弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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               主      文
1 被告が原告に対し平成9年3月28日付けでした労働者災害補償保険法による
遺族補償年金を支給しないとした決定及び同月25日付けでした同法による葬祭料
を支給しないとした決定をいずれも取り消す。
2 訴訟費用は,被告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
主文と同旨
2 被告
(1) 原告の請求を棄却する。
(2) 訴訟費用は,原告の負担とする。
第2 事案の概要
1 事案の要旨
原告は,夫であった亡A(以下「A」という。)が,自宅で左脳内出血(以下「本
件疾病」という。)を発症しその後死亡したことにつき,Aの本件疾病による死亡
は,同人の業務に起因するものであるとして,被告がした遺族補償年金及び葬祭料
の不支給決定の取消しを求めた。
これに対し,被告は,原告主張の業務起因性を否認し,Aが本件疾病を発症する前
に業務による明らかな過重負荷を受けていたということはできず,また,Aには本
態性高血圧症及び高脂血症といった基礎疾患を有しており,Aはこれらの基礎疾患
が自然的に増悪したために本件疾病を発症したのであり,本件疾病及びこれによる
Aの死亡は,同人の業務に起因するものであるということはできないから,被告の
した前記各不支給決定は適法であるとして争っている。
2 前提事実
以下の事実は,当事者間に争いがないか,証拠(甲1,4,5,15,乙2ないし
4,7,9,証人B,原告本人)及び弁論の全趣旨により容易に認めることができ
る。
(1) 当事者等
Aは,C(大正7年6月16日生)及びD(昭和8年9月23日生)の子として,
昭和29年4月2日出生した。
原告は,Aの妻である。
(2) Aの経歴及び業務内容等
Aは,昭和48年4月1日に日本電信電話株式会社(本件疾病発症当時の商号。以
下「NTT」という。)の前身である日本電信電話公社に入社し,和歌山西電報電
話局(昭和48年4月から昭和59年3月まで),近畿電気通信工事事務所(昭和
59年4月から昭和61年1月まで),関西ネットワーク支社(昭和61年2月か
ら昭和63年3月まで)の各勤務を経て,昭和63年4月から和歌山支社技術セン
タにおいて,電話回線の増設,変更等の必要から架線敷設工事を行うための設計図
面の作成,工程集計,物品要求(支給材料のリスト作成)積算(費用見積),工事
入札業者への説明等を行う線路技術設計担当の業務に従事し,平成3年4月から,
和歌山設備建設センタにおいて,引き続き線路技術設計担当の業務に従事してい
た。
(3) Aの病歴,基礎疾患等
ア Aの血圧の推移は以下のとおりである。
年月日    収縮期圧  拡張期圧   測定地等
(ア) 平成元年9月19日 146mmHg-90mmHg   職場定期検診
(イ) 平成2年1月25日 156mmHg-108mmHg  和歌山健康管理所
(ウ) 同年6月6日    152mmHg-100mmHg  職場定期検診
(エ) 平成3年6月10日 162mmHg-112mmHg  同上
(オ) 同年10月28日  184mmHg-110mmHg  職場巡回検診
(カ) 平成4年6月2日  196mmHg-119mmHg  職場定期検診
(キ) 同年7月27日   140mmHg-100mmHg  Y胃腸科・外科
                         医院
(ク) 平成5年6月1日  178mmHg-110mmHg  職場定期検診
(ケ) 同年9月20日   172mmHg-116mmHg  和歌山赤十字病院
                         (当時の名称)
                         精神科
(コ) 平成6年2月10日 180mmHg-136mmHg  Z胃腸病院
(サ) 同年5月27日   150mmHg-98mmHg   職場定期検診
(シ) 同年10月13日  154mmHg-94mmHg   職場巡回検診
イ Aは,昭和59年11月25日,和歌山生協病院において,マロリーワイス症
候群との診断を受け,同日から同月27日まで同病院に入院し,治療を受け,退院
後の同月30日まで通院治療を受けた。
Aは,平成4年7月27日,Y胃腸科・外科医院において,高血圧症と診断され
た。
Aは,平成5年9月20日,和歌山赤十字病院精神科において,不安神経症との診
断を受け,同日から平成7年1月31日まで同センターにおいて通院治療を受け
た。
Aは,平成6年2月10日,Z胃腸病院において,逆流性食道炎,表層性胃炎及び
十二指腸炎との診断を受けた。
ウ Aは,本件疾病発症当時(後記のとおり平成7年2月11日),40歳,身長
170センチメートル,体重62キログラムであった。
(4) Aの本件疾病発症前の業務内容の概要等
設備建設センタの線路技術設計担当部門は,平成7年2月当時,課長1名,主査1
0名,代務2名及び社員(Aを含む。)13名で組織されており,このうち,線路
設計業務を担当していたのは,Aを含む社員9名,主査2名及び代務1名であっ
た。
Aは,平成6年4月1日以降,積算期間を同年9月26日から同年10月18日ま
でとする箕島別館工事,積算期間を同月19日から同年12月14日までとする加
太別館工事,積算期間を同月15日から平成7年2月10日までとする山東別館工
事等26件の工事を担当した。他方,Aと同年代(平成6年度当時40歳ないし4
2歳)の社員4名の担当した平均の工事件数は24件であった。
(5) Aの本件疾病の発症及び死亡
Aは,平成7年2月11日午前8時30分ころ,自宅洗面所で倒れ,同日,半昏睡
状態で,和歌山赤十字病院救急救命センターに搬送され入院し,左脳内出血(本件
疾病)との診断を受け,同日,開頭血栓除去手術を受けた。
Aは,平成7年4月15日,本件疾病に起因するストレス性潰瘍による消化管出血
により死亡した。
(6) 原告による労災申請と同申請の却下等
原告は,被告に対し,平成7年9月18日,労働者災害補償保険法(以下「労災保
険法」という。)に基づき,遺族補償年金及び葬祭料の給付を請求したところ,被
告は,Aの本件疾病が業務が有力な原因となって発症したものとは認められないと
して,平成9年3月25日付けで葬祭料について,同月28日付けで遺族補償年金
について,それぞれ給付しないとの決定をし(以下,一括して「本件各決定」とい
う。),原告は,同月31日,本件各決定の通知を受けた。
原告は,本件各決定を不服として,和歌山労働者災害補償保険審査官に対し,平成
9年5月23日,審査請求をしたところ,同審査官Eは,平成9年12月18日付
けで,審査請求を棄却するとの決定をし,原告は,同月19日,上記決定の決定書
の送付を受けた。
原告は,前記決定を不服として,労働保険審査会に対し,平成10年1月8日,再
審査請求をしたが,同審査会は,平成13年3月29日付けで再審査請求を棄却す
るとの裁決をし,原告は,同年4月9日,上記裁決の裁決書の送達を受けた。
3 争点及びこれに関する当事者の主張
本件の争点は,Aの本件疾病発症及び死亡が同人の業務に起因するものであるかと
いういわゆる業務起因性の存否の点である。
(原告の主張)
Aの本件疾病の発症及びこれに基づく同人の死亡は,後記のとおり,同人の高血圧
症等の自然経過によるものではなく,異常な長時間労働及び担当業務が予定期間を
徒過したことを原因とする精神的緊張を伴う状況等の業務に起因する過重負荷要因
によることは明らかである。
(1) 業務の過重性
Aの雇用主であるNTTは,労働基準法に基づく雇用主の労働時間管理を怠り,実
際の残業時間,休日出勤を正式に記録する資料を残していなかった。また,和歌山
労働基準監督署もNTTの違法な労働時間管理の懈怠を放置していた。このような
雇用主及び労働基準監督署の怠慢の結果生じた被災者の実際の労働時間に関する主
張立証の困難を,被災者の遺族である原告の不利益に転嫁することは許されないと
いうべきである。したがって,被災者の職場内での労働時間に関する原告の立証責
任は軽減されるべきであり,①雇用主における過重労働を生み出す構造的問題に起
因する他の労働者の労働実態,②NTTがAの本件疾病発症後に行った支援措置,
③把握可能な一定期間における労働時間数,④原告及びAのNTTにおける同僚ら
の記憶等から,Aの労働時間さらには業務の過重性を確定しなければならない。
ア 過重労働を生み出すNTTの構造的問題と他の労働者の労働実態
 NTTが昭和60年4月1日に日本電信電話公社から民営化した後,Aが担当し
ていた線路設計業務の和歌山県内における担当者が3分の1から5分の1の人数に
削減された。その結果,業務の下請化によって全体の業務量は,2分の1程度に減
少したものの,1人当たりの業務量は,1.5倍ないし2.5倍に増加した。
その上,和歌山県内に15箇所あった設備建設センタが6箇所に削減されたため,
和歌山設備建設センタにおける現場調査の範囲も拡大した。
また,光ファイバーによる電話回線が開発されてからは,新しい工事施工方法と設
計方法,支給材料がめまぐるしく変化し,光ファイバー回線と従来のメタリックケ
ーブル回線を接続する新しい技術や使用材料の開発による新技術が次々に導入され
たため,従来の知識や技術では対応できず,常に新しい知識が設計積算業務に求め
られ,その結果,設計積算業務を一層過重なものにしていた。
以上のことから,NTTにおいては,平成5年ころから,会社が繁忙対策を打ち出
さなければ,設計積算要員が全力で稼働しても必要業務を消化しきれず,業務に支
障を来すおそれすら生じていた。
そして,現実問題として,Aばかりでなく,同人と同様に和歌山設備建設センタに
おいて線路設計を担当していた労働者らは,正規に発令された残業及び休日労働以
外に,記録されない残業,休日労働及び持ち帰り残業を恒常的に行っていた。
そして,このような恒常的な過重労働の中で,担当職員のうち1名は,めまいによ
り,平成6年12月28日から平成7年2月15日まで病休となり,同年3月20
日から同年4月11日まで入院した。また,うち2名は,胃潰瘍を患っていた。
Aも,このような過重労働の中に長期間置かれたことにより,本件疾病を発症した
のである。
イ NTTがAの本件疾病発症後に行った支援措置
Aが本件疾病を発症した後,NTTは,事態を重くみて,平成7年3月から,①担
当業務消化に必要な時間外労働については,申し出があれば発令し,規制を設けな
い,②和歌山設備建設センタ内の他の担当部署から線路設計業務への支援を行う,
③大阪第2設備建設センタへも支援の要請をする,といった措置をとった。これら
の措置から,Aが本件疾病を発症した平成7年2月当時の線路設計業務担当者1人
当たりの所定外労働時間を推計すると以下のとおりとなる。
(ア) 正規発令にかかる時間外労働の増加
線路設計業務担当者1人当たりの平成7年3月以前における正規発令にかかる時間
外労働の時間は,1か月当たり平均約8時間であった。しかしながら,これが,同
年4月から同年9月までの間においては,1人1か月平均17時間と増加した。こ
の数値は,線路設計業務担当者の人数12名を前提としたものであり,現実に残業
をしていたと思料される10名を前提とすると,1人1か月平均20.4時間の時
間外労働を正規発令を受けて行っていたことになる。
(イ) 和歌山設備建設センタ他部署からの支援者による業務消化量
和歌山設備建設センタの他部署所属の7名が,平成7年4月から,線路設計,積算
業務を行うようになった。この支援者7名の1か月平均の稼働日数は,75.2日
であり,正規の労働時間数に換算すると564時間となる。しかも,この7名は,
正規の残業発令を受けて時間外労働も行っており,1人当たりの1か月平均の残業
発令時間数は8.3時間であり,支援者7名の合計残業発令時間は,1か月平均5
8.1時間となった。したがって,支援者7名は,1か月平均622.1時間に相
当する労働を行っていたこととなり,これを従来の線路設計担当者12名で消化す
るとなると,1人1か月当たり51.8時間の時間外労働を行わなければならない
こととなり,さらに,前記(ア)のとおり,時間外労働を現実にしていたと思料され
るのが10名であることを前提とすると,1人1か月当たり62.21時間の時間
外労働が必要となったと推計される。
(ウ) 大阪第2設備建設センタからの支援者による業務消化量
大阪第2設備建設センタ所属の4名が,平成7年4月6日から同年5月19日ま
で,和歌山設備建設センタの支援に来て,業務を消化した。この4名の延べ稼働日
数は,101日であり,所定勤務時間数に換算すると,757.5時間となり,1
か月当たり505時間となる。これを本来和歌山設備建設センタに所属している1
2名で行うとなると,1人1か月当たり平均42.08時間の時間外労働をするこ
とによって,消化する必要があった。そして,現実に時間外労働をしていた10名
でこれを消化するとなると,1人1か月当たり50.5時間の時間外労働が必要と
なる。
(エ) 小括
以上のとおり,Aが本件疾病を発症した後に行われた和歌山設備建設センタの線路
設計業務に対する支援から,Aら正規の担当者がこれを所定時間外労働によって消
化していた時間を推計すると,1人1か月当たり133.11時間(前記(ア)ない
し(ウ)の合計)となる。
ウ Aの出勤時間
Aは,平日,毎朝午前6時30分ころ起床し,会社施設である和歌浦別館(以下
「和歌浦別館」という。)へ出勤する際(平成7年1月12日,13日,17日,
18日,19日,20日)は午前7時ころに自宅を出て,通常出勤する和歌山市宇
須所在の事務所(以下「宇須別館」という。)に出勤する際は午前7時30分ころ
に自宅を出て,いずれも自動二輪車で約10分で職場に到着して,勤務を開始して
いた。したがって,和歌浦別館では,午前7時10分ころから,宇須別館では午前
7時40分ころから就労していた。これは,Aが,前夜自宅で作成した文書や設計
図書を,和歌山設備建設センタに1台しかないレーザープリンタで出力するため,
誰よりも早く出勤する必要があったという合理的な理由に基づくものである。
エ Aの昼食休憩時間内の労働
所定の労働時間では,午後0時から午後1時までが昼食休憩時間とされていたが,
Aは,この休憩時間内も,食事の時間を除き,仕事をしていたのであり,食事時間
20分を控除した40分間の就労をしていたというべきである。
オ Aの職場における残業時間
所定労働時間では,午後5時10分終業とされていた。しかしながら,Aは,平成
7年2月1日(水曜日)は午後6時30分,同月2日(木曜日)は午後7時,同月
3日(金曜日)は午後6時,同月4日(土曜日)は午後7時,同月5日(日曜日)
は午後7時,同月6日(月曜日)は午後6時,同月7日(火曜日)は午後8時,同
月8日(水曜日)は午後7時,同月9日(木曜日)は午後8時,同月10日(金曜
日)は午後7時にそれぞれ帰宅しており,自宅と職場とは,自動二輪車で10分の
距離にあり,かつ,職場で着用している制服を着て通勤し,帰社後寄り道すること
もないから,前記帰宅時間の10分前まで職場で勤務していたということができ
る。
他方,平成7年1月におけるAの残業時間については,客観的な証拠はないが,恒
常的に時間外労働を行っていたものであり,その時間は概ね1日2時間程度であ
る。
カ Aの所定休日における労働
NTTでは,土曜日,日曜日,祝祭日及び振替休日が所定休日とされていたとこ
ろ,Aは,正月休み明けの平成7年1月4日から本件疾病を発症した日の前日であ
る同年2月10日まで,全ての所定労働日のみならず全ての所定休日にも出勤し,
38日間連続して就労していたものである。
そして,Aは,所定休日においては,午前9時ころ自宅を出て,午後4時から5時
ころ帰宅することが多かったことからすると,労働時間の算出に当たっては,午前
9時10分から午後5時までとして算出するのが相当である。
キ Aの自宅における残業(いわゆる持ち帰り残業)について
Aは,早く帰宅したときは,夕食までの間に制服のまま机に向かい図面を広げて仕
事をしており,夕食後も自室で仕事をしていた。夕食の時間が30分ないし1時間
程度であり,夕食は午後7時から午後7時30分ないし午後8時までであり,Aの
就寝時刻が早くても午後10時か11時ころであった。このことからすれば,A
は,帰宅後,就寝までの間に,食事時間及び入浴時間各30分ずつ並びに自宅での
労働時間が長期にわたる場合にはその間30分の休憩時間があることを見込んで,
帰宅後就寝までのその余の時間は,自宅で労働していたとみるべきである。このこ
とは,「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の業務起
因性判断のための調査票」(甲1の35頁ないし51頁)において,平成7年2月
1日に3時間,同月2日に5時間30分,同月3日に4時間,同月5日に3時間3
0分,同月6日に4時間30分,同月10日に2時間30分の労働をしたと算定し
ていることからも裏付けられ,この同月1日から10日まで10日間の平均労働時
間が2時間18分であることに照らすと,それ以前においても,1日2時間程度は
自宅において労働していたものとして労働時間を算定すべきである。
ク Aの本件疾病発症前1か月間の労働時間及び時間外労働の状況
前記ウないしキの事実にかんがみると,Aの本件疾病発症前1か月間の労働時間
は,別紙1のとおりであり,この31日間の総労働時間は,381時間となる。こ
れから,1週当たり40時間の所定労働時間の31日分に相当する177時間08
分を控除したAの31日間の時間外労働時間は,203時間52分となる。
これは,平成13年12月12日付け基発第1063号通達「脳血管疾患及び虚血
性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(以下「新認定
基準」という。)において,業務と発症との関連性が強いと評価できるとされる1
か月当たりの時間外労働時間100時間の2倍を超えるものである。
したがって,この時間外労働の時間からも,Aの本件疾病の発症及びこれによる同
人の死亡が,業務に起因することは明らかである。
また,前記ア,イのとおり,Aは,恒常的に133時間以上の残業を行っていたの
であり,このことからも,本件疾病の発症及び死亡が業務に起因することが裏付け
られるというべきである。
ケ 労働時間以外の業務の過重負荷要因
Aの業務は,以下のとおり,①精神的緊張を伴うものであった上,②不規則な勤務
であった。したがって,Aの労働は,その労働時間以上に過重な負荷を同人に与え
るものであった。
(ア) 精神的緊張を伴う業務
Aの山東別館の設計積算は,平成7年2月10日が完成期日とされていたが,同工
事の設計積算作業は予定どおり進捗せず,結果的に,その期限内に作業を完了する
ことができなかった。そのため,Aは,本件疾病を発症する同月11日に至るま
で,この設計積算作業を期限までに完成させようとし,また,期限を徒過したこと
による精神的な緊張を強いられた。
また,同年1月17日に発生した阪神淡路大震災により寸断された電話線の復旧作
業への応援派遣のため,和歌山設備建設センタ所属の線路技術設計担当職員も,同
月18日から同月27日までは1ないし3名が,同月30日からは5名が,同年2
月6日からは4名が,同月13日からは6名が派遣されることとなり,Aも同月2
0日から1週間の予定で派遣されることとなった。そのため,線路技術設計担当職
員の人数は,通常時よりも一時的に減少し,業務処理のために残された職員はAも
含めて相当繁忙な状況となっており,同人の応援が困難な状況の中,同人は困難な
業務を継続していた。
さらに,Aが行った加太別館工事及び山東別館工事は,Aが習熟していた光ファイ
バーを用いたものではなく,メタリックケーブルを用いたものであったため,作成
する工程調書や支給材料調書が全く異なるものとなった。そのため,Aは,不慣れ
な工事についての設計を強いられており,作業時間が増加するのみならず,精神的
緊張を強いられた。
(イ) 不規則な勤務状況
Aは,山東別館工事設計の作業期間中の平成7年1月9日,当初予定になかった加
太別館工事に関する監督引継書類の作成及び現場説明を行わなければならなくなっ
た。そのため,Aは,前記(ア)のとおり,山東別館工事の提出期限を遵守しなけれ
ばならないにもかかわらず,その作業を中断して,予定外の加太別館工事に関する
作業をせざるを得なかった。
また,同月11日から同月20日までの間,和歌浦別館において,コンピュータに
よる線路土木設計システム(以下「CAPS」という。)を用いた設計の研修を受
けるとともに,山東別館工事の設計図面をCAPSを用いて作成し,通常の設計図
書には添付しないユニットケーブル図も作成していた。Aは,この時初めてCAP
Sを使用したのであり,また,CAPSの処理速度が遅かったこともあり,AのC
APSを使用した作業は,通常の作業より時間がかかることとなった。
(2) 業務以外の本件疾病に対する危険因子の欠如
以下に述べる事実関係にかんがみると,Aの本件疾病は,同人の高血圧の自然経過
のみで発症したものとは考えられず,前記(1)で主張した過重労働によるストレスと
いう特別の状況が介在して発症したものであることは明らかである。
ア Aが高血圧症であったとの指摘について
Aの血圧の推移は,前提事実(3)アのとおりであるところ,これらの数値は,検査と
いうある程度被験者が緊張する中で行われるものであり,本来の数値よりも少し高
い数値が出る傾向があるので,これらの数値が必ずしもAの本来の血圧を反映して
いるとは限らない。
また,Aの本件疾病発症に近接する時期である平成6年10月13日及び同年5月
27日における血圧の数値は,いずれも軽症高血圧の範囲内にあった。さらに,A
に本件疾病発症後においても,右心房への負荷は著明でなく,心筋の動きは良好で
あり,左室肥大がないこと,網膜動脈のびまん性及び局所性の狭小化の所見は認め
られず,微量タンパクの所見もなく,血清クレアチニン数値も正常値の範囲内にあ
ることに照らすと,Aは,臓器障害の他覚的徴候の明らかでない第Ⅰ期の高血圧に
すぎなかった。そして,この程度の高血圧であれば,自然的経過のみで40歳とい
う若年で本件疾病を発症することはあり得ない。したがって,Aの本件疾病は,高
血圧症に起因するものということはできない。
イ Aの飲酒状況について
Aは,1週間に5日程度飲酒し,その量は,缶ビール2本程度であった。そして,
少量のアルコール摂取は,ストレスを除去する効果があり,血圧に悪影響を及ぼす
ことはない。
したがって,Aが飲酒していたことが,同人の血圧上昇を招き,本件疾病を発症さ
せたということはできない。
ウ Aの喫煙について
Aは,1日当たり煙草を約20本吸っていた。しかし,大量の喫煙により血圧が一
過性に上昇することはあるものの,喫煙が高血圧の原因となるかという点は,現在
のところ明らかとはなっていない。また,Aは,本件疾病発症当時,40歳と若年
であり,この年齢であれば血管に弾力性があることからすれば,Aの喫煙量が,た
とえ1日当たり30本程度であったとしても,これにより,同人の血圧が,自然的
経過を超えるほどの悪影響を与えるとは考えられない。
エ Aの遺伝的素因について
Aの両親であるC及びDは,健康に日常生活を送っており,高血圧による身体的な
症状はない。また,Aの兄弟にも高血圧症の所見はない。したがって,Aには高血
圧の遺伝的素因はなく,かえって,特段の事情がない限り,Aも両親と同じ年齢く
らいまで長生きしたということができる。
オ Aに高脂血症ないし肝機能障害の所見が見られたことについて
高脂血症は,脳出血の負の危険因子であり,Aが高脂血症であったことが本件疾病
の原因となったとは考えられない。
他方,Aの肝機能については,その指標であるγ-GTPが,平成元年9月19日
においては,135,平成2年1月25日においては,199,同年6月6日にお
いては96といずれも高値を示しているが,同年1月25日から同年6月6日まで
の間に,その数値は半減しており,肝機能の回復傾向が窺える。また,肝機能の主
要な指標であるGOTの数値は,平成元年9月19日において15単位,平成2年
6月6日においては11単位,GPTの数値は,平成元年9月19日において11
単位,平成2年6月6日においては6単位といずれも正常値を示している。したが
って,Aの肝機能に異常があり,これが本件疾病を発症させたということはできな
い。また,Aの肝機能の数値は,いずれも本件疾病発症から5年ないし6年以上前
のものであり,Aの肝機能がその後さらに改善された可能性もある。したがって,
Aの肝機能の数値が仮に異常所見であるとしても,これを基礎として,Aに本件疾
病発症当時肝機能障害があったということはできない。
カ Aの薬物服用
Aは,和歌山赤十字病院精神科から処方された精神安定剤であるセパゾン,レキソ
タン及びコンスタン,消炎剤であるメフェナム酸,慢性肝疾患の治療薬であるEP
L,高脂血症,心身症の治療及び抑うつ剤として機能するハイゼット並びに血清脂
質改善薬パントシンを服用していたが,血圧降下剤を全く服用していなかった。し
たがって,血圧降下剤を服用していた者がこれを中止した場合に生ずる血圧上昇と
いう事態がAに生ずることはなかった。
(被告の主張)
本件疾病のような負傷によらない脳血管疾患が業務に起因するものといえるために
は,疾病と業務との条件関係が,確立した医学的知見に照らし,明白なものである
ことを要するのみならず,その傷病等が業務に内在する危険が現実化したものであ
るという相当因果関係があることを要するところ,以下に述べるとおり,Aが従事
していた業務は,過重なものではなく,本件疾病発症の危険が内在していたものと
いうことはできず,かえって,本件疾病は,Aの業務外の私的な危険因子が現実化
したものにほかならない。したがって,Aの本件疾病と業務との間には,相当因果
関係のみならず条件関係もないから,本件疾病の発症が,Aの業務に起因したもの
ということはできない。
(1) Aの本件疾病発症前の勤務状況が過重なものとはいえないこと
ア 発症前1週間の業務従事の状況が過重なものではないこと
(ア) 労働時間及び睡眠時間
a Aの平成7年2月1日から同月10日までの間における出退勤時刻は以下のと
おりである。これにNTT和歌山設備設計センタにおける所定の労働時間が,月曜
日から金曜日まで(祝祭日を除く。)の午前8時30分から午後5時10分までと
され,昼食休憩時間が1時間とされていたことを併せると,Aの本件疾病発症前1
週間(同月4日から同月10日まで)において,法定労働時間(週40時間)を超
過する労働時間は,20時間30分にすぎない。
これに対し,原告は,Aが,①平日は午前7時30分から勤務していた,②昼食休
憩は20分しかとっていなかった③帰宅後も自宅において仕事をしていたと主張す
るが,これを認めるに足りる証拠はないし,これらの時間はいずれも使用者の指揮
命令が及ばない時間であるから,Aに過重な負荷があったかどうかという観点から
基準となる労働時間において,その時間に算入することは許されない。
日(平成7年2月) 出勤時刻(午前)   退勤時刻(午後)
 1日(水曜日)  8時30分       6時
 2日(木曜日)  8時30分       6時30分
 3日(金曜日)  8時30分       5時30分
 4日(土曜日) 10時          6時30分
 5日(日曜日) 10時30分       6時30分
 6日(月曜日)  8時30分       5時30分
 7日(火曜日)  8時30分       7時30分
 8日(水曜日)  8時30分       6時30分
 9日(木曜日)  8時30分       7時30分
10日(金曜日)  8時30分       6時30分
b また,平成7年2月1日から同月11日までの間におけるAの睡眠時間は,以
下のとおりであり,この間の平均睡眠時間は約8時間となるから,前記aで述べた
Aの時間外労働による疲労は,この睡眠により回復しており,疲労の蓄積は生じて
いないというべきである。
就寝日時(平成7年2月) 起床日時(同月)   睡眠時間 
1日午後11時2日午前6時30分  7時間30分
3日午前2時       3日午前6時30分  4時間30分
3日午後11時      4日午前8時     9時間
5日午前0時30分    5日午前9時     8時間30分
5日午後11時30分   6日午前6時30分  7時間
6日午後11時      7日午前6時30分  7時間30分
7日午後8時30分    8日午前6時30分 10時間
8日午後7時30分    9日午前6時30分 11時間
9日午後8時      10日午前5時30分  8時間
(ただし,9日午後10時から午後11時までの間は起床)
11日午前0時30分  11日午前8時30分  8時間
(イ) 負荷要因となるような作業の遅滞の不存在
Aが本件疾病発症まで担当していた山東別館工事については,平成7年2月1日か
ら同月3日までの間,主査2名が設計作業の応援をし,Aの本件疾病発症当時,図
面作成及び工程算出集計作業は完了しており,残工程としては,所要期間2日程度
の最終確認と工事設計書及び契約要求書の決裁が残っている程度であった。
したがって,Aの作業が大幅に遅れていたということはできず,これが同人に対し
精神的緊張を強いるなど過重な負荷を与えるものであったとは考えられない。
(ウ) 阪神淡路大震災後の復旧支援業務の影響
Aは,平成7年2月20日から,阪神淡路大震災の復旧支援業務に出張する予定で
あったが,前記(イ)のとおり,同人の山東別館工事に関する業務は,本件疾病発症
当時において,あと2日程度で完了する段階に至っていたのであり,同人がその後
作業を継続していたとしても,出張に出発する約1週間前には作業を完了していた
と考えられる。したがって,Aの前記出張予定が同人に対し精神的緊張を強いるな
ど過重な負荷を与えるものであったとは考えられない。
イ 長期間に過重な業務に就労しなかったこと
(ア) 負荷要因となる労働時間ではないこと
Aの法定労働時間数である1週40時間を超える時間外労働時間数は,以下に述べ
るとおり,本件疾病発症直前1か月間においては64時間50分,直前2か月ない
し6か月間においては,24時間43分ないし42時間25分であり,新認定基準
に照らしても,業務と発症との関連性は弱いというべきである。
a Aは,阪神淡路大震災発生以前において,仕事は忙しくなく,通常の業務に通
常の状態で勤務していたものであり,作業日報投入帳票等に記録されているほかを
除き,休日労働をしていなかった。
b Aの1日の所定労働時間については,午前8時30分から午後5時10分の7
時間40分労働とされていたが,始業開始前及び退勤時において一定時間自主的に
就業していたことが窺われるものの,その時間数は,本件疾病発症前1か月におい
て,多くとも1日当たり所定労働時間7時間40分を超えて2時間程度であったと
みられる。
発症前2か月ないし6か月の期間についても,発症前1か月より時間外労働が多か
ったとする根拠はなく,発症前2か月ないし6か月の間においても,1日当たり,
所定労働時間7時間40分を超えて多くとも2時間程度であったとみられる。
c Aが帰宅後も自宅で業務を行っていたとの原告の主張は,前記ア(ア)aのとお
り,これを考慮することはできない。
d 発症前3週間(阪神大震災発生以後の期間)は,発症前1週間と同様の勤務状
況にあったとみて,発症前1週間の労働時間数を基準に計算し,その他の期間にお
ける1週間当たりの労働時間数は,所定労働時間と時間外労働時間の合計に出勤日
数を乗じた時間数により計算をするのが相当であり,これによって計算した結果
は,別紙2のとおりである。
以上のようなAの労働時間に,同人が1日8時間程度の睡眠を確保していたこと,
平成6年度において,同年8月12日から同年9月25日までの間は工事の予定が
なく,正規の休日以外に年次休暇の取得もしていたことを併せると,Aの業務が特
に過重であったということはできない。
(イ) 負荷要因となる勤務体制ではないこと
原告は,設計積算期間がサービス残業を前提に設定され,構造的に時間外労働及び
休日労働を生み出す勤務体制になっていた旨主張する。
しかし,各工事に要する標準的な労働時間の総枠である総稼働時間数は,Aが行っ
た佐田別館工事,天野別館工事,龍神別館工事,明神別館工事,高城別館工事,清
川別館工事及び太田別館工事(以下これらを総称して「佐田別館工事等」とい
う。)については834時間(併行作業のため合算),箕島別館工事については1
01時間10分,加太別館工事については266時間10分,山東別館工事につい
ては236時間40分であるのに対し,Aがこれら各工事に従事した設計積算期間
のうち休日等を除いた所定労働日数に1日の所定労働時間7時間20分を乗じた所
定労働時間は,佐田別館等工事については981時間20分,箕島別館工事につい
ては122時間40分,加太別館工事については314時間20分,山東別館工事
については276時間となっており,いずれも所定労働時間数が総稼働時間数を上
回っていることから,総稼働時間数が所定労働時間数よりも少なく設定されてお
り,サービス残業を前提とはしていないことは明らかである。
また,Aは,平成6年8月12日から同年9月25日までの間は工事を担当してお
らず,正規の休日以外に年次休暇の取得もしていたのであって,構造的に時間外労
働及び休日労働を生み出す勤務体制になっていたとは到底いえない。
(ウ) 負荷要因となるような業務の併行がなかったこと
原告は,Aが山東別館工事関係の業務と加太別館工事関係の業務とを併行してお
り,これが業務の過重をもたらした旨主張する。
しかし,Aの加太別館工事関係の業務は,平成6年12月14日で実質的に終了し
ており,その後は平成7年1月9日に4時間の現場説明等を行ったのみである。し
たがって,業務の併行があったとしてもごく短時間にすぎず,過重な業務であった
ということはできない。
(エ) 負荷要因となるような不慣れな業務に従事していなかったこと
原告は,山東別館工事がAに不慣れなメタリックケーブルの設計業務であり,業務
の過重をもたらした旨主張する。
しかし,Aは,平成5年度及び平成6年度において,少なからぬ件数のメタリック
ケーブル系の工事を担当していること,メタリックケーブル系の工事と光ファイバ
ー系の工事とで基本は変わらないこと,Aが線路設計を幅広く理解しており,山東
別館工事も従来の工事と同程度のものであったことに照らすと,山東別館工事がA
に業務の過重をもたらしたということはできない。
(2) Aの本件疾病の発症が業務外の私的な危険因子の現実化であること
以下のとおり,Aは,高血圧症の基礎疾患を有し,医師から治療を指示されていた
にもかかわらず,これを遵守しなかっただけでなく,飲酒及び喫煙を続けた結果,
動脈硬化等の血管病変を進行させ,その自然経過の中で本件疾病を発症するに至っ
たものというべきである。
ア 高血圧症の存在
Aの血圧(前提事実(3)ア)は,平成3年6月10日から平成6年2月10日までの
間(ただし,平成4年7月27日を除く。)においては,重症高血圧に該当する数
値であり,平成2年1月25日,同年6月6日及び平成4年7月27日において
は,中等症高血圧に該当する数値であり,平成元年9月19日,平成6年5月27
日及び同年10月13日においては,軽症高血圧に該当する数値であった。したが
って,Aは,中等症高血圧から重症高血圧に該当する高血圧症であったということ
ができる。また,Aの高血圧症は,原因疾患が特定できない本態性高血圧症の可能
性が高いものであった。
そして,重症高血圧は脳血管疾患発症の高リスクが,中等症高血圧は糖尿病以外の
危険因子がある場合には脳血管疾患の高リスクがあるとされている。また,脳出血
は,その大部分が高血圧を原因とする高血圧性脳出血であるところ,高血圧性脳出
血の発症部位は,被殻が40ないし50パーセント,視床が10ないし30パーセ
ントである。
以上によれば,Aは,長期間にわたり重症ないし中等症の高血圧の状態にあったの
であり,本件疾病の発症部位が高血圧性脳出血の多発部位である左被殻であること
からすると,本件疾病は,高血圧性脳出血の可能性が高いということができる。
イ 飲酒及び喫煙という生活習慣の存在
飲酒には血圧を上げる効果があり,血液凝固能や線溶系の変化,脳血管の収縮によ
る脳血流の低下など多彩な作用機序を介して脳血管疾患や動脈硬化の危険因子とな
るところ,アルコール摂取量と脳出血発症率との関係をみると,脳出血発症率は,
飲酒レベルの上昇とともに増加し,1日当たり日本酒1.5合未満の少量飲酒のレ
ベルでも有意に高いという調査結果がある。また,喫煙についても脳出血について
の危険因子になるとされている。
しかるに,Aは,飲酒を好み,ほぼ毎日晩酌をしていたのであり,その飲酒量は,
平成5年9月20日当時において,1日当たり2合,本件疾病発症当時において1
日当たり水割り4ないし5杯と相当の量であった。
第3 争点に対する判断
1 認定事実
前提事実(1)ないし(5)のほか,証拠(甲1ないし3,10ないし14,18,乙
2,3,6,9,10,証人B,同F,原告本人)によれば,以下の事実が認めら
れる。
(1) NTT和歌山設備建設センタにおける勤務形態等
ア 勤務形態
  NTT和歌山設備建設センタにおいては,所定の始業時刻は午前8時30分,
所定就業時刻は午後5時10分とされ,午後0時から1時までの1時間が所定の休
憩時間とされていた。また,毎週土曜日及び日曜日並びに祝祭日は所定休日とされ
ていた。
従業員の出退勤の管理については,出勤簿,タイムカードといった客観的な資料を
作成する方法はとられておらず,朝礼を実施し,管理者によって確認及び把握を行
うこととされていた。
イ 労働時間の状況
労働者の時間外及び休日労働については,NTT和歌山設備建設センタとZ労働組
合和歌山支社分会との間の労使協定により,同センタに勤務する者は,上記協定の
範囲内で超勤命令を受ける勤務体制となっていた。そして,上記労使協定は,年間
の総労働時間を1800時間とすることを目標としており,使用者が発令する残業
時間を1か月当たり18時間以内に抑えることとされていた。そのため,管理職
(課長)は,労働者から業務の都合による残業の申し出があった場合でも,上記労
使協定の範囲内でのみ,残業を承認するのみであり,勤務表及びメンテナンスコス
トに記載される残業時間もこの承認された残業時間のみである。
しかしながら,職員は,管理職から承認を受けた残業時間及び休日出勤のみでは担
当業務を消化しきれない場合,承認を受けることなく自主的に残業,休日出勤又は
業務を自宅に持ち帰って行ういわゆる持ち帰り残業を行うことが多かった。
ウ 和歌山設備建設センタ線路技術担当課における業務の状況
和歌山設備建設センタ線路技術担当課課長は,NTT和歌山支店から工事契約に基
づく発注依頼を受けると,当該工事関係設計業務を同課の各担当者に割り当て,担
当者は,原則として,専任で,当該工事関係の設計業務を完成まで行うこととされ
ていた。
同センタ線路技術担当課においても,同センタの他部署と同様,工事設計完了日ま
でに作業を完了させる必要があるものの,各担当者において所定の労働時間内では
消化できないため,担当者の責任において,自主的に残業,休日出勤又は持ち帰り
残業が行われている実態であった。
平成7年1月17日の阪神淡路大震災の発生後は,兵庫県西宮市等の電話回線の復
旧のための業務支援として,課員が交代で出張することとなった。
(2) Aの勤務状況等
ア 業務内容及び業務量
Aは,和歌山設備建設センタ線路技術設計担当課に所属し,NTTが発注する工事
に関する設計,積算業務に従事していたものであり,主な業務は,①線路設計図面
の作成及び現場での測量作業,②工事請負に関する設計金額の積算,③支給材料の
算出,準備要求,在庫の処理といったものであった。
Aは,昭和63年4月から,線路技術設計の業務を担当していた。線路技術設計の
業務には,使用する回線のケーブルの種類に応じて,昭和62年から採用された光
ファイバー系の工事とそれ以前からのメタリックケーブル系の工事の2種類がある
ところ,Aは,平成5年度において,光ファイバー系の工事を20件,メタリック
ケーブル系の工事を5件担当し,平成6年度において,光ファイバー系の工事を2
3件,メタリックケーブル系の工事を6件担当していた。そのため,線路技術設計
を担当する同僚らは,Aを,業務経験は十分である一方,光ファイバー系の工事を
得意とするもののメタリックケーブル系の工事は不得手であると認識していた。
Aは,平成6年12月15日から平成7年2月10日までの予定で,山東別館の工
事に関する設計積算業務を担当していた。この山東別館の工事は,メタリックケー
ブル系の工事であった。
Aの山東別館工事の設計積算業務に遅れが生じ,同日までに設計書の完成が困難と
なっていたこと,Aが同月20日から阪神大震災の復旧支援のために西宮市に出張
することが決定されたことから,同月1日から3日までの間,主査2名(W,X)
が,Aの業務を手伝った。
Aは,山東別館工事に関する設計積算業務に着手する以前に,加太別館工事を担当
し,平成6年10月19日から同年12月14日までの間,同工事の設計積算業務
を行った。加太別館工事については,同月26日に見積書が提出され,同月27日
に請負予定業者との請負価格の交渉がされ,同月28日に工事請負契約が締結さ
れ,平成7年1月17日に着工された。
Aは,平成7年1月9日午後1時から午後4時まで,加太別館工事につき,監督員
を工事現場に案内し,工事の概要を説明した。Aは,同日ころ,加太別館工事に関
する業務を和歌山設備建設センタ線路技術設計担当課の主査Gに引き継いだ。
イ 本件疾病発症前10日間(平成7年2月1日から10日まで)の勤務状況
(ア) 所定労働日(平成7年2月1日から3日及び同月6日から10日)
a Aは,所定労働日においては,午前7時30分ころ自宅から出勤していた。そ
して,Aの自宅(原告の肩書き住居地)から宇須別館までの距離は,自動二輪車で
10分ないし15分程度のものであり,Aは,遅くとも,午前7時50分までには
同別館に到着し,前日までに作成した設計図書や書類等を印刷して検討するなどの
業務を始めていた。
b Aは,午後5時10分の終業時間後,同課課長の承認を得ずに残業をしてお
り,平成7年2月1日は午後6時まで,同月2日は午後6時30分まで,同月3日
は午後5時30分まで,同月6日は午後5時30分まで,同月7日は午後7時30
分まで,同月8日は午後6時30分まで,同月9日は午後7時30分まで,同月1
0日は午後6時30分まで,それぞれ勤務に従事していた。
c Aは,帰宅後も自宅において山東別館工事の設計書の作成等設計積算作業をし
ており,平成7年2月1日には午後7時30分ころから午後10時ころまで(約2
時間30分),同月2日には午後8時ころから午後10時ころまで(約2時間)及
び午後11時ころから翌日(同月3日)午前2時ころまで(約3時間),同月3日
には午後7時30分ころから午後10時30分ころまで(約3時間),同月6日に
は午後8時30分から午後11時ころまで(約2時間30分),同月10日には午
後8時ころから午後10時ころまで(約2時間),それぞれ持ち帰り残業(合計約
15時間)をしていた。
(イ) 所定休日(平成7年2月4日及び同月5日)
Aは,平成7年2月4日,午前9時ころ自宅から宇須別館に出勤し,遅くとも午前
9時20分ころから午後6時30分ころまで同別館で山東別館工事の設計書作成等
の設計積算作業を行い,同月5日,午前10時ころ自宅から同センタに出勤し,遅
くとも午前10時20分ころから午後6時30分ころまで同センタで同工事の設計
書作成等の作業を行っていた。
Aは,同日,午後8時30分ころから午後11時ころまで(約2時間30分),自
宅において,山東別館工事の設計書作成等設計積算作業を行っていた。
ウ 本件疾病発症1か月前(平成7年1月12日)から同月31日までの勤務状況
(ア) 平成7年1月21日から同月31日まで
a 所定勤務日(平成7年1月23日から27日まで並びに同月30日及び31
日)
Aは,前記イ(ア)a認定のとおり,所定労働日においては,午前7時30分ころ自
宅から出勤し,遅くとも午前7時50分から業務を開始していた。また,Aは,午
後5時10分の終業時間後,同課課長の承認を得ずに,連日1時間ないし2時間の
残業をしていた。
b 所定休日(平成7年1月21日,22日,28日及び29日)
Aは,平成7年1月21日(土曜日),同月22日(日曜日),同月28日(土曜
日)及び同月29日(日曜日)の4日間の所定休日において,午前9時ころ自宅か
ら宇須別館に出勤し,遅くとも午前9時20分ころから少なくとも午後4時ころま
で山東別館工事の設計書の作成等の設計積算作業をしていた。
(イ) 平成7年1月12日から同月20日まで
a 所定勤務日(平成7年1月12日,13日,同月17日から20日まで)
Aは,平成7年1月11日午後から同月20日までの間,CAPSを使用した設計
書作成の研修を受けることとなり,同月12日及び同月13日並びに同月17日か
ら同月20日までの間,和歌浦別館において,研修を受けるとともに,CAPSを
使用して,山東別館工事に関する設計書を作成するなど設計積算業務に従事した。
Aは,この時初めてCAPSを使用した。そのため,Aの作業は,通常よりも時間
を要することとなった。
Aは,この間,連日,午前7時ころ自宅から出勤していた。そして,Aの自宅から
和歌浦別館までの間は,自動二輪車で10分ないし15分の距離であり,Aは,遅
くとも午前7時30分ころから設計書の作成等の作業に従事し,同月13日は午前
8時24分から午後5時16分まで,同月17日は午前8時35分から午後5時3
6分まで,同月18日は午前8時5分から午後6時51分まで,同月19日は午前
7時59分から午後5時44分まで,同月20日は午前8時18分から午後6時5
分まで,CAPSの研修を受けつつ,自らCAPSを使用して山東別館工事の設計
書を作成した。
また,Aは,終業時刻の午後5時10分以降約1時間程度,CAPSの担当職員に
対し,CAPSの使用方法等について,質問をしていた。
b 所定休日(平成7年1月14日から16日まで)
Aは,平成7年1月14日(土曜日)の所定休日において,午前9時ころ自宅から
宇須別館に出勤し,遅くとも午前9時20分ころから少なくとも午後5時30分こ
ろまで山東別館工事の設計書の作成等の作業をし,午後6時ころ帰宅した。Aは,
同日,子であるHの中学校入学試験の試験開始に先立ち同女を激励し,試験終了後
にその労をねぎらうため,同センタから自動二輪車で約20分の距離にある入試会
場へ出かけた。
Aは,同月15日(日曜日・祝日)の所定休日において,午前8時ころ,Hを中学
校入試の会場へ送った後,午前8時30分ころから少なくとも午後1時30分ころ
まで,宇須別館で,山東別館工事の設計書の作成等の設計積算作業をし,同日午後
2時ころ,同女の中学校入学試験の面接試験に出席するため,帰宅した。Aは,こ
の日,昼食をとらなかった。
Aは,同月16日(月曜日・振替休日)の所定休日において,午前9時ころ自宅か
ら宇須別館に出勤し,遅くとも午前9時20分ころから少なくとも午後4時ころま
で山東別館工事の設計書の作成等の設計積算作業をしていた。
エ 本件疾病発症前1か月より以前の勤務状況
Aは,平成6年12月29日から平成7年1月3日まで,年末年始に伴う休日を経
て,同月4日から勤務を開始した。
Aは,平成6年中において,午前7時30分ころ自宅から宇須別館に出勤し,遅く
とも午前7時50分から業務に従事し,概ね午後6時ころには帰宅していた。
オ 本件疾病発症時の状況及びその前後の事実関係
(ア) Aは,平成7年2月7日夜,原告に対し,自宅で頭痛を訴え,同月10日夜
も,Hに対し,頭痛を訴えた。また,Aのいびきの音が,同月7日の同人就寝時か
ら大きくなった。
(イ) Aは,平成7年2月11日,午前8時30分ころ起床し,NTT和歌山設備
建設センタで山東別館工事の設計書作成等の作業を完成させるために,出勤の準備
をしていたところ,午前8時40分ころ,自宅洗面所で倒れた。そして,Aは,午
前9時47分ころ,意識障害(半昏睡)下で,救急車で和歌山赤十字病院に搬送さ
れ,CT検査の結果,左被殻に出血が認められたことから,同日,開頭血腫除去術
を受けた。原告は,同日,同センタ線路技術設計担当課課長のIに対し,Aが入院
した旨の連絡をした。
(ウ) Iは,原告に対し,平成7年2月13日,Aの山東別館工事に関する資料を
渡すよう要求し,原告は,これをIに渡した。
(エ) 山東別館工事の設計積算作業は,Aの本件疾病発症当時,図面作成及び工程
算出集計作業は完了しており,最終チェック並びに工事設計書及び契約要求書の決
裁が残っている段階であり,概ね2日程度で作業が完了する状態にあった。
(3) Aの本件疾病発症以前の健康状態
Aの血圧の推移のほか(前提事実(3)ア),Aの本件疾病発症以前の健康状態は,以
下のとおりである。
ア Aは,昭和59年11月24日,ウイスキーの水割りを5ないし6杯飲み,翌
25日朝,嘔吐し,その吐物に血液が混入していること及び黒色便を認めたことか
ら,同日,和歌山生協病院を受診し,マロリーワイス症候群との診断を受け,同日
から同月27日まで入院加療を受け,同月30日に治癒した。同病院における検査
では,γ-GTPが61と高値を示している以外は全て正常範囲にあり,Aに特段
の基礎疾患ないし既往症は認められなかった。
イ Aが,平成元年9月19日の定期検診を受けたところ,同人のγ-GTPが1
35,中性脂肪が515,脂質に関するβ-リポ蛋白が841とそれぞれ異常値を
示したが,それ以外は正常範囲内の数値であった。また,心電図検査では,左室肥
大とされた。
ウ Aが,平成2年1月25日,NTT和歌山健康管理所において精密検査を受け
たところ,γ-GTPが199と異常値を示した。
エ Aが,平成2年6月6日の定期検診を受けたところ,γ-GTPが96,中性
脂肪が253とそれぞれ異常値を示したが,それ以外は正常範囲内の数値であっ
た。また,心電図検査では,左室肥大とされた。
オ Aは,自覚症状は特になかったものの,NTTの定期検診で高血圧といわれる
ようになったことから,平成4年7月27日,血圧の測定及び薬の処方を求めて,
Y胃腸科・外科医院を受診した。同医院院長Y医師は,同日,Aが持参した検査結
果を基礎に,高血圧症と診断し,食餌内容の改善,たばこ,飲酒の減量を指示する
とともに,血圧降下剤を処方した。また,前記Yは,Aの示した検査結果からは,
肝機能障害及び高脂血症の所見もみられた旨述べている。Aは,同医院を一度しか
受診しなかった。
カ Aは,平成5年9月20日,緊張場面での赤面,心悸亢進及び視力障害を訴え
るとともに,不安不眠の自覚症状があったことから,和歌山赤十字病院精神科を受
診し,不安神経症との診断を受け,抗不安剤を処方された。Aは,この抗不安剤の
服用により,平成6年6月ころには,ほぼ前記症状が消失し,同年9月13日から
平成7年1月31日までの同病院への通院に際しては,薬の処方を受けるだけであ
った。
なお,Aは,同病院での初診に当たり,自己の飲酒量を1日当たり2合,喫煙量を
1日当たり30本と申告していた。
キ Aは,平成6年2月9日からしゃっくりと心窩部の疼痛を感じたことから,同
月10日,Z胃腸病院を受診し,血圧検査,胃内視鏡検査,心電図検査,胸部レン
トゲン検査,血液検査及び尿一般検査を受け,逆流性食道炎,表層性胃炎及び十二
指腸炎との診断を受け,消化器系の薬剤1週間分の処方を受けた。また,同医院に
おける血圧検査の結果,前提事実(3)ア(コ)のとおりであり,高血圧症の存在が窺わ
れ,また,血液検査の結果からは,高脂血症及び脂肪肝が窺われたが,心電図検査
を含むそれ以外の検査において,異常所見は認められなかった。Aは,同医院を一
度しか受診しなかった。
ク Aは,ほぼ毎日,夕食時に缶ビール2本程度を飲み,就寝前にウイスキー又は
焼酎の水割りを少量飲んでいた。そして,Aの酒量は,平成6年末ころから徐々に
増え始めた。
原告は,Aが本件疾病を発症し,和歌山赤十字病院に入院した際,同病院の看護師
に対し,Aの嗜好として,飲酒量を1日当たり水割り4,5杯,喫煙量を1日当た
り30本と申告した。
ケ Aは,前記オ認定のとおり,Y胃腸科・外科医院を受診した際,血圧降下剤の
処方を受けたが,これ以外に血圧降下剤を服用しておらず,NTT和歌山健康管理
所からは血圧降下剤の処方は受けておらず,同管理所からは高脂血症の治療薬とし
てEPL,ハイゼット及びパントシンの処方を受けていた。
Aが本件疾病発症当時において所持していたのは,前記EPL,ハイゼット及びパ
ントシンのほか,和歌山赤十字病院精神科から処方された抗不安剤コンスタン及び
解熱鎮痛消炎剤メフェナム酸であった。
コ Aは,本件疾病発症後の平成7年2月14日,和歌山赤十字病院で,心エコー
検査を受けたところ,右心系への負荷は明らかにみられず,心筋の動きは良好とさ
れ,異常所見は認められなかった。
(4) Aの本件疾病発症の原因に関する専門家の意見
ア Aの本件疾病を診断し治療したJ医師は,本件疾病は高血圧性の脳出血である
可能性があり,Aの死因となった消化管出血は,本件疾病によるストレス性潰瘍に
起因するものとの意見を述べている。
イ 和歌山労災基準局労災医員Kは,平成8年8月21日付けの意見書において,
身体的にストレスに反応しやすい不安神経症及び本態性高血圧の既往症を有してい
たAが,業務経験の浅い不慣れな設計作業を連日集中的に行った結果,過重負荷と
なり,高血圧性脳出血の発症を著しく早めたと述べた。
Kは,和歌山労働基準監督署事務官Lからの再度の意見聴取に対し,①本件疾病
は,既往の高血圧症及び高脂血症を基盤とした高血圧性の脳出血であり,②発症前
の業務内容からして,この程度では一般的には業務が過重負荷となって高血圧性脳
出血を自然経過を超えて発症させることはない,③Aは,不安神経症というストレ
スに反応しやすい性格を持っていたため,本件疾病を発症し,さらに,消化管出血
によって死亡したと判断されるとの意見を述べたと,L作成の平成9年3月24日
付け調査復命書に記載されている。
ウ 和歌山生協病院内科医長である証人Fは,平成9年10月31日付け意見書
(甲1),平成14年10月21日付け意見書(甲18)において,①40歳とい
う若齢で発症する脳出血としては,脳血管奇形,妊娠中の子癇,腎臓疾患に伴う悪
性高血圧,薬物や肝硬変等の疾患に伴う出血傾向,放置された重症糖尿病,異常な
ストレスによる血管破綻が原因と考えられ,本態性高血圧症の自然経過が原因とな
ることはあり得ないところ,Aには,仕事上のストレス以外に上記理由に該当する
ものがない,②両親であるC及びD並びに兄弟であるM及びNが,いずれも脳血管
疾患を発症していないことからみても,Aが高血圧の自然経過のみで本件疾病を発
症したとは考えられない,③Aが,少なくとも平成7年1月4日から同年2月10
日まで38日間連続で勤務を継続していることや連日の持ち帰り残業に加え,阪神
大震災の復旧支援活動として同月20日が出張が予定されている一方,同月15日
に納期が指定されていることから,一層の業務の過重があったと評価されること等
を理由として,Aの本件疾病による死亡は,業務に起因することの明らかな疾患で
あるというべきである旨述べるとともに,これに沿う証言もする。
エ 和歌山県立医科大学教授Oは,平成15年3月26日付け意見書(乙10)に
おいて,①Aは長期間にわたり高血圧の状態にあり,平成2年ころから治療を受け
るよう指示されていたが,これに応じず治療を受けていなかった,②Aの高血圧症
は,明らかな原因疾患が特定されておらず,本態性高血圧の可能性が高い,③Aの
肝機能の数値は上昇を示しており,長期間の多量の飲酒習慣が疑われる,④本件疾
病はAが長期間にわたる高血圧の状態にあったこと及び病巣が左被殻であることか
らすると,高血圧性脳出血の可能性が高い,⑤Aの高血圧の程度は,6年間の検診
時の平均血圧が,収縮期152㎜Hg,拡張期108㎜Hgであることから,中等高血
圧症であり,6年間にわたり血圧のコントロールのできていない若年性高血圧と考
えられる,⑥Aは,身体的にストレスに反応しやすい不安神経症を有し,本態性高
血圧のコントロールが十分できておらず,心血管系合併症を併発する可能性があっ
たと考えられる,⑦本件疾病の発症時刻が午前8時40分ころであったことからす
ると,早朝の交感神経系の興奮により一過性の血圧上昇を来たし,高血圧性脳出血
を発症した可能性が考えられる旨述べる。
(5) 前記各認定に反する当事者の主張に対する判断
ア 業務開始時間について
(ア) Aの平成7年1月21日以降の所定労働日における業務開始時間について,
原告は午前7時40分であると主張し,被告は所定始業時刻の午前8時30分であ
ると主張する。そして,証拠(甲1)には,原告が業務を開始したのは,午前8時
30分ころからであるというP及びIの陳述記載やAが午前8時すぎに出社し,作
業をしていたとする調査記録の記載がある。
しかし,Aが,毎朝午前7時30分に出勤していたという原告の供述ないし陳述記
載(甲1)は,Aが,早い時間に出勤して,レーザープリンタにより設計書等を印
刷する必要があったという点で合理的である上,同人の日常の習慣に関わるもので
あるから,その信用性は低いものではない。これに対し,証拠(甲1,証人B)に
よれば,Pは,Aが本件疾病を発症した後の平成7年3月にNTT和歌山設備建設
センタ設計積算・所外設計担当課長に就任したことが認められ,それ以前におい
て,PがAの勤務状況を観察し得る立場にいたことを認めるに足りる証拠はないこ
とに照らすと,前記Pの陳述記載は採用できない。また,Aの本件疾病発症当時の
上司であったIないし他の同僚等においても,Aより早い時刻に出勤していない限
り同人の業務開始時間を把握することはできないところ,Iないし他の同僚等がA
よりも早い時刻に出勤していたことを認めるに足りる証拠はないことに照らすと,
Iの前記陳述記載ないし調査記録の前記記載もにわかに採用することができない。
他方,前記(2)イ(ア)a認定のとおり,Aが午前7時30分ころ自宅を出ているこ
と,自宅と和歌山設備建設センタとの間がAが利用する自動二輪車で10分ないし
15分程度の距離であることに照らすと,Aが常に午前7時40分から業務に従事
していたということもできない。
そして,他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 原告は,Aの平成7年1月12日及び13日並びに同月17日から20日ま
での間の和歌浦別館における業務開始時刻は午前7時10分であると主張する。ま
た,被告は,前記(ア)同様,原告の業務開始時刻は,所定始業時刻の午前8時30
分であると主張する。
しかし,Aが午前7時ころに出勤したという日常の所作に関する原告本人の供述を
覆すに足りる証拠はないから,被告の主張は採用できない。
他方,前記(2)ウ(イ)認定のとおり,Aの自宅からCAPSのある和歌浦別館までの
距離が,自動二輪車で10分ないし15分のものであることに照らすと,Aの業務
開始時刻を常に午前7時10分とする原告の主張も採用することができない。
そして,他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。
イ 昼休み時間中の業務従事の有無について
原告は,Aの就労時間につき,同人の昼食時間は20分間であり,その余の時間
は,業務に従事していたと主張する。そして,証拠(甲1,証人B,原告本人)に
は,これに沿う陳述記載ないし供述部分がある。
しかし,前掲各証拠によれば,Aが昼休み時間中にも業務に従事していたという前
記陳述記載ないし供述部分の根拠は,他の同僚ないし保険外交員からの伝聞ないし
推測に基づくものと認められ,また,その内容もAが昼休み時間中も働いていたと
いう抽象的なものにとどまっている。これらの事実によれば,前記陳述記載ないし
供述部分はにわかに採用できず,他に,原告の主張を認めるに足りる証拠はない。
ウ 平成7年2月1日から同月10日までの間の退勤時間について
原告は,Aの平成7年2月1日から同月10日までの間の所定労働日における帰宅
時刻が,同月1日午後6時30分,同月2日午後7時,同月3日午後6時,同月6
日午後6時,同月7日午後8時,同月8日午後7時,同月9日午後8時,同月10
日午後7時であることを前提として,Aは,いずれの日も,上記各帰宅時刻の10
分前まで業務を行っていたと主張する。
しかし,前記(2)イ(ア)a認定のとおり,Aの自宅と和歌山設備建設センタとの間が
Aが利用する自動二輪車で10分ないし15分程度の距離であることに照らすと,
Aが常に帰宅時刻の10分前まで勤務していたとする原告の主張は採用することが
できず,他に,前記認定を覆すに足りる証拠はない。
エ 持ち帰り残業の時間について
(ア) 被告は,Aが自宅において持ち帰り残業をしていたことを否認し,証拠(甲
2)によれば,Aが山東別館工事の設計積算業務に使用していたフロッピーディス
クの分析結果として,データの更新日時が概ね所定労働時間内となっていることが
認められる。
しかし,証拠(甲1,証人B,原告本人)によれば,Aが使用していたフロッピー
ディスクは,平成7年2月13日には,Qに引き継がれ,引き続き作業が行われて
いること,データの更新日時及び作成日時を見ると,更新日時よりも作成日時の方
が新しいものがあること,更新日時の正確性は,使用したワードプロセッサーにお
いて設定された日時の正確性に依存することが認められる。これらの事実に照らす
と,前記フロッピーディスクのデータの更新日時から,直ちに,Aの就労時間を認
定することはできないといわざるを得ない。
そして,前記(2)ア認定のとおり,Aの山東別館工事の設計積算業務に遅れが生じて
おり,完成期日の平成7年2月10日までにその完成が困難となっていたことに照
らすと,Aが自宅において持ち帰り残業をしていたという原告の陳述記載(甲1)
は信用できるというべきであり,他に,Aの持ち帰り残業の有無及び時間につい
て,前記認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 原告は,Aが,平成7年1月31日以前においても,1日2時間程度持ち帰
り残業をしていたと主張する。そして,証拠(甲1,原告本人)によれば,Aが,
自宅において作業をしていたことは認められる。
しかし,Aが,同日以前において,具体的にどの程度の時間持ち帰り残業をしてい
たかを認定するに足りる証拠はないから,後述する勤務時間の認定に当たっては,
同日以前における持ち帰り残業の時間は算入しないこととする。
オ 休日出勤について
被告は,Aが,平成7年1月14日,同月15日及び同月16日の休日において出
勤していたことを否認する。他方,証拠(甲1中のL作成の調査復命書)には,A
が,平成7年1月7日及び8日以降,本件疾病を発症するまでに延べ8日間の自主
的な休日労働をしていたもので,上記3日間の休日労働はしていなかった旨,被告
の主張に沿うかのような記載がある。
しかし,前記(2)ウ(イ)b認定のとおり,同月14日及び同月15日は,Hの中学校
入学試験があり,この出来事との関連づけてされたAが休日出勤したという原告の
陳述記載(甲2)ないし供述の信用性を低いということはできない。また,前記L
の調査復命書の記載は,その起算点や労働日が明確でない点は措くとしても,調査
復命書が作成されたのが平成9年3月24日であることに照らすと,Lが振替休日
であった平成7年1月16日を平日と誤信した可能性も否定できないから,Lの調
査復命書の前記記載をもって,Aが同月14日から同月16日までの間休日出勤し
たことを否定することはできず,他にこれを覆すに足りる証拠はない。
なお,同月14日及び同月15日におけるAの勤務時間については,本件疾病の発
症に近い時期(平成7年12月3日)にされ,信用性がより高いと思料される甲2
の陳述記載によることとする。
他方,原告は,Aが平成7年1月7日及び同月8日にも出勤したと主張し,証拠
(甲1,2,原告本人)にもこれに沿う原告の陳述ないし供述がある。
しかし,証拠(原告本人)によれば,原告自身,Aが前記各日に出勤したという明
確な記憶を有しているわけではないことが認められることに照らすと,原告の前記
陳述ないし供述部分はにわかに採用することができず,他に,これを認めるに足り
る証拠はない。
2 脳血管疾患の発症と業務との間の相当因果関係(業務起因性)の判断基準
  労災保険法1条,7条1項1号にいう「業務上の事由による労働者の死亡」及
び労働基準法79条,80条にいう「労働者が業務上死亡した場合」とは,労働者
が業務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい,単に死亡の結果が業
務の遂行中に生じたとか,あるいは,死亡と業務との間に事実的因果関係があると
いうだけでは足りず,これらの間に法的にみて労災補償を認めるのを相当とする相
当因果関係の認められることが必要であるところ,労災補償制度が,業務に内在又
は随伴する危険が現実化した場合にそれによって労働者に発生した損失を補償する
ものであることからすると,当該発症が当該業務に内在する危険が現実化したこと
によるものと評価できる場合に,相当因果関係があるというべきであり,業務とそ
れに直接関連性のない基礎疾患とが協働して当該疾病が発症した場合において,業
務に内在ないし随伴する危険が現実化したものとして相当因果関係が肯定されるた
めには,当該業務に内在ないし随伴する危険が当該疾病の発症について相対的に有
力な原因となっていることが必要であるというべきである。
そして,労働者が業務により肉体的,精神的に過重な負荷を受け,これにより当該
基礎疾患が自然経過を超えて著しく増悪し,疾病を発症したと認められる場合に
は,当該業務に内在ないし随伴する危険が当該疾病の発症について相対的に有力な
原因になっているものというべきである。
3 本件疾病と業務との相当因果関係(業務起因性)の存否
(1) 業務過重性の有無
ア 労働時間
Aの本件疾病発症前1か月間の労働時間は,前記1(2)イ,ウ認定のとおりであり,
これを集計した結果は以下のとおりである。
(ア) 平成7年2月1日から同月10日まで(所定労働日数8日間)
a Aは,所定労働日(平成7年2月1日から3日まで,同月6日から10日ま
で)については,宇須別館において,遅くとも午前7時50分ころから勤務を始
め,昼休みの1時間を除き,同月1日は午後6時ころまで(労働時間約9時間10
分),同月2日,同月8日及び同月10日の3日間は午後6時30分ころまで(労
働時間各約9時間40分),同月3日及び同月6日の2日間は午後5時30分ころ
まで(労働時間各約8時間40分),同月7日及び同月9日の2日間は午後7時3
0分ころまで(労働時間各約10時間40分)勤務していたのであり,この労働時
間の合計は,約76時間50分であるということができる。
b Aは,上記期間中自宅において,持ち帰り残業を行っており,その時間の合計
は,約15時間である。
c さらに,Aは,所定休日である平成7年2月4日には遅くとも午前9時20分
ころから午後6時30分ころまで(約9時間10分),同月5日には午前10時2
0分ころから午後6時30分まで(約8時間10分),同センタにおいて山東別館
工事に関する設計書作成等の業務を行っており,さらに,同日には,自宅で,約2
時間30分の持ち帰り残業を行っていた。これらの時間外(休日)労働時間の合計
は,同月4日及び5日の昼食休憩時間を仮に1時間と計算して,17時間50分で
ある。
d 以上のとおり,平成7年2月1日から同月10日までのAの労働時間の合計
は,約109時間40分となる。
(イ) 平成7年1月12日から同月31日まで(所定労働日数13日間)
a Aは,和歌浦別館に通勤した平成7年1月12日及び同月13日並びに同月1
7日から同月20日までの6日間については,遅くとも午前7時30分ころから勤
務を開始し,昼休みの1時間を除き,同月12日,同月13日,同月17日,同月
19日及び同月20日の5日間は,少なくとも終業時刻の約1時間後である午後6
時10分ころまで(労働時間各約9時間40分),同月18日はCAPSの電源の
切れる午後6時51分ころまで(労働時間約10時間21分)勤務していたのであ
り,この労働時間の合計は,少なくとも約58時間41分である。
b 他方,Aが宇須別館において勤務した平成7年1月23日から27日まで並び
に同月30日及び同月31日の7日間については,遅くとも午前7時50分から勤
務を開始し,昼休み1時間を除き,少なくとも終業時刻の1時間後である午後6時
10分ころまで勤務していたのであり,各日の労働時間は約9時間20分であり,
この7日間の総労働時間は少なくとも約65時間20分である。
c Aは,平成7年1月14日には,遅くとも午前9時20分ころから午後5時3
0分ころまでの間(約8時間10分),Hの中学校入学試験に関して2度にわたり
中断したほかは,宇須別館において,山東別館工事に関する設計積算作業をしてい
たのであり,昼食時間を1時間,Hの中学校入学試験に関する中断時間を合計2時
間とそれぞれ仮定すると,労働時間は約5時間10分である。
また,Aは,同月15日には,午前8時30分ころから午後1時30分ころまでの
間(約5時間)昼食をとらずに前記作業を行い,同月16日,同月21日,同月2
2日,同月28日及び同月29日の5日間は,遅くとも午前9時20分ころから午
後4時ころまで(約6時間40分)上記設計積算作業をしていたのであり,この5
日間の労働時間の合計は,昼食時間を1時間と仮定して,約28時間20分であ
り,以上の6日間の労働時間の合計は約33時間20分である。
d 以上のとおり,平成7年1月12日から同月31日までの間のAの労働時間の
合計は少なくとも約162時間31分となる。
(ウ) Aの本件疾病発症前1か月間における時間外労働の時間
以上によれば,Aが,本件疾病発症前1か月間である平成7年1月12日から同年
2月10日までの労働時間の合計は,少なくとも約272時間11分となる。他
方,この期間における所定労働日数が21日であり,法定労働時間が8時間である
ことからすると,所定総労働時間は168時間となる。したがって,Aのこの期間
における所定外労働時間は,少なくとも約104時間11分にのぼることとなる。
証拠(甲6ないし8,乙5,6)によれば,厚生労働省の依頼により,脳・心臓疾
患の認定基準に関する専門検討会が,平成13年11月16日付けで発表した脳・
心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告書(以下「検討会報告書」という。)
及びこれに基づき厚生労働省労働基準局長が定めた新認定基準には,発症前1か月
間におおむね100時間を超える時間外労働が認められる場合には,業務と脳血管
疾患の発症との関連性が強いと評価できるとされていることが認められることに照
らしても,Aの業務が相当過重であったと評価することができる。
しかも,前記1(2)イないしエ認定のとおり,Aは,平成7年1月9日から本件疾病
発症の前日である同年2月10日まで所定労働日のみならず所定休日も出勤して,
連日山東別館工事の設計積算業務に従事していたのであり,証拠(甲7,乙5,
6)によれば,検討会報告書及び新認定基準(甲7,乙6)に,休日のない連続勤
務が続くほど業務と発症との関連性をより強めるとされていることが認められるこ
とに照らしても,Aの業務が過重であったということができる。
イ 業務内容及び勤務形態
前記1(1),(2)認定のとおり,NTT和歌山設備建設センタ線路技術担当課におい
ては,担当者が原則として専任で割り当てられた工事に関する設計積算業務を担当
することとされていたところ,Aは,山東別館工事を,平成7年2月10日までの
設計積算期間で担当することとなったが,同工事は,Aの不得手とするメタリック
ケーブル系の工事であることや同年1月12日,同月13日,同月17日から同月
20日までの間に,研修を兼ねて,A自身初めて使用するため不慣れであり,書類
の作成に時間を要することとなるCAPSを使用して同工事の設計書等を作成する
こととなったことから,同工事の設計積算作業に遅れが生じ,同年2月1日から同
月3日までの間,同工事の設計積算業務に当たり,主査2名の支援を受けた。しか
しながら,同年1月17日に発生した阪神淡路大震災の復旧支援のために,課員が
交代で出張することとなっていたことから,同年2月3日を最後にAは同工事の設
計積算業務の支援を受けておらず,さらに,A自身も同月20日から前記復旧支援
のための出張が予定されていた。そして,Aが本件疾病を発症した同月11日の時
点で,同工事の設計積算業務は完成しておらず,概ね2日程度の作業を要する状況
であった。
以上のとおり,Aは,不得手とされるメタリックケーブル系の工事の設計積算業務
を期間内に完成させる必要があったところ,その作業が遅滞していた上,同僚らか
らの支援を受けることも困難な状況にあり,期間内の完成が困難となっていたので
あり,現に期間内に完成させることができなかったのであるから,Aは,同工事の
設計積算業務に従事するに当たり,業務の困難性と期限の切迫性という点で,相当
程度の精神的緊張を強いられていたとみることができる。
ウ 小括
前記ア,イのとおり,Aは,本件疾病発症前1か月間において,連日業務を継続
し,その労働時間は所定労働時間を少なくとも約104時間11分超過し,過重な
ものであったということができ,しかも,その期間内における労働の内容は,Aに
とって不得意なものであるとともに,完成期限が切迫していた一方同僚等の支援を
受けることが困難な状況にあり,相当程度の精神的緊張を伴うものであったという
ことができる。以上によれば,本件疾病発症前1か月間において,Aは,過重な業
務に従事し,身体的及び精神的にかなりの負荷を受けたものとみるべきである。
エ 前記説示に反する当事者の主張に対する判断
(ア) 原告は,Aの予定になかった加太別館工事に関する現場説明や,CAPSの
研修を兼ねた同システムを使用した図面作成は,新認定基準において労働時間以外
に負荷の要因に当たるとされる不規則な勤務にほかならず,Aの業務をさらに過重
にした旨主張する。
しかしながら,Aに対するCAPSの研修が,同人の山東別館工事の作業予定を変
更させるような態様で決定され又は実施されたことを認めるに足りる証拠はない。
また,加太別館工事に関する現場説明が,Aの作業予定を変更させるに至る態様で
決定され又は実施されたことを認めるに足りる証拠はない。また,前記1(2)ア認定
のとおり,加太別館工事に関する業務は,遅くとも,平成7年1月9日ころ,Aか
らGに引き継がれており,Aの本件疾病発症前1か月間における業務の過重性に直
接的には影響しないというべきである。
(イ) 被告は,Aが朝所定始業時刻より早く出社して勤務した時間,自宅における
作業(持ち帰り残業)の時間は,使用者の指揮監督が及んでおらず,殊に持ち帰り
残業については,私的な場である家庭で行われるものであり,労働密度は一般に低
いものであるから,労働時間の計算に当たり,算入すべきではないと主張する。
しかし,前記1(1)イ,ウ認定のとおり,平成7年1月ないし2月当時,NTTにお
いては,労使協定により,労働者1人当たりの正規の残業時間を1か月当たり18
時間以内に抑えることとされている一方,管理職から正規に発令された残業時間の
みで担当業務を消化しきれない場合に,労働者が自主的に残業ないし持ち帰り残業
をすることが多かったことに照らすと,たとえ使用者の指揮監督の及んでいない時
間における作業であっても,それは自己の担当業務の消化のためにやむを得ずされ
ていたものにほかならないから,作業の身体及び精神に与える負荷は,使用者の指
揮監督下における残業による負荷と変わらないものということができる。また,前
記1(2)アないしウ認定のとおり,Aは,自らが担当する山東別館工事の設計積算業
務に作業の遅れがあったことから,平成7年2月1日,同月2日,同月3日,同月
5日,同月6日,同月10日と自宅において作業を行っていたのであり,同月10
日が同工事の設計書の完成期日とされていたことを併せると,Aの自宅における作
業の労働密度が低かったということはできない。
したがって,被告の前記主張は採用することができない。
(ウ) 被告は,Aが平成7年2月1日から同月10日までの間,平均約8時間の睡
眠をとり,それ以外の日も概ね8時間の睡眠を確保していることからすれば,Aの
時間外労働による疲労は,睡眠で回復し蓄積は生じていないから,この時間外労働
が,業務起因性を有するほど過重なものになることはない旨主張する。そして,証
拠(甲1,2,乙3)によれば,原告は,Aの睡眠時間について,同月1日午後1
1時ころ就寝し同月2日午前6時30分ころ起床し,同月3日午前2時ころ就寝し
同日午前6時30分ころ起床し,同日午後11時ころ就寝し同月4日午前8時ころ
起床し,同月5日午前0時30分ころ就寝し同日午前9時ころ起床し,同日午後1
1時30分ころ就寝し同月6日午前6時30分ころ起床し,同日午後11時ころ就
寝し同月7日午前6時30分ころ起床し,同日午後8時30分ころ就寝し,同月8
日午前6時30分ころ起床し,同日午後7時30分ころ就寝し同月9日午前6時3
0分ころ起床し,同日午後8時に一度眠り,同日午後10時から午後11時までの
間は起き,そのころ就寝し同月10日午前5時30分ころ起床し,同月11日午前
0時30分ころ就寝し,同日午前8時30分ころ起床した旨陳述していること,原
告は,Aが本件疾病の発症により和歌山赤十字病院に入院した際,看護師に対し,
Aの睡眠時間を午後10時から翌日午前6時までであり,よく眠れていると申告し
ていたことが認められる。また,検討会報告書(乙5)には,「長期間にわたる長
時間労働やそれによる睡眠不足に由来する疲労の蓄積が血圧の上昇などを生じさ
せ,その結果,血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させる可能性のある
ことが分かる。」,「長時間労働に着目してみた場合,現在までの研究によって示
されている1日4~6時間程度の睡眠が確保できない状態が,継続していたかどう
かという視点で検討することが妥当と考えられる。」,「どのような健康状態にお
いても人にとって1日7~8時間の睡眠が最も健康的であることを示している。こ
れらのことから,その日の疲労がその日の睡眠等で回復できる状態であったかどう
かは,現在までの研究によって示されている1日7~8時間程度の睡眠ないしそれ
に相当する休息が確保できていたかという視点で検討することが妥当と考えられ
る。」との記載がある。
しかし,証拠(乙5)によれば,長時間労働が脳血管疾患等に影響を及ぼす理由と
しては,睡眠時間の不足による疲労の蓄積による影響が大きい反面,①生活時間中
での休憩,休息や余暇活動の時間が制限されること,②長時間に及ぶ労働では,疲
労し低下した心理及び生理機能を鼓舞して職務上求められる一定の行動ないし成果
を維持する必要があり,これが直接的なストレス負荷要因となることといった点も
あることが認められる。したがって,Aが,本件疾病発症前10日間において,前
記認定のような睡眠時間を確保していたとしても,それをもって,直ちに,労働に
よって生じたAの疲労が解消されることによって,Aの労働の業務過重性が失われ
るということはできない。
また,証拠(証人F)によれば,通常夜間の睡眠時においては血圧が低下するもの
の,夜中にも業務について無意識に緊張するような状況にある場合には,血圧が低
下しないという事態が生ずることもあることが認められ,これに前記イ説示のとお
り,Aが困難でかつ期限が切迫していたという緊張を伴う業務をしていたことを併
せると,Aの疲労が前記睡眠によって解消され,労働の業務過重性を失わせるとい
うことはできないというべきである。
(エ) 被告は,Aはメタリックケーブル系の工事の設計積算業務に不慣れではな
く,山東別館工事の設計積算業務においても,精神的緊張を強いられることはなか
った旨主張する。そして,前記1(2)ア認定のとおり,Aは,平成5年度は光ファイ
バー系の工事を20件,メタリックケーブル系の工事を5件,平成6年度には光フ
ァイバー系の工事を23件,メタリックケーブル系の工事を6件担当していた。ま
た,証拠(甲1)には,①Aが幅広く線路設計を理解していた,②山東別館工事が
特に異質な内容のものではなく従来の工事と同程度のものであったとのRの陳述記
載があり,証人Bは,メタリックケーブル系の工事と光ファイバー系の工事とでは
基本は変わらない旨証言する。
しかし,証拠(甲1)によれば,Rは,平成6年12月28日から病気により休暇
をとっており,Aの平成7年に入ってからの勤務状況を把握していなかったこと,
Rと同様にAの同僚であったS,T,U及びVは,いずれも,Aがメタリックケー
ブル系の工事を得意とはしていなかった旨陳述していること,Aの業務を支援した
主査のWは,山東別館工事は工事積算の金額算出業務について相当手間がかかる旨
陳述していることが認められ,これらの事実に照らすと,前記Rの陳述記載はにわ
かに採用できない。また,証人Bは,線路設計の業務の経験はあるものの,線路設
計の業務内容についてはそれほど精通していないとも証言していることに照らす
と,同証人の前記証言部分もまた採用できない。
そして,他に,Aがメタリックケーブル系の工事の設計積算業務を不得手としてい
たとの認定を覆すに足りる証拠はない。
(オ) 被告は,山東別館工事の設計積算業務は,Aの本件疾病発症当時,おおむね
2日程度で完了する程度に進んでいたのであるから,負荷要因となるような作業の
遅滞はなかった旨主張する。
しかし,前記1(2)ア,オ認定のとおり,Aの山東別館工事の設計積算業務は,現に
作業に遅れが生じており,平成7年2月1日から3日までの間には,主査2名の支
援を受けていたこと,本件疾病発症時点において現に作業が完了していなかったこ
とに照らすと,被告の主張は採用することができない。
(2) 基礎疾患及び生活習慣が有する本件疾病発症の危険性の有無及び程度
ア 脳出血の危険因子(高血圧症,飲酒及び喫煙)
前提事実(3)ア,前記1(2)オ,(3)認定の事実及び証拠(甲1,19,乙1,5,1
0)によれば,以下の事実が認められる。
(ア) 本件疾病は高血圧性脳出血の多発部位(40ないし50パーセント)である
左被殻を病巣とするものであることから,高血圧性脳出血である可能性が高いと考
えられる。
(イ) 脳出血の危険因子としては,高血圧のほか年齢,飲酒,喫煙,肥満,糖尿病
が掲げられており,特に高血圧と飲酒が代表的な危険因子であり,これらの危険因
子は,相乗的に作用するものである。
(ウ) Aの血圧の数値(前提事実(3)ア)は,日本高血圧学会高血圧治療ガイドライ
ン(平成12年)によれば,平成元年9月19日においては軽症高血圧,平成2年
1月25日及び同年6月6日においては中等症高血圧,平成3年6月10日,同年
10月28日,平成4年6月2日においては重症高血圧,同年7月27日において
は中等症高血圧,平成5年6月1日,同年9月20日及び平成6年2月10日にお
いては重症高血圧,平成6年5月27日及び同年10月13日においては軽症高血
圧に該当するものである。
(エ) Aの高血圧は原因疾患の明らかでない本態性高血圧の可能性が高い。
(オ) Aは,高血圧に対する治療としては,平成4年7月27日にY胃腸科・外科
医院を受診し,血圧降下剤の処方を受けたのみである。
(カ) 重症高血圧に該当する場合及び中等症高血圧に該当する場合において糖尿病
以外の危険因子(飲酒,喫煙が含まれる。)があるときは脳血管疾患発症の高リス
クがあるとされ,軽症高血圧に該当する場合において糖尿病以外の危険因子がある
ときは中等リスクがあるとされる。
(キ) Aには飲酒,喫煙の嗜好があり,飲酒量は平成7年に入って増加傾向にあ
り,1日の飲酒量は原告の申告によれば,本件疾病発症に近接する時期で,飲酒量
が1日当たり水割り4,5杯,喫煙量が1日当たり30本であった。
(ク) Aは,昭和59年11月24日,多量の飲酒に起因するマロリーワイス症候
群により入院加療を受けた。
(ケ) Aのγ-GTPの数値は,昭和59年11月24日には61,平成元年9月
19日には135,平成2年1月25日には199,同年6月6日には96といず
れも異常値を示し,また,平成元年9月19日には中性脂肪が515,β-リポ蛋
白が841と平成2年6月6日には中性脂肪が253とそれぞれ異常値を示し,さ
らに,平成6年2月9日にZ胃腸病院で行われた血液検査では,高脂血症及び脂肪
肝が窺われるとの所見であった。
(コ) Aの両親であるC及びDはいずれも高血圧である。
以上の各事実によれば,Aが遅くとも平成2年1月25日から平成6年2月10日
までの間,血圧を測定する度に中等症高血圧又は重症高血圧症に該当する血圧の数
値である上,遺伝的にもAは高血圧症であった可能性が高いといえる一方,Aは,
血圧降下の治療としては,平成4年7月27日ころ血圧降下剤の服用をしたのみで
あり,特段の血圧コントロールの措置をとっておらず,かえって,病歴や検査結果
からみる限り,脳出血の危険性を相乗的に増大させる多量の飲酒及び喫煙の嗜好が
あったということができる。
しかし,前記1(3)認定の事実及び証拠(甲1,18,19,乙2,10,証人F,
原告本人)によれば,①脳に加えて高血圧の標的臓器とされる心臓,腎臓,眼底に
ついては,心臓に関しては左室肥大所見の有無,腎臓については尿蛋白の有無や血
清クレアチニン値の増大の有無,眼底については網膜血管の高血圧性変化や動脈硬
化性変化の有無を評価することにより,高血圧の持続による障害のレベルを測定す
ることができるところ,Aにおいては,左室肥大の所見が平成元年9月19日及び
平成2年6月6日の検査の時点では見られたものの平成6年2月10日のZ胃腸病
院における検査では消失し,本件疾病発症後の和歌山赤十字病院の検査でも異常所
見はみられず,尿蛋白は一貫して発現しておらず,血清クレアチニンの数値も正常
範囲内であり,眼底については何らかの異常があったとの証拠はないこと,②血圧
値による分類は必ずしも高血圧による臓器障害の程度を反映しておらず,これを反
映する世界保健機構の専門委員会による病期分類が提唱されているところ,Aの状
態は,前記病期分類においては,臓器障害の他覚的徴候が明らかではない第Ⅰ期に
分類される一方,臓器障害の徴候があるものが第Ⅱ期と,脳卒中などの症状ないし
徴候が発現する時期が第Ⅲ期と定められていること,③Aの場合,本件疾病発症当
時の40歳という年齢の患者が脳出血を発症した場合にまず原因として通常疑われ
る脳血管奇形,腎性高血圧,重症糖尿病,薬物や他の疾患による出血傾向といった
事情が存在しないこと,④C及びDは脳出血を発症していないこと,⑤血圧の数値
は検査の際,緊張する等の理由により,実際の数値よりも高い値が出ることが多
く,殊にAは不安神経症に罹患していたため,より数値が高く出る傾向にあったと
いうことができることが認められる。
以上の事実によれば,Aの血圧の数値は高いものの,それは検査に伴うものである
上,同人の不安神経症によって高くなっている可能性がある一方,Aの臓器には,
高血圧に起因する特段の他覚的な異常所見は見られないか消失しており,臓器障害
の他覚的徴候は明らかではないということができ,また,遺伝的にみても,両親が
高血圧であるにもかかわらず脳出血を発症していないことからAが特に脳出血を発
症しやすい遺伝的素因を有しているとはいえないと評価できる。さらに,Aが他に
高血圧性脳出血を発症しやすい腎疾患や糖尿病といった素因を有していないことに
照らすと,本件疾病が,同人の高血圧症の自然経過を有力な原因として発症したと
いうことはできない。
イ 不安神経症について
K(殊にL作成の調査復命書中の前記部分)及びO(乙10)は,Aの罹患してい
た不安神経症が,Aの本態性高血圧症と併せて本件疾病の原因となった可能性に言
及する。
しかし,前記1(3)カ認定のとおり,Aの不安神経症は,抗不安剤の服用により,平
成6年6月までにほぼ症状が消失していたこと,Aは,平成7年1月31日まで同
病院に通院し,抗不安剤の処方を受けていたことに照らすと,この不安神経症が本
件疾病の有力な原因となったということはできない。
(3) 総括
以上のとおり,Aは,同人の経験からは困難な業務を期間内に行わなければならな
い一方,阪神淡路大震災の影響により同僚らからの支援を期待できないという精神
的な緊張を伴う業務を,1か月間に所定労働時間を少なくとも104時間以上超過
して行うという過重な業務を行っていた。他方,Aは,高血圧症であったというこ
とができ,また,飲酒,喫煙といった脳出血の発症する危険のある嗜好を有してい
たものの,臓器障害の他覚的徴候に欠けること,不安神経症も抗不安剤の服用によ
り症状が消失していたことに照らすと,これらの私的な要因が有力な原因となって
発症したということはできない。したがって,本件疾病は,Aの業務が過重であっ
たことが相対的に有力な原因となって発症したものということができる。
そして,これに反するOの意見書(乙10)は,臓器障害の他覚的徴候に欠ける点
やAの業務が過重であったことを看過する点で採用することができず,また,L調
査復命書中のKの意見もAの業務が過重であったことを看過する点で採用できず,
他に,前記認定を覆すに足りる証拠はない。
4 結論
以上によれば,Aの本件疾病の発症及びこれに起因する死亡と同人との業務との間
には,相当因果関係が認められる。よって,Aの本件疾病の発症に業務起因性が認
められないことを理由として,原告主張の遺族補償年金及び葬祭料を支給しないと
決定した本件各決定は違法であって,原告の請求は理由があるから,本件各決定を
取り消すこととし,主文のとおり判決する。
和歌山地方裁判所第二民事部
裁判長裁判官   礒尾 正
裁判官   秋本昌彦
裁判官   成田晋司

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