が充足されていることが必要であって,かつそれを
もって十分であると解するのが相当である(最高裁判所昭和27年1月25日第
二小法廷判決・民集6巻1号22頁,同昭和28年10月30日第二小法廷判決・
行裁集4巻10号2316頁,同昭和34年7月15日第二小法廷判決・民集13巻
7号1062頁参照)。
(3) 処分後の事情のしんしゃく
 もっとも,本件各処分は,法61条の2,61条の2の4,49条に基づくものであり,
いずれも国内法に根拠を有するから,上位規範である国際法(憲法98条2項参
照)の要請を満たさなければならないことはいうまでもないところ,後述のように,
いかに退去強制手続と難民認定手続とが基本的に別個独立であるとしても,処
分後の事情の変化により難民たる資格を取得したにもかかわらず,従前の退去
強制令書に基づく執行が無制限になし得ると解するならば,送還された当該難
民が回復するすべのない迫害を加えられるなど,一定の場合に一定の者を一定
の地域に送還してはならない旨の事実たる執行に制限を加える内容の国際法
の趣旨に反する事態を招来する可能性を否定できない。
 原告は,このような場合,行政事件訴訟法31条で認められている事情判決の裏
返しとして,主文において当該処分の適法であることを確認しつつ,請求自体は
認容することが許されると主張するが,明文の規定を欠くにもかかわらず,この
ような判決をすることができると解するのはあまりに便宜的であって,上記のよう
な不都合は,その時点における事情を総合的に判断して執行するか否かを決す
る権限を有していると解される執行担当の行政機関(法52条5,6項は,そのよ
うな権限を有することをうかがわせる規定である。)が,かかる事情の変化を十
分にしんしゃくした上で,執行の可否を慎重に判断することにより,解消すること
ができると考えられる。
 したがって,違法性判断の基準時については,なお(2)のとおり解するのが相当で
ある(もっとも,当該行政処分の違法性を判断する上で基準時以降の資料を一
切しんしゃくすべきでないというものではなく,基準時における事実関係の確定
に必要有用な限りにおいて,これらも判断資料となり得ることはいうまでもな
い。)。以下,この見地に立って,本件各処分の適否について判断する。
2 本件不認定処分等の手続的適否(争点(1))について
(1) 判断の枠組み
 原告は,本件不認定処分等の手続面における違法事由として,これらの処分等
に至る過程における通訳の不適正,合理的調査の欠如及び当該処分等に係る
理由付記の欠如を主張するところ,これらの適否を判断する前提として,必要な
調査及び理由付記の程度等を決せざるを得ない。そして,これらの事項は,難
民性の立証責任の所在や要求される立証の程度,その判断資料がどのような
ものであるか等の問題と関連するから,まず,この点から検討を加え,次いで,
本件不認定処分等に際しての通訳の適否,合理的調査及び理由付記の有無に
つき判断する。
(2) 難民性の立証責任
ア 立証責任の一般論
 前記のとおり,取消訴訟の訴訟物は,当該取消しを求める処分の違法性一般
であると解されるから,そこでの最終的な審理の対象は根拠法規の定める処
分要件の充足の有無であり,主張立証の対象たる事実は,処分要件の充足
に係る事実である。そして,一般に,取消訴訟における主張立証責任につい
ては,その適法性が問題とされた処分の性質によって,分配原則を異にする
のが相当である。すなわち,当該処分が,自由を制限し,義務を課するいわゆ
る侵害処分としての性質を有する場合は,処分主体である行政庁がその適法
性の主張立証責任を負担し,逆に,特別な利益・権利を付与し,あるいは法定
の義務を免れさせるいわゆる授益処分としての性質を有する場合は,原告が
その根拠法令の定める要件が充足されたこと(申請却下処分の違法を基礎
付ける事実)の主張立証責任を負担すると解するのが原則であり,これに根
拠法令の規定の仕方や,要件に該当する事実との距離などを勘案して,総合
的に決するのが相当である。
イ 難民不認定処分等についての検討
 国家は,国際慣習法上,外国人を受け入れる義務を負うものではなく,外国人
を自国内に受け入れるかどうか,これを受け入れる場合にいかなる条件を付
するかを,当該国家が自由に決することができるものとされている(最高裁判
所昭和53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁参照)ところ,我が
国は特別の条約である難民条約を受けて,難民認定制度を創設し(法第7章
の2),その認定を受けた者に対し,一定の利益(法61条の2の5,61条の2
の6,61条の2の8)を付与することとしている。
 そうすると,難民認定は,特別な利益・権利を与える処分であり,これに,難民
であることを基礎付ける事実は,これを主張する者の生活領域内で生ずるの
が通常であることを考慮すると,難民条約等上の難民に該当する事実の主張
立証責任は,これを主張する者が負担すると解すべきであり,したがって,授
益拒否処分の性質を有すると考えられる難民不認定処分又はこれに対する
法61条の2の4に基づく異議の申出は理由がないとの裁決(以下「難民不認
定裁決」という。)についても,これらの処分等の取消しを求める者において同
事実の主張立証責任を負うものと解するのが相当である。
ウ 立証の成否の判断資料
 もっとも,難民条約等上の難民は,迫害を受け又はそのおそれがある者にほ
かならず,経験則上,難民であることを証する十分な客観的証明資料を持っ
て国籍国等を出国することが期待できないのみならず,出国後も,それを収集
することは,物理的にも人的にも困難であるのが通常であると考えられる。し
たがって,難民認定申請者がこのような客観的資料を提出しないからといっ
て,直ちに難民に該当しないと判断すべきものではなく,当該申請者の供述す
る内容を主たる資料として,難民であることを基礎付ける根幹部分における一
貫性,具体性,迫真性,史実との符合性等に基づき,その全体的信ぴょう性
を検討し,当該申請者が難民条約等上の難民に該当するか否かを判断すべ
きである。
 その際,当該申請者の供述の一部に矛盾が存在したとしても,それをもって供
述全体の信ぴょう性がないと短絡的に判断するのではなく,難民の受けた恐
怖体験に基づくトラウマ,経時による記憶の変容・希薄化の可能性,生活習慣
の相違,言語能力等を考慮して,通訳の能力の程度や通訳自身の民族性等
に由来する偏ぱの可能性,特に少数言語を母語とする者の場合には,難民
自身が母語でない言語で供述しているのか否か,当該言語による申請者の
表現能力の程度等についても検討を尽くし,行政に対して疑心暗鬼になった
り自己の役割を誇張しようとしたりする難民特有の心理等に起因すると考えら
れる細部の矛盾にとどまるものでないかをも慎重に吟味した上で,最終的な
判断をすべきである(UNHCR発行の難民申請者との面接技法に関する研修
マニュアルの内容も同旨である。甲137)。
 なお,難民認定は羈束行為であり,難民認定申請者が,実体上,難民条約等
にいう難民に該当すると判断される以上,被告大臣とすれば難民認定するほ
かなく,この点に関して裁量権を行使する余地は認められないから,裁判所に
よる難民性の判断も,以上と同様の観点から行われるべきものである。
(3) 通訳の適否
ア 判断基準
 そこで,以上の見地から,本件不認定処分等の手続的適否について検討する
に,まず,通訳の適否に関しては,通訳人の能力いかんにより,外国人の供
述の根幹的部分から含意に至るまで影響を受け得ることは否定し難く,とりわ
け難民認定申請の場面においては,前述のとおり,申請者に対して供述以外
の客観的資料を提出することを期待し得ないのが常態であることに照らせ
ば,その影響が決定的な意味を有することもまれではないと考えられるから,
その能力のみならず,偏ぱの可能性や当該言語についての申請者自身の表
現能力等も加味して,その信用性を慎重に吟味すべきことは(2)に述べたとお
りである。
 しかしながら,他方,難民認定申請者の母語は少数言語であることも多く,我
が国において,そのすべての言語について十分な能力等を有する通訳人を
確保すること自体が必ずしも容易であるとはいえない中で,完璧な通訳能力
までは有しない通訳人や申請者と同一の集団に属する者以外の通訳人を介
して行った事実の調査(法61条の2の3)がすべて違法であるとするならば,
適法な通訳人を確保することができなくなる可能性があって,調査担当者に
難きを強いるばかりか,難民認定申請自体を実質的に拒否する結果にもつな
がりかねないから,結局,個別の案件に応じて,申請者が難民認定申請の理
由として述べる事情についての通訳人の関与の度合いないし先入観の程度,
当該供述録取手続を主宰した担当者が当該手続時にこれらの点について認
識していた程度,他の通訳人を介しての供述録取手続の有無及びそれらの
前後関係,並びに当該通訳人を忌避し得る機会の存否等を総合的に勘案し
て,当該通訳手続の違法性の有無を決するほかないというべきである。そし
て,こうした基準により,当該手続になお適法性が認められると考えられる場
合でも,これにより得られた供述の証明力を判断するに際しては,前述したと
ころを慎重に吟味して,その供述内容の信ぴょう性を改めて判断すべきことは
いうまでもない。
イ 本件についての検討
 この見地に立って本件をみると,証拠(甲15,92,101,174,乙1ないし1
2,33,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,原告は,ダリ語については
日常会話程度を操ることはできるが,流ちょうというまでには至らない程度の
能力であること,ペルシア語については日常会話程度の内容を聞いて理解す
ることはできるが,自ら話すことはできないこと,ダリ語とペルシア語は語族は
同じであるが,相当程度語彙が異なっており,一方で話した内容について,他
方のみを操れる者が事細かにまで理解するのはやや難しいと考えられるこ
と,それにもかかわらず,被告らにおいては,この点の相違が十分に認識され
ておらず,原告がダリ語で話し,通訳人がペルシア語で話した聴聞手続につ
いても,どちらか一方で会話がされた旨が調書に記載されたり,ダリ語とペル
シア語の双方を操れるとは思われない同一の通訳人が別の手続段階では両
者を話したことになっていること,また,平成14(2002)年5月9日に実施さ
れた名古屋入管難民調査官による調査(なお,退去強制手続に関する同年4
月10日実施の名古屋入管入国警備官による違反調査,同月25日実施の同
入管入国審査官による違反調査及び同年5月10日実施の同入管特別審理
官による口頭審理についても同じである。)においては,通訳人としてaが用い
られたが,その後原告の支援者であるカトリック大阪大司教区の関係者2名
が名古屋入管を訪れて通訳人の変更を申し入れたことを受け,同入管は以後
の調査・審理にaを用いなかったこと,以上の各事実が認められ,これらの事
実によれば,本件難民申請及び本件難民異議申出に係る調査の際の通訳手
続に全く問題がなかったとは断定できず,殊に,原告側が通訳人aの排除を
申し入れたのは,同人がアフガニスタンにおいてハザラ人と敵対することの多
かったパシュトゥン人であることに気付いたか,あるいは,通訳人aから,「甘
いもの」という意味のダリ語を用いて,金品を要求されたことを理由とするもの
と推測されることに照らすと,録取された原告の供述の信用性については,慎
重な判断が必要であると解される。
 しかしながら,他方,証拠(乙1ないし5,11,12,33,原告本人)によれば,
原告自身も当初aがパシュトゥン人であるとは気付かず,現に同人が通訳人を
務めた本件難民異議申出に係る平成14(2002)年5月9日の調査の際,ア
フガニスタンにはパシュトゥン人が多くいることによりシーア派のハザラ人には
まだ危険がある旨の原告の主張に沿った供述も録取されているなど,原告が
パシュトゥン人による迫害の事実について供述することを抑制せざるを得ない
状況に置かれていたとは認め難い上,本件難民申請及び本件難民異議申出
については,それぞれ複数回の調査(聴聞)がされ,各段階ごとの各回には異
なる通訳人が充てられていること,関連する退去強制手続についても,原告
が,翌10日の名古屋入管特別審理官による口頭審理の後,aを通訳人から
外してほしい旨を申し立て,本件退去異議申出後の同月21日には別の日本
人通訳人を介して口頭審理の補充調査が行われたが,その内容は,aが通訳
をしたときとほぼ変わりがなかったこと,以上の各事実も認められ,これらによ
れば,本件難民申請及び本件難民異議申出に係る調査の際に,通訳が不適
正であったために,原告が任意に供述することができなかったとか,調書が全
くの作文であるとまでは認め難い。
ウ 小括
 以上によれば,通訳が不適正であることを理由として,本件難民申請及び本件
難民異議申出に係る調査が手続的に違法であるとまではいえない(ただし,
原告が任意に供述した内容がすべて通訳され,録取されているかは不明であ
って,これら供述証拠の信用性については慎重に判断すべきであることは先
に述べたとおりである。)。
(4) 調査手続の裁量性
 次に,原告は,被告大臣が合理的調査を尽くすべき義務を負うとの前提で,その
釈明を拒んでいる以上,かかる調査を行っていない旨主張する。
 しかしながら,法61条の2の3第1項は,「法務大臣は,(難民認定申請者から)
提出された資料のみでは適正な難民の認定ができないおそれがある場合その
他……必要がある場合には,難民調査官に事実の調査をさせることができる。」
旨規定しているところ,その文言に照らせば,同条は,被告大臣に事実の調査を
命ずる権限を与えたものであって,それを命ずる義務を負わせたものとは解され
ない上,上記のとおり,難民性の立証責任が難民認定申請者にあると解される
以上,被告大臣が難民認定申請者の提出した資料だけでは難民性を認定する
に十分でないとの心証を抱いた場合に,これを補充すべく後見的に調査を命じ
なければならないとまではいえない。
 結局,事実の調査を命ずるか否か,命ずるとしてどのような調査をどの程度まで
遂げるかは,当該事案に照らして被告大臣が判断すべきものであり,その意味
で,被告大臣の手続裁量に委ねられているというほかない(難民の認定が実体
的な意味において羈束行為であるとしても,そのことと被告大臣が手続的な側
面で裁量権を有することとは矛盾するものではない。)。
 しかして,証拠(乙1ないし5)からうかがうことのできる平成13年11月16日,同
年12月13日及び平成14年1月8日の3回にわたって行われた大阪入管難民
調査官による調査や,同年5月9日及び同月21日の2回にわたって行われた名
古屋入管難民調査官による調査の態様に照らすと,被告大臣の命じた事実の
調査が,その裁量権を逸脱ないし濫用したものであったとは認められない。
(5) 理由付記の有無
ア 理由付記の程度についての一般論
 一般に,法律が行政処分に理由を付記すべきものとしている場合に,どの程
度の記載をすべきかは,当該処分の性質と理由付記を命じた各法律の規定
の趣旨・目的に照らして決せられるべきである(最高裁判所昭和49年4月25
日第一小法廷判決・民集28巻3号405頁,同昭和60年1月22日第三小法
廷判決・民集39巻1号1頁等参照)。
イ 本件不認定処分についての検討
(ア) まず,法61条の2第3項が,難民不認定処分をする場合には,理由を付
した書面をもってその旨を通知すると規定しているのは,合法的に本邦に
滞在する難民である外国人について,難民の認定をしないものとすれば,
難民の地位を保障する難民条約に反する結果となるため,被告大臣の判
断の慎重と公正妥当を担保してその恣意を抑制するとともに,不認定の理
由を当該申請者に知らせることによって,その不服申立ての便宜を与える
趣旨に出たものと解される。
 この趣旨にかんがみれば,難民不認定処分に付記すべき理由としては,法
61条の2の1項又は2項のいずれの要件を欠くと判断したのかを明らかに
しなければならないというべきであるが,これを超えてどの程度の詳細な理
由を示さねばならないかについては,難民認定申請者が難民性を基礎付
けるものとして主張する具体的事由に対応して,その結論に到達した過程
を明らかにすることが求められるというべきである。
 この点について,原告は,難民の認定の判断を誤った場合には当該申請者
の生命等に重大な危険を生じさせ,言わば死刑判決を下すような結果を生
じさせることなどを理由に,判断の根拠となった法条及び具体的事実のほ
か,当該具体的事実を裏付ける証拠資料の有無,証拠資料から事実を導
いた評価手法や推論の過程,証拠資料がない場合は証拠資料を獲得すべ
く行った調査の具体的内容(目的,期間,程度その他)まで明らかにしなけ
ればならない旨主張するが,司法機関による最終的判断に先立つ行政処
分の段階で,判決に要求される程度あるいはそれ以上の具体的心証形成
過程の付記を必要と解すべき根拠を見出すことはできない。
(イ) これを本件不認定処分についてみると,証拠(甲2の1・2,5,乙16,1
7)によれば,原告は,難民認定申請書に,迫害を受ける理由として人種及
び宗教を挙げ,その具体的理由として,伝統的にハザラ人はアフガニスタ
ンで差別されてきたこと,タリバーンは,ハザラ人を中心とするイスラム統一
党の兵士のみならず,ハザラ人の青年も虐殺したり拷問し,シーア派を敵
視していること,原告がハザラ人であることから,タリバーンに捕まれば,長
期にわたって収容され,拷問を受けたり殺されたりするおそれがあることな
どを記していること,これに対し,本件不認定処分には,原告の「人種」及び
「宗教」を理由とした迫害を受けるおそれがあるという申立ては証明され
ず,難民条約1条A(2)及び難民議定書1条2に規定する「人種」及び「宗教」
を理由として迫害を受けるおそれは認められないので,難民条約等にいう
難民とは認められない旨の理由が付記されていること,以上の各事実が認
められる。
 そうすると,本件不認定処分は,原告がシーア派のハザラ人であるがゆえに
「迫害を受けるおそれ」があるとは認められないとの理由により,難民条約
等上の難民性の要件を欠くものと判断したものであり,したがって,その後
の手続において,原告は,自らがシーア派のハザラ人であり,かつシーア
派のハザラ人に対しては上記の迫害が加えられるおそれがあることを立証
すべきであることが看取可能というべきであるから,当不当の問題としては
ともかく,法61条の2第3項が要求する程度の理由の記載を欠くものとは
認め難く,理由付記の点について違法とまではいえないと判断するのが相
当である。
ウ 本件不認定裁決についての検討
(ア) 次に,難民不認定裁決は,処分に対する行政不服審査法(以下「行服
法」という。)上の異議申立てについての決定たる性質を有する(なお,法6
1条の2の4後段は,この異議の申出が不服申立期間について制限を受け
るなどの特殊性を有していることを述べたものにすぎず,これに対する応答
である不認定裁決に同法の適用があることを否定する趣旨のものではない
と解される。)ところ,行服法48条によって準用される41条1項は,同決定
は理由を付してしなければならない旨規定している。その趣旨は,処分庁
の再度の判断を慎重ならしめてその恣意を抑制するとともに,決定の理由
を明示することによって,不服申立人に対し,原処分に対する取消訴訟の
提起に関して判断資料を与えることにあると解される(最高裁判所昭和47
年3月31日第二小法廷判決・民集26巻2号319頁,同昭和49年7月19
日第二小法廷判決・民集28巻5号759頁等参照)。
 このような趣旨にかんがみれば,理由付記の程度については,不服申立人
の不服の事由に対応してその結論に到達した過程を明らかにすることが必
要というべきところ(前掲最高裁判所昭和47年3月31日第二小法廷判決
参照),一般的には,異議申立てを棄却する場合は,原処分の付記理由と
あいまって原処分を相当として維持する理由が明らかにされれば足りると
いうべきである。
(イ) これを本件についてみると,証拠(甲7,乙19)によれば,本件不認定裁
決には,本件難民申請につき再検討しても,本件不認定処分の判断に誤り
は認められず,他に,原告が難民条約上の難民に該当することを認定する
に足りるいかなる資料も見出し得なかった旨の理由が付されている事実が
認められ,本件不認定処分の付記理由をも併せ考慮すれば,それを維持
する理由を看取することができると認められるから,本件不認定裁決は,理
由の付記に関して違法とまではいえないと判断するのが相当である。
(ウ) また,原処分と原処分を維持した審査裁決との取消しを同時に求める訴
えにおいて,原処分の取消請求を棄却すべき場合には,審査裁決の理由
付記に不備の違法があっても,審査裁決を取り消すべきではないとも考え
られること(最高裁判所昭和37年12月26日第二小法廷判決・民集16巻
12号2557頁参照)に照らせば,本件については,後述のとおり本件不認
定処分の取消請求を棄却すべきである以上,本件不認定裁決の理由付記
の不備の主張は,同裁決の取消原因として失当に帰するべきものであっ
て,本件不認定裁決の理由付記の欠如をいう原告の主張は,この意味でも
理由がないと解すべきである。
(6) 小括
 以上のとおりであるから,本件不認定処分等が手続的に違法とまではいえない。
3 本件不認定処分等の実体的適否(争点(2))について
 次に,本件不認定処分等の実体的処分要件適合性の有無を判断する。
(1) 判断の枠組み
 法2条3号の2は,「難民」につき,難民条約1条又は難民議定書1条の規定によ
り難民条約の適用を受ける難民をいうと定義しているところ,難民条約1条A(2)
及び難民議定書1条2によれば,難民とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の
社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれ
があるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であ
って,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有す
るためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有してい
た国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることがで
きないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰
ることを望まないもの」(議定書難民)をいうとされている。
 したがって,入管難民法上の難民に当たるためには,外国人が,
① ある人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は
政治的意見を有していること
② ①を理由として,国籍国等において迫害を受けるおそれがあるという十分に
理由のある恐怖を有すること
③ そのため,国籍国等の外にいる者であって,国籍国の保護を受けることがで
きず,若しくは無国籍者については常居所国に帰ることができず,又は国籍
国の保護を受けることを望まず,若しくは無国籍者については常居所国に帰
ることを望まないこと
の各要件を充足する必要があるところ,上記の構成要件のうち,最も重要なもの
は②であって,本件不認定処分等の適法性を巡る主要な争点もこの点に存する
から,まず,その意義を明らかにし,次いで原告の難民性の有無を検討すること
とする。
(2) 「迫害を受けるおそれ」の意義
ア 議定書難民の位置付け
 難民条約上の「難民」には,①難民条約1条A(1)に規定された「1926年5月1
2日の取極(ロシアおよびアルメニア難民に対する身分証明書の発給に関す
る取決め),1928年6月30日の取極(ロシアおよびアルメニア難民のために
とられたある種の措置を他の範疇の難民に拡大するための取決め),1933
年10月28日の条約(難民の国際的地位に関する条約),1938年2月10日
の条約(ドイツからの難民の地位に関する条約),1939年9月14日の議定
書(ドイツからの難民の地位に関する追加議定書)又は国際避難民機関憲章
(IRO憲章)により難民と認められている者」(以下「法定難民」という。)のほ
か,②同条A(2)に規定された「1951年1月1日前に生じた事件の結果とし
て,かつ,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又
は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐
怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受け
ることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護
を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有してい
た国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることが
できないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国
に帰ることを望まないもの」(以下「条約難民」という。)があり,さらに,これら
のほか,③難民議定書1条2により,この条約難民の定義から,「1951年1
月1日前に生じた事件の結果として,かつ,」及び「これらの事件の結果とし
て」という文言が除かれた場合の定義に該当する者が,議定書難民として入
管難民法上の難民に含まれている。
 上記①の法定難民は,1917(大正6)年のロシアにおける革命政府の樹立,
1923(大正12)年のオスマン・トルコ帝国からトルコ共和国への移行,1930
年代のナチス・ドイツ政権による迫害など,歴史上の特定の政府がその政策
として政治的,宗教的,人種的反対勢力を抑圧しようとしたことを直接の契機
として定められたものであり,国際的にもそのような被抑圧者をもって難民と
することが了解されていたことが明らかである。したがって,②の条約難民や
③の議定書難民も,基本的には法定難民と同じ性格を承継しているというべ
きであるから,そこにおける「迫害」も,政府によって,人種,宗教,国籍若しく
は特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由としてされる
生命,身体又は重要な自由権の侵害を指すことが前提とされていると解され
る。
イ 他の条約等との比較
 例えば,「アフリカにおける難民問題の特定の側面を規律するアフリカ統一機
構条約」(以下「OAU難民条約」という。)は,その1条1項において,議定書難
民と全く同じ定義の難民を掲げた上で,同条2項において,「『難民』という文
言は,また,外部からの侵略,占領,外国の支配,又はその出身国若しくは国
籍国の一部若しくは全部における公の秩序を著しく乱す出来事のために,出
身国又は国籍国の外の場所に避難所を求めて,その常居所地を去ることを
余儀なくされたすべての者にも適用される。」と規定し,1項で定められた難民
とは別に,当該政府による迫害以外の原因によって避難を余儀なくされた難
民(以下「避難民」という。)をも同条約の適用対象としている。このことを裏返
していえば,OAU難民条約締約国(大部分が難民条約等の締約国でもあ
る。)が,本来の議定書難民には,当該政府による迫害に関わりない外部から
の侵略・占領・支配行為又は治安悪化,天災等によって本国を離れることを余
儀なくされた者は含まれないとの認識を有していることが明らかである。
 また,ベトナムからのいわゆるボート・ピープルに対応するため,入管難民法
が,一時庇護の対象者を拡大させた際に,難民条約1条A(2)に規定する理由
(人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治
的意見を有すること)によって生命,身体,自由を害されるおそれのために本
邦に入った者のほかに,かかる理由そのものではないが,「これに準ずる理
由により,その生命,身体又は身体の自由を害されるおそれのあった領域か
ら逃れ……た者」と要件を緩和した者を加えた(18条の2第1項1号)のも,上
記と同様の解釈を前提としていると考えられる。
ウ 実質的な根拠
 実質的にみても,政府による迫害と関わりない外部からの侵略,治安悪化,天
災等の事由による避難民は,まず当該政府によって,生命,身体又は重要な
自由権を保護されるべきものと考えられ,難民条約等も,居住地域を実効支
配する政府に対して自己の保護すら求め得ない立場にある者こそを,外国に
よる庇護を最も必要とする者として,「難民」と定義し,庇護を与えようとする趣
旨であると解される。
 このように解すると,政府が自ら迫害に手を染めずとも,それ以外の主体によ
る迫害行為を認識しつつ,防衛力・警察力等を意図的に発動しないような場
合には,黙認による政府自身の迫害行為であると評価し得るのは当然である
し,政府が支配地域の居住民を十分に保護する能力に欠け,当該居住民が
生命,身体又は重要な自由権の危険にさらされる場合でも,ここにいう「政府」
とは,「中央政府」又は「正統政府」と称しているか否かにかかわらず,さらに
は外国から承認を受けているか否かにかかわらず,当該地域において実効
支配を確立しているものという程度の意味に理解すべきであるから,迫害者
集団が,限定された地域であれ,実効支配者に転化したようなときには,当該
迫害者集団自体を「政府」とする迫害行為が存在すると認定できるというべき
である。
 それでも,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又
は政治的意見を有することによらない理由で生命,身体又は重要な自由権の
危険にさらされた避難民に対して,居住域の政府が十分な保護能力を備えて
いない場合には,これら避難民は,「難民」として難民条約等締約国の庇護を
受け得るわけではない以上,時に苛酷な結果に置かれることもあり得ることは
否定できないが,警察力等が実効性を有しているかは,結局は当該政府ごと
の程度の差の問題であるといわざるを得ない。本来,特別の条約がない限
り,外国人を自国に受け入れる義務を負わず,外国人に対してどのような地
位を与えるかを,当該国の判断にゆだねるとしてきた国民国家体制を大前提
とする国際法秩序の下において,「難民に対する庇護の付与が特定の国にと
って不当に重い負担となる可能性のあること……を考慮し」て「協定」された難
民条約前文に照らせば,難民条約等が締約国に対して上述した以上の義務
を課しているとは解されないから,そうした人道上の不都合は,難民条約等に
よってではなく,他の国際的枠組み(OAU難民条約はこれに当たる。)か,受
入国の特別の政治的判断によって解決されるほかないというべきである。
エ 「迫害を受けるおそれ」の客観性
 なお,原告は,「迫害」の判断に際しては当該申請者の主観に重きを置くべき
である旨主張するところ,なるほど「迫害を受ける……恐怖」という概念が主
観的な内容を含むことは疑いないが,同時にそれは「十分に理由のある」もの
でなければならないとされているから,人の内心だけでその存否を決するので
はなく,客観的な状況によって裏付けられている必要があるというべきである
(もっとも,上記客観的状況は,当該申請者に即して判断されれば足り,同一
集団に属する者の大多数が本国を離れていないからといって,直ちに難民で
あることを否定すべきものではない。)。
オ 小括
 以上によれば,難民条約等上の難民たる要件の一としての「迫害を受けるお
それ」とは,ある者に対し,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構
成員であること又は政治的意見を理由として,その国籍国等における政府に
より,その生命,身体又は重要な自由権に対する侵害を加えられるおそれが
あることをいい,政府による迫害とはいえない外部からの侵略,治安悪化,天
災等の事由による避難の必要性は,UNHCRの関心の対象等になり得ること
はともかく,「迫害を受けるおそれ」には含まれないと解するのが相当である
(「難民認定基準ハンドブック(改訂版)」(甲78)の46頁も参照)。
 そこで以下,上記の見地に立って,原告が議定書難民に当たるか否かを検討
する。
(3) アフガニスタンの国情
 前記争いのない事実等,証拠(各項目の後に掲げたもののほか,全般的なものと
して甲16,20,32,68,69,139,乙28の1ないし5,39の1・2)及び弁論の
全趣旨並びに公知の事実を総合すると,アフガニスタンの国情について,以下
の各事実が認められる。
ア 国土,民族,言語,宗教(甲31,36,89)
 アフガニスタンは,別紙地図で示すように,中東,インド亜大陸及び中央アジア
に囲まれた位置に約65万平方キロメートルの国土を有し,北東から南西方向
にヒンドゥークシュ山脈の走る山岳国家であり,北側でトルクメニスタン,ウズ
ベキスタン,タジキスタン(以上3か国は旧ソ連の構成国である。),東側及び
南側で中国,パキスタン,西側でイランの各国に接している。首都カブルも山
岳により北東部と南西部に分けられている。国内には目立った天然資源を有
せず,産業としては,主として山岳に囲まれた地域ごとに,部族単位で零細規
模の農耕牧畜が行われてきたにすぎず,部族を超えた意思決定が必要なとき
は,部族長会議(ジルガ)に拠ってきた。
 人口は約2500万人で,民族構成については,パキスタンとの国境をまたぐ地
域に分布するアーリア系のパシュトゥン人(かつてアフガン人と呼ばれた。)が
約38パーセント(推定値。以下同じ。),同じくアーリア系でタジキスタン国境
近くに分布するタジク人が約25パーセント,中央高地(ハザラジャート)を中心
に西カブルにも分布するモンゴル系のハザラ人が約19パーセント,ウズベキ
スタン国境近くに分布するトルコ系のウズベク人が約6パーセント存在するほ
か,アイマク人,ファルシワン(へラティス)人,トルクメン人,ブラフイ人,バル
チ人,ヌリスタニ人などの少数民族も存在する。
 言語については,全人口の約35パーセントに当たるパシュトゥン人が使用する
パシュトゥー語のほか,タジク人とハザラ人を中心に約50パーセントの人々
が使用するペルシア(タジク)語系のダリ語が公用語とされているが,ハザラ
人には,母語としてハザラギ語も使用する者もいる。
 宗教面ではイスラム教国であり,パシュトゥン人ほかのスンニ派が約84パーセ
ントの多数派を占めるのに対し,ハザラ人が主体のシーア派は15パーセント
にとどまる。
イ 概略史(甲9,11,21の1・2,25,31,33ないし35,42,43,90,97,1
02の1・2,109,110,112の1・2,136の1・2,乙28の6ないし10・12・
13・19,41ないし44,45の1・2,46)
(ア) 近世まで
 現在のアフガニスタンに相当する地域は,7世紀にはアラブ,10世紀にはト
ルコ系のガズナ朝,13世紀にはモンゴル人であるチンギス・ハン,その後
イランなど,多くの民族によって支配された後,18世紀半ばにイランから独
立して王制が敷かれたが,帝国主義の時代になると,ロシアとの覇権争い
に勝利した英国によって,1880(明治13)年に保護領として植民地化され
た。その治世下の1890(明治23)年から1901(明治34)年まで王位にあ
ったアブドゥル・ラフマンは,支配に抵抗するハザラ人をとりわけ敵視し,拷
問にかけたり虐殺などしたとして,ハザラ人の間では悪名が高い。
 アフガニスタンは,1917(大正6)年のロシア革命により旧ソ連が成立した
後,1919(大正8)年に独立を達成したが,旧ソ連との地理的な近さもあっ
て,国内には共産主義思想の影響が強く及んだので,これに対抗すべくタ
ジク人のラバニ,パシュトゥン人のヘクマティアルらにより神学団体のイスラ
ム協会(ジャミアティ・イスラミ)が結成された。
(イ) 共産主義の影響
 その後,アフガニスタンにおいては,1973(昭和48)年に軍事クーデタによ
ってザヒル・シャー国王が追放され,ダウドにより共和制に移行したが,19
78(昭和53)年には同様の軍事クーデタによってダウドが殺され,タラキに
より共産主義体制が敷かれた。翌1979(昭和54)年12月に旧ソ連が軍
事介入してカルマル共産主義政権が成立すると,上記イスラム協会,そこ
から分派したパシュトゥン人のヘクマティアルが率いるイスラム党(1976
(昭和51)年結成),ウサマ・ビンラディンに近いパシュトゥン人のサヤフが
率いて同じくイスラム協会から分派したアフガニスタン解放イスラム連合(1
980(昭和55)年結成),ウズベク人のドスタムが率いるイスラム国民運動
(ジュンビシ・ミリイ・イスラミ),イスラム協会に近いパシュトゥン人のムジャ
ディディが率い,弱小ながら合従連衡に寄与したアフガニスタン国民救国戦
線(1978(昭和53)年結成)等が協力し,米国,パキスタン,サウジアラビ
ア,イラン等の外国からの支援も受けて,反共ゲリラ戦を展開した(ムジャヒ
ディーン運動)。
 一方,かつて,農業,牧畜により油や食肉を能率よく生産していたハザラ人
は,独立後,経済的に収奪され,単純労働に奴隷使用されるなどの状況に
あったが,このころ,民族の平等を標榜する共産主義政権を攻撃しない見
返りに高度な自立的地位を獲得し,相対的な安定期に入った。しかし,19
86(昭和61)年に,政権の首班がカルマルからナジブラーに移行した後,
共産主義政権の後ろ盾となっていた旧ソ連軍が,1988(昭和63)年のジ
ュネーヴ合意に従って翌1989(平成元)年2月に撤退し,ナジブラー政権
がその求心力を失うと,以前の抑圧的状態への後退が見られたため,その
地位向上を目指すマザリ,カリリらは,イスラム統一党(ヒズビ・ワフダット・
イスラミ)を設立し,ハザラ人を結集させる運動を展開した。
 その後,1991(平成3)年に旧ソ連が体制として崩壊すると,アフガニスタン
においても,政府軍に属していたウズベク人のドスタム将軍が反旗を翻した
ことなどもあって,1992(平成4)年4月にナジブラー政権が打倒され,共
産主義の時代が幕を閉じた。
(ウ) 内戦とタリバーン
 その後,短期間ではあるが,ムジャヒディーンを構成する各派がムジャディ
ディ,次いでラバニを首班とする連立政権を形成していたが,冷戦の終焉に
伴って,その地理的条件から,旧ソ連内の中央アジア諸国に埋蔵されてい
る天然ガス等の資源輸送路として脚光を浴びるようになったため,各派に
よる覇権争いの上に,周辺諸国及び大国の思惑が複雑に作用して,間もな
く内戦状態に突入した。
 1993(平成5)年2月には,ラバニ大統領,マスード司令官らのタジク人勢
力中心の政権が,西カブルのアフシャール地区に居住するハザラ人に対し
て攻撃を加え,多数の民間人を殺りく,強姦するなどの事件が生じるなど,
混迷を深める状況の中,1994(平成6)年末ころになって,南部のカンダハ
ルから台頭してきたのが,オマルを指導者としてスンニ派原理主義を唱え,
パキスタンやサウジアラビアなどの支援を受けたパシュトゥン人主体のタリ
バーンである。タリバーンは,相対的多数派のパシュトゥン人を主体として
構成されていることや,内戦に伴う暴虐行為を嫌忌した人々から一定の支
持を得たことなどから,勢力を伸ばし,1996(平成8)年9月末には首都カ
ブルを陥落させ,他勢力を北部に追いやって,攻勢を強めた。
 他方,タジキスタンに近い北東部に拠点を置き,同国や構成民族出自の近
いイランのほか,パキスタンと対立するロシア,インド等の支援を受けるタジ
ク人主体のイスラム協会,ウズベキスタンに近い北部のマザリ・シャリフに
拠点を置き同国の支援を受けるウズベク人主体のイスラム国民運動,中央
のバミアンに拠点を置きシーア派国家であるイランの支援を受けるハザラ
人主体のイスラム統一党等は,反タリバーンを旗印に「北部同盟」を組み,
その後はサヤフ派や,タジク人とされるが西部のヘラートに拠点を置くイス
マイル・カーン派も加わって抵抗活動を続けたが,次第に追いつめられ,最
終的には,タリバーンは国土の9割を掌握したといわれるまでになった。
 タリバーン政権は,その治世下において,極端な原理主義的施策を実行し,
美徳推進悪徳撲滅省(宗教警察)を設置して,これに従わない人々の身柄
を道徳的な破倫行為等を理由に拘束したり,拷問や身体刑を科したりする
など,強圧的手段によってスンニ派の保守的な教義を国民に強制した。ま
た,特にハザラ人については,シーア派は殺しても罪にはならないとのファ
トワ(イスラム法解釈に関わる裁定)が出されたことや,外貌によっても多数
派のパシュトゥン人やタジク人と容易に区別できることなどもあって,カブ
ル,ガズニ,ヘラート等の地域において,相当数の行方不明,身柄拘束の
例が報告された。うちヘラート以外の地域のハザラ人は,長期の身柄拘束
を受けがちであったし,1998(平成10)年8月には,マザリ・シャリフにお
いて,前年に進攻してきたパシュトゥン人のタリバーン兵多数が北部同盟に
よって殺害されたことの報復として,民間人を含む多数のハザラ人が虐殺
され,2001(平成13)年1月には,ヤカオランで同様の虐殺事件が起きる
などした。
 タリバーン政権は,アフガニスタン・イスラム首長国を名乗ったが,政府承認
をしたのは,パキスタン,サウジアラビア,UAEの3か国にすぎなかった。
(エ) アフガニスタン戦争とその結果
 こうした中,2001(平成13)年9月11日,米国でいわゆる同時多発テロ事
件が発生したため,同国は,その首謀者と目されるウサマ・ビンラディンを
かくまっていると考えられたタリバーン政権に対して同人の引渡しを要求し
たが,同政権はこれを拒否した。そこで,米英軍は,同人とその率いるテロ
組織アル・カイダの捕獲,掃討を目指して,同年10月7日に空爆を開始し,
これと共闘する北部同盟も攻勢に転じた。やがてタリバーン軍の主力は,こ
れらと激突することなく壊走を始め,同年11月13日には北部同盟によって
カブルが陥落してタリバーン政権が崩壊し,同年12月7日には拠点であっ
たカンダハルからもタリバーン軍の主力構成員が敗走し,翌2002(平成1
4)年1月,最後まで立てこもっていた一部の兵が掃討されて,主要な戦闘
行為は終結した。ただし,タリバーン兵はもともと農民であった者も多く,民
間人に紛れ,あるいは出身地に身を潜めるなどして,生き残っていると見ら
れている。
 反タリバーンの立場を取る各派は,タリバーン政権の崩壊が迫った2001
(平成13)年12月5日,ドイツのボンでアフガニスタン代表者会議を開催
し,①国王派であったカルザイを首班とする暫定行政機構(行政府),特別
独立委員会(立法府である国民大会議(ロヤ・ジルガ)招集のための機
関),最高裁判所(司法府)から成る暫定政権を同月22日に樹立させるこ
と,②暫定政権がアフガニスタンの主権を代表すること,③暫定政権成立
後6か月以内に,ザヒル・シャー元国王が,移行政権を決定する緊急ロヤ・
ジルガを招集すること,④移行政権成立後18か月以内に,憲法制定ロヤ・
ジルガを招集し,先の緊急ロヤ・ジルガ開催から2年以内の選挙を経て国
民を完全に代表する政権を樹立させることを合意し(いわゆるボン合意),
これに基づいて同月22日,暫定政権が成立し,カルザイがその議長に選
出され,カリリ副大統領を含む数名のハザラ人閣僚も選任された。翌200
2(平成14)年1月,国際治安部隊(後のISAF)の派遣が最終合意され,同
月21日及び22日に東京で開かれたアフガニスタン復興支援国際会議で
は,61か国と21国際機関が集まり,共同議長国(機関)である日本,米
国,EU及びサウジアラビアなどの国が,暫定政権に対して初年度で18億
米ドルを超える国際援助をすることで合意した。そして,同年6月11日から
19日まで,代議員1650名が参加してカブルで開催された緊急ロヤ・ジル
ガにおいて,カルザイが大統領に選出,最高裁判所長官及びハザラ人を含
む閣僚の人事が承認されて,アフガニスタン・イスラム移行政権(カルザイ
政権)が発足した。同政権の課題は,いかに民族間の対立を解消し,協力
態勢の下でアフガニスタンの民主的復興をなし遂げるかであると指摘され
ていた。
 なお,UNHCRは,2001(平成13)年10月,各国に対し,アフガニスタンの
不安定な状況にかんがみ,アフガニスタン人の庇護希望者を本国に送還し
ないことを要請した。
ウ その後の状況(甲22ないし24,38,39,41,44ないし48,51,55,57,
79ないし81,94,95,98,102の2ないし5,103ないし105,106の1な
いし3,111,113ないし115,117ないし119,121,124ないし126,12
9ないし131,133,140,141,142の1,146ないし150,152ないし15
5,157,158,160ないし162,166,167,169,176ないし188,189
の1ないし4,190の1・2,191の1・2)
(ア) 治安の悪化
 タリバーン軍の拠ったカンダハルが陥落した後,2002(平成14)年2月に
はカブル空港で,暫定行政機構の閣僚ラフマン航空・観光大臣が撲殺さ
れ,同年4月にはパキスタン国境に近い東部のジャララバードで,タジク人
閣僚でイスラム協会首領のファヒム国防大臣が暗殺未遂に遭うなどの事件
が起きたが,カルザイ政権発足後間もない同年7月7日には,首都カブル
で,主要4民族から選出されていた副大統領のうち,パシュトゥン人の1人
であるカディル公共事業大臣が暗殺された。さらに,同年9月5日,カルザ
イ大統領自身に対して銃撃テロ(未遂)が加えられた。この間,同年4月に
は,ISAFが反政府武装運動を組織した容疑で約600人を逮捕している。
 同年11月ころからは,断続的に,特にパキスタン国境付近の東部のクナル
州から南部のヘルマンド州にかけての地域で,爆破事件や米軍又はISAF
関係施設等を狙った襲撃事件などが発生し,ジャララバードで夜間外出禁
止令が布告されたり,パキスタンに出国する者も相当数いたりしたほか,一
部カブル周辺部及び北部の米軍基地においても爆破事件が起きている。
また,同年12月に,ペシャワールを州都とし,タリバーン発祥の地ともいわ
れるパキスタンの北西辺境州の地方選挙において,イスラム原理主義政党
が圧勝したのと前後して,同地域及び前記アフガニスタン南東地域(両者を
併せたのが「パシュトゥン人の国」という意味の「パシュトゥニスタン」とも呼
ばれる地域である。)でタリバーンの残党が再編成されている旨も報じられ
るようになり,米軍が掃討作戦に動いた結果,武器庫が発見されたり,戦闘
員と思われる者が拘束されたこともあった。2003(平成15)年3月には,タ
リバーン幹部司令官がBBCの取材に応じて,米軍主導の連合軍を攻撃し
ているなどと語り,オマルも前後して聖戦(ジハード)を呼びかけるなど,前
記爆破・襲撃事件の少なくとも一部は,タリバーン関係者の所為と目されて
いる。同年6月と7月には,この地域に隣接するパキスタンのクエッタでシー
ア派のモスクが攻撃された。一般住民の間では,平和の到来を待ち望む声
が高いものの,米軍の掃討作戦に伴う誤爆事件の発生などを契機に,反
米感情の高まりも見られる。
 タリバーンの残党以外の治安不安定要素としては,イスラム党のヘクマティ
アルがタリバーンとアル・カイダを共に支持する旨表明し,反カルザイの立
場を鮮明にしたことが挙げられる。また,国内各地に多数の地雷が埋設さ
れたままであり,民間人に被害が生じているほか,北部のマザリ・シャリフ
や西部のヘラートなどでも,あへんや麻薬,さらには交易上の利権を巡って
軍閥間の武力抗争が発生しており,2003(平成15)年1月には,マザリ・
シャリフ付近で複数回の爆破事件が,同年3月にはヘラートでも爆破事件
が起きている。首都カブルでは,地方より治安状況がよく,タリバーン政権
下で教育を受けることを禁じられてきた女性をも対象とした学校教育が再
開されたり,物資の流通が活発化している反面,窃盗事件が頻発し,外国
人を狙ったテロなども終息していない。
 なお,イスマイル・カーンが知事を務める西部のヘラート州では,女性に対す
る差別や虐待があるとも噂されたことから,国連代表団が調査に入り,また
ヘラートのほか,南部のカンダハル,中央部のバミアン,南東部のガルデ
ス,東部のジャララバード,北東部のファイザバード,北部のマザリ・シャリ
フにも独立した人権委員会の事務所が順次開設されることになっていた
が,2003(平成15)年11月にガズニでUNHCR職員が殺害されたため,
南東域での国連の活動が停止された。国連は,トルコ軍の指揮するISAF
に対して任務を地方都市に拡大するよう継続的に要請しているが,かえっ
て2004(平成16)年夏には駐留米軍の撤退が計画されている。
 日本の外務省は,2002(平成14)年9月1日及び2003(平成15)年6月3
0日現在で,カブル,ヘラート,ジャララバード,バミアン,カンダハルの5都
市については渡航延期勧告を,それ以外の地域については退避勧告を出
している。
(イ) カルザイ政権の対応
 タリバーン残党や軍閥の動きに対し,カルザイ政権は,首都カブルを中心に
展開するISAF約5000名,米軍中心の多国籍軍1万数千名のほか,7万
名を目標としたアフガニスタン国軍の創設によって対処しようとしているが,
国軍の創設は予定どおり進捗せず,軍閥を統制できるまでには至っていな
い。そのためか,同政権は,タリバーン残党強硬派の討伐に消極的なカン
ダハル州知事を2003(平成15)年8月に解任する一方で,穏健派に対し
ては,意を払う発言をしたり,懐柔目的で接触するというように,硬軟織り交
ぜた対応をしている。
 カルザイ政権の影響力は,地方の隅々までは及んでおらず,徴税権もいま
だ地方軍閥が実質的に掌握しており,その一部がカルザイ政権による説得
を受けて上納されるようになってきた程度である。軍閥の武装解除も試みら
れているものの,2003(平成15)年3月にマザリ・シャリフで武装解除が確
認されたほかは,上級政治家の軍事活動関与を禁止する大統領令を一部
の知事が受け入れると語ったり,2003(平成15)年1月に国際刑事裁判
所規程を批准し,同年5月1日に発効させて,軍閥に対して戦争犯罪や人
道に対する罪を犯した場合の警告を発した程度の成果にとどまっている。
あへんや麻薬の原料となるケシ栽培の取締りも,他の産業がなかなか定着
しないこともあって,一部を除いて目立った効は奏していない。
(4) 原告の難民性の有無
ア シーア派のハザラ人の難民性
 以上の認定事実によれば,アフガニスタンにおけるシーア派のハザラ人は,そ
の民族及び宗教上の違いから,19世紀末ないし20世紀初頭の王制下や共
産主義政権打倒後の内戦時代からタリバーン政権下にかけて迫害の対象に
されていたということができる。しかしながら,本件不認定処分等が行われた
時期(前記のとおり,本件不認定処分は平成14(2002)年3月11日付け,
本件不認定裁決は同年6月4日付けでされている。)には,国際的な支援の
下でカルザイを首班とする暫定行政政権が成立し,さらには緊急ロヤ・ジルガ
を経てアフガニスタン・イスラム移行政権(カルザイ政権)が発足するなど,ア
フガニスタンの復興作業が開始された途上に当たるところ,同政権には,複数
のハザラ人閣僚が含まれているなど,シーア派ないしハザラ人が一定の政治
的発言力を確保していると判断することができるし,同政権自体も,民族間の
対立を扇動したり,特定の民族を排斥することによってもたらされた内戦と荒
廃という結果を反省する見地から,主要4民族の協調態勢を構築してアフガニ
スタンの民主的復興を図ろうとする基本的政治姿勢を保持しており,特定の
宗教的集団ないし民族に対する迫害を容認ないし黙認する姿勢を有していな
いことが明らかである。
 もっとも,その時期において,タリバーン兵は,その勢力を温存すべく,米英軍
や北部同盟軍と正面から激突することを避け,民間人に紛れ,あるいはパシ
ュトゥニスタンとも呼称される南東地域に溶け込んだと表現するのが適切な実
態であるし,北部同盟を構成する各派も,反タリバーンという一点で共闘して
いたにすぎず,その目的が達成されれば,各派の利害関係が前面に出てくる
ことが予想されるなど,不安定要因の存在も指摘されていたところ,現実の展
開も,カルザイ政権による実効支配はアフガニスタンの国土全域に十分に及
んでいるわけではなく,パシュトゥニスタン地域を中心に,タリバーンの残党が
組織の再編を図り,テロ活動をも含めた攻撃を行うことが見られるようになっ
ているほか,同地域以外にも軍閥によって実質的に支配され,治安の悪い地
域が少なからず存在するなど,この危惧を裏付けるものであることは否定でき
ず,将来的にも,アフガニスタン情勢が急速に改善に向かうと予想することは
困難である(甲75,116,122,123,139,173,原告本人。ただし,乙39
の1・2ではこれを否定する見解もあることが示されている。)。
 しかしながら,タリバーンの残党勢力が,地域的にせよ国土の一部を実効支配
している事実は認められないし,その攻撃も主として米軍やISAFほかの駐留
外国人関係施設ないしカルザイ政権に向けられたゲリラ的なものであって,シ
ーア派ないしハザラ人を標的とした狙い打ち攻撃が頻発しているわけではな
い(なお,他国におけるハザラ人の難民認定状況に関する乙40の1ないし6
も参照。)。このような動きに対して,カルザイ政権やこれを支える米軍及びIS
AFは,タリバーン残党強硬派の討伐に尽力しているところであり,完全に押さ
え込むには至っていないものの,逆に同勢力による再度の台頭が容易な状況
にあるともいえない。地方に割拠する軍閥も,利権確保に動いているのが実
情で,シーア派ないしハザラ人への敵対行動を示しているわけではなく,カル
ザイ政権も中央政府による統制に向けて努力を重ねているということができ
る。
 そうすると,本件不認定処分等の時期のアフガニスタンにおいては,一般的な
治安上の不安定要因は存在するものの,シーア派のハザラ人という「人種」,
「宗教」等を理由として行われる攻撃としての性格は極めて希薄で,政府によ
るシーア派のハザラ人に対する直接的ないし黙認による迫害行為が存在する
わけではないというべきであるから,シーア派のハザラ人の一員であるという
だけで,前述の迫害の要件を満たすものとはいえないと判断するのが相当で
ある。
イ 原告の体験に基づく難民性
 この点に関連して,原告は,1992(平成4)年に,プレスオフタで銃撃戦に巻き
込まれ自ら被弾したり,母が空爆で死亡したりしたこと,1997(平成9)年に
は,マザリ・シャリフでタリバーン軍の来襲に遭い,ホテルから一歩も出られな
かったこと,原告の家族とタジク人の家族が不仲であったりしたことなど,その
個人的体験に基づいて迫害を受けるおそれがある旨主張する(なお,原告
は,証拠(原告本人)において,上記の銃撃戦はコテサンギでのもので,原告
は,自らカラシニコフ銃を取ってアフガニスタン解放イスラム同盟(サヤフ派)と
戦った旨も供述する。)。
 しかしながら,前記認定及び判断に照らすと,本件不認定処分等がされた時期
において(その後の治安情勢を考慮しても),タリバーンの残党勢力等が,過
去において敵対行動を取ったことを理由に報復を加えることを企図し,容易に
敢行し得る状況であったとは考え難い上,証拠(甲2の1・2,3,75,乙1,1
6,原告本人)によれば,上記の銃撃戦の現場には,多数の者がおり,原告が
とりわけ目立つ存在であったとは認められない上,タジク人家族とのいさかい
についても,個人的事情に基づくものと解するほかなく,人種又は宗教が攻撃
の標的とされる要因であるとは考えられないから,結局,上記の個人的な各
体験が迫害の存在を基礎付けるとは判断できない。
(5) 小括
 したがって,本件不認定処分等の時において,原告は議定書難民であったとは
認められないから,本件不認定処分等に実体的違法はなく,これらの取消しを
求める原告の請求は理由がない。
4 本件退去裁決の適否(争点(3))について
(1) 通訳の適否
 そこで次に,本件退去裁決の適否を判断するに,原告はまず,退去強制容疑事
件に係る違反調査及び口頭審理並びに本件退去異議申出後の補充調査の際
の通訳の不適正が,同裁決の手続的違法を構成する旨主張する。
 しかしながら,まず,入国審査官による容疑事実の認定までの入国警備官及び
入国審査官による調査に関しては,証拠(乙6ないし10)によれば,全体として
は複数の通訳人が充てられている事実が認められ,うち通訳人aの介した調査
(聴聞)についても,前記2(3)イに認定のとおり,通訳が不適正であったために,
原告が任意に供述できなかったとか,調書が全くの作文であるとまでは認め難
い上に,そもそも入国審査官は退去強制事由の認定権限のみを有しており,在
留特別許可等の権限は有していないところ,原告も旅券を所持せずに本邦に入
った事実自体は認めていて,違反調査自体に困難があったとは考え難いこと
(実体的に難民であるとしても退去異議申出の理由があることにならないのは後
記(2)のとおりである。)からすれば,入国審査官による容疑事実の認定までの過
程に,通訳の不適正を理由とした手続的違法があったと認める余地はないとい
うべきである。
 他方,平成14(2002)年5月10日の名古屋入管特別審理官による口頭審理に
関しては,前記のとおり,通訳人aが原告に金品を要求した疑いを否定できない
が,原告が,手続終了後直ちに忌避を申し立てた結果,その後同月21日に別
の通訳人を介して補充調査が行われていること(乙12,原告本人)からすると,
前記2(3)アに判示したところと同様の基準に照らして,本件退去裁決に至るまで
の過程に,全体として,通訳の不適正を理由とする手続的違法があったとまでは
いえないと解するのが相当である。
 なお,原告は,平成14(2002)年5月21日の補充調査に係る調書は,誤脱字
に至るまで同月10日の口頭審理調書の引き写しである旨主張するが,証拠(乙
11,12)によれば,一部ではあるが,前者において追加的に録取されている事
項も認められる上,両日の調査を担当した特別審理官自身が同一人物であっ
て,同月21日の手続は,同月10日の手続に誤訳等がなかったかの確認に費
やされたと考えられることからすると,大部分において同一の内容が録取されて
いたとしても,原告の言い分に耳を傾けることなく,言わば作文をしたとまでは認
め難い。
 よって,本件退去裁決についての手続的違法に関する原告の主張は採用できな
い。
(2) 本件退去異議申出理由の有無
 次に原告は,本件退去異議申出に理由がある旨を主張するが,原告は,前記争
いのない事実等のとおり,旅券を所持することなく本邦に入ったのであるから,
法24条1号の不法入国者に該当することは明らかであり,したがって,原告に
つき同号の退去強制事由があるとの名古屋入管入国審査官の認定及びこれを
是認した同入管特別審理官の判定はいずれも正当であって,本件退去異議申
出は理由がない。
 原告は,国内法に基づく強制退去手続は難民条約の趣旨に沿って運用されるべ
きであるとの前提で,原告が難民条約等上の難民に当たらないとした名古屋入
管特別審理官の判定には事実誤認があり,本件退去異議申出には理由がある
旨主張するところ,退去強制手続と難民認定手続とは別個の手続体系を有して
おり,法24条各号の退去強制事由を有する者が,仮に難民条約等上の難民に
該当するとしても,そのことにより退去強制事由の認定に誤りがあるとか,退去
強制手続が違法になるわけではない。このことは,法61条の2の8が,被告大
臣は,法49条3項の裁決をするに際し,難民認定を受けている者の異議申出が
理由がないと認める場合でも,在留を特別に許可できると規定していることや,
法70条の2が,不法入国(法70条1項1号)その他の退去強制事由に当たる罪
について,難民であること等を違法性ないし責任の阻却事由としてではなく,刑
の免除原因として定めていることなどから明らかである。
 また,原告は,本件退去異議申出の理由がないとの判断が憲法13条,14条,
自由権規約6条,7条,9条及び26条の各規定に違反する旨も主張するが,こ
れらの規定は,上述したところと同じ意味において,退去強制事由の存否とは関
係がないというべきであって,この点は,次の在留特別許可に係る裁量権の行
使に際して問題となるにすぎないというべきである。
(3) 在留特別許可の裁量の逸脱ないし濫用の存否
 原告は,被告大臣は,法49条1項に基づく異議の申出に理由がないと認める場
合でも,法50条に基づいて当該容疑者の在留を特別に許可することができる権
限を有しているところ,明らかに同許可を与えるべき原告に対し,これを与えな
いで本件退去裁決をした違法が存すると主張する。
 そこで判断するに,前記2(2)のとおり,国際慣習法上,国家は外国人を受け入れ
る義務を負うものではなく,特別の条約がない限り,外国人を自国内に受け入れ
るかどうか等を,当該国家が自由に決定することができるものとされていて,外
国人は我が国に入国する自由を保障されているものではないと解すべきことか
らすると,被告大臣は,条約等によって特別の制約を受けない限り(難民条約に
よる特別の制約を具体化したものが法61条の2の8と考えられる。),法24条各
号所定の退去強制事由を有する外国人に対して,在留特別許可を与えるか否
かを決するにつき,政治的,外交上の見地からする裁量権を有すると解すべき
であり,かつその裁量の範囲は,既に適法な在留資格を有して我が国に在留し
ている者に関する在留期間の更新等の場合以上に広範であるというべきであ
る。
 そこでこの見地に立って,本件の原告について上記裁量権の行使に逸脱ないし
濫用があったか否かを検討するに,原告が,そもそも本件退去裁決の時期にお
いて難民条約等にいう難民に当たらないことは前記3に述べたところと同様であ
るから,原告の難民性を理由として同人に在留特別許可をすべきであったか否
かを判断するのはその前提を欠く。もっとも前記認定事実によれば,アフガニス
タンにおいては,カルザイ政権やこれを支援する国際的な枠組みの復興努力に
もかかわらず,治安上の不安定要因が払しょくされていないなどの理由で,そこ
に生活する者が一定の苦難を強いられていることは否定できないが,だからとい
って,同国へ送還することが直ちに憲法13条,14条,自由権規約6条,7条,9
条及び26条の各規定に違反するなどして,被告大臣に認められた広範な裁量
権を逸脱ないし濫用したものになるともいえない。
 以上によれば,本邦への在留を積極的に許可すべき事情の見当たらない原告に
ついて,在留特別許可を与えなかった被告大臣の判断に,違法な逸脱ないし濫
用のある裁量権の行使があったということはできない。
(4) 小括
 したがって,本件退去異議申出の理由がないと判断した上で原告に対して在留
特別許可を与えなかった本件退去裁決に違法はなく,これを取り消すべき旨の
原告の主張は理由がない。
5 本件発付処分の適否(争点(4))について
(1) 難民条約違反等の有無
 そこでさらに,被告主任審査官による本件発付処分の適否を判断するに,まず,
①本件不認定処分等の違法を前提にその違法性が承継される旨,及び②原告
が難民条約等上の難民であることを前提に難民条約33条1項に違反する旨の
各原告の主張は,既にみたとおり,いずれも前提を欠くものとして採用できない。
 なお,仮に①の主張が,本件退去裁決の違法は本件発付処分に承継される旨の
主張を含むと解したとしても,本件退去裁決に違法がないことは4にみたとおり
であるから,いずれにせよその主張は前提を欠くものである。
(2) 拷問等禁止条約違反の有無
 次に原告は,本件発付処分が拷問等禁止条約3条1項に違反する旨主張する。
 なるほど同項は,「締約国は,いずれの者をも,その者に対する拷問が行われる
おそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し,送還し又
は引き渡してはならない。」と規定しているが,同条約1条1項は,ここにいう「拷
問」について,「身体的なものであるか精神的なものであるかを問わず人に重い
苦痛を故意に与える行為であって,……公務員その他の公的資格で行動する
者により又はその扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下に行われるもの
をいう」旨定義しているところ,前記3の(3)及び(4)の認定・判断に係るアフガニス
タンの状況に照らせば,少なくともアフガニスタンの「公務員その他公的資格で
行動する者により又はその扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下に」,
原告に対して重い苦痛を与える行為が行われるおそれがあるとは認められず,
その余の要件の充足の有無について判断するまでもなく,原告の主張は採用で
きない。
(3) 退去強制令書発付の裁量の有無
 また,原告は,被告主任審査官が退去強制令書を発付しない裁量権をも有する
ことを前提に,その裁量権を逸脱して本件発付処分をしたことが違法であると主
張するが,入管難民法上,被告主任審査官がかかる権限を有していることをう
かがわせる規定は存在せず,かえって法49条5項が,「主任審査官は,法務大
臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは,……退去
強制令書を発付しなければならない。」と規定し,この場合における退去強制令
書の発付を被告主任審査官の義務として位置付けていること(このことは,法4
7条4項,48条8項でも同様である。),実質的にも,退去を求めるか又は在留
特別許可を与えるかについては,高度な政治・外交上の判断を要する場合があ
り,その主体としてふさわしい被告大臣がその権限を有するべきであるというの
が入管難民法の趣旨と考えられること(被告大臣は,難民条約33条の規定に照
らし,実体的に難民条約等上の難民に当たる外国人については,難民の認定を
受けているか否かにかかわらず,当該外国人をいかなる国に送還するか,ある
いは送還先の候補国の政情いかんによっては送還自体が妥当かなどを慎重に
考慮し,在留特別許可をすべきか否かも検討すべきである。名古屋地方裁判所
平成14年(行ウ)第19号・平成15年9月25日判決参照)などを考慮すると,原
告の上記主張は,採用の余地がないというべきである。
(4) 退去先選択権の存否
 さらに原告は,国籍国による保護を望まない者が,退去先選択権を有することを
前提として,本件発付処分がこの権利を侵害するものとして違法である旨も主張
する。
 しかしながら,仮に,国籍国等による保護を望まない者に退去先選択権が認めら
れるとすれば,当該選択された退去先にとって外国人である被送還者につい
て,当該国への入国の自由を認めるにも等しい結果となるが,現在の国際慣習
法がこれを認めるとは考え難いこと(なお前掲最高裁判所昭和53年10月4日
大法廷判決も参照。),そもそも法53条1項が,退去強制における第一次的な
送還先を国籍国又は市民権の属する国としているのは,これらの国について
は,通常,被送還者の受入れを拒否される事態が考えにくいのに対して,同条2
項に定める国々については,受入国の態度抜きには強制送還を実現し得ないこ
とから,まずもって前者に送還すべきものとした趣旨によるものと解され,当該規
定は,それ自体合理性を有するものと考えられることなどを考慮すると,当該選
択権の享有をいう原告の主張は到底採用できるものではないから,同条に基づ
いて送還先を決定した本件発付処分に違法はないというべきである。
(5) 小括
 よって,本件発付処分には違法はなく,これを取り消すべき旨の原告の主張は採
用できない。
6 結論
 以上の次第で,本件各処分の取消しを求める原告の本訴請求はいずれも理由がな
いから,これらを棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,
民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
    名古屋地方裁判所民事第9部
          裁判長裁判官   加藤幸雄
             裁判官   舟橋恭子
             裁判官   平山 馨
                              (別紙省略)

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