弁護士法人ITJ法律事務所

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        主     文
       原判決を破棄する。
       本件を東京高等裁判所に差し戻す。
            理     由
 上告代理人川端和治,同中山ひとみの上告受理申立て理由第3の1,2,第3の
4のうち抗生剤の併用避止義務違反をいう部分を除く部分,第5の5の(1)∼(4),
(6)について
 1 本件は,D(明治44年12月17日生まれで,平成5年8月31日に81
歳で死亡した女性。以下「D」という。)が,脳こうそくの発作で被上告人の開設
するE病院に入院していたところ,メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(以下「MRS
A」という。)に感染するなどした後に,全身状態が悪化して死亡したことから,
Dの相続人である上告人らが,E病院のF医師らには,(1) 広域の細菌に対して
抗菌力を有する抗生剤(以下「広域の抗生剤」といい,これに対し,狭域の細菌に
対して抗菌力を有する抗生剤を「狭域の抗生剤」という。)である第3世代セフェ
ム系のエポセリンやスルペラゾンをDに投与すべきでなかったのに,これらを投与
したことにより,平成5年2月1日ころまでに,DにMRSA感染症を発症させた
過失,(2)
DにMRSA感染症が発症した上記時点で抗生剤バンコマイシンを投与すべきであ
ったのに,これを投与しなかったことにより,DのMRSAの消失を遅延させた過
失,(3)
Dの入院期間中,多種類の抗生剤を投与すべきでなかったのに,これをしたことな
どにより,DにMRSA感染症,抗生物質関連性腸炎,薬剤熱,肝機能障害,じん
不全,けいれんや多臓器不全を発症させた過失等があり,その結果,Dを死亡させ
るに至ったなどと主張して,被上告人に対し,債務不履行又は不法行為に基づく損
害賠償を求める事案である。
 2 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
 (1) MRSAは,昭和50年代後半ころから,急速に全国に広がり,院内感染
の原因菌として注目されるようになったものであるが,MRSA感染症が一度発症
すると有効な抗生剤が少なく,治療が困難であり,多臓器不全等で死亡に至る可能
性があることから,感染防止対策が極めて重要である。MRSAについては,感染
症が発症した場合には,治療の対象となるが,これを保菌しているにすぎない場合
には,治療は不要である。
 (2) Dは,平成4年11月3日,脳こうそくの発作を起こし,傾眠状態に陥り
,左半身に麻ひが認められたことから,E病院に緊急入院し,集中治療室で治療を
受けた。Dは,徐々に意識を回復したが,構音障害とえん下障害が残った。同月6
日,Dは,右側頭葉のこうそくとこれに基づく運動性失語症と診断され,集中治療
室から一般病室へ移った。
 (3) 平成4年12月末ころ,Dに38度台の熱が認められたことから,F医師
は,感染症治療のために,同月31日から平成5年1月10日(以下,平成5年に
ついては月日のみを記載する。)まで抗生剤ケフラールを投与し,また,同月9日
,Dの症状を肺炎又は気管支肺炎と診断した。同月11日になってもDに37∼3
8度台の熱が続き,下痢症状が認められ,同月7日に採取したDのかくたんからは
黄色ブドウ球菌が検出されたことから,同医師は,Dの症状を呼吸器感染と疑い,
抗生剤を広域の抗生剤である第3世代セフェム系のエポセリン1日2gに変更し,
同月11日から18日まで投与した。同月15日になってもDには38度台の熱が
あった。同医師は,Dの症状について尿路感染症をも疑い,同日から同月26日ま
で抗生剤ビブラマイシン1日100mgを追加投与した。同月25日,Dの尿から緑
のう菌が検出されたことから,同医師は,同日から2月13日まで広域の抗生剤で
ある第3世代セフェム系のスルペラゾン1日1gを追加投与した。一時的にDの熱
は下がったが,1月28日,再びDの熱が上昇してきたことから,同医師は,スル
ペラゾンの効能を良くする目的で,同月29日から2月18日まで抗生剤ホスミシ
ン1日2gを追加投与した。
 (4) 2月1日,1月28日に採取したDのかくたんからMRSAが検出され,
また,2月1日に採取したDの便からもMRSAが検出されたことから,F医師は
,同日から同月21日まで抗生剤ミノマイシン1日200mgを,また,同月1日か
ら26日まで抗生剤バクタ1日4gを,それぞれ追加投与した。同月初旬ころ,D
の熱は下がったが,同月13日,Dの熱が再び37度台に上昇してきた。同医師は
,Dの発熱が抗生剤によるものと疑い,スルペラゾンの投与を中止した。同月11
日以降に採取したDのかくたんからは,MRSAは検出されなくなったが,Dの便
からは,同月18日まで,MRSAが引き続き検出された。同日,Dにホスミシン
の感受性が認められなくなったことから,同医師らは,ホスミシンの投与を中止し
た。同月23日,Dに薬剤性の肝障害と疑われる症状が認められたことから,同医
師らは,ミノマイシンの投与を中止した。同月24日以降,Dの熱が再び上昇して
きた。同月26日,同医師らは,Dの発熱の原因が抗生剤にあると疑い,バクタの
投与を中止した。3月1日以降も,Dに37度以上の熱が頻発し,同月4日,同月
1日に採取したDのかくたんから少量のMRSAと多量の緑のう菌が検出されたこ
とから,同医師は,同月4日から18日まで抗生剤アミカシン1日100mgを投与
した。Dの検体からはMRSAと緑のう菌が引き続き検出された上に,Dの熱も下
がらなかった。そこで,同医師は,Dの症状を上気道感染症や尿路感染症等と疑い
,同月15日以降,アミカシンの投与量を1日200mgに増やして経過を観察した。
同月17日,同月15日に採取したDのかくたんから多量のMRSAと緑のう菌が
検出されたことから,同医師は,同月17日から22日までバクタ1日6gを追加
投与した。
 (5) 3月18日,Dの子であるGの要請を受け,F医師は,E病院の院長H医
師と協議の上,初めてバンコマイシンを投与することを決め,同日から同月28日
までバンコマイシン1日2gを追加投与するとともに,同月18日から26日まで
ホスミシン1日4gを追加投与し,アミカシンの投与を中止した。Dのかくたんか
らMRSAと緑のう菌が引き続き検出され,また,Dの熱も下がらなかったことか
ら,F医師は,同月27日,バンコマイシンとホスミシンの併用に効果が認められ
ないと考えて,ホスミシンに替えて,同日から4月21日までバクタを投与し,ま
た,3月27日から4月5日まで抗生剤ビクシリン1日2gを追加投与した。3月
28日,同医師は,Dの症状をMRSA及び緑のう菌の混合感染による気管支炎及
び腸炎と診断し,効果のある抗生剤を多種類併用してみることとし,バンコマイシ
ンの投与を中止し,同日から4月5日までミノマイシンを追加投与した。同医師ら
は,気管支肺炎の対策として,3月29日から4月5日まで抗生剤リファジンを追
加投与した。同医師らは,緑のう菌の対策として,3月30日から4月5日まで抗
生剤ペントシリン1日4gと抗生剤トブラシン1日60mgを追加投与した。また,
1時間ごとにDに下痢が認められたため,同医師らは,3月30日から4月13日
までバンコマイシン1日2gを投与した。その結果,3月30日以降,投与する抗
生剤は7種類となった。Dの熱はいったん下がり,下痢も止まったが,4月6日,
Dの熱が再び上昇したことから,同医師は,Dの症状を薬剤熱等と疑い,投与する
抗生剤をバンコマイシンとバクタに限定し,ビクシリン,ミノマイシン,リファジ
ン,ペントシリン及びトブラシンの投与を中止した。
 (6) 4月2日以降に採取したDのかくたんからは,MRSAが消失したが,緑
のう菌は依然として検出されていた。F医師らは,同月7日から20日までペント
シリン1日4gとトブラシン1日60mgを投与し,同月7日から12日まで,抗生
剤クリンダマイシン1日1200mgを投与し,また,嫌気性菌の対策として,抗生
剤ダラシン1日1200mgを追加投与した。その後も,Dの下痢,発熱が続いてい
たことから,同月15日,同医師は,Dの下痢の原因がバクタの投与によるものと
疑い,バクタの投与を中止したところ,同月16日以降,Dの下痢が治まった。同
月20日,Dのかくたんから検出される緑のう菌が少量となったことから,同医師
は,ペントシリンとトブラシンの投与を中止した。同月27日,同医師らは,Dの
熱が抗生剤の投与によるものかもしれないと考えて,抗生剤の投与を中止した。同
月22日に採取したDのかくたんや同月23日に採取したDの便から多量の緑のう
菌が検出されたが,MRSAは検出されなかった。Dには38度台の熱や下痢が続
いた。同医師らは,緑のう菌の対策として,5月6日から21日まで抗生剤アザク
タム1日2gを投与した。Dの熱が上昇したため,同医師らは,緑のう菌の対策と
して,同月11日から6月22日まで抗生剤チェナム1日1gを追加投与した。D
には37度台の熱や下痢が続き,Dのかくたんからは多量の緑のう菌が引き続き検
出された。同月1日,同医師は,Dの熱と下痢が緑のう菌によるものと考えて,同
日から同月22日までトブラシン1日60mgを追加投与した。同月15日,Dの熱
は治まったが,下痢は続いた。同月22日,同医師は,Dの下痢が抗生剤の影響で
あると疑い,チェナムとトブラシンの投与を中止した。
 (7) 6月29日以降に採取したDのかくたんから少量のMRSAが検出された
ことから,F医師は,7月2日から14日までバクタ1日3gを投与した。同月7
日,同月5日に採取したDのかくたんから多量のMRSAと緑のう菌が検出された
ことから,同医師は,緑のう菌の対策として,同月7日から9日までチェナム1日
2gとトブラシン1日60mgを,MRSAの対策として,同月7日から13日まで
バンコマイシン1日2gを,それぞれ追加投与した。同月8日,同医師は,Dの症
状をMRSAと緑のう菌による気道感染症と診断し,緑のう菌の対策としてチェナ
ムとトブラシンの投与を,MRSAの対策としてバンコマイシンの投与を,それぞ
れ継続することにした。同月9日,Dは全身性強直性けいれんを起こした。同医師
は,抗生剤によるものと疑い,チェナムとトブラシンの投与を中止し,同月12日
,MRSAの対策としてバンコマイシンとバクタの投与だけを継続することにした。
同月13日,同医師は,Dの症状をMRSAと緑のう菌による呼吸器感染症と診断
したが,Dの家族の申入れもあり,同月14日,バンコマイシンとバクタの投与を
中止し,抗生剤を投与しないで観察することにした。
 (8) 7月12日以降に採取したDのかくたんからMRSAは消失したが,Dに
は37度台の熱が続いた。同月21日,F医師は,Dの症状を緑のう菌による安定
慢性呼吸器感染症と診断した。同月22日と26日に採取したDのかくたんからM
RSAが検出されたことから,同医師は,同月29日から31日までバンコマイシ
ン1日1.5gを投与した。同月31日,Dの尿がわずかしか出なくなったことか
ら,同医師は,急性じん不全を疑い,バンコマイシンの投与を中止し,8月1日,
Dの症状をバンコマイシンによる急性じん不全と診断した。同医師らがラシックス
やイノバンを投与したところ,同月2日,尿が出るようになり,Dは急性じん不全
の状態から脱した。同日以降も,DのかくたんからはMRSAが検出され,また,
同月5日以降に採取したDの便からもMRSAが検出されるようになった。同月9
日,Dの左半身にけいれんが出現した。同医師らは,MRSAの対策として,同月
10日から13日まで抗生剤タリビット1日1800mgを投与した。同月12日,
Dに発しんが認められたことから,同医師は,同月13日,発しんが抗生剤による
ものと疑い,タリビットの投与を中止した。しかし,同月16日,Dの発しんは全
身に拡大した。同月18日,同医師は,Dの症状をMRSAによるアレルギー性じ
ん不全,皮しんと診断し,同日から同月25日までバクタ1日8gを,同月18日
から22日までミノマイシン1日100mgを,それぞれ投与した。同月24日,D
に黄だんが出現した。同月25日,同医師らは,Dの肝機能が低下していると診断
して,バクタの投与を中止した。同月26日,Dの心拍数は高く,血圧は低く,心
機能は低下し,また,胃部から出血が確認された。同月29日,Dの肺機能が低下
し,頻呼吸になった。同月31日,Dは,多臓器不全により死亡した。
 3 原審は,上記事実関係の下において,要旨次のとおり判断して,F医師らの
抗生剤の使用に過失があったとは認められないとして,上告人らの請求を棄却すべ
きものとした。
 (1) F医師らは,広域の抗生剤である第3世代セフェム系のエポセリンやスル
ペラゾンを投与している。しかし,I(市立J病院副院長兼K大学医学部臨床教授)
の鑑定意見書(甲12号証の3)や意見書(甲14号証の1)(以下,両意見書を
併せて「I意見書」という。)が,時には経験的に広域の抗生剤を大量に使用する
必要性も生じるものの,総じて第3世代セフェム系への依存が強すぎるとしている
ことに照らすと,その当否はともかく,当時の臨床医学においてはF医師らと同様
に第3世代セフェム系抗生剤を投与するのがむしろ一般的であったことがうかがわ
れる。また,L(M病院院長,前N研究所感染症研究部教授)の鑑定意見書(乙1
9号証の2,以下「L意見書」という。)も,F医師らが臨床的に呼吸器感染を疑
ってエポセリンを投与したことは妥当な選択であり,緑のう菌の対策としてスルペ
ラゾンを投与したことも妥当であるとしている。さらに,鑑定人O(P大学医学部
教授(感染症学))の鑑定書及び鑑定書(補充)(以下,両鑑定書を併せて「O鑑
定書」という。)も,エポセリンやスルペラゾンの投与が特に鑑定事項とされてい
なかったことから,個別的な当否について触れていないものの,抗生剤の投与全体
の中で特に問題があったとはしていない。そうすると,F医師らが第3世代セフェ
ム系抗生剤のエポセリンやスルペラゾンを投与したことに過失があったとは認め難
い。
 (2) F医師らは,2月1日ころの時点で,バンコマイシンを投与していない。
確かに,O鑑定書には,F医師らが上記時点でバンコマイシンを投与していれば,
もっと早くDの便からMRSAが消失していた可能性があったとする部分がある。
しかし,O鑑定書は,MRSAの保菌者に対する安易なバンコマイシンの使用につ
いては,バンコマイシンに対する耐性菌を生み出し,その後の耐性菌に対する治療
が深刻な問題になる危険をはらんでいるとした上で,F医師らの投与したミノマイ
シンとバクタによっても,時間を要したものの,Dの便からMRSAが消失したと
いう臨床経過が認められるのであるから,同医師らの処置が不適切であったとまで
は断定できないとしている。また,I意見書やL意見書も,F医師らが上記時点で
バンコマイシンを投与していないことを問題としていない。そうすると,F医師ら
が上記時点でバンコマイシンを投与していないことに過失があるということはでき
ない。
 (3) F医師らは,Dの入院期間中,多種類の抗生剤を投与している。確かに,
L意見書には,F医師らの抗生剤の使用には,部分的に問題のあるものもあり,や
や多用された感があるとする部分がある。しかし,I意見書は,実情としては多種
類の抗生剤を投与することが当時の医療現場においては一般的であったとしている。
また,O鑑定書も,F医師らが多種類の抗生剤を投与したことを問題にしていない。
さらに,L意見書も,F医師らの抗生剤の使用は,全体としては当時の医療レベル
で許容範囲内のものであったとしている。そうすると,F医師らが多種類の抗生剤
を投与したことに過失があったとは認め難い。
 4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次
のとおりである。
 (1) 第3世代セフェム系抗生剤のエポセリンやスルペラゾンの投与について
 原審が,上告人ら提出のI意見書によっても,当時の臨床医学においてはF医師
らと同様に第3世代セフェム系抗生剤を投与するのがむしろ一般的であったことが
うかがわれるとした上で,L意見書及びO鑑定書に基づいて,F医師らが第3世代
セフェム系抗生剤のエポセリンやスルペラゾンを投与したことに過失があったとは
認め難いとしたことは,原判決の説示から明らかである。
 しかしながら,本件記録によれば,国立病院・国立療養所院内感染防止マニュア
ル作成委員会作成の院内感染防止マニュアル(甲1号証)には,第3世代セフェム
系抗生剤は,広域の細菌に対して強い抗菌力を有するものの,ブドウ球菌に対する
抗菌力が比較的弱いため,同抗生剤が濫用された結果,耐性を獲得したブドウ球菌
であるMRSAが選択的に増殖し,病院内で伝ぱするようになったという経過があ
ることに照らすと,MRSA感染症の発症を予防するためには,感染症の原因とな
っている細菌を正しく同定して,適切な抗生剤を投与すべきであり,第3世代セフ
ェム系抗生剤の投与は避けるべきであると記載されているし,I意見書やQ(R大
学医学部教授(細菌学教室))の意見書(追加)(甲25号証の1,以下「Q意見
書」という。)にもこれと同趣旨の記載があることからすると,当時の臨床医学に
おいては第3世代セフェム系抗生剤を投与するのがむしろ一般的であったことがう
かがわれるとしても,直ちに,それが当時の医療水準にかなうものであったと判断
することはできないものというべきである。
 この点について,L意見書には,F医師らが臨床的に呼吸器感染を疑ってエポセ
リンを投与したことは妥当な選択であり,緑のう菌の対策としてスルペラゾンを投
与したことも妥当であるとする記載部分があることは,原判決の説示するとおりで
ある。しかし,本件記録によれば,L意見書は,エポセリンやスルペラゾンがその
投与の時点で細菌に対する感受性を有していたことを指摘するにとどまるものであ
って,これらに代えて狭域の抗生剤を投与すべきであったか否かという点について
は検討をしていないことがうかがわれるのであり,同意見書が,被上告人提出のも
のであり,その内容について上告人らの尋問にさらされていないことも考慮すると
,安易に同意見書の結論を採用することは相当でない。したがって,L意見書に上
記記載部分があることをもって,F医師らが第3世代セフェム系抗生剤のエポセリ
ンやスルペラゾンを投与したことの過失を否定する根拠とすることはできない。
 そして,O鑑定書については,本件記録によれば,同鑑定書には,「抗生剤治療
には一部不適切な部分が認められる」,「1月6日の血液検査で・・・ケフラール
使用中にもかかわらず炎症反応が悪くなっていることから注射による抗生剤の治療
が必要と考えられるが,実際に注射が投与されたのは1月12日であり,選択した
薬剤も抗菌力はあるもののブドウ球菌に対して比較的弱いとされている第3世代に
属するエポセリンを選択している」など,F医師らが抗生剤として第3世代セフェ
ム系のエポセリンを選択したことが,当時の医療水準にかなうものではないという
趣旨の指摘をするものと理解できる記載があることがうかがわれる。
 そうすると,当時の臨床医学においてはF医師らと同様に第3世代セフェム系抗
生剤のエポセリンやスルペラゾンを投与することがむしろ一般的であったことがう
かがわれるというだけで,それが当時の医療水準にかなうものであったか否かを確
定することなく,同医師らが第3世代セフェム系抗生剤のエポセリンやスルペラゾ
ンを投与したことに過失があったとは認め難いとした原審の判断は,経験則又は採
証法則に反するものといわざるを得ない。
 (2) バンコマイシンの不使用について
 原審が,O鑑定書,I意見書及びL意見書に基づいて,F医師らが2月1日ころ
の時点でバンコマイシンを投与していないことに過失があるということはできない
としたことは,原判決の説示から明らかである。
 そして,O鑑定書には,MRSAの保菌者に対する安易なバンコマイシンの使用
については,バンコマイシンに対する耐性菌を生み出し,その後の耐性菌に対する
治療が深刻な問題になる危険をはらんでいるとした上で,F医師らの投与したミノ
マイシンとバクタによっても,時間を要したものの,Dの便からMRSAが消失し
たという臨床経過が認められるのであるから,同医師らの処置が不適切であったと
までは断定できないとする記載部分があることも,原判決の説示するとおりである。
 しかしながら,本件記録によれば,O鑑定書には,「抗生剤治療には一部不適切
な部分が認められる」,「Dは高齢で,かつ基礎疾患に脳こうそくがあるために寝
たきりの状態であること,1月28日のかくたんからMRSAが出ていること,1
月15日から下痢が続いていることからMRSA腸炎の存在を念頭に置く必要があ
る。2月3日に2月1日に検査したふん便からMRSAが証明された時点でバンコ
マイシンの経口投与を開始することの是非が検討されるべきと考える。治療として
バンコマイシンの経口投与を選択する理由としては以下に述べる理由が挙げられる。
①感染に対する抵抗力の弱い高齢者である。②既にかくたんからMRSAが検出さ
れている。③下痢を伴っており,MRSAの腸管の感染(保菌ではない)の可能性
がある。・・・⑤バンコマイシンを経口投与した場合に,この薬剤は腸管からの吸
収が悪く,未吸収の薬剤が高濃度に腸の中に存在することから腸内のMRSAに対
して効果が十分に期待できる。」,「理論的にはバクタはバンコマイシンに比べて
腸管からの吸収が良いことから腸管内のMRSAに対しての効果はバンコマイシン
ほどではないと考えられ,鑑定人としては第一選択薬としてはバンコマイシンを推
奨する」,「2月3日に便からMRSAが検出されていることが判明し,下痢が続
いていた時点でMRSA感染症と判断してバンコマイシンが使用されていれば,今
回の臨床経過に比べてより早く便からMRSAが消失したことが予想される。」,
「2月に抗MRSA薬を開始していれば結果が異なった可能性はある。」,「その
後MRSAの定着が抑制されれば死亡という最悪の事態は避けられたことも考えら
れる」など,F医師らが2月1日ころの時点でバンコマイシンを投与しなかったこ
とが,当時の医療水準にかなうものではないという趣旨の指摘をするものと理解で
きる記載もあることがうかがわれる。
 また,I意見書には,F医師らが2月1日ころの時点でバンコマイシンを投与し
ていないことを問題にする記載部分がないことは,原判決の説示するとおりである
が,本件記録によれば,同意見書には,上記時点のDの具体的症状をMRSA感染
症又はその疑い例に当たると評価すべきなのか,MRSAの保菌にすぎないと評価
すべきなのかについては触れられていないものの,MRSA感染症又はその疑い例
に対しては,平成5年当時も現在もバンコマイシンが第1選択薬であるのは世界的
な水準であり,そのこと自体には何らのしゅん巡も不要であるなどの記載もあり,
同意見書が,同医師らが上記時点でバンコマイシンを投与しなかったことについて
,当時の医療水準にかなうものであるという趣旨の指摘をするものであるか否かは
,明らかではないといわざるを得ない。したがって,I意見書に上記記載部分がな
いことをもって,F医師らが上記時点でバンコマイシンを投与しなかったことの過
失を否定する根拠とすることはできない。
 さらに,L意見書には,F医師らが2月1日ころの時点でバンコマイシンを投与
していないことを問題にする記載部分がないことは,原判決の説示するとおりであ
るが,本件記録によれば,同意見書は,同医師らが上記時点でバンコマイシンを投
与していないことに問題がなかったともしていないのであり,同意見書が,同医師
らが上記時点でバンコマイシンを投与しなかったことについて,当時の医療水準に
かなうものであるという趣旨の指摘をするものであるか否かは,明らかではないと
いわざるを得ない。したがって,L意見書に上記記載部分がないことをもって,F
医師らが2月1日ころの時点までにバンコマイシンを投与しなかったことの過失を
否定する根拠とすることはできない。
 【要旨】そうすると,O鑑定書,I意見書及びL意見書に基づいて,F医師らが
2月1日ころの時点でバンコマイシンを投与しなかったことに過失があるというこ
とはできないとした原審の判断は,経験則又は採証法則に反するものといわざるを
得ない。
 (3) 多種類の抗生剤の投与について
 原審が,上告人ら提出のI意見書によっても,実情としては多種類の抗生剤を投
与することが当時の医療現場においては一般的であったことがうかがわれるとした
上で,O鑑定書及びL意見書に基づいて,F医師らが多種類の抗生剤を投与したこ
とに過失があったとは認め難いとしたものであることは,原判決の説示から明らか
である。
 しかしながら,本件記録によれば,前記院内感染防止マニュアルには,MRSA
感染症の発症を予防するためには,科学的評価に基づく適正な種類の抗生物質のみ
を使用すべきであると記載されているし,I意見書やQ意見書にもこれと同趣旨の
記載があることからすると,実情としては多種類の抗生剤を投与することが当時の
医療現場においては一般的であったことがうかがわれるとしても,直ちに,それが
当時の医療水準にかなうものであったと判断することはできないものというべきで
ある。
 また,O鑑定書には,F医師らが多種類の抗生剤を投与したことを問題にする記
載部分がないことは,原判決の説示するとおりであるが,本件記録によれば,同医
師らが多種類の抗生剤を投与したことの適否については,鑑定事項とされなかった
ために,同鑑定書には,この点についての鑑定意見の記載がないことがうかがわれ
,同鑑定書に上記記載部分がないことをもって,同医師らが多種類の抗生剤を投与
したことの過失を否定する根拠とすることはできない。
 さらに,L意見書には,F医師らの抗生剤の使用が,全体としては当時の医療レ
ベルで許容範囲内のものであったとする記載部分があることは,原判決の説示する
とおりであるが,本件記録によれば,同意見書は,被上告人提出のものでありなが
ら,「4月初旬の計5種類の抗生物質併用は問題無しとは言えない。」,「使用意
義の理解できないものに3月27日∼4月5日のビクシリン,5月に行われたアザ
クタム,チェナム併用がある。前者は何を目標にしたのか不明であり,後者は抗菌
機序からみて併用する意味はない。」,「保険適応外の抗生物質を含んだ多剤投与
や・・・一部に無意味と思われる併用等,2,3の問題は残る。」,「Dさんに使
われた抗生物質をみるとやや“薬漬け”の感が無くはない」など,同医師らが必要
のない抗生剤を投与したことなどが,当時の医療水準にかなうものではないという
趣旨の具体的かつ批判的な指摘をするものと理解できる記載があることがうかがわ
れる。
 そうすると,実情としては多種類の抗生剤を投与することが当時の医療現場にお
いては一般的であったことがうかがわれるというだけで,それが当時の医療水準に
かなうものであったか否かを確定することなく,F医師らが多種類の抗生剤を投与
したことに過失があったとは認め難いとした原審の判断は,経験則又は採証法則に
反するものといわざるを得ない。
 5 以上のとおり,F医師らの抗生剤の使用に過失があったとは認められないと
した原審の判断には,経験則又は採証法則に反する違法があり,この違法が原判決
に影響を及ぼすことは明らかである。これと同旨をいう論旨は理由があるから,原
判決は破棄を免れない。そこで,F医師らの抗生剤の使用に過失があったかどうか
等について,更に必要な審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 津野 修 裁判官 滝井繁男 裁判官 今井 功 裁判官 中川
了滋 裁判官 古田佑紀)

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弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
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応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
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学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

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◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
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